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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-11-12
(45)【発行日】2024-11-20
(54)【発明の名称】監視対象物の劣化診断方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/416 20060101AFI20241113BHJP
   C12Q 1/06 20060101ALI20241113BHJP
【FI】
G01N27/416 302M
C12Q1/06
【請求項の数】 9
(21)【出願番号】P 2021099811
(22)【出願日】2021-06-16
(65)【公開番号】P2022191545
(43)【公開日】2022-12-28
【審査請求日】2024-03-14
(73)【特許権者】
【識別番号】301023238
【氏名又は名称】国立研究開発法人物質・材料研究機構
(72)【発明者】
【氏名】トウ ギョウ
(72)【発明者】
【氏名】岡本 章玄
【審査官】黒田 浩一
(56)【参考文献】
【文献】特開2000-283945(JP,A)
【文献】特開2015-128437(JP,A)
【文献】特開2006-242933(JP,A)
【文献】特開2006-067997(JP,A)
【文献】特開平11-046764(JP,A)
【文献】特表2018-514227(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/26-27/49
C12Q 1/00-3/00
C12M 1/00-3/10
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
監視対象物又はその周囲から検体を採取することと、
前記検体と水とを含む混合液を電極と接触させ、セルロース、セルロース誘導体、及び、セロビオースからなる群より選択される少なくとも1種の化合物の存在下、嫌気環境下で電気化学測定することと、
前記電気化学測定の結果、電流生成が検出された場合、監視対象物の劣化が進行していると判断するための情報を提供することと、を含み、
前記監視対象物が木造建築物である、監視対象物の劣化診断方法。
【請求項2】
前記化合物がセルロース、及び、セルロース誘導体からなる群より選択される少なくとも1種である、請求項1に記載の監視対象物の劣化診断方法。
【請求項3】
前記電気化学測定の方法が、前記電極の電位を制御して、前記電極を流れる電流を時間の関数として測定する方法である、請求項1又は2に記載の劣化診断方法。
【請求項4】
前記制御された前記電極の電位が、標準水素電極を基準として0Vを超えて、電位窓の上限値未満の範囲内である、請求項に記載の劣化診断方法。
【請求項5】
前記電位が標準水素電極を基準として+0.3~+1.0Vである請求項に記載の劣化診断方法。
【請求項6】
前記検体が、環境水、土壌、及び、塵芥からなる群より選択される少なくとも1種を含む、請求項1~のいずれか1項に記載の劣化診断方法。
【請求項7】
前記判断するための情報が、前記電気化学測定の開始から前記電流生成が検出されるまでの時間、電流増加曲線の傾き、及び、生成される電流の電流密度の最大値からなる群より選択される少なくとも1種の測定結果を含む、請求項1~のいずれか1項に記載の劣化診断方法。
【請求項8】
前記判断するための情報が、予め定められた基準値と、前記測定結果との比較情報を含む、請求項に記載の劣化診断方法。
【請求項9】
更に、コントロール検体を採取することと、
前記コントロール検体について前記検体と同様の手順で予備測定結果を得て、前記予備測定結果をもとに前記基準値を決定することと、を含む、請求項に記載の劣化診断方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、監視対象物、特に木造建築物等の劣化診断方法に関する。
【背景技術】
【0002】
建築物、特に木造建築物の劣化の原因として、木材害虫による食害が挙げられる。木材害虫としては、シロアリ、ヒラタキクイムシ、シンバンムシ、ナガシンクイムシ、及び、ゾウムシ等が知られている。これらの木材害虫は、木造の建築物の美観を損ねたり、建築物の構造材等を食害し、構造材の機能を失せしめ、結果として建築物の不安定を引き起こしたりする。
特に、文化財等の伝統的木造建築物の保全においては、木材害虫による食害の防止は差し迫って重要な課題である。
【0003】
木材害虫のうち、シロアリは、木材の内部や地中等に餌場や巣(以下「餌場等」という。)を確保して繁殖する性質を有している。そのため、餌場等を目視で確認することは難しい。また、外部から建築物へ侵入するような場合には、シロアリは移動に「蟻道」と呼ばれるトンネル状の地下通路を使うため、成虫を目視できることは少なく、被害の発生の有無を判断するには、専門的な知識や経験が必要である。このような監視の難しさが、シロアリをはじめとする木材害虫による建築物への被害拡大の一因となっている。
【0004】
上記の事情から、木材害虫の存在を早期に検知したり、木材害虫の存在の有無を監視する技術は、被害の最少化、及び、防除の容易性の点で重要と考えられている。
【0005】
このような木材害虫の監視技術として、シロアリを対象としたものでは、特許文献1に、「シロアリ殺虫成分を含んだシロアリ用ベイトを収容可能にするベイト収容空間を有し、前記ベイト収容空間へのシロアリの侵入を許容する状態に地中埋設される埋設本体を設け、前記ベイト収容空間を地上側から開閉自在にする蓋部材を設けたステーションボックスを備えたシロアリ監視装置であって、前記ステーションボックスのベイト収容空間に臨んで前記シロアリ用ベイトへのシロアリの侵入に基づく代謝ガスを検知するガス検知素子を設けたシロアリ監視装置。」が記載されている。
【0006】
また、特許文献2には、「シロアリが食する膜材(51)を備え、前記膜材により囲われる内部に、検知対象ガスを放出するガス放出物(52)が封入された疑似餌(50)と、前記疑似餌を収容する収容空間(13)を備え、かつ、シロアリが前記収容空間に侵入可能な侵入口(14)が形成されている本体部(10)と、前記疑似餌から放出された前記検知対象ガスを検知するガスセンサ(30)とを備えることを特徴とするシロアリ検知装置。」が記載されている。
【0007】
また、木材害虫を対象としたものでは、特許文献3に、「木材害虫を検知する食害センサと、この食害センサによって木材害虫が検知されたときに警報を発する警報装置とからなり、前記食害センサが、支持体と、付勢状態で前記支持体上に設けられ、木材害虫の食害により切断されて一方の切断片が前記付勢方向に移動する食害性材料製食害部材と、前記切断片の移動を検知する検知手段とを備えていることを特徴とする木材害虫検知機。」が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】特開2003-144029号公報
【文献】特開2017-42134号公報
【文献】特開平9-299009号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
特許文献1に記載の装置は、地下に埋設された、餌を収容した本体と、シロアリの代謝ガスの検知素子とを備えた装置であり、シロアリの代謝ガスによってシロアリを検知するものである。
【0010】
また、特許文献2に記載の装置は、検知対象ガスを放出するガス放出物が封入された疑似餌をシロアリに食べさせて、検知対象ガスを放出させ、それによってシロアリを検知するものである。
【0011】
また、特許文献3に記載の装置は、食害性材料製食害部材が木材害虫により切断され、この切断片の移動をセンサで検知して警報を発するものである。
【0012】
上記のような木材害虫の検知装置、及び、検知方法の問題点は、木材害虫の代謝活動、及び、木材害虫の食餌行動を検知するという原理上、シロアリ等の木材害虫が現にその場で活動しない限り、その存在を検知ができないという点である。
【0013】
既に申し述べたとおり、木材害虫は、木材の内部や地中に餌場等を確保する性質があり、それ自身の活動を検知するのは容易ではなく、装置の設置場所を適切に選択しなければ、木材害虫が周辺に存在するにもかかわらず、検知できないという状態を招くおそれもある。
【0014】
上記事情を考慮し、本発明はシロアリ等の木材害虫そのものを検知しなくても、木材害虫等によって監視対象物が劣化している可能性があることを判断するための情報を提供できる、劣化診断方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者らは、上記課題を達成すべく鋭意検討した結果、以下の構成により上記課題を達成することができることを見出した。
【0016】
[1] 監視対象物又はその周囲から検体を採取することと、上記検体と水とを含む混合液を電極と接触させ、セルロース、セルロース誘導体、及び、セロビオースからなる群より選択される少なくとも1種の化合物の存在下、嫌気環境下で電気化学測定することと、上記電気化学測定の結果、電流生成が検出された場合、監視対象物の劣化が進行していると判断するための情報を提供することと、を含む、監視対象物の劣化診断方法。
[2] 上記化合物がセルロース、及び、セルロース誘導体からなる群より選択される少なくとも1種である、[1]に記載の監視対象物の劣化診断方法。
[3] 上記監視対象物が木造建築物である、[1]又は[2]に記載の劣化診断方法。
[4] 上記電気化学測定の方法が、上記電極の電位を制御して、上記電極を流れる電流を時間の関数として測定する方法である、[1]~[3]のいずれかに記載の劣化診断方法。
[5] 上記制御された上記電極の電位が、標準水素電極を基準として0Vを超えて、電位窓の上限値未満の範囲内である、[1]~[4]のいずれかに記載の劣化診断方法。
[6] 上記電位が標準水素電極を基準として+0.3~+1.0Vである[5]に記載の劣化診断方法。
[7] 上記検体が、環境水、土壌、及び、塵芥からなる群より選択される少なくとも1種を含む、[1]~[6]のいずれかに記載の劣化診断方法。
[8] 上記判断するための情報が、上記電気化学測定の開始から上記電流生成が検出されるまでの時間、電流増加曲線の傾き、及び、生成される電流の電流密度の最大値からなる群より選択される少なくとも1種の測定結果を含む、[1]~[6]のいずれか1項に記載の劣化診断方法。
[9] 上記判断するための情報が、予め定められた基準値と、上記測定結果との比較情報を含む、[8]に記載の劣化診断方法。
[10] 更に、コントロール検体を採取することと、上記コントロール検体について上記検体と同様の手順で予備測定結果を得て、上記予備測定結果をもとに上記基準値を決定することと、を含む、[9]に記載の劣化診断方法。
【発明の効果】
【0017】
本発明の劣化診断方法(以下「本方法」ともいう。)は、監視対象物又はその周囲から検体を採取することと、上記検体と水とを含む混合液を電極と接触させ、セルロース存在下、嫌気環境下で電気化学測定することと、上記電気化学測定の結果、電流生成が検出された場合、監視対象物の劣化が進行していると判断するための情報を提供することと、を含む。
【0018】
後段の実施例に示されるとおり、木材害虫の腸管に由来する微生物が、セルロース、セルロース誘導体、及び、セロビオースからなる群より選択される少なくとも1種の化合物(以下、「セルロース等」ともいう。)の存在下、嫌気環境下において(すなわち腸管内と類似した状況下において)、電流を生成する性質を有することを本発明者らは初めて見出した。本方法は、上記特徴を利用したものである。
【0019】
すなわち、検体から電流生成が検出されることは、検体中に木材害虫の腸管に由来する微生物群が存在することを示唆する。具体的には、腸管に由来する微生物群が検体中に存在することは、検体中に木材害虫そのもの、木材害虫の死骸、及び、これらの一部、並びに、木材害虫の排泄物等が含まれることを意味する。
これにより監視対象物の劣化の進行を判断するため情報が提供できる。本方法によれば、木材害虫自体が現に検体に含まれていなくても、例えば、木材害虫の死骸の一部や排泄物が検体に含まれていれば、監視対象物の劣化の進行判断のための情報を提供できる。
【0020】
また、セルロース等がセルロース、及び、その誘導体からなる群より選択される少なくとも1種である場合、木材害虫の腸管に由来する微生物からの電流生成をより特異的に検知しやすい。言い換えれば、検体中に含まれる夾雑物の影響をより受けにくい。
【0021】
また、本方法の監視対象物が木造建築物である場合、木材害虫の被害を受けやすく、本方法による劣化診断がより有用である。本方法は、装置を設置して木材害虫が誘引されるのを待つ必要が無い。そのため、検体を監視対象物又はその周囲から採取すればよいので、監視対象物を傷つけたり、監視対象物の周囲に美観を損なう装置を多数設置したりする必要がない。そのため、歴史的建造物等の木造建築物の劣化監視に特に適している。
【0022】
従来の方法では、監視装置を設置したあと、実際に木材害虫が装置に誘引され、装置内で活動(食餌行動)するまで検知ができなかった。つまり、装置内に木材害虫が現に存在し、かつ、特定の行動をとるまで、検知はできなかった。
【0023】
しかし、本方法における電気化学測定の方法が、電極の電位を制御して、上記電極を流れる電流を時間の関数として測定する方法であると、検体を電極と接触させて電位を制御するか、又は、予め電位が制御された電極に検体を接触させてすぐに結果が得られる。結果が得られるまでの時間は検体によって異なるが、例えば、5秒~24時間である。
【0024】
また、制御された電極の電位が、+0.3V(vs.SHE)を超えて、電位窓の上限値未満の範囲内であると、微生物由来の生成電流をより判別しやすいため、劣化が進行していると判断するための情報がより提供しやすい。
【0025】
また、制御された電極の電位が+0.3~+1.0V(vs.SHE)であると、腸管由来の微生物から電極への電子の移動がよりスムーズになり、結果として、電流生成による信号がより明確になりやすい。
【0026】
また、検体が、環境水、土壌、及び、塵芥からなる群より選択される少なくとも1種を含む場合、監視対象物を傷つけずに劣化診断できる点で好ましい。また、環境水、土壌、及び、塵芥には、木材害虫の腸管由来の微生物群が排泄物等を介して含有されやすく、診断がより容易になる。
【0027】
また、上記判断するための情報が、上記電気化学測定の開始から上記電流生成が検出されるまでの時間、電流増加曲線(時間-電流曲線)の傾き、及び、生成される電流の電流密度の最大値からなる群より選択される少なくとも1種の測定結果を含む場合、定量評価がより容易である点で好ましい。例えば、監視対象物の周囲の複数個所で検体を採取し、測定結果の差によって、特に劣化を受けている可能性が高い箇所の特定に利用できる場合がある。また、同一箇所で異なる時期に採取された検体の結果を比較することもでき、劣化状況の経時変化を判断するものより容易になる。
【0028】
また、上記判断するための情報が、予め定められた基準値と、上記測定結果との差を含む場合、誤診断を防止しやすい点で好ましい。検体の種類や監視対象物の設置場所等の特徴によって、得られる測定結果に影響がある場合であっても、それに応じて予め定められた基準値との比較情報が含まれることで、結果がより正確に理解され、結果として、より正確な診断が可能になる。
【0029】
また、本方法が、更に、コントロール検体を採取することと、上記コントロール検体について上記検体と同様の手順で予備測定結果を取得して、上記基準値を決定することと、を含む場合、例えば、コントロール検体を監視対象物の設置環境の局所的な特徴を反映するように採取し、その予備測定結果をもとに決定された基準値を用いることによれば、更に正確な診断が可能になる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
図1】本発明の一実施形態である劣化診断方法のフローチャートである。
図2】539培地、及び、セロビオースをカルボキシメチルセルロースに置換した「CMC539培地」のレシピである。
図3】セルロース源として、CMC539培地を用いた場合の生成電流の時間変化を示す時間-電流曲線である。
図4】539培地(セロビオースを含む)を用いた場合の生成電流の時間変化を示す時間-電流曲線である。
図5】電極電位が+0.3Vのときの時間-電流曲線である。
図6】電極電位が+0.4Vのときの時間-電流曲線である。
図7】電極電位が+0.5Vのときの時間-電流曲線である。
図8】電極電位が+0.6Vのときの時間-電流曲線である。
図9】電極電位が+0.7Vのときの時間-電流曲線である。
図10】電極電位が+0.8Vのときの時間-電流曲線である。
図11】電極電位が+0.9Vのときの時間-電流曲線である。
図12】電極電位が+1.0Vのときの時間-電流曲線である。
【発明を実施するための形態】
【0031】
以下、本発明について詳細に説明する。
以下に記載する構成要件の説明は、本発明の代表的な実施形態に基づいてなされることがあるが、本発明はそのような実施形態に制限されるものではない。
なお、本明細書において、「~」を用いて表される数値範囲は、「~」の前後に記載される数値を下限値及び上限値として含む範囲を意味する。
【0032】
図1は、本発明の一実施形態である劣化診断方法(以下、「本方法」ともいう。)のフローチャートである。
まず、監視対象物又はその周辺から検体が採取され、それに対応したコントロール検体が採取される(ステップS11)。
監視対象物としては、特に制限されないが、木材害虫の被害を受けうる建築物、及び、工作物等が好ましい。なかでも、監視対象物が木造建築物であると、本方法による劣化診断方法による効果がより大きい。
【0033】
検体は、監視対象物の一部、例えば、腐食した構造材等であってもよいし、監視対象物の周囲から採取した環境水、土壌、及び、塵芥等であってもよい。監視対象物が建築物である場合には、土壌としては床下の土壌等が挙げられ、環境水としては雨水排水等が挙げられる。
監視対象物の周囲から採取した環境水、土壌、及び、塵芥等には、木材害虫の腸管に由来する微生物群が含まれている場合が特に多く、検査対象としてより適している。
【0034】
また、検体は、1か所から採取してもよいし、複数か所から採取してもよい。複数か所から検体を採取した場合、その1つずつを個別に測定してもよいし、混合して測定してもよい。本方法は優れた感度を有するため、検体を混合して測定した場合でも十分な感度が得られる。複数の検体について個別に測定した場合には、得られた劣化の進行を判断するための情報と、対応する検体の採取位置とを突き合わせることで、監視対象物における劣化の進行度合いの位置的な分布を知ることができる。
【0035】
コントロール検体(以下「C検体」ともいう。)は後述する基準値の決定に寄与するものであり、C検体を適切に採取することで、監視対象物の立地等による測定への影響を打ち消すことができる。例えば、監視対象物が建築物で、検体を床下の土壌とする場合、C検体としては、建築物から一定程度離れた場所で採取された土壌を用いることができる。C検体と検体とは同一の種類でなくてもよいが、同一の種類(例えば、土壌と土壌等)であると、より正確な情報が提供できる。
【0036】
なお、図1においては、ステップS11において、コントロール検体が採取されているが、本発明の実施形態に係る方法としては、コントロール検体を採取しなくてもよい。
【0037】
次に、検体と水とを含む混合液を電極と接触させ、セルロース等の存在下、嫌気環境下で電気化学測定する(ステップS12)。
混合液は検体と水とを含んでいればよく、検体が環境水である場合には、水を添加することなくそのまま用いてもよい。検体が土壌や塵芥である場合には、水を加えた後、そのまま測定に供してもよいし、遠心分離した上清を用いてもよい。
【0038】
混合液の調製に使用する水には、必要に応じて他の成分が混合されていてもよい。他の成分としては例えば、金属塩(例えば、アルカリ金属、又は、アルカリ土塁金属の塩)等が挙げられる。このような塩としては、例えば、NaCl、KHPO、MgCl、KCl、及び、NaCO等が挙げられる。金属塩の含有量としては特に制限されないが、混合液中における固形分の合計含有量を100質量%としたとき、10~50質量%が好ましい。
【0039】
なお、混合液は、セルロース等以外の炭素源、窒素源、及び、硫黄源を含有していてもよいが、木材害虫の腸管に由来する微生物群をより特異的に検出できる観点からは、その合計含有量が全固形分の10質量%以下であることが好ましい。
【0040】
混合液は、セルロース等を含んでもよい。混合液がセルロース等を含む場合、この混合液を電極と接触させることで「セルロース等の存在下」で電気化学測定が可能になる。なお、本明細書において、セルロース等とは、セルロース、セルロース誘導体、及び、セロビオースからなる群より選択される少なくとも1種の化合物を意味する。なお、セルロース誘導体としては、混合液中に分散させやすい観点で、カルボキシメチルセルロース等のセルロース誘導体が好ましい。
セルロースの分子量としては特に制限されず、500~1000000が好ましい。
【0041】
なかでも、混合液が含むセルロース等が、セルロース、及び、セルロース誘導体からなる群より選択される少なくとも1種であると、検体に含まれる夾雑物の影響をより受けにくくなる点で好ましい。
【0042】
混合液中にセルロース等を含ませる場合、混合液中のセルロース等の含有量としては特に制限されないが、例えば、混合液の固形分の全質量を100質量%としたとき、10~70質量%が好ましい。
混合液が、2種以上のセルロース等を含有する場合には、その合計含有量が上記数値範囲内であることが好ましい。
【0043】
なお、混合液がセルロース等を含有しない場合、電極上にセルロース等を公知の方法で固定したセルロース等固定化電極を用いることによって「セルロース等の存在下」での測定を行ってもよい。
【0044】
電気化学測定の方法としては、上記電極の電位を制御して電流を時間の関数として測定する方法が好ましい。このような方法としては、例えば、アンペロメトリー法、サイクリックボルタンメトリー法、リニアスイープボルタンメトリー法、及び、矩形波ボルタンメトリー法等が挙げられる。
【0045】
電極の材質は特に制限されず、電気化学測定用として公知の電極を用いることができる。電極の材質としては、例えば、ITO(酸化インジウムスズ)、貴金属(金(Au)、銀(Ag)、白金(Pt)、パラジウム(Pd)、ロジウム(Rh)、イリジウム(Ir)、ルテニウム(Ru)等)、銅(Cu)、アルミニウム(Al)、タングステン(W)、モリブデン(Mo)、クロム(Cr)、チタン(Ti)、ニッケル(Ni)等が挙げられる。また、炭素材料、例えば、カーボン、及び、グラファイト(グラフェン)等のいわゆる「炭素電極」であってもよい。また、電位窓が広いという点では、ホウ素ドープダイヤモンド電極を用いることもできる。なかでも、炭素電極が好ましい。
【0046】
電気化学測定には、一般的な電気化学測定装置を用いることができる。例えば、作用電極、対電極、及び、参照電極がセル内に収容された3電極式の電気化学測定装置を用いることができる。
電気化学測定を行う温度は特に制限されないが、検体の採取場所と同程度の温度で行うこともできるし、温度を制御して行ってもよい。その場合、試験液の温度は、10~40℃が好ましい。
測定は、一般的な嫌気グローブボックス(嫌気チャンバー)内で、好ましくは無酸素状態で測定を行えばよい。
【0047】
この電気化学測定によって、電流生成が検出される場合(ステップS13:Yes)、検体中に木材害虫の腸管に由来する微生物群の存在が示唆される。そのため、次に、C検体を含む水を電極と接触させ、セルロース存在下、嫌気環境下で電気化学測定する(ステップS14)。
このとき、電気化学測定の条件等は、すでに説明した検体の測定を行ったのと同一条件とする。
【0048】
なお、本実施形態においては、電流生成が検出された場合にコントロール検体の測定を開始することとしているが、電流生成が検出された時点(S13:Yes)で、コントロール検体の測定を行わず、監視対象物の劣化が進行していると判断するための情報を提供する形態としてもよい。この場合、例えば、電気化学測定の開始から電流生成が検出されるまでの時間、及び、生成される電流の電流密度の最大値等を上記情報として提供できる。C検体の測定、及び、基準値との比較を行わないため、より迅速に結果を得ることができる。
【0049】
また、一方で、検体の電気化学測定の前に、予めC検体の電気化学測定によって予備測定結果を得てもよい。この場合、検体の測定のまえに、予め基準値を決定してもよい。
【0050】
図1のフローに戻り、C検体について電気化学測定を行った(ステップS14)後、次に、C検体の予備測定結果をもとに、基準値を決定する(ステップS15)。
基準値の決定方法の一例として、例えば、C検体の電気化学測定の開始から電流生成が検出されるまでの時間、電流増加曲線(時間-電流曲線)の傾き、及び、生成される電流の電流密度の最大値等を基準値とする方法が挙げられる。
【0051】
なお、本実施形態は、C検体の予備測定結果をもとに基準値を決定する手順を有しているが、基準値は予め定められていてもよい。基準値を予め定めることで、C検体の測定の手順を省略することができ、より迅速に結果を得ることができる。
【0052】
次に、検体の測定結果と基準値との比較情報を、監視対象物の劣化が進行していると判断するための情報として提供する(ステップS16)。この比較情報は、検体の測定結果と基準値との差等であってもよい。例えば、生成される電流の電流密度の最大値の差から、検体中に木材害虫の腸管由来の微生物が含まれる可能性があること、及び、その量等を判断することができる。
【実施例
【0053】
以下では、実施例をもとに、本劣化診断方法について詳述する。なお、本発明の劣化診断方法は下記の特定の実施例によって限定的に解釈されるものでない。
【0054】
[シロアリの腸管由来の細菌による電流生成試験]
シロアリの腸管由来の細菌を含む検体を用いて、電流生成が検出できることを以下の試験により確認した。
【0055】
(試験方法)
細菌株は、DSMZ(Deutsche Sammlung von Mikroorganismen und Zellkulturen)から入手したRuminiclostridium cellobioparum subsp. termitidis(DSM 5398、以下「R.C.termitidis」という。)を使用した。この細菌株は、シロアリNasutitermes lujaeの後腸(hindgut)から分離されたものである。
【0056】
R.C.termitidis[DSM no.5398]を、レシピ中の5g/Lセロビオースを5g/Lカルボキシメチルセルロースナトリウム塩(CMC、約250000、置換度0.7)に置き換えて改変したDeutsche Sammlung von Mikroorganismen und Zellkulturen(DSMZ)539培地(以下、「CMC539培地」という。)10mlを入れたブチルゴム栓付きハンゲートチューブに入れ、CO/N(20:80、v/v)の無酸素ヘッドスペースで37℃で前培養した。
3日後、この培養液は細胞のOD600nmが0.1となり、電気化学測定に使用された。
図2は、539培地、及び、そのセロビオースをカルボキシメチルセルロースに置換した「CMC539培地」のレシピである。
【0057】
電気化学的測定は、100%の窒素を充填したCOY嫌気チャンバー内に設置されたシングルセル/3電極の電気化学リアクターで行った。
作用電極には,ガラス基板上にスプレー熱分解蒸着法で作製したITO(シート抵抗8Ω/□、厚さ1.1mm、表面積3.1cm)を用い、これを上記リアクターの底部に設置した。対電極としては白金線を用い、参照電極としては、Ag/AgCl(sat.KCl)を用いた。
【0058】
CMC存在下での電気化学的測定には、電解質として無酸素「CMC539培地」を用いた。合計5mlの無菌無酸素培地を電解質として電気化学リアクターに加えた。電気化学測定中、リアクターは撹拌せずに操作した。CMC539培地で3日間前培養したR.C.termitidis細胞を嫌気性COYチャンバー内で12,022g、12分間の遠心分離により6mlの細胞培養物から回収し、0.5mlの無酸素電解液に再懸濁し、最終的にOD 600nmが0.1になるようにリアクターに添加した。
【0059】
ポテンショスタット(VMP3、Bio-Logic Science Instruments社)を用いて、ITO電極をSHEに対して+0.4Vに設定してクロノアンペロメトリ法で測定した。電解液に細胞を添加しないものを、無菌状態のコントロールとした。
【0060】
次に、CMCに代えてセロビオースを用いて、上記と同様の試験を行った。すなわち、もともと5g/Lのセロビオースを含んでいる(図2参照)539培地を用いて、上記と同様の条件でR.C.termitidisを培養した。
1日後、培養物の細胞OD600nmは0.592となり、電気化学測定に使用した。
【0061】
セロビオース存在下での電気化学測定には、電解質として539培地を用いた。合計5mlの無菌無酸素培地を電解質として電気化学反応器に加えた。電気化学測定中、反応器は撹拌せずに操作した。培地539で1日間前培養したR. C. termitidis細胞を、嫌気性COYチャンバー内で12,022g、12分間の遠心分離により6mlの細胞培養物から回収し、0.5mlの無酸素電解液に再懸濁した後、最終的にOD600nmが0.5になるようにリアクターに加えた。
【0062】
ポテンショスタット(VMP3,Bio-Logic Science Instruments社)を用いて,ITO電極をSHEに対して+0.4Vに設定しクロノアンペロメトリ法で測定した。電解液に細胞を添加しないものを、無菌状態のコントロールとした。
【0063】
(結果)
図3はセルロース源として、CMC539培地を用いた場合の生成電流の時間変化を示す時間-電流曲線である。図3の結果から、R.C.termitidisを添加すると速やかに電流が生成していることがわかる。一方、コントロール検体では、電流は生成しなかった。
【0064】
図4は539培地(セロビオースを含む)を用いた場合の生成電流の時間変化を示す時間-電流曲線である。図4の結果から、セロビオースを用いた場合にも電流の生成を確認できた。
【0065】
上記の結果から、シロアリの腸管由来の微生物を含む検体を嫌気性下で電気化学測定するとき、分子量が250000という、セロビオース(二糖)と比較して十分に分子量が大きいセルロースを電子源として、電流生成が検出できることがわかった。
【0066】
[電極の電位と電流生成との関係の検証]
菌液は、16mLの培地(DSM.539)を嫌気ガラス管(直径18mm、長さ150mm)に入れ、2日培養したR.C.termitidis(OD600=0.23)を用いた。
【0067】
電流測定には、8連炭素印刷電極(Metrohm社製、作用電極・対電極:炭素、参照電極:銀)を用いた。5g/L Cellobioseを含む150μLの電解液を添加して、各電位で電流測定を開始した。
次に、上記菌液を遠心分離し、上清を捨て再懸濁した再懸濁液の50μLを添加し、電流増加を観測した。
【0068】
図5図12は上記試験の結果である。いずれも横軸が時間、縦軸が生成した電流の大きさを表している。また、図中の矢印は菌液の添加したタイミングを示している。図5は電極電位が+0.3V(vs SHE)、図6は+0.4V(vs SHE)、図7は、+0.5V(vs SHE)、図8は、+0.6V(vs SHE)、図9は、+0.7V(vs SHE)、図10は、+0.8V(vs SHE)、図11は、+0.9V(vs SHE)、及び、図12は、+1.0V(vs SHE)の際の時間-電流曲線である。
【0069】
図5~12の結果、いずれの電位(+0.3~+1.0V)でも検出に十分な電流が得られることがわかった。なかでも、電極の電位が+0.6V(vsSHE)を超えて、+1.0V以下であると、電流の最大値がより大きくなりやすいことがわかった。
【産業上の利用可能性】
【0070】
本方法によれば、木材害虫そのものを検知しなくても、木材害虫等によって監視対象物が劣化している可能性があることを判断するための情報が提供できる。監視対象物の周辺に多数の監視装置を設置する必要もなく、知りたいときに知りたい場所の劣化リスクを判断できる。木材害虫の被害の予防が差し迫って重要な課題である伝統的木造建築物等の劣化監視に適用できる。

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