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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-07-23
(45)【発行日】2024-07-31
(54)【発明の名称】下部尿路機能障害の治療
(51)【国際特許分類】
   A61K 35/28 20150101AFI20240724BHJP
   A61P 13/10 20060101ALI20240724BHJP
   A61P 13/02 20060101ALI20240724BHJP
【FI】
A61K35/28
A61P13/10
A61P13/02
【請求項の数】 5
(21)【出願番号】P 2020010461
(22)【出願日】2020-01-27
(65)【公開番号】P2021116257
(43)【公開日】2021-08-10
【審査請求日】2023-01-11
(73)【特許権者】
【識別番号】505210115
【氏名又は名称】国立大学法人旭川医科大学
(73)【特許権者】
【識別番号】506218664
【氏名又は名称】公立大学法人名古屋市立大学
(73)【特許権者】
【識別番号】504139662
【氏名又は名称】国立大学法人東海国立大学機構
(74)【代理人】
【識別番号】100202120
【弁理士】
【氏名又は名称】丸山 修
(72)【発明者】
【氏名】松本 成史
(72)【発明者】
【氏名】堀田 祐志
(72)【発明者】
【氏名】木村 和哲
(72)【発明者】
【氏名】山本 徳則
【審査官】佐々木 大輔
(56)【参考文献】
【文献】中国特許出願公開第107669703(CN,A)
【文献】国際公開第2019/163798(WO,A1)
【文献】Am. J. Physiol. Renal Physiol.,2015年,Vol.308,pp.F92-F100
【文献】Stem Cell Research & Therapy,2018年,Vol.9, Article No.159,pp.1-10
【文献】Molecular Therapy: Nucleic Acids,2019年,Vol.18,pp.787-800
【文献】Journal of Experimental & Clinical Cancer Research,2019年,Vol.38, Article No.495,pp.1-16
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K 35/00-35/768
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
脂肪組織由来幹細胞又は骨髄由来幹細胞の破砕液をフィルター処理して得られた濾液を含有する、間質性膀胱炎又は溢流性尿失禁を治療するための、下部尿路機能障害治療剤。
【請求項2】
前記フィルター処理の前に前記破砕液を遠心処理し、得られた上清が前記フィルター処理に供される、請求項1に記載の下部尿路機能障害治療剤。
【請求項3】
凍結融解処理又は超音波処理によって前記破砕液が得られる、請求項1又は2に記載の下部尿路機能障害治療剤。
【請求項4】
以下のステップ(1)~(3)を含む、間質性膀胱炎又は溢流性尿失禁を治療するための、下部尿路機能障害治療剤の製造方法:
(1)脂肪組織由来幹細胞又は骨髄由来幹細胞を破砕するステップ、
(2)ステップ(1)で得られた破砕液、又は該破砕液を遠心処理して得られた上清をフィルター処理し、濾液を得るステップ、及び
(3)ステップ(2)で得られた濾液を製剤化するステップ。
【請求項5】
ステップ(1)を凍結融解処理又は超音波処理で行う、請求項に記載の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は下部尿路機能障害の治療剤及びその用途に関する。
【背景技術】
【0002】
下部尿路機能障害は、頻尿、尿意切迫感、尿失禁、排尿困難、残尿感、尿閉、膀胱痛等の症状を呈し、患者のQOL(生活の質)を低下させる。大腸がん、前立腺がん、膀胱がんの根治的骨盤内手術後の合併症としても下部尿路機能障害が生じる(非特許文献1を参照)。下部尿路機能障害に対する治療薬や治療法は存在するもの、無効若しくは効果が不十分な症例も多い。また、慢性的な尿閉状態を示す溢流性尿失禁の治療では一般に間欠導尿が行われるが、患者への負担(苦痛度)は大きい。一方、下部尿路機能障害の一つである間質性膀胱炎(IC)は、膀胱痛、尿意切迫感、頻尿といった症状を伴い難病指定されているが、未だ有効な治療法は見つかっていない(非特許文献2を参照)。幹細胞移植による間質性膀胱炎の治療が試みられており、ICモデルラットに対して脂肪由来幹細胞自体を尾静脈注射、膀胱組織に直接注射、経尿道的に投与すると排尿間隔が改善することが報告された(非特許文献3を参照)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0003】
【文献】Chian-Shiung Lin, et al. urol sci. Volume 29, Issue 5, Page 237-242, 2018
【文献】Heesakkers J ,et al. Eur Urol. 2017 71(6);936-944
【文献】Chung JW, et al. ProS One. 14(22)e0226390.2019.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
既存の治療法に加え、幹細胞を用いた治療法も試みられているが、有効性の高い新たな治療法に対するニーズは依然として大きい。幹細胞を用いた治療法は治療効果の点では有望であるものの、移植物が細胞であるため、保存・管理が困難であることや副作用(例えば細胞のがん化のリスク)等が懸念される。このような状況に鑑み本発明は、下部尿路機能障害に対する新規な治療戦略を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
上記課題を解決すべく本発明者らは、成体幹細胞(組織幹細胞、体性幹細胞とも呼ばれる)に着眼し、その有効性を詳細に検討した。その結果、下部尿路機能障害のモデル動物(間質性膀胱炎モデル及び溢流性失禁モデル)において、脂肪組織由来幹細胞(Adipose-derived stem cells: ADSC, ASC、Adipose-derived regeneration cells: ADRC、Adipose-derived mesenchymal stem cells: AT-MSC, AD-MSCなどと呼ばれる)又は骨髄由来幹細胞(Bone marrow-derived mesenchymal stem cell: BM-MSC、bone marrow-derived stem cell: BMSCなどと呼ばれる)の破砕液をフィルター処理して得られた「濾液」が優れた治療効果を示した。この成果は、ADSC又はBM-MSCから調製した濾液(細胞破砕液をフィルター処理したもの)が下部尿路機能障害治療剤として有効であることに加え、その適用範囲が広いこと、即ち汎用性の高さを示す。また、細胞自体ではなく、細胞破砕液から調製される濾液が薬効を示したことは、使用するタイミングを見計らって細胞培養を開始する必要がなく、その調製や取扱いが容易であることや、事前に材料(即ちADSC又はBM-MSC)を準備しておけるため使用時の調製時間が短くて済むこと、更には副作用の懸念の少ない施術が可能になる等、臨床上の利点を考えれば、その意義は極めて大きい。尚、本発明者らが用いた濾液は、細胞(ADSC又はBM-MSC)を破砕した後に遠心処理し、得られた上清をフィルターで濾過することで得られるものであり、特にフィルター処理によって細胞片や他の夾雑物がより確実に除去されている点が特徴の一つである。
【0006】
以上の成果及び考察に基づき、以下の発明が提供される。
[1]脂肪組織由来幹細胞又は骨髄由来幹細胞の破砕液をフィルター処理して得られた濾液を含有する、間質性膀胱炎又は溢流性尿失禁を治療するための、下部尿路機能障害治療剤。
[2]前記フィルター処理の前に前記破砕液を遠心処理し、得られた上清が前記フィルター処理に供される、[1]に記載の下部尿路機能障害治療剤。
[3]凍結融解処理又は超音波処理によって前記破砕液が得られる、[1]又は[2]に記載の下部尿路機能障害治療剤。
[4]以下のステップ(1)~(3)を含む、間質性膀胱炎又は溢流性尿失禁を治療するための、下部尿路機能障害治療剤の製造方法:
(1)脂肪組織由来幹細胞又は骨髄由来幹細胞を破砕するステップ、
(2)ステップ(1)で得られた破砕液、又は該破砕液を遠心処理して得られた上清をフィルター処理し、濾液を得るステップ、及び
(3)ステップ(2)で得られた濾液を製剤化するステップ。
[5]ステップ(1)を凍結融解処理又は超音波処理で行う、[]に記載の製造方法。
【図面の簡単な説明】
【0007】
図1】間質性膀胱炎モデルに対する幹細胞濾液の効果。膀胱内圧測定のチャートを示す。Sham+vehicle群(生理食塩水注入処理の翌日にPBS注入)、HCl+vehicle群(HCl注入処理の翌日にPBS注入)及びHCl+FLADSC群(HCl注入処理の翌日にADSC濾液注入)の間で比較した。図は生理食塩水もしくはHCl処置後7日目の膀胱内圧曲線を示す。
図2】間質性膀胱炎モデルに対する幹細胞濾液の効果。排尿間隔(左)と最大膀胱内圧(右)をSham+vehicle群、HCl+vehicle群及びHCl+FLADSC群の間で比較した。n=9~12。統計処理はANOVA and Bonferroni multiple t-testによる。** p<0.01
図3】間質性膀胱炎モデルに対する幹細胞濾液の効果。膀胱重量/体重比をSham+vehicle群、HCl+vehicle群及びHCl+FLADSC群の間で比較した。n=9~12。統計処理はANOVA and Bonferroni multiple t-testによる。
図4】溢流性尿失禁モデルに対する幹細胞濾液の効果。膀胱内圧測定のチャートを示す。Sham+vehicle群(Sham手術後にPBS投与)、HGNI+vehicle群(下腹神経障害後にPBS注入)及びHGNI+FLBM-MSC群(下腹神経障害後にBM-MSC濾液注入)の間で比較した。
図5】溢流性尿失禁モデルに対する幹細胞濾液の効果。排尿間隔(左)と最大膀胱内圧(右)をSham+vehicle群、HGNI+vehicle群及びHGNI+FLBM-MSC群の間で比較した。n=3~7。統計処理はANOVA and Bonferroni multiple t-testによる。** p<0.01, * p<0.05
図6】溢流性尿失禁モデルに対する幹細胞濾液の効果。膀胱重量/体重比をSham+vehicle群、HGNI+vehicle群及びHGNI+FLBM-MSC群の間で比較した。n=7~10。統計処理はANOVA and Bonferroni multiple t-testによる。** p<0.01
【発明を実施するための形態】
【0008】
本発明は下部尿路機能障害治療剤(以下、「本発明の治療剤」とも呼ぶ)に関する。本発明の治療剤は下部尿路機能障害の治療又は予防に用いられる。「治療剤」とは、標的疾患(下部尿路機能障害)に対する治療的又は予防的効果を示す医薬のことをいう。治療的効果には、標的疾患に特徴的な症状(病態)又は随伴症状を緩和すること(軽症化)、症状の悪化を阻止ないし遅延すること等が含まれる。後者については、重症化を予防するという点において予防的効果の一つと捉えることができる。このように、治療的効果と予防的効果は一部において重複する概念であり、明確に区別して捉えることは困難であり、またそうすることの実益は少ない。予防的効果の典型的なものは、標的疾患に特徴的な症状の再発を阻止ないし遅延することである。尚、標的疾患に対して何らかの治療的効果又は予防的効果、或いはこの両者を示す限り、標的疾患に対する治療剤に該当する。
【0009】
下部尿路機能障害は、膀胱又は尿路が障害され、蓄尿機能又は排尿機能が低下ないし損なわれるものであり、頻尿、尿意切迫感、尿失禁、排尿困難、残尿感、尿閉、膀胱痛等の症状を呈する。例えば、間質性膀胱炎、高血圧、糖尿病、腎障害、動脈硬化、脊髄損傷、手術後などの疾患または炎症、虚血、神経障害などの病態に伴い、下部尿路機能障害が生じる。また、下部尿路機能障害は、溢流性尿失禁、低活動膀胱、過活動膀胱、神経因性膀胱、腹圧性尿失禁、前立腺肥大症等を引き起こす。従って、本発明の治療薬は以上のごとき疾患群(間質性膀胱炎、低活動膀胱、過活動膀胱、神経因性膀胱、溢流性尿失禁、腹圧性尿失禁、又は前立腺肥大症等)の治療に利用され得る。但し、下部尿路機能障害の原因は特に限定されるものではない。下部尿路機能障害の原因を例示すると、前立腺疾患、高血圧、骨盤臓器脱、糖尿病、腎障害、動脈硬化、脊椎疾患、骨盤内手術、虚血、神経障害である。
【0010】
本発明の治療剤では、脂肪組織由来幹細胞(ADSC)又は骨髄由来幹細胞(BM-MSC)の破砕液をフィルター処理して得られた濾液(換言すれば、ADSC又はBM-MSCの細胞破砕液をフィルターろ過することで得られる抽出液)が用いられ、それに含まれる成分が特有の作用効果、即ち下部尿路機能の改善をもたらす。
【0011】
典型的には、本発明の治療剤は、脂肪組織由来幹細胞(ADSC)又は骨髄由来幹細胞(BM-MSC)を破砕処理して得られた破砕液をフィルター処理して得られた濾液を含有する。但し、フィルター処理の前に破砕液を遠心処理し、不溶成分を除去することにしてもよい。即ち、細胞破砕液から遠心処理によって得られた上清をフィルター処理したもの(濾液)を用いることにしてもよい。遠心処理の条件を例示すると、200~300gで5分~10分である。
【0012】
例えば、1×106個/ml~1×107個/mlの濃度で用意した細胞懸濁液を破砕処理に使用する。ADSC又はBM-MSCの破砕液を得るためには、ADSC又はBM-MSCを破砕処理、例えば凍結融解処理(凍結の後、融解する処理)、超音波処理、フレンチプレスやホモジナイザーによる処理等に供すればよい。非物理的な処理によって細胞を破砕することにしてもよい。また、破砕処理に供する細胞として、生細胞に限らず、死細胞や障害を受けた細胞を用いることにしてもよい。各種破砕処理の中でも凍結融解処理は簡便であり、また、器械と細胞の接触による汚染を回避でき、衛生的である点から特に好ましい。凍結融解処理を複数回(例えば2回~5回)繰り返すことにしてもよい。凍結融解処理における凍結の条件は特に限定されないが、例えば、-20℃~-196℃で凍結すればよい。融解の条件も特に限定されない。例えば、湯煎(例えば35℃~40℃)での融解、室温での融解等を採用することができる。
【0013】
一方、超音波処理の条件の例を挙げると、200W~300Wの出力で30分間の処理(10秒間の破砕と20秒間の休止を繰り返す)である。
【0014】
フィルター処理によって不要成分が除去される。また、適切な孔径のフィルターを使用すれば、不要成分の除去と滅菌処理を同時に行うことができる。フィルター処理に使用するフィルターの材質、孔径などは特に限定されない。但し、好ましい材質としてセルロースアセテートを例示することができる。金属製のフィルターを使用することにしてもよい。孔径の例は0.2μm~0.45μmである。
【0015】
本発明の治療剤に、製剤上許容される他の成分、例えば、担体、賦形剤、崩壊剤、緩衝剤、乳化剤、懸濁剤、無痛化剤、安定剤、保存剤、防腐剤、生理食塩水などを含有させてもよい。
【0016】
本発明の治療剤に用いられるADSC又はBM-MSCの由来、即ち生物種は限定されないが、免疫拒絶の問題等を考慮すれば、ヒトの細胞を用いることが好ましい。
【0017】
以上の説明からも明らかな通り、本発明の治療剤は、以下のステップ(1)~(3)によって製造することができる。
(1)脂肪組織由来幹細胞又は骨髄由来幹細胞を破砕するステップ
(2)ステップ(1)で得られた破砕液、又は該破砕液を遠心処理して得られた上清をフィルター処理し、濾液を得るステップ
(3)ステップ(2)で得られた濾液を製剤化するステップ
【0018】
ステップ(1)に使用する細胞(ADSC又はBM-MSC)の調製は常法に従えばよい。ADSC及びBM-MSCは各種用途に広く用いられており、当業者であれば文献や成書を参考にして容易に調製することができる。公的な細胞バンクから分譲された細胞や市販の細胞などを用いることにしてもよい。以下、細胞の調製方法の例として、ADSCの調製法(一例)を説明する。
【0019】
<ADSCの調製法>
本発明において「脂肪組織由来幹細胞(ADSC)」とは、脂肪組織に含まれる体性幹細胞のことをいうが、多能性を維持している限りにおいて、当該体性幹細胞の培養(継代培養を含む)により得られる細胞も「脂肪組織由来幹細胞(ADSC)」に該当するものとする。通常、ADSCは、生体から分離された脂肪組織を出発材料とし、細胞集団(脂肪組織に由来する、ADSC以外の細胞を含む)を構成する細胞として「単離された状態」に調製される。ここでの「単離された状態」とは、その本来の環境(即ち生体の一部を構成した状態)から取り出された状態、即ち人為的操作によって本来の存在状態と異なる状態で存在していることを意味する。尚、ADSCはASC(Adipose-derived stem cells)、AT-MSC(Adipose-derived mesenchymal stem cells)、AD-MSC(Adipose-derived mesenchymal stem cells)等とも呼ばれる。本明細書では以下の用語、即ち、脂肪組織由来幹細胞、ADSC、ASC、ADRC、AT-MSC、AD-MSC、を相互に置換可能に使用する。
【0020】
ADSCは、脂肪基質からの幹細胞の分離、洗浄、濃縮、培養等の工程を経て調製される。ADSCの調製法は特に限定されない。例えば公知の方法(Fraser JK et al. (2006), Fat tissue: an underappreciated source of stem cells for biotechnology. Trends in Biotechnology; Apr;24(4):150-4. Epub 2006 Feb 20. Review.; Zuk PA et al. (2002), Human adipose tissue is a source of multipotent stem cells. Molecular Biology of the Cell; Dec;13(12):4279-95.; Zuk PA et al. (2001), Multilineage cells from human adipose tissue: implications for cell-based therapies. Tissue Engineering; Apr;7(2):211-28.等が参考になる)に従ってADSCを調製することができる。また、脂肪組織からADSCを調製するための装置(例えば、Celution(登録商標)装置(サイトリ・セラピューティクス社、米国、サンディエゴ))も市販されており、当該装置を利用してADSCを調製することにしてもよい。当該装置を利用すると、脂肪組織より、ADSCを含む細胞集団を分離できる(K. Lin. et al. Cytotherapy(2008) Vol. 10, No. 4, 417-426)。以下、ADSCの調製法の具体例を示す。
【0021】
(1)脂肪組織からの細胞集団の調製
脂肪組織は動物から切除、吸引などの手段で採取される。ここでの用語「動物」はヒト、及びヒト以外の哺乳動物(ペット動物、家畜、実験動物を含む。具体的には例えばサル、ブタ、ウシ、ウマ、ヤギ、ヒツジ、イヌ、ネコ、マウス、ラット、モルモット、ハムスター等)を含む。免疫拒絶の問題を回避するため、本発明の治療剤を適用する患者(レシピエント)から脂肪組織(自己脂肪組織)を採取することが好ましい。但し、同種の動物の脂肪組織(他家)又は異種動物の脂肪組織の使用を妨げるものではない。
【0022】
脂肪組織として皮下脂肪、内臓脂肪、筋肉内脂肪、筋肉間脂肪を例示できる。この中でも皮下脂肪は局所麻酔下で非常に簡単に採取できるため、採取の際のドナーへの負担が少なく、好ましい細胞源といえる。通常は一種類の脂肪組織を用いるが、二種類以上の脂肪組織を併用することも可能である。また、複数回に分けて採取した脂肪組織(同種の脂肪組織でなくてもよい)を混合し、以降の操作に使用してもよい。脂肪組織の採取量は、ドナーの種類や組織の種類、或いは必要とされるADSCの量を考慮して定めることができ、例えば0.5~500g程度である。但し、ドナーへの負担を考慮して一度に採取する量を約10~20g以下にすることが好ましい。採取した脂肪組織は、必要に応じてそれに付着した血液成分の除去及び細片化を経た後、以下の酵素処理に供される。尚、脂肪組織を適当な緩衝液や培養液中で洗浄することによって血液成分を除去することができる。
【0023】
酵素処理は、脂肪組織をコラゲナーゼ、トリプシン、ディスパーゼ等の酵素によって消化することにより行う。このような酵素処理は当業者に既知の手法及び条件により実施すればよい(例えば、R.I. Freshney, Culture of Animal Cells: A Manual of Basic Technique, 4th Edition, A John Wiley & Sones Inc., Publication参照)。以上の酵素処理によって得られた細胞集団は、多能性幹細胞、内皮細胞、間質細胞、血球系細胞、及び/又はこれらの前駆細胞等を含む。細胞集団を構成する細胞の種類や比率などは、使用した脂肪組織の由来や種類に依存する。
【0024】
(2)沈降細胞集団(SVF画分:stromal vascular fractions)の取得
細胞集団は続いて遠心処理に供される。遠心処理による沈渣を沈降細胞集団(本明細書では「SVF画分」ともいう)として回収する。遠心処理の条件は、細胞の種類や量によって異なるが、例えば1~10分間、800~1500rpmである。尚、遠心処理に先立ち、酵素処理後の細胞集団をろ過等に供し、その中に含まれる酵素未消化組織等を除去しておくことが好ましい。
【0025】
ここで得られた「SVF画分」はADSCを含む。尚、SVF画分を構成する細胞の種類や比率などは、使用した脂肪組織の由来や種類、酵素処理の条件などに依存する。また、国際公開第2006/006692A1号パンフレットにはSVF画分の特徴が示されている。
【0026】
(3)接着性細胞(ADSC)の選択培養及び細胞の回収
SVF画分にはADSCの他、他の細胞成分(内皮細胞、間質細胞、血球系細胞、これらの前駆細胞等)が含まれる。そこで本発明の一態様では以下の選択培養を行い、SVF画分から不要な細胞成分を除去する。そして、その結果得られた細胞をADSCとして本発明に用いる。
【0027】
まず、SVF画分を適当な培地に懸濁した後、培養皿に播種し、一晩培養する。培地交換によって浮遊細胞(非接着性細胞)を除去する。その後、適宜培地交換(例えば2~4日に一度)をしながら培養を継続する。必要に応じて継代培養を行う。継代数は特に限定されないが、多能性と増殖能力の維持の観点からは過度に継代を繰り返すことは好ましくない(5継代程度までに留めておくことが好ましい)。尚、培養用の培地には、通常の動物細胞培養用の培地を使用することができる。例えば、Dulbecco's modified Eagle's Medium(DMEM)(日水製薬株式会社等)、α-MEM(大日本製薬株式会社等)、DMEM:Ham's F12混合培地(1:1)(大日本製薬株式会社等)、Ham's F12 medium(大日本製薬株式会社等)、MCDB201培地(機能性ペプチド研究所)等を使用することができる。血清(ウシ胎仔血清、ヒト血清、羊血清など)又は血清代替物(Knockout serum replacement(KSR)など)を添加した培地を使用することにしてもよい。血清又は血清代替物の添加量は例えば5%(v/v)~30%(v/v)の範囲内で設定可能である。
【0028】
以上の操作によって接着性細胞が選択的に生存・増殖する。続いて、増殖した細胞を回収する。回収操作は常法に従えばよく、例えば酵素処理(トリプシンやディスパーゼ処理)後の細胞をセルスクレイパーやピペットなどで剥離することによって容易に回収することができる。また、市販の温度感受性培養皿などを用いてシート培養した場合は、酵素処理をせずにそのままシート状に細胞を回収することも可能である。このようにして回収した細胞(ADSC)を用いることにより、ADSCを高純度で含有する細胞集団を調製することができる。
【0029】
(4)低血清培養(低血清培地での選択的培養)及び細胞の回収
本発明の一態様では、上記(3)の操作の代わりに又は上記(3)の操作の後に以下の低血清培養を行う。そして、その結果得られた細胞をADSCとして本発明に用いる。
【0030】
低血清培養では、SVF画分((3)の後にこの工程を実施する場合には(3)で回収した細胞を用いる)を低血清条件下で培養し、目的の多能性幹細胞(即ちADSC)を選択的に増殖させる。低血清培養法では用いる血清が少量で済むことから、本発明の方法で得られた治療剤を適用する対象(患者)自身の血清を使用することが可能となる。即ち、自己血清を用いた培養が可能となる。ここでの「低血清条件下」とは5%以下の血清を培地中に含む条件である。好ましくは2%(V/V)以下の血清を含む培養液中で細胞培養する。更に好ましくは、2%(V/V)以下の血清と1~100ng/mlの線維芽細胞増殖因子-2(bFGF)を含有する培養液中で細胞培養する。
【0031】
血清はウシ胎仔血清に限られるものではなく、ヒト血清や羊血清等を用いることができる。本発明の方法で得られた治療剤をヒトの治療に使用する場合には、好ましくはヒト血清、更に好ましくは治療対象の血清(即ち自己血清)を用いる。
【0032】
培地は、使用の際に含有する血清量が低いことを条件として、通常の動物細胞培養用の培地を使用することができる。例えば、Dulbecco's modified Eagle's Medium(DMEM)(日水製薬株式会社等)、α-MEM(大日本製薬株式会社等)、DMEM:Ham's F12混合培地(1:1)(大日本製薬株式会社等)、Ham's F12 medium(大日本製薬株式会社等)、MCDB201培地(機能性ペプチド研究所)等を使用することができる。
【0033】
以上の方法で培養することによって、多能性幹細胞(ADSC)を選択的に増殖させることができる。また、上記の培養条件で増殖する多能性幹細胞(ADSC)は高い増殖活性を持つので、継代培養によって、本発明に必要とされる数の細胞を容易に調製することができる。尚、国際公開第2006/006692A1号パンフレットには、SVF画分を低血清培養することによって選択的に増殖する細胞の特徴が示されている。
【0034】
続いて、上記の低血清培養によって選択的に増殖した細胞を回収する。回収操作は上記(3)の場合と同様に行えばよい。回収した細胞(ADSC)を用いることにより、ADSCを高純度で含有する細胞集団を得ることができる。
【0035】
以上の方法では、SVF画分を低血清培養して増殖した細胞が利用に供されることになるが、脂肪組織から得た細胞集団を直接(SVF画分を得るための遠心処理を介することなく)低血清培養することによって増殖した細胞をADSCとして用いることにしてもよい。即ち本発明の一態様では、脂肪組織から得た細胞集団を低血清培養したときに増殖した細胞をADSCとして用いる。また、選択的培養(上記(3)及び(4))によって得られる多能性幹細胞ではなく、SVF画分(脂肪組織由来間葉系幹細胞を含有する)をそのまま用いることにしてもよい。尚、ここでの「そのまま用いて」とは、選択的培養を経ることなく本発明に用いること、を意味する。
【0036】
<適用疾患・投与方法>
本発明の治療剤は下部尿路機能障害の治療・予防に用いられる。従って、通常、下部尿路機能障害の患者に対して本発明の治療剤が投与されることになる。但し、その効果を確認・検証することなどの実験ないし研究目的で本発明の治療剤を使用することもできる。
【0037】
本発明の治療剤は好ましくは患部への局所注入により投与される。注入部位は、典型的には、膀胱内、静脈内、又は膀胱組織内である。二以上の注入部位に同時又は時間間隔をおいて投与することにしてもよい。
【0038】
本発明の治療剤の投与量(注入量)の例を示すと、膀胱局所への投与であれば例えば0.5ml~10ml(好ましくは1ml~5ml)程度を投与するとよい。また、膀胱内注入であれば50mL~100mL程度で充満させる等、投与経路に応じて投与量を決定すればよい。1回の注射で全量を投与するのではなく、注入箇所をずらし、複数回に分けて投与するとよい。
【0039】
投与スケジュールは、対象(患者)の性別、年齢、体重、病態などを考慮して作成すればよい。単回投与の他、連続的又は定期的に複数回投与することにしてもよい。複数回投与する際の投与間隔は特に限定されず、例えば1日~1月である。また、投与回数も特に限定されない。投与回数の例は2回~10回である。
【0040】
本発明の治療剤の適用にあたって、既存の薬剤を併用投与することにしてもよい。即ち、本発明の治療剤に既存の薬剤を併用することにしてもよい。このような併用によれば、治療効果の増大を望める。
【実施例
【0041】
1.幹細胞濾液の調製
(1)ADSC濾液の調製
皮下脂肪から常法でラットADSCを調製し、濃度調整後(1×106個/ml PBS)、-30℃で1晩以上保存した(直ぐに使用しない場合は-80℃で保存する)。細胞液を38℃の湯煎又は室温で融解した。このようにして細胞を破砕後、遠心分離(1200rpm、5分)し、上清を回収した。次に、上清をセルロースアセテート膜のフィルター(ポアサイズ0.2μm)で濾過し、ADSC濾液(FLADSC)とした。
【0042】
(2)BM-MSC濾液の調製
常法で調製し、凍結保存しておいたラット骨髄由来幹細胞(BM-MSC)を38℃の湯煎又は室温で融解した後、遠心処理(1200rpm、5分)した。上清をセルロースアセテート膜のフィルター(ポアサイズ0.2μm)で濾過し、BM-MSC濾液(FLBM-MSC)とした。
【0043】
2.幹細胞由来非細胞性製剤(Filtrated Stem Cell Lysate; FSCL)投与による治療効果
2-1.間質性膀胱炎モデルへの効果
(1)方法
ラットを、Sham+vehicle群(n=10)、HCl+vehicle群(n=12)、HCl+FLADSC群(n=9)の3群に分けた。0日目(Day 0)にSham+vehicle群には生理食塩水を、残りの2群にはHCl (1M)を経尿道的に膀胱内に注入した。生理食塩水もしくはHClは膀胱内に1分間留め、その後生理食塩水で2回洗浄した。翌日、vehicle群にはPBSを、FLADSC群にはADSC濾液を、経尿道的に膀胱内注入し、1時間保持した。7日目(Day 7)に膀胱内圧測定を行い、排尿間隔、排尿時最大膀胱内圧を測定した。
【0044】
(2)結果
HCl+vehicle群ではSham+vehicle群に比べ排尿間隔の短縮が見られた(図1図2左)。HCl+FLADSC群ではHCl+vehicle群に比べ排尿間隔の延長が見られ、頻尿症状が改善した(図2左)。排尿時最大膀胱内圧は各群の間で有意差を認めなかった(図2右)。膀胱重量は各群の間で有意差を認めなかった(図3)。
【0045】
(3)考察
ADSC濾液は間質性膀胱炎の頻尿の症状を改善した。HCl誘発性の間質性膀胱炎モデルでは、膀胱上皮での炎症性サイトカインの増加、膀胱組織の線維化が起こることが示されている(Phil Hyun Song , et al. Int Neurourol J. 2017 Sep; 21(3): 163-170.)。このことから、ADSC濾液は抗炎症性作用によって効果を示したと予想される。また、HCl誘発性の間質性膀胱炎モデルでは膀胱上皮層への障害も生じることから、膀胱上皮の組織修復による効果の可能性も予想される。
【0046】
2-2.FSCL投与による溢流性尿失禁モデルへの効果
(1)方法
ラットを、sham+vehicle群(n=7)、下副神経障害(HGNI)+vehicle群(n=10)、HGNI+骨髄幹細胞濾液(FLBM-MSC)群(n=10)の3群に分けた。Sham手術もしくはHGNI後すぐに、vehicleもしくはFLBM-MSCを尾静脈から投与した。1週間後に膀胱機能を膀胱内圧測定で評価した。
【0047】
(2)結果
HGNI+vehicle群では溢流性尿失禁が観察された。排尿ピークは10匹中3匹にみられ、7匹はピークは観察されずに常に尿失禁状態だった(図4)。排尿ピークの観察された3匹の排尿間隔はSham群のラットの排尿間隔に比べて著明な延長が見られた(図5左)。一方、HGNI+FLBM-MSC群では、排尿ピークは10匹中7匹で見られ、3匹はピークが観察されなかった(図4)。排尿ピークが観察された7匹の排尿間隔はHGNI+vehicle群の3匹より有意に短縮され、改善が見られた(図5左)。最大膀胱内圧、ベースラインは各群の間で有意差を認めなかった(図5右)。膀胱重量/体重比は、sham+vehicle群に比べHGNI+vehicle群で著明な増加が認められたが、HGNI+FLBM-MSC群では増加が抑制された(図6)。
【0048】
(3)考察
BM-MSC濾液の投与により、溢流性尿失禁の症状を呈する個体割合が減少した。排尿パターンが観察された個体での評価により、BM-MSC濾液の投与は膀胱重量と排尿間隔を改善した。このように、BM-MSC濾液が溢流性尿失禁に有効であることが示唆された。
【0049】
3.まとめ
以上の通り、幹細胞濾液が下部尿路機能の予防薬又は治療薬として極めて有用であることが実証された。幹細胞自体ではなく、非細胞製剤である幹細胞濾液を用いることは、既報の幹細胞治療に比べ格段に高い安全性の治療を可能にする。特に、幹細胞濾液を局所投与(例えば膀胱内や膀胱組織内への注入)することにすれば、全身性の副作用のおそれは大幅に軽減される。
【産業上の利用可能性】
【0050】
本発明の治療剤は下部尿路機能障害の治療・予防のために使用される。本発明の治療薬は特定の幹細胞の濾液(細胞破砕液をフィルター処理して得られたもの)を有効成分とし、特有の作用機序によって薬効を示す。従って、従来の治療法では効果が見られなかった患者に対しても治療効果を発揮することを期待できる。
【0051】
この発明は、上記発明の実施の形態及び実施例の説明に何ら限定されるものではない。特許請求の範囲の記載を逸脱せず、当業者が容易に想到できる範囲で種々の変形態様もこの発明に含まれる。本明細書の中で明示した論文、公開特許公報、及び特許公報などの内容は、その全ての内容を援用によって引用することとする。
図1
図2
図3
図4
図5
図6