特許第5904369号(P5904369)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許5904369精子保存液、精子保存方法及び人工授精方法
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5904369
(24)【登録日】2016年3月25日
(45)【発行日】2016年4月13日
(54)【発明の名称】精子保存液、精子保存方法及び人工授精方法
(51)【国際特許分類】
   C12N 1/04 20060101AFI20160331BHJP
   A01K 67/02 20060101ALI20160331BHJP
【FI】
   C12N1/04
   A01K67/02
【請求項の数】9
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2012-287668(P2012-287668)
(22)【出願日】2012年12月28日
(65)【公開番号】特開2014-128219(P2014-128219A)
(43)【公開日】2014年7月10日
【審査請求日】2014年6月3日
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成22年度、独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構、生物系特定産業技術研究支援センター「イノベーション創出基礎的研究推進事業」に係る委託研究、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】504136568
【氏名又は名称】国立大学法人広島大学
(73)【特許権者】
【識別番号】591224788
【氏名又は名称】大分県
(74)【代理人】
【識別番号】100095407
【弁理士】
【氏名又は名称】木村 満
(74)【代理人】
【識別番号】100138955
【弁理士】
【氏名又は名称】末次 渉
(74)【代理人】
【識別番号】100109449
【弁理士】
【氏名又は名称】毛受 隆典
(72)【発明者】
【氏名】島田 昌之
(72)【発明者】
【氏名】岡崎 哲司
【審査官】 大久保 智之
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第2008/007463(WO,A1)
【文献】 特表2009−528372(JP,A)
【文献】 特開平11−098935(JP,A)
【文献】 日本畜産学会報 ,1979年,50, 10,740-746
【文献】 J. Vet. Med. Sci.,2011年10月14日,74, 3,351-354,published online in J-STAGE 14 Octocer 2011
【文献】 宮崎大学農学部研究報告 ,1976年,22, 2,163-169
【文献】 Animal reproduction science,1996年,41,193-199
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N 1/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
ブタ精子を10〜25℃の液状で保存する精子保存液において、
嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有
前記糖がラクトースであり、
グルコースを更に含有し、
前記ラクトースと前記グルコースとの配合割合がモル比で8:2〜5:5である、
ことを特徴とする精子保存液。
【請求項2】
乳酸及び/又はグリシンを含有する、
ことを特徴とする請求項1に記載の精子保存液。
【請求項3】
前記乳酸を4.5mM〜10mM含有する、
ことを特徴とする請求項に記載の精子保存液。
【請求項4】
前記グリシンを0.5mM以上含有する、
ことを特徴とする請求項に記載の精子保存液。
【請求項5】
請求項1乃至のいずれか一項に記載の精子保存液とブタ精子とを混合し、10℃〜25℃で保存する、
ことを特徴とする精子保存方法。
【請求項6】
前記ブタ精子を1×10〜1×10sperm/mlの割合で混合する、
ことを特徴とする請求項に記載の精子保存方法。
【請求項7】
ブタ精液から精漿を除去した前記ブタ精子を用いる、
ことを特徴とする請求項又はに記載の精子保存方法。
【請求項8】
請求項1乃至のいずれか一項に記載の精子保存液とブタ精子とを混合して調製した人工精液をブタの子宮内に注入して人工授精を行う、
ことを特徴とする人工授精方法。
【請求項9】
ブタ精液から精漿を除去した前記ブタ精子を用いる、
ことを特徴とする請求項に記載の人工授精方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ブタの人工授精に用いる精子保存液、精子保存方法及び人工授精方法に関する。
【背景技術】
【0002】
日本において、ブタの年間生産頭数は1,600万頭程度であり、その出荷額は5,000億円程度と畜産全体の約21%を占めている。産子数を増やし、かつ、母豚の空胎期間を縮小させることが養豚業の生産性向上にとって重要となる。しかし、いまだに自然交配による種付けが生産者当たりで約70%、生産頭数あたりでも凡そ30%を占めている。このため、種雄ブタの飼育に伴うコスト高、肉質改善などの育種改良の停滞などの問題があり、繁殖技術の向上が望まれている。
【0003】
このような状況下、近年では、液状精液を用いた人工授精の普及が図られている。各県の試験場や民間の種畜場では、人工授精用の液状精液を販売している。
【0004】
液状精液に用いられる保存液として、例えば、特許文献1に開示されている保存液等があり、採精された精液を保存液に添加して得られた人工精液が養豚業者へ運ばれ、人工授精に利用されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2000−247801号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
特許文献1の保存液を利用した場合でも、良好な精液では5日以上の保存(利用)が可能な場合もあるが、3日以内に著しく運動性が低下する個体も多く認められている。また、液状精液の輸送中の劣化も問題となっていることから、安定的に精液を液状保存できる保存液の開発が望まれている。
【0007】
本発明は上記事項に鑑みてなされたものであり、その目的は、長期間ブタ精子を液状で保存しても、精子の運動性及び受精能を維持させ得る精子保存液、精子保存方法及び人工授精方法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明の第1の態様に係る精子保存液は、
ブタ精子を10〜25℃の液状で保存する精子保存液において、
嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有
前記糖がラクトースであり、
グルコースを更に含有し、
前記ラクトースと前記グルコースとの配合割合がモル比で8:2〜5:5である、
ことを特徴とする。
【0012】
また、乳酸及び/又はグリシンを含有することが好ましい。
【0013】
また、前記乳酸を4.5mM〜10mM含有することが好ましい。
【0014】
また、前記グリシンを0.5mM以上含有することが好ましい。
【0015】
本発明の第2の態様に係る精子保存方法は、
本発明の第1の態様に係る精子保存液とブタ精子とを混合し、10℃〜25℃で保存する、
ことを特徴とする。
【0016】
また、前記ブタ精子を1×10〜1×10sperm/mlの割合で混合することが好ましい。
【0017】
また、ブタ精液から精漿を除去した前記ブタ精子を用いてもよい。
【0018】
本発明の第3の態様に係る人工授精方法は、
本発明の第1の態様に係る精子保存液とブタ精子とを混合して調製した人工精液をブタの子宮内に注入して人工授精を行う、
ことを特徴とする。
【0019】
また、ブタ精液から精漿を除去した前記ブタ精子を用いてもよい。
【発明の効果】
【0020】
本発明に係るブタ精子保存液では、嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有しており、ブタ精子の酸素呼吸が亢進され、長期間保存後においても精子の運動性及び受精能を維持させることができる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
図1】ブタ精漿添加培地で培養したマウス精子の運動性を示すグラフである。
図2】ブタ精漿の各分子量分画がマウス精子の運動性に及ぼす影響を示すグラフである。
図3】ブタ精漿添加培地で培養したマウス精子のATP含有量を示すグラフである。
図4】ブタ精漿のメタボローム解析を示す図である。
図5】ブタ精漿中の乳酸含有量と精子運動性との関係を示すグラフである。
図6】乳酸又はグリシンを含有する精子保存液で保存したブタ精子の運動性を示すグラフである。
図7】ブタ精子を乳酸又はグリシンを含有する精子保存液で保存した際の精子保存液中の酸素濃度を示すグラフである。
図8】ラクトースとグルコースの配合比率が異なる精子保存液で保存したブタ精子の運動性を示すグラフである。
図9】ラクトースとグルコースの配合比率が異なる精子保存液で保存したブタ精子の直進運動速度を示すグラフである。
図10】種々の嫌気的解糖系の非基質である糖を含有する精子保存液で保存したブタ精子の運動性を示すグラフである。
図11】種々の嫌気的解糖系の非基質である糖を含有する精子保存液で保存したブタ精子の直進運動速度を示すグラフである。
図12図12(A)は培養直後、図12(B)は7日培養後における精子のミトコンドリアの膜電位の解析結果を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
実施の形態1に係る精子保存液は、ブタ精子を液状で保存する精子保存液であって、嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有する。
【0023】
嫌気的解糖系の非基質となる糖とは、嫌気条件ではピルビン酸などの有機酸に分解されず、エネルギー産生の栄養源にならない糖をいう。嫌気的解糖系の非基質となる糖として、例えば、ラクトース、ガラクトース、スクロース等が挙げられる。なかでも、後述の実施例及びコストの面から、ラクトースであることが好ましい。
【0024】
一般的な保存液では、グルコースが添加されている。グルコースは精子の栄養源として機能し、細胞質における嫌気的解糖系で分解されて、一過的にATP生産を促進させてしまう。そして、その後、ATPの生産量が減少に転じてしまい、精子の運動性が低下していく。したがって、長期保存後ではブタ精子の運動性、受精能を担保できない。
【0025】
一方で、グルコースを除去すると浸透圧が低下してしまうことから、本実施の形態に係る精子保存液では、浸透圧調整のために添加される糖類として、嫌気的解糖系の非基質であるラクトース等の糖を含有している。嫌気的解糖系におけるATP生産から、ミトコンドリアにおける酸素呼吸によるATP生産へと転換される。これにより、酸素濃度依存的に、長期間に渡り一定量のATPが継続的に産生される。したがって、ブタ精子の運動性及び受精能が長期間に渡って担保される。
【0026】
また、精子保存液はグルコースを含有することが好ましく、嫌気的解糖系の非基質となる糖とグルコースとの配合割合がモル比で9:1〜5:5であることが好ましく、9:1〜7:3であることがより好ましい。後述の実施例より、グルコースを全く含有していないよりも、一部含有している方が、長期間保存後の精子の運動性が高まる。
【0027】
更に、精子保存液には、精子の代謝物質として乳酸及び/又はグリシンが含有されていることが好ましい。後述の実施例から、良好精漿と不良精漿では、含まれる基礎代謝物質が異なっており、良好なブタ精漿には乳酸、グリシンが多く含有されている。乳酸及び/又はグリシンを含有することで、精子の酸素呼吸によるATP生産が促進される。
【0028】
精子保存液中の乳酸の含有量は、4.5mM〜10mMであることが好ましく、より好ましくは、5mM〜10mMである。また、グリシンの含有量は、0.5mM以上であることが好ましく、より好ましくは、0.5mM〜1.0mMである。
【0029】
精子保存液は、嫌気的解糖系の非基質となる糖と乳酸及び/又はグリシン、更にはグルコースを、他の成分(例えば、クエン酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム、EDTA−2Na、クエン酸、トリス(ヒドロキシル)アミノメタンなど)と混合することで調製され得る。
【0030】
また、精子保存液は、公知の保存液を利用して調製することもできる。例えば、公知の保存液に、嫌気的解糖系の非基質となる糖及び乳酸及び/又はグリシンを添加することで調整され得る。用いられる公知の保存液として、この分野で通常用いられる液体であれば特に限定されないが、例えば、モデナ液(0.15Mグルコース、26.7mMクエン酸ナトリウム、11.9mM炭酸水素ナトリウム、15.1mMクエン酸、6.3mM EDTA−2Na、46.6mMトリス及び1,000IU/mlペニシリン)が挙げられる。この場合、モデナ液中のグルコースを除去し、嫌気的解糖系の非基質となる糖、乳酸及び/又はグリシンを所定の割合で添加して混合すればよい。
【0031】
実施の形態2に係る精子保存方法では、採取したブタ精液と上述した精子保存液とを混合し、人工精液として保存する。例えば、精子保存液を30〜38℃の温度にしておき、これと採取した精液とを混合する。人工精液中の精子の終濃度が、1×10sperm/ml〜1×10sperm/mlになるように調製するとよい。そして、調製した人工精液を10℃〜25℃、より好ましくは13℃〜18℃で保存する。採取した精液を遠心分離等で精漿を除去した後、精子保存液にて上記濃度に希釈してもよい。
【0032】
実施の形態3に係るブタの人工授精方法では、上述の精子保存液が用いられる。上述したように調製され、保存された人工精液を用いて雌ブタに人工授精を行う。30〜38℃にした人工精液を、発情期を迎えた雌ブタの子宮内に注入することで人工授精を行い得る。その際、子宮頸管注入用のカテーテルを用いて、約50ml(約5×10sperm/50ml)の精液を注入すればよい(子宮頸管内精液注入法)。或いは、子宮角内へ注入できる深部注入カテーテルを用いて子宮角内へ人工精液を注入してもよい(子宮角内精液注入法)。子宮角内精液注入法の場合、逆流漏出や子宮内多核白血球の色作用等による精子の損失が抑えられるので、精子濃度を5×10sperm/50ml以下に減少させて用いても構わない。なお、雌ブタでは、人工授精後、凡そ114日齢で分娩に至る。分娩後、子ブタが20〜40日齢のほ乳期間を経て離乳し、離乳して4日後程で雌ブタに発情が再来する。雌ブタの再発情に合わせて、上記と同様に人工授精を行うとよい。このようなサイクルで人工授精を行うことで、一頭の雌ブタの一生涯に、より多くの子ブタを出産させることができる。
【0033】
上述したように、精子保存液は、ブタ精子の運動性及び受精能を長期間に渡って維持し得るので、長期保存後でも、高い受胎率をなしえる。
【0034】
なお、採精したブタ精液をそのまま精子保存液と混合しても、精液を遠心分離等によって精漿と精子とを分離し、精子のみを精子保存液と混合して人工精液を調製してもよい。
【実施例】
【0035】
以下、実施例に基づき、精子保存液及びこれを用いた人工授精方法について詳細に説明する。以下の実験に用いたブタ精液等について記す。
【0036】
(ブタ精液)
ブタの精液は、以下のようにして採精して用いた。採精に使用する雄ブタを、それぞれ個々の豚房で別々に飼育し、朝、夕の2回、計2.5kgの種ブタ用飼料を給餌した。ブタには、日本脳炎・ブタパルボウイルス感染症ワクチンの接種を行った。本検討には、ブタ繁殖・呼吸障害症候群(PRRS)、オーエスキー病に対して抗体陰性のブタを選択した。採精は、1週間間隔をあけて行った。採精前は、餌食い、病気の兆候等を確認し、良好なブタであることを確認し、ブタを興奮させないように採精を行った。疑牝台を雄ブタの豚房に入れ、雄ブタを台にのせ、ペニス及び包皮内を生理食塩水で洗浄し、尿を除去した。採精は手圧法で行い、予め滅菌したカップにガーゼをかぶせ、精液と共に出るゼリー状の物質である膠様物を除去しながら、精液をカップに入れた。このように採精した精液を以下の実験に用いた。
また、ブタ精漿は、上記のようにして採精した後、遠心分離によって精漿を精液から分離して用いた。
(精子の運動性及び直進運動速度の測定)
以下における精子運動性及び直進運動速度は、38℃のプレートの上に、精子を含有するサンプル(精液、精子を精漿で培養したもの、精液を各種精子保存液或いは培地で保存・培養したもの)を5μl載せ、運動性解析装置(Computer Aided Sperm Analysis(CASA)system)を用いて解析した。なお、精子の運動性は、観測される全精子中における動いている精子の割合が100分率で解析され、直進運動速度は、直進する精子の速度の平均が解析される。
【0037】
(実験1:ブタ精漿が精子の運動性に及ぼす影響)
まず、精子の運動性に及ぼす精漿成分の影響を検討した。精漿に曝されていないマウス精巣上体精子を取り出した。HTF培地(株式会社アイエスジャパン)に、6個体のブタ(識別ID:W327,L241,D717,D621,L284,L291)の精漿をそれぞれ加えて調製した10%ブタ精漿添加培地で、マウス精子を培養した。そして、経時的にマウス精子の運動性を測定した。
【0038】
その結果を図1に示す。ブタ個体の違いにより、精漿添加によりマウス精子の運動性が低下する場合(W327,L241,D717)、高い運動性が維持される場合(D621,L284,L291)の両者が認められた。即ち、ブタ精漿は、個体により精子の運動性を維持することができる良好な精漿と、運動性を抑制或いは向上させる成分を有さない不良な精漿に分けられることがわかった。
【0039】
(実験2:ブタ精漿の分子量画分が精子の運動性に及ぼす影響)
ブタ精漿中に含まれる精子の運動性を抑制する因子或いは運動性を向上させる因子について明かにすべく、以下の実験を行った。
【0040】
限界濾過膜を用いた遠心分離にて、精漿を分子量10万以上、1−10万、5000−1万、5000以下に分子量分画した。いずれの画分についてもHTF培地に10%量となるよう添加し、10%ブタ精漿添加培地を調製した。そして、それぞれの10%ブタ精漿添加培地でマウス精巣上体精子を培養した。そして、1時間培養後の精子運動性を測定した。
【0041】
その結果を図2に示す。分子量5000−1万、5000以下の分画において、精子の運動性が低下している。したがって、分子量1万以下の分画に1時間培養後の精子の運動性を低下させる因子が含まれていることがわかった。
【0042】
(実験3:ブタ精漿が精子の代謝能(ATP生産)に及ぼす影響)
ブタ精漿の分子量1万以下の低分子画分が、マウス精子の運動性を低下させることが明らかになったことから、精漿に含まれる代謝基質が精子の運動性に影響を及ぼしていると考えられる。そこで、精子の運動性に直接的に関わるATP生産量に及ぼす影響を検討した。
【0043】
マウス精巣上体精子を10%精漿添加THF培地で15分、30分、60分培養して回収した精子を蛍光発光法にてATP含有量の測定を行った。
【0044】
その結果を図3に示す。15分培養後において、不良精漿(W327,L241,D717)において、15分培養後にATP含有量が増加し、60分後には低下していた。
【0045】
一方、良好精漿(D621,L284,L291)では、15分、30分、60分の培養では、精子のATP含有量に大きな変動は見られなかった。
【0046】
すなわち、不良精漿では一過的にATP合成が盛んに行われ、精子の運動性が向上するものの、それが持続せず、1時間後には運動性が低下してしまうことが示された。この結果から、長時間に渡って精子の運動性を維持するためには、精子の代謝量を一定に維持させる必要があることがわかった。
【0047】
(実験4:ブタ精漿のメタボローム解析(代謝基質の網羅的解析))
精漿を短期間で精子の運動性が低下する不良精漿、中庸な中庸精漿、長期間維持する良好精漿に区分し、それぞれの精漿中に含まれる基質成分を、キャピラリー電気泳動質量分析(CE−MAS)によりメタボローム解析を行った。なお、不良精漿、中庸精漿、良好精漿の区分は、実験1にて、2時間培養後の精子の運動性が30%以下に低下した精漿を不良精漿(D717)、精子の運動性が30〜60%であった精漿を中庸精漿(W327,L241)、精子の運動性が60%以上であった精漿を良好精漿(D621,L284,L291)と区分して行った。また、測定は、Agilent CE-TOFMS system(Agilent Technologies 社) Capillary : Fused silica capillary i.d. 50 μm × 80 cmを用い、以下の条件1又は2で行った。
<条件1>
Run buffer : Cation Buffer Solution (p/n : H3301-1001)
Rinse buffer : Cation Buffer Solution (p/n : H3301-1001)
Sample injection : Pressure injection 50 mbar, 10 sec
CE voltage : Positive, 27 kV
MS ionization : ESI Positive
MS capillary voltage : 4,000 V
MS scan range : m/z 50-1,000
Sheath liquid : HMT Sheath Liquid (p/n : H3301-1020)
<条件2>
Run buffer : Anion Buffer Solution (p/n : H3302-1021)
Rinse buffer : Anion Buffer Solution (p/n : H3302-1022)
Sample injection : Pressure injection 50 mbar, 25 sec
CE voltage : Positive, 30 kV
MS ionization : ESI Negative
MS capillary voltage : 3,500 V
MS scan range : m/z 50-1,000
Sheath liquid : HMT Sheath Liquid (p/n : H3301-1020)
【0048】
その結果を図4に示す。本結果から、良好精漿と不良精漿に含まれる代謝物質が大きく異なっていることがわかる。精漿に含まれる代謝物質の相違から、良好精漿では精子のTCAサイクルが活性化されることが示唆された。そして、本解析からは、良好精漿にはアセチルCoAに変換され得る乳酸、グリシンが高値を示しており、一方、ピルビン酸等の嫌気的解糖系に関わる因子が低値を示していた。なお、良好精漿では、乳酸が5.304mM、グリシンが0.97mMであり、不良精漿では、乳酸が2.601mM、グリシンが0.524mMであった。なお、乳酸については、別途、乳酸測定キット(日東紡績株式会社製)を用いて測定した。
【0049】
(実験5:ブタ精漿中の乳酸含有量と精子運動性との関係の検証)
ブタ精液中のグルコース及び乳酸のそれぞれの濃度を測定するとともに、その精液を1時間培養した後の精子運動性を測定した。
【0050】
乳酸濃度と精子運動性との関係を図5に示す。乳酸の含有量はサンプル間で大きく異なり、精子の運動性と正の相関関係が認められた(r=0.5286,p=0.0008)。図5に示した理論値からは、乳酸濃度が凡そ4.5mM以上で精子の運動性が70%程度を越えており、凡そ5mM以上で精子の運動性が80%を越えている。このことから、精子保存液中の乳酸濃度は4.5mM以上であることが好ましく、5mM以上であることがより好ましいと考えられる。また、図5では、乳酸濃度が高いほど精子運動性は高い傾向にあるが、後述の実験6で乳酸濃度が15mMの場合に精子運動性が低下していること、及び、図5から乳酸濃度が10mMを超える精漿の個体が見受けられなかったことから、乳酸濃度は10mM以下であることが好ましいと考えられる。なお、グルコースの含有量はいずれの精漿中でも検出限界以下で低濃度であり有意な差はなかった。
【0051】
(実験6:乳酸、グリシンを含有する精子保存液が精子運動性に及ぼす影響)
そこで、良好な精漿に多量に含まれていた代謝基質である乳酸、グリシンをモデナ液に添加して精子保存液を調製し、この精子保存液がブタ精子の運動性に及ぼす影響を検証した。
【0052】
モデナ液に乳酸を添加し、乳酸含有量が5mM、15mMの精子保存液をそれぞれ調製した。また、モデナ液にグリシン含有量が0.5mM、1.0mMの精子保存液をそれぞれ調製した。
【0053】
それぞれの精子保存液でブタ精液を1×10sperm/mlに希釈して、15℃で保存した。また、参照実験として、モデナ液をそのまま用い、モデナ液にブタ精液を加えて同様に培養した。
【0054】
保存開始から三日後に、37℃に加温後の精子運動性の測定を行った。その結果を図6に示す。
【0055】
保存3日後では、乳酸5mM添加区、グリシン0.5mM添加区及びグリシン1.0mM添加区では、乳酸、グリシンのいずれも添加されていない無添加区(Control)に比べて、精子運動性は有意に高い値を示した。精子保存液がグリシン、乳酸を含有していることによって、ブタ精子は長期間運動性を維持することが証明された。
【0056】
(実験7:精子保存液中の溶存酸素量に及ぼす影響)
更に、保存後の精子保存液中の溶存酸素量を測定することで、乳酸、グリシンを含有する精子保存液において、精子の嫌気的解糖系が抑制され酸素呼吸が促進されることを検証した。
【0057】
モデナ液に乳酸及びグリシンを加え、乳酸5mM、グリシン1mMの精子保存液をそれぞれ調製した。
【0058】
それぞれの精子保存液にブタ精液を加えて1×10sperm/mlに希釈し、37℃で培養した。また、参照実験として、モデナ液をそのまま用い、モデナ液にブタ精液を加えて同様に培養した。また、良好なブタ精液をそのまま培養した。
【0059】
そして、30分培養後、それぞれの精子保存液中の酸素分圧を測定し、精子保存液中に溶存している酸素濃度を算出した。
【0060】
その結果を図7に示す。モデナ液に比べて、乳酸5mM添加区及びグリシン1mM添加区では、良好な精液と同様、精子保存液中の酸素濃度が有意に減少していた。即ち、乳酸5mM添加区及びグリシン1mM添加区では、精子による酸素消費量(呼吸量)が有意に増加していることがわかった。
【0061】
精子保存液に乳酸、グリシンが添加されていることにより、酸素呼吸が活発化することが示された。即ち、酸素呼吸によるATP生産が促され、精子が持続的に運動可能になっていることが関連付けられた。
【0062】
(実施例1:ラクトースを含有する精子保存液が精子運動性に及ぼす影響)
一般的な精子保存液であるモデナ液では、栄養源として、グルコースが150mM程度添加されている。グルコースは嫌気的解糖系の基質であるため、嫌気的解糖系により一過的なATP合成が起こり、長期間に渡った運動性の維持に支障をきたしていると考えられる。
【0063】
そこで、モデナ液に含まれるグルコースを除去し、グルコース除去に伴う浸透圧低下を嫌気的解糖系の非基質となる糖に置換して調整し、嫌気的解糖を抑制して、精子の運動性が長時間維持されるか否か検証した。
【0064】
モデナ液から、グルコースを除去した後、これに、ラクトース及びグルコースを添加し、
ラクトースとグルコースとのモル比が10:0(10:0区)、9:1(9:1区)、8:2(8:2区)、7:3(7:3区)、5:5(5:5区)である精子保存液を調製した。
【0065】
また、参照実験として、モデナ液に乳酸及びグリシンを加えた精子保存液(0:10区)を調製した。
【0066】
それぞれの精子保存液の組成は表1に示す通りである。なお、精子保存液のpHはいずれも7.0〜7.1、浸透圧はいずれも328〜337mOsmkgである。
【0067】
【表1】
【0068】
ブタ精液をそれぞれの精子保存液で1×10sperm/mlに希釈し、15℃で10日間保存し、10日後の運動性を測定した。その結果を図8に示す。
【0069】
図8を見ると、ラクトースを含有していない0:10区の精子保存液に比べて、ラクトースを含有する処理区の精子保存液では、いずれも精子運動性は有意に高い値を示している。また、8:2区、7:3区及び5:5区でより高い精子運動性を示している。
【0070】
さらに、精子の活力を示す直進運動速度を解析した。その結果を図9に示す。
【0071】
図9を見ると、8:2区が最も高い直進運動速度を示している。直進運動速度が高い精子ほど受精能が高いことから、8:2区の精子保存液が最も長期間精子の受精能を高く維持させ得ることがわかった。
【0072】
(実施例2:その他の嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有する精子保存液が精子運動性に及ぼす影響)
ラクトースの他、嫌気的解糖系の非基質となる糖(ガラクトース、スクロース)についても上記と同様に行った。
【0073】
モデナ液から、グルコースを除去した後、これに、乳酸及びグリシン並びに種々の嫌気的解糖系の非基質となる糖及びグルコースを添加し、乳酸が5mM、グリシンが1mM、嫌気的解糖系の非基質となる糖が120mM、グルコースが30mMである精子保存液を調製した。嫌気的解糖系の非基質となる糖として、ガラクトース、ラクトース、スクロースを用い、それぞれを添加して得られた精子保存液をガラクトース区、ラクトース区、スクロース区と記す。
【0074】
また、参照実験として、モデナ液に乳酸5mM及びグリシン1mMを加えた精子保存液(グルコース区)を調製した。
【0075】
そして、各精子保存液でブタ精液を1×10sperm/mlに希釈し、10日間15℃で保存して、10日後の精子の運動性及び直進運動速度を測定した。精子運動性の測定結果を図10に、直進運動速度の測定結果を図11にそれぞれ示す。なお、図10及び図11におけるDay0は、用いたブタ精液を精子保存液で希釈する前の精子運動性及び直進運動速度である。
【0076】
図10を見ると、グルコース区に比べて、嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有するガラクトース区、ラクトース区及びスクロース区では、精子の運動性は有意に高い値を示した。
【0077】
また、図11を見ると、精子の直進運動速度についても、グルコース区に比べて、嫌気的解糖系の非基質となる糖を含有するガラクトース区、ラクトース区及びスクロース区では高い値を示した。グルコースから嫌気的解糖系の非基質となる糖に置換することで、ブタ精子を長期間高い活力で保存可能であることが明らかとなった。なお、精子の直進運動速度では、ラクトース区が最も高い値を示しており、嫌気的解糖系の非基質となる糖のなかでラクトースであることが最も好ましいことがわかった。
【0078】
(実施例3:精子のミトコンドリア代謝能)
続いて、ミトコンドリアの代謝機能(酸素呼吸能)が亢進されているかを確認した。
【0079】
実施例1の8:2区(ラクトース:グルコースのモル比が8:2、乳酸5mM、グリシン1mM)の精子保存液でブタ精液を精子保存液で1×10sperm/mlに希釈した。そして、これにローダミンを添加し染色した。ローダミンはミトコンドリアの膜電位により蛍光を発する。そして、これを7日間培養した。また、参照実験として、モデナ液をそのまま用い、同様に行った。
【0080】
その結果を図12に示す。モデナ液に比べて、8:2区の精子保存液で保存した精子では、ローダミン蛍光が強い精子の割合が増加し、ミトコンドリアの活性が高まっていることがわかる。したがって、ミトコンドリアの代謝機能が亢進され、精子の長期間保存後でも十分な運動性及び受精能が担保されることが明かになった。
【0081】
(実施例4:人工精液によるブタの人工授精)
実施例1の8:2区(ラクトース:グルコースのモル比が8:2、乳酸5mM、グリシン1mM)の精子保存液でブタ精液を1×10sperm/mlに希釈し、液状精液を調製した。液状精液は保存5日以内にブタの人工授精に用いた。
【0082】
人工授精は、自然発情の雌ブタを用いて行った。上述のように調製した人工精液50ml(総精子数50億)を19頭の雌ブタの子宮にそれぞれ注入し、人工授精を行った。
【0083】
人工授精後、21日目に超音波妊娠鑑定にて胎子をモニターで確認した。21日目に行うのは、ブタは21日周期で発情がくるため、受精後21日目に妊娠鑑定をする際、受精していない、若しくは受精卵が退行した等があれば、陰部は発情の兆候を示すためである。また、同時に21日目にノンリターン法にて再発情(リターン)がきているかどうかも確認し、妊娠を決定した。
【0084】
その結果、ラクトースを含有する精子保存液で調製した人工精液では、19頭中17匹が受胎し、受胎率は89%であった。モデナ液で調製された人工精液で行われた人工授精の統計では受胎率が76%であるところ、著しく高い値を示した。
【0085】
このように、嫌気的解糖系の非基質となる糖、乳酸、グリシンを含有する精子保存液では、ブタ精子を長期保存した後でも、ブタ精子の受精能が維持され、受胎率の向上に資することを確認した。
【産業上の利用可能性】
【0086】
以上説明したように、本発明に係る精子保存液では、長期間保存後においてもブタ精子の運動性及び受精能を維持させることができるので、養豚業等におけるブタの人工授精に利用可能である。
図6
図7
図1
図2
図3
図4
図5
図8
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図10
図11
図12