(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-10-11
(45)【発行日】2024-10-22
(54)【発明の名称】マルテンサイト系ステンレス鋼板およびマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20241015BHJP
C22C 38/58 20060101ALI20241015BHJP
C21D 9/46 20060101ALI20241015BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
C21D9/46 Q
(21)【出願番号】P 2020153203
(22)【出願日】2020-09-11
【審査請求日】2023-05-11
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】松林 弘泰
(72)【発明者】
【氏名】汐月 勝幸
【審査官】小川 進
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/203695(WO,A1)
【文献】特開2017-171990(JP,A)
【文献】特開2016-166385(JP,A)
【文献】特開2008-163452(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00- 38/60
C21D 9/46
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.10%以上0.15%以下、Si:0.05%以上0.80%以下、Mn:0.05%以上2.00%以下、P:0.04%以下、S:0.003%以下、Ni:0.50%以下、Cr:11.0%以上15.0%以下、Cu:0.50%以下、N:0.005%以上0.06%以下、Al:0.20%以下を含有し、残部がFe、炭窒化物および不可避的不純物であり、
下記(1)式により定まるM値が95.0以上であり、
マトリックスがマルテンサイト相であり、
圧延方向と板厚方向とに平行な断面における、上記炭窒化物の面積率が1.0%以下であ
り、
JIS Z2241:2011の規格に準拠して、JIS 13B号試験片について測定される、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm
2
以上である、マルテンサイト系ステンレス鋼板:
M値=420C-11.5Si+7Mn+23Ni-11.5Cr-12Mo-10V+9Cu-52Al+470N+189 (1)
上記(1)式の元素記号の箇所には、上記マルテンサイト系ステンレス鋼板が含有している各元素の含有量(質量%)が代入され、無添加の元素については0(ゼロ)が代入される。
【請求項2】
質量%で、Mo:1.00%以下、V:0.50%以下、B:0.001%以上0.01%以下から選択される1種以上をさらに含有する、請求項1に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼板。
【請求項3】
請求項1に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法であって、
熱間圧延工程、熱延板焼鈍工程、および冷間圧延工程をこの順に含む前工程を経た鋼板を、1040℃以上1150℃以下の温度範囲
に30秒以上保持して仕上焼鈍を行う仕上焼鈍工程を含む、マルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法。
【請求項4】
上記仕上焼鈍工程では、上記温度範囲を30秒以上保持した後、2.0℃/sec以上20.0℃/sec以下の冷却速度で100℃まで冷却する、請求項3に記載のマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、マルテンサイト系ステンレス鋼板およびマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
自動車および自動二輪車のシリンダーヘッドガスケット等のガスケット部材、自動車シートベルトのリトラクターぜんまいばね、電子機器部品用ばね等のばね部材に好適なステンレス鋼種として、準安定オーステナイト系ステンレス鋼が知られている。しかしながら、準安定オーステナイト系ステンレス鋼は、Ni含有量が多いので価格が高い。そこで、ばね部材に適用可能であり、かつ、準安定オーステナイト系ステンレス鋼よりも安価なステンレス鋼種として、マルテンサイト系ステンレス鋼が注目されている。
【0003】
しかしながら、マルテンサイト系ステンレス鋼は、一般的に曲げ性に劣る。また、ばね部材は種々の腐食環境下で使用されることから、マルテンサイト系ステンレス鋼をばね部材に適用するためには遅れ破壊に対する抵抗力を高める必要もある。これらの課題を克服するために様々な研究が進められており、例えば特許文献1には、良好な曲げ性を有し、かつ、圧延方向の0.2%耐力が1100N/mm2以上での耐遅れ破壊性にも優れたマルテンサイト系ステンレス鋼板が開示されている。
【0004】
ここで、遅れ破壊は、マルテンサイト系ステンレス鋼板が静的な負荷応力を受けた状態において所定の時間を経過したとき、当該マルテンサイト系ステンレス鋼板が、外見上はほとんど塑性変形を伴うことなく突然脆性的に破壊される現象である。応力腐食割れは、遅れ破壊の前兆となる現象の一例である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、特許文献1に開示されたマルテンサイト系ステンレス鋼板は、曲げ性は良好であるものの、耐遅れ破壊性については必ずしも十分とは言えないことが判明した。
【0007】
本発明の一態様は、良好な曲げ性を有し、かつ、耐遅れ破壊性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼板等を実現することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板は、質量%で、C:0.10%以上0.15%以下、Si:0.05%以上0.80%以下、Mn:0.05%以上2.0%以下、P:0.04%以下、S:0.003%以下、Ni:0.50%以下、Cr:11.0%以上15.0%以下、Cu:0.50%以下、N:0.005%以上0.06%以下、Al:0.20%以下を含有し、残部がFe、炭窒化物および不可避的不純物であり、
下記(1)式により定まるM値が95.0以上であり、
マトリックスがマルテンサイト相であり、
圧延方向と板厚方向とに平行な断面における、上記炭窒化物の面積率が1.0%以下である:
M値=420C-11.5Si+7Mn+23Ni-11.5Cr-12Mo-10V+9Cu-52Al+470N+189 (1)
上記(1)式の元素記号の箇所には、上記マルテンサイト系ステンレス鋼板が含有している各元素の含有量(質量%)が代入され、無添加の元素については0(ゼロ)が代入される。
【0009】
本発明の一態様に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板は、質量%で、Mo:1.00%以下、V:0.50%以下、B:0.0001%以上0.01%以下から選択される1種以上をさらに含有してもよい。
【0010】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法は、1040℃以上1150℃以下の温度範囲を30秒以上保持して仕上焼鈍を行う仕上焼鈍工程を含む。
【0011】
本発明の一態様に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板の製造方法は、上記仕上焼鈍工程では、上記温度範囲を30秒以上保持した後、2.0℃/sec以上20.0℃/sec以下の冷却速度で100℃まで冷却してもよい。
【発明の効果】
【0012】
本発明の一態様によれば、良好な曲げ性を有し、かつ、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上での耐遅れ破壊性に優れたマルテンサイト系ステンレス鋼板等を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】符号101は、本発明の一実施例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板の観察面を示すSEM写真である。符号102は、本発明の他の実施例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板の観察面を示すSEM写真である。符号103は、本発明の比較例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板の観察面を示すSEM写真である。
【
図2】符号201は、本発明の一実施例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板のサンプルの表面形状を示す斜視図である。符号202は、本発明の比較例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板のサンプルの表面形状を示す斜視図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下、本発明の一実施形態に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板について詳細に説明する。以下の記載は発明の趣旨をより良く理解させるものであり、特に指定のない限り、本発明を限定するものではない。また、本明細書において特記しない限り、数値範囲を表す「A~B」は、「A以上B以下」を意味する。
【0015】
〔耐遅れ破壊性向上のメカニズム〕
マルテンサイト系ステンレス鋼板の製造プロセスでは、通常、熱延鋼板をAc1点以下の温度で長時間焼鈍して、熱延鋼板中のマルテンサイト相をフェライト相と炭窒化物とに分解する熱延板焼鈍を行う。炭窒化物は、CまたはNの一方もしくはCおよびNの双方が金属元素と結合した化合物相からなる粒子である。Nがほとんど含まれない炭化物粒子およびCがほとんど含まれない窒化物粒子も、炭窒化物に該当する。
【0016】
熱延板焼鈍によって硬質なマルテンサイト相をできるだけ消失させ、熱延鋼板を軟質化しておくことにより、その後の冷間圧延で板厚の調整が容易になる。冷間圧延によって目標板厚に調整された薄板材をオーステナイト単相温度域の所定の温度まで昇温させ、オーステナイト単相温度域で所定の時間保持した後、常温付近まで冷却して、高強度のマルテンサイト組織を得る。この一連の熱処理は「仕上焼鈍」と称される。
【0017】
本明細書では、仕上焼鈍のうち、薄板材をオーステナイト単相温度域の所定の温度まで昇温させる処理を「昇温処理」と称し、上記所定の温度を「最高到達材料温度」と称する。また、昇温処理が施された薄板材をオーステナイト単相温度域に所定の時間保持する処理を「温度保持処理」と称し、温度保持処理における薄板材の温度域であるオーステナイト単相温度域を「保持温度域」と称する。さらに、温度保持処理が施された薄板材を常温付近まで冷却する処理を「冷却処理」と称する。
【0018】
仕上焼鈍を行うことで薄板材中の炭窒化物の固溶化反応が進むものの、仕上焼鈍後も一部の炭窒化物は残留する。すなわち、仕上焼鈍において、薄板材を炭窒化物が完全に固溶して消失するような高温に長時間保持することは、生産性の低下を招く要因になる。また、一般的には、薄板材の組織状態を炭窒化物が完全に消失した状態にする必要性もない。これらのことから、マルテンサイト系ステンレス鋼板のマトリックス(金属素地)中には、通常、溶解せずに残留した炭窒化物が分散している。この溶解せずに残留した炭窒化物を、本明細書では「未溶解炭窒化物」と称する。
【0019】
未溶解炭窒化物を構成するCは、主としてM23C6の形態として金属元素と結びついていると考えられる。M23C6の「M」は、Cr、Feなどのマトリックスを構成する金属元素である。マトリックス中に分散している粒状相が未溶解炭窒化物であることは、EPMA(電子線マイクロアナライザ)を用いて分析することができる。あるいは、EDX(エネルギー分散型X線分析)等の分析手法によっても確認することができる。
【0020】
発明者らは詳細な研究の結果、マルテンサイト系ステンレス鋼板において問題となる上述の遅れ破壊は、未溶解炭窒化物の存在量を制限することでその発生が低減されることを見出した。言い換えれば、未溶解炭窒化物の存在量を制限することで、マルテンサイト系ステンレス鋼板の耐遅れ破壊性が向上することを見出した。この知見は、未溶解炭窒化物がH2のトラップサイトとして機能し、マルテンサイト系ステンレス鋼板中の水素濃度が高くなることで応力腐食割れが誘発され、遅れ破壊に繋がるとの推察に基づくものである。
【0021】
耐遅れ破壊性向上のために実施する未溶解炭窒化物の存在量の制限方法としては、例えば円相当径が1.00μm以上の粒子サイズが大きい未溶解炭窒化物の個数を制限するなど、複数の方法が考えられる。その中でも、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上の強度レベルのマルテンサイト系ステンレス鋼板については、未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下にすることで耐遅れ破壊性が向上することが、発明者らの鋭意検討の結果判明した。「未溶解炭窒化物の面積率」は、具体的には、マルテンサイト系ステンレス鋼板における圧延方向と板厚方向とに平行な断面(L断面)の断面積に対する、当該断面中に存在する未溶解炭窒化物領域の総面積の割合を、パーセント(%)で表したものである。ここで、「圧延方向」とは、鋼板を熱間圧延および冷間圧延する際に当該鋼板を装置に通板する方向を指す。上記の断面は任意に選択されたものでよく、任意に選択された上記の断面において未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下に調整すれば、耐遅れ破壊性が向上することを見出した。
【0022】
なお、マルテンサイト系ステンレス鋼板中の析出粒子のなかには、トラップしたH2との結合力が強く、H2の拡散を抑制する有益なものも存在すると考えられる。しかし、未溶解炭窒化物はH2との結合力が弱く、H2の拡散を抑制する機能を発揮しないと考えられる。本発明は上述の各知見に基づいて完成されたものであり、未溶解炭窒化物は本発明に係る炭窒化物の一例になる。
【0023】
〔成分組成〕
本発明の一実施形態に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板は、マトリックスがマルテンサイト相であり、質量%で、C:0.10~0.15%、Si:0.05~0.80%、Mn:0.05~2.00%、P:0.04%以下、S:0.003%以下、Ni:0.50%以下、Cr:11.0~15.0%、Cu:0.50%以下、N:0.005~0.06%、Al:0.20%以下、Mo:1.00%以下、V:0.50%以下、B:0.0001~0.01%を含有する。以下の説明では、本発明の一実施形態に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板を「本ステンレス鋼板」と略記する。また、特記しない限り、各元素の含有割合を示す「%」は質量%を意味する。
【0024】
本ステンレス鋼板の残部は、Fe、未溶解炭窒化物および不可避的不純物からなる。なお、Mo、VおよびBのそれぞれは本ステンレス鋼板の必須元素ではなく、必要に応じてこれらの少なくとも1種以上の元素が含まれていればよい任意元素である。以下、本ステンレス鋼板に含まれる各元素について説明する。
【0025】
<C>
C(炭素)は、オーステナイト相を生成しやすくするオーステナイト生成元素であり、マルテンサイト相の強化に有効である。Cの含有量が少な過ぎると、マルテンサイト相が十分に強化されないだけでなく、仕上焼鈍における温度保持処理によってオーステナイト相を得るための成分調整(後述のM値の調整)も難しくなる。これらのことから、Cの含有量は0.10%以上とする。
【0026】
一方、Cの含有量が多くなり過ぎると、未溶解炭窒化物の存在量が必要以上に増加して未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下に調整することが難しくなる。また、仕上焼鈍における冷却処理の際に粒界に新たなCr炭化物が析出してしまい、本ステンレス鋼板の耐食性が低下する要因となる。これらのことから、Cの含有量は0.15%以下とする。
【0027】
<Si>
Si(ケイ素)は、脱酸剤として有効であるとともに、マルテンサイト相を硬質化して鋼材の高強度化に寄与する。これらの特性を引き出すために、Siの含有量は0.05%以上とする。また、これらの特性をより引き出すためには、Siの含有量を0.20%以上にするのが好ましい。
【0028】
但し、Siの含有量が多くなり過ぎると、本ステンレス鋼板の加工性および靭性が低下する要因となる。また、後述のM値を所定値以上にすることが難しくなる。これらのことから、Siの含有量は0.80%以下とする。本ステンレス鋼板の加工性および靭性の確保、あるいはM値の所定値以上への調整を容易にするためには、Siの含有量を0.60%以下にするのが好ましい。
【0029】
<Mn>
Mn(マンガン)は、オーステナイト形成元素である。M値を所定値以上にするために、Mnの含有量は0.05%以上とする。M値の所定値以上への調整を容易にするためには、Mnの含有量を0.10%以上にするのが好ましい。但し、Mnの含有量が多くなり過ぎると、オーステナイト相の安定度が高くなる。そのため、仕上焼鈍後にオーステナイト相が残留して本ステンレス鋼板の強度が低下する虞がある。このデメリットを回避すべく、Mn含有量は2.00%以下とする。本ステンレス鋼板の強度を確保するためには、Mnの含有量を1.0%以下にするのが好ましい。
【0030】
<Ni>
Ni(ニッケル)は、オーステナイト形成元素である。Niの含有量が多くなり過ぎると、オーステナイト相の安定度が高くなる。そのため、仕上焼鈍後にオーステナイト相が残留して本ステンレス鋼板の強度が低下する虞がある。また、Niは高価な元素であることから、Niの含有量が多くなり過ぎると製造コストの上昇を招く。これらのことから、Niの含有量は0.50%以下とする。
【0031】
<Cr>
Cr(クロム)は、耐食性を確保するうえで必須の元素である。但し、Crはフェライト形成元素であるため、Crの含有量が多くなりすぎると、マルテンサイト組織を得るためにC、Ni、Mn等のオーステナイト形成元素の含有量を増加させなければならず、製造コストの上昇を招く。また、Crの含有量が多くなりすぎると、本ステンレス鋼板の靱性が低下する要因にもなる。これらのことから、Crの含有量は11.0~15.0%とする。耐食性および靱性の確保ならびに低コスト化の観点からは、Crの含有量を11.5~13.5%にするのが好ましい。
【0032】
<Cu>
Cu(銅)は、オーステナイト形成元素であり、M値を所定以上にする上で有効である。また、微量の範囲内で添加すれば、本ステンレス鋼板の耐食性を向上させることができ一方、Cuの含有量が多くなり過ぎると逆に耐食性の低下を招いてしまう。これらのことから、Cuの含有量は0.50%以下とする。
【0033】
<N>
N(窒素)は、オーステナイト形成元素であり、Cと同様、マルテンサイト相の強化に有効である。Nは、仕上焼鈍における冷却処理時の冷却速度が比較的緩やかになっても、Cに比べてマトリックス中に固溶した状態で存在しやすい。一方、マルテンサイト相を強化する作用はCよりも弱い。これらのことから、Nの含有量は0.005~0.06%とする。
【0034】
<Al>
Al(アルミニウム)は、強力な脱酸作用を有する元素である。但し、本ステンレス鋼板をAl単独で脱酸よりも、Siをメインにして脱酸する方が、酸化物系介在物を軟質化して加工性を確保できるとともに、耐疲労特性の異方性を軽減する上で有利になる。Alの含有量が多くなり過ぎると、本ステンレス鋼板の靱性に悪影響を及ぼす虞がある。また、Alはフェライト形成元素であるため、Alの含有量が多くなり過ぎると、マルテンサイト組織を得るための他の元素の成分調整が難しくなり、製造コストも上昇する。これらのことから、Alの含有量は0.20%以下とする。
【0035】
<Mo>
Mo(モリブデン)は、耐食性の向上に有効な元素である。但し、Moは高価な元素であることから、Moの含有量が多くなり過ぎると製造コストの上昇を招く。また、Moはフェライト形成元素であるため、Moの含有量が多くなり過ぎると、マルテンサイト組織を得るための他の元素の成分調整が難しくなる。これらのことから、Moの含有量は1.00%以下とする。
【0036】
<V、B>
V(バナジウム)およびB(ホウ素)は、強度、耐疲労特性の向上に有効な元素である。また、Vは、耐食性の向上にも有効な元素である。さらに、Bは、熱間加工性の向上にも有効な元素である。Vは高価な元素であることから、Vの含有量が多くなり過ぎると製造コストの上昇を招く。Bの含有量が多くなり過ぎると、Cr2Bの析出によって耐食性の低下を招いてしまう。これらのことから、本ステンレス鋼板では、Vの含有量は0.50%以下とし、Bの含有量は0.010%以下とする。
【0037】
<P、S>
P(リン)およびS(硫黄)は、不可避的不純物として混入する元素である。Pは靭性を低下させる元素であり、SはMnS等を形成して耐食性を低下させる元素であるため、これらの元素の含有量は少ないほど好ましい。検討の結果、Pの含有量が0.040%以下であり、Sの含有量が0.003%以下であれば、これらの含有量は許容範囲となる。ただし、過度の低P化および低S化は製鋼上困難であることから、通常、Pの含有量を0.001%以上で、Sの含有量を0.0003%以上で、それぞれ調整すればよい。
【0038】
<その他>
本ステンレス鋼板の残部には、PおよびS以外の不可避的不純物が含まれている。この不可避的不純物は、原料由来および製造プロセス由来で混入する不純物であり、上記各元素の特性の影響を及ぼさない範囲で混入している。
【0039】
〔M値による各元素の含有量調整〕
本ステンレス鋼板では、下記(1)式により定まるM値が95.0以上となるように各元素の含有量が調整されている。
【0040】
M値=420C-11.5Si+7Mn+23Ni-11.5Cr-12Mo-10V+
9Cu-52Al+470N+189 …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には各元素の含有量(質量%)が代入され、無添加の元素については0(ゼロ)が代入される。
【0041】
上記M値は、仕上焼鈍における冷却処理によって生成されるマルテンサイト相の量(体積%)を表す指標である。このように、本ステンレス鋼板の成分組成をM値が95.0以上となるように調整することで、マトリックスが、仕上焼鈍における温度保持処理によって略100%のオーステナイト単相組織となる。そのため、温度保持処理後の冷却処理によって、マトリックスをマルテンサイト組織にすることができる。
【0042】
〔未溶解炭窒化物の面積率〕
上述のように、マルテンサイト系ステンレス鋼板について、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上の強度レベルにおける耐遅れ破壊性を向上させる手法として、未溶解炭窒化物の面積率を低くすることが極めて有効であることが判明した。詳細な検討の結果、本ステンレス鋼板における圧延方向と板厚方向とに平行な断面の断面積に対する、当該断面中に存在する未溶解炭窒化物領域の総面積の割合(面積率)を1.0%以下にすることで、耐遅れ破壊性が向上することが判明した。また、未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下にすることで、本ステンレス鋼板の曲げ性も向上することが判明した。
【0043】
また、発明者らの鋭意検討の結果、M値が95.0以上となるように成分組成が調整されたマルテンサイトステンレス鋼板において、未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下にするためには、(i)各元素(但し、Mo、VおよびBを除く)の含有量を上述した範囲内とすること、(ii)熱延板焼鈍での加熱温度を高くし過ぎないようにして炭窒化物の粗大化を防止すること、(iii)保持温度域を1040℃以上にして炭窒化物の溶解を促進させること、の3条件の充足が重要であることが判明した。
【0044】
〔0.2%耐力〕
本ステンレス鋼板は、リトラクターぜんまいばね、電子機器部品用ばね等のばね部材用途への適用が想定されており、かつ、従来のマルテンサイト系ステンレス鋼板よりも高強度レベルでの耐遅れ破壊性向上を目的としている。そのため、本発明の適用対象を、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上の強度レベルのマルテンサイト系ステンレス鋼板とする。このような強度レベルのマルテンサイト系ステンレス鋼板を得るためには、上記(i)の条件と上記(iii)の条件とを充足することが重要である。
【0045】
〔製造方法〕
本ステンレス鋼板は、熱間圧延工程、熱延板焼鈍工程、冷間圧延工程、[中間焼鈍工程、冷間圧延工程]、仕上焼鈍工程の各工程を上記の順に実施する一般的な製造プロセスで製造することができる。なお、上記[ ]内の中間焼鈍工程および冷間圧延工程は任意工程であり、これらの工程を1回以上実施してもよいことを意味する。また、上記[ ]内の冷間圧延工程は、熱延板焼鈍工程の次に実施される冷間圧延工程と同じ処理になる。以下、各工程について説明するが、本ステンレス鋼板の製造方法はこれに限られるものではない。
【0046】
<熱間圧延工程>
まず、連続鋳造によって製造したスラブ等の鋳片を、1100~1300℃に加熱したのち、公知の手法にて熱間圧延を施して熱延鋼板を得る。熱延鋼板の板厚は、例えば3.0~6.0mmとすればよい。また、熱延鋼板を巻き取る際の巻取温度は、例えば650~800℃とすればよい。
【0047】
<熱延板焼鈍工程>
熱間圧延によって得られた熱延鋼板は、フェライト相、炭窒化物などの他、硬質なマルテンサイト相を有していることから、熱延鋼板をそのまま冷間圧延することは困難である。そのため、熱延鋼板に熱延版焼鈍を施して当該熱延鋼板を軟質化させる。具体的には、バッチ式の熱処理炉を用いて、600℃~Ac1点の加熱温度で熱延鋼板をバッチ焼鈍する。具体的には、600℃~Ac1点の温度範囲を6~12時間保持することにより、熱延鋼板をバッチ焼鈍する。
【0048】
なお、本ステンレス鋼板を製造する場合、熱延板焼鈍工程で行う焼鈍はバッチ焼鈍でなくてもよい。なぜなら、熱延板焼鈍工程は、熱延鋼板を次工程での処理に支障のないレベルまで軟質化させることを目的としているため、熱延板焼鈍工程において、熱延鋼板を高レベルに軟質化させるバッチ焼鈍を行うまでの必要性が必ずしもないからである。「高レベル」の軟質化とは、熱延鋼板が、熱延板焼鈍工程の次工程での処理に支障のない最低限度のレベルを超えて軟質化することを指す。
【0049】
但し、バッチ焼鈍を行わない場合、替わりに短時間の連続焼鈍を行う。この連続焼鈍では、熱延鋼板を700~900℃の温度範囲で30~300秒保持する。バッチ焼鈍に替えて短時間の連続焼鈍を行うことにより、熱延板焼鈍工程の処理時間を短縮することができ、本ステンレス鋼板の生産性を向上させることができる。なお、熱延鋼板を上記の温度範囲に保持した後は、空冷とすればよい。
【0050】
<冷間圧延工程、中間焼鈍工程>
次に、熱延板焼鈍工程を経た鋼板を、酸洗した後、冷間圧延する。冷間圧延工程は、最終的な目標板厚に応じて1回または複数回実施する。冷間圧延工程を複数回実施する場合、各冷間圧延工程の間に中間焼鈍を施す。中間焼鈍は、例えば750~850℃の温度範囲を0~2分保持することを条件とすることができる。なお、保持時間0分は、冷間圧延工程を経た鋼板が所定の加熱温度に到達した後、直ちに冷却を開始するヒートパターンである。
【0051】
冷間圧延の圧延率(複数回の冷間圧延を行う場合は各冷間圧延工程での圧延率)は、30~70%の範囲で設定することが好ましい。圧延率R(%)は下記(2)式により定まる。
【0052】
R=(h0-h1)/h0×100 …(2)
ここで、h0は冷間圧延前の本ステンレス鋼板の初期板厚(mm)であり、h1は冷間圧延最終パス後の本ステンレス鋼板の最終板厚(mm)である。最終板厚h1は、例えば0.15~2.0mmとすることができる。
【0053】
<仕上焼鈍>
次に、冷間圧延工程(場合によってはさらに中間焼鈍工程)を経た鋼板を仕上焼鈍する。つまり、冷間圧延工程を経た鋼板を、最高到達材料温度まで昇温させ(昇温処理)、保持温度域に所定の時間保持(温度保持処理)した後、常温付近まで冷却(冷却処理)する。この仕上焼鈍によって、最終的にマルテンサイト組織が得られる。また、炭窒化物の固溶化も進行するので、本ステンレス鋼板の高強度化を図ることもできる。
【0054】
(温度保持処理)
上述の成分組成を有し、かつ、M値が95.0以上となるように成分調整されたマルテンサイト系ステンレス鋼板は、Ac1点以上にオーステナイト単相となる温度域を有する。そのため、冷間圧延工程を経た鋼板を保持温度域であるオーステナイト単相温度域に所定の時間保持した後、常温付近まで冷却すれば、マルテンサイト組織を得ることは可能である。また、温度保持処理における保持温度域の保持時間を長くするほど炭窒化物の固溶化がより進行するため、昇温処理後の鋼板を保持温度域で十分な時間熱保持すれば、圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上の強度レベルを得ることは十分可能である。
【0055】
しかしながら、発明者らの鋭意検討により、未溶解炭窒化物の面積率が1.0%以下になるように未溶解炭窒化物の存在量を少なくコントロールするためには、例えば温度保持処理において1000℃の温度で60秒程度保持するのでは不十分なことが判明した。そして、更なる高温域で保持することが必要なことが判明した。
【0056】
具体的には、1040~1150℃の保持温度域に30秒以上保持する必要がある。より詳細には、冷間圧延工程を経た鋼板を最高到達材料温度が1040~1150℃になるまで昇温処理した後、保持温度域を1040~1150℃の温度範囲に設定して30秒以上の温度保持処理を施す。以下、温度保持処理における、昇温処理後の鋼板を1040~1150℃の保持温度域に保持する時間を「1040℃以上の保持時間」と称する。本実施形態では、1040℃以上の保持時間は30秒以上となる。
【0057】
温度保持処理中に保持温度域(1040~1150℃の温度範囲)に保持されているか否かは、板厚方向の中央部の温度を測定することによって判断する。板厚方向の中央部の温度は、炉温、板厚、鋼板の炉内滞在時間、鋼板の表面温度測定値に基づいて測定することができる。
【0058】
実操業では、連続焼鈍炉を用いて仕上焼鈍工程を実施することができる。連続焼鈍炉を用いる場合、炉内各ゾーンの加熱条件、板厚、ライン速度のデータから導出されるヒートパターン(時間材料温度曲線)に基づいて、最高到達材料温度および1040℃以上の保持時間をコントロールすることができる。
【0059】
ここで、最高到達材料温度および保持温度域の上限値を1150℃に設定したのは、最高到達材料温度が過度に高いと、酸化スケールが厚くなって仕上焼鈍後の脱スケールが困難になるためである。なお、1040℃以上の保持時間が過度に長いと生産性の低下が許容範囲を超えてしまうことから、1040℃以上の保持時間は180秒以下とすることが望ましい。
【0060】
(冷却処理)
温度保持処理後の冷却処理では、水冷、空冷いずれの方法を採用してもよい。但し、温度保持処理を経た鋼板の温度が冷却処理の開始時点の温度から100℃になるまでの第1平均冷却速度は、2.0~20.0℃/secとする。第1平均冷却速度は、本発明に係る冷却速度の一例である。なお、温度保持処理を経た鋼板の温度が100℃から常温付近になるまでの第2平均冷却速度には、特段の限定はない。
【0061】
第1平均冷却速度が2.0℃/secよりも遅いと、冷却過程における炭窒化物が析出する温度域の時間帯が長くなり過ぎて、未溶解炭窒化物の存在量が必要以上に多くなる傾向がある。そのため、未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下にするためには、第1平均冷却速度の下限値を2.0℃/secにするのが好ましい。
【0062】
一方、第1平均冷却速度が20.0℃/secよりも速いと、冷却処理中の鋼板の各部で生じる冷却ムラが許容範囲を超えて増加する。その結果、上記鋼板の各部で生じるマルテンサイト変態のムラも許容範囲を超えてしまい、仕上焼鈍後の鋼板の表面に形成される凹凸が必要以上に増加し、かつ大きくなる。上記凹凸が必要以上に増加し、かつ大きくなると、仕上焼鈍後に上記鋼板の表面形状を矯正するための仕上加工を行わなければならず、生産性の低下と製造コストの上昇を招く。そのため、第1平均冷却速度の上限値は20.0℃/secとする。
【0063】
第1平均冷却速度を2.0~20.0℃/secに設定することで、未溶解炭窒化物の面積率を1.0%以下にすることが容易になるとともに、仕上焼鈍後の仕上加工が不要となって生産性の向上および低コスト化を実現することができる。
【0064】
なお、第1平均冷却速度を20.0℃/sec以下に設定して冷却処理を行ったとしても、仕上焼鈍後の鋼板の表面には凹凸が形成される。そこで、仕上焼鈍後、上記鋼板の表面に仕上加工を施してその表面形状を矯正してもよい。具体的には、例えば、仕上焼鈍後の鋼板をテンションレベラーまたはスキンパスミルに通板して、上記鋼板の表面の平坦度を向上させてもよい。
【0065】
また、冷却処理において、第1平均冷却速度を2.0~20.0℃/secに設定することは必須ではない。第1平均冷却速度がこの範囲外の数値であっても、良好な曲げ性を有し、かつ圧延方向の0.2%耐力が1300N/mm2以上の強度レベルで良好な耐遅れ破壊性を有するマルテンサイト系ステンレス鋼板を製造することは可能である。
【0066】
〔付記事項〕
本発明は本実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、本実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても、本発明の技術的範囲に含まれる。
【0067】
〔実施例〕
本発明の実施例および比較例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板について評価した結果について、以下に説明する。以下、本発明の実施例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板を「発明鋼」と称し、本発明の比較例に係るマルテンサイト系ステンレス鋼板を「比較鋼」と称する。
【0068】
<成分組成および製造方法>
まず、下記の表1に示す各成分組成の鋼をそれぞれ溶製し、鋳片を得た。次に、得られた鋳片を1150~1250℃で60分間加熱した後、熱間圧延を施し、熱間圧延後の鋼板を巻取温度680~800℃にて巻き取ることで板厚4.5mmの熱延鋼板を得た。
【0069】
次に、熱延鋼板のコイルをベル型焼鈍炉(バッチ式の熱処理炉)に装入して熱延板焼鈍を行った。熱延板焼鈍において所定の温度域に保持した後は、炉内で空冷した。次に、熱延板焼鈍後の鋼板を酸洗した後、2回または3回の冷間圧延を行った。各冷間圧延の間では、所定温度で中間焼鈍(保持時間0秒)および酸洗を行った。ここまでの処理で、冷延鋼板A1~A8およびB1を得た。
【0070】
次に、冷延鋼板A1~A8およびB1のそれぞれに対して、連続焼鈍炉を用いて下記の表2に示す条件で仕上焼鈍を施した。仕上焼鈍工程の冷却処理では、第1平均冷却速度を1.5~25.0℃/secの範囲に設定して冷却した後、常温付近の温度まで第2平均冷却速度で冷却した。冷却処理での冷却方法は空冷とした。最後に、仕上焼鈍後の鋼板を酸洗することにより、発明鋼および比較鋼を得た。
【0071】
なお、下記の表2において、「本発明例」が発明鋼に相当し、「比較例」が比較鋼に相当する。また、下記の表2における「評価(72h以上)」の欄の「○」は、後述のU字曲げ試験体の破断時間が72時間以上で耐遅れ破壊性が良好であった場合を指し、同欄の「×」は、破断時間が72時間よりも短く耐遅れ破壊性が不良であった場合を指す。また、下記の表2における「形状(波高さ2mm以下)」の欄の「○」は、後述の対象長さが2.0mmを超える箇所がなく表面性状が良好であった場合を指し、同欄の「×」は、対象長さが2.0mmを超える箇所が存在して表面性状が不良であった場合を指す。
さらに、下記の表2における「総合評価」の欄の「○」は、強度、曲げ性、耐遅れ破壊性および表面性状のいずれもが良好な場合を指す。同欄の「△」は、強度、曲げ性および耐遅れ破壊性についてはいずれも良好であり、かつ表面性状が不良な場合を指す。同欄の「×」は、強度、曲げ性および耐遅れ破壊性の少なくとも1つ以上が不良な場合を指す。
【0072】
【0073】
【0074】
上記の表1に示すように、冷延鋼板A6は任意元素であるMoを0.3%含有し、冷延鋼板A7は任意元素であるVを0.3%含有し、冷延鋼板A8は任意元素であるBを0.0025%含有していた。また、冷延鋼板B1は、M値が87.0であり本発明に係るM値の数値範囲(95.0以上)外であることから、当該冷延鋼板B1を仕上焼鈍および酸洗して得られた鋼板は、比較鋼(上記の表2では「比較例」)B1となる。
【0075】
上述の製造方法によって得られた各発明鋼および各比較鋼に対して、以下に示す各試験を実施して機械的性質等を評価した。
【0076】
<未溶解炭窒化物の面積率>
各発明鋼および各比較鋼のそれぞれについて、圧延方向と板厚方向とに平行な断面(L断面)を鏡面研磨した後、シュウ酸電解エッチングして観察面を作製した。そして、作製した観察面をSEM(走査型電子顕微鏡)により観察した。具体的には、観察面における0.2mm2の面積部分を、重複しない複数の視野を無作為に選択して観察した。
【0077】
次に、無作為に選択した各視野で観察された未溶解炭窒化物の粒子の面積を画像処理ソフトウエアにより測定し、測定された上記面積の合計値を算出した。そして、算出した合計値を0.2mmで除すことにより、未溶解炭窒化物の面積率を算出した。なお、各視野での観察において、一部が視野から外れた未溶解炭窒化物の粒子については、視野内に存在する部分の面積を加算した。
【0078】
図1の符号101に、発明鋼A1-2(表2参照)の観察面のSEM写真を示す。発明鋼A1-2の未溶解炭窒化物の面積率は0.3%であった。また、
図1の符号102に、発明鋼A1-1(表2参照)の観察面のSEM写真を示す。発明鋼A1-1の未溶解炭窒化物の面積率は1.0%であった。さらに
図1の符号103に、比較鋼A3-5(表2参照)の観察面のSEM写真を示す。比較鋼A3-5の未溶解炭窒化物の面積率は1.7%であった。なお、上記のいずれのSEM写真においても、写真中の黒点部分が未溶解炭窒化物に該当する。
【0079】
図1の符号101~103に示す各面積率について、面積率間で上述のような差が生じたのは、仕上焼鈍の温度保持処理における保持温度域の保持時間が異なることが要因である(表2の「保持時間(s)」の欄参照)。
【0080】
<引張特性>
各発明鋼および各比較鋼のそれぞれについて、JIS 13B号試験片を作製し、所定のJIS規格(JIS Z2241:2011)に準じて圧延方向の引張試験を行った。そして、オフセット法による0.2%耐力(N/mm2)、破断伸び(%)を求めた。試験結果は上記の表2のようになった。
【0081】
上記の表2に示すように、比較鋼A1-5は、0.2%耐力の強度レベルが1280N/mm2となり、1300N/mm2を下回った。これは、仕上焼鈍における最高到達材料温度が1030℃に留まったことから、高強度化に寄与するマルテンサイト組織を十分に得ることができなかったためと推察される。また、比較鋼B1も、0.2%耐力の強度レベルが1250N/mm2となり、1300N/mm2を下回った。これは、M値が87.0に留まったことから、仕上焼鈍工程の温度保持処理で100%のオーステナイト単相組織を得ることができず、結果、その後の冷却処理でマルテンサイト組織を十分に得ることができなかったためと推察される。
【0082】
各発明鋼の破断伸びは、6.7~8.3%の範囲の値をとった。ここで、従来の0.2%耐力の強度レベルが1100N/mm2のマルテンサイト系ステンレス鋼板は、破断伸びが約6.4~約8.1%の範囲の良好な値をとる。よって、この試験結果から、各発明鋼が、従来の上記マルテンサイト系ステンレス鋼板よりも高強度でありながら、良好な曲げ性を有していることが判明した。
【0083】
<硬さ>
各発明鋼および各比較鋼のそれぞれの表面について、所定のJIS規格(JIS Z2244:2009)に準じてビッカース硬さ(HV)を測定した。測定した結果、各発明鋼のビッカース硬さ(上記の表2では「硬さ」)は、463~520の範囲の値をとった。ここで、従来の0.2%耐力の強度レベルが1100N/mm2のマルテンサイト系ステンレス鋼板は、ビッカース硬さが446~519の範囲の良好な値をとる。よって、この測定結果から、各発明鋼が、0.2%耐力が1300N/mm2の強度レベルにおいても従来の上記マルテンサイト系ステンレス鋼板と同程度の良好な硬さを有していることが判明した。
【0084】
<耐遅れ破壊性>
各発明鋼および各比較鋼のそれぞれについて、所定のJIS規格の方法(JIS G0576:2001のB法)に準じて応力腐食割れ試験を行った。具体的には、長手方向が圧延方向となる幅15mm×長さ80mmの試験片をまず作製し、この試験片を用いてU字曲げ試験体を作製した。そして、作製したU字曲げ試験体を30%塩化カルシウム水溶液(pH3.5±0.1、80±1℃)に単純浸漬して、U字曲げ試験体が破断するまでの破断時間を計測した。
【0085】
ここで、U字曲げ試験体の破断の有無は、浸漬開始から8時間までは1時間毎、その後は24時間毎に確認した。また、浸漬開始から破断を最初に確認できたときまでの経過時間を、U字曲げ試験体の破断時間とした。例えば、破断時間が96時間であるU字曲げ試験体は、少なくとも72時間経過時までは破断しない性能を有していると評価される。
【0086】
各発明鋼および各比較鋼ともに試験回数は3回とし、3回の試験のうちで最も短かった破断時間を、U字曲げ試験体の破断時間として採用した。なお、ばね用素材として多用されている準安定オーステナイト系ステンレス鋼SUS301-CSP/H材の破断時間を基準として、破断時間72時間以上のものを合格(耐応力腐食割れ性;良好)と判定した。また、耐応力腐食割れ性と耐遅れ破壊性とは密接に関係しており、耐応力腐食割れ性が良好であれば耐遅れ破壊性も良好である(その逆も成立)ことから、耐応力腐食割れ性の良否を耐遅れ破壊性の良否と見做した。
【0087】
発明鋼A1-1~A1-4と比較鋼A1-5~A1-7およびA1-9とは、同じ成分組成であり、かつ仕上焼鈍以外は同じ条件で処理したものである。にも拘らず、上記の表2に示すように、発明鋼A1-1~A1-4については、未溶解炭窒化物の面積率が1.0%以下で耐遅れ破壊性は良好であった。一方、比較鋼A1-5~A1-7およびA1-9については、上記面積率が1.0%を超えており、耐遅れ破壊性は不良であった。
【0088】
これは、比較鋼A1-5については、仕上焼鈍における最高到達材料温度が1030℃に留まったことから、未溶解炭窒化物の面積率が1.0%以下となるように未溶解炭窒化物の存在量をコントロールできなかったためと推察される。比較鋼A1-6およびA1-7については、仕上焼鈍における保持温度域の保持時間がいずれも5秒に留まったことから、上記面積率が1.0%以下となるように未溶解炭窒化物の存在量をコントロールできなかったためと推察される。比較鋼A1-9については、仕上焼鈍における第1平均冷却速度が1.5℃/secであったことから、仕上焼鈍における冷却処理の過程で炭窒化物が必要以上に析出したためと推察される。
【0089】
また、発明鋼A3-1~A3-4と比較鋼A3-5~A3-8とについても、同じ成分組成であり、かつ仕上焼鈍以外は同じ条件で処理したものである。にも拘らず、上記の表2に示すように、発明鋼A3-1~A3-4については、未溶解炭窒化物の面積率が1.0%以下で耐遅れ破壊性は良好であった。一方、比較鋼A3-5~A3-8については、上記面積率が1.0%を超えており、耐遅れ破壊性は不良であった。これは、比較鋼A3-5~A3-8のいずれについても、仕上焼鈍における保持温度域の保持時間が30秒よりも短かったことから、未溶解炭窒化物の面積率が1.0%以下となるように未溶解炭窒化物の存在量をコントロールできなかったためと推察される。
【0090】
<表面性状>
各発明鋼および各比較鋼のそれぞれについて、三次元形状測定によってサンプルの表面形状を測定し、測定結果を
図2に示すように図示した。具体的には、まず、各発明鋼および各比較鋼のそれぞれのコイルから、幅900mm×長さ950mmのサンプルを切り出した。次に、定盤上にて、各サンプルの厚さをサンプルの幅方向に測定ピッチ10mmで計測した。また、同じく定盤上にて、各サンプルの厚さをサンプルの長さ方向(コイルの通板方向)に測定ピッチ10mmで計測した。次に、各サンプルの幅方向および長さ方向の厚さの測定結果に基づいて、各サンプルのそれぞれについて、サンプルの相対的な厚さを0.5mm間隔に縮めて2次元的に図示した。なお、上記のサンプルは、各発明鋼および各比較鋼のすべてについて同一の箇所に形成されている部分を切り出した。
【0091】
次に、各発明鋼および各比較鋼ともに、各サンプルの基準板厚を形成する表面(以下、「基準面」)を0.0mmとした上で、基準面から当該基準面に形成された凸部の頂部までの長さ(以下、「対象長さ」)の2次元的な分布を、
図2に示すように各凸部の色の濃淡で示した。「基準板厚」は、表面に凸部が形成されないと仮定した場合のサンプルの板厚である。具体的には、
図2に示すように、対象長さを「0.0mmよりも長く0.5mm以下」、「0.5mmよりも長く1.0mm以下」、「1.0mmよりも長く1.5mm以下」、「1.5mmよりも長く2.0mm以下」および「2.0mmよりも長く2.5mm以下」の各区分に分けた。そして、上限値および下限値の各数値がより大きい区分に対象長さが含まれる凸部ほど、当該凸部の色が濃くなるように図示した。
【0092】
そして、対象長さが「2.0mmよりも長く2.5mm以下」の区分に属する凸部が全く存在しなかった場合に、そのサンプルの表面性状を合格(表面性状;良好)とした。このような基準を採用したのは、対象長さが2.0mmよりも長くなると、例えば、仕上焼鈍後の鋼板をテンションレベラーまたはスキンパスミルに通板することが不可能になるためである。なお、
図2では、「Aよりも長くB以下」を「A-B」と表記している。
【0093】
図2の符号201に、発明鋼A1-3のサンプルの相対的な厚さを0.5mm間隔で2次元的に表した図を示す。発明鋼A1-3について、仕上焼鈍における冷却速度は2.0℃/secであった。また、
図2の符号202に、比較鋼A1-8のサンプルの相対的な厚さを0.5mm間隔で2次元的に表した図を示す。比較鋼A1-8について、仕上焼鈍における冷却速度は25.0℃/secであった。なお、
図2の符号201および202のそれぞれにおける、紙面向かって左側斜め上方に延伸する軸がサンプルの幅の軸となり、紙面向かって右斜め上方に延伸する軸がサンプルの長さの軸となる(両軸ともに、単位はmm)。
【0094】
発明鋼A1-3については、
図2の符号201に示すように、対象長さが「2.0mmよりも長く2.5mm以下」の各区分に属する凸部が全く存在しないことから、上記の表2に示すように総合評価が「○」になった。一方、比較鋼A1-8については、上記の表2および
図2の符号202に示すように、対象長さが「2.0mmよりも長く2.5mm以下」の各区分に属する凸部が存在した。そのため、上記の表2に示すように、耐応力腐食試験の評価は「○」になっているものの、形状(表面性状)の評価が「×」であることから総合評価も「△」になった。