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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-11-11
(45)【発行日】2024-11-19
(54)【発明の名称】質量分析装置及び質量較正方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20210101AFI20241112BHJP
   H01J 49/00 20060101ALI20241112BHJP
【FI】
G01N27/62 D
H01J49/00 090
H01J49/00 310
H01J49/00 360
【請求項の数】 8
(21)【出願番号】P 2021127746
(22)【出願日】2021-08-03
(65)【公開番号】P2023022721
(43)【公開日】2023-02-15
【審査請求日】2023-12-05
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】弁理士法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】児嶋 浩一
【審査官】横尾 雅一
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/179096(WO,A1)
【文献】特開2015-121500(JP,A)
【文献】国際公開第2004/023132(WO,A1)
【文献】国際公開第2019/150576(WO,A1)
【文献】特開2008-281411(JP,A)
【文献】特表2008-536147(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2015/0340216(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/60 - G01N 27/70
H01J 49/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する質量較正方法。
【請求項2】
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正がなされた参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する質量較正方法。
【請求項3】
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトルと、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える質量分析装置。
【請求項4】
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正がなされた参照マススペクトル、及び、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える質量分析装置。
【請求項5】
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルは、m/z軸上で実質的に連続するプロファイルスペクトルである、請求項1又は2に記載の質量較正方法。
【請求項6】
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルは、m/z軸上で実質的に連続するプロファイルスペクトルである、請求項3又は4に記載の質量分析装置。
【請求項7】
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはピークリストである、請求項1又は2に記載の質量較正方法。
【請求項8】
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはピークリストである、請求項3又は4に記載の質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析装置、及び、質量分析装置における質量較正方法に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置において質量較正(mass calibration)は、マススペクトルのm/z(厳密には斜体字の「m/z」であるが、本明細書では単に「m/z」と記す。慣用的に「質量電荷比」と呼ばれる場合もある)精度を担保し、マススペクトルを利用した成分の同定や構造解析を行ううえで極めて重要な作業である。よく知られているように、質量較正方法には、大別して、内部標準法と外部標準法とがある(特許文献1等参照)。
【0003】
図7は内部標準法による質量較正の概念を示すマススペクトル、図8は外部標準法による質量較正の概念を示すマススペクトルである。
内部標準法では、目的成分を含む目的試料と標準物質とが混合され、同時に同じ測定条件の下で測定される。その測定により得られた図7に示すようなマススペクトルにおいて、標準物質a、b各々の既知のm/z値と実測のm/z値との差を利用して、各目的成分のm/z値をそれぞれ較正する。
【0004】
一方、外部標準法では、目的試料と標準物質とは別々に測定される。標準物質に対する測定により得られた図8(A)に示すような標準マススペクトルにおいて、標準物質a、b各々の既知のm/z値と実測のm/z値との差の情報を求める。その情報を利用して、目的試料に対する測定により得られた図8(B)に示すような目的マススペクトルにおいて、各目的成分のm/z値をそれぞれ較正する。
【0005】
外部標準法では、目的試料に対する測定と標準物質に対する測定とにおける測定条件のばらつきの影響を補正することができない。そのため一般に、外部標準法よりも内部標準法のほうが精度の高い質量較正が行える。しかしながら、内部標準法では、マススペクトル上で目的試料中の目的成分由来のピークと標準物質由来のピークとが重ならないように標準物質を選定する必要がある。また、内部標準法では、目的成分のピーク強度つまりはその物質の濃度に応じて、標準物質のピーク強度を最適化するように該標準物質の濃度を調整する必要もある。そのため、一般的には、含有成分の質量や濃度が不明であるような目的試料に対して内部標準法を適用することは困難である。
【0006】
例えば質量分析を利用した微生物同定などの際には、多種多様な分子に由来するピークがマススペクトルに現れるため、マススペクトルはかなり複雑になる。また、微生物の種類によってマススペクトルの形状は変化する。そのため、こうしたケースにおいて、試料中の成分由来のピークとピークが重ならないような標準物質を選定することは現実的には不可能であり、内部標準法を利用することは実質的に不可能である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特開2019-86467号公報
【非特許文献】
【0008】
【文献】Sebastian Gibb、「MALDIquant: Quantitative Analysis of MassSpectrometry Data」、[Online]、[2021年1月18日検索]、インターネット<URL: https://cran.r-project.org/web/packages/MALDIquant/vignettes/MALDIquant-intro.pdf>
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
上述したように、質量較正の際に内部標準法を利用できないケースは多いため、内部標準法よりも外部標準法が広く利用されている。一方で、外部標準法による質量較正では必ずしもm/z精度が十分でないことも多く、未知の成分を多数含む複雑な試料について、より高いm/z精度のマススペクトルを取得したいという高いニーズがある。
【0010】
本発明はこうした課題を解決するためになされたものであり、その目的とするところは、目的試料に含まれる成分の質量や濃度が不明である、或いは、目的試料に含まれる成分の数が多く内部標準法を用いることができない場合であっても、内部標準法に近い高い精度での質量較正を実現することができる質量較正方法、及びその質量較正を実施する質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するためになされた本発明に係る質量較正方法の一態様は、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する。
【0012】
上記態様の質量較正方法において、スペクトル重合せステップと質量較正ステップとはその実行順序を入れ替えることができる。
即ち、本発明に係る質量較正方法の他の態様は、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正がなされた参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する。
【0013】
なお、上記二つの態様において、第1マススペクトルと第2マススペクトルとの取得順序は特に限定されないから、第1測定ステップと第2測定ステップはいずれを先に実行しても構わない。
【0014】
また、上記課題を解決するためになされた本発明に係る質量分析装置の一態様は、
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトルと、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える。
【0015】
また、上記課題を解決するためになされた本発明に係る質量分析装置の他の態様は、
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正がなされた参照マススペクトル、及び、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える。
【発明の効果】
【0016】
本発明に係る質量較正方法及び質量分析装置によれば、標準物質を添加することなく目的試料のみに対する質量分析を行った結果である目的マススペクトルについて、標準物質を添加して質量較正を行う内部標準法とほぼ同程度の精度の質量較正を実施することができる。即ち、目的試料に含まれる成分の種類やその濃度が未知であったり、そうした成分が多数含まれていたりするような場合であっても、内部標準法とほぼ同等の高い精度の質量較正がなされたマススペクトルを取得することができる。それによって、例えば微生物由来の試料などの複雑な試料に対してm/z精度の高いマススペクトルを取得し、そのマススペクトルを利用して精度の高い成分同定や成分の構造解析を実施することができる。
【図面の簡単な説明】
【0017】
図1】本発明に係る質量較正方法を実施する質量分析装置の一実施形態の構成図。
図2】本発明に係る質量較正方法の一実施形態の手順を示すフローチャート。
図3】本実施形態の質量較正方法を説明するための模式的なスペクトル波形図。
図4】目的試料に対するマススペクトル(A)、及び目的試料に標準物質が添加された試料に対するマススペクトル(B)の実測例を示す図。
図5】質量較正前の質量ずれ(A)と本発明に係る質量較正方法による質量較正後の質量ずれ(B)の比較を示す図。
図6】質量較正前と本発明に係る質量較正方法による質量較正後のm/z値及び質量精度を示す図。
図7】内部標準法による質量較正の概念を示すマススペクトル。
図8】外部標準法による質量較正の概念を示すマススペクトル。
図9】目的試料に含まれる、質量較正済みの一部の成分を利用した質量較正の概念を示すマススペクトル。
【発明を実施するための形態】
【0018】
上述したように、質量較正には大別して、内部標準法と外部標準法とがあるが、その中間的な方法として、目的試料に含まれる成分で且つマススペクトル上で標準物質との重なりがないことが明らかである成分を利用して質量較正を行う方法も考えられる。図9はこの質量較正の概念を示すマススペクトルである。
【0019】
この方法では、内部標準法と同様に、目的試料と標準物質とが混合された混合試料が測定される一方、同じ測定条件の下で、目的試料のみの測定も実行される。図9(A)に示すように、混合試料のマススペクトルには、標準物質由来のピークと目的成分由来のピークとが観測されるが、その中で、標準物質由来のピークに近く、標準物質との重なりがないことが判っている目的成分由来のピーク(本例では、図9(A)中に〇印を付した2本のピーク)を選択する。そして、標準物質a、b各々の既知のm/z値と実測のm/z値との差の情報を利用して、その二つの目的成分のピークのm/z値を較正し、これを疑似的な理論値とする。次に、図8(B)に示すような目的マススペクトルにおいて、上記二つの目的成分のピークの疑似的な理論値と実測m/z値との差の情報を利用して、該マススペクトル上の全てのピークのm/z値をそれぞれ較正する。
【0020】
上記方法は一般的な外部標準法に比べれば、精度の高い質量較正が期待できるものの、そもそも、質量較正に使用される疑似的な理論値自体が誤差を含んでいるため、精度の向上には限界がある。また、質量較正に利用できる適切なピークを選択する必要があるうえに、実質的に質量較正を2段階実施することになるため、処理に手間が掛かり、自動化も困難であるという問題もある。
【0021】
本発明に係る質量分析装置において実施される質量較正方法は、一般の外部標準法のみならず、上述したような中間的な方法における課題も解決し得る。
以下、本発明に係る質量分析装置、及びその質量分析装置において実施される質量較正方法の一実施形態について、添付図面を参照して説明する。
【0022】
図1は、本実施形態の質量分析装置の概略構成図である。この質量分析装置は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析装置(MALDI-TOFMS)である測定部1と、データ処理部2と、を備える。測定部1は質量分析装置であればよく、その方式や態様は特に限定されない。
【0023】
データ処理部2は、機能ブロックとして、データ格納部21、質量較正部22を含み、質量較正部22は下位の機能ブロックとして、スペクトル重合せ部23と、質量ずれ補正部24と、重合せ解除部25と、を含む。典型的には、データ処理部2の実体はパーソナルコンピューター等のコンピューターであり、該コンピューターにインストールされた所定のプログラムを実行することで、上記各機能ブロックが具現化されるものとすることができる。
【0024】
図2は、この質量分析装置における質量較正方法の手順を示すフローチャートである。図3は、この質量較正方法を説明するための模式的なスペクトル波形図である。
図2及び図3を参照して、ここで実施される質量較正の手順を説明する。
【0025】
この質量較正方法では、一般的な内部標準法や外部標準法と同様に、質量(つまりは分子イオンのm/z値)が既知である化合物(標準物質)を含む標準試料を用いる。この標準試料は、好ましくは質量がそれぞれ既知である複数種類の標準物質を含むことが望ましい図3に示す例では、標準試料は二つの標準物質a、bを含む。
【0026】
ユーザー(分析者)は、目的試料に標準試料を添加することで試料Aを調製し、該試料Aを測定部1にセットして所定の測定条件の下で測定を実行する。ここで、目的試料とは分析対象又は解析対象の試料であり、目的試料は未知の成分を未知の濃度で含むものとすることができる。また、測定条件は、MALDI用レーザーの照射条件(レーザーパワー、レーザー照射時間など)、データ積算回数などを含む。試料Aについての測定によって、所定の質量範囲に亘る参照マススペクトルが得られる(ステップS1)。この参照マススペクトルはm/z軸上で連続するプロファイルスペクトルであり、そのスペクトルデータはデータ格納部21に保存される。
【0027】
図3(Ab)は参照マススペクトルの一例であり、既に説明した図9(A)と実質的に同じである。この例では、目的試料に含まれる5個の目的成分に由来するピークと、標準試料に含まれる二つの標準物質(キャリブラント)に対応するピークが観測されている。なお、上述したように目的試料に含まれる成分が未知である場合には、標準物質由来のピークと何らかの目的成分由来のピークとが重なる可能性があるが、重なっていても問題はない。
【0028】
ユーザーは次に、目的試料のみを含む試料Bを測定部1にセットして、ステップS1における測定の際と同じ測定条件の下で測定を実行する。試料Bについての測定によって、所定の質量範囲に亘る目的マススペクトルが得られる(ステップS2)。この目的スペクトルもプロファイルスペクトルであり、そのスペクトルデータはデータ格納部21に保存される。
【0029】
図3(Aa)は目的マススペクトルの一例であり、既に説明した図9(B)と実質的に同じである。この目的マススペクトルには、当然のことながら、標準物質に対応するピークは観測されず、5個の目的成分に由来するピークのみが観測される。なお、標準試料を目的試料に添加して測定を行うと、イオンサプレッション効果によって目的成分のイオン化が抑制され、目的成分に由来するピークの強度が下がる場合があるが、一部のピークが実質的に観測されなくても構わない。
【0030】
なお、ステップS1とステップS2の実行の順序が入れ替え可能であることは明らかである。
【0031】
一般的に、参照マススペクトルと目的マススペクトルとには目的成分に由来するピークが共通に現れる。上述したイオンサプレッション等による強度の低下があったとしても、目的成分由来のピークの多くは共通に現れる。但し、多くの場合、試料Aと試料Bを測定する際に測定条件等の微妙な相違等に起因して、両マススペクトルの間にはm/zずれが生じる。そこで、質量較正部22は目的マススペクトルについての質量較正を実施する。
【0032】
まず、スペクトル重合せ部23は、目的成分に由来するピーク全体を利用して、参照マススペクトルと目的マススペクトルとの重合せを行う(ステップS3)。
【0033】
目的試料に含まれる成分が既知であれば、両方のマススペクトルにおいて観測される特定の成分由来のピークをそれぞれ指定して、それらピークがm/z軸上で同じ位置に来るように一方のスペクトル波形をシフトさせる処理を行うことができる。しかしながら、ここでは、目的試料に含まれる成分が未知であることを前提としているので、特定のピークを予め指定することはできない。そこで、ステップS3では、マスピークの強度やS/N、m/z値の許容値などの予め決められたパラメーターに従って、両方のマススペクトルにおいて対応する(つまりは同一成分由来であると推定され得る)ピークを自動的に複数検出したうえで、その対応するピークのm/z値が全体として一致するように両マススペクトルを重ね合わせるとよい。「対応するピークのm/z値が全体として一致するように」とは、例えば、最小二乗法を用いて、全ての対応するペアピークのm/z値の誤差の差が最小になるようにすればよい。また、好ましくは、ピーク検出の前に、m/z軸上での移動平均処理などのノイズ除去処理、ベースライン除去処理などの波形前処理をマススペクトルに対し実行し、そのうえでピーク検出を実行するとよい。
【0034】
具体的な一例としては、CRAN(Comprehensive R Archive Network)で公開されているR言語のパッケージの一つであるMALDI quantライブラリー(非特許文献2等参照)のalignSpectraコマンドなどを用いることで上記の重合せを実施することができる。もちろん、同様の処理を実施可能なコンピュータープログラムはこれに限らない。
【0035】
図3(B)は、図3(Ab)に示した参照マススペクトルに、図3(Aa)に示した目的マススペクトルを重ね合わせた後の状態を示している。この例では、目的マススペクトルをm/z軸上でシフトさせているが、参照マススペクトルをシフトしても両マススペクトルをシフトしてもよい。
【0036】
次いで、質量ずれ補正部24は、図3(C)に示すように、参照マススペクトルにおいて観測される標準物質に対応するピークの実測m/z値と、その標準物質の既知の質量値に基くm/z値(真値)との差を質量較正情報として求め、この質量較正情報を用いて、重ね合わせられた後のマススペクトル上の各ピークのm/z値を較正する。即ち、重ね合わせられた後のマススペクトルについての質量較正を行う(ステップS4)。
【0037】
ステップS4の処理も、既存のコンピュータープログラムを用いて行うことができる。具体的には、まず、上述したMALDI quantライブラリーのalignSpectraコマンドに標準物質のm/z値を設定して該コマンドを実行する。一方、MALDIquantライブラリーのdetectPeaksコマンドを用いて重合せ後のマススペクトルにおいてピーク検出を行い、検出されたピークを設定値として再度alignSpectraコマンドを実行する。これにより、重合せ後のマススペクトルの質量較正が終了する。
【0038】
その後、重合せ解除部25は、質量較正が実施されたあとの重合せマススペクトルの重合せを解除することにより、重合せ前の参照マススペクトルに対応するマススペクトルと重合せ前の目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離する。この処理によって、m/z値が較正された目的マススペクトルを取得することができる(ステップS5)。
【0039】
上述したような手順により得られた目的マススペクトルでは、外部標準法を用いた場合には補正されない、複数の測定時点の間での測定条件の微妙な相違や周囲環境等の相違に起因するm/zの差異も実質的に補正される。そのため、内部標準法と同等の精度で以て質量較正が行われる。
【0040】
上記説明では、参照マススペクトルと目的マススペクトルとを重ね合わせた後に標準物質を利用した質量較正を実施していたが、ステップS3とステップS4の順序を入れ替えることもできる。即ち、先に参照マススペクトルにおいて標準物質の実測m/z値とm/zの真値を利用して参照マススペクトル全体について質量較正を実施する。そのあと、質量較正された参照マススペクトルを基準とし、それに目的マススペクトルを重ね合わせる。こうして得られた重合せマススペクトルの重合せを解除することで、質量較正された目的マススペクトルを取得することができる。
【0041】
なお、後述する実験例のように、目的マススペクトルは一つのみではなく複数でもよい。また、上記実施形態では、測定によって取得されたm/z軸で実質的に連続した波形であるプロファイルスペクトルをマススペクトルとして質量較正を行っていたが、プロファイルスペクトルからピークを抽出することで作成したピークリストや、プロファイルスペクトルに対しセントロイド処理を行うことで作成したセントロイドスペクトルをマススペクトルとして、上述したような質量較正を実行してもよい。
【0042】
[実験例]
上述した質量較正方法の効果を検証するために行った実験例について説明する。
本実験例では、大腸菌から抽出して調製した、主としてタンパク質を含む画分を目的試料とした。一方、質量が既知である標準物質としては、ATCH(1-17)(CAS番号:7266-47-9)及びCytochromoe C(CAS番号9007-42-6)の2種類を用いた。図4(A)は目的試料のみを含む試料Bのマススペクトルの実測例、図4(B)は目的試料に標準物質を添加した試料Aのマススペクトルの実測例である。
【0043】
試料Aについては平均値を計算するために3回の測定を行い、試料Bについては12回の測定を行った。そして、上述したMALDIquantライブラリーのalignSpectraコマンド及びdetectPeaksコマンドを用いることで、両方のマススペクトルの間の重合せ及び標準物質由来のピークを用いた質量較正を行った。そして、試料Bについての12個のマススペクトルを質量較正された目的マススペクトルとして取得した。
【0044】
図5(A)は、本発明に係る質量較正方法を適用しない状態の、試料Bのマススペクトルにおけるm/z 4365付近を拡大したマススペクトルである。図5(B)は、本発明に係る質量較正方法を適用した後の、試料Bのマススペクトルにおけるm/z 4365付近を拡大したマススペクトルである。図5から、本発明に係る質量較正方法を適用することによって、マススペクトルのピークのピークトップの位置のばらつきが減少し、ピークトップが真値であるm/z 4365.37(図中の縦線)に近づいていることが判る。
【0045】
図6は、四つのm/z値(m/z 4365.37、m/z 5381.43、m/z 6255.45、m/z 7274.49)付近のピークについて、本発明に係る質量較正方法の適用前後の質量精度などをまとめたものである。この結果から、本発明に係る質量較正を行う前に300ppm~700ppm以上であった質量精度が、本発明に係る質量較正方法を適用したことで150ppm以下に改善している、つまり質量誤差が1/2~1/3以下に大きく減少していることが分かる。
【0046】
以上の実験結果から、本発明に係る質量較正方法によれば、十分に高い精度でマススペクトルのm/z値を較正することができることが確認できる。また、外部標準法のときの標準試料のみの測定に代えて目的試料と標準試料とを混合した試料Aの測定を行えばよいので、外部標準法による質量較正法と対比して、測定作業の手間も実質的に増えず、作業が煩雑になることも避けることができる。
【0047】
なお、上記実施形態は本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加等を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
【0048】
[種々の態様]
上述した例示的な実施形態は、以下の態様の具体例であることが当業者により理解される。
【0049】
(第1項)本発明に係る質量較正方法の一態様は、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する。
【0050】
(第2項)本発明に係る質量較正方法の他の態様は、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し質量分析を実行して参照マススペクトルを取得する第1測定ステップと、
前記目的試料のみに対し質量分析を実行して目的マススペクトルを取得する第2測定ステップと、
前記参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正ステップと、
前記質量較正ステップで質量較正がなされた参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せステップと、
前記スペクトル重合せステップで重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離ステップと、
を有する。
【0051】
(第3項)本発明に係る質量分析装置の一態様は、
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトルと、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重合せが実行された後のマスマススペクトルに対し、前記標準物質のピークと該標準物質の既知の質量とを用いて質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正された後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える。
【0052】
(第4項)また、本発明に係る質量分析装置の他の態様は、
質量分析を行ってマススペクトルを取得する測定部と、
質量が既知である標準物質と目的試料とを混合した試料に対し前記測定部により質量分析を実行して取得された参照マススペクトル上の標準物質のピークと該標準物質の既知の質量を用いて、該参照マススペクトルに対し質量較正を行う質量較正部と、
前記質量較正部により質量較正がなされた参照マススペクトル、及び、前記目的試料のみに対し前記測定部により質量分析を実行して取得された目的マススペクトルで共通に観測される成分由来のピークを利用して、該参照マススペクトルと該目的マススペクトルとを重ね合わせるスペクトル重合せ部と、
前記スペクトル重合せ部により重ね合わせられた後のマススペクトルを、前記参照マススペクトルに対応するマススペクトルと前記目的マススペクトルに対応するマススペクトルとに分離するスペクトル分離部と、
を備える。
【0053】
第1項及び第2項に記載の質量較正方法、並びに、第3項及び第4項に記載の質量分析装置によれば、標準物質を添加することなく質量分析を行った結果である目的マススペクトルについて、標準物質を添加して質量較正を行う内部標準法とほぼ同程度の精度の質量較正を実施することができる。即ち、目的試料に含まれる成分の種類やその濃度が未知であったり、そうした成分が多数含まれていたりするような場合であっても、内部標準法とほぼ同等の高い精度の質量較正がなされたマススペクトルを取得することができる。それによって、例えば微生物由来の試料などの複雑な試料に対してm/z精度の高いマススペクトルを取得し、そのマススペクトルを利用して精度の高い成分同定や成分の構造解析を実施することができる。
【0054】
(第5項)第1項及び第2項に記載の質量較正方法において、前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはm/z軸上で実質的に連続するプロファイルスペクトルであるものとすることができる。
【0055】
(第6項)第3項及び第4項に記載の質量分析装置においても同様に、前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはm/z軸上で実質的に連続するプロファイルスペクトルであるものとすることができる。
【0056】
第5項に記載の質量較正方法及び第6項に記載の質量分析装置によれば、測定によって得られたデータそのものに対して質量較正を行い、質量較正がなされたプロファイルスペクトルを得ることができる。
【0057】
(第7項)第1項及び第2項に記載の質量較正方法において、前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはピークリストであるものとすることができる。
【0058】
(第8項)第3項及び第4項に記載の質量分析装置においても同様に、前記参照マススペクトル及び前記目的マススペクトルはピークリストであるものとすることができる。
【0059】
第7項に記載の質量較正方法及び第8項に記載の質量分析装置によれば、ピーク抽出処理等によってプロファイルスペクトルから作成されたピークリストに挙げられている各ピークのm/z値が高い精度で較正される。これにより、m/z値の精度の高いピークリストを取得し、そのピークリストに基いた成分同定や成分の構造解析の処理を引き続いて実行することができる。
【符号の説明】
【0060】
1…測定部
2…データ処理部
21…データ格納部
22…質量較正部
23…スペクトル重合せ部
24…質量ずれ補正部
25…重合せ解除部
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9