(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5750808
(24)【登録日】2015年5月29日
(45)【発行日】2015年7月22日
(54)【発明の名称】生殖細胞の生着方法
(51)【国際特許分類】
C12N 5/075 20100101AFI20150702BHJP
C12N 5/076 20100101ALI20150702BHJP
【FI】
C12N5/00 202E
C12N5/00 202F
【請求項の数】5
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2012-506860(P2012-506860)
(86)(22)【出願日】2011年3月25日
(86)【国際出願番号】JP2011001762
(87)【国際公開番号】WO2011118225
(87)【国際公開日】20110929
【審査請求日】2014年2月18日
(31)【優先権主張番号】特願2010-70049(P2010-70049)
(32)【優先日】2010年3月25日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】504196300
【氏名又は名称】国立大学法人東京海洋大学
(74)【代理人】
【識別番号】100107984
【弁理士】
【氏名又は名称】廣田 雅紀
(74)【代理人】
【識別番号】100102255
【弁理士】
【氏名又は名称】小澤 誠次
(74)【代理人】
【識別番号】100120086
【弁理士】
【氏名又は名称】▲高▼津 一也
(72)【発明者】
【氏名】矢澤 良輔
(72)【発明者】
【氏名】竹内 裕
(72)【発明者】
【氏名】岩田 岳
(72)【発明者】
【氏名】吉崎 悟朗
【審査官】
大久保 智之
(56)【参考文献】
【文献】
特許第4300287(JP,B2)
【文献】
水産増殖,1989年,37, 4,267-274
【文献】
北海道電力株式会社総合研究所研究年報,2005年,36,80-89
【文献】
滋賀県水産試験場研究報告,2008年,52,27-31
【文献】
養殖,2008年,45, 10,16-18
【文献】
海洋深層水研究,2009年,10, 1,49-53
【文献】
Journal of National Fisheries University,1998年,46, 4,175-181
【文献】
J. Reprod. Dev.,2006年,52, 6,685-693
【文献】
science,2007年,317,1517, supporting online material
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 5/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS/WPIDS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯における最適生育温度の±3℃の範囲であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することを特徴とする分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法。
【請求項3】
分離生殖細胞が、分離生殖細胞の由来となる魚類の始原生殖細胞、精原細胞、或いは卵原細胞であることを特徴とする請求項1記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法。
【請求項4】
分離生殖細胞がマグロ類由来の分離生殖細胞であり、宿主魚類としてハガツオ類又はスマ類の魚類を用い、マグロ類由来の分離生殖細胞をハガツオ類又はスマ類の孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により該宿主魚類個体に移植し、該移植を受けた宿主魚類個体を、該分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する最適生育温度26℃の±3℃で飼育することを特徴とする請求項1記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法。
【請求項5】
マグロ類由来の分離生殖細胞が、クロマグロ由来の分離生殖細胞であり、ハガツオ類又はスマ類の宿主魚類が、ハガツオ又はスマであることを特徴とする請求項4記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法。
【請求項6】
宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯における最適生育温度の±3℃の範囲であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することを特徴とする分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導における分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上する方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、宿主魚類を用い、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類の分離生殖細胞を宿主魚類に移植して生殖細胞系列への分化誘導を行う代理親魚養殖等における分離生殖細胞の移植による生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植した分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上させ、移植効率を増大する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
従来より、魚類のES細胞株樹立の試みは、多くの研究者によりなされており、形態学的、生化学的特徴はマウス由来のES細胞に類似した細胞株がメダカ(蛋白質核酸酵素,40,2249-2256,1995;Fish Phys. Biochem. 22,165-170, 2000)、ゼブラフィッシュ(Methods Cell Biol. 59: 29-37, 1999)、及びヨーロッパヘダイ(Biomolecular Engineering, 15, 125-129, 1999)の胞胚細胞から樹立されている。これらの細胞を胞胚期前後の宿主胚に移植すると、移植細胞は種々の体細胞に分化することは既に確認されている。
【0003】
しかし、上記のように魚類のES細胞株樹立の試みは、多くの研究者によりなされているが、魚類ES様細胞が生殖細胞系列に分化し、次世代の作出に貢献したという論文は発表されていなかった。実際にはin vitroで数日間しか培養していない細胞は生殖系列にも分化するが(Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 98, 2261-2266, 2001)、培養期間を延長すると生殖細胞への分化能力は急激に消失する。
【0004】
一方で、魚類において、分離した細胞を宿主胚等に移植し、生殖系列に組込んで、個体作出に利用するという試みも報告されている。例えば、ニジマスにおける、分割球(Blastomere)の移植による生殖細胞系列キメラの作出について、FITC-dextranを導入されたニジマス卵由来の胚盤葉細胞を分散した後に取得し、該細胞を宿主胚に移植すると、移植され、ラベルされた細胞は、生殖系列に組み込まれ子孫がうまれたことが報告されている(Mol.Rep.Dev., VOl.59, p.380-389,2001)。この報告の方法の場合、キメラは限られた近縁種でないと作製できないという技術的問題がある。また、メダカにおいてメダカvasa遺伝子プロモーターにGFP遺伝子をつないだ遺伝子構築物を、発現ベクターに組み込み、卵に導入するトランスジェニックメダカの作製について報告されている。該報告には、トランスジェニックメダカで、GFPが腸間膜裏側のPGCに強く発現することが報告されている(Proc.Natl.Acad.Sci.USA, Vol.98, No.5, p.2544-2549, 2001)。
【0005】
更に、金魚とフナの間の胚葉移植によるgerm-line chimeraの作成方法において、フナ由来のprimordial germ cellsを金魚の胚、胚葉の中央部に移植すると、移植されたPGCは生殖隆起に移動し、更に生殖細胞を含めた種々の細胞に分化することが報告されている(Genetica, Vol.111, No.1-3, p.227-236, 2001)。これらの報告のものは、魚類から分離した細胞を、他の魚類に移植する方法に関するものではあるが、魚類から分離した生殖細胞を、他の魚類の宿主魚類個体に移植し、生殖腺内で分離生殖細胞を生殖細胞系列へ分化誘導するというような魚類の分離細胞の移植を報告するものではない。
【0006】
魚類の生殖細胞がどのような機構によって他の体細胞から分化してくるかは未だ明らかではないが、近年、親の卵巣内で成熟途上の卵内に蓄積されたRNAやタンパク質等の母性因子が、生殖細胞系列の決定に重要な役割を果たしている可能性を示唆するデータが示されている(月刊海洋,31-5,266-271,1999)。そして、これらの母性因子が受精卵中に不均一に存在するため、細胞分裂により一部の割球のみがこの因子を受け取ることとなる。その結果、母性因子を受け取った一部の細胞のみが、将来生殖細胞系列へと分化していくと考えられている。一方、ES細胞が生殖細胞系列に分化することが知られているマウスでは、未分化な状態を維持している細胞集団が、周辺細胞からの刺激により生殖細胞へと分化していくと考えられている(蛋白質核酸酵素,43,405-411,1998)。
【0007】
従来より、魚類のような脊椎動物においても、トランスジェニック動物やクローン動物の作製のための動物個体の改変やクローン化の試みがなされてきた。しかし、魚類のような脊椎動物の場合は、このように遺伝的に改変した、或いはクローン化を目的とした細胞を、宿主個体に移植し、これを分化誘導して、新たな個体として変換する技術が確立していなかった。したがって、魚類のような脊椎動物において、その個体を遺伝的に改変して、或いはクローン化して、その育種を行い或いはクローン動物の作製を行うためには、改変或いは分離した細胞を、宿主個体に移植し、これを分化誘導して、新たな個体として変換する技術の確立が重要な課題となっていた。
【0008】
そこで、先に、本発明者らは、特に魚類のような変温脊椎動物において、遺伝的に改変した或いは分離した細胞を、宿主個体に移植し、これを生殖細胞系列へ分化誘導する方法、及び、該分化誘導法を用いて、魚類のような脊椎動物の増殖或いは育種を行う方法について、鋭意検討する中で、(1)魚類のような脊椎動物においては、親の卵巣内で成熟途上の卵内に蓄積されたRNAやタンパク質等の母性因子が、生殖細胞系列の決定に重要な役割を果たしており、そして、これらの母性因子が受精卵中に不均一に存在するため、細胞分裂により一部の割球のみがこの因子を受け取ることとなり、その結果、母性因子を受け取った一部の細胞のみが、将来生殖細胞系列へと分化していくと考えられること、(2)このような生殖細胞系列の決定機構を考慮すると、魚類のような脊椎動物の場合は“生殖細胞への分化を決定する母性因子を含むこと”であること、(3)以上のような事実を考慮すると、魚類のような脊椎動物において、遺伝的に改変した或いは分離した細胞を、宿主個体に移植し、これを生殖細胞系列へ分化誘導する際に用いるべき細胞(すなわち、宿主個体に移植後、卵子又は精子に分化し、次世代個体に改変可能な細胞)は、未分化な胚細胞ではなく、将来生殖細胞に分化することが決定付けられている生殖細胞の幹細胞、すなわち始原生殖細胞(生殖細胞)であることをつきとめた。
【0009】
そして、該生殖細胞を、魚類のような脊椎動物の孵化前後の魚類個体に移植することにより、生殖細胞を、生殖細胞系列へ分化誘導することができること、即ち、魚類のような脊椎動物由来の分離生殖細胞を、宿主脊椎動物の孵化前後の魚類個体へ移植することにより、特に、孵化前後の発生段階にある魚類個体の腹腔内腸管膜裏側へ移植することにより、該生殖細胞を生殖細胞系列へ分化誘導することが可能であることを見い出し、魚類の分離生殖細胞(分離始原細胞)の生殖細胞系列への分化誘導方法の確立に成功した(特許第4300287号公報)。
【0010】
魚類においては精原細胞と考えられていた精巣内の細胞であっても、孵化前後の魚類個体へ移植することにより、始原生殖細胞と同様に生殖細胞系列へ分化誘導することができることが見い出された(Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 2725-2729, 2006)。この過程においては、移植された精原細胞は、孵化前後の雌の魚類個体へ移植することにより、卵細胞へと分化することから、性的可塑性を有していることが明らかになり、これにより当該方法は生殖細胞一般の移植技術として確立するようになった。
【0011】
また、これらの移植は必ずしも同種の魚類ではなく、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類でも成功するため、生殖細胞を異種の宿主魚類に移植することにより、宿主魚類から、宿主魚類とは異系統又は異種の生殖細胞由来の魚類を作出する、いわゆる代理親魚を用いた魚類の作出をすることもできるようになった。しかし、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類においては移植が成功しないことも多く、移植が成功するための条件についはまったく未知であった。特にマグロ類では難しく、養殖魚として重要な魚種でありながら、クロマグロの生殖細胞を用いた場合には、ニベ、マサバ、ゴマサバ、マアジ、ブリ、マダイなどいずれにおいてもこれまでのところ移植したクロマグロの生殖細胞が生着せず、移植に成功した魚類の報告はなかった。
【0012】
上記のような魚類の分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法を実施するに際しては、宿主魚類に導入した生殖細胞の生着率を向上させる必要がある。
従来、細胞の生着を促進する方法として、いくつかの方法が開示されている。例えば、特表2000−500327号公報には、精子を含む試料をアラビノース、ガラクトース、及び/又はヘキスロン酸を含有する多糖を含む溶液と接触させて、精子回収の際の精子の受精の可能性を高める方法について開示されている。また、特開平8−27011号公報には、IgA産生促進効果を有するビフィドバクテリウム属の菌体を有効成分とする妊娠動物用の胎児定着増強剤を用いて、胎児の発育異常と脱落防止を図り、胎児の定着を安定化する方法が開示されている。更に、特表2009−517078号公報には、骨髄移植(BMT)等において、細胞生着能を高めるために、細胞集団を、所定量のニコチンアミドで処理する方法について開示されている。しかしながら、これらの方法は、いずれも、上記のような、魚類の分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法における移植後の生殖細胞の宿主生殖腺への生着能の向上に適用できるものではない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0013】
【特許文献1】特開平8−27011号公報。
【特許文献2】特表2000−500327号公報。
【特許文献3】特表2009−517078号公報。
【特許文献4】特許第4300287号公報。
【非特許文献】
【0014】
【非特許文献1】蛋白質核酸酵素,40,2249-2256,1995。
【非特許文献2】Fish Phys. Biochem. 22,165-170, 2000。
【非特許文献3】Methods Cell Biol. 59: 29-37, 1999。
【非特許文献4】Biomolecular Engineering, 15, 125-129, 1999。
【非特許文献5】Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 98, 2261-2266, 2001。
【非特許文献6】Mol.Rep.Dev., VOl.59, p.380-389,2001。
【非特許文献7】Proc.Natl.Acad.Sci.USA, Vol.98, No.5, p.2544-2549, 2001。
【非特許文献8】Genetica, Vol.111, No.1-3, p.227-236, 2001。
【非特許文献9】月刊海洋,31-5,266-271,1999。
【非特許文献10】蛋白質核酸酵素,43,405-411,1998。
【非特許文献11】Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 2725-2729, 2006。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0015】
本発明の課題は、宿主魚類を用い、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類の分離生殖細胞を宿主魚類に移植して生殖細胞系列への分化誘導を行う代理親魚養殖等において、移植した分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能を向上させて、分離生殖細胞の移植による生殖細胞系列への分化誘導における移植効率を増大する方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0016】
本発明者らは、宿主魚類を用い、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類の分離生殖細胞を宿主魚類に移植して生殖細胞系列への分化誘導を行う代理親魚養殖等において、移植した分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能を向上させる方法について鋭意検討する中で、移植を受けた宿主魚類個体を飼育する温度が、移植された分離生殖細胞の宿主内の移動や、生着に関与するタンパク質因子の活性に影響を与え、かつ、宿主魚類自体の、移植による障害からの回復や、移植した生殖細胞の移動能力や分裂活性を維持する能力に影響を与え、これらの因子が移植した分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能に重大な影響を与えることを見出した。
【0017】
そして、生殖細胞を孵化前後の宿主魚類の腹腔内へ移植した後、移植を受けた宿主魚類を、生殖細胞の由来の魚類の生育温度、特に、産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯に近い温度帯で飼育することにより、移植された分離生殖細胞の宿主内の移動や、生着に関与するタンパク質因子の活性が保持され、なおかつ、宿主魚類の飼育温度を維持することにより、宿主魚類自体の、移植による障害からの回復や、移植した生殖細胞の移動能力や分裂活性等の生着に関与する環境が保持され、分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着率を大幅に増大することができることを見い出し、本発明を完成するに至った。
【0018】
すなわち、本発明は、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することを特徴とする分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法からなる。本発明において、分離生殖細胞としては、分離生殖細胞の由来となる魚類の始原生殖細胞、精原細胞、及び卵原細胞を挙げることができる。
【0019】
生殖細胞移植による代理親魚技術を成功させるためには、腹腔内に移植したドナー由来の生殖細胞が宿主の生殖腺へと自発的に移動し、そこに生着することが必須である。本発明により、生殖細胞が孵化前後の宿主魚類の腹腔内へ移植された後、生殖細胞由来の魚類の生育温度に近い温度帯で飼育することにより、細胞への傷害の影響を軽減し、細胞の移動の効率を高め、細胞分裂の活性を維持し、分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着率を大幅に増大することが可能であることが見い出された。
【0020】
移植の操作は宿主魚類個体の腹腔などに物理的に空隙を空けて移植すべき分離生殖細胞であるドナー細胞を打ち込むため、移植直後の宿主魚類個体は、腹腔内など移植を受けた場所に大きな傷害を持つことになる。この傷害は多くのタンパク質分解酵素などの誘導を通じて、移植された分離生殖細胞にも傷害を与えうる。また移植された分離生殖細胞には、宿主魚類ケモカインをはじめとする、生殖細胞の移動・生着に関与するタンパク質因子が本来の活性を保持できるため、移植された分離生殖細胞は本来あるべき温度帯において最も傷害から回復する修復する効率、移動する能力、分裂活性を維持する能力が高く、移植後においてもその温度帯に置かれることが細胞の傷害からの効率よく回復し、移動し、分裂活性を維持することができ、生着能を高めることができる。
【0021】
本発明においては、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯で飼育することが要件となるが、該飼育温度帯としては、特に、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度が採用される。該生育温度の採用によって、移植を受けた宿主魚類個体内で、移植した分離生殖細胞に、該分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する環境を与えることができる。宿主魚類の飼育可能温度帯は、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する最適生育温度の±3℃の範囲が望ましい。特に望ましくは、仔稚魚期に該当する最適生育温度の±1℃の範囲が採用される
【0022】
本発明においては、移植を受けた宿主魚類個体の飼育温度として、分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯の飼育温度が採用される。移植を受けた宿主魚類個体の飼育可能温度を採用することにより、宿主魚類自体の、移植による障害からの回復や、生殖細胞の移動能力や分裂活性等の移植した生殖細胞の生着に関与する環境が保持される。分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯と、宿主魚類の飼育可能温度帯の飼育温度との条件を満足するためには、移植する分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯に対応して、該生育温度帯に飼育可能温度帯のある宿主魚類を選定して、該生育温度で移植を受けた宿主魚類を飼育することにより達成することができる。
【0023】
すなわち、本発明の1つの態様として、分離生殖細胞として、クロマグロのようなマグロ類由来の分離生殖細胞を用い、宿主魚類としてハガツオ又はスマのようなハガツオ類又はスマ類の魚類を選定し、該マグロ類由来の分離生殖細胞を該ハガツオ類又はスマ類の孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により該宿主魚類個体に移植し、該移植を受けた宿主魚類個体を、該分離生殖細胞の由来となるマグロ類の産卵から仔稚魚期に該当する最適生育温度26℃の±3℃で飼育することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法を挙げることができる。
【0024】
また、本発明は、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導における分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上する方法を包含する。
【0025】
すなわち、具体的には本発明は(1)宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当す生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することを特徴とする分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法や、(2)宿主魚類の飼育可能温度帯が、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する最適生育温度の±3℃の範囲であることを特徴とする上記(1)記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法からなる。
【0026】
また本発明は、(3)分離生殖細胞が、分離生殖細胞の由来となる魚類の始原生殖細胞、精原細胞、或いは卵原細胞であることを特徴とする上記(1)又は(2)記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法や、(4)分離生殖細胞がマグロ類由来の分離生殖細胞であり、宿主魚類としてハガツオ類又はスマ類の魚類を用い、マグロ類由来の分離生殖細胞をハガツオ類又はスマ類の孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により該宿主魚類個体に移植し、該移植を受けた宿主魚類個体を、該分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する最適生育温度26℃の±3℃で飼育することを特徴とする上記(1)又は(2)記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法からなる。
【0027】
更に本発明は、(5)マグロ類由来の分離生殖細胞が、クロマグロ由来の分離生殖細胞であり、ハガツオ類又はスマ類の宿主魚類が、ハガツオ又はスマであることを特徴とする上記(4)記載の分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法からなる。
【0028】
また本発明は、(6)宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することを特徴とする分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導における分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上する方法からなる。
【発明の効果】
【0029】
本発明により、宿主魚類を用い、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類の分離生殖細胞を宿主魚類に移植して生殖細胞系列への分化誘導を行う代理親魚養殖等において、移植した分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能を向上させて、分離生殖細胞の移植による生殖細胞系列への分化誘導方法における移植効率を増大することができ、例えば、マグロ類由来の分離生殖細胞をハガツオ類をはじめとする宿主魚類に移植し、生殖細胞系列への分化誘導をすることができる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
【
図1】
図1は宿主腹腔内のドナー細胞の追跡を示した図である。
【
図2】
図2は共焦点顕微鏡によるドナー細胞の詳細な観察を示した図である。
【
図3】
図3はクロマグロvasaプローブによる in situ hybridizationを示した図である。
【発明を実施するための形態】
【0031】
本発明は、宿主魚類とは異系統又は異種の魚類由来の分離生殖細胞を、孵化前後の宿主魚類の腹腔内への移植により宿主魚類個体に移植することからなる分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法において、移植を受けた宿主魚類個体を、分離生殖細胞の由来となる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する生育温度帯であり、かつ、宿主魚類の飼育可能温度帯で飼育することによって、分離生殖細胞の宿主魚類生殖腺への生着能を向上した分離生殖細胞の生殖細胞系列への分化誘導方法からなる。
【0032】
本発明において、移植に用いられる魚類の分離生殖細胞としては、移植して生殖細胞系列へと分化する能力を持つ細胞であればいずれの細胞でも用いることができるが、始原生殖細胞、精原細胞、及び卵原細胞などが例示される。特に分化の活性が高い点では始原生殖細胞が好ましく、また、入手しやすく、数多く準備できるという点では精原細胞が好ましい。
【0033】
該分離生殖細胞の由来となる魚類としては、任意のものを選択することができるが、特に有用性のある魚類として、マグロ類を挙げることができる。マグロ類は、スズキ目 サバ亜目 サバ科 マグロ属の魚の総称であり、クロマグロ(Thunnus orientalis)、メバチマグロ、ミナミマグロ、キハダマグロ、ビンナガマグロ、タイセイヨウマグロ、コシナガを具体的に例示することができ、中でもクロマグロ(Thunnus orientalis)を好適に例示することができる。
【0034】
本発明において用いられる宿主魚類としては、ドナー細胞の移植に耐えて飼育できる孵化仔魚であればどのような魚類でも用いることは可能であるが、移植した分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能を向上させるためには、分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯で飼育することが可能である魚類を宿主として選択することができる。すなわち、分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度帯と同様な温度で産卵が行われ、同様の海域で仔稚魚期を過ごすことができる魚類であることが望ましい。
【0035】
例えば、クロマグロのようなマグロ類の分離生殖細胞を移植するには、宿主魚類として、ハガツオ類や、スマ類の魚を選択することができる。ハガツオ類は、スズキ目 サバ亜目 サバ科 ハガツオ属の魚の総称であり、ハガツオ(Sarda orientalis)、サバガツオ、シマガツオ、スジガツオ、ホウセン、モルディブ・フィッシュを具体的に例示することができ、中でもハガツオ(Sarda orientalis)を好適に例示することができる。また、スマ類は、スズキ目 サバ亜目 サバ科 スマ属の魚の総称であり、中でもスマ(Euthynnus affinis)を好適に例示することができる。
【0036】
クロマグロのようなマグロ類の分離生殖細胞を移植する場合について説明すると、クロマグロ由来の分離生殖細胞の宿主生殖腺への生着能を向上させるためには、クロマグロと同様に高水温域で産卵が行われ、同様の海域で仔稚魚期を過ごす魚類が好ましく、このような条件に合致する魚類として例えばサバ科ハガツオ属のハガツオやサバ科スマ属のスマを宿主として選択することが望ましい。通常、クロマグロは26℃で仔稚魚が生育するのに対して、ハガツオやスマでは25℃で飼育を行うことができる。一方、これまで成功しなかったニベ、マサバ、ゴマサバでは通常、20℃から22℃で飼育を行い、25℃から26℃では飼育することが難しい。
【0037】
本発明の、移植を受けた宿主魚類個体を飼育する温度は、分離生殖細胞の由来となる魚類の生育温度と近い温度帯で飼育する必要がある。魚類は水温に敏感であり、数度の温度差でも飼育することが格段に難しくなることがある。特に分離生殖細胞の修復する効率、移動する能力、分裂活性を維持する能力が高く、移植後においてもその温度帯に置かれることが細胞の傷害からの効率よく回復し、移動し、分裂活性を維持することができ、宿主魚類個体において生着能を高めるためには、分離生殖細胞が本来の発生の過程で生殖細胞系列へと分化する温度であるドナーとなる魚類の産卵から仔稚魚期に該当する温度と、移植を受けた宿主魚類個体を飼育する温度が近いことが望ましく、これらの温度差が±5℃以内であることが好ましいが、より好ましくは±3℃以内、更に好ましくは±1℃以内であることが望ましい。
【0038】
以下、実施例により本発明をより具体的に説明するが、本発明の技術的範囲はこれらの例示に限定されるものではない。
【実施例1】
【0039】
本研究では、葛西臨海水族園から譲渡されたハガツオ受精卵を25℃で飼育し、以後の実験に用いた。まず、移植適期を推定するため、全長4.0、5.2、6.8mm(3、5、7日齢)のハガツオ仔魚生殖腺の発達を組織学的に調べた。次に、クロマグロ精巣を酵素分散し、得られたドナー精巣細胞をPKH26により蛍光標識した後、ハガツオ、ニベ、マサバ、ゴマサバのそれぞれの仔魚腹腔内に移植した。移植後、ハガツオ(25℃)、スマ(25℃)、ニベ(22℃)、マサバ(22℃)、ゴマサバ(22℃)を飼育し、移植10日後に、移植個体の生残率、及び、宿主生殖腺内にドナー細胞が生着した個体の割合を調べた。結果を表1に示す。
【0040】
【表1】
【0041】
生着したドナー細胞が生殖細胞であるかを調べるため、細胞形態の観察を行った。結果を
図1及び
図2に示す。
図1において、中段左は微分干渉顕微鏡像を、中段右は蛍光顕微鏡像を示す。中段図中の点線は生殖腺を、中段右図中の三角矢印はPKH26により染色されるPKH+の細胞を、下段図中の三角矢印はその拡大図である。下段左は微分干渉顕微鏡像を、右は蛍光顕微鏡像を示す。
図2において、上段左は微分干渉顕微鏡像を、上段右はPKH26を観察するための蛍光顕微鏡像を、下段左はDAPIを観察するための蛍光顕微鏡像を、下段右はPKHの観察像とDAPIの観察像を重ねたものを示す。また、クロマグロ vasa プローブを用いて in situ hybridization によりドナー生殖細胞の検出を行った。結果を
図3に示す。
図3において、右側はPKH+の個体のうちの1つを、左側はPKH+の個体のうちのもう1つを観察したものである。上段は微分干渉顕微鏡像を、中段はPKH26を観察するための蛍光顕微鏡像を、下段はクロマグロ vasa プローブを用いた in situ hybridization による観察像を示す。
【0042】
全長5.2mm(5日齢)のハガツオ仔魚では、移動を完了した始原生殖細胞が生殖隆起に取り込まれる直前であったことから、この時期が移植適期であると推定された。クロマグロ精巣細胞を移植適期のハガツオ仔魚140個体に腹腔内移植したところ、移植10日後まで6個体(4.2%)が生残し、そのうち2個体(33.3%)でPKH26陽性細胞の宿主生殖腺内への生着が確認された。生着したドナー細胞は、生殖細胞に特徴的な大型で円形の核を有し、クロマグロvasa 陽性を示したことから、ドナー由来のクロマグロ生殖細胞であることが判明した。
【0043】
同様にして、スマでは、移植10日後まで104個体が生残し、そのうち20個体(19.2%)でPKH26陽性細胞の宿主生殖腺内への生着が確認された。このように、高水温で飼育可能なハガツオやスマの仔魚を宿主として用いることで、クロマグロ精原細胞を宿主生殖腺へ生着させることが可能となった。以上の結果より、ハガツオやスマがクロマグロ生産用代理親魚の有力候補であることが示唆された。
【産業上の利用可能性】
【0044】
本発明によれば、これまで宿主魚類とは異系統又は異種の魚類においては移植が成功しないマグロ類などの魚類において、代理親魚を用いて、その増殖や育種が可能となり、マグロのような巨大な種の生殖細胞を小型の魚類に移植することで、小型水槽でマグロのような巨大な魚類の種苗生産が可能となる。