(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-01-29
(45)【発行日】2025-02-06
(54)【発明の名称】高耐食ステンレス鋼部品およびその製造方法、ステンレス鋼部品の熱処理方法、ならびに転がり軸受およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20250130BHJP
C21D 1/18 20060101ALI20250130BHJP
C21D 1/76 20060101ALI20250130BHJP
C21D 6/00 20060101ALI20250130BHJP
C21D 9/40 20060101ALI20250130BHJP
C22C 38/32 20060101ALI20250130BHJP
F16C 33/62 20060101ALI20250130BHJP
F16C 33/64 20060101ALI20250130BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C21D1/18 Y
C21D1/76 F
C21D6/00 102J
C21D9/40 A
C22C38/32
F16C33/62
F16C33/64
(21)【出願番号】P 2022551526
(86)(22)【出願日】2020-09-25
(86)【国際出願番号】 JP2020036329
(87)【国際公開番号】W WO2022064643
(87)【国際公開日】2022-03-31
【審査請求日】2023-07-13
(73)【特許権者】
【識別番号】000114215
【氏名又は名称】ミネベアミツミ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100096884
【氏名又は名称】末成 幹生
(72)【発明者】
【氏名】種田 翔太
(72)【発明者】
【氏名】前野 圭輝
【審査官】小川 武
(56)【参考文献】
【文献】特開2010-077525(JP,A)
【文献】特開2000-345304(JP,A)
【文献】特開平10-036945(JP,A)
【文献】国際公開第2018/008674(WO,A1)
【文献】特開平09-302449(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00-38/60
C21D 1/18,1/76,6/00,9/40
F16C 33/62、33/64
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
重量比で、Cを0.35~0.43%、Siを0.5%以下、Mnを0.5%以下、Pを0.04%以下、Sを0.04%以下、Crを15~17%、Wを0.1~0.3%、Moを1.5~3.0%、Bを0.001~0.005%、Nを0.12~0.18%含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼からなり、全外面
から深さが50μmまでの範囲にある表層部の基地組織が残留オーステナイトとマルテンサイト
のみからなる二相混合組織となっており、
前記二相混合組織は、15体積%以下の残留オーステナイトを含み、表面硬さがHRC57以上である高耐食ステンレス鋼部品。
【請求項2】
熱処理後に研削加工が行われない部分を含む請求項1に記載の高耐食ステンレス鋼部品。
【請求項3】
JISZ2371規格による中性塩水噴霧試験を96時間実施した後のレイティングナンバが9.8以上である請求項1
または2に記載の高耐食ステンレス鋼部品。
【請求項4】
前記高耐食ステンレス鋼部品は転がり軸受の軌道輪である請求項1~
3のいずれかに記載の高耐食ステンレス鋼部品。
【請求項5】
内輪と外輪との間に複数の転動体を配置した転がり軸受において、少なくとも外輪または内輪が請求項
4に記載の軌道輪である転がり軸受。
【請求項6】
前記熱処理後に研削加工が行われない部分は前記外輪または内輪の軌道溝の軸方向外側に位置する円筒面を含み、前記円筒面の外面から深さが50μmまでの範囲にある表層部の基地組織が残留オーステナイトとマルテンサイトとを含む二相混合組織である請求項5に記載の転がり軸受。
【請求項7】
前記熱処理後に研削加工が行われない部分は前記外輪または内輪の少なくとも一方に形成されたシール溝を含み、前記シール溝の外面から深さが50μmまでの範囲にある表層部の基地組織が残留オーステナイトとマルテンサイトとを含む二相混合組織である請求項5に記載の転がり軸受。
【請求項8】
内輪と外輪との間に複数の転動体を配置した転がり軸受において、内輪および外輪が請求項
4に記載の軌道輪である転がり軸受。
【請求項9】
複数の単体部品を含む組立品であって、少なくとも一つの前記単体部品が請求項1~
4のいずれかに記載の高耐食ステンレス鋼部品である組立品。
【請求項10】
重量比で、Cを0.35~0.43%、Siを0.5%以下、Mnを0.5%以下、Pを0.04%以下、Sを0.04%以下、Crを15~17%、Wを0.1~0.3%、Moを1.5~3.0%、Bを0.001~0.005%、Nを0.12~0.18%含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼からなる中間部品を準備するステップと、
前記中間部品を窒素分圧1000Pa以上、かつ10000Pa未満の窒素雰囲気において、1050~1120℃の範囲内の温度まで加熱して焼入れするステップと、
を含む高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法。
【請求項11】
前記焼入れの後に、前記中間部品を-30~ ―90℃の範囲内の温度まで冷却するサブゼロ処理のステップと、
前記サブゼロ処理後に150~200℃の範囲内の温度まで加熱して焼戻すステップと、
を含む請求項
10に記載の高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法。
【請求項12】
前記
高耐食性ステンレス鋼部品が、転がり軸受の軌道輪である請求項
10または
11に記載の高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法。
【請求項13】
請求項
10~
12のいずれかに記載の高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法を含む高耐食ステンレス鋼部品の製造方法。
【請求項14】
内輪と外輪との間に複数の転動体を配置した転がり軸受の製造方法であって、少なくとも内輪または外輪が請求項
13に記載の高耐食ステンレス鋼部品の製造方法で製造される転がり軸受の製造方法。
【請求項15】
炉内圧力を大気圧から200Pa以下まで減圧してから窒素ガスを導入する請求項10~12のいずれかに記載の高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、耐食性に優れた高耐食ステンレス鋼部品に関するものである。
【背景技術】
【0002】
一般に、耐食性が要求される転がり軸受では、軸受材料としてSUS440Cに代表されるマルテンサイト系ステンレス鋼が使用される。しかし、SUS440Cは、耐食性を向上させるクロムを16~18重量%含むが、硬さを確保するために炭素含有量も0.95~1.2重量%と高く、それによって20μm程度のクロム炭化物が多数生成されるので耐食性はさほど高くない。したがって、強アルカリ消毒液または海水や雨水などにさらされるような厳しい腐食環境での使用には適していない。また、フェライト系ステンレス鋼やオーステナイト系ステンレス鋼は、マルテンサイト系ステンレス鋼よりも耐食性に優れるものの、低強度であり、例えばオーステナイト系ステンレス鋼は冷間加工を施しても硬さはHRC40程度であり、転がり軸受には殆ど使用されていない。
【0003】
そこで、高耐食性と高い硬さを兼ね備えたマルテンサイト系ステンレス鋼として、特許文献1のように、炭素含有量を減らす代わりに窒素とモリブデンを含有させて高耐食性と
高い硬さを両立させた高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼が開発されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
特許文献1に開示された高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼は、窒素を多く固溶したもので、このような窒素を多く固溶したマルテンサイト系ステンレス鋼は、所望の硬度を得るために真空炉内で焼入れされる。クロムやモリブデンはフェライト生成を助長する元素であるのに対して、窒素はオーステナイト安定化元素であり、フェライト生成を抑制する。そのため、真空焼入れ時に表層部の窒素が抜け出ると窒素濃度が低下することによってフェライト抑制効果が弱まり、表層部にフェライトが生成されて所望の硬さが得られない場合がある。転がり軸受規格のJIS B1511:1993では、転がり軸受の軌道輪の硬さはHRC57~65の範囲内であることが要求されているが、本発明者はフェライト生成によって表層部(表面からおおよそ深さ50μm以内の範囲)における硬さがHRC55未満にしかならない場合があることを確認した。
【0006】
また、フェライトは体心立方格子構造のため炭素の固溶限界が低い。フェライトは炭素の固溶限が727℃で約0.02重量%に過ぎない。したがって、オーステナイト温度域
から冷却して表層部にフェライトが析出し始めると炭素はフェライトの外部へ放出される。これにより、フェライトの周囲に炭素が濃化してクロム炭化物を生成する。フェライトの周囲のクロムが炭化物に使用されることでクロム欠乏層となり、結果的にフェライト周辺の耐食性が低下するという問題も生じる。
【0007】
本発明は、上記事情に鑑みてなされたもので、表層部にフェライトを含有せずに、高耐食性と高い硬さを両立させた高耐食ステンレス鋼部品を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者は、窒素を多く固溶した高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼に対して、窒素分圧1000Pa以上、かつ10000Pa未満の窒素雰囲気で1050~1120℃の範囲の温度まで加熱して焼入れを行うことにより、固溶された窒素が表層部から抜け出ることが抑制されて表層部にフェライト組織が生成されないことを見出した。
【0009】
本発明は、上記知見に基づいてなされたもので、重量比で、Cを0.35~0.43%、Siを0.5%以下、Mnを0.5%以下、Pを0.04%以下、Sを0.04%以下、Crを15~17%、Wを0.1~0.3%、Moを1.5~3.0%、Bを0.001~0.005%、Nを0.12~0.18%含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼からなり、全外面から深さが50μmまでの範囲にある表層部の基地組織が残留オーステナイトとマルテンサイトのみからなる二相混合組織となっており、表面硬さがHRC57以上である高耐食ステンレス鋼部品である。
【0010】
本発明の高耐食ステンレス鋼部品は、全外面の表層部の基地組織が残留オーステナイトとマルテンサイトとを含む二相混合組織を呈するから、表層部におけるフェライトの面積率がゼロ、すなわちフェライトが存在しない。その結果、HRC57以上という高い表面硬さを得ることができる。また、表層部にフェライトが存在しないために部分的に炭素が濃化するようなことがなく、したがって、クロム炭化物の生成によるクロム欠乏層の形成が抑制されるので、耐食性を向上させることができる。
【0011】
本発明の他の特徴は、外輪および/または内輪が上記高耐食ステンレス鋼部品で構成された転がり軸受である。本発明のさらに他の特徴は、複数の単体部品を含む組立品であって、少なくとも一つの前記単体部品が上記高耐食ステンレス鋼部品である組立品である。
【0012】
本発明のさらに他の特徴は、重量比で、Cを0.35~0.43%、Siを0.5%以下、Mnを0.5%以下、Pを0.04%以下、Sを0.04%以下、Crを15~17%、Wを0.1~0.3%、Moを1.5~3.0%、Bを0.001~0.005%、Nを0.12~0.18%含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼からなる中間部品を準備するステップと、前記中間部品を窒素分圧1000Pa以上、かつ10000Pa未満の窒素雰囲気において、1050~1120℃の範囲内の温度まで加熱して焼入れするステップとを含む高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法である。本発明のさらに他の特徴は、上記高耐食ステンレス鋼部品の熱処理方法を含む高耐食ステンレス鋼部品の製造方法である。
【0013】
次に、本発明における成分の限定理由を説明する。なお、以下の説明において「%」は特に断らない限り「重量%」を意味するものとする。
【0014】
・C:0.35~0.43%
Cは鋼部品の硬さ(耐摩耗性)を確保するのに有効な成分であるが、オーステナイト生成元素でもあるので、多量に添加すると共晶炭化物を生成し易く、割れが発生し易くなる。また、過剰な添加は耐食性も劣化させるため、良好な耐食性が確認された0.43%を上限とした。そして、熱処理後の表層部にフェライトが生成されず、HRC57以上の硬さが得られた0.35%を下限とした。
【0015】
・Si:0.5%以下
Siを過剰に含有していると靭性を著しく低下させ熱間加工性に有害になるので少ない方がよいが、製造コストを考慮して0.5%以下とした。
【0016】
・Mn:0.5重量%以下
Mnはオーステナイト安定化元素であり、過度の添加は残留オーステナイト量を増加させるため、熱処理後の硬さを低下させ、耐食性も劣化させる他、経年による寸法変化を起こしやすい。したがって、Mnは少ない方がよいが製造コストを考慮して含有量は0.5%以下とした。
【0017】
・P:0.04%以下
Pは、結晶粒界に析出して冷間脆性を引き起こす成分であるので、冷間脆性を避けるためにできるだけ少ないことが望ましいが、製造コストとの兼ね合いで含有量を0.04%以下とした。
【0018】
・S:0.04%以下
Sは、耐食性を劣化させたり熱間加工性を劣化させたりするので、含有量を0.04%以下の範囲とした。
【0019】
・Cr:15~17%
Crは、ステンレス鋼にとって、強固な不導体被膜を形成するので、高い耐食性を得るためには不可欠な元素であり、多量の添加が必要である。塩水噴霧試験結果ではCr含有量が15%を下回ると、後述するようにNの含有量が十分でも良好な耐食性が得られなかったことから15%を下限とした。しかしながら、Crはフェライトを生成させることでマルテンサイト化を阻害する要因にもなり得る。Crの含有量が17%を超える場合には、焼入れ後の表層部にフェライトが生成しており、硬度の低下を招いていたことから、17%を上限とした。
【0020】
・Mo:1.5~3.0%
MoはNの固溶限を高めるとともに、耐食性を改善し、焼入れ性を向上させる効果を有する。このような効果を得るためには1.5%以上の添加が必要である。しかしながら、過度の添加は靭性の低下と表層付近のフェライト生成を招くので3.0%を上限とした。
【0021】
・N:0.12~0.18%
Nは、マルテンサイト系ステンレス鋼の熱処理後の表面硬さと耐食性を向上させるために非常に有効な元素である。そのような効果を得るためには、Nの含有量は0.12%以上必要である。一方、加圧溶解法よりも経済的な大気溶解で材料中にブロー(気泡)の発生がなく、実用に供し得るマルテンサイト系ステンレス鋼が製鋼できた固溶限界は0.18%であったため、0.18%を上限とした。これによって製造コストを抑制した。
【0022】
・B:0.001%~0.005%
Bを添加するとBNが析出して強度の向上に有効で、かつ焼入れ性を高めるが、この効果を得るためには0.001%以上の添加が必要である。一方、過度の添加は靭性の低下を招くので、添加量の上限を0.005%以下とする。
【0023】
・W:0.1%~0.3%
Wは耐食性を向上させると共に固溶強化元素として作用して強度の向上に寄与する成分である。この作用を得るためには、0.1%以上の添加が必要である。一方、過度の添加は靭性の低下を招くので、問題のない性能が得られた0.3%を上限とした。
【0024】
・基地組織
基地組織は、残留オーステナイトが13体積%以下、残部がマルテンサイトを含む二相混合組織であることが望ましい。軟質な残留オーステナイトを13体積%以下に抑え、残部をマルテンサイトとすることにより、HRC57以上の硬さを確保することができる。なお、基地組織とは、炭化物や窒化物および介在物を除く基地(マトリックス)の組織をいう。
【発明の効果】
【0025】
本発明によれば、表層部にフェライトを含有せずに、高耐食性と高硬度を両立させた高耐食ステンレス鋼部品を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0026】
【
図1】本発明の実施形態の転がり軸受を示す断面図である。
【
図2】実施形態の転がり軸受の外輪(A)と内輪(B)を示す断面図である。
【
図3】比較例の転がり軸受の外輪(A)と内輪(B)の一例を示す断面図である。
【
図4】他の比較例の転がり軸受の外輪(A)と内輪(B)の一例を示す断面図である。
【
図5】本発明の実施形態の金属組織の顕微鏡写真である。
【発明を実施するための形態】
【0027】
図1は本発明の実施形態の転がり軸受(深溝玉軸受、組立品)10を示す断面図である。
図1に示すように、転がり軸受10は、軌道輪として外輪1と内輪2を有する。外輪1
の内周面には断面弧状の軌道溝1aが形成され、内輪2の外周面には断面弧状の軌道溝2aが形成されている。軌道溝1a,2aの間には、転動体として周方向に沿って複数の玉3が等間隔に配置されている。複数の玉3は、保持器4の複数のポケットにそれぞれ保持されている。保持器4は例えばポリアミドやポリエーテルエーテルケトンなどの樹脂または金属で形成することができる。また、保持器4の種類は特に限定されず、冠型保持器、もみ抜き保持器、波型保持器など、任意の形状を選択できる。
図1の保持器4は冠型保持器である。
【0028】
外輪1と内輪2との間の軸受空間5は金属製のシール部材6(金属シールド)で密封されている。シール部材6としては金属シールドに限らず、非接触形または接触形のゴムシールを用いることもできる。また、軸受空間5には潤滑剤としてグリースが封入されている。使用されるグリースは転がり軸受10の用途に合わせて選択される。代表的なグリースとしてはリチウム石鹸グリースとウレアグリースがあるが、これらに限定されるものではない。
【0029】
外輪1と内輪2は高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼で形成されている。また、外輪1と内輪2には焼入れ、サブゼロ処理および焼戻しを含む本発明による熱処理が施されている。外輪1と内輪2の全面に亘って表層部の基地組織はマルテンサイトと13体積%以下の残留オーステナイトとで構成されており、フェライトは生成されていない。
【0030】
すなわち、外輪1と内輪2の全面に亘って表層部におけるフェライトの面積率はゼロである。それによって表面および内部の硬さがHRC57以上に高められている。なお、用途によっては外輪または内輪のみに高耐食性が要求される場合がある。そのような場合は、外輪のみまたは内輪のみに本発明による高耐食ステンレス鋼部品を用いてもよい。たとえば、自動車のスライドドアを支持する転がり軸受は、主に外輪が雨水や泥水にさらされるので、外輪の方により高い耐食性が求められる。
【0031】
玉3は金属製またはセラミックス製とすることができる。なお、転がり軸受の転動体は球状の玉3に限らず、転動体を円柱状のころにして転がり軸受をころ軸受とすることもできる。玉3を金属製とした場合は、その材料を外輪1および内輪2と同じ高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼とすることができる。これにより、外輪1および内輪2と同程度以上の耐食性と硬さを有する玉3が得られる。しかしながら、使用環境が厳しい腐食環境でなければ、玉3はグリースによってある程度は防錆されるので、高耐食マルテンサイト系ステンレス鋼よりも耐食性の劣る軸受鋼(例えばSUJ2)や従来の軸受用マルテンサイト系ステンレス鋼(例えばSUS440C)などを用いてもよい。
【0032】
図2は本発明による熱処理を施した後の本実施形態の外輪1と内輪2を示している。
図2に示すように、本実施形態の外輪1と内輪2では全面の表層部にフェライトが生成されていない。一方、
図3は同じ熱処理を施した後の比較例の外輪1と内輪2を示している。比較例の外輪1と内輪2では全面の表層部にフェライトが生成されている。熱処理後、外輪1の端面、外側円筒面(外径面)と軌道溝1a、および内輪2の端面、内側円筒面(内径面)と軌道溝2aは、研削加工で仕上げられる。
【0033】
図4は
図3の外輪と内輪に仕上げの研削加工を施して表層部のフェライト層を除去した後の状態を示している。
図4に示すように、外輪1の端面、外側円筒面と軌道溝1a、および内輪2の端面、内側円筒面と軌道溝2aは、研削加工で仕上げられているので、これらの部分における表層部のフェライト層は除去されている。しかしながら、仕上げ時に研削加工が行われない軌道溝1a,2aの軸方向外側に位置する円筒面、シール部材6を取り付けるためのシール溝や面取り部などには仕上げ後も表層部にフェライト層が残ったままになる。前述したように表層部のフェライト層は耐食性と硬さの低下を招く。したがって、
図4のような外輪1と内輪2を用いた転がり軸受には耐食性と硬さが劣る部分が残るので望ましくない。また、軌道溝1aの表面は超仕上げで仕上げられるので、
図4の状態にするためには除去量が多すぎて困難であり、製造コストの増大につながる。そのため、熱処理で表層部にフェライト層を生成させないことは製造コストを抑制するためにも重要である。
【0034】
次に、実施形態の転がり軸受を得るための熱処理条件について説明する。
切削加工で外輪と内輪を形成した後、窒素分圧1000Pa以上、かつ10000Pa未満の窒素雰囲気にした熱処理炉で1050~1120℃の範囲の温度まで加熱して焼入れし、次いで、-30~ ―90℃の範囲の温度まで冷却するサブゼロ処理を行ってから1
50~200℃の範囲の温度で焼戻しを行うのが望ましい。サブゼロ処理は、残留オーステナイト量を低減させて硬さを高めるのに有効だからである。
【0035】
・焼入れ時の窒素分圧
窒素分圧が1000Pa未満であると焼入れ時に表層部の窒素濃度が低下してフェライトが生成される。一方、窒素分圧が10000Pa以上であると、本発明によるマルテンサイト系ステンレス鋼の場合、表層部に窒素が固溶されて窒素濃度が高くなりすぎるおそれがある。窒素の外部からの固溶は、焼入れ焼戻し後の残留オーステナイト生成量を増大させ、焼戻し硬さの低下を招く。また、窒素添加により窒化物が生成されるが、外部からの固溶によって過剰に添加されると硬さの向上よりも靭性低下の効果が大きくなり、脆性破壊が助長される。
【0036】
したがって、表層部から窒素が抜けないようにするとともに窒素の外部からの固溶も避けるために、窒素分圧は1000Pa以上、かつ10000Pa未満であることが望ましい。このような窒素雰囲気を得るためには、炉内圧力を大気圧から200Pa以下、より好ましくは100Pa以下まで減圧してから窒素ガスを導入するのが好ましい。このように窒素ガス導入前に炉内を充分に減圧しておけば、窒素ガス以外のガスや水分の量が低減されて、金属との予期せぬ反応を避けることができる。
【0037】
・焼入れ温度
焼入れ温度が1050℃未満では、急冷(油または水焼入れ)によるマルテンサイトの生成が充分ではなくHRC57以上の硬さを得ることが困難となる。一方、焼入れ温度が1120℃を超えると、旧オーステナイト結晶粒の粗大化と炭化物が固溶するためHRC57以上の硬さを得ることが困難となる。よって、焼入れ温度は1050~1120℃であることが望ましい。
【0038】
なお、本発明は転がり軸受の軌道輪や転動体に限定されるものではなく、ボルトやナットなど機械部品として用いられるあらゆる高耐食ステンレス鋼部品に適用可能である。
【実施例】
【0039】
表1にマルテンサイト系ステンレス鋼の実施例と比較例の成分含有量を重量%で示す。また、本発明の望ましい含有量範囲を有効範囲と称して示す。
【0040】
1.硬さおよび耐食性調査
表1に示す成分のマルテンサイト系ステンレス鋼のバー材を機械加工することによって、外径13mm、内径11.54mm、高さ4mmの中間部品を製作し、熱処理炉を用いて表1に示す窒素分圧および焼入れ温度の条件で焼入れを行い、-30~ ―90℃の温
度範囲に冷却するサブゼロ処理を行った後、150~200℃の温度範囲で焼戻しを行なってリング状の試料を得た。
【0041】
こうして得られた試料の表面から20μmの深さにおける硬さを測定した。また、試料の断面を鏡面研磨した後エッチングして、表面から深さ50μm×幅100μmの領域の組織を金属顕微鏡で3箇所観察した。そして、
図5に示す組織写真を画像解析して50μm×100μmの領域ごとにおけるフェライトの面積率(面積%)を算出し、その平均値を表1に示した。また、残留オーステナイト(残留γ)量はX線回折法による体積率(体積%)をX線応力測定装置(PROTO社製、型番iXRD)で測定して求めた。
【0042】
また、表1に示す成分のマルテンサイト系ステンレス鋼のバー材から長さ50mm、幅20mm、厚さ2mmの板を機械加工によって製作し、上記と同じ条件で熱処理を行った。こうして得られた試料に対して、JIS Z2371に準じて96時間の中性塩水噴霧試験を行い、JIS Z2371:2015規格のレイティングナンバ法に基づいてレイティングナンバを評価した。レイティングナンバが9.8以上の耐食性を良好と判断して評価を「A」とし、9.8未満の耐食性を不十分として評価を「B」とした。以上の測定結果および試験結果は、各試料の材料成分とともに表1に示されている。
【0043】
【0044】
表1に示すように、実施例1~5では、本発明の必須構成要素である成分範囲を全て満たし、窒素分圧および焼入れ温度の好ましい範囲も満たしている。その結果、表層部にフェライトは面積率がゼロで存在せず、8.3~12.2体積%の残留オーステナイトと、マルテンサイトとを含む二相混合組織からなる基地組織が形成されていた。また、基地に分散する炭化物および介在物の長径が10μmを超えるものが多くなると耐食性に悪影響を及ぼすが、実施例1~5では、基地の二相混合組織に分散されている炭化物および介在物の長径は95%以上が10μm以下であった。したがって、耐食性を示すレイティングナンバは全ての実施例において9.8以上であり、耐食性は「A」(良好)と評価された。さらに、表層部の硬さは全てHRC57以上であり、JIS B1511:1993規格に規定する転がり軸受の軌道輪の硬さを満たしていた。
【0045】
これに対して比較例1では、焼入れ時の窒素分圧を1000Paとしたので表層部にフェライトが生成されなかったが、Cの含有量が0.35%未満であるため、表層部の硬さがHRC55となり、転がり軸受のJIS B1511:1993規格を満足しないものとなった。比較例2では、焼入れ時の窒素分圧を2000Paとしたので表層部にフェライトが生成されなかったが、Nの含有量が0.12%未満であるため、硬さがHRC56にしかならなかった。
【0046】
比較例3では、焼入れ時の窒素分圧を比較例1と同じ1000Paとしたので表層部にフェライトが生成されなかったが、焼入れ温度が1050℃未満であったため、マルテンサイトの生成が不充分となり、HRC56の硬さしか得られなかった。比較例4では、焼入れ時の窒素分圧が2000Paで表層部にフェライトが生成されなかったが、焼入れ温度が1120℃を超えていたため、旧オーステナイト結晶粒の粗大化と炭化物の固溶により硬さがHRC56にしかならなかった。
【0047】
比較例5では、焼入れ時の窒素分圧が70Paしかなかったため、表層部のフェライト量が面積率で28面積%にも達し、硬さがHRC51にしかならなかった。比較例6では、焼入れ時の窒素分圧が700Paであったため、表層部のフェライト量が19面積%に達し、硬さがHRC52にしかならなかった。
【0048】
比較例7では、焼入れ時の窒素分圧が1000Paであったにもかかわらず、表層部のフェライト量は6面積%で硬さはHRC54であった。これは、比較例7ではフェライト生成元素であるCrの含有量が17%を超えていたため、焼入れ後の表層部にフェライトが生成され、硬度の低下を招いたと考えられる。
【0049】
比較例8では、焼入れ時の窒素分圧が1000Paであったにもかかわらず、表層部のフェライト量は4面積%で硬さはHRC53であった。これは、比較例8ではCの含有量が0.35%を下回るため、オーステナイトの生成が不充分でフェライトが残留したためと、Nの含有量が0.12%未満であったためだと考えられる。
【0050】
比較例9では、焼入れ時の窒素分圧が2000Paで表層部にフェライトが存在しなかったが、Cの含有量が0.43%を超えたためにレイティングナンバが7で充分な耐食性があるとは言えず、耐食性の評価は「B」(不充分)となった。比較例10では、焼入れ時の窒素分圧が2000Paであったためにフェライトは生成されなかったが、Nの含有量が0.10%と低かったため、レイティングナンバが8で耐食性の評価は「B」となった。
【0051】
比較例11では、焼入れ時の窒素分圧が2000Paであったためにフェライトは生成されなかったが、Crの含有量が14.73%と低かったため十分な耐食性が得られず、レイティングナンバが8で耐食性の評価は「B」となった。比較例12では、焼入れ時の窒素分圧が2000Paであったためにフェライトは生成されなかったが、Moの含有量が1.11%と低かったため、レイティングナンバが8で耐食性の評価は「B」となった。
【0052】
なお、比較のためにSUS440Cの成分と試験結果を表1に併記した。表1から明らかなように、SUS440では、硬さはHRC57であり、転がり軸受として使用できる硬さではあるが、レイティングナンバが5で耐食性の評価が「B」であることから、厳しい腐食環境での使用に耐えるものではない。
【0053】
2.組織観察
以下、成分含有量が有効範囲内であって表層部にフェライトが存在しない、すなわちフェライト面積率がゼロである実施例1~3と、成分含有量が有効範囲内であるが表層部にフェライトが存在する比較例5、6とに対して行った組織観察について詳細を述べる。表2に各試料の表層部の3箇所におけるフェライト量をフェライト面積率(面積%)で示し、表3に各試料の3箇所のフェライト面積率の平均値と表面から深さ20μmにおける3箇所のロックウェルC硬さ(HRC)の平均値とを示す。なお、表2に付した試料ラベルのハイフンより左側の数字(「70」~「7000」)は焼入れ時の窒素分圧(単位:Pa)を示す。
【0054】
組織観察では、試料の断面を鏡面研磨した後にナイタールで腐食して金属顕微鏡にて表層部の表面から深さ50μm×幅100μmの領域を3箇所写真撮影した。フェライトはエッチングされ難く白く見えるので、画像処理によってその部分を黒くして面積率を測定した。
図5は、こうして得られた画像処理後の表層部の組織写真を示している。焼入れ時の窒素分圧が1000Pa未満であった試料70-1~70-3および試料700-1~700-3に関しては、画像処理後の組織写真で表層部の上部が黒く示され、試料表面付近にフェライトが生成されていることが明確に分かる。焼入れ時の窒素分圧が1000Pa以上であった試料には画像処理後も黒く示された部分はなく、フェライトが生成されていないことが分かる。試料ごとに、このように画像処理した組織写真を用いて、表面から深さ50μm×幅100μmの領域に対するフェライトの面積率を算出し、その平均値を各試料の表層部におけるフェライト面積率とした。
【0055】
なお、比較例7と8についても、同じ方法でフェライト面積率を算出した。表2に示すように、焼き入れ時の窒素分圧が70Paの比較例5では、表層部に26面積%以上のフェライトが生成されており、700Paで16~23面積%のフェライトが生成されている。そして、焼入れ時の窒素分圧が1000Pa以上になると、フェライトは生成されず、フェライトの面積率はゼロである。また、表3に示すように、焼入れ時の窒素分圧が1000Pa以上の場合は、表面から深さ20μmの箇所の硬さはHRC59以上となっている。これによって、表層部にフェライトを生成させないためには焼入れ時の窒素分圧を1000Pa以上にすることが有効であることが分かった。
【0056】
【0057】
【0058】
3.寿命試験
上記の実施例1~5、比較例5~8の材料を内輪と外輪に用いて単列の深溝玉軸受を試験転がり軸受として作製した。外輪は外径13mm、内径11.54mm、幅4mmで、内輪は外径9mm、内径7mm、幅4mmとした。玉は、直径1.588mmで材質をDD400(マルテンサイトステンレス鋼、硬さHRC60)とした。保持器は、ポリアミド製の冠型保持器を使用した。
【0059】
試験転がり軸受は、外輪をホルダに取り付けるとともに内輪をシャフトの一端部に固定し、シャフトの他端側を試験装置の一対の転がり軸受に挿入して、シャフトを水平方向に保ちながら回転可能に支持した。そして、垂直方向に431N(44kgf)のラジアル荷重をホルダに掛けながらシャフトを5400rpmで回転させ、ホルダに取り付けた試験転がり軸受がロックするまで(シャフトが回転を停止するまで)試験を行った。試験開始から試験転がり軸受がロックするまでの経過時間をロック時間とし、10個の平均ロック時間を評価指標とした。その結果を表4に示す。
【0060】
表4では、分かり易くするため、転がり軸受の実施例と比較例の番号を材料の実施例と比較例の番号と同じにしている。たとえば、実施例1の材料を用いた転がり軸受は実施例1と称している。また、フェライト層の影響を確認するために、比較例は軌道面の表層硬さが不充分なまま、言い換えれば、表層部にフェライト層を残した状態で内輪と外輪が仕上げられている。したがって、比較例の内輪と外輪の寸法を仕上げた後の表層部は
図3(A)と(B)に示すような状態である。また、各実施例と各比較例の10個の転がり軸受に対して試料番号1~10を付与した。
【0061】
【0062】
表4に示すように、実施例1~5の転がり軸受では、平均ロック時間が46~66時間であったのに対し、フェライトが表層部に存在する比較例5~8の転がり軸受では、平均ロック時間はわずか3~4時間であった。以上の結果から、本発明の転がり軸受では、表層部にフェライトが存在せず、硬さが充分であるために寿命が長いことが確認された。
【産業上の利用可能性】
【0063】
本発明は、転がり軸受等の高耐食ステンレス鋼部品の分野に利用可能であり、特に厳しい腐食環境で用いられる高耐食ステンレス鋼部品の分野に好適に利用可能である。また、上記実施例では、高耐食ステンレス鋼部品を備えた転がり軸受の場合を例示したが、本発明はこれに限られず、本発明の高耐食ステンレス鋼部品は特に厳しい腐食環境で用いられる組立品に利用可能である。
【符号の説明】
【0064】
1…外輪(高耐食ステンレス鋼部品)、1a…軌道溝、2…内輪(高耐食ステンレス鋼部品)、2a…軌道溝、3…玉(転動体)、4…保持器、5…軸受空間、6…シール部材、10…転がり軸受(組立品)。