(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-07-22
(45)【発行日】2024-07-30
(54)【発明の名称】被覆工具
(51)【国際特許分類】
B23B 27/14 20060101AFI20240723BHJP
B23C 5/16 20060101ALI20240723BHJP
C23C 14/06 20060101ALI20240723BHJP
C23C 14/34 20060101ALI20240723BHJP
【FI】
B23B27/14 A
B23C5/16
C23C14/06 H
C23C14/34 Z
(21)【出願番号】P 2022580658
(86)(22)【出願日】2022-02-09
(86)【国際出願番号】 JP2022005117
(87)【国際公開番号】W WO2022172954
(87)【国際公開日】2022-08-18
【審査請求日】2023-06-06
(31)【優先権主張番号】P 2021020682
(32)【優先日】2021-02-12
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000233066
【氏名又は名称】株式会社MOLDINO
(73)【特許権者】
【識別番号】598051691
【氏名又は名称】エリコン・サーフェス・ソリューションズ・アクチェンゲゼルシャフト,プフェフィコーン
【氏名又は名称原語表記】OERLIKON SURFACE SOLUTIONS AG, PFAEFFIKON
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100142424
【氏名又は名称】細川 文広
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【氏名又は名称】大浪 一徳
(72)【発明者】
【氏名】佐々木 智也
(72)【発明者】
【氏名】久保田 和幸
(72)【発明者】
【氏名】ヤラマンチリ クマール
(72)【発明者】
【氏名】クラポフ デニス
(72)【発明者】
【氏名】カルス ボルフガング
【審査官】山本 忠博
(56)【参考文献】
【文献】特表2016-522323(JP,A)
【文献】特開2003-117705(JP,A)
【文献】特開2015-110256(JP,A)
【文献】特開2006-316351(JP,A)
【文献】国際公開第2019/065397(WO,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23B 27/14,51/00;
B23C 5/16;
B23P 15/28;
C23C 14/00-14/58,16/34-16/36
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材と、前記基材の上に硬質皮膜を有する被覆工具であって、
前記硬質皮膜は
スパッタリング皮膜であり、
前記硬質皮膜は、金属(半金属を含む)元素の総量に対して、Alを65原子%以上90原子%以下で含有しており、Tiを10原子%以上35原子%以下で含有している窒化物または炭窒化物であって面心立方格子構造を有し、
前記硬質皮膜は面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲に最大強度Iaを示し、α角0°~70°の範囲の強度は前記最大強度Iaの30%以下であることを特徴とする被覆工具。
【請求項2】
前記α角0°~70°の範囲の強度は、前記最大強度Iaの20%以下であることを特徴とする請求項1に記載の被覆工具。
【請求項3】
前記硬質皮膜は、X線回折または透過電子顕微鏡の制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面が最大強度を示すことを特徴とする請求項1または2に記載の被覆工具。
【請求項4】
前記硬質皮膜は、面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲以外にピークを有さないことを特徴とする請求項1ないし3の何れか1項に記載の被覆工具。
【請求項5】
前記硬質皮膜の面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲に最大強度Ibを示すことを特徴とする請求項1ないし4の何れか1項に記載の被覆工具。
【請求項6】
前記硬質皮膜の面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲以外にピークを有さないことを特徴とする請求項1ないし5の何れか1項に記載の被覆工具。
【請求項7】
前記硬質皮膜は金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴン(Ar)を0.20原子%以下で含有することを特徴とする請求項1ないし6の何れか1項に記載の被覆工具。
【請求項8】
前記硬質皮膜は圧縮残留応力を有することを特徴とする請求項1ないし7の何れか1項に記載の被覆工具。
【請求項9】
前記硬質皮膜の断面観察において、円相当径が1μm以上のドロップレットが100μm
2当たり5個以下であることを特徴とする請求項1ないし8の何れか1項に記載の被覆工具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金型や切削工具等の工具に適用する被覆工具に関する。
本願は、2021年2月12日に日本に出願された特願2021-020682号について優先権を主張し、その内容をここに援用する。
【背景技術】
【0002】
AlとTiの窒化物や炭窒化物(以下、AlTiNやAlTiCNと記載する場合もある。)は耐摩耗性と耐熱性に優れる膜種であり、被覆金型や被覆切削工具として広く適用されている。ところで、硬質皮膜の特性改善として結晶の配向を制御することが提案されている。例えば、特許文献1には(200)面を特定の方向に配向させたAlTiNを設けた被覆工具が提案されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
AlTiNやAlTiCNはAlの含有比率が大きくなると、六方最密充填構造(hcp構造)のAlNが増加して皮膜硬度および工具性能が低下し易い。本発明者はAlリッチAlTiNやAlTiCNを設けた被覆工具は高硬度鋼の加工においては早期に工具寿命に達する場合があり、耐久性に改善の余地があることを確認した。本発明は上記の事情に鑑み、耐久性の優れる被覆工具を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
本発明の一態様の被覆工具は、基材と、前記基材の上に硬質皮膜を有する被覆工具であって、
前記硬質皮膜は、金属(半金属を含む)元素の総量に対して、Alを65原子%以上90原子%以下で含有しており、Tiを10原子%以上35原子%以下で含有している窒化物または炭窒化物であって面心立方格子構造を有し、
前記硬質皮膜は面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲に最大強度Iaを示し、α角0°~70°の範囲の強度は前記Iaの30%以下である被覆工具である。
【0006】
前記α角0°~70°の範囲の強度は、前記Iaの20%以下であることが好ましい。
前記硬質皮膜は、X線回折または透過電子顕微鏡の制限視野回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面が最大強度を示すことが好ましい。
前記硬質皮膜は面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲以外にピークを有さないことが好ましい。
前記硬質皮膜の面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲に最大強度Ibを示すことが好ましい。
前記硬質皮膜の面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲以外にピークを有さないことが好ましい。
前記硬質皮膜は金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴン(Ar)を0.20原子%以下で含有することが好ましい。前記アルゴン含有量は0.10原子%以下であってもよい。前記アルゴン含有量は0.03原子%以上であってもよい。
前記硬質皮膜は圧縮残留応力を有することが好ましい。
前記硬質皮膜の断面観察において、円相当径が1μm以上のドロップレットが100μm2当たり5個以下であることが好ましい。より好ましくは、100μm2当たり3個以下である。更に好ましくは、100μm2当たり1個以下である。更には、円相当径が5μm以上のドロップレットを含有しないことが好ましい。
前記硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率が70原子%以上であってもよい。Alの含有比率は72原子%以上であってもよい。Alの含有比率は75原子%以上であってもよい。Alの含有比率は85原子%以下であってもよい。
前記硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Tiの含有比率が15原子%以上であってもよい。Tiの含有比率は30原子%以下であってもよい。Tiの含有比率は28原子%以下であってもよい。Tiの含有比率は25原子%以下であってもよい。
前記硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、AlとTiの含有比率の合計を90原子%以上としてもよい。前記硬質皮膜は、AlとTiの窒化物、またはAlとTiの炭窒化物であってもよい。
【発明の効果】
【0007】
本発明によれば、耐久性に優れる被覆工具を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
【
図1】本実施例1のAlTiNにおける(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図2】本実施例1のAlTiNにおける(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図3】本実施例2のAlTiNにおける(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図4】本実施例2のAlTiNにおける(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図5】比較例1のAlTiNにおける(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図6】比較例1のAlTiNにおける(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図7】比較例2のAlTiNにおける(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図8】比較例2のAlTiNにおける(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図9】比較例3のAlTiNにおける(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図10】比較例3のAlTiNにおける(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布の一例である。
【
図11】本実施例1のAlTiNにおけるXRDの測定結果の一例である。
【発明を実施するための形態】
【0009】
本発明者は、AlリッチのAlとTiを主体とする窒化物または炭窒化物について、面心立方格子構造の結晶の配向を制御することで、耐久性が向上する傾向にあることを知見した。以下、本発明の実施形態の詳細について説明をする。
本実施形態の被覆工具は、基材の表面にAlリッチのAlとTiを主体とする窒化物または炭窒化物の硬質皮膜を有する被覆工具である。本実施形態の被覆工具は、金型や切削工具に適用することができる。特に、工具径が5mm以下、更には3mm以下の小径エンドミルに適用することが好ましい。
【0010】
本実施例において、基材は特段限定されるものではない。冷間工具鋼、熱間工具鋼、高速度鋼、超硬合金等を用途に応じて適宜適用すればよい。基材は予め窒化処理やボンバード処理等をしても良い。
【0011】
本実施形態に係る硬質皮膜は、窒化物または炭窒化物であり、金属(半金属を含む。以下同様。)元素の総量に対して、Alを65原子%以上90原子%以下で含有しており、Tiを10原子%以上35原子%以下で含有している。AlとTiを主体とする窒化物または炭窒化物は耐摩耗性と耐熱性のバランスに優れる膜種であり、基材との密着性にも優れ、特にAlの含有比率を大きくすることで硬質皮膜の耐熱性がより向上する。また、AlとTiを主体とする窒化物または炭窒化物は、Alの含有比率を大きくすることで、工具表面に酸化保護皮膜が形成され易くなるとともに、皮膜組織が微細になるため、溶着による硬質皮膜の摩耗が抑制され易くなる。
【0012】
上述したAlの添加効果を十分に発揮するには、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を65原子%以上とする。更にはAlの含有比率は70原子%以上であることが好ましい。更にはAlの含有比率は72原子%以上であることが好ましい。更にはAlの含有比率は75原子%以上であることが好ましい。一方、Alの含有比率が大きくなり過ぎると硬質皮膜の結晶構造が変化して脆弱となる。そのため、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を90原子%以下とする。更にはAlの含有比率は85原子%以下であることが好ましい。
【0013】
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Tiの含有比率を10原子%以上とする。これにより、硬質皮膜に優れた耐摩耗性を付与することができる。更にはTiの含有比率を15原子%以上とすることが好ましい。一方、硬質皮膜に含有されるTiの含有比率が大きくなり過ぎると、上述したAlの含有比率を大きくする効果が得られ難い。そのため、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Tiの含有比率を35原子%以下とする。更にはTiの含有比率は30原子%以下であることが好ましい。更にはTiの含有比率は28原子%以下であることが好ましい。更にはTiの含有比率は25原子%以下であることが好ましい。
【0014】
被覆工具にさらに優れた耐久性を付与するために、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、AlとTiの含有比率の合計を90原子%以上とすることが好ましい。また、本実施形態に係る硬質皮膜は、AlとTiの窒化物または炭窒化物であってもよい。耐熱性がより優れる膜種である窒化物であることが好ましい。
本実施形態に係る硬質皮膜の金属元素の含有比率は、鏡面加工した硬質皮膜について、電子プローブマイクロアナライザー装置(EPMA)を用いて測定することができる。この場合、例えば、硬質皮膜表面の鏡面加工後、直径が約1μmの分析範囲を5点分析した平均から求めることができる。
【0015】
本実施形態に係る硬質皮膜には、AlとTi以外の金属元素を含有しても良い。例えば、本実施形態に係る硬質皮膜は、耐摩耗性や耐熱性などの向上を目的として、周期律表の4a族、5a族、6a族の元素およびSi、B、Y、Yb、Cuから選択される1種または2種以上の元素を含有することもできる。これらの元素は被覆工具の皮膜特性を向上させるために一般的に含有されるものであり、被覆工具の耐久性を著しく低下させない範囲で添加可能である。但し、AlとTi以外の金属元素の含有比率が大きくなり過ぎると、被覆工具の耐久性が低下する場合がある。そのため、本実施形態に係る硬質皮膜が、AlとTi以外の金属元素を含有する場合、その合計の含有比率は、金属元素全体を100原子%とした場合に、10原子%以下であることが好ましい。更には、5原子%以下であることが好ましい。
【0016】
<結晶構造>
本実施形態に係る硬質皮膜は面心立方格子構造を有しており、面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲に最大強度Iaを示し、α角0°~70°の範囲の強度は最大強度Iaの30%以下である。これにより、α角80°~90°の最大強度に対してα角0°~70°の範囲の強度が相対的に低くなり、基材平面方向に対してほぼ垂直な方向のα角80°~90°に(111)面の多くが存在していることになる。(111)面が基材平面方向に対してほぼ垂直な方向に配向することで硬質皮膜の全体がより緻密となって耐久性が向上すると考えられる。(111)面のα角0°~70°の範囲の強度は最大強度Iaの20%以下、更には15%以下であることが好ましい。面心立方格子構造の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角80°~90°の範囲以外にはピークを有さないことが好ましい。
本実施形態に係る硬質皮膜は、X線回折または電子線回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面が最大強度を示すことが好ましい。最大強度を示す面心立方格子構造の(111)面がほぼ同じ方向に配向することで耐久性が向上すると考えられる。
【0017】
本実施形態に係る硬質皮膜は、面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲に最大強度Ibを示すことが好ましい。(200)面も特定の方向に強く配向する硬質皮膜とすることで、耐久性が向上すると考えられる。面心立方格子構造の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布において、α角20°~50°の範囲以外にはピークを有さないことが好ましい。
本実施形態に係る硬質皮膜はX線回折または電子線回折パターンの強度プロファイルにおいて、面心立方格子構造の(111)面に次いで面心立方格子構造の(200)面のピーク強度が強いことが好ましい。
【0018】
<中間皮膜、上層>
本実施形態の被覆工具は、硬質皮膜の密着性をより向上させるため、必要に応じて、工具の基材と硬質皮膜との間に別途中間皮膜を設けてもよい。例えば、金属、窒化物、炭窒化物、炭化物のいずれかからなる層を工具の基材と硬質皮膜との間に設けてもよい。
また、本実施形態に係る硬質皮膜の上に、本実施形態に係る硬質皮膜と異なる成分比や異なる組成を有する硬質皮膜を別途形成させてもよい。さらには、本実施形態に係る硬質皮膜と、別途本実施形態に係る硬質皮膜と異なる組成比や異なる組成を有する硬質皮膜とを相互積層させてもよい。
【0019】
本実施形態に係る硬質皮膜は、圧縮残留応力を有することが好ましい。硬質皮膜が圧縮残留応力を有することで被覆工具の耐久性が向上する。硬質皮膜に圧縮残留応力を付与するには、物理蒸着法であるアークイオンプレーティング法あるいはスパッタリング法で被覆することが好ましい。スパッタリング法を適用することで、アークイオンプレーティング法では不可避的に含まれる硬質皮膜中のドロップレットが少なくなり好ましい。
【0020】
<ドロップレット>
本実施形態に係る硬質皮膜は、断面観察において円相当径が1μm以上のドロップレットが100μm2当たり5個以下であることが好ましい。本明細書における「ドロップレット」は、アークイオンプレーティング法では、カソードから飛び出す1~数十μm程度の溶融粒子に起因する硬質皮膜上の付着物である。本明細書における「ドロップレット」は、スパッタリング法では、ターゲットから突発的に飛散する1~数十μm程度の金属粒子に起因する硬質皮膜上の付着物である。
【0021】
物理蒸着法で被覆する硬質皮膜では、ドロップレットが主な物理的な欠陥となりうる。とりわけ、円相当径が1μm以上の粗大なドロップレットは硬質皮膜の内部で破壊の起点となりうるため、その発生頻度を低減することで、硬質皮膜の靭性を高めることができる。本実施形態においては、硬質皮膜の断面観察において、円相当径が1μm以上のドロップレットが100μm2当たり5個以下であることが好ましい。より好ましくは、100μm2当たり3個以下である。更に好ましくは、100μm2当たり1個以下である。更には、円相当径が5μm以上のドロップレットを含有しないことが好ましい。
また、硬質皮膜の表面についても、円相当径が1μm以上のドロップレットが、100μm2当たり5個以下であることが好ましい。より好ましくは、硬質皮膜の表面のドロップレットは100μm2当たり3個以下である。更に好ましくは、硬質皮膜の表面のドロップレットは100μm2当たり1個以下である。
【0022】
硬質皮膜の断面観察においてドロップレットを評価するには、硬質皮膜を鏡面加工した後、収束イオンビーム法で加工し、透過型電子顕微鏡を用いて鏡面加工された面を5,000~10,000倍で複数の視野を観察する。また、硬質皮膜の表面のドロップレットの個数は、走査型電子顕微鏡(SEM)等を用いて硬質皮膜の表面を観察することで求めることができる。
【0023】
本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴン(Ar)を0.20原子%以下で含有することが好ましい。硬質皮膜の欠陥となるドロップレットは、スパッタリング法を適用することで発生頻度を低減させることができる。一方、スパッタリング法ではアルゴンイオンを用いてターゲット成分をスパッタリングするため、スパッタリング法で被覆した硬質皮膜はアルゴンを少なからず含有する。とりわけ、アルゴンは結晶粒界に濃化し易く、結晶粒径が微粒になるとアルゴンの含有比率が大きくなる傾向になる。但し、硬質皮膜中のアルゴンの含有比率が大きくなると、結晶粒界において粒子同士の結合力が低下する。本実施形態に係る硬質皮膜のように、Alの含有比率が大きい硬質皮膜においては、過多に含まれるアルゴンは欠陥となりうるため、その含有比率を一定以下にすることが有効である。具体的には、本実施形態に係る硬質皮膜は、金属元素と非金属元素の総量に対して、アルゴンを0.20原子%以下で含有することが好ましい。更には、アルゴンを0.10原子%以下とすることが好ましい。
なお、本実施形態に係る硬質皮膜は、アルゴン以外に他の希ガスを含有した混合ガスを用いてスパッタリングすれば、アルゴン以外の希ガスも含有しうる。
【0024】
スパッタリング法において、硬質皮膜に含まれるアルゴンの含有比率を限りなく0原子%に近づけようとすると、アルゴンの流量が小さくなり過ぎてスパッタリングが安定しない。また、仮にアルゴンの含有比率が0原子%に近づくとしても、靭性、耐熱性、耐摩耗性といった切削工具に適用する硬質皮膜としての基本的な特性が損なわれうる。本実施形態に係る硬質皮膜は、アルゴンの含有比率の下限は特段限定されないが、スパッタリング法を安定させて、被覆工具に適用する硬質皮膜としての基本的な皮膜特性を確保するために、アルゴンを0.03原子%以上で含有させることが好ましい。
【0025】
本実施形態に係る硬質皮膜の窒素およびアルゴンの含有比率は、上述した金属元素の含有比率の測定と同様に、鏡面加工した硬質皮膜について、電子プローブマイクロアナライザー装置(EPMA)を用いて測定することができる。上述した金属元素の含有比率の測定と同様に、鏡面加工後、直径が約1μmの分析範囲を5点分析した平均から求めることができる。
本実施形態に係る硬質皮膜は、非金属元素としては窒素以外に微量のアルゴン、酸素、炭素が含まれうる。
【0026】
<製造方法>
本実施形態に係る硬質皮膜の被覆では、3個以上のAlTi系合金ターゲットを用いて、ターゲットに順次電力を印加して、電力が印加されるターゲットが切り替わる際に、電力の印加が終了するターゲットと電力の印加を開始するターゲットの両方のターゲットに同時に電力が印加されている時間を設けるスパッタリング法を適用することが好ましい。このようなスパッタリング法はターゲットのイオン化率が高い状態が被覆中に維持されて、ミクロレベルで緻密な硬質皮膜が得られるとともに、不可避的に含有されるアルゴンや酸素が少ない傾向にある。そして、スパッタリング装置の炉内温度を200℃~400℃、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-200V~-70V、ArガスおよびN2ガスを導入して炉内圧力を0.1Pa~0.4Paとすることが好ましい。なお、炭窒化物を被覆する場合には、ターゲットに微量の炭素を添加するか、反応ガスの一部をメタンガス等の炭化水素系ガスに置換すればよい。
【0027】
電力パルスの最大電力密度は、1.0kW/cm2以上とすることが好ましい。但し、ターゲットに印加する電力密度が大きくなり過ぎると成膜が安定し難い。また、電力密度が大きくなり過ぎると、スパッタリング法であってもドロップレットの発生頻度が高くなる傾向にある。そのため、電力パルスの最大電力密度は、2.0kW/cm2以下とすることが好ましい。個々のターゲットに印加する電力パルスの時間は、200マイクロ秒以上とすることが好ましい。また、電力の印加が終了する合金ターゲットと電力の印加を開始する合金ターゲットの両方の合金ターゲットに同時に電力が印加されている時間は5マイクロ秒以上20マイクロ秒以下とすることが好ましい。
【実施例1】
【0028】
<基材>
基材として、組成がWC(bal.)-Co(8.0質量%)-VC(0.3質量%)-Cr3C2(0.5質量%)、硬度94.0HRA(ロックウェル硬さ、JIS G 0202に準じて測定した値)からなる超硬合金製の2枚刃ボールエンドミルを準備した。
【0029】
本実施例1、2及び比較例1、3は、スパッタ蒸発源を6機搭載できるスパッタリング装置を使用した。これらの蒸着源のうち、硬質皮膜を被覆するためにAlTi合金ターゲット(表1参照。本明細書において合金組成の数値は原子比である。以下同様。)3個を蒸着源として装置内に設置した。また、比較例1は、中間皮膜を被覆するためにAl60Ti40合金ターゲット3個を蒸着源として装置内に設置した。
基材である工具をスパッタリング装置内のサンプルホルダーに固定し、工具にバイアス電源を接続した。なお、バイアス電源は、ターゲットとは独立して工具に負のバイアス電圧を印加する構造となっている。工具は、毎分2回転で自転しかつ、固定治具とサンプルホルダーを介して公転する。工具とターゲット表面との間の距離は100mmとした。
導入ガスは、Ar、およびN2を用い、スパッタリング装置に設けられたガス供給ポートから導入した。
【0030】
<ボンバード処理>
まず工具に硬質皮膜を被覆する前に、以下の手順で工具にボンバード処理を行った。スパッタリング装置内のヒーターにより炉内温度が430℃になった状態で30分間の加熱を行った。その後、スパッタリング装置の炉内を真空排気し、炉内圧力を5.0×10-3Pa以下とした。そして、Arガスをスパッタリング装置の炉内に導入し、炉内圧力を0.8Paに調整した。そして、工具に-170Vの直流バイアス電圧を印加して、Arイオンによる工具のクリーニング(ボンバード処理)を20分以上実施した。
【0031】
<硬質皮膜の被覆>
本実施例1はボンバード処理後に硬質皮膜を基材の表面に被覆した。炉内温度を200℃にして、スパッタリング装置の炉内にArガス(0.2Pa)およびN2ガス(0.1Pa)を導入して炉内圧力を0.3Paにした。基材に直流バイアス電圧を印加して、ターゲットに印加する電力がオーバーラップする時間は10マイクロ秒とし、各ターゲットに印加される電力の1周期当りの放電時間を10ミリ秒とした。そして、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-100V、最大電力を1.5Kw/cm2として、3個のAl80Ti20合金ターゲットに連続的に電力を印加して、基材の表面に約3.0μmの硬質皮膜を被覆した。
本実施例2はボンバード処理後に硬質皮膜を基材の表面に被覆した。炉内温度を300℃にして、スパッタリング装置の炉内にArガス(0.1Pa)およびN2ガス(0.04Pa)を導入して炉内圧力を0.14Paにした。基材に直流バイアス電圧を印加して、ターゲットに印加する電力がオーバーラップする時間は10マイクロ秒とし、各ターゲットに印加される電力の1周期当りの放電時間を10ミリ秒とした。そして、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-100V、最大電力を1.5Kw/cm2として、3個のAl75Ti25合金ターゲットに連続的に電力を印加して、基材の表面に約3.0μmの硬質皮膜を被覆した。
比較例1はボンバード処理後に、膜厚が約0.2μmの窒化物からなる中間皮膜を設けたのちに、本実施例1と同じ条件で硬質皮膜を設けた。
比較例3はボンバード処理後に硬質皮膜を基材の表面に被覆した。炉内温度を200℃にして、スパッタリング装置の炉内にArガス(0.1Pa)およびN2ガス(0.07Pa)を導入して炉内圧力を0.17Paにした。基材に直流バイアス電圧を印加して、ターゲットに印加する電力がオーバーラップする時間は10マイクロ秒とし、各ターゲットに印加される電力の1周期当りの放電時間を10ミリ秒とした。そして、基材に印加する負圧のバイアス電圧を-80V、最大電力を1.5Kw/cm2として、3個のAl80Ti20合金ターゲットに連続的に電力を印加して、基材の表面に約3.0μmの硬質皮膜を被覆した。
【0032】
比較例2はアークイオンプレーティング装置を使用した。Al65Ti35合金ターゲットを蒸着源として装置内に設置した。まず、Arイオンによる工具のクリーニング(ボンバード処理)を実施した。次いで、アークイオンプレーティング装置の炉内圧力を5.0×10-3Pa以下に真空排気して、炉内温度を500℃とし、炉内圧力が3.2PaになるようにN2ガスを導入した。次いで、工具に-100Vの直流バイアス電圧を印加して、Al65Ti35合金ターゲットに150Aの電流を供給して、工具の表面に約3.0μmの硬質皮膜を被覆した。
【0033】
硬質皮膜の皮膜組成は、電子プローブマイクロアナライザー装置(株式会社日本電子製 JXA-8500F)に付属する波長分散型電子プローブ微小分析(WDS-EPMA)で測定した。物性評価用のボールエンドミルを鏡面加工して、加速電圧10kV、照射電流5×10-8A、取り込み時間10秒とし、分析領域が直径1μmの範囲を5点測定してその平均値から硬質皮膜の金属含有比率および金属成分と非金属成分の合計におけるArの含有比率を求めた。スパッタリング法で被覆した硬質皮膜は、Arを0.05~0.1原子%含有していることを確認した。
【0034】
X線強度分布の測定条件は以下の通りとした。なお、試料面法線が入射線と回折線で決まる平面上にあるとき、α角を90°とする。α角が90°のとき、正極点図上では中心の点となる。
菅球:CuKα線
出力:45kV、200mA
ビーム:平行法
光学系:インプレーン
検出器:D/teX Ultra250
ソーラースリット開き角度:0.5deg
入射スリット幅:1.0mm
受光スリット幅:1.0mm
走査方法:同心円
β走査範囲:0°~360°/3.0°ステップ
2θ固定角度:(111)面の回折角度は36.0°~39.0°までの間で回折強度が最も高くなる角度とする。(200)面の回折角度は42.0°~45.0°までの間で回折強度が最も高くなる角度とする。
α走査範囲:0~90°/3.0°ステップ
【0035】
【0036】
図1に本実施例1の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図3に本実施例2の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図5に比較例1の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図7に比較例2の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図9に比較例3の(111)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図1、3から本実施例1、2の(111)面はα角90°に最大ピーク強度を有し、α角0°~70°の範囲は強度が低く、α角80°~90°の狭い範囲に強く配向していることが分かる。
図5、7、9から比較例1~3は本実施例1、2と配向性が異なることが確認される。本実施例1と比較例1は硬質皮膜の成膜条件は同じだが、比較例1は中間皮膜の上に硬質皮膜を設けたことで、中間皮膜の表面状態の影響を受けて、本実施例1と結晶の配向性が変化したと推定される。hcp構造のAlNが増加し易いAlリッチ皮膜であるため、硬質皮膜の下の基材や中間皮膜の表面状態が結晶構造の配向性に大きく影響していると推定される。
表1に図から読み取ったピーク強度値を示す。本実施例1の(111)面は、α角90°で最大強度Ia(3562)を示し、α角0°~70°の範囲の最大強度は330であった。本実施例1の(111)面は、α角0°~70°の範囲の強度は最大強度Iaの9%であり、(111)面がα角80°~90°に強く配向していることが確認された。すなわち、本実施例1の(111)面は、α角0°~70°の範囲の強度が、最大強度Iaの30%以下、かつ20%以下であった。
本実施例2の(111)面は、α角90°で最大強度Ia(859)を示し、α角0°~70°の範囲の最大強度は233であった。本実施例2の(111)面は、α角0°~70°の範囲の強度は最大強度Iaの27%であり、(111)面がα角80°~90°に強く配向していることが確認された。すなわち、本実施例2の(111)面は、α角0°~70°の範囲の強度が、最大強度Iaの30%以下であった。
【0037】
図2に本実施例1の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図4に本実施例2の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図6に比較例1の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図8に比較例2の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図10に比較例3の(200)面に関する正極点図のα軸のX線強度分布を示す。
図2、4から本実施例1、2の(200)面はα角20°~50°にピーク強度があった。
【0038】
図11に本実施例1のAlTiNにおけるXRDの測定結果の一例を示す。本実施例1のAlTiNは面心立方格子構造の(111)のピーク強度が最大強度を示すことが確認された。また、本実施例1、2のAlTiNは、XRDではhcp構造のAlNのピーク強度は確認されなかった。
【0039】
(条件)乾式加工
工具:2枚刃超硬ボールエンドミル
型番:EPDBE2010-6、ボール半径0.5mm
切削方法:底面切削
被削材:STAVAX(52HRC)(ボーラー・ウッデホルム株式会社製)
切り込み:軸方向、0.03mm、径方向、0.03mm
切削速度:67.8m/min
一刃送り量:0.0135mm/刃
切削距離:15m
評価方法:切削加工後、走査型電子顕微鏡を用いて倍率1000倍で観察し、工具と被削材が擦過した幅を測定し、そのうちの擦過幅が最も大きかった部分を最大摩耗幅とした。
【0040】
【0041】
本実施例1、2は逃げ面最大摩耗幅が小さく耐久性に優れることが確認された。本発明例1、2の硬質皮膜は、面心立方格子構造の(111)面がα角80°~90°に強く配向しており、これにより被覆工具の耐久性が向上したと推定される。