(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-08-05
(45)【発行日】2024-08-14
(54)【発明の名称】直交加速飛行時間型質量分析装置
(51)【国際特許分類】
H01J 49/40 20060101AFI20240806BHJP
G01N 27/62 20210101ALI20240806BHJP
【FI】
H01J49/40 100
G01N27/62 E
(21)【出願番号】P 2021121007
(22)【出願日】2021-07-21
【審査請求日】2023-10-23
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】鈴村 拓也
(72)【発明者】
【氏名】奥村 大輔
(72)【発明者】
【氏名】工藤 朋也
【審査官】佐藤 海
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2014/203305(WO,A1)
【文献】国際公開第2016/042632(WO,A1)
【文献】国際公開第2019/220554(WO,A1)
【文献】国際公開第2019/229864(WO,A1)
【文献】特開2011-108569(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2016/0284531(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/00-49/48
G01N 27/62
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
測定対象イオンを所定の方向に出射するイオン出射部と、
前記
所定の方向と直交する一方向にイオンを加速する直交加速部と、
前記イオン出射部と前記直交加速部の間に配置された、イオンを通過させる開口が形成された電極であって、前記イオン出射部
から出射したイオンが該電極に入射する位置において、該開口の中心軸が、該電極に入射するイオンの飛行経路の中心軸に対して前記一方向
又は該一方向と反対の方向にずれて配置されたリング電極と、
前記直交加速部により加速されたイオンの
飛行方向を反転させる折り返し電場を形成するリフレクトロン電極と、
前記リフレクトロン電極により飛行方向が反転されたイオンを検出するイオン検出器と
を備える直交加速飛行時間型質量分析装置。
【請求項2】
前記直交加速部が、1組の板状電極である押出電極と引込電極により構成されており、
前記リング電極の開口の中心軸が、前記押出電極と前記引込電極の中間に位置するように前記リング電極が配置されている、請求項1に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置。
【請求項3】
前記リング電極が複数、配置されている、請求項1に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置。
【請求項4】
測定対象イオンを所定の方向に出射するイオン出射部と、
前記所定の方向と直交する一方向にイオンを加速する直交加速部と、
前記イオン出射部と前記直交加速部の間に配置された、イオンを通過させる開口が形成された電極であって、該開口の中心軸が、前記イオン出射部の中心軸に対して前記
一方向と反対方向にずれ
て配置されたリング電極と、
前記直交加速部により加速されたイオンの飛行方向を反転させる折り返し電場を形成するリフレクトロン電極と、
前記リフレクトロン電極により飛行方向が反転されたイオンを検出するイオン検出器と
を備える直交加速飛行時間型質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、直交加速飛行時間型質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
飛行時間型質量分析装置(Time-of-Flight Mass Spectrometer: TOF-MS)では、試料成分由来のイオン群を質量分離部に導入し、質量分離部に設けられた加速部でイオン群に一定の運動エネルギーを付与してドリフト空間に入射し、所定距離の軌道を飛行させて各イオンを検出する。加速部では質量電荷比が小さいイオンほど高速に加速され、ドリフト空間で速く飛行するため、飛行時間が短くなる。従って、飛行時間を横軸、イオンの強度を縦軸とするスペクトルを作成し、予め用意された情報に基づいて飛行時間を質量電荷比に変換することによりマススペクトルが得られる。
【0003】
飛行時間型質量分析装置では、加速部に入射したイオンを加速する時点で各イオンの初期速度にばらつきがあると、同じ質量電荷比を持つイオン間で飛行時間にばらつきが生じて質量分解能が低下する。こうした問題を解決するために、直交加速飛行時間型質量分析装置が用いられている(例えば特許文献1~5)。直交加速飛行時間型質量分析装置では、直交加速部に入射したイオン群を、その入射方向と直交する方向に加速することにより、該入射方向における飛行速度のばらつきの影響を排除して質量分解能を向上することができる。
【0004】
直交加速飛行時間型質量分析装置では、1組の板状電極(押出電極と引込電極)を対向配置して両電極の間に加速空間を形成し、押出電極から引込電極に向かって電位勾配を設けることにより加速空間内のイオンに運動エネルギーを付与する。その際、押出電極と引込電極で挟まれた加速空間のうち、押出電極により近い位置で加速されるイオンに対してより大きなエネルギーが与えられる。直交加速部におけるイオンの位置によって付与されるエネルギーが異なることに起因して生じる飛行時間のばらつきを解消するために、リフレクトロンが用いられる。リフレクトロンは、ドリフト空間の、直交加速部と反対側の端部に配置され、折り返し電場を形成する。リフレクトロンを備えた直交加速飛行時間型質量分析装置では、同じ質量電荷比を有するイオンのうち運動エネルギーが大きいイオンの方が折り返し電場に深く進入することにより、加速空間での、イオンの加速方向における位置広がりに起因する飛行時間のばらつきが解消される。特許文献6には、加速部により付与されるエネルギーの大きさが予め決められた範囲内であるイオンについて、そのエネルギーの大きさに関わらず同じ質量電荷比を有するイオンを同じ時間でドリフト空間を飛行させることができる電場を形成するリフレクトロンが記載されている。
【0005】
リフレクトロンを用いることにより加速空間内でのイオンの位置広がりに起因する飛行時間のばらつきを解消することはできるが、各イオンが持つ、直交加速方向の速度成分の相違に起因して生じる飛行時間のばらつきを解消することはできない。例えば、加速空間へのイオンの入射方向の中心軸(イオン光軸)に平行に飛行するイオンにエネルギーを付与すると、そのイオンはエネルギーの付与と同時にドリフト空間に向かって飛行を開始する。一方、直交加速方向と逆方向の速度成分を持つ(押出電極の側に向かって飛行している)イオンに対してエネルギーを付与した場合には、イオンの飛行方向がドリフト空間に向かって反転するまでに時間を要する。この時間はターンアラウンドタイムと呼ばれており、リフレクトロンにより折り返し電場を形成してもターンアラウンドタイムに起因する飛行時間のばらつきを解消することはできない。
【0006】
イオンが持つ直交加速方向の速度成分の相違は、直交加速部の前段に位置する、例えばコリジョンセル等から出射するイオンビームの角度広がりによって生じる。そこで、従来、コリジョンセルと直交加速部の間に、1乃至複数のリング電極からなるイオンガイドを配置した構成が採られている(例えば特許文献2~4)。特許文献2~4には、それぞれの中心軸(イオン光軸)が一致するようにコリジョンセル、イオンガイド、及び直交加速部を配置し、コリジョンセルから出射して広がりつつ直交加速部に向かうイオンビームを、イオン光軸を中心とする所定の範囲でイオンガイドで切り出すことにより、イオンビームの角度広がりを抑えて各イオンを直交加速部に入射させている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特開2001-229875号公報
【文献】国際公開第2016/042632号明細書
【文献】国際公開第2019/220554号明細書
【文献】国際公開第2019/229864号明細書
【文献】国際公開第2013/051321号明細書
【文献】国際公開第2012/086630号明細書
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
直交加速飛行時間型質量分析装置は、高い質量分解能を必要とする測定に用いられることが多く、従来用いられている上記構成のものよりも更に質量分解能を高くすることが期待されている。
【0009】
上記構成のものよりも更に質量分解能を高くする方策の1つとして、ターンアラウンドタイムを短縮することが考えられる。例えば、特許文献5には、加速空間により大きな電位勾配を形成してターンアラウンドタイムを短縮することが記載されている。しかし、このような電場を形成すると、イオンの入射位置に応じて付与されるエネルギーの広がりも大きくなり、リフレクトロンにより補償可能なエネルギー広がりの範囲を超えてしまう可能性がある。また、一般に引込電極は、イオンを通過させる孔が格子状に形成されたグリッド電極であり、グリッド電極に高電圧が印加されることにより生じるレンズ効果によって孔を通過したイオンの飛行方向が曲げられて、検出器に到達しなくなり、信号強度が低下したり、中心軸を外れたイオン軌道に対する時間収差が発生して質量分解能が低下したりする可能性がある。また、このように大きな電位勾配を形成するには大型の電源が必要となり、製造コストも増大する。
【0010】
本発明が解決しようとする課題は、信号強度、質量精度、及び製造コストを犠牲にすること無く、質量分解能を高くすることができる直交加速飛行時間型質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために成された本発明に係る直交加速飛行時間型質量分析装置は、
測定対象イオンを所定の方向に出射するイオン出射部と、
前記イオン出射方向と直交する方向にイオンを加速する直交加速部と、
前記イオン出射部と前記直交加速部の間に配置された、イオンを通過させる開口が形成された電極であって、該開口の中心軸が前記イオン出射部の中心軸に対して前記直交加速部によるイオンの加速軸に沿った方向にずれて配置されたリング電極と、
前記直交加速部により加速されたイオンの方向を反転させる折り返し電場を形成するリフレクトロン電極と、
前記リフレクトロン電極により飛行方向が反転されたイオンを検出するイオン検出器と
を備える。
【発明の効果】
【0012】
本発明に係る直交加速飛行時間型質量分析装置では、イオン出射部から所定の方向に出射される測定対象イオンに対して直交加速部でそれに直交する方向の運動エネルギーを付与してドリフト空間内で往復飛行させ、イオン検出器で検出する。本発明では、イオン出射部から広がりつつ進行するイオンビームを、該イオン出射部の中心軸、つまりイオンビームの中心軸から外れた位置に中心軸を有するリング電極によって切り出すため、イオンビームの中心軸周りに該イオンビームを切り出すよりも、直交加速部に入射するイオンビームの角度広がりを抑え、それによってターンアラウンドタイムを低減して、信号強度や質量精度を犠牲にすることなく質量分解能を高くすることができる。また、大型の電源を用いる必要もなく、製造コストが増大することもない。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】本発明に係る直交加速飛行時間型質量分析装置の一実施形態の全体構成図。
【
図2】本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置の部分拡大図。
【
図3】本実施形態において飛行空間に形成されるポテンシャルを説明する図。
【
図4】本実施形態におけるイオン光軸について説明する図。
【
図5】本実施形態における前段トランスファ電極の形状を説明する図。
【
図6】本実施形態における後段トランスファ電極の形状を説明する図。
【
図7】本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置において直交加速部に入射するイオンビームの形状をシミュレーションした結果。
【
図8】従来の直交加速飛行時間型質量分析装置において直交加速部に入射するイオンビームの形状をシミュレーションした結果。
【
図9】本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置において直交加速部に入射するイオンビームの位置広がり及び直交加速方向の速度成分の分布をシミュレーションした結果。
【
図10】従来の直交加速飛行時間型質量分析装置において直交加速部に入射するイオンビームの位置広がり及び直交加速方向の速度成分の分布をシミュレーションした結果。
【
図11】実機を用いた測定結果によりイオン光軸の位置と質量分解能の関係を説明する図。
【
図12】シミュレーション結果によりイオン光軸の位置と質量分解能の関係を説明する図。
【
図13】グリッド電極を通過するイオンビームの発散を説明する図。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明に係る直交加速飛行時間型質量分析装置の一実施形態について、以下、図面を参照して説明する。以下、本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置を、単に「質量分析装置とも呼ぶ。なお、各図面においては、本実施形態の特徴を分かりやすくするために各部の形状や縮尺を実際のものから適宜変更して模式的に示している。
【0015】
図1に本実施形態の質量分析装置1の概略構成を示す。質量分析装置1は、内部にイオン化室10が設けられたイオン化装置と真空チャンバ100を連結して構成されている。真空チャンバ100内には、第1中間真空室11、第2中間真空室12、及び分析室13が設けられている。イオン化室10は略大気圧であり、第1中間真空室11、第2中間真空室12、及び分析室13はこの順に段階的に真空度が高い差動排気系の構成を有している。
【0016】
イオン化室10には、液体試料に電荷を付与して噴霧することにより該液体試料をイオン化するエレクトロスプレーイオン(ESI)源101が配置されている。ここでは、イオン源をESI源としたが、他のイオン源を用いることもできる。あるいは、気体試料や固体試料をイオン化するイオン源であってもよい。イオン化室10で生成されたイオンは、第1中間真空室11との隔壁部材に配置されたキャピラリ102を通って第1中間真空室11に入射する。キャピラリ102は図示しない熱源により加熱される。
【0017】
イオン化室10で生成されたイオンは、該イオン化室10の圧力(略大気圧)と第1中間真空室11との圧力差により第1中間真空室11に引き込まれる。このとき、加熱されたキャピラリ102の内部を通ることにより溶媒が除去される。第1中間真空室11には多重極イオンガイド111が配置されており、該多重極イオンガイド111によってイオンビームがイオン光軸C1の近傍に収束される。第1中間真空室11で収束されたイオンビームは、第2中間真空室12との隔壁部材に設けられたスキマーコーン112の頂部の孔を通って第2中間真空室12に入射する。
【0018】
第2中間真空室12には、イオンを質量電荷比に応じて分離する四重極マスフィルタ121、多重極イオンガイド122を内部に備えたコリジョンセル123、及びコリジョンセル123から放出されたイオンを輸送する前段トランスファ電極124(コリジョンセル123から直交加速部132にイオンを輸送するトランスファ電極130の前段部分)が配置されている。この前段トランスファ電極124よりも前段(ESI源101側)の各部材は、イオン光軸C1を中心軸として位置決めされている。
【0019】
コリジョンセル123の内部には、アルゴン、窒素などの衝突誘起解離(CID)ガスが連続的又は間欠的に供給される。なお、コリジョンセル123の内部に配置される多重極イオンガイド122は、コリジョンセル123の出口に向かって複数のロッド電極で囲まれる空間が徐々に広がるように配置されている。このような構成を採ることにより、各ロッド電極に高周波電圧を印加するのみでコリジョンセル123の出口に向かってイオンを輸送するポテンシャルの勾配を形成することができる。コリジョンセル123の出口には、コリジョンセル123内で生成されたイオンを排出する開口1232(
図4、5参照)を有するリング状の出口電極1231が配置されている。
【0020】
第2中間真空室12と分析室13の間には隔壁164が設けられている(
図2参照)。隔壁164は、真空チャンバ100の内壁面から張り出した延出部1641と、該延出部1641の分析室13側に隣接してねじ(図示略)で固定された隔壁部材1642で構成されている。ここでは、真空チャンバ100と延出部1641を別の部材としているが、延出部1641は真空チャンバ100と一体であってもよい。
【0021】
分析室13には、第2中間真空室12から入射したイオンを直交加速部132に輸送する後段トランスファ電極131(コリジョンセル123から直交加速部132にイオンを輸送するトランスファ電極130の後段部分)、イオン光軸C2(直交加速領域)を挟んで対向配置された押出電極1321と引込電極1322からなる直交加速部132、該直交加速部132により飛行空間に向かって送出されるイオンを加速する第2加速部133、飛行空間においてイオンの折り返し軌道を形成するリフレクトロン134、イオン検出器135、及び飛行空間の外縁に位置するフライトチューブ136とバックプレート137を備えている。リフレクトロン134、フライトチューブ136、及びバックプレート137によってイオンの飛行空間が規定される。リフレクトロン134は、前段リフレクトロン1341と後段リフレクトロン1342で構成されており、前段リフレクトロン1341の入口側の電極と出口側の電極にそれぞれグリッドが形成されている。これにより、
図3に示すように、飛行空間の、リフレクトロン134よりも直交加速部132側に無電場の飛行空間が形成され、前段リフレクトロン1341により囲まれた空間に上りのポテンシャルが形成され、さらに後段リフレクトロン1342により囲まれた空間にも上りのポテンシャルが形成される。
【0022】
第1中間真空室11に配置される多重極イオンガイド111、第2中間真空室12に配置される四重極マスフィルタ121及びコリジョンセル123はそれぞれ真空チャンバ100の壁面に固定され位置決めされている。また、第2中間真空室12に配置される前段トランスファ電極124はコリジョンセル123に固定され位置決めされている。
【0023】
本実施形態の質量分析装置1は、後段トランスファ電極131と直交加速部132の中心軸であるイオン光軸C2が、イオン光軸C1に対して、直交加速部132によるイオンの加速方向と反対側にずれるように各部を配置する点に特徴を有している。
【0024】
図2は、トランスファ電極130及び直交加速部132の近傍の拡大図である。また、
図4は、イオン光軸C1とイオン光軸C2の位置関係を示す図である。トランスファ電極130は、第2中間真空室12内に配置された前段トランスファ電極124と、第2中間真空室12と分析室13をまたぐように配置された後段トランスファ電極131で構成されている。
【0025】
図4に示すように、前段トランスファ電極124は2枚のリング電極1241、1242で構成されている。これら2枚のリング電極1241、1242は、絶縁部材161を介して相互に固定されている。前段トランスファ電極124の最も前段側に位置するリング電極1241は絶縁部材161を介してコリジョンセル123の出口電極1231に固定されており、これによって前段トランスファ電極124が位置決めされている。コリジョンセル123は固定部材150を介して真空チャンバ100に固定されている。リング電極1241、1242にはそれぞれ中央にイオンを通過させるための開口151、152が設けられている。
図5に示すように、リング電極1241には、コリジョンセル123の出口電極1231の開口1232及びリング電極1242の開口152よりも径が大きい開口151が設けられている。コリジョンセル123及びリング電極1241、1242は、該コリジョンセル123の出口電極1231の開口1232の中心軸、該リング電極1241、1242の開口151、152の中心軸(イオン光軸C1)が揃うように配置されている。
【0026】
図6に示すように、後段トランスファ電極131は4枚のリング電極1311、1312、1313、1314で構成されている。これら4枚のリング電極1311、1312、1313、1314も絶縁部材162、163を介して相互に固定されている。最も前段側(イオン化室10の側)に位置するリング電極1311は第2中間真空室12内に配置されており、残りの3枚のリング電極1312、1313、1314は分析室13内に配置されている。前段側の2枚のリング電極1311、1312を連結する絶縁部材162は、第2中間真空室12と分析室13を区画する隔壁部材1642に設けられた開口に対応する外形を有しており、該開口に絶縁部材162が差し込まれている。これにより、絶縁部材162はイオン光軸C2に沿って摺動可能に保持されている。本実施形態における絶縁部材162の外形は円形である。
【0027】
第2中間真空室12内に配置されるリング電極1311には、リング電極1242の開口152よりも径が大きい円形の開口153が設けられている。分析室13に配置されるリング電極1312、1313、1314には、これらの後段に位置する直交加速部132のイオン入射面の開口に対応する矩形の開口154~156が設けられている。
【0028】
分析室13内の真空チャンバ100の側壁の所定位置169には、中央に長方形の開口が形成された板状の基材167が固定されている。ここでは、真空チャンバ100と基材167を別の部材としているが、基材167は真空チャンバ100と一体であってもよい。また、基材167の上面には絶縁部材168を介して、2つのイオン通過開口が形成された、導電性材料からなるベースプレート138が固定されている。さらに、ベースプレート138の上面には、導電性材料からなりイオン通過開口が形成された板状のスペーサ部材141が配置され、その上に、導電性材料からなりイオン通過開口が形成された矩形板状の位置決めプレート140が固定されている。後段トランスファ電極131のうち最も後段に位置するリング電極1314は、導電部材165及び絶縁部材166を介して位置決めプレート140に固定されている。
【0029】
また、位置決めプレート140上には、押出電極1321及び引込電極1322からなる直交加速部132と、第2加速部133を含むイオン加速ユニットも固定されている。さらに、ベースプレート138上にはイオン検出器135も固定されている。
【0030】
イオン加速ユニットは、位置決めプレート140上に、絶縁部材と加速電極を交互に複数配置してなる第2加速部133を配置し、その上部に絶縁部材及び弾性部材を介して引込電極1322を配置し、さらにその上部に絶縁部材を介して押出電極1321を配置したものである。引込電極1322はグリッド状の電極であり、加速電極は中央にイオンを通過させる開口を有するリング状の電極である。
【0031】
スペーサ部材141を用いることによりイオン光軸C2の高さをイオン光軸C1よりも高くする本実施形態の構成は具体的な一例に過ぎず、スペーサ部材141を使用せず、例えば基材167、絶縁部材168、ベースプレート138、及び位置決めプレート140のうちの1乃至複数の部材の厚さを適宜に調整することにより、イオン光軸C2をイオン光軸C1からずらしてもよい。
【0032】
従来の直交加速飛行時間型質量分析装置では、キャピラリ102から直交加速部132に至る各部の中心軸(イオン光軸C)を揃えて各部を配置し、コリジョンセルの出口電極から出射し、広がりつつ進行するイオンビームから、前段トランスファ電極及び後段トランスファ電極により、イオン光軸Cを中心とする一部分を切り出して直交加速部に導入していた。
【0033】
一方、本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置1では、キャピラリ102から前段トランスファ電極124までの構成要素の中心軸をイオン光軸C1、後段トランスファ電極131及び直交加速部132の中心軸をイオン光軸C2とし、スペーサ部材141を配置することによって、イオン光軸C1に対して、イオン光軸C2を直交加速部132によるイオンの加速方向と反対側にずらして構成している。
【0034】
このようにイオン光軸C2をイオン光軸C1に対してずらすことの効果をシミュレーションにより確認した結果を説明する。
【0035】
図7及び
図8に、本実施形態の直交加速飛行時間型質量分析装置1(実施例)において直交加速部132に入射するイオンビームの形状と、従来の直交加速飛行時間型質量分析装置(従来例)において直交加速部に入射するイオンビームの形状をシミュレーションした結果(イオンビームの断面形状)を示す。従来例では、イオンビームは、イオン光軸Cを中心として押出電極側と引込電極側にほぼ等分に広がりつつ直交加速部に入射するのに対し、実施例では、イオンビームが押出電極1321側に向かいつつ直交加速部132に入射する。
【0036】
図9及び
図10は、上記の実施例と従来例において、直交加速部でイオンを加速する時点での各イオンの位置Xの広がりΔXと直交加速方向の速度成分Vxの分布ΔVxを示したものである。イオンの位置Xの広がりΔXは、従来例(
図10。1.2mm)の方が実施例(
図9。1.7mm)よりも小さいが、直交加速部内での位置の相違による、該直交加速部で付与される運動エネルギーの差に起因する飛行時間のばらつきはリフレクトロンにより形成される電場内を飛行する間に補償される。具体的には、同じ質量電荷比を有するイオンのうち運動エネルギーが大きいイオンの方が折り返し電場に深く進入することにより、加速空間での、イオンの加速方向における位置広がりに起因する飛行時間のばらつきが解消される。特に、特許文献6に記載のリフレクトロンを用いれば、より広いエネルギー範囲に対して飛行時間のばらつきを補償可能である。従って、質量分解能の向上を図るうえで、リフレクトロンで補償可能なエネルギー範囲内にある限り、直交加速部における各イオンの位置のばらつきは問題とならない。
【0037】
一方、直交加速部において各イオンが有する、直交加速方向の速度成分
の差ΔVxは、イオンを直交加速する際にターンアラウンドタイムを生じさせる。このターンアラウンドタイムによる飛行時間のばらつきはリフレクトロンでは解消されない。
図9に示すように、実施例の構成を採ることにより、従来例に比べて各イオンが有する直交加速方向の速度成分の差ΔVxが小さくなって(1.2mm/μsから0.9mm/μsに減少して)おり、それによってターンアラウンドタイムに起因する飛行時間のばらつきによる質量分解能の低下が抑制される。
【0038】
図11は、実際の直交加速飛行時間型質量分析装置において、イオン光軸C1に対するイオン光軸C2の位置を変更し、正イオン(m/z=1971)と負イオン(m/z=1625)の質量分解能を測定した結果である。また、
図12はシミュレーションにより、イオン光軸C1に対するイオン光軸C2の位置の違いに対する、正イオン(m/z=922)の質量分解能をシミュレーションした結果である。
図11及び
図12において、横軸は、コリジョンセルの出口電極1231の中心軸(イオン光軸C1)に対する直交加速部132の押出電極1321及び引込電極1322の中心軸(イオン光軸C2)の位置を表し、縦軸は質量分解能を表す。
図11及び
図12のいずれにおいても、イオン光軸C2をイオン光軸C1に対して正の方向(イオンの直交加速方向と反対方向)にずらすにつれて質量分解能が向上していることが分かる。
【0039】
イオン光軸C1周りのイオンの分布は、光軸C1に近いほど多く、光軸C1から離れるほど少ない。従って、上記のようにイオン光軸C2をイオン光軸C1に対して大きくずらすほど質量分解能は高くなる一方、ある程度以上ずらしすぎると後段トランスファ電極131の開口153~156を通過するイオンの量は減少し、イオンの測定感度は低下する。従って、イオン光軸C2をイオン光軸C1からずらす長さについては、質量分解能と感度の兼ね合いを適宜に考慮して決めればよい。イオンを遮蔽するリング電極の開口(本実施例では開口154)の加速方向の幅(本実施例では開口154の短辺長さ)の約半分の量(例えば25%以上75%以下の量)だけ軸をずらすのが、測定感度を大きく犠牲にすることなく質量分解能を高めるのに好適である。本実施例においてイオン光軸C2をイオン光軸C1からずらす長さは約0.3mmである。多くの場合、イオンを遮蔽するリング電極の開口の加速方向の幅の25%に相当する量だけ軸をずらせば有意に質量分解能を向上することができる。一方、この幅の75%を超える量を超えて軸をずらすと該開口を通過するイオンの量が減少し、イオンの測定感度が低下する。
【0040】
なお、
図11及び
図12の例では、イオン光軸C1に対してイオン光軸C2を負の方向にずらすと質量分解能が低下する結果となっているが、これは負の方向にイオン光軸C2をずらしたことによりイオンの入射位置が引込電極1322に近くなり、直交加速部132において付与される運動エネルギーが小さくなったために、リフレクトロンで補償可能な運動エネルギーの範囲から外れたことによるものである。直交加速部で付与される運動エネルギーのばらつきの補償範囲がより広いリフレクトロンを用いれば、イオン光軸C2を負の方向にずらした構成によっても質量分解能を高めることができる。
【0041】
ところで、特許文献5には、ターンアラウンドタイムを短縮するために、直交加速部132に、より大きな電位勾配を形成することが記載されている。しかし、直交加速部132内に形成する電位勾配を大きくすると、イオンの入射位置に応じて付与されるエネルギーの広がりも大きくなり、リフレクトロンにより補償可能なエネルギー広がりの範囲を超えてしまう可能性がある。
【0042】
また、一般に引込電極は、イオンを通過させる孔が格子状に形成されたグリッド電極であり、グリッド電極に高電圧が印加されることにより生じるレンズ効果によって孔を通過したイオンの飛行方向が曲げられて、イオン検出器135に到達しなくなって信号強度が低下したり、中心軸を外れたイオン軌道に対する時間収差が発生して質量分解能が低下したりする可能性がある。グリッド電極を通過したイオンの発散量ΔVy(グリッド通過前後のy軸方向におけるイオンの速度変化)は次式で表される。
ΔVy=qEP/2mVx …(1)
ここで、qはイオンの価数(電荷量)、Eはグリッド電極に形成される電場、Pはグリッドの間隔、mはイオンの質量、Vxはx軸方向におけるイオンの速度である。
【0043】
式(1)から分かるように、グリッド電極に形成される電場が大きくなるほど、y軸方向へのイオンの速度変化が大きくなる。y軸は、直交加速部132へのイオンの入射方向(z軸)及び加速軸の方向(x軸)のいずれとも直交する方向である。
図13に上式(1)に基づくシミュレーション結果を示すように、直交加速部132に形成する電位勾配を大きくすると、y軸方向のイオンの速度成分が大きく変化する。その結果、イオン検出器135に到達しなくなり信号強度が低下したり、中心軸を外れた軌道に対する時間収差が発生して質量分解能が低下したりする。
【0044】
また、直交加速部132に印加するパルス電圧を大きくするには出力の大きな電源を用いる必要があり、コストが増大する。さらに、印加電圧が大きくなることにより放電の可能性が高まり、質量分解能や質量精度が低下したり、電源類の故障につながったりする可能性もある。
【0045】
上記実施形態は具体的な一例であって、本発明の趣旨に沿って適宜に変更することができる。
【0046】
上記実施形態では、コリジョンセル123から出射したイオンビームのうちの一部を、後段トランスファ電極を構成する複数のリング電極1312、1314でそれぞれ切り出す構成としたが、必ずしもリング電極を複数用いる必要はなく、コリジョンセル123から出射したイオンビームの一部を、1枚のリング電極のみで切り出すようにしてもよい。但し、その際に使用する1枚のリング電極は、該電極に設けられたイオン通過用の開口の中心軸を、コリジョンセル123の中心軸に対して、イオンの加速軸に沿った方向に(好ましくはイオンの加速方向と反対側に)ずらして配置する。
【0047】
また、上記実施形態では、前段トランスファ電極124から前段側に位置する各部のイオン光軸C1と後段トランスファ電極131及び直交加速部132のイオン光軸C2が平行になるように各部を配置したが、コリジョンセル123の入口を中心として、後段トランスファ電極131及び直交加速部132に対してコリジョンセル123(コリジョンセル123と前段トランスファ電極124、あるいはコリジョンセル123から前段側の各部)を傾けることにより、コリジョンセル出口電極の中心軸C1に対してイオン光軸C2をずらして(傾けて)もよい。
【0048】
また、上記実施形態では後段トランスファ電極131と直交加速部132が共通の中心軸(イオン光軸C2)を有するように配置したが、後段トランスファ電極131を通過したイオンビームが直交加速部132内に入射すればよく、必ずしも両者の中心軸が一致していなくてもよい。ただし、両者の中心軸を一致させることにより、後段トランスファ電極131を通過したイオンビームを、押出電極1321や引込電極1322の間の位置に入射させることができ、これらの電極への衝突によりイオンが消失する可能性を低減することができる。
【0049】
上記実施形態では、コリジョンセル123から出射するイオンを直交加速する構成としたが、イオントラップ等、他の構成要素で生成されたイオンを直交加速する際にも上記同様の構成を採ることができる。また、上記実施形態では前段の質量分離部として四重極マスフィルタ121を備えたタンデム型の構成としたが、イオン源で生成されたイオンを直接、直交加速して測定する装置においても上記同様の構成を採ることができる。
【0050】
[態様]
上述した複数の例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0051】
(第1項)
一態様に係る直交加速飛行時間型質量分析装置は、
測定対象イオンを所定の方向に出射するイオン出射部と、
前記イオン出射方向と直交する方向にイオンを加速する直交加速部と、
前記イオン出射部と前記直交加速部の間に配置された、イオンを通過させる開口が形成された電極であって、該開口の中心軸が前記イオン出射部の中心軸に対して前記直交加速部によるイオンの加速軸に沿った方向にずれて配置されたリング電極と、
前記直交加速部により加速されたイオンの方向を反転させる折り返し電場を形成するリフレクトロン電極と、
前記リフレクトロン電極により飛行方向が反転されたイオンを検出するイオン検出器と
を備える。
【0052】
第1項に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置では、イオン出射部から所定の方向に出射される測定対象イオンに対して直交加速部でそれに直交する方向の運動エネルギーを付与してドリフト空間内で往復飛行させ、イオン検出器で検出する。第1項に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置では、イオン出射部から広がりつつ進行するイオンビームを、該イオン出射部の中心軸、つまりイオンビームの中心軸から外れた位置に中心軸を有するリング電極によってイオンビームを切り出すため、イオンビームの中心軸周りに該イオンビームを切り出すよりも、直交加速部に入射するイオンビームの角度広がりを抑え、それによってターンアラウンドタイムを低減して、信号強度や質量精度を犠牲にすることなく質量分解能を高くすることができる。また、直交加速部に形成する電位勾配は従来同様の大きさでよいため、大型の電源を用いる必要がなく、製造コストが増大することもない。
【0053】
(第2項)
第1項に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置において、
前記直交加速部が、1組の板状電極である押出電極と引込電極により構成されており、
前記リング電極の開口の中心軸が、前記押出電極と前記引込電極の中間に位置するように前記リング電極が配置されている。
【0054】
第2項の直交加速飛行時間型質量分析装置では、リング電極の開口の中心軸が、直交加速部を構成する押出電極と引込電極の中間に位置する。そのため、リング電極の開口を通過したイオン群を押出電極又は引込電極に衝突させることなく直交加速空間の中心付近に入射することができる。
【0055】
(第3項)
第1項又は第2項に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置において、
前記リング電極の開口の中心軸が、前記イオン出射部の中心軸に対し、前記直交加速部によりイオンが加速される方向と反対方向にずれるように該リング電極が配置されている。
【0056】
第1項又は第2項の直交加速飛行時間型質量分析装置では、リング電極の開口の中心軸が、イオン出射部の中心軸に対し、直交加速部によりイオンが加速される方向にずれていてもよく、あるいはその逆方向にずれていてもよい。しかし、直交加速飛行時間型質量分析装置で使用するリフレクトロンには、予め、直交加速部におけるイオンの位置広がりによって生じる、各イオンに対して付与される運動エネルギーの相違に起因する飛行時間の広がりを補償可能な範囲が狭い場合がある。リング電極の開口の中心軸が、イオン出射部の中心軸に対し、イオンの加速方向にずれるようにリング電極を配置すると、イオン群が引込電極に近い位置に入射し、該イオン群に付与される運動エネルギーが小さくなり、リフレクトロンにより運動エネルギーのばらつきを補償できる範囲から外れてしまう場合がある。従って、第3項に記載の直交加速飛行時間型質量分析装置のように、リング電極の開口の中心軸が、イオン出射部の中心軸に対して、イオンの加速方向と反対側にずれるようにリング電極を配置し、イオン群を押出電極に近い位置に入射させる構成を採ることが好ましい。
【0057】
(第4項)
第1項から第3項のいずれかに記載の直交加速飛行時間型質量分析装置において、
前記リング電極が複数、配置されている。
【0058】
第4項の直交加速飛行時間型質量分析装置では、複数のリング電極の開口により、直交加速部に入射するイオンビームの角度広がりをより一層低減することができる。
【符号の説明】
【0059】
1…直交加速飛行時間型質量分析装置
10…イオン化室
101…ESI源
11…第1中間真空室
111…多重極イオンガイド
12…第2中間真空室
121…四重極マスフィルタ
122…多重極イオンガイド
123…コリジョンセル
1231…出口電極
124…前段トランスファ電極
1241、1242…リング電極
13…分析室
130…トランスファ電極
131…後段トランスファ電極
1311、1312、1313、1314…リング電極
132…直交加速部
1321…押出電極
1322…引込電極
133…第2加速部
134…リフレクトロン
1341…前段リフレクトロン
1342…後段リフレクトロン
135…イオン検出器
136…フライトチューブ
137…バックプレート
138…ベースプレート
140…位置決めプレート
141…スペーサ部材
150…固定部材