IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-03
(45)【発行日】2024-04-11
(54)【発明の名称】褐色脂肪細胞上清、その調製法、及び、使用
(51)【国際特許分類】
   A61K 35/35 20150101AFI20240404BHJP
   A61P 3/10 20060101ALI20240404BHJP
   A61P 3/00 20060101ALI20240404BHJP
   A61P 3/04 20060101ALI20240404BHJP
   A61P 17/00 20060101ALI20240404BHJP
   A61P 43/00 20060101ALI20240404BHJP
   A61Q 19/00 20060101ALI20240404BHJP
   A61K 8/98 20060101ALI20240404BHJP
   A61P 5/50 20060101ALI20240404BHJP
   A61K 35/545 20150101ALN20240404BHJP
【FI】
A61K35/35
A61P3/10
A61P3/00
A61P3/04
A61P17/00
A61P43/00
A61Q19/00
A61K8/98
A61P5/50
A61K35/545
【請求項の数】 25
(21)【出願番号】P 2020537087
(86)(22)【出願日】2019-08-14
(86)【国際出願番号】 JP2019031897
(87)【国際公開番号】W WO2020036184
(87)【国際公開日】2020-02-20
【審査請求日】2022-07-14
(31)【優先権主張番号】P 2018152727
(32)【優先日】2018-08-14
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(31)【優先権主張番号】P 2019026463
(32)【優先日】2019-02-18
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 (1)平成31年4月24日、 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/31022954 https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/pmid/31022954/ https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6523334/ https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6523334/epub/ https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6523334/pdf/cells-08-00373.pdf https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6523334/bin/cells-08-00373-s001.pdf http://www.mdpi.com/resolver?pii=cells8040373 https://www.mdpi.com/2073-4409/8/4 https://www.mdpi.com/2073-4409/8/4/373 https://www.mdpi.com/2073-4409/8/4/373/htm https://www.mdpi.com/2073-4409/8/4/373/pdf https://www.mdpi.com/2073-4409/8/4/373/s1 を通じて発表。 (2)令和1年5月22日、 http://www.ri.ncgm.go.jp/index.html http://www.ri.ncgm.go.jp/info/index.html http://www.ri.ncgm.go.jp/info/release.html http://www.ri.ncgm.go.jp/topics/release/index.html http://www.ri.ncgm.go.jp/topics/release/2019/20190522.html http://www.ri.ncgm.go.jp/news/index.html を通じて発表。
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成30年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構、再生医療実用化研究事業「ヒトiPS細胞由来褐色脂肪細胞を用いた新規糖尿病治療薬の開発」委託研究開発、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】510192802
【氏名又は名称】国立研究開発法人国立国際医療研究センター
(73)【特許権者】
【識別番号】505048482
【氏名又は名称】株式会社IDファーマ
(74)【代理人】
【識別番号】100102118
【弁理士】
【氏名又は名称】春名 雅夫
(74)【代理人】
【識別番号】100102978
【弁理士】
【氏名又は名称】清水 初志
(74)【代理人】
【識別番号】100160923
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 裕孝
(74)【代理人】
【識別番号】100119507
【弁理士】
【氏名又は名称】刑部 俊
(74)【代理人】
【識別番号】100142929
【弁理士】
【氏名又は名称】井上 隆一
(74)【代理人】
【識別番号】100148699
【弁理士】
【氏名又は名称】佐藤 利光
(74)【代理人】
【識別番号】100128048
【弁理士】
【氏名又は名称】新見 浩一
(74)【代理人】
【識別番号】100129506
【弁理士】
【氏名又は名称】小林 智彦
(74)【代理人】
【識別番号】100205707
【弁理士】
【氏名又は名称】小寺 秀紀
(74)【代理人】
【識別番号】100114340
【弁理士】
【氏名又は名称】大関 雅人
(74)【代理人】
【識別番号】100121072
【弁理士】
【氏名又は名称】川本 和弥
(72)【発明者】
【氏名】佐伯 久美子
(72)【発明者】
【氏名】小林 徳彦
(72)【発明者】
【氏名】岡 雅子
(72)【発明者】
【氏名】松村 和典
(72)【発明者】
【氏名】西尾 美和子
(72)【発明者】
【氏名】朱 亜峰
(72)【発明者】
【氏名】森 豊隆
【審査官】佐々木 大輔
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2012/147853(WO,A1)
【文献】特開2018-108080(JP,A)
【文献】国際公開第2013/003595(WO,A1)
【文献】NISOLI, E., et al.,Expression of Nerve Growth Factor in Brown Adipose Tissue: Implications for Thermogenesis and Obesit,Endocrinology, 1996, Vol.137, No.2, pp.495-503,Abstract, 第496頁, 第502頁最終段落
【文献】Journal of Biological Chemistry,2011年,Vol.286, No.40,pp.34552-34558
【文献】NISHIO, M., et al.,Production of Functional Classical Brown Adipocytes from Human Pluripotent Stem Cells using Specific,Cell Metabolism,2012年,Vol.16,pp.394-406
【文献】佐伯久美子,ヒト多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞の作製,医学のあゆみ,2014年,Vol.250, No.9,pp.816-821
【文献】佐伯久美子,ヒトES/iPS細胞から樹立した褐色脂肪細胞の機能,The Lipid,2014年,Vol.25, No.1,pp.74-80
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 35/00-35/768
A61K 8/00- 8/99
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
日経テレコン
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
褐色脂肪細胞を、ブドウ糖を含有するKrebs-Ringer液とインキュベートした上清であって該褐色脂肪細胞から分離された該上清を含み、糖代謝改善作用を有する組成物。
【請求項2】
糖代謝疾患または糖代謝異常の予防または治療に用いるための医薬または美容用組成物である、請求項1に記載の組成物
【請求項3】
ミトコンドリアの機能障害に起因する疾患の治療に用いるための医薬組成物である、請求項に記載の組成物。
【請求項4】
皮膚の損傷治癒を促進するための医薬または美容用組成物である、請求項に記載の組成物。
【請求項5】
糖代謝疾患または糖代謝異常が、肥満、過体重、糖代謝が関連する代謝症候群、および2型糖尿病からなる群より選択される、請求項に記載の組成物。
【請求項6】
ミトコンドリアの機能障害が、ミトコンドリア病、および心疾患からなる群より選択される、請求項に記載の組成物。
【請求項7】
皮膚の損傷が、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張からなる群より選択される、請求項に記載の組成物。
【請求項8】
該褐色脂肪細胞の該上清がBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルを含まない、請求項1からのいずれかに記載の組成物。
【請求項9】
褐色脂肪細胞の該上清が外因性サイトカインを含まない、請求項1からのいずれかに記載の組成物。
【請求項10】
褐色脂肪細胞が、多能性幹細胞から作製した褐色脂肪細胞である、請求項1からのいずれかに記載の組成物。
【請求項11】
褐色脂肪細胞が、無フィーダー培養された多能性幹細胞から無血清環境下で作製した褐色脂肪細胞である、血清を含まない、請求項1から10のいずれかに記載の組成物。
【請求項12】
褐色脂肪細胞が、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルおよび/またはBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルを添加されずに多能性幹細胞から無血清環境下で生成した褐色脂肪細胞である、血清を含まない、請求項1から11のいずれかに記載の組成物。
【請求項13】
Krebs-Ringer液がKrebs-Ringer-Hepes(KRH)またはKrebs-Ringer-Tris Bicarbonate(KRTB)である、請求項1から12のいずれかに記載の組成物
【請求項14】
褐色脂肪細胞を、ブドウ糖を含有するKrebs-Ringer液とインキュベートした上清であって、該褐色脂肪細胞から分離された該上清を含み、糖代謝改善作用を有する組成物を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を、無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、無血清環境において培養し、褐色脂肪細胞を分化させる工程、
(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を該Krebs-Ringer液中でインキュベートし、その上清を回収する工程、
を含む方法。
【請求項15】
請求項1から14のいずれかに記載の組成物または該組成物の製造に用いることができる褐色脂肪細胞を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程、
を含む方法。
【請求項16】
請求項1から14のいずれかに記載の組成物または該組成物の製造に用いることができる褐色脂肪細胞を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程、
を含む方法(但しPRDM16および/またはC/EBPβをコードする遺伝子またはその発現産物を細胞に導入する工程を含む方法を除く)
【請求項17】
褐色脂肪細胞の上清を含む組成物を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程、
(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を、ブドウ糖を含有するKrebs-Ringer液中でインキュベートし、その上清を回収する工程、
を含、方法。
【請求項18】
Krebs-Ringer液がKrebs-Ringer-Hepes(KRH)またはKrebs-Ringer-Tris Bicarbonate(KRTB)である、請求項14または17に記載の方法
【請求項19】
工程(2)および/または(3)において外因性サイトカインと培養しない、請求項15から18のいずれかに記載の方法。
【請求項20】
工程(2)および工程(3)のいずれにおいても外因性サイトカインと培養しない、請求項19に記載の方法。
【請求項21】
工程(2)および工程(3)のいずれにおいても、褐色脂肪細胞に分化させるために外来遺伝子を導入する工程を含まない、請求項20に記載の方法。
【請求項22】
工程(2)および(3)が同一組成の培地で同じ培養容器中で実施される、請求項14から21のいずれかに記載の方法。
【請求項23】
得られた該上清を脱塩処理する工程をさらに含む、請求項14または17に記載の方法。
【請求項24】
請求項14または17に記載の方法によって製造される、褐色脂肪細胞から分離された上清を含む組成物。
【請求項25】
請求項24に記載の組成物を含む、血糖降下、インスリン分泌促進、インスリン感受性亢進、ブドウ糖取込み促進、ブドウ糖トランスポータ遺伝子発現亢進、ミトコンドリア機能向上、心機能向上、および皮膚損傷治癒促進からなる群より選択される用途に用いるための組成物。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、インスリン分泌促進作用、並びに、膵ベータ細胞・骨格筋細胞・心筋細胞のブドウ糖取込亢進作用、ミトコンドリア機能向上作用、および/または皮膚損傷治癒促進作用等を有する褐色脂肪細胞上清の調製法、並びに、褐色脂肪細胞上清を含む組成物と、これを用いた代謝障害の是正等を目的とした内科療法等に関する。
【背景技術】
【0002】
肥満および過体重を呈する人口は世界的に増加している。2017年の「世界の疾病負担研究(Global Burden of Diseases, Injuries, and Risk Factors Study)」によれば、世界の3人に1人は肥満または過体重である(非特許文献1)。肥満や過体重は、2型糖尿病、虚血性心疾患、脳血管障害、がんなど、生命を脅かす疾患群の発症リスクを上昇させる。さらに、過去に肥満や過体重を経験した人は、正常体重を維持している人よりも死亡リスクが高い(非特許文献2)。また、妊婦の血糖値が高いほど出生児への負担は際限なく大きくなるうえ(非特許文献3)、妊娠初期に肥満や過体重であった母親の子は脳性麻痺の発症率が高いこと(非特許文献4)、肥満や過体重の妊婦の子は奇形になりやすいこと(非特許文献5)が報告されている。このように、肥満および過体重は本人はもちろん次世代の健康に与える影響も深刻である。
【0003】
肥満/過体重の罹患者の増加に伴い、最も大きな脅威となっているのが2型糖尿病の有病者の増大である。糖尿病の有病率は、日本で950万人、世界で4.2億人と推定されている。また2013年の中国での調査では、成人の糖尿病の有病率は10.9%、前糖尿病の有病率は35.7%と推定されており(非特許文献6)、かつ糖尿病患者の死亡リスクは非糖尿病者よりも2倍高いことが報告されている(非特許文献7)。また1983年から2011年の米国での調査では、虚血性心疾患の罹患者が約20%も低下したのに対して、糖尿病の罹患者は増加している(非特許文献8)。さらにメキシコでは約4人に1人が糖尿病と診断されている(非特許文献9)。
【0004】
糖尿病の中でも2型糖尿病は合併症の発症率が高いという問題も抱えている。例えば、20歳までに糖尿病と診断された2018人の約8年間の追跡調査によると、合併症有病率は1型糖尿病患者が32%であったのに対して2型糖尿病患者では72%であった(非特許文献10)。
【0005】
このように、肥満/過体重の罹患者の増大、それに伴う2型糖尿病の有病率の増加は、世界的な対策が必要とされる緊急課題である。
【0006】
しかし、肥満/過体重の罹患者が、減量すること、さらに減量した体重を維持することは容易ではない。さらに、1988-2014年の米国での調査では「痩せようとする肥満/過体重の成人」の割合が低下していることも報告されている(非特許文献11)。
【0007】
現行では2型糖尿病の治療は十分な効果を発揮しているとは言えず、患者の治療満足度も低い。例えば、2017年2月の米国の報告では、肥満手術を受けた糖尿病患者(胃バイパス群)の5年時点での糖化ヘモグロビン(HbA1c)6%以下の割合は29%であったが、内科治療のみの群ではわずか5%であった(非特許文献12)。このように、糖尿病患者の血糖制御は肥満手術が内科治療を凌駕している。しかし、肥満手術は侵襲を伴う処置であり、現行の治療薬を凌駕する優れた2型糖尿病治療薬の開発が望まれている。
【0008】
さらに、2016年に報告されたプロスペクティブ観察試験のメタ解析によると、心血管疾患リスクはHbA1c 5.7%から上昇することが示されている(非特許文献13)。これは、2型糖尿病における合併症発症の完全阻止を目指した立場からは、現行の内科治療では95%の症例において不十分な対策しか講じられていないことを意味する。
【0009】
現状では合併症の早期診断および治療に高額な研究費および医療費が投じられている。しかし、何よりも優先して行うべきは、HbA1c 5.7%以下の血糖制御を可能とする優れた治療薬を開発することである。
【0010】
実際、2017年1月30日に、糖尿病治療薬の世界第1位の販売実績を誇る製薬企業が、英国のオックスフォード大学と提携して2型糖尿病の新しい治療法の発見を目指すことを発表した。同社は同大学敷地内に新しい研究センターを設立し、今後10年間に1億1500万ポンドを投じることも発表している。これは、現行の2型糖尿病の内科治療の不十分さを如実に物語る一例である。
【0011】
以上、2型糖尿病において厳格な血糖制御(HbA1c≦5.7%)を可能とする新規治療薬の開発は、極めて重要かつ緊急性の高い創薬事業である。しかし、従来の2型糖尿病の病態生理の理解に立脚し、新規性のない戦略に基づいた創薬研究をどれだけ繰り返しても、上記目標を達成する新薬は開発されない。安全性と有効性がともに高い優れた治療薬の開発に向けては、2型糖尿病の病態生理の理解そのものを根本から見直す必要がある。
この観点から注目すべきは「褐色脂肪組織(Brown adipose tissue: BAT)」である。
【0012】
BATを構成する褐色脂肪細胞は、寒冷環境における体温維持など体熱産生の需要が亢進した際に、細胞内の多胞性脂肪滴に蓄えられた中性脂肪を急速に分解し、生成された脂肪酸を用いてミトコンドリアでの脱共役呼吸により熱エネルギーとして放出することで、体熱の維持に寄与する。BATは小型冬眠動物において、冬眠明けの急速な体熱産生に寄与する脂肪組織として研究されていたが、2009年にヒト成人にもBATが存在することが報告された(非特許文献14-17)。
【0013】
遺伝子改変マウスを用いた研究から、BATには「肥満防止」「糖代謝改善」「脂質代謝改善」「レプチン感受性亢進」の作用があることが実証されている。またヒトにおいても、がん検診や人間ドックのデータを用いた疫学研究、および健常人ボランティアが参加した研究から「中年太りの防止」と「糖代謝改善」に寄与することが示唆されている。
【0014】
当初、BATの代謝改善作用は、脂肪燃焼によるカロリー消費に起因する体重減少の二次的効果と考えられていた。しかし、褐色脂肪細胞欠如マウスが高度肥満と糖尿病を呈したのに対して、褐色脂肪細胞の熱産生能だけを欠損させたマウスは肥満も糖代謝障害も呈さなかったことから、褐色脂肪細胞による糖代謝改善は熱産生を介する二次的効果ではなく「可溶性因子(ホルモン)を介した作用」であることが示唆された。そして「褐色脂肪細胞が産生する糖代謝改善性ホルモン」はBATokineと総称され、その同定に向けた研究が世界的に推進された。しかし、現在に至るまで、褐色脂肪細胞が特異的に産生する、または褐色脂肪細胞が主要な産生源である『真のBATokine』は同定されていない。例えば、代謝改善作用を持つことが知られるインターロイキン6(IL6)や線維芽細胞増殖因子21(FGF21)などのサイトカインが褐色脂肪細胞由来糖代謝改善ホルモンとして報告されているが、これらの主たる産生源は、IL6はマクロファージやマスト細胞などの自然免疫細胞、FGF21は膵臓などの「褐色脂肪細胞以外の細胞」であり、当該サイトカインの一部を褐色脂肪細胞が産生しているに過ぎず、これらを褐色脂肪細胞由来糖代謝改善ホルモンと呼ぶことは適切とは言えない。
【0015】
『真のBATokines』が同定されていない理由として、マウスの体内から回収したBATはBATokine探索のための材料として不適切であることが挙げられる。マウスBATは膵臓外分泌腺が産生する消化酵素であるキモトリプシン系蛋白分解酵素群、トリプシン系蛋白分解酵素群、核酸分解酵素Rnase1、といった強力な分解酵素群を高発現するため、マウス体内からBATを取り出した瞬間から褐色脂肪細胞の品質は急速に劣化を始める。このため、BATが産生するホルモン群を非損傷状態で取得することは極めて困難となる(非特許文献18)。
【0016】
一方、ヒト生体からBATを取得して研究に用いることは倫理的観点から不可能である。また、マウスBATであれ、ヒトBATであれ、そこから回収した成熟褐色脂肪細胞を維持培養するための技術、増幅培養するための技術、凍結保存するための技術、は存在しない。即ち、BAT検体を用いて『真のBATokines』を同定することは不可能である。
【0017】
以上、代謝改善を目的とした臨床応用に向けて、BATokine活性を保持し、かつ十分量の、BATokinesを含有する褐色脂肪細胞の培養上清を取得するには、蛋白分解酵素群の攻撃を受けることなく、また倫理的問題に抵触することなく、安定かつ随時に高品質な褐色脂肪細胞を調製する技術が必要である。ここで「高品質な褐色脂肪細胞」とは、熱産生能とは独立に糖代謝改善作用を発揮するものであること、かつ、その上清に糖代謝改善作用が認められるものであること、が必須である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0018】
【文献】WO2012/147853
【非特許文献】
【0019】
【文献】The GBD 2015 Obesity Collaborators、New England Journal of Medicine誌、第377巻、第13-27頁、2017年
【文献】Yuら、Annals of Internal Medicine誌、第166巻、第613-620頁、2017年
【文献】Farrar ら、BMJ 第354巻、i4694、2016年
【文献】Villamorら、JAMA誌、第317巻、第925-936頁、2017年
【文献】Perssonら、BMJ誌、第357巻、第j2563頁、2017年
【文献】Wang ら、JAMA 第317巻、第2515-2523頁、2017年
【文献】Bragg ら、JAMA 第317巻、第280-289頁、2017年
【文献】Navar ら、JAMA 第316巻、第2041-2043頁、2016年
【文献】Alegre-Diazら、New England Journal of Medicine 第375巻、第1961-1971頁、2016年
【文献】Dabelea ら、JAMA 第317巻、第825-835頁、2017年
【文献】Snookら、JAMA誌、第317巻、第971-973頁、2017年
【文献】Schauer ら、New England Journal of Medicine 第376巻、第641-651頁、2017年
【文献】Huang ら、BMJ 第355巻、i5953、2016年
【文献】van Marken Lichtenbelt ら、New England Journal of Medicine誌、第360巻、第1500-1508頁、2009年
【文献】Cypess ら、New England Journal of Medicine誌、第360巻、第1509-1517頁、2009年
【文献】Virtanenら、New England Journal of Medicine誌、第360巻、第1518-1525頁、2009年
【文献】Saitoら、Diabetes誌、第58巻、第1526-1531頁、2009年
【文献】Kobayashiら、Medical Research Archive誌、第4巻、2016年
【文献】Nishioら、Cell Metabolism誌、第16巻、第394-406頁、2012年
【文献】Yoneshiro ら、Obesity 第19巻、第1755-1760頁、2011年
【文献】Beijerら,Oncol Rev 第6巻、第e11項、2012年
【文献】Carsonら、Exerc Sport Sci Rev 第38巻、第168-176頁、2010年
【文献】Galatら、Stem Cell Research & Therapy 第8巻、第67項、2017年
【文献】Bendallら、Nature 第448巻、第1015-第1021頁、2007年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0020】
本発明は、褐色脂肪細胞の上清を含む、代謝改善能のある組成物を提供すること課題とする。また本発明は、アミノ酸やビタミン、高濃度のブドウ糖等を含む培養液を用いずに、代謝改善能のある褐色脂肪細胞の上清を調製する方法を提供することを課題とする。また本発明は、褐色脂肪細胞自体およびその上清の調製に有用な、多能性幹細胞由来の褐色脂肪細胞の製造方法を提供することを課題とする。
【0021】
本発明は、また、外因性サイトカイン不含の「最小必要培地」により多能性幹細胞から作製された褐色脂肪細胞(BA)を、塩類と低ブドウ糖のみを含有するバッファーで培養して得られる、代謝改善能のある上清成分(SUP)を調製するための技術を提供することを課題とする。
【0022】
本発明は、また、褐色脂肪細胞の上清を含む、ミトコンドリア濃縮物を提供すること課題とする。
【0023】
本発明は、また、褐色脂肪細胞の上清を含む、損傷治癒促進能のある上清成分(SUP)を調製するための技術を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0024】
本発明者らは多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製するための技術を開発しており(特許文献1)、作製された多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞そのものが、移植動物において糖代謝改善作用を発揮することを確認している(非特許文献19)。かつ、多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞(以下、褐色脂肪細胞)の移植後、16時間後には糖代謝改善作用が発揮されていることから、その作用は熱産生を介したカロリー消費による体重減少に伴う二次的なものではなく、移植した細胞による直接的なものであることが示唆される。このように、多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞は、代謝改善を目的とした臨床使用においても、有効な材料となるべき条件を満たしている。
【0025】
さらに、多能性幹細胞は無限増殖能を持つため、褐色脂肪細胞は安定かつ随時に調製が可能である。また、褐色脂肪細胞の調製に至るまでの全工程は細胞培養室で実施されるため、生体からの組織回収及び目的細胞の分離の工程において不可避的に被る蛋白分解酵素群からの攻撃からは完全に回避されている。よって、多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞の作製技術を適用することで、汎用の細胞培養技術のみで、高品質な褐色脂肪細胞の安定かつ随時の取得が可能となる。しかしながら、褐色脂肪細胞の上清に生理活性があるかどうかは不明であり、また、活性のある上清をどのように取得すればよいのかについても知られていない。
【0026】
ヒトBATは加齢により減少または消失する。例えば、PET-CTでのBAT陽性率は20代後半から減少し、40代では3割弱、50代では1割強となる(非特許文献20)。しかし、中年太りをせず、内臓脂肪量にも変化がない人はBAT陽性である(非特許文献20)。このことから、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、の病態は「褐色脂肪細胞欠乏症」と捉えることができる。即ち、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病などの代謝障害性疾患に対して、欠乏している褐色脂肪細胞の機能を補充する療法を行うことは、現行では肥満手術に劣る成績である2型糖尿病の内科療法に革命的な発展をもたらすことになる可能性がある。そして、もし褐色脂肪細胞そのものを補充せずに、褐色脂肪細胞の上清だけを補充しても効果を発揮することができるのであれば画期的である。
【0027】
褐色脂肪細胞の上清に薬理効果があるかを確かめるために本発明者らは、まず、従来通りフィーダー上で維持培養している多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を分化させ、その上清の採取を試みた。褐色脂肪細胞の分化培地には、細胞生存に必要な各種アミノ酸やビタミン類、脂質に加え、高濃度のブドウ糖(約17.5 mM)が含まれており、また、褐色脂肪細胞の分化に必要なサイトカインカクテル(IL6、VEGF、Flt-3L、SCF、BMP7)が添加されている。本発明者らは、これらの成分を排除するため、塩類と高濃度ブドウ糖(16.8 mM)のみを含むバッファー(以下、塩類ブドウ糖バッファー)で褐色脂肪細胞を培養し、その上清を回収して活性を測定した。
【0028】
細胞培養用培地と比べると、塩類ブドウ糖バッファーは圧倒的に低栄養であり、細胞生存に必要なアミノ酸やたんぱく成分を含まない。したがって塩類ブドウ糖バッファーで褐色脂肪細胞をインキュベートして回収した上清にはほとんど活性がないことも予測されたが、この上清をマウス皮下に投与して血糖値の変化を測定したところ、空腹時血糖値が有意に低下することが判明した(図1A、左)。またインスリン抵抗性指数であるHOMA-IR値も、上清の投与により有意に低下した(図1A、中)。このように、褐色脂肪細胞を塩類ブドウ糖バッファー中で培養して得た上清には、インスリン感受性を亢進させ、血糖値を降下させる活性があることが判明した。
【0029】
一方、多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞を移植したマウスでは空腹時中性脂肪(TG)値が低下するにもかかわらず、上清を投与されたマウスでは空腹時TG値の有意な低下を認めなかった。したがって、褐色脂肪細胞の上清には、糖代謝改善作用を発揮する生理活性がある一方、脂質代謝の改善作用は、上清ではなく褐色脂肪細胞による作用であることが示唆される。
【0030】
このように、褐色脂肪細胞の上清は、褐色脂肪細胞が持つ脂肪燃焼による体熱産生とは独立に、糖代謝改善の作用を発揮する作用があることが判明した。なお、上清投与マウスでは経口ブドウ糖負荷15分後の血中インスリン値が増加していたことから(図1B)、褐色脂肪細胞の上清には、インスリン感受性亢進のみならず、インスリン分泌促進作用もあることが示唆される。
【0031】
また、複数の骨格筋細胞においてブドウ糖トランスポータ遺伝子であるGlut4に対する上清の作用を調べたところ、褐色脂肪細胞の上清はGlut4の発現量を有意に上昇させることが判明した(図2A、B)。また、膵ベータ細胞に対する上清の作用を調べたところ、上清の添加によってインスリン分泌量が有意に増加することが判明した(図3A、B)。
【0032】
このように褐色脂肪細胞の上清は、血糖値低下、インスリン感受性の亢進および膵ベータ細胞からのインスリン分泌促進、骨格筋細胞におけるブドウ糖トランスポーター遺伝子の発明上昇などの複数の作用があり、アミノ酸やビタミンなどの栄養成分を含まない塩類ブドウ糖バッファーを用いて活性のある上清を取得することが可能であることが示された。
【0033】
本発明者らは次に、高濃度ブドウ糖を含まない塩類バッファーでも活性のある上清が取得できるかを試験した。バッファー中のブドウ糖濃度を1/6に下げた低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーを用いて褐色脂肪細胞を培養し、得られた上清を用いて膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用を調べたところ、インスリン分泌は有意に増加したことから、低濃度ブドウ糖バッファーを用いても、褐色脂肪細胞から活性のある上清を取得できることが判明した。
【0034】
ところで多能性幹細胞由来の褐色脂肪細胞は、フィーダー細胞上で維持培養されている多能性幹細胞から分化させたものである。本発明者らは、フィーダー細胞に由来する影響を完全に排除するために、多能性幹細胞を無フィーダー培養系で培養し、その細胞から褐色脂肪細胞を生成させて上清を取得することを考えた。そこで多能性幹細胞を無フィーダー系で培養し、得られた多能性幹細胞をシングルセルに分散したのち、細胞凝集物作製用培地を用いた浮遊培養によりスフィアを形成させ、得られたスフィアを回収し、褐色脂肪細胞誘導培地で培養した。その結果、細胞は褐色脂肪細胞に特徴的な多胞性脂肪滴が観察され(図5B左)、Oil Red Oで染色されるとともに(図5B中)、褐色脂肪細胞の熱産生能に関与するUCP1蛋白の発現が確認され(図5B右)、その他の褐色脂肪細胞のマーカー遺伝子の発明も観察された。このように、無フィーダー培養系で培養された多能性幹細胞からでも、褐色脂肪細胞を生成させることができることが判明した。
【0035】
無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞から生成させた褐色脂肪細胞を低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで培養することにより回収した上清の活性を調べたところ、高濃度インスリンで刺激した場合と同程度の強いインスリン分泌促進能を発揮することが判明した(図6)。このように本発明者らは、フィーダー細胞由来の成分をまったく含まない褐色脂肪細胞の上清であって、インスリン分泌促進作用等を有する上清を取得することに初めて成功した。褐色脂肪細胞の上清は脱塩処理が可能で、活性を保ったまま凍結乾燥物として調製することも可能である。
【0036】
また、無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞を用いて褐色脂肪細胞を生成させる上記の実験を行う過程で本発明者らは、驚くべきことに、無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞においては、褐色脂肪細胞を生成させるために従来添加していたサイトカインカクテルを添加しなくても、多能性幹細胞をシングルセルに分散したのちサイトカインカクテルを含まない細胞凝集物作製用培地を用いた浮遊培養によりスフィアを形成させ、得られたスフィアの細胞を、サイトカインカクテルを含まない褐色脂肪細胞誘導培地で培養するのみによって、褐色脂肪細胞が自発的に分化することを見出した(図7)。
【0037】
このようにして生成させた褐色脂肪細胞を、低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで培養することによって取得した上清は強いインスリン分泌促進能を発揮した。これにより、多能性幹細胞からサイトカインカクテルを用いずに褐色脂肪細胞を生成させることに初めて成功するとともに、当該細胞のインスリン分泌促進能を持つ上清を取得することにも成功した(図8)。この方法は、フィーダー細胞を用いないのみならず、サイトカインカクテルを添加することも不要であるため、異種細胞(褐色脂肪細胞およびその由来細胞以外の細胞)を含有せず、かつ外因性サイトカイン(多能性幹細胞やそこから生成した褐色脂肪細胞に由来するものではないサイトカイン)も含有しない極めて品質の高い褐色脂肪細胞およびその上清を製造することが可能となる。
【0038】
多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を生成させるときに用いている培地は無血清培地であるが、細胞生存性を担保する効果があるとされているウシ血清アルブミン(BSA),α-monothioglycerol(α-MTG), protein free hybridoma mix (PFHMII, Gibco #12040-077, Life Technologies, Inc.)が含まれている。褐色脂肪細胞の分化誘導にこれらが必須かどうかを調べるため、無フィーダー培養系で維持している多能性幹細胞を上記と同様にシングルセル分散操作を介して褐色脂肪細胞の分化誘導を行い、サイトカインカクテル不含培地であって、さらにBSA、α-MTG、およびPFHMIIも除去した培地(最少必要培地)を用いて培養を行った。その結果、サイトカイン含有培地を用いた場合と同様に細胞凝集体が形成され、多胞性脂肪滴等の成熟褐色脂肪細胞に特徴的な細胞形態が観察され、褐色脂肪細胞に特異的なマーカー遺伝子の発現が確認された(図9A~F)。
【0039】
無フィーダー培養系で維持している多能性幹細胞から上記のように最少必要培地で作製した褐色脂肪細胞の上清を取得するため、低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで培養してその上清を回収した。こうして調製した褐色脂肪細胞上清も、インスリン分泌促進活性を示した(図10)。
【0040】
また、無フィーダー培養系で維持している多能性幹細胞から上記のように最少必要培地で作製した褐色脂肪細胞から低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで上清を調製し、これを膵β細胞に添加してブドウ糖取込に与える影響を調べたところ、上清の添加はβ細胞のブドウ糖取込能を有意に亢進することが判明した(図11)。
【0041】
サイトカインカクテルを用いない場合、細胞凝集物作製用培地と褐色脂肪細胞誘導培地は同じ組成の培地(例えば最小必要培地)を用いて差し支えないことになる。無フィーダー培養系で維持している多能性幹細胞をシングルセルに分散したのち、最小必要培地中、バイオリアクターを用いた回転培養を行い、1ステップ培養で褐色脂肪細胞の製造を行ったところ、得られた細胞の培養上清は、2ステップ培養で得られた褐色脂肪細胞の上清と同等のインスリン分泌促進活性を示した(図12)。
【0042】
また、褐色脂肪細胞の上清を160,000Gで超遠心処理を行い、上澄み成分と沈降物成分(ペレット)に分けて回収し、膵β細胞を用いてインスリン分泌に与える影響を調べたところ、インスリン分泌促進活性の大部分は上澄み成分に回収されたが、ごく少量ではあるがペレット成分(エキソソーム画分)にもインスリン分泌促進活性が認められた(図13)。これは、褐色脂肪細胞の上清中のインスリン分泌促進活性の主たる作用は可溶性因子によるものであるが、エキソソーム性の因子も含まれていることを示唆している。
【0043】
また、褐色脂肪細胞を、低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで培養することで取得した上清は、ヒト骨格筋細胞のブドウ糖取り込みを促進する作用を発揮すること(図15)、その作用は、褐色脂肪細胞の上清にビオチン化処理を施しても変化がないことが判明した(図16)。また、褐色脂肪細胞の培養上清は、ヒト心筋細胞のブドウ糖取り込み能を促進することも判明した(図17)。
【0044】
また、褐色脂肪細胞を、低濃度ブドウ糖(2.8mM)を含む塩類バッファーで培養することで取得した上清を、遠心処理することで回収される沈降体にはミトコンドリアが濃縮して存在することが判明した(図18)。
【0045】
また、褐色脂肪細胞を、最小必要培地で培養することで取得した上清は、ヒト血管内皮膚細胞を用いたwound-healing assayにおいて損傷からの修復を促進する作用があることが判明した(図19)。
【0046】
褐色脂肪細胞は、高い呼吸機能を持つミトコンドリアを多量に含有するため、高機能性ミトコンドリアの優れた供給源となる。ミトコンドリア呼吸機能障害のため体外式膜型人工心肺から離脱できない重症小児心不全に対してミトコンドリア移植療法は高い有効性を発揮する(Emaniら、The Journal of Thoracic and Cardiovascular Surgery 第154巻、第286第-289頁, 2017年)。また、新生児の心不全症例に対するミトコンドリア移植療法の有効性も報告されている(Gina Kolata、The New York Times 2018年7月10日、https://www.nytimes.com/2018/07/10/health/mitochondria-transplant-heart-attack.html)。但し、現行では自己筋肉など、自己組織から調製したミトコンドリアが移植に使用されており、組織回収から移植までの作業を手術室で30分以内に完了させるという時間的制約がある。倫理的問題に抵触することなく、安定かつ随時に高い呼吸機能を持つミトコンドリアの供給を可能とする手段が本発明において提供されたことから、ミトコンドリア移植療法の普及に貢献することが期待される。
【0047】
また、ミトコンドリアは活性酸素の消去作用を持つ抗酸化性タンパクを多く含有することから、高機能性ミトコンドリアを多量に含有する褐色脂肪細胞の培養上清に抗酸化性タンパクが存在する可能性が想定される。活性酸素は組織の損傷の際に濃度が高まることから、褐色脂肪細胞の培養上清は、活性酸素の消去作用により皮膚等の組織の損傷からの回復を促進する可能性も想定される。本発明の褐色脂肪細胞の培養上清が示した損傷回復を促進する活性は、上清に含まれているミトコンドリアによる活性酸素の消去作用が貢献している可能性がある。
【0048】
以上のとおり、本発明者らは多能性幹細胞から製造した褐色脂肪細胞を用いて、糖代謝改善作用のある上清を取得することに初めて成功した。また上清を得るために培地を用いる必要はなく、アミノ酸やビタミンを含まない塩類ブドウ糖バッファーで細胞を培養することによって活性を持った上清を取得できることを見出した。また本発明は、無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞を用いて製造した褐色脂肪細胞およびその上清を初めて提供する。また本発明は、無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞を用いることによって、サイトカインカクテルを添加することなく多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を製造する技術を初めて提供した。無フィーダー培養系で培養した多能性幹細胞を用いる場合、サイトカインカクテルが不要であるばかりでなく、BSAやα-MTG、PFHMIIなどの添加物を添加することも不要であった。これにより、異種細胞の影響や添加物の混入が少ない褐色脂肪細胞の上清成分の取得が可能となり、臨床適用に適した製剤として調製する際にも有利となる。
【0049】
本発明の上清は、膵β細胞に対して顕著なインスリン分泌促進作用およびブドウ糖取込亢進作用を示す他、インビボにおいて血糖値を有意に低下させ、インスリン抵抗性指数(HOMA-IR値)も有意に低下させる。また本発明の上清は、骨格筋細胞、並びに、心筋細胞などの筋細胞等においてブドウ糖トランスポータ遺伝子の発現量を有意に上昇させ、かつ、ブドウ糖取込亢進作用を示すことから、多臓器に作用して糖代謝を改善する作用を発揮することが期待される。
【0050】
また、本発明の上清は、遠心処理により回収される沈降体、即ち、微粒子画分にはミトコンドリアが濃縮して存在すること、褐色脂肪細胞のミトコンドリアは高い呼吸能を持つことから、ミトコンドリア移植療法のための優れた材料を提供するものとなることが期待される。
【0051】
また、本発明の上清は、ヒト血管内皮細胞を用いたwound-healing assayにて損傷からの回復を促進する効果を認めたことから、血管の損傷を伴う皮膚損傷の治癒促進のための優れた材料を提供するものとなることが期待される。
【0052】
すなわち本発明は、褐色脂肪細胞の上清を含む組成物、および上清の製造に適した褐色脂肪細胞の製造方法、および上清の製造方法等に関し、より具体的には請求項の各項に記載の発明を包含する。なお同一の請求項を引用する請求項に記載の発明の2つまたはそれ以上の任意の組み合わせからなる発明も、本明細書において意図された発明である。すなわち本発明は、以下の発明を包含する。
【0053】
〔1〕 褐色脂肪細胞の上清を含み、糖代謝改善作用を有する組成物。
〔2〕 該褐色脂肪細胞の上清がBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルを含まない、〔1〕に記載の組成物。
〔3〕 褐色脂肪細胞の上清が外因性サイトカインを含まない、〔1〕または〔2〕に記載の組成物。
〔4〕 褐色脂肪細胞が、多能性幹細胞から作製した褐色脂肪細胞である、〔1〕から〔3〕のいずれかに記載の組成物。
〔5〕 褐色脂肪細胞が、無フィーダー培養された多能性幹細胞から作製した褐色脂肪細胞である、〔1〕から〔4〕のいずれかに記載の組成物。
〔6〕 褐色脂肪細胞が、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルおよび/またはBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含むサイトカインカクテルを添加されずに多能性幹細胞から生成した褐色脂肪細胞である、〔1〕から〔5〕のいずれかに記載の組成物。
〔7〕 上清が、褐色脂肪細胞を塩類バッファーとインキュベートすることにより調製された上清である、〔1〕から〔6〕のいずれかに記載の組成物。
〔8〕 塩類バッファーがブドウ糖を含有する、〔7〕に記載の組成物。
〔9〕 〔7〕または〔8〕に記載の組成物を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を、無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、無血清環境において培養し、褐色脂肪細胞を分化させる工程、
(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程、
を含む方法。
〔10〕 〔1〕から〔9〕のいずれかに記載の組成物または該組成物の製造に用いることができる褐色脂肪細胞を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程、
を含む方法。
〔11〕(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程、をさらに含む、〔10〕に記載の方法。
〔12〕 塩類バッファーがブドウ糖を含有する、〔9〕または〔11〕に記載の方法。
〔13〕 工程(2)および/または(3)において外因性サイトカインと培養しない、〔9〕から〔12〕のいずれかに記載の方法。
〔14〕 工程(2)および(3)が同一組成の培地で同じ培養容器中で実施される、〔9〕から〔13〕のいずれかに記載の方法。
〔15〕 得られた上清を脱塩処理する工程をさらに含む、〔9〕から〔14〕のいずれかに記載の方法。
〔16〕 〔9〕から〔15〕のいずれかに記載の方法によって製造される組成物。
〔17〕 医薬または美容用組成物である、〔1〕から〔8〕、および〔16〕のいずれかに記載の組成物。
〔18〕 代謝疾患または代謝異常の予防または治療に用いるための医薬または美容用組成物である、〔17〕に記載の医薬組成物。
〔19〕 ミトコンドリアの機能障害に起因する疾患の治療に用いるための医薬組成物である、〔17〕に記載の医薬組成物。
〔20〕 皮膚の損傷治癒を促進するための医薬または美容用組成物である、〔17〕に記載の医薬組成物。
〔21〕 代謝疾患または代謝異常が、肥満、過体重、代謝症候群、および2型糖尿病からなる群より選択される、〔18〕に記載の医薬または美容用組成物。
〔22〕 ミトコンドリアの機能障害が、ミトコンドリア病、および新生児心疾患からなる群より選択される、〔19〕に記載の医薬組成物。
〔23〕 皮膚の損傷が、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張からなる群より選択される、〔20〕に記載の医薬または美容用組成物。
〔24〕 〔18〕~〔23〕のいずれかに記載の医薬組成物を、その必要のある対象に投与する工程を含む、代謝疾患または代謝異常、ミトコンドリアの機能障害を呈する疾患、あるいは皮膚損傷を呈する疾患の内科的治療または予防方法。
〔25〕 〔1〕から〔8〕、および〔16〕のいずれかに記載の組成物を含む、血糖降下、インスリン分泌促進、インスリン感受性亢進、ブドウ糖取込み促進、およびブドウ糖トランスポータ遺伝子発現亢進からなる群より選択される用途に用いるための組成物。
〔26〕 〔1〕から〔8〕、および〔16〕のいずれかに記載の組成物を含む、ミトコンドリアの移植、注入、または添加の用途に用いるための組成物。
〔27〕 〔1〕から〔8〕、および〔16〕のいずれかに記載の組成物を含む、皮下出血の治癒促進、皮下出血による色素沈着の治癒促進、皮下の毛細血管拡張の治癒促進からなる群より選択される用途に用いるための組成物。
【0054】
また本発明は以下の発明を包含する。
〔28〕 褐色脂肪細胞を製造する方法であって、
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程、
を含む方法。
〔29〕 上記〔1〕から〔9〕のいずれかに記載の組成物または該組成物の製造に用いられる褐色脂肪細胞を製造する方法である、〔28〕記載の方法。
〔30〕 上記〔1〕から〔9〕のいずれかに記載の組成物または該組成物の製造に用いための褐色脂肪細胞を製造する方法である、〔28〕または〔29〕記載の方法。
〔31〕(4)工程(3)の褐色脂肪細胞の上清を回収する工程、をさらに含む、〔10〕および〔28〕から〔30〕のいずれかに記載の方法。
〔32〕工程(4)が、工程(3)の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程、である、〔31〕に記載の方法。
〔33〕 塩類バッファーがブドウ糖を含有する、〔32〕に記載の方法。
〔34〕 工程(2)および/または(3)において外因性サイトカインと培養しない、〔28〕から〔33〕のいずれかに記載の方法。
〔35〕 工程(2)および(3)が同一組成の培地で同じ培養容器中で実施される、〔28〕から〔34〕のいずれかに記載の方法。
〔36〕 得られた上清を脱塩処理する工程をさらに含む、〔28〕から〔35〕のいずれかに記載の方法。
〔37〕 〔28〕から〔36〕のいずれかに記載の方法によって製造される組成物。
〔38〕 医薬または美容用組成物である、〔37〕に記載の組成物。
〔39〕 代謝疾患または代謝異常の予防または治療に用いるための医薬または美容用組成物である、〔38〕に記載の医薬組成物。
〔40〕 ミトコンドリアの機能障害を呈する疾患の治療に用いるための、〔38〕に記載の医薬組成物。
〔41〕 皮膚の損傷の治療に用いるための医薬または美容用組成物である、〔38〕に記載の医薬組成物。
〔42〕 代謝疾患または代謝異常が、肥満、過体重、代謝症候群、および2型糖尿病からなる群より選択される、〔39〕に記載の医薬または美容用組成物。
〔43〕 ミトコンドリアの機能障害が、ミトコンドリア病、および新生児心疾患からなる群より選択される、〔40〕に記載の医薬組成物
〔44〕 皮膚の損傷が、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張からなる群より選択される、〔41〕に記載の医薬または美容用組成物
〔45〕 〔39〕から〔44〕のいずれかに記載の医薬組成物を、その必要のある対象に投与する工程を含む、代謝疾患または代謝異常、ミトコンドリアの機能障害を呈する疾患、あるいは皮膚損傷を伴う疾患の内科的治療または予防方法。
〔46〕 〔37〕に記載の組成物を含む、血糖降下、インスリン分泌促進、インスリン感受性亢進、ブドウ糖取込み促進、およびブドウ糖トランスポータ遺伝子発現亢進からなる群より選択される用途に用いるための組成物。
〔47〕 〔37〕に記載の組成物を含む、ミトコンドリアの移植、注入、または添加の用途に用いるための組成物。
〔48〕 〔37〕に記載の組成物を含む、皮下出血の治癒促進、皮下出血による色素沈着の治癒促進、皮下の毛細血管拡張の治癒促進からなる群より選択される用途に用いるための組成物。
【0055】
なお、本明細書に記載した任意の技術的事項およびその任意の組み合わせは、本明細書において意図されている。また、それらの発明において、本明細書に記載の任意の事項またはその任意の組み合わせを除外した発明も、本明細書において意図されている。また本発明に関して、明細書中に記載されたある特定の態様は、それを開示するのみならず、その態様を含むより上位の本明細書に開示された発明から、その態様を除外した発明も開示するものである。
【0056】
糖代謝や筋量の調節因子としては、IL6やFGF2などのサイトカインが解析されている一方で、12,13-diHOMEなどの脂質メディエータ、miRNA-99bなどのマイクロRNA及びこれを運搬するエキソソーム、も広い意味での調節因子として捉えることが提案されている。
このように、褐色脂肪細胞において生産されるBATokineの可能性としては、サイトカインなどのタンパク質以外に、脂質・核酸を含む様々な分子種、さらには細胞外微粒子までを含む、多様な生理活性物質の集合体、を想定することができる。すなわち、褐色脂肪細胞に注目した代謝障害疾患の治療開発を進めるうえでは、BATokinesの探索や作用機序の解明に先立って、代謝向上作用を持つ「多様な生理活性物質の集合体としてのBATokine」の調製技術の開発が重要な課題となる。
【0057】
本発明において示されたとおり、褐色脂肪細胞の上清は、まさに「多様な生理活性物質の集合体」としてのBATokineを調製するための理想的な材料となり得る。しかし、褐色脂肪細胞の上清に果たして有利な生理活性があるのか、また、上清の調製に際して、どのようなバッファーを用いればよいか、はさらなる解析や研究が必要であった。臨床応用を考えた際、「塩類とブドウ糖のみを含有するバッファー」(以下、塩類ブドウ糖バッファー)であることが望ましいが、細胞培養用培地に比べると圧倒的に低栄養であり、細胞生存に必要なアミノ酸やたんぱく成分を含まない塩類ブドウ糖バッファーで褐色脂肪細胞を培養して回収した上清に、果たして代謝改善作用があるかどうか、は不明であった。
また、多能性幹細胞の褐色脂肪細胞分化誘導培地は、高濃度(>17 mM)のブドウ糖を含有している(参考例4参照)。このため、通常の低濃度ブドウ糖を含有する塩類ブドウ糖バッファーで調製した上清に、代謝改善作用があるかどうか、は不明であった。しかし、代謝障害性疾患の治療を目的とした臨床応用を考える際、高濃度のブドウ糖を含有するバッファーを用いることは、好ましくない。
【0058】
もう1つの問題として、多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製する際に用いる分化誘導培地には、複数種の合成サイトカインを含有するカクテル(合成サイトカインカクテル)が添加されている(参考例4参照)ことが挙げられる。合成サイトカインなどの外因性サイトカイン(細胞に添加したり、当該サイトカインの遺伝子を細胞に導入することにより発現させるサイトカイン)を使用するには、コストがかかる上に品質管理などの手間が煩雑である。また、このカクテルには、悪液質の原因となるIL6や、血管新生能を持つために「がん」の進行を促進するVEGF、などが含まれるが、臨床応用においてはこれらの混入は、可能な限り低レベルにすることが求められる。そのための最良の方法は、合成サイトカインカクテルを用いずに、多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製する技術を開発することであった。
【0059】
ヒト誘導性多能性幹細胞(iPS細胞)の発明以後、ヒトiPS細胞やその上清を用いた治療技術の開発に向けた研究が加速している。そして、従来の分化誘導法の多くが合成サイトカインカクテルを用いたのに対して、合成サイトカインカクテルを用いない、すなわち、「外因性サイトカイン不含培地」を用いた分化誘導技術の開発が求められている。しかし、現在までに「外因性サイトカイン不含培地」を用いたヒト多能性幹細胞の分化誘導の成功を報告したものはまだ1例であり、2017年にヒトiPS細胞の血球産生性血管内皮細胞(hemogenic endothelium)を「外因性サイトカイン不含培地」で分化誘導する技術が報告されているのみである(非特許文献23)。ここでは、外因性サイトカインの代用として、低分子化合物であるCHIR99021が添加されており、これは強力な細胞分化制御作用を持つタンパクであるWNTのアゴニストである。しかし、ヒト多能性幹細胞由来分化細胞の抽出物や培養上清を臨床応用する際には、特定の生理作用を持つ低分子化合物が添加された培地を用いた分化誘導系を適用することは、低分子化合物の混入による副作用を考えると好ましい分化誘導条件であるとは言えない。
【0060】
さらに前項の非特許文献23においては、ヒトiPS細胞はマウス胎児線維芽細胞(MEF)との共培養系で未分化維持培養がなされている。しかし、MEFには強力な「分化誘導抑制作用」があることが知られる。その機序は、ヒト多能性幹細胞の無フィーダー維持培養系においても添加されているFGF2をMEFが分泌し、それがヒト多能性幹細胞にパラクリン因子として作用するためだと考えられている(非特許文献24)。なお、MEFとの共培養系で未分化維持培養されているヒト多能性幹細胞の分化誘導では、胚様体形成などの「分化誘導初期工程」において、結構な量のMEFが混入していることが報告されている。かつ、MEFはヒト多能性幹細胞に接して存在するため、混入するMEFが産生するFGF2は高濃度でヒト多能性幹細胞に作用することとなり、結果、分化誘導は強力に阻止される。このため、混入するMEFによる分化誘導阻止作用に打ち勝って分化誘導を推し進めるためには、強力な分化誘導のドライバーであるサイトカインカクテルや低分子化合物が必要となる。従来の分化誘導系において、これらの「強力な分化誘導ドライバー」としてサイトカインや低分子アゴニスト等が添加されていた理由もここにあると考えられる。
【0061】
ヒト多能性幹細胞由来分化細胞やその抽出物または培養上清の臨床応用に向けて、外因性サイトカインや低分子化合物を含有しない培地を用い、分化誘導系をシンプル化することは、コスト面だけでなく、安全性の担保の観点からも重要である。このためには、外因性サイトカインや低分子化合物ではなく、「ヒト多能性幹細胞自身が分泌するオートクリン/パラクリン因子群」のシグナルを最大限に活用することで、高い指向性を持った分化誘導系を確立することが鍵となる。そして、そのためにはまず、分化誘導系からフィーダー細胞(MEF)混入を完全に排除すること、即ち、未分化維持培養を無フィーダー化することが必須のステップとなる。そして本発明は、褐色脂肪細胞の製造において無フィーダー化を実現したのみならず、外因性サイトカイン等を用いることなく、多能性幹細胞から自律的に褐色脂肪細胞を分化させる技術を確立した。
【0062】
培地開発においては、それまで必須と思われていた成分が非必須であることが判明することが稀に起こる。例えば、汎用のヒト多能性幹細胞の無フィーダー培地であるEssential 8 Medium (Thermo Fisher Scientific社)は、先行の無フィーダー培地であるmTeSR1 medium (Stem Cell Technologies)から、"minimal requirements"を同定することで開発されたが、それまで必須と考えらえていた牛血清アルブミン(BSA)は還元剤であるベータメルカプトエタノール(b-ME)の毒性をキャンセルするために必要であっただけで、BSAそのものはヒト多能性幹細胞の未分化状態の維持に必須ではないことが判明した。さらに、空気による自然酸化を防止する目的で種々の培地に添加されていたb-MEも、ヒト多能性幹細胞の未分化維持には必要ではないことが解った。つまり、b-MEが添加されている条件ではBSAは必須の要素であるが、b-MEが存在しない条件ではBSAは非必須となる。本発明において見いだされた褐色脂肪細胞の分化も、そうした稀に起こる事象の一つを見出したものと捉えることができる。
【0063】
本発明の多能性幹細胞の分化誘導において、外因性サイトカインの添加の必要性をなくし、高品質な多能性幹細胞由来分化細胞およびその上清を得ることに成功した一つの理由は、本発明の培養系が目的系列以外の細胞系列に分化した細胞が死滅する条件となることにより、褐色脂肪細胞への高い分化指向性が付与されたためである可能性がある。
【0064】
例えばフィーダー細胞(MEF)で維持培養されている多能性幹細胞から褐色脂肪細胞分化を誘導する技術である参考例4では、第一ステップとして細胞凝集体形成工程(工程(A))を行う。MEFとの共同培養系では、多能性幹細胞は「単層の細胞集塊(crop)」として取り扱われるため、未分化多能性幹細胞を培養皿から剥離してそのまま浮遊培養すれば「球形の細胞集塊(スフィア)」は簡単に形成される。一方、無フィーダー培養系で維持している多能性幹細胞では、培養皿から剥離後にシングルセルレベルに分散されることがしばしばある。しかし、シングルセルにまで分散された状態から細胞凝集体を再形成させることは必ずしも容易ではなく、シングルセルを使って「球形の細胞集塊(スフィア)」を作製するには、特定の要素(栄養成分やサイトカインなど)が必要になり、結果的に褐色脂肪細胞に分化しうる細胞のみが選択的にスフィアを形成した可能性が推測される。
【0065】
以上のことを総合して考察すると、1)未分化維持培養における無フィーダー化と、それに付随して得られる多能性幹細胞が分泌するオートクリン/パラクリン因子群を最大活用したこと、2)従来法(参考例4)で使用されていたサイトカインカクテルをあえて添加しないことで、細胞集塊(スフィア)形成過程で、褐色脂肪細胞以外の系列に分化しうる細胞が積極的に死滅・排除される条件を見出したこと、という2つの条件により、無フィーダー/サイトカイン無添加条件による褐色脂肪細胞の製造が成功したものと考えることができる。
【0066】
以上のとおり、本発明は多能性幹細胞から、臨床適用にも適した褐色脂肪細胞およびその上清を作製することを可能とする新たな技術を提供することに成功した。本発明の細胞や上清はインスリン分泌促進作用、並びに、膵ベータ細胞・骨格筋細胞・心筋細胞のブドウ糖取込亢進作用を有し、糖代謝を改善する効果を有することから、本発明の上清またはその精製物等を投与することで、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病などの代謝障害性疾患において欠乏する多様なBATokinesをバランスよく、かつ安全に、補充することが可能となる。即ち、褐色脂肪細胞またはその上清を用いた、代謝障害性疾患の新しい内科療法が開発される。
【0067】
また本発明の褐色脂肪細胞や上清は大量のミトコンドリアを含みうることから、ミトコンドリア病、および新生児心疾患、などのミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患に対する予防または治療にも有用である。また本発明の褐色脂肪細胞や上清は損傷治癒を促進する作用を有することから、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張、などの皮膚の損傷を示す諸疾患に対する予防または治療にも有用である。
【0068】
褐色脂肪細胞およびその上清の調製にあたっては、例えば本発明の方法にしたがって多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製し、上清を回収する場合は、例えば塩類ブドウ糖バッファーで褐色脂肪細胞を培養して上清を回収し、代謝改善効果を評価する。この際、塩類ブドウ糖バッファーは栄養成分が乏しいために、長時間の培養では褐色脂肪細胞の生存性が低下し、上清の代謝改善作用は低下しうる。一方、短時間の培養では十分な活性を含有する上清を調製することができない。そこで、代謝改善作用を持つ上清を回収するための、塩類ブドウ糖バッファーの基本組成(含、ブドウ糖濃度)と、最適な培養時間、を決定する。
【0069】
例えば、合成サイトカインカクテルを添加しない分化誘導培地を用いて、多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製するための培養条件を決定する。さらに、動物由来蛋白であるウシ血清アルブミン、サイトカイン等は含有しないが女性ホルモンなどの生理活性分子を含有するPFHM-II Protein-Free Hybridoma Medium (GibcoTM)などの無血清培地用添加物を除去した培地を用いて、多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を作製するための培養条件を決定する。そして、決定された「最小必要培地」を用いて作製した多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞を、塩類ブドウ糖バッファーで培養して上清を回収する。
【0070】
これにより調製された褐色脂肪細胞の上清には、広義のBATokineである「褐色脂肪細胞由来微粒子(エキソソーム等)」も含有される。近年、エキソソームなど、細胞が分泌する微粒子が多様な生理作用を発揮していることが注目されている。特に、褐色脂肪細胞は循環血中に存在するエキソソーマルmicroRNAの主たる産生源であること、褐色脂肪細胞由来エキソソーマルmicroRNAが代謝改善に貢献することが報告されている(Thomouら、Nature 542:450-455, 2017)。即ち、本発明において調製された褐色脂肪細胞の上清は、広義のBATokineの探索研究、及び、広義BATokineを用いた、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、などの代謝障害を示す疾患の治療を目的とした臨床応用、のための適切な材料を提供するものである。
【0071】
上記で調製された褐色脂肪細胞の上清に対して、160,000 Gの加速度での超遠心操作を実行し、褐色脂肪細胞が分泌する微粒子を沈降させた上澄みを回収する。この作業により、上清中に含有されるエキソソーム等の細胞外微粒子は除去され、狭義のBATokineが取得される。この「狭義のBATokine」は、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、などの代謝障害を示す疾患の治療を目的とした臨床応用に際して、細胞外微粒子の投与が好ましくないと判断される症例に対して、より適切な材料を提供するものとなる。
【0072】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、未同定のBATokine分子の探索に向けた基礎研究、並びに、創薬研究に有効な材料である。
【0073】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、褐色脂肪細胞が産生する細胞外微粒子の研究に有効な材料である。
【0074】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、などの代謝異常を示す諸疾患に対する、予防または治療を目的とした臨床応用に有効な材料である。
【0075】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、ミトコンドリア病、および新生児心疾患、などのミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患に対する、予防または治療を目的とした臨床応用に有効な材料である。
【0076】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張、などの皮膚の損傷を示す諸疾患に対する、予防または治療を目的とした臨床応用に有効な材料である。
【発明の効果】
【0077】
本発明は、褐色脂肪細胞(BA)の上清(BA-SUP)が代謝向上作用を持つことを見出し、BATokine探索のための新規ツールとして、また肥満や糖尿病などの代謝障害疾患の治療ツールとなりうる高力価BA-SUPおよび当該BA-SUP由来乾燥品等を提供することを目的として、BA-SUPおよびその製造方法を提供した。さらに本発明は、サイトカインを添加せずにBAを製造する方法、および当該細胞からBA-SUPを回収する方法を提供した。特に本発明によれば、合成サイトカインを含有しない「最小必要培地」で多能性幹細胞から作製したBAを用い、塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファーで調製された上清の、代謝改善能を保持した脱塩濃縮品を調製することも可能である。
【0078】
ヒト多能性幹細胞は無限増殖能と多能性分化能を持つことから、ヒトの様々な細胞や組織を作製することができるが、細胞そのものを用いる移植療法においてはがん化のリスク評価が重要になる。一方、ヒト多能性幹細胞由来分化細胞の培養上清の投与療法は、そのようなリスクがない。但し、ヒト多能性幹細胞の分化過程で用いられることが多い動物由来因子の混入は臨床使用において避けなければならず、また合成サイトカインや特定の薬理作用を持つ低分子化合物などの添加物も可能な限り回避することが好ましい。本発明によれば、これらの添加物を除去した「最小培地」でBAを分化誘導することが可能となる。ヒト多能性幹細胞由来分化細胞上清の臨床使用に向けては、最小培地での分化誘導技術の開発、及び、塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファーで分化細胞の上清を調製する技術の開発、が必要である。
【0079】
本発明の方法で作製されたBAを用い、塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファーで調製した上清(BA-SUP)は、インスリン分泌促進、インスリン感受性亢進(インスリン標的細胞でのブドウ糖取込亢進)の作用を持つことから、代謝障害疾患へのBA-SUP投与療法の可能性が示された。さらに、BA-SUPは脱塩濃縮品や凍結乾燥などの乾固品として調製しうる。このような、高活性型BA-SUP脱塩濃縮品は、臨床適用に適した材料となる。また、本発明のBA-SUPは、「無フィーダー多能性幹細胞」から、合成サイトカイン等の成分を含有しない「最小必要培地」で作製することが可能であり、塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファーで調製することも可能であることから、汎用法にてGMP化が可能であり、臨床応用に向けた展開も可能である。
【0080】
以上、本発明は、本発明の上清が持つ糖代謝改善作用を応用した創薬研究、代謝障害疾患の新規治療ツールの開発等、に有用な新規技術を提供するものである。
【0081】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、などの代謝異常を示す諸疾患への新規予防/治療の開発を目的とした、動物を用いた研究(含、前臨床試験)が加速される。
【0082】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、ミトコンドリア病、および新生児心疾患、などのミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患への新規予防/治療の開発を目的とした、動物を用いた研究(含、前臨床試験)が加速される。
【0083】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張、などの皮膚の損傷を示す諸疾患への新規予防/治療の開発を目的とした、動物を用いた研究(含、前臨床試験)が加速される。
【0084】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、肥満/過体重、代謝症候群、2型糖尿病、などの代謝異常を示す諸疾患への新規予防/治療法の開発が加速する。
【0085】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、ミトコンドリア病、および新生児心疾患、などのミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患への新規予防/治療法の開発が加速する。
【0086】
本発明により、褐色脂肪細胞およびその上清を用いた、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張、などの皮膚の損傷を示す諸疾患への新規予防/治療法の開発が加速する。
【0087】
また本発明の褐色脂肪細胞およびその上清は、各種美容目的にも有用である。
【図面の簡単な説明】
【0088】
図1】「塩類と高濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製した褐色脂肪細胞上清(BA-SUP)の、マウス投与時の耐糖能向上作用。参考例4に記載の方法でヒトESCから作製した褐色脂肪細胞(BA)を、KRHバッファー(ブドウ糖16.8 mM含有)で16時間培養することでBA-SUPを調製した。10週齢のICR系統マウスの皮下に、KRHバッファー(ブドウ糖16.8 mM含有)またはBA-SUPを 500 ml投与し、16時間の絶食後に、空腹時血糖値、空腹時血清インスリン値、空腹時血中中性脂肪値を測定した(A)。インスリン抵抗性指標であるHOMA-IR値は、空腹時血糖値と空腹時インスリン値から計算した。また、経口的にブドウ糖液を投与し、15分後の血糖値と血清インスリン値を測定した(B)。
図2】「分化培地」で調製したBA-SUPの筋管細胞に対するGlut4/GLUT4発現誘導作用。マウス筋芽細胞株C2C12から分化誘導した成熟骨格筋細胞(筋管細胞)(A)、または、ヒト骨格筋細胞(B)に、参考例4に記載の分化培地(工程(B)用)をゼラチンコート皿で16時間培養して回収したもの(Control SUP)、または、分化培地でヒトESC由来BAを16時間培養して調製したBA-SUP、を添加して、16時間後に細胞からRNAを調製し、それぞれGlut4, GLUT4遺伝子の発現を定量的RT-PCR法により測定した。
図3】「塩類と高濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用。ヒトESC(KhES-3株)(A)、またはヒトiPSC(HUVEC由来、特許文献1、非特許文献19)(B) から作製したBAをKRHバッファー(16.8 mMブドウ糖含有)で16時間培養して調製したBA-SUP、またはKRHバッファー (16.8 mMブドウ糖含有)、をMIN6細胞に添加し、2時間後に細胞上清中のインスリン濃度をELISA法で測定した。なお、ELISA測定において、定量性のある領域に収まるよう、サンプルは適宜、希釈して測定しているため、異なる実験間でのインスリン値(ng/ml)の比較はできない。
図4】「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用。ヒトESC(KhES-3株)から作製したBAを、KRHバッファー(2.8 mMブドウ糖含有)で16時間培養して調製したBA-SUP、またはKRHバッファー (2.8 mMブドウ糖含有)、をMIN6細胞に添加し、2時間後に細胞上清中のインスリン濃度をELISA法で測定した。
図5】「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」のBA分化誘導技術。Essential 8培地とMatrigelTM Matrixコート皿を用いた無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)を剥離回収し、シングルセルに分散した後、低吸着96穴培養皿に一定数の細胞を播種し、参考例4の工程(A)用培地で8日間培養して細胞凝集体を作製した(A)。その後、参考例4の工程(B)用培地でさらに2日間培養してBAを作製した(B)。また、BA関連遺伝子の発現誘導状況を定量的RT-PCRで評価した(C)。参考例4に記載の、MEF上で維持しているKhES-3株、を用いた場合と遜色なくBA分化が誘導され、かつ、EN1陽性体節細胞、MYF5陽性筋芽細胞を介した「生体でのBA発生過程を正しく再現する分化誘導系」であることも確認された。
図6】「無フィーダー培養ヒトESC」から作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用。StemFitTM AK02Nとビトロネクチンコート皿で無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)を用いて図5と同様にして調製したヒトESC(KhES-3株)由来BAを、KRHバッファー(2.8 mMブドウ糖含有)で16時間培養して回収したBA-SUP、またはKRHバッファー (2.8 mMブドウ糖含有)をMIN6細胞に添加し、2時間後に細胞上清中のインスリン濃度をELISA法で測定した。BA-SUPの添加により、低ブドウ糖環境(50 mg/dLに相当)であるにもかかわらず、高ブドウ糖環境(300 mg/dLに相当)と同レベルのインスリン分泌が生じていることが解る。
図7】「無フィーダーヒト多能性幹細胞」の「サイトカインカクテル不含培地」を用いたBA分化誘導。
図8】「無フィーダー培養ヒトESC」から「無サイトカインカクテル培地」で作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用。縦軸は、インスリン濃度の比例値として得られる蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)に基づく蛍光強度を示す。
図9-1】「無フィーダーヒト多能性幹細胞」の「サイトカインカクテル不含最小必須培地」を用いたBA分化誘導。A: 分化誘導3日目の細胞凝集体の位相差顕微鏡写真(対物レンズ4倍)(KhES-3株)。B: BA関連遺伝子の経時的発現変化(GAPDHで補正した値)(KhES-3株)。C: サイトカインカクテル不含培地で分化誘導した10日目の細胞形態(ミトコンドリア(緑)、脂肪滴(赤)、核(青))(KhES-3株)。
図9-2】「無フィーダーヒト多能性幹細胞」の「サイトカインカクテル不含最小必須培地」を用いたBA分化誘導。D: サイトカインカクテルを構成する各サイトカインをコードする内在性遺伝子の経時的発現変化(KhES-3株)。E: BA関連遺伝子の経時的発現変化(GAPDHで補正した値)(KhES-1株)。F: サイトカインカクテル不含培地で分化誘導した10日目の細胞形態(ミトコンドリア(緑)、脂肪滴(赤)、核(青))(KhES-1株)。
図10】無フィーダーヒトESCから最小必要培地で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用。
図11】無フィーダーヒトESCから最小必要培地で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、膵ベータ細胞に対するブドウ糖取込亢進作用。
図12】「無フィーダーヒトESC」から「最小必要培地」を用いて浮遊培養のみの「1ステップ」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清の、インスリン分泌促進作用。
図13】無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、インスリン分泌促進活性に関する超遠心の影響。
図14】最小必要培地で分化誘導したBAの熱産生能(インビボ評価)。A, C:事前に臀部を脱毛マウスに皮膚切開創に、ゲルのみ移植(sham)またはBA包埋ゲル(BA移植)を注入した。48時間後に撮影したマウス写真。B, D: Isoproterenol投与6分後に撮影した赤外線カメラ写真。
図15】無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、ヒト骨格筋細胞(SkMC)のブドウ糖取り込みの促進作用を示す図である。
図16】無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPをビオチン化した際の、ヒト骨格筋細胞(SkMC)のブドウ糖取り込みの促進作用への影響を示す図である。
図17】無フィーダーヒトESCから作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、ヒト心筋細胞(CMC)のブドウ糖トランスポータ遺伝子(GLUT1)発現誘導効果と、ブドウ糖取り込みの促進作用を示す図である。
図18】無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPに存在する微粒子(超遠心沈降サンプル)中のミトコンドリア蛋白・遺伝子の発現を示す図である(2,000G=細胞の破片, 10,000G=マイクロ小胞, 160,000G=エキソソーム分画, SUP=培養上清)。
図19】フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「最小必要培地」で調製したBA-SUPを用いた創傷治癒アッセイ(wound-healing assay)を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0089】
以下に、本発明の実施形態を、図面に示す実施例等を基に説明する。なお、実施形態は下記の例示に限らず、本発明の趣旨から逸脱しない範囲で、前記文献など従来公知の技術を用いて適宜設計変更可能である。
【0090】
本発明は、褐色脂肪細胞の上清を含む組成物を提供する。当該上清および組成物は、糖代謝改善作用を有している。なお本発明において上清を含むとは、上清成分を含むことを言い、上清から水分や塩分が除去されたものを含む組成物であってもよい。すなわち本発明の上清を含む組成物は、上清またはその脱塩精製物を含む組成物が包含される。当該組成物は、褐色脂肪細胞に由来する、糖代謝改善作用を有する少なくとも1つ、好ましくは2つ以上、または3つ以上の成分を含み、薬学的に許容される担体または媒体をさらに含んでよい。
【0091】
本発明の褐色脂肪細胞上清は、所望の褐色脂肪細胞から取得することができるが、例えば多能性幹細胞由来の褐色脂肪細胞を用いることができる。本発明において多能性幹細胞は、褐色脂肪細胞を分化誘導可能な多能性を持った細胞であれば良い。典型的にはES細胞およびiPS細胞などのES様細胞が挙げられる。これらの細胞は、ES様細胞の指標であるアルカリホスファターゼを発現する細胞であってよい。ここでES様細胞とは、ES細胞と類似した性質および/または形態を有する多能性幹細胞を言う。また多能性幹細胞は長期間の継代が可能であり、例えば3日ごとの継代で15回以上、好ましくは20回以上、25回以上、30回以上、35回以上、または40回以上継代しても、増殖性が失なわれないことにより確認することができる。また多能性幹細胞は、好ましくは内在性のOCT3/4またはNanog、より好ましくはその両方を発現する。また多能性幹細胞は、好ましくはTERTを発現し、テロメラーゼ活性(テロメリックリピート配列を合成する活性)を示す。また多能性幹細胞は、好ましくは中胚葉に分化する能力を持ち、好ましくは三胚葉(内胚葉、中胚葉、外胚葉)に分化する能力(例えばテラトーマ形成および/または胚様体形成において確認できる)を持つ。より好ましくは、多能性幹細胞は、胚盤胞に移植することにより生殖系列キメラを生成する。Germline transmissionが可能な多能性幹細胞は、germline-competentな多能性幹細胞と言う。これらの表現型の確認は、周知の方法により実施することができる(WO2007/69666; Ichisaka T et al., Nature 448(7151):313-7, 2007)。
【0092】
具体的には、例えば多能性幹細胞には、胚性幹細胞(embryonic stem cells: ES細胞)、誘導性多能性幹細胞(induced pluripotent stem cells: iPS細胞)、精巣幹細胞、成体幹細胞、Muse細胞など、褐色脂肪細胞を分化誘導可能な多能性を持った細胞が包含される。
【0093】
ES細胞としては、褐色脂肪細胞を分化誘導可能な所望のES細胞を用いることができ、例えばKhES-1、KhES-2、およびKhES-3(Suemoriら、Biochem Biophys Res Commun 345:926-932,2006;Cellosaurus ID CVCL_B233;それぞれCellosaurus ID CVCL_B231, CVCL_B232, CVCL_B233;理研細胞バンク ID HES0001, HES0002, HES0003)が挙げられ、より好ましくはKhES-1およびKhES-3、最も好ましくはKhES-3が挙げられるが、これらに限定されるものではない。ES細胞としては、既に作製されているもの、および胚破壊を伴わずに作製されたものなどを使用することもできる。
【0094】
多能性幹細胞の入手方法及び樹立方法は公知である。例えば、ES細胞の場合、文部科学省から許可を得た上で、国内樹立機関(京都大学、国立成育医療研究センター)からの分与や、国外施設(私企業、大学等)からの分与または購入が可能である。またiPS細胞についても、当業者に知られた所望の方法で作製してよい。例えばセンダイウイルス(SeV)ベクターを用いる方法であれば、市販のヒト線維芽細胞などを、リプログラム因子発現ユニットを搭載したセンダイウイルスベクターが添加された培地で培養することで樹立することができる。リプログラム因子発現ユニットを搭載したセンダイウイルスベクターとしては、例えばCytoTuneTM-iPS(ID Pharma Co., Ltd.)などが挙げられる。レトロウイルスベクターを用いて作製したヒトiPS細胞は、理化学研究所バイオリソースセンターからの購入や、京都大学や国立成育医療研究センターからの分与を受けることも可能である。
【0095】
iPS細胞としても特に制限はなく、褐色脂肪細胞を分化誘導可能な所望のiPS細胞を用いることができ、由来は、線維芽細胞、血管内皮細胞、肝細胞など、特別な制限はないが、ゲノムに外来遺伝子が挿入されていないものが好ましい。
【0096】
褐色脂肪細胞(brown adipocyte: BA)は脂肪細胞のタイプの一つであり、形態学的、生理学的および/またはマーカー遺伝子の発現等により同定する方法はすでに知られている。典型的には褐色脂肪細胞は、多胞性脂肪滴を有していてよい。多胞性脂肪滴とは、細胞質に存在する複数の小さな球状の脂肪滴を意味し、光学顕微鏡的観察や電子顕微鏡的観察などにより存在が確認される。脂肪滴の数は、電子顕微鏡による観察に際して、核を含む断面における細胞切片の写真において、例えば5個以上、好ましくは10個以上、より好ましくは15個以上検出されることを目安とする。
【0097】
また、本発明の褐色脂肪細胞は、複数の梯子状クリステを有する縦に長く融合したひも状のミトコンドリアを、多胞性脂肪滴周囲に有してもよい。梯子状クリステを含有する縦に長く融合したひも状のミトコンドリアとは、ミトコンドリア同士が互いに長軸方向に融合して長くなり、あたかもひものような形態を呈しつつ、ミトコンドリア内部では長軸方向に対して鉛直に、内膜の端から端まで全周性に広がる円盤状のクリステが、互いに平行に密に並んでいるミトコンドリアを言う。
【0098】
また、本発明の褐色脂肪細胞は、褐色脂肪細胞マーカー遺伝子を発現していてもよい。褐色脂肪細胞マーカーとしては、例えばUCP1、PRDM16、PGC1α、Cyt-c、CIDE-A、ELOVL3、PPARα、EVA1、NTRK3などが知られている。本発明の褐色脂肪細胞はUCP1、PRDM16、PGC1α、Cyt-c、CIDE-A、ELOVL3、PPARα、EVA1、NTRK3からなる群より選択されるいずれか1個以上、2個以上、3個以上、4個以上、5個以上、またはすべての褐色脂肪細胞マーカー遺伝子を発現している。好ましくは本発明の褐色脂肪細胞はUCP1および/またはPRDM16陽性であり、より好ましくはPPARγも陽性である。マーカー遺伝子の発現誘導は、RT-PCRなどで確認することができる。
【0099】
また、本発明の褐色脂肪細胞は、脂肪を燃焼させる機能を有している。例えば褐色脂肪細胞は、脂質成分を細胞質内で多胞性脂肪滴として蓄えることで、総表面積の大きい状態で保持している。これらの脂肪滴の近傍には、電子伝達系による酸化的リン酸化が高活性であるミトコンドリアが、長軸方向に長く融合し、かつ内部に発達した梯子状クリステを持つ形態で多数存在している。更に本発明で作製される褐色脂肪細胞は、酸化的リン酸化で得られるエネルギーを熱エネルギーに変換するための遺伝子群を発現している。
そのため、本発明の褐色脂肪細胞は、環境中の脂質成分を積極的に取り込んで、これを燃焼・消失する効果を発揮する。
【0100】
また褐色脂肪細胞は、アドレナリンβ受容体アゴニストであるイソプロテレノールなどを添加した際に、PRDM16やUCP1などのミトコンドリア増幅や熱産生に関わる遺伝子の発現が上昇する作用を有していてもよい。
【0101】
褐色脂肪細胞の機能は、アドレナリンβ受容体アゴニストであるイソプロテレノールなどを添加した際に細胞温度が上昇すること、または、酸素消費量が増大すること、または、褐色脂肪細胞をマウスなどに移植して、これにアドレナリンβ受容体アゴニストであるイソプロテレノールなどを投与した際に、移植部の温度が上昇することにより確認できる。
【0102】
[褐色脂肪細胞の一般的調製]
本発明において褐色脂肪細胞の由来は特に限定されず、所望の単離または製造方法を用いて取得されたものであってよい。例えば、多能性幹細胞から製造された褐色脂肪細胞を用いることができる。多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞の製造方法は特に限定されず、例えば所望のインビトロの製造方法等で作製することができる。例えばサイトカインを用いて多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞を製造する場合、以下に示す工程(A)を含む方法により、多能性幹細胞から細胞凝集体を形成し、工程(B)を含む方法により細胞凝集体から褐色脂肪細胞を分化させることによって製造することができる。
(A)多能性幹細胞を、無血清環境において、造血性サイトカインの存在下で非接着培養を行い、細胞凝集体を作製する工程
(B)細胞凝集体を、造血性サイトカインの存在下で接着または非接着培養して、褐色脂肪細胞を作製する工程
【0103】
上記の褐色脂肪細胞の製造において用いる培地の基礎成分としては、適宜汎用の基礎培地を用いることができる。なお、無血清の環境とは、培地に牛胎仔血清などの血清を添加せずに培養することをいう。上記の方法においては、全工程において血清を添加する必要はなく、血清をいずれの工程においても全く添加せずに実施することができる。例えば、汎用の基礎培地としては、IMDM、IMDM/F12、DMEM、DMEM/F12、RPMIなどが挙げられるが、これに限定されるものではない。また、無血清培養用培地としてはエスクロンSF-B(EIDIA Co.,Ltd.)、エスクロンSF-03(EIDIA Co.,Ltd.)、ASF-104(AJINOMOTO CO.,Inc.)、ASF-104N(AJINOMOTO CO.,Inc.)、X-VIVO 10(Lonza group Ltd.)、X-VIVO 15(Lonza group Ltd.)などが挙げられる。好ましい基礎培地としては、IMDM、IMDM/F12、DMEM、DMEM/F12、RPMI、またはそれらの混合物などが挙げられ、特にIMDMとHam's F12の混合物、例えばIMDMとHam's F12を1:1で混合した培地(IMDM/F12)を好適に使用することができる。
【0104】
また培地には、適宜、ビタミン類(例えばアスコルビン酸)および/またはアミノ酸(例えばL-Glutamine)等を添加して培養してもよいが、添加しなくてもよい。また培地には、適宜、インスリン、トランスフェリン、アルブミンなどの蛋白成分や、血清代替品(GIBCOTM PFHM-II Protein-Free Hybridoma Medium、Life Technologies, Inc.等)を添加して培養してもよいが、添加しなくてもよい。特に、アルブミンなどの蛋白成分や、PFHM-IIなどの血清代替品は添加しなくてもよい。これらを添加する場合は、例えば5mg/ml牛血清アルブミン(BSA)、1%体積 合成脂質溶液(例えばLife Technologies,Inc.)、1%体積 x100インスリンートランスフェリンーセレン(ITS-A)(例えばLife Technologies,Inc.)、450μMα-monothioglycerol(MTG)(例えばSigma-Aldrich,Inc.)、2mM L-Glutamine(例えばLife Technologies,Inc.)、5%体積 GIBCOTM PFHM-II Protein-Free Hybridoma Medium (PFHII) (例えばLife Technologies, Inc.)、50μg/ml Ascorbic acidなどの濃度で添加することができる。これらは、いずれか1つまたは複数を添加してもよく、すべてを添加してもよい。
【0105】
ここで、工程(A)で用いる造血性サイトカインとしては、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、IGF2が挙げられ、特には、BMP4が好ましい。BMP4のみなど、1種のサイトカインを用いてもよいが、3種以上のサイトカインを混合して用いることもできる。更には6種の全てのサイトカインを混合して用いてもよい。
【0106】
用いる濃度は適宜決定してよい。例えば、BMP4 (1~50ng/ml、好ましくは10~30ng/ml)、VEGF(0.5~20ng/ml、好ましくは1~10ng/ml)、SCF(1~50ng/ml、好ましくは10~30ng/ml)、Flt3L(0.5~20ng/ml、好ましくは1~5ng/ml)、IL6(0.5~20ng/ml、好ましくは1~5ng/ml)、IGF2(0.5~20ng/ml、好ましくは1~10ng/ml)が挙げられるが、これに限定されるものではない。
【0107】
具体的な造血性サイトカインカクテルの一例としては、BMP4(20ng/ml)、VEGF(5ng/ml)、SCF(20ng/ml)、Flt3L(2.5 ng/ml)、IL6(2.5 ng/ml)、IGF2(5 ng/ml)が挙げられる。
【0108】
工程(A)における非接着培養としては、汎用の低吸着培養皿や半固形培地、ハンギングドロップ培養法、バイオリアクターによる回転培養などを用いて、細胞を培養皿底面に接着させることなく、培地中に浮遊した状態を保ちながら、培養装置(例えば、5% CO2インキュベータ内で37℃)で培養することが挙げられるが、これらに限定されない。浮遊培養に用いる低吸着培養容器としては、多能性幹細胞が容器底面に接着しないものであればよく、例えば、2-methacryloxyethyl phosphorylcholine(MPC)コート培養皿(Thermo Fisher Scientific Inc.)、Hydro cellTM (CellSeed Inc.)などが挙げられる。
【0109】
例えば、工程(A)においては、上記の細胞凝集体作製用培地を用いて、多能性幹細胞を汎用の低吸着培養容器などに入れ、容器底面に接着させずに培地中に浮遊させた状態を保ちながら、例えば、5%CO2インキュベータ内で37℃で8~10日間培養する。
その間、例えば、3日毎に培地の半量を新鮮なものと交換してもよい。培地交換の際には、例えば、低吸着培養容器を30度程傾けて1分ほど放置し、細胞凝集体が完全に沈むのを確認した上で、培養上清のみを半量ピペットで静かに吸い出した後、同量の新鮮な細胞凝集体作製用培地を添加し、低吸着培養容器全体を軽く揺すりながら細胞凝集体を均一に分散させるようにする。
【0110】
なお、多能性幹細胞からフィーダー細胞を分離・除去するためには、例えば、剥離液処理により回収された多能性幹細胞のけん濁液を、遠沈管内で30秒程度静置して多能性幹細胞のみを選択的に沈降させた上で、細胞凝集体作製用培地を用いて細胞を再度けん濁させてから、低吸着培養容器内で浮遊培養することが好ましい。
【0111】
工程(A)により、細胞凝集体が形成される。細胞凝集体とは、多能性幹細胞等を培地中に浮遊させた状態で培養することで形成される球状(または不定形)の細胞集塊であり、その大きさや組織構造は様々であってよく、また互いに連結されることがあってもよいものを意味する。
【0112】
多能性幹細胞由来細胞凝集体の多くは、内部が充満した球状またはそれに近い形態を呈するが、時には不定形を呈したり、互いに融合することもある。また稀に、内部が空洞状となる場合もある。大きさは、光学顕微鏡で確認されるレベル(直径100~300μm)から、肉眼で容易に確認できるもの(直径300~1000μm)まで様々である。
【0113】
工程(A)で生成した細胞凝集体の細胞について、工程(B)の培養を行う。工程(B)で用いられる培地は、工程(A)と同様であり、基礎培地や添加剤についても同様である。当該培養は、例えば無血清環境で行うことができる。工程(B)で用いる造血性サイトカインとしては、例えばBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、IGF2が挙げられ、特には、BMP7が好ましい。BMP7のみなど、1種のサイトカインを用いてもよいが、3種以上のサイトカインを混合して用いてもよく、更には6種の全てのサイトカインを混合して用いてもよい。
【0114】
用いる濃度は適宜決定してよい。例えば造血性サイトカインとして、BMP7(1~50ng/ml、好ましくは5~20ng/ml)、VEGF(0.5~20ng/ml、好ましくは1~10ng/ml)、SCF(1~50ng/ml、好ましくは10~30ng/ml)、Flt3L(0.5~20ng/ml、好ましくは1~5ng/ml)、IL6(0.5~20ng/ml、好ましくは1~5ng/ml)、IGF2(0.5~20ng/ml、好ましくは1~10ng/ml)が挙げられる、これらに限定されない。
【0115】
具体的な造血性サイトカインカクテルの一例としては、BMP7(10ng/ml)、VEGF(5ng/ml)、SCF(20ng/ml)、Flt3L(2.5ng/ml)、IL6(2.5ng/ml)、IGF2(5ng/ml)が挙げられる。
【0116】
工程(B)は接着培養でも非接着培養でもよい。細胞培養用容器は、一般に細胞培養に用いられるものであればいずれでもよく、汎用の細胞培養用容器を用いて行うことができる。工程(B)における接着または非接着培養としては、汎用の細胞培養用容器を用いて、これに直接かまたはコートした上に播種して、培養することが挙げられる。工程(B)で非接触培養を行う場合は、工程(A)に引き続いて培養を行うことができ、その場合は工程(A)の後で細胞を回収する必要は必ずしもない。その場合は、工程(A)と工程(B)は合わせて一つの工程となる。別の培養容器に移し替える場合は、工程(A)で生成した凝集体の細胞を回収し、別の容器に移し替えてもよい。
【0117】
分化誘導における培養条件は、用いられる多能性幹細胞の種類により適宜設定することができ、例えば、37℃、5%CO2インキュベータで1週間程度培養する。
【0118】
接着培養を行う場合、細胞接着性を高めるために、コート処理を施してもよい。コート処理には、例えば、0.1%ブタゼラチンなどの蛋白水溶液を培養容器内に入れて室温で10分程度放置する。また、汎用の細胞接着性を高めた培養容器(CorningTM CellBINDTM Surface、Corning Inc.等)を使用してもよい。なお、培養中に、3日毎程度で培地を新鮮なものに交換することが好ましい。
【0119】
典型的には、多能性幹細胞から多能性幹細胞由来褐色細胞を得るには、多能性幹細胞をマウス胎児線維芽細胞(MEF)などのフィーダー細胞から分離した後、BMP4を添加した細胞凝集体作製用培地を用いて、汎用の低吸着培養容器内で細胞を浮遊させた状態を保ちながら8~10日程度培養し、これにより作製された細胞凝集体を、BMP7を添加した褐色脂肪細胞分化培地を用いて、汎用の細胞培養容器またはこれをゼラチン等の蛋白成分でコートした容器内で培養する。これにより、多能性幹細胞から多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞の作製は10~15日程度で達成される。
【0120】
出発原料の多能性幹細胞とは、多能性を有する幹細胞を指し、例えば、ES細胞、iPS細胞、精巣幹細胞、成体幹細胞、Muse細胞などが挙げられる。多能性幹細胞は、ヒト多能性幹細胞であってよい。この場合、多能性幹細胞は、ヒトに由来し、多能性分化能を保持する細胞群である。これには、ヒトES細胞、ヒトiPS細胞、ヒト精巣幹細胞、ヒト成体幹細胞、ヒトMuse細胞などが含まれる。
【0121】
[褐色脂肪細胞の上清の調製]
本発明においては、上記のように製造された多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞等から褐色脂肪細胞の上清が調製される。上清の調製は、適宜公知の方法を用いて行ってよいが、本発明は、塩類バッファーを用いることによって、培養液に含まれるアミノ酸などの栄養成分やサイトカインなどの添加物を含まない上清を取得する方法を開発した。当該方法は、以下の工程を含む。
【0122】
(1)褐色脂肪細胞の培養液を、塩類バッファーと置換する工程、
(2)塩類バッファー中で当該褐色脂肪細胞を培養する工程、
(3)当該塩類バッファーを回収する工程。
【0123】
塩類バッファーには、アミノ酸やビタミン、タンパク質などが含まれないため、外因性の煩雑物を含まない褐色脂肪細胞上清を取得することができる。特に、こうして得られる褐色脂肪細胞上清は外因性サイトカインを含まないことから好ましい。
【0124】
塩類バッファーとしては特に制限はなく、細胞を懸濁することができる所望の塩類バッファーを用いることができる。具体的には、例えば所望のKrebs-Ringer液、例えば、Krebs-Ringer-Hepes(KRH)、Krebs-Ringer-Tris(KRT)、Krebs-Ringer Bicarbonate、Krebs-Ringer-Hepes-Bicarbonate(KRHB)、Krebs-Ringer-Tris Bicarbonate(KRTB)などが挙げられる。
【0125】
また好ましくは、塩類バッファーにはブドウ糖などの糖が含まれている(塩類ブドウ糖バッファー)。本発明においては、高濃度のブドウ糖を含む塩類ブドウ糖バッファーのみならず、低濃度のブドウ糖を含む塩類ブドウ糖バッファーを用いた場合でも、有意な代謝改善能を有する褐色脂肪細胞の上清が取得できることが判明した。ここで高濃度のブドウ糖とは、例えば10 mM以上、好ましくは11 mM以上、12 mM以上、13 mM以上、14 mM以上、15 mM以上、または16 mM以上であることを言う。また高濃度ブドウ糖は、例えば16.8mM、またはそれ以下であってよい。また、低濃度のブドウ糖とは、例えば10 mM未満、好ましくは9 mM未満、8 mM未満、7 mM未満、6 mM未満、5mM未満、4 mM未満、または3mM未満であることを言う。また低濃度ブドウ糖は、例えば2.8mMまたはそれ以上であってよい。本発明の塩類ブドウ糖バッファーは、好ましくは低濃度ブドウ糖を含む塩類ブドウ糖バッファーであり、具体的には、約2.8 mMのブドウ糖を含む塩類ブドウ糖バッファーである。ここで「約」とは、例えば±10%の範囲内、好ましくは±7%、±5%、または±3%の範囲内であることをいう。
【0126】
工程(2)において塩類ブドウ糖バッファー等と培養する時間は、適宜決定してよい。塩類ブドウ糖バッファーは栄養成分が乏しいために、長時間の培養では褐色脂肪細胞の生存性が低下して、上清の代謝改善作用は低下する可能性がある。一方、短時間の培養では十分な濃度の可溶性因子を含有する上清を調製することができない。そこで、代謝改善作用を持つ上清を回収するための、塩類ブドウ糖バッファーの基本組成(含、ブドウ糖濃度)と、最適な培養時間が決定される。例えば工程(2)の培養時間は3時間以上、4時間以上、5時間以上、8時間以上、10時間以上、12時間以上、15時間以上、16時間以上、20時間以上、24時間以上、36時間以上、48時間以上、60時間以上、72時間以上、84時間以上、96時間以上、100時間以上、108時間以上、または120時間以上であってよく、例えば10日以内、9日以内、8日以内、7日以内、6日以内、または5日以内であってよい。例えば5~72時間、6~60時間、7~48時間、8~36時間、9~24時間、12~24時間、13~20時間、または約16時間とすることができるが、これらに限定されない。
【0127】
本発明における、褐色脂肪細胞の上清の回収工程は、浮遊培養であれ、接着培養であれ、培養物から細胞成分と上清成分を分離できる手段であればよく、自然沈降、遠心沈降、フィルター処理、などが挙げられる。
【0128】
好ましい態様においては、本発明の褐色脂肪細胞の上清は、褐色脂肪細胞から分離されている上清である。例えば本発明の褐色脂肪細胞の上清は、生細胞を含まない上清であり、さらに好ましくは細胞(生細胞および死細胞を含む)を含まない上清である。
【0129】
また本発明の褐色脂肪細胞の上清は、ミトコンドリアなどの細胞小器官を含んでもよく、あるいは超遠心等によりそれらが単離または濃縮(沈殿画分)あるいは除去(上清画分)されたものでもよい。ミトコンドリアを含む本発明の褐色脂肪細胞上清は、高い呼吸能や活性酸素の消去作用を有しており、損傷治癒の促進作用を有している。また、本発明の褐色脂肪細胞またはその上清から、ミトコンドリアを効率的に取得することができる。ミトコンドリアの分離は、適宜公知の方法を用いることができ、例えば上述のとおり超遠心等により分離することができる。遠心処理する場合の加速度は適宜調整してよいが、例えば50KG以下、30KG以下、20KG以下、10KG以下、7KG以下、6KG以下、5KG以下、4KG以下、3KG以下、または2KG以下で行ってよい。例えば0.1~30KG、0.2~20KG、または0.3~10KGの範囲内で、適宜調整することができるが、これに限定されるものではない。
【0130】
[無フィーダー多能性幹細胞培養系]
また本発明は、無フィーダー系で維持培養されている多能性幹細胞から製造された褐色脂肪細胞を提供する。無フィーダー系の多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を調製することにより、フィーダー細胞やフィーダー細胞由来の成分の混入の懸念がなくなるため、より純粋な褐色脂肪細胞やその上清を調製することが可能となる。そのようにして調製された褐色脂肪細胞やその上清は、臨床応用にも適している。
【0131】
本発明における、多能性幹細胞の未分化維持のための無フィーダー培養系は、多能性幹細胞が未分化状態に維持されたまま継代増殖培養ができるものであれば、制限はない。例えば、培地としては、Essential 8 Medium (Thermo Fisher Scientific社)やStemFitTM (味の素ヘルシーサプライ株式会社)など、培養皿のコーティング剤は、GibcoTM Vitronectin Human Protein, Natural(Thermo Fisher Scientific社)やiMatrix-511(株式会社ニッピ)など、が挙げられる。
【0132】
これに限るものではないが、多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する手順を具体的に例示すれば以下の通りである(「StemFitTM AK02N オンフィーダーiPS細胞のフィーダーフリーへの移行」((株)iPSポータル; ips-guide.com/wp-content/themes/ips-guide/pdf/products/ak02n/AK02N_protocol04.pdf); TakahashiK, et al.Cell, 2007 Nov.30; 131(5): 861-72; Nakagawa M, et al. Scientific Reports4: 3594 (2014); 京都大学iPS研究所(CiRA)HP:「フィーダーフリーでのヒトiPS細胞の樹立および維持培養」(www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/research/images/protocol/pdf/hipsprotocolFf_140311.pdf))。
【0133】
I. 培地の準備
必要量のStemFitTM AK02N(Ajinomoto Co., Inc.)に培地の1/1000量の10 mM Y-27632(Rhoキナーゼ阻害剤)を加えてよく混合しておく(最終濃度10μM)(以下、AK02N+Yとする)。
II. 6-wellプレートのコーティング
1. PBS(-)で3.2μg/mLに希釈したLaminin-511 E8溶液(iMatrix-511)を、コートするウェルに1.5 mLずつ入れる(コート量は4.8μg/well(0.5 μg/cm2))。その際、まず必要量のPBS(-)を50 mLチューブなどに入れ、そこに3.2μg/mLになるようにLaminin-511 E8を加え、すぐによく混ぜた後、すみやかに各ウェルに1.5 mLずつ分注する。
2. 37℃、CO2 5%インキュベーターで60 min以上反応させ、反応後インキュベーターから取り出し、StemFitTM AK02Nを0.75 mL/wellずつ加え良くなじませた後、上清を除去する。その後、AK02N+Y培地を1.5 mL/well加え、15 min以上(最長で60 min)インキュベーターに入れておく。
III. 継代
1. 位相差顕微鏡で細胞を確認後、培地を除去し、PBS(-) 1 mLを加えて洗浄し、PBS(-)を除去する。CTK溶液(2.5% trypsin 5.0 mL、1.0 mg/mL collagenaseIV, 5.0 mL, 0.1M CaCl2, 0.5 mLおよびKSR 10 mLを蒸留水 30 mLに添加し調製する。)を600μL/wellずつ加えよくなじませ、室温で1~2分反応させ、フィーダー細胞をプレートから剥がす。PBS (-) 1 mLを加えて洗浄した後、PBSを除去し、0.5X TrypLETM Select を300μL/wellずつ加えよくなじませ、37℃、CO2 5%インキュベーターで反応させる(コロニー中心部の透過度が十分上昇したことを確認した後、次の作業に移る(細胞間接着が破壊され細胞1個1個が丸くなっている様子を確認する。)。その後、0.5X TrypLETM Select を除去する(この時点で細胞が剥がれている場合は2.に進む)。
2mL/well のPBS(-)で洗浄し、PBS(-)を除去し、StemFitTM AK02N+Yを1 mL/well加え、セルスクレーパーで細胞を剥がす。位相差顕微鏡で細胞が剥がれているか確認し、10回程度ピペッティングを行い新しいチューブに回収する(培地を加えて総量を1.5 mLにする。総量は適宜変更可能。)。その後、セルカウントを行い、13,000個の生細胞をLamininコーティングした6-wellプレート 1wellに播種する(細胞の接着が非常に強いので播種後すぐにプレートを揺らし均一に広げる)。37℃、CO2 5%インキュベーターで培養し、翌日、Y-27632の入っていないStemFitTM AK02Nに交換する。
【0134】
2.(途中で細胞が剥がれてしまった場合の続き)
StemFitTM AK02Nを700μL加え(合計1000μL)、ピペッティングを10回程度行い細胞をバラバラにする。800 rpm(160 x g)、22℃、5 minで遠心し、上清を除去してペレットをタッピングで崩し、StemFitTM AK02Nを1 mL/well加え、6回ピペッティングを行い細胞をバラバラにし、セルカウントを行う。その後、13,000個の生細胞をLamininコーティングした6-wellプレート1wellに播種する(細胞の接着が非常に強いので播種後すぐにプレートを揺らし均一に広げる)(使用するクローンにより播種量を調製する)。37℃、CO2 5%インキュベーターで培養し、翌日、Y-27632の入っていないStemFitTM AK02Nに交換する。
培地交換は継代翌日、それ以降は細胞密度が低いときは隔日もしくは2日おき、細胞密度が高いときは毎日培地交換を行うことが望ましい。細胞の継代は8日±1日を目途に行う。
【0135】
本発明の無フィーダー培養された多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞の製造方法は、以下の工程を含む。
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を、無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、無血清環境において培養し、褐色脂肪細胞を分化させる工程、
を含む方法。
【0136】
また、本発明の無フィーダー培養された多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞上清の製造方法は、上記工程に加え、
(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程、
を含む。
すなわち、本発明の無フィーダー培養された多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞上清の製造方法は、以下の工程を含む。
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を、無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる工程、
(3)工程(2)の細胞を、無血清環境において培養し、褐色脂肪細胞を分化させる工程、
(4)工程(3)の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程、
を含む方法。
【0137】
塩類バッファーは、上述のとおり特に制限はなく、KRH、KRT、KRHB、KRTBなどの細胞を懸濁することができる所望の塩類バッファーを用いることができる。また、塩類バッファーには好ましくはブドウ糖などの糖が含まれている。ブドウ糖の濃度は上記の通りである。また、工程(4)におけるバッファーとの培養時間も上記の通りである。
【0138】
無フィーダー培養された多能性幹細胞からの上記の褐色脂肪細胞上清の製造方法においては、工程(2)(細胞凝集体を形成工程)および(3)(褐色脂肪細胞を分化工程)において、それぞれ上述の工程(A)および(B)と同様にサイトカインカクテルを添加してもよい。その場合、工程(2)において添加されるサイトカインとしては、工程(A)と同様に、例えばBMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、IGF2などのサイトカインが挙げられ、特には、BMP4が好ましい。BMP4のみなど、1種のサイトカインを用いてもよいが、3種以上のサイトカインを混合して用いることもできる。更には6種の全てのサイトカインを混合して用いてもよい。また工程(3)において添加されるサイトカインとしては、工程(B)と同様に、例えばBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、IGF2が挙げられ、特には、BMP7が好ましい。BMP7のみなど、1種のサイトカインを用いてもよいが、3種以上のサイトカインを混合して用いてもよく、更には6種の全てのサイトカインを混合して用いてもよい。特に好ましいサイトカインの組み合わせや、サイトカインの濃度については工程(A)および工程(B)と同様である。
【0139】
工程(2)においては、工程(1)の細胞をシングルセル、またはそれに準じるレベルまで分散させ、それらの細胞から凝集体を形成させることができる。ここでシングルセルに準じるとは、例えば、細胞懸濁液中に含まれる細胞または細胞塊からなる粒子に含まれる平均細胞数が数個以下、好ましくは2,3個以下、2個以下、または2個未満であることをいい、例えば細胞懸濁液において、シングルセルの割合が2割以上、3割以上、4割以上、5割以上、6割以上、7割以上、8割以上、または9割以上であることを言う。
【0140】
培養期間は適宜調節することができるが、工程(2)においては例えば8~10日間培養することにより、細胞凝集体を生成させてよい。上記の工程(A)と同様、培地は定期的に適宜新しい培地に交換してよい。また工程(3)は、上記の工程(B)と同様で、接着培養であっても非接着培養であってもよく、期間は適宜調節できるが、例えば1週間程度培養してよい。
【0141】
上記の工程(B)と同様、工程(3)は接触培養でもよく非接触培養でもよい。非接触培養を行う場合は、工程(2)に引き続いて培養を行うことができ、その場合は工程(2)の後で細胞を回収する必要は必ずしもない。その場合は、工程(1)と工程(2)は合わせて一つの工程となる。別の培養容器に移し替える場合は、工程(2)で生成した凝集体の細胞を回収し、別の容器に移し替えればよい。
【0142】
なお次に記載するとおり、無フィーダー培養された多能性幹細胞を用いた場合、フィーダー培養された多能性幹細胞では必須であったサイトカイン添加することなく褐色脂肪細胞を生成させることができる。
【0143】
[サイトカインカクテルなしの褐色脂肪細胞の製造]
例えば本発明の無フィーダー培養された多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞を製造方法は、以下の工程を含む。
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養する工程、
(3)工程(2)の細胞を、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において培養する工程。
【0144】
[工程1]
まず工程(1)において、無フィーダーで培養された多能性幹細胞を準備する。無フィーダーにおける多能性幹細胞の維持培養は上記の通り適宜実施することができる。
【0145】
[工程2]
次に工程(1)の多能性幹細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加せずに無血清環境において非接着培養し、細胞凝集体を形成させる。
【0146】
本発明における、多能性幹細胞由来細胞凝集体の作製は、多能性幹細胞を、培養皿から剥離してシングルセル、またはそれに準じるレベルまで分散させた後に再凝集させる工程であればどのようなものでもよく、低吸着培養皿での培養、ハンギングドロップ培養法、バイオリアクターによる回転培養など、細胞凝集体が形成されるものであればよい。
【0147】
フィーダーで培養された多能性幹細胞を用いて細胞凝集体を形成させる場合、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルが添加されるが、無フィーダーで培養された多能性幹細胞を用いる場合、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルを添加する必要はない。したがって、上記の工程(2)においては、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加されない(すなわち、細胞は外因性のBMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2と共に培養されない)。
【0148】
細胞の生存性を高く維持したり、細胞凝集体の生成効率を上げたりするために、上記のサイトカインの幾つかを添加してもよいが、好ましい態様においては、工程(2)においては、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2からなる群より選択される2つまたは以上、より好ましくは3つまたは以上、4つまたは以上、5つまたは以上、より好ましくは6つすべてのサイトカインを添加しない。特に、悪液質の原因となるIL6および/または血管新生能を持つVEGFについては添加しないことができる。
【0149】
すなわち工程(2)の培地としては、血清もサイトカインも添加されていない最少必要培地を用いることができる。本発明における、多能性幹細胞の褐色脂肪細胞分化誘導に用いる「最小必要培地」を構成する基礎培地は、多能性幹細胞由来細胞凝集体が形成され、褐色脂肪細胞が作製されるものであればいずれの培地でもよい。用いられる培地は上記と同様であり、適宜汎用の基礎培地を用いることができ、例えば、汎用の基礎培地としては、IMDM、IMDM/F12、DMEM、DMEM/F12、RPMIなどが挙げられるが、これに限定されない。好ましい基礎培地としては、IMDM、IMDM/F12、DMEM、DMEM/F12、RPMI、またはそれらの混合物などが挙げられ、特にIMDMとHam's F12の混合物、例えばIMDMとHam's F12を1:1で混合した培地(IMDM/F12)を好適に使用することができる。また本方法においては、全工程において血清を添加する必要はなく、血清をいずれの工程においても全く添加せずに実施することができる。
【0150】
なお培地には、細胞生存性を高める効果があるとされるウシ血清アルブミン(BSA)、α-monothioglycerol (α-MTG)、および/またはprotein free hybridoma mix (PFHMII, Gibco #12040-077, Life Technologies, Inc.) などを添加してもよいが、これらを添加しない最少必要培地でも細胞凝集体は形成され、形成された細胞凝集体の細胞は褐色脂肪細胞に分化する能力を有している。したがって、動物由来蛋白であるBSAや、生理活性分子を含有するPFHM-IIなどを使うことなく、最少必要培地を用いて褐色脂肪細胞を製造することが可能である。なお培地には、インスリン、トランスフェリン、および/またはセリンを添加してもよい。例えばインスリンおよび/またはトランスフェリンを添加することができる。また培地には、ITS-A (Insulin-Transferrin-Selenium-Sodium Pyruvate) を添加してよい。添加量は適宜調節することができる。
【0151】
培養期間は適宜調節することができるが、例えば8~10日間培養することにより、細胞凝集体を生成させてよい。上記の工程(A)と同様、培地は定期的に適宜新しい培地に交換してよい。
【0152】
[工程3]
次に工程(2)で形成された細胞凝集体の細胞について、無血清環境において培養する。本工程における培養は、接着培養である必要はなく、接着培養であっても非接着培養であってもよい。非接触培養を行う場合は、工程(2)に引き続いて培養を行うことができ、その場合は工程(2)の後で細胞を回収する必要はないので、工程(2)と(3)は同一工程として実施することが可能であり、1ステップで多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を調製することが可能である。工程(3)において別の培養容器に移し替える場合は、工程(2)で生成した凝集体の細胞を回収し、別の容器に移し替えればよい。
【0153】
すなわち本発明は、1ステップで多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を製造する方法であって、無フィーダーで維持培養された多能性幹細胞を分散させ、無血清環境において非接着培養する工程、を含む方法に関する。当該工程の後に、接着培養を行う工程を含んでもよく、含まなくてもよい。接着培養を行う工程を含まない場合は、単に非接着培養を続ければよい。また、これらのいずれの工程においても、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルも、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルも添加されない。好ましくは、BMP4、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2のいずれのサイトカインも添加されない。より好ましい態様では、これらのいずれの工程においても、サイトカインは添加されない。すなわち本発明は、無フィーダー培養系を用いて、サイトカインを添加せずに(すなわち外因性サイトカインを用いずに)1ステップで多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を製造する方法を提供する。
【0154】
1ステップで多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を調製する場合、用いられる無血清培地に特に制限はないが、例えば脂質が添加された無血清培地を用いることが好ましい。また、褐色脂肪細胞への分化を促進するために、生成される細胞凝集体の大きさを適宜調整してもよい。例えば、好ましい凝集体のサイズは1500μm以下、例えば1200μm以下、1000μm以下、900μm以下、800μm以下、700μm以下、600μm以下、500μm以下、400μm以下、300μm以下、または200μm以下であってよい。凝集体のサイズは、培養器材の穴や窪みのサイズの調製等により制御することができる。
【0155】
細胞培養用容器は、一般に細胞培養に用いられるものを適宜用いることができる。接着培養する場合、細胞接着性を高めるために、コート処理を施してもよい。コート処理には、例えば上記のとおり、0.1%ブタゼラチンなどの蛋白水溶液を用いて行うことができる。また、汎用の細胞接着性を高めた培養容器(CorningTM CellBINDTM Surface、Corning Inc.等)を使用してもよい。
【0156】
非接着培養を行う場合は、汎用の低吸着培養皿や半固形培地などを用いて、細胞を培養皿底面に接着させることなく、培地中に浮遊した状態を保ちながら培養することができる。浮遊培養に用いる低吸着培養容器としては、細胞が容器底面に接着しないものであればよく、例えば低吸着培養皿での培養、ハンギングドロップ培養法、バイオリアクターによる回転培養などが挙げられる。
【0157】
フィーダーで培養された多能性幹細胞を用いて細胞凝集体を形成させる場合、この工程ではBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルが添加されるが、無フィーダーで培養された多能性幹細胞を用いる本工程の場合、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルを添加する必要はない。したがって、本工程(3)においては、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルは添加されない(すなわち、細胞は外因性のBMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2と共に培養されない)。
【0158】
細胞の生存性を高く維持したり、褐色脂肪細胞の生成効率を上げたりするために、上記のサイトカインの幾つかを添加してもよいが、好ましい態様においては、本工程(3)においては、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2からなる群より選択される2つまたは以上、より好ましくは3つまたは以上、4つまたは以上、5つまたは以上、より好ましくは6つすべてのサイトカインを添加しない。特に、悪液質の原因となるIL6および/または血管新生能を持つVEGFについては添加しないことができる。
【0159】
工程(2)および(3)のいずれにおいてもサイトカインを添加しない場合は、あるいは工程(2)および(3)で添加するサイトカインが同じである場合、工程(2)および(3)は、全く同一組成の培地(最少必要培地)を用いることができる。この場合、工程(2)および(3)は一つの工程(工程(2’))として実施することができる。この場合の本発明の無フィーダー培養された多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞を製造方法は、以下の工程を含む。
(1)多能性幹細胞を無フィーダーで維持培養する工程、
(2’)工程(1)の細胞を分散させ、BMP4、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルも、BMP7、VEGF、SCF、Flt3L、IL6、およびIGF2を含有するサイトカインカクテルも添加せずに無血清環境において非接着培養する工程。
上記の工程(2’)は、例えば工程(1)の細胞を分散させ、いずれのサイトカインも添加せずに無血清環境において非接着培養する工程であってよい。
【0160】
上記の一連の工程により、多能性幹細胞から褐色脂肪細胞を生成させることができる。褐色脂肪細胞の割合は、上記の通り脂肪滴の染色やマーカー遺伝子の発現測定などによって測定することができる。
【0161】
このようにして製造した無フィーダー系多能性幹細胞から生成した褐色脂肪細胞は、その生成過程で、フィーダー細胞などの異種細胞や外因性サイトカインに接触していないため、異種細胞や外因性の混入や影響のない極めて品質の高い褐色脂肪細胞となる。そして、この褐色脂肪細胞を用いて上清を調製することにより、同じく異種細胞由来の因子や外因性の混入物をまったく含まない品質の高い褐色脂肪細胞上清を取得することができる。
【0162】
[工程4]
当該褐色脂肪細胞の上清を塩類バッファーを用いて取得する方法は以下の工程を含む。
(4)工程(3)(または上記工程(2’))の褐色脂肪細胞を塩類バッファー中でインキュベートし、その上清を回収する工程。
【0163】
塩類バッファーは、上述のとおり特に制限はなく、KRH、KRT、KRHB、KRTBなどの細胞を懸濁することができる所望の塩類バッファーを用いることができる。また、塩類バッファーには好ましくはブドウ糖などの糖が含まれている。ブドウ糖の濃度は高濃度でも低濃度でもよいが、好ましくは低濃度ブドウ糖を含む。具体的な濃度は上記の通りであり、例えば0.5~5 mM、好ましくは0.5~5 mM、0.8~4 mM、0.9~3.5 mM、1~3.2 mM、1.5~3.0 mM、2~3 mM、例えば約2.8 mMのブドウ糖を含む塩類ブドウ糖バッファーを好適に用いることができる。
【0164】
また、バッファーとの培養時間も上記の通りであり、例えば上記工程(4)の培養時間は3時間以上、4時間以上、5時間以上、8時間以上、10時間以上、12時間以上、15時間以上、16時間以上、20時間以上、24時間以上、36時間以上、48時間以上、60時間以上、72時間以上、84時間以上、96時間以上、100時間以上、108時間以上、または120時間以上であってよく、例えば10日以内、9日以内、8日以内、7日以内、6日以内、または5日以内であってよい。例えば5~72時間、6~60時間、7~48時間、8~36時間、9~24時間、12~24時間、13~20時間、または約16時間とすることができるが、これらに限定されない。
【0165】
本発明における、褐色脂肪細胞の上清の回収工程は、工程(3)が浮遊培養であれ、接着培養であれ、培養物から細胞成分と上清成分を分離できる手段であればよく、自然沈降、遠心沈降、フィルター処理、などが挙げられる。上記工程(2’)も同様である。
【0166】
また、褐色脂肪細胞の一連の培養に用いる培養装置はどのような条件で使用してもよく、培養装置の種類、温度、湿度、酸素濃度、炭酸ガス濃度、などに制限はない。
【0167】
褐色脂肪細胞の上清は、適宜、脱塩処理や精製、濃縮などの処理を実施してもよい。
【0168】
本発明における褐色脂肪細胞の上清は、調製後はどのように保存してもよく、冷蔵保存、冷凍保存、凍結乾燥、など保存法に制限はない。
【0169】
また、本発明における褐色脂肪細胞の上清は、調製後はどのような溶質、どのような溶媒、を加えてもよい。例えば凍結乾固物をKRTBバッファーで溶解して使用することができるが、それに限定されない。
【0170】
また本発明における褐色脂肪細胞の上清は、適宜化学修飾を行ってもよい。そのような修飾は例えば標識、タグの付加、安定性の向上、活性の上昇などを目的として行ってよく、具体的にはビオチン化などを挙げることができる。本発明の褐色脂肪細胞の上清の活性は修飾を行っても維持される(実施例16)。例えば化学修飾を行う場合、上清成分の所望の官能基を修飾することができ、具体的にはアミノ基を修飾することができる。
【0171】
こうして得られた褐色脂肪細胞およびその上清およびその精製物は、実質上、異種動物細胞由来の混入物がないという優れた性質を有する。このようにして得られる褐色脂肪細胞、およびその上清およびその精製物は、そこに含まれる活性因子に関する基礎研究ツールとして、更には肥満や高脂血症などに対する療法ツールとしての使用が可能である。
【0172】
例えば本発明の褐色脂肪細胞またはその上清は、膵β細胞に対するインスリン分泌促進作用、膵β細胞や筋細胞に対するブドウ糖取込み促進作用およびブドウ糖トランスポーター遺伝子発現亢進作用、インビボにおける血糖降下作用、インスリン分泌促進作用、インスリン感受性亢進作用等を有する。特にインビボにおいて血糖値を低下させるほか、インスリン抵抗性指数であるHOMA-IR値も、上清の投与により低下させることができ、インスリン感受性を上昇させることができる。このように本発明の褐色脂肪細胞またはその上清およびその脱塩精製物は糖代謝改善作用を有することから、糖代謝改善が必要な各種病態や症状に対する治療および予防のために用いることができる。
【0173】
また本発明の褐色脂肪細胞またはその上清は、体重や体脂肪の増加の防止や減少、痩せ(部分痩せを含む)、体形改善等を目的とする各種美容目的にも有用である。
【0174】
例えば本発明は、肥満の予防または治療のための内科的療法または美容方法であって、前述の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を投与することを含む療法または方法を提供する。
【0175】
同様に、本発明は、インスリン抵抗性の改善、および/または、糖尿病または前糖尿病の予防または治療のための内科的療法であって、前述の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を投与することを含む療法を提供する。
【0176】
本発明の内科療法は、肥満の予防または治療、インスリン抵抗性の改善、糖尿病の予防または治療、高脂血症の予防または治療、造血を促進させるための治療、冠動脈のバイパス血行路を作製する手術のいずれかと併用する内科療法であって、前述の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を投与することを含む療法を包含する。
【0177】
また本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、肥満および/または過体重、代謝症候群、2型糖尿病、1型糖尿病(特に緩徐進行型1型糖尿病)などの代謝異常を示す諸疾患への予防および/または治療用組成物を提供する。また本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、体重や体脂肪の増加の防止や減少、痩せ(部分痩せを含む)、体形改善等を目的とする美容用組成物を提供する。
【0178】
また本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、ミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患に対する医薬用組成物を提供する。具体的には本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、ミトコンドリア病、および新生児心疾患、などのミトコンドリアの機能障害を示す諸疾患に対する予防および/または治療用組成物を提供する。
【0179】
また本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、皮膚の損傷を示す諸疾患に対する医薬用組成物を提供する。具体的には本発明は、本発明の褐色脂肪細胞あるいはその上清またはその精製物を有効成分とする、皮下出血、皮下出血による色素沈着、皮下の毛細血管拡張、などの皮膚の損傷を示す諸疾患に対する予防および/または治療用組成物を提供する。
【0180】
本発明の褐色脂肪細胞、その上清、および/またはその精製物を含む組成物は、適宜、薬学的に許容される担体または媒体を含んでよい。本発明の組成物は、医薬組成物、例えば、糖代謝改善のために用いる医薬組成物として用いられるほか、美容用組成物としても有用である。担体および媒体に特に制限はないが、例えば、水(例えば滅菌水)、生理食塩水(例えばリン酸緩衝生理食塩水)、グリコール、エタノール、グリセロール、ラクトース、スクロース、リン酸カルシウム、ゼラチン、デキストラン、寒天、ペクチン、オリーブオイル、ピーナッツ油、ゴマ油などのオイル等が挙げられ、乳化剤、懸濁剤、界面活性剤、緩衝剤、香味剤、希釈剤、保存剤、安定剤、賦形剤、ベヒクル、防腐剤等も挙げられる。
【0181】
例えば本発明の褐色脂肪細胞は、生理食塩水、培養液、または塩類バッファー等にに懸濁して組成物とすることができる。また細胞組成物は、ゲル、ゼリー、または固体などの基質・基材に包埋したり付着させたりしてもよい。そのような基質・基材としては、ヒドロゲル、ゼラチン、コラーゲン、ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、デルマタン硫酸、ケラチン硫酸、ヘパリン、ヘパリン硫酸、ガラクトサミノグリシロングリカン硫酸、グリコサミノグリカン、ムコ多糖類、アガロース、寒天、あるいはそれらの誘導体などが挙げられ、オステオネクチン、フィブリノーゲン、またはオステオカルシン等の生体分子などを含んでもよい。固体の基材と組み合わせる場合、その形状は特に制限されず、ビーズ、多孔質、スポンジ、ネット、糸または中空糸、またはシート状の素材を用いることができる。
【0182】
例えばフィブリンゲルに細胞を包埋し、生体への移植または注入用の組成物とすることができる。フィブリンゲルは、例えばフィブリノーゲン水溶液にトロンビンを加えることで調製することができる。フィブリノーゲン水溶液には、例えばI型コラーゲンやアプロチニンを加えてもよい。I型コラーゲンは、適宜中和したものを使用することができる。
【0183】
また本発明の上清またはその精製物を含む組成物については、適宜、水溶液、あるいは凍結乾燥物等として製剤化することができる。
【0184】
注射剤として製剤化するためには、注射用蒸留水等の担体を用いて処方することができる。注射用の水溶液としては、例えば生理食塩水、ブドウ糖、D-ソルビトール、D-マンノース、D-マンニトール、塩化ナトリウムなどのその他の成分を含む水溶液が挙げられる。また、アルコール、プロピレングリコール、ポリエチレングリコール、非イオン性界面活性剤等を含んでもよい。
【0185】
本発明の医薬組成物および美容用組成物は、好ましくは非経口投与により投与される。例えば、注射剤、経鼻投与剤、経肺投与剤、経皮投与剤等として製剤化することができる。投与は、例えば静脈内注射、筋肉内注射、腹腔内注射、皮下注射などにより全身または局部的に投与してよい。投与方法の詳細は、患者の年齢、症状により適宜選択され得る。投与量は、例えば、上清の乾燥物に換算して、一回につき体重1 kgあたり0.0001 mgから1000 mgの範囲に設定され得る。または、例えば、患者あたり0.001~100000 mgの投与量が設定され得るが、これに限定されない。また細胞を投与する場合は、例えば注入部位あたり1×102~1×108細胞、また注入箇所も一箇所から数か所、十数箇所、または数十箇所に投与することができるが、これに限定されない。当業者であれば、患者の体重、年齢、症状などを考慮し、適宜適当な投与量及び投与方法を決定することが可能である。
【0186】
本発明の細胞および上清は、所望の対象に投与することができる。投与対象は適宜選択することができるが、例えば哺乳動物、具体的にはマウス、ラット、モルモットなどのげっ歯類、ウシ、ブタ、ヤギ、ウサギなどの非げっ歯類動物、所望の霊長類、例えばサルなどの非ヒト霊長類、およびヒトが含まれる。
【実施例
【0187】
以下、実施例により本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれら実施例に制限されるものではない。また、本明細書中に引用された文献及びその他の参照は、すべて本明細書の一部として組み込まれる。
【0188】
[実施例1] 「塩類と高濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトESC由来褐色脂肪細胞上清を、マウスへ皮下投与した際の血糖降下作用:
マウス胎児線維芽細胞(MEF)上で維持培養しているヒトESC のKhES-3株(Suemoriら、Biochem Biophys Res Commun 345:926-932,2006)を用いて、[参考例4]に記載の方法で褐色脂肪細胞(brown adipocyte: BA)への分化誘導を行った。分化誘導10日目(8日間の浮遊後、半径6 cm培養皿で接着培養を行った2日目)の成熟BAから分化培地を除去し、16.8 mMブドウ糖を含有するKrebs-Ringer-HEPES (KRH)バッファー(NaCl:128 mM, KCl:5 mM, CaCl2 2.7 mM, MgSO4 1.2 mM, Na2HPO4:1 mM, HEPES(pH7.4):20 mM, Glucose 16.8 mM)を2ml 添加し、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養した後、上清を回収した(BA-SUP)。これを6匹の10週齢のICR系統マウスの皮下に注射した(12.5 μl/g体重)。以後はマウスを絶食させ、16時間後に尾静脈より採血し、空腹時の、血糖値、インスリン値、中性脂肪(TG)値を測定した。その後、ゾンデを用いて1g/kg のブドウ糖液を経口投与し、15分後の血中インスリン値を測定した。なおコントロールとして、体重換算にて等量(12.5 μl/g体重)の16.8 mMブドウ糖添加KRHバッファーを6匹のマウスに投与し、同様の実験を行った。
結果、BA-SUP投与マウス群では、コントロールマウス群と比較して、空腹時血糖値が有意に低下した(図1A、左)。またインスリン抵抗性指数であるHOMA-IR値(空腹時インスリン値(μU/ml) x空腹時血糖値(mg/dl)/405)値も有意に低下した(図1A、中)。以上、BA-SUP投与によりインスリン感受性は亢進することが示された。一方、空腹時TG値は両群で差を認めなかった(図1A、右)。ヒトESC(KhES-3株)由来BAをマウスに皮下移植すると、空腹時血糖値と空腹時TG値の両者が低下したことから(非特許文献19)、BAが発揮する代謝改善作用のうち、糖代謝の改善効果は、BAが分泌する可溶性因子BATokineの作用であり、脂質代謝の改善効果は、BAが血中から中性脂肪を取込み、それを燃焼したことによると考えられる。
以上、BAは、脂肪燃焼に基づく体熱産生とは独立に、BATokineを介して糖代謝改善の作用を発揮すると考えられる。なお、経口ブドウ糖負荷15分後の血中インスリン値がBA-SUP投与マウスで増加していたことから(図1B)、BA-SUPにはインスリン感受性亢進のみならず、インスリン分泌促進作用もあることが示唆される。
【0189】
[実施例2] 「BA分化培地」で調製したヒトESC由来BA上清の、骨格筋細胞に添加した際のブドウ糖トランスポータ遺伝子Glut4/GLUT4の発現誘導作用:
マウス胎児線維芽細胞(MEF)上で維持培養中のヒトESC(KhES-3株)を用い、[参考例4]に記載の方法でBAを作製した。そしてDay 10の成熟BAから分化培地を除去し、フレッシュな分化培地を添加した(培地交換)。さらに、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養後に上清を回収した(BA-SUP)。コントロールには、新鮮な分化培地を、ゼラチンコート皿を用いて炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で培養し、16時間後に回収したものをコントロール上清として用いた(Control SUP)。
【0190】
American Type Culture Collection(ATCC)から入手したマウス筋芽細胞株C2C12を用い、ATCCが推奨する方法に則り、96穴プレートで筋管細胞を作製し、次に培地を除去し、BA-SUPまたはControl SUPを添加し、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養を行った。その後、細胞を回収し、骨格筋細胞で機能するブドウ糖トランスポータ遺伝子であるGlut4、補正用コントロール遺伝子であるActin, beta (ACTB)の発現を、定量的RT-PCR法により測定した。
結果、BA-SUPを添加したことによりGlut4の発現量が有意に上昇した(図2A、左)。また、独立に行った実験において、補正用コントロール遺伝子としてGlyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase (GAPDH)を用いてGlut4発現量を測定した場合も同様の結果が得られた(図2A、右)。
【0191】
前段落に記載した方法で調製したBA-SUPを、ヒト骨格筋細胞(SkMC, タカラバイオ株式会社)に添加し、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養した後に、細胞を回収してGLUT4遺伝子、及び、補正用コントロール遺伝子としてGAPDH遺伝子、の発現を調べた。
結果、BA-SUPの添加によりGLUT4の発現が有意に上昇した(図2B)。
【0192】
[実施例3] 「塩類と高濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトESC/iPSC由来BA上清の、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用:
[実施例1]と同様にして、ヒトESC由来BAのSUPを調製した。即ち、MEF上で維持培養しているヒトESCからBAを分化誘導し(非特許文献19)、Day 10の成熟BAから分化培地を除去した後、16.8 mMブドウ糖を含有するKRHバッファーを添加し、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養後に上清を回収した。一方、マウス膵ベータ細胞株であるMIN6細胞(宮崎純一大阪大学産学連携本部特任教授(現在)より分与)を推奨法(Miyazakiら、Endocrinology 127: 126-132, 1990)にて96穴プレートで培養した。これをPBSバッファーでwashした後、2.8 mMブドウ糖含有KRHバッファーで1時間培養し(低ブドウ糖処理)、細胞上清を除去した後、BA-SUPをコントロールSUP(16.8 mMブドウ糖含有KRHバッファー)で1/10に希釈したもの、または、コントロールSUP、を添加して、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で2時間培養した。その後、MIN6細胞の上清中を回収し、インスリン濃度をELISA法(超高感度マウスインスリン測定キット、株式会社森永生科学研究所)で測定した。
結果、BA-SUP添加群では、コントロールSUP添加群に比較して、インスリン分泌量が有意に増加した(図3A)。
同様の結果は、ヒトiPSC(ヒト臍帯静脈内皮細胞HUVECから作製した株、特許文献1、非特許文献19)から作製したBAを用いて実施した検討においても得られた(図3B)。
【0193】
[実施例4] 「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトESC由来BA上清の、膵ベータ細胞に対するインスリン分泌促進作用:
[実施例1]と同様の手順により、ブドウ糖濃度の低い、ヒトESC細胞由来BA-SUPを調製した。即ち、MEF上で維持培養しているKhES-3株からBAを作製し、Day 10の成熟BAから分化培地を除去した後、2.8 mMブドウ糖を含有するKrebs-Ringer-TRIS-Bicarbonate (KRTB)バッファー(NaCl:119 mM, KCl:4.74 mM, CaCl2 1.19 mM, MgCl2 1.19 mM, KH2PO4:1.19 mM, NaHCO3:25 mM, TRIS(pH7.4):10 mM, Glucose 2.8 mM)を添加し、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養後に上清(BA-SUP)を回収した。コントロールとしては、2.8 mMブドウ糖含有KRHBバッファーを用い、[実施例3]と同様の手順により、MIN6細胞を用いてインスリン分泌への影響を評価した。
結果、BA-SUP添加群では、コントロールSUP添加群に比較して、インスリン分泌量が有意に増加した(図4)。
【0194】
[実施例5] 「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」のBA分化誘導:
Essential 8 Flex Medium Kit (Thermo Fisher Scientific社、米国)、及び、30倍希釈したCorningTM MatrigelTM Matrix (Corning社、米国)でコートした培養皿を用いて維持培養中のヒトESC(KhES-3株)を、剥離液(0.25% Trypsin, 1mg/ml Type IV Collagenase; 1 ml, 20% Knockout Serum Replacement (KSR)TM; 0.01 mM CaCl2/ PBS)を用いて回収し、ROCK阻害剤であるRevitaCellTM Supplement (x100) (Thermo Fisher Scientific 社)の存在下でTripLETM Express Enzyme (Thermo Fisher Scientific 社)を用いて細胞をシングルセルに分散したのち、PrimeSurfaceTM 96V well culture plate (住友ベークライト株式会社)の各ウェルに、2 x 104 cells - 6 x 104 cells/wellで細胞を播種し、[参考例4]に記載の細胞凝集物作製用培地を用いた培養によりスフィアを作製した(図5A)。Day 8にスフィアを回収し、コラーゲンI コートディッシュ(AGCテクノグラス社)でコートした培養皿を用いて、[参考例4]に記載の褐色脂肪細胞誘導培地で培養した。Day 10では、位相差顕微鏡では成熟BAに特徴的な多胞性脂肪滴が観察され(図5B左)、これらは脂肪染色剤であるOil Red Oで染色され(図5B中)、BAの熱産生能に関与するUCP1蛋白の発現が免疫染色で確認された(図5B右)。また、分化過程において経時的に細胞を回収して定量的RT-PCRを行ったところ、BA前駆体としての背側伸筋群筋芽細胞マーカーであるMYFがDay6(筋芽細胞の分化段階、非特許文献19)をピークとして誘導されること、BAと骨格筋細胞の2方向性分化能を持つ筋芽細胞からBAへの分化コミットメントに必要な転写因子EBF2及び転写調節因子PRDM16の分化後半における発現誘導、及び、脂肪細胞の成熟化(脂肪滴形成)に必要な転写因子PPARγの分化後期における発現誘導が確認された(図5C)。
【0195】
[実施例6] 「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」から作製したBAを用いて、「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清のインスリン分泌促進作用
StemFitTM AK02N(味の素ヘルシーサプライ株式会社)、及び、ビトロネクチン(Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, Truncated, A14700, Thermo Fisher Scientific 社)でコートした培養皿を用いて維持培養中のヒトESC(KhES-3株)を用いて、[実施例5]と同様の手順でBAへの分化誘導を行った。作製された成熟BAを用いて、[実施例4]と同じ手順で、「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」でSUPを調製した(BA-SUP)。このBA-SUPを用いて、[実施例4]と同様にして、MIN6細胞を用いてインスリン分泌に与える影響を調べた。
結果、BA-SUP(図6、黒カラム)は、高濃度インスリン刺激(図6、灰色カラム)と同程度にインスリン分泌促進能を発揮することが判明した(図6)。
【0196】
[実施例7] 「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」からの「サイトカインカクテル不含培地」を用いたBA分化誘導:
StemFitTM AK02N(味の素ヘルシーサプライ株式会社)、及び、ビトロネクチン(同上, Thermo Fisher Scientific 社)でコートした培養皿を用いて維持培養中のヒトESC(KhES-3株)を用いて、[実施例5]と同様の手順で剥離回収、及び、シングルセル分散を行い、これを96 well型のEZSPHERETM (AGCテクノグラス社)に1x105 cells/wellで播種して細胞凝集体を作製しBAへの分化誘導を行った。この際、[参考例4]に記載の細胞凝集物作製用培地、及び、褐色脂肪細胞誘導培地から、サイトカインカクテルを除去した培地を用いて分化誘導を行い、シングルセルに分散したヒトESCから作製したスフィアにおいて、ヒトESC自身が分泌するオートクリン/パラクリン因子群のシグナルにより、高い指向性を持って、自発的にBA分化が誘導される可能性を検証した。
結果、KhES-3株からは、サイトカインカクテル不含細胞凝集物作製用培地、及び、褐色脂肪細胞誘導培地を用いた場合も、細胞凝集体は従来法と同様に形成され、かつマーカーである、PRDM16, PPARγ, CEBPBの遺伝子発現は十分に誘導された(図7)。同様にヒトiPSC(BJ細胞由来)からサイトカインカクテルを除去した培地を用いて分化誘導を行なったところ、細胞凝集体が形成された。分化8日目の細胞のBAマーカーであるPRDM16遺伝子発現は未分化なiPSCの155倍に上昇した。
【0197】
[実施例8] 「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」からの「サイトカインカクテル不含培地」で誘導したBAを用いて、「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清のインスリン分泌促進作用:
[実施例7]と同様にしてhESC(KhES-3株)BAを作製し、[実施例6]と同様にして、「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」であるKrebs-Ringer-Tris-Bicarbonate (KRTB)バッファー(NaCl:119 mM, KCl:4.74 mM, CaCl2 1.19 mM, MgCl2 1.19 mM, KH2PO4:1.19 mM, NaHCO3:25 mM, Tris(pH7.4):10 mM, Glucose 2.8 mM)を用いてBA-SUPを調整した。これを用いて、[実施例4]と同様にして、MIN6細胞に添加して2時間後に上清中のインスリン量をInfiniteTM M1000 PRO(テカンジャパン株式会社)を用いて、New HTRFTM High Range Insulin Assay法で測定した。なお、陰性コントロールとして、低ブドウ糖(2.8 mM ブドウ糖)含有KRTBバッファー、高ブドウ糖(16.8 mM ブドウ糖)含有KRTBバッファー、を用いた。
結果、「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞からサイトカインカクテル不含培地で誘導した褐色脂肪細胞」から「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製した上清(BA-SUP)にもインスリン分泌促進活性を認めた(図8)。
【0198】
[実施例9] 「無フィーダー培養系で維持しているヒト多能性幹細胞」からの「サイトカインカクテル不含最小必要培地」を用いたBA分化誘導:
分化培地に含有される諸成分のうち、汎用の「無血清培地」において血清の効果を代替えするために添加され、細胞生存性を担保する効果があるとされている、ウシ血清アルブミン(BSA), α- monothioglycerol (α-MTG), protein free hybridoma mix (PFHMII, Gibco #12040-077, Life Technologies, Inc.)に関し、褐色脂肪細胞分化誘導に必須であるかどうか、これらを除去することで褐色脂肪細胞以外の細胞系列に分化した細胞を死滅させることができるか、を検討した。すなわち、[実施例7]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3, KhES-1株)からシングルセル分散操作を介してBA分化誘導を行い、 [実施例7]に記載の「サイトカインカクテル不含培地」と、ここからさらにBSA、α-MTG、PFHMIIを除去した培地、とを用いてBA分化誘導の状況を比較した。
結果、KhES-3株に関しては、これら成分を全て除去した培地(最小必要培地)を用いてBA分化誘導を行っても、サイトカイン含有培地を用いた場合と同様に細胞凝集体が形成され(図9A)、BAマーカーであるPRDM16, PPARγの発現もサイトカイン含有培地を用いた場合と遜色はなかった(図9B)。また、分化誘導10日目には、成熟BAに特徴的な細胞形態である、豊富なミトコンドリア(図9C、緑)、多胞性脂肪滴(図9C、赤)が観察された。なお、[参考例4]の方法において分化誘導培地に添加されていたサイトカイン(IL6, VEGF, BMP4, Flt-3L, SCF)をコードする遺伝子の発現を定量的RT-PCR法で測定したところ、分化過程でこれらの遺伝子の発現が誘導されることが判明した(図9D)。この結果から、「最小必要培地」を用いて分化誘導を行った際には、サイトカインカクテルに含有されるサイトカインをコードする内在性遺伝子の発現が誘導され、それらがautocrine/paracrineに機能したことで、外因性サイトカイン無添加の条件でもBA分化が誘導されたと考えられる。
次に、KhES-1株に関しても、最小必要培地を用いてBA分化誘導を行った。結果、BAマーカーであるPRDM16, PPARγの発現は、サイトカイン含有培地を用いた場合と遜色なく誘導され(図9E)、分化誘導10日目には、成熟BAに特徴的な細胞形態である、豊富なミトコンドリア(図9F、緑)、多胞性脂肪滴(図9F、赤)が観察された。
以上、試した2株のヒトESC(KhES-3株、khES-1株)の両者において、サイトカイン不含の最小必要培地でも、先願の技術において用いたサイトカインカクテル含有培地を用いた場合と同等にBA分化誘導が達成された。
【0199】
なお、本項で用いた最小必要培地の組成は以下である。
IMDM (I3390, Sigma Chemical社)とHam's F12 (087-08335, 富士フイルム和光純薬株式会社)の1対1混合培地, 1:100 Chemically Defined Lipid Concentrate (Gibco # 11905-031,Thermo Fisher Scientific社), 1:100 insulin-transferrin-selenium (ITS-A, Thermo Fisher Scientific社), 2 mM Glutamax II (L-alanine-L-glutamine dipeptide; Gibco #35050-061, Thermo Fisher Scientific社), 50 μg/ml ascorbic acid-2-phosphate (A-8960, Sigma Chemical社)
【0200】
[実施例10] 「無フィーダーヒトESC」から「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清の、インスリン分泌促進作用:
[実施例9]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から最小必要培地でBA分化誘導を行い、 [実施例8]と同様にして「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」によりBA-SUPを調整した。こうして調製したBA-SUPをMIN6細胞に添加し、[実施例8]と同様にして、インスリン分泌量をNew HTRFTM High Range Insulin Assay法で測定した。
結果、当該方法で調製したBA-SUPもインスリン分泌促進活性を認めた(図10)。
【0201】
[実施例11] 「無フィーダーヒトESC」から「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清の、膵ベータ細胞のブドウ糖取込促進作用:
[実施例10]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から最小必要培地で作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」でBA-SUPを調整した。これをMIN6細胞に添加し、ブドウ糖取込に与える影響をGlucose Uptake-GloTM Assay(プロメガ社)を用いて解析した。具体的には、96穴プレートに1.2 x 105のMIN6細胞を播種し、72時間の培養ののちに低ブドウ糖含有KRTBバッファー(ブドウ糖 2.8 mM)で2時間培養した後、培地を除去してBA-SUPまたはコントロールSUPを添加し、3時間後にPBSで3回washしてブドウ糖を洗い流した後、1 mMの2-デオキシグルコース(2-DG)を50 μl添加し、75分後にstop solution、続いてneutralizing solutionを添加し、ルミノアッセイ基質を添加してから60分後にルミノメータで発光量を測定した。
結果、BA-SUPの投与によりMIN6細胞のブドウ糖取込能は亢進した(図11A)。
【0202】
[実施例12] 「無フィーダーヒトESC」から「最小必要培地」を用いて浮遊培養のみの「1ステップ」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したヒトBA上清の、インスリン分泌促進作用:
StemFitTM AK02N(味の素ヘルシーサプライ株式会社)、及び、ビトロネクチンでコートした培養皿を用いて維持培養中のヒトESC(KhES-3株)を用いて、[実施例7]と同様の手順で、剥離回収、及び、シングルセル分散を行ったのち、これを最小必要培地に3x105 cells/mlの密度で浮遊させ、30mLシングルユースバイオリアクター(BWV-S03A、エイブル株式会社)を用いて、炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内部に設置した6チャンネルマグネチックスターラー(BWS-S03N0S-6、エイブル株式会社)の上で、55回転/分の速度で回転培養した。培地(最小必要培地)は2日毎に半量をフレッシュなものに交換しながら10日間培養した後、10 mlの[実施例8]に記載の「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」でwashしたのち、[実施例8]に記載の「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」7.5 ml に懸濁し、Nunclon 60 mm dish (non-coated) 5枚へ播種(1.5 ml/dish)して炭酸ガス培養装置(37℃、5% CO2)内で16時間培養したのち、細胞を遠心分離してBA-SUPを調整した。このBA-SUPを用いて、[実施例4]と同様にして、MIN6細胞を用いてインスリン分泌に与える影響を調べた。一方で、[実施例7]と同様に、EZSPHERETM (AGCテクノグラス社)を用いて最小必要培地で作製した細胞凝集体をコラーゲンI コートディッシュ(AGCテクノグラス社)で接着培養してBA分化誘導し、[実施例8]に記載の「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」で調製したBA-SUPも調製し、[実施例4]と同様にして、MIN6細胞を用いてインスリン分泌に与える影響を調べた。
結果、バイオリアクターを用いて全工程を浮遊培養で調製したBA-SUPと、浮遊培養と接着培養の2種類の培養工程を介して調製したBA-SUPとに、インスリン分泌促進活性の差異は認めなかった(図12)。
【0203】
[実施例13] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、インスリン分泌促進活性に関する超遠心の影響:
[実施例12]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から最小必要培地でBA分化誘導を行い、 「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー」によりBA-SUPを調整した。また、一部のBA-SUPは、160,000Gで超遠心処理を行い、上澄み成分と沈降物成分(ペレット)に分けて回収し、MIN6細胞を用いてインスリン分泌に与える影響を調べた。
結果、BA-SUPのインスリン分泌促進活性の大部分は、160,000G超遠心処理後はその上澄み成分に回収された(図13)。しかし、ごく少量ではあるが160,000G超遠心処理後のペレット成分(エキソソーム画分)にもインスリン分泌促進活性が認められた(図13)。以上より、BA-SUP中のインスリン分泌促進活性の主たる作用は可溶性因子BATokine(狭義のBATokine)によるものであるが、少量ながらエキソソーム性BATokine(広義のBATokine)もBA-SUPに存在することが示唆された。またこの結果は、BA-SUP中には、代謝改善作用を持つ複数の異なる生理活性因子が存在していることを示唆している。
【0204】
[実施例14] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAのインビボでの熱産生能の評価:
StemFitTMとiMatrix-511コート皿を用いた無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-1株)、及び、ヒトiPS(201B7株)を回収して最小必要培地に懸濁した。これを、ElplasiaTM 3D Discovery tool (株式会社クラレ)に1.8x105 cells/well(i.e. 2x103 cells/spheroid)の密度で播種した。以後は、培地を2日ごとに、フレッシュな最小必要培地で半量交換しながら、接着培養なしの「1ステップ」でBA分化誘導を行なった。Day 11に細胞を回収し、PBSで1回洗った後でペレットダウンした状態で氷冷し、フィブリンゲル30μlに包埋した。ここでフィブリンゲルは、フィブリノーゲン (Fibrinogen from bovine plasma Type I-S、シグマアルドリッチ社、品番F8630)の水溶液(2.8 mg/ml)を89.3μlに、中和したI型コラーゲン液(3.0 mg/ml)(Collagen Type I Rat Tail、コーニング社、品番354236)を6.7μlと、アプロチニン液(Aprotinin from bovine lung saline solution、シグマアルドリッチ社、品番 A6279)を3μlを加えた溶液を99μl調整後、50 U/mlのトロンビン溶液(Thrombin from bovine plasma lyophilized powder、シグマアルドリッチ社、品番T4648)を1μl加えることで調製した。なお、中和I型コラーゲン液は、5.55μlのコラーゲン液に1.15μlの中和液(0.67μl 10XPBS + 0.13μl 1N NaOH + 0.35μl 蒸留水)を混合したものである。このフィブリンゲル液30μlを細胞ペレットが入った氷冷チューブに加えてよく懸濁することで「BAが包埋されたゲル」を作製した。なおコントロールとしては細胞ペレットなしチューブにフィブリンゲル液30μlを入れたゲルを作製した。これらのゲルを、非特許文献19に記載の方法に則ってマウスに移植してインビボでの熱産生能を評価した。具体的には、事前に臀部を脱毛処理したICR系統マウスに「フィブリンゲル」または「BAが包埋されたフィブリンゲル」を、右臀部に開けた5 mmの皮膚切開部(図14A, 14C、矢印)からP1000チップを用いて注入し(注:フィブリンゲルの特性から、ゲルは切開創から皮下組織を伝わり臀部皮下組織に広く進展する)、48時間後に交感神経受容体アゴニストisoproterenolを腹腔内に投与し、6分後に臀部を中心としてマウスを赤外線カメラで撮影した。
結果、BA包埋ゲルを移植したマウスでは、ゲルのみを移植したマウスよりも、isoproterenol投与後に臀部の皮膚温が顕著に上昇した(図14B, 14D)。
以上、「最小必要培地」で作製したBAは、インビボで熱産生能を発揮する「機能的BA」であることが確認された。
【0205】
[実施例15] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、ヒト骨格筋細胞(SkMC)のブドウ糖取り込みの促進作用:
[実施例10]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から細胞必要培地でBA分化誘導を行い、「塩類と低濃度(2.8 mM)ブドウ糖のみを含有するバッファー(KRTB)」を用いてBA-SUPを調製した。そして、ヒト骨格筋細胞(SkMC)(CC-2561、Lonza社)のブドウ糖取り込みに与える影響を、専用のキット(Glucose Uptake-GloTM Assay,J1342、Promega社)を用いて評価した。具体的手順は以下の通りである。
継代数4のSkMCをSkGM-2TM Bullet KitTM(Lonza社)を用いて24ウェルプレートに播種し(105 cells/well)、5%炭酸ガス培養装置内で37℃にて培養した。8日後、細胞をPBS 0.5 mlでwashし、KRTBまたはBA-SUP 500μlに培地を置換して3時間培養した。その後、細胞をPBS 0.5 ml でwash し、PBSに溶解した1 mM 2-デオキシグルコース(2-DG,040-06481, 富士フィルム和光純薬株式会社)0.25 ml を添加し、さらに10分間培養した後、125μlのstop solution(キットに添付)を添加した。その後、細胞を回収して溶解し、説明書に従ってブドウ糖取り込み能を測定した。ブドウ糖取り込み能は、細胞溶解液とキットで処理することで生じるルシフェリンの蛍光値を、細胞溶解液のタンパク量で補正した値(Luminescence/protein)で評価した。なお、タンパク量はBCA assay (T9300A、タカラバイオ株式会社)で測定した。また、ブドウ糖取り込み促進作用に関するポジティブコントロール実験として、ブドウ糖不含DMEM培地(09891-25、ナカライテスク株式会社)、及び、ブドウ糖不含DMEM 培地に1 mM insulin (I9278, Sigma-Aldrich社)を添加したもの、についてGlucose Uptake-GloTM Assayを行なった。
結果、SkMCをBA-SUPで培養すると、KRTBで培養した際に比べて、ブドウ糖取り込みは促進され、その程度は1 mM insulinの効果と同様であった(図15)。以上より、BA-SUPにはヒト骨格筋細胞のブドウ糖取り込み能促進作用があることが示された。
【0206】
[実施例16] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPをビオチン化した際の、ヒト骨格筋細胞(SkMC)のブドウ糖取り込みの促進作用:
[実施例15]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から細胞必要培地でBA分化誘導を行い、「塩類と低濃度(2.8 mM)ブドウ糖のみを含有するバッファー(KRTB)」を用いてBA-SUPを調製した。そして、1 mlのBA-SUP、または1 mlのKRTB (2.8 mMブドウ糖含有) を凍結乾燥し、蒸留水900μlに溶解した後、脱塩カラムであるPD MiniTrap G-10(GEヘルスケア・ジャパン株式会社)にアプライした。そして500μl PBSで溶出した後、BCA assayによりタンパク量を測定したうえで、アミノ基ビオチン化キットであるEZ-LinkTM Sulfo-NHS-LC-Biotinylation Kit(Thermo Fisher Scientific社)を用いて、取り扱い説明書の指示に従ってビオチン化反応を行なった。その後、反応サンプルから300μlを回収してPD MiniTrap G-10にアプライした後、500μlのブドウ糖不含DMEM培地(09891-25、ナカライテスク株式会社) で溶出し、うち200μlを凍結乾燥した。そして、実施例15と同様にして、 SkMCへのブドウ糖取り込みに与える影響を評価した。なお、アッセイに用いた量は、BA-SUP 480μlに相当し、実施例15で示した実験とほぼ同様の条件である。
結果、BA-SUP中の多くの蛋白がビオチン化されていることが、ストレプトアビジンを用いたブロットにより確認された(図16A)。また、ビオチン化を施した後も、SkMCに対して、1 mM insulinと同等のブドウ糖取り込み促進作用を示すことが確認された(図16B)。以上より、BA-SUP中に存在する蛋白のビオチン化操作を施しても、ブドウ糖取り込み促進作用は保持されることが判明した。
【0207】
[実施例17] 無フィーダーヒトESCから作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPの、ヒト心筋細胞のブドウ糖取り込みの促進作用:
[実施例6]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から必要培地でBA分化誘導を行い、「塩類と低濃度ブドウ糖のみを含有するバッファー(KRTB)」を用いてBA-SUPを調製した。そして、ヒト心筋細胞(Human Cardiac Myocytes; HCM)のブドウ糖取り込みに与える影響を、専用のキット(Glucose Uptake-GloTM Assay,J1342、Promega社)を用いて評価した。具体的手順は以下の通りである。
HCM(C-12810、Promocell社)をMyocyte Growth Medium Kit (C-22170、Promocell社)を用いて12穴プレートに播種し(5x104 cells/well)、5%炭酸ガス培養装置内で37℃にて培養した。7日後、培地をブドウ糖不含DMEM培地(09891-25、ナカライテスク株式会社) 1ml に置換し、5%炭酸ガス培養装置内で37℃にて3.5時間培養した後、KRTB(2.5m ブドウ糖含有)で3回 washしたのち、1)KRTB(2.5m ブドウ糖含有) 1ml 、2)KRTB(2.5m ブドウ糖含有)に100 nM Insulinを添加したもの 1ml、または、3)KRTB(2.5m ブドウ糖含有) 0.5 ml と BA-SUP 0.5 mlを混合したもの、を用いて、5%炭酸ガス培養装置内で37℃にて2.5時間、HCMを培養した。その後、それぞれの細胞に10μlの1mM 2-DG を添加して 0.5時間培養したのち、PBS 3mlで 3回 washしたのち、細胞を回収して、実施例15と同様にしてHCMのブドウ糖取り込み能を評価した。
結果、BA-SUPは100 nM Insulinと同等またはそれ以上に、HCMのブドウ糖取り込みを促進することが判明した(図17A)。また、回収したHCMを用いて、心筋細胞における主たるブドウ糖トランスポータであるGLUT1の発現を定量的RT-PCRで測定した。結果、BA-SUPは100 nM Insulinと同等またはそれ以上にGLUT1の発現を上昇させることが判明した(図17B)。以上より、BA-SUPは、心筋細胞に対してGLUT1発現を誘導することで、ブドウ糖取り込みを促進することが考えられた。
【0208】
[実施例18] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを用いて「塩類と低濃度ブドウ糖のみ含有するバッファー」で調製したBA-SUPからの、ミトコンドリア含有微粒子の回収:
[実施例15]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から細胞必要培地でBA分化誘導を行い、「塩類と低濃度(2.8 mM)ブドウ糖のみを含有するバッファー(KRTB)」を用いてBA-SUPを調製した。BA-SUP中に含まれる微粒子を、段階的な超遠心操作により回収し、ミトコンドリアの含有の有無を調べた。具体的手順は以下の通りである。
BA-SUPを2 KG(Gは重力加速度)遠心力で超遠心処理し、その上澄みを再度、10 KGで超遠心処理し、その上澄みを再度、160 KG の遠心力で超遠心処理した。それぞれの超遠心処理の沈降画分を回収し、Human Mitochondrial DNA Monitoring Primer Set (タカラバイオ株式会社)を用いたqPCRによりミトコンドリア含有の有無を評価した。
結果、2 KG、10 KGの超遠心処理で沈降した分画にミトコンドリアの存在が確認された(図18A, 18B)。また、0.3 KG、2 KG、10 KG、160 KGの段階的超遠心処理で回収された沈降画分を用いて、エキソソームマーカー(CD9, CD81)、微粒子として細胞外に分泌されることが知られるHSP70とβ-actinとともに、ミトコンドリアマーカー蛋白であるATP5Aに対する抗体を用いてWestern blottingを行なった。結果、0.3 KG、2 KG、10 KGの超遠心処理で沈降した分画にミトコンドリア由来蛋白ATP5Aの存在が確認された(図18C)。
以上より、BA-SUPを10 KG以下の加速度で遠心処理して沈降分画を回収することで、効率よくミトコンドリア含有微粒子が回収できることが判明した。
【0209】
[実施例19] 無フィーダーヒトESCから「最小必要培地」で作製したBAを用いて調製したBA-SUPの、wound-healing assayによる損傷治癒能の評価:
[実施例15]と同様にして、無フィーダー培養系で維持しているヒトESC(KhES-3株)から最小必要培地を用いてBA分化誘導を行った。分化誘導8日めに接着培養に移行し、フレッシュな最小必要培地に交換した。さらに2日間、5%炭酸ガスインキュベータ内にて37℃で培養した後、分化誘導10日めに培養上清を回収した。これを300 Gで遠心して細胞破片を除去した後、さらに160, 000 Gで超遠心処理を行い、沈降物(微粒子画)を除去することで得られた上澄みをBA-SUPとした。ネガティブ・コントロールとしては、最小必要培地を300 Gで遠心した後、さらに160, 000 Gで超遠心処理を行い、沈降物(微粒子画)を除去することで得られた上澄みを用いた。
一方、ヒト臍帯静脈内皮細胞(Human Umbilical Vein Endothelial Cells: HUVEC)を専用培地(EGMTM-2 Endothelial Cell Growth Medium-2 BulletKitTM、タカラバイオ株式会社)を用いて12穴プレートにて培養した。細胞がコンフルエントに達したら、1000μlプラスチックチップを用いて、プレート中央部の細胞を線状に剥離した(Woundの形成)。PBSでwash後、位相差顕微鏡で細胞写真を撮影し、最小必要培地またはBA-SUP(いずれも超遠心処理により微粒子画分を除去したもの)を各々600μlずつ細胞に添加した。5%炭酸ガスインキュベーター内で37℃にて16時間培養した後、wound(損傷)を形成した箇所の写真を再撮影し、細胞で被覆されないプレート底面部(損傷部)の面積を培養前後で比較した。
結果、プラスチックチップを用いた掻爬により形成した剥離部は、最小要培地またはBA-SUPでの培養した後には縮小していくが(図19左)、その縮小率(損傷治癒能)はBA-SUP添加サンプルで有意に高かった(図19右)、
以上、BA-SUPは、血管内皮膚細胞の損傷治癒能を亢進することが判明した。
【0210】
[参考例1] センダイウイルスベクターを用いたヒト人工多能性幹細胞の誘導:
ヒト臍帯静脈内皮細胞 (HUVEC)(Lonza group Ltd.)2.5x105個/wellを、0.1%ブタゼラチンでコートした6穴型培養プレートの上に播種し、EGM-2培地(Lonza group Ltd.)を用いて、37℃、5%CO2インキュベータにて培養した。培養後、MOI=3の濃度の下記(a)~(d)のベクターを培養した細胞に感染させた(WO2010/008054)。
(a)SeV18+OCT3/4/TSΔFベクター
(b)SeV18+SOX2/TSΔFベクター
(c)SeV18+KLF4/TSΔFベクター
(d)SeV(HNL)c-MYC/TS15ΔFベクター
【0211】
ベクターを感染後、翌日に10%FBS含有DMEMで培地交換を行った。その後、6日間、37℃、5%CO2インキュベータにて培養した。次いで、ゼラチンコート10cm培養皿に用意したX線照射処理済みのマウス胎児線維芽細胞(MEF)6.0×105(個)の上で、Accutase(Innovative Cell Technologies, Inc.)で剥がした導入細胞を9.0×105~1.5×106(個)培養した。翌日、10%FBS含有DMEMから霊長類ES細胞用培地(ReproCELL Inc.)(5ng/mlになるようFGF2を添加した)に培地交換し、3%CO2インキュベータで培養した。培地交換は毎日行った。
【0212】
培養数日後にコロニーが現れ、20日程度培養することで、ヒト胚性幹細胞様のコロニーが出現した。誘導前のHUVECと明らかに異なるヒト胚性幹細胞に見られるのと同様の扁平なコロニーが見られた。このヒト胚性幹細胞様のコロニーは、従来報告されている外観のものと同様であった。
【0213】
これらのコロニーを、マイクロピペットで単離した後、新しいMEF上で培養した。そして、ヒト多能性幹細胞用剥離液(0.25% trypsin(Life Technologies,Inc.)、1mg/ml collagenase IV(Wako Pure Chemical Industries,Ltd.)20% KnockOutTM Serum Replacement(Life Technologies,Inc.)1mM CaCl2)を用いた剥離操作を介して、安定した継代・増殖培養が可能であった。
【0214】
[参考例2] SeVベクター由来外来遺伝子の除去:
参考例1で得られたSeV-iPS細胞よりSeVベクター由来外来遺伝子が除去された株を得るためにクローニングを行った。
SeVベクター由来外来遺伝子の除去の目安として、抗SeV抗体(DNAVEC Corporation)による免疫染色を行った。SeV-iPS細胞を10%マイルドホルム(Wako Pure Chemical Industries,Ltd.)で固定し、一次抗体として抗SeV抗体、二次抗体としてAlexa Fluor 488標識抗ウサギIgG抗体(Life Technologies,Inc.)を用いた染色を行った後、蛍光顕微鏡による観察を行った。
【0215】
更に、transgenes(OCT3/4, SOX2, KLF4, cMYC)及びSeVゲノムを検出するためにRT-PCRを行った。その結果、参考例1で得られたSeV-iPS細胞株は、SeV抗原陰性であり、SeVベクター由来外来遺伝子を保持しないことが確認された。
【0216】
[参考例3] ヒト胚性幹細胞及びヒト人工多能性幹細胞の維持培養:
ヒト胚性幹細胞(KhES-3)は京都大学・再生医科学研究所より供与されたものを用いた。KhES-3、及び参考例1に記載のSeV-iPS細胞株は、X線照射処理済みのMEF上で、20% Knockout Serum Replacement(KSR)(Life Technologies, Inc.)、5ng/ml FGF2、1% non-essential amino acids solution、100μM 2-mercaptethanol、2mM L-glutamine含有DMEM/F12(Life Technologies, Inc.)培地を用いて維持培養を行った。
【0217】
[参考例4] ヒト胚性幹細胞及びヒト人工多能性幹細胞からの褐色脂肪細胞誘導:
褐色脂肪細胞への分化誘導にあたっては、まずKhES-3及びSeV-iPS細胞株からMEFを分離・除去するため、剥離液処理により回収された多能性幹細胞の浮遊液を、遠沈管内で30秒程度静置することで多能性幹細胞のみを選択的に沈降させた。
【0218】
褐色脂肪細胞への分化誘導は次の2段階の工程で行った。
(1)工程A
参考例2における多能性幹細胞からなる沈降物を、4 mlの細胞凝集物作製用培地(5 mg/ml BSA、1%体積 合成脂質溶液、1%体積 x100 ITS-A、450μM MTG、2mM L-Glutamine、5%体積 PFHII、50μg/ml ascorbic acidを含有するIMDM/F12培地であって、20ng/ml BMP4、5ng/ml VEGF、20ng/ml SCF、2.5ng/ml Flt3L、2.5ng/ml IL6、5ng/ml IGF2を含む培地)に浮遊させ、これを6穴型のMPCコート培養皿に移し入れて、37℃で5% CO2インキュベータ内で培養した。以後、3日ごとに半量の培地を交換しながら8~10日間培養した。なお培地交換は、MPCコート培養皿全体を30度程傾けて1分ほど放置し、細胞凝集物が完全に沈むのを確認した上で、培養上清のみを半量ピペットで静かに吸い出した後、同量の新鮮な細胞凝集物作製用培地を添加し、MPCコート培養皿全体を軽く揺すりながら細胞凝集物を均一に分散させることで行った。
【0219】
(2)工程B
上述で作製された多能性幹細胞由来細胞凝集物を、10 ml程度の遠沈管に移し入れ、30秒~1分ほど静置して細胞成分を沈降させてから、上清を除去して3mlの褐色脂肪細胞誘導培地(5 mg/ml BSA、1%体積 合成脂質溶液、1%体積x100 ITS-A、450μM MTG、2mM L-Glutamine、5%体積 PFHII、50μg/ml ascorbic acid を含有するIMDM/F12培地であって、10ng/ml BMP7、5ng/ml VEGF、20ng/ml SCF、2.5ng/ml Flt3L、2.5ng/ml IL6、5ng/ml IGF2を含む培地)を加えて、1100rpmで5分間遠心をした。これを、あらかじめ0.1%ブタゼラチン水溶液で室温で10分間反応させた細胞培養皿に移し入れ、37℃で5% CO2インキュベータ内で培養した。以後、3日ごとに培地を交換しながら1週間培養した。
【0220】
その結果、細胞質に多胞性脂肪滴(多数の黄身がかった光沢のある球形物)を持つ細胞が得られた。なお、この球形物が脂肪滴であることは、oil red O染色(中性脂肪を紅色に発色させる試験)により確認された。
【0221】
またRT-PCRにより、褐色脂肪細胞に特徴的な遺伝子群(UCP1、PRDM16、PGC1α、Cyt-c、CIDE-A、ELOVL3、PPARα、EVA1、NTRK3)の発現が誘導されていることが電気泳動により確認された。さらに、褐色脂肪細胞と白色脂肪細胞の共通マーカーであるPPARγ及びadiponectinの発現が誘導されていることも確認された。一方、白色脂肪細胞のマーカーであるresistin、ホスホセリントランスアミナーゼ1(PSAT1)、エンドセリン受容体アルファ(EDNRA)の発現は誘導されていないことも確認された。
なお、resistinはインスリン抵抗性を惹起するのみならず、癌化や動脈硬化とも関連する遺伝子である。ヒト多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞においてresistinの発現が誘導されていないことは、ヒト多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞を用いた創薬研究はもちろんのこと、ヒト多能性幹細胞由来褐色脂肪細胞を用いた細胞療法における安全性を考える上で極めて重要な点である。
【0222】
また電子顕微鏡観察により、褐色脂肪細胞に特徴的な微細構造である多胞性脂肪滴、縦に長く融合したミトコンドリアの存在が確認された。更に、褐色脂肪細胞に特徴的な梯子状に発達したクリステがミトコンドリア内部に確認された。
【産業上の利用可能性】
【0223】
本発明により、多能性幹細胞から作製した褐色脂肪細胞の上清およびその脱塩精製物が提供された。また本発明により、アミノ酸やビタミン、高濃度のブドウ糖等を含む培養液を用いずに、代謝改善能のある褐色脂肪細胞の上清を調製する方法が提供された。また本発明は、褐色脂肪細胞の上清の調製に有用な、多能性幹細胞由来の褐色脂肪細胞の製造方法が提供された。本発明の方法によれば、サイトカインを添加することなく褐色脂肪細胞を生成させ、その上清を取得することが可能となる。
【0224】
本発明によると、これまで全く取得の手段がなかった、「糖代謝向上作用」が保証された、かつ「合成サイトカイン」の混入がなく、脱塩濃縮された高力価の「褐色脂肪細胞の上清」の安定提供が可能となる。また、基礎研究や創薬研究の領域におけるBATokine探索のための材料の安定的な提供、さらには、肥満や2型糖尿病などの代謝障害性疾患に対する治療ツールとして、多様な生理活性(インスリン分泌促進、ブドウ糖取込促進)を保持したBATokineカクテルとしての、高力価BA-SUP乾固品の提供が可能となる。
本発明による高力価BA-SUP乾固品の調製は、世界のあらゆる国と地域において実施が可能であるので、巨大プラント産業に展開し得て、実用的であり産業上利用価値が高い。
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