(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2025-06-03
(45)【発行日】2025-06-11
(54)【発明の名称】高分子材料のシミュレーション方法
(51)【国際特許分類】
G16C 10/00 20190101AFI20250604BHJP
G16C 60/00 20190101ALI20250604BHJP
【FI】
G16C10/00
G16C60/00
(21)【出願番号】P 2021172555
(22)【出願日】2021-10-21
【審査請求日】2024-07-30
(73)【特許権者】
【識別番号】000183233
【氏名又は名称】住友ゴム工業株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100104134
【氏名又は名称】住友 慎太郎
(74)【代理人】
【識別番号】100156225
【氏名又は名称】浦 重剛
(74)【代理人】
【識別番号】100168549
【氏名又は名称】苗村 潤
(74)【代理人】
【識別番号】100200403
【氏名又は名称】石原 幸信
(74)【代理人】
【識別番号】100206586
【氏名又は名称】市田 哲
(72)【発明者】
【氏名】図師 知文
【審査官】上田 智志
(56)【参考文献】
【文献】特開2021-82066(JP,A)
【文献】特開2019-101794(JP,A)
【文献】特開2016-81297(JP,A)
【文献】特開2019-36253(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G16C 10/00-99/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
高分子材料のシミュレーション方法であって、
前記高分子材料の分子鎖をモデリングした分子鎖モデルを、コンピュータに入力する工程と、
前記分子鎖との反応を調べるための分子をモデリングした分子モデルを、前記コンピュータに入力する工程とを含み、
前記コンピュータが、
少なくとも前記分子鎖モデルに、歪み又は応力を印加する印加工程と、
密度汎関数強束縛法に基づいて、前記印加された分子鎖モデルと、前記分子モデルとの化学反応を計算する反応工程とを実行する、
高分子材料のシミュレーション方法。
【請求項2】
前記印加工程は、前記分子鎖モデルを、予め定められた方向に伸長させる工程を含む、請求項1に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【請求項3】
前記反応工程に先立ち、前記印加された分子鎖モデルの構造を、分子軌道法に基づいて最適化する工程を含む、請求項1又は2に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【請求項4】
前記分子モデルは、前記分子鎖を酸化させる分子をモデリングしたものであり、
前記反応工程は、前記印加された分子鎖モデルが酸化した状態を計算する、請求項1ないし3のいずれか1項に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【請求項5】
前記反応工程は、前記印加された分子鎖モデルを加熱する工程をさらに含む、請求項1ないし4のいずれか1項に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【請求項6】
前記反応工程後の前記分子鎖モデルに基づいて、前記高分子材料の劣化の状態を評価する工程を含む、請求項1ないし5のいずれか1項に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本開示は、高分子材料のシミュレーション方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、分子間の化学反応を解析するための方法として、例えば、密度汎関数強束縛法が知られている。関連する技術としては、下記の非特許文献1及び非特許文献2がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【文献】西村 好史、中井 浩巳 著、「分割統治型密度汎関数強束縛分子動力学(DC-DFTB-MD)法によるナノスケール系化学反応シミュレーション」、アンサンブル、分子シミュレーション学会、2016年4月、Vol.18、No.2、p95-101
【文献】西村 好史、海寳 丈彰、中井 浩巳 著、「分割統治型密度汎関数強束縛分子動力学 (DC-DFTB-MD)法の最近の展開」、Journal of Computer Chemistry, Japan、日本コンピュータ化学会、2015年、Vol.14、No.3、p43-46
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ところで、ゴムなどの高分子材料を構成する分子鎖は、機械的な力によって歪及び応力を受けながら、上記のような分子間の化学反応が生じていると考えられている。したがって、高分子材料を解析するには、機械的な力の影響と化学反応とを同時に考慮することが重要である。
【0005】
本開示は、以上のような実状に鑑み案出されたもので、分子鎖に作用する機械的な力の影響と、分子間の化学反応とを同時に考慮することが可能な高分子材料のシミュレーション方法を提供することを主たる目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本開示は、高分子材料のシミュレーション方法であって、前記高分子材料の分子鎖をモデリングした分子鎖モデルを、コンピュータに入力する工程と、前記分子鎖との反応を調べるための分子をモデリングした分子モデルを、前記コンピュータに入力する工程とを含み、前記コンピュータが、少なくとも前記分子鎖モデルに、歪み又は応力を印加する印加工程と、密度汎関数強束縛法に基づいて、前記印加された分子鎖モデルと、前記分子モデルとの化学反応を計算する反応工程とを実行する、高分子材料のシミュレーション方法である。
【発明の効果】
【0007】
本開示の高分子材料のシミュレーション方法は、上記の工程を採用することにより、分子鎖に作用する機械的な力の影響と、分子間の化学反応とを同時に考慮することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
【
図1】高分子材料のシミュレーション方法を実行するためのコンピュータの一例を示す斜視図である。
【
図2】高分子材料のシミュレーション方法の処理手順を示すフローチャートである。
【
図3】分子鎖モデル及び分子モデルが配置されたセルを示す図である。
【
図4】分子鎖モデル及び分子モデルの部分拡大図である。
【
図5】モデル定義工程の処理手順を示すフローチャートである。
【
図6】歪みが印加された分子鎖モデルを示す図である。
【
図7】(a)は、分子鎖モデルが開裂した状態を示す図、(b)は、開裂した分子鎖モデルが酸化した状態を示す図である。
【
図8】本開示の他の実施形態の高分子材料のシミュレーション方法の処理手順を示すフローチャートである。
【発明を実施するための形態】
【0009】
以下、本開示の実施の一形態が図面に基づき説明される。図面は、開示の内容の理解を助けるために、誇張表現や、実際の構造の寸法比とは異なる表現が含まれることが理解されなければならない。また、各実施形態を通して、同一又は共通する要素については同一の符号が付されており、重複する説明が省略される。さらに、実施形態及び図面に表された具体的な構成は、本開示の内容理解のためのものであって、本開示は、図示されている具体的な構成に限定されるものではない。
【0010】
本実施形態の高分子材料のシミュレーション方法(以下、単に「シミュレーション方法」ということがある。)では、コンピュータを用いて、高分子材料の分子鎖と、分子との化学反応が解析される。本実施形態の化学反応は、分子鎖の酸化である場合が例示されるが、このような態様に限定されるわけではなく、例えば、加硫であってもよい。
【0011】
[コンピュータ]
図1は、高分子材料のシミュレーション方法を実行するためのコンピュータの一例を示す斜視図である。本実施形態のコンピュータ1は、本体1a、キーボード1b、マウス1c及びディスプレイ装置1dを含んで構成されている。本体1aには、例えば、演算処理装置(CPU)、ROM、作業用メモリ、磁気ディスクなどの記憶装置、及び、ディスクドライブ装置1a1、1a2が設けられている。記憶装置には、本実施形態のシミュレーション方法を実行するためのソフトウェア等が予め記憶されている。
【0012】
[高分子材料]
高分子材料には、少なくとも1種類の分子鎖(ポリマー)が含まれている。なお、高分子材料は、フィラーやカップリング剤等がさらに含まれるものでもよい。本実施形態の分子鎖は、ブタジエンゴムである場合が例示されるが、特に限定されるわけではない。分子鎖は、スチレンブタジエンゴムであってもよいし、現時点で実在しない分子鎖が用いられてもよい。さらに、高分子材料には、2種類以上の分子鎖が含まれていてもよい。
【0013】
[分子]
分子は、分子鎖との反応を調べるためのものである。分子は、分子鎖と反応可能なものであれば、特に限定されるわけではなく、解析の目的に応じて、適宜選択される。本実施形態のように、分子鎖の酸化が解析される場合には、分子鎖を酸化させる分子が採用されうる。分子鎖を酸化させる分子には、酸素又はオゾンが含まれる。
【0014】
ところで、高分子材料を構成する分子鎖は、非特許文献1等で用いられるような分子とは異なり、機械的な力によって歪及び応力を受けながら、他の分子との間で化学反応(例えば、酸化)が生じていると考えられている。したがって、高分子材料を解析するには、機械的な力の影響と、化学反応とを同時に考慮することが重要である。本実施形態のシミュレーション方法では、分子鎖に作用する機械的な力の影響と、分子間の化学反応とを同時に考慮して、高分子材料の状態が解析(例えば、劣化の状態を評価)される。
【0015】
[密度汎関数強束縛法]
本実施形態では、密度汎関数強束縛法に基づいて、分子鎖と分子との化学反応が計算される。密度汎関数強束縛法は、密度汎関数法に基づく半経験的手法である。この密度汎関数強束縛法に基づく分子動力学計算(以下、「QM/MD計算」ということがある。)では、量子力学に基づく化学反応(例えば、結合の生成・開裂を伴うダイナミクス)の解析が可能となる。
【0016】
密度汎関数強束縛法の概要、計算条件、及び、計算方法等は、例えば、非特許文献1及び非特許文献2等に記載のように公知である。また、密度汎関数強束縛法で計算対象とする分子鎖及び分子の合計個数は、例えば、コンピュータ1の性能等に応じて設定される。なお、合計個数が多いと、計算時間が増大し、現実的な時間内に計算を終了できないおそれがある。一方、合計個数が少ないと、分子鎖と分子との化学反応を計算できないおそれがある。このような観点より、合計個数は、2~500個程度にそれぞれ設定されるのが望ましい。
【0017】
[高分子材料のシミュレーション方法(第1実施形態)]
次に、本実施形態のシミュレーション方法が説明される。
図2は、本実施形態の高分子材料のシミュレーション方法の処理手順を示すフローチャートである。
図3は、分子鎖モデル2及び分子モデル3が配置されたセル4を示す図である。
図4は、分子鎖モデル2及び分子モデル3の部分拡大図である。
【0018】
[分子鎖モデルを入力]
本実施形態のシミュレーション方法では、先ず、高分子材料の分子鎖をモデリングした分子鎖モデル2が、コンピュータ1に入力される(工程S1)。本実施形態では、分子鎖モデル2として、ブタジエンをモデリングしたブタジエンモデル2Aが入力される。
【0019】
本実施形態の分子鎖モデル2は、全原子モデルとして定義される。このような全原子モデルは、例えば、複数の原子の集団を一つのビーズに置き換えた粗視化分子モデル(図示省略)に比べて、化学反応を詳細に解析することができる。
図4に示されるように、本実施形態の分子鎖モデル2は、複数の粒子モデル5と、粒子モデル5、5間を結合するボンドモデル6とを含んで構成されている。
【0020】
粒子モデル5は、後述の分子動力学計算において、運動方程式の質点として取り扱われる。即ち、粒子モデル5には、質量、直径、電荷、又は、初期座標などのパラメータが定義される。本実施形態の粒子モデル5は、炭素原子をモデリングした炭素粒子モデル5c、及び、水素原子をモデリングした水素粒子モデル5hが含まれる。
【0021】
ボンドモデル6は、粒子モデル5、5間を拘束するためのものである。本実施形態のボンドモデル6は、主鎖6aと側鎖6b(
図4(a)に示す)とを含んでいる。主鎖6aには、例えば、単結合や、二重結合が含まれる。
【0022】
ボンドモデル6を介して隣り合う粒子モデル5、5間には、相互作用(斥力及び引力を含む)を生じさせるポテンシャル(図示省略)が定義される。これらのポテンシャルは、例えば、結合ポテンシャル、結合角ポテンシャル、及び、結合二面角ポテンシャルを含んでいる。このようなポテンシャルは、例えば、特許文献(特開2018-032077号公報)の記載に基づいて適宜定義することができる。これにより、分子鎖モデル2(本例では、ブタジエンモデル2A)が定義される。分子鎖モデル2は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0023】
[分子モデルを入力]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、分子鎖との反応を調べるための分子をモデリングした分子モデル3が、コンピュータ1に入力される(工程S2)。本実施形態の工程S2では、分子鎖を酸化させる分子がモデリングされる。本実施形態では、酸素分子をモデリングした酸素分子モデル3Aが入力されているが、例えば、オゾンをモデリングしたオゾン分子モデル等が入力されてもよい。
【0024】
本実施形態の分子モデル3は、分子鎖モデル2と同様に、全原子モデルとして定義されている。このため、
図4に示されるように、分子モデル3には、複数の粒子モデル5と、粒子モデル5、5間を結合するボンドモデル6とが含まれる。粒子モデル5及びボンドモデル6の詳細は、上述のとおりである。本実施形態の分子モデル3(酸素分子モデル3A)において、粒子モデル5には、酸素原子をモデリングした酸素粒子モデル5oが含まれる。分子モデル3は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0025】
[モデル定義工程]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、高分子材料をモデリングした高分子材料モデルが定義される(モデル定義工程S3)。
図5は、本実施形態のモデル定義工程S3の処理手順を示すフローチャートである。
【0026】
[セルを入力]
本実施形態のモデル定義工程S3では、先ず、
図3に示されるように、高分子材料の一部に対応する仮想空間であるセル4が、コンピュータ1に入力される(工程S31)。本実施形態のセル4は、少なくとも互いに向き合う一対の面7、7(本実施形態では、互いに向き合う三対の面7、7)を有している。本実施形態のセル4は、直方体又は立方体(本実施形態では、立方体)として定義されている。
【0027】
セル4の各面7、7には、周期境界条件が定義されている。これにより、後述の分子動力学計算において、例えば、一方側の面7aから出て行った分子鎖モデル2や分子モデル3の一部が、他方側の面7bから入ってくるように計算することができる。なお、
図3では、各面7、7から、分子鎖モデル2や分子モデル3がはみ出した状態で示されている。セル4の大きさは、例えば、セル4の内部に配置される分子鎖モデル2や分子モデル3の合計個数等に応じて、適宜設定されうる。セル4は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0028】
[分子鎖モデル及び分子モデルの配置]
次に、本実施形態のモデル定義工程S3では、セル4の内部に、分子鎖モデル2及び分子モデル3が配置される(工程S32)。本実施形態では、上述の合計個数の範囲内(本例では、2~500個)となるように、分子鎖モデル2及び分子モデル3が、セル4の内部に、ランダムに配置される。分子鎖モデル2及び分子モデル3の配置は、コンピュータ1によって行われてもよいし、オペレータによって実施されてもよい。分子鎖モデル2及び分子モデル3が配置されたセル4は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0029】
[ポテンシャルの定義]
次に、本実施形態のモデル定義工程S3では、
図4に示されるように、ボンドモデル6を介さずに隣り合う粒子モデル5、5間に、ポテンシャルP1が定義される(工程S33)。本実施形態では、隣接する分子鎖モデル2、2間、隣接する分子モデル3、3間、及び、隣接する分子鎖モデル2と分子モデル3との間において、ボンドモデル6を介さずに隣り合う粒子モデル5、5間に、ポテンシャルP1が定義される。
【0030】
本実施形態のポテンシャルP1には、LJポテンシャルが採用される。このようなポテンシャルP1では、ボンドモデル6を介さずに隣り合う粒子モデル5、5間に、引力及び斥力を定義することができる。LJポテンシャルは、例えば、特許文献(特開2020-086773号公報)の記載に基づいて適宜定義することができる。ポテンシャルP1は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0031】
[構造緩和を計算]
次に、本実施形態のモデル定義工程S3では、分子鎖モデル2及び分子モデル3の初期配置が緩和される(工程S34)。本実施形態の工程S34では、
図3に示したセル4に配置された分子鎖モデル2及び分子モデル3を対象に、分子動力学計算が行われる。
【0032】
分子動力学計算では、例えば、セル4について所定の時間、分子鎖モデル2が古典力学に従うものとして、ニュートンの運動方程式が適用される。そして、各時刻での粒子モデル5の動きが、単位時間毎に追跡される。このような構造緩和の計算は、例えば、(株)JSOL社製のソフトマテリアル総合シミュレーター(J-OCTA)に含まれるCOGNACを用いて処理することができる。
【0033】
本実施形態の分子動力学計算では、セル4において、圧力(例えば、1atm)及び温度(例えば、290K~305K)が一定(NPT一定)に保たれる。これにより、工程S34では、実際の高分子材料の分子運動に近似させて、分子鎖モデル2及び分子モデル3の初期配置が精度よく緩和されうる。
【0034】
本実施形態の工程S34では、分子鎖モデル2及び分子モデル3の人為的な初期配置が排除されたとみなされるまで、単位時間毎に分子動力学計算が行われるのが望ましい。人為的な初期配置が排除されたか否かの判断は、従来と同様に実施されうる。このような初期配置の緩和により、高分子材料をモデリングした高分子材料モデル8が定義されうる。高分子材料モデル8は、
図1に示したコンピュータ1に記憶される。
【0035】
[計算条件を定義]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、コンピュータ1に、密度汎関数強束縛法に基づくQM/MD計算をするための計算条件が定義される(工程S4)。計算条件には、密度汎関数強束縛法に基づくエネルギー、温度、体積、圧力、原子の初速度、及び、MD計算の時間刻み幅等が含まれる。これらの計算条件は、解析の目的に応じて、適宜定義される。計算条件は、コンピュータ1に記憶される。
【0036】
[印加工程]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、コンピュータ1が、少なくとも分子鎖モデル2に、歪み又は応力を印加する(印加工程S5)。
図6は、歪みが印加された分子鎖モデル2を示す図である。
【0037】
印加工程S5は、少なくとも分子鎖モデル2に、歪み又は応力が印加されれば、適宜実施されうる。本実施形態の印加工程S5では、高分子材料モデル8を、予め定められた方向(例えば、x軸方向)に引っ張る単軸引張試験が計算される。このような高分子材料モデル8の変形計算は、例えば、特許文献(特開2016-081297号公報)に記載の手順に基づいて、高分子材料モデル8の一方側の面7a、及び、他方側の面7bが互いに離間するように、高分子材料モデル8の伸長が計算される。
【0038】
本実施形態の高分子材料モデル8の伸長計算は、従来のシミュレーションと同様に、分子動力学計算に基づいて計算される。本実施形態では、高分子材料モデル8の歪みが、予め定められた閾値となるまで、高分子材料モデル8の伸長が計算される。なお、閾値は、解析の目的に応じて、適宜設定(例えば、0.2~0.6)されうる。
【0039】
上述のような高分子材料モデル8の伸長により、その内部に配置されている分子鎖モデル2が、予め定められた方向に伸長される。これにより、印加工程S5では、機械的な力(高分子材料モデル8の伸長)によって、分子鎖モデル2に歪が印加される。印加された分子鎖モデル2(高分子材料モデル8)は、コンピュータ1に記憶される。
【0040】
本実施形態では、高分子材料モデル8の伸長計算によって、分子鎖モデル2に歪が印加されたが、このような態様に限定されない。例えば、高分子材料モデル8の一方側の面7a、及び、他方側の面7bが互いに接近するように、高分子材料モデル8の収縮が計算されてもよい。このような高分子材料モデル8の収縮により、その内部に配置されている分子鎖モデル2に、応力が印加されうる。
【0041】
また、印加工程S5では、高分子材料モデル8の伸長計算や収縮計算を行わずに、例えば、分子鎖モデル2の一端と他端とを直接離間させて、分子鎖モデル2の伸長が計算されてもよい。さらに、分子鎖モデル2の一端と他端とを直接接近させて、分子鎖モデル2の収縮が計算されてもよい。なお、酸素分子モデル3Aについては、伸長が計算されてもよいし、伸長が計算されなくてもよい。
【0042】
[反応工程]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、コンピュータ1が、密度汎関数強束縛法に基づいて、印加された分子鎖モデル2と、分子モデル3との化学反応を計算する(反応工程S6)。本実施形態の反応工程S6では、伸長した高分子材料モデル8に含まれている分子鎖モデル2と分子モデル3とを対象に、上述の計算条件に基づいて、密度汎関数強束縛法に基づくQM/MD計算が行われる。
【0043】
本実施形態の反応工程S6では、密度汎関数強束縛法に基づくQM/MD計算が可能なソフトウェアが用いられる。ソフトウェアは、例えば、ダッソー・システムズ株式会社製の「BIOVIA Materials Studio DFTB+」、株式会社クロスアビリティ製の「DCDFTBMD」、及び、オープンソースプログラムの「DFTB+」等である。このようなソフトウェアの少なくとも1つが、コンピュータ1に記憶されている。
【0044】
図7(a)は、分子鎖モデル2が開裂した状態を示す図である。
図7(b)は、開裂した分子鎖モデル2が酸化した状態を示す図である。
【0045】
図7(a)に示されるように、本実施形態の密度汎関数強束縛法に基づくQM/MD計算では、応力又は歪みが印加された分子鎖モデル2の粒子モデル5、5間において、ボンドモデル6が切断(開裂)された状態が計算される。
図7(a)では、分子鎖モデル2の主鎖6aが切断(開裂)された状態が示されている。
【0046】
図7(b)に示されるように、開裂した分子鎖モデル2、2では、酸素分子モデル3Aを構成する酸素粒子モデル5oがそれぞれ結合される。これにより、反応工程S6は、印加された分子鎖モデル2が酸化した状態(化学反応)を計算される。このような化学反応(酸化)は、分子鎖モデル2の開裂によって促進される。
【0047】
密度汎関数強束縛法に基づくQM/MD計算は、例えば、分子鎖モデル2の開裂や、分子鎖モデル2と分子モデル3との化学反応が、予め定められた状態となるまで行われてもよいし、予め定められた計算時間が経過するまで行われてもよい。化学反応の計算結果は、コンピュータ1に記憶される。
【0048】
このように、本実施形態のシミュレーション方法は、分子鎖に作用する機械的な力の影響と、分子間の化学反応とを同時に考慮して、高分子材料が酸化する状態を計算することができる。これにより、本実施形態では、機械的な力の影響を考慮できない従来の方法とは異なり、機械的な力の作用の下、高分子材料の化学的な反応を含むダイナミクス(例えば、分子鎖の開裂によって促進される酸化)をシミュレートすることができる。本実施形態では、
図7(a)、(b)に示されるように、分子鎖モデル2の開裂によって、化学反応(酸化)が促進されることが再現された。
【0049】
反応工程S6では、予め定められた時間(例えば、MD計算の時間刻み)ごとに、化学反応した分子鎖モデル2及び分子モデル3が、コンピュータ1に記録されてもよい。これにより、シミュレーション方法では、機械的な力の作用の下、分子鎖モデル2と分子モデル3との化学変化の過程(ダイナミクス)を、詳細に解析することが可能となる。
【0050】
[劣化の状態を評価]
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、反応工程S6後の分子鎖モデル2に基づいて、高分子材料の劣化の状態が評価される(工程S7)。一般に、高分子材料の劣化は、分子鎖の開裂(切断)や、分子鎖の酸化によって、高分子材料が劣化すると考えられている。このため、工程S7では、分子鎖モデル2の開裂及び酸化した箇所(以下、単に「劣化部分」ということがある。)の合計数に基づいて、高分子材料の劣化の状態が評価される。
【0051】
本実施形態の工程S7では、劣化部分の合計値が、予め定められた閾値よりも小さい場合に、高分子材料の劣化の状態が良好である(劣化し難い)と判断される。閾値は、例えば、高分子材料に求められる性能(例えば、耐久性能等)に応じて、適宜設定される。
【0052】
工程S7において、劣化部分の合計値が、閾値よりも小さい場合に、高分子材料の劣化の状態が良好である(劣化し難い)と判断される(工程S7で「Yes」)。この場合、評価された高分子材料(分子鎖)を含む製品(例えば、タイヤ)が製造される(工程S8)。
【0053】
一方、劣化部分の合計値が、閾値以上である場合、高分子材料の劣化の状態が良好でない(劣化しやすい)と判断される(工程S7で「No」)。この場合、分子鎖の構造が変更されて(工程S9)、工程S1~工程S7が再度実施される。これにより、本実施形態のシミュレーション方法では、劣化し難い高分子材料(分子鎖)へと最適化することができ、例えば、耐久性の高い製品を確実に製造することができる。
【0054】
[高分子材料のシミュレーション方法(第2実施形態)]
ところで、分子鎖モデル2に歪み又は応力が印加されると、不安定な構造を有する(エネルギーが不安定な)分子鎖モデル2に計算される場合がある。このような不安定な構造を有する分子鎖モデル2が、反応工程S6にそのまま用いられると、計算が収束するまでに多くの時間を要するおそれがある。
【0055】
図8は、本開示の他の実施形態の高分子材料のシミュレーション方法の処理手順を示すフローチャートである。この実施形態において、これまでの実施形態と同一の構成については、同一の符号が付され、説明が省略されることがある。
【0056】
この実施形態のシミュレーション方法では、反応工程S6に先立ち、コンピュータ1が、印加された分子鎖モデル2の構造を、分子軌道法に基づいて最適化する(工程S10)。本実施形態の工程S10では、公知の分子軌道法に基づいて、印加された分子鎖モデル2の構造が、最も安定したエネルギーを有する分子構造へと最適化される。このような安定構造を有する分子鎖モデル2が、反応工程S6で用いられることにより、分子モデル3との化学反応計算を早期に収束させることが可能となる。分子軌道法に基づく最適化計算には、例えば、Gaussian社製の量子化学計算プログラムGaussian03等が用いられる。なお、分子鎖モデル2の構造の最適化は、分子軌道法に基づくものに限定されるわけではなく、例えば、非経験的又は経験的量子化学的手法に基づくものでもよい。
【0057】
[高分子材料のシミュレーション方法(第3実施形態)]
ところで、高分子材料は、加熱されると、分子鎖の開裂(切断)が促進され、劣化しやすくなることが知られている。このような加熱による高分子材料の劣化の状態を評価するために、反応工程S6は、印加された分子鎖モデル2を加熱する工程がさらに含まれてもよい。この実施形態において、これまでの実施形態と同一の構成については、同一の符号が付され、説明が省略されることがある。
【0058】
この実施形態の反応工程S6では、工程S4で設定される計算条件のうち、温度の値が大きく設定されることによって、印加された分子鎖モデル2の加熱が計算される。温度の値を大きくするタイミングは、解析の目的に応じて適宜設定することができる。例えば、化学反応の計算開始時に温度が大きく設定されてもよいし、化学反応の計算の途中に温度が大きく設定されてもよい。
【0059】
この実施形態の反応工程S6では、分子鎖モデル2が加熱されないこれまでの実施例に比べて、
図7(a)に示した分子鎖モデル2の開裂が促進され、さらに、
図7(b)に示した開裂した分子鎖モデル2への酸素粒子モデル5oの結合(化学反応)が促進されうる。これにより、この実施形態の反応工程S6では、加熱による高分子材料の劣化の状態を評価することが可能となる。
【0060】
以上、本開示の特に好ましい実施形態について詳述したが、本開示は図示の実施形態に限定されることなく、種々の態様に変形して実施しうる。
【実施例】
【0061】
図2に示した処理手順に基づいて、分子鎖と分子との化学反応が計算された(実施例1及び実施例2)。実施例1及び実施例2では、分子鎖モデルに歪みを印加し、密度汎関数強束縛法に基づいて、印加された分子鎖モデルと、分子モデルとの化学反応を計算する反応工程が実施された。実施例2では、実施例1とは異なり、印加された分子鎖モデルが加熱された。
【0062】
図7に示した処理手順に基づいて、分子鎖と分子との化学反応が計算された(実施例3)。実施例3では、実施例1及び実施例2とは異なり、反応工程に先立ち、印加された分子鎖モデルの構造を、分子軌道法に基づいて最適化する工程が実施された。
【0063】
比較のために、
図2に示した処理手順のうち、印加工程が省略されることにより、印加されていない分子鎖モデルと、分子モデルの化学反応が計算された(比較例)。共通仕様は、次のとおりである。
分子鎖:ブタジエンゴム
分子:酸素
高分子材料モデルの歪の閾値:0.3
実施例1、実施例3及び比較例の温度:400K
実施例2の温度:450K
【0064】
テストの結果、実施例1~3では、
図7(a)~(b)に示されるように、分子鎖モデルが切断(開裂)された状態と、分子鎖モデルの開裂によって、化学反応(酸化)が促進された状態とが計算された。一方、比較例では、分子鎖モデルの化学反応が計算されたものの、分子鎖モデルが開裂した状態、及び、開裂によって化学反応が促進された状態を計算できなかった。このように、実施例1~3は、比較例とは異なり、分子鎖に作用する機械的な力の影響と、分子間の化学反応とを同時に考慮することができた。
【0065】
実施例2では、印加された分子鎖モデルへの加熱に伴って、分子鎖モデルの開裂が促進された状態、及び、化学反応が促進された状態が計算された。したがって、実施例2では、加熱による高分子材料の劣化の状態が評価できた。
【0066】
実施例3では、反応工程に先立ち、印加された分子鎖モデルの構造が、分子軌道法に基づいて最適化されたため、実施例1及び2に比べて、化学反応計算を早期に収束させることができた。
【0067】
[付記]
本開示は以下の態様を含む。
【0068】
[本開示1]
高分子材料のシミュレーション方法であって、
前記高分子材料の分子鎖をモデリングした分子鎖モデルを、コンピュータに入力する工程と、
前記分子鎖との反応を調べるための分子をモデリングした分子モデルを、前記コンピュータに入力する工程とを含み、
前記コンピュータが、
少なくとも前記分子鎖モデルに、歪み又は応力を印加する印加工程と、
密度汎関数強束縛法に基づいて、前記印加された分子鎖モデルと、前記分子モデルとの化学反応を計算する反応工程とを実行する、
高分子材料のシミュレーション方法。
[本開示2]
前記印加工程は、前記分子鎖モデルを、予め定められた方向に伸長させる工程を含む、本開示1に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
[本開示3]
前記反応工程に先立ち、前記印加された分子鎖モデルの構造を、分子軌道法に基づいて最適化する工程を含む、本開示1又は2に記載の高分子材料のシミュレーション方法。
[本開示4]
前記分子モデルは、前記分子鎖を酸化させる分子をモデリングしたものであり、
前記反応工程は、前記印加された分子鎖モデルが酸化した状態を計算する、本開示1ないし3のいずれかに記載の高分子材料のシミュレーション方法。
[本開示5]
前記反応工程は、前記印加された分子鎖モデルを加熱する工程をさらに含む、本開示1ないし4のいずれかに記載の高分子材料のシミュレーション方法。
[本開示6]
前記反応工程後の前記分子鎖モデルに基づいて、前記高分子材料の劣化の状態を評価する工程を含む、本開示1ないし5のいずれかに記載の高分子材料のシミュレーション方法。
【符号の説明】
【0069】
S1 分子鎖モデルを入力する工程
S2 分子モデルを入力する工程
S5 印加工程
S6 反応工程