(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-07-08
(45)【発行日】2024-07-17
(54)【発明の名称】細胞性粘菌を使った線虫忌避剤の製造方法
(51)【国際特許分類】
A01N 63/30 20200101AFI20240709BHJP
A01P 17/00 20060101ALI20240709BHJP
C12N 1/20 20060101ALI20240709BHJP
C12P 1/00 20060101ALI20240709BHJP
C12R 1/90 20060101ALN20240709BHJP
【FI】
A01N63/30
A01P17/00
C12N1/20 A
C12P1/00 Z
C12R1:90
(21)【出願番号】P 2020082009
(22)【出願日】2020-05-07
【審査請求日】2023-03-09
(31)【優先権主張番号】P 2019088971
(32)【優先日】2019-05-09
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 2019年度(平成31年度)日本農芸化学会大会 講演要旨集(公開日:平成31年3月5日)(https://jsbba.bioweb.ne.jp/jsbba2019/download_pdf.php?p_code=3C3p14)で公開
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第2項適用 日本農芸化学会2019年度(平成31年度)大会(講演日:平成31年3月26日)で公開
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成29年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、研究成果展開事業 「細胞性粘菌が産生する線虫忌避物質を用いた植物保護資材の開発」委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願 平成30年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、研究成果展開事業 「新しい環境低負荷型の総合的病害虫防除を目指した、細胞性粘菌由来の高い特異性を持つ植物寄生性線虫忌避資材の開発」委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】502350504
【氏名又は名称】学校法人上智学院
(73)【特許権者】
【識別番号】591100448
【氏名又は名称】パネフリ工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099793
【氏名又は名称】川北 喜十郎
(72)【発明者】
【氏名】齊藤 玉緒
(72)【発明者】
【氏名】永松 ゆきこ
(72)【発明者】
【氏名】細野 翔平
【審査官】高橋 直子
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2015/029872(WO,A1)
【文献】特開平07-203986(JP,A)
【文献】Journal of General Microbiology,1982年,128,1653-1659
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A01N 63/30
A01P 17/00
C12N 1/20
C12P 1/00
C12R 1/90
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
Dictyostelium属に属する細胞性粘菌から分泌された物質を有効成分とする線虫忌避剤の製造方法であって、
Dictyostelium属に属する細胞性粘菌を液体培地中で培養することと、
前記液体培地から増殖した細胞を回収することと、
前記回収した細胞を、無栄養の液体中で培養することによって多細胞化させることと、
前記多細胞化の過程で分泌される物質を、前記多細胞化の後、子実体を形成することなく、回収することを含む線虫忌避剤の製造方法。
【請求項2】
前記回収した細胞を、前記無栄養下の液体中で24時間~48時間培養することを特徴とする請求項1に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項3】
前記多細胞化の後、無栄養下の液体をろ過及びまたは乾固させることによって前記多細胞化の過程で分泌される前記物質を回収することを特徴とする請求項1
または2に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項4】
前記細胞性粘菌を液体培地中で培養する際に、前記液体培地中に酸素を含む気体を強制的に導入しながら培養を行うことを特徴する請求項1~
3のいずれか一項に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項5】
前記無栄養の液体が純水またはバッファーであることを特徴とする請求項1~
4のいずれか一項に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項6】
前記無栄養の液体が純水であることを特徴とする請求項
5に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項7】
前記液体培地が合成培地または大腸菌を含む液体であることを特徴とする請求項1~
6のいずれか一項に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項8】
前記液体培地が糖を含む合成培地であることを特徴とする請求項
7に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項9】
前記液体培地中での培養、前記無栄養の液体からの細胞の回収、前記無栄養の液体中での培養、及び前記物質の回収を、全て同一の容器中で実施することを特徴とする請求項1~
8のいずれか一項に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【請求項10】
前記細胞性粘菌が、D.discoideum、D.purpureum、D.mucoroides、D.fasciculatum、D.monochasioides、D.lacteum及びD.giganteumからなる群から選ばれる一種であることを特徴とする請求項1~
9のいずれか一項に記載の線虫忌避剤の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ネグサレ線虫やネコブ線虫を忌避させる忌避剤を細胞性粘菌を使って製造する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
細胞性粘菌は、土壌に普遍的に生息する真核微生物であり、通常は単細胞状態でバクテリア等を餌として増殖する。その生活史の中に単細胞と多細胞の両方の時期を持ち、更に、形態形成の最終段階には柄と胞子からなる子実体を形成する。本願発明者は、Dictyostelium属に属する細胞性粘菌から分泌された物質が、ネコブ線虫などの線虫を忌避させることを発見した。ネコブ線虫は、ジャガイモ、ニンジン、イチゴなどの農作物の根に寄生し、根にコブを作って構造を破壊して腐敗させる。日本では、ネコブ線虫の駆除には、欧州や米国で使用が禁止されている燻煙剤(臭化メチル)と有機リン化合物を主体とした毒性の高い駆除剤が使用されていた。しかしながら、このような化学物質の散布は、作物や作業者の安全性という見地から好ましくない。それゆえ、本願発明者は上記発見に基づいて、Dictyostelium属に属する細胞性粘菌から分泌された物質を有効成分とするネコブ線虫を忌避させる忌避剤を開発した(特許文献1)。
【0003】
特許文献1では、細胞性粘菌分泌物は、特に、細胞性粘菌の子実体から多量に得ることができると考えられていた。それゆえ、細胞性粘菌分泌物を得る過程で、細胞性粘菌を寒天培地上で大腸菌と共に培養し、多細胞化させた後、子実体を形成させる必要があった。得られた子実体を回収し、エタノール等の有機溶媒の中に加えて、エタノールの上澄液から子実体から分泌された物質をろ過等により分離して、細胞性粘菌分泌物溶液を得ていた。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、上記特許文献1に記載の方法では、子実体形成までに時間を要するだけでなく、寒天培地の準備、子実体の回収や細胞性粘菌分泌物の有機溶媒からの分離など、手間のかかる処理を要していた。
【0006】
本発明の目的は、ネコブ線虫及びネグサレ線虫の忌避剤を細胞性粘菌から効率よく生産するための新規な方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明に従えば、Dictyostelium属に属する細胞性粘菌から分泌された物質を有効成分とする線虫忌避剤の製造方法であって、
Dictyostelium属に属する細胞性粘菌を液体培地中で培養することと、
前記液体培地から増殖した細胞を回収することと、
前記回収した細胞を、無栄養の液体中で培養することによって多細胞化させることと、
前記多細胞化の過程で分泌される物質を回収することを含む線虫忌避剤の製造方法が提供される。
【0008】
本発明の製造方法において、前記回収した細胞を前記無栄養下の液体中で24時間~48時間培養してもよい。本発明の製造方法において、前記多細胞化の後、子実体を形成する前に、前記物質を回収してもよい。
【0009】
本発明の製造方法において、前記多細胞化の後、無栄養下の液体をろ過及びまたは乾固させることによって前記多細胞化の過程で分泌される物質を回収してもよい。また、前記細胞性粘菌を液体培地中で培養する際に、液体培地中に酸素を含む気体を強制的に導入しながら培養を行ってもよい。
【0010】
本発明の製造方法において、前記無栄養の液体が純水またはリン酸バッファーであってもよく、特に純水であってもよい。本発明の製造方法において、前記液体培地が合成培地または大腸菌を含む液体であってもよい。前記液体培地が合成培地である場合は、糖を含む合成培地であってもよい。
【0011】
本発明の製造方法において、前記液体培地中での培養、前記無栄養の液体からの細胞の回収、前記無栄養の液体中での培養、及び前記物質の回収を、全て同一の容器中で実施してもよく、例えば、前記容器がファーメンターであってもよい。
【0012】
本発明の製造方法において、前記Dictyostelium属に属する細胞性粘菌が、D.discoideum、 D.purpureum、D.mucoroides、D.fasciculatum、D.monochasioides、D.lacteum及びD.giganteumからなる群から選ばれる一種であり得、特には、D.discoideum,D.fasciculatumまたはD.giganteumであってもよい。
【発明の効果】
【0013】
本発明の線虫の忌避剤の製造方法は、ネグサレ線虫やネコブ線虫を忌避することができる忌避剤をD属に属する細胞性粘菌から効率よく生産することができる。特に、同一容器内で液体培養し、無栄養液体への置換、多細胞化、その後の回収段階を実施することが可能であり、線虫忌避に有効な成分を簡単にしかも短時間で製造することができる。特に空気のような酸素を含む気体を液体培地に強制的に導入しながら液体培養することでより効率よく細胞を培養できる。また、有機溶媒による抽出操作も不要であるために、環境的にも好ましい環境下で実施することができる。従って、本発明の方法は線虫の忌避剤の量産に好適である。
【図面の簡単な説明】
【0014】
【
図1】実施例1における操作と結果を示す図であり、
図1(a)はシャーレ内におけるサツマイモネコブ線虫とろ紙サンプルの配置を示す概念図であり、
図1(b)は顕微鏡画面におけるろ紙サンプルとサツマイモネコブ線虫の両側に設定した領域1及び2の配置を示す図で-ある。
【
図2】実施例1において、ろ紙サンプルに対するサツマイモネコブ線虫の移動軌跡を顕微鏡用デジタルカメラを用いて撮影した画像を示し、
図2(a)は、CM調製ろ紙サンプルを用いた場合、
図2(b)はメタノールろ紙サンプルを用いた場合、
図2(c)はリン酸バッファーだけをCM作製と同様の方法で処理して含ませたろ紙サンプルを用いた場合を示す。
【
図3】実施例1における領域1及び2におけるサツマイモネコブ線虫の存在を定量的に表したグラフであり、左側は、メタノールろ紙サンプル(40%MeOH)を用いた場合であり、中央はリン酸バッファーろ紙サンプル(KK2 Buffer抽出物)を用いた場合、右側はCM調製ろ紙サンプルを用いた場合を示す。
【
図4】実施例2において、CM調製ろ紙サンプルに対するサツマイモネコブ線虫の移動軌跡を顕微鏡用デジタルカメラを用いて撮影した画像を示す。
【
図5】実施例2において、異なる濃度でCM調製ろ紙サンプルに対するサツマイモネコブ線虫の移動軌跡を領域1及び2で比較したグラフである。
【
図6】実施例3において、D. discoideumを大腸菌を懸濁した液体培地で培養して得たCM調製サンプルに対するサツマイモネコブ線虫の移動軌跡を顕微鏡用デジタルカメラを用いて撮影した画像を示す。
【
図7】実施例3において、異なる濃度でCM調製ろ紙サンプルに対するサツマイモネコブ線虫の移動軌跡を領域1及び2で比較したグラフである。
【
図8】実施例4において、プレート上に、ろ紙サンプルに接近したミヤコグサ試料No.1とそこから35mmずつ隔てて置かれたミヤコグサ試料No.2及びNo.3とそれぞれのミヤコグサ試料の下方に置かれたサツマイモネコブ線虫の配置を示す概念図である。
【
図9】実施例4においてCM調製ろ紙サンプルを用いた場合のミヤコグサ試料No.1~No.3の根中のサツマイモネコブ線虫による感染状態を示す拡大写真である。
【
図10】実施例4において、CM調製ろ紙サンプル、40%メタノールだけを含ませたろ紙サンプル、特許文献1の方法から得られた細胞抽出物8mgの40%メタノール溶液を含ませたろ紙サンプル、及び純水のみを含ませたろ紙サンプルを用いた場合についての試料No.1~3のミヤコグサ根中のサツマイモネコブ線虫による感染数を示すグラフである。
【
図11】実施例5において、ろ紙サンプルに対するミナミネグサレ線虫の移動軌跡を顕微鏡用デジタルカメラを用いて撮影した画像を示し、
図11(a)は、CM調製ろ紙サンプルを用いた場合、
図11(b)はメタノールろ紙サンプルを示す。
【
図12】実施例5における領域1及び2におけるミナミネグサレ線虫の存在を定量的に表したグラフであり、右側がCM調製ろ紙サンプルを用いた場合を示し、左側が40%メタノールだけを含ませたろ紙サンプル(Control)を用いた場合を示す。
【
図13】細胞性粘菌としてD.fasciculatumを用いた実施例6において、超純水中でのD. fasciculatumの培養過程における多細胞化の様子を飢餓処理後の経過時間とともに示す顕微鏡写真である。
【
図14】実施例6において領域1及び2におけるサツマイモネコブ線虫の存在を定量的に表したグラフであり、右側がD.fasciculatum 及びD. giganteumからの抽出液をそれぞれ含ませたろ紙サンプルを用いた場合、左側がメタノールだけ及び特許文献1に記載の方法から得られた細胞抽出物から得られた固形分の溶液を含ませたろ紙サンプルを用いた場合をそれぞれ示す。
【
図15】本発明の忌避剤の製造方法に従い、細胞性粘菌分泌物を固形分として取り出すまでの操作の一例を示す説明図である。
【
図16】実施例7-1~7-3で用いた曝気装置付きのメディウム瓶の構造を示す概略図である。
【
図17】実施例7-1~7-3における送気培養及びフラスコによる振とう培養の結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下、本発明の線虫を忌避させるための忌避剤の製造方法の実施形態について説明する。
【0016】
<忌避対象線虫>
細胞性粘菌分泌物に対する忌避特性を示す線虫は、ネグサレ線虫とネコブ線虫である。従って、本願において「線虫」とは、ネグサレ線虫とネコブ線虫を意味するものとする。ネグサレ線虫には、ミナミネグサレ線虫(P. coffeae)、キタネグサレ線虫(P. penetrans)、ノコギリネグサレ線虫(P. crenatus)、クルミネグサレ線虫(P. vulnus)などが知られている。ネグサレ線虫は、いちご、だいこん、にんじん、ごぼう、レタス等の農作物の根の皮を破って侵入し、皮層に寄生する。根に寄生すると、黒褐色の微小条班を生じ、次第に病斑が拡大して根全体に広がる。ネコブ線虫は、キタネコブ線虫(Meloidogyne hapla)、サツマイモネコブ線虫(Meloidogyne incognita)、ジャワネコブ線虫(Meloidogyne javanica)、アレナリアネコブ線虫(Meloidogyne arenaria)が知られている。ネコブ線虫は、トマト、じゃがいも、さつまいも、メロン、すいか、かぼちゃ、きゅうり、ほうれんそう、にんじん等の農作物に寄生して加害する。
【0017】
<細胞性粘菌>
本発明では、線虫を忌避させるための忌避剤として化学物質を用いるのではなく、天然物である細胞性粘菌から分泌される物質を用いる。このような物質は、農作物、田畑、作業者に悪影響を与えない。細胞性粘菌は、主に、Dictyostelium属、Polysphondylium属、及びAcytostelium属の三つの属に分類され、本発明で用いる細胞性粘菌は、Dictyostelium属(以下、適宜、D.またはD属と略することがある)に属する細胞性粘菌である。Dictyostelium属に属する細胞性粘菌は、例えば、D.discoideum、D.purpureum、D.mucoroides、D.fasciculatum、D.monochasioides、D.lacteum、D.giganteumが挙げられる。これらのうち、D.discoideum、D.fasciculatum、D.lacteum、D.giganteumが、培養し易い点で好ましく、同様の観点で特に、D.discoideumまたはD.giganteumが好ましい。D.giganteumは和名セイタカタマホコリカビと呼ばれ、大きな子実体を作ることが知られている。
【0018】
Dictyostelium属の子実体は、形態的に枝分かれしておらず、細胞性のしっかりした柄を持ち、柄が1本で胞子塊を支えることができる。これに対して、Ploysphondylium属(以下、適宜、P.またはP属と略することがある)の子実体は、横方向にWhorl(輪生枝)と呼ばれる枝分かれ構造を持ち、柄が細く、Acytostelium属(以下、適宜、A.またはA属と略することがある)は細胞性の柄を持たずセルロースのチューブ状の柄を持つ。胞子は休眠状態でいるため活動を停止しているが、柄細胞は遺伝的には死んでいても生理学的には生きており、化合物を合成・分泌している。本発明の製造方法では、このような子実体が作られる前に細胞性粘菌から分泌される物質を回収することができる。
【0019】
なお、細胞性粘菌は遺伝子的な分類方法(DNAの塩基配列よる分類)ではグループIからIVに分けることもできる(P.Schaap et al. Science, 27 OCTOBER 2006, Vol. 314 no. 5799 pp. 661-663)。例えば、D.discoideum, D.purpureum, D.mucoroides, D.giganteumはグループIVに属し、D.lacteumはグループIIIに属し、Acytostelium属に属するA.subglobosumやPolysphondylium属に属するP.pallidumはグループIIに属し、D.fasciculatumはグループIに属する。これらの細胞性粘菌は、例えば、ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP)から胞子の状態で入手し、培養することができる。あるいは、土壌から採取したものを分離して用いることができる。
【0020】
<細胞性粘菌分泌物>
本発明者の研究によると、Dictyostelium属の細胞性粘菌から分泌される物質(以下、適宜、「細胞性粘菌分泌物」という)が線虫に対して忌避性を示すことを見出した。このような線虫を忌避させる細胞性粘菌分泌物は、細胞性粘菌の子実体を形成した段階で多量に得られると考えられていた(特許文献1)。このため、子実体を寒天培地において形成させる操作が必要であった。しかし、本発明によれば、子実体を形成する前の多細胞化した段階でも、線虫忌避物質を効率よく回収できることが見出された。線虫忌避物質がいかなる化合物であるかの同定には至っていないが、後述の実施例で回収された細胞性粘菌分泌物が線虫忌避に著しい活性を示す有効成分であることが分かっている。
【0021】
<忌避剤の製造方法>
以下、細胞性粘菌分泌物(線虫の忌避剤)を得るための方法を4つの段階に分けて説明する。
【0022】
(1)液体培地培養
細胞性粘菌は、通常、粉末(胞子)状で入手することができる。最初に、粉末状の細胞性粘菌を、液体培地中で培養する。液体培地は、合成培地または細胞性粘菌の餌となる生菌が含まれる液体培地でもよい(二員培養)。合成培地として、例えば、HL-5、FM difined medium、A-medium、 AX-medium、HL-5C、VL6 mediumなどが入手できる。これらの合成培地には通常、ペプトン、酵母抽出物、グルコースやスクロースのような糖、トリプトンのような成分が含まれている。細胞性粘菌の餌となる生菌としては、大腸菌やクレブシエラをしようすることができる。そのような生菌が含まれる液体培地は、例えば、大腸菌などの生菌をリン酸バッファー等にOD600=7-8程度に加えて調製することができる。液体培地中で細胞性粘菌の胞子が発芽して単細胞(アメーバ)となり、単細胞は大腸菌などの生菌や合成培地成分を餌として増殖する。倍加時間は合成培地の場合は12時間程度、二員培養の場合は4時間程度である。この液体培地培養において、液体培地の含まれたフラスコ等の容器を振盪させながら(エアレーション)培養するのが効率的である。
【0023】
液体培地培養において、培地内に空気を強制的に導入しながら培養(送気培養)することが、細胞数を増加させる上で極めて効率的である。これは、細胞性粘菌は好気呼吸によってエネルギーを生産しているためで、細胞増殖には好気的条件が必要であるからと考えられる。後述する実施例に示すように、空気を強制的に培地内に導入しながら培養することによりフラスコを振とうしながら培養する場合に比べて、単細胞の数を2倍以上に、最大細胞数としては2.5×107cells/mL程度に増加することができる。導入するのは空気のみならず、酸素や酸素を含む気体でもよい。また、液体培地に空気などの気体を導入する際に、培養により生じた細胞が容器底に堆積することを防止するために、液体培地内で対流が生じるように空気等を導入するのが好ましい。
【0024】
(2)単細胞の回収
所定量の単細胞が増殖した後に、遠心分離などにより液体培地を除去して単細胞を回収する。このように単細胞を液体培地から分離回収するのは、液体培地中に含まれる大腸菌などの餌を取り除いて飢餓処理を次の段階で行うためである。残留する大腸菌などを除去するために、単細胞を液体培地から分離した後にリン酸バッファーや水で洗浄してもよい。
【0025】
(3)無栄養液体での培養(飢餓処理)
次いで、回収した単細胞に、少なくとも1~2×10
7cells/mL程度の濃度になるように滅菌液体を加える。滅菌液体は、無栄養の液体であり、滅菌水、特には純水や超純水またはリン酸バッファーを使用することができる。リン酸バッファーを使用した場合には、後に脱塩工程が必要となるので、純水が好ましい。無栄養下、すなわち、飢餓処理により単細胞は集合して多細胞を形成する(
図13参照)。この多細胞化の過程で、線虫の忌避に有効な細胞性粘菌分泌物が分泌されると考えられる。このため飢餓処理開始後、24時間以上、例えば、24時間~72時間、好ましくは24時間~48時間保持する。後述の実施例からすれば、細胞性粘菌から抽出される物質を効率よく得るためには48時間程度で足りると考えられる。特に、滅菌水として、純水や超純水を用いた場合には、長時間経過により細胞性粘菌は死滅する可能性もある。一方で、リン酸バッファーや水の中で懸濁培養をしているので、時間経過により多細胞化はするが子実体は形成されないことが分かっている。
【0026】
(4)有効物質の回収
飢餓処理後、無栄養液体には単細胞や多細胞が残っており、一方、細胞性粘菌分泌物は液体中に溶存していると考えられる。それゆえ、無栄養液体を遠心分離やろ過などにより上澄み液を取り(細胞類を除去し)、エバポレータ等で乾燥固化することで細胞性粘菌分泌物を固形分として回収することもできる。なお、飢餓処理後の無栄養液体には細胞性粘菌分泌物が含まれているので、そのままの状態でも、すなわち、細胞類が共存している状態でも、細胞性粘菌分泌物、すなわち線虫忌避の有効物質が含まれており、有効物質の回収が完了したとみなすこともできる。この無栄養液体の水分を蒸発させて濃縮してもよい。
【0027】
細胞性粘菌分泌物を固形分として取り出すまでの操作の一例を
図15に示す。本発明の方法では、細胞性粘菌を液体培地で培養し、飢餓状態を経て多細胞化させるが、子実体を作る前に、細胞性粘菌の分泌物を有機溶媒を使用することなく回収することができる。それゆえ、線虫忌避の有効成分となる細胞性粘菌分泌物を効率よく生産することができる。上記(1)~(4)の段階はファーメンターや曝気装置をつけたメディウム瓶のような装置中で行うことが生産効率を上げる点で好ましい。
図16に曝気装置をつけたメディウム瓶の一例を示す。メディウム瓶に空気などの酸素を含む気体を導入するために送気管と排気管が設けられており、送気管を通じて送り込む気体を滅菌するために滅菌フィルターが送気管に取り付けられている。培養を短時間で効率よく行うために、送気管の数は2以上の複数の方が好ましく、液体培地中で送気された気体が対流を生じるように送気管の向きや構造を調整節するのが好ましい。また、送気管の先端にファインバブルを発生させるような部材、例えば、微細孔が形成されたセラミックスのような多孔質部材を取り付けてもよい。これに限らず、ファインバブルを発生する装置であれば任意の装置やデバイスを用い得る。
【0028】
<細胞性粘菌分泌物またはその溶液の使用方法>
上記のようにして得られた細胞性粘菌分泌物またはその溶液を、農地など土壌や植物に適用することでネコブ線虫やネグサレ線虫を忌避させることができる。農地は、いちご、だいこん、にんじん、ごぼう、レタス、サツマイモ、ジャガイモ、ピーマン、ナス、ハクサイ、サトイモ、ダイズ、トマト、スイカ、メロン、タマネギ、落花生、ニンジン、ゴボウ、ナガイモ、トウモロコシ、アスパラガス、ブドウなどを栽培する農地が挙げられるが、これらに限定されず、ネグサレ線虫やネコブ線虫が存在するまたは存在するであろういかなるエリアでもよい。
【0029】
農地などの土壌に適用するには、細胞性粘菌分泌物の溶液や分散液を噴霧したり、潅水または点滴潅水してもよく、粉体としての散布など、任意の形態で散布することができる。噴霧や散布方法は任意の方法及び装置を用い得る。細胞性粘菌分泌物を粉体として散布する際、細胞性粘菌分泌物を担体に担持させてもよい。そのような担体は、農地などに散布する観点からゼオライトなどの土壌改質剤に担持させてもよい。或いは農薬や肥料に混合して農地などに散布してもよい。細胞性粘菌分泌物またはその溶液の使用量は、土壌中に生息するネコブ線虫やネグサレ線虫を十分に忌避させる量であればよく、特に限定されず、例えば、土壌1リットル当たり、細胞性粘菌分泌物を100~500mg使用することができる。あるいは、細胞性粘菌分泌物の溶液に植物の根を浸漬したり、根に溶液を散布することで直接、細胞性粘菌分泌物またはその溶液を植物に適用してもよい。細胞性粘菌分泌物は、自然界に存在している物質を分離抽出したものであるために、農作物を枯れさせたり生物を殺すことなく、ネコブ線虫やネグサレ線虫を有効に忌避させることができる。
【0030】
上記のようにして得られる細胞性粘菌分泌物をネコブ線虫やネグサレ線虫の忌避剤の有効成分として用いることができる。忌避剤は細胞性粘菌分泌物単独でもよく、他の成分が添加されていてもよい。他の成分として、例えば、肥料、農薬、土壌改質剤、細胞性粘菌分泌物を担持する担体などが挙げられる。また、忌避剤には、製造の容易性や忌避効果という観点からすれば、前述のように細胞性粘菌自体が残存していてもよい。但し、忌避する有効成分を濃縮して使用する場合には、細胞性粘菌や脂質などが除去された細胞性粘菌分泌物だけを使用するのが望ましい。
【0031】
以下、本発明の実施例を、以下の実施例1~6により具体的に説明するが、本発明はそれらに限定されるものではない。
【0032】
<実施例1:D. discoideumを用いた線虫忌避剤の製造とネコブ線虫の忌避特性>
Dictyostelium 属の細胞性粘菌としてdiscoideum KAx3株の細胞を合成培地HL-5(Formedium 社)の入ったフラスコに播種し、細胞数が3x106cells/mL(増殖初期)になるまでシェーカーで150rpm、22℃にて振とう培養し、培地ごと細胞を遠心機を使って遠心分離することにより細胞と合成培地を分離した。遠心管内で培地は上清となり、細胞は遠心管の底にペレット状に固まっていた。細胞に残っている培地を洗い取るために、この遠心管にリン酸バッファー(KK2バッファー)を加えて細胞を懸濁し、再度遠心分離した。
【0033】
遠心分離された上清を捨てて、底部に細胞が残った遠心管にリン酸バッファーを再度加え、撹拌して細胞をよく懸濁した。リン酸バッファーは、懸濁液中の細胞濃度が1x107cells/mLになるように調整してフラスコに移し、シェーカーで150rpm、22℃にて48時間振とうした。この後、細胞ごと遠心分離して上清を得た。この上清をconditioned medium(この実施例で、「CM」と略する)という。CMを濾紙で濾過後、ロータリーエバポレーターで乾固した。乾固したものに、元々含まれていたリン酸バッファーと等量のメタノールを加えて、可溶成分をメタノール中に抽出した。このメタノール抽出液を、活性測定のために、再度乾固し、40%メタノールに1x109cell分のCM/mL(40%メタノール)になるように溶解した(100倍濃縮)。この溶解液の0.1mL(1x108cell分)を忌避活性測定に使用した。
【0034】
このメタノール溶液0.1mLを半月型ろ紙に含ませてクリーンベンチ内で1時間風乾させた。なお、40%メタノールだけを含ませたろ紙サンプル(以下、適宜、「メタノールろ紙サンプル」)という)と、リン酸バッファーだけをCM作製と同様の方法で処理して含ませたろ紙サンプル(以下、適宜、「リン酸バッファーろ紙サンプル」という)をそれぞれ用意した。後者は、リン酸バッファーを乾固して、もともとのリン酸バッファーと同じ量のメタノールを加えて可溶成分を抽出し、さらに40%メタノールに溶解してろ紙サンプルに含ませて調製した。後者を用意したのは、メタノール抽出で抽出されるリン酸バッファーに含まれる塩によって、線虫が忌避されるか否かを確認するためである。
【0035】
このようにして用意した3つのろ紙サンプルについて、以下のようにして線虫の忌避特性を観察した。
図1(a)に示すように、ゲランガムを充填したシャーレの端近くにろ紙サンプルを置き、ろ紙サンプルからシャーレの中央に向かって12mm離れた地点にサツマイモネコブ線虫を5―10匹播種した。播種から16時間後に、次のようにして顕微鏡を用いてサツマイモネコブ線虫の行動を定量的に解析した。
図1(b)に示すように、サツマイモネコブ線虫の両側に領域1及び2を設定した。各領域のサイズは0.96cm(横)×1.3cm(縦)であり、領域1と領域2の間隔は0.27cmであった。二つの領域について顕微鏡用デジタルカメラ(顕微鏡:Nikon AZ100、カメラ:Nikon FR400C)を用いて、サツマイモネコブ線虫の播種から16時間経過後に画像を撮影した。
【0036】
CMから調製した溶液を含ませたろ紙サンプル(以下、適宜、「CM調製ろ紙サンプル」という)、メタノールろ紙サンプル及びリン酸バッファーろ紙サンプルについての撮影画像を、
図2(a)~
図2(c)にそれぞれに示す。
図2(a)の画像から、サツマイモネコブ線虫はろ紙サンプル(左側の黒い部分)に近い領域1には殆ど侵入しておらず、領域2に移動軌跡が偏っていることが分かる。これに対して、メタノールろ紙サンプルと、リン酸バッファーろ紙サンプルとでは、
図2(b)及び
図2(c)にそれぞれ示すように、領域1及び領域2にほぼ均等に移動軌跡が現われていることが分かる。
【0037】
図2(a)~
図2(c)に示すような撮影画像を、画像解析ソフトImageJを用いて各領域でどの程度、サツマイモネコブ線虫が移動した跡があるかについてドット数をカウントして数値化した。画像解析により得られた結果を、
図3のグラフに示す。同グラフ中、左側は、メタノールろ紙サンプル(40%MeOH)を用いた場合であり、中央は、リン酸バッファーろ紙サンプル(KK2 Buffer抽出物)を用いた場合、右側はCM調製ろ紙サンプルを用いた場合である。メタノールろ紙サンプル及びリン酸バッファーろ紙サンプルを用いた場合には、いずれも領域1、2で大きな差は見られなかったが、CM調製ろ紙サンプルを用いた場合には、領域1の値が明らかに領域2より低く、サツマイモネコブ線虫がCM(すなわち細胞性粘菌分泌物)を忌避したことが定量的に確認することができる。なお、
図3の縦軸の相対値(%)は、線虫が移動した移動軌跡について、全てのドット数の合計に対するそれぞれの領域のドット数の割合をパーセントで表したものである。
【0038】
<実施例2:D. discoideumを合成培地培養した場合の忌避剤の忌避効果の比較>
Dictyostelium 属の細胞性粘菌としてdiscoideum KAx3株の細胞を合成培地HL-5(Formedium 社)の入ったフラスコに播種し、細胞数が7-9x106cells/mL(増殖後期)になるまでシェーカーで150rpm、22℃にて振とう培養し、培地ごと細胞を遠心機を使って遠心分離することにより細胞と合成培地を分離した。遠心管内で培地は上清となり、細胞は遠心管の底にペレット状に固まっていた。細胞に残っている培地を洗い取るために、この遠心管に超純水を加えて細胞を懸濁し、再度遠心分離した。
【0039】
遠心分離された上清を捨てて、底部に細胞が残った遠心管に超純水を再度加え、撹拌して細胞をよく懸濁した。超純水は、懸濁液中の細胞濃度が2x107cells/mLになるように調整してフラスコに移し、これをシェーカーで150rpm、22℃にて48時間振とうした。この後、細胞ごと遠心分離して上清を得た。この上清をconditioned medium(この実施例で、「CM」と略する)という。CMを濾紙で濾過後、ロータリーエバポレーターで乾固した。活性測定のために40%メタノールに2x109cell分のCM/mL(40%メタノール)になるように溶解した(100倍濃縮)。溶解液の0.1mL(2x108cell分)を忌避活性測定に使用した。また、活性の強さの濃度依存性を調べるために、この0.1mLの溶解液(実施例1のCMの2倍の濃度なので2×CMと表わす)を40%メタノールで段階希釈して、2倍に希釈したサンプル(CM)、4倍に希釈したサンプル(0.5×CM)、20倍に希釈したサンプル(0.1×CM)をそれぞれを用意した。
【0040】
また、比較のために、メタノールろ紙サンプルと、以下のような特許文献1に記載の方法(寒天培地からD. discoideumの子実体を形成させ、子実体をエタノールに加えて分泌物を抽出させる方法)を用いて調製した細胞性粘菌分泌物の固形分2mgをメタノール中に溶解して含ませたろ紙サンプル(以下、適宜、「細胞抽出物ろ紙サンプル」という)を用意した。
【0041】
特許文献1に記載の方法に準じたサンプルの調製:
D.discoideumをクレブシエラ等を餌として寒天培地上で二員培養した。5日程度培養すると、餌を食べ尽くした状態となり、寒天上で子実体を形成する。 その後、子実体を薬さじで回収して100%エタノールが入った遠沈管に入れ、4℃で保存後、遠心してエタノールを回収し、細胞に新たにエタノールを加えて遠心分離し、エタノールを回収した。この操作を数回繰り返し、集めたエタノールをロータリーエバポレータで乾固して固形分(細胞性粘菌の固形分)を得た。これに40%メタノールを加え、80mg/mLの溶液とする。
【0042】
上記特許文献1の方法に準じた処理で得られた固形分2mgは2x108cellの細胞数から得られる固形分量に相当する。従って、細胞性粘菌分泌物2mgから得られたろ紙サンプルは、上記CM調製ろ紙サンプル(2×CM)と同等の細胞原料から得られるサンプルに相当する。
【0043】
それらのろ紙サンプルについて、実施例1と同様にして、ゲランガムを充填したシャーレの端近くに置き、ろ紙サンプルからシャーレの中央に向かって12mm離れた地点にサツマイモネコブ線虫を5―10匹播種した。播種から16時間後に、実施例1と同様にして、顕微鏡を用いてサツマイモネコブ線虫の行動を撮影した。上記CM調製ろ紙サンプル(1×CM)についての撮影画像を
図4に示す。
図4の撮影画像から、サツマイモネコブ線虫はろ紙サンプル(左側の黒い部分)に近い領域1には殆ど侵入しておらず、領域2に移動軌跡が偏っている。それゆえ、サツマイモネコブ線虫はCM調製ろ紙サンプルを忌避する挙動を示したことが分かった。
【0044】
それぞれのサンプルの撮影画像を画像解析ソフトImageJを用い、各領域でどの程度、サツマイモネコブ線虫が移動した跡があるかについてドット数をカウントして数値化した。画像解析により得られた結果を、
図5のグラフに示す。本実施例で調製したサンプルは全て有意な忌避特性を示し、20倍に希釈した溶液(0.1×CM)でも、特許文献1から得られた細胞抽出物と同等の忌避特性を示すことが分かる。
【0045】
<実施例3:D. discoideumを二員培養した場合の忌避剤の忌避効果の比較>
液体培地として、合成培地の代わりに、OD600が7.5になるように調整した大腸菌を懸濁したリン酸バッファー液を使用した以外は、実施例2と同様にしてCMを調製した。活性測定のためにCMをろ紙を用いて濾過後、ロータリーエバポレーターで乾固し、活性測定のために40%メタノール中に、細胞濃度2x109cell分のCM/mLになるように加えてよく懸濁した。活性の強さを調べるために、実施例2と同様にして、この40%メタノール懸濁液のサンプル(2×CM)を40%メタノールで段階希釈して、2倍に希釈したサンプル(CM)、4倍に希釈したサンプル(0.5×CM)、20倍に希釈したサンプル(0.1×CM)をそれぞれを用意した。
【0046】
それらのろ紙サンプルについて、実施例2と同様にして、ゲランガムを充填したシャーレの端近くに置き、ろ紙サンプルからシャーレの中央に向かって12mm離れた地点にミナミネグサレ線虫を5-10匹播種した。播種から16時間後に、実施例2と同様にして、顕微鏡を用いてサツマイモネコブ線虫の行動を撮影し、撮影画像を画像解析ソフトImageJを用い、各領域でどの程度、ミナミネグサレ線虫が移動した跡があるかについてドット数をカウントして数値化した。上記CM調製ろ紙サンプル(1×CM)についての撮影画像を
図6に示す。
図6の撮影画像から、サツマイモネコブ線虫はろ紙サンプル(左側の黒い部分)に近い領域1には殆ど侵入しておらず、領域2に移動軌跡が偏っている。それゆえ、サツマイモネコブ線虫はCM調製ろ紙サンプルを忌避する挙動を示したことが分かった。
【0047】
それぞれのろ紙サンプルについて、画像解析により得られた結果を、
図7のグラフに示す。なお、比較のためメタノールろ紙サンプルと実施例2で特許文献1に記載の方法で調製した細胞抽出物ろ紙サンプル(2mg固形分)の結果をグラフに示す。本実施例で調製したサンプルは全て有意な忌避特性を示し、4倍に希釈した溶液(0.5×CM)でも、特許文献1から得られた細胞抽出物に近い忌避特性を示すことが分かる。
【0048】
<実施例4:細胞性粘菌分泌物の存在下における植物への線虫の感染試験>
この実施例では、実際の植物が線虫に感染される際に、細胞性粘菌分泌物がどのように作用するかを試験した。植物として、以下のようにして用意したマメ科に属するミヤコグサを用いた。予め保水及び滅菌を行ったミヤコグサ種子の外皮を取り除き、Ca、P、クエン酸鉄、KNO
3から調製した培地上に5mm以上の間隔をあけて種子を並べ、22℃で保存した。2日後に、発芽したミヤコグサを新たな培地上に移し代えた。3本のミヤコグサ(試料No.1~3)を
図8に示すように1つのプレート上に35mmの間隔を隔てて並列して感染実験用プレートとした。
【0049】
実施例2で得られたCMを、半径1cmの半月状ろ紙片に浸みこませ、クリーンベンチ内で1時間風乾させた。ろ紙を
図8に示すように、感染実験用プレート上のミヤコグサのうち、最も左側に生育しているミヤコグサ(試料No.1)の根から2mmの地点に置いた。それぞれのミヤコグサの根の先端から10mm離れた地点に、線虫を約50匹播種し、48時間23℃で培養した。ミヤコグサの根の先端を水でよく洗い、酸性フクシン染色により根の中に侵入した線虫を染色した。顕微鏡で根の先端を観察して、染色した線虫の数をそれぞれの試料で数えた。
図9に試料No.1~3のミヤコグサの根中のサツマイモネコブ線虫による感染状態を拡大写真で示す。
図9の拡大写真では、試料No.1のミヤコグサの根中には、サツマイモネコブ線虫が見られないが、試料No.2及び試料No.3のミヤコグサの根中に十数匹のサツマイモネコブ線虫が存在しているのが分かる。
【0050】
また、試料No.1~3のミヤコグサ根中のサツマイモネコブ線虫による感染数を
図10のグラフに示す。比較のために、メタノールろ紙サンプル、実施例2で作製した特許文献1の方法から得られた細胞抽出物ろ紙サンプル、及び純水のみをしみ込ませたろ紙サンプルについても同様の実験を行い、結果を
図10のグラフに示す。なお、この実験で特許文献1の方法から得られた細胞抽出物を8mg用いた。細胞抽出物8mgは十分にサツマイモネコブ線虫が忌避特性を示す濃度であることが予め行った実験により分かっているので、この実験条件、実験環境及び実験に使用した線虫においても細胞抽出物ろ紙サンプルが確実に線虫の忌避特性を示すことを検証するためである。
【0051】
CM調製ろ紙サンプルでは、試料No.1中のサツマイモネコブ線虫の数が著しく低下している。このことからサツマイモネコブ線虫がCM調製ろ紙サンプルに近いミヤコグサの根に侵入することを忌避したことが分かる。また、CM調製ろ紙サンプルでは、特許文献1に記載の方法で作製された細胞抽出物8mgを含むろ紙サンプルと同等以上の忌避効果を示すことが分かる。
【0052】
<実施例5:D. discoideumを用いた忌避剤に対するネグサレ線虫の忌避特性>
上記実施例では、ネコブ線虫を忌避対象としてその忌避特性を観察したが、この実施例ではミナミネグサレ線虫に対する忌避特性を観察する。実施例2と同様にして、Dictyostelium 属の細胞性粘菌を合成培地HL-5(Formedium 社)を使って培養し、遠心分離後、上清を捨て、残留する細胞に細胞濃度が2x107cells/mLになるように超純水を加え、48時間振とうした。この後、細胞ごと遠心分離してCMを得た。CMを濾紙を用いて濾過後、ロータリーエバポレーターで乾固した。乾固した固形分を、活性測定のために40%メタノール中に、細胞濃度1x109cell分のCM/mL(前記上清の50倍濃縮)になるように加えてよく懸濁した。
【0053】
この懸濁液0.1mLを半月型ろ紙に含ませてクリーンベンチ内で1時間風乾させた。なお、Controlとして、メタノールろ紙サンプルも同じ条件で作製した。ゲランガムを充填したシャーレの端近くにろ紙サンプルを置き、ろ紙サンプルからシャーレの中央に向かって12mm離れた地点にミナミネグサレ線虫を10匹播種した。播種から16時間後に実施例1と同様にして顕微鏡を用いてミナミネグサレ線虫の行動を定量的に解析した。ミナミネグサレ線虫の播種から16時間経過後に画像を撮影し、
図11(a)に示す。
図11(a)の画像から、ミナミネグサレ線虫は、ろ紙サンプル(左側の黒い部分)に近い領域1には殆ど侵入しておらず、領域2に移動軌跡が偏っていることが分かる。これに対して、Controlろ紙サンプルでは、
図11(b)に示すように、ろ紙サンプルを回避した挙動は見られない。
【0054】
図11(a)及び(b)に示すような撮影画像を、実施例1で用いた画像解析ソフトImageJを用い、ミナミネグサレ線虫の移動軌跡をカウントして数値化した。画像解析により得られた結果を、
図12のグラフに示す。同グラフ中、左側はControlろ紙サンプルを用いた場合であり、右側はCMから調製したろ紙サンプルを用いた結果である。Controlろ紙サンプルを用いた場合には、領域1、2で大きな差は見られなかったが、CMから調製したろ紙サンプルを用いた場合には、領域1の値が明らかに領域2より低く、ミナミネグサレ線虫がCMすなわち、細胞性粘菌分泌物を忌避したことが定量的に確認することができる。
【0055】
<実施例6:D. fasciculatum及びD. giganteumからの忌避剤の製造と忌避特性>
細胞性粘菌としてD. fasciculatum及びD. giganteumを用いた以外は、実施例3と同様にして細胞性粘菌を大腸菌との二員培養によって培養し、超純水中で多細胞化し、遠心分離してCMを得た。超純水中でのD. fasciculatumの培養過程における多細胞化の様子を
図13の顕微鏡写真に、飢餓処理後の経過時間とともに示す。飢餓処理開始時(0h)では、分散していた単細胞が徐々に集合して、24時間から48時間を経て多細胞化している様子が分かる。この観察写真より、Dictyostelium属は超純水で培養しても少なくとも48時間生き続けることができ、集合して多細胞化することが分かった。同様の実験を、細胞性粘菌Polysphondylium pallidumを使って行ったが、純水中で溶解してしまい、この種の細胞性粘菌は純水中での培養には適さないことも分かった。
【0056】
D. fasciculatum及びD. giganteumから得られたCMについて、実施例3と同様にして、CMを段階希釈したサンプルも調整して、サツマイモネコブ線虫に対する忌避特性を調べた。比較として、メタノールろ紙サンプル及び実施例2で調製した細胞抽出物ろ紙サンプル(乾固重量2mg)を用いた。結果を
図14に示す。D. fasciculatum及びD. giganteumから得られたCM調製ろ紙サンプルはいずれも有意な忌避特性を示しており、特にD. fasciculatumから得られたCM調製ろ紙サンプルは、低濃度でも有意な忌避特性を示している。この実施例を通じて、D.discoideum以外のD属に属する細胞性粘菌からの分泌物についても、サツマイモネコブ線虫の忌避剤の有効成分となることが分かる。
【0057】
<実施例7-1:送気培養>
実施例1では培養中にシェーカーを振とうしてエアレーションを図ったが、この実施例では空気を培地中に強制的に導入する(送気する)ことによってエアレーションを行った培養例を示す。Dictyostelium 属の細胞性粘菌としてdiscoideum KAx3株の細胞を、合成培地HL-5(Formedium 社)を800mL入れたメディウム瓶(容量2L)に播種した。このメディウム瓶には、
図16に示すように、二本の送気管(アズワン製チューブ、内径4mm、外径8mm)をその吹出口が瓶の底に位置するように挿入した。送気管を通じて瓶の底部から合成培地HL-5に空気を送り込んで曝気しながら、22℃にて72時間培養した。瓶の底部に細胞が沈殿して固まることを防止するために、送気管の吹出口を側方を向くように設置して、瓶内で空気(泡)が対流するようにした。72時間経過後、メディウム瓶から送気管を取り外し、遠心分離により細胞を培地から分離して、細胞を水に懸濁して再度遠心分離した。この後の飢餓処理などのプロセスは、実施例1と同様に行うことができる。
【0058】
培養の経過について所定時間ごとに細胞数をヘモサイトメーター(血球計算盤)によって計測した。結果を
図17のグラフに示す(送気培養:7-1A)。
【0059】
送気培養の効果を評価するために、実施例1と同様にしてフラスコ内で振とう培養を行った。但し、細胞濃度が1x10
7cells/mL~1.5x10
7cells/mL(静止期)になるまでシェーカーによる振とうを速度160rpmで行った以外、実施例1と同条件で行った。結果を
図17のグラフに示す(振とう培養:7-1V)。
図17のグラフから分かる通り、培地中に強制的に空気を送り込む送気培養によって、72時間後には、フラスコによる振とう培養の2倍以上の単細胞数に培養することができることが分かる。
【0060】
<実施例7-2:培地希釈による送気培養>
実施例7-1において、液体培地の濃度を2/3に低下した以外は、実施例7-1と同様にして送気をしながら培養を行った。また、実施例7-1において、培地の濃度を2/3に低下した以外は、実施例7-1と同様にして、フラスコによる振とう培養を行った。結果を
図17のグラフに示す(送気培養:7-2A、振とう培養:7-2V)。液体培地を2/3濃度に希釈した送気培養では、希釈していない送気培養(7-1A)に比べて細胞数は少ないが、それでも培地を希釈しなかったフラスコによる振とう培養(7-1V)の1.8倍程度に細胞数が増えていることが分かる。但し、液体培地を希釈した送気培養の場合、培地から細胞を遠心分離で除去する際に、細胞が十分に沈殿していなかったことが観察されたことから、細胞が不健康な状態であると考えられる。フラスコによる振とう培養では、液体培地を2/3濃度に希釈しても細胞数に顕著な変化はなかった。
【0061】
<実施例7-3:グルコース濃度変更による送気培養>
実施例7-2において、液体培地を2/3濃度に希釈したが、HL-5培地には通常1.35%のグルコースが含まれていて、希釈によりグルコースも2/3濃度に希釈されていた。そこで、この実施例では、グルコース濃度は実施例7―1と同様に1.35%に維持し、液体培地だけを2/3濃度に希釈して、実施例7-2と同様に送気培養とフラスコによる振とう培養をそれぞれ行った。結果を
図17のグラフに示す(送気培養:7-3A、振とう培養:7-3V)。
【0062】
グルコース濃度を1,35%に維持しつつ培地濃度を2/3に希釈した送気培養では、液体培地を希釈しなかった培地培養とほぼ同じ結果が得られた。実施例7-2の結果とを合わせて考えると、送気培養においては、グルコースのような栄養分の量が細胞数の増加に影響を及ぼすことが分かる。一方、フラスコによる振とう培養では、グルコース濃度を1.35%に維持しつつ培地を2/3濃度に希釈しても、実施例7-1及び7-2に比べて細胞数に顕著な変化はなかった。このことから、フラスコによる振とう培養では、細胞の増加のためには、培地の濃度やグルコースの濃度よりもエアレーションをいかに効率よく行わせるか重要であることが分かる。
【0063】
以上、本発明を実施例により具体的に説明してきたが、本発明はそれらに限定されず、特許請求の範囲に記載の技術的思想の範囲内で種々の改変・改良・代替され得るもの及び方法も包含する。実施例7では、合成培地を使った送気培養の実験を行ったが、送気培養は細胞性粘菌の餌となる生菌が含まれる液体培地(二員培養)でも有効である。上記実施例では、フラスコなどの容器を用いて実験室レベルで忌避剤の製造を行ったが、ジャーファーメンターを用いて本発明の製造方法を実施することができる。また、液体培地に送気する装置として
図16に示した単純な装置を用いたが、工業的には、上記実施例と同様に送気板や送気管を培養槽内に設けて圧縮空気を送る気泡式装置や、培養槽表面で機械的撹拌を行うことで送気する表面曝気式装置などを導入したり、気泡式装置の場合は、吹出口の面積や形状を変更し、ナノバブルやマイクロバブルのようなより微細な気泡を供給できるファインバブル発生装置、例えばマイクロバブル酸素供給デバイスなどを導入することで一層効率のよい送気培養を実現できる。液体培地中で発生させたマイクロバブルのようなファインバブルを容器内で対流させるために液体培地を攪拌してもよい。それによって、線虫忌避剤を効率よく大量に生産することができる。
【産業上の利用可能性】
【0064】
本発明の線虫の忌避剤の製造方法は、ネグサレ線虫やネコブ線虫を忌避することができる忌避剤をD属に属する細胞性粘菌から効率よく生産することができる。特に、同一容器内で液体培養し、無栄養液体への置換、多細胞化、その後の回収段階を実施することが可能であり、線虫忌避に有効な成分を簡単にしかも短時間で製造することができる。また、有機溶媒による抽出操作も不要であるために、環境的にも好ましい環境下で実施することができる。従って、本発明の方法はネグサレ線虫やネコブ線虫の忌避剤の量産に好適である。この方法により得られる忌避剤は、自然界にもともと存在している細胞性粘菌から分離抽出した有効成分を含むものであるために、農作物や生物に被害を与えることなくネグサレ線虫やネコブ線虫を有効に忌避させることができる。本発明は、農作物や作業者の安全性を維持しつつ、全世界のイチゴ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、レタスなどの農作物の生産性を高めることができるため、農業分野における著しい国際貢献が期待される。