(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2024-12-19
(45)【発行日】2024-12-27
(54)【発明の名称】水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20241220BHJP
C22C 38/58 20060101ALI20241220BHJP
C21D 8/02 20060101ALN20241220BHJP
C21D 9/46 20060101ALN20241220BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
C21D8/02 D
C21D9/46 Z
(21)【出願番号】P 2020195716
(22)【出願日】2020-11-26
【審査請求日】2023-08-21
(31)【優先権主張番号】P 2019213377
(32)【優先日】2019-11-26
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】000006839
【氏名又は名称】日鉄建材株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000637
【氏名又は名称】弁理士法人樹之下知的財産事務所
(72)【発明者】
【氏名】大村 圭一
(72)【発明者】
【氏名】林 隆史
(72)【発明者】
【氏名】浦島 裕史
(72)【発明者】
【氏名】大高 範寛
(72)【発明者】
【氏名】藤本 雄充
【審査官】山本 佳
(56)【参考文献】
【文献】特開2005-320574(JP,A)
【文献】特開2001-089815(JP,A)
【文献】特開2010-248625(JP,A)
【文献】国際公開第2015/145825(WO,A1)
【文献】特開2013-204741(JP,A)
【文献】特開2019-073783(JP,A)
【文献】特開2018-162594(JP,A)
【文献】特開2008-274361(JP,A)
【文献】特開2018-070921(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、
C:0.080%以下、
N:0.100%以下、
Cr:10.50~19.00%、
Ni:0~2.00%、
Mn:0~2.00%、
Cu:0~2.00%、
Mo:0~2.00%、
Ti:0~0.50%、
Nb:0~1.00%、
Zr:0~0.50%、
Sn:0~0.500%、
Al:0~0.500%、
Si:0~1.00%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、
A
c1変態点以上に加熱した時のオーステナイト変態率の最大値が15%以上になることを特徴とする水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材。
【請求項2】
淡水環境に使用する際の腐食による減板厚が、耐用年数50年以下で、0.042mm/年以下であることを特徴とする請求項1記載の水利施設用フェライト系ステンレス鋼
製部材。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、農業用水路の護岸などの水利施設に用いられ、直接自然淡水又は汽水と接する軽量鋼矢板や鋼製成型部材等に好適に用いることが可能なフェライト系ステンレス鋼からなる、水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材に関するものである。
【背景技術】
【0002】
軽量鋼矢板や鋼製成型材等の水利施設用部材は、直接自然淡水又は汽水と常時接する領域の土木工事に主として使用される。自然淡水又は汽水による腐食対策として、鋼矢板等の水利施設用部材には、腐食しろを見込んで厚肉化する方法、電気防食や表面めっき層を形成する方法などが行われている。
【0003】
通常、軽量鋼矢板は前記腐食しろ設計されており30年程度の耐久性を有するが、塩分環境や部位により、想定を超える腐食減肉を起こす場合がある。また、鋼素地が露出し、更には鋼矢板護岸に孔が開き、そこからの土砂の吸出しによる空洞化が発生する程度にまで腐食が進んだ鋼矢板護岸も少なくない。
【0004】
鋼矢板護岸の全面を防食して、鋼矢板の腐食による減肉、穴あきを防止して土砂の吸出しによる空洞化、地盤沈下を防止することを課題として、特許文献1は、鋼矢板の前面と背面を電気防食してなると共に、該鋼矢板前面の波浪衝突面に面状の消波帯を設ける鋼矢板護岸の構造を提案している。
【0005】
しかし、防食に必要な電流は環境によって異なる。また、常時、腐食電流よりも大きい直流電流を通電する必要があり、種々の用水路護岸、土留などの水利施設の規模が大きいほど、通電制御設備・装置も大規模化し、さらに前記電気防食に必要な消費電力も大きくなるという問題がある。
【0006】
このように、特許文献1に開示された発明は、淡水から汽水までの種々の腐食環境で使用される水利施設の耐食性を維持、向上させるには、施設・設備規模が大型化するほど適用が難しくなるという現実的な欠点がある。
【0007】
特許文献2には、溶融めっき層の上層としてエポキシ樹脂等による塗装層を形成することにより水没環境下での耐食性が向上し、農業用水路等で使用される鋼構造物の耐食性を向上させる技術が開示されている。炭素鋼に特許文献1のようなめっき層や塗装層が形成された状態であれば、水利施設における耐食性が向上できるものと思われる。しかし、鋼矢板の施工では土中への打設が行われるため、施工時に塗装層や場合によってはめっき層までもが剥がれたり、傷付いたりして素地の鉄が露出してしまう恐れがある。さらに、水利施設部材は一般に重量物が多く、その取扱いは土木用重機を利用するのが通常であるため、部材同士の衝突や擦れは防止できず、塗装や表面処理層といった表面保護層の剥離や傷付きによる保護効果の局部的消失はほぼ不可避である。また、急な傾斜地などでは流水中に含まれる砂利により塗装層や表層めっきが徐々に磨耗することも懸念される。これらを回避するために無垢な表面でも耐食性が良好な素材としてステンレスを用いることが望ましいと考えられる。
【0008】
特許文献3には、農業用水路等の波型水路部材の鋼材としてステンレス鋼を用い、ライフサイクルコストの低減および耐食性の向上を図る技術が開示されている。ステンレス鋼を用いることは開示されているが、使用できるJIS鋼種の開示に留まっており、曝される環境に応じた耐食耐久性からの成分系の最適化や部材形状に応じた成型性製造性も考慮した水利施設に特に好適なステンレス鋼が開示されているとは言い難い。
【0009】
特許文献4には、塩濃度の低い自然淡水環境に適用可能な耐すきま腐食性に優れた淡水用フェライト系ステンレス鋼が開示されている。本特許文献ではフェライト系ステンレス鋼の具体的な成分組成が開示されているものの、高価な元素であるVを1%以上必要とし、コスト面での懸念があった。また、Vは高温で比較的酸化しやすい元素であり、酸化物の融点が低いため、特に含有量が0.6%を越えるフェライト系ステンレス鋼にあっては、製造工程中で不可避の高温酸化に起因した製造性の低下と疵発生懸念が著しく増大するという問題がある。
さらに、一般にステンレス鋼はフェライト系であっても、普通鋼と比較するとプレス成型や曲げ加工、ロールフォーミングなどの塑性変形加工時のスプリングバックが大きいため、普通鋼設備で普通鋼と同条件で成型加工した場合、寸法精度が低下したり形状不良が発生しやすいという問題があるが、特許文献4ではこのような成形時の弾性回復に起因する形状不良や寸法精度の改善が考慮されていなかった。
【0010】
従来の水利施設部材用の鋼材には、主に炭素鋼が用いられてきたため、今後ステンレス鋼を適用するに当たっては炭素鋼の製造設備を利用するのが経済的であり、そのためには比較的厚手であっても炭素鋼の製造設備で連続的に成形できる、成形後のスプリングバックが小さいステンレス鋼が求められる。
さらに、従来、普通鋼を淡水環境水路に使用するに当っては腐食量を考慮し、20年から40年間の使用を想定し、経験値から必要板厚+腐食による減板厚2.0mmを設計板厚(製品板厚)としていた。すなわち、0.05mm~0.1mm/年の減厚になる。なお、必要板厚とは設計に用いる板厚(耐力の期待できる板厚)となり、製品板厚から腐食による減板厚を差し引いた板厚とする。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0011】
【文献】特開2016-142080号公報
【文献】特開2017-179387号公報
【文献】特開2018-162594号公報
【文献】特許第4780846号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明の第1の目的は、淡水から汽水までの用水路の腐食環境に応じて優れた耐食性を有すると共に、成形加工後のスプリングバックが小さく、従来の設備で炭素鋼と同様に連続成型製造が可能で、水利施設部材への適用に好適な、水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材を提供することである。
ステンレス鋼では耐食性に優れているため、腐食による減板厚を大きく減らすことができる。しかし、具体的な値は見出せていなかった。また、耐用年数50年に至る場合の減板厚も設定されていなかった。本発明の第2の目的は、耐用年数50年以下での腐食による減板厚を特定することのできる、水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明者らは、Crの含有量が10.50~19.00質量%の熱間圧延ままのフェライト系ステンレス鋼又は熱間圧延後に焼鈍されたフェライト系ステンレス鋼は、淡水から汽水までの腐食環境に応じて優れた耐食性を有し、靭性も確保できるという知見を得た。
【0014】
また、本発明者らは、Ac1点以上の温度に加熱したときのオーステナイト相への最大変化量を一定以上にすることによって、水利施設の鋼構造部材に成形加工する際の加工精度が著しく向上して造り込みが容易になる知見を得た。そして、その上で、成分組成を適切に設計して必要とされる耐食性を確保することで、水利施設への適用に特に好適なフェライト系ステンレス鋼製部材が得られることを見出した。
【0015】
本発明はこのような知見に基づいてなされたものであり、本発明の水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材は、以下の通りである。
【0016】
(1)質量%で、C:0.080%以下、N:0.100%以下、Cr:10.50~19.00%、Ni:0~2.00%、Mn:0~2.00%、Cu:0~2.00%、Mo:0~2.00%、Ti:0~0.50%、Nb:0~1.00%、Zr:0~0.50%、Sn:0~0.500%、Al:0~0.500%、Si:0~1.00%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、
Ac1変態点以上に加熱した時のオーステナイト変態率の最大値が15%以上になることを特徴とする水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材。
(2)淡水環境に使用する際の腐食による減板厚が、耐用年数50年以下で、0.042mm/年以下であることを特徴とする(1)記載の水利施設用フェライト系ステンレス鋼板部材。
【発明の効果】
【0017】
本発明によれば、淡水から汽水までの腐食環境に応じて優れた耐食性を有し、高い形状凍結性を有するので、水利施設への利用に好適なフェライト系ステンレス鋼からなる部材を高い寸法精度で成形することができる。
また本発明によれば、今まで設定できなかった水路用ステンレス鋼矢板の耐用年数50年の板厚を設定できるようなった。
【図面の簡単な説明】
【0018】
【
図1】鋼板を成形加工する際の、スプリングバック前の断面形状(目標の断面形状)と、前記成形加工後にスプリングバックした断面形状とを比較する図である。
【発明を実施するための形態】
【0019】
以下、本発明の実施の形態について説明する。
【0020】
<成分>
まず、本実施形態のステンレス鋼製部材の鋼の化学組成を限定した理由について説明する。なお、化学組成についての%の表記は、特に断りのない場合は、質量%を意味する。
【0021】
〔C:0.080%以下〕
Cは、一般に成形性、耐食性、溶接性を劣化させるため、その含有量は少ない方が好ましい。したがって、耐食性確保の観点から、その上限を0.080%とする。耐食性の観点を重視すると、上限を0.020%とすることが望ましい。
一方で、Cは高温でオーステナイト相の生成を促進、増大させる元素でもある。本発明にあっては、スプリングバックが小さくなる鋼組織とするために、Ac1点以上の温度でのオーステナイト変態率の最大値を15%以上とすることが重要な要件であり、その点でCは有効な元素でもある。また、Cの過度な低減は精錬コストの増加ももたらすので、その下限は0.002%が好ましい。0.005%がより好ましい。
高温でオーステナイト相の生成を促進、増大させる元素はCの他、N、Ni、Cu、Mnなどがあり、本発明にあっては、これらの元素の含有量の調整により所望の組織とすることが可能であるが、これらの中で、通常は有害元素として扱われるCとNが最も経済的な元素であり、高価なNiやCu、Mnなどの金属元素の節約にもなる。
ステンレス鋼、とくにフェライト系ステンレス鋼にあっては、通常、その成形加工性、耐食性、溶接性を低下させる有害元素として扱われるC、Nは、本発明にあっては、オーステナイト相生成促進効果による組織制御を通じて、スプリングバックを可及的に減少させ、厚手の連続成形部材の寸法精度、製造性を高めるのに役立つ元素でもある。
【0022】
〔N:0.100%以下〕
Nは、オーステナイト変態量を増やす元素であり、このような効果を得るために他の元素とのバランスに応じて含有させるのが好ましい。一方、過剰に含有させると成形性、耐食性、溶接性を劣化させるため、上限を0.100%とする。成形性、特に加工反力の過度な上昇を防止する観点から、上限を0.050%とすることが望ましい。一方、フェライト系ステンレス鋼にあっては、Cと同様に通常は有害とみなされるNであるが、前記した通りのCと同様の理由により、好ましい下限は0.002%とする。0.005%以上がより好ましい。
【0023】
〔Cr:10.50~19.00%〕
Crは、耐食性確保のために必須な元素である。想定される環境で不動態皮膜を形成するためには、10.50%以上必要であり、これを下限とする。一方で、19.00%を超えると、低温での加工性の低下や靭性の劣化をもたらすため、19.00%を上限とする。
【0024】
さらに、本発明では上記した組成に加えて以下の元素を添加しても良い。
【0025】
〔Ni:0~2.00%〕
Niは、孔食の進展抑制に有効な元素であり、また、オーステナイト変態量を増やす効果もある。その効果は0.05%以上の添加で安定して発揮される。併せて、熱延板の靱性向上に有効である。0.10%以上でより効果的である。0.15%以上がさらに有効である。また、高価な元素であるため、多量の添加は、コスト増大を招く他に、応力腐食割れ感受性を高めるおそれがあるため、その上限を2.00%とする。なお、合金コストを考慮すると上限は0.60%が望ましい。
【0026】
〔Mn:0~2.00%〕
Mnは、脱酸剤として添加される元素である。0.01%以上でその効果を発現する。一方、過度な添加は、MnSを形成して耐食性を低下させるため、上限を2.00%とする。好ましい上限は0.50%である。
【0027】
〔Cu:0~2.00%〕
Cuは、耐食性を向上させる元素である。その効果は、0.05%以上で発現する。好ましくは0.10%以上である。一方、Cuの含有量が多くなると、熱間加工性が低下し、熱延時の耳割れの原因ともなるので、上限を2.00%とする。
【0028】
〔Mo:0~2.00%〕
Moは、耐食性を向上させるために必要に応じて添加すれば良く、これらの効果を発揮させるため、下限を0.01%とすることが好ましい。好ましくは0.10%であり、さらに好ましくは0.5%である。一方、過度の添加は加工性を低下させるため、上限を2.00%とする。好ましくは1.10%である。
【0029】
〔Ti:0~0.50%;Nb:0~1.00%〕
Ti及びNbは、C或いはNを固定し曲げ加工時の延性を向上させる効果を有するが、その量が少ないと効果が弱く、TiとNbはそれぞれ0.01%以上の添加が好ましい。但し、過度に添加すると逆に延性低下を招くだけでなく、コストアップや製造性の低下を引き起こすので、その上限をTiは0.50%、Nbは1.00%とした。
【0030】
〔Zr:0~0.50%〕
Zrは、NbやTiなどと同様に炭窒化物を形成してCr炭窒化物の形成を抑制し耐食性を向上させるため、必要に応じて添加する。また、0.50%を超えて含有させてもその効果は飽和し、大型酸化物の形成により表面疵の原因になることがあるため、0.50%以下を添加することが好ましい。Ti,Nbに較べると高価な元素であるため製造コストを考慮すると、Zrの下限を0.02%とし、上限を0.30%とすることが望ましい。より望ましくは0.10%以下である。
【0031】
〔Sn:0~0.500%〕
Snは、常温の機械的特性を大きくは劣化させずに耐食性を向上させる有効な元素である。耐食性への効果は少量の添加でも得られるが、効果を十分に得るためには0.005%以上含有させることが好ましい。より好ましくは0.010%以上である。Snの含有量が多すぎると、製造性や溶接性が劣化するので、上限は0.500%とする。
【0032】
〔Al:0~0.500%〕
Alは脱酸元素として有用であり、その効果は、0.005%以上で発現する。しかし、過度の添加は、常温延性の低下を招くため、その上限を0.500%とする。Si等他の元素で脱酸できる場合、Alは含有しなくてもよい。
【0033】
〔Si:0~1.00%〕
Siは、脱酸剤としても有用な元素であるとともに、耐酸化性を改善させる元素である。本発明にあっては鋼中に残存する必要はないが、精錬段階での脱酸効果を適切に得るためには0.01%以上の残存が必要である。しかし、Siは鋼板を硬くするため、上限を1.00%とする。好ましい上限は、0.50%である。
【0034】
〔P:0.040%以下〕
Pは、固溶強化能の大きな元素であるが、耐食性に対して有害な不純物元素であるため、本発明にあっては少ないほうが好ましい。したがって、上限を0.040%とする。より優れた耐食性が必要な場合は、0.030%以下が好ましい。下限は限定されず、Pの含有量は0でもよい。ただし、過度の低減は脱りん負荷の増大や低P原料選択により製造コストが増加するため、0.005%を実質的な下限としてもよい。
【0035】
〔S:0.0100%以下〕
Sは、硫化物系介在物を形成し、鋼材の一般的な耐食性(全面腐食や孔食)を劣化させる不純物元素であるため、その含有量は少ないほうが好ましい。したがって、上限を0.0100%とする。好ましい上限は0.0050%である。また、Sの含有量は少ないほど耐食性は良好となり、含有量は0でもよい。ただし、低S化は脱硫負荷の増大や低S原料の選択などで製造コストが増大するので、0.0001%又は0.0005%を実質的な下限としてもよい。
【0036】
[金属組織]
本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材を構成するフェライト系ステンレス鋼は、Ac1点以上の温度に加熱したときのオーステナイト変態率の最大値(Ac1点以上の温度で取りうる最大のオーステナイト変態率)が15%以上である。このようにすることで、ステンレス鋼を水利施設の鋼構造部材に成形加工した後のスプリングバックが著しく少なくなる。すなわち、ステンレス鋼を成形加工すると、加工後製品が金型から離れる際に弾性歪みが開放されるため、製品角度は設計角度よりも大きくなる。このスプリングバックに関する特性を形状凍結性というが、本発明者らは上記の通りAc1点以上の温度に加熱したときのオーステナイト変態率の最大値が15%以上になると、オーステナイト変態率の最大値が15%未満のステンレス鋼と比べて著しく形状凍結性が向上し、また、従来水利施設用に多く用いられてきた炭素鋼(SS400など)に比べても優れることを見出した。
ここでAc1変態点以上に加熱した時のオーステナイト変態率の最大値とは、鋼部材を構成する鋼板をAc1変態点以上、具体的には例えば1100℃に加熱後に水冷によって急冷したあと、断面の結晶組織のマルテンサイト面積率を5箇所で測定し、5箇所のマルテンサイト面積率の最大値をもってオーステナイト変態率の最大値とする。Ac1変態点以上に加熱した時に変態で生成するオーステナイトは、その後の急冷でマルテンサイトに変態するからである。なお、Ac1変態点温度は、フェライト相からオーステナイト相に変態を開始する温度として定めることができる。本発明で規定する成分組成においては、Ac1変態点は1100℃以下の温度となる。
【0037】
本発明が対象とする淡水または塩分が500ppm以下程度の汽水環境における水利施設の鋼構造の形状は、鋼矢板やU字フリュームなどの部材によって異なるのは勿論のこと、それぞれの部材においても様々な種類が存在する。スプリングバック量は一般的に板厚や加圧力、曲げ半径などによって異なるため、加工製品の形状や成形条件に応じてスプリングバック量を考慮した設計を行うことが必要であるが、本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材を構成するフェライト系ステンレス鋼は形状凍結性が優れるため、様々な形状の水利施設の鋼構造部材に容易に用いることが可能である。このような効果を得るためには、上述のとおり、オーステナイト変態率の最大値は15%以上が必要であり、30%以上が更に好ましい。上限は100%である。
【0038】
なお、オーステナイト変態率の最大値は、フェライト形成元素とオーステナイト形成元素のバランスを考慮しながら成分設計することで制御できる。本発明における主なオーステナイト形成元素は、C、N、Ni、Mn、Cuであり、主なフェライト形成元素はCr、Si、Mo、Alである。
本発明においては、上述した成分範囲内で、水利施設で必要とされる耐食性を確保しつつオーステナイト変態率の最大値を15%以上となるように成分設計することが肝要である。前記本発明で規定する成分組成の範囲内において、上記オーステナイト形成元素が多いほど、またフェライト形成元素が少ないほど、オーステナイト変態率の最大値が高くなる。
【0039】
また、このように組織変化するよう調整したフェライト系ステンレス鋼の熱延板は室温やそれ以下の低温でも脆性割れを起こし難い特性を有する。
【0040】
<腐食による減板厚>
前述のように、普通鋼を淡水環境水路に使用するに当っての腐食による減板厚は、20年から40年間の使用を想定し、0.05mm~0.1mm/年の減板厚とされていた。それに対して、本発明の水利施設用フェライト系ステンレス鋼製部材について、長期間使用時の減板厚について検討を行った。
【0041】
後述の表1、表2に示す鋼板1を用い、クーポン試験片による1年間の淡水環境実暴露試験を行った。
評価1としては試験片の質量の変化量から1年間の減板厚(試料内平均減板厚)を評価した。その結果、1年間の試料内平均減板厚は0.8μmであった。試料内平均減板厚については、50年間の使用を考慮した際の1年あたりの試料内平均減板厚は、上記1年間の試料内平均減板厚と同じであると考えられる。
評価2としては試験片の1年間の最大腐食深さを評価した。最大腐食深さについては、経過年の√則が成り立つとして、1年間の最大腐食深さから50年経過後の最大腐食深さを算出し、減板厚に換算して2.1mmとの結果を得た。そこで、期間平均の1年あたり減板厚として、0.042mm/年(=2.1/50)と算出した。
【0042】
上記評価2で得られた減板厚が、耐用年数50年における減板厚の上限値であると評価できる。そこで本発明では、淡水環境に使用する際の腐食による減板厚が、耐用年数50年以下で、0.042mm/年以下であることを特定した。50年間の使用を想定したときの腐食減板厚としては、最大で50年間で2.1mm(0.042×50)とすることができる。
一方、上記評価1で得られた減板厚(0.0008mm/年(0.8μm/年))が、耐用年数50年における減板厚の下限値であると評価できる。
【0043】
<板厚>
本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材は、板厚が3.0mm以上であることが好ましい。板厚が3.0mm未満では薄すぎて十分な剛性が得られず、土留め等の水利施設に必要な剛性や強度を確保できないおそれがある他、部材としての剛性確保のためには断面形状の複雑化の設計、及びそれを具現化するための成型装置設計、加工成型技術など,新たな設備と技術の追加検討が必要になる。
【0044】
<製造方法>
本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材は、前記組成を有し且つ前記オーステナイト変態率を有するフェライト系ステンレス鋼の熱延鋼板又は熱延焼鈍鋼板を加工成形したものであって、溶解・鋳造・熱間圧延・酸洗の工程を経て、所定の製品形状に成形されたものである。また、必要に応じて、熱間圧延後に焼鈍をしたものを用いて、本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材の製品形状に成形しても良い。設備に特段の制限はなく、常法の製造設備を使用できる。本発明のステンレス鋼製部材に用いるフェライト系ステンレス鋼は、通常のステンレス鋼帯と同様、コイル状の形で製造・保管・移動される。
【0045】
熱間圧延の条件は、特に規定しないが、スラブ加熱温度は、1100℃から1250℃が好ましい。また、熱延仕上げ温度は、850℃以上が好ましい。さらには、熱延後コイルに巻き取る場合には、熱延の仕上げ圧下後、必要に応じて直ちにスプレー水や気水冷却等で350℃までを加速冷却することも可能である。さらに、コイルに巻取り後の強制冷却の必要はない。
【0046】
焼鈍を行う場合、焼鈍工程では、焼鈍温度は、680 ~930℃(当該成分鋼種のAc1点直下)が好ましい。Ac1点を超えると、マルテンサイトが形成する場合が起こり、材質が脆く、硬くなるほか、結晶粒が粗大になりやすく、好ましくないためである。また、成分によってAc1点が変動するが、焼鈍はAc1点直下のα単相域で実施することが必要である。一般に、BAF焼鈍の場合、焼鈍温度は680~900℃程度である。
【0047】
本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材は、前記の熱延鋼板又は熱延焼鈍鋼板を成形加工して得られるものであって、農業用水路の護岸などの水利施設に好適に用いられる。本発明のフェライト系ステンレス鋼製部材は、特に、軽量鋼矢板、U字溝等の水路部材、ステンレス製パネル被覆工法用パネル、コルゲート部材等の成形構造部材として用いられ、直接自然淡水又は汽水と接する環境で優れた耐食性を有する。
【0048】
以下、実施例により本発明の効果を説明するが、本発明は、以下の実施例で用いた条件に限定されるものではない。
【実施例】
【0049】
本実施例では、表1に記載の成分(質量%)の鋼を溶製してインゴットを鋳造し、1150~1230℃に加熱後、仕上げ温度を880~980℃の範囲内として、板厚5mmまで熱間圧延し、熱延鋼板とした。表1の製造条件に「熱延まま」と記載されている例については、このまま品質評価を行った。表1の製造条件に「熱延焼鈍」と記載されている例については、上記熱延鋼板にさらに850~1000℃で熱延焼鈍を行い、熱延焼鈍鋼板を用いて品質評価を行った。
【0050】
オーステナイト変態率の最大値については、上記の実施例で得られたフェライト系ステンレス鋼板を30mm角に切り出した試験片を1100℃(AC1点以上の温度)で10分間加熱した後、水冷によって急冷した。次に、試験片を圧延方向に平行な板厚方向に切断した後、断面を王水でエッチングして組織観察を行った。組織観察は、板厚中心部(表面から2~4mmの深さの範囲)の任意の5箇所で行った。1100℃加熱で変態により生成したオーステナイトは、急冷によってマルテンサイトに変態するため、冷却後の試料断面の組織観察において、観察視野全体の面積に占めるマルテンサイトの面積の割合を測定し、これをAC1点以上に加熱したときのオーステナイト変態率とした。画像解析は、画像処理ソフトImage Jを用いて行った。また、5箇所の組織観察におけるマルテンサイトの面積の割合(%)の最大値をオーステナイト変態率の最大値とし、表2の「最大γ変態率」欄に記載した。
【0051】
前述の製造条件によって製造された鋼板のそれぞれについて、形状凍結性評価試験、成形加工性試験、及び靱性試験を行い、普通鋼のSS400と比較した。その結果を表2に示す。
【0052】
表2において、SS400と比較したときの、形状凍結性、成形加工性及び靱性の評価は、次のように表される。
(i)形状凍結性は、軽量鋼矢板を模した断面形状を
図1の点線に示す形状に成形加工し、スブリングバック量(ΔL2)を測定することで評価した。この成形試験では、試験片の板の曲げ稜線を熱延L方向(圧延方向)と平行(すなわち
図1は熱延の圧延方向からみた断面図に相当する)とし、試験片の板の幅は55mm±5mmとした。
SS400と比較してΔL2の数値が同等であるものを“+”、より小さい(優れるものを“++”により表す。
(ii)成形加工性は、室温、300mm長さ、60mm幅、稜を#80サンドペーパーを用いた手研磨仕上げのTP(テストピース)で、熱延C方向、曲げ半径1t(“t”=板厚)、180°曲げを3枚の試験片で実施(n=3)し、割れが発生しなかった場合を○、部分的な割れであっても1枚でも発生した場合を×とした。
【0053】
また、靱性は、シャルピー衝撃試験をJIS Z 2242に準拠して行った。Vノッチのサブサイズ試験片で「0℃でのシャルピー衝撃値≧30J/cm2」を満たす場合、“○”とし、満たさない場合、“×”により表す。
【0054】
【0055】
【0056】
本発明例のフェライト系ステンレス鋼部材は、本発明が対象とする水利施設に最も多用される一般的な普通鋼のSS400と比較しても、形状凍結性、すなわち成形加工性に優れることが示された。
【産業上の利用可能性】
【0057】
本発明によれば、河川や種々の用水路の護岸,土留めなどの、直接自然淡水または汽水と常時接するような水利施設に好適なフェライト系ステンレス鋼製部材を提供できる。また、耐用年数50年以下での最適な減板厚を提供できる。