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特許7617372摺動部品用鋼材及び摺動部品用鋼材の製造方法
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  • 特許-摺動部品用鋼材及び摺動部品用鋼材の製造方法 図1
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-01-09
(45)【発行日】2025-01-20
(54)【発明の名称】摺動部品用鋼材及び摺動部品用鋼材の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20250110BHJP
   C21D 9/30 20060101ALI20250110BHJP
   C22C 38/18 20060101ALI20250110BHJP
   C22C 38/60 20060101ALI20250110BHJP
【FI】
C22C38/00 301Z
C21D9/30 A
C22C38/18
C22C38/60
【請求項の数】 7
(21)【出願番号】P 2020184795
(22)【出願日】2020-11-05
(65)【公開番号】P2021091957
(43)【公開日】2021-06-17
【審査請求日】2023-07-18
(31)【優先権主張番号】P 2019215584
(32)【優先日】2019-11-28
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100104444
【弁理士】
【氏名又は名称】上羽 秀敏
(74)【代理人】
【識別番号】100174285
【弁理士】
【氏名又は名称】小宮山 聰
(72)【発明者】
【氏名】菊地 なつみ
(72)【発明者】
【氏名】來村 和潔
【審査官】宮脇 直也
(56)【参考文献】
【文献】特開2017-066475(JP,A)
【文献】特開2018-150582(JP,A)
【文献】特開2016-098409(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00 - 38/60
C21D 9/30
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
摺動部品用鋼材であって、
学組成が、質量%で、
C :0.42~0.48%、
Si:0.05~0.60%、
Mn:0.60~0.90%、
P :0.03%以下、
S :0.035%以下、
Al:0.005~0.060%、
N :0.001~0.020%、
Cr:0.10~0.35%、
残部:Fe及び不純物であり、
前記摺動部品用鋼材の少なくとも一部の部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでの組織が、体積分率で30~80%のパーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含む組織であり、
前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでの前記パーライトのラメラ間隔が、90~200nmであり、
前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでのビッカース硬さが、Hv270~300である、摺動部品用鋼材。
【請求項2】
請求項に記載の摺動部品用鋼材であって、
前記パーライトの体積分率が61~80%であり、前記マルテンサイトの体積分率及び前記ベイナイトの体積分率の合計が3~30%であり、前記フェライトの体積分率が3~32%である、摺動部品用鋼材。
【請求項3】
摺動部品用鋼材であって、
学組成が、質量%で、
C :0.35~0.41%、
Si:0.05~0.60%、
Mn:1.35~1.65%、
P :0.03%以下、
S :0.070%以下、
Al:0.005~0.060%、
N :0.001~0.020%、
Cr:0.10~0.35%、
残部:Fe及び不純物であり、
前記摺動部品用鋼材の少なくとも一部の部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでの組織が、体積分率で30~80%のパーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含む組織であり、
前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでの前記パーライトのラメラ間隔が、90~200nmであり、
前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでのビッカース硬さが、Hv270~300である、摺動部品用鋼材。
【請求項4】
請求項に記載の摺動部品用鋼材であって、
前記パーライトのラメラ間隔が、150~200nmである、摺動部品用鋼材。
【請求項5】
請求項1~4のいずれか一項に記載の摺動部品用鋼材であって、
前記部分において、摩擦係数が0.25以下である、摺動部品用鋼材。
【請求項6】
請求項1又は2に記載の摺動部品用鋼材を製造する方法であって、
素材を720~770℃の加熱温度に加熱する工程と、
前記加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が40.0~50.0℃/秒となるように前記素材を冷却する工程とを備える、摺動部品用鋼材の製造方法。
【請求項7】
請求項3又は4に記載の摺動部品用鋼材を製造する方法であって、
素材を720~950℃の加熱温度に加熱する工程と、
前記加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が2.0~7.0℃/秒となるように前記素材を冷却する工程とを備える、摺動部品用鋼材の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動部品用鋼材及び摺動部品用鋼材の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
鉄鋼材料は、自動車用部品、鉄道車両用部品、建築部材、パイプ等の工業製品に広く用いられている。鉄鋼材料は、他の金属材料に比べて機械的強度が高いため、歯車やシャフト等、動力伝達部品に代表される、所謂、摺動部品の材料として用いられる。
【0003】
摺動部品の最大の課題は、部品同士の摩擦や摩耗であり、これらは機械システム全体の不具合や低効率化の原因と考えられている。今後、機械システムの小型軽量化が進むことで、摺動部品の環境は一層厳しくなると予想される。例えば自動車のエンジン部品であるクランクシャフトでは、小型軽量化に伴って、より厳しい環境での耐焼付き性が要求される。これらの問題を解決するためには、現行よりも機械的強度に優る摺動部品用鋼材を開発し、機械システム全体の小型軽量化に備える必要がある。
【0004】
摺動部品の機械的強度を向上させる方法として、鋼材の硬度を引き上げることが考えられる。しかし、鋼材の硬度を引き上げることは、鋼材の加工性を損なうことになり、部品量産時にはリスクを伴う。そのため、摺動部品の摺動性を向上させる方法として、表層のみを選択的に組織制御し、当該部のみを硬化させる方法が有効である。
【0005】
例えば特開平1-230746号公報には、鋳鉄よりなる固定部材と、鋳鉄より高硬度の材料よりなる摺動部材とを具備する摺動部品において、固定部材の表層組織を、マルテンサイト又はマルテンサイトとパーライトとフェライトと黒鉛との混相組織よりなる硬化層、及び酸化物からなる組織とすることが開示されている。
【0006】
また、CrやMo等の金属元素を添加することによって組織の微細化や結晶強度を高めることによって、摩耗を抑制することも有効である。例えば特開2018-44226号公報には、Cr:2.5~3.5質量%、Mo:0.4~0.6質量%を含む鉄合金粉末を用いた耐摩耗性鉄基焼結合金の製造方法が開示されている。また、特開2017-48441号公報には、微細パーライト及びフェライトからなり、硬度がHv250~300であるシームレス鋼管において、Ti、Cr、Ni、Cu、Mo、及びNbの一種又は二種以上を含有することで、強度が向上することが記載されている。
【0007】
特許第5660220号公報には、炭化物の平均径が0.4μm以下であり、炭化物の球状化率が90%以上であり、平均フェライト粒が10μm以上である中炭素鋼板が開示されている。同公報には、巻取り後の鋼に含まれるパーライトの中のセメンタイトの平均ラメラ厚さを0.02~0.5μmにすることも記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0008】
【文献】特開平1-230746号公報
【文献】特開2018-44226号公報
【文献】特開2017-48441号公報
【文献】特許第5660220号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
特開平1-230746号公報は、鋳鉄からなる固定部材の表面の組織を制御したものであり、亜共析鋼に対して同様の技術を適用することはできない。特開2018-44226号公報、特開2017-48441号公報及び特許第5660220号公報は摺動部品用鋼材に関するものではなく、摺動性は不明である。
【0010】
本発明の課題は、摺動性及び加工性に優れた摺動部品用鋼材を提供することである。本発明の他の課題は、摺動性及び加工性に優れた摺動部品用鋼材の製造方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0011】
本発明の一実施形態による摺動部品用鋼材は、化学組成が、質量%で、C:0.15~0.65%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.40~1.70%、P:0.03%以下、S:0.070%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であり、少なくとも表面から10μmの深さまでの組織が、体積分率で30~80%のパーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含む組織である部分を含み、前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでの前記パーライトのラメラ間隔が、90~200nmであり、前記部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでのビッカース硬さが、Hv270~300である。
【0012】
本発明の一実施形態による摺動部品用鋼材の製造方法は、上記の摺動部品用鋼材を製造する方法であって、前記化学組成が、質量%で、C:0.42~0.48%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.60~0.90%、P:0.03%以下、S:0.035%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であり、素材を720~770℃の加熱温度に加熱する工程と、前記加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が40.0~50.0℃/秒となるように前記素材を冷却する工程とを備える。
【0013】
本発明の一実施形態による摺動部品用鋼材の製造方法は、上記の摺動部品用鋼材を製造する方法であって、前記化学組成が、質量%で、C:0.35~0.41%、Si:0.05~0.60%、Mn:1.35~1.65%、P:0.03%以下、S:0.070%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であり、素材を720~950℃の加熱温度に加熱する工程と、前記加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が2.0~7.0℃/秒となるように前記素材を冷却する工程とを備える。
【発明の効果】
【0014】
本発明によれば、摺動性及び加工性に優れた摺動部品用鋼材が得られる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
図1図1は、ボール・オン・ディスク型摩擦・摩耗試験の結果を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明者らは、摺動性及び加工性に優れた鋼材を開発するため、各種鋼材の摺動性及び加工性を調査した。特に、鋼材の組織に着目し、組織ごとの摺動性及び加工性を調査した。その結果、以下の知見を得た。
【0017】
ビッカース硬さがHv270~300の鋼材が、最も良好な摩擦係数を示す。また、鋼材の組織は、パーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含み、パーライトの体積分率が30~80%である組織とすることが好適である。
【0018】
硬質の組織であるマルテンサイト又はベイナイトを含むことにより、フェライト・パーライトからなる鋼材よりも硬さを高くすることができる。一方、硬さを高くしすぎると、加工性が低下することに加えて、摩擦係数も大きくなる。これは、靱性や延性の低下によって、耐摩耗性が低下するためと考えられる。
【0019】
析出炭化物は、鋼材の硬さ及び加工性に影響するとともに、鋼材の摺動性にも影響する重要な因子である。鋼材の摺動性及び加工性を向上させるためには、パーライトのラメラ間隔を制御する必要がある。パーライトのラメラ間隔は、具体的には、硬さと摺動性とのバランスから、90~200nmにすることが好適である。
【0020】
以上の知見に基づいて、本発明は完成された。以下、本発明の一実施形態による摺動部品用鋼材について詳述する。
【0021】
[化学組成]
本実施形態による摺動部品用鋼材は、以下に説明する化学組成を有する。以下の説明において、元素の含有量の「%」は、質量%を意味する。
【0022】
C:0.15~0.65%
炭素(C)は、鋼の焼入れ性を高め、硬さの向上に寄与する。一方、C含有量が高すぎると、鋼の被削性が低下し、加工性が低下する。したがって、C含有量は0.15~0.65%である。C含有量の下限は、好ましくは0.20%であり、さらに好ましくは0.22%である。C含有量の上限は、好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは0.48%である。
【0023】
Si:0.05~0.60%
シリコン(Si)は、脱酸作用及びフェライトを強化する作用を有する。一方、Si含有量が高すぎると、鋼の被削性が低下し、加工性が低下する。したがって、Si含有量は0.05~0.60%である。Si含有量の下限は、好ましくは0.10%であり、さらに好ましくは0.15%である。Si含有量の上限は、好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは0.35%である。
【0024】
Mn:0.40~1.70%
マンガン(Mn)は、鋼の焼入れ性を高め、硬さの向上に寄与する。一方、Mn含有量が高すぎると、鋼の熱間加工性が低下する。したがって、Mn含有量は0.40~1.70%である。Mn含有量の下限は、好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは0.60%である。Mn含有量の上限は、好ましくは1.60%であり、さらに好ましくは1.50%である。
【0025】
Al:0.005~0.060%
アルミニウム(Al)は、窒化物を形成し、結晶粒の微細化に寄与する。一方、Al含有量が高すぎると、鋼の被削性が低下し、加工性が低下する。したがって、Al含有量は0.005~0.060%である。Al含有量の下限は、好ましくは0.010%であり、さらに好ましくは0.020%である。Al含有量の上限は、好ましくは0.050%であり、さらに好ましくは0.045%である。
【0026】
N:0.001~0.020%
窒素(N)は、窒化物や炭窒化物を形成し、結晶粒の微細化に寄与する。一方、N含有量が高すぎると、鋼の熱間延性が低下する。したがって、N含有量は0.001~0.020%である。N含有量の下限は、好ましくは0.002%である。N含有量の上限は、好ましくは0.015%であり、さらに好ましくは0.010%である。
【0027】
P:0.03%以下
リン(P)は、不純物である。P含有量が高すぎると、鋼の疲労強度が低下する。したがって、P含有量は0.03%以下である。P含有量は、好ましくは0.025%以下であり、さらに好ましくは0.02%以下である。
【0028】
S:0.070%以下
硫黄(S)は、不純物である。S含有量が高すぎると、鋼の熱間加工性が低下する。したがって、S含有量は0.070%以下である。S含有量は、好ましくは0.065%以下であり、さらに好ましくは0.060%以下である。Sは、鋼の被削性を向上させるために意図的に含有させる場合がある。この場合、S含有量の下限は、好ましくは0.020%であり、さらに好ましくは0.030%である。
【0029】
本実施形態による摺動部品用鋼材の化学組成の残部は、Fe及び不純物である。ここでいう不純物は、鋼の原料として利用される鉱石やスクラップから混入する元素、あるいは製造過程の環境等から混入する元素をいう。
【0030】
本実施形態による摺動部品用鋼材の化学組成は、上述のFeの一部に代えて、Crを含有してもよい。Crは選択元素である。すなわち、本実施形態による摺動部品用鋼材の化学組成は、Crを含有していなくてもよい。
【0031】
Cr:0~0.35%
クロム(Cr)は、鋼の焼入れ性を高め、硬さの向上に寄与する。Crが少しでも含有されていれば、この効果が得られる。一方、Cr含有量が0.35%を超えると、二相域が狭くなり、望ましい組織を得ることが困難になる。また、炭化物が析出しやすくなる。したがって、Cr含有量は0~0.35%である。Cr含有量の下限は、好ましくは0.01%であり、さらに好ましくは0.03%である。Cr含有量の上限は、好ましくは0.20%であり、さらに好ましくは0.10%である。
【0032】
本実施形態による摺動部品用鋼材は、一つの態様として、化学組成が、質量%で、C:0.30~0.55%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.40~1.20%、P:0.03%以下、S:0.035%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であってもよい。
【0033】
この態様の場合、C含有量の下限は、好ましくは0.35%であり、さらに好ましくは0.42%である。C含有量の上限は、好ましくは0.50%であり、さらに好ましくは0.48%である。Mn含有量の上限は、好ましくは1.00%であり、さらに好ましくは0.90%である。S含有量の上限は、好ましくは0.030%であり、さらに好ましくは0.025%である。
【0034】
本実施形態による摺動部品用鋼材は、別の態様として、化学組成が、質量%で、C:0.42~0.48%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.60~0.90%、P:0.03%以下、S:0.035%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であってもよい。
【0035】
本実施形態による摺動部品用鋼材は、別の態様として、化学組成が、質量%で、C:0.35~0.41%、Si:0.05~0.60%、Mn:1.35~1.65%、P:0.03%以下、S:0.070%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物であってもよい。
【0036】
[組織]
本実施形態による摺動部品用鋼材は、少なくとも表面から10μmの深さまでの組織が、体積分率で30~80%のパーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含む組織である部分を含む。
【0037】
パーライトは、摺動中に加工硬化して耐摩耗性の向上に寄与する。パーライトの体積分率が低すぎると、この効果が十分に得られない。一方、パーライトの体積分率が高すぎると、マルテンサイトやベイナイト、フェライトの体積分率を確保することができず、硬度と加工性とのバランスを保つことが困難になる。そのため、パーライトの体積分率は30~80%である。パーライトの体積分率の下限は、好ましくは31%であり、さらに好ましくは32%である。パーライトの体積分率の上限は、好ましくは78%であり、さらに好ましくは76%である。
【0038】
マルテンサイト及びベイナイトは共に硬質組織であり、鋼の硬さ向上に寄与する。組織にマルテンサイト及びベイナイトのいずれもが全く含まれていない場合、ビッカース硬さをHv270以上にすることが困難になる。マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率との合計の下限は、好ましくは3%であり、さらに好ましくは5%であり、さらに好ましくは10%である。一方、マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率との合計が高すぎると、良好な摺動性が得られず、また、加工性も低下する。マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率との合計の上限は、好ましくは60%であり、さらに好ましくは58%であり、さらに好ましくは56%である。
【0039】
マルテンサイトとベイナイトとが混在した組織では、両者を正確に判別することが困難な場合が多い。そのため本実施形態では、マルテンサイトとベイナイトとを厳密に区別せず、マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率との合計を組織の指標とする。一方、ベイナイトよりもマルテンサイトの方がより硬質な組織であるため、ベイナイトに対するマルテンサイトの割合が明らかに高い組織では、ビッカース硬さがより高くなる。ベイナイトに対するマルテンサイトの割合が特に高い組織においても所定の範囲のビッカース硬さにするためには、マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率のとの合計の上限を30%にすることが好ましい。この場合、マルテンサイトの体積分率とベイナイトの体積分率の上限は、さらに好ましくは26%であり、さらに好ましくは24%である。またこの場合、パーライトの体積分率の下限は、61%にすることが好ましい。この場合、パーライトの体積分率の下限は、さらに好ましくは62%であり、さらに好ましくは65%である。
【0040】
フェライトは軟質組織であり、鋼の加工性の向上に寄与する。フェライトの体積分率の下限は、好ましくは3%であり、さらに好ましくは5%であり、さらに好ましくは10%である。一方、フェライトの体積分率が高すぎると、ビッカース硬さをHv270以上にすることが困難になる。フェライトの体積分率の上限は、好ましくは32%であり、さらに好ましくは26%であり、さらに好ましくは20%である。
【0041】
摺動による影響が及ぶのは、表面から5μm程度である。そのため、少なくとも表面から10μmまでの組織(以下「表層組織」という。)が上述した組織であれば、十分な効果が得られる。換言すれば、表面から10μmよりも深い位置の組織は、摺動性に大きな影響を及ぼさない。そのため、表面から10μmよりも深い位置の組織は、上述した組織以外の組織であってもよい。
【0042】
もっとも、制御する組織の厚さは任意であり、目的によって調整してもよい。上述した組織となる厚さは、好ましくは20μm以上であり、さらに好ましくは50μm以上である。上限は特になく、芯部まで上述した組織であってもよい。
【0043】
本実施形態による摺動部品用鋼材は、鋼材の特定の部分(以下「特定部分」という。)の表層組織だけが上述した組織であってもよい。例えば摺動部品がクランクシャフトの場合、ジャーナルやピンの部分の表層組織だけが上述した組織であってもよい。本実施形態による摺動部品用鋼材は、鋼材の全体が上述した組織であってもよい。
【0044】
本実施形態による摺動部品用鋼材の表層組織は、パーライト、マルテンサイト、ベイナイト及びフェライト以外の組織を含んでいてもよい。本実施形態による摺動部品用鋼材の表層組織に含まれるパーライト、マルテンサイト、ベイナイト及びフェライト以外の組織の体積分率は、好ましくは5%以下であり、さらに好ましくは3%以下であり、さらに好ましくは1%以下である。
【0045】
特定部分の表層組織の体積分率は、次のように測定する。摺動部品用鋼材の特定部分から、表面を含むサンプルを採取する。表面と垂直な面を観察面として、機械研磨及び電解研磨によるエッチングを行う。SEM像及びEBSD像を観察し、各組織の面積率を求める。5箇所以上で測定してその平均値を求め、この値を各組織の体積分率とみなす。
【0046】
[ラメラ間隔]
本実施形態による摺動部品用鋼材は、上述した特定部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでのパーライトのラメラ間隔が90~200nmである。
【0047】
パーライトのラメラ間隔が大きすぎても小さすぎても、良好な摺動性が得られない。また、パーライトのラメラ間隔が大きすぎると、ビッカース硬さをHv270以上にすることが困難になる。一方、パーライトのラメラ間隔が小さすぎると、ビッカース硬さをHv300以下にすることが困難になる。したがって、パーライトのラメラ間隔は90~200nmである。パーライトのラメラ間隔の下限は、好ましくは95nmであり、さらに好ましくは100nmである。パーライトのラメラ間隔の上限は、好ましくは180nmであり、さらに好ましくは160nmである。
【0048】
表面から10μmの深さまでのパーライトのラメラ間隔を規定している理由は、組織の体積分率の場合と同様である。表面から10μmよりも深い位置のラメラ間隔は、上述した範囲から外れていてもよい。パーライトと、マルテンサイト及びベイナイトの少なくとも一方と、フェライトとを含む組織の厚さが10μm以上である場合であっても、この厚さの全体にわたってラメラ間隔が上述した範囲である必要はなく、表面から10μmの深さまでのパーライトのラメラ間隔が上述した範囲であればよい。
【0049】
もっとも、パーライトのラメラ間隔を制御する厚さは任意であり、目的によって調整してもよい。パーライトのラメラ間隔が上述した範囲である厚さは、好ましくは20μm以上であり、さらに好ましくは50μm以上である。
【0050】
パーライトのラメラ間隔は、次のように測定する。摺動部品用鋼材の特定部分から、表面を含むサンプルを採取する。表面と垂直な面を観察面として、機械研磨及び電解研磨によるエッチングを行う。倍率5000倍以上のSEM像を観察し、析出セメンタイトの厚さ方向中央から隣接する析出セメンタイトの厚さ方向中央までの距離を測定し、3点以上を測定した平均値をラメラ間隔とする。
【0051】
[ビッカース硬さ]
本実施形態による摺動部品用鋼材は、上述した特定部分において、少なくとも表面から10μmの深さまでのビッカース硬さがHv270~300である。
【0052】
ビッカース硬さが高すぎても低すぎても、良好な摺動性が得られない。また、ビッカース硬さが高すぎると、加工性が低下する。したがって、ビッカース硬さはHv270~300である。ビッカース硬さの下限は、好ましくはHv275であり、さらに好ましくはHv280である。ビッカース硬さの上限は、好ましくはHv295であり、さらに好ましくはHv290である。
【0053】
表面から10μmの深さまでのビッカース硬さを規定している理由は、組織の体積分率の場合と同様である。表面から10μmよりも深い位置のビッカース硬さは、上述した範囲から外れていてもよい。もっとも、ビッカース硬さを制御する厚さは任意であり、目的によって調整してもよい。ビッカース硬さが上述した範囲である厚さは、好ましくは20μm以上であり、さらに好ましくは50μm以上である。
【0054】
ビッカース硬さは、摺動部品用鋼材の特定部分から表面を含むサンプルを採取し、表面に垂直な面を試験面として、JIS Z 2244(2009)に準拠して測定することができる。試験力は1kgf(9.807N)とし、5点以上を測定した平均値をビッカース硬さとする。表面に近い部分のビッカース硬さは、表面に対してナノインデンテーションを行うことで、押し込み深さごとの硬さを測定することができる。
【0055】
[摩擦係数]
本実施形態による摺動部品用鋼材は、好ましくは、上述した特定部分において、摩擦係数が0.25以下である。
【0056】
[製造方法]
以下、本実施形態による摺動部品用鋼材の製造方法を説明する。
【0057】
上述した化学組成の素材を準備する。素材は例えば、熱間鍛造品である。例えば、上述した化学組成を有する鋼を溶製し、連続鋳造又は分塊圧延を実施して鋼片にした後、鋼片を熱間鍛造して摺動部品の粗形状に加工したものを素材とすることができる。熱間鍛造後の素材に切削加工等を施してもよい。
【0058】
素材の少なくとも一部を、所定の加熱温度に加熱して所定時間保持する。
【0059】
保持時間が短すぎると、望ましい組織が安定して得られない。一方、保持時間が長すぎると、結晶粒が粗大化する。保持時間の下限は、好ましくは900秒であり、さらに好ましくは1200秒であり、さらに好ましくは1500秒である。保持時間の上限は、好ましくは3600秒であり、さらに好ましくは3000秒であり、さらに好ましくは2700秒である。
【0060】
続いて、加熱した部分を所定の速度で冷却する。加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が小さすぎても大きすぎても、所望の組織、パーライトのラメラ間隔、及びビッカース硬さが得られない。具体的には、この温度域の冷却速度が小さすぎると、フェライトの体積分率が大きくなってパーライトの体積分率が小さくなる、パーライトのラメラ間隔が過度に大きくなる、又はビッカース硬さが過度に低くなる場合がある。一方、この温度域の冷却速度が大きすぎると、パーライトの体積分率が小さくなる、パーライトのラメラ間隔が過度に小さくなる、又はビッカース硬さが過度に高くなる場合がある。
【0061】
250℃よりも低い温度域の冷却速度は任意である。ただし、250℃よりも低い温度域を強冷すると、変態膨張により割れが発生する場合がある。そのため、250℃よりも低い温度域の冷却速度は、50.0℃/秒以下とすることが好ましい。
【0062】
上記の加熱及び冷却は、例えば高周波誘導加熱によって素材の表層のみに行ってもよいし、熱処理炉によって素材の全体に行ってもよい。
【0063】
冷却後、マルテンサイト中に炭化物を析出させないため、焼戻しを実施しないことが好ましい。本実施形態による摺動部品用鋼材は、焼戻しを実施しなくても、遅れ破壊は生じにくい。
【0064】
次に、加熱温度及び冷却速度について詳述する。上述した製造方法において、素材の化学組成に応じて、(1)素材を二相域から冷却する、及び、(2)所定の温度域を緩冷却することのいずれか実施する。より具体的には、素材の化学組成に応じて、(1)素材を720~770℃の加熱温度に加熱した後、加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が40.0~50.0℃/秒となるように冷却する、あるいは、(2)720~950℃の加熱温度に加熱した後、加熱温度から250℃までの温度域の平均冷却速度が2.0~7.0℃/秒となるように冷却する。
【0065】
焼入れ性が比較的低い素材(例えば化学組成が、質量%で、C:0.42~0.48%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.60~0.90%、P:0.03%以下、S:0.035%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物である素材)の場合、上記(1)で製造する。
【0066】
上記(1)で製造する場合の加熱温度の下限は、好ましくは730℃である。上記(1)で製造する場合の加熱温度の上限は、好ましくは760℃である。上記(1)で製造する場合の平均冷却速度の下限は、好ましくは42.0℃/秒である。上記(1)で製造する場合の平均冷却速度の上限は、好ましくは48.0℃/秒であり、より好ましくは46.0℃/秒である。
【0067】
なお、上記(1)で製造した場合、ベイナイトに対するマルテンサイトの割合が高くなる傾向がある。
【0068】
そのため、焼入れ性が比較的低い素材(例えば化学組成が、質量%で、C:0.42~0.48%、Si:0.05~0.60%、Mn:0.60~0.90%、P:0.03%以下、S:0.035%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物である素材)の場合、パーライトの体積分率が61~80%であり、マルテンサイトの体積分率及びベイナイトの体積分率の合計が3~30%であり、フェライトの体積分率が3~32%であることが好ましい。
【0069】
一方、焼入れ性が比較的高い素材(例えば化学組成が、質量%で、C:0.35~0.41%、Si:0.05~0.60%、Mn:1.35~1.65%、P:0.03%以下、S:0.070%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物である素材)の場合、上記(2)で製造する。
【0070】
上記(2)で製造する場合の加熱温度の下限は、好ましくは730℃である。上記(2)で製造する場合の加熱温度の上限は、好ましくは940℃である。上記(2)で製造する場合の平均冷却速度の下限は、好ましくは3.0℃/秒であり、より好ましくは4.0℃/秒である。上記(2)で製造する場合の平均冷却速度の上限は、好ましくは6.0℃/秒である。
【0071】
なお、上記(2)で製造した場合、パーライトのラメラ間隔が大きくなる傾向がある。
【0072】
そのため、焼入れ性が比較的高い素材(例えば化学組成が、質量%で、C:0.35~0.41%、Si:0.05~0.60%、Mn:1.35~1.65%、P:0.03%以下、S:0.070%以下、Al:0.005~0.060%、N:0.001~0.020%、Cr:0~0.35%、残部:Fe及び不純物である素材)の場合、パーライトのラメラ間隔は150~200nmであることが好ましい。
【0073】
以上、本発明の一実施形態による摺動部品用鋼材を説明した。本実施形態による摺動部品用鋼材は、優れた摺動性及び加工性を備える。そのため、本実施形態による摺動部品用鋼材は、摺動部品の材料として好適である。摺動部品は例えば、クランクシャフトである。
【実施例
【0074】
以下、実施例によって本発明をより具体的に説明する。本発明はこれらの実施例に限定されない。
【0075】
表1に示す化学組成を有する鋼を150kg真空誘導溶解炉(VIM)によって溶製し、インゴットを作製した。
【0076】
【表1】
【0077】
このインゴットを950~1200℃で熱間鍛造し、厚さ130mm、幅130mm、長さ1120mmにした後、厚さ7mm、幅160mmまで圧延し、長さ500mmに切断してから表2に記載の熱処理を行った。なお、熱処理前の組織は、フェライト・パーライト組織であった。
【0078】
【表2】
【0079】
熱処理後の鋼板の肉厚方向中央から20mm角、厚さ2mmの試験片を採取した。試験片の表面(20mm×20mmの面)は鏡面仕上げとした。本実施例ではバルクの組織が得られているため、試験片の表面を観察面又は試験面として組織、パーライトのラメラ間隔、及びビッカース硬さの測定を行った。試験片の表面を観察面又は試験面とした他は、実施形態で説明した方法に沿って測定を行った。結果を前掲の表2に示す。
【0080】
表2において、「P」、「M+B」、及び「F」はそれぞれ、パーライトの体積分率、マルテンサイトの体積分率及びベイナイトの体積分率の合計、並びにフェライトの体積分率を示す。ただし、試験片番号28及び29の試験片の組織は、マルテンサイトではなく焼戻しマルテンサイトを主体とする組織であった。
【0081】
表2の「熱処理条件」の欄には、鋼板に加えた熱処理の条件を記載している。例えば試験片番号1の「770℃×1800秒→水冷(47℃/秒)」は、770℃で1800秒保持した後、250℃までの温度域を47℃/秒の平均冷却速度で水冷したことを表す。
【0082】
熱処理後の鋼板から20mm×20mm、厚さ2mmの試験片を採取し、この試験片を用いてボール・オン・ディスク型摩擦・摩耗試験を実施して摺動性を評価した。試験機は、CSM Instruments社製Tribometerを使用した。
【0083】
試験片の表面は#1000の砥粒を用いて粗研磨し、最終的には0.3μmのダイヤモンドスラリーを用いて鏡面仕上げを行った。ボールは直径6mmのアルミナ製のものを使用し、荷重:10N、試験温度:室温、回転直径:6mm、摩擦速度:10mm/秒、潤滑剤:なしの条件で摩擦試験を実施した。摩擦係数は、試験機のソフトウェアから提供される値を用いた。摺動距離:800mmのときの摩擦係数が0.25以下であるものを「良」と評価し、それ以外を「不可」と評価した。
【0084】
加工性は、ビッカース硬さがHv300以下のものを「良」、Hv300を越えるものを「不可」とした。総合評価は、摺動性及び加工性の両方が「良」であるものを「合格」とし、摺動性及び加工性のいずれかが「不可」であるものを「不合格」とした。結果を表3に示す。
【0085】
【表3】
【0086】
表2及び3に示すように、試験片番号1~11の鋼材は、パーライトの体積分率が30~80%であり、パーライトのラメラ間隔が90~200nmであり、ビッカース硬さがHv270~300であった。これらの鋼材は、摩擦係数が0.25以下であり、優れた摺動性を示した。
【0087】
試験片番号12の鋼材は、摺動性が劣っていた。これは、パーライトの体積分率が高すぎたためと考えられる。
【0088】
試験片番号13及び14の鋼材は、摺動性及び加工性が劣っていた。これは、パーライトのラメラ間隔が小さすぎたためと考えられる。
【0089】
試験片番号15の鋼材は、摺動性及び加工性が劣っていた。これは、パーライトの体積分率が低すぎたためと考えられる。
【0090】
試験片番号16~22及び31の鋼材は、摺動性が劣っていた。これは、マルテンサイト及びベイナイトの体積分率が小さすぎたためと考えられる。
【0091】
試験片番号23~27及び30の鋼材は、組織をマルテンサイトに調整したものである。これらの鋼材は、摺動性及び加工性が劣っていた。
【0092】
試験片番号28及び29の鋼材は、組織を焼戻しマルテンサイトに調整したものである。これらの鋼材は、摺動性が劣っていた。
【0093】
図1は、試験片番号3、16(フェライト・パーライト)、23(マルテンサイト)、及び28(焼戻しマルテンサイト)のボール・オン・ディスク型摩擦・摩耗試験の結果を示すグラフである。図1に示すように、試験片番号3の鋼材で最も良好な摺動性が得られていることが分かる。
【0094】
以上、本発明の一実施形態を説明したが、上述した実施形態は本発明を実施するための例示に過ぎない。よって、本発明は上述した実施形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施形態を適宜変形して実施することが可能である。
図1