IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 新日鐵住金ステンレス株式会社の特許一覧

特許7576935非磁性ステンレス鋼板および機械部品用鋼材の製造方法
<>
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-10-24
(45)【発行日】2024-11-01
(54)【発明の名称】非磁性ステンレス鋼板および機械部品用鋼材の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20241025BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20241025BHJP
   C21D 9/46 20060101ALI20241025BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
C21D9/46 Q
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2020116336
(22)【出願日】2020-07-06
(65)【公開番号】P2022014147
(43)【公開日】2022-01-19
【審査請求日】2023-03-06
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100149548
【弁理士】
【氏名又は名称】松沼 泰史
(74)【代理人】
【識別番号】100140774
【弁理士】
【氏名又は名称】大浪 一徳
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【弁理士】
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 洋
(74)【代理人】
【識別番号】100217249
【弁理士】
【氏名又は名称】堀田 耕一郎
(74)【代理人】
【識別番号】100221279
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 健吾
(74)【代理人】
【識別番号】100207686
【弁理士】
【氏名又は名称】飯田 恭宏
(74)【代理人】
【識別番号】100224812
【弁理士】
【氏名又は名称】井口 翔太
(72)【発明者】
【氏名】河野 明訓
(72)【発明者】
【氏名】景岡 一幸
【審査官】河野 一夫
(56)【参考文献】
【文献】特開2004-010993(JP,A)
【文献】特開2003-113450(JP,A)
【文献】特開2016-041843(JP,A)
【文献】特表2019-501289(JP,A)
【文献】特開平03-087336(JP,A)
【文献】特開2018-095947(JP,A)
【文献】特開平08-158016(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00
C22C 38/58
C21D 9/46
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.005~0.080%、Si:0.10~1.00%、Mn:1.00~4.00%、Ni:7.00~14.00%、Cr:15.00~19.00%、N:0.001~0.060%、Mo:0~0.50%、Cu:2.00~4.00%、Ti:0~0.20%、Al:0~0.020%、残部Feおよび不可避的不純物、かつ下記(1)式により定義されるA値が0以下である化学組成を有する冷延鋼板であって、圧延面のビッカース硬さが220~285HV、圧延方向の破断伸びが3~15%、比透磁率μrが1.030以下であり、
下記(X)に示す評価方法において合格判定となるバレル研磨性を有する非磁性ステンレス鋼板。
A値=551-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-29(Ni+Cu)-13.7Cr-18.5Mo …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には質量%で表される当該元素の含有量値が代入される。
(X)評価対象の鋼板から、片側クリアランス3%、加工速度30spmでの慣用打抜きにより直径30mmの円板状試験片を採取し、その試験片に、1辺の長さが4mmである正三角形の底面を持つ高さ4mmの正三角柱状のセラミックスメディアを水中に10g/Lの含有量で含む媒体を用いて、300rpmで30分の遠心バレル研磨を施し、バレル研磨後の円板状試験片の板厚方向に垂直な両表面について、それぞれ円板中心を通り互いに直交する2本の直線上で直径全長にわたる算術平均粗さRaを触針式粗さ計により測定したとき、両面の合計4本の直線上で測定されたRaがいずれも1.0μm以下となる場合を合格と判定する。
【請求項2】
板厚が0.8~1.5mmである請求項1に記載の非磁性ステンレス鋼板。
【請求項3】
請求項1または請求項2に記載の非磁性ステンレス鋼板であって、せん断加工およびバレル研磨加工に供して製造される部品用の非磁性ステンレス鋼板。
【請求項4】
質量%で、C:0.005~0.080%、Si:0.10~1.00%、Mn:1.00~4.00%、Ni:7.00~14.00%、Cr:15.00~19.00%、N:0.001~0.060%、Mo:0~0.50%、Cu:2.00~4.00%、Ti:0~0.20%、Al:0~0.020%、残部Feおよび不可避的不純物、かつ下記(1)式により定義されるA値が0以下である化学組成を有する冷延鋼板中間製品に対して、最高到達温度が1075~1200℃、かつ1075℃以上での保持時間が10秒以上である焼鈍を施して焼鈍鋼板を得る「仕上焼鈍工程」と、
前記焼鈍鋼板に圧延率10~50%の範囲で冷間圧延を施して、圧延面のビッカース硬さが220~285HV、圧延方向の破断伸びが3~15%、比透磁率μrが1.030以下である冷延鋼板を得る「仕上冷間圧延工程」と、
を含む、下記(X)に示す評価方法において合格判定となるバレル研磨性を有する非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
A値=551-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-29(Ni+Cu)-13.7Cr-18.5Mo …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には質量%で表される当該元素の含有量値が代入される。
(X)評価対象の鋼板から、片側クリアランス3%、加工速度30spmでの慣用打抜きにより直径30mmの円板状試験片を採取し、その試験片に、1辺の長さが4mmである正三角形の底面を持つ高さ4mmの正三角柱状のセラミックスメディアを水中に10g/Lの含有量で含む媒体を用いて、300rpmで30分の遠心バレル研磨を施し、バレル研磨後の円板状試験片の板厚方向に垂直な両表面について、それぞれ円板中心を通り互いに直交する2本の直線上で直径全長にわたる算術平均粗さRaを触針式粗さ計により測定したとき、両面の合計4本の直線上で測定されたRaがいずれも1.0μm以下となる場合を合格と判定する。
【請求項5】
前記仕上焼鈍工程において、圧延方向および板厚方向に平行な断面(L断面)における平均結晶粒径が40~100μmである鋼板を得る請求項4に記載の非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
【請求項6】
前記仕上冷間圧延工程において、板厚0.8~1.5mmの鋼板を得る請求項4または5に記載の非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
【請求項7】
請求項4~6のいずれか1項に記載の製造方法によって得られた非磁性ステンレス鋼板に、せん断加工を含む工程により加工を施す、機械部品用鋼材の製造方法。
【請求項8】
請求項4~6のいずれか1項に記載の製造方法によって得られた非磁性ステンレス鋼板に由来する、せん断加工部を有する鋼材に、バレル研磨を含む工程により加工を施す、機械部品用鋼材の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、プレス加工やバレル研磨を施して製造される機械部品の素材に好適な非磁性オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法に関する。また、その非磁性オーステナイト系ステンレス鋼板の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
オーステナイト系ステンレス鋼は優れた加工性から様々な用途に適用されている。鍛造用途など高加工が施される場合には、オーステナイト系ステンレス鋼種の中でもオーステナイト生成元素を多く含有することで加工誘起マルテンサイトを生成しにくくした安定オーステナイト系ステンレス鋼の適用が有利となる。
【0003】
一方、精密な機械部品は、一般に磁性が強いほど埃が吸着しやすいとされるため、加工後の非磁性を維持する材料が好まれる。また、打抜き・鍛造などのプレス加工後に研磨を施すことにより、バリや表面疵を除去したり部品形状を調整したりすることがある。
【0004】
精密な機械部品の製造に好適な冷間鍛造性(コイニング性)等の加工性に優れる材料の候補として、オーステナイト安定度を高めたオーステナイト系ステンレス鋼が考えられる。例えば特許文献1、2にそのようなオーステナイト系ステンレス鋼板が開示されている。これらの文献に記載の技術では、冷間鍛造性を重視するために軟質化を図っており、鋼板としての最終的な加工履歴は「焼鈍」である。しかし、そのような焼鈍鋼板では、軟質であるためにプレス加工時にダレが大きくなり、部品の寸法精度や生産性の低下を招く要因となる。また、機械部品の寿命の観点からは摺動時の摩耗量が少ない材料、すなわち硬い材料が好まれる。しかしながら、硬い材料は一般に研磨工程における研磨性が悪いため、摺動時の耐摩耗性と研磨工程での研磨性を両立することが困難であった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】特開2002-371339号公報
【文献】特開2018-109215号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は、精密機械部品の素材に適した、せん断加工性、冷間鍛造性、バレル研磨性、耐摩耗性が良好な非磁性ステンレス鋼材料を提供することを目的とする。また、その非磁性ステンレス鋼材料から得られる機械部品用鋼材を提供することを目的とする。なお、本明細書でいう「耐摩耗性」は、特に断らない限り、バレル研磨時のアブレシブ摩耗に対する耐久性が高い(研磨されにくい)ことではなく、部品として使用される際の摺動により摩耗しにくいことを意味する。
【課題を解決するための手段】
【0007】
摺動部品において優れた耐摩耗性を発揮させるためには、十分な硬さを確保する必要がある。せん断加工時のダレやカエリを低減したり、据え込み加工時の塑性流動を促進したりするためには、n値(加工硬化指数)の低い材料であることが有利である。n値の低減には結晶粒の微細化が有効である。しかし、硬さが高く結晶粒径が小さい組織状態では良好なバレル研磨性を確保することが難しい。そこで発明者らはバレル研磨性をも同時に具備させるための有効な手段について種々検討を重ねてきた。その結果、あえて結晶粒を粗大化させた素材に冷間圧延を施し、その冷間圧延によって付与される加工硬化を利用して硬さを確保することが極めて効果的であることを見いだした。結晶粒を大きくすることでアブレシブ摩耗によるところが大きいバレル研磨での研磨性が改善され、また、冷間圧延で加工硬化させた材料は焼鈍材に比べn値が低減しており、結晶粒を大きくしたことによるn値低減へのマイナスの寄与を打ち消すことができるのである。すなわち、次の(i)(ii)の手法が極めて有効であることがわかった。
(i)加工後にも非磁性が維持できる高いオーステナイト安定度を有し、かつ加工硬化能が低い(加工硬化しにくい、n値が低い)性質を呈する化学組成とする。
(ii)高めの温度での焼鈍により結晶粒を粗大化させたのち、所定の圧延率での冷間圧延を施すことによって、結晶粒径が大きくかつ高い硬さを有する組織状態とする。
本明細書では具体的に以下の発明を開示する。
【0008】
[1]質量%で、C:0.005~0.080%、Si:0.10~1.00%、Mn:1.00~4.00%、Ni:7.00~14.00%、Cr:15.00~19.00%、N:0.001~0.060%、Mo:0~0.50%、Cu:2.00~4.00%、Ti:0~0.20%、Al:0~0.020%、残部Feおよび不可避的不純物、かつ下記(1)式により定義されるA値が0以下である化学組成を有する冷延鋼板であって、圧延面のビッカース硬さが220~285HV、圧延方向の破断伸びが3~15%、比透磁率μrが1.030以下であり、
下記(X)に示す評価方法において合格判定となるバレル研磨性を有する非磁性ステンレス鋼板。
A値=551-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-29(Ni+Cu)-13.7Cr-18.5Mo …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には質量%で表される当該元素の含有量値が代入される。
(X)評価対象の鋼板から、片側クリアランス3%、加工速度30spmでの慣用打抜きにより直径30mmの円板状試験片を採取し、その試験片に、1辺の長さが4mmである正三角形の底面を持つ高さ4mmの正三角柱状のセラミックスメディアを水中に10g/Lの含有量で含む媒体を用いて、300rpmで30分の遠心バレル研磨を施し、バレル研磨後の円板状試験片の板厚方向に垂直な両表面について、それぞれ円板中心を通り互いに直交する2本の直線上で直径全長にわたる算術平均粗さRaを触針式粗さ計により測定したとき、両面の合計4本の直線上で測定されたRaがいずれも1.0μm以下となる場合を合格と判定する。
[2]板厚が0.8~1.5mmである上記[1]に記載の非磁性ステンレス鋼板。
[3]上記[1]または[2]に記載の非磁性ステンレス鋼板であって、せん断加工およびバレル研磨加工に供して製造される部品用の非磁性ステンレス鋼板。
[4]質量%で、C:0.005~0.080%、Si:0.10~1.00%、Mn:1.00~4.00%、Ni:7.00~14.00%、Cr:15.00~19.00%、N:0.001~0.060%、Mo:0~0.50%、Cu:2.00~4.00%、Ti:0~0.20%、Al:0~0.020%、残部Feおよび不可避的不純物、かつ下記(1)式により定義されるA値が0以下である化学組成を有する冷延鋼板中間製品に対して、最高到達温度が1075~1200℃、かつ1075℃以上での保持時間が10秒以上である焼鈍を施して焼鈍鋼板を得る「仕上焼鈍工程」と、
前記焼鈍鋼板に圧延率10~50%の範囲で冷間圧延を施して、圧延面のビッカース硬さが220~285HV、圧延方向の破断伸びが3~15%、比透磁率μrが1.030以下である冷延鋼板を得る「仕上冷間圧延工程」と、
を含む、下記(X)に示す評価方法において合格判定となるバレル研磨性を有する非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
A値=551-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-29(Ni+Cu)-13.7Cr-18.5Mo …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には質量%で表される当該元素の含有量値が代入される。
(X)評価対象の鋼板から、片側クリアランス3%、加工速度30spmでの慣用打抜きにより直径30mmの円板状試験片を採取し、その試験片に、1辺の長さが4mmである正三角形の底面を持つ高さ4mmの正三角柱状のセラミックスメディアを水中に10g/Lの含有量で含む媒体を用いて、300rpmで30分の遠心バレル研磨を施し、バレル研磨後の円板状試験片の板厚方向に垂直な両表面について、それぞれ円板中心を通り互いに直交する2本の直線上で直径全長にわたる算術平均粗さRaを触針式粗さ計により測定したとき、両面の合計4本の直線上で測定されたRaがいずれも1.0μm以下となる場合を合格と判定する。
[5]前記仕上焼鈍工程において、圧延方向および板厚方向に平行な断面(L断面)における平均結晶粒径が40~100μmである鋼板を得る上記[4]に記載の非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
[6]前記仕上冷間圧延工程において、板厚0.8~1.5mmの鋼板を得る上記[4]または[5]に記載の非磁性ステンレス鋼板の製造方法。
[7]上記[4]~[6]のいずれかに記載の製造方法によって得られた非磁性ステンレス鋼板に、せん断加工を含む工程により加工を施す、機械部品用鋼材の製造方法。
[8]上記[4]~[6]のいずれかに記載の製造方法によって得られた非磁性ステンレス鋼板に由来する、せん断加工部を有する鋼材に、バレル研磨を含む工程により加工を施す、機械部品用鋼材の製造方法。
【0009】
上記の各元素のうち、Mo、Ti、Alは任意含有元素である。
【発明の効果】
【0010】
本発明に従う非磁性ステンレス鋼板は、以下のようなメリットを有する。
・仕上冷間圧延により加工硬化しているがn値が低いので過酷なプレス打抜きや据え込み加工において塑性流動が促進され、良好な加工性を呈する。
・伸びが適度に低く抑えられているのでプレス打抜き加工部のダレやカエリが低減される。そのためバレル研磨での負荷が軽減される。
・バレル研磨ではメディア(研磨材)との接触によって3次元的なアブレシブ摩耗と同様のメカニズムにより表面平滑化が進行すると考えられるが、結晶粒が大きいためにアブレシブ摩耗による研磨が進行しやすく、すでに加工硬化している鋼材であるにもかかわらず良好なバレル研磨性が得られる。
・最終的に摺動部品として使用される際には、仕上冷間圧延で高い硬さが得られているので優れた耐摩耗性を呈し、かつオーステナイト安定度の高い化学組成によって非磁性が維持されている。
【発明を実施するための形態】
【0011】
[鋼の化学組成]
以下、鋼組成における「%」は特に断らない限り質量%を意味する。
【0012】
C、Nは、オーステナイト安定度を高めるために必要な元素である。C含有量は0.005%以上とする必要がある。N含有量は0.001%以上とする必要があり、0.005%以上とすることがより好ましい。一方、これらの元素は固溶強化により鋼を硬質化させる作用を有する。本発明では調質圧延での加工硬化によって鋼材の硬さ上昇を狙う。固溶強化による硬さ上昇が過度に加わると、加工性が低下し好ましくない。C含有量は0.080%以下に制限され、0.050%以下とすることがより好ましい。N含有量は0.060%以下に制限される。
【0013】
Siは、脱酸や、加工した際のオーステナイト安定度の調整(後述A値の低減化)に有用である一方、固溶強化により鋼を硬質化させる作用を有する。Si含有量は0.10~1.00%の範囲とする必要がある。0.40~0.90%の範囲とすることがより好ましい。
【0014】
Mnは、脱酸や、加工した際のオーステナイト安定度の調整(後述A値の低減化)に有用である。しかし、Mnを過剰に含有させると積層欠陥エネルギーが低下し、加工硬化しにくい性質を得るための成分調整が難しくなる。Mn含有量は1.00~4.00%の範囲に制限され、1.30~1.90%とすることがより好ましい。
【0015】
Niは、オーステナイト安定度を高める観点から7.00%以上の含有量とする必要がある。多量のNi含有は鋼材の価格上昇を招く要因となる。本発明ではNi含有量14.00%以下の鋼を対象とする。Ni含有量11.50~13.50%の鋼がより好適な対象となる。
【0016】
Crは、ステンレス鋼の耐食性を確保するために必須の元素である。種々の精密機械部品の使用環境を考慮して、Cr含有量は15.00%以上を確保する。15.50%以上とすることがより好ましい。ただし、Crは固溶強化により鋼を硬質化させる作用を有する。Cr含有量は19.00以下に制限され、17.00%以下に管理してもよい。
【0017】
Moは、耐食性向上に有効な元素であり、必要に応じて含有させることができる。その場合、0.01%以上の含有量を確保することがより効果的である。ただし、Moは固溶強化により鋼を硬質化させる作用を有する。本発明に従う鋼板は仕上冷間圧延で加工硬化させているので、焼鈍鋼板の場合とは異なり、Moを多量に含有させると固溶強化が発揮されて材料が過度に硬くなり加工性を損なうようになる。Moを含有させる場合、その含有量は0.50%以下とする必要があり、0.10%以下、あるいは0.05%以下の範囲に制限してもよい。
【0018】
Cuは、オーステナイト安定度を高める作用、および積層欠陥エネルギーを高める作用を有するので、本発明では重要な元素である。オーステナイト安定度を高めることにより冷間圧延で仕上げた鋼板において良好な非磁性が維持できるようにる。積層欠陥エネルギーを高めることにより加工硬化しにくい性質が付与される。これらの効果を十分に得るために、Cu含有量は2.00%以上とする。3.00%以上とすることがより好ましい。Cu含有量が高くなると熱間加工性に悪影響を及ぼすようになる。Cu含有量は4.00%以下の範囲に制限される。3.70%以下に管理してもよい。
【0019】
Tiは、C、Nを固定するので過度の硬質化を防止する上で有効である。Tiは必要に応じて含有させることができる。その場合、0.005%以上のTi含有量とすることがより効果的である。Ti含有量が高くなると介在物の形成に起因して加工性が悪くなる場合がある。Tiを含有させる場合、その含有量は0.20%以下とする必要がある。0.10%以下に制限してもよい。
【0020】
Alは、脱酸剤として有効であり、必要に応じて添加することができる。Alによる脱酸作用を十分に発揮させるためには、Al含有量が0.001%以上となるようにAlを添加することがより効果的である。Al含有量が高くなると介在物の形成に起因して加工性が悪くなる場合がある。Al含有量は0.020%以下に制限される。
【0021】
Pは0.050%まで、Sは0.005%まで、それぞれ混入が許容される。
【0022】
下記(1)式で定まるA値はオーステナイト相の安定度を示す指標である。A値が小さいほどオーステナイト相が安定であり、加工誘起マルテンサイト相が生成しにくくなり、加工性の向上および非磁性の維持に有利となる。種々検討の結果、ここではA値が0以下と低い化学組成を採用する。
A値=551-462(C+N)-9.2Si-8.1Mn-29(Ni+Cu)-13.7Cr-18.5Mo …(1)
ここで、(1)式の元素記号の箇所には質量%で表される当該元素の含有量値が代入される。
【0023】
[製造方法]
本発明に従うステンレス鋼板は、上述の化学組成を有する鋼を溶製し、「鋳造、熱間圧延、熱延板焼鈍、冷間圧延、仕上焼鈍、仕上冷間圧延」を上記の順に含む工程により製造することができる。上記工程中には記載を省略してあるが、焼鈍の後には通常、酸洗が施される。本明細書で言う「焼鈍鋼板」には、焼鈍後に酸洗が施されたいわゆる「焼鈍酸洗鋼板」が含まれる。また本明細書では、仕上焼鈍に供するための冷延鋼板を「冷延鋼板中間製品」と呼ぶ。仕上焼鈍前の冷間圧延工程は、必要に応じて中間焼鈍を含む複数回の冷間圧延にて実施することができる。冷延鋼板中間製品は、冷間圧延率40~60%程度の冷間鋼板であることが望ましい。
【0024】
(仕上焼鈍)
冷延鋼板中間製品に対して、最高到達温度が1075~1200℃、かつ1075℃以上での保持時間が10秒以上である焼鈍を施して焼鈍鋼板を得る。これにより圧延方向および板厚方向に平行な断面(L断面)における平均結晶粒径が40~100μmである鋼板を得ることができる。この段階での平均結晶粒径が100μmを超えて粗大化しすぎると軟質すぎて仕上冷間圧延後に十分な硬さが得られない場合がある。最高到達温度の上限は1175℃、あるいは1150℃に管理してもよい。1075℃以上での保持時間の上限は特に規定しないが、連続焼鈍炉での実施を考慮すると、60秒以下の範囲で設定することが好ましい。仕上焼鈍の炉内雰囲気については特にこだわらない。非酸化性雰囲気で焼鈍を行った場合を除き、通常、仕上焼鈍後には酸洗が施される。
【0025】
上記の平均結晶粒径は以下のようにして測定することができる。
(平均結晶粒径の測定方法)
鋼板のL断面を研磨したのち、フッ硝酸グリセリン(フッ酸:硝酸:グリセリン=1:1:2)にてエッチングすることによりオーステナイト結晶粒界を現出させて観察面を調製し、その観察面の顕微鏡画像を取得する。顕微鏡画像上に、板厚中心を通り、板厚の1/2以上の長さを有する、板厚方向に平行な直線の試験線を引き、試験線と結晶粒界の交点の数nをカウントし、結晶粒内を横切る試験線の1結晶粒当たりの平均線分長L(μm)を求める。平均線分長Lは、試験線の一端に最も近い交点と他端に最も近い交点の距離L(μm)を、n-1の値で除した値とする。試験線は、無作為に選択したL方向位置に、試験線を横切る結晶粒の総数が250個以上となるように、1本または複数本設定する。複数本の試験線を設定する場合は、1つの結晶粒が複数の試験線によって横切られることがないようにする。各試験線で得られた上記平均線分長L(μm)の相加平均値を当該鋼板の平均結晶粒径(μm)とする。
【0026】
(仕上冷間圧延)
上記の仕上焼鈍によって得られた組織状態を有する焼鈍鋼板に対して、圧延率10~50%の範囲で冷間圧延を施して本発明に従うステンレス鋼板を得る。精密機械部品において、優れた耐摩耗性を実現するためには、部品加工前の鋼板素材の段階で220HV以上の硬さに調整しておくことが望まれる。硬すぎると部品への加工が困難になるが、本発明の対象鋼は固溶強化が生じにくく、かつ積層欠陥エネルギーが高く加工硬化が生じにくい化学組成を有するので、仕上冷間圧延での硬さ上昇が285HVまでの範囲であれば、良好な加工性が享受できる。圧延方向の引張強さは850N/mm以下であることが好ましい。過酷なプレス打抜きでバリやカエリの少ない良好なせん断加工を実現するためには、延性が適度に抑制されていることが望まれる。具体的には、上述の化学組成を有するオーステナイト系ステンレス鋼板の場合、引張試験で評価される圧延方向の破断伸びが3~15%の範囲であれば、過酷なプレス打抜きで良好な結果が得られることが確認された。破断伸びは5~15%の範囲であることがより好ましい。また、電子回路の近傍に設置される場合があることや、埃の吸着を防止する必要性があることを考慮すると、部品加工前の鋼板素材の段階で比透磁率μrが1.030以下である非磁性に抑えられている必要がある。加工誘起マルテンサイト相などの磁性相の存在割合でみると、フェライトスコープ(フェライト含量計)による測定で、磁性相の体積率が3.0%以下であることが望まれる。上述の化学組成を有する焼鈍鋼板の場合、圧延率10~50%の範囲で上記所望の特性を付与するための最適な圧延条件を設定することができる。圧延率が10%より小さいと、十分にn値の低い(加工硬化しにくい)冷延鋼板を安定して得ることが難しくなる。以上のようにして、板厚が例えば0.8~1.5mmである冷延鋼板を得る。
【実施例
【0027】
表1に示す鋼の連続鋳造スラブを製造し、1100~1300℃の範囲に設定した加熱温度に保持したのち抽出して熱間圧延を行い、1100℃で熱延板焼鈍を行い、その後、中間焼鈍を挟んだ複数回の冷間圧延により、最後の中間焼鈍後の冷間圧延率が40~60%である冷延鋼板中間製品を得た。
【0028】
各冷延鋼板中間製品に連続焼鈍炉で仕上焼鈍を施した。仕上焼鈍は、表2に示す最高到達温度とし、最高到達温度が1075℃より低い例を除き、いずれも材料温度が1075℃以上となる保持時間を10秒以上確保する条件で行った。仕上焼鈍後の焼鈍鋼板から採取したサンプルについて、上掲の「平均結晶粒径の測定方法」に従いL断面の平均結晶粒径を調べた。
【0029】
各焼鈍鋼板に表2に示す圧延率で仕上冷間圧延を施し、冷延鋼板を得た。なお、各焼鈍後には酸洗を施した。得られた冷延鋼板を供試材として、以下の調査を行った。
【0030】
[硬さ]
鋼板の板厚方向に対して垂直な表面(圧延面)について、JIS Z2244:2009に基づいてビッカース硬さHV30(試験力294.2N)を測定した。
【0031】
[引張強さ、破断伸び]
JIS Z2241:2011に基づいて13B号試験片による圧延方向の引張試験を行い、引張強さおよび破断伸び(突き合わせ伸び)を測定した。
【0032】
[比透磁率μr]
供試材の鋼板から採取した直径5mm、板厚1mmのサンプルについて、試料振動型磁力計(理研電子株式会社製、BHV525)を用いて掃引速度1kOe/分で5kOe(397.9kA/m)の磁場を加えて磁化させ、そこで得られた磁場-磁化曲線の傾きより透磁率を求め、真空の透磁率4π×10-7H/mで除して比透磁率とした。各例とも試験数n=5で測定を行い、5個の平均値を当該供試材の比透磁率μrとした。
【0033】
[磁性相の体積率]
フェライトスコープ(FISCHER社製、FMP30)を用いて磁性相の体積率を求めた。磁性相の体積率は、加工誘起マルテンサイト相の体積率にほぼ対応する。
【0034】
[バレル研磨性]
上掲の(X)に示す試験方法にてバレル研磨性を評価した。メディア(研磨材)には、1辺の長さが4mmである正三角形の底面を持つ高さ4mmの正三角柱状のセラミックス製のもの(TKX社製、MT4×4)を用いた。バレル研磨機は新東工業株式会社社製、SKC-32Sを使用した。合格判定の場合を○、それ以外を×と表示した。
以上の結果を表2に示す。
【0035】
【表1】
【0036】
【表2】
【0037】
本発明例の鋼板は、220HV以上の硬さを有することから優れた耐摩耗性を呈すると考えられる。加工硬化しにくい化学組成に調整され、仕上冷間圧延によってn値も低減しているので、種々の部品加工において良好な加工性を有すると考えられる。冷間圧延にて破断伸び15%以下の延性に調整されているのでせん断加工性も良好である。バレル研磨性や非磁性特性も良好である。
【0038】
これに対し、比較例であるNo.5は仕上焼鈍温度が低かったので結晶粒の粗大化が不十分となり、バレル研磨性が悪かった。No.6はオーステナイト安定度の低い鋼を採用したので所望の非磁性特性が得られなかった。また、加工誘起マルテンサイトが生成しやすく、硬くなりやすい成分組成であるためバレル研磨性が悪かった。No.7はCu含有量が過剰である鋼を採用したので熱延時に耳切れが生じ、それ以降の実験を中止した。No.8は仕上焼鈍温度が低かったので結晶粒の粗大化が不十分となり、加えて仕上冷間圧延の圧延率が低かったので延性が高くなり過ぎせん断加工でバリやカエリが大きくなった。その結果、バレル研磨性が悪かった。No.9は仕上焼鈍温度が高すぎたので結晶粒が過度に粗大化し、延性が低下した。この場合バレル研磨性は良好であったが、n値が高くなり厳しい据え込み加工などにおいて加工不良が生じる恐れがある。