(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-12-06
(45)【発行日】2024-12-16
(54)【発明の名称】新規な蛍光化合物並びにそれを用いた脂質二分子膜の染色方法及びエンドサイトーシスの検出方法
(51)【国際特許分類】
G01N 33/48 20060101AFI20241209BHJP
G01N 33/58 20060101ALI20241209BHJP
C09B 57/08 20060101ALI20241209BHJP
C09B 5/62 20060101ALI20241209BHJP
C09K 11/06 20060101ALI20241209BHJP
【FI】
G01N33/48 M
G01N33/48 P
G01N33/58 Z
C09B57/08 B CSP
C09B5/62
C09K11/06
C09K11/06 645
(21)【出願番号】P 2020143432
(22)【出願日】2020-08-27
【審査請求日】2023-03-21
(73)【特許権者】
【識別番号】590005081
【氏名又は名称】株式会社同仁化学研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100197642
【氏名又は名称】南瀬 透
(74)【代理人】
【識別番号】100219483
【氏名又は名称】宇野 智也
(74)【代理人】
【識別番号】100139262
【氏名又は名称】中嶋 和昭
(72)【発明者】
【氏名】高橋 政孝
(72)【発明者】
【氏名】清野 涼
(72)【発明者】
【氏名】江副 公俊
(72)【発明者】
【氏名】石山 宗孝
【審査官】大瀧 真理
(56)【参考文献】
【文献】韓国公開特許第10-2014-0094867(KR,A)
【文献】中国特許出願公開第107619390(CN,A)
【文献】米国特許出願公開第2011/0165691(US,A1)
【文献】JUNG, Christophe et al.,A New Photostable Terrylene Diimide Dye for Applications in Single Molecule Studies and Membrane Labeling,J. Am. Chem. Soc.,2006年,Vol.128,pp.5283-5291
【文献】MARGINEAMU, Anca et al.,Visualization of Membrane Rafts Using a Perylene Monoimide Derivative and Fluorescence Lifetime Imaging,Biophysical Journal,2007年,Vol.93,pp.2877-2891
【文献】LEE, Min Hee et al.,Toward a Chemical Marker for Inflammatory Disease: A Fluorescent Probe for Membrane-Localized Thioredoxin,J. Am. Chem. Soc.,2014年,Vol.136,pp.8430-8437
【文献】FU, Youxin et al.,Intracellular pH sensing and targeted imaging of lysosome by a galactosyl naphthalimide-piperazine pribe,Dyes and Pigments,2016年,Vol.133,pp.372-379
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 33/48 - 33/98
C09B 57/08
C09B 5/62
C09K 11/06
CAplus/REGISTRY(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記の一般式(I)
又は(I)’で表される蛍光化合物。
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A
-)
n X
n+ (I)’
上記一般式(I)
及び(I)’において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基を有し、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であ
り、前記アニオン性官能基はスルホン酸基であり、
A
-
は、前記アニオン性官能基が脱プロトン化してアニオン化している状態を示し、
X
n+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、前記疎水場感受
性蛍光発色団の
ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基の炭素原
子に結合し、該疎水場感受
性蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーであり、
前記リンカーLは、下記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)のいずれかで表される原子団である。
【化1】
上記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)において、mは1以上4以下の自然数を表し、nは1以上10以下の自然数を表し、R
6
、R
7
はそれぞれ独立して炭素数1以上10以下のアルキル基を示す。
【請求項2】
前記リンカーLが、上記の式(VII)又は(VIII)で表される原子団であることを特徴とする請求項
1に記載の蛍光化合物。
【請求項3】
下記の式(1)、(2)又は(3)で表される化合物又はその塩であることを特徴とす
る蛍光化合物。
【化2】
【化3】
【化4】
【請求項4】
前記生体適合性を有する陽イオンX
n+が、アルカリ金属イオン、アルカリ土類金属イオン及びアンモニウムイオンのいずれかであることを特徴とする請求項1
又は2に記載の蛍光化合物。
【請求項5】
脂質二分子膜を含む試料を準備する工程と、
前記試料中の前記脂質二分子膜に請求項1から
4のいずれか1項に記載の1又は複数の蛍光化合物を接触させ、前記脂質二分子膜を前記蛍光化合物で染色する工程とを有する脂質二分子膜の染色方法。
【請求項6】
細胞を含む試料を準備する工程と、
前記試料中の前記細胞に、下記の一般式(I)又は(I)’で表される蛍光化合物の1又は複数を接触させ、前記細胞中のエンドソームを前記蛍光化合物で染色する工程と、
前記染色されたエンドソームからの蛍光を検出する工程とを有するエンドサイトーシスの検出方法。
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A
-)
n X
n+ (I)’
上記一般式(I)及び(I)’において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基を有し、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であ
り、前記アニオン性官能基はスルホン酸基であり、
A
-
は、前記アニオン性官能基が脱プロトン化してアニオン化している状態を示し、
X
n+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、下記の式(VII)又は(VIII)で表され、前記疎水場感受
性蛍光発色団の
ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基の炭素原
子に結合し、該疎水場感受
性蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーである。
【化5】
上記の一般式(VII)及び(VIII)において、nは1以上10以下の自然数を表し、R
6
、R
7
はそれぞれ独立して炭素数1以上10以下のアルキル基を示す。
【請求項7】
前記蛍光化合物が、下記の式(2)又は(3)で表される化合物又はその塩であることを特徴とする請求項
6に記載のエンドサイトーシスの検出方法。
【化6】
【化7】
【請求項8】
前記蛍光化合物における前記生体適合性を有する陽イオンX
n+が、アルカリ金属イオン、アルカリ土類金属イオン及びアンモニウムイオンのいずれかであることを特徴とする請求項
6に記載のエンドサイトーシスの検出方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、新規な蛍光化合物並びにそれを用いた脂質二分子膜の染色方法及びエンドサイトーシスの検出方法に関する。
【背景技術】
【0002】
脂質二分子膜は、細胞膜、エクソソーム、エンドソーム、オートファゴソーム等の構成成分として、細胞の内部と外部の分離、細胞内への物質の取り込み、変性タンパク質、劣化した細胞内小器官及び病原性微生物等の除去、シグナル伝達経路、恒常性の維持、疾患の抑制及び細胞のガン化の抑制等の多岐に亘る生体課程に関与している。細胞や組織が生きた状態で分子の動態を観察するための蛍光生体イメージングによる細胞構造及び脂質二分子膜が関与する細胞内外の生体過程の研究において、分子特異性が高く、細胞毒性が低く、染色部位への滞留性が高い蛍光化合物が重要である。脂質二分子膜の特異的な染色に用いられる蛍光化合物は、蛍光発色団に脂質親和性の高い長鎖アルキル鎖等の原子団が結合した構造を有し、生細胞に適用可能なものとして、例えば、下記の化学式1、2で表される構造を有するものが提案されている(それぞれ、特許文献1、特許文献2参照)。
【0003】
【0004】
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【文献】米国特許第5665328号明細書
【文献】米国特許第9651494号明細書
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、上記の化学式1及び化学式2で表されるもの等の従来の蛍光化合物は、細胞膜等の脂質二分子膜への滞留性が低く、染色後時間が経過すると、細胞や小胞の内部に移行するという課題が存在する。また、これらの蛍光化合物には、染色後に洗浄操作を必要とするため、操作が煩雑であるという課題が存在する。更に、上記の化学式1で表される蛍光化合物は、水溶性が低いため、専用の希釈液を必要とする、沈殿や凝集により均一な染色が困難である等の課題も存在する。
【0007】
本発明はかかる事情に鑑みてなされたもので、脂質二分子膜への滞留性が高く、操作性に優れ、染色対象の均一な染色が可能な蛍光化合物並びにそれを用いた脂質二分子膜の染色方法及びエンドサイトーシスの検出方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
前記目的に沿う本発明の第1の態様は、下記の一般式(I)、(I)’又は(I)”で表される蛍光化合物を提供することにより上記課題を解決するものである。
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A-)n Xn+ (I)’
Ch-LH+-A- (I)”
【0009】
上記一般式(I)、(I)’及び(I)”において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であり、
Xn+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、前記疎水場感受性を有する蛍光発色団の炭素原子又は窒素原子に結合し、該疎水場感受性を有する蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーであり、
LH+は、プロトン化してカチオンを生じることができるカチオン性官能基を含む前記リンカーがプロトン化してカチオン化している状態を示す。
【0010】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記疎水場感受性蛍光発色団Chが、ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基であってもよい。
【0011】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記アニオン性官能基A-Hが、カルボキシル基、硫酸基、スルホン酸基及びリン酸基のいずれかであってもよい。
【0012】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記リンカーLが、下記の一般式(II)で表される原子団であってもよい。
【0013】
【0014】
上記一般式(II)において、X1及びX2は、それぞれ独立して、共有結合又は下記の式(i)から(iv)のいずれかで表される原子団であり、
R1及びR2は、それぞれ独立して、-(CH2)n-、-(CH2CH2O)m-、及び、-(OCH2CH2)m-を表す(mは1以上4以下の自然数を表し、nは1以上10以下の自然数を表し、R1及びR2の炭素数の合計は10以下である。)。
【0015】
【0016】
上記の式(i)から(iv)において、R3、R4及びR5は、それぞれ独立して、炭素数1以上10以下のアルキル基を表す。
【0017】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記リンカーLが、下記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)のいずれかで表される原子団であることが好ましい。
【0018】
【0019】
下記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)において、mは1以上4以下の自然数を表し、nは1以上10以下の自然数を表す。
【0020】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記リンカーLが、上記の式(VII)又は(VIII)で表される原子団であってもよい。
【0021】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物は、好ましくは、下記の式(1)、(2)又は(3)で表される化合物又はその塩である。
【0022】
【0023】
【0024】
【0025】
本発明の第1の態様に係る蛍光化合物において、前記生体適合性を有する陽イオンXn+が、アルカリ金属イオン、アルカリ土類金属イオン及びアンモニウムイオンのいずれかであってもよい。
【0026】
本発明の第2の態様は、脂質二分子膜を含む試料を準備する工程と、
前記試料中の前記脂質二分子膜に本発明の第1の態様に係る1又は複数の蛍光化合物を接触させ、前記脂質二分子膜を前記蛍光化合物で染色する工程とを有する脂質二分子膜の染色方法を提供することにより上記課題を解決するものである。
【0027】
本発明の第3の態様は、細胞を含む試料を準備する工程と、
前記試料中の前記細胞に、下記の一般式(I)又は(I)’で表される蛍光化合物を接触させ、前記細胞中のエンドソームを前記蛍光化合物の1又は複数で染色する工程と、
前記染色されたエンドソームからの蛍光を検出する工程とを有するエンドサイトーシスの検出方法を提供することにより上記課題を解決するものである。
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A-)n Xn+ (I)’
【0028】
上記一般式(I)及び(I)’において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であり、
Xn+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、下記の式(VII)又は(VIII)で表され、前記疎水場感受性を有する蛍光発色団の炭素原子又は窒素原子に結合し、該疎水場感受性を有する蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーである。
【0029】
【0030】
本発明の第3の態様に係るエンドサイトーシスの検出方法において、前記蛍光化合物における前記疎水場感受性蛍光発色団Chが、ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基であってもよい。
【0031】
本発明の第3の態様に係るエンドサイトーシスの検出方法において、前記蛍光化合物における前記アニオン性官能基A-Hが、カルボキシル基、硫酸基、スルホン酸基及びリン酸基のいずれかであってもよい。
【0032】
本発明の第3の態様に係るエンドサイトーシスの検出方法において、前記蛍光化合物が、下記の式(2)又は(3)で表される化合物又はその塩であることが好ましい。
【0033】
【0034】
【0035】
本発明の第3の態様に係るエンドサイトーシスの検出方法において、前記蛍光化合物における前記生体適合性を有する陽イオンXn+が、アルカリ金属イオン、アルカリ土類金属イオン及びアンモニウムイオンのいずれかであってもよい。
【発明の効果】
【0036】
本発明の蛍光化合物は、脂質二分子膜への滞留性が高いため、細胞や小胞内での移行を伴うことなく、長時間にわたり脂質二分子膜を特異的かつ均一に染色することができる。また、本発明の蛍光化合物は水への溶解性が高く、溶液の調製時に凝集や沈殿を生じることがなく、脂質二分子膜を均一に染色することができる。更に、本発明の蛍光化合物は、脂質二分子膜内に効率よく移行するため、過剰な蛍光化合物を除去するための洗浄操作が不要であり、簡便な操作で染色を行うことが可能になる。特に、リンカーLが上記の式(VII)又は(VIII)で表されるもののように、蛍光発色団のπ電子系と共役しない位置に、非共有電子対を有する窒素原子を有する場合、光誘起電子移動による蛍光の消光をpHで制御できるため、蛍光発光にpH応答性を付与することが可能になる。そのため、エンドサイトーシスに伴って形成されるエンドソーム等の酸性小胞の検出に有用である。
【0037】
また、本発明によると、簡便な操作で特異的かつ均一に脂質二分子膜を染色可能な脂質二分子膜の染色方法及びエンドサイトーシスの検出方法が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0038】
【
図1】化合物(1)の蛍光スペクトル及び励起スペクトルを示す図である。
【
図2】化合物(1)において、溶媒の疎水性が発光強度に及ぼす影響を示す図である。
【
図3】化合物(2)の蛍光スペクトル及び励起スペクトルを示す図である。
【
図4】化合物(2)において、溶媒の疎水性が発光強度に及ぼす影響を示す図である。
【
図5】化合物(3)の蛍光スペクトル及び励起スペクトルを示す図である。
【
図6】化合物(3)において、溶媒の疎水性が発光強度に及ぼす影響を示す図である。
【
図7】化合物(3)において、溶媒のpHが発光強度に及ぼす影響を示す図である。
【
図8】HeLa細胞の染色試験の結果を示す共焦点レーザー顕微鏡写真である。
【
図9】エンドソームの染色試験の結果を示す共焦点レーザー顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0039】
本発明の第1の実施の形態に係る蛍光化合物(以下、「蛍光化合物」と略称する場合がある。)は、下記の一般式(I)、(I)’又は(I)”で表される。
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A-)n Xn+ (I)’
Ch-LH+-A- (I)”
【0040】
上記一般式(I)、(I)’及び(I)”において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であり、
Xn+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、前記疎水場感受性を有する蛍光発色団の炭素原子又は窒素原子に結合し、該疎水場感受性を有する蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーであり、
LH+は、プロトン化してカチオンを生じることができるカチオン性官能基を含む前記リンカーがプロトン化してカチオン化している状態を示す。
【0041】
以下、蛍光化合物及び同化合物の各構成要素(Ch、A-H、Xn+、L)について、好ましい例を挙げつつ、より具体的に説明する。
【0042】
<疎水場感受性を有する蛍光発色団Ch>
本出願における「疎水場感受性を有する蛍光発色団」とは、広義には疎水性環境下と親水性環境下とで、発光強度及び発光波長の一方又は双方が変化する蛍光発色団をいい、本発明の目的においてより好ましくは、疎水性環境下で、親水性環境下よりも発光強度が増大する蛍光発色団をいう。蛍光発色団の発光強度が、疎水性環境下で、親水性環境下よりも増大することにより、疎水性環境である脂質二分子膜の内部に蛍光化合物が存在する場合に蛍光化合物が強い蛍光を放射することが可能になり、それにより脂質二分子膜を特異的に染色することが可能になる。疎水性環境下で、親水性環境下よりも発光強度が増大する蛍光発色団の具体例としては、DAPI(4’,6-ジアミジノ-2-フェニルインドール)、ANS(8-アニリノナフタレン-1-スルホン酸)、ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基等が挙げられるが、好ましくは、ペリレンイミド基又はナフタレンイミド基である。
【0043】
<アニオン性官能基A-H>
アニオン性官能基A-Hは、例えば、生体内の環境下で脱プロトン化してアニオンを生じることができる官能基である。細胞膜等の脂質二分子膜は、アンモニウム基を有し、生体内の環境下で正電荷を有するホスファチジルコリン等のリン脂質を含んでいる。蛍光化合物がアニオン性官能基を有していると、リン脂質の有する正電荷とアニオン性官能基の負電荷との静電相互作用により、蛍光化合物の脂質二分子膜への滞留性を向上させることができる。
アニオン性官能基の好ましい具体例としては、カルボキシル基(-COOH)、硫酸基(-O-SO3H)、スルホン酸(-SO3H)基、リン酸基(-O-PO(OH)2)、二リン酸基(-O-PO(OH)-O-PO(OH)2)等が挙げられ、特に好ましくはスルホン酸基である。
【0044】
<リンカーL>
リンカーLは、疎水場感受性を有する蛍光発色団Chの炭素原子又は窒素原子に結合し、疎水場感受性を有する蛍光発色団とアニオン性官能基A-Hとを連結する原子団である。リンカーの長さは、アニオン性官能基A-Hが脱プロトン化して生じたアニオンの負電荷と、脂質二分子膜に含まれるリン脂質の正電荷とが静電相互作用した際に、脂質二分子膜中に存在する蛍光発色団Chが脂質二分子膜からはみ出さない程度の長さであれば特に制限されない。リンカーLは、例えば下記の一般式(II)で表される原子団である。
【0045】
【0046】
上記一般式(II)において、X1及びX2は、それぞれ独立して、共有結合又は下記の式(i)から(iv)のいずれかで表される原子団であり、
R1及びR2は、それぞれ独立して、-(CH2)n-、-(CH2CH2O)m-、及び、-(OCH2CH2)m-を表す(mは1以上4以下の自然数を表し、nは1以上10以下の自然数を表し、R1及びR2の炭素数の合計は10以下である。)。
【0047】
【0048】
上記の式(i)から(iv)において、R3、R4及びR5は、それぞれ独立して、炭素数1以上10以下のアルキル基を表す。
【0049】
リンカーLの好ましい例としては、下記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)のいずれかで表される原子団が挙げられる。
【0050】
【0051】
下記の一般式(III)、(IV)、(V)、(VI)、(VII)及び(VIII)において、mは1以上4以下の自然数を表し、nは1以上10以下の自然数を表す。
【0052】
リンカーLが、上記の式(VII)又は(VIII)で表される原子団である場合、蛍光発色団のπ電子系と共役しない位置に、非共有電子対を有する窒素原子が存在するため、窒素原子がプロトン化を受けない中性又は塩基性条件下では、窒素原子上の非共有電子対から蛍光発色団Chへの光誘起電子移動により、蛍光発色団Chからの蛍光は消光される。一方、窒素原子がプロトン化を受ける酸性条件下では、光誘起電子移動による蛍光発色団の消光が起こらなくなる。したがって、リンカーLが、上記の式(VII)又は(VIII)で表される原子団である場合、蛍光発色団の発光強度をpHで制御できるため、蛍光発光にpH応答性を付与する(酸性条件下で発光強度を増大させる)ことが可能になる。そのため、エンドサイトーシスに伴って形成されるエンドソーム等の酸性小胞の検出に有用である。
【0053】
好ましい蛍光化合物の具体例は、下記の式(1)、(2)又は(3)で表される化合物又はその塩である。
【0054】
【0055】
【0056】
【0057】
<生体適合性を有する陽イオンXn+>
蛍光化合物のアニオン性官能基が脱プロトン化している場合、蛍光化合物は、一般式(I)’で表されるように、対イオンとして陽イオンとの間で塩を形成するか、一般式(I)”で表されるように、プロトン化してカチオンを生じることができるカチオン性官能基を含む前記リンカーがプロトン化してカチオン化し、分子内塩を形成する。脱プロトン化したアニオン性官能基の対イオンとなる陽イオンは、生体適合性を有している限りにおいて任意の陽イオンであってもよい。生体適合性を有する陽イオンXn+の価数nは、1、2又は3である。生体適合性を有する陽イオンXn+の具体例としては、ナトリウム、カリウム等のアルカリ金属イオン、マグネシウム、カルシウム、ストロンチウム等のアルカリ土類金属イオン及びアンモニウムイオンが挙げられる。
【0058】
蛍光化合物は、任意の公知の方法を用いて合成することができる。例えば、上述の式(1)、(2)又は(3)で表される化合物は、後述する実施例に示すスキームにしたがって合成することができる。
【0059】
本発明の第2の実施の形態に係る脂質二分子膜の染色方法は、脂質二分子膜を含む試料を準備する工程と、試料中の前記脂質二分子膜に本発明の第1の実施の形態に係る1又は複数の蛍光化合物を接触させ、脂質二分子膜を蛍光化合物で染色する工程とを有する。
【0060】
染色対象となる脂質二分子膜としては、細胞膜、細胞内小器官を構成する脂質二分子膜、エンドドーム等の細胞外小胞、エクソソーム、オートファゴソーム等の細胞内小胞、ウイルスのエンベロープ等が挙げられる。
【0061】
脂質二分子膜を含む試料の調製は、例えば、染色対象となる細胞等を含む生体試料を採取する工程、或いは染色対象となる細胞を培養液、固体培地中で培養する工程を含んでおり、必要に応じて、限外ろ過、遠心分離等の任意の公知の単離操作又は前処理を行う工程を含んでいてもよい。これらの操作に使用する機器、方法。資材等について、任意の公知のものを特に制限なく用いることができる。
【0062】
所定量の蛍光化合物を、試料溶液に直接添加してもよいが、濃度等を制御するために、所定の濃度の蛍光化合物の溶液を予め調製しておくことが好ましい。溶液の調製に用いられる溶媒、緩衝液等について、所望の濃度の溶液が得られる限りにおいて、任意の公知のものを特に制限なく適宜選択して用いることができる。
【0063】
蛍光化合物による脂質二分子膜の染色は、例えば、試料に蛍光化合物を添加し、所定時間(例えば、5分間から10分間)放置することにより行われる。染色状態の観察は、蛍光顕微鏡(例えば、共焦点レーザー顕微鏡)等の任意の公知の機器及び方法を用いて行うことができる。
【0064】
本発明の第3の実施の形態に係るエンドサイトーシスの検出方法は、細胞を含む試料を準備する工程と、試料中の前記細胞に、下記の一般式(I)又は(I)’で表される蛍光化合物の1又は複数を接触させ、細胞中のエンドソームを蛍光化合物で染色する工程と、染色されたエンドソームからの蛍光を検出する工程とを有する。
【0065】
Ch-L-A-H (I)
(Ch-L-A-)n Xn+ (I)’
【0066】
上記一般式(I)及び(I)において、
Chは、疎水的環境下で蛍光強度が増大する疎水場感受性蛍光発色団であり、
A-Hは、脱プロトン化してアニオンを生じることができるアニオン性官能基であり、
Xn+は、生体適合性を有する陽イオンであり、
nは、1、2又は3であり、
Lは、前記疎水場感受性を有する蛍光発色団の炭素原子又は窒素原子に結合し、該疎水場感受性を有する蛍光発色団と前記アニオン性官能基とを連結する原子団であるリンカーである。
【0067】
蛍光化合物及び同化合物の各構成要素(Ch、A-H、Xn+、L)については、リンカーLが下記の式(VII)又は(VIII)で表されるものである点を除けば、本発明の第1の実施の形態に係る蛍光化合物と同様であるため、詳しい説明を省略する。また、検出対象となる細胞は、エンドサイトーシスを行う限りにおいて任意の細胞であってよい。細胞中のエンドソームを染色する工程についても、本発明の第2の実施の形態に係る脂質二分子膜の染色方法における脂質二分子膜を染色する工程同様であるので、詳しい説明を省略する。更に、染色されたエンドソームからの蛍光を検出する工程については、本発明の第2の実施の形態に係る脂質二分子膜の染色方法の説明における染色状態の観察工程と同様であるので、詳しい説明を省略する。
【0068】
【0069】
エンドサイトーシスにおいて、細胞膜から離れたエンドソームは、プロトンポンプの作用により内部が弱酸性に保たれているが、エンドサイトーシスの後期においてリソソームと融合すると、内部のpHは更に低下する。したがって、エンドソームの染色には、酸性条件下で蛍光強度が増大するpH応答性を有する蛍光化合物を用いることが好ましい。そのような蛍光化合物の具体例としては、下記の式(3)で表される化合物が挙げられる。従来のエンドソームの染色において、低分子量の蛍光化合物を用いる場合には、エンドソームの内容物を染色することしかできず、エンドソームの膜構造の詳細な検討が困難であった。エンドソームの膜を染色する方法としては、オルガネラ特異的又は構造特異的に発現するタンパク質に蛍光タンパク質を融合させたタンパク質をコードするcDNAを用いる方法が知られているが、式(3)で表される化合物により、より簡便かつ安価なエンドソームの染色方法が提供される。
【0070】
【実施例】
【0071】
次に、本発明の作用効果を確認するために行った実施例について説明する。
実施例1:蛍光化合物の合成
式(1)(2)及び(3)で表される蛍光化合物(以下、「化合物(1)」、「化合物(2)」及び「化合物(3)」と略称する場合がある。)を、それぞれ、下記のスキームに準拠して合成した。なお、化合物(1)、(2)及び(3)のスルホン酸基は、実際には少なくとも一部が塩として存在している可能性もある。
【0072】
【0073】
【0074】
【0075】
実施例2:蛍光化合物の発光特性の評価
[1]蛍光スペクトル及び励起スペクトルの測定
化合物(1)、(2)及び(3)の蛍光スペクトル及び励起スペクトルは、各化合物の1μmol/L溶液を用いて測定した。使用した溶媒は、化合物(1)及び(2)についてはDMSO、化合物(3)についてはリン酸緩衝生理食塩水(PBS)である。化合物(1)、(2)及び(3)について、結果を、それぞれ
図1、3及び5に示す。得られた蛍光スペクトル及び励起スペクトルの最大値に対応する波長に基づいて、以下の実験における各化合物の励起波長及び測定波長を設定した。
【0076】
[2]疎水性が発光強度に及ぼす影響の検討
DMSO濃度の異なるDMSOとPBSの混合溶媒(化合物(1)については、DMSO濃度:0%、25%、50%、75%及び100%、化合物(2)及び(3)については、DMSO濃度:0%、30%、60%、100%)中に、最終濃度が1μmol/Lとなるように、各化合物を溶解し、得られた溶液を用いて蛍光スペクトルを測定し、疎水性(DMSO濃度)が蛍光強度に及ぼす影響について検討した。化合物(1)、(2)及び(3)について、結果を、それぞれ
図2、4及び6に示す。いずれの化合物についても、溶液の疎水性の増大に伴う蛍光強度の増大が観測された。
【0077】
[3]化合物(3)におけるpHが発光強度に及ぼす影響の検討
PBS(pH7.4)、Tris-HCl緩衝液(pH6.5)、フタル酸塩緩衝液(pH4)とDMSOを1:1で混合した溶液に、化合物(3)を最終濃度1μmol/Lになるように加え、蛍光スペクトルを測定した。結果を
図7に示す。化合物(3)において、pHの低下に伴い顕著な蛍光強度の増大が観測された。このことは、ピペラジン環上の蛍光発色団であるナフタレンイミド基のπ電子系と共役しない側の窒素原子がプロトン化を受けない中性又は塩基性条件下では、窒素原子上の非共有電子対からナフタレンイミド基への光誘起電子移動により、蛍光は消光されるのに対し、窒素原子がプロトン化を受ける酸性条件下では、光誘起電子移動によるナフタレンイミド基の消光が起こらなくなることによると考えられる。
【0078】
実施例3:細胞染色試験
μ-slide 8 well plate (ibidi)にHeLa細胞を播種し、インキュベーター内(37℃、5% CO
2存在下、MEM培地(10%ウシ胎児血清及び1%ペニシリン/ストレプトマイシン含有))で一晩培養した。培地を取り除き、MEM培地で希釈した各蛍光化合物(化合物(1)、(2)及び対照として市販の蛍光化合物(PKH26、PKH67、CellMask Green(Thermofisher社))を添加し、37℃で5分間インキュベートした。上澄みを除去後、MEM培地に置換し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。結果を
図8に示す。いずれの蛍光化合物を用いた場合も、染色直後は細胞膜が特異的に染色されているが、一晩放置後は、化合物(1)、(2)を用いた場合には、蛍光化合物が細胞膜に滞留していることが観測されたが、それ以外の蛍光化合物については、細胞質内部への移行や細胞からの漏出が確認された。これらの結果から、化合物(1)及び(2)は、従来の蛍光化合物よりも脂質二分子膜への高い滞留性を示すことが確認された。
【0079】
実施例4:エンドソームの染色試験
μ-slide 8 well plate (ibidi)にHeLa細胞を播種し、インキュベーター内(37℃、5% CO2存在下、MEM培地(10%ウシ胎児血清及び1%ペニシリン/ストレプトマイシン含有))で一晩培養した。培地を取り除き、MEM培地で希釈したwortmannin(100nM:PI-3キナーゼ阻害剤で、初期エンドソームを肥大化させる作用を有する。)を添加し、37℃で30分間インキュベートした。MEM培地で希釈した各種蛍光化合物(化合物(3)、pHrodo Dex(Thermofisher社)、FM1-43(Molecular Probe社))を添加し、37℃で30分間インキュベートした。上澄みを除去後、MEM培地に置換し、共焦点レーザー顕微鏡で観察した。併せて、蛍光化合物を添加する代わりに、wortmanninの添加前にRab5-RFP(エンドソーム膜特異的なタンパク質に蛍光タンパク質を融合させたタンパク質をコードするcDNA)を発現させたHeLa細胞を用いて、同様の実験を行った。wortmanninを添加しない対照群(CTRL)についても同様の実験を行った。
【0080】
結果を
図9に示す。細胞内にRab5-RFPを発現させた場合及び化合物(3)を用いて染色を行った場合については、wortmanninを添加してエンドソームを肥大させることにより、エンドソーム膜のみが特異的に染色されていることが確認されたが、他の蛍光化合物については、エンドソームの内容物が染色されており、エンドソーム膜に特異的な染色像は観察されなかった。