(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-09
(45)【発行日】2024-04-17
(54)【発明の名称】糖鎖解析方法、糖鎖解析システム、糖鎖解析用プログラム、及び糖鎖解析用キット
(51)【国際特許分類】
G01N 27/447 20060101AFI20240410BHJP
【FI】
G01N27/447 301A
G01N27/447 315F
G01N27/447 301B
G01N27/447 315K
(21)【出願番号】P 2022170432
(22)【出願日】2022-10-25
(62)【分割の表示】P 2018035083の分割
【原出願日】2018-02-28
【審査請求日】2022-11-24
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 第30回バイオメディカル分析科学シンポジウム要旨集(BMAS2017)、公益社団法人 日本薬学会 物理系薬学部会、平成29年8月28日 〔刊行物等〕 第30回バイオメディカル分析科学シンポジウム、平成29年8月29日 〔刊行物等〕 第15回糖鎖科学コンソーシアムシンポジウム要旨集、日本糖鎖科学コンソーシアム事務局、平成29年10月26日 〔刊行物等〕 第15回糖鎖科学コンソーシアムシンポジウム ランチョンセミナー、平成29年10月27日
(73)【特許権者】
【識別番号】000125347
【氏名又は名称】学校法人近畿大学
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】木下 充弘
【審査官】北島 拓馬
(56)【参考文献】
【文献】特開2019-148564(JP,A)
【文献】国際公開第2004/036216(WO,A1)
【文献】特開2009-074811(JP,A)
【文献】特開2002-243701(JP,A)
【文献】国際公開第2002/044708(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B01J 20/281-20/292
G01N 27/26 -27/404
G01N 27/414-27/416
G01N 27/42 -27/49
G01N 30/00 -30/96
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
a)試料中の糖鎖を蛍光標識する蛍光標識ステップと、
b)蛍光標識された糖鎖を含む試料を、レクチンが添加されていない緩衝液と該緩衝液に、
DSA(チョウセンアサガオレクチン)を含む複数種類のレクチンがそれぞれ添加された複数種類のレクチン添加済み緩衝液のうちの
、その一種類はレクチンとしてDSAが添加されたレクチン添加済み緩衝液である二種以上の分離用緩衝液を用いたマイクロチップ電気泳動法により分離して蛍光検出する測定ステップと、
c)前記二種以上の分離用緩衝液を用いた測定により取得された複数のエレクトロフェログラムを比較することにより、前記試料中の糖鎖を同定する同定ステップと、
を有し、前記緩衝液の種類を含むマイクロチップ電気泳動法での分離条件は、イソマルトオリゴ糖混合物を測定したときに単糖から20糖までの範囲の重合度の異なる糖鎖がそれぞれ分離可能であるような条件
とするために、前記緩衝液は、レクチンを含むタンパク質との相互作用が実質的にないものであって、トリス酢酸緩衝液にヒドロキシプロピルメチルセルロースを混合させた分離ゲルである、ことを特徴とする糖鎖解析方法。
【請求項2】
請求項1に記載の糖鎖解析方法であって、前記緩衝液は、2%のヒドロキシプロピルメチルセルロースを含む80mMのトリス酢酸緩衝液である、ことを特徴とする糖鎖解析方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電気泳動法を利用した糖鎖の解析方法、並びに、該解析を行うための糖鎖解析システム、糖鎖解析用コンピュータプログラム、及び糖鎖解析用キットに関する。
【背景技術】
【0002】
生体中には多数のタンパク質や脂質が存在しているが、その多くは、それ自身では十分な機能を有さず、何らかの修飾を受けることでその機能が発揮されることが解明されている。特に、タンパク質や脂質に糖鎖が結合した糖タンパク質、糖脂質は複合糖質とも呼ばれ、細胞間相互作用やシグナル伝達、発生・分化、さらには受精、疾病など、様々な生体内現象に関与することが分かってきている。
【0003】
タンパク質や脂質を修飾している糖鎖は単糖が直鎖状に連なった構造であることは少なく、多くの場合、分枝構造を有している。こうした分枝構造を有する糖鎖の構造は非常に多様性に富んでおり、その構造がタンパク質や脂質の機能に大きな影響を及ぼしている。そのため、糖鎖の解析は、生理学、生命科学、医学、薬学等、様々な分野において非常に重要である。一方で、その構造の多様性、大量合成の困難さなどのために、糖鎖の解析はタンパク質等の解析に比べて困難である。
【0004】
近年の質量分析技術の急速な進歩に伴い、質量分析、特にタンデム質量分析、MSn型質量分析などと呼ばれる質量分析法による糖鎖の構造解析も行われるようになってきている。しかしながら、質量分析法を利用して高感度、高精度の糖鎖解析を行うにはかなり高価な装置が必要であるため、簡便で手軽な分析手法とはいえない。
【0005】
簡便な糖鎖解析法として、糖鎖を蛍光標識化したうえで、キャピラリー電気泳動(以下「CE」と略す)法と蛍光検出法とを組み合わせた装置で解析する方法が従来から知られている(特許文献1、2等参照)。CE法では、分離モードの選択、緩衝液の種類、pH、添加剤の有無やその種類などの分離条件によって分離性能が変わる。しかしながら、複数種類の糖鎖が混在している糖鎖混合物を試料とする場合、全ての糖鎖について分離条件を最適化することは難しいため、必ずしも異種の糖鎖を十分に分離できない場合がある。これに対し、本発明者らは非特許文献1、2においてキャピラリーアフィニティ電気泳動(以下「CAE」と略す)法と名付けた方法を提案している。
【0006】
CAE法では、蛍光標識した糖鎖混合物を糖結合性特異性が知られている糖結合性タンパク質(レクチン:Lectin)を含む緩衝液中で電気泳動させる。レクチンは糖鎖の特定の単糖又はオリゴ糖構造に結合するため、その特定構造を有する糖鎖はレクチンが結合した分だけ見かけ上の質量が増加し、一方、上記特定構造を有さない糖鎖は見かけ上の質量に変化がない。見かけ上の質量が増加した糖鎖はそれだけ泳動時間が長くなるため、レクチンとの親和性の差異に応じて泳動時間に差が生じ、これを利用して糖鎖の分離性能を向上させることができる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特開2009-36577号公報
【文献】特開2009-109325号公報
【非特許文献】
【0008】
【文献】掛樋、松野、木下、「キャピラリー電気泳動による蛍光標識糖鎖の超高感度分析」、臨床化学、日本臨床化学会、Vol.34、No.4、2005年、pp.326-335
【文献】木下、掛樋、「糖鎖解析におけるキャピラリー電気泳動が果たす役割」、生物物理化学、日本生物物理化学学会、Vol.56、2008年、pp.111-116
【文献】鈴木、ほか12名、「DNA/RNA 分析用マイクロチップ電気泳動装置MCE-202 "MultiNA"―開発とその応用―」、島津評論、島津評論編集部、Vol.64、No.3・4、2007年、pp.117-122
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかしながら、上述したCAE法による糖鎖解析では、キャピラリー管の洗浄、緩衝液の注入、試料の注入、電気泳動といった作業・操作を並行して行うことができないため、スループットが低いという問題がある。CAE法では糖鎖を同定するために同一試料に対し複数回(最低でも2回、通常は3回以上)の測定を行う必要がある。分離条件にも依存するが、CAE法では1回の測定に数分~数十分の時間を要する上に、測定毎に行う必要があるキャピラリー管の洗浄や緩衝液の充填などにも時間が掛かる。そのため、通常、一つの試料についての測定に数時間程度掛かる。そうしたことから、多数の試料をより効率的に解析できる手法が要望されていた。
【0010】
また、CAE法で同定可能な糖鎖の種類を増やすには、糖結合性の相違する多種類のレクチンを使用した測定を行う必要がある。しかしながら、本発明者らの実験的な検証によれば、CAE法において実際に利用可能であるレクチンの種類はかなり限定される。その主たる理由は、レクチンの種類によっては、そのレクチンが特異性を有さない(結合しない)筈である、つまりは泳動時間が変化しない筈である糖鎖の泳動時間も変化してしまうために、ピークの位置に基づく正確な同定ができない場合があるからである。こうしたことから、従来のCAE法では使用可能なレクチンの種類が限られてしまい、それ故に、正確に同定可能な糖鎖の種類もかなり限られるという問題があった。
【0011】
本発明はこうした課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、糖鎖解析に使用可能なレクチンの種類を増やすことができ、それによって従来では適切に分離することができなかった糖鎖も分離し同定することができる糖鎖解析方法、並びに該方法を実施するための糖鎖解析システム、糖鎖解析用プログラム、及び糖鎖解析用キットを提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
上記課題を解決するためになされた本発明に係る糖鎖解析方法は、
a)試料中の糖鎖を蛍光標識する蛍光標識ステップと、
b)蛍光標識された糖鎖を含む試料を、レクチンが添加されていない緩衝液と該緩衝液に互いに異なるレクチンがそれぞれ添加された複数種類のレクチン添加済み緩衝液のうちの少なくとも二種以上の分離用緩衝液を用いたマイクロチップ電気泳動法により分離して蛍光検出する測定ステップと、
c)前記二種以上の分離用緩衝液を用いた測定により取得された複数のエレクトロフェログラムを比較することにより、前記試料中の糖鎖を同定する同定ステップと、
を有し、さらに後述する特徴の一つを有する。
【0013】
また上記課題を解決するためになされた本発明に係る糖鎖解析システムは、上記発明に係る糖鎖解析方法に用いられるシステムであって、
a)試料中の成分を分離するマイクロチップ電気泳動部、及び該マイクロチップ電気泳動部で分離された成分を蛍光検出する検出部、を含む測定部と、
b)既知の糖鎖について、レクチンが添加されていない緩衝液と該緩衝液に互いに異なるレクチンがそれぞれ添加された複数種類のレクチン添加済み緩衝液のうちの少なくとも二種以上の分離用緩衝液を用いた測定により取得される複数のエレクトロフェログラムに関する情報又はその複数のエレクトロフェログラム上で観測されるピークの情報を収録した糖鎖同定用データベースと、
c)前記測定部を用い、蛍光標識された未知の糖鎖を含む試料を前記二種以上の分離用緩衝液の下でそれぞれ測定することで得られたエレクトロフェログラムについてピークを検出するピーク検出部と、
d)前記ピーク検出部によるピーク検出結果と前記糖鎖同定用データベースに収録されている情報とに基づいて、前記試料中の糖鎖を同定する同定処理部と、
を備えることを特徴としている。
【0014】
また上記課題を解決するためになされた本発明に係る糖鎖解析用プログラムは、上記発明に係る糖鎖解析方法を実施するためにコンピュータに搭載される糖鎖解析用プログラムであって、該コンピュータを、
a)蛍光標識された糖鎖を含む試料を、レクチンが添加されていない緩衝液と該緩衝液に複数種類のレクチンがそれぞれ添加された複数種類のレクチン添加済み緩衝液のうちの少なくとも二種以上の分離用緩衝液を用いたマイクロチップ電気泳動法により分離して蛍光検出するように、マイクロチップ電気泳動部及び検出部を含む測定部の動作を制御する測定制御機能部と、
b)前記測定制御機能部による制御の下で前記二種以上の分離用緩衝液を用いた測定により取得されたデータに基づいてそれぞれエレクトロフェログラムを作成し、該複数のエレクトロフェログラムを比較することによって前記試料中の糖鎖を同定する同定処理機能部と、
して動作させることを特徴としている。
【0015】
また上記課題を解決するためになされた本発明に係る糖鎖解析用キットは、上記発明に係る糖鎖解析方法を実施するために使用される糖鎖解析用キットであって、
分離用緩衝液として添加される複数種類のレクチンを含むことを特徴としている。
なお、この糖鎖解析用キットには、レクチンが添加されていない緩衝液、或いは該緩衝液を調製するための試薬類を含むようにしてもよい。
【0016】
本発明に係る糖鎖解析方法では、従来のCAE法と同様に、レクチンの糖結合性特異性を利用して糖鎖の分離性を高めるが、試料中に含まれる複数種類の糖鎖を分離する際に、CE法ではなくマイクロチップ電気泳動(以下、「ME」と略す)法を利用する。ME法は、試料中の成分を分離するために、ガラスやプラスチック、或いは石英から成る基板上に数十~数百μm程度の幅及び深さを有する微細な流路が形成されたマイクロチップを用いるものであり、DNA/RNAの分離などに広く利用されている。ME法ではCE法に比べて分離流路が格段に短いために測定の所要時間が短くて済み、また流路の洗浄や緩衝液の充填に要する時間も短い。そのため、一つの試料について異なる種類の緩衝液の下での測定を複数回実行したとしても、その総測定時間はCAE法による測定に比べて大幅に短縮される。なお、ME法による測定の際には、例えば非特許文献3に記載されている島津製作所製のマイクロチップ電気泳動装置MCE-202などを利用することができる。
【0017】
また、ME法では一般的なCE法に比べてマイクロチップ中の流路に緩衝液を注入する際の圧力を高めることができるため、分子篩効果が得られるような高い濃度の分離ゲルを緩衝液として用いることができる。この分離ゲルは、一般的な液体状の緩衝液に適当な種類の中性ポリマー、例えばヒドロキシプロピルメチルセルロース、ポリエチレングルコール、ヒドロキシプロピルセルロースなどを、適当な濃度で混合させたものとすることができる。こうした分子篩効果が生じる分離ゲルを緩衝液として用いたME法では、次のような利点がある。
【0018】
上述したように従来のCAE法では使用可能なレクチンの種類が限られるが、本発明者は様々な実験を繰り返した結果、それは次のような要因に依るものであることを解明した。即ち、上述したCAE法では、ごく細径のキャピラリー管に高濃度のゲルを導入することが難しいために、実質的に分子篩効果が殆ど生じない緩衝液を用いて蛍光標識された糖鎖を分離している。CE法ではME法に比べて高い電場を緩衝液中に形成することができるため、分子篩効果が実質的に無い場合でも或る程度の分離が可能である。ところが、CAE法では、分子篩効果が無いと、タンパク質であるレクチンの等電点によってはレクチン自体や該レクチンと糖鎖との複合体も、電場の作用によって陽極又は陰極のいずれかに移動するという現象が起こる。つまり、レクチンが擬似固定相として機能しなくなる。そのために、レクチンが結合した糖鎖とレクチンが結合していない糖鎖とが検出器に到達する際の時間差が小さくなったり相互作用の強さ以上に大きくなったりして、エレクトロフェログラム上でそれらのピークが重なる場合がある。これを回避するには、電気泳動用の緩衝液のpH値から±1程度の範囲内に等電点を有するレクチンを用いるのが好ましいが、そうした特性を有するレクチンは数少ない。
【0019】
これに対し、ME法では分子篩効果が十分に生じる濃度の分離ゲルを緩衝液として用いることができる。このように分子篩効果が十分に発揮される状態であれば、レクチンはその種類に依らず、見かけ上流路内で移動せず擬似固定相として機能する。そのため、レクチンと結合した糖鎖はそのレクチンの種類、つまりはレクチンの等電点や分子量の相違に依らず、レクチンと結合していない糖鎖に比べて移動速度が大幅に低下する。それによって、CAE法では使用できなかった種類のレクチンを含め、多くのレクチンについて、そのレクチンの糖結合性特異性に応じて異種の糖鎖を十分に分離することができる。その結果として、従来では同定が難しかった又は不可能であった糖鎖を含め、多くの種類の糖鎖の同定が可能となる。
【0020】
具体的には、例えばN-アセチルノイラミン酸(NeuAc)特異性を有するSSA(日本ニワトコ樹皮レクチン)は等電点(PI)が5.4~5.8、同じN-アセチルノイラミン酸特異性を有するMAM(イヌエンジュレクチン)はPIが4.7であり、これらは一般的なCAE法では使用できない。それに対し、本発明ではこうしたレクチンも問題なく使用することができ、それらレクチンのN-アセチルノイラミン酸特異性を利用した糖鎖の分離が可能である。
【0021】
こうしたことから本発明に係る糖鎖解析方法の一態様では、前記緩衝液は分子篩効果が生じる濃度の分離ゲルであることを特徴とする。
【0022】
言い換えれば、本発明に係る糖鎖解析方法の他の態様では、前記緩衝液はレクチン等のタンパク質の電気泳動が実質的に無視できる濃度の分離ゲルであることを特徴とする。
【0023】
また、緩衝液とタンパク質と相互作用が生じなければタンパク質は緩衝液中で電気泳動しないから、本発明に係る糖鎖解析方法のさらに他の態様では、前記緩衝液はタンパク質との相互作用が実質的にないものであることを特徴とする。
【0024】
また緩衝液にレクチンを添加したことでpHが変化してしまうと、レクチンの有無や添加されるレクチンの種類によって電気泳動における分離特性が異なるものとなってしまう。そうなると、複数のエレクトロフェログラム上で同じ移動時間の位置に現れるピークが同じ糖鎖由来のピークであることが保証されず、糖鎖の同定に支障をきたす。そこで、本発明に係る糖鎖解析方法のさらに他の態様では、前記緩衝液はレクチンの添加によるpHの変化が実質的にないものであることを特徴とする。
【0025】
また本発明に係る糖鎖解析方法で多種類の糖鎖を同定するには、レクチンを添加しない状態での糖鎖の分離性能が或る程度高い必要がある。そこで、本発明に係る糖鎖解析方法のさらに他の態様では、前記緩衝液の種類を含むマイクロチップ電気泳動法での分離条件は、イソマルトオリゴ糖混合物を測定したときに単糖から20糖までの範囲の重合度の異なる糖鎖がそれぞれ分離可能であるような条件であることを特徴とする。
【0026】
また、或る糖鎖と結合しないレクチン、即ち、非特異的なレクチンの存在下でその糖鎖の泳動時間が変化してしまうと、その糖鎖の同定に支障をきたす。そこで本発明に係る糖鎖解析方法のさらに他の態様では、前記緩衝液の種類を含むマイクロチップ電気泳動法での分離条件は、レクチン無添加緩衝液とレクチン添加済み緩衝液とで、該レクチンについて非特異的である糖鎖の泳動時間が変化しないような条件であることを特徴とする。
【0027】
なお、本発明者の実験によれば、本発明に係る糖鎖解析方法では、従来のCAE法では使用することができなかった、SSA(日本ニワトコ樹皮レクチン)、MAM(イヌエンジュレクチン)、DSA(チョウセンアサガオレクチン)などのレクチンを使用可能であることが確認できた。こうした、従来のCAE法では使用できなかったレクチンの少なくともいずれか一つを用いることで、従来、同定できなかった又は同定の精度が十分でなかった糖鎖の高精度な同定が可能となる。
【発明の効果】
【0028】
本発明によれば、従来のCAE法に比べて、例えば糖鎖混合物である一つの試料についての測定に要する時間を短縮することができるので、解析作業のスループットを向上させることができる。また本発明によれば、従来のCAE法では同定できなかった糖鎖を含め、多くの種類の糖鎖を同定することが可能となる。さらにまた、糖鎖の同定精度も向上させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
【
図1】本発明に係る糖鎖解析方法の一実施例における作業及び処理の手順を示すフローチャート。
【
図2】本発明に係る糖鎖解析システムの一実施例の概略ブロック構成図。
【
図3】
図2に示した本実施例の糖鎖解析システムにおけるマイクロチップ電気泳動分離部に含まれる電気泳動用マイクロチップの概略斜視図。
【
図4】本発明に係る糖鎖解析方法におけるレクチンを用いた糖鎖分離の原理説明図。
【
図5】本実施例の糖鎖解析システムにおける糖鎖同定用データベースの一例を示す図。
【
図6】イソマルトオリゴ糖混合物を測定して得られたエレクトロフェログラムの実測例を示す図。
【
図7】レクチンを添加した緩衝液を用いて糖鎖混合物(ヒトAGP由来のアシアロ糖鎖)を測定して得られたエレクトロフェログラムの実測例を示す図。
【
図8】レクチンを添加した緩衝液を用いて糖鎖混合物(ヒトフィブリノゲン由来のシアロ糖鎖)を測定して得られたエレクトロフェログラムの実測例を示す図。
【
図9】
図7に示した結果からヒトAGP由来のアシアロ糖鎖混合物中の各ピークに対応する糖鎖を推定した結果を示す図。
【
図10】
図8に示した結果からヒトフィブリノゲン由来のシアロ糖鎖混合物中の各ピークに対応する糖鎖を推定した結果を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0030】
本発明に係る糖鎖解析方法、並びに該方法を実施するための糖鎖解析システム、糖鎖解析用プログラム、及び糖鎖解析用キットの一実施例について、添付図面を参照して説明する。
まず本発明に係る糖鎖解析方法について説明するに先立って、レクチンを用いた糖鎖分離の高精度化の原理を、
図4を参照しつつ説明する。
【0031】
[レクチンを用いた糖鎖分離の原理]
ここでは、
図4中に示すように、3種類の2分枝構造の糖鎖A、B、Cが混合している糖鎖混合物を試料として考える。この試料に含まれる糖鎖をそれぞれ蛍光標識したものを所定の緩衝液を用いたCE法により測定すると、質量電荷比が大きいほど移動時間(泳動時間)が長いため、
図4(a)に示すようなエレクトロフェログラムが得られる。即ち、質量電荷比が相対的に小さい糖鎖A、B、Cの順に移動時間ta、tb、tcの位置にピークが観測される。ただし、
図4(a)では三つのピークが完全に分離されているものの、それらピークの位置はかなり近いため、分離条件によっては(或いは糖鎖の種類によっては)、それらピークが必ずしも十分に分離されるとは限らず、隣接するピークが重なってしまうことがある。
【0032】
同じ試料を、糖鎖中の特定の構造と高い親和性を有して結合する(つまり糖結合性特異性を有する)レクチンを添加した緩衝液を用い、CE法で測定する。ここでは、N-アセチルノイラミン酸とガラクトースとの結合部位に強い親和性を有するレクチンを用いている。そのため、
図4(b)に示すように、糖鎖Bには1個のレクチンが結合し、糖鎖Cには2個のレクチンが結合する。一方、糖鎖AにはN-アセチルノイラミン酸が存在しないため、上記レクチンは結合しない。レクチンが結合した分だけ、各糖鎖B、Cの質量は見かけ上大きくなる。そのため、このときに得られるエレクトロフェログラムでは、糖鎖Aのピークの位置は変化せず、糖鎖B及び糖鎖Cのピークはそれぞれ大きく遅れることになる。
【0033】
したがって、
図4(a)に示したエレクトロフェログラムと
図4(b)に示したエレクトロフェログラムとを比較することにより、例えばレクチンの存在下でピークの位置が変化しないものは、N-アセチルノイラミン酸を持たない糖鎖であると推定することができる。一方、例えばレクチンの存在下でtb及びtcの位置におけるピークが消失する(移動時間が遅れる)二つの糖鎖は、少なくとも1個のN-アセチルノイラミン酸を持つ糖鎖B、又は糖鎖Cであると推定することができる。
図4(a)に示すように、レクチンが存在しない条件の下で糖鎖B、Cに対応するピークが分離できていれば、移動時間が短いほうが1個のN-アセチルノイラミン酸を持つ糖鎖B、移動時間が長いほうが2個のN-アセチルノイラミン酸を持つ糖鎖Cであると推定することができる。
【0034】
上記説明では、N-アセチルノイラミン酸とガラクトースとの結合部位に特異的であるレクチンを考えたが、レクチンには、マンノースに特異的であるレクチン(例えばConA(コンカナバリンA)など)、フコースに特異的であるレクチン(例えばAAL(ヒイロチャワンタケレクチン)、UEA-I(ハリエニシダレクチンなど)など、様々な糖結合性特異性を有するものがある。そこで、様々な種類のレクチンを用いてCE法により測定を行ってエレクトロフェログラムを取得すれば、その糖鎖の構造に応じて、所定の移動時間に現れる筈であるピークが消失したり消失しなかったりする。そこで、使用したレクチンの種類とピークの消失の有無との関係に基づいて、糖鎖の構造を推定する、つまりは糖鎖を同定することができる。
【0035】
こうした原理に基づく糖鎖の分離は、非特許文献1、2に記載のCAE法でも行われている。しかしながら、既述のように、CAE法では使用できるレクチンの種類がかなり限られており、そのために、同定可能な糖鎖の種類も限られる。これに対し、以下に説明するように、本発明に係る糖鎖解析方法では使用可能なレクチンの種類を増やすことができ、多種類の糖鎖の同定を高いスループットで以て行うことができる。
【0036】
[ME法での分離条件]
従来のCAE法は糖鎖の分離にCE法を利用していたのに対し、本発明に係る糖鎖解析方法では糖鎖の分離にマイクロチップ電気泳動(ME)法を利用している。ME法を実施する装置については後で詳述するが、ME法では試料中の成分を分離するのに流路長が長くても数十mm程度の分離流路を用いるため、1回の試料の測定に要する時間がCE法に比べると格段に短い。また、分離流路が短いと、流路の洗浄や流路に緩衝液を充填する作業に掛かる時間も短くて済む。そのために、測定のスループットが高く、糖鎖の解析を迅速に行うことができる。
【0037】
また、CE法では緩衝液として流動性が低い高濃度のゲルを利用することが難しいが、ME法では流路が短い上に、流路の開放端が4箇所あるためそのうちの3箇所を開放した状態で緩衝液を流路に充填することができる。そのために、緩衝液が高濃度のゲルであっても短時間で流路に緩衝液を充填することができる。それにより、分子篩効果が十分に得られるような高濃度のゲルを緩衝液として用いることができる。本発明者の実験的な検討によれば、分子篩効果が十分に得られない緩衝液を用いた場合、タンパク質であるレクチンは電場の作用で陽極又は陰極のいずれかに移動してしまう傾向にあるため、これを避けるため、レクチンは緩衝液のpH値から±1程度の範囲内の等電点を有したものである必要がある。ところが、こうした特性のレクチンは種類が少ない。
【0038】
これに対し、分子篩効果が十分に発揮されるような高濃度の分離ゲルを使用すれば、等電点等の特性に依らず、様々なレクチンを使用することができる。こうしたことから、本発明に係る糖鎖解析方法では、ME法において緩衝液には分子篩効果が生じるような高濃度の分離ゲルを使用する。分子篩効果が十分に発揮されるような濃度とは、換言すれば、レクチン等のタンパク質の電気泳動が実質的に無視できる濃度である。こうした高濃度のゲルは、一般的な液体状の緩衝液に、ヒドロキシプロピルメチルセルロース、ポリエチレングルコール、ヒドロキシプロピルセルロースなどの中性ポリマーを、適当な濃度で混合させて調製することができる。
【0039】
また、ME法における成分分離特性には緩衝液の種類とともに泳動電圧が関係する。レクチンを添加しない緩衝液の下で糖鎖混合物中の糖鎖の分離を試みたときに、各糖鎖が或る程度十分に分離していないとレクチンを添加した緩衝液の下でのピークの消失自体の判別が難しい。そこで、泳動電圧等の分離条件を、レクチンを添加しない緩衝液の下でイソマルトオリゴ糖混合物を測定したときに、単糖から少なくとも20糖までの範囲の重合度の異なる糖鎖由来のピークがそれぞれ分離可能であるような条件に定めた。
【0040】
[分離条件の具体例及び実測例]
実測ではマイクロチップ電気泳動装置として島津製作所製のMCE-202を使用した。分離ゲルは一般的な緩衝液に中性ポリマーを添加することで生成することができるが、本発明者は幾つかの種類のポリマーとその濃度とを実験的に検討した結果、ここでは、2%のヒドロキシプロピルメチルセルロース(HPMC)を含む80mMのトリス酢酸緩衝液(pH 7.5)を使用した。一方、試料導入時や泳動時の電圧は使用したマイクロチップ電気泳動装置に組み込まれているソフトウェアに搭載されている電圧プログラムの中で実験的に最適なものを選択した。
【0041】
上記分離条件の下で、グルコースのα1-6結合オリゴマーであるイソマルトオリゴ糖混合物中のグルコースを分離できることを実験的に検証した。
図6はイソマルトオリゴ糖混合物のAPTS標識化体を測定して得られたエレクトロフェログラムである。図中、ピークの上に示した数字は重合度である。
【0042】
図6から分かるように、測定開始時点から24秒後に2糖であるイソマルトースが観測され、そのあと重合度の小さい順に25糖まで重合度毎に十分に分離されたピークが観測されている。また、イソマルトヘキサオース(Glu
6-APTS)を用いて定量限界及び直線性について調べたところ、定量限界は8pmol/mL以下であり、定量下限~約1000pmol/mLの濃度範囲で相関係数R=0.999の良好な直線性であることが確認できた。
このように、一般に入手可能なマイクロチップ電気泳動装置を用い適切な分離条件を設定することで、糖鎖解析に十分な分離能と感度とを実現できることが確認できた。
【0043】
このような高い分離能を有するマイクロチップ電気泳動装置において上述したレクチンの添加による糖鎖同定の有効性を検証するために、二つの試料についての測定を実施した。
一つ目の試料は、ヒト血清由来α1-acid glycoprotein(AGP)由来のアシアロ糖鎖(N-アセチルノイラミン酸を有する糖鎖)である。この試料をレクチン無添加及び3種類のレクチンを用いて測定したときのエレクトロフェログラムの実測結果を
図7に示す。ヒトAGPには、複合型2本鎖糖鎖、複合型3本鎖糖鎖とそのフコシル化糖鎖(フコース修飾を受けた糖鎖)、及び複合型4本鎖糖鎖とそのフコシル化糖鎖が、主要なN-結合型糖鎖骨格として含まれる。レクチンが添加されないレクチン無添加緩衝液の下で得られたエレクトロフェログラム(
図7(d))には、そうした糖鎖に由来する4本のピークが観測される。
【0044】
複合型2本鎖糖鎖及び高マンノース型糖鎖と強く結合するレクチンであるConAを用いた場合、
図7(a)に示すように、ピークhA1は完全に消失し、そのほかのピークは変化しない。一方、フコースとN-アセチルノイラミン酸による修飾を受けていない複合型3本鎖糖鎖及び複合型4本鎖糖鎖と結合するレクチンであるDSAを用いると、
図7(b)に示すように、ピークhA2、hA4が完全に消失する。さらにまた、α結合したフコース残基と結合するレクチンであるAALを用いると、
図7(c)に示すように、ピークhA3が完全に消失し、そのほかのピークは変化しない。こうした各レクチンに対する結果から、ヒトAGP由来のアシアロ糖鎖混合物中の各ピークを
図9に示すように帰属させることができる。
【0045】
二つ目の試料は、ヒトフィブリノゲン(Fibrinogen)由来のシアロ糖鎖(N-アセチルノイラミン酸を有さない糖鎖)である。この試料をレクチン無添加及び3種類のレクチンを用いて測定したときのエレクトロフェログラムの実測結果を
図8に示す。ヒトフィブリノゲンは、複合型糖鎖骨格として、複合型2本鎖糖鎖のみを含むことが知られている。レクチン無添加緩衝液の下で得られたエレクトロフェログラム(
図8(d))には、該糖鎖に由来する3本のピークが観測される。
【0046】
レクチンとしてConAを用いた場合、
図8(a)に示すように、全てのピークが完全に消失している。一方、糖鎖非還元末端にα2-6結合したN-アセチルノイラミン酸残基と結合するレクチンであるSSAを用いると、
図8(b)に示すように、ピークhF2、hF3が完全に消失するが、ピークhF1には変化がない。さらにまた、糖鎖非還元末端にα2-3結合したN-アセチルノイラミン酸残基と結合するレクチンであるMAMを用いると、
図8(c)に示すように、全てのピークに変化がない。こうした各レクチンに対する結果から、ヒトフィブリノゲン由来のシアロ糖鎖混合物中の各ピークは
図10に示すように帰属させることができる。
【0047】
図7、
図8から分かるように、レクチンの添加の有無で同じ糖鎖のピークの位置に殆ど変化はない。このことは、タンパク質であるレクチンが見かけ上流路内の所定の位置に留まり擬似固定相として機能していることを意味している。したがって、緩衝液とレクチンとの相互作用は実質的に生じていない。また、異なるレクチンの添加によっても同じ糖鎖のピークの位置に殆ど変化はない。このことは、レクチンの添加によって緩衝液のpHの変化が実質的にないことも分かる。
【0048】
このように、上述したレクチンの糖結合性特異性を利用した糖鎖の選択的分離手法をME法に適用することで、糖鎖混合物中の異なる糖鎖基本骨格と末端修飾を十分に識別することができ、それによって糖鎖を同定できることが実験的に確認できた。特に、SSAやMAMなどのレクチンは従来のCAE法では使用できなかったレクチンである。このように本発明に係る糖鎖解析方法では、従来のCAE法では使用できなかったレクチンも用いることができるため、後述するように同定可能な糖鎖の種類(構造)を大幅に増やすことができる。
【0049】
[糖鎖解析システムの構成]
次に、本発明に係る糖鎖解析方法を実施するための糖鎖解析システムの一実施例について説明する。
図2は本実施例の糖鎖解析システムの概略ブロック構成図、
図3は本システムにおけるマイクロチップ電気泳動分離部に含まれる電気泳動用マイクロチップの概略斜視図である。
【0050】
本実施例の糖鎖解析システムは、
図2に示すように、測定部1、制御・処理部2、入力部3、及び表示部4、を備える。測定部1は、マイクロチップ電気泳動分離部10、蛍光検出部11、試料貯留部12、緩衝液貯留部13、アナログデジタル変換器(ADC)14などを含む。
【0051】
図示しないが、マイクロチップ電気泳動分離部10は、後述する電気泳動チップのほかに、緩衝液貯留部13に用意された緩衝液を電気泳動チップの流路中に充填する加圧吸引部、試料貯留部12に用意された試料を電気泳動チップに分注する試料分注部、電気泳動チップ中の複数の電極に泳動用の電圧等を印加する電圧印加部、測定終了後の電気泳動チップを洗浄する洗浄部、などを含む。測定部1としては例えば非特許文献3に開示されている島津製作所製のマイクロチップ電気泳動装置MCE-202などを利用することができる。このマイクロチップ電気泳動装置MCE-202では、最大で4枚の電気泳動チップを搭載することができ、その4枚の電気泳動チップで同時並行的に測定を実施することができる。
【0052】
また、制御・処理部2は、データ格納部20、エレクトロフェログラム作成部21、移動時間補正部22、ピーク検出部23、糖鎖同定処理部24、糖鎖同定用データベース25、同定結果表示処理部26、測定制御部27などの機能ブロックを含む。糖鎖同定用データベース25は、既知の様々な糖鎖についてそれぞれ、様々な種類のレクチンに対する親和性の有無、つまりはそのレクチンがその糖鎖に結合するか否かの情報をまとめたデータベースである。
図5は糖鎖同定用データベース25の情報内容の一例である。
【0053】
通常、本実施例の糖鎖解析システムにおいて、制御・処理部2、入力部3、及び表示部4の実体は汎用のパーソナルコンピュータ(PC)であり、PCにインストールされた専用の制御・処理ソフトウェアを該PC上で動作させることで上記各機能ブロックの機能が発揮される。この制御・処理ソフトウェアが本発明に係る糖鎖解析用プログラムに相当する。また、糖鎖同定用データベース25も泳動電圧の印加を制御するための制御プログラムなどとともに糖鎖解析ツールの一部として、システムの販売メーカからユーザに提供されるものとすることができる。
【0054】
図3はマイクロチップ電気泳動装置に用いられる電気泳動チップの一例の概略斜視図である。
図3に示すように、電気泳動チップ100は、石英などから成る一辺が十数mm~数十mm程度のサイズの平板矩形状である一対の透明平板101a、101bから構成される基板101を備える。下側の透明平板101bの上表面には、二本の溝が交差するように形成され、上側の透明平板101aにはその両溝の各端部に対応する位置にそれぞれ貫通孔が穿孔されている。一対の透明平板101a、101bは上記溝を内側にして接合されることで一体化されており、上記貫通孔により形成される第1リザーバ104及び第2リザーバ105で以て外部と連通する試料導入流路102と、第3リザーバ106及び第4リザーバ107で以て外部と連通する分離流路103とが基板101の内部に形成されている。各リザーバ104~107は1~数μL程度の微量な液溜めであり、その内側にはそこに貯留されている泳動液(分離用緩衝液)に電圧を印加するための電極(図示しない)がそれぞれ設けられている。
【0055】
この電気泳動チップ100において分離流路103中の第4リザーバ107に近い部分103aが検出位置である。その検出位置には、分離流路103に励起光を照射する励起光光学系と、その励起光によって分離流路103から発せられた蛍光を検出する検出光学系とを含む蛍光検出部11が配設される。
【0056】
[糖鎖同定の手順及び処理内容]
次に、上記糖鎖解析システムを用いて糖鎖同定を行う際の手順とシステムの各部の動作を説明する。
図1はこの手順及び処理動作を示すフローチャートである。ここでは、解析対象である糖鎖が、タンパク質に結合して糖タンパク質を形成しているものであるとしている。
【0057】
まず、作業者は糖タンパク質から糖鎖を切り出す操作を行って糖鎖混合物を得る(ステップS1)。この操作は従来一般的な方法を用いることができる。そして、所定の蛍光試薬を用い、切り出した糖鎖を蛍光標識する。蛍光標識に使用する化合物の種類は特に問わないが、ここでは、CAE法でも用いられている、8-アミノピレン-1,3,6-トリスルホン酸(APTS)を使用するものとする。蛍光標識した糖鎖をサイズ排除クロマトグラフィ及び順相分配による固相抽出法により精製することで、分析試料として用いることができる糖鎖混合物が得られる(ステップS2)。
【0058】
次いで作業者は、蛍光標識化した糖鎖混合物を試料として測定部1の試料貯留部12にセットする。また、緩衝液貯留部13には、予め選定した様々な種類のレクチンをそれぞれ所定の濃度で添加した複数種類の緩衝液(レクチン添加済み緩衝液)とレクチンを添加していない緩衝液とを用意する(以下、レクチンを添加する前の緩衝液を単に「緩衝液」、レクチンの添加、無添加に拘わらず緩衝液貯留部13に用意されている緩衝液を「分離用緩衝液」という)。この際に、本発明に係る糖鎖解析用キットに相当する、複数種類のレクチンを含む試薬キットを使用することができる。
【0059】
そして作業者が入力部3で所定の操作を行うと、この操作を受けた測定制御部27は予め決められたプログラムに従って測定部1を動作させ、レクチン無添加緩衝液を含む複数種類の分離用緩衝液をそれぞれ用いた測定を、マイクロチップ電気泳動分離部10及び蛍光検出部11により実行する(ステップS3)。詳しくはあとで説明するが、ここでは、緩衝液として高濃度の分離ゲルを用いる。この分離ゲルは一般的な液体状の緩衝液に適宜の種類の中性ポリマーを適宜の濃度で混合したものである。
【0060】
測定制御部27による制御の下で、試料に対する1回の測定は次のよう行われる。まず、洗浄済みの電気泳動チップ100の流路102、103に緩衝液貯留部13に用意されている複数種類の分離用緩衝液のうちの一つが充填される。そのあと、試料貯留部12に用意されている試料が所定量採取され、第1リザーバ104に分注される。次に、第1リザーバ104の電極と第2リザーバ105の電極との間に所定の電圧が印加され、該電圧により試料導入流路102中に形成される電場によって第1リザーバ104中の試料は第2リザーバ105に向かって移動する。分離用緩衝液がレクチンを含む場合、レクチンはその糖結合性特異性に従って試料中の特定の糖鎖に結合する。
【0061】
所定時間経過後に第1リザーバ104の電極と第2リザーバ105の電極への電圧印加を停止し、今度は第3リザーバ106の電極と第4リザーバ107の電極との間に所定の泳動電圧を印加する。該電圧により分離流路103中に泳動電場が形成され、その直前に、試料導入流路102と分離流路103との交差部分にある微量の試料は分離流路103中に形成される電場によって第4リザーバ107に向かって移動する。その移動の途中で試料中の糖鎖は質量電荷比等に応じて分離される。分離用緩衝液は高濃度の分離ゲルであるため分子篩効果が働き、分子量による分離がより顕著に発揮される。上述したように、レクチンが結合した糖鎖の質量はレクチンが結合しない場合に比べて大きくなり移動しにくくなる。蛍光検出部11はこうして分離された各糖鎖を順次検出し、その糖鎖に付加されているAPTSによる蛍光強度に応じた検出信号を出力する。この検出信号はADC14でデジタル化され、制御・処理部2のデータ格納部20に一旦保存される。
【0062】
そして、泳動電圧の印加開始時点から所定の測定時間が経過すると電圧印加を停止し、所定の手順で流路102、103を洗浄する。こうして1回の測定のサイクルを終了する。こうした測定サイクルを予め決められた複数種類の分離用緩衝液について繰り返し実施することで、一つの試料に対する複数種類の分離用緩衝液の下での測定データを収集する。
【0063】
測定終了後、制御・処理部2においてエレクトロフェログラム作成部21はデータ格納部20に保存されているデータに基づいて、移動時間と蛍光強度との関係を示すエレクトロフェログラムを作成する(ステップS4)。このとき、次のようにして移動時間の補正を行うようにしてもよい。
【0064】
即ち、いずれのレクチンとも結合せず(移動時間の変化がなく)且つ糖鎖と移動時間が重ならない基準成分を試料に添加しておき、試料の測定時にこの基準成分を糖鎖と共に検出する。好ましくは、レクチン無添加緩衝液の下で全ての糖鎖よりも移動時間が短いことが保証される成分と移動時間が長いことが保証される成分との少なくとも二つの基準成分を用いるとよい。この基準成分の移動時間は異なる分離用緩衝液に対する複数のエレクトロフェログラムにおいて同じになる筈である。そこで、移動時間補正部22は、該基準成分に対応するピークを検出し、そのピークの移動時間に基づいてエレクトロフェログラムの横軸、つまりは糖鎖に対応するピークの移動時間を補正すればよい。こうした基準成分としては、セルロースのオリゴ糖など、使用するレクチンと相互作用しない糖鎖などを用いることができる。
【0065】
次いで、ピーク検出部23及び糖鎖同定処理部24は、レクチンの種類が異なる複数のエレクトロフェログラムに基づいて、試料に含まれる糖鎖を同定する(ステップS5)。
具体的には、ピーク検出部23は複数のエレクトロフェログラムそれぞれについて、所定のアルゴリズムに従ってピークを検出する。糖鎖同定処理部24は、レクチン無添加緩衝液の下で得られたエレクトロフェログラム上で検出された複数のピークと同じ移動時間にピークが存在するか否かを、レクチン無添加緩衝液以外の分離用緩衝液の下で得られたエレクトロフェログラムそれぞれについて判定する。そして、レクチン無添加緩衝液の下で得られたエレクトロフェログラム上で検出されたピークの移動時間と、各ピークに対応するレクチンの種類とピークの有無との組み合わせの情報を糖鎖同定用データベース25に照合して、各ピークに対応する糖鎖の種類を特定する。そして同定結果表示処理部26は同定された糖鎖を表示部4に表示する(ステップS6)。
【0066】
なお、一般に糖鎖解析では、糖鎖混合物である試料がどのような種類の生物のどの生体組織に由来するものであるのかが既知である。それによって検出される糖鎖の種類はかなり限られる。そこで、糖鎖同定処理部24は試料に関する事前情報に基づいて糖鎖同定用データベース25に収録されている糖鎖を絞り込んだうえで、その絞り込みに残った糖鎖についてのみ各レクチンに対する親和性に基づく、各ピークの帰属を行えばよい。
【0067】
また、取得したエレクトロフェログラムに基づいて試料に含まれる糖鎖を同定する方法は、上述したようにピークの有無の情報をデータベースに照合する方法に限らない。
【0068】
また、レクチン無添加緩衝液の下でのエレクトロフェログラム上で観測される各ピークが帰属されれば、そのピークの強度(ピーク面積又はピーク高さ)に基づいて、具体的には予め作成しておいた検量線を参照して、糖鎖量を推定することができる。即ち、同定した糖鎖の定量も行える。また、上記説明の方法では、緩衝液に十分な量のレクチンを添加しているため、該レクチンが特異的に結合する試料中の糖鎖のそのほぼ全量にレクチンが結合し、その糖鎖に対応するピークは消失(移動時間が遅延)している。これに対し、緩衝液に添加するレクチンの量を適当に調整し、レクチンの添加量とそれに応じた糖鎖のピークの減少の程度(例えばピーク面積の減少度合い)の関係を調べることにより、その糖鎖と特定のレクチンとの親和性の大きさを推定することも可能である。
【0069】
また、本発明の方法では、質量が同じであって構造が相違する異性体を識別することもできる。例えば、上記例で挙げたSSAが特異的に結合するα2-6結合したN-アセチルノイラミン酸残基と、MAMが特異的に結合するα2-3結合したN-アセチルノイラミン酸とは質量は同じであるので通常の電気泳動分離では分離することができない。それに対し、
図8に示した結果は、ヒトフィブリノゲン由来シアロ糖鎖の結合様式として、α2-6結合したN-アセチルノイラミン酸残基を有する一方、α2-3結合したN-アセチルノイラミン酸残基を有さないことを示しており、異性体が識別されている。
【0070】
また他の例として、UEA-Iはガラクトースにα1-2結合したフコース残基、AALはN-アセチルグルコサミンにα1-2結合、α1-3結合、α1-4結合又はα1-6結合したフコース残基、AOL(麹菌レクチン)はN-アセチルグルコサミンにα1-6結合したフコース残基にそれぞれ主として特異的に結合する。したがって、この3種のレクチンを組み合わせることで、フコースの異なる結合様式を識別することができる。
【0071】
このように、使用するレクチンとして適当なものを選ぶことにより、通常の電気泳動では分離することができない異性体についても識別が可能である。
【0072】
また、上記実施例は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加等を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【符号の説明】
【0073】
1…測定部
10…電気泳動分離部
100…電気泳動チップ
101…基板
101a、101b…透明平板
102…試料導入流路
103…分離流路
104~107…リザーバ
11…蛍光検出部
12…試料貯留部
13…緩衝液貯留部
2…制御・処理部
20…データ格納部
21…エレクトロフェログラム作成部
22…移動時間補正部
23…ピーク検出部
24…糖鎖同定処理部
25…糖鎖同定用データベース
26…同定結果表示処理部
27…測定制御部
3…入力部
4…表示部