(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-02-19
(45)【発行日】2025-02-28
(54)【発明の名称】電子トラップ装置、量子コンピュータおよび電子トラップ方法
(51)【国際特許分類】
H10N 60/10 20230101AFI20250220BHJP
B82Y 10/00 20110101ALI20250220BHJP
B82Y 40/00 20110101ALI20250220BHJP
G06N 10/00 20220101ALI20250220BHJP
H10D 62/10 20250101ALI20250220BHJP
【FI】
H10N60/10 Z ZAA
B82Y10/00
B82Y40/00
G06N10/00
H10D62/10 201Z
H10N60/10 K
(21)【出願番号】P 2023549463
(86)(22)【出願日】2022-09-07
(86)【国際出願番号】 JP2022033534
(87)【国際公開番号】W WO2023047956
(87)【国際公開日】2023-03-30
【審査請求日】2024-01-19
(32)【優先日】2021-09-22
(33)【優先権主張国・地域又は機関】US
(31)【優先権主張番号】P 2021214871
(32)【優先日】2021-12-28
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】503360115
【氏名又は名称】国立研究開発法人科学技術振興機構
(74)【代理人】
【識別番号】100105924
【氏名又は名称】森下 賢樹
(72)【発明者】
【氏名】野口 篤史
(72)【発明者】
【氏名】長田 有登
(72)【発明者】
【氏名】中村 泰信
【審査官】岩本 勉
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2020/197833(WO,A1)
【文献】米国特許出願公開第2017/0147939(US,A1)
【文献】特表2013-527558(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H10N 60/10
H10D 62/10
G06N 10/00
B82Y 10/00
B82Y 40/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
電子をトラップするための電子トラップ装置であって、
冷却共振器を備えた超伝導回路と、
電子を冷却するための熱浴と、が、低温装置内に置かれ、
前記超伝導回路に電子をトラップするための電子トラップ領域が形成され、
当該電子が冷却共振器を介して熱浴により冷却されることを特徴とする電子トラップ装置。
【請求項2】
前記超伝導回路は、ジョセフソン素子を含む冷却量子ビット素子およびマイクロ波共振器を備え、
マイクロ波により、前記トラップされた電子の振動周波数を上げて、電子を前記熱浴により冷却させることを特徴とする請求項1に記載の電子トラップ装置。
【請求項3】
前記超伝導回路は、電気双極子相互作用により前記電子の振動状態をマイクロ波周波数のマイクロ波光子に変換する共振器を備えることを特徴とする請求項
1に記載の電子トラップ装置。
【請求項4】
前記変換されたマイクロ波光子の特性を読み出すためのマイクロ波光子読み出し部を備えることを特徴とする請求項
3に記載の電子トラップ装置。
【請求項5】
前記電子トラップ領域は、少なくとも2個の冷却電極と、少なくとも2個のマイクロ波電極と、により構成されることを特徴とする請求項
1に記載の電子トラップ装置。
【請求項6】
前記少なくとも2個の冷却電極と、前記少なくとも2個のマイクロ波電極と、が対向して配置され、
前記対向する電極が前記電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置されることを特徴とする請求項5に記載の電子トラップ装置。
【請求項7】
前記少なくとも2個の冷却電極と、前記少なくとも2個のマイクロ波電極で囲まれた電子トラップ領域に井戸型の静電ポテンシャルが形成されることを特徴とする請求項
6に記載の電子トラップ装置。
【請求項8】
前記電子トラップ領域は、フリップチップ構造により形成されることを特徴とする請求項
5に記載の電子トラップ装置。
【請求項9】
前記電子トラップ領域にDC勾配またはAC勾配の磁場勾配を生成する磁場勾配生成部を備えることを特徴とする請求項
1に記載の電子トラップ装置。
【請求項10】
前記磁場勾配を基に観測される電子スピンの情報を読み出すスピン読み出し部を備える請求項
9に記載の電子トラップ装置。
【請求項11】
前記電子スピンの情報を基に量子もつれを生成する量子もつれ生成部を備えることを特徴とする請求項
10に記載の電子トラップ装置。
【請求項12】
請求項
11に記載の電子トラップ装置同士を接続させて構成された量子コンピュータ。
【請求項13】
電子をトラップするための電子トラップ方法であって、
冷却共振器と、マイクロ波共振器と、電子トラップ領域と、を備えた超伝導回路を用いて、前記電子を電子トラップ領域にトラップするステップと、
熱浴を用いて、前記トラップされた前記電子を冷却するステップと、
を含むことを特徴とする電子トラップ方法。
【請求項14】
前記超伝導回路は、ジョセフソン素子を含む冷却量子ビット素子およびマイクロ波共振器を備え、
マイクロ波により、前記トラップされた電子の振動周波数を上げて、電子を前記熱浴により冷却するステップを含むことを特徴とする請求項13に記載の電子トラップ方法。
【請求項15】
電子とイオンを同時にトラップし、電子とイオンのクーロン相互作用によって電子を基底状態にまで冷却する電子トラップ装置であって、
イオン冷却器と、マイクロ波共振器と、電子トラップ領域と、イオントラップ領域と、を備えたトラップ回路を備え、
前記トラップ回路は、上側チップおよび下側チップを備え、
前記上側チップおよび下側チップは、DC電極と、電子をトラップするためのマイクロ波電極と、イオンをトラップするためのRF電極と、を備え、
前記上側チップおよび前記下側チップの前記マイクロ波電極および前記RF電極は、前記DC電極に挟まれて軸方向に延び、
前記上側チップおよび前記下側チップとがフリップ構造をなすことにより、
前記上側チップの前記DC電極と前記下側チップの前記DC電極とが対向し、前記上側チップの前記マイクロ波電極と前記下側チップの前記RF電極とが対向し、前記上側チップの前記RF電極と前記下側チップの前記マイクロ波電極とが対向することを特徴とする電子トラップ装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電子トラップ装置、量子コンピュータ、フリップチップ構造の製造方法、電子トラップ方法に関する。
【0002】
本出願は、2021年9月22日出願の米国仮特許出願第63246977号を基礎とする優先権を主張する。当該仮出願の明細書の全体は、参照により本明細書に組み込まれる。
【背景技術】
【0003】
近年、室温で電子をトラップする(捕獲する)技術として、マイクロ波電子トラップが提案されている(例えば、非特許文献1)。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【文献】“Trapping Electrons in a Room-Temperature Microwave Paul Trap” Clemens Matthiesen,Qian Yu,Jinen Guo,Alberto M Alonso,and Hartmut Haffner,Phys.Rev.X 11,011019,Published 29 January 2021
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
電子をトラップするためには、大出力かつ高周波数の電磁波を印加する必要がある。さらに、電子はレーザー冷却を用いて冷却することができない。このため、非特許文献1に記載の技術では、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態でトラップすることはできない。
【0006】
本発明はこうした課題に鑑みてなされたものであり、その目的は、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態でトラップする技術を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記課題を解決するために、本発明のある態様の電子トラップ装置は、冷却共振器と、マイクロ波共振器と、電子トラップ領域と、を備えた超伝導回路と、超伝導回路を動作させるための低温装置と、電子を冷却するための熱浴と、を備える。超伝導回路は、電子トラップ領域が対向する複数の電極で構成されるように、対向する電極が電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置され、超伝導体で囲まれた微小構造を有する。
【0008】
この態様によると、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態で捕獲することができる。
【0009】
ある実施の形態では、微小構造は、一辺の長さが1mm以下であってもよい。
【0010】
ある実施の形態では、微小構造は、フリップチップ構造であってもよい。
【0011】
ある実施の形態では、電子トラップ領域は、少なくとも2個の冷却電極と、少なくとも2個のマイクロ波電極と、により構成されてもよい。
【0012】
ある実施の形態では、超伝導回路は、電子を熱浴に接触させる前に当該電子の振動周波数を上げるためのジョセフソン素子からなる回路を備えてもよい。
【0013】
ある実施の形態では、ジョセフソン素子からなる回路は、冷却量子ビット素子であってもよい。
【0014】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子の振動状態をマイクロ波周波数のマイクロ波光子に変換するための共振器を備えてもよい。
【0015】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、変換されたマイクロ波光子の特性を読み出すためのマイクロ波光子読み出し部を備えてもよい。
【0016】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子の振動状態を基に量子ビットを励起するための量子ビット素子を備えてもよい。
【0017】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子トラップ領域に磁場勾配を生成する磁場勾配生成部を備えてもよい。
【0018】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、磁場勾配を基に観測される電子スピンの情報を読み出すスピン読み出し部を備えてもよい。
【0019】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子スピンの情報を基に量子もつれを生成する量子もつれ生成部を備えてもよい。
【0020】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子の冷却、量子ビットの励起および変換されたマイクロ波光子の特性の読み出しを制御する制御部を備えてもよい。
【0021】
本発明の別の態様は、量子コンピュータである。この量子コンピュータは、前述の電子トラップ装置同士を接続させることによって構成される。
【0022】
本発明のさらに別の態様は、電子トラップ装置のフリップチップ構造の製造方法である。この方法は、下側チップおよび上側チップの両端部を低温でも超伝導化しない金属で支え、中心部を低温で超伝導化する金属で支えるステップと、当該状態で上側チップを上から抑え、加熱することにより下側チップに接着するステップと、超伝導化しない金属に銀ペーストを塗り、熱接触および固定を行うステップと、を含んでもよい。
【0023】
ある実施の形態では、超伝導化しない金属は、超伝導化する金属より高い硬度を持ってもよい。
【0024】
ある実施の形態では、超伝導化しない金属は、AgCu、CuまたはPtであり、超伝導化する金属は、PbまたはInであってもよい。
【0025】
本発明のさらに別の態様は、電子トラップ方法である。この方法は、冷却共振器と、マイクロ波共振器と、電子トラップ領域と、を備えた超伝導回路を用いて、電子を電子トラップ領域にトラップするステップと、熱浴を用いて、トラップされた電子を冷却するステップと、を含む。超伝導回路は、電子トラップ領域が対向する複数の電極で構成されるように、対向する電極が電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置され、超伝導体で囲まれた微小構造を有する。
【0026】
この態様によると、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態で捕獲することができる。
【0027】
本発明のさらに別の態様は、電子とイオンを同時にトラップし、トラップしたイオンで電子を基底状態に冷却する電子トラップ装置である。この電子トラップ装置は、イオン冷却器と、マイクロ波共振器と、RF共振器と、電子-イオントラップ領域と、を備えたトラップ回路を備える。トラップ回路は、上側チップおよび下側チップを備える。上側チップおよび下側チップは、DC電極と、電子をトラップするためのマイクロ波電極と、イオンをトラップするためのRF電極と、を備える。上側チップおよび下側チップのマイクロ波電極およびRF電極は、DC電極に挟まれて軸方向に延びる。上側チップと下側チップとがフリップ構造をなすことにより、上側チップのDC電極と下側チップのDC電極とが対向し、上側チップのマイクロ波電極と下側チップのRF電極とが対向し、上側チップのRF電極と下側チップのマイクロ波電極とが対向する。
【0028】
この態様によると、電子とイオンを同時にトラップし、トラップしたイオンをイオン冷却器で冷却し、電子とイオンを互いにクーロン相互作用させることにより、室温で電子を基底状態にまで冷却することができる。
【0029】
なお、以上の構成要素の任意の組合せ、本開示の表現を方法、装置、システム、記録媒体、コンピュータプログラムなどの間で変換したものもまた、本開示の態様として有効である。
【発明の効果】
【0030】
本発明によれば、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態で捕獲することができる。
【図面の簡単な説明】
【0031】
【
図1】電子を超伝導回路上の電子トラップ領域にトラップした様子を示す模式図である。
【
図2】
図1の超伝導回路を用いた電子冷却の原理を示す模式図である。
【
図3】冷却量子ビット素子を備えた超伝導回路を示す模式図である。
【
図4】従来技術の超伝導回路の構成を示す模式図である。上段は、平面チップの上に電子トラップ領域とした構成を模式的に示す。中段および下段は、それぞれ、この構成によって形成される、電子トラップ領域付近での有効ポテンシャルの分布図およびグラフである。
【
図5】実施の形態に係る超伝導回路の構成を示す模式図である。上段は、フリップチップ構造の超伝導回路を模式的に示す。中段および下段は、それぞれ、この構成によって形成される、電子トラップ領域付近での有効ポテンシャルの分布図およびグラフである。
【
図6】第1の実施の形態に係る電子トラップ装置の機能ブロック図である。
【
図7】
図1の電子トラップ装置の超伝導回路の写真である。
【
図8】上側チップを反転させて下側チップの上に重ね合わせてフリップチップ実装する様子を示す模式図である。
【
図9】フリップチップ構造の超伝導回路の電子トラップ領域を含むy-z平面における断面図である。
【
図10】第2の実施の形態に係る電子トラップ装置の機能ブロック図である。
【
図11】第3の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を示す模式図である。
【
図12】第4の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を示す模式図である。
【
図13】第5の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を示す模式図である。
【
図14】第5の実施の形態に係る電子トラップ装置の別の例を示す模式図である。
【
図15】第6の実施の形態に係る量子コンピュータを示す模式図である。
【
図16】電子トラップ装置でトラップした電子と、イオントラップ装置でトラップしたイオンとをクーロン相互作用によって結合させた系を示す模式図である。
【
図17】第7の実施の形態に係る電子-イオン同時トラップチップを実現するための上側チップを模式的に示す上面図である。
【
図18】第7の実施の形態に係る電子-イオン同時トラップチップを実現するための下側チップを模式的に示す上面図である。
【
図19】上側チップと下側チップとをフリップチップ実装したときの、
図17および
図18のA-A’断面における断面図である。
【
図20】上側チップと下側チップとをフリップチップ実装したときに形成される、電子に対するトラップ断面ポテンシャルを示す図である。
【
図21】上側チップと下側チップとをフリップチップ実装したときに形成される、ベリリウムイオンに対するトラップ断面ポテンシャルを示す図である。
【
図22】上側チップと下側チップとをフリップチップ実装することによって形成される、電子とベリリウムイオンの軸方向のポテンシャル分布を示す。
【
図23】第7の実施の形態に係る電子トラップ装置の機能ブロック図である。
【
図24】
図8の下側チップおよび上側チップをフリップチップ実装するときのアラインメント方法を示す写真である。
【
図25】何もしないで上側チップを下側チップの上に置いたときの上側チップの傾きを示す模式図および写真である。
【
図26】上側チップの傾きが0度のとき、および2.45度のときの、有効ポテンシャルの空間分布のシミュレーション結果を示すグラフである。
【
図27】第8の実施の形態に係る方法で作成したフリップチップ実装を示す模式図および写真である。
【
図28】
図27のチップ上の4点P1、P2、P3、P4における、原点との差(高さ、幅、長さ)を示す写真および表である。
【
図29】第9の実施の形態に係る電子トラップ方法の処理を示すフローチャートである。
【発明を実施するための形態】
【0032】
以下、本発明を好適な実施の形態をもとに図面を参照しながら説明する。実施の形態は、発明を限定するものではなく例示である。実施の形態に記述されるすべての特徴やその組み合わせは、必ずしも発明に必須のものであるとは限らない。各図面に示される同一または同等の構成要素、部材、処理には、同一の符号を付すものとし、適宜重複した説明は省略する。また、各図に示す各部の縮尺や形状は、説明を容易にするために便宜的に設定したものであり、特に言及がない限り限定的に解釈すべきものではない。本明細書または請求項の中で「第1」、「第2」等の用語が用いられる場合、特に言及がない限り、こうした用語はいかなる順序や重要度を表すものでもなく、ある構成と他の構成とを区別するためだけのものである。また、各図面において実施の形態を説明する上で重要ではない部材の一部は省略して表示する。
【0033】
具体的な実施の形態を説明する前に、先ず基本となる知見を説明する。
量子コンピュータの量子ビットを実現する方法には、超伝導量子ビットを用いるものやイオントラップを用いるものなどがある。このうちイオントラップは、イオン化した原子を浮揚させて外部の物質と分離することにより、イオンの量子状態を長時間保存している。現在普及しているイオントラップには、静電場と静磁場とを組み合わせたペニングトラップ(Penningトラップ)や、RF電場と静電場とを組み合わせたパウルトラップ(Paulトラップ)などがある。イオントラップでは、原子が光と強く相互作用するため、イオン化した原子をレーザー冷却を用いて冷却してトラップすることができる。従ってイオントラップでは、イオン化した原子を量子ゆらぎのみが残る量子的基底状態にまで冷却する方法が確立している。
【0034】
エラーの少ない量子コンピュータを実現するには、量子チップ内の情報の拡散を防ぐこと、すなわちデコヒーレンスを防ぐことが必要である。そのためには、基底状態の電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態でトラップできることが望ましい。しかしながら、電子はイオンに比べて質量が小さいため、高い周波数(例えば600MHz以上、またはマイクロ波周波数)で振動するという性質を持つ。このような電子をトラップするためには、大出力かつ高周波数の電磁波を印加する必要がある。例えば、電子に比べて質量の大きいイオンであればRF波が使えるが、電子では例えば5Wといった大出力のマイクロ波が必要となる。さらに電子は、イオンと違ってレーザー冷却ができないため、その冷却のためには極低温(例えば20mK)の熱浴と接触させる(極低温環境下に置く)必要がある。このとき、極低温環境はわずかな加熱で温度が上がってしまうため、印加できる電磁波の強度には限界がある。このように、電子を量子コンピュータに必要な基底状態にまで冷却してトラップするためには、極低温環境下の電子に印加する電磁波(例えばマイクロ波)の出力を低く抑える必要がある。しかし現在までのところ、量子ビットを電子トラップにより実現するための十分な方法は実現されていない。
【0035】
本発明者らは、上記の課題に対して鋭意研究を重ねた結果、以下の知見を得た。すなわち、先ず、電子を超伝導回路上に形成した電子トラップ領域でトラップする。このトラップした電子が熱浴と電気的に接触することにより、電子を冷却できることが分かった。すなわちトラップされて浮揚する電子は、直接熱浴に触れないが、電気的な相互作用を通じて電子の振動が回路内の振動電流に変換される。これにより当該振動電流は、抵抗を介して熱浴に接する。このようにして、トラップされた電子を冷却することができる。このアイデアは、本発明者らが世界で初めて考案した完全にオリジナルなものである。ここで電子トラップ領域は、井戸型の静電ポテンシャルの内部にある。
【0036】
図1に、電子を超伝導回路上の電子トラップ領域にトラップした様子を模式的に示す。
図2は、上記の超伝導回路を用いた電子冷却の原理を示す模式図である。図示されるように、この系では、超伝導回路および熱浴が低温装置内に置かれる。超伝導回路は、電子トラップ領域と、0極共振器とを含む。電子トラップ領域内には、井戸型の静電ポテンシャルが形成される。トラップしようとする電子は、この環境においてω~600MHz程度の周波数で振動している。熱浴は、例えば約20mKの低温を保っている。電子トラップ領域に例えば10μW程度のマイクロ波を印加すると、このマイクロ波は超伝導回路内で増幅される。冷却共振器は、電子の振動を電気信号として読み取ることができる。この電気信号を介して熱浴に電気的に接触することにより、電子を冷却することができる。
【0037】
次に本発明者らは、以下の知見を得た。
図2の系では、トラップ電子は、ω~600MHzで振動したまま熱浴と電気的に接触して冷却されている(すなわち、「熱を捨てている」)。この場合、熱を捨てるのとは逆に、電子に対して熱浴から熱が流入してしまうという問題がある。これは、黒体輻射の原理に照らせば、600MHzで振動する電子にとっては、20mKの熱浴は「真空ではない」(すなわち20mKの黒体には、600MHzの周波数と共鳴する輻射が存在する)ことによる。言い換えれば、20mKの熱浴から熱が流入しないためには(すなわち、電子から見て熱浴が真空であるためには)、電子の周波数をもっと上げる必要がある。
【0038】
この課題に対し、本発明者らは、超伝導回路内にジョセフソン素子からなる回路を設けると有効であることに気が付いた。すなわち、ジョセフソン素子には非線形性があり、異なる周波数を足したり引いたりすることができる。これにより、目標とする周波数(例えば、後述のように3GHz)と現在の周波数(例えば、600MHz)との差に対応するマイクロ波を外部から印加することにより、現在の周波数を変換することができる。このとき、印加するマイクロ波の周波数は2.4GHzとは限らず、差に対応する複数種類のマイクロ波であってもよい点に注意する。例えば、マイクロ波周波数は、2GHz+0.4GHz、1.5GHz+0.5GHz+0.4GHzなどであってもよく、あるいは5GHz+2.6GHzなどであってもよい。ただし最後の例では、2.6GHzは引き算として利用されている。このように周波数を足したり引いたりすることにより、差周波数に対応する2.4GHzを作り出し、現在周波数600MHzを目標周波数3GHzに変換することができる。ただし実際にどのような周波数を照射すればよいかは、回路構成に依存する。
【0039】
図3に、ジョセフソン素子からなる回路の例として冷却量子ビット素子を備えた超伝導回路を模式的に示す。この冷却量子ビット素子は、ジョセフソン接合を用いて生成され、電子の振動周波数ω~600MHzを、ω
q=3GHzにまで上げる。
【0040】
ここでωとωqとの関係について説明する。上記の黒体輻射の原理によれば、20mKの熱浴は、3GHzの周波数に対しては実質的に真空とみなすことができる。すなわち、電子の振動周波数を3GHzに上げることにより、熱浴から電子に熱が流入するのを防ぐことができる。言い換えればトラップ電子は、その振動周波数が冷却量子ビット素子を用いて変換されてから(すなわち、熱浴が実質的に真空とみなすことができる程度の高い周波数に上げられてから)、熱浴と電気的に接触する。これにより、冷却効果を大きく改善することができる。
【0041】
ジョセフソン素子からなる回路は量子ビットであってもよい。
【0042】
さらに本発明者らは、以下の知見を得た。先ず
図4を用いて、従来技術を説明する。
図4は、平面チップ上で電子をトラップするタイプの超伝導回路(従来技術)を示す。
図4上段は、平面チップの超伝導回路上にマイクロ波電極を2個設置し、この電極間を電子トラップ領域とした構成の模式図である。すなわちこの場合、電子トラップは、表面トラップにより行われる。
図4中段および下段に、この構成によって形成される、電子トラップ領域付近での有効ポテンシャルを示す。図示されるように、電子トラップ領域付近には井戸型の静電ポテンシャルが形成されている。ただしこの場合、静電ポテンシャルの井戸の深さは1meV程度である。このような有効ポテンシャルは、電子をトラップするのに十分とはいえないときもある。この場合、静電ポテンシャルの井戸の深さを実効的により深くする必要がある。
【0043】
この課題を解決するために、本発明者らは、超伝導回路を、電子トラップ領域が対向する複数の電極で構成されるように、対向する電極が電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置され、超伝導体で囲まれた微小構造を有すると有効であることに気が付いた。
【0044】
図5を用いて、実施の形態に係る構造の超伝導回路の構成を説明する。
図5上段に、フリップチップ構造の超伝導回路を模式的に示す。この超電導回路は、下側チップと上側チップとから構成される。上側チップおよび下側チップは、それぞれ、1個のマイクロ波電極と1個の冷却電極とを備える。超伝導回路は、このようなフリップチップ構造とすることにより、対向する電極が電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置され、超伝導体で囲まれた微小構造を有するものとなる。これら4個の電極で囲まれた電子トラップ領域には、井戸型の静電ポテンシャルが形成される。
【0045】
図5中段および下段に、この構成によって形成される、電子トラップ領域付近での有効ポテンシャルを示す。図示されるように、電子トラップ領域付近には井戸型の静電ポテンシャルが形成されている。この静電ポテンシャルの井戸の深さは200meVを越えている。この有効ポテンシャルは、表面トラップの場合の200倍であり、電子をトラップするのに十分である。このように、電子トラップ領域が、対向する複数の電極で構成されるように、超伝導回路をフリップチップ構造とすることにより、電子をトラップするのに十分な静電ポテンシャルを得ることができる。
【0046】
前述の超伝導体で囲まれた微小構造は、一辺の長さが1mm以下であってもよい。
【0047】
前述の超伝導体で囲まれた微小構造は、フリップチップ構造であってもよい。
【0048】
なお上記の電極のサイズについては、x軸、y軸、z軸を
図5のように取ったとき、y軸方向のサイズが100μm程度であることが望ましい。このように電極のy軸方向のサイズを100μm程度とすることで、最も深い静電ポテンシャルを得ることができる。一方、電極のx軸方向のサイズについては、y軸方向のような最適値はないが、トラップマイクロ波の波長(数cm)より十分に短くする必要がある点に注意する。
【0049】
[第1の実施の形態]
図6に、第1の実施の形態に係る電子トラップ装置1の機能ブロック図を示す。電子トラップ装置1は、低温装置40と、超伝導回路10と、熱浴60と、を備える。超伝導回路10および熱浴60は、低温装置40内に置かれる。これにより、超伝導回路10は低温で動作可能となり、熱浴60は一定の低温(例えば、20mK程度)に保たれる。超伝導回路10は、冷却共振器20と、マイクロ波共振器22と、電子トラップ領域50と、を備える。超伝導回路10は、電子トラップ領域50が、対向する複数の電極で構成されるようなフリップチップ構造となっている。
【0050】
図7は、電子トラップ装置1の超伝導回路10の写真である。ここでは、超伝導回路10の長手方向にx軸、短手方向にy軸、高さ方向(紙面の奥から手前に向かう向き)にz軸を取る。左の写真は超伝導回路10の下側チップ12を示し、右の写真は超伝導回路10の上側チップ14を示す。下側チップ12は、冷却共振器20と、マイクロ波共振器22と、電子トラップ領域50と、を備える。上側チップ14は、冷却共振器20と、電子トラップ領域50と、を備える。超伝導回路10は、上側チップ14を反転させて下側チップ12の上に重ね合わせ、サンドイッチ型にフリップチップ実装することにより形成される。
【0051】
図8は、上側チップ14を反転させて下側チップ12の上に重ね合わせてフリップチップ実装する様子を示す模式図である。
【0052】
図9は、電子トラップ領域50を含むy-z平面における超伝導回路10の断面図である。下側チップ12は、下側冷却電極30dと、下側マイクロ波電極32dと、下側グラウンド電極34と、を備える。上側チップ14は、下側冷却電極30dと対向する位置に上側マイクロ波電極32uと、下側マイクロ波電極32dと対向する位置に上側冷却電極30uと、を備える。このようにすると、電子トラップ領域50は、下側冷却電極30d、下側マイクロ波電極32d、上側冷却電極30uおよび上側マイクロ波電極32uの4個の電極で囲まれる領域の中に構成される。
【0053】
以上のように電子トラップ装置1を構成することにより、電子トラップ領域50で、電子を冷却し、トラップすることができる。さらに、電子をトラップするために必要なマイクロ波の出力は、例えば非特許文献1に記載の室温電子トラップでは数Wといった非常に高い出力が必要だったのに対し、マイクロ波の周波数が6GHzの場合、10μW程度に抑えることができる。
【0054】
[第2の実施の形態]
図10に、第2の実施の形態に係る電子トラップ装置2の機能ブロック図を示す。電子トラップ装置1は、低温装置40と、超伝導回路10と、熱浴60と、を備える。超伝導回路10および熱浴60は、低温装置40内に置かれる。これにより、超伝導回路10は低温で動作可能となり、熱浴60は一定の低温(例えば、20mK程度)に保たれる。超伝導回路10は、冷却共振器20と、マイクロ波共振器22と、電子トラップ領域50と、冷却量子ビット素子24と、を備える。超伝導回路10は、電子トラップ領域50が、対向する複数の電極で構成されるようなフリップチップ構造となっている。すなわち、電子トラップ装置2は、冷却量子ビット素子24をさらに備える点で、
図1の電子トラップ装置1と異なる。電子トラップ装置2のその他の構成は、電子トラップ装置1と共通である。
【0055】
冷却量子ビット素子24は、例えばジョセフソン接合を用いて生成される。この冷却量子ビット素子24は、電子の振動周波数を、熱浴60が実質的に真空とみなすことができる程度の周波数まで上げる。トラップ電子は、その振動周波数が冷却量子ビット素子を用いて変換されてから(すなわち、熱浴が実質的に真空とみなすことができる程度の高い周波数に上げられてから)、熱浴と電気的に接触する。
【0056】
この実施の形態によれば、熱浴60から電子に熱が流入するのを防ぐことができるので、冷却効果を大きく改善することができる。
【0057】
[第3の実施の形態]
第3の実施の形態に係る電子トラップ装置は、電子の振動状態をマイクロ波周波数のマイクロ波光子に変換するための共振器を備える。ある実施例では、電子トラップ装置は、変換されたマイクロ波光子の特性を読み出すためのマイクロ波光子読み出し部をさらに備える。
【0058】
図11に、第3の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を模式的に示す。
図11の4つの電極構成において、例えば図のように右上から左下に向かう電場を掛けたとする。電子トラップ領域内で振動する電子は、電気双極子と解釈することができるので、この電場と電気双極子相互作用する。この相互作用に関する周波数は、例えば1kHz~100kHzと見積もることができる。ここで、電子の振動状態をマイクロ波周波数のマイクロ波光子に変換するための共振器を設けることにより、電子の振動(以下、「電子フォノン」ともいう)とマイクロ波光子(以下、「マイクロ波フォトン」ともいう)とを互いに変換することができる。さらに、このように変換されたマイクロ波光子の特性を読み出すためのマイクロ波光子読み出し部を設けることもできる。
【0059】
[第4の実施の形態]
第4の実施の形態に係る電子トラップ装置は、電子の振動状態を基に量子ビットを励起するための量子ビット素子を備える。
【0060】
図12に、第4の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を模式的に示す。
図12は、
図11の共振器を量子ビット素子に置き換えたものである。これにより、電子の振動状態を基に量子ビットを励起することができる。言い換えれば、電子フォノンと量子ビットの励起とを互いに変換することができる。
【0061】
[第5の実施の形態]
第5の実施の形態に係る電子トラップ装置は、電子トラップ領域に磁場勾配を生成する磁場勾配生成部を備える。ある実施例では、電子トラップ装置は、こうした磁場勾配を基に観測される電子のスピンの情報を読み出すスピン読み出し部をさらに備える。別の実施例では、電子トラップ装置は、電子のスピンの情報を基に量子もつれを生成する量子もつれ生成部をさらに備える。
【0062】
図13に、第5の実施の形態に係る電子トラップ装置の原理を模式的に示す。
図13の構成では、
図9の超伝導回路の上側チップの上部と、下側チップの下部に、それぞれ磁石をN極同士を対向させて配置する。これにより、電子トラップ領域には、不均一な磁場(すなわち、磁場勾配を持つ磁場)が生成される。電子はスピンを持つ(以下、「電子スピン」ともいう)。電子が磁場勾配の中で振動すると、電子スピンと磁場との間に相互作用が生じる。電子が磁場から受ける力は、電子スピンの磁気モーメントと磁場勾配との積に比例する。この電子スピン・振動間相互作用に関する周波数は、例えば100kHz程度と見積もることができる。このように、電子トラップ領域に磁場勾配を生成する磁場勾配生成部を設けることにより、電子フォノンと電子スピンと間のエネルギー交換を実現することができる。さらに、このような磁場勾配を基に観測される電子のスピンの情報を読み出すスピン読み出し部を設けることもできる。さらに、こうした電子のスピンの情報を基に量子もつれを生成する量子もつれ生成部を設けることもできる。
【0063】
図14に、第5の実施の形態に係る電子トラップ装置の別の例を模式的に示す。
図13の例では、電子トラップ領域に形成される磁場勾配はDC勾配であった。これに対し、
図14の例ではAC勾配が形成される。
【0064】
ある実施の形態では、電子トラップ装置は、電子の冷却、量子ビットの励起および変換されたマイクロ波光子の特性の読み出しを制御する制御部を備えてもよい。これにより、電子トラップ装置は、これらの機能を兼ね備えた上で、これらを切り替えながら動作することができる。
【0065】
[第6の実施の形態]
図15に、第6の実施の形態に係る量子コンピュータを模式的に示す。この量子コンピュータは、第6の実施の形態の電子トラップ装置同士を接続することによって構成される。
図15の上段には、全部で5個の電子トラップ装置が接続された量子コンピュータが示されている。各電子トラップ装置には、それぞれ複数(この例ではそれぞれ2個ずつ)の電子がトラップされている。各電子トラップ中の電子はクーロン相互作用により、互いに同じ振動をする。これにより電子フォノンが形成される。この電子フォノンは、前述の磁場勾配を用いて電子スピンとエネルギー交換することができる。これにより、電子フォノンと電子スピンとの間に、全結合量子ノードが形成される。これらの全結合量子ノードは、電子フォノンをマイクロ波フォトンに変換することにより、隣接する電子トラップ領域の全結合量子ノードとインターコネクトすることができる。このようにして、全結合量子ノード同士をインターコネクトすることにより、全体でネットワーク化した量子コンピュータを実現することができる。なお、このような全結合量子ノード同士のインターコネクトは、イオントラップではまだ実現されていない。
【0066】
[第7の実施の形態]
図16は、本実施の形態に係る電子トラップ装置でトラップした電子と、イオントラップ装置でトラップしたイオンとを、クーロン相互作用によって結合させた系を示す模式図である。
【0067】
電子とイオンのクーロン相互作用を利用すると、イオン冷却器(例えばレーザー冷却)によって冷却したイオンを電子と相互作用させることによって、電子を基底状態にまで冷却することができる。イオンのレーザー冷却は室温下で行えるため、本実施の形態では超伝導冷却共振器は不要となる。この相互作用は、電子とイオンが互いに近づくほど強くなる。電子とイオンは、例えばパウルトラップを用いて、それぞれ個別にトラップすることができる。しかし、電子とイオンを同時にトラップするためには、解決すべき課題がある。
【0068】
第1の課題は、電子とイオンとの間で、質量に著しい違いがある点にある。すなわちイオンの質量は、電子に比べて104から105倍程度大きい。このため、電子とイオンとでは、永年運動(secular motion)の周波数およびトラップのための印加電圧が異なる。従って、電子とイオンを同時にトラップするためには、それぞれの電極を最適に設計する必要がある。
【0069】
第2の課題は、電子とイオンとでは、電荷の正負が逆である点にある。すなわち、電子の電荷は負であり、イオンの電荷は正である。AC電圧により形成される有効ポテンシャルは、電子にもイオンにも有効である。しかし、直線状のパウルトラップはDC電圧も必要とする。このため、単純なエンドキャップ型構造では、電子とイオンを同時にトラップするための軸方向のトラップポテンシャルを形成することができない。
【0070】
さらに電子とイオンとの距離はなるべく短いことが望ましいが、しかし一方で両者を一定の距離を置いて離しておくことは重要である。これは、再結合の発生を防ぐために、イオンによる電子のトラップが発生しないことを目的とする。
【0071】
図17は、第7の実施の形態に係る電子-イオン同時トラップチップを実現するための上側チップ80を模式的に示す上面図である。
図18は、第7の実施の形態に係る電子-イオン同時トラップチップの下側チップ81を模式的に示す上面図である。上側チップ80および下側チップ81は、絶縁体85の上に配置された、DC電極82と、マイクロ波電極83と、RF電極84と、を備える。マイクロ波電極83およびRF電極84は、DC電極82に挟まれて軸方向に延びる。マイクロ波電極83とRF電極84との間には貫通穴86が設けられる。マイクロ波電極83およびRF電極84には、導通ピラー87が設けられる。
【0072】
マイクロ波電極83は、電子をトラップするために使われる。RF電極84は、イオンをトラップするために使われる。電子-イオン同時トラップチップは、上側チップ80と下側チップ81とをフリップチップ実装することによって実現される。
【0073】
図19は、上側チップ80と下側チップ81とをフリップチップ実装したときの、
図18および
図19のA-A’断面における断面図である。図示されるように、上側チップ80のDC電極82と下側チップ81のDC電極82とは対向する。上側チップ80のマイクロ波電極83と下側チップ81のRF電極84とは対向する。上側チップ80のRF電極84と下側チップ81のマイクロ波電極83とは対向する。
【0074】
以下、上側チップ80と下側チップ81とをフリップチップ実装に対し、マイクロ波電極に6GHz-10Vのマイクロ波電圧を印加し、RF電極に90MHz-20VのRFの電圧を印加したときのポテンシャルを、電磁界シミュレーター(COMSOL)によって計算した結果を示す。
【0075】
図20に、上記の条件で形成される、電子に対するトラップ断面ポテンシャルを示す。図示されるように、中心(赤丸部)に、電子のトラップ領域を実現するポテンシャルが形成される。
【0076】
図21に、上記の条件で形成される、ベリリウムイオンに対するトラップ断面ポテンシャルを示す。図示されるように、中心(赤丸部)に、ベリリウムイオンのトラップ領域を実現するポテンシャルが形成される。
【0077】
また、DC電極にDC電圧を印加することによって、電子とイオンは逆方向に動くことが分かる。こように、DC電極への印加電圧により、電子とイオンとの間の距離を制御することができる。
【0078】
図22に、上側チップ80と下側チップ81とをフリップチップ実装することによって形成される、電子とベリリウムイオンの軸方向のポテンシャル分布を示す。図示されるように、電子とイオンのそれぞれについて、軸方向の位置0を中心に井戸型の静電ポテンシャルが形成される。このように上側チップ80と下側チップ81とをフリップチップ実装することによって、電子とイオンを同時にトラップすることが可能となる。これらのトラップした電子およびイオンは、互いにクーロン相互作用させることができる。
【0079】
このフリップチップ実装を、
図6に示す形態の装置に適用することにより、電子とイオンを同時にトラップできる電子トラップ装置を実現することができる。
【0080】
図23に、第7の実施の形態に係る電子トラップ装置3の機能ブロック図を示す。電子トラップ装置3は、イオン冷却器25と、マイクロ波共振器22aと、RF共振器23と、電子-イオントラップ領域51と、を備えたトラップ回路10aを備える。上側チップ80および下側チップ81は、DC電極82と、電子をトラップするためのマイクロ波電極83と、イオンをトラップするためのRF電極84と、を備える。上側チップ80および下側チップ81のマイクロ波電極83およびRF電極84は、DC電極82に挟まれて軸方向に延びる。上側チップ80と下側チップ81とがフリップ構造をなすことにより、上側チップ80のDC電極82と下側チップ81のDC電極82とが対向し、上側チップ80のマイクロ波電極83と下側チップ81のRF電極84とが対向し、上側チップ80のRF電極84と下側チップ81のマイクロ波電極83とが対向する。この電子トラップ装置3により、電子とイオンを同時にトラップすることができる。さらに、これらのトラップした電子およびイオンは、互いにクーロン相互作用させることができる。
【0081】
以上述べたように、電子とイオンを同時にトラップし、両者のクーロン相互作用を介して電子を基底状態にまで冷却できることに加え、同様の効果として、電子とイオンの振動状態の間に量子もつれを作ることができる。さらに、もつれた振動状態を介することで、電子とイオンとからなるハイブリッド量子系を実現することもできる。
【0082】
[第8の実施の形態]
次に、前述の電子トラップ装置のフリップチップ構造の好ましい製造方法について説明する。
図24は、
図8の下側チップ12および上側チップ14をフリップチップ実装するときのアラインメント方法を示す写真である。
図24には、アラインメント用の3つの調整ピン70、71、72が示される。調整ピン70および71を用いてx方向のアラインメントを行い、調整ピン70および72を用いてy方向のアラインメントを行う。
【0083】
図25は、何もしないで上側チップを下側チップの上に置いたときの上側チップの傾きを示す。この場合、上側チップと下側チップとのずれは145nmであり、チップの傾き角は2.45度である。
【0084】
図26は、トラップ点から600μmの位置のピラーと接しているという仮定の下で行った、上側チップの傾きが0度のとき、および2.45度のときの、有効ポテンシャルの空間分布のシミュレーション結果を示すグラフである。
図26上段は、基板からのz方向(高さ方向)の有効ポテンシャル分布を示す。
図26下段は、基板のx方向(長手方向)の有効ポテンシャル分布を示す。これらの図から分かるように、傾きの影響は、z方向では小さいのに対し、x方向は10meV程度違う。このことから、有効ポテンシャルを改善するためには、角度のずれを抑える必要があることが分かる。
【0085】
この課題を解決するために、本発明者らは、以下の手順により、フリップチップ実装を行うと有利であることに気が付いた。すなわち、先ず下側チップおよび上側チップの両端部をAgCu等の堅い金属で支え、中心部をPbなどの柔らかい金属で支える。この状態で上側チップを上から抑え、加熱することにより下側チップに接着する。これにより柔らかい金属が変形し、堅い金属の高さに上側チップおよび下側チップの高さを揃えることができる。その後堅い金属に銀ペーストを塗り、熱接触および固定を行う。
図27に、この方法で作成したフリップチップ実装を示す。
【0086】
図28は、上記の方法で作成した
図27のチップ上の4点P1、P2、P3、P4における、原点との差(高さ、幅、長さ)を示す。これにより、基板全体の傾きは0.114度程度と算出される。すなわちこの方法によれば、何もしないで上側チップを下側チップの上に置いたときの上側チップの傾き2.45度に比べ、傾きが大きく抑えられていることが分かる。
【0087】
上記の堅い金属は、低温でも超伝導化しない金属であればよい。このような金属は、AgCuの他に、例えば単体のCuやPtなどであってもよい。一方、上記の柔らかい金属は、低温で超伝導化する金属であればよい。このような金属は、Pbの他に、例えばInなどであってもよい。
【0088】
[第9の実施の形態]
図29は、第9の実施の形態に係る電子トラップ方法の処理を示すフローチャートである。この方法は、冷却共振器と、マイクロ波共振器と、電子トラップ領域と、を備えた超伝導回路を用いて、電子を電子トラップ領域にトラップするステップS1と、熱浴を用いて、トラップされた電子を冷却するステップS2と、を含む。超伝導回路は、電子トラップ領域が対向する複数の電極で構成されるように、対向する電極が電子トラップ領域を通る中心線に線対称の位置に配置され、超伝導体で囲まれた微小構造を有する。
【0089】
この方法によれば、基底状態にまで冷却した電子を、孤立した粒子として、空間に浮揚した状態で捕獲することができる。
【0090】
以上、本発明を実施の形態にもとづいて説明した。これらの実施の形態は例示であり、それらの各構成要素や各処理プロセスの組合せにいろいろな変形例が可能なこと、またそうした変形例も本発明の範囲にあることは当業者に理解されるところである。
【0091】
例えば実施の形態で説明した電子トラップ装置を用いてトラップされた低温の電子は、極めて低雑音の電子源と解釈することができる。これを使って、例えば極めて指向性のよい電子ビームを得ることができる。これにより、例えば高性能の電子顕微鏡を実現することが期待できる。
【0092】
上述した各実施の形態と変形例の任意の組み合わせもまた本発明の実施の形態として有用である。組み合わせによって生じる新たな実施の形態は、組み合わされる各実施の形態及び変形例それぞれの効果をあわせもつ。
【0093】
以上、実施の形態及び変形例を説明した。実施の形態及び変形例を抽象化した技術的思想を理解するにあたり、その技術的思想を実施の形態及び変形例の内容に限定して解釈すべきではない。前述した実施の形態及び変形例は、いずれも具体例を示したものにすぎず、構成要素の変更、追加、削除等の多くの設計変更が可能である。実施の形態では、このような設計変更が可能な内容に関して、「実施の形態」との表記を付して強調している。しかしながら、そのような表記のない内容でも設計変更が許容される。
【産業上の利用可能性】
【0094】
本発明は、電子トラップ装置、量子コンピュータ、フリップチップ構造の製造方法および電子トラップ方法に利用可能である。
【0095】
本出願は、2021年9月22日出願の米国仮特許出願第63246977号を基礎とする優先権を主張する。当該仮出願の明細書の全体は、参照により本明細書に組み込まれる。
【符号の説明】
【0096】
1・・電子トラップ装置。
2・・電子トラップ装置。
3・・電子トラップ装置。
10・・超伝導回路。
10a・・超伝導回路。
12・・上側チップ。
14・・下側チップ。
20・・冷却共振器。
22・・マイクロ波共振器。
22a・・マイクロ波共振器。
23・・RF共振器。
24・・冷却量子ビット素子。
25・・イオン冷却器。
30d・・下側冷却電極。
32d・・下側マイクロ波電極。
34d・・下側グラウンド電極。
30u・・上側冷却電極。
32u・・上側マイクロ波電極。
34u・・上側グラウンド電極。
36・・超伝導配線。
40・・低温装置。
50・・電子トラップ領域。
51・・電子-イオントラップ領域。
60・・熱浴。
71・・調整ピン。
72・・調整ピン。
73・・調整ピン。
80・・上側チップ。
81・・下側チップ。
82・・DC電極。
83・・マイクロ波電極。
84・・RF電極。
85・・絶縁体。
86・・貫通穴。
87・・導通ピラー。
O・・チップ上の原点。
P1・・チップ上の点。
P2・・チップ上の点。
P3・・チップ上の点。
P4・・チップ上の点。
S1・・超伝導回路を用いて、電子を電子トラップ領域にトラップするステップ。
S2・・熱浴を用いて、トラップされた電子を冷却するステップ。