(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-03-05
(45)【発行日】2025-03-13
(54)【発明の名称】写像性および耐疵付き性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼およびその製造方法
(51)【国際特許分類】
C22C 38/00 20060101AFI20250306BHJP
C22C 38/58 20060101ALI20250306BHJP
C22C 38/60 20060101ALI20250306BHJP
C21D 9/46 20060101ALI20250306BHJP
【FI】
C22C38/00 302Z
C22C38/58
C22C38/60
C21D9/46 Q
(21)【出願番号】P 2021054343
(22)【出願日】2021-03-26
【審査請求日】2023-11-27
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】日鉄ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】稲田 拓哉
(72)【発明者】
【氏名】石丸 詠一朗
(72)【発明者】
【氏名】笹渕 亮太
(72)【発明者】
【氏名】小塚 淳一
【審査官】河野 一夫
(56)【参考文献】
【文献】特開2016-166385(JP,A)
【文献】特開平09-249942(JP,A)
【文献】特開2011-225970(JP,A)
【文献】特開2020-164955(JP,A)
【文献】特開平11-209826(JP,A)
【文献】特開平07-258733(JP,A)
【文献】特開2004-244691(JP,A)
【文献】特開平11-152550(JP,A)
【文献】特開2019-157203(JP,A)
【文献】特開2019-151901(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00
C22C 38/60
C21D 9/46
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、0.01~0.2%のC、0.01~2.0%のSi、0.1~4.0%のMn、0.05%以下のP、0.03%以下のS、10~20%のCr、0.01~4.0%のNi、0.15%以下のN、0.01%以下のOを含有し、残部がFeおよび不可避的不純物である組成を有し、
フェライト相およびマルテンサイト相を含み、
硬度が200~350HV、うねりが2.0μm以下、表面の算術平均粗さ(Ra)が0.1μm以下であり、
任意の断面において、前記マルテンサイト相の面積率は60~80%であり、炭化物の面積率は0.5~2.0%であり、個々の前記炭化物の長径は1μm以下である、鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板。
【請求項2】
質量%で、4.0%以下のCuを含有する、請求項1に記載の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板。
【請求項3】
質量%で、1.0%以下のMo、1.0%以下のW、0.5%以下のCo、0.2%以下のAl、1.0%以下のV、1.0%以下のNb、1.0%以下のTi、0.005%以下のB、0.005%以下のCa、0.005%以下のMg、0.5%以下のSn、0.5%以下のSb、0.01%以下のGa、0.01%以下のTa、0.5%以下のZr、0.1%以下のY、0.01%以下のHfおよび0.1%以下のREMの少なくとも何れか1つを含有する、請求項1または2に記載の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板。
【請求項4】
冷間圧延工程後に800~1100℃の温度域まで加熱し、前記温度域での1分未満の均熱保持後、1℃/s以上の冷却速度で冷却する、最終焼鈍工程と、
繰り返し引張曲げ戻し加工による矯正工程と、
鏡面研磨工程を含む、
請求項1に記載の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板の製造方
法。
【請求項5】
前記鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板は、質量%で4.0%以下のCuを含有する、請求項
4に記載の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板の製造方法。
【請求項6】
前記鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板は、質量%で、1.0%以下のMo、1.0%以下のW、0.5%以下のCo、0.2%以下のAl、1.0%以下のV、1.0%以下のNb、1.0%以下のTi、0.005%以下のB、0.005%以下のCa、0.005%以下のMg、0.5%以下のSn、0.5%以下のSb、0.01%以下のGa、0.01%以下のTa、0.5%以下のZr、0.1%以下のY、0.01%以下のHfおよび0.1%以下のREMの少なくとも何れか1つを含有する、請求項
4または
5に記載の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼
板の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は鏡面仕上げ複相ステンレス鋼およびその製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、鏡類に使用される金属材料として、オーステナイト系ステンレス鋼が知られているが、従来のオーステナイト系鏡面仕上げステンレス鋼は、一般的に表面硬さがHV200以下と軟質であるため、疵がつきやすい。
【0003】
そこで、特許文献1では、高強度複相組織ステンレス鋼に鏡面研磨を施すことにより、疵や割れが発生し難く、高強度化による軽量化が可能な鏡面仕上げステンレス鋼が提案されている。特許文献1には、フェライトとマルテンサイトとの混合組織をもち、硬さがHV330以上、鏡面光沢度がGs(20°)=1200~1300である鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、特許文献1に記載の複相ステンレス鋼板は、硬度が高いため、変形抵抗が大きくなり、矯正で十分な平坦度が得られず、鏡面研磨後の写像性が低下する場合がある。
【0006】
本発明の一態様は、高強度でありながらも、写像性および耐疵付き性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼を実現することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼は、質量%で、0.01~0.2%のC、0.01~2.0%のSi、0.1~4.0%のMn、0.05%以下のP、0.03%以下のS、10~20%のCr、0.01~4.0%のNi、0.15%以下のN、0.01%以下のOを含有し、残部がFeおよび不可避的不純物である組成を有し、フェライト相およびマルテンサイト相を含み、硬度が200~350HV、うねりが2.0μm以下、表面の算術平均粗さ(Ra)が0.1μm以下であり、任意の断面において、前記マルテンサイト相の面積率は60~80%であり、炭化物の面積率は0.5~2.0%であり、個々の前記炭化物の長径は1μm以下である。
【0008】
また、本発明の一態様に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法は、冷間圧延工程後に800~1100℃の温度域まで加熱し、前記温度域での1分未満の均熱保持後、1℃/s以上の冷却速度で冷却する、最終焼鈍工程と、繰り返し引張曲げ戻し加工による矯正工程と、鏡面研磨工程を含む、鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法であって、前記鏡面仕上げ複相ステンレス鋼は、質量%で、0.01~0.2%のC、0.01~2.0%のSi、0.1~4.0%のMn、0.05%以下のP、0.03%以下のS、10~20%のCr、0.01~4.0%のNi、0.15%以下のN、0.01%以下のOを含有し、残部がFeおよび不可避的不純物である組成を有する。
【発明の効果】
【0009】
本発明の一態様によれば、写像性および耐疵付き性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼を実現することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼の任意の断面のSEM写真である。
【
図2】複相化温度での保持時間および複相化温度が複相ステンレス鋼の硬度に及ぼす影響を示すグラフである。
【
図3】複相化温度での保持時間および複相化温度が、マルテンサイト面積率に及ぼす影響を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明の一実施形態について、詳細に説明する。なお、以下の記載は発明の趣旨をより良く理解させるためのものであり、特に指定のない限り、本発明を限定するものではない。また、本明細書において、「A~B」とは、A以上B以下であることを示している。また、本明細書において、化学組成に関する「%」は特に断らない限り「質量%」を意味する。
【0012】
<用語の定義>
「ステンレス鋼」との用語は、具体的な形状が限定されないステンレス鋼材を意味する。このステンレス鋼材としては、例えば、鋼板、鋼管、条鋼等が挙げられる。
【0013】
本明細書において、「複相ステンレス鋼」は、特段の記載のない限り、フェライト相とマルテンサイト相とを含むステンレス鋼を意味する。
【0014】
<一般的な製法について>
始めに、一般的なステンレス鋼帯の製造工程の一例について概略的に説明する。一般的なステンレス鋼帯の製造工程は、一例では、製鋼工程、熱間圧延工程、焼鈍工程、酸洗工程、冷間圧延工程、焼鈍・酸洗工程、および仕上圧延工程をこの順に含む。従来の製造工程におけるこれらの各工程については、公知の内容であることから、以下に説明することを除いて詳細な説明を省略する。
【0015】
以下では、本発明の一実施形態に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の特徴について説明する。なお、以下の説明において、最終焼鈍工程後(鏡面仕上げ前)の複相ステンレス鋼であっても、鏡面研磨工程後の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼であっても同様の特徴である場合、単に「複相ステンレス鋼」の特徴として記載する。しかしながら鏡面仕上げ複相ステンレス鋼についても当該特徴を有することに留意されたい。
【0016】
<発明の知見の概要>
複相ステンレス鋼は、相対的に軟質であり延性を有するフェライト相と、強度の高いマルテンサイト相とからなる複相金属組織を有する。そのため、複相ステンレス鋼は、強度および延性の両方を備えるステンレス鋼として知られている。しかしながら、当該複相ステンレス鋼の硬度が高い(例えば、350HVより大きい)場合、変形抵抗が大きく、鏡面仕上げステンレス鋼を得るための工程の1つである矯正工程において、十分な平坦度が得られない場合がある。また、鏡面研磨工程では、研磨負荷が高くなり、砥石消費量が増大してしまう。
【0017】
上記変形抵抗を低下させ、研磨性を向上させるために、複相ステンレス鋼におけるマルテンサイト相の相比を下げて複相ステンレス鋼を軟質化することが考えられる。しかしながら、マルテンサイト相の相比を下げると、強度を確保するマルテンサイト相の相比が下がることで、複相ステンレス鋼自体の強度も低下してしまう。
【0018】
一方、当該複相ステンレス鋼の硬度が低すぎると疵が付きやすいという問題が生じる。
【0019】
本発明者らは、鋭意検討の結果、複相化熱処理における複相化温度域での保持時間を短くした上で矯正工程および鏡面研磨工程を施すことにより、高強度かつ写像性および耐疵付き性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼が得られることを見出した(後述の実施例を参照)。本実施形態における鏡面仕上げ複相ステンレス鋼は、マルテンサイト相の相比が高い割合に維持されているため、高強度であり、最終製品を軽量化することができる。また、本実施形態における複相ステンレス鋼は、硬度(ビッカース硬さ)が200~350HVであるため、変形加工性に優れ、かつ耐疵付き性も有する。
【0020】
変形加工性に優れることにより、以下で詳述する矯正工程において十分な平坦度を得ることができ、写像性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼を得ることができる。また、硬度が200~350HV程度であるため、従来のフェライト-マルテンサイト複相ステンレス鋼と比較して研磨負荷が低いという利点も有する。
【0021】
すなわち、本発明の一実施形態によれば、高強度かつ写像性に優れる鏡面仕上げ複相ステンレス鋼を提供することができる。また、鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造にあたり、製造コストが増大する可能性を低減して製造可能である。
【0022】
<本発明の複相ステンレス鋼>
図1は、本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼の任意の断面のSEM写真である。
図1に示されるように、本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼の任意の断面において、炭化物は、材料内に分散した粒状物として観察され得る。当該複相ステンレス鋼中に存在する炭化物としては、例えば、(Fe,Cr)
23C
6などが挙げられる。炭化物の面積率とは、複相ステンレス鋼の断面の所定領域における、炭化物が存在している領域(炭化物粒子の面積の総和)の割合である。炭化物の長径とは、粒子状の炭化物の直径のうち、最大の長さの径を意味する。本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼では、当該複相ステンレス鋼の断面において確認される個々の炭化物の長径が1μm以下である。マルテンサイト相および炭化物の面積率、ならびに炭化物の長径を測定するときの複相ステンレス鋼の断面の方向は特に限定されない。例えば、複相ステンレス鋼の圧延方向および板厚方向に平行な断面であってよい。
【0023】
本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、延性を有するフェライト相と、強度を有するマルテンサイト相とを含むことにより、延性および強度を兼備している。硬質なマルテンサイト相の比率が高いほど、複相ステンレス鋼自体の強度は向上する。しかしながら、マルテンサイト相の比率が過剰に高いと、複相ステンレス鋼の延性が低下し、加工が困難となる。そのため、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、当該複相ステンレス鋼の任意の断面におけるマルテンサイト相の面積率が60~80%である。これにより、複相ステンレス鋼自体の強度が確保される。
【0024】
複相ステンレス鋼に対して変形加工を施す場合、複相ステンレス鋼の硬度が高いと加工性が低下する。一方、複相ステンレス鋼の硬度が低すぎる場合、鏡面仕上げを施して製品とした場合に疵が発生しやすい。そのため、本実施形態における複相ステンレス鋼の硬度は200~350HVである。
【0025】
同じ組成を有する複相ステンレス鋼において、断面における炭化物の面積率の違いは、炭化物がマルテンサイト相に固溶するC量の違いに起因すると考えられる。すなわち、同じ成分組成を有する複相ステンレス鋼において、炭化物の面積率が低いほど、マルテンサイト相に固溶したC量が多いと考えられる。マルテンサイト相に固溶するC量が多いと、マルテンサイト相の硬度が上がり、複相ステンレス鋼自体の硬度が上がる原因となり、変形加工性に悪影響を及ぼす。そのため、本発明の組成を有する複相ステンレス鋼において、複相ステンレス鋼の任意の断面における好ましい炭化物の面積率は0.5~2.0%である。
【0026】
さらに、複相ステンレス鋼において、炭化物が粗大であると、炭化物に起因した疵が生じる場合がある。そのため、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、任意の断面における個々の炭化物の長径が1μm以下であり、より好ましくは、0.75μm以下である。これにより、複相ステンレス鋼の変形加工性を向上させることができる。
【0027】
(成分組成)
本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、必須の成分として、質量%で、0.01~0.2%のC、0.01~2.0%のSi、0.1~4.0%のMn、0.05%以下のP、0.03%以下のS、10~20%のCr、0.01~4.0%のNi、0.15%以下のN、0.01%以下のOを含有し、残部がFeおよび不可避的不純物からなる。
【0028】
また、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、任意の成分として、4.0%以下のCu、1.0%以下のMo、1.0%以下のW、0.5%以下のCo、0.2%以下のAl、1.0%以下のV、1.0%以下のNb、1.0%以下のTi、0.005%以下のB、0.005%以下のCa、0.005%以下のMg、0.5%以下のSn、0.5%以下のSb、0.01%以下のGa、0.01%以下のTa、0.5%以下のZr、0.1%以下のY、0.01%以下のHfおよび0.1%以下のREM(希土類元素)の少なくとも何れか1つを含有してもよい。以下、本実施形態に係る複相ステンレス鋼に含まれる各元素の含有量の意義について説明する。
【0029】
Cは、オーステナイト相を生成しやすくする、オーステナイト生成元素である。Cはオーステナイト組織を安定化させると共に、焼鈍および/または冷却過程で生成するマルテンサイトの強度を向上させる。C含有量が高くなると、Cがマルテンサイト相の体積率を増加させ、Cがマルテンサイト中に固溶するため、ステンレス鋼の強度が向上する。そのため、Cはステンレス鋼の強度を確保するうえで重要な元素である。ただし、ステンレス鋼のC含有量が高くなりすぎると、変形抵抗が高くなりすぎてしまい写像性が低下する。また、ステンレス鋼のC含有量が高くなりすぎると、靭性および耐食性を低下させる。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は0.01~0.2%のCを含有する。
【0030】
Siは、ステンレス鋼の脱酸作用を有する元素であるが、フェライト相を生成しやすくするフェライト相生成元素であることから、Si含有量が高いと十分なマルテンサイト量(マルテンサイト相の体積率)が得られない。一方、ステンレス鋼の過度の低Si化は、精錬コストの増大に繋がる。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、0.01~2.0%のSiを含有する。
【0031】
Mnは、オーステナイト生成元素であり、マルテンサイト相を得るために有効な元素である。しかし、多量のMn含有はマルテンサイト相の体積率が高くなりすぎてしまうことから変形抵抗の増加を招く。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、0.1~4.0%のMnを含有する。
【0032】
P、Sは、不可避的不純物である。P、Sは、靭性を低下させる元素であるため、本実施形態に係る複相ステンレス鋼において、Pの含有量は0.05%以下であり、Sの含有量は0.03%以下である。
【0033】
Crは、ステンレス鋼の耐食性を高めるのに有効な成分である。しかし、Crはフェライト相を生成しやすくする、フェライト生成元素であるため、ステンレス鋼のCr含有量が高くなりすぎると、マルテンサイト相の体積率を低下させる。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、10.0~20.0%のCrを含有する。
【0034】
Niは、オーステナイト生成元素であり、マルテンサイト相を生成させるのに有効な元素である。さらに、ステンレス鋼の靱性および耐食性の向上にも有効である。しかし、Ni含有量が高くなりすぎると、マルテンサイト相のみからなるステンレス鋼になってしまい、複相組織が得られない。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼は0.01~4.0%のNi含有量を有する。
【0035】
Nは、マルテンサイト相の体積率を増加させて、ステンレス鋼の強度向上に寄与する元素である。またNは、マルテンサイト中に固溶することによっても、ステンレス鋼の強度を向上させる。ただし、N含有量が多くなるとオーステナイト中のNの溶解度に起因して相比制御や固溶強化の効果が飽和する。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では0.15%以下のN含有量を有し、より好ましくは、0.050%以下のN含有量を有する。
【0036】
Oは、不可避的不純物である。Oは、酸化物系介在物を形成し、曲げ性を低下させる要因となるため、本実施形態に係る複相ステンレス鋼において、Oの含有量は0.01%以下である。
【0037】
(その他の成分)
本実施形態に係る複相ステンレス鋼は、上記の必須成分に加えて下記の元素群のうち1種類または2種類以上を選択的に含有していてもよい。
【0038】
Cuは、オーステナイト生成元素であり、またオーステナイト相を維持するために有効な元素である。Cuを過剰添加すると、マルテンサイト相の体積率が高くなりすぎることにより変形抵抗が増加する。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて4.0%以下のCuを添加してもよい。
【0039】
Mo、W、Coは、ステンレス鋼の耐食性を向上させる元素である。一方、ステンレス鋼は、これらの元素を過度に含有すると硬質化し、靭性が低下するとともに材料コストが上昇する。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて1.0%以下のMo、1.0%以下のWおよび0.5%以下のCoのうち1種類以上を添加してもよい。
【0040】
Alは脱酸材として有効な元素である。一方、Alはフェライト生成元素であるため、Alを過剰に添加すると、オーステナイト生成元素の添加量を増加させる必要がある。また、Alの添加による脱酸材としての効果は一定量で飽和に達し、過剰に添加しても向上しない。よって本実施形態に係る複相ステンレス鋼は0.2%以下のAlを添加してもよい。
【0041】
Nb、V、Tiは、CおよびNとの親和力の高い元素であり、熱間圧延時に炭化物あるいは窒化物として析出し、高温強度を向上させる効果がある。一方、これらの元素の過剰な添加は、鋼を硬質化し、変形加工性に悪影響を及ぼす。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて1.0%以下のNb、1.0%以下のVおよび1.0%以下のTiのうち1種類以上を添加してもよい。
【0042】
B、Ca、Mgは、熱間加工性および2次加工性を向上させる元素である。一方、これらの元素の過度な添加は、ステンレス鋼の製造性を低下させる可能性がある。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて0.005%以下のB、0.005%以下のCaおよび0.005%以下のMgのうち1種類以上を添加してもよい。
【0043】
Sn、Sbは、耐食性を向上させる元素である。一方、これらの元素の過剰な添加は、ステンレス鋼の製造性を低下させる可能性がある。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて0.5%以下のSnおよび0.5%以下のSbのうち1種類以上を添加してもよい。
【0044】
Ga、Taは、耐食性を向上させる元素である。一方、これらの元素の過剰な添加は、合金コストの増加をもたらす可能性がある。よって、本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて0.01%以下のGaおよび0.01%以下のTaのうち1種類以上を添加してもよい。
【0045】
Zr、Y、Hf、REMは、熱間加工性および鋼の清浄度を向上させる元素である。また、耐酸化性を改善するための元素としても有効である。一方、これらの元素の過剰な添加は、合金コストの増加をもたらす可能性がある。よって本実施形態に係る複相ステンレス鋼では、必要に応じて0.5%以下のZr、0.1%以下のY、0.01%以下のHfおよび0.1%以下のREMのうち1種類以上を添加してもよい。
【0046】
また、本実施形態に係る複相ステンレス鋼の残部は、Feおよび不可避的不純物である。
【0047】
<鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法>
本発明の一実施形態に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法の一例について、以下に説明する。本発明の一実施形態に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法は、一般的なステンレス鋼の製造方法における最終焼鈍工程において、複相化熱処理を施した後、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことを特徴とする。
【0048】
(前処理工程)
前処理工程では、先ず、真空溶解炉を用いて、本発明の範囲内となるように組成を調整した鋼を溶製する。この鋼を鋳造して鋼塊を製造する。
【0049】
(熱間圧延工程)
熱間圧延工程では、上記前処理工程後の鋼塊を熱間圧延することにより、熱延鋼帯を製造する。熱間圧延工程における温度は一般的な範囲内であってよく、例えば800~1250℃程度であってよい。
【0050】
(第1の焼鈍工程)
第1の焼鈍工程では、上記熱延鋼帯に対して、例えばバッチ型焼鈍炉(ベル型焼鈍炉)を用いて焼鈍(バッチ焼鈍)を行う。この焼鈍工程を第1の焼鈍工程と称する。
【0051】
(第1の酸洗工程)
第1の酸洗工程では、第1の焼鈍工程により得られた焼鈍鋼帯に対して酸洗処理を施す。この第1の酸洗工程では、焼鈍鋼帯の脱スケール処理が行われる。
【0052】
(冷間圧延工程)
冷間圧延工程では、上記酸洗工程によって脱スケールされた上記焼鈍鋼帯に対して、例えば圧下率50~90%にて冷間圧延を施すことにより冷延鋼帯とする。
【0053】
(最終焼鈍工程)
本実施形態に係る複相ステンレス鋼の製造方法では、最終焼鈍工程として、上記冷間圧延工程によって冷延された上記冷延鋼帯に対して、複相化熱処理を施す。具体的には、冷延鋼帯を、800~1100℃、好ましくは900~1000℃の複相化温度域まで加熱し、前記複相化温度域での1分未満、好ましくは40秒以下の均熱保持後、1℃/s以上、好ましくは3℃/s以上の冷却速度で冷却する。最終焼鈍工程では、冷延鋼帯を800~1100℃の複相化温度域まで加熱することにより、フェライト相と、後の冷却によってマルテンサイト相に変態するオーステナイト相との2相の金属組織を生じさせる。その後、加熱した冷延鋼帯を1℃/s以上の冷却速度で冷却することにより、オーステナイト相をマルテンサイト相に変態させる。
【0054】
このように、本実施形態に係る複相ステンレス鋼の製造方法では、800~1100℃の温度における短時間(1分未満)の均熱処理によってフェライト相とオーステナイト相との2相の金属組織を生じさせる。複相化温度域からの冷却速度については、オーステナイト相をマルテンサイト相に変態し得る速度であればよい。
【0055】
本実施形態に係る複相ステンレス鋼の製造方法では、特徴的な(短時間の)複相化熱処理によって、その後の追加の熱処理工程を必要とせず所望の特性を有する複相ステンレス鋼が得られる。そのため、複相化熱処理を、最終焼鈍工程とすることができる。
【0056】
(第2の酸洗工程、仕上げ圧延工程)
必要に応じ、最終焼鈍工程後の鋼帯に対して、第2の酸洗工程における最終的な酸洗処理、および仕上げ圧延工程を行う。
【0057】
(矯正工程)
矯正工程では、仕上げ圧延工程後の鋼帯に対して、例えば、テンションレベラを用いて繰り返し引張曲げ戻し加工を与えて平坦度を向上させる、矯正処理を施す。鏡面仕上げ複相ステンレス鋼は高い平坦度を必要とするため、圧延工程だけでは必要とされる平坦度を満足することができない。矯正処理を施すことにより、圧延工程後に残存する形状不良または反り不良などの平坦度不良(例えば、うねり)を改善することができる。
【0058】
なお、この矯正工程において、矯正工程に供される鋼材の硬度が高すぎると、変形抵抗が大きいため、テンションレベラによる矯正によって十分な平坦度が得られない可能性がある。本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼は、200~350HVの硬度を有しているため、変形抵抗が過剰ではなく、矯正工程を経ることで平坦度に優れた鋼帯を得ることができる。
【0059】
(鏡面研磨工程)
鏡面研磨工程は、矯正工程後の鋼帯に対して、バフで研磨することにより、鋼帯表面を鏡面加工する工程である。バフによる研磨方法は特に限定されず、公知の方法を用いることができる。また、バフ研磨に用いられる砥石の砥粒サイズは任意に選択され得る。鏡面研磨工程を施すことにより、表面の算術平均粗さ(Ra)が0.1μm以下の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼が得られる。
【0060】
なお、この鏡面研磨工程において、鏡面研磨工程に供される鋼材の硬度が高すぎると、研磨負荷が高くなり、砥石の消費量も多くなる。本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼は、硬度が200~350HVであるため、研磨負荷が過剰ではなく、研磨性に優れている。
【0061】
上述のように、本発明の一実施形態に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法では、最終焼鈍工程として、冷間圧延板を、フェライト相およびオーステナイト相の2相域となる温度域(複相化温度域)まで加熱した後に冷却する、複相化熱処理を行う。当該複相化熱処理の過程において、冷延鋼帯中の炭化物の少なくとも一部がオーステナイト相に取り込まれ、冷却されることにより、マルテンサイト相に固溶した状態となる。すなわち、当該複相化熱処理によって、複相ステンレス鋼のマルテンサイト相における固溶C量が増大し、マルテンサイト相が硬質化する。このことから、複相化温度域における保持時間を短くすることにより、複相ステンレス鋼のマルテンサイト相中に固溶するC量が低減されたと考えられる。これにより、複相ステンレス鋼自体の硬度が低下したことにより、複相ステンレス鋼の研磨性および変形加工性が向上したと考えられる。
【0062】
<本発明の鏡面仕上げ複相ステンレス鋼>
上述の製造方法によって得られた本発明の一実施形態に係る鏡面仕上げ複相ステンレス鋼は、フェライト相およびマルテンサイト相を含む。また、前記鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の硬度は200~350HV、うねり(算術平均うねり:Wa)は2.0μm以下、表面粗さは0.1μm以下である。さらに、当該鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の断面において、マルテンサイト相の面積率は60~80%であり、炭化物の面積率は0.5~2.0%であり、当該炭化物の長径は1μm以下である。
【0063】
(有利な効果)
以上の通り例示した鏡面仕上げ複相ステンレス鋼の製造方法によって得られる複相ステンレス鋼は、優れた写像性および耐疵付き性を有している。また、本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼の製造方法は、複相化熱処理後に追加の熱処理を施すことなく、高強度かつ変形加工性に優れた複相ステンレス鋼を得ることができる。さらに、高強度であるにもかかわらず、研磨負荷が低いため砥石消費量が抑制され、製造コストが増大する可能性を低減して鏡面仕上げ複相ステンレス鋼を製造することが可能である。
【0064】
<実施例>
以下に、本発明の実施例(本発明例)および比較例に係るステンレス鋼板を評価した結果について説明する。
【0065】
下記表1に示す化学組成を有する鋼種A~Tのステンレス鋼について、2.6mm厚の冷間圧延板を準備した。鋼種A~Mは、本発明の範囲内の組成を有する鋼種(以下、発明鋼種と称する)である。鋼種N~Tは、本発明の範囲外の組成を有する鋼種(以下、比較例鋼種と称する)である。なお、表1中の下線が付された項目は、本発明の一実施形態に係る複相ステンレス鋼の化学組成の範囲から外れた項目である。これは、下記表2でも同様である。
【表1】
【0066】
次に、上記鋼種A~Tに対して、下記表2に示す条件で最終焼鈍工程(複相化熱処理)、矯正工程および鏡面研磨工程を実施した。表2における焼鈍時間とは、複相化温度での均熱保持時間を意味する。表2において、No.1~13は、発明鋼種に対して本発明の範囲内の条件により最終焼鈍工程を施した、本発明の実施例としての鏡面仕上げ複相ステンレス鋼である。No.14~18は、発明鋼種に対して本発明の範囲外の条件により最終焼鈍工程を施した、比較例としての鏡面仕上げ複相ステンレス鋼である。No.19~25は、比較例鋼種に対して本発明の範囲内の条件により最終焼鈍工程を施した、比較例としての鏡面仕上げ複相ステンレス鋼である。なお、矯正工程および鏡面研磨工程は、全ての実施例および比較例において同じ処理を施した。また、表2には、実施例および比較例についての、マルテンサイト面積率、炭化物面積率、炭化物径(炭化物の長径)、ビッカース硬さ、うねり、表面粗さ、写像性および耐疵付き性の評価の結果を示している。
【0067】
(マルテンサイト相の面積率)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、各鋼板の断面におけるマルテンサイト相の面積率を測定した。各鋼板について、圧延方向および板厚方向に平行な断面の板厚中心部を、光学顕微鏡を用いて1000倍で撮影した。撮影した組織写真を基に点算法(JIS G0555)によってマルテンサイト相の体積率を求めた。結果を、表2の「マルテンサイト面積率(%)」に示した。
【0068】
(炭化物の面積率)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、各鋼板の断面における炭化物の面積率を測定した。各ステンレス鋼板の圧延方向および板厚方向に平行な断面の板厚中心部を、SEM(操作電子顕微鏡)を用いて2000倍で撮影した。撮影した反射電子像を基に、点算法(JIS G0555)によって炭化物の面積率を求めた。結果を、表2の「炭化物面積率(%)」に示した。
【0069】
(炭化物の長径)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板に存在する炭化物の長径を測定した。各鋼板の圧延方向に平行な断面の板厚中心部を、SEMを用いて2000倍で撮影した。撮影した反射電子像における最大の炭化物の長径を測定し、結果を表2の「炭化物径(μm)」に示した。
【0070】
(ビッカース硬さ)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、JIS Z2244に基づき、ビッカース硬さ試験機を用い、試験荷重を5kgとして、各ステンレス鋼板のビッカース硬さを測定した。評価結果を表2の「ビッカース硬さ(HV)」に示した。
【0071】
(うねり)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、JIS B0601に基づき、うねり(算術平均うねり:Wa)を測定した。測定結果を表2の「うねり(μm)」に示した。
【0072】
(表面粗さ)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、JIS B0601に基づき、表面の算術平均粗さ(Ra)を測定した。測定結果を表2の「粗さ(μm)」に示した。
【0073】
(写像性)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、JIS H8686に基づき、写像性を測定した。測定結果を表2の「写像性(%)」に示した。
【0074】
(耐疵付き性)
各条件での最終焼鈍工程、矯正工程および鏡面研磨工程を施すことによって得られた鏡面仕上げ複相ステンレス鋼板について、耐疵付き性を評価した。耐疵付き性の評価は、100gfの荷重をかけた試験針を鋼板表面に摺動させ、目視で疵の有無を確認することにより実施した。表2において、「〇」は疵が視認されず、耐疵付き性が良好であったことを示している。一方「×」は疵が視認され、耐疵付き性が不良であったことを示している。
【表2】
【0075】
(結果について)
うねりおよび表面粗さは、鏡面加工した製品の表面品質として小さい方が好ましい。本発明では、うねり2.0μm以下、表面粗さ0.1μm以下であることを、注目するステンレス鋼が本発明の技術的範囲内に含まれる条件の一部とする。表2において、比較例No.14、15、17、18、20~23は、他の実施例および比較例と同様の矯正処理および鏡面研磨処理を施したにもかかわらず、うねりが2.0μmより大きく、表面の算術平均粗さが0.1μmよりも大きくなった。この結果は、硬度が高いことにより、変形加工性または研磨性が低下したことが要因であると考えられる。発明鋼種本発明の製造方法を適用した実施例No.1~13は、全てうねり2.0μm以下、表面の算術平均粗さ0.1μm以下であった。
【0076】
また、鏡面加工した製品の表面品質としては、JIS H8686に規定された写像性が85%以上であることが好ましい。そのため、写像性が85%未満であったものについては、結果が不良であったものとして、結果の数値に下線を引いて示している。表2において、比較例No.14、15、17、18、20~23は、他の実施例および比較例と同様の矯正処理および鏡面研磨処理を施したにもかかわらず、写像性が85%未満であった。この結果は、うねりおよび表面粗さが上述の範囲外であったためであると考えられる。発明鋼に本発明の製造方法を適用した実施例No.1~13は、全て写像性が85%以上であり、良好であった。
【0077】
表2において比較例16、19、24、25は耐疵付き性が不良であった。この結果は、硬度が低いことが要因であると考えられる。発明鋼に本発明の製造方法を適用した実施例No.1~13は、全て耐疵付き性が良好であった。
【0078】
上述したように、発明鋼に対して上述した本発明の製造方法に従って処理された実施明例No.1~13は、マルテンサイト面積率、炭化物径、およびビッカース硬さが本発明に規定する範囲内であった。
【0079】
一方、比較例No.14~25は、マルテンサイト面積率、炭化物径、およびビッカース硬さのいずれかが本発明に規定する範囲外であった。比較例No.16、19、24、25については、マルテンサイト面積率が60%未満であった。すなわち、複相ステンレス鋼の強度が確保されていないと考えられる。
【0080】
焼鈍時間の違いによる効果を示す例として、本発明例No.9と、比較例No.18とを比較する。本発明例No.9と、比較例No.18とは、同じ鋼種Iに対して、同じ複相化温度での複相化熱処理を施しているが、焼鈍時間が異なる。複相化温度が同じであるため、2つの実施例のマルテンサイト面積率は同じであるものの、焼鈍時間が1分を超える比較例No.18は、硬度が向上した。これは、No.9の炭化物面積率が0.52%であるのに対し、No.18では0.31%であることから、No.31では、炭化物がより多くマルテンサイト相に固溶したためにマルテンサイト相の硬度が上がったためであると考えられる。
【0081】
(複相化温度での保持時間および複相化温度が、複相ステンレス鋼の硬度に及ぼす影響)
図2は、複相化温度での保持時間および複相化温度が複相ステンレス鋼の硬度に及ぼす影響を示すグラフである。上記鋼種Iの組成を有する鋼板に対して、保持時間が40秒と90秒との場合について、複相化温度を900~1100℃の間で変化させた場合の複相ステンレス鋼のビッカース硬さ(HV5)を測定した。HV5の値は、ビッカース硬さの測定について上述したように、ビッカース硬さ試験機を用い、試験荷重を5kgとして測定したときの硬さを示す。保持時間について、40秒は、本発明の範囲内であり、90秒は、本発明の範囲外である。
【0082】
図2から、本発明の複相化温度範囲内(900~1100℃)では、同じ組成を有するステンレス鋼を同じ複相化温度に供した場合、当該複相化温度における保持時間が40秒の場合の方が、ビッカース硬さが低いことがわかる。また、複相化温度での保持時間が90秒の場合、複相化温度が1000℃では、既に硬度が350HV程度となってしまうことがわかる。
【0083】
本実験により、本発明の複相化温度範囲内において、複相化温度での保持時間を1分未満とすることで、200~350HVの硬度を有する複相ステンレス鋼が得られることが実証された。
【0084】
(複相化温度での保持時間および複相化温度が、マルテンサイト面積率に及ぼす影響)
図3は、複相化温度での保持時間および複相化温度が、複相ステンレス鋼のマルテンサイト面積率(M率)に及ぼす影響を示すグラフである。上記鋼種Iの組成を有する鋼板に対して、保持時間が40秒と90秒との場合について、複相化温度を900~1100℃の間で変化させた場合のマルテンサイト相の面積率を測定した。マルテンサイト相の面積率の測定は、上述した方法に従って実施した。
【0085】
図3から、複相化温度での保持時間が40秒の場合と、90秒の場合とで、複相化温度の変化によるマルテンサイト面積率の変化は、同様の傾向を示すことがわかる。すなわち、複相ステンレス鋼のマルテンサイト面積率は、複相化温度での保持時間に依存せず、複相化温度によって決まることが明らかとなった。
【0086】
〔付記事項〕
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。