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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-10-01
(45)【発行日】2024-10-09
(54)【発明の名称】鋼材
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20241002BHJP
   C22C 38/54 20060101ALI20241002BHJP
   C21D 8/10 20060101ALN20241002BHJP
   C21D 9/08 20060101ALN20241002BHJP
【FI】
C22C38/00 301F
C22C38/54
C21D8/10 C
C21D9/08 E
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2024529961
(86)(22)【出願日】2024-03-15
(86)【国際出願番号】 JP2024010329
【審査請求日】2024-05-21
(31)【優先権主張番号】P 2023061994
(32)【優先日】2023-04-06
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110001553
【氏名又は名称】アセンド弁理士法人
(72)【発明者】
【氏名】富尾 悠索
【審査官】田口 裕健
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2022/102441(WO,A1)
【文献】国際公開第2020/071217(WO,A1)
【文献】特開2018-188696(JP,A)
【文献】国際公開第2020/166675(WO,A1)
【文献】特開2013-227611(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
C21D 8/10
C21D 9/08
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼材であって、
化学組成が、質量%で、
C:0.20%~0.45%、
Si:0.05~1.50%、
Mn:0.01~1.00%、
P:0.030%以下、
S:0.0100%以下、
Cr:0.40~1.10%、
Mo:0.40~1.30%、
V:0.01~0.30%、
Nb:0.005~0.100%、
Ti:0.001~0.030%、
Al:0.005~0.100%、
B:0.0005~0.0050%、
N:0.0100%以下、
O:0.0050%以下、
W:0~2.00%、
Co:0~0.20%、
Mg:0~0.0100%、
Ca:0~0.0100%、
希土類元素:0~0.0100%、
Cu:0~0.40%、
Ni:0~0.20%、
Sn:0~0.10%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
前記鋼材のミクロ組織において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率が90%以上であり、
旧オーステナイト粒の結晶粒径GSが5.0超~30.0μmであり、
降伏強度σが862~965MPaであり、
降伏点降下Δσが40MPa以上であり、
降伏点伸びΔεが1.5%以上である、
鋼材。
【請求項2】
請求項1に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
W:0.01~2.00%、
Co:0.01~0.20%、
Mg:0.0001~0.0100%、
Ca:0.0001~0.0100%、
希土類元素:0.0001~0.0100%、
Cu:0.01~0.40%、
Ni:0.01~0.20%、及び、
Sn:0.01~0.10%、
からなる群から選択される1元素以上を含有する、
鋼材。
【請求項3】
請求項1に記載の鋼材であって、
前記旧オーステナイト粒の結晶粒径GSと、前記降伏強度σと、前記降伏点伸びΔεとが、次の式(1)を満たす、
鋼材。
σ×Δε/GS≧12 (1)
ここで、式(1)中のσには、鋼材の降伏強度が単位:MPaで代入され、式(1)中のΔεには、鋼材の降伏点伸びが単位:%で代入され、式(1)中のGSには、鋼材の旧オーステナイト粒の結晶粒径が単位:μmで代入される。
【請求項4】
請求項2に記載の鋼材であって、
前記旧オーステナイト粒の結晶粒径GSと、前記降伏強度σと、前記降伏点伸びΔεとが、次の式(1)を満たす、
鋼材。
σ×Δε/GS≧12 (1)
ここで、式(1)中のσには、鋼材の降伏強度が単位:MPaで代入され、式(1)中のΔεには、鋼材の降伏点伸びが単位:%で代入され、式(1)中のGSには、鋼材の旧オーステナイト粒の結晶粒径が単位:μmで代入される。
【請求項5】
請求項1~請求項4のいずれか1項に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用鋼管、ラインパイプ用鋼管、及び、高圧水素容器用鋼管のいずれかである、
鋼材。
【請求項6】
請求項1~請求項4のいずれか1項に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用継目無鋼管、ラインパイプ用継目無鋼管、及び、高圧水素容器用継目無鋼管のいずれかである、
鋼材。
【請求項7】
請求項5に記載の鋼材であって、
前記高圧水素容器用鋼管は、高圧水素蓄圧器用鋼管、及び、高圧水素ボンベ用鋼管のいずれかである、
鋼材。
【請求項8】
請求項6に記載の鋼材であって、
前記高圧水素容器用継目無鋼管は、高圧水素蓄圧器用継目無鋼管、及び、高圧水素ボンベ用継目無鋼管のいずれかである、
鋼材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は鋼材に関し、さらに詳しくは、サワー環境で使用される鋼材及び高圧水素容器に利用される鋼材に関する。
【背景技術】
【0002】
油井やガス井(以下、油井及びガス井を総称して「油井」という)の中には、腐食性物質を多く含有する環境がある。腐食性物質はたとえば、硫化水素等の腐食性ガス等である。本明細書において、硫化水素を含有する環境を「サワー環境」という。サワー環境の温度は、井戸の深さにもよるが、常温~200℃程度である。
【0003】
このようなサワー環境で使用される鋼材として、たとえば、油井管として適用される油井用鋼材や、ラインパイプとして適用されるラインパイプ用鋼材等がある。近年、油井の深井戸化により、油井用鋼材等の高強度化が求められている。
【0004】
一方、鋼材をサワー環境で使用する場合、鋼材表面が腐食性物質と接触して、電気化学反応が起こり、鋼材表面に水素が発生する。この水素に起因して、鋼材に硫化物応力腐食割れ(SSC:Sulfide Stress corrosion Cracking)に代表される水素脆化割れが発生しやすい。したがって、サワー環境で使用される鋼材では、高い強度とともに、優れた耐水素脆化特性も求められる。
【0005】
サワー環境で使用される鋼材において耐水素脆化特性を高める技術が、特開2011-246798号公報(特許文献1)、及び、特開2015-38247号公報(特許文献2)に開示されている。
【0006】
特許文献1では、低合金鋼からなる油井用鋼管において、所定量の固溶Moを確保し、旧オーステナイト粒を微細化し、MC型析出物を分散させる。これにより、耐SSC性を高めている。特許文献1ではさらに、旧オーステナイト粒界にMo偏析領域を形成することにより、耐水素脆化特性をさらに高めている。
【0007】
特許文献2では、低合金鋼からなる油井用鋼管において、Mo偏析領域をなるべく抑制することにより、耐水素脆化特性を高めている。
【0008】
さらに最近では、水素を燃料として走行する燃料電池自動車の開発、及び、燃料電池自動車に水素を供給する水素ステーションの実用化が進められている。水素ステーションに設置される高圧水素蓄圧器には、高圧の水素ガスが貯蔵される。また、燃料電池自動車として、高圧水素ボンベを搭載した自動車の開発も進められている。このような高圧水素蓄圧器や高圧水素ボンベに代表される高圧水素容器に利用される鋼材も、高い強度とともに、優れた耐水素脆化特性が求められる。
【0009】
高圧水素容器に利用される鋼材において耐水素脆化特性を高める技術が、特開2009-74122号公報(特許文献3)に提案されている。特許文献3では、低合金鋼からなる鋼材において、V含有量及びMo含有量を従来よりも高めることにより、旧オーステナイト粒界の炭化物の形態を改善し、耐水素脆化特性を高めている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【文献】特開2011-246798号公報
【文献】特開2015-38247号公報
【文献】特開2009-74122号公報
【文献】特開2017-210645号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
上記特許文献1~3に開示する技術によれば、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材の耐水素脆化特性を高めることができる。しかしながら、上述の特許文献1~3に記載された手段以外の他の手段により、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを有する鋼材が得られてもよい。
【0012】
ところで、これまでに、鋼材中の旧オーステナイト粒を微細にして、鋼材の耐水素脆化特性を高める技術が提案されている。たとえば、具体的に、特開2017-210645号公報(特許文献4)では、「旧オーステナイト粒が粒径6μm以下の微細なものであることで、旧オーステナイト粒界を起点とする水素脆性破壊を低減することができる」(特許文献4の段落[0012])ことが開示されている。このように、旧オーステナイト粒を微細にして、鋼材の耐水素脆化特性を高める技術が検討されてきた。
【0013】
一方、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材について、工業生産を考慮すると、旧オーステナイト粒の過度な微細化は好ましくない。具体的に、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材では、旧オーステナイト粒の結晶粒径が5.0μm以下の場合、製造コストが極端に高まる。したがって、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材では、旧オーステナイト粒の結晶粒径が5.0μm超であっても、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを両立できる方が好ましい。
【0014】
本開示の目的は、旧オーステナイト粒の結晶粒径が5.0μm超であっても、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを有する鋼材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本開示による鋼材は、
化学組成が、質量%で、
C:0.20%~0.45%、
Si:0.05~1.50%、
Mn:0.01~1.00%、
P:0.030%以下、
S:0.0100%以下、
Cr:0.40~1.10%、
Mo:0.40~1.30%、
V:0.01~0.30%、
Nb:0.005~0.100%、
Ti:0.001~0.030%、
Al:0.005~0.100%、
B:0.0005~0.0050%、
N:0.0100%以下、
O:0.0050%以下、
W:0~2.00%、
Co:0~0.20%、
Mg:0~0.0100%、
Ca:0~0.0100%、
希土類元素:0~0.0100%、
Cu:0~0.40%、
Ni:0~0.20%、
Sn:0~0.10%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
旧オーステナイト粒の結晶粒径GSが5.0超~30.0μmであり、
降伏強度σが862~965MPaであり、
降伏点降下Δσが40MPa以上であり、
降伏点伸びΔεが1.5%以上である。
【発明の効果】
【0016】
本開示による鋼材は、旧オーステナイト粒の結晶粒径が5.0μm超であっても、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを有する。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1図1は、本実施形態による鋼材の応力-ひずみ曲線を示す図である。
図2図2は、本実施形態と化学組成、降伏強度、及び、旧γ粒径が重複するが優れた耐水素脆化特性を有さない鋼材の応力-ひずみ曲線を示す図である。
図3図3は、図1の一部を拡大した図である。
図4図4は、図1の一部を拡大した図である。
【発明を実施するための形態】
【0018】
本発明者らはまず、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用を想定して、高強度として862~965MPa(125~140ksi、以下、「125ksi級」ともいう)の降伏強度を有する鋼材を得ることを検討した。つまり本発明者らは、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材について、降伏強度が125ksi級であり、旧オーステナイト粒の結晶粒径GS(以下、旧オーステナイト粒の結晶粒径GSを「旧γ粒径GS」ともいう)が5.0μmより大きくても、耐水素脆化特性を高める手法について、調査及び検討を行った。その結果、本発明者らは、次の知見を得た。
【0019】
本発明者らは、初めに、化学組成に着目して検討した。その結果、質量%で、C:0.20%~0.45%、Si:0.05~1.50%、Mn:0.01~1.00%、P:0.030%以下、S:0.0100%以下、Cr:0.40~1.10%、Mo:0.40~1.30%、V:0.01~0.30%、Nb:0.005~0.100%、Ti:0.001~0.030%、Al:0.005~0.100%、B:0.0005~0.0050%、N:0.0100%以下、O:0.0050%以下、W:0~2.00%、Co:0~0.20%、Mg:0~0.0100%、Ca:0~0.0100%、希土類元素:0~0.0100%、Cu:0~0.40%、Ni:0~0.20%、Sn:0~0.10%、及び、残部がFe及び不純物からなる化学組成を有する鋼材であれば、旧γ粒径GSが5.0μm超であっても、125ksi級の降伏強度と、優れた耐水素脆化特性とを得られる可能性があると考えた。
【0020】
そこで本発明者らは、上述の化学組成と、125ksi級の降伏強度と、5.0μm超の旧γ粒径GSとを有する鋼材を種々製造して、その耐水素脆化特性を評価した。本発明者らによる詳細な検討の結果、上述の化学組成と、125ksi級の降伏強度と、5.0μm超の旧γ粒径GSとを有する鋼材では、応力-ひずみ曲線が特徴的な形状を有している場合、耐水素脆化特性が顕著に高まることが明らかになった。この点について、図面を用いて具体的に説明する。
【0021】
図1は、本実施形態による鋼材の応力-ひずみ曲線を示す図である。図2は、本実施形態と化学組成、降伏強度、及び、旧γ粒径GSが重複するが優れた耐水素脆化特性を有さない鋼材の応力-ひずみ曲線を示す図である。図1及び図2は、いずれも後述する引張試験によって得られた。図1及び図2に示される鋼材はいずれも、上述の化学組成と、125ksi級の降伏強度とを有し、旧γ粒径GSが5.0μmを超えていた。一方、図1に示される鋼材は優れた耐水素脆化特性を有し、図2に示される鋼材は優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0022】
図1を参照して、図1に示される応力-ひずみ曲線は、3つの領域に分けることができる。図1を参照して、まず、ひずみが0%から増えるのに伴い、応力が0MPaから単調に増加する領域(弾性変形領域)が確認できる。応力が最大値となった後さらにひずみが増加すると、応力が急激に低下して、さらにひずみが増加しても、応力がほぼ一定となる領域(リューダース変形領域)が確認できる。その後さらにひずみが増加すると、再び応力が増加した後、応力が低下する領域(塑性変形領域)が確認できる。一方、図2を参照して、図2に示される応力-ひずみ曲線は、2つの領域に分けることができる。図2を参照して、まず、ひずみが0%から増えるのに伴い、応力が0MPaから単調に増加する領域(弾性変形領域)が確認できる。その後さらにひずみが増加すると、応力が増加した後、応力が低下する領域(塑性変形領域)が確認できる。
【0023】
つまり、図1図2とを比較すると、図1に示される応力-ひずみ曲線は、弾性変形領域と塑性変形領域との間に、応力が急激に低下して、ひずみが増えても応力がほぼ一定になる領域(リューダース変形領域)が存在する。ここで、弾性変形領域から応力が急激に低下するときの応力の低下の大きさを、降伏点降下Δσ(MPa)という。さらに、ひずみが増えても応力がほぼ一定になる領域のひずみの大きさを、降伏点伸びΔε(%)という。これらについて、図面を用いてさらに具体的に説明する。
【0024】
図3及び図4は、図1の一部を拡大した図である。図3は、図1のうち、ひずみが0~2.0%、応力が850~1050MPaの領域を拡大した図である。図3を参照して、応力-ひずみ曲線のうち、弾性変形領域において応力が最大値を示す点をP0とし、点P0の応力をσ0(MPa)とする。図3を参照してさらに、応力-ひずみ曲線と直線Lとの交点をPとし、点Pの応力をσ(MPa)とする。直線Lは、応力-ひずみ曲線のうち弾性変形領域と平行であって、ひずみの正の方向に0.2%平行移動させた直線である。つまり、点Pにおける応力σは、いわゆる0.2%オフセット耐力に相当する。本明細書において、点P0の応力σ0(MPa)と、点Pの応力σ(MPa)との差を、降伏点降下Δσ(MPa)と定義する。なお、本明細書において、降伏強度(MPa)は、点Pにおける応力σ(MPa)として定義される。
【0025】
図4は、図1のうち、ひずみが0~4.0%の領域を拡大した図である。図4を参照して、応力-ひずみ曲線のうち、塑性変形領域が開始する点をQとする。ここで、点Qのひずみ(%)を降伏点伸びΔε(%)と定義する。なお、点Qは、応力-ひずみ曲線の変曲点であり、当業者であれば当然に特定できる。
【0026】
上述のとおりに定義された降伏点降下Δσ(MPa)と、降伏点伸びΔε(%)とについて、本発明者らはさらに詳細に検討した。本発明者らによるさらなる詳細な検討の結果、上述の化学組成と125ksi級の降伏強度σとを有し、旧γ粒径GSが5.0μmを超える鋼材では、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上であれば、優れた耐水素脆化特性を得られることが明らかになった。
【0027】
上述の化学組成と125ksi級の降伏強度σとを有し、旧γ粒径GSが5.0μmを超える鋼材において、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上であれば、優れた耐水素脆化特性を得られる理由について、詳細は明らかになっていない。しかしながら、本発明者らは次のように推察している。鋼材における水素脆化破壊の発生応力限界は、塑性変形と密接に関わる可能性がある。詳細は明らかになっていないが、鋼材の塑性変形が起こりにくいほど、水素脆化破壊の発生応力限界が高まる可能性がある。
【0028】
ここで、図1を参照して、降伏点降下Δσが確認される鋼材では、降伏強度σよりも高い応力であっても弾性変形が維持される。つまり、降伏点降下Δσが大きいほど、塑性変形が起こりにくくなり、水素脆化破壊の発生応力限界が高まる可能性がある。言い換えると、降伏点降下Δσが大きいほど、耐水素脆化特性が高まる可能性がある。
【0029】
図1を参照してさらに、降伏点伸びΔεが大きいほど、鋼材に導入されたひずみの量が増えても、塑性変形が起こりにくい。そのため、降伏点伸びΔεが大きいほど、水素脆化破壊の発生応力限界が高まる可能性がある。言い換えると、降伏点伸びΔεが大きいほど、耐水素脆化特性が高まる可能性がある。
【0030】
以上のメカニズムによって、上述の化学組成と125ksi級の降伏強度σとを有し、旧γ粒径GSが5.0μmを超える鋼材の降伏点降下Δσを40MPa以上とし、降伏点伸びΔεを1.5%以上にすることで、耐水素脆化特性が高まると本発明者らは推察している。なお、上記メカニズムとは異なるメカニズムによって、上記鋼材の耐水素脆化特性が高まっている可能性もあり得る。しかしながら、上述の化学組成と、40MPa以上の降伏点降下Δσと、1.5%以上の降伏点伸びΔεとを有する鋼材であれば、旧γ粒径GSが5.0μm以上であっても、125ksi級の高い降伏強度σと、優れた耐水素脆化特性とを得られることは、後述する実施例によって証明されている。
【0031】
以上の知見に基づいて完成した本実施形態による鋼材は、次の構成を有する。
【0032】
[1]
鋼材であって、
化学組成が、質量%で、
C:0.20%~0.45%、
Si:0.05~1.50%、
Mn:0.01~1.00%、
P:0.030%以下、
S:0.0100%以下、
Cr:0.40~1.10%、
Mo:0.40~1.30%、
V:0.01~0.30%、
Nb:0.005~0.100%、
Ti:0.001~0.030%、
Al:0.005~0.100%、
B:0.0005~0.0050%、
N:0.0100%以下、
O:0.0050%以下、
W:0~2.00%、
Co:0~0.20%、
Mg:0~0.0100%、
Ca:0~0.0100%、
希土類元素:0~0.0100%、
Cu:0~0.40%、
Ni:0~0.20%、
Sn:0~0.10%、及び、
残部がFe及び不純物からなり、
旧オーステナイト粒の結晶粒径GSが5.0超~30.0μmであり、
降伏強度σが862~965MPaであり、
降伏点降下Δσが40MPa以上であり、
降伏点伸びΔεが1.5%以上である、
鋼材。
【0033】
[2]
[1]に記載の鋼材であって、
前記化学組成は、
W:0.01~2.00%、
Co:0.01~0.20%、
Mg:0.0001~0.0100%、
Ca:0.0001~0.0100%、
希土類元素:0.0001~0.0100%、
Cu:0.01~0.40%、
Ni:0.01~0.20%、及び、
Sn:0.01~0.10%、
からなる群から選択される1元素以上を含有する、
鋼材。
【0034】
[3]
[1]に記載の鋼材であって、
前記旧オーステナイト粒の結晶粒径GSと、前記降伏強度σと、前記降伏点伸びΔεとが、次の式(1)を満たす、
鋼材。
σ×Δε/GS≧12 (1)
ここで、式(1)中のσには、鋼材の降伏強度が単位:MPaで代入され、式(1)中のΔεには、鋼材の降伏点伸びが単位:%で代入され、式(1)中のGSには、鋼材の旧オーステナイト粒の結晶粒径が単位:μmで代入される。
【0035】
[4]
[2]に記載の鋼材であって、
前記旧オーステナイト粒の結晶粒径GSと、前記降伏強度σと、前記降伏点伸びΔεとが、次の式(1)を満たす、
鋼材。
σ×Δε/GS≧12 (1)
ここで、式(1)中のσには、鋼材の降伏強度が単位:MPaで代入され、式(1)中のΔεには、鋼材の降伏点伸びが単位:%で代入され、式(1)中のGSには、鋼材の旧オーステナイト粒の結晶粒径が単位:μmで代入される。
【0036】
[5]
[1]~[4]のいずれか1項に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用鋼管、ラインパイプ用鋼管、及び、高圧水素容器用鋼管のいずれかである、
鋼材。
【0037】
[6]
[1]~[4]のいずれか1項に記載の鋼材であって、
前記鋼材は、油井用継目無鋼管、ラインパイプ用継目無鋼管、及び、高圧水素容器用継目無鋼管のいずれかである、
鋼材。
【0038】
[7]
[5]に記載の鋼材であって、
前記高圧水素容器用鋼管は、高圧水素蓄圧器用鋼管、及び、高圧水素ボンベ用鋼管のいずれかである、
鋼材。
【0039】
[8]
[6]に記載の鋼材であって、
前記高圧水素容器用継目無鋼管は、高圧水素蓄圧器用継目無鋼管、及び、高圧水素ボンベ用継目無鋼管のいずれかである、
鋼材。
【0040】
本明細書において、「油井用鋼管」は、油井管として利用される鋼管を意味する。油井管とは、油井又はガス井の掘削、原油又は天然ガスの採取等に用いられるケーシング、チュービング、ドリルパイプの総称を意味する。「油井用継目無鋼管」は、油井用鋼管が継目無鋼管(seamless steel pipe)であることを意味する。
【0041】
本明細書において、「ラインパイプ用鋼管」は、油井又はガス井から採取された生産流体(原油又は天然ガス)を輸送するパイプラインを構成するラインパイプ用途の鋼管を意味する。パイプラインはたとえば、油井又はガス井から生産流体を輸送するフローライン、フローラインで輸送された生産流体を集合して一次処理施設まで輸送するギャザリングライン、脱水等の一次処理を実施した生産流体を市場近郊まで輸送するトランクライン、及び、消費者まで輸送するディストリビューションライン等である。「ラインパイプ用継目無鋼管」は、ラインパイプ用鋼管が継目無鋼管であることを意味する。
【0042】
本明細書において、「高圧水素容器用鋼管」は、ISO11439、ANSI/NGV、高圧ガス保安法、容器保安規則例示基準等で規格化されており、高圧の水素ガスが貯蔵される高圧水素容器に利用される鋼管を意味する。高圧水素容器はたとえば、水素ステーションに設置される高圧水素蓄圧器であり、燃料電池自動車に搭載される高圧水素ボンベである。「高圧水素容器用継目無鋼管」は、高圧水素容器用鋼管が継目無鋼管であることを意味する。
【0043】
以下、本実施形態による鋼材について詳述する。元素に関する「%」は、特に断りがない限り、質量%を意味する。
【0044】
[化学組成]
本実施形態による鋼材の化学組成は、次の元素を含有する。
【0045】
C:0.20%~0.45%
炭素(C)は、焼入れ性を高め、鋼材のミクロ組織を焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイト主体にする。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Cはさらに、炭化物又は炭窒化物を形成し、鋼材の強度を高める。C含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、C含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の炭化物が過剰に多くなる。この場合、鋼材の強度が高くなりすぎ、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、C含有量は0.20%~0.45%である。C含有量の好ましい下限は0.21%であり、より好ましくは0.22%であり、さらに好ましくは0.24%である。C含有量の好ましい上限は0.40%であり、より好ましくは0.38%であり、さらに好ましくは0.36%である。
【0046】
Si:0.05~1.50%
ケイ素(Si)は、鋼を脱酸して、鋼材中の介在物を低減する。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Si含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Si含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Si含有量は0.05~1.50%である。Si含有量の好ましい下限は0.06%であり、より好ましくは0.08%であり、さらに好ましくは0.10%であり、さらに好ましくは0.13%である。Si含有量の好ましい上限は1.45%であり、より好ましくは1.42%であり、さらに好ましくは1.40%であり、さらに好ましくは1.38%であり、さらに好ましくは1.35%である。
【0047】
Mn:0.01~1.00%
マンガン(Mn)は、鋼を脱酸する。Mnはさらに、焼入れ性を高めて鋼材の強度を高める。Mn含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Mn含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な硫化物系介在物が生成して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Mn含有量は0.01~1.00%である。Mn含有量の好ましい下限は0.02%であり、より好ましくは0.04%であり、さら好ましくは0.10%である。Mn含有量の好ましい上限は0.97%であり、より好ましくは0.95%であり、さらに好ましくは0.90%であり、さらに好ましくは0.80%である。
【0048】
P:0.030%以下
燐(P)は、不可避に含有される不純物である。つまり、P含有量の下限は0%超である。P含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Pが粒界に偏析して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、P含有量は0.030%以下である。P含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、P含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、P含有量の好ましい下限は0.001%であり、より好ましくは0.002%であり、さらに好ましくは0.003%である。P含有量の好ましい上限は0.025%であり、より好ましくは0.023%であり、さらに好ましくは0.021%であり、さらに好ましくは0.020%である。
【0049】
S:0.0100%以下
硫黄(S)は、不可避に含有される不純物である。つまり、S含有量の下限は0%超である。S含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Sが粒界に偏析して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、S含有量は0.0100%以下である。S含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、S含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、S含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%である。S含有量の好ましい上限は0.0090%であり、より好ましくは0.0080%であり、さらに好ましくは0.0070%である。
【0050】
Cr:0.40~1.10%
クロム(Cr)は、鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Crはさらに、鋼材の焼戻し軟化抵抗を高め、高温焼戻しを可能にする。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Cr含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Cr含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な炭化物が生成して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Cr含有量は0.40~1.10%である。Cr含有量の好ましい下限は0.43%であり、より好ましくは0.44%であり、さらに好ましくは0.46%であり、さらに好ましくは0.50%である。Cr含有量の好ましい上限は1.08%であり、より好ましくは1.05%であり、さらに好ましくは0.99%であり、さらに好ましくは0.95%である。
【0051】
Mo:0.40~1.30%
モリブデン(Mo)は、鋼材の焼入れ性を高める。Moはさらに、鋼材の焼戻し軟化抵抗を高め、高温焼戻しを可能にする。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Moはさらに、旧オーステナイト粒界に偏析して、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Mo含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Mo含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な炭化物が生成して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Mo含有量は0.40~1.30%である。Mo含有量の好ましい下限は0.43%であり、より好ましくは0.44%であり、さらに好ましくは0.48%であり、さらに好ましくは0.55%である。Mo含有量の好ましい上限は1.25%であり、より好ましくは1.24%であり、さらに好ましくは1.20%であり、さらに好ましくは1.17%である。
【0052】
V:0.01~0.30%
バナジウム(V)は、炭化物、窒化物又は炭窒化物(以下、「炭窒化物等」という)を形成し、鋼材の強度を高める。V含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、V含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、炭窒化物等が過剰に生成する。その結果、鋼材の強度が高くなりすぎ、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、V含有量は0.01~0.30%である。V含有量の好ましい下限は0.02%であり、より好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.04%であり、さらに好ましくは0.06%であり、さらに好ましくは0.08%である。V含有量の好ましい上限は0.28%であり、より好ましくは0.24%であり、さらに好ましくは0.22%である。
【0053】
Nb:0.005~0.100%
ニオブ(Nb)は、炭窒化物等を形成し、焼入れ前のオーステナイト化熱処理の際、オーステナイト粒界のピンニング効果により鋼材の結晶粒を微細化して、鋼材の降伏点降下Δσを高める。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Nbはさらに、焼戻し時に微細な炭化物を形成して鋼材の焼戻し軟化抵抗を高め、鋼材の強度を高める。Nb含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Nb含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、炭窒化物等が過剰に多く生成して、鋼材の耐水素脆化特性がかえって低下する。したがって、Nb含有量は0.005~0.100%である。Nb含有量の好ましい下限は0.006%であり、より好ましくは0.007%であり、さらに好ましくは0.010%であり、さらに好ましくは0.015%である。Nb含有量の好ましい上限は0.097%であり、より好ましくは0.095%であり、さらに好ましくは0.090%であり、さらに好ましくは0.085%である。
【0054】
Ti:0.001~0.030%
チタン(Ti)は、Ti窒化物等の微細な析出物を形成し、焼入れ前のオーステナイト化熱処理の際、ピンニング効果によりオーステナイト粒を微細化して、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Ti含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Ti含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大なTi窒化物が生成する。粗大なTi窒化物は割れの起点になる。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Ti含有量は0.001~0.030%である。Ti含有量の好ましい下限は0.002%であり、より好ましくは0.003%であり、さらに好ましくは0.005%である。Ti含有量の好ましい上限は0.029%であり、より好ましくは0.028%であり、さらに好ましくは0.027%であり、さらに好ましくは0.025%である。
【0055】
Al:0.005~0.100%
アルミニウム(Al)は、鋼を脱酸する。Alはさらに、Nと結合してAl窒化物を形成し、ピンニング効果により結晶粒を微細化して、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Al含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Al含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な酸化物が生成して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Al含有量は0.005~0.100%である。Al含有量の好ましい下限は0.006%であり、より好ましくは0.008%であり、さらに好ましくは0.012%である。Al含有量の好ましい上限は0.095%であり、より好ましくは0.090%であり、さらに好ましくは0.085%である。なお、本明細書にいう「Al」含有量は「酸可溶Al」、つまり、「sol.Al」の含有量を意味する。
【0056】
B:0.0005~0.0050%
ホウ素(B)は、鋼材の焼入れ性を高めて、鋼材の強度を高める。Bはさらに、Pの粒界偏析を抑制して、鋼材の耐水素脆化特性を高める。B含有量が低すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、B含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大なB窒化物が生成する。粗大なB窒化物は割れの起点になる。その結果、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、B含有量は0.0005~0.0050%である。B含有量の好ましい下限は0.0006%であり、より好ましくは0.0008%であり、さらに好ましくは0.0010%である。B含有量の好ましい上限は0.0045%であり、より好ましくは0.0040%であり、さらに好ましくは0.0035%であり、さらに好ましくは0.0030%である。
【0057】
N:0.0100%以下
窒素(N)は不可避に含有される。つまり、N含有量の下限は0%超である。NはTiと結合して窒化物を形成し、焼入れ前のオーステナイト化熱処理の際、ピンニング効果により鋼材のオーステナイト粒を微細化して、鋼材の強度を高める。一方、N含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な窒化物が形成され、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、N含有量は0.0100%以下である。上記効果をより有効に得るためのN含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0010%である。N含有量の好ましい上限は0.0096%であり、より好ましくは0.0090%であり、さらに好ましくは0.0080%であり、さらに好ましくは0.0070%である。
【0058】
O:0.0050%以下
酸素(O)は不可避に含有される不純物である。つまり、O含有量の下限は0%超である。O含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な酸化物が形成し、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、O含有量は0.0050%以下である。O含有量はなるべく低い方が好ましい。しかしながら、O含有量の極端な低減は、製造コストを大幅に高める。したがって、工業生産を考慮した場合、O含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0010%である。O含有量の好ましい上限は0.0045%であり、より好ましくは0.0040%であり、さらに好ましくは0.0035%である。
【0059】
本実施形態による鋼材の化学組成の残部は、Fe及び不純物からなる。ここで、化学組成における不純物とは、鋼材を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、又は製造環境などから混入されるものであって、意図的に含有されるものではなく、本実施形態による鋼材に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0060】
[任意元素]
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、W、及び、Coからなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、含有されなくてもよい。含有される場合、W、及び、Coは、鋼材の耐水素脆化特性を高める。
【0061】
W:0~2.00%
タングステン(W)は任意元素であり、含有されなくてもよい。すなわち、W含有量は0%であってもよい。含有される場合、Wは、サワー環境において、鋼材の表面の腐食被膜を形成する。その結果、鋼材の水素の侵入が抑制され、鋼材の耐水素脆化特性が高まる。Wが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、W含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大な炭化物が生成して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、W含有量は0~2.00%である。W含有量の好ましい下限は0.01%であり、より好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.08%である。W含有量の好ましい上限は1.50%であり、より好ましくは1.20%であり、さらに好ましくは1.00%である。
【0062】
Co:0~0.20%
コバルト(Co)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Co含有量は0%であってもよい。含有される場合、Coは、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Coはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Coが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Co含有量が高すぎれば、その効果は飽和する。したがって、Co含有量は0~0.20%である。Co含有量の好ましい下限は0.01%であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.04%である。Co含有量の好ましい上限は0.18%であり、より好ましくは0.15%であり、さらに好ましくは0.12%であり、さらに好ましくは0.10%である。
【0063】
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Mg、Ca、及び、希土類元素(REM)からなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、含有されなくてもよい。含有される場合、Mg、Ca及び希土類元素(REM)は、鋼材の耐水素脆化特性を高める。
【0064】
Mg:0~0.0100%
マグネシウム(Mg)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Mg含有量は0%であってもよい。含有される場合、Mgは鋼材中のSと結びつき、微細なMg硫化物として析出する。これに付随して、MgはMn硫化物を減少させる。この両方の効果により、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Mgが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Mg含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Mg含有量は0~0.0100%である。Mg含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0006%であり、さらに好ましくは0.0010%である。Mg含有量の好ましい上限は0.0090%であり、より好ましくは0.0080%であり、さらに好ましくは0.0070%であり、さらに好ましくは0.0060%であり、さらに好ましくは0.0050%であり、さらに好ましくは0.0040%であり、さらに好ましくは0.0030%である。
【0065】
Ca:0~0.0100%
カルシウム(Ca)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ca含有量は0%であってもよい。含有される場合、Caは鋼材中のSと結びつき、微細なCa硫化物として析出する。これに付随して、CaはMn硫化物を減少させる。この両方の効果により鋼材の耐水素脆化特性を高める。Caが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ca含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、Ca含有量は0~0.0100%である。Ca含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0007%である。Ca含有量の好ましい上限は0.0080%であり、より好ましくは0.0060%であり、さらに好ましくは0.0050%であり、さらに好ましくは0.0040%である。
【0066】
希土類元素(REM):0~0.0100%
希土類元素(REM)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、REM含有量は0%であってもよい。含有される場合、REMは鋼材中のSと結びつき、微細なREM硫化物として析出する。これに付随して、REMはMn硫化物を減少させる。この両方の効果により鋼材の耐水素脆化特性を高める。REMが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、REM含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材中の酸化物が粗大化して、鋼材の耐水素脆化特性が低下する。したがって、REM含有量は0~0.0100%である。REM含有量の好ましい下限は0.0001%であり、より好ましくは0.0003%であり、さらに好ましくは0.0005%であり、さらに好ましくは0.0010%である。REM含有量の好ましい上限は0.0090%であり、より好ましくは0.0080%であり、さらに好ましくは0.0070%であり、さらに好ましくは0.0060%であり、さらに好ましくは0.0050%であり、さらに好ましくは0.0040%である。
【0067】
本明細書におけるREMとは、原子番号21番のスカンジウム(Sc)、原子番号39番のイットリウム(Y)、及び、ランタノイドである原子番号57番のランタン(La)~原子番号71番のルテチウム(Lu)からなる群から選択される1種以上の元素を意味する。また、本明細書におけるREM含有量とは、これら元素の合計含有量を意味する。
【0068】
本実施形態による鋼材の化学組成はさらに、Feの一部に代えて、Cu、Ni、及び、Snからなる群から選択される1元素以上を含有してもよい。これらの元素はいずれも任意元素であり、含有されなくてもよい。含有される場合、Cu、Ni、及び、Snはいずれも、鋼材の耐水素脆化特性を高める。
【0069】
Cu:0~0.40%
銅(Cu)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Cu含有量は0%であってもよい。含有される場合、Cuは、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Cuはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Cuが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Cu含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の熱間加工性が低下する。したがって、Cu含有量は0~0.40%である。Cu含有量の好ましい下限は0.01%であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.07%である。Cu含有量の好ましい上限は0.38%であり、より好ましくは0.36%であり、さらに好ましくは0.34%である。
【0070】
Ni:0~0.20%
ニッケル(Ni)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ni含有量は0%であってもよい。含有される場合、Niは、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Niはさらに、鋼材に固溶して鋼材の焼入れ性を高め、鋼材の強度を高める。Niが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ni含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、製造コストが極端に高まる。したがって、Ni含有量は0~0.20%である。Ni含有量の好ましい下限は0.01%であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.05%である。Ni含有量の好ましい上限は0.19%であり、より好ましくは0.18%であり、さらに好ましくは0.17%である。
【0071】
Sn:0~0.10%
スズ(Sn)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Sn含有量は0%であってもよい。含有される場合、Snは、鋼材の耐水素脆化特性を高める。Snが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Sn含有量が高すぎれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼材の熱間加工性が低下する。したがって、Sn含有量は0~0.10%である。Sn含有量の好ましい下限は0.01%であり、より好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.04%である。Sn含有量の好ましい上限は0.09%であり、より好ましくは0.08%であり、さらに好ましくは0.07%である。
【0072】
[旧オーステナイト粒の結晶粒径GS]
本実施形態による鋼材において、旧オーステナイト粒の結晶粒径GSは5.0超~30.0μmである。本明細書において、旧オーステナイト粒の結晶粒径GS(旧γ粒径GS)とは、JIS G0551:2020に規定された平均切片法の測定法に準拠して求めた、旧オーステナイト粒の結晶粒径を意味する。
【0073】
水素脆化は、粒界に水素が蓄積された場合に発生しやすい。上述の化学組成を有する鋼材において、旧オーステナイト粒が微細であれば、旧オーステナイト粒界の面積が増大する。この場合、鋼材に吸蔵される水素量が同一であったとしても、旧オーステナイト粒界の単位面積当たりに蓄積される水素量は低減する。そのため、旧オーステナイト粒が微細であれば、鋼材の耐水素脆化特性を高めることができる。具体的には、上述の化学組成を有する鋼材の旧γ粒径GSが30.0μm以下であれば、本実施形態のその他の構成を満たすことを前提として、旧γ粒径GSが5.0μm超であっても、125ksi級の高い降伏強度と、優れた耐水素脆化特性とを両立できる。
【0074】
なお、旧γ粒径GSは、鋼材の化学組成、及び、製造方法の影響を受けて、その値が変化する。具体的に、上述のとおり、TiやNbは、焼入れ前のオーステナイト化熱処理の際、Ti窒化物やNb炭窒化物等の微細な析出物を形成し、オーステナイト粒界のピンニング効果により結晶粒を微細化する。また、後述するとおり、焼入れ工程における焼入れ温度が高すぎれば、結晶粒が粗大化して、製造された鋼材の旧γ粒径GSが大きくなる場合がある。このように、鋼材の化学組成と、製造方法とを調整することで、旧γ粒径GSをある程度制御することは、当業者であれば可能である。
【0075】
本実施形態による鋼材において、旧γ粒径GSの好ましい上限は28.0μmであり、より好ましくは26.0μmであり、さらに好ましくは24.0μmであり、さらに好ましくは20.0μmである。本実施形態による鋼材において、旧γ粒径GSは小さい方が好ましい。しかしながら、上述のとおり、サワー環境での使用や高圧水素容器への利用が想定された鋼材では、旧γ粒径GSが5.0μm以下の場合、製造コストが極端に高まる。したがって、本実施形態による鋼材では、旧γ粒径GSの下限を5.0μm超とする。本実施形態による鋼材はさらに、旧γ粒径GSが5.5μm以上であっても、6.0μm以上であっても、125ksi級の高い降伏強度と、優れた耐水素脆化特性とを両立できる場合もある。
【0076】
[旧オーステナイト粒の結晶粒径GSの測定方法]
本実施形態では、鋼材の旧γ粒径GSは、次の方法で求めることができる。旧オーステナイト粒の結晶粒径GSは、JIS G0551:2020に規定された平均切片法の測定法に準拠して求める。
【0077】
初めに、鋼材から、観察面を有する試験片を採取する。鋼材が鋼板の場合、板幅中央部から、観察対象領域である板厚t/4位置を含み、圧延方向に平行な観察面を有する試験片を採取する。ここで、板厚t/4位置とは、鋼板の板厚をtとした場合に、鋼板の表面からt/4深さ位置を意味する。鋼材が鋼管の場合、観察対象領域である肉厚中央部を含み、管軸方向に平行な観察面を有する試験片を採取する。鋼材が丸鋼の場合、観察対象領域であるR/2位置を含み、圧延方向に平行な観察面を有する試験片を採取する。なお、本明細書において、丸鋼とは、軸方向に垂直な断面が円形状の棒鋼を意味する。また、R/2位置とは、丸鋼の軸方向に垂直な断面における半径Rの中心位置を意味する。試験片のサイズは特に限定されない。試験片のサイズはたとえば、圧延方向の長さ10mm×幅方向5mm×厚さ方向10mmとする。圧延方向と厚さ方向とを含む表面(試験片サイズが上述の場合は10mm×10mmの表面)を、観察面とする。
【0078】
試験片の観察面を鏡面研磨する。鏡面研磨後、観察面をピクラール腐食液に10秒程度浸漬して、エッチングにより旧オーステナイト粒の結晶粒界を現出させる。エッチングされた観察面の観察対象領域の任意の10視野を、走査電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)を用いて、二次電子像にて観察して、写真画像を生成する。各視野の面積は、たとえば、500μm×500μm(倍率200倍)である。
【0079】
生成した写真画像を用いて、JIS G0551:2020に規定された平均切片法の測定法に準拠して、結晶粒度番号を評価する。評価した結晶粒度番号から、各視野における旧オーステナイト粒の結晶粒径を求める。10視野において求めた旧オーステナイト粒の結晶粒径の算術平均値を、旧オーステナイト粒の結晶粒径GS(旧γ粒径GS)(μm)と定義する。
【0080】
[鋼材の降伏強度σ]
本実施形態による鋼材において、降伏強度σは862~965MPaである。本明細書において、降伏強度σとは、JIS Z2241:2011に準拠した方法で実施された引張試験によって得られた、0.2%オフセット耐力を意味する。本実施形態による鋼材は、本実施形態のその他の構成を満たすことにより、旧γ粒径GSが5.0μm超であり、降伏強度σが862~965MPaであっても、優れた耐水素脆化特性を有する。
【0081】
本実施形態において、降伏強度σの好ましい下限は865MPaである。本実施形態において、降伏強度σの好ましい上限は965MPa未満であり、より好ましくは960MPaであり、さらに好ましくは955MPaである。なお、降伏強度σの測定方法は、後述する。
【0082】
[鋼材の降伏点降下Δσ]
本実施形態による鋼材において、降伏点降下Δσは40MPa以上である。本明細書において、降伏点降下Δσとは、JIS Z2241:2011に準拠した方法で実施された引張試験によって得られた、弾性変形領域における応力の最大値(上降伏点)と、0.2%オフセット耐力との差を意味する。つまり、本実施形態において、降伏点降下Δσは、図3に示される点P0の応力σ0(MPa)と、図3に示される点Pの応力σ(MPa)との差として定義される(Δσ=σ0-σ)。
【0083】
なお、図2を参照して、図2に示される応力-ひずみ曲線には、応力が急激に低下する領域が存在しない。そのため、このような応力-ひずみ曲線の場合、点P0に相当する点を定義することができず、降伏点降下Δσが定義できない。一方、図1に示されるような応力-ひずみ曲線を示す鋼材では、降伏強度σよりも高い応力であっても弾性変形が維持される。つまり、降伏点降下Δσが大きいほど、塑性変形が起こりにくくなり、水素脆化破壊の発生応力限界が高まる可能性がある。言い換えると、降伏点降下Δσが大きいほど、耐水素脆化特性が高まる可能性がある。
【0084】
ここで、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaの鋼材では、降伏点降下Δσが40MPa以上であれば、本実施形態のその他の構成を満たすことを前提に、優れた耐水素脆化特性を安定して得られる。したがって、本実施形態による鋼材において、降伏点降下Δσは40MPa以上とする。
【0085】
本実施形態において、降伏点降下Δσの好ましい下限は44MPaであり、より好ましくは48MPaであり、さらに好ましくは55MPaであり、さらに好ましくは60MPaである。本実施形態において、降伏点降下Δσの上限は特に限定されない。本実施形態による鋼材の降伏点降下Δσの上限は、たとえば、200MPaであってもよく、150MPaであってもよく、130MPaであってもよく、120MPaであってもよい。なお、降伏点降下Δσの測定方法は、後述する。
【0086】
[鋼材の降伏点伸びΔε]
本実施形態による鋼材において、降伏点伸びΔεは1.5%以上である。本明細書において、降伏点伸びΔεとは、JIS Z2241:2011に準拠した方法で実施された引張試験によって得られた、塑性変形領域が開始するひずみの大きさを意味する。つまり、本実施形態において、降伏点伸びΔεは、図4に示される点Qのひずみ(%)として定義される。
【0087】
なお、図2を参照して、図2に示される応力-ひずみ曲線には、ひずみが増加しても応力が一定になる領域が存在しない。そのため、このような応力-ひずみ曲線の場合、点Qに相当する点を定義することができず、降伏点伸びΔεが定義できない。一方、図1に示されるような応力-ひずみ曲線を示す鋼材では、降伏点伸びΔεが大きいほど、鋼材に導入されたひずみの量が増えても、塑性変形が起こりにくい。そのため、降伏点伸びΔεが大きいほど、水素脆化破壊の発生応力限界が高まる可能性がある。言い換えると、降伏点伸びΔεが大きいほど、耐水素脆化特性が高まる可能性がある。
【0088】
ここで、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上の鋼材では、降伏点伸びΔεが1.5%以上であれば、優れた耐水素脆化特性を安定して得られる。したがって、本実施形態による鋼材において、降伏点伸びΔεは1.5%以上とする。
【0089】
本実施形態において、降伏点伸びΔεの好ましい下限は1.6%であり、より好ましくは1.8%であり、さらに好ましくは2.0%であり、さらに好ましくは2.2%である。本実施形態において、降伏点伸びΔεの上限は特に限定されない。本実施形態による鋼材の降伏点伸びΔεの上限は、たとえば、4.0%であってもよく、3.8%であってもよく、3.6%であってもよく、3.5%であってもよい。なお、降伏点降下Δσの測定方法は、後述する。
【0090】
なお、図2に示されるとおり、本実施形態と重複する化学組成、旧γ粒径GS、及び、降伏強度σを有する鋼材であっても、降伏点降下Δσ及び降伏点伸びΔεが定義できない場合もあり得る。ここで、上述の化学組成を有する鋼材において、降伏点降下Δσや降伏点伸びΔεは、鋼材のミクロ組織(相、析出物、及び、介在物)、及び/又は、析出物の状態(結晶構造、サイズ、及び、体積率)、及び/又は、鋼材中の転位の状態(転位密度、転位の配列、及び、刃状転位とらせん転位との割合等)、さらにはこれらのバランスによって定まるものである。したがって、本実施形態による鋼材は、鋼材のミクロ組織、及び/又は、析出物の状態、鋼材中の転位の状態、さらにはこれらのバランスが適切に制御された結果、降伏点降下Δσが40MPa以上となり、降伏点伸びΔεが1.5%以上となっているものと考えられる。
【0091】
[降伏強度σ、降伏点降下Δσ、降伏点伸びΔεの測定方法]
本実施形態による鋼材の降伏強度σ、降伏点降下Δσ、及び、降伏点伸びΔεは、次の方法で求めることができる。JIS Z2241:2011に準拠した方法で、引張試験を行う。本実施形態による鋼材から、丸棒試験片を作製する。鋼材が鋼板の場合、板幅中央部かつ板厚中央部から丸棒試験片を作製する。鋼材が鋼管の場合、肉厚中央部から丸棒試験片を作製する。鋼材が丸鋼の場合、R/2位置から丸棒試験片を作製する。丸棒試験片の大きさは、たとえば、平行部直径6.0mm、平行部長さ40mmである。なお、丸棒試験片の軸方向が、鋼材の圧延方向と平行になるように丸棒試験片を作製する。
【0092】
作製された丸棒試験片を用いて、常温(25℃)、大気中で引張試験を実施する。引張試験によって得られた応力-ひずみ曲線から、弾性変形領域と、塑性変形領域とを特定する。弾性変形領域と、塑性変形領域とは、当業者であれば当然に特定できる。応力-ひずみ曲線のうち、弾性変形領域において応力が最大値を示す点をP0と定義し、点P0における応力をσ0(MPa)と定義する。さらに、応力-ひずみ曲線のうち弾性変形領域と平行であって、ひずみの正の方向に0.2%平行移動させた直線Lと、応力-ひずみ曲線との交点をPと定義し、点Pの応力をσ(MPa)と定義する。なお、本明細書において「ひずみ」とは、いわゆる公称ひずみを意味する。
【0093】
得られた点Pにおける応力σを、降伏強度σ(MPa)と定義する。なお、降伏強度σ(MPa)は、得られた数値の小数第一位を四捨五入して求める。上述のとおり、降伏強度σは、0.2%オフセット耐力に相当する。得られた点P0における応力σ0と、点Pにおける応力σとの差を、降伏点降下Δσ(MPa)と定義する。なお、降伏点降下Δσ(MPa)は、得られた数値の小数第一位を四捨五入して求める。さらに、応力-ひずみ曲線のうち、塑性変形領域が開始する点をQと定義する。得られた点Qのひずみ(%)を降伏点伸びΔε(%)と定義する。なお、降伏点伸びΔε(%)は、得られた数値の小数第二位を四捨五入して求める。
【0094】
[式(1)]
本実施形態による鋼材は、好ましくは、旧γ粒径GSと、降伏強度σと、降伏点伸びΔεとが、次の式(1)を満たす。本実施形態による鋼材が式(1)を満たせば、さらに優れた耐水素脆化特性を有する。
σ×Δε/GS≧12 (1)
ここで、式(1)中のσには、鋼材の降伏強度が単位:MPaで代入され、式(1)中のΔεには、鋼材の降伏点伸びが単位:%で代入され、式(1)中のGSには、鋼材の旧オーステナイト粒の結晶粒径が単位:μmで代入される。
【0095】
Fn1=σ×Δε/GSと定義する。Fn1は、耐水素脆化特性の指標である。本実施形態の他の構成を満たすことを前提として、Fn1が12以上になれば、鋼材はさらに優れた耐水素脆化特性を有する。したがって、本実施形態による鋼材は、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上であり、さらに、Fn1が12以上であるのが好ましい。
【0096】
Fn1のさらに好ましい下限は12超であり、さらに好ましくは13である。Fn1の上限は特に限定されないが、たとえば、148であってもよく、135であってもよく、130であってもよく、125であってもよい。なお、Fn1は、得られた数値の小数第一位を四捨五入して求める。
【0097】
[耐水素脆化特性]
本実施形態による鋼材は、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上である。その結果、本実施形態による鋼材は、旧γ粒径GSが5.0μm超であっても、高強度と優れた耐水素脆化特性とを有する。本実施形態において、優れた耐水素脆化特性とは、次の方法で評価できる。
【0098】
本実施形態による鋼材から、耐水素脆化特性評価用の試験片を作製する。試験片は、環状切欠き付き丸棒試験片とする。試験片は、たとえば、平行部の直径が4.0mm、平行部の長さが25mmであり、平行部の長手方向中央位置には、環状ノッチが形成される。このとき、切欠き形状について、切欠きの深さが0.3mm、切欠き角度が60°であり、切欠き底の曲率半径が0.125mmである。鋼材が鋼板の場合、板幅中央部かつ板厚t/4位置から丸棒試験片を作製する。鋼材が鋼管の場合、肉厚中央部から丸棒試験片を作製する。鋼材が丸鋼の場合、R/2位置から丸棒試験片を作製する。
【0099】
作製された環状切欠き付き丸棒試験片に対して、陰極水素チャージ法により水素をチャージする。具体的には、常温の陰極水素チャージ溶液を準備する。陰極水素チャージ溶液は、常温の5質量%の塩化ナトリウム水溶液、30g/LのNHSCN、及び、酢酸緩衝液を含有する水溶液とし、酢酸緩衝液により、試験前のpHをpH3.5に調整する。
【0100】
陰極水素チャージ溶液に環状切欠き丸棒試験片を浸漬した状態で、電位を-1.5V、チャージ時間を24時間として、環状切欠き付き丸棒試験片に水素をチャージする。このとき、好ましくは、水素がチャージされた環状切欠き付き丸棒試験片の表面に、亜鉛めっき被膜を形成し、環状切欠き付き丸棒試験片内の水素が外部に漏れないようにする。
【0101】
水素がチャージされた環状切欠き付き丸棒試験片に対して、低ひずみ速度試験機(SSRT)を用いて、常温(25℃)、大気中で引張試験を実施する。このとき、ひずみ速度を4.2×10-6/秒として、破断応力BS1を求める。なお、破断応力BS1は、得られた数値の小数第一位を四捨五入して求める。本実施形態では、上述の条件で得られた破断応力BS1が950MPa以上であれば、優れた耐水素脆化特性を有すると判断する。本実施形態ではさらに、上述の条件で得られた破断応力BS1が970MPa以上であれば、さらに優れた耐水素脆化特性を有すると判断する。
【0102】
[ミクロ組織]
本実施形態による鋼材のミクロ組織では、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率が90%以上である。ミクロ組織の残部はたとえば、フェライト、及び/又は、パーライトである。本実施形態において、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上である場合、当該鋼材は焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率が90%以上であると判断できる。
【0103】
[焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率の測定方法]
本実施形態の鋼材のミクロ組織における焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率は、次の方法によっても求めることができる。鋼材から、観察面を有する試験片を作製する。鋼材が鋼板の場合、板幅中央部から、観察対象領域である板厚t/4位置を含み、圧延方向に平行な観察面を有する試験片を採取する。鋼材が鋼管の場合、観察対象領域である肉厚中央部を含み、管軸方向に平行な観察面を有する試験片を作製する。鋼材が丸鋼の場合、観察対象領域であるR/2位置を含み、圧延方向に平行な観察面を有する試験片を採取する。試験片のサイズは特に限定されない。試験片のサイズはたとえば、圧延方向の長さ10mm×幅方向5mm×厚さ方向10mmである。鋼材が鋼板の場合、厚さ方向は板厚方向に相当し、幅方向は板幅方向に相当する。鋼材が鋼管の場合、圧延方向は管軸方向に相当し、厚さ方向は肉厚方向に相当し、幅方向は、管軸方向及び肉厚方向に垂直な方向(周方向)に相当する。鋼材が丸鋼である場合、圧延方向は軸方向に相当し、厚さ方向は径方向に相当し、幅方向は圧延方向及び径方向に垂直な方向(周方向)に相当する。圧延方向と厚さ方向とを含む表面(試験片サイズが上述の場合は10mm×10mmの表面)を、観察面とする。
【0104】
試験片の観察面を鏡面に研磨した後、ナイタール腐食液に10秒程度浸漬して、エッチングによる組織現出を行う。エッチングした観察面の観察対象領域内の任意の10視野を、走査電子顕微鏡(SEM:Scanning Electron Microscope)を用いて、二次電子像にて観察する。鋼材が鋼板の場合、観察対象領域は板厚t/4位置である。鋼材が鋼管である場合、観察対象領域は肉厚中央部である。鋼材が丸鋼である場合、観察対象領域はR/2位置である。観察対象領域内の10個の各視野面積は、たとえば、400μm(倍率5000倍)である。
【0105】
各視野において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトを特定する。各視野において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトと、その他の組織(フェライト、パーライト等)とは、形態から区別できる。具体的には、ラメラ組織を有する組織はパーライトと特定できる。ラスやレンズを含む組織は、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトと特定できる。粒内に下部組織がない組織はフェライトと特定できる。
【0106】
特定した焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率を求める。総面積率を求める方法は特に限定されず、周知の方法でよい。たとえば、画像解析によって、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率を求めることができる。本実施形態では、全ての視野(10視野)で求めた、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率の算術平均値を、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率(%)と定義する。
【0107】
[鋼材の形状及び用途]
本実施形態による鋼材の形状は特に限定されない。本実施形態の鋼材は、鋼管であってもよく、鋼板であってもよく、丸鋼であってもよい。
【0108】
好ましくは、本実施形態の鋼材は、油井用鋼管、ラインパイプ用鋼管、及び、高圧水素容器用鋼管のいずれかである。油井用鋼管は、油井管用途の鋼管を意味する。油井管はたとえば、油井又はガス井の掘削、原油又は天然ガスの採取等に用いられるケーシング、チュービング、ドリルパイプ等である。ラインパイプ用鋼管は、油井又はガス井から採取された生産流体(原油又は天然ガス)を輸送するパイプラインを構成するラインパイプ用途の鋼管を意味する。パイプラインはたとえば、油井又はガス井から生産流体を輸送するフローライン、フローラインで輸送された生産流体を集合して一次処理施設まで輸送するギャザリングライン、脱水等の一次処理を実施した生産流体を市場近郊まで輸送するトランクライン、及び、消費者まで輸送するディストリビューションライン等である。高圧水素容器用鋼管は、ISO11439、ANSI/NGV、高圧ガス保安法、容器保安規則例示基準等で規格化されており、高圧の水素ガスが貯蔵される高圧水素容器に利用される鋼管を意味する。本実施形態の鋼材は、高圧水素容器用鋼管であってもよく、高圧水素蓄圧器用鋼管、高圧水素ボンベ用鋼管のいずれかであってもよい。
【0109】
より好ましくは、本実施形態の鋼材は、油井用継目無鋼管、ラインパイプ用継目無鋼管、及び、高圧水素容器用継目無鋼管のいずれかである。油井用継目無鋼管は、油井用鋼管が継目無鋼管であることを意味する。ラインパイプ用継目無鋼管は、ラインパイプ用鋼管が継目無鋼管であることを意味する。高圧水素容器用継目無鋼管は、高圧水素容器用鋼管が継目無鋼管であることを意味する。本実施形態の鋼材は、高圧水素容器用継目無鋼管であってもよく、高圧水素蓄圧器用継目無鋼管、高圧水素ボンベ用継目無鋼管のいずれかであってもよい。
【0110】
[製造方法]
以下、本実施形態による鋼材の製造方法の一例を説明する。なお、以下に説明する製造方法は一例であって、本実施形態による鋼材の製造方法はこれに限定されない。つまり、上述の構成を有する本実施形態による鋼材が製造できれば、以下に説明する製造方法に限定されない。ただし、以下に説明する製造方法は、本実施形態による鋼材を製造する好適な製造方法である。
【0111】
本実施形態による鋼材の製造方法の一例は、次の工程を含む。
(工程1)素材準備工程
(工程2)熱間加工工程
(工程3)焼入れ及び焼戻し工程
(工程4)低温熱処理工程
本製造方法は、工程4の低温熱処理工程において、次の条件を満たす。
(条件1)150~250℃で10分以上保持する。
以下、各工程について説明する。
【0112】
[(工程1)素材準備工程]
素材準備工程では、初めに、上述の化学組成を有する溶鋼を周知の精錬方法により製造する。製造された溶鋼を用いて連続鋳造法により鋳片を製造する。ここで、鋳片とは、スラブ、ブルーム、又はビレットである。鋳片に代えて、上記溶鋼を用いて造塊法によりインゴットを製造してもよい。必要に応じて、スラブ、ブルーム又はインゴットを熱間圧延して、ビレットを製造してもよい。以上の製造工程により、素材(スラブ、ブルーム、又は、ビレット)を製造する。
【0113】
[(工程2)熱間加工工程]
熱間加工工程では、準備された素材を熱間加工して、中間鋼材を製造する。最終製品が鋼管である場合、初めに、素材を加熱炉で加熱する。加熱温度は特に限定されないが、たとえば、1100~1300℃である。加熱炉から抽出された素材に対して熱間加工を実施して、素管(継目無鋼管)を製造する。たとえば、熱間加工としてマンネスマン法を実施し、素管を製造する。この場合、穿孔機によりビレットを穿孔圧延する。穿孔圧延後のビレットに対して、マンドレルミルを用いた延伸圧延を実施する。さらに、必要に応じて、延伸圧延後のビレットに対して、レデューサ又はサイジングミルを用いた定径圧延を実施する。以上の工程により、素管を製造する。
【0114】
マンネスマン法以外の他の熱間加工方法により、ビレットから素管を製造してもよい。たとえば、カップリングのように短尺の厚肉鋼材である場合、エルハルト法等の鍛造により素管を製造してもよく、熱間押出法により素管を製造してもよい。
【0115】
最終製品が鋼板である場合、たとえば、一対のロール群を含む1又は複数の圧延機を用いて、素材(スラブ)に対して熱間圧延を実施して、中間鋼材(鋼材)を製造する。熱間圧延前の加熱温度は特に限定されないが、たとえば、1100~1300℃である。
【0116】
最終製品が丸鋼である場合、たとえば、素材(ブルーム)に対して、分塊圧延機を用いた分塊圧延及び/又は連続圧延機を用いた熱間圧延を実施して、中間鋼材(丸鋼)を製造する。つまり、素材に対して分塊圧延を実施して丸鋼としてもよく、素材に対して分塊圧延を実施せず、連続圧延機を用いた熱間圧延を実施して丸鋼としてもよく、素材に対して分塊圧延機を用いた分塊圧延及び連続圧延機を用いた熱間圧延を実施して、丸鋼としてもよい。連続圧延機は複数の圧延スタンドが一列に並んでおり、各スタンドは一対の圧延ロールを含む。分塊圧延を実施する場合、分塊圧延前の加熱温度は特に限定されないが、たとえば、1100~1300℃である。連続圧延機を用いた熱間圧延を実施する場合、熱間圧延前の加熱温度は特に限定されないが、たとえば、1100~1300℃である。
【0117】
[(工程3)焼入れ及び焼戻し工程]
焼入れ及び焼戻し工程では、熱間加工工程後の中間鋼材に対して、焼入れ工程及び焼戻し工程を実施する。
【0118】
[焼入れ工程]
焼入れ工程では、熱間加工工程で製造された中間鋼材に対して、焼入れを実施する。焼入れは周知の方法で実施する。具体的には、熱間加工後の中間鋼材を熱処理炉に装入し、焼入れ温度で保持する。焼入れ温度はAC3変態点以上であり、たとえば、900~1000℃である。中間鋼材を焼入れ温度で保持した後、急冷(焼入れ)する。
【0119】
焼入れ温度が高すぎれば、結晶粒が粗大化し、製造された鋼材において、旧γ粒径GSが大きくなりすぎる場合がある。一方、焼入れ温度が低すぎれば、製造された鋼材において、粗大な炭化物が残留する場合がある。この場合、862MPa以上の降伏強度σが得られない。したがって、本実施形態による焼入れ工程では、焼入れ温度はAC3変態点以上であり、具体的には900~1000℃であるのが好ましい。
【0120】
焼入れ温度での保持時間は特に限定されないが、たとえば、10~60分である。焼入れ方法はたとえば、水冷である。焼入れ方法は特に制限されない。鋼材が鋼管である場合、水槽又は油槽に浸漬して素管を急冷してもよく、素管の外面及び/又は内面に対して冷却水を注いだり、冷却水をノズルから噴射したりして、素管を急冷してもよい。
【0121】
なお、熱間加工後、鋼材を常温まで冷却することなく、熱間加工直後に焼入れ(直接焼入れ)を実施してもよく、熱間加工後の鋼材の温度が低下する前に補熱炉に装入して焼入れ温度に保持した後、焼入れを実施してもよい。
【0122】
[焼戻し工程]
焼戻し工程では、焼入れ工程後の鋼材に対して、焼戻しを実施する。焼戻し工程では、鋼材の降伏強度σを862~965MPaに調整する。なお、焼戻し工程の条件を調整することで、鋼材の降伏強度σを862~965MPaに調整するのは、当業者であれば実施可能である。
【0123】
焼戻し温度及び保持時間は、製造される鋼材の降伏強度σが862~965MPaとなればよく、特に限定されない。具体的に、焼戻し温度はたとえば、650℃~AC1変態点である。焼戻し温度での保持時間は特に限定されないが、たとえば、10~180分である。化学組成に応じて焼戻し温度を適宜調整することにより、上述の化学組成の鋼材の降伏強度を調整する。ここで、焼戻し温度は熱処理炉での炉温(℃)を意味し、焼戻し温度での保持時間は在炉時間(熱処理炉に装入してから抽出されるまでの時間)を意味する。
【0124】
なお、焼入れ工程及び焼戻し工程は1回ずつ実施してもよく、複数回実施してもよい。たとえば、焼入れ工程及び焼戻し工程を実施した後、再び焼入れ工程及び焼戻し工程を実施してもよい。焼入れ工程及び焼戻し工程を複数回実施した場合、製造された鋼材において、旧γ粒径GSが小さくなる場合がある。
【0125】
[(工程4)低温熱処理工程]
低温熱処理工程では、焼入れ及び焼戻し工程後の鋼材に対して、下記条件1に記載の条件で、低温熱処理をする。
【0126】
[条件1について]
(条件1)150~250℃で10分以上保持する。
本実施形態では、焼戻し工程後の鋼材に対して、150~250℃で10分以上保持する。ここで、低温熱処理工程の熱処理温度は熱処理炉での炉温(℃)を意味し、熱処理時間は在炉時間(熱処理炉に装入してから抽出されるまでの時間)を意味する。
【0127】
150~250℃での熱処理によれば、転位が安定化される可能性がある。転位が安定化されれば、塑性変形が生じにくくなる。その結果、降伏点降下Δσが40MPa以上になり、かつ、降伏点伸びΔεが1.5%以上になる。そこで、本実施形態による低温熱処理工程では、150~250℃で10分以上の熱処理を実施する。
【0128】
熱処理温度が低すぎれば、上記効果が十分に得られない。つまり、転位が十分に安定化せず、製造された鋼材において、降伏点降下Δσが定義できない、又は、降伏点降下Δσが40MPa未満になる場合がある。この場合さらに、降伏点伸びΔεが定義できない、又は、降伏点伸びΔεが1.5%未満になる場合がある。一方、熱処理温度が高すぎても、転位の安定化が十分に得られない場合がある。そのため、製造された鋼材において、降伏点降下Δσが定義できない、又は、降伏点降下Δσが40MPa未満になる場合がある。この場合さらに、降伏点伸びΔεが定義できない、又は、降伏点伸びΔεが1.5%未満になる場合がある。
【0129】
熱処理時間が短すぎれば、上記効果が十分に得られない。つまり、転位が十分に安定化せず、製造された鋼材において、降伏点降下Δσが定義できない、又は、降伏点降下Δσが40MPa未満になる場合がある。この場合さらに、降伏点伸びΔεが定義できない、又は、降伏点伸びΔεが1.5%未満になる場合がある。一方、熱処理時間が長すぎても、上記効果が飽和する。したがって、熱処理時間の上限は特に限定されないが、たとえば、60分である。
【0130】
以上の製造工程を実施することにより、本実施形態による鋼材を製造できる。以下、実施例によって本実施形態による鋼材の効果をさらに具体的に説明する。以下に説明する実施例での各種条件は、本実施形態による鋼材の実施可能性及び効果を確認するために採用された一条件例である。したがって、本実施形態による鋼材は、実施例に記載の一条件例に限定されない。
【実施例
【0131】
表1-1及び表1-2に示す化学組成を有する、鋼材(鋼板)を製造した。なお、表1-1及び表1-2中の「-」は、対応する元素の含有量が、不純物レベル以下であることを示す。
【0132】
【表1-1】
【0133】
【表1-2】
【0134】
各試料符号の鋼材を次の方法で製造した。表1-1及び表1-2に記載の化学組成を有するインゴットを鋳造法により製造した。インゴットに対して熱間鍛造を実施して、厚さ50mmのブロック材を製造した。
【0135】
ブロック材に対して、熱間加工工程を実施した。具体的には、ブロック材を1250℃に加熱した。加熱後のブロック材に対して熱間圧延を実施して、厚さ15mmの鋼材(鋼板)を製造した。製造された鋼材を常温まで放冷した。
【0136】
常温まで放冷した鋼材に対して、焼入れ及び焼戻し工程を実施した。具体的には、鋼材に対して、表2に示す「焼入れ工程」欄の温度(℃)で、時間(分)だけ保持した後、水冷する焼入れを実施した。焼入れ後の鋼材に対して、焼戻しを実施した。表2に示す「焼戻し工程」欄の温度(℃)で、時間(分)だけ保持した。その後、焼戻し後の鋼材に対して、低温熱処理工程を実施した。表2に示す「低温熱処理工程」欄の温度(℃)で、時間(分)だけ保持した。なお、試料符号ZRの鋼材に対しては、低温熱処理工程を実施しなかった。以上の製造工程により、各試料符号の鋼材(鋼板)を製造した。
【0137】
【表2】
【0138】
[評価試験]
製造された鋼材に対して、旧γ粒径測定試験、引張試験、及び、耐水素脆化特性評価試験を実施した。
【0139】
[旧γ粒径測定試験]
各試料符号の鋼材の板幅中央部から、観察対象領域である板厚t/4位置を含み、圧延方向と板厚方向とを含む面を観察面とする試験片を作製した。試験片のサイズは、圧延方向の長さ10mm、板幅方向の長さ5mm、板厚方向の長さ10mmであった。圧延方向の長さ10mm×板厚方向の長さ10mmを、観察面とした。採取した試験片に対して、上述の方法に準拠して、旧γ粒径GS(μm)を求めた。このとき、視野面積を500μm×500μm(倍率200倍)とした。得られた旧γ粒径GS(μm)を、表3中の「旧γ粒径GS(μm)」欄に示す。
【0140】
【表3】
【0141】
[引張試験]
各試料符号の鋼材の板厚中央部から、丸棒試験片を採取した。丸棒試験片の平行部の直径は6.0mmであり、平行部の長さは40mmであった。丸棒試験片の軸方向は、鋼材の圧延方向と平行であった。丸棒試験片を用いて、上述の方法に準拠して、降伏強度σ(MPa)、降伏点降下Δσ(MPa)、及び、降伏点伸びΔε(%)を求めた。引張試験における一様伸び中の最大応力を、引張強度(MPa)と定義した。得られた降伏強度σを、表3中の「降伏強度σ(MPa)」欄に示す。得られた引張強度を表3の「引張強度(MPa)」欄に示す。得られた降伏点降下Δσを、表3中の「降伏点降下Δσ(MPa)」欄に示す。得られた降伏点伸びΔεを、表3中の「降伏点伸びΔε(%)」欄に示す。なお、降伏点降下Δσ及び降伏点伸びΔεが定義できない場合、表3中には「-」を示す。さらに、得られた旧γ粒径GS(μm)と、降伏強度σ(MPa)と、降伏点伸びΔε(%)と、上述の定義とから、Fn1(=σ×Δε/GS)を得た。得られたFn1を表3中の「Fn1」欄に示す。
【0142】
[耐水素脆化特性評価試験]
各試料符号の鋼材の板幅中央部かつ板厚t/4位置から、環状切欠き付き丸棒試験片を2つ作製した。各試験片の平行部の直径は4.0mmであり、平行部の長さは25mmであり、平行部の長手方向中央位置には、環状ノッチを形成した。切欠き形状では、切欠きの深さが0.3mm、切欠き角度が60°であり、切欠き底の曲率半径が0.125mmであった。
【0143】
陰極水素チャージ法により、2つの環状切欠き付き丸棒試験片のうちの一方に対して、水素をチャージした。具体的には、常温の陰極水素チャージ溶液を準備した。陰極水素チャージ溶液は、常温の5質量%の塩化ナトリウム水溶液、30g/LのNHSCN、及び、酢酸緩衝液を含有する水溶液とし、酢酸緩衝液により、試験前のpHをpH3.5に調整した。
【0144】
陰極水素チャージ溶液に環状切欠き丸棒試験片を浸漬した状態で、電位を-1.5V、チャージ時間を24時間として、環状切欠き付き丸棒試験片に水素をチャージした。つまり、水素をチャージすることにより、サワー環境を模擬した。水素がチャージされた環状切欠き付き丸棒試験片の表面に、各試料符号で同じ条件で亜鉛めっき被膜を形成し、環状切欠き付き丸棒試験片内の水素が外部に漏れないようにした。なお、もう1つの環状切欠き付き丸棒試験片については、水素をチャージしなかった。
【0145】
亜鉛めっき被膜が形成された環状切欠き付き丸棒試験片に対して、低ひずみ速度試験機(SSRT)を用いて、常温、大気中において、4.2×10-6/秒のひずみ速度で引張試験を実施し、水素環境中の破断応力BS1(MPa)を求めた。
【0146】
さらに、各試料符号の水素をチャージしなかった環状切欠き付き丸棒試験片に対して、低ひずみ速度試験機(SSRT)を用いて、常温、大気中において、4.2×10-6/秒のひずみ速度で引張試験を実施し、大気中の破断応力BS0(MPa)を求めた。
【0147】
得られた大気中の破断応力BS0(MPa)を、表3中の「ノッチ付き引張試験結果」欄の「大気中(MPa)」欄に示す。得られた水素環境中の破断応力BS1(MPa)を、表3中の「ノッチ付き引張試験結果」欄の「水素環境中(MPa)」欄に示す。
【0148】
[評価結果]
表1-1、表1-2、表2、及び、表3を参照して、試料符号A~Xでは、上述の化学組成を有し、旧γ粒径GSが5.0超~30.0μmを満たし、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上であった。その結果、水素環境中の破断応力BS1が950MPa以上となり、優れた耐水素脆化特性を有していた。つまり、これらの鋼材は、旧γ粒径GSが5.0μm超であっても、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを有していた。なお、試料符号A~Xは、ミクロ組織において、焼戻しマルテンサイト及び焼戻しベイナイトの総面積率が90%以上であると判断した。
【0149】
試料符号A~Uはさらに、Fn1が12以上であった。その結果、水素環境中の破断応力BS1が970MPa以上となり、さらに優れた耐水素脆化特性を有していた。
【0150】
一方、試料符号ZAは、C含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0151】
試料符号ZBは、C含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、降伏強度σが965MPaを超えた。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0152】
試料符号ZCは、Si含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0153】
試料符号ZDは、Si含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0154】
試料符号ZEは、Mn含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0155】
試料符号ZFは、Cr含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0156】
試料符号ZGは、Cr含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0157】
試料符号ZHは、Mo含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0158】
試料符号ZIは、Mo含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0159】
試料符号ZJは、V含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、降伏強度σが862MPa未満となった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0160】
試料符号ZKは、V含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、降伏強度σが965MPaを超えた。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0161】
試料符号ZLは、Nb含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、降伏点降下Δσが定義できなかった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0162】
試料符号ZMは、Nb含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0163】
試料符号ZNは、Ti含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0164】
試料符号ZOは、B含有量が低すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0165】
試料符号ZPは、B含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0166】
試料符号ZQは、N含有量が高すぎた。その結果、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0167】
試料符号ZRは、低温熱処理工程を実施しなかった。その結果、この鋼材は、降伏点降下Δσ及び降伏点伸びΔεが定義できなかった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0168】
試料符号ZSは、低温熱処理工程の熱処理温度が低すぎた。その結果、この鋼材は、降伏点降下Δσ及び降伏点伸びΔεが定義できなかった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0169】
試料符号ZTは、低温熱処理工程の熱処理温度が高すぎた。その結果、この鋼材は、降伏点降下Δσが定義できなかった。その結果さらに、この鋼材は、降伏点伸びΔεが1.5%未満になった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0170】
試料符号ZUは、低温熱処理工程の熱処理時間が短すぎた。その結果、この鋼材は、降伏点降下Δσが40MPa未満になった。その結果さらに、この鋼材は、水素環境中の破断応力BS1が950MPa未満となり、優れた耐水素脆化特性を有していなかった。
【0171】
以上、本開示の実施の形態を説明した。しかしながら、上述した実施の形態は本開示を実施するための例示に過ぎない。したがって、本開示は上述した実施の形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施の形態を適宜変更して実施することができる。
【要約】
旧オーステナイト粒の結晶粒径が5.0μm超であっても、高強度と、優れた耐水素脆化特性とを有する鋼材を提供する。本開示による鋼材は、化学組成が、質量%で、C:0.20%~0.45%、Si:0.05~1.50%、Mn:0.01~1.00%、P:0.030%以下、S:0.0100%以下、Cr:0.40~1.10%、Mo:0.40~1.30%、V:0.01~0.30%、Nb:0.005~0.100%、Ti:0.001~0.030%、Al:0.005~0.100%、B:0.0005~0.0050%、N:0.0100%以下、O:0.0050%以下、及び、残部がFe及び不純物からなり、旧オーステナイト粒の結晶粒径GSが5.0超~30.0μmであり、降伏強度σが862~965MPaであり、降伏点降下Δσが40MPa以上であり、降伏点伸びΔεが1.5%以上である。
図1
図2
図3
図4