(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-12-16
(45)【発行日】2024-12-24
(54)【発明の名称】プレス成形品の遅れ破壊予測方法、装置及びプログラム、並びにプレス成形品の製造方法
(51)【国際特許分類】
G01N 3/00 20060101AFI20241217BHJP
B21D 22/00 20060101ALI20241217BHJP
G01N 17/00 20060101ALI20241217BHJP
【FI】
G01N3/00 Z
B21D22/00
G01N17/00
(21)【出願番号】P 2023156661
(22)【出願日】2023-09-22
【審査請求日】2024-09-19
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000001258
【氏名又は名称】JFEスチール株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100127845
【氏名又は名称】石川 壽彦
(72)【発明者】
【氏名】達川 昂至
(72)【発明者】
【氏名】簑手 徹
(72)【発明者】
【氏名】石渡 亮伸
【審査官】外川 敬之
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2022/118497(WO,A1)
【文献】特開2019-174282(JP,A)
【文献】特開2016-057163(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第111307612(CN,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 3/00
B21D 22/00
G01N 17/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測方法であって、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出工程と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出工程と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定工程と、
前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定工程において設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析工程と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析工程において算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測工程と、を含むことを特徴とするプレス成形品の遅れ破壊予測方法。
【請求項2】
前記遅れ破壊発生予測工程において取得する前記遅れ破壊判定条件は、平行部に切り欠き部が形成された単軸引張試験片に所定の単軸引張荷重を負荷し、前記切り欠き部に対して前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配を付与した状態で前記単軸引張試験片を水素侵入環境下に保持する遅れ破壊試験により、前記応力勾配を付与した前記切り欠き部における応力、ひずみ及び水素濃度と、前記切り欠き部における遅れ破壊発生の有無と、の関係を求めたものである、ことを特徴とする請求項1に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法。
【請求項3】
前記遅れ破壊発生予測工程において取得する前記遅れ破壊判定条件は、4点曲げ試験片に所定の曲げ荷重を負荷し、前記4点曲げ試験片の曲げ部に対して前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配を付与した状態で前記4点曲げ試験片を水素侵入環境下に保持する遅れ破壊試験により、前記応力勾配を付与した前記曲げ部における応力、ひずみ及び水素濃度と、前記曲げ部における遅れ破壊発生の有無と、の関係を求めたものである、ことを特徴とする請求項1に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法。
【請求項4】
前記応力分布及びひずみ分布算出工程において、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定工程において、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とする請求項1に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法。
【請求項5】
前記高張力鋼板は、引張強度が1GPa級以上である、ことを特徴とする請求項1に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法。
【請求項6】
高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測装置であって、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出部と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出部と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定部と、
前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定部により設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析部と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析部により算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測部と、を備えたことを特徴とするプレス成形品の遅れ破壊予測装置。
【請求項7】
前記応力分布及びひずみ分布算出部は、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定部は、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とする請求項6に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測装置。
【請求項8】
高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測プログラムであって、
コンピュータを、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出部と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出部と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定部と、
前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定部により設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析部と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析部により算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測部と、して実行させる機能を備えたことを特徴とするプレス成形品の遅れ破壊予測プログラム。
【請求項9】
前記応力分布及びひずみ分布算出部は、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定部は、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とする請求項8に記載のプレス成形品の遅れ破壊予測プログラム。
【請求項10】
高張力鋼板を用いたプレス成形品における遅れ破壊の発生を抑制して前記プレス成形品を製造するプレス成形品の製造方法であって、
前記プレス成形品の仮のプレス成形条件を設定する仮プレス成形条件設定工程と、
該仮のプレス成形条件に基づいて、請求項1乃至5のいずれかに記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法により、前記プレス成形品について特定された前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測し、該予測した結果に基づいて前記プレス成形品における遅れ破壊発生の有無を判定する遅れ破壊発生有無判定工程と、
該遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生有りと判定された場合、前記仮のプレス成形条件を変更する仮プレス成形条件変更工程と、
前記遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生無しと判定されるまで、前記仮プレス成形条件変更工程と、前記遅れ破壊発生有無判定工程と、を繰り返し実行する繰り返し工程と、
前記遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生無しと判定された場合、その場合の前記仮のプレス成形条件をプレス成形条件として決定するプレス成形条件決定工程と、
該決定したプレス成形条件で前記高張力鋼板を前記プレス成形品にプレス成形するプレス成形工程と、を含む、ことを特徴とするプレス成形品の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高張力鋼板を用いたプレス成形品における遅れ破壊の発生を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測方法、装置及びプログラムに関する。
さらに、本発明は、遅れ破壊の発生を予測した結果に基づいて遅れ破壊を抑制するようにプレス成形条件を決定してプレス成形品を製造するプレス成形品の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
二酸化炭素排出量等の環境規制の厳格化を受け、燃費向上を目的とした自動車車体の軽量化が求められている。一方、自動車車体には衝突安全性能の向上も要求されている。これらのニーズに対して、1GPa級以上の引張強度を持つ高張力鋼板の自動車の骨格部品への適用が進んでいる。
自動車の骨格部品は一般にプレス成形によって製造されている。しかしながら、引張強度で980MPa級を超える高張力鋼板を使用したプレス成形品においては、プレス成形工程から部品組付け工程で発生したひずみや残留応力と、自動車の製造中や使用中に侵入した水素に起因した遅れ破壊の発生が懸念される。
【0003】
そこで、これまでに、プレス加工が施された高張力鋼板(高強度後半)における遅れ破壊特性を評価する方法がいくつか提案されている。
例えば、特許文献1には、深絞り成形した高張力鋼板の試験片を水素侵入環境下に置き、当該試験片のフランジ部に発生する亀裂発生状況によって遅れ破壊特性を評価する方法が開示されている。
また、特許文献2には、塑性ひずみが付与された鋼材の試験片に対して水素を導入し、水素脆化特性(遅れ破壊特性)を塑性ひずみ量に基づいて評価する方法が開示されている。
さらに、特許文献3には、高強度鋼板成形品の予め選定した評価部位の組織内における結晶粒の歪みに対応した水素量を求めることで、評価部位における遅れ破壊特性を評価する方法が開示されている。そして、当該方法では、遅れ破壊が発生する際の鋼材に含有される水素量と残留応力と組織内における結晶粒の歪みを対応づけた関係を用いて、評価部位における結晶粒の歪みに対応した水素量を求める、とされている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】特開2019-174124号公報
【文献】特開2020-41838号公報
【文献】特開2011-33600号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1に開示されている方法は、深絞り成形した高張力鋼板の試験片のフランジ部における遅れ破壊が発生する最大残留応力を評価するものであり、遅れ破壊の発生に対するひずみの影響は考慮されていなかった。
また、特許文献2に開示されている方法は、鋼材の遅れ破壊特性(水素脆化特性)の優劣を塑性ひずみ量に基づいて評価するものであり、プレス成形品における遅れ破壊発生に対する応力分布や水素濃度分布の影響を考慮できないといった問題があった。
さらに、特許文献3に開示されている方法は、鋼板成形品における遅れ破壊特性を評価する評価部位を選定し、当該評価部位における残留応力と結晶粒の歪み、水素量を測定し、遅れ破壊発生の判定条件として結晶粒の歪み、残留応力及び水素量を用いている。しかしながら、当該方法は、プレス成形品のような大きい部品ではプレス成形品全体の結晶粒の歪みや水素量を測定するには膨大な時間とコストがかかるという問題があった。
【0006】
そして、特許文献1及び特許文献3に開示されている方法は、いずれも、実際にプレス成形した鋼板の遅れ破壊試験を行い、該遅れ破壊試験の結果に基づいてプレス成形した鋼板の特定の部位における遅れ破壊特性を評価するものである。そのため、多大な時間やコストを要し、さらに、プレス成形や部品組付けしたプレス成形品においてどの部位に遅れ破壊の発生するリスクがあるかを予測することは困難であった。したがって、プレス成形品に遅れ破壊が発生するのを抑制することができるプレス成形条件でプレス成形品を製造することは困難であった。
また、プレス成形品の割れにはひずみ勾配(応力勾配)が影響することが知られているが(例えば、石渡亮伸、卜部正樹、稲積透、「ハイテン適用拡大に貢献するプレス成形解析技術」、JFE技報、No.30(2012年8月)、p.19-24.)、特許文献1乃至特許文献3のいずれも、遅れ破壊に対するひずみ勾配(又は応力勾配)の影響を評価したものはなかった。
【0007】
本発明は、上記のような課題を解決するためになされたものであり、高張力鋼板を用いたプレス成形品について遅れ破壊が発生する部位を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測方法、装置及びプログラムを提供することを目的とする。
さらに、本発明は、上記の方法により遅れ破壊が発生すると予測された部位において遅れ破壊が発生しないようにプレス成形条件を決定し、該決定したプレス成形条件によりプレス成形品を製造するプレス成形品の製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
(1)本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものであって、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出工程と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出工程と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定工程と、
前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定工程において設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析工程と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出工程において算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析工程において算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測工程と、を含むことを特徴とするものである。
【0009】
(2)上記(1)に記載のものにおいて、
前記遅れ破壊発生予測工程において取得する前記遅れ破壊判定条件は、平行部に切り欠き部が形成された単軸引張試験片に所定の単軸引張荷重を負荷し、前記切り欠き部に対して前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配を付与した状態で前記単軸引張試験片を水素侵入環境下に保持する遅れ破壊試験により、前記応力勾配を付与した前記切り欠き部における応力、ひずみ及び水素濃度と、前記切り欠き部における遅れ破壊発生の有無と、の関係を求めたものである、ことを特徴とするものである。
【0010】
(3)上記(1)に記載のものにおいて、
前記遅れ破壊発生予測工程において取得する前記遅れ破壊判定条件は、4点曲げ試験片に所定の曲げ荷重を負荷し、前記4点曲げ試験片の曲げ部に対して前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配を付与した状態で前記4点曲げ試験片を水素侵入環境下に保持する遅れ破壊試験により、前記応力勾配を付与した前記曲げ部における応力、ひずみ及び水素濃度と、前記曲げ部における遅れ破壊発生の有無と、の関係を求めたものである、ことを特徴とするものである。
【0011】
(4)上記(1)乃至(3)のいずれかに記載のものにおいて、
前記応力分布及びひずみ分布算出工程において、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定工程において、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とするものである。
【0012】
(5)上記(1)乃至(4)のいずれかに記載のものにおいて、
前記高張力鋼板は、引張強度が1GPa級以上である、ことを特徴とするものである。
【0013】
(6)本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測装置は、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものであって、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出部と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出部と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定部と、
前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定部により設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析部と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析部により算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測部と、を備えたことを特徴とするものである。
【0014】
(7)上記(6)に記載のものにおいて、
前記応力分布及びひずみ分布算出部は、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定部は、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とするものである。
【0015】
(8)本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測プログラムは、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものであって、
コンピュータを、
前記プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する応力分布及びひずみ分布算出部と、
算出した前記プレス成形品の前記応力分布より、前記プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、該特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する応力勾配算出部と、
前記高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記プレス成形品の前記ひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する水素濃度分布設定部と、
前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布と、前記水素濃度分布設定部により設定した前記水素濃度分布と、に基づいて、前記プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する水素拡散解析部と、
前記遅れ破壊懸念部位について算出した前記き裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得し、該取得した遅れ破壊判定条件と、前記応力分布及びひずみ分布算出部により算出した前記応力分布及びひずみ分布と前記水素拡散解析部により算出した前記水素拡散後の水素濃度分布とから求められる前記遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する遅れ破壊発生予測部と、して実行させる機能を備えたことを特徴とするものである。
【0016】
(9)上記(8)に記載のものにおいて、
前記応力分布及びひずみ分布算出部は、前記ひずみ分布として相当塑性ひずみ分布を算出し、
前記水素濃度分布設定部は、相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を予め取得し、該取得した相当塑性ひずみ分布と水素濃度の関係式に基づいて、前記相当塑性ひずみ分布に対応する水素濃度分布を設定する、ことを特徴とするものである。
【0017】
(10)本発明に係るプレス成形品の製造方法は、高張力鋼板を用いたプレス成形品における遅れ破壊の発生を抑制して前記プレス成形品を製造するものであって、
前記プレス成形品の仮のプレス成形条件を設定する仮プレス成形条件設定工程と、
該仮のプレス成形条件に基づいて、上記(1)乃至(5)のいずれかに記載のプレス成形品の遅れ破壊予測方法により、前記プレス成形品について特定された前記遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測し、該予測した結果に基づいて前記プレス成形品における遅れ破壊発生の有無を判定する遅れ破壊発生有無判定工程と、
該遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生有りと判定された場合、前記仮のプレス成形条件を変更する仮プレス成形条件変更工程と、
前記遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生無しと判定されるまで、前記仮プレス成形条件変更工程と、前記遅れ破壊発生有無判定工程と、を繰り返し実行する繰り返し工程と、
前記遅れ破壊発生有無判定工程において前記プレス成形品に遅れ破壊の発生無しと判定された場合、その場合の前記仮のプレス成形条件をプレス成形条件として決定するプレス成形条件決定工程と、
該決定したプレス成形条件で前記高張力鋼板を前記プレス成形品にプレス成形するプレス成形工程と、を含む、ことを特徴とするものである。
【発明の効果】
【0018】
本発明によれば、プレス成形品の応力分布より、プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、特定した遅れ破壊懸念部位における遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配を考慮して、高張力鋼板のプレス成形品の使用中に遅れ破壊が発生するかどうかを予測することができる。その結果、プレス成形した部品に遅れ破壊が起きるかどうかだけでなく遅れ破壊が発生する部位を部品の設計段階で予測することができ、遅れ破壊を起こさないように部品形状やプレス成形工程等を変更するといった遅れ破壊対策を施すことが可能となる。
【0019】
さらに、本発明においては、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊発生の有無を判定し、当該判定結果に基づいて、遅れ破壊の発生を抑制するプレス成形条件を決定する。これにより、高張力鋼板を用いたプレス成形品において遅れ破壊の発生を抑制することができるプレス成形条件を決定するための期間を短縮することができる。さらに、このように決定したプレス成形条件でプレス成形品をプレス成形することにより、遅れ破壊の発生を抑制するための対策を施したプレス成形品を製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
【
図1】本発明の実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法の処理の流れを示すフロー図である。
【
図2】高張力鋼板の単軸引張試験片における割れ発生部位と水素濃度分布の対応を調査した結果を示す図である((a)単軸引張試験片、(b)割れ発生部位、(c)水素濃度分布)。
【
図3】種々の変形モードでひずみが付与された試験片を用いた、浸漬時間を30時間としたときの水素チャージ試験により求めたひずみと水素濃度の関係を示すグラフである((a)相当塑性ひずみと水素濃度の関係、(b)ひずみモードと水素濃度の関係)。
【
図4】定荷重下水素チャージ試験において単軸引張試験片の浸漬時間を30時間としたときの相当塑性ひずみと静水圧応力の関係を示すグラフである。
【
図5】遅れ破壊試験において単軸引張試験片の浸漬時間を30時間及び20時間としたときの相当塑性ひずみ及び応力と遅れ破壊発生との関係を表すグラフである((a)浸漬時間30時間、(b)浸漬時間20時間)。
【
図6】遅れ破壊試験において浸漬時間を30時間、20時間及び10時間のそれぞれについて測定した単軸引張試験片の相当塑性ひずみと水素濃度の関係を示すグラフである。
【
図7】遅れ破壊試験結果より得られた、一定応力条件下(1100MPa、1000MPa、900MPa)における遅れ破壊判定条件を示すグラフである。
【
図8】遅れ破壊試験に用いた、切り欠き部を設けた単軸引張試験片を説明する図である。
【
図9】遅れ破壊試験において、切り欠き部を設けた単軸引張試験片に単軸引張応力を負荷したときの切り欠き部の切り欠きR(打ち抜き半径R)と応力勾配の関係を示すグラフである。
【
図10】切り欠き部を設けた単軸引張試験片に引張荷重を負荷した遅れ破壊試験により得られた、応力勾配と遅れ破壊時間との関係を示すグラフである。
【
図11】4点曲げ試験により板厚方向に応力勾配を付与した4点曲げ試験片を水素侵入環境下に所定時間浸漬させる遅れ破壊試験を説明する図である。
【
図12】4点曲げ試験により板厚方向に応力勾配を付与した4点曲げ試験片における板厚と応力勾配との関係を示すグラフの一例である。
【
図13】本発明の実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測装置及びプログラムの構成を示す図である。
【
図14】本発明の実施の形態2に係るプレス成形品の製造方法の処理の流れを示すフロー図である。
【
図15】実施例1及び実施例2において、遅れ破壊の予測及び製造対象としたプレス成形品を説明する図である((a)斜視図、(b)断面図)。
【
図16】実施例1において、プレス成形品について算出した応力分布及び相当塑性ひずみ分布を示すコンター図である((a)長手方向応力分布、(b)相当塑性ひずみ分布)。
【
図17】実施例1において、プレス成形品について算出した水素拡散前の水素濃度分布を示すコンター図である((a)相当塑性ひずみに対応した水素濃度分布(ケース1)、(b)静水圧応力に対応した水素濃度分布、(c)静水圧応力と相当塑性ひずみに対応した水素濃度分布(ケース2))。
【
図18】実施例1において、プレス成形品について算出した水素拡散後の水素濃度分布を示すコンター図である((a)相当塑性ひずみに対応した水素濃度分布(ケース1)、(b)静水圧応力と相当塑性ひずみに対応した水素濃度分布(ケース2))。
【
図19】実施例1において、プレス成形品の遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測した結果を示すグラフである((a)プレス成形品の遅れ破壊懸念部位、(b)相当塑性ひずみに対応した水素濃度を用いて遅れ破壊発生を予測したグラフ、(c)静水圧応力と相当塑性ひずみに対応した水素濃度を用いて遅れ破壊発生を予測したグラフ)。
【
図20】実施例2において、プレス成形品の曲げ部に遅れ破壊が発生するか否かを予測した結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0021】
<発明に至った経緯>
発明者らは、高張力鋼板のプレス成形品において遅れ破壊が発生する部位を予測する方法を検討するに際し、高張力鋼板の単軸引張応力下における遅れ破壊試験による検討を行った。
【0022】
まず、
図2(a)に示す高張力鋼板を供試材とした単軸引張試験片21に対し、単軸引張応力の定荷重を負荷した状態で水素侵入環境下に一定時間置いた後、単軸引張試験片21中の水素量を測定する水素チャージ試験を実施した。さらに、水素侵入環境下において単軸引張試験片21に割れ(遅れ破壊)が発生するまで保持する単軸引張試験を実施した(以降、定荷重下水素チャージ試験と称す)。
【0023】
単軸引張試験片21を水素侵入環境下に置かずに定荷重を負荷する通常の単軸引張試験では、単軸引張試験片21における平行部23の中心付近で割れが発生する。しかしながら、定荷重下水素チャージ試験を実施した単軸引張試験片21においては、
図2(b)に示すように、平行部23の中心付近ではなく、平行部23とR部25との境目で割れが発生した。
【0024】
発明者らは、この要因に関して単軸引張試験片21における水素濃度分布が関係していると考え、静水圧分布を考慮した水素拡散解析を実施し、単軸引張試験片21における割れ発生部位と水素拡散後の水素濃度分布との対応を調査した。
【0025】
図2(c)に、水素拡散解析により求めた水素拡散後の水素濃度分布結果を示す。
単軸引張試験片21においては静水圧の分布により水素はR部25と平行部23の境目に集中して存在し、水素濃度の高い部位は割れ発生部位(
図2(b)参照)と対応していることがわかる。この結果から、遅れ破壊の予測には、水素拡散後の水度濃度分布を考慮することが重要であるとの結論に至った。
【0026】
続いて、プレス成形品の遅れ破壊発生を予測するにあたり、プレス成形品に侵入する水素量とプレス成形品のひずみとの関係についても検討を重ねた。
高張力鋼板をプレス成形すると、プレス成形品においては、曲げ(平面ひずみ)、張出(二軸引張)、単軸引張など、様々な変形モードが存在する。そこで、高張力鋼板(一例として、1470MPa冷延鋼板、板厚1.2mm)を供試材とし、圧延(平面ひずみ)、単軸引張、単軸圧縮および二軸引張・圧縮など、種々の変形モードでひずみが付与された試験片を作成した。そして、ひずみが付与された試験片を、水素侵入環境下に一定時間置いた後、試験片中の水素量を測定する水素チャージ試験を実施した。
【0027】
図3に、代表例として、種々の変形モードでひずみが付与された試験片をpH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に30時間浸漬して試験片中の水素量を測定し、水素濃度とひずみの関係で整理した結果の一例を示す。ここで、
図3(a)は試験片に付与された相当塑性ひずみε
p
eqと水素濃度の関係を、
図3(b)は試験片に付与された相当塑性ひずみε
p
eqが一定(=0.01、0.02)での変形モードと水素濃度との関係を示す。なお、
図3(b)における最大主ひずみと最小主ひずみの比(以下、「ひずみ比」と称す)と変形モードとの対応については、ひずみ比が1は二軸引張、ひずみ比が0は平面ひずみ、ひずみ比が-2は単軸引張及び単軸圧縮を表している。
【0028】
図3に示す結果に基づき、発明者らは、水素濃度は変形モードによらず相当塑性ひずみε
p
eqにのみ依存することを見い出した。相当塑性ひずみが増加すると水素濃度が増加するのは、相当塑性ひずみの増加に伴って水素がトラップされる試験片中の欠陥が増加し、鋼中に侵入する水素量が増加するためであると考えられる。
そして、
図3(a)に示す結果から、プレス成形品に侵入する水素量とプレス成形品のひずみとの関係は、例えば、式(1)に示すような、相当塑性ひずみの関係式として表されるものとした。
【0029】
【数1】
ここで、C
εはひずみを付与した場合の水素濃度(ppm)、ε
p
eqは相当塑性ひずみ、a、bは定数である。
【0030】
また、定荷重下水素チャージ試験において、プレス成形品に侵入する水素量とプレス成形品の応力分布の関係についても検討を重ねた。
単軸引張試験片21において割れが発生したR部25と平行部23の境目付近では、静水圧応力が発生する。ここで、静水圧応力とは、物体の表面に作用する三方向の垂直応力の平均で定義される平均応力を指す。引張方向の静水圧応力が発生すると、鋼中の結晶格子が開き、結晶格子に固溶する水素量が増加し、鋼中に侵入する水素量は増加すると考えられる。
【0031】
そこで、定荷重下水素チャージ試験の代表例として、高張力鋼板(一例として、1470MPa級冷延鋼板、板厚1.2mm)を材料とし、単軸引張試験片21の平行部23の長手方向に一定の単軸引張応力(900MPa、600MPa、300MPa。静水圧応力に換算すると300MPa、200MPa、100MPa)の荷重を負荷した状態で、pH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に30時間浸漬し、単軸引張試験片21の平行部23の水素量を測定した。
【0032】
図4に、単軸引張試験片21における水素濃度と静水圧応力の関係で整理した結果を示す。この結果から、静水圧応力と鋼中に侵入する水素量(水素濃度)との関係は、例えば、式(2)のような結晶格子間に固溶する水素濃度C
pと引張の静水圧応力pとの関係で表される。そして、応力を負荷した時の水素濃度C
pの増加量ΔC
pは式(3)で表される。
【0033】
【数2】
ここで、C
pは応力を負荷した状態の水素濃度(ppm)、C
0は応力を負荷していない場合の水素濃度(=0.55ppm)、ΔC
pは応力を負荷した時の水素濃度C
pの増加量(ppm)、pは静水圧応力(MPa)である。また、V
Hは鋼中の水素モル体積変化(=2.0cm
3)、Rは気体定数(=8.31N・m・K-1・mol-1)、Tは温度(=300K)である。
【0034】
さらに、プレス成形品の遅れ破壊に関係する因子として、温度等の環境因子を除くと、上述したように、プレス成形品中の水素量とひずみに加えて残留応力が重要であると考えられる。このことから、発明者らは、水素量、ひずみ及び応力がある条件を満たしたときに遅れ破壊が発生すると考えた。
【0035】
そこで、圧延ひずみ(相当塑性ひずみ)を与えた高張力鋼板を供試材とした単軸引張試験片に単軸引張応力の定荷重を負荷した状態で、単軸引張試験片中に侵入する水素量の水準を変更し、割れ発生の有無を評価する試験(以降、遅れ破壊試験と称す)を実施した。
【0036】
図5に、圧延ひずみを与えた冷延鋼板(引張強度1470MPa級、板厚1.2mm)を供試材とした単軸引張試験片をpH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に所定時間浸漬させる遅れ破壊試験の結果を示す。
図5は、一例として、浸漬時間が30時間と20時間のときの、応力及び相当塑性ひずみと遅れ破壊発生との関係を表示したグラフである。
図5において、〇印は遅れ破壊が発生しなかった単軸引張試験片の相当塑性ひずみと応力をプロットした結果、×印は遅れ破壊が発生した単軸引張試験片の相当塑性ひずみと応力をプロットした結果である。
そして、遅れ破壊試験結果に基づいて、
図5に示す相当塑性ひずみと応力の関係で与えられる遅れ破壊判定条件を導出した。
図5において、遅れ破壊判定条件よりも相当塑性ひずみ及び応力が高い領域(図中グレーの領域)は、単軸引張試験片に遅れ破壊が発生する領域を示している。
図5に示す結果において、浸漬時間20時間と比べると浸漬時間30時間の方がより低い応力、低い相当塑性ひずみで割れが発生していることから、浸漬時間により遅れ破壊判定条件は異なることが分かる。
【0037】
図6に、種々の相当塑性ひずみを付与した単軸引張試験片をpH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に、所定の時間(30時間、20時間、10時間)浸漬し、水素量を測定したときの水素濃度-相当塑性ひずみの関係を示す。
図6に示すように、同じ応力、ひずみ条件下において浸漬時間が長いほど水素濃度が高いことが分かる。そして、
図5に示す結果から、浸漬時間が長いほど、すなわち、水素濃度が高いほど割れ(遅れ破壊)が発生する応力や相当塑性ひずみが低下する要因となっていると推測される。
【0038】
図7に、遅れ破壊試験結果により得られた、一定応力条件下(1100MPa、1000MPa、900MPa)における遅れ破壊判定条件(遅れ破壊が発生する相当塑性ひずみと水素濃度の臨界値)を示す。水素濃度が高いほど、割れが発生する応力、ひずみが低下していることが分かる。
【0039】
以上の結果(
図4~
図7)から、高張力鋼板を用いたプレス成形品においてどの部位に遅れ破壊が発生するかを正確に判定するためには、プレス成形品における応力分布とひずみ分布だけでなく、水素濃度分布を正確に予測することが効果的であることが示された。
【0040】
さらに、発明者らは、プレス成形品における遅れ破壊を予測するにあたり、遅れ破壊によりき裂(クラック)が伝播(進展)する方向の応力勾配と遅れ破壊特性の関係についても検討した。
【0041】
そこで、
図8に示すように平行部23に切り欠き部29を設けた単軸引張試験片27を用いて遅れ破壊試験を実施した。ここで、単軸引張試験片27は高張力鋼板(一例として、1470MPa級冷延鋼板、板厚1.2mm)を供試材とした。そして、遅れ破壊試験においては、切り欠き部29の頂点(切り欠き底)の引張応力が1000MPaとなるように一定の単軸引張荷重を負荷した状態で、pH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に割れ(遅れ破壊)が発生するまで浸漬させた。
【0042】
単軸引張試験片27における切り欠き部29の切り欠きR(切り欠き部29の打ち抜き半径R)と、き裂が伝播する方向の応力勾配の関係の一例を
図9に示す。ここで、き裂が伝播する方向の応力勾配は、最大主応力に垂直な方向とした。また、
図9に切り欠きRと応力勾配の関係を表す式を示す。
図9に示す式(y=1082.5e
-0.293x)において、yは応力勾配(MPa/mm)、xは切り欠きR(mm)である。
【0043】
図9に示すように、切り欠き部29の切り欠きRが小さいほど応力勾配が大きくなる。なお、切り欠きR=0は、
図2(a)に示す切り欠き部が形成されていない単軸引張試験片21に相当し、単軸引張試験片21の平行部23における応力勾配は0である。そして、切り欠きRが0に漸近した単軸引張試験片21は、理論上、切り欠きR→∞の切り欠き部29が形成された単軸引張試験片27に相当すると考えられる。よって、切り欠き部29の切り欠きR→∞において、応力勾配は0に漸近すると考えられる。このことから、単軸引張試験片27における切り欠き部29の切り欠きRと、き裂が伝播する方向の応力勾配の関係は、例えば
図9に示すように、指数関数の式を用いて表される。
【0044】
図10に、切り欠き部29を設けた単軸引張試験片27を用いた遅れ破壊試験により得られた、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配と遅れ破壊時間の関係を示す。
図10に示すように、き裂が伝播する方向の応力勾配が大きいほど、遅れ破壊時間が増加していることから、遅れ破壊の発生が長時間化していることが分かる。これは、き裂が発生する応力が高い部位の変形を周りの応力が低い部位が抑制することにより、き裂の発生が長時間化したことが原因であると考えられる。
【0045】
以上、
図8~
図10に示した結果から、発明者らは、プレス成形品の遅れ破壊を正確に予測するには、応力、ひずみ及び水素濃度だけでなく、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配を考慮する必要があるとの結論に達した。
【0046】
さらに、発明者らは、プレス成形品における応力、ひずみ及び水素濃度と応力勾配に基づいて遅れ破壊が発生する部位が予測された場合、当該部位を遅れ破壊が発生しないと予測される応力やひずみとなるようにプレス成形品を製造すればよいのではと考えた。そのためには、プレス成形条件の変更と、変更したプレス成形条件でのプレス成形品における遅れ破壊発生の予測と、を繰り返し実行することにより、遅れ破壊が発生しないと予測される応力とひずみになるプレス成形条件を決定できるという結論に至った。そして、このように決定したプレス成形条件でプレス成形することで、遅れ破壊の発生を抑制するための対策を施したプレス成形品を製造することが可能となるということを見い出した。
【0047】
本発明は係る検討結果に基づいてなされたものであり、以下、本発明の実施の形態1及び実施の形態2について説明する。
【0048】
[実施の形態1]
<プレス成形品の遅れ破壊予測方法>
本発明の実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものである。そして、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、
図1に例示するように、応力分布及びひずみ分布算出工程S1と、応力勾配算出工程S3と、水素濃度分布設定工程S5と、水素拡散解析工程S7と、遅れ破壊発生予測工程S9と、を含む。以下、上記の各工程について説明する。
【0049】
≪応力分布及びひずみ分布算出工程≫
応力分布及びひずみ分布算出工程S1は、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する工程である。
【0050】
本実施の形態1において、応力分布及びひずみ分布算出工程S1は、プレス成形品の各CAE解析要素について応力とひずみを算出することにより、プレス成形品の応力分布とひずみ分布を算出する。
【0051】
プレス成形品の応力分布及びひずみ分布の算出には、自動車の設計等において一般的に用いられているCAE解析手法を適用することができる。CAE解析手法としては、例えば、プレス成形CAE解析、プレス成形前の板材の切り出しやトリム、ピアスなどのせん断CAE解析、プレス成形品のスプリングバックCAE解析、プレス成形品組付けのCAE解析等が挙げられる。そして、有限要素法を用いたCAE解析によりプレス成形品におけるCAE要素ごとに応力とひずみを求めることで、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出することができる。
【0052】
≪応力勾配算出工程≫
応力勾配算出工程S3は、応力分布及びひずみ分布算出工程S1において算出したプレス成形品の応力分布より、プレス成形品において最大主応力が高く遅れ破壊が懸念される部位を遅れ破壊懸念部位として特定する工程である。さらに、応力勾配算出工程S3は、特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する工程である。
【0053】
応力勾配算出工程S3は、例えば、応力分布及びひずみ分布算出工程S1においてプレス成形品の各CAE解析要素について算出した応力を用いて、各CAE解析要素の最大主応力を算出する。そして、算出した最大主応力の高いCAE解析要素を、プレス成形品における遅れ破壊懸念部位として特定することができる。
【0054】
また、遅れ破壊が発生してき裂(クラック)が伝播する方向は最大主応力に垂直な方向であることから、遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出する。
【0055】
≪水素濃度分布設定工程≫
水素濃度分布設定工程S5は、高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、応力分布及びひずみ分布算出工程S1において算出したプレス成形品のひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定する工程である。
【0056】
本実施の形態1では、
図1に示すように、水素濃度分布設定工程S5に先立ってひずみと水素濃度の関係式導出工程S11を実施することにより、プレス成形品のプレス成形に用いる高張力鋼板におけるひずみと水素濃度の関係式(前述した式(1))を導出する。そして、導出した式(1)に基づいて、応力分布及びひずみ分布算出工程S1においてプレス成形品の各CAE要素について算出したひずみ(相当塑性ひずみ)に対応した水素濃度を各CAE要素について求めることにより、プレス成形品の水素濃度分布を設定する。
【0057】
また、水素濃度分布設定工程S5においては、プレス成形品の水素濃度分布を以下の手順により設定してもよい。
まず、プレス成形品のプレス成形に用いる高張力鋼板における静水圧応力と水素濃度の関係式(前述した式(3))を予め取得する。
続いて、応力分布及びひずみ分布算出工程S1において算出したプレス成形品の応力分布より静水圧応力分布を算出し、予め取得した静水圧応力と水素濃度の関係式(前述した式(3))に基づいて、静水圧応力分布に対応した水素濃度分布を算出する。
そして、静水圧応力分布に対応した水素濃度分布を応力分布及びひずみ分布算出工程S1において前述した式(1)に基づいて算出したひずみ(相当塑性ひずみ)分布に対応した水素濃度分布に加算することにより、プレス成形品の水素濃度分布を設定する。
【0058】
(ひずみと水素濃度の関係式導出工程)
ひずみと水素濃度の関係式導出工程S11は、プレス成形に用いる高張力鋼板におけるひずみと水素濃度の関係式を、水素チャージ試験により実験的に求める工程である。
【0059】
高張力鋼板における水素濃度とひずみの関係については、前述した
図3に示すように、水素濃度は変形モードによらず相当塑性ひずみにのみ依存する。そのため、水素濃度分布設定工程S5においては、ひずみと水素濃度の関係式におけるひずみは相当塑性ひずみとすることが好ましく、例えば前述した式(1)で表される相当塑性ひずみと水素濃度の関係式を導出するとよい。
【0060】
そして、式(1)中の定数a及びbは、一般的な水素チャージ試験を実施することにより求めることができる。
図3(a)に、水素チャージ試験により求めた相当塑性ひずみと水度濃度の測定結果と、測定結果より導出した相当塑性ひずみと水素濃度の関係式(a=0.52、b=3.9)の結果の一例を示す。
【0061】
≪水素拡散解析工程≫
水素拡散解析工程S7は、応力分布及びひずみ分布算出工程S1において算出した応力分布と、水素濃度分布設定工程S5において設定した水素濃度分布と、に基づいて、プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出する工程である。
【0062】
プレス成形品中の水素は、水素濃度勾配と静水圧応力勾配に応じて拡散する。そのため、プレス成形品における水素濃度分布を正確に予測するためには、以下の式(4)に示す拡散方程式を解いて、プレス成形品の各CAE要素の水素を再分配させる必要がある。
【0063】
【数3】
ここで、x
iはプレス成形品の面内方向、Jは濃度流束、Dは拡散係数、sは溶解度、κ
pは応力依存性を表す係数、cは水素濃度、pは静水圧応力であり、右辺第1項は水素濃度勾配、第2項は静水圧応力勾配の水素拡散への依存性を表している。
【0064】
プレス成形品に応力集中が存在する場合には、水素拡散解析工程S7において式(2)を解くことにより、水素が応力集中部位に集積したときの水素濃度を正確に予測することができる。
【0065】
≪遅れ破壊発生予測工程≫
遅れ破壊発生予測工程S9は、応力勾配算出工程S3において特定した遅れ破壊懸念部位に遅れ破壊が発生するか否かを予測する工程である。
【0066】
遅れ破壊発生予測工程S9において遅れ破壊を予測するためには、まず、遅れ破壊懸念部位について算出したき裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得する。
そして、取得した遅れ破壊判定条件と、応力分布及びひずみ分布と水素拡散後の水素濃度分布から求められる遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する。
【0067】
遅れ破壊懸念部位における応力及びひずみは、応力及びひずみ分布算出工程S1において算出したプレス成形品の応力分布及びひずみ分布から求める。また、遅れ破壊懸念部位における水素拡散後の水素濃度は、水素拡散解析工程S7において算出したプレス成形品における水素拡散後の水素濃度分布から求める。
さらに、遅れ破壊懸念部位における応力勾配は、応力勾配算出工程S3において遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出した最大主応力に垂直な方向の応力勾配とする。
【0068】
また、遅れ破壊発生予測工程S9において取得する遅れ破壊判定条件は、
図1に示すように、遅れ破壊発生予測工程S9に先立って、遅れ破壊判定条件導出工程S13を実施することにより取得する。
【0069】
(遅れ破壊判定条件導出工程)
遅れ破壊判定条件導出工程S13は、プレス成形に用いる高張力鋼板の遅れ破壊試験を行い、遅れ破壊が発生する部位における応力、ひずみ、水度濃度及び遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配の関係を遅れ破壊判定条件として導出する工程である。
【0070】
遅れ破壊判定条件導出工程S13においては、高張力鋼板に圧延等により種々の相当塑性ひずみを付与した材料により遅れ破壊試験片を作成し、遅れ破壊試験片について単軸引張応力及び水素量(酸性溶液への浸漬時間を変更)の水準を変更した遅れ破壊試験を行う。そして、遅れ破壊試験片における割れ(遅れ破壊)発生の有無と、応力、相当塑性ひずみ、単軸引張試験片中の水素濃度(鋼中に侵入する水素量)及び遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配と、の関係を求め、遅れ破壊判定条件を導出する。
【0071】
遅れ破壊判定条件を導出するための遅れ破壊試験において、単軸引張試験片27に負荷する引張荷重により切り欠き部29の引張応力を種々の水準に変更することができる。
また、遅れ破壊判定条件導出工程S13で使用する遅れ破壊試験片は、応力勾配算出工程S3において求めた遅れ破壊懸念部位におけるき裂が伝播する方向の応力勾配と、遅れ破壊試験片においてき裂が伝播する方向の応力勾配と、が一致するような形状とする。
【0072】
例えば、遅れ破壊試験片として平行部23に切り欠き部29を形成した単軸引張試験片27(
図8)を使用する場合、き裂が伝播する方向の応力勾配と切り欠きRの関係は
図9に示すような式で表される。したがって、
図9に示す式に従って、所定の応力勾配となるように切り欠き部29の切り欠きRを決定すればよい。
【0073】
なお、上記の説明は、遅れ破壊判定条件導出工程S13において、き裂が伝播する方向の応力勾配を付与するために平行部23に切り欠き部29を付与した単軸引張試験片27に一定の単軸引張荷重を負荷するものであった。
【0074】
もっとも、遅れ破壊判定条件導出工程S13においては、
図11に示すように、圧延等により種々の相当塑性ひずみを付与した高張力鋼板を供試材とした4点曲げ試験片31の4点曲げ試験による遅れ破壊試験を行うものであってもよい。
【0075】
4点曲げ試験は、4点曲げ試験片31の上方に支点33a、33b、下方に支点33c、33dを配置し、支点33a、3bを下降又は支点33c、33dを上昇させ、4点曲げ試験片31の曲げ外側に曲げ頂点部35を形成する曲げ加工を行うものである。そして、当該4点曲げ試験においては、所定の押し込み量(支点の昇降量)に達した時点で支点の昇降を停止する。その際、4点曲げ試験片31の曲げ外側における曲げ頂点部35は引張応力が最大の部位となり、押し込み量により曲げ頂点部35の引張応力を種々の水準に変更することができる。
【0076】
また、4点曲げ試験においては、4点曲げ試験片31の曲げ外側における曲げ頂点部35から曲げ内側に向けた板厚方向に応力勾配を生じさせることができる。そして、4点曲げした4点曲げ試験片31においては、曲げ外側の曲げ頂点部から板厚方向にき裂が伝播し、き裂の伝播方向の応力勾配と4点曲げ試験片31の板厚tの関係は、
図12に示すような式で表される。なお、
図12に示す式において、xは板厚、yは応力勾配である。
そのため、4点曲げ試験による遅れ破壊においては、4点曲げ試験片31に対する支点33a~33dの押し込み量を固定し、4点曲げ試験片31の板厚を変更することで、
図12に示すように、曲げ頂点部35に所望の応力勾配を付与することができる。
【0077】
このような4点曲げ試験による遅れ破壊試験は、例えば、
図11(c)に示す4点曲げ試験ジグ41を用いるとよい(特開2017-179589参照)。
【0078】
4点曲げ試験ジグ41は、試料台43に設けられて4点曲げ試験片31の上方に配置される絶縁ガラス製の支点45a、45bと、4点曲げ試験片31の下方に配置される絶縁ガラス製の支点45c、45dと、を有するものである。さらに、4点曲げ試験ジグ41は、支点45c、45dを上方に押し込み可能に設けられたネジ47と、を有する。
【0079】
4点曲げ試験ジグ41を用いた4点曲げにおいては、まず、ネジ47により支点45c、45dを4点曲げ試験片31に押し込み、曲げ外側が所望の引張応力となる押し込み量でネジ47を固定する。これにより、4点曲げ試験片31に引張応力と板厚方向の応力勾配を付与する。
続いて、所定の押し込み量でネジ47を固定した4点曲げ試験ジグ41とともに4点曲げ試験片31を水素侵入環境下(例えばpH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液)に所定時間浸漬する。さらに、水素侵入環境下に浸漬する時間を変更することで4点曲げ試験片31中に侵入する水素量を種々の水準に変更し、4点曲げ試験片31における割れ発生の有無を評価する。
【0080】
このような4点曲げ試験ジグを用いた遅れ破壊試験においても、応力、ひずみ、水素濃度及びき裂が伝播する方向の応力勾配と、遅れ破壊発生の有無と、の関係を表す遅れ破壊判定条件を導出することができる。
【0081】
以上、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法によれば、プレス成形品の応力分布より、プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、特定した遅れ破壊懸念部位における遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配を考慮して、高張力鋼板のプレス成形品の使用中に遅れ破壊が発生するかどうかを精度良く予測することができる。
さらに、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法によれば、プレス成形品に遅れ破壊が起きるかどうかだけでなく、プレス成形品において遅れ破壊が発生する部位を予測することができる。これにより、プレス成形品の設計段階で遅れ破壊を起こさないようにプレス成形品の形状やプレス成形工程を変更するといった遅れ破壊対策を施すことが可能となる。
【0082】
<プレス成形品の遅れ破壊発生予測装置>
本発明の実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測装置1(以下、「遅れ破壊予測装置1」という)は、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものである。そして、遅れ破壊予測装置1は、一例として
図13に示すように、応力分布及びひずみ分布算出部3と、応力勾配算出部5と、水素濃度分布設定部7と、水素拡散解析部9と、遅れ破壊発生予測部11と、を備えたものである。
遅れ破壊予測装置1は、コンピュータ(PC等)のCPU(中央演算処理装置)によって構成されたものであってもよい。この場合、上記の各部は、コンピュータのCPUが所定のプログラムを実行することによって機能する。
【0083】
≪応力分布及びひずみ分布算出部≫
応力分布及びひずみ分布算出部3は、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出するものである。
【0084】
本実施の形態1に係る遅れ破壊予測装置1において、応力分布及びひずみ分布算出部3は、プレス成形品の各CAE解析要素について応力とひずみを算出することにより、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する。
【0085】
応力分布及びひずみ分布算出部3によるプレス成形品の応力分布及びひずみ分布の算出には、自動車の設計等において一般的に用いられているCAE解析手法を適用することができる。CAE解析手法としては、例えば、プレス成形CAE解析、プレス成形前の板材の切り出しやトリム、ピアスなどのせん断CAE解析、プレス成形品のスプリングバックCAE解析、プレス成形品組付けのCAE解析等が挙げられる。そして、有限要素法を用いたCAE解析によりプレス成形品におけるCAE要素ごとに応力とひずみを求めることで、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出することができる。
【0086】
≪応力勾配算出部≫
応力勾配算出部5は、応力分布及びひずみ分布算出部3により算出したプレス成形品の応力分布より、プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定するものである。さらに、応力勾配算出部5は、特定した遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配を、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出するものである。
【0087】
応力勾配算出部5は、例えば、応力分布及びひずみ分布算出部3によりプレス成形品の各CAE解析要素について算出した応力を用いて、各CAE解析要素の最大主応力を算出する。そして、算出した最大主応力の高いCAE解析要素を、プレス成形品における遅れ破壊懸念部位として特定することができる。
【0088】
≪水素濃度分布設定部≫
水素濃度分布設定部7は、高張力鋼板について予め取得したひずみと水素濃度の関係式に基づいて、応力分布及びひずみ分布算出部3により算出したプレス成形品のひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定するものである。
【0089】
本実施の形態1において水素濃度分布設定部7は、高張力鋼板について予め取得した相当塑性ひずみと水素濃度の関係式(前述した式(1))に基づいて、プレス成形品の各CAE解析要素についてひずみ(相当塑性ひずみ)に対応した水素濃度を求める。これにより、プレス成形品のひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定することができる。
【0090】
また、水素濃度分布設定部7は、以下の手順により、プレス成形品の水素濃度分布を設定するものであってもよい。
まず、プレス成形品のプレス成形に用いる高張力鋼板における静水圧応力と水素濃度の関係式(前述した式(3))を予め取得する。
次に、応力分布及びひずみ分布算出部3により算出したプレス成形品の応力分布より静水圧応力分布を算出し、静水圧応力と水素濃度の関係式(前述した式(3))に基づいて静水圧応力分布に対応した水素濃度分布を算出する。
そして、静水圧応力分布に対応した水素濃度分布を応力分布及びひずみ分布算出部3により算出したひずみ分布に対応した水素濃度分布に加算し、プレス成形品の水素濃度分布を設定する。
【0091】
≪水素拡散解析部≫
水素拡散解析部9は、応力分布及びひずみ分布算出部3により算出した応力分布と、水素濃度分布設定部7により設定した水素濃度分布と、に基づいて、プレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出するものである。
【0092】
前述したように、プレス成形品中の水素は、水素濃度勾配と静水圧応力勾配に応じて拡散する。そこで、水素拡散解析部9は、応力分布及びひずみ分布算出部3により算出した応力分布と水素濃度分布設定部7により設定した水素濃度分布とに基づいて、前述した式(4)に示す拡散方程式を解いて、プレス成形品の各CAE要素について水素濃度を算出する。これにより、水素拡散解析部9は、水素濃度勾配と静水圧応力勾配を考慮した水素拡散後の水素濃度分布を算出することができる。
【0093】
≪遅れ破壊発生予測部≫
遅れ破壊発生予測部11は、応力勾配算出部5により特定した遅れ破壊懸念部位に遅れ破壊が発生するか否かを予測するものである。
【0094】
遅れ破壊発生予測部11により遅れ破壊を予測するためには、まず、遅れ破壊懸念部位について算出したき裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配での応力、ひずみ及び水度濃度と遅れ破壊発生との関係を表す遅れ破壊判定条件を取得する。遅れ破壊判定条件として、例えば、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊判定方法の遅れ破壊判定条件導出工程S13を実施して導出された、応力、ひずみ、水素濃度及びき裂が伝播する方向の応力勾配と遅れ破壊発生の有無との関係を取得するとよい。
【0095】
そして、取得した遅れ破壊判定条件と、応力分布及びひずみ分布と水素拡散後の水素濃度分布から求められる遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度と、に基づいて、遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する。
【0096】
遅れ破壊懸念部位における応力及びひずみは、応力及びひずみ分布算出部3により算出したプレス成形品の応力分布及びひずみ分布から求める。また、遅れ破壊懸念部位における水素拡散後の水素濃度は、水素拡散解析部9により算出したプレス成形品における水素拡散後の水素濃度分布から求める。
さらに、遅れ破壊懸念部位における応力勾配は、応力勾配算出部5により、遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出した最大主応力に垂直な方向の応力勾配とする。
【0097】
なお、遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度は、応力勾配算出部5により遅れ破壊懸念部位として特定された最大主応力の高いCAE解析要素について算出された応力、ひずみ及び水素拡散後の水素濃度とすればよい。
【0098】
<高張力鋼板の遅れ破壊発生予測プログラム>
本発明の実施の形態1は、プレス成形品の遅れ破壊予測プログラムとして構成することができる。
すなわち、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測プログラム(以下、「遅れ破壊予測プログラム」という)は、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を予測するものである。そして、遅れ破壊予測プログラムは、コンピュータを、一例として
図13に示す、応力分布及びひずみ分布算出部3と、応力勾配算出部5と、水素濃度分布設定部7と、水素拡散解析部9と、遅れ破壊発生予測部11と、して実行させる機能を有するものである。
【0099】
以上、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測装置及びプログラムにおいても、前述した本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法と同様に、プレス成形品の応力分布より、プレス成形品において最大主応力の高い部位を遅れ破壊が懸念される遅れ破壊懸念部位として特定し、特定した遅れ破壊懸念部位における遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配を考慮して、高張力鋼板のプレス成形品の使用中に遅れ破壊が発生するかどうかを予測することができる。その結果、プレス成形した部品に遅れ破壊が起きるかどうかだけでなく遅れ破壊が発生する部位を部品の設計段階で予測することができ、遅れ破壊を起こさないように部品形状やプレス成形工程を変更するといった遅れ破壊対策を施すことが可能となる。
【0100】
なお、上記の本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、ひずみと水素濃度の関係式導出工程S11を実施することにより、プレス成形に用いる高張力鋼板におけるひずみと水素濃度の関係式を水素チャージ試験により実験的に求めるものであった。
もっとも、本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、ひずみと水素濃度の関係式導出工程S11を行うものに限定されるものではなく、同じ材料(鋼種、引張強度)の高張力鋼板について既知のひずみと水素濃度の関係式を取得するものであってもよい。
【0101】
また、本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、遅れ破壊判定条件導出工程S13を実施することにより、遅れ破壊判定条件を実験的に導出するものであった。
もっとも、本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、遅れ破壊判定条件導出工程S13を行うものに限定されるものではなく、同じ材料(鋼種、引張強度)の高張力鋼板について既に導出された遅れ破壊判定条件を取得するものであってもよい。
【0102】
[実施の形態2]
<プレス成形品の製造方法>
本発明の実施の形態2に係るプレス成形品の製造方法は、高張力鋼板を用いたプレス成形品における遅れ破壊の発生を抑制してプレス成形品を製造するものである。そして、本実施の形態2に係るプレス成形品の製造方法は、一例として
図14に示すように、仮プレス成形条件設定工程S21と、遅れ破壊発生有無判定工程S23と、仮プレス成形条件変更工程S25と、繰り返し工程S27と、を含む。さらに、本実施の形態2に係るプレス成形品の製造方法は、
図14に示すように、プレス成形条件決定工程S29と、プレス成形工程S31と、を含む。以下、上記の各工程について説明する。
【0103】
≪仮プレス成形条件設定工程≫
仮プレス成形条件設定工程S21は、プレス成形品の仮のプレス成形条件を設定する工程である。
【0104】
仮プレス成形条件設定工程S21において設定される仮のプレス成形条件として、例えば、鋼板を曲げ加工した曲げ部を有するプレス成形品を対象とする場合、曲げ部の曲げR(パンチ肩半径)が挙げられる。この他に、パンチとダイとのクリアランス、鋼板の板厚などが挙げられる。また、ドローベンド方式(引張曲げ・曲げ伸ばし)の場合、さらに、ダイ肩半径、側壁部のクリアランス及びしわ押さえ力等が挙げられる。
【0105】
≪遅れ破壊発生有無判定工程≫
遅れ破壊発生有無判定工程S23は、仮プレス成形条件設定工程S21において設定した仮のプレス成形条件に基づいて、プレス成形品について特定された遅れ破壊発生懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する。プレス成形品における遅れ破壊発生懸念部位の特定と、遅れ破壊の予測は、前述した本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法により行う。そして、遅れ破壊発生有無判定工程S23は、遅れ破壊発生懸念部位における遅れ破壊の発生について予測した結果に基づいて、プレス成形品における遅れ破壊発生の有無を判定する工程である。
【0106】
本実施の形態2において、遅れ破壊発生有無判定工程S23は、
図14に示すように、応力分布及びひずみ分布算出工程S1と、応力勾配算出工程S3と、水素濃度分布設定工程S5と、水素拡散解析工程S7と、遅れ破壊発生予測工程S9と、を順に実施する。
【0107】
応力分布及びひずみ分布算出工程S1と、応力勾配算出工程S3と、水素濃度分布設定工程S5と、水素拡散解析工程S7と、遅れ破壊発生予測工程S9と、は、前述した本実施の形態1と同様である。ただし、応力分布及びひずみ分布算出工程S1においては、仮プレス成形条件設定工程S21において設定した仮のプレス成形条件を用いてプレス成形CAE解析を行い、仮のプレス成形条件でプレス成形したプレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出する。そして、せん断CAE解析、スプリングバックCAE解析、プレス成形品組付けのCAE解析等は、必要に応じて行えばよい。
【0108】
さらに、遅れ破壊発生有無判定工程S23においては、遅れ破壊発生予測工程S9において遅れ破壊懸念部位に遅れ破壊が発生すると予測された場合、プレス成形品において遅れ破壊の発生有りと判定する(S23a)。これに対し、遅れ破壊発生予測工程S9において遅れ破壊懸念部位に遅れ破壊が発生しないと予測された場合、プレス成形品において遅れ破壊の発生無しと判定する(S23a)。
【0109】
≪仮プレス成形条件変更工程≫
仮プレス成形条件変更工程S25は、遅れ破壊発生有無判定工程S23においてプレス成形品に遅れ破壊の発生有りと判定された場合、仮のプレス成形条件を変更する工程である。
【0110】
仮のプレス成形条件の変更は、遅れ破壊発生予測工程S9においてプレス成形品に遅れ破壊が発生すると予測された遅れ破壊懸念部位の応力とひずみが緩和されるようにすればよく、例えば、曲げ加工した曲げ部の曲げRを大きくするとよい。
【0111】
≪繰り返し工程≫
繰り返し工程S27は、仮プレス成形条件変更工程S25において変更した仮のプレス成形条件の下で、遅れ破壊発生有無判定工程S23と、仮プレス成形条件変更工程S25と、を繰り返し実行する。この繰り返しは、遅れ破壊発生有無判定工程S23において遅れ破壊の発生無しと判定されるまで実行する。そのため、仮のプレス成形条件を一回変更したのみでは遅れ破壊の発生無しと判定されない場合には、仮プレス成形条件変更工程S25についても繰り返すことになる。
【0112】
≪プレス成形条件決定工程≫
プレス成形条件決定工程S29は、遅れ破壊発生有無判定工程S23においてプレス成形品に遅れ破壊の発生無しと判定された場合、その場合の仮のプレス成形条件をプレス成形条件として決定する工程である。
【0113】
≪プレス成形工程≫
プレス成形工程S31は、プレス成形条件決定工程S29において決定したプレス成形条件で高張力鋼板をプレス成形品にプレス成形する工程である。
【0114】
以上、本実施の形態2に係るプレス成形品の製造方法においては、本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊発生予測方法に基づいてプレス成形品における遅れ破壊発生の有無を判定し、当該判定結果に基づいて遅れ破壊の発生を抑制するプレス成形条件を決定する。これにより、高張力鋼板を用いたプレス成形品において遅れ破壊の発生を抑制することができるプレス成形条件を決定するための期間を短縮することができる。さらに、このように決定したプレス成形条件でプレス成形品をプレス成形することにより、遅れ破壊の発生を抑制するための対策を施したプレス成形品を製造することができる。
【0115】
なお、本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊発生予測方法及びプレス成形品の製造方法は、高張力鋼板を対象とするものであり、特に、遅れ破壊の発生が懸念される引張強度が1GPa級以上の高張力鋼板について好ましく適用することができる。
【0116】
さらに、本発明で対象とするプレス成形品は特定の部品に限定されないが、高張力鋼板をプレス成形したセンターピラーやAピラーロア等の自動車の車体骨格部品に好ましく適用できる。
【実施例1】
【0117】
本発明の作用効果について確認するための実験及び解析を行ったので、これについて以下に説明する。
【0118】
本実施例1では、
図15に示すプレス成形品51を対象とし、遅れ破壊の発生する部位を予測した。
プレス成形品51は、高張力鋼板である1470MPa級冷延鋼板(板厚1.2mm)をプレス成形したものであり、
図15に示すように、曲げ部53と、曲げ部53の両端から延在する片部55と、を有する。プレス成形品51において、曲げ部53の曲率半径は5mmとした。
【0119】
まず、プレス成形品51の遅れ破壊試験を実施したところ、曲げ部53における曲げ頂点付近の板厚中央部から割れ(遅れ破壊)が発生した。
【0120】
続いて、前述した本実施の形態1に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法により、プレス成形品51において遅れ破壊が発生する部位を予測した。
【0121】
まず、板厚1.2mmの1470MPa級冷延鋼板をプレス成形品51に曲げ加工する過程のプレス成形CAE解析を行い、
図16に示すように、プレス成形品51の応力分布及びひずみ分布として、各CAE解析要素について応力と相当塑性ひずみを算出した。
【0122】
曲げ部53における最大主応力は、プレス成形品51の長手方向の応力であり、
図16(a)に示す応力分布より、曲げ部53の曲げ頂点付近の曲げ外側から板厚中心部に掛けて最大主応力が高いことが分かる。特に、曲げ部53の曲げ頂点における板厚中央部(A部)及び表面(B部)における最大主応力は、それぞれ、1120MPa及び980MPaであり、他の部位に比べて高い値であった。そこで、曲げ部53におけるA部及びB部を遅れ破壊懸念部位として特定した。
【0123】
次に、遅れ破壊懸念部位における最大主応力に垂直な方向の応力勾配、すなわち曲げ部53の曲げ頂点における板厚方向の応力勾配、を遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配として算出した。
図16(a)に示すプレス成形品51の応力分布において、A部及びB部における曲げ最大主応力に垂直な方向の応力勾配はいずれも466MPa/mmであった。
【0124】
次に、プレス成形品51に水素濃度分布を設定した。実施例1では、以下のケース1とケース2の双方について、プレス成形品51に水素濃度分布を設定した。
【0125】
ケース1では、まず、前述した式(1)に示す相当塑性ひずみと水素濃度の関係式に基づいて、プレス成形品51の各CAE解析要素についてひずみ(相当塑性ひずみ)に対応したプレス成形品51の水素濃度を算出し、プレス成形品51の水素濃度分布を設定した。
図17(a)に、プレス成形品51の相当塑性ひずみに対応するように設定した水素濃度分布を示す。
【0126】
一方、ケース2では、まず、プレス成形品51の応力分布より静水圧応力分布を算出し、前述した式(3)に示す静水圧応力と水素濃度の関係式に基づいて、プレス成形品51の各CAE解析要素について静水圧応力に対応した水素濃度を算出した。
続いて、各CAE解析要素について、静水圧応力に対応した水素濃度をひずみ(相当塑性ひずみ)に対応した水素濃度に加算した。そして、このようにプレス成形品51の各CAE解析要素について算出した水素濃度をプレス成形品51の静水圧応力分布とひずみ(相当塑性ひずみ)分布に対応した水素濃度分布として設定した。
図17(b)に、各CAE解析要素について静水圧応力に対応した水素濃度を算出して求めた水素濃度分布を示す。さらに、
図17(c)に、各CAE解析要素について静水圧応力に対応する水素濃度をひずみ(相当塑性ひずみ)に対応する水素濃度に加算して求めた水素濃度分布を示す。
【0127】
次に、プレス成形品51の各CAE解析要素について算出した応力と水素濃度とに基づいて水素拡散解析を行い、各CAE解析要素について水素拡散後の水素濃度を算出することにより、水素拡散後の水素濃度分布を求めた。
図18(a)及び(b)に、(ケース1)及び(ケース2)のそれぞれについて求めたプレス成形品51における水素拡散後の水度濃度分布を示す。
【0128】
次に、遅れ破壊懸念部位(A部、B部)における遅れ破壊判定条件を導出するために、前述した
図8に示す、平行部23に切り欠き部29が形成された単軸引張試験片27を用いて遅れ破壊試験を行った。
【0129】
単軸引張試験片27の形状については、前述した
図9に基づいて、遅れ破壊懸念部位であるA部及びB部においてき裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配を切り欠き部29に付与することができる切り欠きRを決定した。
前述したように、A部及びB部においてき裂が伝播する方向の応力勾配は466MPa/mmであった。そこで、この応力勾配を切り欠き部29に付与するための切り欠きRは、
図9より、切り欠きRを2.9mmとすればよいことが分かる。
【0130】
続いて、切り欠き部29に上記の応力勾配を付与した状態で、単軸引張試験片27を水素侵入環境下(pH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液)に所定時間浸漬させて保持した。そして、切り欠き部29における応力、ひずみ及び水素濃度を種々の水準に変更し、切り欠き部29における応力、ひずみ及び水素濃度と、切り欠き部29における遅れ破壊発生と、の関係を遅れ破壊判定条件として導出した。
【0131】
さらに、単軸引張試験片27を用いた遅れ破壊試験により導出した遅れ破壊判定条件と、プレス成形品51の遅れ破壊懸念部位(A部、B部)における応力、相当塑性ひずみ及び水素濃度と、に基づいて、遅れ破壊懸念部位に遅れ破壊が発生するか否かを予測した。
【0132】
曲げ部53のA部においては、応力が1120MPaであったので、A部における遅れ破壊判定条件としては、
図19(b)に示す応力1120MPaのときの相当塑性ひずみと水素濃度の関係を用いた。
一方、曲げ部53のB部においては、応力が980MPaであったので、B部における遅れ破壊判定条件としては、
図19(b)に示す応力980MPaのときの相当塑性ひずみと水素濃度の関係を用いた。
なお、
図19(b)に示すσ=1120MPa及びσ=980MPaのときの相当塑性ひずみと水素濃度の関係は、いずれも、遅れ破壊懸念部位(A部、B部)の応力勾配(=466MPa/mm)を切り欠き部29に付与した単軸引張試験片27を用いた遅れ破壊試験により導出したものである。
【0133】
表1に(ケース1)及び(ケース2)のA部、B部における水素濃度を示す。(ケース2)において静水圧応力分布とひずみ(相当塑性ひずみ)分布に対応した水素濃度分布を考慮することにより、水素濃度は(ケース1)よりも最大で+13.6%(B部の水素拡散後)、平均+7.7%増加した。
【0134】
【0135】
まず、(ケース1)のA部における遅れ破壊の判定において、水素拡散解析前の水素濃度を用いた場合、
図19(b-1)に示すように、水素拡散解析前の水素濃度(図中の☆A)はσ=1120MPaの割れ判定条件において相当塑性ひずみが等しいときの水素濃度よりも低いため、遅れ破壊(割れ)は発生しないと判定された。しかしながら、水素拡散解析後の水素濃度(図中の★A)は、割れ判定条件の水素濃度よりも高いため、遅れ破壊は発生すると判定された。
【0136】
次に、(ケース1)のB部における遅れ破壊の判定において、水素拡散解析前の水素濃度を用いた場合、
図19(b-1)に示すように、水素拡散解析前の水素濃度(図中の★B)はσ=980MPaの割れ判定条件において相当塑性ひずみが等しいときの水素濃度よりも高いため、遅れ破壊は発生すると判定された。しかしながら、水素拡散解析後の水素濃度(図中の☆B)は、割れ判定条件の水素濃度よりも低いため、遅れ破壊は発生しないと判定された。
【0137】
(ケース2)のA部における遅れ破壊の判定において、水素拡散解析前の水素濃度を用いた場合、
図19(b-2)に示すように、水素拡散解析前の水素濃度(図中の☆A)はσ=1120MPaの割れ判定条件において相当塑性ひずみが等しいときの水素濃度よりも低いため、遅れ破壊は発生しないと判定された。しかしながら、水素拡散解析後の水素濃度(図中の★A)は、割れ判定条件の水素濃度よりも高いため、遅れ破壊は発生すると判定された。
【0138】
(ケース2)のB部における遅れ破壊の判定において、水素拡散解析前の水素濃度を用いた場合、
図19(b-2)に示すように、水素拡散解析前の水素濃度(図中の★B)はσ=980MPaの割れ判定条件において相当塑性ひずみが等しいときの水素濃度よりも高いため、遅れ破壊は発生すると判定された。しかしながら、水素拡散解析後の水素濃度(図中の☆B)は、割れ判定条件の水素濃度よりも低いため、遅れ破壊は発生しないと判定された。
【0139】
これらの判定結果から、プレス成形品51においては、(ケース1)及び(ケース2)のいずれにおいても、曲げ部53の表面(B部)では遅れ破壊が発生せず、曲げ部53の板厚中央部(A部)で遅れ破壊が発生すると予測された。そして、この予測結果は、遅れ破壊試験において遅れ破壊が発生する位置と良好に一致した。
【0140】
以上、本発明によれば、高張力鋼板のプレス成形品における遅れ破壊の発生する部位を精度良く予測できることが実証された。
【実施例2】
【0141】
実施例2では、
図15に示すプレス成形品51について、遅れ破壊が発生しないように仮のプレス成形条件を変更して遅れ破壊発生の有無を判定し、遅れ破壊が発生しないと判定されたプレス成形条件でプレス成形品51をプレス成形した。
【0142】
プレス成形品51は、実施例1と同様に高張力鋼板である1470MPa級冷延鋼板(板厚1.2mm)をプレス成形したものである。そして、実施例1において遅れ破壊が発生すると懸念された曲げ部53の曲げRを5mmから7mmに変更した仮のプレス成形条件を設定した。
設定した仮のプレス成形条件でプレス成形したプレス成形品51の曲げ部53のA部(
図20(a)参照)における応力は1120MPa(曲げR=5mm)から1020MPa(曲げR=7mm)に低下した。また、曲げ部53のA部における相当塑性ひずみは0.023(曲げR=5mm)から0.010(曲げR=7mm)に低下した。
【0143】
また、曲げR=5mmの曲げ部53において、A部及びB部における最大主応力に垂直な方向の応力勾配は、いずれも、466MPa/mmであった。
さらに、曲げR=7mmの曲げ部53において、A部及びB部における最大主応力に垂直な方向の応力勾配は、いずれも、424MPa/mmであった。
【0144】
さらに、プレス成形品51における水素濃度分布については、前述した実施例1の(ケース1)と(ケース2)と同様に設定した。ここで、(ケース1)は、各CAE解析要素の相当塑性ひずみに対応した水素濃度を各CAE解析要素に設定したものである。また、(ケース2)は、又は、各CAE解析要素の相当塑性ひずみに対応した水素濃度に応力から算出される静水圧応力に対応した水素濃度を加算した水素濃度を各CAE解析要素に設定したものである。
そして、(ケース1)及び(ケース2)のそれぞれについて、プレス成形品51の各CAE解析要素について算出した応力と水素濃度とに基づいて水素拡散解析を行うことにより、水素拡散後の水素濃度分布を算出した。
【0145】
(ケース1)及び(ケース2)のそれぞれについて算出した水素濃度分布から曲げ部53のA部における水素濃度を求めたところ、水素拡散前においてはそれぞれ2.5ppm、2.7ppm、水素拡散後においてはそれぞれ4.0ppm、4.3ppmであった。
【0146】
続いて、前述した実施例1と同様(
図19参照)、曲げ部53のA部について算出した応力、相当塑性ひずみ及び水素拡散後の水素濃度を用いて遅れ破壊の判定を行った。その結果として、
図20に、曲げ部53の曲げRが7mmにおける遅れ破壊判定条件(σ=1020MPa、黒の実線)と水素拡散解析後の(ケース1)及び(ケース2)の水素濃度(
図20中の★)を示す。さらに、
図20に、比較用として、実施例1の曲げ部53の曲げRが5mmにおける遅れ破壊判定条件(σ=1120MPa、グレーの破線)及び水素拡散解析後の(ケース1)及び(ケース2)の水素濃度(
図20中の☆)も示す。
【0147】
なお、曲げR=5mmにおける遅れ破壊判定条件は、曲げR=5mmの曲げ部53におけるき裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配(466MPa/mm)を切り欠き部29に付与した単軸引張試験片27(
図8、切り欠きR=2.9mm)を用いた遅れ破壊試験により導出したものとした。
さらに、曲げR=7mmにおける遅れ破壊判定条件は、曲げR=5mmの曲げ部53におけるき裂が伝播する方向の応力勾配に相当する応力勾配(424MPa/mm)を切り欠き部29に付与した単軸引張試験片27(
図8、切り欠きR=3.2mm)を用いた遅れ破壊試験により導出したものとした。
実施例2における遅れ破壊試験においては、実施例1と同様、水素侵入環境下としてpH=4.0、濃度0.1%のチオシアン酸アンモニウムとマッキルベイン緩衝液に単軸引張試験片27を所定時間浸漬させた。
【0148】
図20に示すように、曲げ部53の曲げRを5mmから7mmに変更したことにより、遅れ破壊判定条件が緩和され、さらに水素拡散解析後の水素濃度も低下した。この結果、曲げ部53の曲げRが7mmにおける水素拡散解析後の水素濃度(
図20中の★)は、(ケース1)及び(ケース2)のいずれにおいても、曲げRが7mmの遅れ破壊判定条件(σ=1020MPa)の水素濃度よりも低い。そのため、曲げRが7mmの曲げ部53においては遅れ破壊が発生しないと予測された。
そこで、曲げ部53の曲げRを7mmに変更した仮のプレス成形条件をプレス成形条件として決定した。さらに、決定したプレス成形条件でプレス成形品51をプレス成形し、遅れ破壊試験を実施した。その結果、プレス成形品51の曲げ部53に遅れ破壊は発生しなかった。
【0149】
以上、本発明に係るプレス成形品の製造方法によれば、高張力鋼板で遅れ破壊が発生しないプレス成形条件を決定し、決定したプレス成形条件でプレス成形することで、遅れ破壊の発生を抑制するための対策を施したプレス成形品を製造できることが実証された。
【符号の説明】
【0150】
1 遅れ破壊予測装置
3 応力分布及びひずみ分布算出部
5 応力勾配算出部
7 水素濃度分布設定部
9 水素拡散解析部
11 遅れ破壊発生予測部
21 単軸引張試験片
23 平行部
25 R部
27 単軸引張試験片
29 切り欠き部
31 4点曲げ試験片
33a、33b、33c、33d 支点
35 曲げ頂点部
41 4点曲げ試験ジグ
43 試料台
45a、45b、45c、45d 支点
47 ネジ
51 プレス成形品
53 曲げ部
55 片部
【要約】
【課題】高張力鋼板のプレス成形品において遅れ破壊の発生する部位を予測するプレス成形品の遅れ破壊予測方法、装置及びプログラム、並びにプレス成形品の製造方法を提供する。
【解決手段】本発明に係るプレス成形品の遅れ破壊予測方法は、プレス成形品の応力分布及びひずみ分布を算出し(S1)、プレス成形品における遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊によりき裂が伝播する方向の応力勾配を算出し(S3)、プレス成形品のひずみ分布に対応した水素濃度分布を設定し(S5)と、応力分布と水素濃度分布とに基づいてプレス成形品について水素拡散解析を行い、水素拡散後の水素濃度分布を算出し(S7)、遅れ破壊懸念部位の応力勾配での応力、ひずみ及び水素濃度に基づく遅れ破壊判定条件と、遅れ破壊懸念部位における応力、ひずみ及び水素濃度と、に基づいて、遅れ破壊懸念部位において遅れ破壊が発生するか否かを予測する(S9)、ものである。
【選択図】
図1