(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-04-14
(45)【発行日】2025-04-22
(54)【発明の名称】潤滑剤、潤滑組成物および摺動機械
(51)【国際特許分類】
C10M 133/06 20060101AFI20250415BHJP
C10N 30/06 20060101ALN20250415BHJP
C10N 40/25 20060101ALN20250415BHJP
C10N 40/04 20060101ALN20250415BHJP
【FI】
C10M133/06
C10N30:06
C10N40:25
C10N40:04
(21)【出願番号】P 2022079876
(22)【出願日】2022-05-16
【審査請求日】2023-12-15
(73)【特許権者】
【識別番号】000003609
【氏名又は名称】株式会社豊田中央研究所
(74)【代理人】
【識別番号】100113664
【氏名又は名称】森岡 正往
(74)【代理人】
【識別番号】110001324
【氏名又は名称】特許業務法人SANSUI国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】遠山 護
(72)【発明者】
【氏名】森谷 浩司
(72)【発明者】
【氏名】堀田 滋
(72)【発明者】
【氏名】佐藤 範和
(72)【発明者】
【氏名】竹内 久人
(72)【発明者】
【氏名】菊澤 良弘
(72)【発明者】
【氏名】金城 友之
【審査官】松原 宜史
(56)【参考文献】
【文献】特表2016-540867(JP,A)
【文献】特開2002-309280(JP,A)
【文献】特表2019-507230(JP,A)
【文献】特表2016-521308(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2018/0282657(US,A1)
【文献】特開2020-107641(JP,A)
【文献】特表2018-528307(JP,A)
【文献】米国特許出願公開第2021/0352894(US,A1)
【文献】米国特許出願公開第2015/0110963(US,A1)
【文献】特開2003-119483(JP,A)
【文献】米国特許第05073280(US,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C10M
C10N
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記の化学構造式で示される潤滑剤。
【化1】
(R:炭素数が8~24の炭化水素基、m、n:
4~
6の整数)
【請求項2】
プロトン核磁気共鳴分光法(
1H-NMR)により得られるスペクトルの化学シフト値で、2.4ppm付近にあるH
aと2.6ppm付近にあるH
bとを有する下記の化学構造式に示す請求項1に記載の潤滑剤。
【化2】
(R’:炭素数が7~23)
【請求項3】
請求項1または2に記載の潤滑剤を含む潤滑組成物。
【請求項4】
請求項1または2に記載の潤滑剤が供給され
ている摺動面を備える摺動機械。
【請求項5】
飛行時間型二次イオン質量分析法(TOF-SIMS)で正イオンスペクトル分析したときに、m/z29.04付近(C
2H
5
+)のピーク面積(S
0)である基準面積に対して、下記を満たす有機膜が前記摺動面上にある請求項4に記載の摺動機械。
m/z30.03付近(CH
4N
+)のピーク面積(S
1)が該基準面積の1.5倍以上(S
1/S
0≧
1.5)、
m/z70.07付近(C
4H
8N
+)のピーク面積(S
2)が該基準面積の0.3倍以上(S
2/S
0≧0.3)、
m/z84.08付近(C
5H
10N
+)のピーク面積(S
3)が該基準面積の0.1倍以上(S
3/S
0≧0.1)
【請求項6】
前記有機膜は、さらに、m/z323.32付近のピーク面積(S
4)が、前記基準面積の0.01倍以上(S
4/S
0≧0.01)ある請求項5に記載の摺動機械。
【請求項7】
前記有機膜は、さらに、m/z349.35付近のピーク面積(S
5)が、前記基準面積の0.01倍以上(S
5/S
0≧0.01)ある請求項5に記載の摺動機械。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、潤滑剤等に関する。
【背景技術】
【0002】
摺動部を備える機械は、低摩耗化や低摩擦化により、長寿命化や損失低減(効率化)等が図られる。このような摺動特性は、摺動部に供給(介在)される潤滑剤(潤滑油等の組成物を含む。)に依る影響が大きい。このため、潤滑剤等に関する提案が多くなされており、例えば、下記の特許文献に関連する記載がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】特開2002-338983
【文献】特開2022-24803
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
特許文献1は、防錆性能に優れる潤滑組成物を提案している。特許文献2は、所望の粘度を有するディーゼルエンジン用潤滑組成物を提案している。
【0005】
これらの特許文献には、潤滑組成物の摺動面上における吸着性やその摺動面上に形成される膜等に関連する記載も示唆もない。
【0006】
本発明はこのような事情に鑑みて為されたものであり、摺動特性の安定化を図れ得る新たな潤滑剤等を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者はこの課題を解決すべく鋭意研究した結果、摺動面への吸着性に優れた新たな構造の潤滑剤を開発した。この成果を発展させることにより、以降に述べる本発明を完成するに至った。
【0008】
《潤滑剤》
(1)本発明は、下記の化学構造式で示される潤滑剤である。
【0009】
【化1】
(R:炭素数が8~24の炭化水素基、m、n:2~8の整数)
【0010】
(2)本発明の潤滑剤を摺動機械等に用いると、摺動面上に安定した吸着膜を形成でき、摺動特性の安定化等が図られる。
【0011】
このような優れた効果を本発明の潤滑剤が発現する理由や機序は必ずしも定かではないが、現状、次のように考えられる。本発明の潤滑剤は、化学構造式(1)に示すように、二つのアミノアルキル基を備える。これらの官能基により、本発明の潤滑剤は基材(例えば鋼材)の表面に、従来より安定して吸着するようになる。その結果、本発明の潤滑剤やその組成物を摺動機械の摺動部(摺動面間)へ供給すると、少なくとも一方の摺動面上に強固な吸着膜が素早く(例えば摺動機械の運転開始直後から)形成され、所望の摺動特性(耐摩耗性、低摩擦性等)が安定的に確保され得る。
【0012】
《潤滑組成物》
本発明は、上述した潤滑剤を含む潤滑組成物としても把握される。潤滑組成物は、例えば、潤滑剤を含む液相(混合液)である。潤滑組成物の代表例として、その潤滑剤を基油に添加した潤滑油がある。
【0013】
《摺動機械》
本発明は、上述した潤滑剤が供給される摺動面を備える摺動機械としても把握される。潤滑剤は、例えば、潤滑油として摺動面へ供給される。摺動機械の代表例として、エンジン、変速機等であり、潤滑剤はエンジンオイルやミッションオイル(オートマチックトランスミッションフルード(ATF)を含む。)の添加剤として摺動面へ供給される。
【0014】
《その他》
(1)本明細書でいう炭化水素基R、R’は、飽和基でも不飽和基でもよく、また、直鎖基でも分岐基でもよい。
【0015】
(2)特に断らない限り本明細書でいう「x~y」は下限値xおよび上限値yを含む。本明細書に記載した種々の数値または数値範囲に含まれる任意の数値を新たな下限値または上限値として「a~b」のような範囲を新設し得る。また、特に断らない限り、本明細書でいう「x~yppm」はxppm~yppmを意味する。他の単位系についても同様である。
【図面の簡単な説明】
【0016】
【
図1A】潤滑剤(一例)の第1合成ステップを示す説明図である。
【
図1B】その第2合成ステップを示す説明図である。
【
図2】
1H-NMRによる潤滑剤の分析例を示すスペクトル図である。
【
図4】その摩耗試験により得た絶縁率と時間の関係を示すグラフである。
【
図5A】その摩耗試験により得た摩耗痕を示す写真である。
【
図6】TOF-SIMSによる摩耗痕表面の分析例を示すスペクトル図である。
【
図7】TOF-SIMSにより得たピーク面積の規格値を示す表と棒グラフである。
【
図8】添加剤分子中のアミノアルキル基の炭素数と、その添加剤分子のFe(100)面に対する相互作用エネルギーとの関係を示す棒グラフである。
【
図9】その添加剤分子のFe
O(1
10)面への吸着性を例示したモデル図である。
【発明を実施するための形態】
【0017】
上述した本発明の構成要素に、本明細書中から任意に選択した一つまたは二つ以上の構成要素を付加し得る。本明細書で説明する内容は、潤滑剤や潤滑組成物のみならず、摺動機械や摺動部材等にも該当し得る。製造方法に関する構成要素も物に関する構成要素ともなり得る。いずれの実施形態が最良であるか否かは、対象、要求性能等によって異なる。
【0018】
《潤滑剤》
潤滑剤は、化学構造式(1)に示される分子からなる。この分子の主鎖を構成するRは、炭素数が8~24、12~22さらには16~20の炭化水素基である。炭化水素基は、飽和炭化水素基でも不飽和炭化水素基でもよい。主鎖を構成する炭化水素基として、例えば、オレイル、2-エチルヘキシル、n-オクチル、イソオクチル、ノニル、デシル、ウンデシル、ドデシル、ラウリル、トリデシル、ペンタデシル、ヘキサデシル、パルミトレイル、ヘプタデシル、オクタデシル、ステアリル、リノレイル、ノナデシル、テトラデシル、アラキジルなどのアルキル基または不飽和アルキル基(アルケニル基)等がある。
【0019】
化学構造式(1)にある二つの官能基(アルキルアミン)は、炭素数が同じでも、異なっていてもよい。通常、その炭素数が同数(m=n)であると、潤滑剤の合成が容易になる。
【0020】
化学構造式(1)に示す分子は、例えば、プロトン核磁気共鳴分光法(1H-NMR)で分析したとき、下記の化学構造式(2)に示すHa、Hbを示すスペクトルの化学シフト値がそれぞれ、2.4ppm付近、2.6ppm付近となり得る。なお、R=R’(CH2)であり、R’の炭素数はRの(炭素数-1)となる。
【0021】
【0022】
《有機膜》
潤滑剤が供給された摺動面上に、その潤滑剤に由来した有機膜が形成され得る。この有機膜は、化学構造式(1)に示す分子のみで形成されたものでもよいし、その分子がその周囲にある分子(例えば基油の構成分子)等と反応して生成されたものでもよい。その生成機序は定かではないが、潤滑剤の分子中にある二つの官能基(アルキルアミン)が摺動面(基材表面)に強固に素早く吸着して、摺動特性に優れる有機膜が形成されると考えられる。
【0023】
有機膜の存否は、潤滑剤に接した摺動面を飛行時間型二次イオン質量分析法(TOF-SIMS)で正イオンスペクトル分析して得られるプロファイル(スペクトルの位置と大きさ)に基づいて、判定され得る。TOF-SIMSによる検出感度(ピーク強度/ピーク面積)はサンプル毎に変動し易い。サンプル毎に得られる特定のピークの強度(基準面積)を基準として、他のピークの強度(面積)を評価する(つまり基準面積で規格化する)ことにより、有機膜の定量的な分析が可能となる。
【0024】
そのような基準ピークの一例として、m/z29.04付近(C2H5
+)のピークがある。そのピーク面積(S0/基準面積)に対して、有機膜は、例えば、m/z30.03付近(CH4N+)のピーク面積(S1)が1.5倍以上(S1/S0≧1.5)さらには2倍以上となり、m/z70.07付近(C4H8N+)のピーク面積(S2)が0.3倍以上(S2/S0≧0.3)さらには1倍以上となり、m/z84.08付近(C5H10N+)のピーク面積(S3)が0.1倍以上(S3/S0≧0.1)さらには0.5倍以上となり得る。
【0025】
このようなピークの他、例えば、m/z323.32付近のピーク面積(S4)やm/z349.35付近のピーク面積(S5)が基準面積に対して、0.01倍以上(S4/S0≧0.01、S5/S0≧0.01)さらには0.02倍以上となってもよい。m/z323.32付近やm/z349.35付近で検出される正イオンは、具体的な分子構造が定かではないが、それらの質量数の小数点以下(0.32や0.35)が、整数値(323や349)に対してプラス側の値であったことから、金属元素を含まない有機物からなると判断される。
【0026】
m/z29.04付近(C2H5
+)のピーク面積の他、m/z27.02付近(C2H3
+)のピーク面積や各ピークの合計面積(総イオン量)を基準としてもよい。敢えていうと、今回分析した試料では、29.04付近のピークがm/z27.02付近のピークよりもピーク面積が大きかったため、m/z29.04付近(C2H5
+)のピーク面積を基準面積とした。
【0027】
《潤滑組成物/摺動機械》
潤滑組成物として、例えば、基油に潤滑剤を添加したエンジンオイルやミッションオイル(ATF含む。)がある。摺動機械として、例えば、エンジンや変速機等がある。本発明の潤滑剤は、有機系の吸着膜を摺動面に素早く形成し得るため、低粘度の潤滑組成物や低温域で運転される摺動機械(例えば、変速機、ハイブリッド車専用の内燃機関等)等にも好適である。
【0028】
潤滑剤の配合量は適宜調整され得るが、潤滑組成物全体に対して、例えば、0.001~10質量%、0.01~5質量%さらには0.1~3質量%程度添加される。なお、潤滑組成物は、化学構造式(1)に属する複数種の分子(炭素数(分子量)や構造(異性体を含む。)が異なる分子)を含んでもよい。その潤滑組成物には、本発明の潤滑剤以外の添加剤等が含まれてもよい。
【実施例】
【0029】
潤滑剤等に関する具体例を示しつつ本発明をより詳細に説明する。
【0030】
《潤滑剤》
(1)合成
図1A、
図1B(両図を併せて「
図1」という。)に示すように、オレイルアミン(C
18H
37N)を出発原料として、潤滑剤となるビスアミノアルキルアミン(C
26H
55N
3/R=C
18H
35、m=n=4)を合成した。詳細は次の通りである。
【0031】
先ず、
図1Aに示すように、オレイルアミンから中間体であるビスフタルイミド体を、次のように生成した(第1合成ステップ)。アルゴンガス雰囲気下で 反応容器(300mL)に、オレイルアミン、N,N-ジメチルホルムアミド(DMF脱水)、フタルイミド(N-(4-Bromobutyl)phthalimide)、炭酸水素ナトリウム(NaHCO
3)を仕込み、攪拌して懸濁状態にした。これを内温100℃に加熱した状態で終夜攪拌して反応を終了させた。
【0032】
室温まで放冷した反応液へ、市水(1L)と酢酸エチル(AcOEt:1L)を加えて希釈した。分液により水層を除去した後、有機層を市水(0.5L)と飽和食塩水(0.5L)で分液洗浄した。その有機層にNa2SO4を加えて乾燥させた。乾燥剤を濾別して得られた濾液を濃縮して粗体(24g)を得た。粗体をカラム精製(SiO2:480g、Toluene / Acetone=4/1)して、薄黄色のオイル状のビスフタルイミド体(14.2g)を得た。
【0033】
次に、
図1Bに示すように、ビスフタルイミド体からビスアミノアルキルアミンを、次のように生成した(第2合成ステップ)。アルゴンガス雰囲気下で反応容器(1L)に、ビスフタルイミド体、テトラヒドロフラン(THF)、エタノール(EtOH)を仕込み、攪拌して均一な溶液とした。この溶液へヒドラジン水和物(N
2H
4・H
2O)を加えて、加熱還流下で終夜攪拌した。その後、薄層クロマトグラフィー(TLC)によりビスフタルイミド体の消失を確認しから、反応を終了させた。室温に放冷した反応液から析出した固体を濾別した。得られた濾液を濃縮して粗体(11.6g)を得た。この粗体をカラム精製(SiO
2:50g、MeOH only →8M NH
3/MeOH)して、ほぼ無色のオイル状のビスアミノアルキルアミン(6.54g)を得た。
【0034】
(2)構造解析
合成したビスアミノアルキルアミンを
1H-NMR分析して得られたスペクトルを
図2に示した。溶媒には重メタノール(CD
3OD)を用いた。分析は、株式会社ナード研究所において、日本電子株式会社製FT-NMRを用いて、測定周波数400(399.65)MHzで実施した。
【0035】
図2から明らかなように、
主鎖(アルキルアミン)のアミノ基の窒素(N)に近い水素(Ha)は2.4ppm付近にピークがあり、
二つの窒素(N)に近い水素(Hb)は2.6ppm付近にピークがあった。
【0036】
《検証》
合成したビスアミノアルキルアミン(ビスアミノブチル置換体)による摺動特性を次のような摩耗試験により検証した。
【0037】
(1)潤滑油
炭化水素系基油(GroupIIIベースオイル/Lubricants社製YUBASE2、SK)に、ビスアミノアルキルアミンを0.04mol/kgの割合で配合して潤滑油を調製した(試料1)。比較のため、ビスアミノアルキルアミンに替えてオレイルアミンを同様に配合した潤滑油も調製した(試料C1)。
【0038】
(2)摩耗試験
各試料の潤滑油(供試油)を用いて、
図3に示すクロスピン摩耗試験を行った。この摩耗試験は、回転するピンに、別なピンを直交状に押し当てて行った。両ピンは、円柱状(φ20mm)の鋼材(SCM420)からなり、表面が浸炭処理されてなる。なお、ピンは全長150mmであるが、分析に供される中央部分(長さ10mm)が分割式(交換式)となっている。
【0039】
両ピン間の押圧荷重:20Nとして、滑り速度1.2m/Sで45分間保持した後、1.0m/S、0.7m/S、0.5m/S、0.3m/S、0.2m/S、0.1m/Sの降順で、滑り速度を減速させた。減速開始以降、滑り速度毎の保持時間は3分間とした。摺動部には、ロータリーポンプにより約5mL/minで潤滑油を供給した。再現性を確認するため、試料毎に同試験を3回繰返した。特に断らない限り、3回の試験により得られた平均値で、各試料に係る摺動特性を評価した。
【0040】
(3)絶縁性
両ピン間に電圧(50mV)を印加して、両ピン間に生成する絶縁膜により変化する電圧値を測定した。その試験中の電圧値の変化を絶縁率(%)に換算して
図4に示した。絶縁率は、試験開始前(回転前)の電気抵抗値(初期値:r
0)に対する変動率{100×(r-r
0)/r
0}を示す。
【0041】
図4から明らかなように、ビスアミノアルキルアミンを含む潤滑油(試料1)を摺動部へ供給したとき、摩耗試験の開始直後から絶縁率が急激に大きくなった。一方、オレイルアミンを含む潤滑油(試料C1)を摺動部へ供給したとき、試験開始から15分間以上経過してから漸く絶縁率が増加した。
【0042】
試料1の場合、絶縁性膜(有機膜)が摺動面に素早く吸着形成されたと考えられる。なお、滑り速度の減速に伴って、摺動面上に形成される膜は薄くなり、分担荷重が増して脱離(剥離)し易くなる。このため、滑り速度の減速と共に絶縁率も低下したと考えられる。もっとも、試料1は試料C1よりも絶縁率の低下が緩やかであり、滑り速度が0.5m/S以下の領域でも相当な絶縁率が維持されていた。つまり試料1の潤滑油を用いることにより、摺動面上に有機系の膜が素早く安定形成されることがわかった。
【0043】
(4)摩耗痕
摩耗試験後の固定ピン側の摩耗痕(一例)の外観写真を
図5Aに、その摩耗痕幅(3つの平均値)を
図5Bにそれぞれ示した。なお、摩耗痕幅は、固定ピンの表面に形成された短手方向(回転ピンの長手方向)の最大長である。
【0044】
図5A、
図5B(両図を併せて「
図5」という。)から明らかなように、試料C1よりも試料1の方が、摩耗痕が小さく、表面荒れも少なかった。
【0045】
なお、試料1の摩耗痕は試料C1の摩耗痕に対して、面積が略1/2倍以下であった。このため試料C1よりも試料1の方が、摺動面間に作用していた実質的な圧力は大きかったと考えられる。このような高面圧下でも、試料1の潤滑剤によれば、摺動面上に有機系の膜が安定的に形成されることもわかった。
【0046】
(5)吸着膜
クロスピン試験後の各摩耗痕の表面を、TOF-SIMS装置(Time-of-Flight Secondary Ion Mass Spectrometry/アルバック・ファイ株式会社製TRIFT V nanoTOF)で分析した。この際、一次イオン種にはBi3
++を用いて、高質量分解能測定モードにより、各摩耗痕の中心部を分析した。また、摩耗痕が小さい試料1の分析領域:250μm×250μm、摩耗痕が大きい試料C1の分析領域:300μm×300μmとした。
【0047】
こうして得られた各試料に係る正イオンスペクトルを
図6にまとめて示した。なお、
図6に示したスペクトルの縦軸スケールは、炭化水素イオン(C
2H
5
+)のイオン強度に基づいて調整した。
【0048】
代表的なフラグメントのピーク面積(S)を、基準となるフラグメントのピーク面積(S
0/基準面積)で規格化した二次イオン強度比(S/S
0)を、
図7にまとめて示した。定量解析に適した代表的なフラグメントとして、オイル自体の添加剤に依存し難く、広範囲に検出され得る炭化水素基に着目した。
【0049】
基準面積(S
0)には、m/z29.04付近(C
2H
5
+)のピーク面積の他、m/z27.02付近(C
2H
3
+)のピーク面積および総イオン量(全ピーク面積の合計)も採用した。
図7には、規格化した二次イオン強度比を、表形式と棒グラフの両方で示した。なお、各ピーク面積は、TOF-SIMS装置に付属している解析ソフトにより算出した。
【0050】
図6、
図7から明らかなように、試料1は試料C1に対して、少なくとも、m/z30.03付近(CH
4N
+)のピーク面積(S
1)、m/z70.07付近(C
4H
8N
+)のピーク面積(S
2)およびm/z84.08付近のピーク面積(S
3)が大きくなった。m/z29.04付近(C
2H
5
+)のピーク面積(S
0)を基準とした強度比でいうと、試料1の場合、S
1/S
0≒2.43(≧1.5)、S
2/S
0≒1.67(≧0.3)、S
3/S
0≒0.89(≧0.1)となった。一方、試料C1の場合、S
1/S
0≒1.2、S
2/S
0≒0.21、S
3/S
0≒0.095となった。これらは試料1よりもかなり小さかった。
【0051】
また試料1では、m/z110付近(C7H12N+)、m/z323.32付近、m/z349.35付近にも、試料C1には観られない特徴的なピーク群が出現した。
【0052】
このような二次イオンのピークを示す有機成分由来の吸着膜が、基材表面(摺動面)上に形成されることにより、優れた吸着性や摺動特性(耐摩耗性等)が発現されるようになったと考えられる。
【0053】
《補足》
上述した結果を踏まえて、ビスアミノアルキルアミンのアルキル鎖長(化学構造式(1)のm、n)について、分子計算ソフトウェア(ダッソー・システムズ株式会社製Materials Studio/Forcite Plus)を用いて分子動力学法により検討した。
【0054】
図8に示すように、ビス(アミノアルキル)基のアルキル鎖長が長い分子ほど、金属表面(Fe(100)面)への相互作用エネルギーが負側に大きくなる(つまり安定的に吸着する)ことがわかった。
【0055】
但し、その鎖長が過長な分子は、ベースオイルへ添加したときに、立体障害を生じ易くなり、基材表面への吸着性の低下も予想される。そこで、ベースオイルとの混合系における各分子の吸着性を、上述した分子計算ソフトウェアを用いたAmorphous Cell計算により評価した。
【0056】
添加剤の分子:80個とベースオイル(イソドデカン)の分子:120個とからなる混合系(密度:0.8g/cm
3)について、基材表面に接触してから10ns経過後の様子を
図9に示した。基材表面(Fe
O(1
10)面)付近に着目すると、ビス(アミノアルキル)基のアルキル鎖長の炭素数が4(C
4)のとき、その炭素数が6(C
6)や0(オレイルアミン)のときよりも、添加剤分子の基材表面(摺動面)への吸着割合が多くなることが確認された。これらの結果から、アルキル鎖長の炭素数(m、n)は4前後、つまり2~8さらには3~6程度であると好ましいといえる。なお、mとnは異なる整数でもよいが、同じ整数である方が添加剤(潤滑剤)の合成が容易になる。