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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-01
(45)【発行日】2024-04-09
(54)【発明の名称】切削工具
(51)【国際特許分類】
   B23B 27/14 20060101AFI20240402BHJP
   C23C 16/36 20060101ALI20240402BHJP
   B23B 51/00 20060101ALI20240402BHJP
   B23C 5/16 20060101ALI20240402BHJP
【FI】
B23B27/14 A
C23C16/36
B23B51/00 J
B23C5/16
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2020043178
(22)【出願日】2020-03-12
(65)【公開番号】P2021142610
(43)【公開日】2021-09-24
【審査請求日】2023-02-22
(73)【特許権者】
【識別番号】000006264
【氏名又は名称】三菱マテリアル株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【弁理士】
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100142424
【弁理士】
【氏名又は名称】細川 文広
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【弁理士】
【氏名又は名称】大浪 一徳
(72)【発明者】
【氏名】久保 拓矢
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼部 涼太
【審査官】増山 慎也
(56)【参考文献】
【文献】特開平07-180030(JP,A)
【文献】特開2011-083865(JP,A)
【文献】特開2011-011331(JP,A)
【文献】特開2010-269446(JP,A)
【文献】特表2019-520225(JP,A)
【文献】特開2005-186221(JP,A)
【文献】特開2019-171547(JP,A)
【文献】韓国公開特許第10-2015-0004306(KR,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23B 27/14
B23B 51/00
B23C 5/16
B23P 15/28
C23C 16/36
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
焼結合金製の工具基体と、
前記工具基体の表面上に配置される硬質被膜と、
前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、
前記切れ刃に接続するすくい面と、を備え、
前記硬質被膜は、全体の膜厚が1μm以上30μm以下であり、
前記硬質被膜は、膜厚が1μm以上10μm以下の炭窒化チタン層を有し、
前記炭窒化チタン層は、前記炭窒化チタン層のうち少なくとも最表層の組成が、
組成式Ti(C1-X
で表した場合に、原子比であるX値が0.4以上0.6以下であり、
前記炭窒化チタン層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の前記最表層の残留応力が、-1.5GPa以下であり、
前記工具基体の表層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の残留応力が、-2.0GPa以下であり、
前記切れ刃と隣接する部分は、前記すくい面のうち前記切れ刃から少なくとも200μmの範囲である、
切削工具。
【請求項2】
前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、前記X値が0.4以上0.6以下を満足する第1炭窒化チタン層を有し、
前記炭窒化チタン層は、前記第1炭窒化チタン層の単層により構成される、
請求項1に記載の切削工具。
【請求項3】
前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、
前記X値が0.4以上0.6以下を満足する第1炭窒化チタン層と、
前記X値が0.6以上0.8以下を満足し、前記第1炭窒化チタン層と膜厚方向に重なる第2炭窒化チタン層と、を有し、
前記第1炭窒化チタン層は、前記炭窒化チタン層の前記最表層に位置し、膜厚が1μm以上であり、
前記炭窒化チタン層全体の膜厚に占める前記第1炭窒化チタン層の膜厚の割合が、25%以上である、
請求項1に記載の切削工具。
【請求項4】
前記炭窒化チタン層は、少なくとも、前記切れ刃の一部および前記すくい面の前記一部に接続する部分に配置される、
請求項1から3のいずれか1項に記載の切削工具。
【請求項5】
前記切れ刃は、
凸曲線状のコーナ刃部と、
前記コーナ刃部と接続される直線状の直線刃部と、を有し、
前記直線刃部は、切削境界位置に予定される境界予定部を有し、
前記炭窒化チタン層は、少なくとも、前記切れ刃の前記境界予定部および前記すくい面の前記境界予定部に接続する部分に配置される、
請求項1から4のいずれか1項に記載の切削工具。
【請求項6】
前記炭窒化チタン層は、前記最表層の組成が、
組成式Ti(C1-X
で表した場合に、前記X値が0.5以上0.6以下であり、
前記炭窒化チタン層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の前記最表層の残留応力が、-2.0GPa以下であり、
前記工具基体の表層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の残留応力が、-2.5GPa以下である、
請求項1からのいずれか1項に記載の切削工具。
【請求項7】
前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、膜厚方向において前記最表層から前記工具基体へ向かうに従い前記X値が変化する、
請求項1からのいずれか1項に記載の切削工具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、炭窒化チタン層が形成された耐欠損性に優れる硬質被膜付き超硬工具等の切削工具に関する。
【背景技術】
【0002】
超硬合金製の工具基体上に硬質被膜をコーティングした切削工具において、刃先の耐欠損性を向上させるための手段の1つとして、切れ刃近傍の硬質被膜や工具基体の表面に圧縮残留応力を付与する方法が知られている。例えば、特許文献1では、ショットピーニングでサブミリメートルオーダーの鋼球等を工具表面に衝突させることにより発生する衝撃力によって、残留応力を制御している。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特開平6-108258号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
特許文献1の方法では、メディアの投射圧を高めるなどにより、硬質被膜や工具基体表層の硬質相の圧縮残留応力を高めることができる。しかしながら、メディアが与える直接的な衝撃により、硬質被膜の剥離やクラックなどが生じ、安定して圧縮残留応力を付与出来ないという問題があった。特許文献1によると、ショットピーニングにより安定して圧縮残留応力を付与出来る最大値として、硬質被膜(TiC)が-200MPa程度、工具基体(WC)が-800MPa程度と記載されている(マイナスが圧縮側)。
【0005】
金属に対して圧縮残留応力を付与するショットピーニング以外の方法として、レーザピーニングが知られている。レーザピーニングは、短パルスレーザをワークに照射し、表面元素をごく短時間で瞬間的に除去することで、微粒子やプラズマなどにて飛散する際の力学的反作用による衝撃を下部層に与える方法である。レーザピーニングでは、ワーク表面のダメージを抑えながら、ショットピーニング処理よりも大きな圧縮残留応力を付与できる。
【0006】
しかしながら、硬質被膜付き切削工具にレーザピーニングを実際に応用すると、レーザ衝撃で起こる工具基体の瞬間的な塑性変形に対して、硬質被膜が追随できないという間接的影響に起因して、被膜剥離や水平クラックが生じていた。これにより、硬質被膜が失われたり目減りしたり(薄くなったり)して、耐摩耗性が低下することや(なお垂直クラックではないので切削中の切れ刃欠損の起点にはならない)、クラックにより残留応力が解放されてしまうために、大きな圧縮残留応力を安定して付与できないことが課題であった。
なお水平クラックとは、工具基体の表面の面方向に沿う剥離状の亀裂であり、垂直クラックとは、硬質被膜や工具基体表層を分断する亀裂である。
【0007】
本発明は、上記事情に鑑み、レーザピーニング処理時の硬質被膜の剥離や水平クラックを抑制でき、硬質被膜および工具基体に高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる切削工具を提供することを目的の一つとする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の切削工具の一つの態様は、焼結合金製の工具基体と、前記工具基体の表面上に配置される硬質被膜と、前記工具基体の稜線部に形成され、前記硬質被膜のうち前記稜線部に位置する部分を含む切れ刃と、前記切れ刃に接続するすくい面と、を備え、前記硬質被膜は、全体の膜厚が1μm以上30μm以下であり、前記硬質被膜は、膜厚が1μm以上10μm以下の炭窒化チタン層を有し、前記炭窒化チタン層は、前記炭窒化チタン層のうち少なくとも最表層の組成が、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、原子比であるX値が0.4以上0.6以下であり、前記炭窒化チタン層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の前記最表層の残留応力が、-1.5GPa以下であり、前記工具基体の表層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の残留応力が、-2.0GPa以下であり、前記切れ刃と隣接する部分は、前記すくい面のうち前記切れ刃から少なくとも200μmの範囲である
【0009】
本願の発明者は、硬質被膜とレーザピーニング技術の関連について鋭意研究した結果、炭窒化チタン層が、組成式Ti(C1-X)で表した場合のX値が0.4~0.6を満足する最表層を有するとき、つまり従来品に比べて高窒素原子比の炭窒化チタン層が硬質被膜中に存在するときに、炭窒化チタン層がレーザピーニング時の塑性変形に追随できることを発見した。これにより、切れ刃近傍にレーザピーニング処理を施したときに、工具基体の表面に硬質被膜を残しながら、炭窒化チタン層に-1.5GPa以下、工具基体の表層に-2.0GPa以下の大きな圧縮残留応力を付与することが可能となった。
【0010】
具体的に、上記X値が0.4よりも小さいと、レーザ照射により炭窒化チタン層がアブレーション加工されやすくなり、炭窒化チタン層が消失したり、目減りする(薄くなる)ことで、硬質被膜の耐摩耗性が低下するおそれがある。
また上記X値が0.6を超えると、レーザ照射時に炭窒化チタン層が工具基体の瞬間的な塑性変形に追随できなくなり、硬質被膜の剥離や水平クラックが生じて、所期する圧縮残留応力を付与できないおそれがある。
【0011】
本発明によれば、レーザピーニング処理時の硬質被膜の剥離や水平クラックを抑制でき、かつ、レーザ照射後においても炭窒化チタン層を安定して残存させて、炭窒化チタン層の膜厚を大きく確保できる。レーザピーニングによって硬質被膜および工具基体に安定して高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる。
【0012】
なお、炭窒化チタン層の膜厚が1μm以上であることにより、硬質被膜の耐摩耗性が安定して高められる。また、炭窒化チタン層の膜厚が10μm以下であることにより、切れ刃の耐チッピング性が良好に維持される。
上記切削工具は、前記切れ刃に接続するすくい面を備え、前記切れ刃と隣接する部分は、前記すくい面のうち前記切れ刃から少なくとも200μmの範囲である。
本発明の上記構成によれば、工具寿命に至るまで、切れ刃近傍の耐欠損性を安定して高めることができる。
【0013】
上記切削工具において、前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、前記X値が0.4以上0.6以下を満足する第1炭窒化チタン層を有し、前記炭窒化チタン層は、前記第1炭窒化チタン層の単層により構成されることとしてもよい。
【0014】
この場合、炭窒化チタン層により上述した優れた作用効果が得られつつ、炭窒化チタン層の構成を簡素化でき、切削工具の製造が容易となる。
【0015】
上記切削工具において、前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、前記X値が0.4以上0.6以下を満足する第1炭窒化チタン層と、前記X値が0.6以上0.8以下を満足し、前記第1炭窒化チタン層と膜厚方向に重なる第2炭窒化チタン層と、を有し、前記第1炭窒化チタン層は、前記炭窒化チタン層の前記最表層に位置し、膜厚が1μm以上であり、前記炭窒化チタン層全体の膜厚に占める前記第1炭窒化チタン層の膜厚の割合が、25%以上であることとしてもよい。
【0016】
レーザピーニング処理時の硬質被膜の剥離や水平クラックを抑制する目的においては、炭窒化チタン層が第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)のみの単層であっても優れた効果が得られるが、本発明の上記構成のように、上層にレーザ衝撃耐性の高い第1炭窒化チタン層を配置し、下層に耐摩耗性の高い第2炭窒化チタン層(N-poor TiCN層)を配置した2層(複層)構造とすることにより、炭窒化チタン層全体としての耐摩耗性がより向上する。なお炭窒化チタン層は、3層以上の複層で構成されてもよい。
【0017】
また、第1炭窒化チタン層の膜厚を1μm以上とし、炭窒化チタン層全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層の膜厚の割合を25%以上とすることで、レーザ照射による炭窒化チタン層の消失や目減りを安定して抑制できる。レーザ照射後においても炭窒化チタン層を安定して残存させることができ、炭窒化チタン層の膜厚を大きく確保することができる。また、上記割合を25%以上とすることで、レーザ照射時に、炭窒化チタン層を工具基体の瞬間的な塑性変形に対してより追随させやすい。
【0020】
上記切削工具において、前記炭窒化チタン層は、少なくとも、前記切れ刃の一部および前記すくい面の前記一部に接続する部分に配置されることが好ましい。
【0021】
この場合、切れ刃近傍のうち特に耐欠損性を高めたい箇所に炭窒化チタン層を配置することで、レーザピーニング処理する範囲を小さく抑えて切削工具の生産性を高めつつ、上述の作用効果を得ることができる。
【0022】
上記切削工具において、前記切れ刃は、凸曲線状のコーナ刃部と、前記コーナ刃部と接続される直線状の直線刃部と、を有し、前記直線刃部は、切削境界位置に予定される境界予定部を有し、前記炭窒化チタン層は、少なくとも、前記切れ刃の前記境界予定部および前記すくい面の前記境界予定部に接続する部分に配置されることが好ましい。
【0023】
この場合、切れ刃近傍のうち特に耐欠損性を高める必要がある境界予定部近傍に炭窒化チタン層を配置することで、レーザピーニング処理する範囲を小さく抑えて切削工具の生産性を高めつつ、上述の作用効果を得ることができる。
【0024】
上記切削工具において、前記炭窒化チタン層は、前記最表層の組成が、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、前記X値が0.5以上0.6以下であり、前記炭窒化チタン層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の前記最表層の残留応力が、-2.0GPa以下であり、前記工具基体の表層のうち前記切れ刃部分および前記切れ刃と隣接する部分の残留応力が、-2.5GPa以下であることが好ましい。
【0025】
この場合、切れ刃近傍にレーザピーニング処理を施したときに、炭窒化チタン層のアブレーション加工、剥離および水平クラック等をより安定して抑制でき、工具基体の表面に硬質被膜を安定して残存させつつ、炭窒化チタン層に-2.0GPa以下、工具基体の表層に-2.5GPa以下とより大きな圧縮残留応力を付与できる。
【0026】
上記切削工具において、前記炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、膜厚方向において前記最表層から前記工具基体へ向かうに従い前記X値が変化することが好ましい。
【0027】
この場合、組成式Ti(C1-X)のX値の大きさが膜厚方向において変化することで、炭窒化チタン層を例えばグラデーション層とすることができる。グラデーション層とは、炭窒化チタン層のCとNの原子比の割合が、膜厚方向において徐々に変化する層である。上記構成によれば、炭窒化チタン層によって上述の作用効果が得られつつ、様々な切削工具への要望に柔軟に対応可能である。
【発明の効果】
【0028】
本発明の一つの態様の切削工具によれば、レーザピーニング処理時の硬質被膜の剥離や水平クラックを抑制でき、硬質被膜および工具基体に高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
図1図1は、本実施形態の切削工具を示す斜視図である。
図2図2は、本実施形態の切削工具の切れ刃近傍を拡大して示す断面図である。
図3図3は、炭窒化チタン層の組成式Ti(C1-X)のX値と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層(TiCN)および工具基体の表層(WC)の各残留応力との関係を示すグラフである。
図4図4は、炭窒化チタン層の組成式Ti(C1-X)のX値と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層の膜厚との関係を示すグラフである。
図5図5は、本発明の実施例の切削工具のレーザピーニング処理後の切れ刃近傍の断面を拡大して示すSEM画像である。
図6図6は、比較例の切削工具のレーザピーニング処理後の切れ刃近傍の断面を拡大して示すSEM画像である。
図7図7は、第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)の膜厚と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層全体の膜残存率との関係を示すグラフである。
図8図8は、炭窒化チタン層全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)の膜厚の割合(X軸)と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層全体の膜残存率(Y軸)との関係を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0030】
本発明の一実施形態の切削工具10およびその製造方法について、図面を参照して説明する。本実施形態の切削工具10は、切削インサートである。本実施形態の切削工具10は、例えば、被削材に旋削加工を施す刃先交換式バイトに用いられる。
【0031】
図1に示すように、本実施形態の切削工具10は、板状である。具体的に、切削工具10は多角形板状であり、図示の例では四角形板状である。なお切削工具10は、四角形板状以外の多角形板状や円板状等であってもよい。
【0032】
本実施形態では、切削工具10の中心軸Cが延びる方向、つまり中心軸Cと平行な方向を、軸方向と呼ぶ。切削工具10の平面視において、中心軸Cは、切削工具10の中心に位置する。中心軸Cは、切削工具10の厚さ方向に沿って延びる。
中心軸Cと直交する方向を径方向と呼ぶ。径方向のうち、中心軸Cに近づく向きを径方向内側と呼び、中心軸Cから離れる向きを径方向外側と呼ぶ。
中心軸C回りに周回する方向を周方向と呼ぶ。
【0033】
図2に示すように、本実施形態の切削工具10は、焼結合金製の工具基体1と、工具基体1の表面(外面)上に配置される硬質被膜2と、工具基体1の稜線部に形成され、硬質被膜2のうち稜線部に位置する部分を含む切れ刃3と、を備える。つまり本実施形態の切削工具10は、工具基体1上に硬質被膜2をコーティングした切削インサートである。
図1に示すように、切削工具10は、一対の板面10a,10bと、外周面10cと、貫通孔10dと、を備える。
【0034】
一対の板面10a,10bは、多角形状であり、中心軸Cの軸方向を向く。本実施形態では、一対の板面10a,10bがそれぞれ四角形状である。一対の板面10a,10bは、一方の板面10aと、他方の板面10bと、を有する。一方の板面10aと他方の板面10bとは、軸方向に互いに離れて配置され、軸方向において互いに反対側を向く。
【0035】
本実施形態では、軸方向のうち、他方の板面10bから一方の板面10aへ向かう方向を軸方向一方側と呼び、一方の板面10aから他方の板面10bへ向かう方向を軸方向他方側と呼ぶ。
一対の板面10a,10bのうち、少なくとも一方の板面10aは、板面10aの一部(コーナ部等)が切削加工時に図示しない被削材と対向する。
【0036】
一対の板面10a,10bのうち、少なくとも一方の板面10aは、切れ刃3に接続するすくい面5を有する。つまり切削工具10は、すくい面5を備える。すくい面5は、板面10aの少なくとも一部を構成する。本実施形態ではすくい面5が、板面10aの周縁部に位置する4つのコーナ部のうち、少なくとも2つのコーナ部にそれぞれ配置される。上記2つのコーナ部は、中心軸Cを中心として互いに180°回転対称となる位置に配置される。
【0037】
図2に示すように、すくい面5は、ランド部5aと、傾斜部5bと、を有する。
ランド部5aは、すくい面5のうち、切れ刃3と接続される部分である。ランド部5aは、切れ刃3の径方向内側に配置される。本実施形態ではランド部5aが、切れ刃3から径方向内側へ向かうに従い軸方向他方側へ向けて傾斜する傾斜面である。なおランド部5aは、中心軸Cと垂直な方向に拡がる平面状でもよい。
【0038】
傾斜部5bは、すくい面5のうち、ランド部5aの径方向内側に位置する部分である。傾斜部5bは、ランド部5aの径方向内端部と接続される。傾斜部5bは、ランド部5aから径方向内側へ向かうに従い軸方向他方側へ向けて傾斜する傾斜面である。傾斜部5bの径方向に沿う単位長さあたりの軸方向へ向けた変位量は、ランド部5aの径方向に沿う単位長さあたりの軸方向へ向けた変位量よりも大きい。すなわち、中心軸Cと垂直な図示しない仮想平面に対する傾斜部5bの傾きは、前記仮想平面に対するランド部5aの傾きよりも大きい。
【0039】
図1に示すように、外周面10cは、一対の板面10a,10bと接続され、径方向外側を向く。外周面10cは、軸方向の両端部が一対の板面10a,10bと接続される。具体的に、外周面10cのうち軸方向一方側の端部は、一方の板面10aと接続される。外周面10cのうち軸方向他方側の端部は、他方の板面10bと接続される。外周面10cは、切削工具10の周方向全域にわたって延びる。
【0040】
外周面10cは、切れ刃3に接続する逃げ面6を有する。つまり切削工具10は、逃げ面6を備える。逃げ面6は、外周面10cの少なくとも一部を構成する。逃げ面6は、外周面10cのうち各すくい面5と隣接する部分にそれぞれ配置される。本実施形態では逃げ面6が、外周面10cにおいて径方向外側に突出する4つのコーナ部のうち、少なくとも2つのコーナ部にそれぞれ配置される。上記2つのコーナ部は、中心軸Cを中心として互いに180°回転対称となる位置に配置される。
【0041】
貫通孔10dは、切削工具10を軸方向に貫通する。貫通孔10dは、一対の板面10a,10bに開口し、軸方向に延びる。貫通孔10dの中心軸は、中心軸Cと同軸に配置される。図示の例では、貫通孔10dが円孔状である。貫通孔10dには、例えば、図示しないクランプネジ等が挿入される。
【0042】
切れ刃3は、すくい面5と逃げ面6とが接続される稜線部、つまりすくい面5と逃げ面6との交差稜線部に形成される。本実施形態では切れ刃3が、板面10aの周縁部に位置する4つのコーナ部のうち、少なくとも2つのコーナ部にそれぞれ配置される。図2に示すように、本実施形態では切れ刃3が、丸ホーニングを有する。なお切れ刃3は、チャンファホーニングを有していてもよい。
【0043】
図1に示すように、切れ刃3は、コーナ刃部3aと、直線刃部3bと、を有する。コーナ刃部3aは、径方向外側に向けて突出する凸曲線状である。直線刃部3bは、直線状であり、コーナ刃部3aと接続される。本実施形態では、コーナ刃部3aの刃長方向の両端部に、一対の直線刃部3bが接続される。つまり直線刃部3bは、一対設けられる。コーナ刃部3aおよび一対の直線刃部3bは、軸方向から見て、全体として略V字状である。なお上記刃長方向とは、切れ刃3が延びる方向であり、具体的には切れ刃3の各刃部3a,3bが延びる方向である。
【0044】
特に図示しないが、直線刃部3bは、被削材を切削する際の切削境界位置に予定される境界予定部を有する。切削工具10で被削材を切削することにより、切削工具10の表面(外面)のうち切れ刃3の境界予定部近傍には、境界予定部近傍以外の部分よりも優先的に境界摩耗(境界損傷)が発生する。
【0045】
図2に示すように、切れ刃3は、工具基体1の稜線部(交差稜線部)と、硬質被膜2のうち前記稜線部にコーティングされる部分と、により構成される。
【0046】
図1に示すように、工具基体1は、上述した切削工具10の形状と同じ形状を有する。工具基体1は、周期律表の4a,5a,6a族金属の炭化物、窒化物およびこれらの相互固溶体の中の少なくとも1種の硬質相と、Ni,CoまたはNi-Co合金と、を有する焼結合金製である。工具基体1は、前記硬質相と、Ni,CoまたはNi-Co合金と、を主成分として構成される。本実施形態では工具基体1が、WC基の超硬合金製である。なお工具基体1は、例えばTiC基またはTi(C,N)基等のサーメット製でもよい。
【0047】
後述するレーザピーニング処理を施すことにより、工具基体1の表層のうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分の残留応力は、-2.0GPa以下とされ、本実施形態では-2.5GPa以下とされる。具体的に、レーザ照射後の切削工具10は、図1および図2において、工具基体1の表層のうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分に相当する範囲Aの残留応力が、-2.0GPa以下であり、本実施形態では-2.5GPa以下である。
なお、本実施形態でいう「工具基体1の表層」とは、工具基体1のうち、工具基体1の表面(外面)から少なくとも1μmの表層部分を指す。
【0048】
また、上記「切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分に相当する範囲A」は、後述するレーザピーニング工程において短パルスレーザが照射される部分であることから、「照射部」と言い換えてもよい。
また本実施形態において、上記「切れ刃3と隣接する部分」とは、すくい面5のうち切れ刃3から少なくとも200μmの範囲Aである。なお上記「切れ刃3と隣接する部分」は、すくい面5のうち切れ刃3から500μm以下の範囲Aであることが好ましい。
【0049】
図2に示すように、硬質被膜2は、化学蒸着法または物理蒸着法により、工具基体1の表面(外面)のうち少なくとも一部に成膜される。硬質被膜2は、工具基体1の表面のうち、少なくとも切れ刃3を含む領域に配置される。本実施形態では硬質被膜2が、少なくとも切れ刃3、すくい面5および逃げ面6に配置される。なお硬質被膜2は、工具基体1の外面全体に成膜されていてもよい。
【0050】
硬質被膜2は、全体の膜厚が1μm以上30μm以下である。硬質被膜2は、単層または複層で構成される。本実施形態では硬質被膜2が、工具基体1の表面に積層される複数の層により構成される。硬質被膜2は、工具基体1の表面上に位置する第1層2aと、第1層2a上に位置する第2層2bと、を有する。なお硬質被膜2は、第2層2b上に位置する図示しない第3層を有していてもよい。また硬質被膜2は、4つ以上の層により構成されてもよい。硬質被膜2が有する複数の層のうち、最も膜厚が厚い層は、第1層2aである。硬質被膜2が単層の場合、硬質被膜2は、第1層2aを有する。つまり硬質被膜2は、少なくとも第1層2aを有する。
【0051】
第1層2aは、炭窒化チタン(TiCN)層である。炭窒化チタン層2aの膜厚は、1μm以上10μm以下である。炭窒化チタン層2aは、工具基体1の表面上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、配置される。炭窒化チタン層2aは、例えば化学気相成長法(CVD法)によって成膜される。
【0052】
炭窒化チタン層2aは、炭窒化チタン層2aのうち少なくとも最表層つまり最表面を含む層の組成が、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、原子比であるX値が0.4以上0.6以下であり、本実施形態では、X値が0.5以上0.6以下である。
なお、本実施形態でいう「炭窒化チタン層2aの最表層」とは、炭窒化チタン層2aのうち、膜厚方向において炭窒化チタン層2aの最表面から少なくとも1μmの表層部分を指す。
【0053】
炭窒化チタン層2aは、第1炭窒化チタン層を有する。第1炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、X値が0.4以上0.6以下を満足する。第1炭窒化チタン層は、従来の切削工具に用いられる炭窒化チタン層に比べて、Nの割合が大きいことから、N-rich TiCN層と言い換えてもよい。本実施形態では炭窒化チタン層2aが、第1炭窒化チタン層の単層により構成される。このため炭窒化チタン層2aは、第1炭窒化チタン層2aと言い換えてもよい。
【0054】
後述するレーザピーニング処理を施すことにより、炭窒化チタン層2aのうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分の最表層の残留応力は、-1.5GPa以下とされ、本実施形態では-2.0GPa以下とされる。具体的に、レーザ照射後の切削工具10は、図1および図2において、炭窒化チタン層2aのうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分に相当する範囲A(つまり照射部)の最表層の残留応力が、-1.5GPa以下であり、本実施形態では-2.0GPa以下である。
具体的には、炭窒化チタン層2aのうち範囲Aに位置する部分全体(最表層を含む膜厚方向における全域)の残留応力が、-1.5GPa以下であり、本実施形態では-2.0GPa以下である。
【0055】
炭窒化チタン層2aは、少なくとも、切れ刃3の刃長方向の一部およびすくい面5の前記一部に接続する部分に配置される。詳しくは、炭窒化チタン層2aは、少なくとも、切れ刃3(の直線刃部3b)の境界予定部およびすくい面5の前記境界予定部に接続する部分に配置される。炭窒化チタン層2aは、少なくとも、切れ刃3の刃長方向において1mm以上にわたって配置される。本実施形態では炭窒化チタン層2aが、切れ刃3の刃長方向の全域(全長)およびすくい面5の切れ刃3全域に接続する部分に配置される。
【0056】
第2層2bは、第1層2aつまり炭窒化チタン層2aの表面(外面)上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、配置される。第2層2bは、周期律表の4a,5a,6a族金属の炭化物、窒化物、酸化物、硼化物、Siの炭化物、窒化物、Alの酸化物、窒化物、およびこれらの相互固溶体、ダイヤモンド、立方晶窒化ホウ素などにより構成される。第2層2bは、例えばAl層やTiN層等である。また、第2層2bがAl層であり、図示しない第3層がTiN層であってもよい。Al層が設けられることによって、すくい面5および切れ刃3の耐熱性および耐摩耗性が向上する。TiN層が設けられることによって、切削工具10の外観上の美観が高められ、また、切削工具10が使用に供されたか否か、つまり使用済みか未使用かの識別性を容易に付与することができる。
【0057】
図2に示す例では、第2層2bのうち後述するパルスレーザによるレーザピーニング処理が施された部分が消失している。パルスレーザは、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3にわたって照射される。このため第2層2bは、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3以外の部分に配置される。なお第2層2bは、パルスレーザ照射後において、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3に残存していてもよい。
【0058】
次に、切削工具10の製造方法について説明する。
特に図示しないが、本実施形態の切削工具10の製造方法は、焼結工程と、成膜工程と、レーザピーニング工程と、を含む。
【0059】
焼結工程では、工具基体1の形状とされた圧粉体、つまり工具基体1の製造過程において圧粉成形される中間成形体を、焼結する。本実施形態では、圧粉体は板状であり、具体的には多角形板状である。
【0060】
成膜工程では、焼結した工具基体1の表面(外面)上に、硬質被膜2を成膜する。つまり成膜工程では、工具基体1の表面上に、少なくとも炭窒化チタン層2aを有する硬質被膜2を成膜する。本実施形態では、工具基体1の表面上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、炭窒化チタン層(第1層)2aを成膜し、炭窒化チタン層2a上に、直接的にまたは図示しない中間層を挟んで間接的に、Al層(第2層)2bを成膜し、Al層上に、直接的にまたは中間層を挟んで間接的に、図示しないTiN層(第3層)を成膜する。なお工具基体1の表面上に、炭窒化チタン層2a、Al層2bおよびTiN層を含む4つ以上の層で構成される硬質被膜2を成膜してもよい。
【0061】
レーザピーニング工程では、硬質被膜2上に、パルス幅が10ps(ピコ秒)以下のパルスレーザを照射してレーザピーニング処理を施す。具体的に、レーザピーニング工程では、すくい面5および切れ刃3に対して、上記パルスレーザを照射する。図2に示すように、本実施形態では、傾斜部5bの径方向外端部、ランド部5aおよび切れ刃3にわたる範囲A(照射部)に、上記パルスレーザを照射する。パルスレーザのパルス幅を10ps以下とする理由は、ワークへの熱影響をなくしつつレーザのピークパワー密度を高めて、強い衝撃により、硬質被膜2および工具基体1の表層に高い圧縮残留応力を付与するためである。
【0062】
詳しくは、上記範囲Aに、図示しないガルバノスキャナとfθレンズを用いてレーザビームをハッチング走査する。このときの処理雰囲気は、大気中または任意のガス中とする。任意のガスとは、例えば酸化を抑える不活性ガス等である。レーザビームは、パルス幅が10ps以下の短パルスレーザであり、ピークパワー密度が5TW/cm以上となるよう、パルス幅、パルスエネルギーを適宜変更することで調整したものを用いる。なお、ピークパワー密度は、パルスエネルギー/(パルス幅×スポット面積)で計算される値である。また、パルスレーザのワーク(切削工具10)表面におけるスポット直径は、例えば30μm以下である。なおパルスレーザのワーク表面におけるスポット同士は、互いにオーバーラップさせなくてもよいし、互いにオーバーラップさせてもよい。
【0063】
レーザピーニング処理によって、炭窒化チタン層2aのうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分(範囲Aつまり照射部。以下同様)の最表層の残留応力が、-1.5GPa以下となり、工具基体1の表層のうち切れ刃3部分および切れ刃3と隣接する部分の残留応力が、-2.0GPa以下となる。本実施形態では、炭窒化チタン層2aのうち照射部の最表層の残留応力が、-2.0GPa以下となり、工具基体1の表層のうち照射部の残留応力が、-2.5GPa以下となる。
【0064】
このレーザ照射により、照射部(範囲A)のAl層(第2層)2bおよび図示しないTiN層(第3層)については、除去されてもよいし、除去されなくてもよい。なお除去される場合には、硬質被膜2の耐溶着性や耐摩耗性が低下する可能性があるため、レーザ照射は、図1に示すように切れ刃3近傍の範囲Aのみとすることが好ましい。言い換えると、切れ刃3近傍の範囲AにおいてAl層2bおよびTiN層が除去されても、耐溶着性や耐摩耗性への影響は小さく抑えられる。
【0065】
以上説明した本実施形態の切削工具10によれば、下記の作用効果を奏する。
すなわち、本願の発明者は、硬質被膜2とレーザピーニング技術の関連について鋭意研究した結果、炭窒化チタン層2aが、組成式Ti(C1-X)で表した場合のX値が0.4~0.6を満足する最表層を有するとき、つまり従来品に比べて高窒素原子比の炭窒化チタン層2aが硬質被膜2中に存在するときに、炭窒化チタン層2aがレーザピーニング時の塑性変形に追随できることを発見した。これにより、切れ刃3近傍にレーザピーニング処理を施したときに、工具基体1の表面に硬質被膜2を残しながら、炭窒化チタン層2aに-1.5GPa以下、工具基体1の表層に-2.0GPa以下の大きな圧縮残留応力を付与することが可能となった。
【0066】
具体的に、上記X値が0.4よりも小さいと、レーザ照射により炭窒化チタン層2aがアブレーション加工されやすくなり、炭窒化チタン層2aが消失したり、目減りする(薄くなる)ことで、硬質被膜2の耐摩耗性が低下するおそれがある。
また上記X値が0.6を超えると、レーザ照射時に炭窒化チタン層2aが工具基体1の瞬間的な塑性変形に追随できなくなり、硬質被膜2の剥離や水平クラックが生じて、所期する圧縮残留応力を付与できないおそれがある。
【0067】
本実施形態によれば、レーザピーニング処理時の硬質被膜2の剥離や水平クラックを抑制でき、かつ、レーザ照射後においても炭窒化チタン層2aを安定して残存させて、炭窒化チタン層2aの膜厚を大きく確保できる。レーザピーニングによって硬質被膜2および工具基体1に安定して高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃3の耐欠損性を向上できる。
【0068】
なお、炭窒化チタン層2aの膜厚が1μm以上であることにより、硬質被膜2の耐摩耗性が安定して高められる。また、炭窒化チタン層2aの膜厚が10μm以下であることにより、切れ刃3の耐チッピング性が良好に維持される。
【0069】
また本実施形態では、炭窒化チタン層2aが、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、X値が0.4以上0.6以下を満足する第1炭窒化チタン層のみの単層で構成される。
この場合、炭窒化チタン層2aにより上述した優れた作用効果が得られつつ、炭窒化チタン層2aの構成を簡素化でき、切削工具10の製造が容易となる。
【0070】
また本実施形態では、すくい面5のうち切れ刃3から少なくとも200μmの範囲Aにおいて、炭窒化チタン層2aの最表層の残留応力が-1.5GPa以下であり、工具基体1の表層の残留応力が-2.0GPa以下である。
一般に切削工具は、切削により、すくい面のうち(未使用の初期位置の)切れ刃から200μmの範囲まで摩耗したときに、工具寿命に至ったと判断される場合が多い。本実施形態の上記構成によれば、工具寿命に至るまで、切れ刃3近傍の耐欠損性を安定して高めることができる。
【0071】
また、上記範囲A(つまり照射部)がすくい面5のうち切れ刃3から500μm以下である場合には、レーザピーニング処理により、硬質被膜2のうち炭窒化チタン層(第1層)2a以外のAl層(第2層)2bやTiN層(第3層)が除去されたとしても、すくい面5の耐溶着性や耐摩耗性が良好に維持される。
【0072】
また本実施形態では、炭窒化チタン層2aが、少なくとも、切れ刃3の一部およびすくい面5の前記一部に接続する部分に配置される。
この場合、切れ刃3近傍のうち特に耐欠損性を高めたい箇所に炭窒化チタン層2aを配置することで、レーザピーニング処理する範囲を小さく抑えて切削工具10の生産性を高めつつ、上述の作用効果を得ることができる。
【0073】
また本実施形態では、炭窒化チタン層2aが、少なくとも、切れ刃3の境界予定部およびすくい面5の前記境界予定部に接続する部分に配置される。
この場合、切れ刃3近傍のうち特に耐欠損性を高める必要がある境界予定部近傍に炭窒化チタン層2aを配置することで、レーザピーニング処理する範囲を小さく抑えて切削工具10の生産性を高めつつ、上述の作用効果を得ることができる。
【0074】
また本実施形態では、炭窒化チタン層2aは、その最表層の組成が、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、X値が0.5以上0.6以下であり、炭窒化チタン層2aのうち照射部(範囲A)の最表層の残留応力が、-2.0GPa以下であり、工具基体1の表層のうち照射部(範囲A)の残留応力が、-2.5GPa以下である。
この場合、切れ刃3近傍にレーザピーニング処理を施したときに、炭窒化チタン層2aのアブレーション加工、剥離および水平クラック等をより安定して抑制でき、工具基体1の表面に硬質被膜2を安定して残存させつつ、炭窒化チタン層2aに-2.0GPa以下、工具基体1の表層に-2.5GPa以下とより大きな圧縮残留応力を付与できる。
【0075】
なお、本発明は前述の実施形態に限定されず、例えば下記に説明するように、本発明の趣旨を逸脱しない範囲において構成の変更等が可能である。
【0076】
前述の実施形態では、炭窒化チタン層2aが、第1炭窒化チタン層の単層により構成される例を挙げたが、これに限らない。
特に図示しないが、前述の実施形態の第1変形例として、炭窒化チタン層2aは、第1炭窒化チタン層と、第1炭窒化チタン層と膜厚方向に重なる第2炭窒化チタン層と、を有していてもよい。第1炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、X値が0.4以上0.6以下を満足する。第2炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、X値が0.6以上0.8以下を満足する。第2炭窒化チタン層は、第1炭窒化チタン層に比べてNの割合が小さいことから、N-poor TiCN層と言い換えてもよい。
第1変形例において、第1炭窒化チタン層は、炭窒化チタン層2aの最表層に位置し、膜厚が1μm以上である。炭窒化チタン層2a全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層の膜厚の割合は、25%以上である。
【0077】
レーザピーニング処理時の硬質被膜2の剥離や水平クラックを抑制する目的においては、炭窒化チタン層2aが第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)のみの単層であっても優れた効果が得られるが、上述した第1変形例のように、上層にレーザ衝撃耐性の高い第1炭窒化チタン層を配置し、下層に耐摩耗性の高い第2炭窒化チタン層(N-poor TiCN層)を配置した2層(複層)構造とすることにより、炭窒化チタン層2a全体としての耐摩耗性がより向上する。なお炭窒化チタン層2aは、3層以上の複層で構成されてもよい。
【0078】
また第1変形例では、第1炭窒化チタン層の膜厚を1μm以上とし、炭窒化チタン層2a全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層の膜厚の割合を25%以上とすることで、レーザ照射による炭窒化チタン層2aの消失や目減りを安定して抑制できる。レーザ照射後においても炭窒化チタン層2aを安定して残存させることができ、炭窒化チタン層2aの膜厚を大きく確保することができる。また、上記割合を25%以上とすることで、レーザ照射時に、炭窒化チタン層2aを工具基体1の瞬間的な塑性変形に対してより追随させやすい。
【0079】
特に図示しないが、前述の実施形態の第2変形例として、炭窒化チタン層2aは、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、膜厚方向において最表層から工具基体1へ向かうに従いX値が変化してもよい。例えば、炭窒化チタン層2aは、組成式Ti(C1-X)で表した場合に、膜厚方向において最表層から工具基体1へ向かうに従いX値が大きくなってもよい。
この場合、組成式Ti(C1-X)のX値の大きさが膜厚方向において変化することで、炭窒化チタン層2aを例えばグラデーション層とすることができる。グラデーション層とは、炭窒化チタン層2aのCとNの原子比の割合が、膜厚方向において徐々に変化する層である。上記構成によれば、炭窒化チタン層2aによって上述の作用効果が得られつつ、様々な切削工具10への要望に柔軟に対応可能である。
【0080】
前述の実施形態では、切削工具10が刃先交換式バイトに用いられる例を挙げたが、これに限らない。切削工具10は、例えば、被削材に転削加工を施す刃先交換式ドリルや刃先交換式エンドミル等に用いられてもよい。
また、切削工具10が切削インサートである例を挙げたが、これに限らない。切削工具10は、例えばソリッドタイプのドリル、エンドミル、リーマおよびそれ以外の切削工具であってもよい。
【0081】
その他、本発明の趣旨から逸脱しない範囲において、前述の実施形態、変形例およびなお書き等で説明した各構成(構成要素)を組み合わせてもよく、また、構成の付加、省略、置換、その他の変更が可能である。また本発明は、前述した実施形態によって限定されず、特許請求の範囲によってのみ限定される。
【実施例
【0082】
以下、本発明を実施例により具体的に説明する。ただし本発明はこの実施例に限定されない。
【0083】
本発明の実施例および比較例の各切削工具として、JIS規格のCNMG120408形状を有する切削インサートを用意した。各切削工具の工具基体1は、Co9.0質量%の組成を有するWC超硬合金製である。硬質被膜2の炭窒化チタン層2aは、各工具基体1の表面上にCVD法により膜厚(平均膜厚)5μmで成膜した。各切削工具の炭窒化チタン層2aは、組成式Ti(C1-X)で表した場合のX値を下記表1に示す通りとした。なお各切削工具の炭窒化チタン層2aは、単層である。反応ガスにはTiCl,N,CH,CHCN,H等を用い、それぞれの流量比を制御することによりX値を変更した。その後、炭窒化チタン層2a上に、CVD法によってα-Al層を膜厚2μm、TiN層を膜厚0.2μmで成膜した。
【0084】
次に、硬質被膜2表面から短パルスレーザを照射し、レーザピーニング処理を施した。レーザ条件は、レーザ波長1030nm、繰り返し周波数10kHz、パルス幅1ps、パルスエネルギー0.4mJにし、ビームプロファイルはガウシアン、ワーク表面でのスポット直径はφ30μmとした。ワークに圧縮残留応力が等方的に付与されるよう、レーザ照射パターンは正三角格子状にし、スポット中心間の距離は10μmとした。なお、いずれのサンプル(切削工具)も、レーザ照射した照射部のα-Al層およびTiN層は、剥離したりアブレーション加工されていた。
【0085】
レーザ照射後の炭窒化チタン層2aおよび工具基体1の表層について残留応力を測定した後、レーザ照射部の炭窒化チタン層2aの断面を観察し、レーザ照射後の膜厚とクラックの有無を記録した。なお、レーザ照射後の炭窒化チタン層2aの膜厚が薄いサンプルに関しては、炭窒化チタン層2aの残留応力を測定することができなかった。
【0086】
炭窒化チタン層2aの膜厚および原子比X値の算出については、硬質被膜2および工具基体1表面に対する垂直断面を、走査型電子顕微鏡(SEM)、透過型電子顕微鏡(TEM)、エネルギー分散型X線分光法(EDS)を用いて測定した。
残留応力については、パルステック社製のX線残留応力測定装置を使用し、cosα法を用いて測定した。X線源にはCu管球を使用し、2θ=154°付近にあるWC(113)回折ピーク、および2θ=133°付近にあるTiCN(431)回折ピークを用いて、それぞれの残留応力を測定した。X線遮蔽板を用いて切れ刃3からすくい面5側に幅0.2mmのみを露出させ、レーザピーニング処理部のみの応力値になるように測定を行った。
【0087】
【表1】
【0088】
なお表1の判定の基準は、下記の通りである。
A:炭窒化チタン層2aの残留応力(TiCN残留応力)が-2.0GPa以下、かつ工具基体1の表層の残留応力(WC残留応力)が-2.5GPa以下であるもの。
B:炭窒化チタン層2aの残留応力(TiCN残留応力)が-1.5GPa以下、かつ工具基体1の表層の残留応力(WC残留応力)が-2.0GPa以下であるもの。
C:炭窒化チタン層2aの残留応力(TiCN残留応力)が-1.5GPaよりも大きいか、または、工具基体1の表層の残留応力(WC残留応力)が-2.0GPaよりも大きいもの。
【0089】
また図3は、表1に基づいて、炭窒化チタン層2aの組成式Ti(C1-X)のX値と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層2aおよび工具基体1の表層の各残留応力との関係を示すグラフである。
表1および図3に示すように、X値が0.4~0.6の範囲である実施例1~4は、A判定またはB判定となり、圧縮残留応力が顕著に高められていた。その中でも、X値が0.5~0.6の範囲である実施例3、4はA判定であり、圧縮残留応力が特に顕著に高められることがわかった。
【0090】
図4は、表1に基づいて、炭窒化チタン層2aの組成式Ti(C1-X)のX値と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層2aの膜厚との関係を示すグラフである。
図4に示すように、X値が0.4~0.6の範囲(実施例1~4)では、レーザ照射後においても炭窒化チタン層2aの膜厚が大きく確保され、つまり被膜の消失や目減りが抑制されることがわかった。
【0091】
図5は、実施例3の切削工具10のレーザピーニング処理後の切れ刃3近傍の断面を拡大して示すSEM画像である。図5に示すように、実施例3では、レーザピーニング処理後においても炭窒化チタン層2aの消失や目減りが小さく抑えられており、炭窒化チタン層2aに剥離や水平クラックが生じていない。
【0092】
一方、表1および図3に示すように、X値が0.4~0.6の範囲外である比較例1~7は、すべてC判定となり、圧縮残留応力を所期する値まで高めることができなかった。具体的に、X値が0.4よりも小さい比較例1~3については、炭窒化チタン層2aの金属結合性が高くなり、レーザ照射でアブレーション加工が起こりやすくなったため、被膜が加工除去されたものと考えられる。また、X値が0.6よりも大きい比較例4~7については、炭窒化チタン層2aの共有結合性が高くなり、被膜の靭性が低下することで、レーザ照射時の工具基体1の塑性変形に追随できなくなったため、被膜に水平クラックが生じたと考えられる。
【0093】
図6は、比較例6の切削工具のレーザピーニング処理後の切れ刃3近傍の断面を拡大して示すSEM画像である。図6に示すように、比較例6では、レーザピーニング処理後において炭窒化チタン層2aに水平クラックや剥離(界面クラック)が多数発生している。このようなクラックが生じると、被膜が目減りしたり被膜に圧縮残留応力が入りにくくなる。
【0094】
次に、切削工具10の炭窒化チタン層2aが2層構造の場合について、レーザピーニング処理による確認を行った。
本発明の実施例の各切削工具10として、JIS規格のCNMG120408形状を有する切削インサートを用意した。各切削工具10の工具基体1は、Co9.0質量%の組成を有するWC超硬合金製である。炭窒化チタン層2aは2層構造であり、CVD法により下記表2に示す各膜厚にて、工具基体1の表面上に、下層の第2炭窒化チタン層(N-poor TiCN層)と、上層の第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)とを成膜した。なお、第1炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)のX値を0.58とし、第2炭窒化チタン層は、組成式Ti(C1-X)のX値を0.7とした。その後、炭窒化チタン層2a上に、CVD法によってAl層を膜厚2μm、TiN層を膜厚0.2μmで成膜した。
【0095】
次に、硬質被膜2表面に対して短パルスレーザを照射し、レーザピーニング処理を施した。レーザ条件については、本実施例の上述のレーザ条件と同様とした。炭窒化チタン層2aの各膜厚の測定方法についても、上述と同様である。
【0096】
【表2】
【0097】
また図7は、表2に基づいて、第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)の膜厚と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層2a全体の膜残存率との関係を示すグラフである。図8は、表2に基づいて、炭窒化チタン層全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層(N-rich TiCN層)の膜厚の割合(X軸)と、レーザピーニング処理後の炭窒化チタン層全体の膜残存率(Y軸)との関係を示すグラフである。
【0098】
表2、図7および図8に示すように、第1炭窒化チタン層の膜厚が1μm未満であり、炭窒化チタン層2a全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層の膜厚の割合が25%未満である実施例5は、レーザ照射後に炭窒化チタン層2aが残存しにくい傾向があった。実施例6、7のように、炭窒化チタン層2aの最表層に位置する第1炭窒化チタン層の膜厚が1μm以上であり、炭窒化チタン層2a全体の膜厚に占める第1炭窒化チタン層の膜厚の割合が25%以上であると、レーザ照射後に炭窒化チタン層2aが安定して残存した。
【産業上の利用可能性】
【0099】
本発明の切削工具によれば、レーザピーニング処理時の硬質被膜の剥離や水平クラックを抑制でき、硬質被膜および工具基体に高い圧縮残留応力を付与することができ、これにより切れ刃の耐欠損性を向上できる。したがって、産業上の利用可能性を有する。
【符号の説明】
【0100】
1…工具基体、2…硬質被膜、2a…炭窒化チタン層、3…切れ刃、3a…コーナ刃部、3b…直線刃部、5…すくい面、10…切削工具、A…範囲
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8