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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-12-05
(45)【発行日】2024-12-13
(54)【発明の名称】Fe-Cr合金およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
   C25D 11/34 20060101AFI20241206BHJP
   C22C 38/00 20060101ALN20241206BHJP
   C22C 38/18 20060101ALN20241206BHJP
【FI】
C25D11/34 301
C22C38/00 302Z
C22C38/18
【請求項の数】 2
(21)【出願番号】P 2021059102
(22)【出願日】2021-03-31
(65)【公開番号】P2022155731
(43)【公開日】2022-10-14
【審査請求日】2023-11-30
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100106909
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【弁理士】
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 洋
(72)【発明者】
【氏名】吉見 敏彦
(72)【発明者】
【氏名】松橋 透
【審査官】石岡 隆
(56)【参考文献】
【文献】特開2019-178412(JP,A)
【文献】特公平05-070715(JP,B2)
【文献】特開平07-216591(JP,A)
【文献】特開平02-111900(JP,A)
【文献】特開2020-164929(JP,A)
【文献】特開2021-012839(JP,A)
【文献】特開2012-178503(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C25D11/00-11/38
C25D9/00-9/12
C25D13/00-21/22
C25F1/00-7/02
C22C38/18
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
Crを5.00~30.00質量%含有し、表面に厚さtの酸化皮膜を備えるFe-Cr合金であって、
Fe2p3/2光電子情報深さが前記酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度でX線光電子分光分析した場合の前記酸化皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の分率f Feが0.70以上であり、
30℃、0.1モル/LのNaSO水溶液を電解液とするインピーダンス測定から求められる前記酸化皮膜中のドナー濃度が5.0×1020/cm未満であることを特徴とするFe-Cr合金。
【請求項2】
酸洗後のFe-Cr合金を、真空中または還元雰囲気中において1000~1100℃で1.0分間以上加熱した後に100℃以下まで冷却する第1工程と、
pH4.5~7.5の中性水溶液中において、0.55~0.70V vs SHEの電位を1.0~5.0分間印加して電解処理を行う第2工程と、を備えることを特徴とする請求項1に記載のFe-Cr合金の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、Fe-Cr合金およびその製造方法に関し、特に、耐食性に優れたFe-Cr合金およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ステンレス鋼をはじめとするFe-Cr合金は、優れた耐食性を有するため、海洋環境や化学プラント等の腐食環境用の部材として広く適用されている。近年、希少金属の価格が高騰しており、Fe-Cr合金においては、省合金化かつ更なる耐食性の向上が望まれている。
【0003】
ここで、Fe-Cr合金の耐食性は合金量のみではなく、表面皮膜の影響も受けることが知られており、表面皮膜制御の観点から耐食性の向上を図ったステンレス鋼が種々検討されている。
【0004】
特許文献1には、Crを16質量%以上含有するステンレス鋼の表面に、硫酸ナトリウムを含有する電解液中でアノード電解処理を施して得た皮膜であって、X線光電子分光分析による強度比〔(OO/OH))/(Cr/Fe)〕が1.0以上である皮膜をそなえる燃料電池用ステンレス鋼が記載されている。
【0005】
特許文献2には、表面に、Cr(III)-Fe(III)系の水酸化物からなり、この水酸化物中に含まれるCr(III)およびFe(III)の合計量に対するFe(III)水酸化物中に含まれるFe(III)の量の比が60原子%以上である外層と、Cr(III)系の酸化物および/または水酸化物を主体とする皮膜であって、この皮膜中に含まれるCr(III)およびFe(III)の合計量に対するCr(III)系の酸化物および/または水酸化物に含まれるCr(III)の量の比が60原子%以上である内層との2層の皮膜を表面に有する耐微生物腐食性に優れたステンレス鋼が記載されている。
【0006】
特許文献3には、金属を150℃以上の高温水中で処理して表面に腐食抑制のための保護皮膜を形成する方法であって、複数の試料を用い、それぞれ処理時間を変えて保護皮膜形成処理を行い、形成された保護皮膜のそれぞれの電気容量を検出し、各試料の電気容量を比較して最低値から再び上昇する時点又はその付近の時点を検知し、その処理時間がそのときの処理液及び処理条件における最適浸漬処理時間として把握し、該条件下における保護皮膜形成処理を終了する金属表面に保護皮膜を形成する方法が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【文献】特開2011-47041号公報
【文献】特開平7-26395号公報
【文献】特公平5-70715号公報
【非特許文献】
【0008】
【文献】S.Tanuma,C.J.Powell and D.R.Penn:Surf. and Interface Anal.,VOL.11(1988).p.577-589
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
しかし、特許文献1に記載のような強度比を満足する表面皮膜を形成させても得られる耐食性にばらつきが生じる場合があった。また特許文献2も同様に、皮膜組成を制御しても満足する耐食性を確保できない場合があった。更に、特許文献3に記載の形成方法によって得られた保護被膜を有する金属も同様に、満足する耐食性を確保できなかった。
【0010】
この様に、従来の技術では、ステンレス鋼をはじめとするFe-Cr合金の表面皮膜を制御しても、適正な耐食性を確保することが困難であった。
【0011】
本発明は、このような課題を解決するためになされたものであり、Fe-Cr合金として耐食性を損なうことなく、腐食環境下であっても優れた耐食性を発揮できるFe-Cr合金およびその製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、前記の課題を解決すべく鋭意研究を重ねた結果、Fe-Cr合金表面に形成する酸化皮膜において、酸化皮膜中のドナー濃度を低減させるとともに、酸化皮膜の最表面側の領域におけるFe酸化物及びFe水酸化物の分率を高めることによって耐食性が格段に向上することを知見した。
【0013】
本発明は、当該知見に基づきなされたもので、本発明の要旨は、以下の通りである。
【0014】
(1) Crを5.00~30.00質量%含有し、表面に厚さtの酸化皮膜を備えるFe-Cr合金であって、
Fe2p3/2光電子情報深さが前記酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度でX線光電子分光分析した場合の前記酸化皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の分率f Feが0.70以上であり、
30℃、0.1モル/LのNaSO水溶液を電解液とするインピーダンス測定から求められる前記酸化皮膜中のドナー濃度が5.0×1020/cm未満であることを特徴とするFe-Cr合金。
(2) 酸洗後のFe-Cr合金を、真空中または還元雰囲気中において、1000~1100℃で1.0分間以上加熱した後に100℃以下まで冷却する第1工程と、
pH4.5~7.5の中性水溶液中において、0.55~0.70V vs SHEの電位を1.0~5.0分間印加して電解処理を行う第2工程と、を備えることを特徴とする(1)に記載のFe-Cr合金の製造方法。
【発明の効果】
【0015】
本発明によれば、腐食環境下であっても優れた耐食性を発揮できるFe-Cr合金およびその製造方法を提供することが出来る。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本実施形態のFe-Cr合金の一実施形態について詳述する。
本実施形態では、後述する表面処理が施されていない状態の母材表面に存在する皮膜を不働態皮膜と言い、表面処理によって不働態皮膜の組成を調整したものを酸化皮膜と言う。
【0017】
本発明者らは、まず、Fe-Cr合金の耐食性および、鋼表面に形成される不働態皮膜の性状について鋭意調査した。その結果、酸洗により不働態皮膜が形成されたFe-Cr合金に対し、真空中若しくは還元雰囲気中で加熱した後に、中性水溶液中にて電解処理することで、Fe-Cr合金の耐食性(孔食電位)が著しく向上することを明らかにした。
【0018】
一般に、局部腐食の1つである孔食の発生を防止するには、その環境、例えば塩化物溶液環境下での材料の孔食電位を、その同じ環境下での腐食電位(自然電位ともいう)より貴な電位に設定してやればよい。ここで、ステンレス鋼に代表されるFe-Cr合金は、その表面に形成される不働態皮膜によって腐食電位が貴側へ移行することをある程度防いでくれることから、耐食性に優れる合金として一般的に広く知られている。しかし、近年では、より過酷な腐食環境下でも耐食性を発揮できるFe-Cr合金が切望されているものの、より厳しい腐食環境下では、不働態皮膜だけでは腐食電位が貴側に移行して孔食電位を超えてしまい、孔食が発生する場合があった。
【0019】
このような場合、Cr、Mo等の合金元素の添加量を増してやれば、孔食電位をさらに貴側に移行させることができ、孔食を生じ難くさせることができるが、高価な合金元素を多量に用いるので製造コストが上昇する。
【0020】
そこで本発明者らは、Fe-Cr合金の耐食性をより高めるために検討を重ねた結果、Fe-Cr合金の表面の酸化皮膜において、酸化皮膜中のドナー濃度を低減させるとともに、酸化皮膜の最表面側の領域におけるFe酸化物及びFe水酸化物の分率を高めることで、塩化物溶液環境など過酷な腐食環境下でも孔食電位を高めることが可能となるという新たな知見を得た。さらに、このような酸化皮膜は、酸洗後のFe-Cr合金を真空中若しくは還元雰囲気中で加熱した後に、中性水溶液中にて電解処理することにより形成させ得るという知見を得た。
【0021】
Fe-Cr合金の表面に形成される酸化皮膜は、Fe系の酸化物及び水酸化物と、Cr系の酸化物及び水酸化物とを含有するが、このような酸化皮膜は半導体としての性質を有する。半導体には、電流を媒体するドナー(空孔)があるが、本発明者らが検討したところ、酸化皮膜中のドナー濃度を低減させると、耐食性が向上することを見出した。酸化皮膜中のドナー濃度を低減すると、すなわち空孔を少なくすると、酸化皮膜中に含まれる欠陥が少なくなって、特に塩化物に対するFe-Cr合金の保護性が向上すると推測される。更に加えて、酸化皮膜の最表面側の領域の鉄濃度を高くすることによって、最表面側の領域が緻密になってドナー濃度が十分に低下し、塩化物の影響を受けにくくなると推測される。
【0022】
本実施形態のFe-Cr合金は上記の知見に基づいてなされたものある。
以下、本実施形態に係るFe-Cr合金およびその製造方法について詳述する。
【0023】
本実施形態に係るFe-Cr合金は、Crを5.00~30.00質量%含有する母材と、母材表面に形成された厚さtの酸化皮膜とからなる。
酸化皮膜において、Fe2p3/2光電子情報深さが皮膜最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度でX線光電子分光分析した場合の皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の分率f Feが0.70以上である。
また、酸化皮膜において、30℃、0.1モル/LのNaSO水溶液を電解液とするインピーダンス測定から求められるドナー濃度が5.0×1020/cm未満である。
【0024】
<酸化皮膜>
孔食電位を高め耐食性の向上を図るためには、酸化皮膜において、ドナー濃度及び分率f Feを制御することが重要である。具体的には、皮膜全体としてはドナー濃度を低下させる一方で、最表面側の酸化皮膜中のFe酸化物またはFe水酸化物が少ないと耐食性が低下するため、最表面側の領域のFe量を制御する。
【0025】
本実施形態に係る酸化皮膜は、30℃、0.1モル/LのNaSO水溶液を電解液とするインピーダンス測定から求められるドナー濃度を5.0×1020/cm未満とする。
【0026】
母材表面に形成されている酸化皮膜は、主に、Fe系酸化物・水酸化物ならびにCr系酸化物・水酸化物からなる。本実施形態では、皮膜全体においてドナー濃度を低減させることで、耐食性を向上させる。この効果を発揮させるためには、ドナー濃度を5.0×1020/cm未満とする。より好ましくは4.0×1020/cm以下または3.0×1020/cm以下とする。ドナー濃度の下限は特に限定しないが、例えば0.01×1020/cm以上、0.1×1020/cm以上、1.0×1020/cm以上または1.5×1020/cm以上としてもよい。
【0027】
ここで、本実施形態におけるドナー濃度の求め方について説明する。本実施形態では、30℃、0.1モル/LのNaSO水溶液を電解液とするインピーダンス測定を行い、その測定結果に基づきMott-Schottkyプロットを作成し、このMott-Schottkyプロットからドナー濃度を求める。
【0028】
より具体的には、測定用の試験片として、本実施形態のFe-Cr合金からなる金属板または線材を適当なサイズに切り出して、酸化皮膜表面を試験面とする。例えば、金属板の場合は、縦10mm、横10mmのサイズに切り出す。また、電解液として、濃度0.1mol/LのNaSO水溶液を用意する。電解液の温度は30℃とする。電解液中の溶存酸素はアルゴンまたは窒素を通気して除いておく。
【0029】
また、測定機器として、ポテンショスタットと、周波数特性分析器(FRA)とを用意する。FRAから正弦波をポテンショスタットに入力し,ポテンショスタットは正弦波を直流電圧に重畳させて試験片に印加する構成とする。また、ポテンショスタットは応答信号の電圧と電流の情報をFRAに送るように構成し、FRAにてインピーダンス値を算出するようにする。
【0030】
そして、上記の試験片を作用極とし、対極を白金電極とし、参照極を銀-塩化銀電極とする電気化学セルを構成する。
【0031】
参照極基準でポテンショスタットにより電位(E)0.80Vを中心とし、振幅0.01V、測定周波数f=1Hzの条件で電位操作し、30秒後のインピーダンスを測定して、試験片(作用極)と対極との間の容量Cを求める。インピーダンスの虚部ZImからC=1/(2πfZIm)の式により容量Cを計算し、更に1/C(単位:(F・cm-2-2)を計算する。このようにして、0.80Vの電位(E)における1/Cを計算する。
【0032】
同様の測定を、0.80Vから-1.00Vまで、0.05Vピッチで電位(E)を変化させて行う。このようにして、0.80V、0.75V、…-0.95V、-1.00Vの各電位において、1/Cを求める。
【0033】
次に、電位(E)を横軸とし、1/Cを縦軸とする座標平面上に、測定データをプロットして、Mott-Schottkyプロットを得る。得られたプロットの直線部の傾きSを求め、下記(1)式より酸化皮膜中のドナー濃度Nを求める。本実施形態に係る酸化皮膜のMott-Schottkyプロットには、0V付近に傾きが正になる直線部が存在するので、この直線部の傾きをSとする。直線部の傾きSは、Mott-Schottkyプロットの貴側のピークから卑側のプロットにおいて、0.05Vピッチの2点を結ぶ直線の傾きが最大となる2点を選び、その2点と前後2点を含む合計4点のプロットについて最小二乗法を用いて線形近似した直線の傾きとする。
【0034】
S=2/(qεε) …(1)
【0035】
なお、式(1)において、εは、酸化皮膜の比誘電率であって本実施形態ではε=12とする。εは、真空の比誘電率である。qは、電荷素量であって本実施形態ではq=1とする。
【0036】
また、本実施形態では、Fe2p3/2光電子情報深さが酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度でX線光電子分光分析した場合の酸化皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の分率f Feが0.70以上である。ここで、本実施形態では「酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置」までの領域を最表面側の領域とし、「情報深さが皮膜最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度でX線光電子分光分析した場合」の分析結果とは、この最表面側の領域の分析結果に相当する。
【0037】
母材表面に形成されている酸化皮膜は、主に、Fe系酸化物・水酸化物ならびにCr系酸化物・水酸化物からなる。本実施形態では、酸化皮膜の最表面側の領域において、Fe酸化物およびFe水酸化物の生成比率を高めることで耐食性を向上させる。この効果を発揮させるためには、分率f Feを0.70以上とする。さらに好ましくは0.75以上、0.80以上または0.82以上としてもよい。前記f Feの上限は特に限定しないが、Fe酸化物およびFe水酸化物の生成量を過度に高めると耐食性が劣化するおそれがあるため、0.95以下または0.90以下とすることが好ましい。
【0038】
以上説明したように、酸化皮膜の最表面側の領域においては、酸化物または水酸化物として存在するFe量を高めることで、耐食性、特に孔食電位を向上させることができる。
【0039】
酸化皮膜の厚みについては、本実施形態では孔食電位を高める観点から厚膜化することが好ましく、具体的には、酸化皮膜の厚みtを1.0nm以上とすることが好ましい。より好ましくは2.0nm以上であり、さらに好ましくは3.0nm以上である。しかし、過度に酸化皮膜の厚みtを大きくすると酸化皮膜の密度低下を招くおそれがあるため、酸化皮膜の厚みtは7.0nm以下とし、好ましくは5.5nm以下とする。
【0040】
ここで、本実施形態におけるX線光電子分光分析によるf Feの求め方について説明する。
【0041】
まず、後述する表面処理を施した後のFe-Cr合金を、表面に加工および化学処理を施さずに、分析装置に入る形状に切り出す。分析装置としては例えば、アルバック・ファイ社製のQuantera SXMを用いることができる。次いで、切り出した試料を分析装置に設置し、X線光電子分光分析(XPS:X-ray Photoelectron Spectroscopy)にて酸化皮膜を分析する。X線源としてmono-AlKα(hν=1486.6eV)を用い、X線径は200μmとして測定する。分析はスパッタリングを行っていない表面処理ままの試料表面について行う。
【0042】
なお本実施形態では、酸化皮膜の最表面側の領域のFe量を測定するため、光電子取出し角度については、Fe2p3/2光電子情報深さが酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置以下となる取り出し角度とする。取り出し角度は、標準試料としてSiOの平均自由工程(λ)を用いて、Fe2p3/2光電子の情報深さ(3λ)を以下の式(2)より算出した(非特許文献1参照)。
【0043】
λ(SiO)=0.2(K.E.)0.72×sinθ(Å)
=0.02(K.E.)0.72×sinθ(nm) ・・・(2)
ここで、K.E.(運動エネルギー)はFe2p3/2のK.E.=776.6eVを用いる。
【0044】
式(2)から、分析対象とする情報深さに応じた光電子取出し角度を求める。例えば、光電子取出し角度15°であれば情報深さ(3λ)=1.9nmとなり、90°であれば情報深さ(3λ)=7.2nmとなる。従って、光電子取出し角度は、酸化皮膜の厚みに応じて、Fe2p3/2光電子情報深さが酸化皮膜の最表面からt/2深さ位置以下となるように設定すればよい。
【0045】
また、得られた分析結果から、酸化皮膜中の各元素の酸化物あるいは水酸化物濃度は以下の方法により求めることができる。
XPSにより得られたスペクトルから、ピークが検出された元素について定量値を求める。次に、母材(地金)からの金属状態のピークと酸化物あるいは水酸化物状態のピークを分離し、その分離スペクトルの比から各元素の金属状態と酸化物あるいは水酸化物状態の比を求める。この金属状態と酸化物あるいは水酸化物状態の比と最初の定量値を乗じて酸化皮膜中の各元素の酸化物あるいは水酸化物濃度(原子%)を求めることができる。
【0046】
また、酸化皮膜の厚さtは、以下の式(3)を用いて求めることができる。
【0047】
【数1】
【0048】
ここで、t:酸化皮膜の厚さ、σ:内殻電子光電離断面積、n:原子の個数密度、I:光電子強度、λ:光電子平均自由工程、θ:光電子取出し角度、添え字:o/酸化物、m/金属を示す。また、本実施形態では、式(2)において、λ=13.2Å、λ=13.2Å、n/n=2.2とする。
【0049】
<母材>
本実施形態のFe-Cr合金は、Crを5.00~30.00質量%含有する母材の表面に上記の酸化皮膜が形成されてなるものであるが、母材としては、例えば、オーステナイト系ステンレス鋼、フェライト系ステンレス鋼、マルテンサイト系ステンレス鋼あるいは2相ステンレス鋼のいずれであってもよい。なお、上記のように酸化皮膜中に一定量以上のCrを確保する必要があるため、母材のCr含有量は5.00質量%以上とする。一方、酸化皮膜中、特に皮膜表層部にCrが濃化すると耐食性に有効なFe量が十分に確保できず上記範囲内の酸化皮膜の形成が困難となる結果、耐食性が劣化するおそれがあるため、母材のCr含有量は30.00質量%以下とする。
【0050】
Fe-Cr合金の母材の好適な組成は、以下の通りである。
質量%で、Cr:5.00~30.00%、C:0.001~0.100%、Si:0.005~5.0%、Mn:0.001~8.00%、Ni:0.001~40.0%、Mo:0.001~10.0%、Ti:0.001~1.0%、Nb:0.001~1.0%、N:0.001~0.50%であり、残部がFeおよび不純物からなる組成。
【0051】
なお、母材の組成においては、PREN(孔食指数)を5.0~55.0%とすることが好ましい。PRENは、耐孔食性を表すパラメーターの一種であり、耐孔食性指数(Pitting Resistance Equivalent Number)の略称である。PRENは、その値が大きいほど耐孔食性が高くなることを表す指標として一般に用いられている。本実施形態では、母材の組成においてこのPRENを5.0~55.0%とすることが好ましい。なお、PRENは下記式(4)により定義される。式中の元素記号は当該元素の鋼中含有率(質量%)である。
【0052】
PREN=Cr+3.3Mo+16N ・・・(4)
【0053】
上記のとおり、Fe-Cr合金の母材の組織としては、オーステナイト系、フェライト系などのいずれでもよいが、酸化皮膜の成膜性向上のためには母材中の介在物量は低いほうがよい。
【0054】
次に、本実施形態に係るFe-Cr合金の製造方法について説明する。
本実施形態のFe-Cr合金は、基本的には鋼を製造する一般的な工程を適用して製造される。例えば、真空誘導溶解炉などの電気炉で所望の化学組成を有する溶鋼とし、AOD(Argon Oxygen Decarburization)炉やVOD(Vacuum Arc Degassing)炉などで精練する。その後、連続鋳造法または造塊法で鋼片とし、次いで、熱間鍛造や熱間圧延、熱延板の焼鈍(溶体化熱処理)などを施す。薄板を製造する場合(例えば、3mm程度の厚さの鋼板)には、前述の溶体化熱処理後に、冷間圧延を施し、次いで、再度、冷延板焼鈍(溶体化熱処理)を施す。
【0055】
冷延板焼鈍の後に、酸洗を施す。具体的には、水温が30~80℃とされ、かつ、硝酸:20~120g/L及びふっ酸:10~80g/Lを含有する硝ふっ酸溶液(酸洗液)に、焼鈍板を15~120秒間浸漬する。これにより、焼鈍板表面に不働態皮膜が形成される。
【0056】
なお、本発明を適用可能なFe-Cr合金は、焼鈍後に酸洗を施した鋼材であればよく、板状鋼材、線状鋼材、管状鋼材等の制約はない。板状鋼材の場合は、熱延板、熱延焼鈍板、冷延板、冷延焼鈍板のいずれであってもよい。
【0057】
次に、酸化皮膜の組成の制御方法について説明する。
酸化皮膜の組成が上記範囲を満たすFe-Cr合金を製造するためには、前述の酸洗後のFe-Cr合金に対し、下記の第1工程及び第2工程を順次行う。
【0058】
第1工程:酸洗後のFe-Cr合金を、真空中または還元雰囲気中において1000~1100℃で1.0分間以上加熱した後に100℃以下まで冷却する。
【0059】
第2工程:第1工程後のFe-Cr合金に対し、pH4.5~7.5の中性水溶液中において、0.55~0.70V vs SHEの電位を1.0~5.0分間印加して電解処理する。
【0060】
第1処理では、酸洗処理後のFe-Cr合金に対して、雰囲気が制御された加熱炉内で加熱を行う。酸洗処理前のFe-Cr合金の表面には、スケールが付着したままであるため、これを酸洗処理によって取り除いてから新たに酸化皮膜の形成を行う。
【0061】
第1処理を行うことで、Fe-Cr合金の表面に、Cr系の酸化物・水酸化物を主成分とする酸化皮膜が形成される。第1処理において形成される酸化皮膜は、Cr系の酸化物・水酸化物が比較的多く含まれるために緻密な皮膜となり、ドナー濃度が低下する。
【0062】
加熱を真空中または還元雰囲気中で行う理由としては、酸化皮膜の厚みtを過剰に成長させず、また、酸化皮膜中のドナー濃度を低減するためである。還元雰囲気としては、水素雰囲気またはアルゴン雰囲気を例示できる。雰囲気を真空にする場合の圧力は、例えば、1Pa以下としてもよい。また、圧力は10-3Pa以上としてもよい。
【0063】
加熱温度は、1000~1100℃の範囲とする。加熱温度が1000℃未満では、酸化皮膜が緻密化せず、ドナー濃度が高くなるおそれがある。加熱温度が1100℃を超えてもドナー濃度が高くなり、酸化皮膜の緻密化が進まなくなる。加熱温度は、より好ましくは1020~1080℃、または1030~1070℃とする。
【0064】
1000~1100℃の加熱時間は、1.0分以上とする。加熱時間が1.0分未満では、ドナー濃度が高くなり、酸化皮膜の緻密化が進まなくなる。なお、加熱時間が長すぎると、酸化皮膜の厚みが増してドナー濃度が高まる場合があるので、加熱時間は、より好ましくは1.0~20.0分間、または2.0~15.0分間とする。
【0065】
1000~1100℃の加熱時間が終了したら、雰囲気を維持したまま、Fe-Cr合金が100℃以下になるまで冷却してから加熱炉より取り出す。100℃を超えたまま、大気中にFe-Cr合金を取り出すと、酸化皮膜のドナー濃度が増大してしまうおそれがあるので、100℃以下まで十分に冷却させてから加熱炉から取り出す必要がある。
【0066】
次に、第2処理では、中性水溶液中において、0.55~0.70V vs SHEの電位を1.0~5.0分間印加して電解処理(中性電解処理)する。第1工程後の酸化皮膜は、皮膜全体としてはドナー濃度が低い状態にあるが、酸化皮膜の最表面側の領域は、外部からの塩化物等の侵入に対して耐食性が低くなっている。そこで、第2工程において0.55~0.70V vs SHEの電位領域で電解処理することで、酸化皮膜の最表面側の領域においてFe系酸化物または水酸化物を形成させることで、ドナー濃度を低下させるととともに皮膜を緻密化させる。これにより、上記範囲を満たす酸化皮膜を有するFe-Cr合金を製造できる。
【0067】
電位領域を0.55~0.70V vs SHEとした理由は、酸化皮膜の最表面側の領域のFe量(f Fe)を上記範囲内制御するためである。電解電位が高すぎると酸化皮膜中のCr量が過度に低下してドナー濃度が上昇し、酸化皮膜の保護性が劣化してしまう。一方、電解電位が低すぎると、Fe量(f Fe)を十分に増加させることが難しくなり、その結果耐食性が劣化するおそれがある。そのため、電位領域を0.55~0.70V vs SHEとする。
【0068】
pH4.5~7.5の中性水溶液としては、例えば、硝酸ナトリウム水溶液、塩化ナトリウム水溶液、イオン交換水、水道水、工業用水、自然海水などを用いてよい。
【0069】
また、中清水溶液に2価の鉄イオン(Fe2+)を含有させるために、硫酸鉄(II)やヘキサシアニド鉄(II)酸カリウムなどを添加してもよい。2価の鉄イオン(Fe2+)を含有させる場合は、2価の鉄イオン(Fe2+)の濃度を0.10mg/L以上とするとよい。中性水溶液中に0.10mg/L以上のFe2+を含有させることで、酸化皮膜全体において、Fe酸化物およびFe水酸化物の生成比率を高め、より一層の耐食性の向上を図ることができる。Fe2+の含有量は好ましくは0.15mg/L以上である。しかし、中性水溶液中のFe2+イオンの濃度を過度に高めると酸化皮膜中のCr濃度低下のおそれがあるため、1.00mg/L以下とすることが好ましい。
【0070】
また、中性水溶液のpHは4.5~7.5とする。pHが低すぎると酸化皮膜の厚さを十分に確保できない上、皮膜の最表面側の領域のCr量が過剰となって相対的にFe量(f Fe)が低下して、耐食性が劣化するおそれがあるため、pHは4.5以上とする。好ましくは5.0以上である。また、中性水溶液のpHが高すぎても、Fe量(f Fe)が低下して耐食性が劣化するおそれがあるため、pHは7.5以下とする。好ましくは6.5以下である。
【0071】
第2工程における処理温度は特に限定しないが、10.0~50.0℃の範囲内で実施してよい。
【0072】
以上説明した製造方法によって、本実施形態に係るFe-Cr合金を製造することができる。
【実施例
【0073】
以下に本発明の実施例について説明するが、本発明は、以下の実施例で用いた条件に限定されるものではない。
なお、表1A~表3B中の下線は本発明範囲から外れているものを示す。
【0074】
表1A及び表1Bに示す化学成分を有するステンレス鋼を真空誘導溶解炉にて溶製し、鋳造した。その後、1200℃に均熱し、次いで熱間鍛造した。厚さ6mmまで熱間圧延し、焼鈍・酸洗を施した。その後、厚さ1mmまで冷間圧延し、更に冷延板焼鈍、酸洗を順次施した。なお、冷延板焼鈍後の酸洗では、硝酸:60g/L及びふっ酸:30g/Lを含有する水温60℃の硝ふっ酸溶液(酸洗液)に、冷延焼鈍板を40秒間浸漬した。
【0075】
酸洗後、得られた冷延鋼板に対し、第1工程を行った。第1工程では、表2A及び表2Bに示す雰囲気とした加熱炉に冷延鋼板を導入し、表2A及び表2Bに示す焼鈍温度にて加熱を行った。更に、表2A及び表2Bに示す取り出し温度になるまで冷延鋼板を加熱炉内に滞留させて冷却した。雰囲気を真空にした場合の圧力は、1Pa以下とした。
【0076】
次に、第2工程として、表2A及び表2Bに示す中性水溶液を用いて、電解処理を施した。電解処理は、水温30℃±2℃にて行った。電解電位及び電解時間は表2A及び表2Bに示すとおりであった。
【0077】
電解処理後の鋼板表面上の酸化皮膜について、X線光電子分光分析を行った。具体的には、得られた鋼板を、表面に加工および化学処理を施さずに、分析装置に入る形状に切り出した。分析装置はアルバック・ファイ社製のQuantera SXMを用いた。次いで、切り出した試料を分析装置に設置し、X線源としてmono-AlKα(hν=1486.6eV)を用い、X線径は200μmとして測定した。
【0078】
表3A及び表3Bに示す「f Fe分析時の取り出し角(°)」でX線光電子分光分析した場合の皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の合計量(原子%)の比率であるf Feを求めた。なお、表3A及び表3B中に示す取り出し角(°)は上述した式(2)を用いて算出した。
【0079】
また、酸化皮膜の厚さtは、上述した式(3)を用いて求めた。本実施例では、式(3)において、λ=13.2Å、λ=13.2Å、n/n=2.2とした。
【0080】
また、電解処理後の鋼板表面上の酸化皮膜について、ドナー濃度を測定した、具体的には、測定用の試験片として、電解処理後の鋼板を、縦10mm、横100mmのサイズに切り出し、酸化皮膜表面を試験面とした。また、電解液として、濃度0.1mol/LのNaSO水溶液を用意した。電解液の温度は30℃とした。電解液中の溶存酸素はアルゴンまたは窒素を通気して除去した。
【0081】
測定機器として、ポテンショスタットと、周波数特性分析器(FRA)とを用意し、FRAから正弦波をポテンショスタットに入力し,ポテンショスタットは正弦波を直流電圧に重畳させて試験片に印加する構成とした。また、ポテンショスタットは応答信号の電圧と電流の情報をFRAに送るように構成し、FRAにてインピーダンス値を算出するようにした。
【0082】
そして、上記の試験片を作用極とし、対極を白金電極とし、参照極を銀-塩化銀電極とする電気化学セルを構成した。
【0083】
参照極基準でポテンショスタットにより電位(E)0.80Vを中心とし、振幅0.01V、測定周波数f=1Hzの条件で電位操作し、30秒後のインピーダンスを測定して、試験片(作用極)と対極との間の容量Cを求めた。インピーダンスの虚部ZImからC=1/(2πfZIm)の式により容量Cを計算し、更に1/C(単位:(F・cm-2-2)を計算する。このようにして、0.80Vの電位(E)における1/Cを計算した。
【0084】
同様の測定を、0.80Vから-1.00Vまで、0.05Vピッチで電位(E)を変化させて行った。このようにして、0.80V、0.75V…、-0.95V、-1.00Vの各電位において、1/Cを求めた。
【0085】
次に、電位を横軸とし、1/Cを縦軸とする座標平面上に、測定データをプロットして、Mott-Schottkyプロットを得た。得られたプロットの直線部の傾きSを求め、上記式(1)より酸化皮膜中のドナー濃度Nを求めた。本実施例の酸化皮膜のMott-Schottkyプロットには、0V付近に傾きが正の直線部が存在したので、この直線部の傾きをSとした。直線部の傾きSは、Mott-Schottkyプロットの貴側のピークから卑側のプロットにおいて、0.05Vピッチの2点を結ぶ直線の傾きが最大となる2点を選び、その2点と前後2点を含む合計4点のプロットについて最小二乗法を用いて線形近似した直線の傾きとした。
【0086】
式(1)において、εは、酸化皮膜の比誘電率であって本例ではε=12とした。εは、真空の比誘電率である。qは、電荷素量であって本実施形態ではq=1とした。
【0087】
次に、浸漬処理、または電解処理後の鋼板の耐孔食性を評価するために、孔食電位試験を行った。試験方法は、JIS G0577に規定された方法で、3.5%NaCl、温度は30℃で試験を行い、100A・cm-2を超える電位を孔食電位(V´c100)とした。浸漬処理または電解処理前の鋼板の孔食電位(処理前の孔食電位V´c100)、ならびに浸漬処理または電解処理後の鋼板の孔食電位(処理後の孔食電位V´c100)をそれぞれ表3A及び表3Bに示す。なお、孔食電位測定に用いた試料は、表面に加工および化学処理を施さず、それぞれ素材まま、もしくは処理ままの表面で、直前研磨なども行わず測定に供した。耐孔食性の評価については、処理前後の孔食電位Vの変化量ΔV´c100(「処理後の孔食電位V´c100」-「処理前の孔食電位V´c100」)が0.00V vs SHEを超えるものを良好と評価した。
【0088】
表1A~表3Bから明らかなように、本発明を満たす製造方法によって得られた鋼板(発明鋼)はいずれも、酸化皮膜中の酸化物および水酸化物の全量(原子%)に対するFe酸化物およびFe水酸化物の分率f Feが0.70以上であり、ドナー濃度が5×1020/cm未満であったため、優れた耐孔食性を発揮することができた。
【0089】
【表1A】
【0090】
【表1B】
【0091】
【表2A】
【0092】
【表2B】
【0093】
【表3A】
【0094】
【表3B】