(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公表特許公報(A)
(11)【公表番号】特表2017-516865(P2017-516865A)
(43)【公表日】2017年6月22日
(54)【発明の名称】パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素
(51)【国際特許分類】
A61K 38/00 20060101AFI20170526BHJP
A61P 21/00 20060101ALI20170526BHJP
A61P 25/28 20060101ALI20170526BHJP
【FI】
A61K37/02
A61P21/00
A61P25/28
【審査請求】未請求
【予備審査請求】未請求
【全頁数】21
(21)【出願番号】特願2017-516010(P2017-516010)
(86)(22)【出願日】2015年6月5日
(85)【翻訳文提出日】2017年2月1日
(86)【国際出願番号】CA2015000363
(87)【国際公開番号】WO2015184528
(87)【国際公開日】20151210
(31)【優先権主張番号】14001978.7
(32)【優先日】2014年6月6日
(33)【優先権主張国】EP
(81)【指定国】
AP(BW,GH,GM,KE,LR,LS,MW,MZ,NA,RW,SD,SL,ST,SZ,TZ,UG,ZM,ZW),EA(AM,AZ,BY,KG,KZ,RU,TJ,TM),EP(AL,AT,BE,BG,CH,CY,CZ,DE,DK,EE,ES,FI,FR,GB,GR,HR,HU,IE,IS,IT,LT,LU,LV,MC,MK,MT,NL,NO,PL,PT,RO,RS,SE,SI,SK,SM,TR),OA(BF,BJ,CF,CG,CI,CM,GA,GN,GQ,GW,KM,ML,MR,NE,SN,TD,TG),AE,AG,AL,AM,AO,AT,AU,AZ,BA,BB,BG,BH,BN,BR,BW,BY,BZ,CA,CH,CL,CN,CO,CR,CU,CZ,DE,DK,DM,DO,DZ,EC,EE,EG,ES,FI,GB,GD,GE,GH,GM,GT,HN,HR,HU,ID,IL,IN,IR,IS,JP,KE,KG,KN,KP,KR,KZ,LA,LC,LK,LR,LS,LU,LY,MA,MD,ME,MG,MK,MN,MW,MX,MY,MZ,NA,NG,NI,NO,NZ,OM,PA,PE,PG,PH,PL,PT,QA,RO,RS,RU,RW,SA,SC,SD,SE,SG,SK,SL,SM,ST,SV,SY,TH,TJ,TM,TN,TR,TT,TZ,UA,UG,US
(71)【出願人】
【識別番号】516365699
【氏名又は名称】クレイナー−フィスマン,ガリット
【氏名又は名称原語表記】KLEINER−FISMAN, Galit
(74)【代理人】
【識別番号】100077012
【弁理士】
【氏名又は名称】岩谷 龍
(72)【発明者】
【氏名】クレイナー−フィスマン,ガリット
【テーマコード(参考)】
4C084
【Fターム(参考)】
4C084AA02
4C084BA44
4C084CA04
4C084DA33
4C084MA66
4C084NA14
4C084ZA151
4C084ZA161
4C084ZA941
4C084ZC541
(57)【要約】
本発明は、パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素に関する。本発明は特に、患者の筋肉にボツリヌス毒素を局所投与することによるパラトニアの治療に関する。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項2】
パラトニアが、PAI(パラトニア評価ツール)のスコア3以上であると診断されていることを特徴とする請求項1に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項3】
パラトニアが上肢および/または下肢を侵していることを特徴とする請求項1または2に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項4】
パラトニアが、アルツハイマー病(AD)、脳血管性認知症(VaD)、レビー小体型認知症(DLB)、前頭側頭型認知症(FTD)、皮質下血管性認知症(SVD)、または特定不能(NOS)の混合型認知症の結果として起こる認知障害に関連するものであることを特徴とする請求項1〜3のいずれか1項に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項5】
ボツリヌス毒素が筋肉内注射によって局所投与されることを特徴とする、請求項1〜4のいずれか1項に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項6】
ボツリヌス毒素が約10〜700単位の量で投与されることを特徴とする、請求項1〜5のいずれか1項に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項7】
ボツリヌス毒素がA型、B型、C1型、D型、E型、F型、G型およびこれらの組み合わせからなる群より選択されることを特徴とする、請求項1〜6のいずれか1項に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項8】
ボツリヌス毒素がA型ボツリヌス毒素であることを特徴とする、請求項7に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項9】
ボツリヌス毒素がボツリヌス毒素複合体、またはボツリヌス毒素複合体の神経毒素成分であることを特徴とする、請求項1〜8のいずれか1項に記載の使用のためのボツリヌス毒素。
【請求項10】
患者の筋肉に治療有効量のボツリヌス毒素を局所投与することを含む、患者のパラトニアを治療する方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素に関する。本発明は特に、ボツリヌス毒素を患者の筋肉へと局所投与することによるパラトニアの治療に関する。
【背景技術】
【0002】
認知症は、認知機能にのみ障害を生じる疾患であると捉えられがちであるが、筋緊張亢進の一種である「パラトニア」が一因となる顕著な運動障害を伴うことが多い。パラトニアは、Dupreによって1910年に初めて観察され(Dupre,E.,Rev.Neurol.1910;20:54−56)、「認識機能障害状態における筋弛緩不能」と特徴付けられた。パラトニアでは、手足が外力によって動かされる際に、反射的に筋肉の抵抗が高まるが、弛緩の程度によって重症度は変動しうる。重度の認知症では、安静時にも緊張亢進状態となることがあり、筋肉の収縮状態が続き、関節が曲がったまま固まる状態(拘縮)に至る。パラトニアは、軽度認知障害の患者の5%、重度の認知症の場合は100%に現れると推定されてきた(たとえば、Hobbelen et al.,Int.Psychoger.2008,20:840−852;Franssen et al.,Arch.Neurol.1993,50:1029−1039;Souren et al.,J.Geriatr.Psychiatry Neurol.1997,10:93−98;およびHobbelen et al.,BMC Geriatr.2007,7:30等を参照のこと)。
【0003】
関節拘縮の影響としては、全面的な介護を要する人に対して入浴、更衣、食事、その他の全般的な介護を提供することが困難となり、介護者の負担が増加することが挙げられる。拘縮は、皮膚の損傷、感染、および動作に伴う痛みをもたらすことがしばしばあり、そのため苦痛を生じ、生活の質が低下する。ひとたび拘縮を発症すると、治療は一般に無効である。しかしながら、パラトニアが認識され治療が行われるのであれば、拘縮は回避および遅延されるかもしれない。
【0004】
ボツリヌス毒素、特にA型ボツリヌス毒素は、過緊張状態、たとえば頭部ジストニア(たとえば眼瞼痙攣、顎口腔ジストニア)、頸部ジストニア(たとえば痙性斜頸)、および喉頭ジストニア(たとえば痙攣性発声障害)等のジストニア、ならびに痙縮(たとえば脳卒中後の痙縮)を治療する目的で、広く使用されてきた。ボツリヌス毒素は、細菌であるボツリヌス菌が産生する外毒素であり、コリン作動性神経のシナプス前終末に特異的に結合して、用量依存的に神経伝達物質アセチルコリンの放出を抑制する(Kao et al.,Science 1976,193:1256−1258)。その結果、局所麻痺が起こり、ジストニアや痙縮等の過緊張状態にあった筋肉が弛緩する。ボツリヌス菌の注射剤は一般に忍容性が高く、副作用は極めて少なく、その効果は約4〜6週間でピークに達し、約3か月間持続する。
【0005】
現在、パラトニアの治療は他動運動療法(PMT)が主であるが、これは筋肉の高緊張の低下および罹患関節の可動域維持を目標とするものである。しかしながら、広く行われているこの療法の有効性については、様々な疑いが持たれている。虚弱な高齢患者は治療中にしばしば不快の様子を見せ、けがをすることが多く、可動性を取り戻したとしてもその能動的使用は不可能であることが観察されている。実際に、PMTを行うパイロットスタディーにおいて、PMT群は、対照群との比較において筋緊張の亢進すら示し、筋線維損傷との関連の可能性が示唆された(Hobbelen et al.,Nederlands Tijdschrift voor Fysiotherapie 2003,113:132−137)。その後の、パラトニアを有する認知症患者におけるPMTの効果を評価するための多施設ランダム化比較試験では、PMTが筋緊張に有効でないばかりか、関節や手足の硬直を対照と比較して悪化させる傾向があることがわかった。したがって、PMTは、重症のパラトニアに対する介入としては推奨されていなかった(Hobbelen et al.,Int.Psychogeriatr.2012,24:834−844)。
【0006】
したがって、パラトニアを患う患者のための、日常生活動作(ADL)が容易になり、かつ強不動状態による苦痛や影響が出ることを遅らせたり防止したりできるような有効な治療は、現時点では存在しない。
【発明の概要】
【課題を解決するための手段】
【0007】
本開示は、パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素に関する。いくつかの実施形態において、パラトニアは、たとえばパーキンソン病による強剛や痙縮とは異なり、それらとは区別することのできる筋緊張亢進の形態を取る。
【0008】
本明細書では、さらなる実施形態、特に投与量および投与方法に関する実施形態について説明する。
【0009】
本開示は、以下に記載する本発明の詳細な説明、実施例、および添付の図面を参照することにより、より完全に理解されるであろう。
【図面の簡単な説明】
【0010】
【
図1】16週間ずつの2つの治療サイクルからなる単施設プラセボ対照無作為化二重盲検クロスオーバー試験の、試験デザインの概要を示す流れ図である。
【0011】
【
図2】インコボツリヌムトキシンA(■)およびプラセボ(▲)を用いて治療された被験者における介護者負担感尺度(CBS)スコアの平均値を時間の関数として示したグラフである。A:合計CBSスコア。B:更衣におけるCBSサブスコア。C:(左右の)腋窩下清拭におけるCBSサブスコア。D:(左右の)手掌清拭におけるCBSサブスコア。
【0012】
【
図3】インコボツリヌムトキシンA(■)およびプラセボ(▲)を用いて治療を行った後の、他動的関節可動域(PROM)を時間の関数として示したグラフであり、関節角度の広がりが示されている。A:肩外転のPROM。B:肘伸長(左右)のPROM。C:指伸長(左右)のPROM。
【発明を実施するための形態】
【0013】
本発明は、ボツリヌス毒素治療が、患者の、特に認知障害を有する重度認知症の高齢者のパラトニアを軽減するための安全かつ効果的な治療オプションを提供するという驚くべき知見に基づく。具体的に言えば、ボツリヌス毒素を、たとえば筋肉内注射によって投与することで、可動域を増し、不随意姿勢を軽減できることがわかった。これによって日常生活動作(ADL)が容易になり、患者の不快感が軽減される。具体的に言えば、毒素治療によって介護者負担感尺度(CBS)が顕著に改善され、パラトニアによって硬直が起こる人々の介護における介護者の負担を軽減できるという予想外の事実が見出された。
【0014】
いくつかの実施形態において、治療対象である個体は概して、認知障害(認知症)およびパラトニアをいずれも有する個体であり、特に、重度の認知症およびパラトニアを有する高齢の虚弱な個体である。本発明に従って治療されるパラトニアを有する患者の認知障害は、いくつかの実施形態において、アルツハイマー病(AD)、脳血管性認知症(VaD)、レビー小体型認知症(DLB)、前頭側頭型認知症(FTD)、皮質下血管性認知症(SVD)、または特定不能(NOS)の混合型認知症の結果起こるものであってもよい。いくつかの実施形態では、本発明の範囲において治療されるパラトニアは、PAI(パラトニア評価ツール)のスコアが3以上であることによって特徴付け(定義)されてもよい。
【0015】
パラトニアの治療で使用されるボツリヌス毒素は、いくつかの実施形態において特に限定されず、既知のすべての血清型(すなわちA型、B型、C型、D型、E型、F型、G型)およびこれらのサブタイプを包含し、毒素複合体(すなわち、いわゆる「無毒」なさらなるタンパク質との複合体として存在する神経毒性ポリペプチド)であってもよく、該神経毒素成分(すなわち「無毒」なタンパク質や「複合体を形成する」タンパク質を何ら有さない神経毒性ポリペプチド(「150kDa」))であってもよい。
【0016】
第1の態様において、本発明は、パラトニアの治療における使用のためのボツリヌス毒素に関する。本発明における「治療」は、疾患、障害、状態、またはそれらの症状を緩和したり、発病を遅らせたり、あるいはその重症度もしく発症率を低下させたりするために使用される任意の方法に広く関する。
【0017】
本発明における「パラトニア」は、概して、他動運動中に生じる不随意かつ変動する抵抗を特徴とする高緊張の一形態を指す。たとえば、パラトニアの患者の手足を動かそうとすると、患者は概して無意識にその動きに抵抗することとなる(「Gegenhalten(抵抗症)」としても知られる)。抵抗の程度は、一般に動きの速度に依存し(たとえば、ゆっくり動かした場合の抵抗は小さく、速い動きに対する抵抗は大きい)、パラトニアの程度は、一般に加える力の量に比例する。さらに、他動運動に対する抵抗は、通常いかなる方向にも起こり、また、折り畳みナイフ現象は、通常は見られない。
【0018】
さらに、本発明において意図するところでは、「パラトニア」は、特徴的な状況、状態、または疾患を指すものであり、これは他の神経変性障害とは明確に異なっており、重複するところはない。特に、パラトニアは、痙縮およびパーキンソン病による強剛(「鉛管様硬直」としても知られる)とは異なる。本発明において、「痙縮」は、腱反射亢進を伴って、速度に依存して増加する緊張性伸張反射によって特徴付けられる運動障害として定義されてもよい。また、「パーキンソン病による強剛」は、手足がゆっくり動かされた場合も素早く動かされた場合も抵抗の程度が(鉛管を曲げるように)一定であるような、手足の他動運動に対する抵抗として定義されてもよい。
【0019】
したがって、本発明の枠組みにおいて、パラトニアは、たとえば深部腱反射亢進が観察されないことおよび/または折り畳みナイフ反応が観察されないことによって痙縮と区別できる。さらに、パラトニアは、たとえばパーキンソン病の強剛における抵抗の程度は運動の速度に左右されないという点で、パーキンソン病の強剛と区別することができる。したがって、本発明において使用するボツリヌス毒素は、概して、痙縮にもパーキンソン病の強剛にも関連しないパラトニアの治療における使用のためのものであるか、またはパラトニアを有しているが痙縮にもパーキンソン病の強剛にも罹患していない患者に投与するためのものである。
【0020】
パラトニア発症の根本的な原因はわかっていない。しかしながら、その根本的な病理は、痙縮やパーキンソン病による強剛の病理とは異なると一般に考えられている。パラトニアは独立した(あるいは別の)疾患であり、進行期においては特に、認知症を患う人々に見られる機能的運動性低下の一因となる。
【0021】
本発明において、治療の対象となるパラトニアは、特定のステージや重症度に限定されない。上述したように、パラトニアは認知症のような認知障害において一般的に見られ、その重症度は通常、認知症の進行につれて高まる。言い換えれば、パラトニアの性質は、典型的には認知症の進行とともに変化する。パラトニアでは、手足が外力によって動かされる際に、反射的に筋肉の抵抗が高まるが、重度の認知症では、安静時にも緊張亢進状態となることがあり、筋肉の収縮状態が続き、関節が曲がったまま固まる状態(拘縮)に至る。
【0022】
たとえば、変性認知症の初期には他動運動に追従してしまう現象(「Mitgehen」としても知られる)がより一般的に見られ、後期には他動運動に対して過剰な抵抗を示す現象がより一般的に見られる。本発明は、パラトニアにおけるこれらの異なるステージまたは重症度のすべてに対処するものと考えてよい。しかしながら、本発明のボツリヌス毒素治療は、中等度から重度の認知症患者、特に中等度から重度の認知症を患う高齢者および/または重度の認知症とパラトニアとを患い、介護の提供を妨げたり患者に苦痛を与えたりする不随意姿勢を有する患者(たとえば高齢の患者)の治療に特に有用である。
【0023】
いくつかの実施形態において、本発明のボツリヌス毒素治療は、パラトニア評価ツール(PAI)を用いて診断された後期のパラトニアを治療するものである。具体的に言えば、治療対象となるパラトニアは、好ましくはPAIスコアが3以上、より好ましくは4以上と診断されたものである。PAIが3以上または4以上に相当する重症度の個体において、パラトニアは通常、不随意姿勢につながり、それによって介護が妨げられ、苦痛が生じ、かつ/または介護者の負担が増加する。
【0024】
PAIは、パラトニアを診断し、パーキンソン病の強剛や脳卒中後の痙縮と区別するための信頼できる評価ツールである(Hobbelen et al.,Int.Psychogeriatr.2008,20:840−852)。以下の基準、すなわち1)不随意かつ変動する抵抗がある、2)抵抗の程度は、運動の速度によって変化する(たとえば、ゆっくり動かすと抵抗は小さく、速い動きへの抵抗は大きい)、3)他動運動に対する抵抗は、いかなる方向にも起こりうる、4)折り畳みナイフ現象は見られない、および5)抵抗は、いずれか1肢における運動の2方向において、または異なる2肢において感知される、が満たされるとき、パラトニアであるという診断が下される。
【0025】
本発明のいくつかの実施形態において、治療されるパラトニアは、上肢および/または下肢、特に脚および/または腕を侵すパラトニアであってもよい。いくつかの実施形態において、たとえば、ボツリヌス毒素の投与対象として選択されるパラトニアに侵された上肢の筋肉は、特に、上腕二頭筋、腕橈骨筋、大胸筋、浅指屈筋、深指屈筋、長母指屈筋、三頭筋、虫様筋、尺側手根屈筋および母指対立筋から選択されてもよい。いくつかの実施形態では、たとえば、上肢の筋肉に姿勢の問題が現れる。
【0026】
いくつかの実施形態において、たとえば、ボツリヌス毒素の投与対象として選択されるパラトニアに侵された下肢の筋肉は、特に、ハムストリング筋、大腿四頭筋、長内転筋、大内転筋、腓腹筋、長趾屈筋、後脛骨筋、長母趾屈筋、長趾伸筋、長母趾伸筋、前脛骨筋、短趾屈筋、短趾伸筋および腸腰筋から選択されてもよい。
【0027】
本発明によれば、本発明において治療される患者(標的患者または標的患者群)は、一般に、認知障害(すなわち認知症)の合併症としてパラトニアを有する個体である。「認知症」は、本明細書中、日常生活における通常の活動に支障をきたす程度の知能の喪失全般に関する。本発明において、「認知症」は、精神疾患の診断・統計マニュアル第4版修正版に記載の基準に従って診断されてもよい(Diagnostic and statistical manual of mental disorders:DSM IV,4th ed.,Washington D.C.:American Psychiatric Association,1994)。パラトニアは、軽度の認知症(すなわち、認知症の初期段階)の患者にも見られたが、本発明は、いくつかの実施形態において、中等度から重度の認知症患者のパラトニア、特に重度または後期の認知症を患うパラトニア患者のパラトニア、特に認知症とパラトニアとを患い、介護の提供を妨げたり患者に苦痛を与えたりする不随意姿勢を経験する患者のパラトニアの治療を目標とする。
【0028】
本発明の意味する「認知症」は、ReisbergのGDSスコア(Global Deterioration Scale)(Reisberg et al.,Am.J.Psych.1982,139:1136−1139)によって診断されてもよく、これによると、認知症はGDSスコア6以下とされることもある。しかしながら、本発明において、GDSスコアは主として認知症の重症度を(7段階で)評価または分類するために使用される。GDSスコアは、認知症における認知力の低下を、正常認知(ステージ1)から重篤な認知低下(ステージ7)として評価する。ここでは、GDSスコア3および4は軽度の認知症、GDSスコア5は中等度の認知症、GDSスコア6および7は重度の認知症と見なされる。
【0029】
いくつかの実施形態において、本発明は、重症度がGDSのステージ3、4、またはそれ以上、好ましくは5以上、より好ましくは6または7の認知症を患う患者のパラトニアの治療におけるボツリヌス毒素の使用に関する。この重症度は一般に、介護の提供を妨げる不随意姿勢が生じ、結果として不動状態による苦痛や他の影響が出る時期と関連している。
【0030】
本発明に従ってボツリヌス毒素で治療される標的患者または標的患者群は、ミニメンタルステート検査(MMSE)によって特徴付けされてもよい(Folstein et al.,J.Psych.Res.1975,12:189−198)。この試験は、認知障害のスクリーニングに使用される(MMSEスコアの範囲は0〜30点)。本発明において、ボツリヌス毒素で治療されるパラトニアを有する患者のMMSEスコアは24〜28点(すなわち、非常に軽度の認知症)であってもよく、好ましくは19〜23点(すなわち、軽度の認知症)であり、より好ましくは14〜18点(すなわち、中等度から重度)であり、最も好ましくは13点以下または10点以下(すなわち、重度の認知症)である。
【0031】
パラトニアはあらゆる型の認知症において見られるが、本発明は、いくつかの実施形態において、アルツハイマー病(AD)、脳血管性認知症(VaD)、レビー小体型認知症(DLB)、前頭側頭型認知症(FTD)、皮質下血管性認知症(SVD)、または特定不能(NOS)の混合型認知症の結果として起こる認知障害を有する患者のパラトニアの治療に使用するための、ボツリヌス毒素に関する。
【0032】
いくつかの実施形態において、ボツリヌス毒素は、アルツハイマー病を患う患者のパラトニアの治療に使用される。前記アルツハイマー病は、当業者に知られたNational Institute of Neurological and Communicative Disorders and Stroke/the Alzheimer’s Disease and Related Disorders Associations(NINCDS−ADRDA)の基準に従って「ほぼ確実にアルツハイマー病(probable AD)」と診断されるものであってもよい。
【0033】
前記アルツハイマー病の重症度は、中等度から重度の範囲にあってもよく、これは、標準化されたミニメンタルステート検査(MMSE;0〜30点)の14点以下に相当する。また、いくつかの実施形態においては、MMSEスコアが10点未満となるような重度のアルツハイマー病であってもよい。前記前頭側頭型認知症(FTD)は、Nearyらによるコンセンサス基準(Neurology 1998,51:1546−1554)に従って診断されてもよく、また皮質下血管性認知症(SVD)は、NINDS‐AIRENを一部変更した基準(Erkinjuntti et al.,J.Neural.Transm.Suppl.2000,59:23−30)に従って診断されてもよい。
【0034】
本発明によれば、使用されるボツリヌス毒素は特に限定されず、任意の形態および型のボツリヌス毒素を指すことが意図される。具体的に言えば、前記ボツリヌス毒素は、A型、B型、C
1型、D型、E型、F型、G型またはこれらの組み合わせから選択されてもよい。また、本明細書における「ボツリヌス毒素」は、ボツリヌス毒素複合体(前記「毒素複合体」)、およびボツリヌス毒素(またはボツリヌス毒素複合体)の「神経毒素成分」のいずれをも含むことが意図される。
【0035】
本明細書中の「(ボツリヌス)毒素複合体」は、およそ150kDaの神経毒素成分と、これに加えて、赤血球凝集性タンパク質や非赤血球凝集性タンパク質等の、ボツリヌス菌の無毒なタンパク質を含む高分子量複合体を指す。これに対して、本明細書中の「神経毒素成分」は、前記毒素複合体の前記神経毒性ポリペプチド(前記「150kDaの」ポリペプチド)であって、結合する無毒なタンパク質を有さないポリペプチドに関する。ボツリヌス毒素のA型複合体は、たとえばボトックス(登録商標)(アラガン社)またはディスポート(登録商標)(イプセン社)等が市販されている。純粋な神経毒素成分は、たとえば商品名ゼオミン(登録商標)(メルツ社)等が市販されている。
【0036】
さらに、本発明は、野生型ボツリヌス毒素、たとえば、野生型ボツリヌス毒素Aと、少なくとも50%、少なくとも60%、少なくとも70%、少なくとも80%、少なくとも90%、または60%以下、70%以内、80%以内、90%以内、100%以内の配列同一性を有するアイソフォーム、ホモログ、オーソログ、およびパラログを包含する。配列同一性は、信頼性のある結果の取得に適した任意のアルゴリズムによって、たとえばFASTAアルゴリズム(W.R.Pearson&D.J.Lipman PNAS(1988)85:2444−2448)を使用することによって、算出できる。配列同一性は、2つのポリペプチドまたは2つのドメイン(2つのLCドメインまたは2つのLCドメインフラグメント等)を比較することによって算出されてもよい。
【0037】
修飾されたボツリヌス毒素および組み換えボツリヌス毒素もまた、本発明の範囲内にある。適切な変異体については、WO2006/027207、WO2009/015840、WO2006/114308、WO2007/104567、WO2010/022979、WO2011/000929、およびWO2013/068476を参照されたい。これらはいずれも、参照により本明細書に援用される。しかしながら、本発明はさらに、化学修飾されたボツリヌス毒素、たとえばペグ化、グリコシル化、硫酸化、リン酸化、またはその他の修飾を有するボツリヌス毒素、特に1以上のアミノ酸を表面に露出させたボツリヌス毒素、または1以上のアミノ酸を溶媒に曝露させたボツリヌス毒素についても言及する。本発明における使用に適した前記修飾体、組み換え体、アイソフォーム、ホモログ、オーソログ、パラログ、および変異体は生物活性を有しており、神経細胞へ移行してSNARE複合体(たとえばSNAP25)のタンパク質を切断し、筋肉麻痺効果を発揮することができる。
【0038】
前記生物活性は、たとえばSNAP−25プロテアーゼ分析、LD
50分析、HDA分析、細胞ベースの分析等によって試験することができる。たとえば、SNAP−25分析において、LC(軽鎖)ドメインのタンパク質分解活性が、相当する野生型のLCドメインの10%を超え、20%を超え、30%を超え、40%を超え、50%を超え、60%を超え、70%を超え、80%を超え、90%を超え、最大で100%である場合、このようなLCドメインはいずれも、本発明の範囲において「生物活性を有する」あるいは「タンパク質分解活性を発揮する」ものと見なされる。適切なSNAP25分析としては、「GFP−SNAP25蛍光放出分析」(WO2006/020748)または「改良型SNAP25エンドペプチダーゼ免疫測定(Jones et al.,J.Immunol.Methods 2008,329:92−101)が挙げられる。細胞ベースの分析には、WO2009/114748またはWO2013/049508に開示された方法が含まれる。
【0039】
さらなる一態様において、本発明は患者においてパラトニアを治療する方法に関し、該方法は患者の筋肉に治療有効量のボツリヌス毒素を局所投与することを含む。このさらなる態様は、本発明の第1の態様と密接に関連するものであるため、本発明の第1の態様に関して、具体的にはパラトニアに関してこれまでに記載した見解、定義、および説明はすべて、このさらなる態様にも適用される。同様に、本発明の該さらなる態様に関して、具体的には投与方法または投与計画に関して以下に記載する見解、定義、および説明はすべて、前記した第1の態様にも適用される。
【0040】
本明細書中の「治療有効量」は、有益なあるいは所望の治療結果をもたらすに足るボツリヌス毒素の量を指す。ボツリヌス毒素の投与量または用量は、投与方法、疾患の種類、患者の体重、年齢、性別、および健康状態、ならびに姿勢異常の種類に応じて選択される注射対象の筋肉に依存する。一般に、筋肉が異なれば、その大きさに応じて必要とされる投与量も異なる。いくつかの実施形態において、適切な投与量は、ボツリヌス毒素の10〜700単位、好ましくは50〜500単位、より好ましくは100〜350単位である。本明細書中、「1単位」または「1U」は、腹腔内注射によって特定のマウス集団の50%を死亡させるボツリヌス毒素の量(すなわち、マウスi.p.LD
50)である(Schantz&Kauter,1978)。「単位」あるいは「U」は、「マウス単位」あるいは「MU」と同じ意味で使用される。
【0041】
投与は、必要に応じて単回であっても複数回行ってもよい。いくつかの実施形態において、ボツリヌス毒素の(純粋な)神経毒性成分を使用する場合、より頻繁に、たとえば4週間ごと、6週間ごと、8週間ごと、10週間ごと、または12週間ごとに投与を行ってもよい。治療有効量は1以上の投与、適用、または用量において投与することができ、特定の処方や投与経路に限定されることは意図されない。
【0042】
本発明において、ボツリヌス毒素は、通常、患者の筋肉内への局注によって投与される。本明細書における「患者」は、概して、パラトニアを患うヒトに関する。「患者」は、本明細書において「被験者」または「個体」と同じ意味で使用され、パラトニアを有する、パラトニアを患う、あるいはパラトニアに苦しむ「人々」とも同じ意味を有することが意図される。前記筋肉は、上腕二頭筋、腕橈骨筋、大胸筋、浅指屈筋、深指屈筋、長母指屈筋、三頭筋、虫様筋、尺側手根屈筋および母指対立筋から選択されてもよいが、これらに限定はされない。前記投与は、特定の投与計画、投与方法、投与形態、投与量および投与間隔に何ら限定されない。通常、ボツリヌス毒素は、局所筋肉内注射によって投与される。
【0043】
いくつかの実施形態において、ボツリヌス毒素は、液体組成物の形態で、たとえば局注によって投与される。この液体組成物は、ボツリヌス毒素に加えて、少なくとも1つの薬学的に許容される担体を含む。「含む」は、本明細書において、オープンエンドの「含む(include)」とクローズドエンドの「からなる(consist of)」のいずれをも包含することが意図される。「薬学的に許容される」は、本明細書において、哺乳類、特にヒトの組織との接触に適した化合物または物質を指す。前記「担体」は、本明細書において、筋肉内注射等の意図する目的に適した組成物において必要とされる、要求される、あるいは所望される希釈剤またはビヒクルに関する。前記担体は、通常、水または生理的に許容される緩衝液である。
【0044】
前記組成物はさらに、その他の種々の物質、たとえば安定化タンパク質(アルブミン、ゼラチン等)、糖類、炭水化物重合体、多価アルコール(グリセリン、ソルビトール等)、アミノ酸、ビタミン類(ビタミンC等)、亜鉛、マグネシウム、麻酔薬(リドカインのような局所麻酔薬等)、界面活性剤、張度調整剤等を含んでいてもよい。
【0045】
いくつかの実施形態において、前記組成物は、前記(純粋な)神経毒性成分、および上で言及した1以上の任意の物質または成分を含むが、ボツリヌス毒素複合体のその他のタンパク質成分は一切含まない。
【0046】
本発明を以下の実施例によってより詳細に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されない。
【実施例】
【0047】
以下に示す試験は、ボツリヌス毒素治療が、認知障害(認知症)を有する高齢患者の不随意姿勢および介護者の負担を軽減できることを証明するものである。この毒素治療は、特に、本試験の主要評価項目である介護者負担感尺度(CBS)に顕著な改善をもたらし、かつ関節の可動域(他動的関節可動域;PROM)を広げることがわかった。
【0048】
概して言えば、認知症に関連するパラトニアの結果として完全介護を必要とする高齢者にボツリヌス毒素を投与することにより、効率的かつ安全に、患者の生活の質を改善し、介護者の負担を軽減し、不動状態によって起こる皮膚の損傷、感染、褥瘡等を軽減するための有望な治療戦略を提供できることが示唆される。
【0049】
方法
被験者
試験は、2011年1月に開始され、2013年3月に終了した。アルツハイマー病(AD)、脳血管性認知症(VaD)、前頭側頭型認知症(FTD)、または特定不能(NOS)の混合型認知症の結果として起こる重篤な認知障害を有し、パラトニアによる硬直を(両)腕に有することから介護の提供が困難な、パラトニア評価ツール(PAI)(Hobbelen et al.,Int.Psychoger.2008,20:840−852)のスコアが>3である被験者を対象とした。除外基準には、緊張亢進状態を示す別の病因、たとえば強剛やジストニアを示すパーキンソン症候群、既知の脳卒中やその他の局所神経障害、患肢の固定性拘縮(他動的関節可動域が全くないと臨床的に評価されたもの)、または過去6か月以内のボツリヌス毒素注射を含めた。この試験は、ベイクレスト老人医療センターの倫理審査委員会によって承認された。被験者全員について、その代諾者(POA)から、書面によるインフォームドコンセントを得た。
【0050】
試験デザイン
この試験は、16週間ずつの2つの治療サイクル(計32週)からなる単施設プラセボ対照ランダム化二重盲検クロスオーバー試験であった(
図1参照)。ベースラインの評価ならびに第0週および第16週における注射の後、第2週、第6週および第12週において評価を行った。この試験はクロスオーバー試験であるため、各被験者は、ランダムに割り付けられた治療の順序に従って、実薬とプラセボとを、いずれも投与された。
【0051】
注射を行う筋肉および投与量は、障害を引き起こしている姿勢の特徴(すなわち肘の屈曲、肩の外転、手指の屈曲等の大きさ)および注射を行う筋肉の大きさに基づいて選択される。被験者は、0.9%の生理食塩水で100U/mlの濃度に希釈されたインコボツリヌムトキシンA(ゼオミン(登録商標)、メルツ社;商用生産ロット150070および154617)の最大で300単位の投与、またはプラセボ(0.9%の生理食塩水)の投与が実施できるよう、ランダムに割り付けた。それぞれの筋肉への投与量は、痙縮を評価するための試験における投与量に合わせた。プラセボと実薬の包装および外観は同一とした。筋肉内の注射部位は、神経解剖学の標準的な教科書(Delagi et al.,Anatomic Guides for the Elecromyographer.Springfield,Illinois:Charles C.Thomas,1980)で指定されるような運動評価項目用の表面ランドマークに従って決定した。筋電図検査は、筋肉活動の増加を確認するために使用した。
【0052】
結果の評価項目
主要評価項目は介護者負担感尺度(CBS)であり、副次的評価項目には他動的関節可動域(PROM)、総合評価尺度(GAS)、視覚的アナログ尺度(VAS)、および重度認知症における疼痛評価(PAINAD)が含まれていた。
【0053】
主要評価項目
介護者負担感尺度(CBS)
ベースライン、ならびに第2週、第6週、第12週、第16週、第18週、第22週、第28週および第32週において、介護者の負担感を、手掌の清拭、爪切り、更衣、および腋窩の清拭に関する機能尺度である介護者負担感尺度(CBS)を用いて評価した。この評価では、0(困難は全くない)から4(ケアを遂行できない)までの5段階のリッカート尺度を使用し、各項目のスコアを足し合わせて合計CBSスコア(0〜16点)とした(Bhakta et al.,J.Neurol.,Neurosurg.and Psych.2000,69:217−221)。
【0054】
爪切りは、この母集団の毎日のモーニングケアに一貫して含まれているわけではなかったため、評価から省いた。各評価は、評価を行った週ごとに2度行い、2日間のスコアの平均を取った。
【0055】
副次的評価項目
他動的関節可動域(PROM)(関節角度測定)
【0056】
パラトニアには変動する性質があることから、安静患者における痙縮による緊張亢進に有効な尺度であるアシュワーススケール変法(MAS)(Brashear et al.,New Engl.J.Med.2002,347:395−400;Waardenberg et al.,Nederlands Tijdschrift voor Fysiotherapie 1999,102:30−35)の使用は適さない。したがって、パラトニアの重症度を測る代替的評価項目として関節可動域を反映する関節角度測定を使用した。
【0057】
総合評価尺度(GAS)および視覚的アナログ尺度(VAS)
再診の度に、治療の総合的な効果を、介護者が総合評価尺度(GAS)を用いて評価した。この尺度は、総合的な機能状態の改善または悪化を治療前と比較して評価するものであるため、ベースラインの測定は行わない。これは、−4(=症状の著しい悪化)から0(=変化なし)、+4(=兆候および症状の完全な消失)の範囲で評価を行うものである(Ashford S.and Turner−Stokes L.,Physiother.Res.Int.2006,11:24−34)。
【0058】
介護者が介護の容易さをどのように感じているかを示す視覚的アナログ尺度(VAS)(Waltz C.and Lenz E.,Measurement in Nursing Research,2nd ed.,Philadelphia:F.A.Davis,1991)については、介護職員が記入を行った。VASは、100mmの直線の一端を「入所者の介護は非常に困難である」ことを示す0とし、もう一方の端を「入所者の介護は非常に容易である」ことを示す100としたものであり、介護者が直線上に付けた印と0との距離を測定してスコアとする。
【0059】
重度認知症における疼痛評価(PAINAD)
治療が患者の疼痛を軽減したかどうかを評価するために、モーニングケアの実施中に、重度認知症における疼痛評価(PAINAD)ツール(Warden et al.,JAMDA 2003,4:9−15)を使用した。PAINADスケールは、5つの項目(呼吸、否定的な発語、表情、ボディーランゲージおよび安心感や気が晴れる様子)からなり、0〜2点で評価した後、足し合わせて合計スコアを得る。各週2日間のスコアの平均を取った。介護職員がモーニングケアを行う間、研究者がその様子を観察してPAINADスコアを記録した。
【0060】
安全性
試験の責任医師は、毎回の評価において、有害事象の評価を行った。重篤な有害事象は、致命的であるもの、生命に危険を及ぼすもの、身体に障害を与えるもの、あるいは入院を必要とするものと定義された。有害事象は、被験者の介護者によって報告されるあらゆる事象とした。
【0061】
統計解析
この試験では、事前の分析に基づき10人の被験者を選択した。この事前分析は、様々な標準偏差(SD=0.5、1、1.5、または2)を想定した場合に、5段階リッカート尺度におけるベースラインと第6週との間の0.5〜1.5の平均値差を70〜80%の検定力で検出できるものであった。これにより、サンプルサイズが比較的小さくても、治療により得られた臨床的に意味のある測定値の変化を検出することができた。
【0062】
クロスオーバー試験データの分析には分散分析(ANOVA)がしばしば使用されるが、本試験では、介入期間および対照期間に被験者から収集した使用可能な情報をすべて利用するために、混合モデル法を使用した。混合モデル法はまた、患者に特異的なランダム効果(すなわちランダム切片)を導入することによって、パラトニアの重症度、注入用量、注入を行う筋肉および介護負担感に関して、同じ患者における試験間の異質性および患者間における異質性を扱う目的で用いた。治療効果は、他の試験と同様に注射後6週間続くものと想定した。
【0063】
被験者をランダム効果として扱うことが必要であるか否かを判断するために尤度比検定を使用し、モデルの適合性の判断の目安にするために、ベイズの情報量規準を算出した。ANOVAは、患者の要因、順序効果、治順序と治療法の交互作用、時期効果、および時期と治療法の交互作用を考慮しつつ、治療の効果を評価するために利用した。パラノイアの重症度の変動を相殺するために、測定は2回(2日間にわたって)行い、2つの測定値の平均値を用いて結果を評価した。これによって、測定の信頼性を評価することが可能となり、この評価は級内相関係数の算出を通じて行われた。
【0064】
結果
被験者
試験には、10人の被験者が参加した。被験者のベースラインにおける人口統計情報を表1に示す。被験者は、それぞれの治療シーケンスにランダムに割り付けられた。2つの治療シーケンスのそれぞれに割り付けられた被験者の特性に有意な差はなかった(表2参照)。ボツリヌス毒素−プラセボシーケンスに割り付けられた被験者のうち1名(被験者4)は、試験の第10週に死亡した。この被験者については、第6週までのデータのみを収集し、利用した。
【表1】
【表2】
【0065】
投与量および注射剤
注射されたインコボツリヌムトキシンAの配分および投与量を表3に示す。
【表3】
【0066】
主要評価項目
介護者の負担
CBSスコアのグラフによる評価では、インコボツリヌムトキシンAの注射後の第2〜6週において平均合計スコアおよび平均サブスコアの低下(改善)が確認された(ピーク効果)(
図2参照)。注射から2〜6週間後の治療効果を評価した混合効果回帰モデルでは、CBSを含むほとんどの項目において、インコボツリヌムトキシンAの顕著な治療効果が確認された(表4参照)。
【表4】
【0067】
ボツリヌス毒素により、合計CBSスコアは1.11(p=0.02)低減され、更衣のサブスコアは0.36(p=0.004)低減され、左右の腋窩清拭のスコアは、それぞれ0.50(p=0.03)および0.41(p=0.03)低減された。左右の手掌清拭においても、それぞれ0.25(p=0.4)および0.05(p=0.8)の低減があったが、これは有意水準に達していない。これとは対照的に、治療とプラセボとの間でベースラインと第6週の効果を比較したANOVAでは、更衣のCBSサブスコアにおいては有意な改善(p=0.01)があったが、CBSの合計スコアに有意差はなかった(p=0.2)。時期や治療シーケンスの影響は検出されなかった。ベイズ情報量規準の値が小さかったことから、被験者のランダム効果を組み込むことによって節約の原理を損なうことなくモデルの適合性を改善できることが示され、このことから、ボツリヌス毒素の治療効果を検討する際には、疾患と奏効に関する患者間の異質性を考慮に入れることが重要であることが示唆された。
【0068】
副次的評価項目については、関節角度の増加によって表される他動的関節可動域(PROM)における顕著な改善が、混合効果モデルによってほとんどの関節で検出された(
図3参照)。左右の肘伸長は、それぞれ27.67度(p<0.001)および22.07度(p<0.001)増加し、左右の指伸長は、それぞれ19.85度(p=0.02)および23.56度(p=0.02)増加した。左右の肩外転においても、それぞれ11.92度(p<0.001)および8.58度(p=0.001)の改善が見られた。GAS、VAS、PAINADでは、有意な治療効果は見出されなかった。
【0069】
信頼性
級内相関係数(ICC)に基づく推定によれば、本試験で使用した評価項目はいずれも信頼できるものであった。ICCはCBSにおいて特に高く、合計スコアと更衣サブスコアはいずれも、第1日および第2日の評価で、ほぼ完全な再現性を示した。清拭のスコア、関節角度測定、GAS、VASおよびPAINADもまた、高い信頼性を示した(表5参照)。
【表5】
【0070】
安全性
試験参加者の介護者による有害作用の報告はなかった。被験者の1人(被験者4)は、最初の注射(治療時期)の10週間後に死亡した。これは自然死であり、ボツリヌス毒素の注射とは無関係と見なされた。
【0071】
要約すれば、上記の結果は、パラトニアによる筋緊張亢進の見られる認知障害のある個体において、ボツリヌス毒素Aが、患肢の緊張を軽減し、かつ可動域を広げることによって介護者の負担を有意に軽減できる安全な介入であることを示唆するものである。注射の2週間後には、強い治療効果が既に現れており、その強度は第6週まで持続した。
【0072】
介護者負担に効果を及ぼしうることは、健康および健康経済における重要な目標である。重度の認知障害を有し、全面的介護を必要として介護者に完全に依存している人々においては、介護者の負担を評価することは、健康に関連する生活の質を予測する上で大変有用であることが示されている(Dowding et al.,Drugs&Aging 2006,23:693−721)。
【0073】
この母集団で嚥下障害や呼吸困難といった既知のリスクが高まるのではないかという懸念があったが、本試験において有害事象が確認されることはなかった。試験中、88歳の患者1名が死亡したが、慎重な調査の結果、この死亡とボツリヌス毒素療法は無関係であることが明らかになった。
【0074】
結論として、本試験は、パラトニアによる硬直を有する患者にとって、関節可動域の維持により介護を容易にするボツリヌス毒素の投与が有益であることを示した。上記のランダム化、二重盲検、プラセボ対照試験では、介護者負担に対する臨床的にも統計的にも有意な効果が見出され、ボツリヌス毒素の使用によって、拘縮の発症の遅延または予防を通じてさらなる恩恵が得られるであろうことが予想される。したがって、パラトニアのボツリヌス毒素療法は、認知障害を有する要介護患者およびその介護者の健康に関連する生活の質を改善するものとして期待される。認知症による経済的負担および社会的負担が高まりつつある今日の状況において、上記の結果は有望である。
【国際調査報告】