(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-06-11
(45)【発行日】2024-06-19
(54)【発明の名称】ポリグルタミンタンパク質凝集抑制剤、及びポリグルタミン病の予防または治療用医薬
(51)【国際特許分類】
C12N 5/0793 20100101AFI20240612BHJP
A61K 31/728 20060101ALI20240612BHJP
A61P 25/00 20060101ALI20240612BHJP
A61P 25/14 20060101ALI20240612BHJP
【FI】
C12N5/0793 ZNA
A61K31/728
A61P25/00
A61P25/14
(21)【出願番号】P 2020062535
(22)【出願日】2020-03-31
【審査請求日】2023-03-23
(73)【特許権者】
【識別番号】524144338
【氏名又は名称】林田 直樹
(74)【代理人】
【識別番号】100177714
【氏名又は名称】藤本 昌平
(72)【発明者】
【氏名】林田 直樹
(72)【発明者】
【氏名】徳永 康子
【審査官】藤澤 雅樹
(56)【参考文献】
【文献】韓国公開特許第10-2019-0008013(KR,A)
【文献】特開2017-141207(JP,A)
【文献】特開2012-131832(JP,A)
【文献】特表2013-538865(JP,A)
【文献】Scientific Reports,2018年,Vol 8. No.3505,pp.1-11
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 5/00
A61P 25/00
A61K 31/33-33/44
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞内における
ポリグルタミンタンパク質凝集抑制剤。
【請求項2】
前記ポリグルタミンタンパク質がハンチンチンタンパク質である、
請求項1に記載のポリグルタミンタンパク質凝集抑制剤。
【請求項3】
生体から分離または単離した神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる工程を含む、神経細胞内における
ポリグルタミンタンパク質の凝集が抑制された神経細胞を製造する方法。
【請求項4】
ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、
ポリグルタミン病の予防または治療用医薬。
【請求項5】
前記ポリグルタミン病がハンチントン病である、
請求項4に記載のポリグルタミン病の予防または治療用医薬。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、神経細胞の軸索の伸展剤に関する。また本発明は、軸索が伸展した神経細胞を製造する方法、神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤、神経細胞内における凝集したタンパク質の分解促進剤、神経細胞内におけるタンパク質の凝集を抑制された神経細胞を製造する方法、および、神経変性疾患の予防または治療用医薬に関する。
【背景技術】
【0002】
アルツハイマー病や前頭側頭型認知症などの神経変性疾患では、神経細胞の軸索の変性や神経細胞死が起き、その結果として認知症状をはじめとしたいくつかの神経症状が出現するが、いずれの神経変性疾患にも根治を可能にする薬剤の開発は成功していない。日本をはじめとした先進国では高齢化社会を迎え、神経変性疾患を根治する薬剤の開発が切望されている。
【0003】
神経変性疾患には多くの疾患が分類されるが、それらの疾患には認知症状を伴うものが多い。現在の日本において、認知症患者は250万人にも上ると言われると同時に、そのうち7割はアルツハイマー病と考えられたことから、アルツハイマー病治療薬の開発競争が激しく行われた。しかしながら、これまで開発された約400にも達する薬剤は全て治療効果を示すことなく失敗に終わっている。
アルツハイマー病治療薬開発の失敗の原因としては諸説あるが、ヒトのアルツハイマー病の再現が非常に不十分なモデルマウスを用いた実験での成功を根拠にしたこと、アルツハイマー病は他の神経変性疾患と異なり、ベータアミロイドによる老人斑と高度にリン酸化されたタウタンパク質による神経原線維変化の2つの特徴的な構造物が形成されるが、開発された治療薬のターゲットがもっぱらベータアミロイドに偏っていたことも大きな原因と考えられている。治験においては、老人斑は減少したが、認知症状は改善されない、もしくは悪化したり副作用として悪性黒色腫の発症などが認められてしまった。老人斑はそもそもアルツハイマー病を発症していない高齢者や、認知症状を呈していない高齢者にも認められる構造物であるのに対し、変性したタウタンパク質を原因とする神経変性疾患は、アルツハイマー病以外にも複数認められ、現在はタウタンパク質に注目した治療薬開発が増えてきている。
【0004】
これまでに神経変性疾患において観察される神経細胞内の毒性凝集体形成の抑制を目的としたアプローチが報告されている。特許文献1は、ホルボールエステルを有効成分とするタウタンパク質の凝集抑制剤を開示しており、タウタンパク質の凝集を抑制することにより、タウタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防又は治療を行うことが可能である旨を記載している。なおホルボールエステル類は、神経細胞における軸索変性と軸索伸展阻害も改善でき、すでに変性を起こしかけている神経細胞の生存と機能回復、さらには神経細胞の機能の亢進まで起こし得ることが報告されている(特許文献2)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2018-095599号公報
【文献】特開2019-172604号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は神経細胞内の凝集タンパク質の形成を抑制可能な新たな物質の提供を課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
発明者らは、治療薬開発研究のターゲットを最初からタウタンパク質やその他の神経細胞内に凝集体を形成するタンパク質に定め、このような凝集を抑制する薬剤の探索を行ってきた。また同時に、認知機能の回復に重要な軸索の伸展や保護、新たに軸索を生じさせる薬剤の探索も行った。その中で、多糖類であるヒアルロン酸が、「凝集体形成を抑制し」「軸索の伸展を促進する」両方の機能を持つことを見出した。
神経変性疾患には、共通して神経細胞の変性(特に軸索と呼ばれる長い突起物の変性や切断)と神経細胞死が認められる。従って、この両方を大幅に防御・あるいは回復させることが出来る薬剤が開発できれば、日本に限らず、また、アルツハイマー病や前頭側頭型認知症といった特定の疾患限定ではなく、世界中の神経変性疾患患者の治療が可能になるほか、巨大な市場を手に入れることが出来る。本発明は上記知見に基づき完成した発明であり、下記の態様を含む:
【0008】
本発明は一態様において、
〔1〕ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤に関する。
ここで本発明のタンパク質凝集抑制剤は一実施の形態において、
〔2〕上記〔1〕に記載の神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤であって、
前記タンパク質がタウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質であることを特徴とする。
また本発明のタンパク質凝集抑制剤は一実施の形態において、
〔3〕上記〔2〕に記載の神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤であって、
前記ポリグルタミンタンパク質がハンチンチンタンパク質であることを特徴とする。
また本発明は別の態様において、
〔4〕ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞内における凝集したタンパク質の分解促進剤に関する。
また本発明は別の態様において、
〔5〕神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる工程を含む、神経細胞内におけるタンパク質の凝集が抑制された神経細胞を製造する方法に関する。
また本発明は別の態様において、
〔6〕ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞の軸索の伸展剤に関する。
また本発明は別の態様において、
〔7〕神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる工程を含む、軸索が伸展した神経細胞を製造する方法に関する。
また本発明は別の態様において、
〔8〕ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬に関する。
ここで本発明の神経変性疾患の予防または治療用医薬は一実施の形態において、
〔9〕上記〔8〕に記載の神経変性疾患の予防または治療用医薬であって、
前記神経変性疾患が、前頭側頭型認知症、アルツハイマー病、ポリグルタミン病、レビー小体型認知症、またはダウン症候群であることを特徴とする。
また本発明の神経変性疾患の予防または治療用医薬は一実施の形態において、
〔10〕上記〔9〕に記載の神経変性疾患の予防または治療用医薬であって、
前記ポリグルタミン病がハンチントン病であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0009】
本発明に係る神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤によれば、神経細胞内における凝集タンパク質の形成を抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】
図1は、実施例1において、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し光学顕微鏡下で培養後の細胞を撮像した写真図を示す。
【
図2】
図2は、実施例2において、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を異なる濃度のヒアルロン酸存在下で7日間培養した際の神経突起が伸展した細胞の割合を示すグラフである。
【
図3A】
図3Aは、実施例3において、GFP融合変異型タウタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し、蛍光顕微鏡および光学顕微鏡下で培養後の細胞を撮像した写真図を示す。
【
図3B】
図3Bは、実施例3において、GFP融合変異型タウタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し、培養後の細胞について抗タウタンパク質抗体を用いたウェスタンブロッティング解析を行った結果を示す。
【
図4】
図4は、実施例4において、ポリグルタミンタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し、培養後にポリグルタミンタンパク質の封入体を形成した細胞の割合を示すグラフである。
【
図5】
図5は、実施例5において、ポリグルタミンタンパク質凝集体をその細胞内に形成するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し、培養後の細胞について抗ポリグルタミンタンパク質抗体を用いたウェスタンブロッティング解析を行った結果を示す。
【
図6】
図6は、実施例6において、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を異なる濃度のヒアルロン酸存在下で7日間培養し、培養後の細胞についてウェスタンブロッティング解析を行った結果を示す。
【
図7】
図7は、実施例7において、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を異なる濃度のヒアルロン酸存在下で7日間培養し、培養後の細胞についてウェスタンブロッティング解析を行った結果を示す。
【
図8】
図8は、実施例8において、異なる濃度のヒアルロン酸を週1回腹腔内投与したC57BL/6マウスの生存率を示すグラフを示す。
【
図9】
図9は、実施例9において、GFP融合異常ハンチンチンタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株をヒアルロン酸存在下で7日間培養し、蛍光顕微鏡および光学顕微鏡下で培養後の細胞を撮像した写真図を示す。
【発明を実施するための形態】
【0011】
本発明は一態様として、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤を提供する。本発明に係る神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤を用いれば、細胞内において凝集タンパク質の形成が抑制された神経細胞を得ることができる。
【0012】
本明細書において「ヒアルロン酸」とは、D-グルクロン酸とN-アセチル-D-グルコサミンとがグリコシド結合してなる二糖単位を基本の構成単位とする直鎖状の多糖類である。ヒアルロン酸は上記基本の構成単位を有すればよく、神経細胞の軸索の伸展の促進または神経細胞内のタンパク質の凝集を抑制できる限りにおいて、その糖部分が修飾されていてもよい。例えば、糖の水酸基の一部またはすべては、エステル化、エーテル化等を受けていてもよい。グルクロン酸のカルボキシル基の一部またはすべては、エステル化、アミド化等を受けていてもよい。非還元末端に位置する糖は、飽和糖であっても、不飽和糖であってもよい。
【0013】
本発明に用いることのできるヒアルロン酸のサイズは、神経細胞の軸索の伸展の促進または神経細胞内のタンパク質の凝集を抑制できる限りにおいて制限されない。ヒアルロン酸のサイズは、好ましくは生体内における毒性を低減するために分子量の下限は10万以上が好ましく、50万以上、100万以上がより好ましい。一方、ヒアルロン酸のサイズの上限は、以下に限定されないが、500万以下、400万以下、200万以下とすることができる。
また一実施の形態において、本発明に用いるヒアルロン酸として好ましいのは、平均分子量50万~390万のヒアルロン酸であり、さらに好ましくは平均分子量50万~120万のヒアルロン酸である。
【0014】
ヒアルロン酸の薬学的に許容される塩としては、通常医薬として許容される塩であれば特に制限はなく、以下に限定されないが、塩酸、臭化水素酸、ヨウ化水素酸、硝酸、硫酸、リン酸などの無機酸との塩、酢酸、フマル酸、マレイン酸、コハク酸、クエン酸、酒石酸、アジピン酸、グルコン酸、グルコヘプト酸、グルクロン酸、テレフタル酸、メタンスルホン酸、乳酸、馬尿酸、1,2-エタンジスルホン酸、イセチオン酸、ラクトビオン酸、オレイン酸、パモ酸、ポリガラクツロン酸、ステアリン酸、タンニン酸、トリフルオロメタンスルホン酸、ベンゼンスルホン酸、p-トルエンスルホン酸、硫酸ラウリルエステル、硫酸メチル、ナフタレンスルホン酸、スルホサリチル酸などの有機酸との塩;臭化メチル、ヨウ化メチルなどとの四級アンモニウム塩;臭素イオン、塩素イオン、ヨウ素イオンなどのハロゲンイオンとの塩;リチウム、ナトリウム、カリウムなどのアルカリ金属との塩;カルシウム、マグネシウムなどのアルカリ土類金属との塩;鉄、亜鉛などとの金属塩;アンモニアとの塩;トリエチレンジアミン、2-アミノエタノール、2,2-イミノビス(エタノール)、1-デオキシ-1-(メチルアミノ)-2-D-ソルビトール、2-アミノ-2-(ヒドロキシメチル)-1,3-プロパンジオール、プロカイン、N,N-ビス(フェニルメチル)-1,2-エタンジアミンなどの有機アミンとの塩などが挙げられる。ヒアルロン酸の塩として好ましくは、ヒアルロン酸ナトリウムである。また本発明における「ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩」は、水和物または溶媒和物の形態をとっていてもよい。
【0015】
ヒアルロン酸は、動物等の天然物から抽出されたもの、微生物を培養して得られたものであってよく、または、化学的もしくは酵素的に合成されたものを使用してもよい。好ましくは、例えば鶏冠、臍体、皮膚、関節液などの生体組織から公知の抽出法によって得ることができる(例えば、特開平1-115902号公報)。ヒアルロン酸としては、市販のHyaluronic Acid Sodium Salt等を用いることができる。
【0016】
神経細胞とは、神経幹細胞から分化して生じる細胞群のうち、樹状突起と軸索という特有の構造を持ち、それぞれの神経細胞から伸びる軸索が、別の神経細胞の樹状突起とつながることによって、情報伝達を行える唯一の細胞であり、一般的にニューロンと呼ばれるものがそれに当たる。なお、樹状突起と軸索との間の隙間の構造をシナプスと呼ぶ。本明細書における神経細胞は、上記樹状突起と軸索という特有の構造を有する細胞であれば限定されず、脳などの生体内に存在する神経細胞や生体より分離または単離した神経細胞、神経前駆細胞や多能性幹細胞などの培養細胞より分化誘導して得られた神経細胞を含む。好ましくは脳に存在する神経細胞を挙げることができ、海馬神経細胞、大脳皮質神経細胞、中脳神経細胞、または線条体神経細胞を好適に挙げることができる。また、神経細胞の由来は特に制限されないが、哺乳動物、鳥類、魚類、爬虫類、両生類を挙げることができ、哺乳動物を好適に挙げることができ、ヒトをより好適に挙げることができる。
【0017】
本明細書において「凝集タンパク質」または「タンパク質の凝集」とは、神経細胞内においてタンパク質または変異したタンパク質同士が複数凝集したものをいい、特に神経変性疾患に関連して神経細胞内に生じる凝集タンパク質を含む。このような凝集タンパク質を構成するタンパク質としては、タウタンパク質、ハンチンチンタンパク質などのポリグルタミンタンパク質、アミロイドβ、α-シヌクレイン、プリオン、TDP-43などを挙げることができる。前記に列挙するタンパク質の構造に変異もしくは変性が生じた変異タンパク質が細胞内で凝集し凝集タンパク質を形成することが知られている。
【0018】
例えば、タウタンパク質はその構造内のセリン、スレオニン、チロシがリン酸化されるが、そのうちの特定の領域の異常リン酸化が凝集タンパク質形成に関与すると報告されている(Noble, W. et al, “The importance of tau phosphorylation for neurodegenerative diseases”. Front. Neurol. 4, 1-11(2013))。また以下の実施例に示すように、タウタンパク質の406番目のアミノ酸であるアルギニンがトリプトファンに置換した変異型タウタンパク質も神経細胞内で凝集することが知られている。本明細書において「変異型タウタンパク質」というとき、神経細胞内で凝集タンパク質を形成する変異を有するタウタンパク質を意味し、変異の種類は制限されない。このような変異型タウタンパク質としては、例えば、その構造内に異常リン酸化を有するタウタンパク質や406番目のアルギニンがトリプトファンに置換したタウタンパク質が含まれる。
また例えばハンチンチンタンパク質はその構造内のポリグルタミン(polyQ)鎖が異常伸長することで変異タンパク質(ポリグルタミンタンパク質)となり不溶性の線維構造(凝集体)を形成することが知られている。本明細書において「異常ハンチンチンタンパク質」というとき、神経細胞内で凝集タンパク質を形成する変異を有するハンチンチンタンパク質を意味し、変異の種類は制限されない。このような異常ハンチンチンタンパク質としては、その構造内のポリグルタミン(polyQ)鎖が異常伸長したハンチンチンタンパク質が含まれる。ポリグルタミン(polyQ)鎖が異常伸長したハンチンチンタンパク質としては、例えば、連続する41以上のグルタミンを有するハンチンチンタンパク質を挙げることができる。
また本明細書において「ポリグルタミンタンパク質」とは、その構造内にポリグルタミン(polyQ)鎖を繰り返して複数有するタンパク質であって、神経細胞内で凝集を形成するタンパク質を意味する。ポリグルタミンタンパク質としては上記異常ハンチンチンタンパク質を含むがこれに限定されない。現在確認されている9つのポリグルタミン病の原因タンパク質は全て異なっているほか、正常なタンパク質でもいくつかのグルタミンが連続したポリグルタミン鎖を有しているものの、その正常な長さはそれぞれの原因タンパク質ごとに異なっている。
【0019】
本発明のタンパク凝集抑制剤は、神経細胞内でタンパク質または変異タンパク質が凝集体を形成するのを抑制する。細胞内の凝集タンパク質はその凝集の程度に応じて様々な状態で存在する場合がある。すなわちタンパク質または変異タンパク質は細胞内において、凝集以前の単量体、凝集初期のオリゴマー、多量体、凝集が進んだ状態である線維、高度に凝集した封入体として存在し得る。本発明のタンパク質または変異タンパク質凝集抑制剤は、これらの変異タンパク質のオリゴマー、多量体、線維および封入体の形成の少なくとも一つを抑制することができる。好ましい実施の形態において、これらのタンパク質または変異タンパク質のオリゴマー、多量体、線維および封入体の形成を全て抑制することができる。
【0020】
本発明は別の態様として、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、神経細胞内における凝集したタンパク質の分解促進剤を提供する。本発明に係る神経細胞内における凝集したタンパク質の分解促進剤を用いれば、すでに凝集したタンパク質を、その細胞内に有する神経細胞であっても当該凝集タンパク質の分解を促進させることができる。以下の理論に縛られないが、ヒアルロン酸は細胞内の異常な構造を有するタンパク質の分解に関与する遺伝子や細胞内のタンパク質の構造を正常な構造に保つように機能する遺伝子の発現の増加に影響し、神経細胞内における凝集したタンパク質の分解を促すと考えられる。
【0021】
本発明は別の態様として、神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる工程を含む、神経細胞内におけるタンパク質の凝集が抑制された神経細胞を製造する方法を提供する。本態様に係る製造方法によれば、タンパク質の凝集を抑制された神経細胞を得ることができる。
【0022】
神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる方法は、ヒアルロン酸の作用により神経細胞内におけるタンパク質の凝集を抑制できる限りにおいて限定されず公知の手法により行うことができる。以下に限定されないが、例えば、10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM)中、37℃の条件で培養することができる。ヒアルロン酸の濃度もタンパク質の凝集を抑制された神経細胞を得られる限りにおいて限定されず、培地中のヒアルロン酸の濃度が1~250nM、より好ましくは1~150nM、さらに好ましくは1~100nMの濃度になるようにヒアルロン酸またはその塩を添加すればよい。培養期間は例えば0.5日~60日とすることができる。
【0023】
本発明は別の態様において、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む神経細胞の軸索の伸展剤を提供する。本発明に係る神経細胞の軸索の伸展剤を用いれば、神経細胞における軸索の伸展を可能とし、ひいてはアルツハイマー病や前頭側頭型認知症等に大きく関与する軸索の変性を改善し得る。また例えば、神経細胞を対象患者に移植した後、当該神経細胞へヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む神経細胞の軸索の伸展剤を作用させることによって、患者の脳内で、軸索が十分に伸展した神経細胞を得ることが出来、アルツハイマー病や前頭側頭型認知症等の神経変性疾患を改善し得る。
【0024】
本発明における軸索とは、神経細胞から延びている細長い突起状の構造体であって、神経細胞において他の神経細胞への情報を伝達する機能を有するものである。
【0025】
軸索が伸展することによって、神経細胞同士の情報交換および伝達物質の交換が非常に活性化されることにより、前頭側頭型認知症、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、またはダウン症候群の予防または治療が可能となる。
【0026】
本発明は別の態様として、神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる工程を含む、軸索が伸展した神経細胞を製造する方法を提供する。本態様に係る製造方法によれば、軸索が伸展した神経細胞を得ることができる。当該神経細胞は、以下に限定されないが、例えば生体から分離または単離した神経細胞、神経前駆細胞や多能性幹細胞などの培養細胞より分化誘導して得られた神経細胞を用いることができる。
【0027】
神経細胞とヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩とを接触させる方法は、ヒアルロン酸の作用により神経細胞の軸索が伸展する限りにおいて限定されず公知の手法により行うことができる。例えば神経細胞が培養細胞である場合、神経細胞を培養している培養液中にヒアルロン酸またはその塩を添加すればよい。神経細胞の培養方法は公知の条件を採用することができ、軸索が伸展した神経細胞を得られる限りにおいて制限されない。以下に限定されないが、例えば、10%FBSを含むDMEM中、37℃の条件で培養することができる。ヒアルロン酸の濃度も軸索が伸展した神経細胞を得られる限りにおいて限定されず、1~250nM、より好ましくは1~150nM、さらに好ましくは1~100nMの濃度となるように培地にヒアルロン酸またはその塩を添加すればよい。培養期間は例えば0.5日~60日とすることができる。
【0028】
また本発明は別の態様として、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬を提供する。本態様に係る神経変性疾患の予防または治療用医薬によれば、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患を予防または治療することができる。
【0029】
本明細書において「タウタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」とは、神経細胞内においてタウタンパク質の凝集によって認知機能が低下する疾患を意味する。また本明細書において「ポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」とは、神経細胞内においてポリグルタミンタンパク質の凝集によって認知機能が低下する疾患を意味する。かかる神経変性疾患としては、前頭側頭型認知症(FTLD:frontotemporal loba dengeration)、アルツハイマー病、ポリグルタミン病(ハンチントン病や脊髄小脳変性症)、レビー小体型認知症、ダウン症候群などを挙げることができる。また、「タウタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」としてはアルツハイマー病または前頭側頭型認知症(FTLD)を好適に挙げることができ、「ポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」としてはポリグルタミン病(ハンチントン病や脊髄小脳変性症)を好適に挙げることができる。また「ポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」は「ハンチンチンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」を含み、「ハンチンチンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患」としてハンチントン病を好適に挙げることができる。前頭側頭型認知症(FTLD)は、臨床病型として主にFTLD-tau、FTLD-TDP、およびFTLD-FUSに分類され、FTLD-Ttauにはピック病、FTLD-17、皮質基底核変性症(CBD)、進行性核上性麻痺(PSP)、嗜銀顆粒性認知症(AGD)、神経原線維変化型老年認知症(SD-NFT)、MSTD、WMT-GGIが含まれ、FTLD-TDPにはFTD-MND、FTD-TDPが含まれ、FTLD-FUSにはatypical FTLD-U、BIBD、NIFIDが含まれる。
【0030】
本発明の神経細胞内におけるタンパク質凝集抑制剤や、神経細胞内における凝集したタンパク質の分解促進剤、軸索の伸展剤、および本発明のタウタンパク質の凝集またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬には、製剤化のために通常使用され薬学的に許容される賦形剤、結合剤、滑沢剤、崩壊剤、防腐剤、等張化剤、安定化剤、分散剤、酸化防止剤、着色剤、香味剤、緩衝剤等の添加物を含んでいてもよい。製剤の剤型としては、注射剤、経口剤、外用剤など投与形態に合わせて適宜好ましい財型を採用することができ、例えば、散剤、顆粒剤、錠剤、液剤、乾燥粉末剤、注射剤、点滴剤、外用剤、貼付剤、気化投与用の液剤、挿入剤等であってもよい。この場合、1種または2種以上の薬学的に許容される添加物と組み合わせて調製してもよい。
【0031】
本発明のタウタンパク質の凝集またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬の投与方法としては、所望の神経変性疾患の予防または治療効果が得られる限り特に制限されず、静脈内投与、経口投与、筋肉内投与、皮下投与、経皮投与、経鼻投与、経肺投与等を挙げることができる。また、本発明のタウタンパク質の凝集またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬の投与量は特に制限されず、被検者や被検動物の体調、病状、体重、年齢、性別等によって適宜調整することができる。1日あたりの投与量は、上記の投与方法のうちいずれを用いるかによって異なるが、感受性の違いを踏まえ、10~500μg、好ましくは20~100μg、より好ましくは40~60μgを挙げることができる。さらに、本発明のタウタンパク質の凝集またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬を他の神経変性疾患の予防または治療医薬と併用してもよい。本発明のタウタンパク質の凝集またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬の投与回数や投与期間等も特に制限されず、1日あたりの投与量を1日1回または数回に分けて投与することもできる。また投与対象の細胞、組織の由来や生体は特に制限されず、好ましくは哺乳類であり、例えばヒト、サル、ウシ、ウマ、ヒツジ、ブタ、イヌ、ネコ、ラット、マウス、ハムスター等を例示することができ、好ましくはヒトを例示することができる。
【0032】
本発明は別の態様として、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を含む薬剤の治療有効量を、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療を必要とする対象に投与することを含む、神経変性疾患の予防または治療方法を提供する。
【0033】
本発明はさらに別の態様として、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療のためのヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩を提供する。
【0034】
本発明はまた別の態様として、ヒアルロン酸またはその薬学的に許容される塩の、タウタンパク質またはポリグルタミンタンパク質の凝集に起因する神経変性疾患の予防または治療用医薬の製造における使用を提供する。
【0035】
以下、実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明の技術的範囲はこれらの例示に限定されるものではない。
【実施例】
【0036】
(実施例1.ヒアルロン酸による神経細胞の軸索の伸展)
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium (DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。その後10nMの濃度となるようにリン酸緩衝生理食塩水(PBS)で溶解したヒアルロン酸(Hyaluronic Acid Sodium Salt from Streptococcus for Biochem:コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間培養後の細胞の写真を
図1に示す。
【0037】
図1に示すように、ヒアルロン酸を加えることでヒト神経芽細胞腫の軸索が30μmと細胞体のおおよそ6倍に大きく伸展していることが明らかとなった。なお、PBSのみで処理したコントロール群では、ヒト神経芽細胞腫の軸索は長いものでも2~10μmであった。かかる結果より、ヒアルロン酸を投与することで、神経細胞の軸索を伸展することが可能であることが明らかとなった。
【0038】
(実施例2.ヒアルロン酸の濃度変化に対する神経細胞の軸索の伸展への影響)
上記実施例1において、ヒアルロン酸は神経細胞の軸索を伸展させる作用を有することが明らかとなった。本実施例では、神経細胞を培養する培養液中のヒアルロン酸濃度を変化させたときの軸索の進展への影響を検証した。
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。その後、1.0nM、2.5nM、5.0nM、または、12.5nMの濃度となるようにPBSで溶解したヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間の培養後、神経細胞の軸索が細胞体の大きさの5倍以上になった細胞の割合を
図2のグラフに示す。
【0039】
図2に示すように、ヒアルロン酸を添加した区では1.0nM~12.5nMのいずれの濃度となるように添加した区においても、コントロールと比較して軸索が伸展した細胞の割合が増加していた。特にヒアルロン酸の濃度が1.0nM~5.0nMの区では、コントロールと比較して軸索が伸展した細胞の割合がより増加していた(p<0.01)。
【0040】
(実施例3.ヒアルロン酸によるタウタンパク質の凝集抑制)
前頭側頭型認知症(FTLD)の原因となる変異型タウタンパク質(タウタンパク質の406番目のアミノ酸であるアルギニンがトリプトファンに置換)を発現した神経細胞を作製し、変異型タウタンパク質の発現および凝集に対するヒアルロン酸の作用を検証した。
【0041】
3-1.変異型タウタンパク質(TauR406W)をコードするプラスミドベクターの作製
配列番号1に示す塩基配列からなるヒトのタウタンパク質をコードするcDNAをヒト子宮頸がん細胞のHeLa細胞からクローニングした後、これをテンプレートとして、二段階PCR法を用いて、配列番号2に示すアミノ酸配列からなるタウタンパク質の406番目のアミノ酸であるアルギニンがトリプトファンに置き換わるように塩基の置換を行い、ヒトの変異型タウタンパク質をコードするcDNAを得た。置換のためのPCRに用いたフォワードプライマーの塩基配列を配列番号3に、リバースプライマーの塩基配列を配列番号4に示す。PCRの条件は、94℃1分、65℃2分、72℃3分を1サイクルとして30サイクル繰り返し、その後72℃5分処理し、その後4℃とした。ポリメラーゼはEx-Taq(タカラバイオ社製)を用いた。PCR産物は、cDNAの塩基配列を調べて正しく変異が入っていることを確認した。かかるヒトの変異型タウタンパク質をコードするcDNAをpEGFP-N1ベクターに組み込み、pEGFP-N1-tauR406Wベクターを作製し、前記cDNAのC末端側に緑色蛍光タンパク質(GFP)のcDNAをつなげ、GFPの蛍光によって可視化出来る変異型タウタンパク質が発現するようにした。さらに上記pEGFP-N1-tauR406W-GFPベクターをpShuttle-CMVベクターに組み込み、トランスフェクション用のプラスミドベクターを作製した。なお、配列番号1における1240番目の塩基は正常型では「c」であるが、これが「t」に変わることによって配列番号2に示すアミノ酸配列からなるタウタンパク質の406番目のアミノ酸のアルギニン(R)がトリプトファン(W)に変化し(R406W:タウタンパク質はアイソフォームが6種類知られており、慣例によりアミノ酸番号は441アミノ酸型最長アイソフォームに準じる)、前頭側頭型認知症(FTLD)の原因となることが知られている。
【0042】
3-2.ヒアルロン酸投与による変異型タウタンパク質(TauR406W)の凝集抑制
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。24時間の培養後、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を、上記pEGFP-N1-tauR406W-GFPベクターを組み込んだpShuttle-CMVベクターによってトランスフェクションし、変異型タウタンパク質(TauR406W)を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を作製し、さらに37℃で24時間培養した。
その後10nMの濃度となるようにリン酸緩衝生理食塩水(PBS)で溶解したヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間培養後に蛍光顕微鏡を用いて、細胞中のGFPの蛍光を観察した。
図3Aは細胞を蛍光顕微鏡および光学顕微鏡下で撮像した写真を示す。
また7日間培養後の細胞を回収してウェスタンブロット解析を行った。ウェスタンブロット解析には各レーンにタンパク質をアプライし、電気泳動後、ニトロセルロース膜に転写されたものを解析した。変異型タウタンパク質の検出には、抗GFP抗体(GF200、ナカライテスク社製)を用い、内部コントロールのベータアクチンには、M177-3抗体(MBL社製)を用いた。結果を
図3Bに示す。
【0043】
図3Aに示すように、コントロール群のヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株ではその細胞中に多くの変異型タウタンパク質の凝集体が観察された。一方、ヒアルロン酸を添加した群では、変異型タウタンパク質の凝集体が減少していた。
図3Bのウェスタンブロット解析の結果をみると、ヒアルロン酸を添加した群では、可溶性の(凝集していないため、細胞質中に存在する;分解も可能)変異型タウタンパク質の発現の減少が示されたが、同時に、不溶性の(凝集し、細胞内に蓄積する;分解されにくい)変異型タウタンパク質は、可溶性に比べ、より顕著に発現量が減少していた。これは、ヒアルロン酸が変異型タウタンパク質自体の発現量を減少させたか、または、可溶性の変異型タウタンパク質の分解を促進した、あるいは不溶性の変異型タウタンパク質の分解も誘導したことが推察される。
【0044】
(実施例4.ヒアルロン酸の濃度変化に対するポリグルタミンタンパク質封入体形成への影響)
ポリグルタミンタンパク質を発現した神経細胞を作製し、変異型タウタンパク質の凝集に対するヒアルロン酸の作用を検証した。
4-1.ポリグルタミンタンパク質をコードするプラスミドベクターの作製
ポリグルタミンタンパク質をコードするcDNAをpEGFP-N1に組み込んだpolyQ81-pEGFP-N1の供与を受け(Nagai et al., Experimental Neurology, 1999)、このベクターからpolyQ81-pEGFPをコードする領域のcDNAをpShuttle-CMVベクターに組み込んだ。
【0045】
4-2.ヒアルロン酸投与によるポリグルタミンタンパク質の凝集抑制
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。24時間の培養後、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を、上記polyQ81-pEGFPをコードする領域のcDNAを組み込んだpShuttle-CMVベクターによってトランスフェクションし、ポリグルタミンタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を作製し、さらに37℃で24時間培養した。
その後、1.0nM、2.5nM、5.0nM、または、12.5nMの濃度となるようにリン酸緩衝生理食塩水(PBS)で溶解したヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間培養後に光学顕微鏡下でポリグルタミンタンパク質封入体を形成している細胞をカウントした。
図4は、ポリグルタミンタンパク質封入体を形成している細胞の割合を示す。
【0046】
図4に示すように、ヒアルロン酸を投与することによりコントロールと比較してポリグルタミンタンパク質封入体の形成を抑制することができた。また、ヒアルロン酸の投与濃度が高いほどポリグルタミンタンパク質封入体の形成抑制効果は高かった。
【0047】
(実施例5.ヒアルロン酸によるポリグルタミンタンパク質凝集体の分解促進)
ポリグルタミンタンパク質の凝集体を形成している細胞に対してヒアルロン酸投与による効果を検証した。
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。24時間の培養後、ヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を、上記polyQ81-pEGFPをコードする領域のcDNAを組み込んだpShuttle-CMVベクターによってトランスフェクションし、ポリグルタミンタンパク質を発現するヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を作製し、さらに37℃で24時間培養した。24時間培養後の細胞中には、ポリグルタミンタンパク質の封入体が形成されていることを光学顕微鏡下で確認した。
その後、1.0nM、2.5nM、5.0nM、または、12.5nMの濃度となるようにリン酸緩衝生理食塩水(PBS)で溶解したヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。
7日間培養後の細胞を回収してウェスタンブロット解析を行った。ウェスタンブロット解析には各レーンに30μgのタンパク質をアプライし、電気泳動後、ニトロセルロース膜に転写されたものを解析した。ポリグルタミンタンパク質の検出には、抗GFP抗体(ナカライテスク社製)を用い、内部コントロールのベータアクチンには、M177-3抗体(MBL社製)を用いた。結果を
図5に示す。
また
図5のウェスタンブロット解析結果が示すように、ヒアルロン酸の投与濃度が高いほど不溶性(凝集)ポリグルタミンタンパク質が減少していた。特に、5.0nM以上を添加した区では、不溶性(凝集)ポリグルタミンタンパク質の減少が顕著であった。
【0048】
(実施例6.ヒアルロン酸によるタンパク質分解に関与する遺伝子の発現への影響1)
神経細胞に対するヒアルロン酸投与が、変性タンパク質の構造正常化または分解に働くタンパク質の発現に影響するか検証した。具体的には、細胞の生存を維持する多くの遺伝子発現を誘導し、ポリグルタミンタンパク質の分解を担うHSF1およびHSF2、ならびに、HSF2と結合してHSF2の発現誘導を行う必須因子であるWDR5(Hayashida, Biochem Biophys Res Commun, 2015)の発現に対するヒアルロン酸投与の影響をウェスタンブロットにより解析した。
【0049】
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×10
4となるようにまいて37℃で24時間培養した。その後、1.0nM、2.5nM、5.0nM、または、12.5nMの濃度となるようにPBSで溶解したヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間培養後の細胞を回収してウェスタンブロット解析を行った。ウェスタンブロット解析には各レーンに30μgのタンパク質をアプライし、電気泳動後、ニトロセルロース膜に転写されたものを解析した。HSF1とHSF2の検出には、過去に本発明者が作製した抗HSF1抗体と抗HSF2抗体を用い、WDR5の検出には抗WDR5抗体(本発明者が独自に作製)を用い、内部コントロールのベータアクチンには、M177-3抗体(MBL社製)を用いた。結果を
図6に示す。
【0050】
図6に示すように、ヒアルロン酸の投与によりHSF1およびWDR5の発現が増加した。ヒアルロン酸の投与濃度が高いほど、HSF1およびWDR5の発現もより増加していた。HSF1及びHSF2は活性化しても発現量は変わらないというのがこの分野の研究者のコンセンサスであるが、このデータからヒアルロン酸による神経細胞保護機構はこれまでに知られたものとは異なる機構であると考えられる。
【0051】
(実施例7.ヒアルロン酸によるタンパク質分解または正常化に関与する遺伝子の発現への影響2)
10%ウシ胎児血清(FBS)を含むDulbecco’s Modified Eagle Medium(DMEM;メルク社製)培地を加えた6cm dishにヒト神経芽細胞腫SH-SY5Y株を1.0×104となるようにまいて37℃で24時間培養した。その後、1.0nM、2.5nM、5.0nM、または、12.5nMの濃度となるようにPBSで溶解したヒアルロン酸(コードNo.002005 長良サイエンス社製)を培地に加え、さらに37℃で7日間培養した。またコントロールとして、ヒアルロン酸含有PBSと等量のPBSのみを培地に加え、同様に37℃で7日間培養した。7日間培養後の細胞を回収してRT-PCRを行った。
本実施例においては、NFATc2、CRYABおよび、PIMTの発現に対するヒアルロン酸投与の影響をさらにRT-PCR法より解析した。なおNFATc2はCRYABの発現誘導に重要な転写因子であり、CRYABはユビキチンリガーゼ複合体を形成し、ポリグルタミンタンパク質の分解を担う(Hayashida et al., EMBO J, 2010)。PIMTは酵素を媒介せずに生じるイソアスパラギン酸をアスパラギン酸に変換し、タンパク質の構造を正常化する。
【0052】
HSF1、HSF2、NFATc2、CRYABおよび、PIMTの検出には、それぞれの遺伝子の発現を検出できるプライマーを用いた(Hayashida et al., EMBO J, 2010)。内部コントロールにはS18を用いた。結果を
図7に示す。
【0053】
図7に示すように、ヒアルロン酸の添加により、HSF1、HSF2、NFATc2、CRYAB、および、PIMTのいずれもヒアルロン酸無添加区と比較して発現が増加した。なお、HSF2、CRYABは、12.5nMのヒアルロン酸添加区においては発現の増加を示さなかった。RT-PCRの結果とウェスタンブロットの結果とは必ずしも一致するものではないが、RT-PCRによって遺伝子発現の増加が見られた場合、それが一時的なものであっても、少なくともその遺伝子がコードするタンパク質も発現が増加する場合が多い。HSF2、CRYABは、12.5nMのヒアルロン酸添加区においては発現の増加を示さなかったが、12.5nMのヒアルロン酸は軸索の伸展を強力に促進するため、軸索の形成に関係する遺伝子の発現は大きく増加したと考えられるが、HSF2、CRYABのように、神経細胞の軸索では発現せず、細胞体でのみ発現する遺伝子は発現量が相対的に低く検出された可能性が高い。リボゾームは軸索の先端まで輸送されそこでタンパク質の合成に関わるため、ここでコントロールに用いたS18では大きな減少がなかったと考えられる。
【0054】
(実施例8.ヒアルロン酸の毒性試験)
本実施例では、ヒアルロン酸(分子量100~140万)をマウスの腹腔内へ注射することによりその毒性について検証した。
16、40、80、または200μmolのヒアルロン酸(コードNo.HA002005 長良サイエンス社製)を含むPBSを調製した。各濃度のヒアルロン酸含有PBS1mLをC57BL/6マウスに腹腔内注射した。またコントロールとしてヒアルロン酸を含まないPBS 1mLをマウスの腹腔内へ注射した。腹腔内への注射は週1回行い、20週まで投与を継続した。20週まで各濃度のヒアルロン酸含有PBSを投与したマウスの生存率を
図8に示す(n=3)。
【0055】
図8に示すように、16~200μmolのヒアルロン酸を腹腔内投与したマウスは全頭行動異常もなく全て生存しており、ヒアルロン酸投与による毒性は認められなかった。
【0056】
(実施例9.ヒアルロン酸によるハンチンチンタンパク質の凝集抑制)
本実施例では、ハンチントン病モデルマウスに対してヒアルロン酸を投与することにより神経細胞内のハンチンチンタンパク質の凝集体形成を抑制可能であるか検証した。
具体的には、8週齢のハンチントン病モデルマウスR6/2に、1週間毎日PBSに溶解した5mgのヒアルロン酸を腹腔内投与し、その後は1週間ごとに同様の投与を行い、12週齢になった時点で臓器を回収し、凍結切片を作製した。切片は10mm厚とした。この切片に抗ハンチンチンタンパク質抗体N―18(Santa Cruz社製)とFITC結合2次抗体を用いて、蛍光免疫染色を行い、その後DAPIで核を染色した後、蛍光顕微鏡を用いて、細胞中のFITCおよびDAPIの蛍光を観察した。
図9は細胞を蛍光顕微鏡で撮影した写真を示す。
【0057】
図9に示すように、コントロールのヒアルロン酸無添加(PBSのみ)群ではその細胞中に異常ハンチンチンタンパク質の発現および凝集が観察された。一方、ヒアルロン酸を添加した群では、ハンチンチンタンパク質の凝集体が減少していた。これは、ヒアルロン酸が異常ハンチンチンタンパク質自体の発現量を減少させたか、または、異常ハンチンチンタンパク質の分解を促進したと推察される。
【産業上の利用可能性】
【0058】
軸索は、神経細胞が他の神経細胞や他の細胞(筋肉細胞など)と連結して情報を伝えるのに不可欠なものであり、軸索の数が少なくなり、あるいは変性・切断によって機能を失えば、生物個体の行動に重篤な影響をもたらす。今回の実験で、ヒアルロン酸は、軸索を伸展させている神経細胞の数を約5倍にまで増やすことが出来たほか、軸索の長さも伸ばすことに成功した。アルツハイマー病をはじめとした多くの神経変性疾患の患者は認知症状を呈し、これが大きな問題となっているが、認知機能の基盤には、神経細胞同士が軸索で密につながっていることが上げられる。このことから、ヒアルロン酸は、認知機能の回復に働く可能性を持っている。神経変性疾患のもう1つの大きな特徴である凝集体形成については、細胞レベル及び個体レベル(動物モデル)で、ヒアルロン酸は凝集体の形成を抑制出来ることが示された。さらに長期間の接種(連続投与)を行っても、接種された動物において異常は認められなかった。
ヒアルロン酸はすでに長い間サプリメントや化粧品などで人に使用されており、特に大きな問題は起きていないことから安全性は高いと想定はしていたが、動物実験によって、それがさらに裏付けられ、また、投与量を上げても毒性を生じない可能性も示唆された。今回の結果は、ヒアルロン酸が、複数の神経変性疾患の治療に非常に効果的な薬剤として、あるいは根治にまでつながる薬剤の開発に、他の新規の薬剤に比べ短期間でつながる可能性を示している。
【配列表】