(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-02-19
(45)【発行日】2025-02-28
(54)【発明の名称】ピストンリング
(51)【国際特許分類】
F16J 9/28 20060101AFI20250220BHJP
F04B 39/00 20060101ALI20250220BHJP
C08L 71/00 20060101ALI20250220BHJP
C08K 7/06 20060101ALI20250220BHJP
C08L 27/18 20060101ALI20250220BHJP
C08K 3/04 20060101ALI20250220BHJP
C08J 5/00 20060101ALI20250220BHJP
【FI】
F16J9/28
F04B39/00 107J
C08L71/00 Z
C08K7/06
C08L27/18
C08K3/04
C08J5/00 CEZ
(21)【出願番号】P 2021131224
(22)【出願日】2021-08-11
【審査請求日】2024-07-31
(31)【優先権主張番号】P 2021033973
(32)【優先日】2021-03-03
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000102692
【氏名又は名称】NTN株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100174090
【氏名又は名称】和気 光
(74)【代理人】
【識別番号】100100251
【氏名又は名称】和気 操
(74)【代理人】
【識別番号】100205383
【氏名又は名称】寺本 諭史
(72)【発明者】
【氏名】安田 健
【審査官】杉山 豊博
(56)【参考文献】
【文献】特開平10-061777(JP,A)
【文献】特開2014-214672(JP,A)
【文献】国際公開第2019/208182(WO,A1)
【文献】特開2002-322988(JP,A)
【文献】特開2007-145934(JP,A)
【文献】特表2019-533788(JP,A)
【文献】特開2013-155846(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F16J 9/28
F04B 39/00
C08L 71/00
C08K 7/06
C08L 27/18
C08K 3/04
C08J 5/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
水素ガスを圧縮する
水素ガス用往復式圧縮機に用いられるピストンリングであって、
前記ピストンリングがポリエーテルエーテルケトン樹脂を主成分とする樹脂組成物からなり、
前記ポリエーテルエーテルケトン樹脂のせん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度がISO 11443準拠の測定方法において200Pa・s~550Pa・sであ
り、
前記樹脂組成物は、該樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を5体積%~25体積%含み、かつ、固体潤滑剤を5体積%~25体積%含み、
前記固体潤滑剤がポリテトラフルオロエチレン樹脂および黒鉛から選択される少なくともいずれか一方であり、
前記炭素繊維がPAN系炭素繊維であり、その平均繊維長が20μm~200μmであることを特徴とするピストンリング。
【請求項2】
前記樹脂組成物はポリフェニレンサルファイド樹脂を含まないことを特徴とする請求項1記載のピストンリング。
【請求項3】
前記ピストンリングは前記樹脂組成物の射出成形体の熱処理体であり、前記射出成形体に比べて、硫黄原子の含有量が低いことを特徴とする請求項1
または請求項2記載のピストンリング。
【請求項4】
前記ピストンリングの硫黄原子の含有量が250ppm以下であることを特徴とする請求項1から請求項
3までのいずれか1項記載のピストンリング。
【請求項5】
水素ガスを圧縮する水素ガス用往復式圧縮機に用いられるピストンリングであって、
前記ピストンリングがポリエーテルエーテルケトン樹脂を主成分とする樹脂組成物からなり、
前記ポリエーテルエーテルケトン樹脂のせん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度がISO 11443準拠の測定方法において200Pa・s~550Pa・sであり、
前記樹脂組成物は、該樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を5体積%~25体積%含み、かつ、固体潤滑剤を5体積%~25体積%含み、
前記固体潤滑剤がポリテトラフルオロエチレン樹脂および黒鉛から選択される少なくともいずれか一方であり、
前記ピストンリングは前記樹脂組成物の射出成形体の熱処理体であり、前記射出成形体に比べて、硫黄原子の含有量が低く、前記ピストンリングの硫黄原子の含有量が200ppm以下であることを特徴とするピストンリング。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ガスを圧縮する往復式圧縮機のピストンリングに関するものであり、特に、水素ステーションで用いられる水素ガス用往復式圧縮機のピストンリングに関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、往復式圧縮機はピストンとシリンダーを含む構造であり、シリンダーに対してピストンが往復動することによって、流体を圧縮するのに用いられている。このような往復式圧縮機では、ピストンとシリンダーとの間の隙間において流体をシールする目的で、従来から環状のピストンリングが使用されている。ピストンリングはピストンに設けられた環状溝に装着される。この場合、ピストンリングの外周面がシリンダーの内周面と接触し、かつ、ピストンリングの側面が環状溝の側面と接触することにより、流体がシールされる。
【0003】
近年では、往復式圧縮機は、水素ステーションで用いられる水素ガス用往復式圧縮機としても用いられている。水素ガス用往復式圧縮機では、燃料電池自動車への充填圧力まで水素ガスを圧縮する必要があることから、当該圧縮機の圧縮機構部は過酷条件で使用される。そのため、水素ガス用往復式圧縮機に用いられるピストンリングには、耐圧性、耐熱性、シール性、耐摩耗性などのさらなる向上が要求される。
【0004】
このようなピストンリングとして、耐摩耗性が改善された樹脂製のピストンリングが知られている。例えば、特許文献1には、ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)樹脂と、ポリエーテルエーテルケトン(PEEK)樹脂およびポリイミド(PI)樹脂のうち一方の樹脂との合計量が全体の50質量%以上であり、かつ、ポリフェニレンサルファイド(PPS)樹脂を含まない、樹脂製のピストンリングが記載されている。特許文献1では、ピストンリングの引張強度を15MPaよりも大きく且つ100MPa未満の範囲内にすることで、その範囲外のピストンリングよりも長期の運転期間に亘ってシール性を維持できるとしている。
【0005】
また、特許文献2には、ピストン部材およびシリンダライナの一方の部材に設けられ、他方の部材(被摺動部材)に対して相対的に摺動する樹脂製のピストンリングが記載されている。特許文献2では、該ピストンリングおよび被摺動部材の両方の摺動面に、非晶質炭素膜を形成することで、ピストンリングの摩耗による交換寿命を伸ばすことができるとしている。なお、非晶質炭素膜は、表面部分の方がその内側の部分よりも炭素の含有量が多くなっている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0006】
【文献】特開2020-180600号公報
【文献】特許第6533631号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
上記特許文献1では、ピストンリングの材料について、すなわち、PTFE樹脂とPEEK樹脂のそれぞれの配合比率や、PTFE樹脂とPI樹脂のそれぞれの配合比率などについては検討されていない。また、特許文献2では、ピストンリングの樹脂にPTFE樹脂、PEEK樹脂、PI樹脂などが用いられ、添加剤として、例えばPPS樹脂、二硫化モリブデンなどが配合されることが記載されている。しかし、その配合比率などについては検討されていない。そのため、樹脂製のピストンリングの配合を検討することによって、耐摩耗性を改善できる余地があると考えられる。また、ピストンリングとシリンダーなどの相手材の摺動による相手材の摩耗に関しても改善できることが望ましい。
【0008】
本発明はこのような事情に鑑みてなされたものであり、耐摩耗性に優れ、かつ、シリンダーの摩耗損傷が少ないピストンリングを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明のピストンリングは、ガスを圧縮する往復式圧縮機に用いられるピストンリングであって、上記ピストンリングがPEEK樹脂を主成分とする樹脂組成物からなり、上記PEEK樹脂のせん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度がISO 11443準拠の測定方法において200Pa・s~550Pa・sであることを特徴とする。なお、ここでの溶融粘度は、PEEK樹脂単体の溶融粘度を指し、樹脂組成物の溶融粘度とは異なるものである。また、本発明において、「ガス」とは一般的な気体を意味する概念であり、気体燃料なども含まれる。
【0010】
上記樹脂組成物は、該樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を5体積%~25体積%含み、かつ、固体潤滑剤を5体積%~25体積%含み、上記固体潤滑剤がPTFE樹脂および黒鉛から選択される少なくともいずれか一方であることを特徴とする。
【0011】
上記炭素繊維の平均繊維長が20μm~200μmであることを特徴とする。
【0012】
上記往復式圧縮機が水素ガスを圧縮する水素ガス用往復式圧縮機であることを特徴とする。また、上記樹脂組成物はPPS樹脂を含まないことを特徴とする。
【0013】
上記ピストンリングは上記樹脂組成物の射出成形体の熱処理体であり、上記射出成形体に比べて、硫黄原子の含有量が低いことを特徴とする。
【0014】
上記ピストンリングが、示差走査熱量測定の昇温過程において、150℃~330℃の範囲に熱履歴による吸熱ピークを有することを特徴とする。
【0015】
上記ピストンリングの硫黄原子の含有量が250ppm以下であることを特徴とする。
【発明の効果】
【0016】
本発明のピストンリングは、PEEK樹脂を主成分とする樹脂組成物からなり、該PEEK樹脂のせん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度がISO 11443準拠の測定方法において200Pa・s~550Pa・sであるので、往復動で摺動する条件において耐摩耗性に優れ、かつ、相手材の摩耗損傷が少ないピストンリングになる。
【0017】
樹脂組成物は、該樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を5体積%~25体積%含み、かつ、固体潤滑剤(PTFE樹脂および黒鉛から選択される少なくともいずれか一方)を5体積%~25体積%含むので、オイルなどによる潤滑剤がない圧縮機であっても摩擦摩耗特性に優れる。
【0018】
炭素繊維は平均繊維長が20μm~200μmの短繊維であるので、相手材の摩耗損傷を一層低減できる。
【0019】
ここで、水素ガス用往復式圧縮機では、ピストンリングに含まれる硫黄成分が圧縮工程でガス化して、圧縮ガス(水素ガス)に混入される場合がある。そのような圧縮ガスが燃料電池自動車に充填されると、燃料電池に悪影響を及ぼすおそれがある。これに対して、樹脂組成物はPPS樹脂を含まないので、PPS樹脂に由来する硫黄成分が圧縮ガスに混入することを防止できる。本発明のピストンリングは、PPS樹脂を含まなくても、上記樹脂組成物を用いることで耐摩耗性などに優れるため、特に、高温高圧かつ無潤滑条件での耐摩耗性が要求される水素ガス用圧縮機に好適である。
【0020】
さらに、ピストンリングは樹脂組成物の射出成形体の熱処理体であり、射出成形体に比べて硫黄原子の含有量が低いので、水素雰囲気下で発生する硫黄原子を含むアウトガス(硫黄含有ガス)の発生量が低減され、水素ガス用往復式圧縮機に特に適している。また、熱処理を大気中で行う場合には、例えば上記特許文献2に記載されるような水素雰囲気に曝露する処理(脱硫処理)など、特殊な雰囲気での熱処理を必要としないことから、低コストになる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
【
図1】本発明のピストンリングの一例の斜視図である。
【
図2】本発明のピストンリングを用いた往復式圧縮機の一例の断面図である。
【
図4】PEEK樹脂の溶融粘度と比摩耗量の関係を示した図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
本発明者は、特にピストンリングの耐摩耗性を向上させるべく、鋭意研究を重ねた結果、PEEK樹脂をピストンリングのベース樹脂に用いる場合において、このベース樹脂を特定の溶融粘度範囲に設定することで、耐摩耗性が顕著に向上することを見出した。本発明はこのような知見に基づくものである。
【0023】
本発明のピストンリングおよびピストンリングを適用した往復式圧縮機の一例を
図1および
図2に基づいて説明する。
図1は、本発明のピストンリングの一例を示した斜視図である。
図1に示すように、ピストンリング1は断面が略矩形の環状体である。リング内周面1bとリングの両側面1cとの角部は直線状、曲線状の面取りが設けられていてもよく、シールリングを射出成形で製造する場合、該部分に金型からの突出し部分となる段部を設けてもよい。
【0024】
また、ピストンリング1は、一箇所の合い口1aを有するカットタイプのリングであり、弾性変形により拡径してピストンの環状溝に装着される。ピストンリング1は、合い口1aを有することから、使用時においてガスの圧力によって拡径されて、外周面1dがシリンダーの内周面と密着する。合い口1aの形状については、限定されるものではなく、ストレートカット型、アングルカット型などにすることも可能であるが、シール性に優れることから、
図1に示す複合ステップカット型を採用することが好ましい。
なお、本発明のピストンリングは、
図1に示すような単一の部材からなるピストンリングに限定されず、複数の部材を組み合わせることで円環状になるピストンリングであってもよい。
【0025】
図2は、本発明のピストンリングを用いた往復式圧縮機の一例の断面図である。往復式圧縮機の圧縮機構部2は、シリンダー3とピストン4からなり、ピストン4はピストンロッド5に接続されている。ピストン4の外周面には、ピストンリング1を装着するための環状溝が複数配置されており、ピストンリング1が弾性変形により拡径して各環状溝に組み込まれる。ピストンに装着されるピストンリングの数は特に限定されず、
図2では6個のシールリングが装着されている。ガスは圧縮室6に導入され、ピストン4がシリンダー3に対して往復動することによって圧縮された後、外部に排出される。
【0026】
本発明において、往復式圧縮機が圧縮するガスは特に限定されず、例えば水素ガスが挙げられる。水素ガスを圧縮する水素ガス用往復式圧縮機は、水素ステーションなどに設置され、燃料電池自動車、水素エンジン車への水素ガスの充填などに用いられる。
【0027】
以下には、本発明のピストンリングに用いる樹脂組成物について説明する。
【0028】
本発明のピストンリングは、PEEK樹脂をベース樹脂とした樹脂組成物からなる。本発明において、PEEK樹脂のせん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度はISO 11443準拠の測定方法において200Pa・s~550Pa・sであることを特徴としている。溶融粘度は、PEEK樹脂の平均分子量、分子量分布などによって決まり、一般には分子量が高いほど、溶融粘度も高くなる。上記PEEK樹脂は、この範囲を満足するものであればよい。市販品として、例えば、ビクトレックスジャパン株式会社製:380P、450P、650Pなどを使用することができる。溶融粘度が200Pa・s未満の場合、往復式圧縮機に用いるピストンリングとして耐摩耗性が不十分である。また、溶融粘度が550Pa・sを超えると、射出成形による成形加工が困難になるため、コスト面で好ましくない。上記溶融粘度は、270Pa・s~550Pa・sが好ましく、350Pa・s~550Pa・sがより好ましく、350Pa・s~500Pa・sがさらに好ましい。
【0029】
PEEK樹脂は、重合時に溶媒として使用されるジフェニルスルホンの残留量が少ないものが好ましい。ジフェニルスルホンの残留量が多いと、ピストンリングとして使用する際に、硫黄含有ガス(例えば硫化水素(H2S)など)が発生しやすくなる。水素ガス用往復式圧縮機では、圧縮後の水素ガスに硫黄成分が混入していると燃料電池の性能低下を引き起こす場合があるため、ピストンリングに含まれる硫黄原子の含有量が低いことが要求される。そのため、PEEK樹脂中のジフェニルスルホンの残留量は少ない方が好ましい。
なお、本発明のピストンリングをPEEK樹脂組成物の射出成形、または射出成形素材を機械加工することによって得る場合、射出成形機のシリンダーの最高温度は、ジフェニルスルホンの沸点(379℃)よりも高い380℃以上であることが好ましい。また、射出成形に用いるPEEK樹脂組成物のペレットには、射出成形時に発生するスプール、ランナーを粉砕して作製した再生材を混合して使用してもよい。再生材は再生なしのバージン材に比べて熱履歴を受けた回数が多いため、再生材を混合することはジフェニルスルホンを除去する上で有利である。
【0030】
本発明に用いる樹脂組成物は、樹脂組成物全体に対して、PEEK樹脂を50体積%~90体積%含むことが好ましく、60体積%~90体積%含むことがより好ましく、70体積%~80体積%含むことがさらに好ましい。また、該PEEK樹脂には、溶融粘度の異なる複数のPEEK樹脂を混合して使用してもよいが、混合したPEEK樹脂全体の溶融粘度が200Pa・s~550Pa・sを満たす必要がある。
【0031】
上記樹脂組成物は、該樹脂組成物に対して炭素繊維を5体積%~25体積%含むことが好ましい。炭素繊維が5体積%未満であると、耐摩耗性向上の効果が得られにくく、25体積%を超えると樹脂組成物の溶融粘度が高くなり、射出成形しにくくなる。炭素繊維の含有量は10体積%~20体積%であることがより好ましい。
【0032】
炭素繊維の平均繊維長は、特に限定されないが、20μm~200μmの短繊維であることが好ましい。平均繊維長が20μm未満であると耐摩耗性向上の効果が得られにくく、200μmを超えると摺動時に折損した炭素繊維が摺動面に入り込みやすくなり、シリンダーなどを損傷摩耗させやすい。なお、本明細書における平均繊維長は数平均繊維長である。
【0033】
樹脂組成物に配合する炭素繊維は、原材料から分類されるピッチ系またはPAN系のいずれのものであってもよい。焼成温度は限定されるものではなく、2000℃またはそれ以上の高温で焼成されて黒鉛化品、1000~1500℃程度で焼成された炭化品のどちらであってもよい。本発明に使用できる市販品のミルドファイバーとしては、ピッチ系炭素繊維として、クレハ社製:クレカ M-101S、M-101F、M107T、M-201Sなどが挙げられる。また、PAN系炭素繊維として、帝人株式会社製:HT M800 160MU、HT M100 40MU、東レ株式会社製:トレカ MLD-30、MLD-300などが挙げられる。
なお、炭素繊維は硫黄を不純物として含有している場合がある。ピッチ系炭素繊維の場合、原料のピッチは不純物として硫黄を含有している。また、PAN系炭素繊維の場合も、表面処理に硫酸を用いる場合、硫黄が残留することがある。
【0034】
また、上記樹脂組成物は、該樹脂組成物に対して、PTFE樹脂と黒鉛から選択される固体潤滑剤のうち、少なくともいずれか一方を合計で5体積%~25体積%含むことが好ましい。PTFE樹脂と黒鉛から選択される固体潤滑剤の配合量が合計で5体積%未満であると、無潤滑条件における摩擦摩耗特性の向上効果が得られにくく、25体積%を超えると樹脂組成物の引張伸び特性が低下するおそれがある。引張伸び特性が低下すると、ピストンリングを拡径してピストンの環状溝に装着するときに破断するおそれがある。したがって、上記固体潤滑剤の配合量は10体積%~20体積%であることがより好ましい。
【0035】
PTFE樹脂は、固体潤滑剤であり、樹脂組成物の無潤滑条件における摩擦摩耗特性を向上できる。PTFE樹脂として、懸濁重合法によるモールディングパウダー、乳化重合法によるファインパウダー、再生PTFEのいずれを採用してもよい。樹脂組成物の流動性を安定させるためには、成形時のせん断により繊維化し難く、溶融粘度を増加させ難い再生PTFEを採用することが好ましい。再生PTFEとは、熱処理(熱履歴が加わったもの)粉末、γ線または電子線などを照射した粉末のことである。例えば、モールディングパウダーまたはファインパウダーを熱処理した粉末、また、この粉末をさらにγ線または電子線を照射した粉末、モールディングパウダーまたはファインパウダーの成形体を粉砕した粉末、また、その後γ線または電子線を照射した粉末、モールディングパウダーまたはファインパウダーをγ線または電子線を照射した粉末などのタイプがある。γ線または電子線を照射後にさらに熱処理を加えたタイプもある。PTFE樹脂の50%粒子径は、特に限定されるものではないが10μm~50μmとすることがより好ましい。
【0036】
本発明に使用できる市販品のPTFE樹脂としては、株式会社喜多村製:KTL-610、KTL-450、KTL-350、KTL-8N、KTL-400H、三井ケマーズフロロプロダクツ株式会社製:テフロン(登録商標)7-J、TLP-10、AGC株式会社製:フルオンG163、L150J、L169J、L170J、L172J、L173J、L182J、ダイキン工業株式会社製:ポリフロンM-15、スリーエムジャパン株式会社製:ダイニオンTF9205、TF9207などが挙げられる。また、パーフルオロアルキルエーテル基、フルオルアルキル基、またはその他のフルオロアルキルを有する側鎖基で変性されたPTFE樹脂であってもよい。上記の中でγ線または電子線などを照射したPTFE樹脂としては、株式会社喜多村製:KTL-610、KTL-450、KTL-350、KTL-8N、KTL-8F、AGC株式会社製:フルオンL169J、L170J、L172J、L173J、L182Jなどが挙げられる。
【0037】
黒鉛は、固体潤滑剤であり、PTFE樹脂と同様に無潤滑条件の摩擦摩耗特性を向上できる。また、黒鉛としては、天然黒鉛、人造黒鉛のいずれを用いてもよい。粒子の形状は、鱗片状、粒状、球状などがあるが、いずれを用いてもよい。天然黒鉛としては、日本黒鉛工業株式会社製:ACP、人造黒鉛としてはイメリス・ジーシー・ジャパン株式会社製:KS-6、KS-25、KS-44などが挙げられる。黒鉛の50%粒子径は限定されないが、3μm~50μmが好ましく、10μm~30μmがより好ましい。50μmを超えると、樹脂組成物の引張伸び特性が低下するおそれがある。引張伸び特性が低下すると、ピストンリングを拡径してピストンの環状溝に装着するときに破断するおそれがある。なお、天然黒鉛、人造黒鉛ともに硫黄を不純物として含有している。
【0038】
本発明に用いるPTFE樹脂および黒鉛の50%粒子径(D50)は、粒子径分布を累積分布としたとき、累積値が50%となる点の粒子径であり、例えば、レーザー光散乱法を利用した粒子径分布測定装置などを用いて測定することができる。
【0039】
上記樹脂組成物には、炭素繊維と上述の固体潤滑剤とを組み合わせて配合してもよく、炭素繊維のみまたは固体潤滑剤のみを配合してもよい。
【0040】
本発明の効果を阻害しない程度に、上記樹脂組成物に対して周知の樹脂用添加剤を配合してもよい。添加剤としては、例えば、無機物(マイカ、タルク、炭酸カルシウム、窒化ホウ素など)、ウィスカ(炭酸カルシウム、チタン酸カリウムなど)、着色剤(カーボンブラック、酸化鉄、酸化チタンなど)、他の樹脂成分などが挙げられる。なお、上記樹脂用添加剤は硫黄を不純物として含有している場合がある。例えば、カーボンブラックでは、硫黄は多環芳香族炭化水素に結合した状態で存在している。
【0041】
また、本発明の効果を阻害しない程度に、上記樹脂組成物にPEEK樹脂よりもガラス転移点の高い樹脂を、PEEK樹脂よりも少ない配合量で配合してもよい。これにより、PEEK樹脂のガラス転移点(143℃)よりも高温の領域における弾性率の低下を抑制することができる。そのような樹脂として、例えば、熱可塑性ポリイミド樹脂、熱硬化性ポリイミド樹脂、ポリアミドイミド樹脂、ポリエーテルイミド樹脂などを選定でき、また、その配合量は、樹脂組成物全体に対して例えば1体積%~10体積%とすることができる。
【0042】
本発明に用いる樹脂組成物に配合される炭素繊維、PTFE樹脂、黒鉛、その他の添加剤には、硫黄原子が意図的に含有されていないことが好ましい(不純物としての含有を除く)。具体的には、上記樹脂組成物はPPS樹脂や二硫化モリブデンを含まないことが好ましい。また、不純物としての硫黄原子の含有量が、樹脂組成物全量(100質量%)に対して0.1質量%以下であることがより好ましく、0.025質量%(250ppm)以下であることが特に好ましい。この硫黄原子の含有量は、例えば誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)を用いて測定できる。より高精度に分析できるトリプル四重極型誘導結合プラズマ質量分析装置(ICP-MS/MS)を用いてもよい。分析の前処理方法としては、例えば、マイクロ波試料前処理装置にて酸分解して得られた分解液をろ過し、上澄みを分析サンプルとして得る方法が挙げられる。分解残渣に硫黄原子が含まれないことは、蛍光X線分析装置など既知の分析方法で確認することができる。
【0043】
以上より、本発明の樹脂組成物の特に好ましい形態は、せん断速度1000/s、温度400℃における溶融粘度がISO 11443準拠の測定方法において270Pa・s~550Pa・sであるPEEK樹脂をベース樹脂とし、樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を5体積%~25体積%含み、かつ、固体潤滑剤(PTFE樹脂および黒鉛から選択される少なくともいずれか一方)を5体積%~25体積%含み、上記炭素繊維の平均繊維長が20μm~200μmである。さらに、上記樹脂組成物は、該樹脂組成物全体に対して、炭素繊維を10体積%~20体積%含み、かつ、PTFE樹脂を10体積%~20体積%含むことが好ましい。
【0044】
上記樹脂組成物を構成する各材料を、必要に応じて、ヘンシェルミキサー、ボールミキサー、リボンブレンダーなどにて混合した後、二軸混練押出し機などの溶融押出し機にて溶融混練し、成形用ペレットを得ることができる。なお、炭素繊維、PTFE樹脂、黒鉛、上述の樹脂用添加剤の投入は、二軸押出し機などで溶融混練する際にサイドフィードを採用してもよい。この成形用ペレットを用いて射出成形によりピストンリングを成形することができる。射出成形素材を用いて追加工または全加工を行い、所定のピストンリング形状に仕上げてもよい。なお、成形方法としては、圧縮成形、射出成形、押し出し成形などを適宜選択でき、これらの中でも射出成形を行うことが好ましい。
【0045】
本発明のピストンリングは、射出成形の前または後において熱処理されていることが好ましい。具体的には、ピストンリングは、(1)上記成形用ペレットをペレットの状態で熱処理したものを用いて射出成形した射出成形体である、または、(2)上記成形用ペレットを用いて射出成形した射出成形体を熱処理した熱処理体であることが好ましい。このように、射出成形の前または後に熱処理を行うことで、樹脂組成物中に含まれる硫黄原子の含有量を低減できる。その結果、熱処理を経ていないピストンリングに比べて、水素雰囲気下における硫黄含有ガスの発生量を低減できる。
【0046】
上記(1)または上記(2)のピストンリングにおける硫黄原子の含有量は、樹脂組成物全量(100質量%)に対して0.1質量%以下であることが好ましく、0.05質量%以下であることがより好ましく、0.025質量%(250ppm)以下であることがさらに好ましく、0.020質量%(200ppm)以下であることが特に好ましい。
【0047】
熱処理を実施するタイミングは特に限定されず、成形用ペレットを得てからピストンリングを製造するまでの間のいずれのタイミングでもよい。例えば、射出成形の後であれば、射出成形素材の段階で熱処理を実施してもよく、射出成形素材を機械加工にて削り出した後に熱処理を実施してもよい。
【0048】
熱処理の最高温度は150℃~330℃の温度(より好ましくは200℃~250℃の温度)であることが好ましい。最高温度が150℃未満であると、硫黄含有ガスの低減効果が得られにくく、250℃を超えると、射出成形の後に熱処理する場合は変形が起こりやすくなる。また、ピストンリングの使用温度よりも高い温度であることがより好ましく、該使用温度よりも30℃以上高い温度であることがさらに好ましい。また、最高温度で保持する時間は特に限定されないが、例えば4時間~8時間である。この熱処理はピストンリング中の硫黄の低減に有効であり、ピストンリングの使用中に発生する硫黄含有ガスを予め低減できる。なお、PEEK樹脂組成物に炭素繊維、黒鉛、カーボンブラックなど、硫黄を不純物として含有する充填材を配合している場合、これらに含まれる活性な硫黄を予め除去するのに特に有効である。
【0049】
射出成形によって形成したピストンリング、または射出成形素材を機械加工にて削り出したピストンリングについて、上記熱処理を実施した後、示差走査熱量測定(DSC)を行うと、昇温過程において、熱処理なしの場合にはみられない吸熱ピーク(以下、熱履歴による吸熱ピークという)が現れる。熱履歴による吸熱ピークは、熱処理の最高温度と同等か、もしくは少し高い温度(+20度以内)に現れるため、熱処理の最高温度の推定が可能である。本発明のピストンリングは、上記熱処理に起因して、示差走査熱量測定の昇温過程における150℃~330℃の範囲(好ましくは200℃~250℃の範囲)に熱履歴による吸熱ピークを有していることが好ましい。この場合、当該ピストンリングは、PEEK樹脂の融点(約343℃)に由来する吸熱ピーク以外にも、150℃~330℃の範囲に吸熱ピークを有している。なお、DSCによる測定は、例えば昇温速度15度/分、窒素ガス中の条件で行うことができる。
【0050】
また、熱処理は大気中で行うことが好ましい。これにより、水素雰囲気への曝露(脱硫処理)など、特殊な雰囲気での熱処理を必要としないことから低コストになる。
【実施例】
【0051】
以下、実施例を挙げて本発明をさらに具体的に説明する。ただし、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【0052】
実施例1~実施例6、比較例1~比較例2
表1の配合割合(体積%)で配合したPEEK樹脂組成物を用いて、射出成形によってφ8×20mmの射出成形素材を成形し、大気中にて最高温度220℃で4時間熱処理した後、機械加工することでφ3×13mmのピン試験片を作製した。
【0053】
PEEK樹脂組成物に用いた原材料を以下に示す。PEEK-1~PEEK-5の溶融粘度は、せん断速度1000/s、温度400℃におけるISO 11443準拠の測定方法により測定した値である。
(1)PEEK-1
ビクトレックスジャパン株式会社:90P(溶融粘度90Pa・s)
(2)PEEK-2
ビクトレックスジャパン株式会社:150P(溶融粘度130Pa・s)
(3)PEEK-3
ビクトレックスジャパン株式会社:380P(溶融粘度300Pa・s)
(4)PEEK-4
ビクトレックスジャパン株式会社:450P(溶融粘度350Pa・s)
(5)PEEK-5
ビクトレックスジャパン株式会社:650P(溶融粘度500Pa・s)
(6)CF-1
株式会社クレハ:クレカ M201S(平均繊維長150μm)
(7)CF-2
東レ株式会社:トレカ MLD-30(平均繊維長30μm)
(8)CF-3
株式会社クレハ:クレカ M107T(平均繊維長400μm)
(9)PTFE樹脂
株式会社喜多村:KTL-450(50%粒子径22μm)
(10)黒鉛
日本黒鉛工業株式会社:CGB-20(50%粒子径20μm)
【0054】
表1に示すように、実施例1~3および実施例5~6では、所定の溶融粘度のPEEK樹脂と炭素繊維とPTFE樹脂のみからなる樹脂組成物(黒鉛を含まない)を用いた。また、実施例4では、所定の溶融粘度のPEEK樹脂と炭素繊維とPTFE樹脂と黒鉛のみからなる樹脂組成物を用いた。
【0055】
<摩擦摩耗試験>
得られたピン試験片について、
図3に示すピンオンディスク試験機を用いて摩擦摩耗試験を行った。
図3に示すように、試験機の回転ディスク8の表面に3つのピン試験片7の試験面を下記の面圧で押し付けた状態で、室温下で回転ディスク8を回転させた。具体的な試験条件は以下のとおりであり、回転ディスク8の材質はSUS304である。なお、この試験条件は水素ガス用往復式圧縮機でのピストンリングの使用条件を想定している。
(試験条件)
周速 :4.8m/min
面圧 :4MPa
潤滑 :なし(ドライ)
温度 :室温
時間 :50時間
【0056】
試験終了後、試験前後におけるピン試験片7の高さの変化量をそれぞれ測定し、3本の平均値から比摩耗量を算出した。また、相手材(回転ディスク8)の摩耗損傷を目視によって確認した。結果を表1に併記する。
【表1】
【0057】
表1に示すように、実施例1~6は、比摩耗量が19×10-8mm3/(N・m)~79×10-8mm3/(N・m)であった。溶融粘度が200Pa・s未満のPEEK樹脂を用いた比較例1および比較例2の比摩耗量はそれぞれ413×10-8mm3/(N・m)、200×10-8mm3/(N・m)であり、実施例1~実施例6よりも耐摩耗性に劣る結果であった。また、実施例5(炭素繊維の平均繊維長:400μm)では、相手材に僅かながら摩耗損傷がみられた。
【0058】
実施例1~2、実施例6、比較例1~2(CF-1:10体積%、PTFE樹脂:10体積%の組合せ)について、PEEK樹脂の溶融粘度と比摩耗量の関係を
図4に示す。
図4に示すように、PEEK樹脂の溶融粘度が所定以下になると比摩耗量が急激に増加する傾向が見られた。本発明では、PEEK樹脂の溶融粘度を200Pa・s~550Pa・sの範囲にすることで、比摩耗量が小さく、耐摩耗性に優れるピストンリングになる。
【0059】
実施例1のピン試験片を作製するのに用いた射出成形素材について、最高温度220℃で4時間熱処理する前後で硫黄原子の定量分析を行った。射出成形素材を凍結粉砕し、マイクロ波試料前処理装置にて酸分解して得られた分解液をろ過して、上澄みを分析サンプルとして得た。この分析サンプルをICP-MS/MSにより分析したところ、硫黄の含有量は、熱処理前:220ppm、熱処理後:150ppmであった。なお、分解残渣に硫黄原子が含まれないことは、蛍光X線分析装置によって確認した。
【0060】
また、別途PEEK樹脂を主成分とする樹脂組成物の射出成形素材を、最高温度210℃、最高温度での保持時間4時間で熱処理した。熱処理後において、示差走査熱量測定(DSC)を行った結果の一例を
図5に示す。
図5に示すように、昇温過程において、熱処理なしの場合にはみられない吸熱ピークが223℃に観測された。
【0061】
このように、上述した実施例のピストンリングは、熱処理工程における最高温度に対応して、示差走査熱量測定の昇温過程において150℃~330℃の範囲に熱履歴による吸熱ピークを有する。
【産業上の利用可能性】
【0062】
本発明のピストンリングは、ガスを圧縮する往復式圧縮機のピストンリングに好適であり、耐摩耗性に優れ、かつ、シリンダーの摩耗損傷が少ない。また、硫黄原子を含むアウトガスの発生を低減できるため、硫黄による汚染を避ける必要のある水素ガス用往復式圧縮機にも使用できる。
【符号の説明】
【0063】
1 ピストンリング
2 圧縮機構部
3 シリンダー
4 ピストン
5 ピストンロッド
6 圧縮室
7 ピン試験片
8 回転ディスク