(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-04-30
(45)【発行日】2024-05-10
(54)【発明の名称】量子カスケードレーザー素子
(51)【国際特許分類】
H01S 5/343 20060101AFI20240501BHJP
【FI】
H01S5/343 610
(21)【出願番号】P 2020068706
(22)【出願日】2020-04-06
【審査請求日】2023-03-30
(73)【特許権者】
【識別番号】503359821
【氏名又は名称】国立研究開発法人理化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100130960
【氏名又は名称】岡本 正之
(72)【発明者】
【氏名】王 利
(72)【発明者】
【氏名】平山 秀樹
【審査官】村井 友和
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-042572(JP,A)
【文献】寺嶋 亘, 平山 秀樹,窒化物材料系テラヘルツ帯量子カスケードレーザーの開発,レーザー研究,Vol.39(10),日本,一般社団法人 レーザ学会,2011年10月,769-774
【文献】O. Mails, et al.,Quantum band engineering of nitride semiconductors for infrared lasers,Proceedings of SPIE,米国,2014年02月,Vol.9002,90021D-1 - 90021D-8
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01S 5/00-5/50
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
一対の導電部に挟まれた半導体超格子構造を有する量子カスケードレーザー素子であって、
該半導体超格子構造が、動作のために該一対の導電部を通じ印加される外部電圧の下で
、0.78μm~10μmの範囲のある波長の電磁波を放出する活性領域となり、
該活性領域は、繰り返して積層されている複数の単位構造を有しており、
各単位構造は、0≦x<y≦1として、Al
yGa
1-yNの組成のバリア層によって互いに仕切られたAl
xGa
1-xNの組成の4つのウェル層からなり、いずれかのウェル層が他のよりも厚い最大厚ウェル層であり、
前記一対の導電部の両方が、前記波長の電磁波に対して前記活性領域の屈折率よりも低い屈折率をもつものである
量子カスケードレーザー素子。
【請求項2】
前記4つのウェル層の組成がGaNであり、
前記バリア層の組成がAl
0.8Ga
0.2Nである
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項3】
前記一対の導電部の一方は、サファイア基板上のAlN層上に形成され、導電型がn型となるようドープされたAl
zGa
1-zN(0.4≦z≦0.6)層である
請求項2に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項4】
前記一対の導電部の他方は、導電型がn型となるようドープされた酸化物導電体である
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項5】
連続する二つの単位構造に属する二つの最大厚ウェル層に挟まれるウェル層の厚みが、積層の順に順次に大きくまたは小さくなっている、
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項6】
前記最大厚ウェル層が、前記外部電圧の下で層厚方向閉じ込め準位を2つのみ持つような厚さである、
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項7】
前記外部電圧の下で、前記2つの層厚方向閉じ込め準位が、前記波長に対応するエネルギー差だけ離れている下位レーザー準位および上位レーザー準位である、
請求項6に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項8】
前記外部電圧の下で、前記最大厚ウェル層からみて電子の流れの上流側に連続して位置する3つのウェル層のうちのいずれかの層厚方向閉じ込め準位が、前記最大厚ウェル層の上位レーザー準位に対し前記半導体超格子構造のフォノンを媒介したフォノン-電子散乱により電子を注入する注入準位である、
請求項7に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項9】
前記注入準位が前記最大厚ウェル層からみて電子の流れの上流側で最隣接のウェル層の基底状態となる、
請求項8に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項10】
前記外部電圧の下で、前記最大厚ウェル層からみて電子の流れの下流側に連続して位置する3つのウェル層のいずれかの層厚方向閉じ込め準位が、前記下位レーザー準位から共鳴トンネリングにより電子を引き抜く引き抜き準位となる、
請求項7に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項11】
前記外部電圧の下で、前記最大厚ウェル層からみて電子の流れの下流側に連続して位置する3つのウェル層における複数の層厚方向閉じ込め準位が、前記下位レーザー準位から共鳴トンネリングにより電子を引き抜いて連続して輸送するよう動作する、
請求項10に記載の量子カスケードレーザー素子。
【請求項12】
前記電磁波が1.1μm以上3μm以下のいずれかの波長の電磁波である
請求項1に記載の量子カスケードレーザー素子。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は量子カスケードレーザー(QCL)素子に関する。さらに詳細には本開示は、近赤外を放射する4ウェル構造をもつQCL素子に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、中赤外領域やテラヘルツ(THz)領域の電磁波を放出(発光)する固体光源として量子カスケードレーザー(Quantum Cascade Laser、以下「QCL」という)が注目されている。例えば特許文献1では窒化物によるTHz領域でのQCL素子が開示されている。QCL素子は単位構造の繰り返しを含む半導体超格子構造を備えており、その内部での電気伝導をになうキャリアは電子であり、電子には外部電圧によるバイアスに加え、各単位構造をなす各層においてポテンシャルが作用している。電子に作用するポテンシャルは、各単位構造にウェル(井戸)およびバリア(障壁)を一般に複数備えている。電子に対するポテンシャルのウェルおよびバリアは、各単位構造をなす各層の材質で定まり、厚みの位置に応じ伝導帯オフセットが反映された凹凸を形成しており、QCL素子を動作させるために外部電圧を印加すると全体が傾斜する。キャリアとなる電子は、傾斜した凹凸のあるポテンシャルに形成されるサブバンドすなわち準位を輸送されながらサブバンド間遷移(intersubband transitions;ISBT)を繰り返し、各遷移で電磁波の場と結合して誘導放出(stimulated emission)しレーザー発振(lasing)を引き起こす。このため、半導体超格子構造が発光における活性領域となる。カスケードとの名称は、サブバンド間遷移を起こしながらエネルギーを失いつつ輸送される電子の挙動にちなんで与えられている。QCL素子においては材質のエネルギーバンドギャップと無関係な波長を選択しレーザー発振させることが可能である。そのレーザー波長(lasing wavelength)または周波数は、半導体超格子構造の材質や設計により変更することができる。このため、QCL素子は固体光源がかつて得られていない波長域(周波数域)のコヒーレント光源のユニポーラ半導体レーザーとして注目されている。これまでに中赤外および遠赤外のQCLが商業化されている。
【0003】
電気ケーブルを基礎とする通信システムと比較して光ファイバーは多くの利点を実証しており、その最重要なものは、データ転送の膨大な容量、光伝送におけるロスの少なさ、および大幅な低コストである。光通信の可能な長距離通信のウインドウ(1.3μm、1.55μm)は、近赤外波長域にある。現実の使用のために小型で、可変波長で、狭い発光ピーク、高出力という特徴を持つような光源が必要になる。量子カスケードレーザー(QCL)はこういった要件を満たしうる最有力な候補として扱われてきた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、近赤外波長域でのQCLのレーザー発振動作は達成されていない。近赤外QCL素子の主な困難は、非常に大きな光子エネルギーのために活性領域の設計において大きな伝導帯オフセットが必要になる点にあり、例えば、伝導帯オフセットが1eVを上回らなくてはならならない。
【0006】
この大きな伝導帯オフセットはGaN/AlGaN系材料で実現することができる。ほかにもGaNのISBTに対して、物理学面および実験面での先駆的貢献がなされており、超高速のキャリアダイナミクスが確認されているものの、近赤外領域でどのような構造により実用的なQCL素子が実現しうるかは示されていない。
【0007】
本開示は、上記問題の少なくともいくつかを解決することを課題とし、近赤外の波長域でレーザー発振しうる実用的なQCLの構造を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、バリア高さを調整しやすく波長範囲も広げやすいGaN/AlGaN系材料を用いるQCL素子において実用性の高い構造を見いだした。すなわち、本開示では、一対の導電部に挟まれた半導体超格子構造を有する量子カスケードレーザー素子であって、該半導体超格子構造が、動作のために該一対の導電部を通じ印加される外部電圧の下で近赤外領域のある波長の電磁波を放出する活性領域となり、該活性領域は、繰り返して積層されている複数の単位構造を有しており、各単位構造は、0≦x<y≦1として、AlyGa1-yNの組成のバリア層によって互いに仕切られたAlxGa1-xNの組成の4つのウェル層からなり、いずれかのウェル層が他のよりも厚い最大厚ウェル層であり、前記一対の導電部の両方が、前記波長の電磁波に対して前記活性領域の屈折率よりも低い屈折率をもつものである量子カスケードレーザー素子が提供される。
【0009】
本出願において、近赤外領域の電磁波とは、おおむね30THz~380THzの周波数範囲すなわち約0.78μm~10μm程度の波長範囲の電磁波をいう。さらに本出願の説明には、可視光や赤外線を対象とする電子デバイスや物理学の分野から転用または借用される技術用語を用いて素子構造や機能を説明することがある。このため、可視光とはいえない波長域または周波数域の電磁波に関する説明であっても、量子カスケードレーザーの素子や誘導放出の現象を示すために「レーザー」や「発光」との用語を用いたり、「光」(light)、「光学的-」(optical -)、「光-」(photo -)などの用語を用いる場合がある。光閉じ込め、屈折も、その例示の一部である。波長は、物質中でも真空中の値を用いる慣例に従う。
【発明の効果】
【0010】
本開示のいずれかの態様では、近赤外で発光しうる実用的なQCL素子が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】
図1は、波長域に対してバンド間遷移を利用する従来のレーザーダイオード素子と、本開示のGaN/AlGaN系材料に基づくQCL素子を含むカスケード動作つまりサブバンド間遷移(ISBT)を用いるQCL素子とにおいて、活性領域を構成する材料系と発光波長域の関係を示す説明図である
【
図2】本発明の実施形態のQCL素子の構成の概要を示す斜視図(
図2A)、拡大断面図(
図2B)、およびさらなる部分拡大断面図(
図2C)である。
【
図3】
図3は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例における動作状態について計算により求められた伝導帯電子に対するポテンシャルである伝導帯ダイアグラムと電子の存在確率分布の典型例を層厚方向の位置に対して示すグラフである。
【
図4】
図4は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例における動作状態について計算により求められた電子の束縛状態における電子密度をエネルギーと層厚方向の位置に対して示すマップである。
【
図5】
図5は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例における動作状態について計算により求められた波長に対する光学ゲインを示す特性図である。
【
図6】
図6は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例における動作状態について計算により求められたフォトンエネルギーに対する光学ゲインを層厚方向の位置に対して示すマップである。
【
図7】
図7は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例において、各波長に適合させた設計での光学ゲインのピークを算出した特性図である。
【
図8】
図8は、本開示の実施形態のQCL素子のエピタキシャル成長により得られる製造方法と構造を示す構成図である。
【
図9】
図9は、本開示の実施形態のQCL素子の放射面の断面を示す構成図である。
【
図10】
図10は、本開示の実施形態のQCL素子のある設計例におけるインデックスガイド構造とその光学モードの閉じ込め強度の計算値を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0012】
以下図面を参照し、本開示に係るQCL素子の実施形態を説明する。全図を通じ当該説明に際し特に言及がない限り、共通する部分または要素には共通する参照符号が付される。また、図中、各実施形態の要素のそれぞれは、必ずしも互いの縮尺比を保って示されてはいない。
【0013】
1-1.着想
本実施形態にて提供されるQCL素子では、近赤外の波長域でのレーザー発振が達成される。本実施形態で提供されるのは、実現可能な活性領域(光利得領域)の設計と、発光を実現するインデックスガイド構造とである。つまり、本開示では、第1に、近赤外にて用いられるウェルの最小数である4つのウェルだけを含む活性領域の設計が提供される。その設計では、対角のLOフォノンによって、上位レーザー準位への電子注入がアシストされ、注入効率が増強される。さらに、第2に、成長軸方向について適切なインデックスガイド構造が提供される。典型的には、インデックスガイド構造のための屈折率と、カスケード構造をもつ活性領域に対するスムーズな電子の注入動作とが両立するように、n型の酸化物導電体すなわちZnOやITOの層を用いる。なお、酸化物導電体は透明導電酸化物(TCO:transparent conductive oxide)とも呼ばれる。
【0014】
図1は、波長域に対してバンド間遷移を利用する従来のレーザーダイオード素子と、カスケード動作つまりサブバンド間遷移(ISBT)を用いるQCL素子とにおいて、活性領域を構成する材料系と発光波長域の関係を示す説明図である。バンド間遷移による再結合発光を利用する光源では、AlGaN(GaN)系、AlGaInP系、AlGaAs(GaAs)系、InGaAs(InP)系、InAlAsSb(GaP)系、Pb(塩)系材料のそれぞれのバンドギャップに対応した発光波長が得られる。しかし、バンド間遷移を利用する限り近赤外~中赤外の波長域に対しては、高効率な発光動作は実現しにくい。これに対してサブバンド間遷移を利用するQCL素子は、バンドギャップの束縛はなくなる。QCL素子では結晶成長技術が蓄積されているGaAs/AlGaAs系材料やInGaAs/AlInAs/InP系材料を中心に研究が進展してきた。これらの材料系ではカスケード動作の発光実現しうる長い側の波長範囲、つまり中赤外~THz波(波長2μm~200μm程度、周波数1.5THz~150THz程度)での動作が期待できる。なお、QCL素子の場合の材料と波長範囲の関係では材料系ごとにreststrahlen bandと呼ばれる帯域においてレーザー発振に必要な十分な光学ゲインを得ることはできない。この帯域を挟んで長波長側および短波長側でのレーザー発振が可能である。
【0015】
混晶組成比の調整により伝導帯オフセットつまりバリア高さを拡大しやすいGaN/AlGaN系材料は、GaAs系材料などに比べて結晶成長の技術的困難性が高いなどの理由より、QCL素子のために十分な検討がなされず見込みのある設計も提示されてこなかった。本願発明者は、バンド間遷移では高効率な発光動作が難しく、ISBTによるQCL素子でも他の材料では達成し得ない近赤外波長域でのレーザー動作が期待できるような実用的な設計を目指し、バリア高さを調整しやすく波長範囲も広げやすいGaN/AlGaN系材料を用いるQCL素子において実用性の高い構造を創出することに成功した。
【0016】
1-2.実施形態のQCL素子の構成
図2は、本実施形態のQCL素子の構成の概要を示す斜視図(
図2A)、拡大断面図(
図2B)、およびさらなる部分拡大断面図(
図2C)である。本実施形態のQCL素子1000(
図2A)は、概して、一対の導電部20および30と、その間に挟むようにされている半導体超格子構造であるQCL構造100とにより構成されている。
【0017】
導電部20および30は、QCL構造100に対し電界を形成するための電圧と電磁波の放出すなわち発光のための電流とを外部から受けるために利用される。典型的には、導電部20がn型となるようドープされた酸化物導電体、導電部30がn型となるようドープされたAl
zGa
1-zN(0.4≦z≦0.6)層で形成されている。QCL素子1000は、近赤外領域の電磁波に対して導波路構造を持つように構成されている。導波路構造において光が閉じ込められるコアとなるのがQCL構造100であり、その閉じ込めのためのインデックスガイド(クラッド)となるが導電部20および30である。QCL素子1000が動作する際には、上記電圧が印加された結果、電子に対し精密に設計されたポテンシャルの構造がQCL構造100に形成される。このポテンシャル構造が適切な構造とその繰り返し構造をもつように、QCL構造100(
図2B、2C)には交互に積層されたウェル層10W1~10W4およびバリア層10B1~10B5を一つ以上含むある厚みの単位構造10Uが複数、繰り返して形成されている。単位構造10Uの厚み方向に通過する電子は、ポテンシャルの構造を通過する際、典型的にはポテンシャルのウェル10Wに形成される複数の閉じ込め準位間(複数のサブバンド間)を電子が遷移しながら電磁波2000を放出する。
図2に示すように、本出願において、特に断りのない場合、z方向を導電部30から導電部20に向かう膜厚方向に定める。また、ウェル層10W1~10W4およびバリア層10B1~10B5をそれぞれウェル層10W、バリア層10Bと総称することがある。
【0018】
QCL素子1000のQCL構造100(
図2A)は、デバイス全体でみるとサファイア基板40上の複数層の積層体であり、QCL構造100(
図2B)の層構造の広がりの外形をトリミングして形成される。本実施形態に典型的なQCL素子1000は、例えば(0001)面方位のサファイア基板40を利用して極性面を利用したエピタキシャル成長により形成される。この典型例を詳述すると、サファイア基板40の表面には、バッファー層となるAlN層42が1000nm厚に形成され、その表面に接して高ドープn型Al
0.5Ga
0.5N(典型的な電子密度約5×10
18cm
-3)がAl
zGa
1-zN層が導電部30として2000nm厚に形成され、その後に活性領域となるQCL構造100が形成される。導電部30の組成は、Al
zGa
1-zN(0.4≦z≦0.6)層の一典型例である。QCL構造100の詳細な構成については後述する。形成されたQCL構造100の上面には、導電部20のためにn型ドープのTCO層が400nm厚に形成される。TCO層の典型的な材質はインジウム酸化物スズ(Indium Tin Oxide;ITO)で、典型的な電子密度は約5×10
19cm
-3である。
【0019】
図2Bに示すQCL構造100において、同一の構造の単位構造10Uが一般に10~200周期分だけ繰り返して積層されて活性領域が構成され、例えば40層繰り返される。
図2Cは、各単位構造10Uの1単位分(1周期分)の構造を拡大して示す。単位構造10Uにおいては、バリア層10Bとウェル層10Wが交互に積層されている。バリア層10B1に接してウェル層10W1が配置され、ウェル層10W1に接しバリア層10B2が配置され、以下同様である。なお、バリア層10B5は、次の周期の単位構造10Uのバリア層10B1となる。各単位構造10Uは厚みの向きに繰り返して積層されている。各単位構造10Uは、4つのウェル層10Wであるウェル層10W1~10W4を導電部30の側からこの順に有している。各ウェル層10Wは互いにバリア層10Bにより仕切られている。個別のバリア層10Bも必要に応じ区別し、導電部30の側から順にバリア層10B1~10B5と呼ぶ。各単位構造10Uは、0≦x<y≦1として、互いにAl
yGa
1-yNの組成のバリア層で仕切られたAl
xGa
1-xNの組成のウェル層10W1~10W4からなる4量子井戸構造をもっている。ウェル層10W1~10W4は、典型的にはGaN層である。なお、x、yは、GaNとAlNの混晶におけるAlNの比率である。y-xの値が大きいほど伝導帯オフセットが大きくなり、ウェル層10Wにおけるポテンシャル井戸の深さが増す。ウェル層10W2はウェル層10W1、10W3、10W4よりも厚くなっている。ウェル層10W1~10W4のうちの一つ以上のウェル層がドープによりn型にされ、典型的にはウェル層10W1、10W4がドープされる。ここでのドープは、ウェル層10W1の電子密度が例えば2×10
18cm
-3程度となるように、ウェル層10W1、10W4の形成時に変調ドーピングを施すことにより実施される。こうして、ウェル層10W1~W4の4つのウェル層が互いにバリア層により仕切られているような構造を有する単位構造10Uが作製される。以下、特に断りの無い限り、ウェル層10W1~10W4の説明をx=0とした場合のGaN層に基づいて説明するが、その説明は、ウェル層10W1~10W4のためのAl
xGa
1-xNの組成の場合の説明の一典型例にすぎない。
【0020】
上述した典型的な設計例を各層のサイズまで含めてより具体的に説明すると、表1のようになる。なお、表1の設計例の値は波長1.55μmにて高いゲインが得られる具体的設計であり、その詳細は後述する。
【表1】
【0021】
QCL素子1000の設計は理論計算に基づいて行われ、その手法は、非平衡グリーン関数法であり、波動関数の決定のためには自己無撞着法が採用される。その計算では、界面あらさによる散乱、電子-LOフォノン相互作用、電子-荷電不純物、電子-電子相互作用、貫通転位がゲインに対し及ぼす効果が考慮される。
【0022】
図3は、本実施形態のQCL素子1000での3つの隣接周期内のカスケード構造について算出した伝導帯電子に対するポテンシャル(伝導帯ダイアグラム)と電子の存在確率分布の典型例を示す。表1に示したように、QCL素子1000は4つのウェルをもつQCL構造100を持ち、その典型的な設計例では、ウェル層10W1~10W4のためにGaN層を採用し、バリア層10B1~10B5のためにAl
0.8Ga
0.2N層を採用する。
図3は、膜厚方向を横軸にとり、バイアス電圧を印加して動作させた状態での電子に対するポテンシャルを描き、そこに波動関数により求まる膜厚方向閉じ込め準位の各位置での存在確率(存在確率分布)をプロットしている。層厚方向閉じ込め準位は、量子力学に従って離散的エネルギーを持つようにウェル層のポテンシャルに応じて形成される準位であり、その準位の波動関数はバリア層にもある程度侵入しうる。各存在確率分布のベースライン(図示しない)の縦方向の位置はその準位のエネルギー値に合わせて描いている。また、グラフ欄外上方には、ウェル層10W1~10W4、バリア層10B1~10B5、単位構造10Uそれぞれの位置や範囲の目安を明示しており、その際ウェル層10W1をW1等と略している。表1に示したように単位構造10Uの1周期内のバリア層およびウェル層の厚み(ポテンシャルの幅)は、導電部30の側から順に0.85/0.9/0.7/2.2/0.8/1.3/0.8/1nmである。この設計例において、動作バイアスは980mV/周期としている。上位レーザー準位(ULL:upper lasing level)および下位レーザー準位(LLL:lower lasing level)は、最大幅のGaNウェルの基底状態および第一励起状態、つまりウェル層10W2における二つの層厚方向閉じ込め準位である。一つの典型的な設計例において、QCL素子1000における上位レーザー準位と下位レーザー準位間でのエネルギー分離および双極子行列要素は、それぞれ970meVおよび0.42nmである。
【0023】
この設計例において、動作バイアス(980mV/周期)の範囲内で、電子が縦サブバンド内(intra-subband)遷移に続けて上位レーザー準位から下位レーザー準位に緩和する時に光子が放出されうることが示される。まず、上流側の最隣接ウェルにおける基底状態から、上位レーザー準位への電子注入は、LOフォノン1粒子を対角的に放出することにより達成される。この過程は、また熱緩和に対して利点があり、カスケードになっている一周期を通じての電子温度を下げる効果も持つ。また、上位レーザー準位・下位レーザー準位間での光子の放射の後、電子は下位レーザー準位から連続共鳴トンネル現象(sequential resonant tunneling)により引き抜かれ(depopulated)、その後、次の周期に注入され、以下同様となる。
【0024】
ここまでの説明に基づいて、QCL構造100の具体的構造の設計に至る着想を説明する。
図3において
、最大幅のGaNウェルはウェル層10W2であり最大の厚みのウェルであるが、その厚みは、下位レーザー準位と上位レーザー準位の二つだけが層厚方向閉じ込め準位となる範囲で選択されている。一般に、厚くするとより多くの準位が層厚方向閉じ込め準位となりうるが、ここでは高々2つの層厚方向閉じ込め準位のみが最大幅のGaNウェル(ウェル層10W2)に存在するように厚みを決定している。本実施形態は、近赤外の波長域に合せた上位レーザー準位と下位レーザー準位との大きなエネルギー差であっても、ウェル層10Wとバリア層10Bの材質や厚みを適切に選ぶことにより高々2つの層厚方向閉じ込め準位を持たせうる実例である。
【0025】
また、光学遷移前後の電子の輸送にも反転分布を実現するための工夫がなされている。具体的には、ウェル層10W3、10W4、10W1のうち、最隣接であるウェル層10W1の層厚方向閉じ込め準位が、フォノンを媒介したフォノン-電子散乱により、上位レーザー準位へ電子を注入する注入準位となる。この注入準位は、ウェル層10W1にとっての基底状態でもある。また、ウェル層10W2からみて電子の流れの下流側に連続して位置するウェル層10W3、10W4、10W1のいずれかの層厚方向閉じ込め準位が、共鳴トンネリングにより下位レーザー準位から電子を引き抜く引き抜き準位となる。電子の流れの下流側に連続して位置するウェル層10W3、10W4、10W1には複数の層厚方向閉じ込め準位が形成される。これらの複数の膜厚方向閉じ込め準位は、下位レーザー準位から電子を引き抜いて、連続した共鳴トンネリングが可能となって、層厚方向閉じ込め準位を通じて電子を輸送するように動作する。
【0026】
このような動作を実現する設計では、ウェル層10W2(最大幅のウェル)以外のウェル層10W3、10W4、10W1それぞれの厚みは、連続する二つの単位構造10Uに属する二つの最大厚ウェル層に挟まれる範囲で、積層の順に順次に大きくなっているかまたは小さくなっている。例えば、
図3に示したものでは、ウェル層10W3、10W4、10W1の厚みは、1.3、1.0、0.9nmと順に小さくなるように並んでいる。最大幅のウェルまで含めれば、4つのウェル層の厚みの値が、順次に大きくなっているかまたは小さくなっていると言える。なお、ここで順次に大きくなっているかまたは小さくなっている並びは、一つの単位構造の範囲であっても、連続する二つの単位構造の範囲でまたがっていることもあり得る。単位構造の選択が繰り返しの単位であること以外は任意であり、どのウェル層からどのウェル層までを単位構造に含めるかは任意となるためである。
【0027】
本実施形態の設計では、フォノン-電子散乱によるULLへの注入のための電子の輸送と、連続した共鳴トンネリングによるLLLからの引き抜きの電子の輸送とに適するように膜厚方向閉じ込め準位のエネルギー値を調整する。このとき、ウェル層のポテンシャル値は材質の持つ極性により傾斜している。例えば、
図3に示すように、各ウェル層のポテンシャルつまりウェルの底が、全体の右下がりの傾斜と同じ右下がりに傾斜している。このポテンシャルの傾斜があるために、各ウェル層の厚みを調整することにより、各ウェル層のポテンシャルの値(
図3の上下方向)の相対的な位置が調整できる。つまり、各ウェル層の厚みを順次に大きくしたり順次に小さくしたりすれば、バイアス電圧でポテンシャルの全体的な傾斜が生じている上で、複数の膜厚方向閉じ込め準位の互いのエネルギー値を調整することができる。膜厚方向閉じ込め準位のエネルギー値を設計することができるのである。ウェル層の厚みを順次に大きくするか小さくするかは、各層の分極による極性とバイアス電圧の極性や値に応じて決定することができる。なお、ポテンシャルの傾きと厚みによる膜厚方向閉じ込め準位のエネルギー値を設計は、ウェル層ではなくバリア層の厚みを順次に大きくなるようにまたは小さくなるように並べることによっても達成できる。
【0028】
図4は、本実施形態のQCL素子1000の設計例において、動作状態について計算により求められた電子の束縛状態における電子密度をエネルギーと層厚方向の位置に対して示すマップ(電子分布マップ)である。本設計で上位レーザー準位・下位レーザー準位間で反転分布が明瞭に達成されることが示され、数値では5.8×10
16cm
-3である。
図5は、QCL素子1000の設計例における各波長での300Kの動作温度における光学ゲインである。理論計算により算出した
図5に示されるように、本実施形態のQCL素子1000は300Kで波長1.55μmにて63cm
-1もの光学ゲインが得られる。
図6は、層厚方向の空間の各位置における300Kの動作温度での光学ゲイン(空間光学ゲイン: spatial optical gain)をプロットした計算値である。上位レーザー準位・下位レーザー準位間で放射遷移が生じる位置が明確に局在しており、一見して活性領域で実際に起きうることが確認できる。なお、レーザー発振は、30cm
-1程度の光学ゲインが得られれば実現しうるので、これらは300Kの動作温度においてレーザー発振が可能なことを示している。
【0029】
図7は、本実施形態のQCL素子において、各波長に適合させた設計での光学ゲインを300Kの動作温度に対して算出した特性図である。波長1.55μmに対しては、表1に示した上述の具体的設計例において高いゲインのものが得られていた。この設計例と同様に、ウェル層10W1~W4、バリア層10B1~10B5の層厚およびx、y(混晶におけるAlN組成比)を調整して他の波長についてもQCL素子1000を最適化することができる。このような最適化の結果得られたのが、
図7の各波長における光学ゲインである。
図7に示すように、本実施形態の設計では、レーザー波長を1.1以上3μm以下の範囲でチューニングしうる可能性が示されている。
【0030】
図8は、本開示の実施形態のQCL素子1000の製造方法と構造を示す構成図であり、表1に示した具体的構成例の構造を実現するものである。1μm厚のバッファーとなるAlN層42をサファイア基板40上にMOCVD法(有機金属気相成長法)により形成する。連続して、そのAlN層42をテンプレートとして、ドーピングレベル5×10
18cm
-3の2ミクロン厚Al
0.5Ga
0.5N層の導電部30が形成される。ついで、PAMBE法(plasma assisted molecular beam epitaxy;プラズマ補助分子線エピタキシー)に移動して、合計厚み400nmの40周期のQCL構造100が活性領域のために成長される。この際に採用される原料は、Gaソースと窒素ガスである。PAMBEプロセスでは、窒素がプラズマにより反応性が与えられる。最後に、MOCVD法で、400nm厚のドーピングレベル5×10
19cm
-3のn型TCO(ZnO、ITO)によってキャップされて導電部20のためのTCO層とされる。このドープされたTCO層は、インデックスガイド構造の役を果たせるだけでなく、スムーズな電気的ポンピングのための金属と活性領域との間の中間層としても用いられうる。なお、本実施形態のQCL素子1000の製造工程では、PAMBE法以外に、アンモニアMEB法、MOCVD法によりQCL構造100を形成することもできる。
【0031】
図9は、実施形態のQCL素子
1000の放射面の断面を示す構成図である。
図2にも示したメサ構造では、導電部20、30に電気的に接続を取るための金属接点22、32が形成される。金属接点22、32は、それぞれ、TI/Al/Ni/Auの構造を持つ積層体である。また、放射の光電場をさらに集中させるため、放射面に直交するy方向(
図9の紙面上の左右)の側部がトリミングされる。そして、トリミングされた面にはパシベーション24としてシリコン窒化膜(SiNx)が形成される。素子全体のx方向端面にQCL構造100の積層断面が達している面が放射面となる。この放射面は、屈折率ステップ界面となることによる戻り光や、必要に応じて配置されるミラーなどの外部共振器の助けを借りて、往復する進行波を生じさせて誘導放射に寄与する。横方向の幅は典型的には5~10μmとなるように作製され、y方向については屈折率ステップによる全反射の導光による面内方向の閉じ込めが実現する。シリコン窒化膜は屈折率が2程度であり、薄いためパシベーション24は特段影響しない。
【0032】
膜厚方向(z方向)は、導電部30と導電部20が低い屈折率、半導体超格子のQCL構造100が高い屈折率のインデックスガイド構造(導波路構造)により閉じ込めが実現する。
図10は、本開示の実施形態のQCL素子においてインデックスガイド導波路構造とその光学モードの閉じ込め強度の計算値を波長1.55μmについて示すグラフである。横軸は、層厚方向であり、
図2において導電部30(Al
zGa
1-zN層)の途中、上から500nmの位置を原点としている。波長1.55μmでの屈折率は、Al
zGa
1-zN層である導電部30は2.2程度、導電部20に採用したTCO層は、例えばITOまたはZnOであり1.7程度である。これに対して、QCL構造100の同波長での屈折率は2.5程度である。このため、QCL構造100において導電部30と導電部20は、これらにサンドイッチされたQCL構造100に対して十分な光閉じ込め効果を持つ。なお、導電部20はn型にドープされたTCO層であり、良好な電気特性を示し、電気的な接触特性もオーミックとなる。
【0033】
以上のように、本実施形態のQCL素子1000では、近赤外の波長域において高い効率でレーザー動作が実現する。
【0034】
2.変形例
本実施形態では、種々の変形を行うことができる。例えば、活性領域となるQCL構造100において、各単位構造のウェル層とバリア層の材質は、動作温度、発光波長に併せて種々変更できる。例えば、ウェル層の組成AlxGa1-xNと、バリア層の組成AlyGa1-yNにおいて、バリア層のAlNの比率をウェル層よりも十分高くすることにより、つまりy-xの値を大きくすることにより、GaN/AlGaN系組成の高いバリア層を実現することができる。したがって、ウェル層をGaNとすることは必ずしも要さない。
【0035】
以上、本開示の実施形態を具体的に説明した。上述の実施形態、変形例および実施例は、本出願において開示される発明を説明するために記載されたものであり、本出願の発明の範囲は、特許請求の範囲の記載に基づき定められるべきものである。実施形態の他の組み合わせを含む本開示の範囲内に存在する変形例もまた、特許請求の範囲に含まれるものである。
【符号の説明】
【0036】
1000 QCL素子
100 QCL構造(半導体超格子構造)
10B、10B1~10B5 バリア層
10W、10W1~10W4 ウェル層
10U 単位構造
20 導電部(TCO層)
22、32 金属接点
24 パシベーション膜
30 導電部(AlzGa1-zN層)
40 サファイア基板
42 AlN層
2000 電磁波
ULL 上位レーザー準位
LLL 下位レーザー準位