(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-08
(45)【発行日】2024-04-16
(54)【発明の名称】溶接構造体及びこれに用いられるFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20240409BHJP
C22C 38/58 20060101ALI20240409BHJP
B23K 35/30 20060101ALI20240409BHJP
【FI】
C22C38/00 302A
C22C38/58
B23K35/30 320A
(21)【出願番号】P 2022532343
(86)(22)【出願日】2021-04-22
(86)【国際出願番号】 JP2021016266
(87)【国際公開番号】W WO2021261067
(87)【国際公開日】2021-12-30
【審査請求日】2022-11-29
(31)【優先権主張番号】P 2020108313
(32)【優先日】2020-06-24
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(31)【優先権主張番号】P 2020209933
(32)【優先日】2020-12-18
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(73)【特許権者】
【識別番号】000003621
【氏名又は名称】株式会社竹中工務店
(74)【代理人】
【識別番号】100190067
【氏名又は名称】續 成朗
(72)【発明者】
【氏名】澤口 孝宏
(72)【発明者】
【氏名】中村 照美
(72)【発明者】
【氏名】荒金 吾郎
(72)【発明者】
【氏名】高森 晋
(72)【発明者】
【氏名】吉中 奎貴
(72)【発明者】
【氏名】櫛部 淳道
(72)【発明者】
【氏名】井上 泰彦
(72)【発明者】
【氏名】本村 達
(72)【発明者】
【氏名】大須賀 史朗
【審査官】鈴木 毅
(56)【参考文献】
【文献】特開2015-150586(JP,A)
【文献】特開2004-218060(JP,A)
【文献】特開2009-155719(JP,A)
【文献】特開2010-090472(JP,A)
【文献】特表2000-501778(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
B23K 35/00 - 35/40
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
複数の鋼材が溶接材で溶接された溶接構造体において、
溶接金属の成分組成がFA凝固モードであり、
繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部(HAZ)、及び溶接金属の金属組織が、γオーステナイト相(FCC構造)を85体積%以上100体積%未満、δフェライト相(BCC構造もしくはBCT構造)と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物である不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、
疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織が、変形誘起εマルテンサイト相(HCP構造)を10体積%以上90体積%未満、変形誘起α’マルテンサイト相(BCC構造もしくはBCT構造)を0体積%以上12体積%未満、残留γオーステナイト相を10体積%以上90体積%以下、δフェライト相と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物である不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、そして、
繰り返し弾塑性変形を受けると、微細組織構造が、前記繰り返し弾塑性変形前の金属組織から、前記疲労破断直前または疲労破断時における金属組織へ変化し、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と、この逆変態の交互発生を繰り返し、変形誘起εマルテンサイト相の体積率が逐次増加し、
前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することを特徴とする、溶接構造体。
【数1】
【数2】
【数3】
【数4】
【請求項2】
前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、各成分元素の含有量の差が±0.5質量%の範囲内であることを特徴とする請求項1に記載の溶接構造体。
【請求項3】
前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、互いに異なることを特徴とする請求項1に記載の溶接構造体。
【請求項4】
振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上であることを特徴とする請求項1~3のいずれか一項に記載の溶接構造体。
【請求項5】
請求項1~4のいずれか一項に記載の溶接構造体の鋼材または溶接材に用いられるFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金であって、成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することを特徴とするFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
【数5】
【数6】
【数7】
【数8】
【請求項6】
11質量%≦Cr≦14質量%、6質量%≦Ni≦7.5質量%を含有することを特徴とする請求項5に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
【請求項7】
振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上であることを特徴とする請求項5または6に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
【請求項8】
請求項5~7のいずれか一項に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金
を鋼材として用いると共に、請求項5~7のいずれか一項に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金を溶接材として用いて作製されたことを特徴とする溶接構造体。
【請求項9】
制振部材であることを特徴とする請求項
8に記載の溶接構造体。
【請求項10】
請求項5~7のいずれか一項に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金を用いて作製されたことを特徴とする溶接材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、溶接構造体及びこれに用いられるFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金に関する。
【背景技術】
【0002】
制振ダンパーは建物を地震から守るために組み込まれた建築部材であり、地震による建物の揺れを熱エネルギーに変換して吸収する。制振ダンパーとしては、鋼材の弾塑性変形履歴によって振動を吸収する鋼材制振ダンパー、ポリマー系材料の粘弾性変形により振動を吸収する粘弾性体制振ダンパー、オイルの粘性流動により振動を吸収するオイルダンパーなどの種類があり、それぞれの特徴を生かして使用される。このうち、鋼材制振ダンパーは、低コスト、メインテナンスフリー、高剛性の特長があり、各種制振構造に広く適用されている。
【0003】
最近、従来の制振用鋼材及び建築構造用の一般鋼材(以下、「従来鋼材」とも称する。)に比べて約10倍の疲労寿命を有する制振合金が開発され(特許文献1参照)、これを心材に用いた新型制振ダンパーが超高層ビルや大規模展示場などの大型建築構造物に適用されている。長周期地震動や大地震後の余震や連動地震にも繰り返し耐えられる長疲労寿命の制振ダンパーとしてさらなる普及が期待されている。また、特許文献1に記載されるような合金(以下、「FMS合金」とも称する。)の成分に対応させた溶接ワイヤも開発され(例えば、特許文献2参照)、制振ダンパー板材の建物躯体への接合部に炭素鋼を溶接施工して十字断面とすることにより、接合部の耐力や座屈に対する耐久性を高めたブレース型制振ダンパーも開発されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】特開2014-129567号公報
【文献】特開2015-150586号公報
【非特許文献】
【0005】
【文献】T. Sawaguchi, et al., Designing Fe-Mn-Si alloys with improved low-cycle fatigue lives, Scripta Mater 99(0) (2015) 49-52.
【文献】D.T. Pierce, J.A. Jimenez, J. Bentley, D. Raabe, C. Oskay, J.E. Wittig, The influence of manganese content on the stacking fault and austenite/epsilon-martensite interfacial energies in Fe-Mn-(Al-Si) steels investigated by experiment and theory, Acta Mater 68(15) (2014) 238-253.
【文献】S. Curtze, V.T. Kuokkala, A. Oikari, J. Talonen, H. Hanninen, Thermodynamic modeling of the stacking fault energy of austenitic steels, Acta Mater, 59(3) (2011) 1068-1076.
【文献】S. Allain, J.P. Chateau, O. Bouaziz, S. Migot, N. Guelton, Correlations between the calculated stacking fault energy and the plasticity mechanisms in Fe-Mn-C alloys, Materi Sci Eng A 387 (2004) 158-162.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ブレース型制振ダンパーは筋交い部に組み込んで使用され、地震時には建物の揺れによって繰り返し引張圧縮、繰り返し交番せん断、繰り返し曲げなどの繰り返し弾塑性変形を受けて地震動のエネルギーを吸収する。近年、大型建築構造物への適用や大規模地震への対応を背景に、制振ダンパーには更なる高耐力・高剛性化が求められており、そのために、ダンパーの軸力負担面積を増大させることが必要である。
【0007】
FMS合金を用いてこれまでに開発された制振ダンパーは、心材部にFMS合金板材をそのまま(圧延ままの状態で)使用する断面一文字タイプであり、ダンパーの見つけ幅を変えること無く軸力負担面積を増大させるためにはFMS合金板材の板厚を増す以外に方法は無い一方で、製造可能な板材の板厚に制約があった。また、ダンパーの軸力負担面積を増大させる方法としては心材部断面を十字またはH型とすることが有効である。十字断面やH型断面は合金板材を溶接組み立てすることで作製可能である。しかし、FMS合金を炭素鋼などの成分が異なる板材と、FMS合金とは成分組成が異なる溶接ワイヤを用いて溶接すると、溶接部は、制振合金であるFMS合金とは異なる成分組成となる結果、FMS合金の耐疲労メカニズムが作動しなくなり、疲労寿命が従来鋼材並みに低下する場合があることが課題であった。また、溶接部は凝固割れ、偏析、析出物などの溶接欠陥が形成される結果、金属疲労の弱点になりやすく、疲労寿命の更なる低下をもたらす場合があることが課題であった。
【0008】
そこで、本発明は、溶接法を用いて組み立てられた制振ダンパーなどの構造体において、溶接部においても母材の鋼材と同等の優れた疲労特性を示す溶接構造体を提供することを課題とする。
また、本発明は、上記溶接構造体に用いられる合金鋼を提供することも課題とする。
また、本発明は、上記合金鋼を用いた溶接構造体、及び溶接材を提供することも課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
溶接法を用いて組み立てられた構造体(以下、「溶接構造体」という。)において、溶接部の疲労特性を母材と同等にするための手段として、本発明者らは、溶接構造体が繰り返し弾塑性変形(以下、単に「変形」ともいう。)を受ける前の溶接部の微細組織構造、及び、当該変形を受けたときの溶接部の微細組織の変形機構に着目した。なお、以下では、溶接構造体が受ける繰り返し弾塑性変形の具体例として引張圧縮弾塑性変形を取り上げて説明することがあるが、上述したせん断、曲げなどの引張圧縮以外の変形モードについても本発明の対象に含まれる点に留意されたい。また、本明細書において、「溶接部」とは、溶接が施された部分(溶接施工箇所)のうち、溶接金属(溶接中に溶融凝固した金属)及び溶接熱影響部(溶融していないが、溶接操作によってその微細組織構造及び特性が変化した母材の領域。HAZとも呼ばれる。)からなる部分をいう。当該技術分野において、溶接が施された部分は、一般的に、溶接部と、溶接熱影響部の外側の領域であって熱影響を受けていない母材との、連続的な集合体であることが知られている。
【0010】
そして、本発明者らは、鋭意検討を行なった結果、溶接金属の凝固モード、溶接部の変形前の微細組織構造、ならびに、変形を受けたときの溶接部の微細組織の変形機構が一定の条件を満たすことで、溶接構造体の溶接部においても、母材の制振合金と同様の耐疲労メカニズムを作動させることが可能であることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0011】
すなわち、本発明は、以下の[1]~[12]を要旨とする。
【0012】
[1] 複数の鋼材が溶接材で溶接された溶接構造体において、
溶接金属の成分組成がFA凝固モードであり、
繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部(HAZ)、及び溶接金属の金属組織が、γオーステナイト相(FCC構造)を85体積%以上100体積%未満、δフェライト相(BCC構造もしくはBCT構造)と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、
疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織が、変形誘起εマルテンサイト相(HCP構造)を10体積%以上90体積%未満、変形誘起α’マルテンサイト相(BCC構造もしくはBCT構造)を0体積%以上12体積%未満、残留γオーステナイト相を10体積%以上90体積%以下、δフェライト相と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、そして、
繰り返し弾塑性変形を受けると、微細組織構造が、前記繰り返し弾塑性変形前の金属組織から、前記疲労破断直前または疲労破断時における金属組織へ変化し、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と、この逆変態の交互発生を繰り返し、変形誘起εマルテンサイト相の体積率が逐次増加することを特徴とする、溶接構造体。
[2] 前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
任意元素、あるいは、不可避的に含まれる不純物元素として、Al、Co、Cu、Nb、Ta、V、Ti、Moを合計で0質量%以上1質量%以下、C、N、Bを合計で0質量%以上0.2質量%以下含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することを特徴とする[1]に記載の溶接構造体。
【数1】
【数2】
【数3】
【数4】
[3] 前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、実質的に同一であることを特徴とする[2]に記載の溶接構造体。
[4] 前記繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、互いに異なることを特徴とする[2]に記載の溶接構造体。
[5] 振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上であることを特徴とする[1]~[4]のいずれかに記載の溶接構造体。
【0013】
[6] [1]~[5]のいずれかに記載の溶接構造体に用いられるFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金であって、成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
任意元素、あるいは、不可避的に含まれる不純物元素として、Al、Co、Cu、Nb、Ta、V、Ti、Moを合計で0質量%以上1質量%以下、C、N、Bを合計で0質量%以上0.2質量%以下含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することを特徴とするFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
【数5】
【数6】
【数7】
【数8】
[7] 11質量%≦Cr≦14質量%、6質量%≦Ni≦7.5質量%を含有することを特徴とする[6]に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
[8] 振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上であることを特徴とする[6]または[7]に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金。
【0014】
[9] [6]~[8]のいずれかに記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金が溶接材で溶接されたことを特徴とする溶接構造体。
[10] 前記溶接材が、[6]~[8]のいずれかに記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金を用いて作製されたことを特徴とする[9]に記載の溶接構造体。
[11] 制振部材であることを特徴とする[9]または[10]に記載の溶接構造体。[12] [6]~[8]のいずれかに記載のFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金を用いて作製されたことを特徴とする溶接材。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、溶接金属の凝固モード、溶接部の変形前の微細組織構造、ならびに、変形を受けたときの溶接部の微細組織の変形機構が一定の条件を満たすことにより、溶接部において、母材の鋼材と同様の耐疲労メカニズムを作動させることができる。
このため、本発明によれば、溶接部においても母材の鋼材と同等の優れた疲労特性を示す溶接構造体を提供することができる。
また、本発明によれば、上記溶接構造体に用いられる合金鋼を提供することもできる。
また、本発明によれば、上記合金鋼を用いた溶接構造体、及び溶接材を提供することもできる。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1】溶接メルトラン実験における凝固割れの有無の確認結果を示す顕微鏡画像:(a)例1-1、(b)例1-2
【
図2】例1-1~例1-10、及び例1-15~例1-22の合金の成分組成に基づいて点座標([%Cr]eq,[%Ni]eq)をシェフラー型組織図上にプロットした図
【発明を実施するための形態】
【0017】
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
以下に記載する構成要件の説明は、本発明の代表的な実施形態に基づいてなされることがあるが、本発明はそのような実施形態に制限されるものではない。
【0018】
一般に、溶接構造体において、溶接部の疲労特性を母材と同等にするためには、母材の鋼材と同一または類似の成分組成を有する溶接材(いわゆる共金溶接材)を用いることが有効であると考えられる。しかし、本発明者らの予備実験によれば、引用文献1に記載のFMS合金の板材同士を、当該FMS合金と類似の成分組成を有する共金溶接ワイヤを用いて同材溶接を行うと、溶接部は凝固割れ、偏析、析出物などの溶接欠陥が発生しやすく、これらの溶接欠陥に起因して疲労き裂の欠陥が生じる場合があった。そして、様々に検討したところ、溶接金属の成分組成がA凝固モードであること、すなわち、溶接金属の凝固モードが、液相からγ相への凝固で始まりγ相への凝固で終わることが上記欠陥の原因であることを知見した。
【0019】
この知見から、本発明者らは、溶接構造体が全体として優れた疲労特性を発揮するためには、その微細組織構造、ならびに、微細組織の変形機構において、従来とは全く異なる条件を満たす必要があることを着想し、様々に検討を重ねた結果、FMS合金に代表される制振合金を母材とする溶接構造体において、溶接部においても母材と同等の優れた疲労特性を示すための条件を見出し、本発明を完成させた。
【0020】
[溶接構造体]
本発明の実施形態に係る溶接構造体(以下、「本実施形態の溶接構造体」ともいう。)は、複数の鋼材が溶接材で溶接された溶接構造体において、溶接金属の成分組成がFA凝固モードであり、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部(HAZ)、及び溶接金属の金属組織が、γオーステナイト相(FCC構造)を85体積%以上100体積%未満、δフェライト相(BCC構造もしくはBCT構造)と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織が、変形誘起εマルテンサイト相(HCP構造)を10体積%以上90体積%未満、変形誘起α’マルテンサイト相(BCC構造もしくはBCT構造)を0体積%以上12体積%未満、残留γオーステナイト相を10体積%以上90体積%以下、δフェライト相と初期εマルテンサイト相を合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物を合計0体積%以上0.5体積%未満含み、そして、繰り返し弾塑性変形を受けると、微細組織構造が、前記繰り返し弾塑性変形前の金属組織から、前記疲労破断直前または疲労破断時における金属組織へ変化し、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と、この逆変態の交互発生を繰り返し、変形誘起εマルテンサイト相の体積率が逐次増加することを特徴とする。
【0021】
本実施形態の溶接構造体において、δフェライト相は、母材の製造工程や溶接後の冷却処理によって形成されたものを意図する。
また、初期εマルテンサイト相とは、後述するγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態によって形成される変形誘起εマルテンサイト相とは区別され、母材の製造工程における熱処理後、室温まで冷却される間に形成されて、繰り返し弾塑性変形前から存在するものであり、当該変形誘起マルテンサイト変態に由来しないεマルテンサイト相を意図する。
また、変形誘起α’マルテンサイト相は、変形誘起εマルテンサイト相の一部が二次ε→α’マルテンサイト変態して形成されたものを意図する。
また、残留γオーステナイト相とは、繰り返し弾塑性変形前のγオーステナイト相が、繰り返し弾塑性変形後も未変態のまま残留したものを意図する。
【0022】
本実施形態の溶接構造体では、溶接部の溶接金属の成分組成はFA凝固モードである。ここで、FA凝固モードとは、鋼材の凝固において、液相からまずフェライト相が晶出し、その後オーステナイト相が晶出する凝固モードである。溶接金属の特性は、溶接金属の成分組成を示すシェフラー型組織図上にプロットすることにより把握することができる。一般に、溶接金属で生じる凝固モードは当該溶接金属の成分組成によって変化するため、溶接金属の凝固割れを抑制するためには、母材(被溶接材)の成分組成を基に、溶接金属がFA凝固モードとなるように溶接材の成分組成を選定することが有効である。また、溶接金属の成分組成は、溶接条件や開先形状、希釈率などによって異なるため、これらを考慮して溶接金属がFA凝固モードとなるように溶接材の成分組成を選択する。なお、希釈率とは、全溶接金属量に対する母材溶融量の割合である。溶接金属の成分組成がFA凝固モードであることにより、溶接金属部における凝固割れ感受性を低くすることができる。
【0023】
言い換えると、本実施形態の溶接構造体において、母材が、成分組成がFA凝固モードである鋼材であり、かつ、当該母材同士が溶接された同材溶接である場合、溶接材の成分組成は、母材と同一であってよい。ここで、鋼材の成分組成に関して「同一」とは、対象の鋼材の各成分元素の含有量(質量%)の差が±0.5未満であることを意図する。この場合、溶接金属の成分組成は、母材の成分組成と実質的に同一であるとみなすことができるので、溶接金属の成分組成はFA凝固モードである。また、溶接熱影響部の成分組成も同様に、FA凝固モードであると言える。
また、成分組成がFA凝固モードである母材同士が溶接された同材溶接の場合、溶接材の成分組成は、母材と異なっていてもよい。この場合、溶接材の成分組成は、FA凝固モードであってもよく、FA凝固モード以外の凝固モードであってもよい。前者の場合には、成分組成がFA凝固モードである母材同士が、成分組成がFA凝固モードである溶接材で溶接された溶接構造体であるので、溶接金属の成分組成はFA凝固モードである。また、溶接熱影響部の成分組成も同様に、FA凝固モードであると言える。後者の場合には、例えば希釈率を考慮して(例えば、20%以上40%以下、20%以上30%以下など)溶接金属がFA凝固モードとなるように溶接材の成分組成を選択すればよい。
また、成分組成がFA凝固モードである複数種の母材、成分組成がFA凝固モード以外である複数種の母材、あるいは、成分組成がFA凝固モードである母材と成分組成がFA凝固モード以外である母材が溶接された異材溶接である場合には、上述したように、溶接条件や開先形状、希釈率などを考慮して、溶接金属がFA凝固モードとなるように溶接材の成分組成を選択すればよい。
【0024】
本実施形態の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部(HAZ)、及び溶接金属の金属組織は、γオーステナイト相(FCC構造)を主相とし、引張圧縮弾塑性変形を受けると当該γオーステナイト相中に存在するショックレー部分転位が同一結晶面上を往復運動することにより、金属疲労が進行しにくい可逆的な変形機構を発現する。部分転位の運動は、γオーステナイト相からεマルテンサイト相(HCP構造を有する変形誘起εマルテンサイト相)への変形誘起マルテンサイト変態、双晶変形、拡張転位すべりなどを伴うが、部分転位運動の可逆性が最も高いのは、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態が支配的な変形機構となる場合である。一方、格子転位すべりはすべり面を変化させる交差すべりなどの不可逆な転位運動を伴う変形であるため抑制される。また、変形誘起α’マルテンサイト相の形成は、FCC構造からBCC構造への結晶構造変化に伴う体積膨張のためにα'相内や周辺のγ相に
転位を発生させ、しかも、ひとたびα’相に変態すると変形だけではγ相に逆変態することはなく、不可逆な変形であるため抑制される。つまり、本実施形態の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形による微細組織構造の変化が、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態によって、可逆的に進行する状態を作り出すことにより、繰り返し硬化の抑制と破断繰り返し数の増加をはかる。これにより、本実施形態の溶接構造体は、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上を達成する。
【0025】
なお、本明細書では、繰り返し弾塑性変形下でのγオーステナイト相とεマルテンサイト相とのマルテンサイト変態の可逆性に着目する場合に「二方向マルテンサイト変態」との用語を用い、γオーステナイト相からεマルテンサイト相へのマルテンサイト変態が当該繰り返し弾塑性変形によって誘起されることに着目する場合に「変形誘起マルテンサイト変態」との用語を用いるが、両者の用語が意味する微細組織の変形機構は、本質的には同一である点に留意されたい。
また、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態、及び、この逆変態を、それぞれ、矢印記号を用いて「γ→ε変態」、及び、「ε→γ逆変態」と表記する場合がある。
【0026】
上記変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織は、δフェライト相、初期εマルテンサイト相、及び炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物を、二方向マルテンサイト変態には関与しない構成相として、δフェライト相と初期εマルテンサイト相は合計0体積%以上14.5体積%未満、炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の不可避的析出物・介在物は合計0体積%以上0.5体積%未満含んでいてもよい。また、上記変形を受けることによるγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態は、その逆変態と交互発生するため、変形の繰り返しによる変形誘起εマルテンサイト相の体積率はゆっくりとしか上昇せず(すなわち、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて、変形誘起εマルテンサイト相の体積率は逐次増加し)、疲労破断直前または疲労破断まで変形を繰り返しても、形成される変形誘起εマルテンサイト相の体積率は90体積%未満であり、未変態のγオーステナイト相が10体積%以上残留することに特徴がある。この体積率未満であれば変形誘起マルテンサイト変態の程度は特に制限されず、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織は、変形誘起εマルテンサイト相を10体積%以上含んでいてもよく、15体積%以上含んでいてもよく、20体積%以上含んでいてもよく、25体積%以上含んでいてもよく、30体積%以上含んでいてもよく、40体積%以上含んでいてもよく、50体積%以上含んでいてもよく、60体積%以上含んでいてもよく、70体積%以上含んでいてもよく、80体積%以上含んでいてもよい。また、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織は、変形誘起α’マルテンサイト相を12体積%未満含んでいてもよい。変形誘起α'マルテンサイト変態は、自己触媒反応に
よってさらなる変形誘起α’マルテンサイト変態の連鎖反応を生じて、急激な体積率増加により材料を著しく加工硬化させる性質を有するが、変形誘起ε→α’変態の進行が体積率で12体積%未満の変形誘起α'マルテンサイト相を生じる程度であれば、そのような
連鎖反応を生じることはなく、γ→ε変態とε→γ逆変態の可逆性を妨害することもないためである。
【0027】
より具体的には、本実施形態の溶接構造体は、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形によって疲労破断にいたった後の微細組織において、変形誘起εマルテンサイト相の体積率が10体積%以上90体積%未満であることが好ましい。疲労破断後の微細組織が当該条件を満たすことは、繰り返し弾塑性変形による溶接構造体の微細組織構造の変化が、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態によって可逆的に進行したことを示す指標であり、本発明者らが新たに見出したものである。なお、本実施形態の溶接構造体において、変形誘起εマルテンサイトの体積率は、X線回折法、電子線後方散乱回折法などにより測定することができる。例えば、X線回折法では、構成相の体積率と回折ピーク強度比の関係に関する原理に基づき、精度良く体積率を求める解析方法やソフトウェアが種々開発されている。また、電子線後方散乱回折法では、走査電子顕微鏡に組み込まれた電子線後方散乱検出器と専用ソフトウェアを用いて、試料中の数100ミクロン平方の局所領域の構成相とその分布や体積率を求めることができる。
【0028】
ここで、本実施形態の溶接構造体において、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて変形誘起εマルテンサイト相の体積率が逐次増加することは、必ずしも当該体積率が一定の割合で増加することを意味するものではない点に留意されたい。一方、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクルであり、かつ、疲労破断にいたった後の微細組織において、変形誘起εマルテンサイト相の体積率が90体積%である場合を仮定すると、平均して、1サイクルあたり0.0225体積%の増加であると言うことができる。従って、本実施形態の溶接構造体は、繰り返し弾塑性変形下での変形誘起εマルテンサイト相の体積率の増加に関し、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形によって疲労破断にいたった後の微細組織において、1サイクルあたりの平均増加率が0.0225体積%未満であることを一つの指標とすることができる。
【0029】
本実施形態の溶接構造体において、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上の長寿命を達成するためには、母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の繰り返し弾塑性変形前の金属組織に、引張圧縮弾塑性変形に対して可逆的に応答して金属疲労の進行を遅延させる仕組みが予め組み込まれていること、換言すると、繰り返し弾塑性変形(引張圧縮弾塑性変形)を受ける前の微細組織構造、及び、当該変形を受けたときの金属組織(特に、溶接部の微細組織)の変形機構を適切に設計することが重要である。特許文献1や非特許文献1には、FCC構造のγオーステナイト相とHCP構造のεマルテンサイト相の二方向マルテンサイト変態による相互変換が、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相の界面に存在するショックレー部分転位の反復運動を可逆的に進行させることで、疲労寿命の飛躍的な改善に有効であることが開示されている。
【0030】
しかし、特許文献1や非特許文献1は、溶解、鋳造の後に熱間鍛造、熱間圧延、均一化熱処理を行って、成分や結晶組織を均質化させたFMS合金の圧延板材に関して、長寿命化のために満足すべき合金の成分、組織、変形組織について述べられたものであって、溶接構造体においては、溶接凝固現象の結果、溶接金属や溶接熱影響部には、凝固割れ、析出、成分偏析などの組織や溶接欠陥が形成されるため、圧延板材の成分、組織、変形組織が長寿命化の条件を満足していても溶接構造体の長寿命は保証されない。特に、凝固割れや析出は疲労き裂発生・伝播を促進して疲労寿命を大幅に低下させる原因となる。また、成分偏析は、δフェライト相、初期εマルテンサイト相、変形誘起α’マルテンサイト相など、長寿命化に必要な二方向マルテンサイト変態には関与しない、もしくは長寿命化に悪影響を及ぼし得る相を形成させる原因となる。
【0031】
本発明者らは、鋭意検討を進めた結果、溶接欠陥の中で溶接構造体の疲労寿命に最も致命的な影響を及ぼすか、疲労寿命がたとえ長くとも工業製品の管理上最も回避すべき問題は凝固割れであって、溶接金属の成分組成をFA凝固モードで設計することにより凝固割れを回避し、かつ、母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織が、繰り返し弾塑性変形前に85体積%以上のγオーステナイト相を含み、かつ、そのγオーステナイト相に、繰り返し弾塑性変形に対して、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と、その逆変態との交互発生で応答する性質を予め組み込むことができれば、残部にこの二方向マルテンサイト変態には関与しない相などが溶接凝固時の成分偏析や析出の結果形成されたとしても、溶接構造体としての疲労寿命は、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上を達成できることを見出した。
【0032】
そして、このような優れた疲労特性を発揮する溶接構造体においては、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形によって疲労破断にいたった後の微細組織において、変形誘起εマルテンサイトの体積率が90体積%未満であることを確認し、このことが、繰り返し弾塑性変形(引張圧縮弾塑性変形)に対する可逆的な応答を示す指標となることを見出した。
【0033】
二方向マルテンサイト変態に関与しない相として、溶接凝固時の成分偏析によりCrが濃化した領域には、δフェライト相や初期εマルテンサイト相が形成されうる。δフェライト相はγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生のような可逆的な変形メカニズムを発現しないため長寿命化には寄与しない。また、溶接後の冷却過程で形成される初期εマルテンサイト相は、γオーステナイト相から変形誘起マルテンサイト変態によって形成される変形誘起εマルテンサイト相の発達を阻害する働きがある。これは、変形誘起εマルテンサイト相も初期εマルテンサイト相も薄板状形態に発達する性質を有するが、これらの母相結晶に対する発達方向が異なるために、通常、先行形成した薄板状の初期εマルテンサイト相は、その後発達しようとする薄板状の変形誘起εマルテンサイト相に対して障壁として作用するためである。しかし、δフェライト相や初期εマルテンサイト相は、合計で14.5体積%未満であれば、主相であるγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生により金属疲労を遅延させる効果を損なわない。
【0034】
また、金属材料は炭化物、窒化物、酸化物、ケイ化物等の析出物・介在物を不可避的に含有し、殊に溶接構造体においては、溶接凝固現象の結果として、これら不可避的析出物・介在物がさらに発生しやすいが、その体積率が合計で0.5体積%未満であるならば、主相であるγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生により金属疲労を遅延させる効果を損なわない。
【0035】
さらに、変形誘起εマルテンサイトは、逐次の繰り返し弾塑性変形に応じて体積率が逐次増加する間に、その一部が変形誘起α’マルテンサイト相に変化する場合がある(二次ε→α’マルテンサイト変態)。変形誘起α’マルテンサイト相はFCC構造からBCC構造への結晶構造変化に伴う体積膨張のためにα'相内や周辺のγ相に転位を発生させ、
しかも、ひとたびα’相に変態すると変形だけではγ相に逆変態することはない。また、自己触媒反応によってさらなる変形誘起α’マルテンサイト変態の連鎖反応を生じて、急激な体積率増加により材料を著しく加工硬化させる性質を有する。さらには、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生に対して、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相の界面に存在するショックレー部分転位の反復運動を阻害して疲労寿命を低下させるが、その疲労破断材における体積率が12体積%未満であれば、有害な連鎖反応によるα’相の増加は繰り返し変形中に生じなかったことを意味し、そのような低体積率の変形誘起α’マルテンサイト相は、溶接構造体の金属疲労を遅延させる効果を損なわない。
【0036】
上記体積率未満であれば変形誘起α’マルテンサイト相の含有率は特に制限されず、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織は、変形誘起α’マルテンサイト相を0体積%以上12体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上10体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上8体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上7.5体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上6体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上5体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上4体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上3体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上2体積%未満含んでいてもよく、0体積%以上1体積%未満含んでいてもよい。より具体的には、本実施形態の溶接構造体は、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形によって疲労破断にいたった後の微細組織において、変形誘起α’マルテンサイト相の体積率が、0体積%以上12体積%未満であることが好ましく、0体積%以上6体積%未満であることがより好ましく、0体積%以上2体積%未満であることがさらにより好ましく、0体積%以上1体積%未満であることがなおさらにより好ましい。なお、変形誘起α’マルテンサイト相の含有率の測定には、フェライトメーターなどの測定機器を用いることができる。フェライトメーターは、磁化の強さを測定することにより、磁性相であるα’マルテンサイト相の含有率(試料中のα’マルテンサイト相の含有割合)を簡便に測定できる機器である。
【0037】
疲労破断材中の残留γオーステナイト相は、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生が、金属疲労の遅延に有効に作用している痕跡であり、後述するγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔGγ→εが低下するほど、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織における残留γオーステナイト相の体積率は低下する。ΔGγ→εが-150J/mol以下になると、γオーステナイト相から変形誘起マルテンサイト変態によって生じたεマルテンサイト相は逆変態しにくくなり、疲労破断直前または疲労破断時における母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織において、残留γオーステナイト相の体積率は10%未満となる。このように変形誘起マルテンサイト変態の可逆性が低下すると、金属疲労の遅延効果が低下するため、溶接構造体の、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数は、4000サイクル未満に低下する。
【0038】
以上の溶接金属の凝固モード、母材、溶接熱影響部(HAZ)、及び溶接金属の微細組織構造、ならびに、微細組織の変形機構の条件を満たすことにより、本実施形態の溶接構造体は、溶接部での疲労欠陥が抑制された、長疲労寿命の構造体である。そのため、本実施形態の溶接構造体は、建築構造物用の制振部材として好ましく用いることができる。
以下、本実施形態の溶接構造体を制振部材として用いる態様について説明する。
【0039】
本態様では、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
任意元素、あるいは、不可避的に含まれる不純物元素として、Al、Co、Cu、Nb、Ta、V、Ti、Moを合計で0質量%以上1質量%以下、C、N、Bを合計で0質量%以上0.2質量%以下含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することが好ましい。
【数9】
【数10】
【数11】
【数12】
【0040】
上述したように、本実施形態の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形による微細組織構造の変化が、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態によって、可逆的に進行する状態を作り出すことが重要である。これまでに、単調引張試験で得られた実験結果から、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態は、合金の強度・延性バランスの改善に有効であることが知られている。例えば、変態誘起塑性(Transformation-induced plasticity:TRIP)効果
とγ双晶変形による双晶誘起塑性(Twinning-induced plasticity:TWIP)効果によ
り、Fe-Mn-Si―Al系合金の強度と延びの積が著しく改善できることが報告されている(O. Grassel, G. Frommeyer, Effect of martensitic phase transformation and
deformation twinning on mechanical properties of Fe-Mn-Si-Al steels, Mater Sci Technol 14(12) (1998) 1213-1217.)。TRIP/TWIP効果による合金の強度・延性バランスの改善には、上記変形誘起マルテンサイト変態やγ双晶変形の発生条件として、合金の成分組成で決まるγ相の積層欠陥エネルギー(Γ
SFE)の値を用いた塑性変形メカニズムの予測が行われる。ここで、積層欠陥エネルギー(Γ
SFE)は、次式8~9により、γ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εと関連付けられる。
【数13】
【0041】
この関係を用いて、従来、熱力学計算によりΔGγ→εを求め、さらにΓSFEを求めて、上記変形誘起マルテンサイト変態やγ双晶が発生するΓSFEの範囲に関する経験的知見から、合金の塑性変形メカニズムや力学特性が予測されている。例えば、Fe-Mn-Si-Al-C系合金のΓSFEの計算には非特許文献2において、また、Fe-Mn-Cr-Ni-Al-Si-N系合金のΓSFEの計算には非特許文献3において、Fe-Mn-C系合金のΓSFEの計算には非特許文献4において、それぞれ新たな熱力学パラメーター・セットが提案されている。また、非特許文献2、3、4によれば、単調引張でγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態が生じる条件は、ΓSFE<18mJ/m2、γ双晶変形が生じる条件は、12mJ/m2<ΓS
FE<35mJ/m2などとされている。
【0042】
しかしながら、これまでに提案されてきた熱力学パラメーター・セットでは、未知のパラメーターを、特定の成分系における単調引張試験の結果から最適化しているため、対象成分系の成分範囲内では一定の予測精度が確保されるものの、異なる成分系に適用可能な普遍性の高い熱力学パラメーター・セットは未だ確立されていない。また、上記変形誘起マルテンサイト変態やγ双晶変形が生じる条件についても、特定の成分系における知見によるところが大きく、研究者によって提示するΓSFEの範囲が異なっていた。
【0043】
本発明者らは、非特許文献1において、Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金の長疲労寿命化に、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と、その逆変態との交互発生が重要な役割を持つこと、また、そのための熱力学的条件として、積層欠陥エネルギー(ΓSFE)の値がおよそ20mJ/m2であることを示した。しかし、積層欠陥エネルギー(ΓSFE)の計算値は、用いる熱力学パラメーター・セットによって異なるため、所定の疲労寿命を達成するためのより高精度な合金成分設計指針は明らかではなかった。
【0044】
このような状況下、鋭意検討を進めた結果、本発明者らは、非特許文献2に記載のFe-Mn-Si-Al-C系合金に関するモデル、及び、非特許文献3に記載のFe-Mn-Cr-Ni-Al-Si-N系合金に関するモデルで用いられる熱力学パラメーターから取捨選択し、かつ、非特許文献2、3では使用されていない、本発明者らが独自に採用した熱力学パラメーターを組み合わせて、Fe-Mn-Cr-Ni-Si-Al系合金の繰り返し引張圧縮変形試験(低サイクル疲労試験)の結果に最もよく一致するギブス自由エネルギー差ΔGγ→εを計算可能な、新しい熱力学パラメーターのセット(表1)を見出すに至った。
【0045】
以下の表1Aには、上掲の表1に示す熱力学パラメーターについて、参考文献の発行年と筆頭著者名を角括弧書きで示した。また、表2Aには、本発明で使用する熱力学パラメーター(記号N)、非特許文献2に記載のモデルで用いられる熱力学パラメーター(記号P)、及び、非特許文献3に記載のモデルで用いられる熱力学パラメーター(記号C)を比較して示した。
【表1A】
【表2A】
【0046】
なお、表1A及び表2Aで挙げた参考文献の情報は以下の通りである。
[1991_Dinsdale] A.T. Dinsdale, Sgte Data for Pure Elements, Calphad 15(4) (1991)
317-425.
[2008_Dumay] A. Dumay, J.P. Chateau, S. Allain, S. Migot, O. Bouaziz, Influence of addition elements on the stacking-fault energy and mechanical properties of an austenitic Fe-Mn-C steel, Mater Sci Eng A, 483-84 (2008) 184-187.
[2011_Curtze] S. Curtze, V.T. Kuokkala, A. Oikari, J. Talonen, H. Hanninen, Thermodynamic modeling of the stacking fault energy of austenitic steels, Acta Mater, 59(3) (2011) 1068-1076.
[1989_Huang] W.M. Huang, An Assessment of the Fe-Mn System, Calphad 13(3) (1989)
243-252.
[2010_Nakano] J. Nakano, P.J. Jacques, Effects of the thermodynamic parameters of the hcp phase on the stacking fault energy calculations in the Fe-Mn and Fe-Mn-C systems, Calphad 34(2) (2010) 167-175.
[1991_Lacaze] J. Lacaze, B. Sundman, An assessment of the Fe-C-Si system, MTA 22(10) (1991) 2211-2223.
[1998_Cotes] S. Cotes, A.F. Guillermet, M. Sade, Phase stability and fcc/hcp martensitic transformation in Fe-Mn-Si alloys: Part II. Thermodynamic modelling of the driving forces and the M-s and A(s) temperatures, J Alloy Compd 280(1-2) (1998) 168-177.
[1993_Forsberg] A. Forsberg, J. Agren, Thermodynamic evaluation of the Fe-Mn-Si system and the γ/ε martensitic transformation, J Phase Equil 14(3) (1993) 354-363.
[1999_Yakubutsov] I.A. Yakubtsov, A. Ariapour, D.D. Perovic, Effect of nitrogen on stacking fault energy of f.c.c. iron-based alloys, Acta Mater 47(4) (1999) 1271-1279.
[1987_Andersson] J.-O. Andersson, B. Sundman, Thermodynamic properties of the Cr-Fe system, Calphad 11(1) (1987) 83-92.
[1990_Frisk] K. Frisk, A thermodynamic evaluation of the Cr-Fe-N system, MTA 21(9) (1990) 2477-2488.
[1990_Yang] W.S. Yang, C.M. Wan, The Influence of Aluminum Content to the Stacking-Fault Energy in Fe-Mn-Al-C Alloy System, J Mater Sci 25(3) (1990) 1821-1823.
[1997_Li] L. Li, T.Y. Hsu, Gibbs free energy evaluation of the fcc(gamma) and hcp(epsilon) phases in Fe-Mn-Si alloys, Calphad 21(3) (1997) 443-448.
【0047】
本発明における熱力学パラメーター・セットで計算したギブス自由エネルギー差ΔG
γ
→εから、上記式8の関係を用いて、γ相の積層欠陥エネルギー(Γ
SFE)の値を計算することができる。ここで、この計算に必要なγ/εの界面エントロピー(σ
γ/ε)としては、非特許文献2に記載の、次式10を用いることが好ましい。
【数14】
【0048】
上記式8~10を用いて、疲労寿命(すなわち、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数)が4000サイクル以上となるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔGγ→εをγ相の積層欠陥エネルギー(ΓSFE)に換算すると、以下のような条件が導かれる。
10mJ/m2<ΓSFE<22.5mJ/m2
【0049】
すなわち、本発明における熱力学パラメーター・セットによれば、従来、単調引張における塑性変形モード予測に用いられた熱力学パラメーターである積層欠陥エネルギー(ΓSFE)を用いて、所定の疲労寿命が得られる値の範囲を予測することが可能となる。そして、この値は、非特許文献1に開示されたFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金に関する値(20mJ/m2)を包含し、かつ、精度良く合金成分範囲を予測することが可能となる。さらに、本発明者らは、当該熱力学パラメーター・セットは、Fe-Mn-Cr-Ni-Si-Al系合金以外の合金、具体的には、Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金の繰り返し引張圧縮変形試験(低サイクル疲労試験)の結果にもよく一致することを確認した。従って、本発明における熱力学パラメーター・セットは、複数の成分系に適用可能な、高い普遍性を有するものであると言える。加えて、本発明における熱力学パラメーター・セットによれば、複数の成分系(より具体的には、Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金、Fe-Mn-Si系合金、Fe-Mn-Si-Al系合金、Fe-Mn-Si-Cr系合金等)の疲労寿命に関する温度依存性と組成依存性を等価に評価することができる点で、従来のモデルに対して新規かつ優位なものである。
【0050】
具体的には、本発明者らは、以下に示す成分組成を有する合金について、後述する実施例と同様の手順及び条件で低サイクル疲労試験を行い、様々な温度条件下での疲労寿命(破断繰り返し数Nf)を測定したところ(総試験数23)、ΔGγ→εの値が-150J/mol<ΔGγ→ε<50J/molの範囲内にある場合に、Nfの値が4000サイクル以上となる相関関係を見出している。なお、以下の成分組成において、数字は質量%であり、例えば、「15Mn」とは、Mnの含有量が「14.5質量%以上15.5質量%未満の範囲」であることを意味する。Mn以外の元素の含有量についても同様である。(Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金)
成分組成:Fe-15Mn-10Cr-8Ni-4Si
温度条件:-20℃、0℃、25℃、40℃、60℃、80℃、100℃、120℃
(Fe-Mn-Si系合金、Fe-Mn-Si-Al系合金)
成分組成:
Fe-30Mn-6Si
Fe-30Mn-5Si-1Al
Fe-30Mn-4Si-2Al
Fe-30Mn-3Si-3Al
Fe-30Mn-2Si-4Al
Fe-30Mn-1Si-5Al
Fe-30Mn-6Al
温度条件:25℃
(Fe-Mn-Si-Cr系合金)
成分組成:Fe-28Mn-6Si-5Cr
温度条件:-50℃、0℃、25℃、50℃、100℃、150℃、200℃、250℃
【0051】
以上より、本態様では、疲労寿命(すなわち、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数)が4000サイクル以上となるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔGγ→εの条件を、-150J/mol<ΔGγ→ε<50J/molとする。
【0052】
以下、本態様の溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の成分元素について説明する。
【0053】
Mn(マンガン)は、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態を生じさせるための必須元素である。Mnはγオーステナイト相を最も安定化させ、次いで変形誘起εマルテンサイト相を安定化させ、変形誘起α’マルテンサイト相の形成は強く抑制する作用がある。従って、Mnの含有量を調整することにより、γオーステナイト相を安定化させ、かつ、溶接構造体の繰り返し弾塑性変形時に、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とこの逆変態を交互発生させ、かつ、変形誘起α’マルテンサイト相の形成を抑制して、疲労特性を改善することができる。
【0054】
なお、Mnがγオーステナイト相を安定化させ、溶接構造体の繰り返し弾塑性変形時に、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とこの逆変態を交互発生させる作用は一部Ni(ニッケル)とCr(クロム)で代替可能である。本態様では、溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の観点から、溶解コストを低減するため、Mnの代替元素として、Cr及びNiを含むことが好ましい。また、従来のFe-Mn―Si形状記憶合金の制振特性改善効果を有することが知られているAl(アルミニウム)も、必要に応じてMnの代替元素として添加してもよい。
【0055】
Mn、Cr、Ni、及びAlが溶接構造体の繰り返し弾塑性変形機構に及ぼす効果は、同等の効果を与えるMnの質量%で代表させることができる。本態様では、これをMn当量([%Mn]eq)と定義して、Mn当量を、各成分元素の含有量(質量%)を用いて以下の式で表す。
Mn当量([%Mn]eq)=[%Mn]+[%Cr]+2[%Ni]+5[%Al]
なお、式中の[%Mn]、[%Cr]、[%Ni]、[%Al]は、上記成分組成におけるMn、Cr、Ni、Alの質量%を意味する。
【0056】
また、本態様では、γオーステナイト相-εマルテンサイト相間の二方向の変形誘起マルテンサイト変態を発現させるためのMn当量の範囲として、以下の式で表す条件を満たすことが好ましい。
36<[%Mn]eq<50
【0057】
Mn当量が36以下であると、εマルテンサイト相の熱力学的安定性が非常に高くなるため、ひとたび変形誘起されたεマルテンサイト相は、その後逆方向に変形されてもγオーステナイト相に逆変態しなくなる。その結果、繰り返し弾塑性変形によって変形誘起εマルテンサイト相の体積率は単調に増加し、形成された変形誘起εマルテンサイト相同士が互いに衝突する箇所で亀裂発生確率や亀裂伸展速度が上昇して破断繰り返し数が低下する。
【0058】
更に、Mn当量が30以下であると、溶接構造体を構成する鋼材の作製時に、溶体化熱処理温度から室温に冷却された時点で既に体積率が10体積%以上の初期εマルテンサイト相が形成され、溶接構造体における変形誘起εマルテンサイト相の形成に対する阻害要因となるため、破断繰り返し数が低下する。
【0059】
また、Mn当量が50質量%以上であると、γオーステナイト相が強く安定化されすぎて、変形誘起εマルテンサイト相が形成されなくなる。
【0060】
なお、特許文献1には、Fe-Mn-(Cr、Ni)-Si系合金において破断繰り返し数を2000サイクル以上とする条件として、Mn当量の範囲を、37<[%Mn]eq<45とすることが開示されている。そのため、本実施形態の溶接構造体において、Mn当量を第一の指標として、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数が4000サイクル以上を達成する条件を設定する場合には、満足すべきMn当量の範囲は、特許文献1に記載の範囲より狭くなると当然予想された。しかし、発明者らによる実験の結果、後述する実施例において具体的に示すように、Mnの含有量を15質量%とし、Cr、Niの含有量を変化させた結果得られる合金や、Mnの含有量を15質量%付近で変化させた結果得られる合金(Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金)は、特許文献1に記載の特性予測とは異なり、より広いMn当量で4000サイクル以上の疲労寿命を示した。この結果は、多元系合金の破断繰り返し数Nfが成分組成に非線形に依存するため、Mn当量による線形予測が適用できる成分範囲に限界があることを示すものであった。すなわち、主に合金の成分組成におけるMnやAlの含有量の影響に着目して見いだされたMn当量の式と長寿命を得るためのMn当量範囲の条件は、Alを必須の成分元素とはせず、主にMn、Cr、Niの含有量の変化に着目した本発明の成分範囲では予測精度を確保することが困難であることが判明した。このため、発明者らは鋭意研究を進めた結果、新しい熱力学パラメーター・セットを用いたギブス自由エネルギー計算による疲労寿命予測技術の開発に至り、これを第一の指標として用い、さらに必要に応じてMn当量の条件を組み合わせることで、予測精度をより高めることができることを知見し、本発明の完成に至ったものである。
【0061】
以上より、本態様では、Mn当量の好ましい範囲は、36<[%Mn]eq<50とし、より好ましくは、38<[%Mn]eq<44とする。
【0062】
Si(ケイ素)は、Mn当量にはほとんど影響しないが、Siを含有することにより、γオーステナイト相とεマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態の可逆性を向上させて、破断繰り返し数を改善することができる。一方、Siを過度に含有すると、破断繰り返し数を低下させたり、合金(溶接金属など)が著しく硬化して、繰り返し弾塑性変形の応力振幅が上昇したりするなどの問題が生じる場合がある。
【0063】
なお、Mn、Cr、Ni、Siの含有量については、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織がγオーステナイト相を主相とするように、オーステナイト安定化元素であるMn、Niの総量と、フェライト安定化元素であるCr、Siの総量のバランス調整が重要である。フェライト安定化元素濃度が高く、オーステナイト安定化元素濃度が低くなるほどδフェライト相が形成されやすく、フェライト安定化元素濃度とオーステナイト安定化元素濃度がともに低い場合には変形誘起α’マルテンサイト相が形成されやすくなる。
【0064】
また、本態様では、溶接金属の成分組成がFA凝固モードとなるように、溶接構造体の成分組成が調整される。溶接金属の特性は、溶接金属の成分組成に基づいて、次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の点座標([%Cr]eq,[%Ni]eq)をシェフラー型組織図上にプロットすることにより把握することができる。
式6
Cr当量([%Cr]eq)=[%Cr]+[%Mo]+1.5[%Si]+0.5[%Nb]
式7
Ni当量([%Ni]eq)=[%Ni]+30[%C]+0.28[%Mn]
なお、式6及び式7中、[%Cr]、[%Mo]、[%Si]、[%Nb]、[%Ni]、[%C]、[%Mn]は、Cr、Mo、Si、Nb、Ni、C、Mnの質量%を意味する。
【0065】
本態様では、溶接金属の成分組成がFA凝固モードとなるために、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96である条件を満足することとする。
なお、本明細書において、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)の値の有効数字は3桁とする。ただし、当該値がゼロ未満である場合には、小数点第三位を四捨五入することとする。
また、以下の実施例では、合金の成分組成に基づいて点座標([%Cr]eq,[%Ni]eq)をシェフラー型組織図上にプロットした例を示す。
【0066】
以上の各条件の他、本態様では、溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の製造上の制約等により、Mn、Cr、Ni、Siの各成分元素の含有量は限定される。以下に詳細に説明する。
【0067】
<Mn>
Mn(マンガン)は、γオーステナイト相を安定化させ、溶接構造体の繰り返し弾塑性変形時に、γオーステナイト相からεマルテンサイトへの変形誘起マルテンサイト変態とこの逆変態を交互発生させるための必須元素である。本態様では、後述するCr及びNiの含有量を考慮して、Mnの含有量を18質量%以下とする。
【0068】
溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の観点からは、Mnを過度に含有すると、Mnの蒸発や酸化によるMn歩留の低下、溶解炉耐火物との反応などが避けられず、実用化可能なコストでの溶解が困難である。そのため、Mnの含有量を18質量%以下とすることにより、溶解コストを低下させることができ、また、量産化に適したアーク炉溶解で合金を作製することが可能である。
【0069】
一方、Mnの含有量が12質量%未満になると、Cr及びNiの含有量をどのように調整しても疲労特性に有害な変形誘起α’マルテンサイト相の形成を避けることができない。そのため、本態様では、Mnの含有量を少なくとも12質量%以上とすることが好ましい。
【0070】
以上より、本態様では、Mnの含有量を12質量%≦Mn≦18質量%の範囲とする。
【0071】
<Cr>
Cr(クロム)は、Mnが、溶接構造体の繰り返し弾塑性変形時に、γオーステナイト相からεマルテンサイトへの変形誘起マルテンサイト変態とこの逆変態を交互発生させ、本態様の溶接構造体の疲労特性を向上させる作用を代替する元素である。また、Crは更に耐食性や耐高温酸化性の向上にも寄与する。しかし、Crの含有量が15質量%を超えると他の成分をどのように調整しても変形誘起α’マルテンサイト相の形成を抑制することが難しくなる。また、溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の観点からは、Siと低融点の金属間化合物を形成するため合金の溶製が困難となる。
【0072】
以上より、本態様では、Crの含有量は5質量%≦Cr≦15質量%の範囲とする。
【0073】
<Ni>
Ni(ニッケル)は、Mnがγオーステナイト相を安定化させ、かつ、溶接構造体の繰り返し弾塑性変形時に、γオーステナイト相からεマルテンサイトへの変形誘起マルテンサイト変態とこの逆変態を交互発生させ、本態様の溶接構造体の疲労特性を向上させる作用を代替する元素である。特に本態様ではMnの含有量を18質量%以下とするため、オーステナイト安定化元素としてのNiを5質量%以上含有させなければ、弾塑性変形前の状態としてγオーステナイト相を主相とする微細組織構造が得られなくなる。
【0074】
一方、溶接構造体を構成する鋼材及び溶接材の観点からは、Niの含有量が12質量%以上になるとSiと低融点の金属間化合物を形成するため合金の熱間加工性を劣化させる。また、材料コストの観点からは、高価な元素であるNiは10質量%未満であることがより好ましい。
【0075】
以上より、本態様では、Niの含有量を5質量%≦Ni<12質量%、より好ましくは5質量%≦Ni<10質量%の範囲とする。
【0076】
<Si>
Si(ケイ素)は、ショックレー部分転位の反復運動に可逆性を与え、疲労寿命を改善させるための必須元素であり、その効果が得られる含有量は2質量%≦Si≦6質量%である。Siの含有量が2質量%未満では可逆性向上の効果が不十分であり、6質量%を超えると脆性的なケイ化物が形成されて疲労寿命が低下する。
【0077】
以上より、本態様では、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数を4000サイクル以上とするため、Siの含有量を2質量%≦Si≦6質量%の範囲とする。なお、Siの含有量がこの範囲を満たすことにより、溶接構造体を構成する鋼材自体の破断繰り返し数としても4000サイクル以上を達成することができる。
【0078】
<その他>
本態様では、必要に応じて、鉄基合金の特性調整のために微量添加する任意元素、あるいは、不可避的に含まれる不純物元素として、Al(アルミニウム)、Co(コバルト)、Cu(銅)、Nb(ニオブ)、Ta(タンタル)、V(バナジウム)、Ti(チタン)、Mo(モリブデン)を合計で1質量%以下、C(炭素)、N(窒素)、B(ホウ素)を合計で0.2質量%以下含んでもよい。
【0079】
上述したように、本態様の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の金属組織は、γオーステナイト相を主相としていればよく、δフェライト相や初期εマルテンサイト相が含まれてもよい。実際に、上記変形によりγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態が発生しやすい状態に成分調整された合金は、溶接凝固時の成分偏析によりCrやSiが濃化した箇所には溶接後の冷却時にδフェライト相が形成されやすく、溶接凝固時の成分偏析によりMnやNiが濃化した箇所には、溶接後の冷却やその後の環境の温度変化や加工の影響等により、意図せずに初期εマルテンサイト相が形成される場合がある。
【0080】
これら、δフェライト相や初期εマルテンサイト相は、金属疲労の遅延に有効なγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態と逆変態の交互発生には何ら寄与しないが、δフェライト相と初期εマルテンサイト相の体積率は合計で14.5体積%未満であれば、主相であるγオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相との二方向マルテンサイト変態を阻害しない。
一方、意図せずに形成された初期εマルテンサイト相は、通常結晶学的方位がその後、繰り返し弾塑性変形によって現れた変形誘起εマルテンサイト相とは異なり、変形誘起εマルテンサイト相の成長に対する障壁となるので、その体積率は10体積%以下であることが好ましい。
【0081】
本態様の溶接構造体の繰り返し弾塑性変形は、主としてγオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態が交互に発生することによって行われる。具体的には、引張圧縮弾塑性変形を受けると、引張変形時に誘起されたεマルテンサイト相は、変形方向が圧縮に反転するとγオーステナイト相に逆変態する。
【0082】
一方、圧縮変形は引張誘起されたεマルテンサイト相の逆変態と同時に、引張変形時とは異なる結晶方位の新たなεマルテンサイト相を生じる。この圧縮誘起εマルテンサイト相も、変形が再び引張へと反転するとγオーステナイト相に逆変態する。このように引張誘起εと圧縮誘起εが、引張圧縮の繰り返しにより交互に発生・消滅を繰り返すことで、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相の界面に存在するショックレー部分転位が金属疲労損傷を蓄積させることなく反復運動し、かつ、引張圧縮弾塑性変形の繰り返しによる変形誘起εマルテンサイト相の累積体積率増加が小さいために、可逆的な二方向マルテンサイト変態の状態が繰り返し弾塑性変形の間保たれることが、本態様の溶接構造体が疲労特性に優れている理由である。
【0083】
しかし、ひずみ振幅やサイクル数が増加するに従い変形誘起εマルテンサイト相の体積率は徐々にではあるが増加し、90体積%以上になると亀裂発生確率や亀裂伸展速度が増大して破断にいたる場合がある。従って、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対する破断繰り返し数を4000サイクル以上とするためには、4000サイクル変形した後の変形誘起εマルテンサイトの体積率を90体積%未満とするのが望ましい。
【0084】
また、ひずみ振幅やサイクル数が増加するに従い変形誘起εマルテンサイト相の体積率が徐々に増加する結果、結晶方位が異なる変形誘起εマルテンサイト相が交差する箇所に変形誘起α’マルテンサイト相が形成される場合がある(二次ε→α’マルテンサイト変態)。変形誘起α’マルテンサイト相はFCC構造からBCC構造への結晶構造変化に伴う体積膨張のためにα'相内や周辺のγ相に転位を発生させ、しかも、ひとたびα’相に
変態すると変形だけではγ相に逆変態することはない。また、自己触媒反応によってさらなる変形誘起α’マルテンサイト変態の連鎖反応を生じて、急激な体積率増加により材料を著しく加工硬化させる性質を有し、応力レベル上昇による制振部材性能の低下のみならず、破断繰り返し数の低下にもつながる。さらには、γオーステナイト相からεマルテンサイト相への変形誘起マルテンサイト変態とその逆変態の交互発生に対して、γオーステナイト相と変形誘起εマルテンサイト相の界面に存在するショックレー部分転位の反復運動を阻害して疲労寿命を低下させるが、その疲労破断材における体積率が12体積%未満であれば、有害な連鎖反応によるα’相の増加は繰り返し変形中に生じなかったことを意味し、そのような低体積率の変形誘起α’マルテンサイト相は、溶接構造体の金属疲労を遅延させる効果を損なわない。したがって、変形誘起α’マルテンサイト相の体積率は12体積%未満とすべきである。
【0085】
本態様の溶接構造体は、制振部材として、超高層ビルや大規模展示場などの大型建築構造物の制振装置に用いることを目的とするものであるから、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対して破断または座屈にいたる最終繰り返し数は4000サイクル以上とする。
【0086】
本態様の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成は、実質的に同一であってよい。
【0087】
本明細書において、母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成に関して「実質的に同一」とは、各成分元素の含有量の差が±0.5質量%の範囲内であることを意味し、±0.3質量%の範囲内であることがより好ましく、±0.25質量%の範囲内であることが更に好ましく、±0.2質量%の範囲内であることが特に好ましい。
【0088】
本態様の溶接構造体では、繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成は、互いに異なっていてもよい。
【0089】
本明細書において、母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成に関して「互いに異なる」とは、1種以上の成分元素の含有量の差が±0.5質量%を超えることを意味する。
【0090】
[Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金]
本発明の実施形態に係る合金鋼は、上述した本実施形態の溶接構造体に用いられる合金であり、成分元素として、Mn、Cr、Ni、Siを含有し、残部Fe及び不可避不純物からなる、Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金である。
【0091】
本実施形態に係るFe-Mn-Cr-Ni-Si系合金(以下、「本実施形態の合金」ともいう。)は、成分組成が、上述した本実施形態の溶接構造体における繰り返し弾塑性変形前の母材、溶接熱影響部、及び溶接金属の成分組成条件を満たす。
【0092】
すなわち、本実施形態の合金は、成分組成が、
必須元素として、12質量%≦Mn≦18質量%、5質量%≦Cr≦15質量%、5質量%≦Ni<12質量%、2質量%≦Si≦6質量%を含有し、
任意元素、あるいは、不可避的に含まれる不純物元素として、Al、Co、Cu、Nb、Ta、V、Ti、Moを合計で0質量%以上1質量%以下、C、N、Bを合計で0質量%以上0.2質量%以下含有し、
残部Fe及び不可避不純物からなり、
次式1~5と表1の熱力学パラメーターで規定されるγ相とε相のギブス自由エネルギー差ΔG
γ→εが、
-150J/mol<ΔG
γ→ε<50J/mol
である条件、かつ、
次式6で規定されるCr当量([%Cr]eq)と次式7で規定されるNi当量([%Ni]eq)の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、
1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96
である条件を満足することが好ましい。
【数15】
【数16】
【数17】
【数18】
【0093】
上記の成分組成条件を満たすことにより、本実施形態の合金は、本実施形態の溶接構造体に用いる鋼材または溶接材として、好ましく用いることができる。より具体的には、本実施形態の溶接構造体を制振部材として用いる態様において、本実施形態の合金は、溶接材で溶接される鋼材として用いるのに適しており、また、当該鋼材を溶接するための溶接材として用いるのに適している。
【0094】
なお、本実施形態の合金において、各成分元素の効果及び望ましい含有量の範囲などについては、本実施形態の溶接構造体に関して上述したのと同様であるので、詳細な説明を省略する。
【0095】
また、本実施形態の合金を、本実施形態の溶接構造体を構成する鋼材または溶接材に適用する場合、長周期地震動にも対応可能な制振ダンパー等の制振部材用の心材として用いることを目的とするものであるから、振幅1%のひずみ制御繰り返し引張圧縮変形に対して破断または座屈にいたる最終繰り返し数は4000サイクル以上であることが好ましい。
【0096】
以下、実施例に基づいて本発明を更に詳細に説明する。
以下の実施例に示す材料、使用量、割合、処理内容、処理手順等は、本発明の趣旨を逸脱しない限り適宜変更することができる。従って、本発明の範囲は以下に示す実施例により限定的に解釈されるべきものではない。
【実施例】
【0097】
以下の表3に示す例1-1~例1-22の成分組成を有する合金(Fe-Mn-Cr-Ni-Si系合金)を、高周波真空誘導加熱炉を用いて各10kg溶解して金型に鋳造して作製した後、各鋳塊に1000℃で熱間鍛造及び熱間圧延を施して厚さ20mm、幅50mm、長さ900mmの板材に成形し、アルゴン雰囲気中、1000℃、1時間熱処理を行い水冷することにより、ランダム等軸粒の初期γ相組織を有する均一材とした。
【0098】
各例の板材よりゲージ部直径8mmのドックボーン型疲労試験片を切り出し、ゲージ部を平滑研磨して低サイクル疲労試験に供した。低サイクル疲労試験は、軸ひずみ制御、振幅1%の両振り引張圧縮(ひずみ比R=-1)、0.4%/秒の一定ひずみ速度、三角波、室温(25℃)、の条件で疲労破断まで行い、疲労寿命(破断繰り返し数Nf)を測定した。また、フライス加工を施した板材表面に、拘束引張応力を付与した状態で溶接メルトラン実験を行い、溶接による凝固割れが発生するかどうかを調べた。これらの結果を表3にまとめて示す。
【0099】
なお、表3において、各成分元素の含有量の単位は質量%であり、ΔGγ→εの単位はJ/molであり、α’体積率(変形誘起α’マルテンサイト相の含有率)の単位は%であり、「-」は未測定を意味する。また、表3には、各例の番号に加え、成分組成の特徴等を示す記号を併記している。
【0100】
また、表3の「Nf」及び「凝固割れ」の欄の括弧書きの記載は、それぞれ、各合金の成分組成、ならびに、Mn当量、Cr当量、Ni当量、及びCr当量とNi当量の比の値に基づいて本発明者らがシミュレーションを行って得た、破断繰り返し数の推定値(上限値または下限値)及び凝固割れの有無の予測を示す。
【0101】
【0102】
表3に示すように、例1-1では、破断繰り返し数が11000サイクル以上の高い値が得られたが、溶接メルトラン実験において凝固割れが発生した。この結果から、例1-1では、ΔGγ→εの値(-65.0J/mol)が上述した好ましい条件(-150J/mol<ΔGγ→ε<50J/mol)を満たしているため、4000サイクル以上の疲労寿命が得られたが、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)の値(1.31)が上述した好ましい条件(1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96)を満たしていないため、凝固割れが発生したと理解することができる。
また、例1-5では、低サイクル疲労試験において合金が脆化したため破断繰り返し数が計測できず、溶接メルトラン実験において凝固割れが発生した。この結果から、例1-5では、Crの含有量(16質量%)が15質量%を超えるため、変形誘起α’マルテンサイト相の形成が過剰となり、合金の脆化をもたらし、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)の値(2.39)が上述した好ましい条件(1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96)を満たしていないため、凝固割れが発生したと理解することができる。
一方、例1-2、例1-3、及び例1-4では、4000サイクルを有意に上回る破断繰り返し数が得られ、かつ、溶接メルトラン実験において凝固割れは発生しなかった。これらの結果は、ΔGγ→εの値、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)の値、各成分元素の含有量が、上述した好ましい条件を満たすことにより、本発明の効果が得られることを示している。加えて、例1-2、例1-3、及び例1-4では、Mn当量の値が41であり、上述した好ましい条件(36<[%Mn]eq<50、より好ましくは、38<[%Mn]eq<44)を満たしているため、γオーステナイト相-εマルテンサイト相間の二方向の変形誘起マルテンサイト変態が効果的に発現されたことが示唆される。
【0103】
なお、比較のために、市販のオーステナイト系ステンレス鋼材(SUS316)を用い、上記と同一の条件で疲労寿命の測定、及び溶接メルトラン実験を行った結果、溶接メルトラン実験において凝固割れは発生しなかったが、破断繰り返し数は1531サイクルであり、本発明での基準値である4000サイクルよりも有意に低い値であった。
【0104】
図1(a)及び(b)は、それぞれ、例1-1及び例1-2の、溶接メルトラン実験における凝固割れの有無の確認結果を示す顕微鏡画像である。
また、例1-1~例1-5の合金の成分組成に基づいて点座標([%Cr]eq,[%Ni]eq)をシェフラー型組織図上にプロットし、凝固モードの境界を示す直線と、Siの含有量が4質量%である場合(例1-1~例1-5の合金の成分組成に対応する)のMn当量の範囲(36<[%Mn]eq<50、または、38<[%Mn]eq<44)を示す直線を描いた図を作成した。
【0105】
これらの結果から、例1-2~例1-4では、例1-1と比べてCr当量の増加、Ni当量の減少により、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)が、1.33<[%Cr]eq/[%Ni]eq≦1.96の条件を満たすことによって、溶接メルトラン実験における溶接金属の成分組成がFA凝固モードとなり、凝固割れの発生が抑制されたと考えられる。
【0106】
また、フェライトメーターを用いて、疲労破断後の例1-1~例1-4の試験材のα’マルテンサイト相の含有率を測定した結果、例1-1~例1-3の試験材では0体積%超1体積%未満(表3では「<1」と記載)であり、例1-4の試験材では1.26体積%であった。
また、電子線後方散乱回折法により、疲労破断後の例1-1及び例1-4の試験材のεマルテンサイト相の体積率を測定した結果、それぞれ、61体積%、74体積%であった。
【0107】
図2には、例1-1~例1-10、及び例1-15~例1-22の合金の成分組成に基づいて点座標([%Cr]eq,[%Ni]eq)をシェフラー型組織図上にプロットした図を示す。
図2において、丸印で示す5つのプロットは、x軸(Cr当量)に沿って左側から順に、例1-1、例1-2、例1-3、例1-4、例1-5に対応している。
また、四角印で示す5つのプロットは、y軸(Ni当量)に沿って上から順に、例1-6、例1-7、例1-8、例1-9、例1-10に対応している。
また、上向き三角印で示す4つのプロットは、x軸(Cr当量)に沿って左側から順に、例1-18、例1-17、例1-16、例1-15に対応している。
また、菱形印で示す4つのプロットは、x軸(Cr当量)に沿って左側から順に、例1-22、例1-21、例1-20、例1-19に対応している。
なお、
図2には、凝固モードの境界を示す2本の直線も描かれている。
【0108】
表3、及び
図2に示すシェフラー型組織図から、例1-2~例1-4、例1-7、例1-15~例1-17、例1-20、及び例1-21の合金は、上述した本発明の実施形態に係る合金鋼の好ましい成分組成条件を満たし、かつ、ΔG
γ→εの値、Cr当量とNi当量の比([%Cr]eq/[%Ni]eq)の値が、上述した好ましい条件を満たすことにより、4000サイクルを有意に上回る破断繰り返し数を達成し、かつ、溶接メルトラン実験において溶接金属の成分組成がFA凝固モードとなり、凝固割れが発生しないことがわかる。
【0109】
ここで、ΔGγ→εの値について見ると、例1-1~例1-22のうち、例1-18以外は、上述した好ましい条件(-150J/mol<ΔGγ→ε<50J/mol)を満たしているため、ΔGγ→εの値のみを指標とした場合には、4000サイクル以上の疲労寿命が得られる可能性があるとも言える。しかしながら、実際には、多元系合金においては、別の影響因子(変形誘起α’マルテンサイト相の形成など)も複合的に作用するため、破断繰り返し数が4000サイクル未満の試験材もある。すなわち、本発明によって得られる効果は、上述した個々の条件、指標、パラメーター等の単なる組み合わせによってもたらされるというよりは、むしろ、FMS合金に代表される制振合金を母材とする溶接構造体において、その微細組織構造、ならびに、微細組織の変形機構が満たすべき条件を、合金成分設計指針という観点で整理する場合には、各々の条件等の特徴(技術的意義)を生かし、複数の条件等を効果的に組み合わせることが有効であることを示唆している。
【0110】
具体的には、例えば、例1-8、例1-9、及び例1-10では、いずれも、ΔGγ→
εの値は上述した好ましい条件(-150J/mol<ΔGγ→ε<50J/mol)を満たしているが、破断繰り返し数はそれぞれ、3487サイクル、1622サイクル、890サイクルである。また、疲労破断後の各試験材について、フェライトメーターを用いてα’マルテンサイト相の含有率を測定した結果、それぞれ、12.5体積%、58.8体積%、70.4体積%であり、変形誘起α’マルテンサイト相の体積率の増加に伴って疲労寿命が低下する傾向が見られた。これらの結果は、変形誘起α’マルテンサイト相の形成及びその体積率が、疲労寿命と一定の相関関係を有していることを示唆している。
【0111】
次に、例1-1及び例1-3の二種類の合金を伸線加工して溶接ワイヤを作製し、MIG溶接によりそれぞれ同一成分組成の板材と溶接ワイヤの組み合わせで溶接継手を作製し、溶接部の溶接金属から微小疲労試験片(ゲージ部直径3mmのドッグボーン型疲労試験片)を切り出して疲労試験を行った。疲労試験条件は上記と同一である。また、各溶接継手の溶接部の溶接金属での凝固割れの有無を調査した。これらの結果を表4にまとめて示す。
【0112】
【0113】
表4に示すように、例2-1では、疲労寿命の長い例1-1の合金を板材(母材)と溶接ワイヤ(溶接材)の両方に用いているが、上述したようにこの合金は溶接による凝固割れが発生しやすい性質を有するため、作製した溶接継手の溶接部の溶接金属での凝固割れが発生し、また、溶接継手の疲労寿命は破断繰り返し数が3130サイクルとなり、板材自体の疲労寿命(破断繰り返し数11000サイクル以上)よりも大幅に低下した。
一方、例2-2のように、長疲労寿命化と溶接による凝固割れが発生しにくい凝固モードの両方の条件を満足するように選択された板材(母材)と溶接ワイヤ(溶接材)の組み合わせでは、溶接継手の溶接部の溶接金属での凝固割れが発生せず、溶接継手の溶接部でも4000サイクルを有意に上回る高い疲労寿命が得られた。
【0114】
また、母材と溶接材が異なる成分組成であっても、その任意の混合成分が長疲労寿命化と溶接による凝固割れが発生しにくい凝固モードの両方の条件を満足する場合には4000サイクルを有意に上回る疲労寿命が得られる。表3に示す成分組成を有する合金を用いて溶接構造体を作製する場合の、母材と溶接材の好ましい組み合わせを例示すると、以下の表5のようになる。
【0115】
【産業上の利用可能性】
【0116】
本発明の溶接構造体は、溶接部においても母材の鋼材と同等の優れた疲労特性を示すので、地震、風揺れ等による建築構造物の振動を抑制する弾塑性ダンパーとして好適であり、従来の制振ダンパーを上回る高性能ダンパーとして、超高層ビルや大規模展示場などの大型建築構造物の制振構造に特に好適である。