(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-01-07
(45)【発行日】2025-01-16
(54)【発明の名称】真正双子葉類植物の雄性不稔導入方法
(51)【国際特許分類】
A01H 3/00 20060101AFI20250108BHJP
A01H 6/54 20180101ALI20250108BHJP
A01H 6/20 20180101ALI20250108BHJP
A01H 6/82 20180101ALI20250108BHJP
【FI】
A01H3/00
A01H6/54
A01H6/20
A01H6/82
(21)【出願番号】P 2024546504
(86)(22)【出願日】2024-04-03
(86)【国際出願番号】 JP2024013763
【審査請求日】2024-08-19
(31)【優先権主張番号】P 2023064832
(32)【優先日】2023-04-12
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)令和2年度、国立研究開発法人科学技術振興機構、創発的研究支援事業「染色体脱落の克服による遺伝資源概念の拡張」に係る委託研究、産業技術力強化法第17条の適用を受ける特許出願
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】504150461
【氏名又は名称】国立大学法人鳥取大学
(74)【代理人】
【識別番号】100083806
【氏名又は名称】三好 秀和
(74)【代理人】
【識別番号】100111235
【氏名又は名称】原 裕子
(74)【代理人】
【識別番号】100170575
【氏名又は名称】森 太士
(72)【発明者】
【氏名】石井 孝佳
(72)【発明者】
【氏名】関口 結佳
【審査官】大西 隆史
(56)【参考文献】
【文献】LOUSSAERT, Dale,Sexual Plant Reproduction,2004年01月,Vol. 16, No. 6,pp. 299-307,DOI: 10.1007/s00497-004-0205-0
【文献】MATTIOLI, Roberto et al.,BMC Plant Biology,2018年12月17日,Vol. 18, Article No. 356,pp. 1-15,DOI: 10.1186/s12870-018-1571-3
【文献】BOERMAN, Nicholas A. et al.,Euphytica,2019年04月16日,Vol. 215, Article No. 96,pp. 1-10,DOI: 10.1007/s10681-019-2417-2
【文献】SEKIGUCHI, Yuka et al.,Plant Reproduction,2023年05月25日,Vol. 36,pp. 273-284,DOI: 10.1007/s00497-023-00469-4
【文献】HODNETT, George L. and ROONEY , William L.,Canadian Journal of Plant Science,2018年10月,Vol. 98, No. 5,pp. 1102-1108,DOI: 10.1139/cjps-2017-0327
【文献】MATTIOLI, Roberto et al.,BMC Plant Biology,2012年12月12日,Vol. 12, Article No. 236,pp. 1-16,DOI: 10.1186/1471-2229-12-236
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A01H 1/00-17/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
PubMed
Science Direct
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を有効成分として含む、真正双子葉植物用の雄性不稔誘導剤
であって、前記真正双子葉植物はマメ科、アブラナ科、またはナス科の植物である、雄性不稔誘導剤。
【請求項2】
前記マメ科植物はササゲである、請求項
1に記載の雄性不稔誘導剤。
【請求項3】
水溶液の形態で存在する、請求項1に記載の雄性不稔誘導剤。
【請求項4】
前記植物の根を介して投与される、請求項1に記載の雄性不稔誘導剤。
【請求項5】
真正双子葉植物にトリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を投与することを含む、真正双子葉植物において雄性不稔を誘導する方法
であって、前記真正双子葉植物はマメ科、アブラナ科、またはナス科の植物である、方法。
【請求項6】
前記マメ科植物はササゲである、請求項
5に記載の方法。
【請求項7】
前記TFMSAは水溶液の形態で投与される、請求項
5に記載の方法。
【請求項8】
前記植物の根を介して前記TFMSAが投与される、請求項
5に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、真正双子葉類植物に雄性不稔を導入する方法に関する。このような方法は例えば農作物の育種およびハイブリッド種子の効率的生産において有用となる。
【背景技術】
【0002】
植物の育種には交配が不可欠である。また、交配により生産されるハイブリッド種子は農産業においてきわめて重要な位置を占めている。これらの文脈において交配とは、1つの個体と別の個体との間で人為的に受粉させることを意味する。単一植物内で受粉が起こる自家受粉植物では、自家受粉の回避のために、除雄すなわち雄蕊の切り離しまたは不稔化の操作が交配において必要となる。従来の除雄技術には、手作業による物理的な雄蕊の切り離しのほか、温湯除雄、細胞質雄性不稔系統の利用等が含まれる。しかしこれらの技術は、手間と時間が掛かること、利用可能性が一部の植物に限られていること、等の主要な制約を伴う。例えば、細胞質雄性不稔は特定の遺伝学的バックグラウンドの存在に依存するし、温湯除雄はイネ科では利用できるがマメ科では実用的でない。手作業による雄蕊の切り離しは、メンデルもその有名な交配実験で用いたが、メンデルはその作業を続けたために視力を損なったとも言われており(中村千春「メンデル解題:遺伝学の扉を拓いた司祭の物語」第7章、神戸大学農学部インターゲノミクス研究会、2016年)、特に産業的観点からけっして効率的な手法ではない。
【0003】
例えばトウモロコシのような雌雄同株の植物種は、植物個体上で雌しべと雄しべの花が分かれているので、受粉制御が比較的容易である。対照的に、例えば、両性花を有しかつ閉花受粉性であったり、雌しべと雄しべが同位置で揃っていたりするマメ科植物では、受粉は花が開く前でさえも各花中で起こるため、自家受粉がほぼ確実に起こる。このような種の受粉制御は特に困難であり、従来は、手作業による雄蕊の切り離しという非効率的な手段しか実質的に存在していなかった。
【0004】
マメ科の植物は世界中で主要な食物として消費されており、家畜の飼料としての価値も高い。特にササゲは、乾燥地帯で栽培可能な農産物であり、例えばサハラ以南アフリカ等の乾燥地帯における食料安全保障の改善のための鍵となる可能性を有している。また、発展途上にある代替肉産業におけるダイズ等の利用も近年重要性が高まってきている。マメ科の植物を効率的に除雄し受粉制御できる方法が開発されれば、マメ科植物の育種において画期的な革新となり得、世界的な食糧問題にもポジティブなインパクトを与える可能性がある。ササゲのようなマメ科植物は、遺伝学的な雄性不稔ツールの利用可能性が現時点で乏しいこと、そして上述のように自家受粉の物理的な制御が難しいことから、とりわけマメ科については、雄性不稔を効率的に誘導することに対して、長年感じられてきていながら解決を見ていないニーズが存在する。
【0005】
イネ、ムギ、トウモロコシ、綿、ヒマワリ等を含むいくつかの農作物については、化学薬品を用いた除雄方法(化学的除雄方法)も知られている(非特許文献1)。化学的除雄方法は、大規模で植物処理が可能であり、短時間で多くの植物を除雄できるという利点がある。化学的除雄方法に使用される活性成分である化学物質はCHA(chemical hybridizing agent(化学交雑剤))と呼ばれる。CHA開発の歴史は古く、既に1950年代には始まっていた。その結果として少なからぬ種類のCHAが知られるようになった。しかしながら、個々のCHAはある特定の植物グループを対象として発見され記述されるのが通常であり、所望の植物種に対して、CHAとして有効に機能できる物質を既知のCHAのなかから容易に同定できるわけではない。例えば非特許文献1は、雄性不稔を誘導する可能性がトウモロコシにおいて1950年に初めて見出されたマレイン酸ヒドラジド(MH)について、その後多くの農作物種に対してMHを試験する熱狂が生まれたにも関わらず、どの農作物においてもMHのCHAとしての有用性は実証されず、雄/雌選択性が十分でないことがその主な理由であったことを記載している。
【0006】
前述の非特許文献1の記載にも見られるように、潜在的なCHA候補となる物質のほとんどは、植物組織に対して何らかのかたちの毒性あるいは抑制的活性を有していることから、雄性不稔だけでなく雌性不稔も合わせて引き起こしてしまったり(つまり雄/雌選択性が低かったり)、さらには植物の発芽等の生存プロセスにも悪影響を与えてしまうことが多い。自然界に存在する、そして農産業で利用される、多様な植物群は、生殖に関して互いにきわめて異なる構造と機序とを有することから、そのそれぞれについて、雄/雌選択性を発揮できる有効なCHAを発見することは難しい課題である。
【0007】
特許文献1は、特徴的な尿素基とヘテロ六員環とを有するスルホニル尿素誘導体を殺配偶子剤として使用することを記載している。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0008】
【文献】McRae, D. (1985) Plant Breed. Rev. 3: 169-192.
【特許文献】
【0009】
【発明の概要】
【0010】
本発明者らは、トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)が広く真正双子葉植物において有効な雄性不稔誘導剤すなわちCHAとなることを見出した。TFMSAは、マメ科の真正双子葉植物において、実質的な植物毒性も雌性不稔も示さずに雄性不稔を引き起こすことができた。同様の結果が他の真正双子葉植物においても得られた。Loussaert D (2004) Sexual Plant Reproduction 16(6): 299-307は、TFMSAが、単子葉植物のイネ科であるトウモロコシにおいて雄性生殖阻害剤として作用することを報告している。Hodnett GL, Rooney WL (2018) Canadian Journal of Plant Science 98(5): 1102-1108は、トウモロコシと近縁であるイネ科ソルガム(モロコシ、ギニアコーン等としても知られる)においてもTFMSAは雄性不稔を誘発できたことを報告している。該論文は、ソルガムとトウモロコシの間の類似性からTFMSAがソルガムにおいて適用性を有する可能性があったと記載している。しかしながら、単子葉植物を含むグループとおよそ1億2300万年~1億4700万年前に分岐し(Bell et al. (2010) American Journal of Botany 97(8): 1296-1303)、系統進化学的、発生学的、植物構造的、さらには分子生物学的(例えば受容体や輸送体に関して)に著しくイネ科と異なっている真正双子葉植物において、TFMSAが有効な雄性不稔剤となることは、予測できなかった有意義な発見であった。
【0011】
例えば単子葉植物や非真正双子葉植物は「単溝粒」といって花粉管を伸ばす穴(発芽孔)が1つしかない形状であるのに対し、真正双子葉植物は三溝粒すなわち三つ穴花粉を生み出して独自に進化した。この点について倉田(生態環境研究, 26(1):53-66, 2020)は次のように記載している:「発芽孔は,多い方が有利である.例えば単溝粒の場合,柱頭に付着した面が発芽孔の反対側であった場合に花粉管の発芽伸長は難しいが,複数穴があればどこかの穴から花粉管を伸ばすことができるからである.それは進化の過程において獲得した,繁殖に有利な戦略であったに違いない.」。このことは、上述したように真正双子葉植物の花粉が系統進化学的、構造的、発生学的、等の側面においてイネ科植物の花粉と同視できるものでないことを端的に例示しており、本願に開示される発明の非自明性を支持している。さらに、真正双子葉植物自体のなかにも著しい多様性が存在していることは周知の事実であり、TFMSAが遠縁の複数の真正双子葉植物において雄性不稔剤となることも予測外であった。
【0012】
プロリンは、植物の花粉発達のために必要な、鍵となるアミノ酸であることが知られている。例えばSchwacke et al. (1999) Plant Cell, Vol. 11, 377-391は、トマトの花粉中には全遊離アミノ酸量の70%超を占めるほどにプロリンが蓄積していることを記載している。Loussaert(上述)の研究は、プロリン蓄積に必要なプロリン輸送の阻害こそが、トウモロコシにおけるTFMSAの雄性不稔誘導剤としての作用機序であることを教示している。Loussaertは、TFMSAが用量依存的にトウモロコシ葯(花粉形成器官)のプロリン蓄積を減少させること、プロリン量変化がTFMSA投与後の花粉不全の現れる前に最初に検出される代謝的異変であること、そしてTFMSA投与は実際に葯におけるプロリン輸送を減少させることを実験的に示し、次のように記載している:「TFMSAは、合成の場所から蓄積の場所へのプロリンの輸送を妨害し、それがプロリン生合成のフィードバック阻害をもたらし、最終的に発達中葯からプロリンを欠乏させることにより雄性不稔を誘導すると推定される。」Hodnettら(上述)も次のように記載している:「TFMSAは、花粉における葯プロリンを減少させることによりトウモロコシおよびソルガムで雄性不稔を誘導し得る。」
【0013】
Schwacke et al.(上述)は、トマト(真正双子葉植物)の雄ずい/葯/花粉に特異的かつ優勢的に発現されるプロリン輸送体タンパク質LeProT1(GenBankアクセス番号AF014808)を同定している。配列的にこれと最も類似したトウモロコシのプロリン輸送体ホモログはXP_008651898であると見られるが、当該トウモロコシホモログは最も類似したソルガムホモログに対して92%ほどの高いアミノ酸配列同一性を共有しているのに対し、トマトホモログに対するトウモロコシホモログのアミノ酸配列同一性はわずか61%である。Hodnettらの「ソルガム系における一時的不稔への関心およびソルガムとトウモロコシの間の類似性を考慮すると、TFMSAまたは姉妹化合物がソルガムにおいて適用性を有する可能性がある」という言葉に表されているように、TFMSAをトウモロコシ近縁のソルガムに適用して雄性不稔を得たことには科学的な合理性があった。しかしながら、プロリン輸送の阻害がトウモロコシでのTFMSAの作用機序であることがLoussaertにより教示されている以上、このように花粉周辺の器官構造はもとよりプロリン輸送体の構造もトウモロコシと異なっている真正双子葉植物においてTFMSAが雄性不稔の作用を有すると類推することは合理的ではなかった。
【0014】
本開示は以下の実施形態を含む。
[1]
トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を有効成分として含む、真正双子葉植物用の雄性不稔誘導剤。
[2]
前記真正双子葉植物はマメ科、アブラナ科、またはナス科の植物である、[1]に記載の雄性不稔誘導剤。
[3]
前記真正双子葉植物はマメ科植物である、[1]に記載の雄性不稔誘導剤。
[4]
前記マメ科植物はササゲである、[3]に記載の雄性不稔誘導剤。
[5]
水溶液の形態で存在する、[1]~[4]のいずれかに記載の雄性不稔誘導剤。
[6]
前記植物の根を介して投与される、[1]~[5]のいずれかに記載の雄性不稔誘導剤。
[7]
真正双子葉植物にトリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を投与することを含む、真正双子葉植物において雄性不稔を誘導する方法。
[8]
前記真正双子葉植物はマメ科、アブラナ科、またはナス科の植物である、[7]に記載の方法。
[9]
前記真正双子葉植物はマメ科植物である、[7]に記載の方法。
[10]
前記マメ科植物はササゲである、[9]に記載の方法。
[11]
前記TFMSAは水溶液の形態で投与される、[7]~[10]のいずれかに記載の方法。
[12]
前記植物の根を介して前記TFMSAが投与される、[7]~[11]のいずれかに記載の方法。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】植物あたり30mg(左、「TFMSA」)または0mg(右、「コントロール」)のTFMSA用量で処理したササゲの、処理から7日後に採取した花粉のアレクサンダー染色を示す顕微鏡写真である。
【
図2】左端の数値(mg)に示された、植物あたり異なる用量のTFMSAで処理したササゲの葯のアレクサンダー染色を比べる顕微鏡写真である。(a)はIT86D-1010系統、(b)はIT97K-499-35系統である。
【
図3】30mg用量TFMSA処理の回数が増えるにつれササゲの生長抑制が強まることを示す実験結果である。「5 times」は開花の5週間前から1週間間隔で5回TFMSA処理を受けた個体であり、「1 time」は開花の1週間前に1回だけTFMSA処理を受けた個体である。
【
図4】(a)は、白色種皮を有するササゲIT97K-499-35系統の写真である。この系統をTFMSA処理で雄性不稔とし、人工授粉の雌親として使用した。(b)は、茶色種皮を有するササゲ74826系統の写真である。この系統はTFMSA処理せず人工授粉の花粉を提供する雄親として使用した。(a、b)の差し込み図にそれぞれの種子の写真を示している。(c)は、IT97K-499-35×74826のハイブリッドF1植物を示す。(d)は、cに示す植物からのF2種子を示しており、それらは全て黒色種皮を有している。白スケールバーは5cm、黒スケールバーは3cmを示す。
【
図5】(a)は、異なる用量による2回目TFMSA処理の21日後のシロイヌナズナ植物を示す。右端が0mg用量処理の対照植物、左端が10mg用量処理の植物である。(b)は、aの植物の2回目TFMSA処理の7日後における葯のアレクサンダー染色を示す。(c)はbの部分拡大写真である。(d)は、同様に、異なる用量による2回目TFMSA処理の21日後のタバコ植物を示す。(e)は、dの植物の2回目TFMSA処理の7日後における葯のアレクサンダー染色を示す。(f)はeの部分拡大写真である。
【
図6】(a)は、植物あたり0mg、0.63mg、1.3mg、または2.5mgのTFMSA用量で処理されたのち結実期を迎えた、ナス科であるマイクロトム品種トマトの写真である。(b)はaの植物に対応したグラフであり結実数を集計している。濃度依存的に結実数が減少し、2.5mg用量で処理した場合は全く結実していない。
【
図7】異なる用量のTFMSAを溶かし込んだ液体を、根を介してシロイヌナズナに施用した。右端が0mg用量処理の対照植物、左が植物あたり0.2~10mgの異なるTFMSA用量で処理した植物を表している。0.5mgのTFMSAを根から吸収させた場合に十分な雄性不稔が起こり種子を形成していない。
【発明を実施するための形態】
【0016】
一側面において本開示は、トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を含む、真正双子葉植物用の雄性不稔誘導剤を提供する。
【0017】
トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)の構造式を以下に示す。
【化1】
【0018】
本実施形態における真正双子葉植物(eudicots)は、例えばコア真正双子葉類(core eudicots)に属する植物であり得、より具体的にはマメ類(Fabidae)、例えばマメ目(Fabales)、またはアオイ類(Malvidae)、例えばアブラナ目(Brassicales)、またはシソ類(Lamiids)、例えばナス目(Solanales)であり得るがこれらに限定されない。好適な真正双子葉植物の非限定的な具体例はマメ目であるマメ科(Fabaceae)、アブラナ目であるアブラナ科(Brassicaceae)、およびナス目であるナス科(Solanaceae)である。
【0019】
本実施形態における真正双子葉植物は、例えばマメ科、アブラナ科、またはナス科であり得る。マメ科が特に好ましい。マメ科の植物については従来から(メンデル遺伝学の象徴であるだけに皮肉であるが)効率的な受粉制御が難しく、実践的に有効なCHAも知られておらず、雄性不稔を効率的に誘導することに対して長年感じられながら解決を見ていないニーズが存在してきたが、本実施形態はマメ科における新規の解決策を提供する。マメ科の花は雌しべと雄しべが同位置で揃っているということで特徴付けられ得るが、そのように物理的に近接している雄性器官と雌性器官とに対し、無差別に投与されたTFMSAという化学物質が選択的に作用できたのは驚くべきことであった。マメ科の植物の非限定的な例として、ササゲ、ダイズ、ソラマメ、エンドウ、インゲンマメ、ヒヨコマメ、アズキ、レンズマメ、緑豆、ラッカセイ、ルイボスが挙げられる。マメ科の植物の他の非限定的な例として、タチナタマメ(Jack bean)、アフリカン・ヤム・ビーン、バンバラマメ(Bambara groundnut)、グラスピー、フジマメ(Lablab)、タケアズキ(Ricebean)、ナタマメ(Sword bean)、ビロードマメ(Velvet bean)、シカクマメ(Winged bean)、ケツルアズキが挙げられる。
【0020】
本実施形態の雄性不稔誘導剤は典型的には水溶液の形態で存在し得る。水溶液とは、水を主要な溶媒(溶媒重量の50%以上、例えば70%以上、90%以上、または100%)とする溶液を意味する。例えばエタノール等、比較的少量の他の溶媒が添加されてもよい。農業分野で使用される一般的な薬剤と同様に、当該水溶液は、例えば界面活性剤、増粘剤、湿潤剤、着色剤、栄養成分、他の活性成分のうちの1つ以上など、TFMSA以外の成分を含んでもよい。他の活性成分は、除雄活性成分であってもよいし、例えば殺虫活性、殺細菌活性、殺真菌活性など、除雄活性とは直接関係しない活性成分であってもよい。特定の実施形態の雄性不稔誘導剤は、例えば粉剤、顆粒剤、マイクロカプセル剤、タブレット、乳剤など、水溶液以外の剤形で提供され得、例えば粉剤のまま散布される使用や、顆粒を施用直前に水に溶かす使用も企図される。
【0021】
雄性不稔誘導剤(例えば水溶液の形態のもの)中の、有効成分TFMSAの濃度は、例えば100~2000mg/l、または500~1200mg/lとし得るが、当業者は本開示および通常の知識に基づいて、また個々のアプリケーションに応じて、この濃度を適宜調節することができる。
【0022】
上記の側面と対応する別側面において、本開示は、真正双子葉植物において雄性不稔を誘導する方法を提供し、この方法は、真正双子葉植物にTFMSAを投与することを含む。本開示において投与とは、有効成分であるTFMSAを真正双子葉植物(例えばその葉、または根)に付着または吸収させることを意味する。このTFMSAは、上述した雄性不稔誘導剤の形態で投与され得ることが理解されるべきである。換言すると、本開示は、真正双子葉植物において雄性不稔を誘導する使用のための、TFMSAまたはそれを含有する雄性不稔誘導剤もしくは組成物を提供する。本開示の雄性不稔誘導剤の側面と、方法の側面は、互いに対応しており、従って上記で提供された、対象真正双子葉植物、TFMSA剤形等に関する説明は、方法の実施形態にも適用され得る。以下の説明において、TFMSAの言及は、TFMSA含有組成物または雄性不稔誘導剤と換言され得る。
【0023】
当業者は、播種タイミング、栽培条件、および経験に基づいて開花の時期あるいは通常の受粉が起こる時期をある程度の正確性で予測することができる。本実施形態においてTFMSAは、開花の前、好ましくは5~20日前に投与される。咲いたことを確認し、花および鞘を除去してから、後続の花に作用させるためにTFMSAを投与してもよい。TFMSA投与から2カ月以上経つと雄性稔性が回復すると見られた。その意味で、真正双子葉植物にとってのTFMSAの雄性不稔誘導は可逆的であり得る。TFMSAは真正双子葉植物においてある程度の生長抑制作用を有し得ることが見出された。本開示を参照した当業者は、植物の種類またはバイオマスの大きさに応じて、1回の投与におけるTFMSAの用量を調節し得る。用量は典型的には植物の個体あたり1.5~50mgの範囲内あるいは小さな植物では例えば0.5~3mgの範囲内であり得る。例えばササゲの場合、個体あたり20~40mg、特に30mgが好ましい。複数回の投与を行うことも可能であり、その場合、例えば一の用量と次の用量とのあいだは5~10日間とし得る。
【0024】
一実施形態において本開示は、ササゲの雄性不稔誘導スケジュールを提供する。このスケジュールによる方法は、開花の前に、5~10日(例えば7日)の間隔でササゲ個体あたり20~40mg(例えば30mg)のTFMSA用量を2回投与することを含む。2回目の投与は開花の5~10日前であり得る。この投与スケジュールにより、ササゲの系統の違いを問わず、植物の生長抑制を十分回避しつつ、雌性稔性を維持し、かつ完全な雄性不稔を確実にすることができる。
【0025】
TFMSAは、典型的には植物の葉を含む地上部に投与される。例えば投与時に見出される全ての葉の表面にTFMSAあるいはそれを含有する溶液が付着するように投与を行うことが好ましい。下記実施例で例示されているように、土壌に施用されたTFMSAが根を介して吸収されて地上部に至って作用する可能性も排除されない。根を介したTFMSA投与の有効性は、双子葉植物だけでなくパールミレット等の単子葉植物でも確認された。従って一側面において本開示は、植物において雄性不稔を誘導する方法であって、根を介して植物にTFMSAを吸収させることを含む方法が提供され、そのような方法で使用されるTFMSA含有雄性不稔誘導剤も提供される。この場合の植物は、双子葉植物、特に真正双子葉植物、または単子葉植物であり得る。投与の位置が地上部であろうと地下部であろうと、投与の方式は当業者が適宜決定することができ、例えば噴霧器による噴霧、じょうろやスポイト等による散布、ブラシやスポンジ等による塗布、養液への添加、あるいは、液状剤またはタブレット、粒剤等の固形剤を地表および/または地中に施用することなどが挙げられるがこれらに限定されない。
【実施例】
【0026】
以下、実施例を示して本発明をより具体的に説明するが、これらの実施例は例示目的のために典型的な実験を記載しているにすぎず、本発明がこれらの具体的な実施形態に限定されるわけではない。例えば、下記に記述する具体的な種以外の真正双子葉植物でも同様の結果を得ることができる。
【0027】
[材料と方法]
5月から10月の間に、鳥取大学乾燥地研究センターの実験農場において、数十系統のササゲの種子を同時に播種した。さらに2系統(IT86D-1010およびIT97K-499-35)は温室(日中16時間は26℃/夜間8時間は18℃)で栽培した。ササゲ(Vigna unguiculata (L.) Walp.)はマメ科の真正双子葉植物である。
【0028】
トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA;東京化成工業株式会社)は、市販の農薬用展着剤(ポリオキシエチレンヘキシタン脂肪酸エステル界面活性剤)であるアプローチBI(0.1%v/v、丸和バイオケミカル株式会社)を含む水溶液中に溶解した。このようにして、0~1000mg/l(w/v)の間の異なる濃度のTFMSA溶液を調製した。0mg/lは対照である。開花の1~5週間前から開始して、週に一度、上記TFMSA溶液をササゲに噴霧適用した。全ての葉の表面が溶液で覆われたことを確認した。
【0029】
花粉稔性の詳細な分析のためには、最後のTFMSA処理から1週間後、かつ開花の約24時間前に葯を採取して、室温の6:3:1(v/v/v)エタノール/クロロホルム/氷酢酸中で3日間固定した後、アレクサンダー染色(Alexander M (1969) Stain Technology. 44(3): 117-122)を行った。アレクサンダー染色液は以下の組成で調製した:10mlの95%エタノール、1mlのマラカイトグリーン(95%エタノール中1%溶液)、50mlの蒸留水、25mlのグリセロール、5mlの酸性フクシン(1%水溶液)、0.5mlのオレンジG(1%水溶液)、4mlの氷酢酸。200μlのアレクサンダー染色液を含有する1.5mlチューブに、固定された葯を加え、95℃のヒートブロック上に5分間置いた。その後葯をガラススライド上に移し、葯をガラススライドとカバーグラスとで挟んでそのまま押しつぶすか、または葯をニードルで切開して中の花粉を分散させて、顕微鏡画像を撮影した。アレクサンダー染色により、稔性の花粉粒はマゼンタに染色され、不稔性の花粉粒は青に染色される。機械学習ソフトウェア「ilastik」(Berg S, et al (2019) Nature Methods 16(12): 1226-1232)の「Pixel Classification + Object Classification」ワークフローを利用して、稔性および不稔性の花粉粒数を計測した。その目的のためには、各植物個体から1つの花を採取し、各花から2つの葯を切開して、その2つの葯中の稔性花粉および不稔性花粉それぞれの合計数を計測した。
【0030】
雌性機能を確認するためには以下のような実験を行った。IT97K-499-35系統(白色種皮)のササゲを、植物あたり30mgのTFMSAで2回処理した後、他の29系統(茶色種皮)のササゲの花粉を用いて手で受粉させた。各交配から2つのハイブリッドF1種子を農場に播種し、F2種子も得た。F2種子の種皮の色を観察することによって、真正なハイブリッド性すなわちTFMSA処理個体における正常な雌性機能の存在および雄性機能の不在を確認した。
【0031】
上述したササゲの実験と本質的に同様の実験を、アブラナ科である二倍体および四倍体のシロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)ならびにナス科であるタバコ(Nicotiana benthamiana)およびトマト(Solanum lycopersicum)を含む他の真正双子葉植物においても行った。シロイヌナズナ、タバコ、トマトは、最初の蕾が観察されたときにTFMSAで処理した。根からのTFMSA処理の実験には二倍体シロイヌナズナを使用した。具体的には、植物個体当たり、0mgから10mgのTFMSAを0.1%のアプローチBIと共に含む水溶液100mlを水受けトレーに1度注ぎ、その水受けトレー上に栽培ポットを置くことにより根からTFMSAを吸収させながら植物をそのまま成長させた。
【0032】
[実施例1]
植物あたり30mgの用量で2回のTFMSA処理をしたササゲの葯では、アレクサンダー染色により青く染まった花粉粒が優勢になり、高度な花粉不稔性すなわち雄性不稔が示された。この結果は、対照ササゲの花粉粒が稔性を示すマゼンタ系赤色で全体的に染色されたことと対照的であった。正常な稔性花粉は概して丸く大粒であるのに対し、青く染まる不稔性の花粉は小さく輪郭が比較的不明瞭になることによっても両者は見分けることができる。
図1にIT86D-1010系統の実験結果を示している。異なるササゲ系統において、そしてより低い用量でのTFMSA処理でも、試験を行ったが、いずれの系統でも高度の花粉不稔性が引き起こされた(
図2)。例えばIT97K-499-35系統では植物あたり7.5mgのTFMSAによる処理で著しい花粉不稔性が観察されているし、1.9mgまたは3.8mgといった低用量でも、多数の非機能的(青色染色)花粉粒の発生が観察された。
【0033】
表1は、温室で栽培されたIT86D-1010系統に対して異なる用量のTFMSA処理を2回ずつ行った後、稔性/不稔性の花粉粒数を詳細に計測した結果を要約している。TFMSA処理ササゲにおける稔性花粉粒の割合は、対照処理ササゲにおける割合と有意に異なっている。植物あたり30mgのTFMSA処理用量を用いた場合の花粉不稔率は99%であった。
【表1】
【0034】
[実施例2]
ササゲの植物あたり30mg×1のTFMSA処理を用いた、農場での試験では、38系統において完全な花粉不稔が観察され、1系統は部分的に機能的な花粉を有し、3系統は有意な影響を欠いていたと見られた。しかしながら処理回数を2回としてこれら3系統を再試験した結果、雄性不稔を誘導することができた。
【0035】
[実施例3]
農場で栽培されたササゲIT97K-499-35系統に対して、開花前に植物あたり30mg用量で0~5回のあいだの異なる回数(1週間間隔)のTFMSA処理を行ったところ、処理回数が多くなるにつれ生長の遅れを観察することができた(
図3)。つまり、5週間のあいだ毎週すなわち5回TFMSA処理を受けた植物は、5週間のあいだ最後の1週の1回だけTFMSA処理を受けた植物と比べて小さかった。処理植物では非処理対照植物と比べて植物あたりの鞘および種子の平均数が有意に少なくなった。1回の処理だけで種子数は著しく減少し、2~5回の処理を受けた植物ではほとんど種子が形成しなかった。
【0036】
[実施例4]
2回のTFMSA処理をして雄性不稔とした、白色種皮を有するIT97K-499-35系統のササゲと、TFMSA処理をしていない29系統の茶色種皮のササゲとの間で、前者を雌、後者を雄として交配させるとF1種子が得られ、それは正常に発芽して正常なF2種子を生じ、そのF2種子は黒色であった(
図4)。黒色の種皮は、F1植物が真のハイブリッドであることを示している(Herniter IA et al (2019) Frontiers in Plant Science 10)。このことは、花粉不稔性を引き起こしている至適TFMSA処理が、雌性の生殖機能には有意な悪影響を与えていないことを実証している。
【0037】
[実施例5]
上述したのと同様の結果を、マメ科以外の真正双子葉植物でも観察することができる。例えば二倍体シロイヌナズナでは個体あたり1.3mg以上、タバコでは個体あたり2.5mg以上の用量でのTFMSA処理後に、機能的花粉形成の欠如が観察できた(
図5)。シロイヌナズナもタバコも、TFMSA処理によって、植物の高さの減少に見られるように、生長が抑制される傾向を有していた。シロイヌナズナはもともとバイオマスが比較的小さい植物であるが、TFMSA処理による生長抑制の影響をより受けやすく、個体あたり5mg以上のTFMSA用量で処理すると植物高は対照の1/4以下になるだけでなく花自体の形成まで阻害されると見られた。しかしながらどちらの種でも、枝数は、TFMSA用量依存的に減少するとは見られなかった。興味深いことに、四倍体のシロイヌナズナは二倍体よりもTFMSAによる生長抑制に対する耐性が強く、試験された最大用量である10mgに至るまで高い植物高を維持し、5mg~10mgの用量でも花を形成した(図示していない)。またトマトでも雄性不稔に関し同様の効果が観察され、濃度依存的に果実の結実数が減少し、2.5mgを施用した場合は全く結実しなかった(
図6)。
【0038】
上記ではTFMSA溶液を地上部、特に葉に施用した例を示してきたが、例えば土壌または養液栽培の養液にTFMSAを投与して、根からTFMSAを吸収させることにより雄性不稔を誘導することも可能である。
図7に示すように、二倍体シロイヌナズナに対して根のみを介してTFMSA処理を行うことで、種子の入ったさやの数が濃度依存的に減少した(自家受粉の実験を示している)。0.5mgのTFMSA処理によって有意な雄性不稔が起こり種子の入ったさやの数が対照と比べ優位に減少し、ほとんど種子を形成しなかった。二倍体シロイヌナズナの葉に施用した場合には0.5mg用量で起こる雄性不稔はまだ限定的であったため(
図5)、根を介した投与は葉を介した投与より効率的であり得る。根から5mgまたは10mgのTFMSA処理を行った場合に花は形成されなかった。図示していないが、根を介して投与されるTFMSA雄性不稔誘導剤の有効性は、双子葉植物だけでなく、パールミレットのような単子葉植物でも確認された。
【0039】
全体として、これらモデル真正双子葉植物における実験では、TFMSAは用量依存的に生長抑制の副作用を有しうるものの、深刻な生長阻害と雌性不稔は回避しながら雄性不稔を引き起こす至適TFMSA用量を植物ごとに決定できると見られた。
【0040】
要約すると、これらの研究では、ササゲ、シロイヌナズナ、タバコおよびトマトを含む真正双子葉植物における有効な雄性不稔誘導剤としてのTFMSAの有用性を分析した。処理された植物は自己受粉された鞘を形成する能力を欠くこと、多様な遺伝子型および種におけるアレクサンダー染色による花粉不稔性の詳細な分析、ならびに条件を異ならせたTFMSA投与の影響の評価により、この技術が真正双子葉植物においてロバストな有効性を有することが確認された。例えばササゲでは植物個体あたり30mg×2のTFMSA処理で実質的に完全な雄性不稔が達成され、他のモデル真正双子葉植物でも、多くの場合比較的低い用量で、雄性不稔が観察された。根を介した投与も有効であった。TFMSAは真正双子葉植物に対して用量依存的に生育を抑制する副作用を有する明確な傾向が観察されたが、上記開示した例を参照して、所与の真正双子葉植物種について、雌性稔性と十分な生長程度を残しながら雄性不稔を誘導するのに適した用量を決定することができるとみられた。
【要約】
トリフルオロメタンスルホンアミド(TFMSA)を有効成分として含む、真正双子葉植物用の雄性不稔誘導剤が提供される。真正双子葉植物にTFMSAを投与することを含む、真正双子葉植物において雄性不稔を誘導する方法も提供される。