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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-03-21
(45)【発行日】2024-03-29
(54)【発明の名称】吟醸香を高生産する新規ビール酵母
(51)【国際特許分類】
   C12N 15/01 20060101AFI20240322BHJP
   C12N 1/19 20060101ALI20240322BHJP
   C12N 15/09 20060101ALI20240322BHJP
【FI】
C12N15/01 Z
C12N1/19
C12N15/09 Z
【請求項の数】 1
(21)【出願番号】P 2021200835
(22)【出願日】2021-12-10
(65)【公開番号】P2023086372
(43)【公開日】2023-06-22
【審査請求日】2022-03-07
【前置審査】
(73)【特許権者】
【識別番号】594156880
【氏名又は名称】三重県
(74)【代理人】
【識別番号】100108280
【弁理士】
【氏名又は名称】小林 洋平
(72)【発明者】
【氏名】丸山 裕慎
【審査官】大久保 智之
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-119893(JP,A)
【文献】特開2014-000004(JP,A)
【文献】特開2012-016301(JP,A)
【文献】特開昭63-309175(JP,A)
【文献】埼玉県産業技術総合センター研究報告,2020年,第18巻,27-29頁,https://www.pref.saitama.lg.jp/documents/187463/r01-07-saitamakoubobeer.pdf参照
【文献】中山 繁喜 他,清酒酵母によるビール用麦汁の発酵,岩手県工業技術センター研究報告,2000年,第7号,https://www2.pref.iwate.jp/~kiri/study/report/1999/pdf/H11-49-beer.pdf参照
【文献】[新発売 ] 純麦吟醸 IPA,2021年08月24日,https://www.biyagura.jp/news/%E3%80%90%E6%96%B0%E7%99%BA%E5%A3%B2%E3%80%91%E7%B4%94%E9%BA%A6%E5%90%9F%E9%86%B8-ipa/参照
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 15/00-90
C12N 1/00-38
C12C 11/00-12/04
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/BIOSIS/CABA/AGRICOLA/FSTA(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記工程(1)~(3)を備えたことを特徴とするビール製造用の清酒酵母変異株の育種方法:
(1)FAS2ホモ接合型であり、G1250Sの変異を持つ清酒酵母であるMK3に遺伝子変異を導入し、その清酒酵母変異株を得る遺伝子変異工程、
(2)前記変異株について、炭素源としてマルトースのみを用い、2mg/LアンチマイシンAを含有した培地で7日間30℃で静置培養したときにコロニーを形成するマルトース資化能力を備えた株を得るマルトース資化能力獲得変異株選抜工程、
(3)前記変異株について、10μMセルレニンを含有する培地で培養したときに増殖がみられるセルレニン耐性を備えた株を得るセルレニン耐性株選抜工程。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、吟醸香を高生産する新規ビール酵母などに関する。
【背景技術】
【0002】
クラフトビールには多くの酒質(スタイル)があり、「ビアスタイルガイドライン2004」に記載されているビアスタイルは121種類に上り、今もなお増え続けている。世界的に認められたビアスタイルにはそのスタイルが生み出された地名が冠せられることが多く、チェコのピルゼンで生まれた「ピルスナー」やドイツのドルトムンドで生まれた「ドルトムンダー」、近年ではアメリカの西海岸で生まれた「ウエストコーストスタイル」などがある。一般に、ビールのスタイルは既存のスタイルとの違いが明確で、高品質と認められた際に自然と定着し、世界に通用するスタイルへと認知されていくが、日本の地名を冠したスタイルはまだない。
そもそも、日本の伝統的なアルコール飲料である清酒は並行複発酵という発酵方法を採用しており、原料である米のデンプンを麹菌が生産する酵素によりグルコースに分解し、そのグルコースを酵母が資化することでアルコール発酵を行っている。この技術により、世界的に珍しい高アルコール度数の醸造酒の製造を可能としており、伝統的に清酒酵母はアルコール生成能力の高い酵母が育種選抜されてきた。さらに、原料に用いる米の特性上、原料由来の香味が乏しいことから、清酒の香味は酵母がアルコール発酵とともに生産するコハク酸やリンゴ酸などの有機酸や酢酸イソアミルおよびカプロン酸エチルなどの吟醸香と呼ばれるエステル類により形成されている。ゆえに、清酒酵母はかねてより「高発酵性でありながら、呈味成分である有機酸や香気成分であるエステル類を特徴的に代謝するような新規清酒酵母の開発」が精力的に行われてきた。
【0003】
1994年に我が国のビール製造免許の規制緩和が行われた際に、あらゆる産業用酵母のビール醸造についての研究が行われた。1998年の向井らの報告(非特許文献1)では、多くの清酒酵母がマルトースやマルトトリオースといった麦汁の主要糖類を資化できないことや、麦汁の発酵性が低いことを報告している。また、2000年の中山らの報告では、清酒酵母の中にもマルトース資化能を有したものもみつかったものの、ホップ含有のビール醸造条件では発酵性が弱く、通常のビール製造条件で清酒酵母を利用することは困難であると報告している。
1998年には「新規酵母とその用途」(特許文献1)、2012年には「吟醸香を産出する新規ビール酵母及び該酵母を使用したビール製造方法」(特許文献2)として、清酒酵母とビール酵母の交雑によって新規ビール酵母を育種し、清酒吟醸香のカプロン酸エチルを特徴としたビールの開発が試みられているものの、交雑に用いた清酒酵母にカプロン酸エチル高生産性の指標であるセルレニン耐性の形質をおそらく有しておらず、当該酵母で生成したビールに含有するカプロン酸エチル濃度は1 ppm程度と依然として低いものであった。
【0004】
現状、清酒酵母を用いてビールを醸造するためには、麦汁に麹や酵素を添加してマルトースをグルコースに加水分解する必要がある。この方法では、オリゴ糖やタンパク質などビールの骨格となっている成分も加水分解される為、酒質やビールの泡持ちの低下を引き起こすというような問題点がある。一方、麦汁に清酒酵母が資化できるグルコースを多量に添加することも手段の一つとして考えられるが、日本の酒税法上「ビール」ではなく「発泡酒」の規格となる他、製成したビールには麦汁に含まれている多量のマルトースが残存するため、これを減少させるため、ビール酵母を用いて混醸する必要がある。
【0005】
酵母のマルトース資化における研究で、グルコースのアナログである2-デオキシグルコースやミトコンドリアの電子伝達系を阻害するアンチマイシンAを含有した選択培地を用いることで、マルトース資化能が向上した酵母を選抜できることが示されている。
また、1990年ごろにセルレニン耐性を指標とした選抜方法によりカプロン酸エチルを高生産する酵母が取得できることが明らかとなり、それは脂肪酸合成酵素をコードする遺伝子FAS2に導入された一塩基多型の変異に由来し、FAS2に一塩基変異が入ることで、Fas2pの1250番目のアミノ酸がグリシンからセリンにミスセンス変異が生じることで、カプロン酸エチル高生成能が付与されることが報告されている(特許文献3)。また、二倍体の酵母においてFAS2の変異がヘテロ接合型よりもホモ接合型で導入されているほうがカプロン酸エチルの生成量が多いことが示されている(特許文献4)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特許第3057557号
【文献】特許第5724131号
【文献】特開昭63-309175号公報
【文献】特許第5710132号
【非特許文献】
【0007】
【文献】向井ら、ビール酵母とその他の醸造用酵母のビール醸造特性、日本醸造協会誌、第93巻12号、p967~975(1998)
【文献】向井、各種醸造用酵母によるビール醸造の可能性、日本醸造協会誌、第97巻2号、p99~105(2002)
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
清酒酵母をビール醸造に応用できれば、清酒の吟醸香を特徴とした日本オリジナルの新規なビールを提供できる。しかしながら上記の通り、清酒酵母はマルトースを資化する能力が低いために、可溶性糖類の85%がマルトースである麦汁中では健全な増殖やアルコール発酵が抑制されるため、製成したビールの品質は著しく悪くなる。このため、従来の清酒酵母をそのままビール製造に転用しても、高品質なビールを提供することはできなかった。
本発明は、上記した事情に鑑みてなされたものであり、その目的は、清酒の吟醸香である酢酸イソアミルやカプロン酸エチルを高含有した新規ビール開発のための酵母を提供すること、及びこの酵母を用いて、清酒のバナナ様の吟醸香である「酢酸イソアミル」やリンゴ様の吟醸香である「カプロン酸エチル」の香気特性を備えた、果実味豊かな華やかな香気のビールを提供することを目的とし、さらに、ビールの主原料である麦芽やホップ、水、酵母の限られた原料のみで醸造する「本物志向」に応えるビールを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
2002年の向井の報告では、様々な産業用酵母を用いてビールの小仕込み試験比較を行った結果、ビール酵母やワイン酵母を抑え、清酒酵母が最も酢酸イソアミルを生成することを報告している(非特許文献2)。上述した通り、他の産業用酵母に比べ清酒酵母はエステル生成能が高い株が選抜されてきた経緯がある。ゆえに、清酒酵母をビール醸造に適応させることで、酢酸イソアミルが高生産されたビールの醸造が可能となると考えられた。三重県では、かねてより有機酸および香気成分が特徴的な酵母の開発に着手し、三重県独自の清酒酵母(三重県清酒酵母)を5株開発してきた。三重県清酒酵母の特徴を明確にするため、日本醸造協会が頒布しているきょうかい清酒酵母と醸造特性ならびにゲノム特性を比較した結果、カプロン酸エチル高生産の特徴を持った三重県清酒酵母「MK3」では、同様に吟醸香を生成するきょうかい清酒酵母に比べ、優位にカプロン酸エチル生成能が高いことが示された。これは、一般的なカプロン酸エチル高生産清酒酵母では、カプロン酸エチル生成能に関連する遺伝子FAS2G1250Sのゲノム変異がヘテロ接合体であるのに対し、MK3ではホモ接合型で導入されていることが要因と考えられる。これらのことから、MK3をビール酵母育種に用いることで、酢酸イソアミルおよびカプロン酸エチルの香気を備えたビール開発が可能になると考えられた。
MK3は、通常の清酒酵母と同様にマルトースを資化する能力は低い。このため、マルトースが糖類の85%を占める麦汁中では増殖やアルコール発酵が抑制されてしまい、得られたビールの品質は著しく悪くなる。さらに、カプロン酸エチルの前駆体であるカプロン酸は糖を代謝することで生成されるため、マルトースを資化できなければ目的のリンゴ様の吟醸香も高含有させることはできない。
本発明者は、FAS2にゲノム変異を有した清酒酵母(特にMK3)にマルトース資化能を付与することで、吟醸香を備えたビールを提供できることを見出し、基本的には本発明を完成するに至った。
【0010】
こうして、本発明に係るビール製造用の清酒酵母変異株の育種方法は、下記工程(1)~(3)を備えたことを特徴とする:
(1)清酒酵母に遺伝子変異を導入し、その清酒酵母変異株を得る遺伝子変異工程、
(2)前記変異株について、炭素源としてマルトースのみを用いた培地で培養し、マルトース資化能力を備えた株を得るマルトース資化能力獲得変異株選抜工程、
(3)前記変異株について、セルレニンを含有する培地で培養し、セルレニン耐性を備えた株を得るセルレニン耐性株選抜工程。
上記(2)マルトース資化能力獲得変異株選抜工程と(3)セルレニン耐性株選抜工程とは、順序は問われず、(2)→(3)の順序でも、(3)→(2)の順序でも実施できる。
別の発明に係るビール製造用の清酒酵母変異株は、上記清酒酵母変異株の育種方法により得られたカプロン酸エチル高生産能を有した吟醸香の生成を特徴とする。
別の発明に係るカプロン酸エチルを含有し吟醸香を有するビールの製造方法は、上記ビール製造用の清酒酵母変異株を使用することを特徴とする。
別の発明に係るカプロン酸エチルを含有し、吟醸香を有するビールは、上記ビールの製造方法によって得られることを特徴とする。
【0011】
「清酒酵母」とは、清酒の醸造に用いられる酵母の総称を意味している。清酒の香味を大きく左右する要因の一つである。清酒酵母の種としては、殆どが出芽酵母(Saccharomyces cerevisiae)であり、適当な方法によって、醸造特性の高い株が選抜して用いられることが多い。清酒醸造に際しては、単一の株だけが用いられるわけではなく、複数の酒母を混合したり、出来上がった酒をブレンドするなどの手法により、各株の長所を組み合わせた形で用いられることもある。本発明では、一般の清酒酵母を用いることができるが、三重県産MK3を用いることが好ましい。
「遺伝子変異を導入」とは、酵母の遺伝子に突然変異を与える方法を用いればよい。そのような方法としては、例えばエチルメタンスルフォン酸(EMS)、紫外線(UV)照射、亜硝酸などを用いることができる。
【0012】
「セルレニン」とは、微生物、動植物の脂肪酸生合成を阻害する抗生物質であり、脂肪酸生合成経路のβ-ケトアシル-ACP合成酵素の阻害活性を持つ。「セルレニン耐性」とは、セルレニンに対して耐性を備える性質を意味する。カプロン酸エチルを増加させるには、基質であるカプロン酸の濃度を増加させる必要がある。カプロン酸とは、直鎖飽和カルボン酸であり、C6H12O2の分子式を持つ。カプロン酸は、酵母の脂肪酸合成酵素によって生成されるが、通常の酵母ではカプロン酸のような鎖長の短い脂肪酸は大量に生成されない。そこで、セルレニンに耐性がある酵母を選択して用いることにより、酵母の培養中にカプロン酸の濃度を増加させ、カプロン酸エチルを増加させられる。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、清酒のリンゴ様の吟醸香である「カプロン酸エチル」の香気特性を備えた吟醸香による果実味が華やかな香気のビールを提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0014】
図1】スポット試験の結果を示す写真図である。
図2】ビール小仕込み試験において、麦汁及びビールの成分分析を行った結果を示す棒グラフである。(A)Brix値(糖度)を示すグラフ、(B)糖類及びエタノールの成分分析値を示すグラフである。
図3】ビール小仕込み試験において、吟醸香の定量結果を示す棒グラフである。(A)酢酸イソアミル含有量を示すグラフ、(B)カプロン酸エチル含有量を示すグラフである。
図4】実規模試験によって得られた試作ビールの官能評価結果を示す棒グラフである。グラフ中、データは平均値±標準誤差(n=21)で示し、「*」はp<0.05、「**」はp<0.01にて有意差が認められたことを示す。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、本発明の実施形態について、図表を参照しつつ説明する。本発明の技術的範囲は、これらの実施形態によって限定されるものではなく、発明の要旨を変更することなく、様々な形態で実施できる。
<試験方法>
1.酵母の遺伝子への変異導入は、紫外線照射による物理的変異導入を採用した(遺伝子変異工程)。得られた変異株について、マルトースのみを炭素源とし、アンチマイシンAを含有した選抜培地にて目的となるマルトース資化能力を有したMK3変異株を選抜した(マルトース資化能力獲得変異株選抜工程)。
2.取得した候補株について、カプロン酸エチル高生産の指標であるセルレニン耐性を保持しているか確認するため、セルレニン含有の選抜培地で候補株を選抜した(セルレニン耐性株選抜工程)。
3.取得した候補株についてビール試作試験を行った。対象として、親株のMK3や市販されているビール酵母を用いた。小仕込み試験には市販のモルトエキスを使用し、初期糖度15%前後の麦汁で発酵を開始した。発酵は15℃一定で7日間行った(ビールの製造方法)。発酵終了後は遠心分離にて酵母を取り除き、成分分析に供した。
4.製成したビールについて糖類やエタノール含量及び香気成分について分析を行った。糖類及びエタノールの分析にはHPLCを用いた。香気成分の分析にはGCMSを用い、吟醸香である酢酸イソアミルやカプロン酸エチルの生成量を中心に酵母代謝物由来の香気成分について評価を行った。
5.製成したビールについて官能評価を行い、分析値を踏まえたうえで香味優れる候補株の選抜を行った。選抜した株は実規模試験を行い、官能評価に供した。
【0016】
<試験結果>
1.変異導入
三重県清酒酵母であるMK3を育種に用いた。比較対象としてビール酵母を用いた。MK3をYPD培地(1wt% 酵母エキス、2wt% ポリペプトン、2wt% グルコース)を用いて前培養した(30℃、振とう培養、24 h)。コンフルエントに達した酵母懸濁液をYPD培地に1%植菌し、5.0×106個/mLとなるまで振とう培養した(30℃、6h)。遠心分離で酵母を回収し(10,000 rpm、5 min、4 ℃)、リン酸緩衝液(pH5.5)で2回washした後、紫外線を1 min照射した。
その後、2mg/L アンチマイシンAを含有した選択培地(0.67 wt% Yeast Nitorogen Base w/o Amino Acids(YNB w/o AA)、2wt% マルトース、1.5 wt% 寒天)に1.0×106cfu/plateとなるように酵母を播種し、7日間30℃で静置培養した。その結果、9株のコロニーが確認できた。獲得した9株の変異株を再度YPD培地で前培養し(30℃、振とう培養、24 h)、10 μM セルレニンを含有した選択培地(0.67 wt% YNB w/o AA、2wt% グルコース、1.5 wt% 寒天)に1.0×106cfu/spotとなるように酵母を播種し、2日間30℃で静置培養したところ、獲得した9株すべてにおいて増殖がみられた。以上のことから、これら9株をMK3変異候補株として、以降の試験に供した。遺伝子変異導入効率は1.29×10-7であった。
【0017】
9株の候補菌株について、それぞれYPD培地で前培養を行い(30℃、振とう培養、24 h)、酵母懸濁液をリン酸緩衝液(pH5.5)で2回washした後、(i)グルコースを炭素源とした培地(0.67 wt% YNB w/o AA、2wt% グルコース、1.5 wt% 寒天)、(ii)マルトースを炭素源とした培地(0.67 wt% YNB w/o AA、2wt% マルトース、1.5 wt% 寒天)、(iii)グルコースの炭素源培地に10 μM セルレニンを含有した培地、および(iv)マルトースの炭素源培地に10 μM セルレニンを含有した培地の4条件でスポット試験を実施した。
菌株を播種した培養プレートは30℃で2日間静置培養し、形成したコロニーを撮影した。スポット試験の結果を図1に示した。グルコースが炭素源の培地では試験に供したすべての酵母で増殖したのに対し、マルトースが炭素源の培地ではMK3のみ増殖が確認されなかった。一方、MK3変異候補株である9株すべてでマルトース炭素源においても増殖がみられた。
このことから、すべてのMK3変異株においてマルトース資化能力の向上を確認した。
【0018】
さらに、グルコース単一炭素源10 μMセルレニン含有培地においてMK3およびMK3変異株9株ではすべて増殖し、ビール酵母では増殖がみられず、マルトース単一炭素源10 μMセルレニン含有培地ではMK3変異株9株でのみ、増殖を確認した。清酒のリンゴ様吟醸香であるカプロン酸エチルは酵母の脂肪酸合成酵素に変異が入ることでカプロン酸エチル高生産酵母となることが明らかとされており、それらの変異株は脂肪酸合成の代謝の阻害物質であるセルレニンに耐性を示す酵母をスクリーニングすることで得られる。MK3変異株がマルトース炭素源培地で増殖ができ、かつ、セルレニン耐性を示したことから、これら9株の変異株はマルトースが主要糖類となる麦汁中においても、麦汁を健全に発酵し、さらに、カプロン酸エチルを高生産する可能性が示された。
【0019】
2.ビール小仕込み試験および成分分析
ビールの小仕込み試験には、モルトエキス(Muntons,SPRAY MALT light)、およびドイツ産テトナンガーのホップペレットを使用した。沸騰させた蒸留水7.5 Lにホップペレット1.5 gを添加し,30分間煮沸した。その後、ホップペレットを回収し、モルトエキス1 kgを添加し、さらに5分間煮沸した。タンクごと流水にさらし粗熱をとった後、0℃の冷蔵庫内で1晩冷却し、翌日オリ引きしたものを試験に供した。
酵母は麦汁を使って調製し、3段階に分けて5 mLから5 Lまで振とう条件で拡大培養を行った。拡大培養した酵母は遠心分離(5000 rpm, 4℃,5 min)により集菌し、麦汁に2.5×107 cells/mL となるように添加し、攪拌して均一化した。それらを500 mLの耐圧ビンに400 mLずつ分注し、15℃一定で、スターラーで常時攪拌(250 rpm)しながら7日間発酵させた。発酵終了後、遠心分離(5000 rpm, 4℃,5 min)で酵母を分離し、上清を回収し、その後の分析に供した。
【0020】
Brixの測定は糖度計((株)アタゴ製PAL-J)を用い、pHの測定はpHメーター((株)堀場製作所製D-54)を使用した。糖類およびエタノールは高速液体クロマトグラフ(HPLC;Waters製Alliance 2695)を用いて分析した。試料は等量のメタノールを混合して高分子分画を遠心分離により除去し、上清を純水で5倍希釈して調製した。溶離液として硫酸(1 mM)を1 mL/minで60℃のカラム(Phenomenex社製 Rezox ROA-organic acid H+(8%) )に通液して分離し、示差屈折率計で検出した(検出器温度40℃)。糖類は麦汁の主要可溶性糖類である単糖のグルコースおよび二糖のマルトースを測定した。カプロン酸エチルはヘッドスペースガスクロマトグラフ飛行時間型質量分析計(HS-GC/TOFMS;HS:JEOL製MS-62070STRAP、GC:Agilent製7890A、TOFMS:JEOL製JMS-T100GCV4G)を用いて分析した。サンプル5 mLを密栓したバイヤル瓶を50℃で30 min加熱し、ヘッドスペース中の香気成分1mLをスプリットレスで注入した。カラムはGLサイエンス製Stabilwax(φ0.25 mm×30 m,膜厚0.25 μm)を使用し、40℃から230℃まで昇温した(40℃:3 min→7℃/min→180℃:1 min→25℃/min→230℃:1 min)。キャリアガスとしてヘリウムガス(1 mL/min)を用いた。質量分析はイオン化電圧70 eV(EI)でイオン化し、イオン源温度200℃、インターフェース温度230℃、スキャン範囲35-500 m/zの条件下で行った。
麦汁及び得られたビールの成分分析結果を表1及び図2に示した。
【0021】
【表1】
【0022】
糖度の指標であるBrixおよびエタノール濃度の結果から、MK3変異株は麦汁に含まれる糖を十分アルコール発酵し、エタノールに変換したことが分かった。MK3もアルコール発酵がみられたものの、蓄積したエタノール濃度は低く、麦汁の発酵力が低いことが示された。得られたMK3変異株はコントロールであるビール酵母同様に高い発酵力を有していることが確認された。さらに、麦汁に含まれる主要な糖類であるグルコースとマルトースについて定量した。グルコースはいずれの酵母においても資化しており、ビール中にはほとんど残存していなかった。麦汁に最も多い糖類であるマルトースはMK3変異株およびビール酵母ではほとんど残存していなかったが、MK3では麦汁中のマルトースの約62%がビール中に残存していた。これらのことから、MK3変異株ではマルトースの資化能は大幅に向上し、麦汁中でマルトースを完全に資化し、アルコール発酵をしていることが確認できた。
【0023】
図3には、小仕込みビールの吟醸香の定量結果を示した。(A)には、バナナ様の吟醸香を示す酢酸イソアミルの定量結果を、(B)には、リンゴ様の吟醸香を示すカプロン酸エチルの定量結果をそれぞれ示した。図3(A)より、ビール酵母に比べ、MK3およびMK3変異株では酢酸イソアミルの生成が多いことが示された。清酒酵母はビール酵母に比べエステル生成能が高いことが知られている。マルトースの資化能が改善されていないMK3においても酢酸イソアミル生成が見られたのは、酢酸イソアミルの生成に必要な前駆体がアミノ酸であるロイシンであり、糖の資化能力とは関係ないためと考えられた。このことから、清酒酵母を親株とした新規ビール酵母は酢酸イソアミルの生成量も増加することが分かった。
【0024】
図3(B)より、MK3変異株ではすべての株でカプロン酸エチルを高生成していることを確認した。特に5番の変異株ではビール酵母の約14倍のカプロン酸エチルを生成しており、最も生成量が少なかった4番の変異株でも約3.5倍のカプロン酸エチルを生成していた。親株であるMK3ではビール酵母よりカプロン酸エチルの生成量が少ないのに対し、MK3変異株では大幅に増加していたことから、糖の資化能力の改善により酵母の脂肪酸合成が旺盛となったためであると考えられた。
これら吟醸香(酢酸イソアミルおよびカプロン酸エチル)の生成量については、獲得したMK3変異株9株でそれぞれ異なっており、生成量が過剰に増加している変異株から、少量の増加にとどまっている株もあり、吟醸香の生成量の増加幅には変異株によりばらつきがある。このことから、目的とする吟醸香の程度に合わせて好ましい吟醸香高生産酵母の育種選抜が可能であることが分かった。
得られたビールについて、5名のパネルで官能評価を実施した。その結果、親株であるMK3によるビールでは「甘味が残る」や「アルコール感がない」という評価を多く、一方で、MK3変異株によるビールでは「香りが個性的」や「キレがある」という評価を得た。これは、MK3に変異を加えたことで、マルトースの発酵性が向上し、MK3では残存したマルトースを完全にアルコール発酵した結果によるものと考えられる。さらに、コントロールのビール酵母とMK3変異株で醸造したビールで比較したところ、MK3変異株では香りが個性的であること以外にも、「すっきり」や「瑞々しい」といった評価を得た。このことから、MK3変異株をビール醸造に用いると、カプロン酸エチルなどの吟醸香の香気成分以外に、呈味成分についてもユニークな特徴を有していることが分かった。
これらのことから、麦汁を発酵するビール醸造環境下でも、酢酸イソアミルやカプロン酸エチルを高生成するMK3変異株の獲得できたことが示された。
【0025】
3.実規模試験
MK3変異株No.3を用いて、実規模醸造試験を実施した。インフュージョン法で糖化した麦汁に、酵母を菌体濃度が6.0×106cells/mLとなるように添加し、20℃で7日間主発酵を行った。主発酵後、タンク温度を10℃に下げ、約20日間後発酵を実施し、酵母を分離しビールを得た。
MK3変異株No.3は主発酵期間の序盤から高い発酵性を示し、主発酵開始後4日目までに最終比重近くまで糖度が下がり、実規模のビール醸造条件においても、申し分ない発酵性を示した。表2には、実規模ビールの成分分析結果を示した。
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【表2】
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今回の試作ビールと類似のビアスタイルであり、一般的なビール酵母を使用して醸造された類似商品「ヘイジーIPA」を対照ビールとし、官能評価を行った。試作ビールはエキス分の多い麦汁であっても高い発酵性を示し、約6 v/v %のエタノールが蓄積されていたものの、外観発酵度は約66%と低かった。一方で、類似商品の外観発酵度は約83.5%と高く、アルコールの蓄積も7.3 v/v %と高かったことから、対照に用いたビール酵母のほうがより高い発酵性を示したことが伺えた。類似商品では吟醸香が検出されなかったのに対し、試作ビールでは酢酸イソアミルもカプロン酸エチルも高含有していた。このことから、実規模醸造においても、MK3変異株は吟醸香を高生産していることが確認できた。
官能評価の項目として、「香り」「コク」「甘味」「苦味」「酸味」「渋味」「炭酸」「総合評価」の8個を選択し、21人のパネラーにより、それぞれ5段階にて評価を行った。図4には、官能評価の結果を示した。
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試作ビールの官能評価を行った結果、MK3変異株No.3による試作ビールでは、「コク」「甘味」「苦味」「炭酸」の項目で対照ビールと有意差があった。ビールの苦みの指標である「苦味価」が対照とした類似商品の方が高く、これが苦味の有意差となったと考えられた。この苦味価はホップの添加量に由来する。クラフトビールの多くのスタイルは、様々な種類のホップを大量に添加し、ホップ由来の華やかな香りをビールに移している。ゆえに、華やかなビールは苦味を伴うことが多い。試作ビールではホップの添加を抑えつつも、類似商品と同等の香りの高さを示した。さらに、香りのコメントでは「香りが個性的」、「果実みたいな複雑な香り」というような、酢酸イソアミルやカプロン酸エチルといった吟醸香由来と思われる香気特徴を示したコメントが多くみられた。「甘味」と「炭酸」については、MK3変異株とビール酵母の発酵力の差に起因した差であると考えられた。当該官能評価では「コク」について、ボディ感があるものを5点とし、すっきりキレのあるものを1点として評価した。この試作ビールの呈味特徴は「甘味」がありながら「コク」に関してはキレがあるという、特徴的な酒質となり、官能評価コメントも「甘味もありながらすっきりしている」という意見が多かった。これは、小仕込みビールの官能評価の際にも確認されており、当該変異株のビール醸造特性であると考えられる。清酒酵母には硫化物イオンを特異的に代謝することが報告されている。麦汁中に含まれている硫化物イオンの代謝経路の違いがビール酵母とMK3変異株の呈味性の差となったと予想している。こちらについては、今後明らかにしたい。ビールとしての総合評価は、対照のビールと遜色なく、十分高い品質のビールを醸造できることが示された。
以上のことから、当該MK3変異株は実規模のビール醸造使用に耐えうる酵母であり、さらに、ビール酵母とは異なった醸造特性を有しており、新規のビール醸造が可能となることが示された。
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4.まとめ
本発明は日本の伝統のアルコール飲料である清酒の酵母開発技術が土台となっており、日本オリジナルのビールスタイルを生み出すうえで最適なものであると考えられた。小仕込みおよび実規模試験では、清酒酵母では麦汁の発酵が困難とされていたが、MK3変異株では麦汁に含まれるマルトースを完全に資化し、十分な発酵力を示した。さらに、できたビールは清酒の吟醸香である酢酸イソアミルやカプロン酸エチルを大いに感じられるビールであった。このことから、本発明は、今後のクラフトビールの発展に大いに寄与することができるものであると考えられる。
本発明は、日本の國酒である日本酒の基盤技術を用いた酵母育種であり、日本独自技術を活かしたものである。カプロン酸エチルのリンゴの香りを主体としたビールは世界的に珍しく、このようなビールを高品質に製造することができれば世界市場に大きなインパクトを与えることができる。現在、国税庁は日本産クラフトビールの輸出にも力を入れており、それらバックアップ体制を活用し、世界市場を狙うことが可能である。ウィスキー業界では、後発である日本が高い技術力で高品質なウィスキーを生産し、世界5大ウィスキーの一つ「ジャパニーズウィスキー」として数えられるようになった事例もある。これらのことからも、日本酒の技術を転用したクラフトビールを高品質で体現し、「ジャパニーズスタイル」として世界に轟かせるのも夢ではない。
このように本実施形態によれば、清酒の吟醸香であるバナナ様の「酢酸イソアミルや」、リンゴ様の「カプロン酸エチル」を含有した果実味のある香気特性を備えた華やかな香気のビールを提供できた。
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図4