(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
観察対象に荷電粒子線を照射することで得られる信号を検出して前記観察対象の画像を取得する試料観察装置での観察に適した状態に前記観察対象を前処理する試料作製装置において、
前記観察対象をイオン液体を含む溶液に浸漬させる浸漬手段と、
前記イオン液体を含む溶液の浸透圧と前記観察対象の内部の浸透圧と拮抗させた状態で、前記イオン液体を含む溶液を乾燥させることで、前記溶液中のイオン液体の濃度を上昇させる乾燥手段とを備えることを特徴とする試料作製装置。
【背景技術】
【0002】
カイアシ、ケンミジンコ、ミジンコ、ヨコエビ、オキアミ、アミ、クーマ、カブトエビなどの微小甲殻類や、大型甲殻類のノープリウス、キプリス、ゾエア、ミンス幼生、その他、ワムシやアメーバなどの動物プランクトン、藍藻、緑藻、薄鞭毛藻類などの植物プランクトンなどの微小水生生物を調査・研究するためには、顕微鏡下での形態観察が必須である。特に、微小甲殻類や、大型甲殻類の幼生の分類法においては、付属肢と呼ばれる微細な脚の形態観察が重要視されている。甲殻類の付属肢は複雑に絡み合っているため、詳細な観察を行うためには、個々の付属肢を分離・解剖する必要がある。従来、甲殻類の付属肢の分離・解剖は光学顕微鏡下で実施されてきたが、光学顕微鏡下では解剖器具の操作が難しく、解剖には熟練した技術が必要であった。
【0003】
電子顕微鏡は焦点深度が深く、生物の立体的な形状の観察に適しており、電子顕微鏡の試料室内で操作可能なプローブも存在している。しかしながら、微小水生生物を水中から取り出し、大気中に暴露すると原形を留めないほどに、乾燥、収縮してしまう。特に、微小甲殻類や大型甲殻類の幼生は、エタノール、グルタールアルデヒド、ホルマリンなどを用いて固定した場合であっても乾燥、収縮による変形が生じる。電子顕微鏡で水生生物の観察を行う場合には、水や封入剤中から水生生物を取り出し、さらには真空環境下に持ち込む必要があるため、試料前処理なしで電子顕微鏡観察を行うことは困難であった。
【0004】
この問題を解決するために、電子顕微鏡用の試料前処理方法の開発が行われてきた。代表的な例が、低真空雰囲気中(1.3〜270Pa)でマイナス数十度から室温付近まで試料温度の制御が可能な低真空クライオステージを使用して、生体軟組織の形態破壊を防止する手法である。例えば、非特許文献1では、上記手法を用いて、アサガオ葉原基の低温観察に成功している。
【0005】
一方、電子顕微鏡下で液体中の微細試料を観察および制御する手法として、イオン液体を用いる手法が開発されている。特許文献1では、真空中でも蒸発しないイオン液体の特性を利用し、生体試料を原形のまま電子顕微鏡下で観察できることが記載されている。特に、イオン液体で水分を含む試料を浸漬しその後真空下で水分を除去する方法、およびアルコール等の溶媒で希釈されたイオン液体を試料に塗布しその後真空下で溶媒を除去する方法が記載されている。
【0006】
この発明以後、イオン液体を用いた生物試料の観察方法が進められてきた。例えば、非特許文献2ではオスミウム酸による蒸気固定を行った寒天培地で培養した抗酸菌のコロニーにイオン液体を滴下し、抗酸菌のコロニーの本来の構造と思われる像が得られたことが報告されている。
【0007】
特許文献2では、特定のイオン液体を用いてイオン液体の生体試料への浸透性への浸透性を高める点が開示されている。実施例としてワカメ、ほうれん草の茎、綿布、毛髪、マウスの骨、赤血球、ミュータンス菌の観察例が示されている。また、このイオン液体を水などの極性溶媒に溶かし液状媒体とし、この液状媒体を試料に含浸、塗布、噴霧する方法が記載されている。
【発明を実施するための形態】
【0017】
まず、従来技術における課題をより詳細に説明する。
【0018】
凍結後の常温真空乾燥を利用する従来の手法である非特許文献1では、関節などの柔軟性が失われ、脚や、その他の可動部を動かすことが困難になってしまう問題があった。このため、電子顕微鏡の試料室内に設置したプローブなどで水生生物の解剖を試みた場合、乾燥した水生生物が破損する恐れがあった。
【0019】
特許文献1では、イオン液体が真空中でも蒸発しないことを利用し、生体試料を原形のまま電子顕微鏡下で観察できることが示されているが、浸透圧の変化に弱い水生生物に直接的にイオン液体を塗布、またはイオン液体中に水生生物を投入すると、浸透圧差により水生生物内の水分が失われ、イオン液体中であっても、水生生物が干からびてしまう問題があった。また、アルコール等の溶媒で希釈されたイオン液体を試料に塗布する方法についても記載されているが、溶媒を真空下で除去しているため、真空中で溶媒が突沸する可能性がある。
【0020】
非特許文献2ではオスミウム酸による蒸気固定後に、寒天培地で培養した抗酸菌のコロニーにイオン液体を滴下し、良好な結果を得ている。しかしながら、微小甲殻類などの水生生物は、抗酸菌などの微生物よりも、はるかに大型であるため、イオン液体と生物体内の浸透圧差による脱水・破壊効果が無視できないほど大きくなる問題がある。また、オスミウム酸の蒸気は毒性が高く、安全性の問題もある。オスミウム酸の蒸気固定法以外のグルタールアルデヒドによる化学固定においても、浸透圧差による破壊強度に対抗できるほどの機械的強度を得ることは難しい。
【0021】
特許文献2では、ワカメ、ほうれん草の茎、綿布、毛髪、マウスの骨、赤血球、ミュータンス菌の観察例を示したが、水生生物の観察例は示していない。特許文献2に示されているような生体組織は多孔質であり、溶媒は速やかに試料内部に浸透する。一方で、微小甲殻類等の殻(外骨格)をもつ水生生物の形状を非破壊で観察するためには、当然のことながら非破壊の外骨格を通してイオン液体を固体全体に浸透させる必要があり、生体組織と比較すると、浸漬や乾燥に時間がかかる。また、水生生物の外骨格がイオン液体をはじく場合もあるので、微小甲殻類等の水生生物を強制的にイオン液体の中に沈めなければならない場合がある。このため、水生生物をイオン液体水溶液を用いて観察する手法は、解剖済の生物組織や遊離細胞にイオン液体を浸透させる手法とは、根本的に異なる手段を発明する必要がある。
【0022】
また、特許文献2には、イオン液体を水などの極性溶媒に溶かし液状媒体とし、この液状媒体を試料に含浸、塗布、噴霧する方法が記載されているが、溶媒の除去方法については開示されていない。
【0023】
本発明では、最初に濃度の低いイオン液体(2〜10%)に水生生物を投入し、イオン液体の濃度を連続的に高めることで、水生生物の生体時の形状を保持したまま、水生生物内の水分を濃度の濃いイオン液体水溶液に置換する。これによって、水生生物内外の浸透圧差を軽減し、生物試料内部からの脱水を防止でき、イオン液体水溶液中に浸した水生生物の自然な形態を壊さずに、かつ外骨格および関節部の柔軟性を保持することを実現することができる。特に、自然乾燥による緩慢としたイオン液体水溶液の濃度上昇を利用することで、水生生物内外の浸透圧差を軽減し、水生生物内部のイオン液体濃度を緩やかに高めることを実現する。
【0024】
以下、図面を用いて本願発明の各実施例について説明する。
【0025】
なお、以下の実施例では走査電子顕微鏡(SEM)を例にあげて説明するが、本発明はこれに限定されるものではない。本発明は走査透過電子顕微鏡(STEM)やイオン顕微鏡、その他の荷電粒子線を用いた試料観察装置等による観察に適用可能である。
【0026】
また、以下では、試料または観察対象として、水生生物を例に挙げて説明しているが、本発明はこれに限定されるものではない。本発明は、特に、浸透圧の変化や乾燥に弱い観察対象に対して有効である。観察対象としては、例えば、カイアシ、ケンミジンコ、ミジンコ、ヨコエビ、オキアミ、アミ、クーマ、カブトエビなどの微小甲殻類や、大型甲殻類のノープリウス、キプリス、ゾエア、ミンス幼生、その他、ワムシやアメーバなどの動物プランクトン、藍藻、緑藻、薄鞭毛藻類などの植物プランクトンなどの微小水生生物、吸水性樹脂、寒天、ゼラチン、コンニャクなどの浸透圧の変化に弱い観察対象、線虫、ミミズ、ギョウチュウなどのように常圧環境でも乾燥により変形が生じる観察対象、昆虫、ダニ、クモなどのように常圧下では乾燥に抵抗があるものの、真空環境下では変形が生じる観察対象が考えられる。
【実施例1】
【0027】
図1には、本実施例の電子顕微鏡の試料室側面図を示す。本実施例の電子顕微鏡は走査電子顕微鏡であり、図示しないが、電子線を発生する電子銃、電子線を集束するレンズ系と電子線が試料上を走査するように偏向する偏向器とを含む電子光学系、電子光学系を制御する制御部、検出器からの信号に基づいて資料の画像を生成する画像生成部、撮像した画像を表示するディスプレイ等の表示部、走査電子顕微鏡の各機能を操作するマウスや操作卓等の操作部、電子源や電子光学系を内部に有するカラムを真空排気する真空ポンプを含むものとする。この真空ポンプによって試料室を低真空または高真空に排気しても良いし、別の真空ポンプによって試料室を排気しても良いが、通常、電子顕微鏡の試料室は真空状態に保たれているので、試料は真空状態の下で観察される。なお、上記の制御部、画像生成部は、専用の回路基板によってハードとして構成されていてもよいし、電子顕微鏡に接続されたコンピュータで実行されるプログラムによって構成されてもよい。
【0028】
試料室内部は電子顕微鏡の対物レンズ1、電子顕微鏡の対物レンズ1からイオン液体水溶液を含浸させた試料2に照射される電子ビーム3、イオン液体水溶液を含浸させた試料2からの反射電子信号4を検出する反射電子検出器5、イオン液体水溶液を含浸させた試料2からの二次電子信号6を検出する二次電子検出器7から構成される。試料に電子ビームを照射することで得られる信号である二次電子、反射電子等を総称して二次粒子ということもある。イオン液体水溶液を含浸させた試料2は、電子顕微鏡用の試料台8の上に乗せてある。試料台の材質はアルミニウムが一般的であるが、試料台上の余分なイオン液体を除去する効果を得るために、吸水性の材質、例えばカーボン製試料台を使用することも可能である。
【0029】
本実施例では、海洋の主要な水生生物であるヨコエビを試料として、イオン液体水溶液を含浸させた水生生物を観察対象の試料として観察する手法を説明する。ここでの実施例の形態はヨコエビに限定されず、節足動物、プランクトン、培養細胞を代表とする水生生物の観察、浸透圧の変化に弱いその他の試料に適応可能である。本実施例で使用するヨコエビは体長3mm以下であり、濃度90%以上のエタノール溶液中に1〜4ヶ月間保存していたものであるが、採取直後の試料を用いてもかまわない。
【0030】
図2は、本発明の実施形態により、ヨコエビの電子顕微鏡画像を得る手順を示した説明図である。最初にエタノール溶液中に保存していたヨコエビを、水中に入れ、エタノールを水で置換する。このとき、エタノール溶液中では半透明であったヨコエビの体色が、水で置換されたのちには不透明、白色に変化する。本実施例ではヨコエビを水に浸した時間は80分であったが、体色の変化が確認されれば、もっと短い時間でも良い。次に水中からヨコエビを引き上げ、電子顕微鏡用の試料台に乗せ、余分な水分を濾紙などで吸引する。以上のステップは採取直後のヨコエビを使う場合など、試料の内部に予め水が含まれている場合には省略可能である。
【0031】
余分な水分を吸い取った後、試料が乾燥する前に手早く少量のイオン液体水溶液をピペット等で滴下する。
図3はこの状態を示した説明図である。
図3では、内部を済み図で置換されたヨコエビ10が試料台8に載せられている。その上からピペット11によってイオン液体水溶液9を滴下する。滴下直後には、ヨコエビ10の内部は水で含浸されているのでヨコエビの体色は不透明または白のままである。
【0032】
ヨコエビの場合、最適なイオン液体水溶液の濃度は2〜5%であったが、この濃度は生物の種類の違い、または素材、組成、浸透圧の違いによって異なる。ただし、浸透圧の変化による試料の破壊または収縮を抑制するという観点から、イオン液体水溶液におけるイオン液体の濃度は10%以下であること望ましい。本実施例では20mlのイオン液体水溶液を用いたが、水生生物がイオン液体水溶液中に浸されれば、これより多くても、少なくてもよい。イオン液体は親水性の性質を有するものが望ましく、本実施例ではC
8H
15N
2BF
4の化学式を有するイオン液体を使用した。また、イオン液体溶液の溶媒として水を用いる例を示したが、その他の溶媒でも良い。溶媒としては、水のほか、例えばエタノール、メタノール、アセトン、ヘキサン、エーテル、ホルムアルデヒドを含むホルマリンが考えられる。
【0033】
ヨコエビにイオン液体水溶液を滴下した後に2時間以上、風乾を実施する。なお、以下でいう風乾とは、大気圧下で一定時間放置することで自然に溶媒を蒸発させる(自然乾燥)方法をいう。また、意図的に風をあてて乾燥を速めてもよいし、湿度を調整したデシケーター内に放置したり、過熱を行って乾燥を速めてもよい。このように以下でいう風乾および自然乾燥とは、温度または湿度を制御した状態も含むものとする。温度や湿度を制御すると溶媒が乾燥する速度を制御することができる。
【0034】
すなわち、イオン液体水溶液の浸透圧と観察対象の内部の浸透圧と拮抗させた状態でイオン液体水溶液を乾燥させることで、溶液中のイオン液体の濃度を上昇させるような溶媒除去方法であればよい。本実施例の乾燥方法によれば、溶液中のイオン液体の濃度は連続的にかつ緩やかに上昇することとなる。また、本実施例の方法では、イオン液体水溶液に試料を浸漬させながら同時に溶媒を蒸発させるので、イオン液体水溶液の浸透圧と観察対象の内部の浸透圧と拮抗させた状態を保つことができる。
【0035】
初期溶液である低濃度(約2〜10%)のイオン液体から自然乾燥を利用して、ゆるやかに濃度を上昇させることにより、浸透圧差による試料破壊を防ぎつつ、かつ真空中でも乾燥破壊が生じない濃度まで濃度を高めることができる。
【0036】
また、濃度の異なる複数のイオン液体溶液を用意して、順に試料を漬け込む溶液の濃度を高くして置換してもよいが、自然乾燥を利用するほうがはるかに簡便である。
【0037】
図4は、
図3の状態から4時間経過した状態を図示した説明図である。イオン液体水溶液は、風乾によって徐々に量が減少し、最終的にヨコエビの一部が露出することもある。風乾によって濃縮されたイオン液体水溶液12の浸透圧と平衡状態を保つように、ヨコエビ13の内部はさらに濃度の高い状態となる。イオン液体水溶液がヨコエビの体内に浸透にするにつれて、ヨコエビの体色は白色から透明に変化する。これによってヨコエビの体内にイオン液体が含浸したことを判断できる。また、上述の体色変化による方法で予め標準的な試料の内部にイオン液体が含浸する時間を測定しておいて、実際に観察に用いる試料に含浸されたか否かは浸漬時間によって判断しても良い。なお、イオン液体が観察対象に含浸したかの判断はこれに限られることなく、例えば観察対象の重量から判断しても良い。
【0038】
イオン液体水溶液を滴下し、風乾を開始してから、概ね2〜3時間の間はイオン液体水溶液の量が減少を続けるが、それ以後はイオン液体水溶液の量の変化がなくなり、風乾が完了する。ただし、風乾時間は気候条件および、イオン液体水溶液の滴下量によって左右される。このとき、イオン液体水溶液と、ヨコエビ内部の浸透圧が等しくなっているため、試料の破壊は起こらず、一昼夜以上放置しても形態は維持される。
【0039】
風乾が完了した後に、余分なイオン液体水溶液を、濾紙などの紙、あるいはガーゼ等のふき取り部材14で吸引する。
図5に示すように、先端部を細くしたふき取り部材14をヨコエビに接触させることで、脚の周囲などの細かな部位に付着したイオン液体水溶液を除去することが可能である。このとき濾紙やペーパーウエス(キムワイプ(登録商標)など)などの紙、あるいはガーゼ等に、水や親水性の溶液を、予め染み込ませておくことで、脚と脚の間などの細かな場所に付着したイオン液体水溶液を吸着することが可能である。これは試料表面に乾燥により粘性が増したイオン液体水溶液が、濾紙やペーパーウエスなどの紙、あるいはガーゼ等に含ませた水や親水性の溶液に接触することで、粘性が下がり、紙やペーパーウエスなどの紙、あるいはガーゼ等に吸収されやすくなるためである。イオン液体水溶液を除去しにくい場合には、濃度の低いイオン液体水溶液や水で洗浄することも可能である。また、吸水性の材質、例えばカーボン製試料台にヨコエビを移し替えれば、余分なイオン液体水溶液を除去する効果が、さらに高くなる。
【0040】
余分なイオン液体を除去した後に電子顕微鏡で観察を実施する。観察に用いる電子顕微鏡は走査電子顕微鏡(SEM)であることが望ましい。
図6は、本実施例の手法を用いて、ヨコエビを電子顕微鏡で撮影した画像15である。浸透圧の変化に弱いヨコエビの形態を変化、損傷させることなく電子顕微鏡で撮影できることを示している。
【0041】
ヨコエビ表面のイオン液体水溶液も除去できているため、
図6では、触覚の毛16などの細かな構造も、イオン液体水溶液に覆われることなく観察できている。イオン液体水溶液に置換したヨコエビは、真空環境下に置かれた後においても柔軟性を保っていることから、一回目の電子顕微鏡観察後に、ヨコエビを裏返しにして、裏面の観察を行うことや、さらには脚などの関節を動かした後に、再度、電子顕微鏡で観察することが可能である。
図7は、このようにして、1回目の電子顕微鏡観察後、裏返しにして、再度、電子顕微鏡で観察したヨコエビの画像17である。
図6と同一検体であり、
図6で観察されている反対側が
図7である。ただし、
図7中の脚18については、
図6の状態から脚の関節を動かしたため、脚の向きが変化している。
【0042】
図7に示したように、イオン液体水溶液で置換したヨコエビは電子顕微鏡用の試料台から簡単に取り外すことが可能であるが、極少量のイオン液体水溶液によって、試料台に吸着しているため、電子顕微鏡用の試料台を傾斜させても滑り落ちることなく、安定して観察可能である。
図8は実際に試料台を45°傾斜させて、イオン液体水溶液で置換したヨコエビを観察した電子顕微鏡画像19である。
【0043】
参考として
図9に本実施例の方法を用いないで、ヨコエビを観察した例を示す。左図はイオン液体を用いずにヨコエビを観察した電子顕微鏡画像20であり、右図は左図の中央四画枠内の脚を拡大した電子顕微画像21である。
図9に示した例は、イオン液体を用いる点以外は本実施例と同じ条件で観察したものである。本実施例を用いずに、電子顕微鏡で常温のヨコエビを観察すると、試料が乾燥してしまい、干からびてしまっていることが明らかに分かる。特に、符号21で示された画像から分かるように脚に関しては乾燥による変形、破壊が著しい。
【0044】
なお、以上に説明した試料作製方法は、試料作製装置によって、自動的に、またはユーザの指示・操作により行われてもよい。このような試料作製装置は前処理装置と呼ばれることもある。試料作製装置により、本実施例の方法を行う場合には、当該装置は少なくとも、観察対象をイオン液体を含む溶液に浸漬させる浸漬手段と、イオン液体を含む溶液の浸透圧と観察対象の内部の浸透圧と拮抗させた状態で、イオン液体を含む溶液を乾燥させることで、溶液中のイオン液体の濃度を上昇させる乾燥手段とを備える。ここで浸漬手段は、例えばマイクロピペットのようにイオン液体を含む溶液を少量採取し、観察対象に滴下するものであってもよい。また、乾燥手段は、大気圧下で観察対象を入れておく試料室であってもよいし、温度や湿度を制御できるデシケーター等であってもよい。また、予め乾燥に要する時間が決まっている場合には、試料作製装置に備えられたタイマーによって乾燥時間が管理されてもよい。
【0045】
さらに、試料作製装置が乾燥手段で乾燥中の前記観察対象を観察可能な光学顕微鏡を備えることにより、乾燥によるイオン液体の減少程度や、イオン液体によって観察対象が収縮したり変形したりしていないかを確認することができる。また、上述のように、観察対象の色の変化からイオン液体が含浸したことを判断する場合に有効である。
【0046】
さらに、上述の実施例では、乾燥後に残ったイオン液体を含む溶液を、濾紙などの紙、あるいはガーゼ等のふき取り部材14で吸引したが、試料作製装置に、同様のふき取り部材を取り付け、乾燥手段での乾燥後に残ったイオン液体を含む溶液を除去する手段とすることができる。
【0047】
また、試料作製装置に、観察対象の重量変化から前記イオン液体を含む溶液の乾燥の進行具合を検知する手段を備えることで、イオン液体が観察対象に含浸したかの判断に利用することができる。
【実施例2】
【0048】
本実施例では、海洋の主要な水生生物であるカイアシ(ケンミジンコ類)を試料として、イオン液体水溶液を含浸させた水生生物を観察する手法、およびイオン液体水溶液を含浸させた水生生物を用いて光学顕微鏡用プレパラートを作成する手法について説明する。なお、以下において、実施例1と同様の部分については説明を省略する。本実施例で使用するカイアシは体長2mm以下であり、濃度90%以上のエタノール溶液中に1ヶ月間保存していたものであるが、採取直後の試料を用いてもかまわない。
【0049】
最初にエタノール溶液中に保存していたカイアシを、水中に入れ、エタノールを水で置換する。このとき、エタノール溶液中では半透明であったカイアシの体色が、水で置換されたのちには不透明、白色に変化する。本実施例ではカイアシを水に浸した時間は80分であったが、体色の変化が確認されれば、もっと短い時間でも良い。次に水中からカイアシを引き上げ、電子顕微鏡用の試料台に乗せ、余分な水分を濾紙などで吸引する。以上のステップは採取直後のヨコエビを使う場合など、試料の内部に予め水が含まれている場合には省略可能である。
【0050】
余分な水分を吸い取った後、試料が乾燥する前に手早く少量のイオン液体水溶液をピペット等で滴下するが、その手法は
図3と同じである。カイアシの場合、最適なイオン液体水溶液の濃度は10%であったが、この濃度は生物の種類の違い、または素材、組成、浸透圧の違いによって異なる。本実施例では20mlのイオン液体水溶液を用いたが、水生生物がイオン液体水溶液中に浸されれば、これより多くても、少なくてもよい。イオン液体は親水性の性質を有するものが望ましく、本実施例ではC
8H
15N
2BF
4の化学式を有するイオン液体を使用した。また、イオン液体溶液の溶媒として水を用いる例を示したが、その他の溶媒でも良い。溶媒としては、水のほか、例えばエタノール、メタノール、アセトン、ヘキサン、エーテル、ホルムアルデヒドを含むホルマリンが考えられる。
【0051】
カイアシにイオン液体水溶液を滴下した後に2時間以上、風乾を実施する。風乾とは、実施例1と同様、イオン液体水溶液の浸透圧と観察対象の内部の浸透圧と拮抗させた状態でイオン液体水溶液を乾燥させることで、連続的に前記溶液中のイオン液体の濃度を上昇させるような溶媒除去方法を広く意味するものとする。イオン液体水溶液は、風乾によって徐々に量が減少し、最終的にカイアシの一部が露出することもある。イオン液体水溶液がカイアシの体内に浸透にするにつれて、カイアシの体色は白色から透明に変化する。これによってヨコエビの体内にイオン液体が含浸したことを判断できる。また、上述の体色変化による方法で予め標準的な試料の内部にイオン液体が含浸する時間を測定しておいて、実際に観察に用いる試料に含浸されたか否かは浸漬時間によって判断しても良い。イオン液体水溶液を滴下し、風乾を開始してから、概ね2〜3時間の間はイオン液体水溶液の量が減少を続けるが、それ以後はイオン液体水溶液の量の変化がなくなり、風乾が完了する。ただし、風乾時間は気候条件および、イオン液体水溶液の滴下量によって左右される。このとき、イオン液体水溶液と、カイアシ内部の浸透圧が等しくなっているため、試料の破壊は起こらず、一昼夜以上放置しても形態は維持される。
【0052】
風乾が完了した後に、余分なイオン液体水溶液を、濾紙やペーパーウエスなどの紙、あるいはガーゼ等のふき取り部材で吸引する。その手法は
図5と同じである。このとき濾紙やキムワイプなどの紙、あるいはガーゼ等に、水や親水性の溶液を、予め染み込ませておくことで、脚と脚の間などの細かな場所に付着したイオン液体水溶液を吸着することが可能である。これは試料表面の乾燥により粘性が増したイオン液体水溶液が、濾紙やペーパーウエスなどの紙、あるいはガーゼ等に含ませた水や親水性の溶液に接触することで、粘性が下がり、紙やペーパーウエスなどの紙、あるいはガーゼ等に吸収されやすくなるためである。イオン液体水溶液を除去しにくい場合には、濃度の低いイオン液体水溶液や水で洗浄することも可能である。また、吸水性の材質、例えばカーボン製試料台にカイアシを移し替えれば、余分なイオン液体水溶液を除去する効果が、さらに高くなる。
【0053】
余分なイオン液体を除去した後に電子顕微鏡で観察を実施する。観察に用いる電子顕微鏡は走査電子顕微鏡(SEM)であることが望ましい。SEMの基本構成は実施例1で説明したとおりである。
図10は、本実施例の手法を用いて、カイアシを電子顕微鏡で撮影した画像であり、浸透圧の変化に弱いカイアシの形態を変化、損傷させることなく電子顕微鏡で撮影できることを示している。
図10の電子顕微鏡画像22は、試料台を45°傾斜させて撮影したものであり、傾斜観察が可能であることも、この説明図より明らかである。
【0054】
参考として
図11に本実施例の方法を用いないで、カイアシを観察した例を示す。
図11に示した例は、イオン液体を用いる点以外は本実施例と同じ条件で観察したものである。
図11の電子顕微鏡画像23から、カイアシは極めて乾燥に弱く、常温、常圧において著しく変形していることがわかる。本実施例を用いずに、常温で乾燥させたカイアシを観察することは不可能である。
【0055】
一般的に、カイアシの観察は光学顕微鏡下で行われている。本実施例のような観察試料作成方法によれば、極少量のイオン液体水溶液によって、試料台に吸着しているため、試料をカーボンテープや、カーボンペーストなどの接着剤で試料台に固着する必要がない。したがって、電子顕微鏡観察および解剖後に、電子顕微鏡用の専用試料台から試料を取り外し、試料となる水生生物を水やその他の封入剤で封入し、光学顕微鏡用プレパラートを作成することが可能である。電子顕微鏡でカイアシを観察したのちに、電子顕微鏡観察後のイオン液体水溶液で置換したカイアシを水やカナダバルサムなどの封入剤で封じることによって、光学顕微鏡下で観察することが可能である。
【0056】
従来の凍結乾燥法などで処理を行ったカイアシは、カイアシ内部に空洞が生じており、この空洞まで水やカナダバルサムを侵入させることは難しく、気泡が生じてしまう問題があった。本実施例の手法のように、水生生物の内部がイオン液体水溶液に満たされている状態であれば、カイアシ内部に空洞が生じないために、光学顕微鏡用プレパラートを作成しても水生生物内部に気泡が生じる恐れが少ない。
【0057】
なお、本実施例での試料作製方法も、実施例1で記載した試料作製装置によって実行されてもよい。さらに、試料作製装置に、イオン液体を含浸した観察対象に対して封入剤を滴下して、上述のように光学顕微鏡用プレパラートを作製する光学顕微鏡用試料作成手段を備えても良い。
【実施例3】
【0058】
微小甲殻類や、大型甲殻類の幼生の分類法においては、付属肢と呼ばれる微細な脚の形態観察が重要視されている。甲殻類の付属肢は複雑に絡み合っているため、詳細な観察を行うためには、個々の付属肢を分離・解剖する必要がある。従来、甲殻類の付属肢の分離・解剖は光学顕微鏡下で実施されてきたが、光学顕微鏡下では解剖器具の操作が難しく、解剖には熟練した技術が必要であった。本実施例では、この問題点を解決するために、電子顕微鏡下で甲殻類を解剖する方法を説明する。なお、以下において、実施例1と同様の部分については説明を省略する。
【0059】
図12は、イオン液体水溶液を含浸させることで柔軟性を得た水生生物を、電子顕微鏡の試料室内に設置したプローブを用いて、電子顕微鏡観察下で解剖することを示した説明図である。
図12において、イオン液体水溶液を含浸させることで、柔軟性を得た水生生物24は、実施例1あるいは実施例2で示した処理を行った試料である。電子顕微鏡の試料室内に設置したプローブ25は、電子顕微鏡観察を行いながら操作できることが望ましい。電子線による画像取得中に試料の操作を行うことで試料の動画像が得られ、試料の動的な状態を視覚的に認識することができる。
【0060】
水生生物24の向きが、解剖の実施に適していない場合、プローブ25を用いて水生生物24を転がすように回転させる。水生生物を転がしたときの状態は、
図7と同様である。
図12の説明図中、電子顕微鏡用の試料台8は、必要に応じて傾斜することが可能である。
【0061】
水生生物24の向きを整えたのち、プローブ25を用いて付属肢の関節を動かす、あるいは付属肢の切り離しなどの解剖を行う。このとき電子顕微鏡試料室内にプローブが2本以上設置されていれば、この操作が容易になる。したがって、電子顕微鏡試料室内のプローブの本数は2本以上であることが望ましい。電子顕微鏡の試料室内に設置したプローブにより解剖された水生生物の脚26はプローブ25によって切り離されたものである。
【0062】
本実施例のように、水生生物中の水または他の溶液を、イオン液体水溶液に置換して電子顕微鏡で観察する手法は、電子顕微鏡内の高真空環境においても、関節などの柔軟性を失わず、脚や、その他の可動部を動かすことができる効果がある。このため、電子顕微鏡観察後、あるいは電子顕微鏡観察中に、電子顕微鏡試料室内に設置したプローブなどを使用して、水生生物の脚や、その他の可動部を動かしつつ、観察することが可能となる効果がある。さらに、試料となる水生生物の解剖も可能になる。
【0063】
解剖された水生生物の脚はイオン液体水溶液で置換されているので、導電性を有する。したがって、チャージアップ現象に伴う破片の飛散、および破片の飛散による電子顕微鏡室内の汚染を軽減することが可能である。また、イオン液体水溶液で置換された水生生物は柔軟性を保持しているため、試料を破壊することなく、付属肢を曲げるなどの操作が可能である。
【0064】
解剖した試料は、そのまま電子顕微鏡で観察を行うが、必要に応じて、その他の分析機器、例えば光学顕微鏡で再観察してもよい。この場合は実施例2で説明した方法のように封入剤で光学顕微鏡用プレパラートを作成しても良い。生物顕微鏡で観察を行う場合、光学顕微鏡用のスライドガラス、あるいはカバーガラス上で上記の処理を行うことも可能である。一般にガラスは絶縁物であり、チャージアップ現象が生じるが、ガラス表面にイオン液体を薄く塗布することで導電性を付加することも可能である。
【0065】
なお、本発明は上記した実施例に限定されるものではなく、様々な変形例が含まれる。例えば、上記した実施例は本発明を分かりやすく説明するために詳細に説明したものであり、必ずしも説明した全ての構成を備えるものに限定されるものではない。また、ある実施例の構成の一部を他の実施例の構成に置き換えることが可能であり、また、ある実施例の構成に他の実施例の構成を加えることも可能である。また、各実施例の構成の一部について、他の構成の追加・削除・置換をすることが可能である。