(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5815946
(24)【登録日】2015年10月2日
(45)【発行日】2015年11月17日
(54)【発明の名称】鋼の焼入方法
(51)【国際特許分類】
C21D 6/00 20060101AFI20151029BHJP
C22C 38/00 20060101ALI20151029BHJP
C22C 38/52 20060101ALI20151029BHJP
【FI】
C21D6/00 L
C22C38/00 301H
C22C38/00 302E
C22C38/52
【請求項の数】4
【全頁数】11
(21)【出願番号】特願2010-544046(P2010-544046)
(86)(22)【出願日】2009年12月21日
(86)【国際出願番号】JP2009071217
(87)【国際公開番号】WO2010074017
(87)【国際公開日】20100701
【審査請求日】2012年10月1日
【審判番号】不服2014-9216(P2014-9216/J1)
【審判請求日】2014年5月19日
(31)【優先権主張番号】特願2008-329088(P2008-329088)
(32)【優先日】2008年12月25日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000005083
【氏名又は名称】日立金属株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】110000855
【氏名又は名称】特許業務法人浅村特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】片岡 公太
(72)【発明者】
【氏名】中津 英司
(72)【発明者】
【氏名】長澤 政幸
【合議体】
【審判長】
木村 孔一
【審判官】
鈴木 正紀
【審判官】
松嶋 秀忠
(56)【参考文献】
【文献】
特開平11−350034(JP,A)
【文献】
特開2008−95181(JP,A)
【文献】
特開平4−308059(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C21D 6/00- 6/04,
C22C 38/00-38/60
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.32〜0.45%、Si:0.01〜0.8%未満、Mn:0.1〜0.8%、Ni:0〜0.8%未満、Cr:4.5〜5.6%、MoおよびWは単独または複合で(Mo+1/2W):2.0〜3.5%、V:0.5〜1.0%、Co:0〜2.0%、残部Feおよび不可避的不純物からなる熱間工具鋼の焼入方法において、
1020〜1070℃の焼入温度から530℃の基準温度までの高温域を45分以内の速い冷却速度で急冷し、前記基準温度から150℃までの低温域を60分以上となる遅い冷却速度で冷却し、前記基準温度の上下各20℃の温度域において前記高温域と前記低温域の冷却速度を調整するための等温保持を行うことを特徴とする鋼の焼入方法。
【請求項2】
質量%で、熱間工具鋼の(Mo+1/2W)を2.5%超とすることを特徴とする請求項1に記載の鋼の焼入方法。
【請求項3】
前記基準温度から150℃までを250分以内の冷却速度で冷却することを特徴とする請求項1または2に記載の鋼の焼入方法。
【請求項4】
前記基準温度から150℃までを80分以上となる遅い冷却速度で冷却することを特徴とする請求項1ないし3のいずれかに記載の鋼の焼入方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、プレス金型や鍛造金型、ダイカスト金型、押出工具といった多種の熱間工具に最適な、高い靭性を有する熱間工具鋼を得るための焼入方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
熱間工具は、高温の被加工材や硬質な被加工材と接触しながら使用されるため、熱疲労や衝撃に耐えうる強度と靭性を兼ね備えている必要がある。そのため、従来熱間工具の分野には、例えばJIS鋼種であるSKD61系の熱間工具鋼が用いられていた。そして最近では、熱間工具を使用して製造される製品の製造時間の短縮や、その複雑形状への成形のためには被加工材が高温化してきていること、そして製品の複数同時加工に伴って金型等の熱間工具も大型化してきていることなどから、熱間工具材料には、更なる高い高温強度と、大型サイズでも内部まで高い靭性を確保できることが求められている。
【0003】
そこで、熱間工具鋼の高温強度と靭性を改善するためには、SKD61を基本成分として、さらに焼戻し時の2次硬化に寄与する炭化物を形成する元素を増加させたり、焼入性を高める元素を増加・添加したりして高性能化した改良鋼種が開発されている(特許文献1、2参照)。
【0004】
また、熱間工具鋼の靭性を改善することを目的として、焼入冷却時の熱伝達係数を徐々に高めて冷却し、ベイナイト組織およびマルテンサイト組織を微細にする等の、焼入冷却速度を調整した手法が提案されている(特許文献3〜5参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特許第3191008号公報
【特許文献2】特開2008−095181号公報
【特許文献3】特開2008−088532号公報
【特許文献4】特開2006−342377号公報
【特許文献5】特開2005−171305号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献3、4の焼入方法は、SKD61などのベイナイト変態、中でも特に上部ベイナイトのような粗い組織が生じやすい基本鋼種に対してこそ、その基地組織を微細にできる点や、パーライト組織の抑制ができる点で優れる。また、耐摩耗性を向上すべくWやMoを高めたSKD61の類似鋼に対しても、結晶粒内組織を微細化する特許文献5の焼入方法は、その靱性の維持に有効である。しかし、上述の特許文献1や2に示すような、更に多くの炭化物形成元素を含む改良鋼種に対しては、その靱性改善の作用効果は確実には発揮され難い。
【0007】
つまり、上記の改良鋼種は、元来、焼入性が高く、
図1の連続冷却変態線図(CCT曲線)に示すようにベイナイト変態がSKD61に比べて低温、長時間側へ移行していることから、SKD61ほど低温域での冷却速度を速める必要はない。むしろ問題は、焼入温度から500℃程度までの間の高温域であって、その冷却中に粒界炭化物が析出および成長しやすく、それらが靭性へおよぼす影響が極めて大きい。よって、SKD61を対象とした特許文献3などの焼入手法を、改良鋼種に適用したとしても、その高温域での冷却速度の検討が不十分であることから、靱性の改善が確実に期待し難い。靭性が低いと、高温強度などの他の特性が優れていたとしても、熱間工具には利用できなくなることも多い。
【0008】
そこで本発明の目的は、特許文献1や2に提案されるような、炭化物形成元素を多く含み、高温強度に優れた熱間工具鋼においてこそ、より確実に優れた靭性を達成できる焼入方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者が鋭意研究を行った結果、SKD61とは異なった、上記特定の組成範囲を有した鋼の靭性には、焼入冷却時の粒界炭化物の析出および成長度合いこそが大きく影響することをつきとめた。そして、そのときの機構を解明したことで、最適な焼入条件を明確にでき、本発明に到達した。
【0010】
すなわち本発明は、質量%で、C:0.32〜0.45%、Si:0.01〜0.8%未満、Mn:0.1〜0.8%、Ni:0〜0.8%未満、Cr:4.5〜5.6%、MoおよびWは単独または複合で(Mo+1/2W):2.0〜3.5%、V:0.5〜1.0%、Co:0〜2.0%、残部Feおよび不可避的不純物からなる熱間工具鋼の焼入方法において、
1020〜1070℃の焼入温度から530℃までを80分以内の速い速度で急冷することを特徴とする鋼の焼入方法である。好ましくは、45分以内の速い速度である。熱間工具鋼の(Mo+1/2W)は2.5%超であることが望ましい。
【0011】
そして好ましくは、上述の焼入方法に加えて、1020〜1070℃の焼入温度から530℃までを上記記載の速い速度で急冷した後には、続く150℃までの冷却は60分以上となる遅い速度で冷却する鋼の焼入方法である。このとき、250分以下の速度で冷却することが望ましい。
【発明の効果】
【0012】
本発明によれば、炭化物形成元素を多く含み、高温強度に優れた熱間工具鋼に、非常に高いレベルの靱性を具備させることができる。よって、多種熱間の用途・環境に適用が可能な熱間工具鋼の実用化にとって有効な技術となる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
【
図1】SKD61および本発明の対象とする改良鋼種のCCT曲線と、焼入冷却曲線との関係を示す概念図ある。
【
図2】本発明の対象とする改良鋼種のCCT曲線と、本発明例および比較例の焼入冷却曲線との関係を示す概念図である。
【
図3】本発明の対象とする改良鋼種のCCT曲線と、本発明例の焼入冷却曲線との関係を示す概念図である。
【
図4】本発明の対象とする改良鋼種のCCT曲線と、本発明例および比較例の焼入冷却曲線との関係を示す概念図である。
【
図5】本発明の対象とする改良鋼種(鋼A)に、本発明例および比較例の焼入方法を適用したときの、その焼戻し後の靱性を評価する図である。
【
図6】本発明の対象とする改良鋼種(鋼B)に、本発明例の焼入方法を適用したときの、その焼戻し後の靱性を評価する図である。
【
図7】本発明の対象とする改良鋼種(鋼C)に、本発明例および比較例の焼入方法を適用したときの、その焼戻し後の靱性を評価する図である。
【
図8】本発明の対象とする改良鋼種(鋼D)に、本発明例および比較例の焼入方法を適用したときの、その焼戻し後の靱性を評価する図である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
上述したように、本発明の特徴の1つは、今回の焼入対象とすべき鋼種を、その焼入冷却時に粒界析出が起こりやすく、靭性の低下が著しくなる成分組成を有したものに限定したことにある。すなわち、焼入方法によって靭性に大きな影響を受ける鋼種について、後述の条件が特定された焼入方法を適用すれば、靭性を高いレベルで具備でき、高温強度に代表される、その他の優れた特性を存分に発揮できるようになる。以下、本発明に供される、狭組成域で構成される鋼の成分限定の理由について述べる。
【0015】
Cは、一部が基地中に固溶して強度を付与し、一部は炭化物を形成することで耐摩耗性や耐焼付き性を高める、熱間工具鋼には重要な必須元素である。また、固溶した侵入型原子であるCは、CrなどのCと親和性の大きい置換型原子と共添加した場合、I(侵入型原子)−S(置換型原子)効果;溶質原子の引きずり抵抗として作用し高強度化する効果も期待される。ただし、含有量が0.32質量%未満では工具部材として十分な硬さ、耐摩耗性を確保できなくなる。他方、過度の添加は靭性や熱間強度の低下を招くため上限を0.45質量%(以下、単に%で記す)とする。好ましくは0.34%以上および/または0.42%以下である。さらに好ましくは0.40%以下である。
【0016】
Siは、製鋼時の脱酸剤であるとともに被削性を高める元素である。これらの効果を得るためには0.01%以上の添加が必要であるが、多過ぎるとベイナイト組織を発達させて靭性を低下させる。また、焼入冷却時のベイナイト組織中ではセメンタイト系の炭化物の析出を抑制することにより、間接的に焼戻し時の合金炭化物の析出・凝集・粗大化を促進して高温強度を低下させる。よって、0.8%未満とする。好ましくは0.1%以上および/または0.6%以下である。
【0017】
Mnは、焼入性を高め、フェライトの生成を抑制し、適度の焼入れ焼戻し硬さを得る効果がある。また、非金属介在物MnSとして組織中に存在すれば、被削性の向上に大きな効果がある。これらの効果を得るためには0.1%以上の添加が必要であるが、多過ぎると基地の粘さを上げて被削性を低下させるので0.8%以下とする。好ましくは0.3%以上および/または0.7%以下である。
【0018】
Niは、フェライトの生成を抑制する元素である。また、C、Cr、Mn、Mo、Wなどとともに本発明鋼に優れた焼入性を付与し、緩やかな焼入冷却速度の場合にもベイナイト組織の生成を抑制する効果がある。よって、マルテンサイト主体の組織を形成させ、靭性の低下を防ぐためには有効である。さらに、基地の本質的な靭性改善効果を与えることから、添加の好ましい元素である。Niの添加は任意であるが、多過ぎると基地の粘さを上げて被削性を低下させたり、高温強度を低下させたりするので、0.8%未満とする必要がある。好ましくは0.5%以下である。
【0019】
Crは、焼入性を高め、また、炭化物を形成して基地の強化や耐摩耗性を向上させる効果を有する元素である。そして、焼戻し軟化抵抗および高温強度の向上にも寄与する、本発明の熱間工具鋼には必須の元素である。これらの効果を得るため4.5%以上を添加する必要がある。ただし、過度の添加は返って焼入性や高温強度の低下を招くため、上限を5.6%とする。好ましくは4.9%以上および/または5.4%以下である。
【0020】
MoおよびWは、焼入性を高めるとともに、焼戻しにより微細炭化物を析出させて強度を付与し、軟化抵抗を向上させるために、単独または複合で添加できる。このとき、WはMoの約2倍の原子量であることから、これらの添加量は(Mo+1/2W)で規定することができる。そして、前記した効果を得るためには(Mo+1/2W)で2.0%以上の添加が必要である。多過ぎると被削性の低下や、後述の粒界炭化物の析出・成長の促進および量の増加による靭性の低下を招くので、(Mo+1/2W)で3.5%以下とする。好ましくは(Mo+1/2W)で2.2%以上および/または3.0%以下である。そして、炭化物形成元素を多く含んだ熱間工具鋼を対象とすることに意味がある点では、上記のCrに同様、(Mo+1/2W)の下限も2.5%超に限定すること、さらには2.6%以上に限定することが望ましい。
【0021】
Vは、炭化物を形成し、基地の強化や耐摩耗性を向上させる効果を有する。また、焼戻し軟化抵抗を高めるとともに結晶粒の粗大化を抑制し、靭性の向上に寄与する。この効果を得るためには0.5%以上を添加する必要があるが、多過ぎると、MoやWと同様、被削性や靭性の低下を招くので1.0%以下とする。好ましくは0.55%以上および/または0.85%以下である。
【0022】
Coは、工具使用中の昇温時に極めて緻密で密着性の良い保護酸化被膜を形成する。これにより、相手材との間の金属接触を防いで、金型表面の温度上昇を防ぐとともに優れた耐摩耗性をもたらすため、添加の好ましい元素である。Coの添加は任意であるが、多過ぎると靭性を低下させるので上限を2.0%以下とする。好ましくは、1.0%以下である。
【0023】
不可避的不純物としては、残留する可能性のある主な元素は、P、S、Cu、Al、Ca、Mg、O、N等である。本発明の作用効果を最大限に達成するためには、これらはできるだけ低い方が望ましいが、一方では、介在物の形態制御や、その他の機械的特性、あるいは製造効率の向上などの、付加的な作用効果を得る目的のもとでは、多少の含有および/または添加することもできる。この場合、P≦0.03%、S≦0.01%、Cu≦0.25%、Al≦0.025%、Ca≦0.01%、Mg≦0.01%、O≦0.01%、N≦0.03%であれば、本発明の焼入方法で得られる熱間工具鋼の靭性には特に大きな影響を及ぼさないと考えられるので、この範囲であれば許容でき、好ましい規制上限である。
【0024】
そして、本発明の最大の特徴こそが、上述の成分組成の改良鋼に固有の熱処理特性に応じて見いだされた、該改良鋼のための焼入方法である。つまり、従来のSKD61とは成分組成の異なる上記の改良鋼にとっては、その靭性に影響を及ぼす「焼入組織的要因」もSKD61とは異なる。だからこそ、その焼入組織的要因を研究することで、本発明の成分範囲鋼(以下、改良鋼とも記す)に対して、最適な焼入方法を特定することが必要であった。すなわちそれが、上記の成分組成を満たす熱間工具鋼を、1020〜1070℃の焼入温度から530℃までを80分以内の速い速度で急冷することを特徴とする鋼の焼入方法である。好ましくは60分以内、さらには45分以内である。そして、この速い速度で急冷した後には、続く150℃までの冷却は60分以上となる遅い速度で冷却することが好ましい焼入方法である。より好ましくは80分以上である。
【0025】
熱間工具鋼を焼入れする場合、10mm角程度の小ブロックサイズで油焼入れするのであれば、それはマルテンサイトの単一組織が得られ、靭性はその鋼の最も高いレベルを示すであろう。しかし、実用鋼となれば、焼入れする鋼のサイズが大きくなるなどによって焼入冷却速度は遅くなるとともに、その焼入温度から通常600℃程度までの高温域ではオーステナイト粒界に炭化物が析出および成長し、通常500℃程度以下の低温域ではベイナイト組織が形成され、靭性のレベルが低下する。これについては、本発明の対象とする特別な改良鋼であっても、その
図1のCCT曲線の通り、同様である。よって、本発明の焼入方法は、その冷却管理を高温域と低温域に別けて行うものとした。
【0026】
そして上記に従っては、その高温域および低温域の具体的な冷却条件を検討することになるが、本発明の作用効果を最大かつ再現性よく達成するためには、その条件は簡便であって、取扱いが容易であることが望ましい。つまり、冷却中に通過する“一点”の温度を基準とした冷却速度の管理にあっては、その基準温度を境界とした上下冷却域の個々で必要な冷却条件は制御が容易なものに設定できる「最適な基準温度」の特定である。そして、本発明の改良鋼の場合、この基準温度が530℃である。
【0027】
そして、焼入性や高温強度を高めるために合金元素量をSKD61よりも高めている本発明の改良鋼は、高温域での粒界炭化物の析出・成長が速くかつ多くなり、靭性低下に及ぼす影響が大きい(前出の
図1を参照)。よって、該改良鋼を焼入れの対象とする本発明においては、1020〜1070℃の焼入温度から530℃までの高温域こそを速い速度で急冷しなくてはならない。それが具体的には80分以内の速い速度である。好ましくは60分以内、そして45分以内、さらに好ましくは30分以内の速い速度で急冷するものとする。
【0028】
次に、本発明の改良鋼は530℃以下の低温域ではマルテンサイト変態やベイナイト変態が生じる。よって、高温域では上記した本発明の速い冷却速度のままで、これらの変態域に突入すると、素材表面側と内部で大きな温度差が生じて、変態が生じるタイミングも素材表面側と内部で大きくずれることとなり、結果、大きな応力が発生して変形や割れの原因となる場合がある。また、上述の改良鋼は、焼入性に優れ、靭性を大きく低下させるような粗いベイナイト組織は形成され難い成分設計となっているため、低温域では極端に速い冷却速度は必要としない。
【0029】
したがって、上述の高温域を速い速度で急冷した後には、それ以降の冷却は、上述の問題が発生し難い遅い速度で冷却することが好ましい。そして、このときの冷却は、マルテンサイト変態やベイナイト変態がほぼ完了して素材内外での変態時期のずれによる大きな応力発生の問題が解消される150℃までであれば十分である。具体的には530℃から150℃までの冷却に要する時間が60分以上の遅い冷却速度である。より好ましくは80分以上である。
【0030】
しかしそれであっても、冷却速度が遅すぎると、粗いベイナイト組織が形成される懸念があるので、低温域の冷却時間の上限も決めておくことが望ましい。この場合、530℃から150℃までの冷却に要する時間が250分となる速度より速ければ、靭性を大きく低下させるような粗いベイナイト組織形成の懸念防止に有効である。
【0031】
本発明では、例えば上記の基準温度および、該基準温度を挟んだ上下各20℃の温度域においては、その高温域から低温域に亘る冷却過程で冷却速度を調整するための「等温保持」が許容される。この際の等温保持温度や時間等の条件は、本発明の冷却条件そのものによる作用効果に極力影響を及ぼさない範囲(つまり、焼入対象鋼にとっては相変態の起こり難い範囲)で設定することが望ましい。等温保持時間は、本発明の各冷却に要した時間には加えない。
【実施例】
【0032】
表1に、今回の実施例で用いた熱間工具鋼の化学成分を示す。つまり、表1の熱間工具鋼は、いずれも本発明の成分範囲内にある“公知の”改良鋼であって、本発明の焼入方法による靱性向上効果を評価するには最適な試料である。これら試料(鋼A〜D)のCCT曲線は
図2の通りである。
【0033】
【表1】
【0034】
これらの素材には、鋼Aは40トン、鋼Bは15トンのアーク溶解炉で一次溶解して造塊した電極を、エレクトロスラグ再溶解して製造した鋼塊を準備した。そして、この鋼塊に1200℃以上の所定の温度で均質化熱処理を施した後、熱間鍛造と焼なまし処理を繰り返しておよそ150mm厚さ×500mm幅の鋼材とした。そして、860℃で焼なまし処理した後に、鍛造後の厚さ方向が試験片の長手方向となるよう、その鋼材からシャルピー衝撃試験片サイズよりも一辺が約1mm大きいサイズの試験片粗加工材を採取して、これに1030℃の焼入処理を行った。
【0035】
鋼C、Dの素材には、真空誘導溶解炉にて10kgずつ溶解して製造した鋼塊を準備した。そして、この鋼塊に1200℃以上の所定の温度で均質化熱処理を施した後、熱間鍛造することで30mm厚さ×60mm幅の鋼材とした。そして、860℃で焼なまし処理した後に、鍛造後の幅方向が試験片の長手方向となるよう、その鋼材からシャルピー衝撃試験片サイズよりも一辺が約1mm大きいサイズの試験片粗加工材を採取して、これに1030℃の焼入処理を行った。
【0036】
上記の焼入れは、表2に示す方法で行った。焼入冷媒には所定の圧力の窒素ガス、大気から選択して用いた(いずれの焼入冷媒も約30℃の室温環境であった)。本発明例3〜5においては、その高温域と低温域の冷却速度を調整するために、530℃で1時間前後の等温保持を行った(焼入冷却曲線は
図3の通り)。鋼A〜Dにとって該温度は相変態の起こらない温度域(CCT曲線図における入り江)であるため、表2の各冷却に要した時間には加えない。
【0037】
【表2】
【0038】
実際の焼入作業においては、その焼入中にある対象物の温度変化は、焼入温度と焼入冷媒温度を必須因子とした下式で定義される自然放冷曲線におおむね従い、極端に遅い場合を除いて等速冷却にはならない。そこで、本発明では下式の自然放冷曲線を基にして、焼入温度から530℃までを冷却するために必要な時間を、半冷時間とも呼んで冷却速度を区別する。例えば半冷時間が40分の時は、単に半冷40分と呼ぶ。
【0039】
自然放冷曲線の式
T=(Te−Tr)×exp(−t/C)+Tr
ここで、Te;初期温度(焼入温度)、Tr;焼入冷媒の温度、
t;時間、C;定数、T;時間tにおける温度
【0040】
図3の焼入方法については、本発明例3を例に挙げて詳細に説明しておく。まず試験片を、1030℃から530℃までを半冷5分程度で急冷した後、これを530℃の炉で35分間等温保持した(本発明例4は約65分間保持、本発明例5は約85分間保持)。そして、この保持以降の冷却域(すなわち、ベイナイト変態域)は、大気中で、半冷時間が40分となる自然放冷曲線に従った遅い速度(つまり、
図2に示す「半冷40分程度」の焼入冷却曲線)で冷却した。
【0041】
一方、
図4の焼入方法の詳細を本発明例6を例に挙げて説明すると、それは1030℃から530℃までは半冷時間が40分の自然放冷曲線に従った速度で冷却して、それ以降の低温域は、加圧ガスにより、半冷時間が5分程度になる自然放冷曲線に従った速度で急冷した。
【0042】
次に、上記の焼入処理した試験片粗加工材を種々の温度で焼戻し処理して、40〜50HRCの狙い硬さに調質した。そして、鋼A、Bについては、その鍛造後の鋼材における幅方向にシャルピー試験片のノッチ方向が一致するようにし(すなわち、ASTM E399−90におけるS−T方向)、また鋼C、Dについては、同長さ方向にシャルピー試験片のノッチ方向が一致するようにして(すなわち、同T−L方向)、2mmUノッチシャルピー衝撃試験片を加工作製した。
【0043】
本発明例および比較例の、室温(22〜26℃)でのシャルピー衝撃試験結果を、鋼毎に別けて、
図5(鋼A)、
図6(鋼B)、
図7(鋼C)および
図8(鋼D)に示す。本発明の焼入対象とする、炭化物形成元素を多く含んだ改良鋼にとっては、その高温域においての粒界析出を抑えるように焼入れした本発明例の衝撃値は、高温域を本発明の範囲から外れるほど遅く冷却した比較例の衝撃値と比べて、かなり高いことがわかる。
【産業上の利用可能性】
【0044】
本発明の焼入方法であれば、炭化物形成元素を多く含んだ熱間工具鋼の靭性を高位維持させることができる。よって、プレス金型や鍛造金型、ダイカスト金型、押出工具といった多種の熱間工具への適用はもちろんのこと、使用温度域が高く、さらなる高温強度が要求される大型の熱間工具であっても、その内部にまで高い靭性を付与することが可能である。