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▶ 秋田十條化成株式会社の特許一覧

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-05-29
(45)【発行日】2024-06-06
(54)【発明の名称】酵母及びこれを用いた食品
(51)【国際特許分類】
   C12N 1/16 20060101AFI20240530BHJP
   C12N 1/18 20060101ALI20240530BHJP
   A21D 10/00 20060101ALI20240530BHJP
   A21D 8/04 20060101ALI20240530BHJP
【FI】
C12N1/16 G
C12N1/18
A21D10/00
A21D8/04
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2019205955
(22)【出願日】2019-11-14
(65)【公開番号】P2021078358
(43)【公開日】2021-05-27
【審査請求日】2022-11-08
【微生物の受託番号】NPMD  NITE P-03028
(73)【特許権者】
【識別番号】596137715
【氏名又は名称】秋田十條化成株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100113398
【弁理士】
【氏名又は名称】寺崎 直
(72)【発明者】
【氏名】木村 貴一
(72)【発明者】
【氏名】戸松 誠
(72)【発明者】
【氏名】▲高▼橋 慶太郎
(72)【発明者】
【氏名】加賀谷 崇志
(72)【発明者】
【氏名】藤井 裕二
(72)【発明者】
【氏名】河岡 明義
(72)【発明者】
【氏名】井上 俊三
【審査官】小倉 梢
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-067240(JP,A)
【文献】特開2002-095465(JP,A)
【文献】凍結及び乾燥研究会会誌,1986年,Vol. 32,p. 58-63
【文献】醸協,1996年,第91巻,第5号,p. 311-317
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 1/00 - 1/38
A21D 2/00 - 17/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
受託番号がNITE P-03028である、サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株。
【請求項2】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含む冷凍物である、冷凍酵母組成物。
【請求項3】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含む、冷凍パン生地。
【請求項4】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体乾燥物である、乾燥パン酵母。
【請求項5】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を用いて発酵させることを含む、発酵食品の製造方法。
【請求項6】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含むパン生地を焼成することを含む、パンの製造方法。
【請求項7】
請求項1に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を、-10~-30℃で冷凍する、サッカロマイセス・セレビシエの保存方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、酵母に関し、詳しくは、凍結融解耐性の高い酵母及びこれを用いた食品に関する。
【背景技術】
【0002】
野生酵母由来で菌株の出自が明らかにされている市販パン酵母製品としては、例えば、「白神こだま酵母」(特許文献1、非特許文献1)及び「とかち野酵母」(特許文献2)などがある。「白神こだま酵母」は、温帯落葉樹林帯内の腐葉土から分離された酵母であり、「とかち野酵母」は、北海道十勝地方に自生するエゾヤマザクラのサクランボから分離された酵母である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特開2001-178449号公報
【文献】特開2010-068739号公報
【0004】
【文献】J. Appl. Glycosci.,Vol. 56, Suppl., 2009
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
食品用に用いられる酵母は、一般に、冷蔵保存して、保管または流通される。国内において冷凍で保管、流通している製パン用などの酵母は、白神こだま酵母(登録商標)のみである。しかし、白神こだま酵母は冷凍および解凍を複数回行うと、酵母の生存率が低下してしまい、発酵食品などに用いることが困難となってしまう傾向があった。そのため、冷凍酵母は、一度解凍すると、再び冷凍保存するのは望ましくないため、およそ一週間以内に使用しきる必要があった。
【0006】
以上のような状況に鑑み、本発明は、凍結融解を繰り返しても生存率の高い酵母およびこれを用いた食品を提供することを課題とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者等は、様々な指標を用いてスクリーニングを実施し、鋭気研究の結果、上記の課題を解決できる酵母を見出し、本願発明を完成させるに至った。
【0008】
〔1〕 凍結融解処理を2回繰り返した後の生存率が70%以上である、サッカロマイセス・セレビシエ。
〔2〕 凍結融解処理を3回繰り返した後の生存率が55%以上である、上記〔1〕に記載のサッカロマイセス・セレビシエ。
〔3〕 炭素源としてブドウ糖を含むYPD培地で2日間培養した後に回収した菌体中のトレハロース含有量が、前記菌体の乾燥菌体重量に対して19重量%以上である、上記〔1〕または〔2〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエ。
〔4〕 食塩10%(w/v)を含むYPD培地で増殖可能な耐塩性を有する、上記〔1〕~〔3〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエ。
〔5〕 更に、炭素源として、ブドウ糖、ショ糖、およびマルトースのそれぞれについて資化能を有する、上記〔1〕~〔4〕に記載のサッカロマイセス・セレビシエ。
〔6〕 サッカロマイセス・セレビシエの下記(A)または(B)の菌株:
(A)サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株、または
(B)前記(A)の菌株の全ゲノム配列に対する同一性が90%以上であって、且つ、凍結融解処理を2回繰り返した後の生存率が70%以上である菌株。
〔7〕 サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株。
〔8〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含む冷凍物である、冷凍酵母組成物。
〔9〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含む、冷凍パン生地。
〔10〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体乾燥物である、乾燥パン酵母。
〔11〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を用いて発酵させることを含む、発酵食品の製造方法。
〔12〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を含むパン生地を焼成することを含む、パンの製造方法。
〔13〕 上記〔1〕~〔7〕のいずれか一項に記載のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を、-10~-30℃で冷凍する、サッカロマイセス・セレビシエの保存方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明によって、凍結融解耐性の高い酵母が提供される。本発明の酵母は、凍結融解を複数回繰り返しても生存率が高く、食品添加物またはこれを含む食品として、保存、流通する上で利便性が高い。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明の実施形態について説明する。なお、本発明を特定するために用いられる数値は、下記に詳述される実施例に記載の方法によって特定できるものである。
【0011】
1.本発明の酵母
本発明は、凍結融解耐性の高い酵母を提供するものである。
本発明の一実施形態としては、凍結融解処理を2回繰り返した後の生存率が70%以上である、サッカロマイセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisiae)でありうる。当該生存率は、より好ましくは75%、さらに好ましくは76、77、78、79、または80%でありうる。
【0012】
また、本発明の他の一実施形態としては、凍結融解処理を3回繰り返した後の生存率が55%以上である、サッカロマイセス・セレビシエでありうる。当該生存率は、より好ましくは58%、さらに好ましくは59、または60%でありうる。
【0013】
また、本発明の他の一実施形態としては、凍結融解処理を1回行った時点での生存率が80%以上、より好ましくは82%以上、さらに好ましくは、83、84、または85%以上でありうる。
【0014】
本発明の酵母は、更に他の実施形態として、トレハロースを高蓄積するサッカロマイセス・セレビシエでありうる。トレハロースを高蓄積する程度としては、例えば、炭素源としてブドウ糖を含むYPD培地で2日間培養した後に回収した菌体中のトレハロース含有量が、前記菌体の乾燥菌体重量に対して19重量%以上でありえ、好ましくは、20重量%、より好ましくは23重量%、さらに好ましくは25、26、または27重量%でありうる。
【0015】
また、本発明の他の一実施形態としては、耐塩性の高いサッカロマイセス・セレビシエでありうる。耐塩性の有無または程度は、例えば、所定の濃度の食塩を含むYPD培地などに塗布して増殖の有無を確認することなどの方法によって特定できる。より具体的には、例えば、食塩10%(w/v)を含むYPD培地で増殖可能であるか否かを評価することが挙げられる。
【0016】
本発明の酵母は、更に他の実施形態として、炭素源として、ブドウ糖、ショ糖、およびマルトースのそれぞれについて資化能を有する、サッカロマイセス・セレビシエでありうる。このように様々な糖質に対し資化能を有する酵母は、様々なパンの製造に供試し得るため、製パン適性に優れているといえる。
【0017】
本発明の好ましい一実施形態としては、例えば、サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株が挙げられる。KAY 723株は、下記の実施例の欄にて詳説するとおり、秋田県山本郡八峰町八森(字留山地内)の世界自然遺産「白神山地」緩衝地域より所管官庁の許可を得て採取した腐葉土から単離された菌株である。KAY 723株は、下記のとおり寄託されている。
(1)(受託番号:NITE P-03028)
(2)(受託日:2019年9月26日)
(3)寄託先:独立行政法人製品評価技術基盤機構 バイオテクノロジーセンター 特許微生物寄託センター(NPMD)(日本国千葉県木更津市かずさ鎌足2-5-8)
【0018】
KAY 723菌株は、菌学的性質として、下記の特徴を示す。(+:ポジティブ、-:ネガティブ)
凍結融解耐性:+
トレハロース蓄積能:+
ブドウ糖資化能:+
ショ糖資化能:+
マルトース資化能:+
無糖パン生地での発酵能:+
低ショ糖含有パン生地での発酵能:+
高ショ糖含有パン生地での発酵能:+
グルコース濃度46%(w/v)存在下で良好な生育、50%(w/v)存在下でも生育可能
食塩濃度6%(w/v)存在下で良好な生育、10%(w/v)存在下でも生育可能
核と液胞を有する卵形の形状
出芽により増殖
YPD平板培地上に直径2から8mmの艶のない乳白色のコロニーを形成
【0019】
また、本発明の酵母は、上記KAY 723菌株と同等の高凍結融解耐性を有する変異株でありうる。例えば、当該変異株は、サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株の全ゲノム配列に対する同一性(Identity)が約90%以上であって、且つ、凍結融解処理を2回繰り返した後の生存率が70%以上である菌株でありうる。また、他の実施形態としては、当該変異株は、サッカロマイセス・セレビシエ KAY 723株の全ゲノム配列に対する同一性(Identity)が約90%以上であって、且つ、凍結融解処理を2回繰り返した後の生存率が55%以上である菌株でありうる。
【0020】
配列の同一性は、BLAST(Basic Local Alignment Search Tool)などの公知のソフトウエアを用いることにより求めることができる。本発明に係る酵母において、KAY 723菌株の全ゲノム配列に対する同一性は、好ましくは約93%以上、より好ましくは約95%以上、さらに好ましくは約96、約97、約98、または約99%以上でありうる。なお、これまでに公開されたサッカロマイセス・セレビシエの全ゲノム配列によると、そのゲノムサイズは、一般的に約12Mb~12.5Mbである。サッカロマイセス・セレビシエの公知の配列は、例えば、NCBI(National Center For Biotechnology Information)、DDBJ(DNA Data Bank Of Japan)などを通じて検索可能である。
【0021】
2.本発明の酵母の利用
本発明の酵母は、さまざまな形態を採用しうる。本発明の一実施形態としては、上記のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を冷凍した、冷凍酵母組成物でありうる。本発明のサッカロマイセス・セレビシエは、上述のとおり、凍結融解耐性に優れており、冷凍製品として保存、流通に好適である。
【0022】
当該冷凍酵母組成物は、例えば、冷凍パン生地、冷凍ピザ生地などでありうる。本発明のサッカロマイセス・セレビシエは、一実施形態として、製パン適性も優れており、冷凍パン生地として好適である。また、本発明のサッカロマイセス・セレビシエは、一実施形態として、耐塩性に優れており、食塩を含む食品にも好適に用いうる。
【0023】
本発明の酵母は、通常の酵母と同様に、食品原料に添加して、発酵食品の製造に用いうる。本発明の酵母は、パンの製造方法に好適に用いうる。
【0024】
また、パン生地に添加する酵母は、生存していなければ発酵が進まず、パン生地、パンの膨らみが不十分となる。本発明の酵母は、一実施形態として、家庭用冷蔵庫で汎用されている-18℃前後の冷凍庫で、凍結、融解を繰り返しても、従来の酵母よりも生存率が高いため、ホームベーカリー用のパン生地などとして好適である。
【0025】
また、本発明の酵母は、一実施形態として、ブドウ糖、ショ糖、マルトースについて資化能を有し、また無糖、低糖、高糖パン生地においても発酵能を有するため、製パン適性に優れている。そのため、本発明の酵母は、パン生地に添加し、これを焼成することによりパンの製造に好適に用いうる。
【0026】
また、本発明の酵母は、乾燥して、乾燥菌体の形態としてもよい。乾燥菌体の場合、室温で保存してもよく、また、-10℃以上0℃未満の温度条件下で冷蔵保存してもよい。
【0027】
また、本発明の一実施形態は、上記のサッカロマイセス・セレビシエの菌体を、-10~-30℃で冷凍する、サッカロマイセス・セレビシエの保存方法でありうる。冷凍温度は、一定でなくてもよく、例えば、約-20℃程度~-30℃程度で急速冷凍後に、約-19℃程度~-10℃程度で冷凍または冷蔵保管するようにしてもよい。上述のとおり、本発明の酵母は、家庭用冷蔵庫で汎用されている-18℃前後の冷凍庫で、凍結、融解を繰り返しても、従来の酵母よりも生存率が高い。したがって、本発明の酵母の好ましい保存方法の実施形態としては、例えば、-10℃~-20℃、-15℃~-19℃、または-18℃前後での冷凍保存などでありうる。
【実施例
【0028】
以下に実施例を挙げて本発明について具体的に説明するが、本発明の技術的範囲が下記の実施例に限定されるものではない。
【0029】
なお、下記実施例における生地配合の分量表記にあたっては、ベーカーズパーセントを用いた。ベーカーズパーセントとは、生地に用いる小麦粉重量に対する重量%であり、BPと略記される。一例をあげて説明すると、水を70ベーカーズパーセント使用する場合、小麦粉100gに対して70gの水を使用する。同様に、小麦粉250gに対しては、175gの水を使用する。
【0030】
YPD液体培地は、次のように調製した。Yeast Extract(Difco社製)1g、Polypepton(Difco社製)2g、Dextrose(関東化学社製)2gを正確に秤量した後、蒸留水で溶解し、100mlとなるようにメスアップした。このYPD液体培地をオートクレーブにて121℃、15分間滅菌処理を行い、室温まで冷却して使用した。YPD寒天培地は、上記YPD液体培地成分に対し、1.5%(w/v)となるように寒天を加え、滅菌処理を行って使用した。
【0031】
生酵母は、以下のようにして調製した。生酵母は、保存株から前培養を行い、続いて本培養を行って得られた菌体を洗浄することで、生酵母として使用した。各菌株の保存株は、20%(w/w)グリセロール懸濁液としてマイナス80℃に保存されている。
菌体は滅菌生理食塩水にて2回洗浄したものを生酵母として使用した。
【0032】
本発明の酵母の一実施例である、KAY 723株は、以下に示す方法により単離した。
1. 微生物の分離
1.1. 菌株の分離
秋田県山本郡八峰町八森(字留山地内)の世界自然遺産「白神山地」緩衝地域より所管官庁の許可を得て採取した腐葉土0.1gを、クロラムフェニコール200ppm、ブトウ糖0.3g、ペプトン0.1g、酵母エキス0.05g、水道水10mlの組成からなる培地に入れ、25~26℃、振幅5cmで5~7日間振とう培養を行い酵母の集殖を計った後、粉末麹エキス50g、寒天15g、水道水1、000ml、pH5.0の組成からなる麹汁寒天培地で27℃、3日間培養し、菌株を純粋に分離した。
【0033】
1.2. トレハロース生産菌の選抜
上記方法にて純粋に分離された菌株を、酵母エキス1g、ペプトン2g、ブドウ糖2g、蒸留水100mlの組成からなるYPD培地5mlに入れ、30℃、振幅5cmで、2日間、250rpmにて振盪培養を行い、前培養とした。本培養として、YPD培地に対して1/100量の前培養液を接種し、30℃、1分あたり120回転で、2日間、振盪培養を行った。本培養で得られた菌体を遠心分離機を用いて、4,000rpm、4℃の条件下で、10分間遠心分離を行い、上清を捨て、菌体を回収した。
【0034】
菌体0.5gを、2.5%のトリクロロ酢酸で抽出し、抽出液中のトレハロースを高速液体クロマトグラフィー(日立ハイテクサイエンス社製)にて測定した。乾燥菌体重量に対し、19%以上のトレハロース含有量を示した11株(トレハロース高蓄積株)を選抜した。
【0035】
2.サッカロマイセス・セレビシエの選抜
酵母の仲間には病原性を有するものも存在する。その中で、パンや清酒などの食品に広く利用される酵母はサッカロマイセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisiae)である。製パンなど食品加工に利用可能な酵母を取得するためには、上記にて得られたトレハロース高蓄積株のうちから、サッカロマイセス・セレビシエであるものを選抜する必要がある。そこで、上記にて得られたトレハロース高蓄積株11株から、食品に広く利用しうるサッカロマイセス・セレビシエの同定および選抜を試みた。
【0036】
サッカロマイセス・セレビシエの同定には、真菌中に含まれるリボゾームRNA(rRNA)塩基配列の相同性比較にて同定を行った。rRNA塩基配列は、同一種の菌株間ではITS領域の塩基配列の相同性が99%以上であることが示されており、一般にこの数値が同定の目安とされている。そこで、rRNA塩基配列のうちITS領域に加えて26/28S rRNA 遺伝子のD1/D2領域の塩基配列の相同性を比較して同定を試みた。塩基配列の相同性比較はBLASTにて行った。
【0037】
その結果、4株のサッカロマイセス・セレビシエを得た。4株のうち、3株はITS領域およびD1/D2領域共に100%の相同性を示した。1株はITS領域の相同性が99%であったが、この1株のD1/D2領域は100%の相同性を示したため、サッカロマイセス・セレビシエと同定した。以上より、11株のうちから、4株の食品利用が可能な酵母、サッカロマイセス・セレビシエを取得した。これら4株は、トレハロースを高蓄積するサッカロマイセス・セレビシエである。
【0038】
3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験
無糖パンの種類としては、フランスパン、バゲットなどがある。小麦粉に含まれる糖質として、ブドウ糖の他にマルトースが多く含まれる。そこで、ブドウ糖またはショ糖、またはマルトースを炭素源として生育できる菌株の選抜を試みた。
【0039】
そこで、上記にて得られた、トレハロースを高蓄積するサッカロマイセス・セレビシエ4株を、YPD培地5mlにて30℃、振幅5cmにて、2日間、250rpmにて振盪培養して前培養液を得た。
【0040】
酵母エキス1g、ペプトン2g、糖質2g、蒸留水100mlの組成からなるYPD培地において、糖質の種類を、ブドウ糖2g、ショ糖2g、またはマルトース2gのいずれかとして、糖質の異なる3種類のYPD培地を用意した。各YPD培地5mlに、1/100量の前培養液を入れ良く懸濁した後、各200μlを丸底96wellマイクロプレート(岩城硝子社製)に移植した。このマイクロプレートを、インキュベーションリーダーHiTS(株式会社サイニクス社製)にて、30℃で、1時間毎に、吸光度600nmを測定し、数値の増加から微生物の増殖を測定した。
【0041】
その結果、4株のうち、1株はマルトース存在下で増殖が非常に悪いことから、マルトース資化能が実質的にないものと思われた。これにより、マルトースを唯一の炭素源とする培地でも良好な増殖性を示した3株を選抜した。この3株はトレハロースを高蓄積し、マルトースを唯一の炭素源とする培地中で良好な生育を示すサッカロマイセス・セレビシエである。
【0042】
4.低糖または無糖パン生地における炭酸ガス発生量の測定
上記「3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験」を経て得られたサッカロマイセス・セレビシエ3株について、低糖または無糖の各パン生地における炭酸ガス発生量を測定した。
【0043】
日本イースト工業会のパン用酵母試験法に基づき、炭酸ガス発生量を観察した。比較例1として、市販パン酵母(スーパーカメリヤドライイースト(日清製粉グループ))を用いた。市販パン酵母は、YPD培地にて培養して得た生酵母を使用した。
【0044】
小麦粉100gを正確に計りとり、水をBP=70%、食塩をBP=1.5%となるように混合し、ベースとなる生地を得た。無糖生地は、ベース生地にショ糖を添加しなかった。低糖生地は、ベース生地にショ糖をBP=6%添加した。供試酵母として、生酵母または乾燥酵母を添加した。
【0045】
炭酸ガス発生量は、ファーモグラフ(登録商標、ATTO社製)を使用し、30℃にて、計測を行った。ファーモグラフとは、系中に生成したガス量を経時的に計測する装置で、単位はmlである。各単位時間あたりのガス発生量をeach gas、ガス発生量の累積総量をtotal gasとして測定した。得られたガス発生量(ml)は生酵母として3gとなるように換算した。
【0046】
低糖パン生地においては、900分間(15時間)、経時的に炭酸ガス発生量を測定した。計測の結果、低糖パン生地においてはいずれの菌株も初期の炭酸ガス発生パターンは類似していた。しかしながら、上記「3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験」を経て得られたサッカロマイセス・セレビシエ」の3株のうちの1株(No.723株)と比較例1の市販パン酵母のみ、6時間を経過しても緩やかに炭酸ガス発生を続けることが判った。他方、上記糖質資化試験を経て得られた他の2株は、6時間経過すると炭酸ガス発生が大きく低下し、炭酸ガス発生量の累積合計の増加程度が非常に緩やかになった。
この結果より、低糖生地においては、いずれの菌株も製パン適性はあるが、No.723株と比較例1の市販パン酵母は特に優れていると判断された。
【0047】
同様に無糖パン生地を用いた計測の結果、No.723株と、比較例1の市販パン酵母において、良好な炭酸ガス発生パターンが認められた。上記糖質資化試験を経て得られた他の2株は相互に非常に類似した炭酸ガス発生パターンを示し、かつ、無糖パン生地において、0~10時間の間、炭酸ガス発生量が、No.723および比較例1の炭酸ガス発生量よりもかなり下回ることが判明した。
【0048】
以上の結果より、無糖生地においては、上記「3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験」を経て得られたサッカロマイセス・セレビシエの3株のうちでは、No.723株の1株が最も製パン適性が高い菌株であると判断された。
【0049】
これまでの結果から、発酵性に優れ、かつ、トレハロースを高蓄積するサッカロマイセス・セレビシエとして、No.723株の1株を選び、選抜試験を終了した。このNo.723株を、KAY 723株と命名した。
【0050】
5.高糖パン生地における炭酸ガス発生量の測定
上記「4.低糖または無糖パン生地における炭酸ガス発生量の測定」までの試験により選ばれた、製パン適性に優れ、かつ、トレハロースを高蓄積するKAY 723株の1株について、高糖生地における製パン適性を調べると共に、比較例1の市販パン酵母と発酵特性の違いを比較した。
【0051】
高糖生地は、上記のベース生地に、ショ糖をBP=30%添加して用意した。計測方法に関するその他の点については、上記の低糖または無糖パン生地の場合と同じとした。
【0052】
計測の結果、KAY 723株のガス発生量は、経時的に見て、ほぼ常時、比較例1の市販パン酵母の炭酸ガス発生量を上回っており、累積ガス発生量は、常時、比較例1の市販パン酵母のガス発生量を上回る結果が得られた。すなわち、KAY 723株は比較例1の市販パン酵母より優れた発酵能を有すると判断された。
【0053】
以上の結果から、KAY 723株は、無糖パン、低糖パン、高糖パンのいずれについても製造が可能であり、製パン作業における時間の効率化が可能と考えられた。
【0054】
6.繰り返しの凍結融解に対する生存率
<意義>
凍結融解に対する耐性を知るために、以下のようにして、繰り返し凍結融解に対する生存率を求めた。一般に微生物を凍結保存する場合は、-80℃が使用されるが、これは生存率が高いためである。これに対して、家庭用冷凍庫温度である-18℃は、微生物の生存率が非常に低い温度、つまり、微生物が死滅しやすい温度である。
【0055】
ゆえに、家庭用冷凍庫温度である-18℃で高い生存率を有する酵母は、製パン業界で使用される生酵母の凍結ブロックの繰り返しの凍結融解利用を実現するために、有用性が高い。
【0056】
<生存率の測定>
供試菌として、実施例1:KAY 723株、比較例1:市販パン酵母(スーパーカメリヤドライイースト(日清製粉グループ))、比較例2:白神こだま酵母、および比較例3:サッカロマイセス・セレビシエとして広く利用されている協会7号酵母を用いた。各供試菌は、生菌を用いた。
【0057】
培地として、YPD培地(酵母エキス1%(w/v)、ペプトン2%(w/v)、グルコース2%(w/v))を用意した。YPD培地150mLを含む坂口フラスコを用意し、供試菌を加え、初回の凍結前に96時間培養した。得られた培養物10mLを15mL遠心チューブで集菌(3000rpm、10分)し、1度滅菌水で洗浄した。洗浄後、直ちに、-20℃フリーザーで冷却した。2日または3日毎に融解して一部をサンプリングし、滅菌水で希釈し、YPD寒天培地(寒天2%(w/v))に塗布した。
【0058】
YPD寒天培地上に形成したコロニー数を計測し、コロニー数の平均値を求めた。各回の融解後のコロニー数の平均値と初発菌数の平均値から生存率(%)を算出した。結果を表1に示す。
【0059】
【表1】
【0060】
表1示されるとおり、実施例1(KAY 723株)は、1回目凍結融解後および2回目の凍結融解後でも生存率80%以上を維持し、更に3回凍結融解を繰り返した後であっても60%を超える生存率の高さを示した。
【0061】
これに対して、比較例1の市販パン酵母は、1回の凍結融解で生存率が約56%にまで低下し、3回凍結融解後にあっては、20%を下回った。また、比較例2(白神こだま酵母)は、1回目の凍結融解後の段階では約80%の生存率を維持したが、3回凍結融解後の段階では生存率50%を下回った。
【0062】
7. トレハロース含量の測定
上記実施例1、比較例1および2、さらに比較例3として、サッカロマイセス・セレビシエとして広く利用されている協会7号酵母を用いて、トレハロース含量を測定した結果を表2に示す。トレハロース含量の測定は、上記「1.2. トレハロース生産菌の選抜」に記載の方法と同じである。
【0063】
【表2】
【0064】
実施例1の酵母は、トレハロースを高蓄積する酵母であることが明らかとなった。
【0065】
8. 高濃度食塩存在下における増殖性
上記「1.2. トレハロース生産菌の選抜」において用いたYPD培地をデフォルトのベース培地として用い、食塩濃度0~11%までの範囲で1%刻みの所定の食塩濃度条件下における酵母の増殖性を評価した。酵母として、実施例1、比較例1および2の酵母を用いた。酵母の増殖は、上記「3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験」と同様にして、インキュベーションリーダー(サイニクス社製)を用いて経時的に測定した。測定は0時間から168時間まで行った。
【0066】
実施例1(KAY 723株)は、食塩濃度が上昇するのに伴って、その増殖速度が、比較例2(白神こだま酵母)よりも低下する傾向が見られた。しかし、比較例2の酵母は増殖可能な最大食塩濃度が9%であったのに対し、実施例1は、食塩濃度10%条件下でも約100時間経過後から増殖が始まり、最大食塩濃度10%まで増殖できることが示された。比較例1の市販酵母は、増殖可能な最大食塩濃度が9%であった。これら3種の酵母の中では、実施例1の酵母が最も高濃度の食塩条件下でも増殖可能であり、耐塩性に優れることが示された。
【0067】
9.高濃度グルコース存在下における増殖性
上記「1.2. トレハロース生産菌の選抜」において用いたYPD培地をデフォルトのベース培地として用い、異なる濃度のグルコースを含むYPD培地を用意し、グルコース濃度2~50%(w/v)までの範囲で所定のグルコース濃度条件下における酵母の増殖を評価した。酵母として、実施例1、比較例1および2の酵母を用いた。酵母の増殖性は、上記「3.サッカロマイセス・セレビシエの糖質資化試験」と同様にして、インキュベーションリーダー(サイニクス社製)を用いて経時的に測定した。測定は0時間から168時間まで行った。
【0068】
実施例1(KAY 723株)は、グルコース濃度46%(w/v)でも良好な生育を示し、グルコース濃度50%(w/v)でも生育できた。他方、比較例1の市販酵母は、グルコース濃度42%(w/v)を超えると、著しく生育不良となった。また比較例2(白神こだま酵母)は、グルコース濃度50%(w/v)では、実施例1よりも生育が劣る傾向が認められた。実施例1、比較例1および2の中では、実施例1の酵母が最も耐糖性に優れると認められた。