特許第5963192号(P5963192)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許5963192概日リズムの乱れを予測するためのバイオマーカー
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5963192
(24)【登録日】2016年7月8日
(45)【発行日】2016年8月3日
(54)【発明の名称】概日リズムの乱れを予測するためのバイオマーカー
(51)【国際特許分類】
   C12Q 1/68 20060101AFI20160721BHJP
   C12N 15/09 20060101ALI20160721BHJP
   G01N 33/68 20060101ALI20160721BHJP
   G01N 33/53 20060101ALI20160721BHJP
   G01N 33/50 20060101ALI20160721BHJP
   G01N 33/15 20060101ALI20160721BHJP
【FI】
   C12Q1/68 ZZNA
   C12N15/00 A
   G01N33/68
   G01N33/53 D
   G01N33/50 Z
   G01N33/15 Z
【請求項の数】6
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2012-144660(P2012-144660)
(22)【出願日】2012年6月27日
(65)【公開番号】特開2013-255481(P2013-255481A)
(43)【公開日】2013年12月26日
【審査請求日】2014年12月11日
(31)【優先権主張番号】特願2012-111932(P2012-111932)
(32)【優先日】2012年5月15日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】301021533
【氏名又は名称】国立研究開発法人産業技術総合研究所
(72)【発明者】
【氏名】大石 勝隆
(72)【発明者】
【氏名】宮崎 歴
(72)【発明者】
【氏名】伊藤 奈々子
(72)【発明者】
【氏名】山本 幸織
【審査官】 植原 克典
(56)【参考文献】
【文献】 特表2009−544329(JP,A)
【文献】 特開2007−075071(JP,A)
【文献】 J.Sleep Res.,2010年,vol.19,pp.139-147
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12Q 1/68
C12N 15/00
G01N 33/15−33/68
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
HSPA1a又はその遺伝子を概日リズム睡眠障害マーカーとして用いることを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れを判定する方法であって、下記(1)〜(3)の工程を含む方法;
(1)被験哺乳動物由来の大脳、視床下部、心臓、肝臓、白血球、および、白血球を含む血液から選択される試料中のHSPA1aタンパク発現量又はその遺伝子転写レベルを測定する工程、
(2)あらかじめ測定しておいた健常哺乳動物由来の同一の試料中のHSPA1aタンパク発現量又はその遺伝子転写レベルと比較する工程、
(3)1日のいずれかの時点において、工程(1)での測定値が、工程(2)での測定値を、有意差をもって上回っている場合に、被験哺乳動物において概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れがあると判定する工程。
【請求項2】
前記試料が、白血球又は白血球を含む血液である、請求項に記載の方法。
【請求項3】
HSPA1a発現量を定量的に測定可能な抗HSPA1a抗体又はHSPA1a遺伝子転写レベルを定量的に測定可能なHSPA1a遺伝子増幅用プライマーセットを含むことを特徴とする、概日リズム睡眠障害診断剤。
【請求項4】
HSPA1a発現量を定量的に測定可能な抗HSPA1a抗体又はHSPA1a遺伝子転写レベルを定量的に測定可能なHSPA1a遺伝子増幅用プライマーセットを含むことを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの判定用キット。
【請求項5】
HSPA1a又はその遺伝子を概日リズム睡眠障害マーカーとして用いることを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの改善物質のスクリーニング方法であって、下記(1)〜(4)の工程を含む方法;
(1)概日リズム睡眠障害モデルマウス又はストレス性睡眠障害モデルマウスを用意する工程、
(2)前記いずれかのモデルマウスを2群に分け、一方には被検物質を投与し、他方には投与せずに、両者を一定期間飼育後、両者から大脳、視床下部、心臓、肝臓、白血球、および、白血球を含む血液から選択される試料を採取する工程、
(3)両試料中のHSPA1aタンパク質発現量又はその遺伝子の転写レベルを測定し、両者を比較する工程、
(4)1日のいずれかの時点において、被検物質を投与した群の測定値が、投与しない群の測定値を有意差をもって下回っていた場合に、被検物質を、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの改善物質であると評価する工程。
【請求項6】
前記試料が、白血球又は白血球を含む血液である、請求項に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、概日リズム睡眠障害などの概日リズムの乱れを予測するための方法及びそのためのマーカーに関する。詳細には、睡眠障害の検出手段、睡眠障害の検出方法及び検出キット、並びに睡眠障害治療剤のスクリーニング方法に関する。
【背景技術】
【0002】
現在、日本人の5人に1人は睡眠に関して何らかの問題を抱えているとされ、特に高齢者においては、3人に1人が睡眠について悩みを抱えているとされる。
睡眠障害としては、睡眠時無呼吸症などの睡眠時に発生する呼吸障害が原因となる睡眠呼吸障害も含まれるが、体内時計がその発症にかかわるとされる概日リズム睡眠障害(サーカディアンリズム睡眠障害)については、原因の特定や予測が難しく、客観的な診断にも困難な状況があった。概日リズム睡眠障害には、時差ぼけや夜勤・交代勤務(シフトワーク)などが原因の外因性急性症候群と、睡眠相後退症候群(DSPS)や、睡眠相前進症候群(ASPS)、非24時間睡眠覚醒障害、不規則型睡眠覚醒パターンなどの内因性慢性症候群に分類することができる。
概日リズム睡眠障害の原因としては、睡眠相前進症候群において、一部家族性の遺伝的原因が報告されているが、その多くは、夜勤や交代勤務、時差ぼけ、不規則な食生活、精神的ストレスなどの生活習慣が関与しているものと考えられる。
睡眠障害の診断は、本人や家族による問診が中心となっており、その確定的な診断には、脳波計測も必要となり、睡眠障害を客観的に診断するための簡便なツールの開発が待ち望まれている。
従来、断眠を行った実験動物での遺伝子発現量増加が観察されたトランスサイレチンやインスリン様成長因子、プロスタグランジンD合成酵素、HSP70、BACE1などが睡眠障害マーカーとなる可能性が報告されている(特許文献1)。しかしながら、これらの遺伝子の発現量の増加は、実験動物であるラットに強制的な手法によって断眠実験を行った結果認められた現象であるため、慢性的な精神的ストレスの結果として発症するヒトの睡眠障害や、ヒトの概日リズム睡眠障害に外挿することは困難である。さらに、これらの遺伝子発現の誘導は、脳内において認められた現象であって、血液中などでの発現は確認されておらず、ヒトを対象とした臨床的応用の可能性については不明である。
哺乳類における体内時計の中枢は、脳内視床下部の視交叉上核に存在していて、この神経核を電気的に破壊すると、行動リズムや睡眠・覚醒リズムなど、ほとんど全ての概日リズムが消失する。その一方で、概日リズムを刻む体内時計は、脳内のみならず心臓や肝臓、腎臓、脂肪、末梢血白血球などのほぼ全身の組織に存在していることが明らかとなっている(非特許文献2)。これらの末梢組織に存在する体内時計は、視床下部の視交叉上核に存在する中枢時計と区別して、末梢時計と呼ばれている。
様々な組織においてDNAマイクロアレイを用いた網羅的な発現遺伝子解析を行った結果、それぞれの組織において数%から数十%の遺伝子が日周発現していることが判明し、これら多数の遺伝子が組織特異的な生理機能の概日リズム形成に関与していると考えられている(非特許文献3)。このことは、遺伝子の発現量を比較検討する場合には、体内時刻、すなわち個体からのサンプリング時刻を考慮に入れる必要があることを示すものでもある。
体内時刻を調べるためには、遺伝子の発現量を利用する方法(非特許文献4)や、血液中の代謝産物量を利用する方法(非特許文献5)などが考えられる。
このように、概日リズムを刻む体内時計の研究は進んできたものの、概日リズムの乱れを予測するまでは至っておらず、依然として、概日リズム睡眠障害を正確かつ簡便に診断することは困難であった。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2007−75071号公報
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】Lavie L,Dyugovskaya L,Golan-Shany O,Lavie P.,(2010) J Sleep Res. 19: 139-47.
【非特許文献2】「末梢時計」、時間生物学事典、pp.158-159、朝倉書店、2008年
【非特許文献3】Gachon,F. et al.: Chromosoma,113,103-112,2004.
【非特許文献4】Ueda HR. et al.,Proc Natl Acad Sci U S A.2004;101:11227-32.
【非特許文献5】Minami Y. et al.,Proc Natl Acad Sci U S A.2009;106: 9890-5.
【非特許文献6】Oishi K.,(2009) Neuro Endocrinol Lett. 30: 458-61
【非特許文献7】Miyazaki K,Itoh N,Ohyama S,Ohkura N,Oishi K (2011) Neurosci Res,71S: e172-e173. doi:10.1016/j.neures.2011.07.746
【非特許文献8】Maret S,Dorsaz S,Gurcel L,Pradervand S,Petit B,Pfister C,Hagenbuchle O,O'Hara BF,Franken P,Tafti M,(2007) Proc NatlAcad Sci U S A. 104: 20090-5
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
本発明は、概日リズム睡眠障害などの体内時計の乱れに起因する生体リズムの乱れを予測するための方法を提供すること、特に、概日リズム睡眠障害を正確かつ簡便に診断するためのマーカーを提供することを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0006】
そこで、本発明者らは、本発明者らが以前に開発した、6時間周期の明暗サイクル(明期3時間:暗期3時間)下で飼育することで行動の概日リズムを消失させた概日リズム睡眠障害モデルマウス(非特許文献6)を用い、その肝臓組織中の遺伝子発現量の変化をDNAマイクロアレイを用いて網羅的に検索した。
そうしてみると、肝臓内でHSP70ファミリー内のHSPA1a遺伝子発現量が、正常マウスと比較して顕著に高まっていることが観察された。HSPA1aは、体内時計遺伝子とは直接的には関係のない、熱ショックタンパク質(HSP)の1種である。従来、睡眠時無呼吸症などの睡眠呼吸障害の患者の末梢血単核球において増加しているという報告(非特許文献1)があるが、睡眠呼吸障害は発症に体内時計が関与している概日リズム睡眠障害とは、発症機構においても共通性はない。また、体内時計に関連して、HSPA1a遺伝子の発現量増加が観察されたこともはじめてである。
ところで、本発明者らは、以前、通常の飼育ケージを用い、物理的な遮蔽によりマウスが回転輪から降りられないように制限する飼育方法を2週間続けることにより、ストレス性睡眠障害マウスを創出している(非特許文献7)。このストレス性睡眠障害マウスは、行動リズムの乱れと共に睡眠リズムの乱れが観察され、一般的な睡眠障害に外挿できるリズム障害を示す優れたストレス性睡眠障害モデル動物であるといえる。また、このマウスが示す活動期(夜間)の活動量の極端な減少から、現在では、慢性疲労症候群モデル動物としても位置づけられている。
そこで、本発明者らは、当該ストレス性睡眠障害モデルマウスの大脳、視床下部、精巣周りの脂肪組織、心臓、肝臓、末梢全血(白血球を含む)中のHSPA1a遺伝子の発現量を、定量PCR法により調べたところ、脂肪組織以外の全てで対照マウスに比べ、単に顕著に増加しているだけでなく、明暗サイクルに呼応した発現リズムを持って増加していることが確認できた(図4)。体内時計に関連した睡眠障害が大脳以外の他の臓器内での遺伝子発現量の増加、特に末梢血中の遺伝子発現量の増加として観測できることは、概日リズム睡眠障害の簡便な診断にとって極めて大きな意味を持つ。
以上の知見を得たことで、HSPA1a及びその遺伝子からなる概日リズム睡眠障害診断用マーカーに関する本発明を完成した。
【0007】
すなわち、本発明は以下の発明を含むものである。
〔1〕 HSPA1a又はその遺伝子からなる概日リズム睡眠障害マーカー。
〔2〕 HSPA1a又はその遺伝子を概日リズム睡眠障害マーカーとして用いることを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れを判定する方法であって、下記(1)〜(3)の工程を含む方法;
(1)被験哺乳動物由来の試料中のHSPA1aタンパク発現量又はその遺伝子転写レベルを測定する工程、
(2)あらかじめ測定しておいた健常哺乳動物由来の試料中のHSPA1aタンパク発現量又はその遺伝子転写レベルと比較する工程、
(3)工程(1)での測定値が、工程(2)での測定値を、有意差をもって上回っている場合に、被験哺乳動物において概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れがあると判定する工程。
〔3〕 前記試料が、白血球又は白血球を含む血液である、前記〔2〕に記載の方法。
〔4〕 HSPA1a発現量を定量的に測定可能な抗HSPA1a抗体又はHSPA1a遺伝子転写レベルを定量的に測定可能なHSPA1a遺伝子増幅用プライマーセットを含むことを特徴とする、概日リズム睡眠障害診断剤。
〔5〕 HSPA1a発現量を定量的に測定可能な抗HSPA1a抗体又はHSPA1a遺伝子転写レベルを定量的に測定可能なHSPA1a遺伝子増幅用プライマーセットを含むことを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの判定用キット。
〔6〕 HSPA1a又はその遺伝子を概日リズム睡眠障害マーカーとして用いることを特徴とする、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの改善物質のスクリーニング方法であって、下記(1)〜(4)の工程を含む方法;
(1)概日リズム睡眠障害モデルマウス又はストレス性睡眠障害モデルマウスを用意する工程、
(2)前記いずれかのモデルマウスを2群に分け、一方には被検物質を投与し、他方には投与せずに、両者を一定期間飼育後、両者から試料を採取する工程、
(3)両試料中のHSPA1aタンパク質発現量又はその遺伝子の転写レベルを測定し、両者を比較する工程、
(4)被検物質を投与した群の測定値が、投与しない群の測定値を有意差をもって下回っていた場合に、被検物質を、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れの改善物質であると評価する工程。
〔7〕 前記試料が、白血球又は白血球を含む血液である、前記〔6〕に記載の方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明で見出された概日リズム睡眠障害診断用マーカーであるHSPA1a及びその遺伝子は、大脳内又は他の臓器内での発現量増加を、末梢血中の発現量の増加として観測できるため、睡眠障害が疑われる被験者の血液中のHSPA1a存在量を測定するだけで、ストレス性の睡眠障害など概日リズム睡眠障害であるか否かを判定できる。被験者のHSPA1a存在量が増えていれば、患者が睡眠障害を訴えていない場合であっても、概日リズム睡眠障害であることを予想し、確定することができる。また、慢性疲労症候群の診断にも有用である。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1A】マウスの1日の行動パターン(対照群マウスの飲水行動)。図中、縦軸は日付けを表し、横軸は時刻を表す。
図1B】マウスの1日の行動パターン(概日リズム睡眠障害マウスの飲水行動)。
図2】肝臓中のHSP70(HSPA1a)のmRNA発現量(βアクチン発現量に対する比として算出)。対照群を100%として、概日リズム睡眠障害マウスにおける発現量の増加を表す。
図3A】マウスの1日の行動パターン(対照群マウスの輪回し行動)。
図3B】マウスの1日の行動パターン(ストレス性睡眠障害マウスの輪回し行動)。
図4】ストレス性睡眠障害マウスにおける各臓器内でのmRNA発現量。それぞれの臓器中の左側の「10:00」と表記されているのは、明期のはじめ(10:00)に測定されたことを示し、「22:00」は、暗期の初め(22:00)に測定されたことを示す。
図5】ストレス性睡眠障害マウスの大脳における断眠ストレス応答遺伝子のmRNA発現量。それぞれ左側の「10:00」と表記されているのは、明期のはじめ(10:00)に測定されたことを示し、「22:00」は、暗期の初め(22:00)に測定されたことを示す。
【発明を実施するための形態】
【0010】
1.HSP70(HSPA1a)遺伝子について
HSPA1aは、ヒトからバクテリアに至るまで様々な生物種で保存されている熱ショックタンパク質(HSP)のうち、分子量70kDaのタンパク質に付けられた「HSP70」のサブファミリー内の1種である。そのアミノ酸配列及び塩基配列は公知であり、哺乳動物に対しても、様々な突然変異体が知られている。例えば、ヒトHSPA1Aの典型的なアミノ酸配列及び塩基配列は、それぞれNCBI Reference SequenceのNP_005336.3、NM_005345.5、マウスHspa1aは、それぞれNP_034609.2、NM_010479.2で入手できる。なお、一般的表記方法として、ヒトの遺伝子(またはタンパク質)は「HSPA1A」、マウスの遺伝子(またはタンパク質)は「Hspa1a」と表記されるが、本発明で「HSPA1a」というとき、ヒト、マウスのみならず、他の哺乳動物由来の遺伝子(またはタンパク質)であり、かつそれぞれのアレル変異体を含むものを意味する。
HSPは、一般に細菌感染や炎症、活性酸素、紫外線、重金属など細胞に対する様々なストレスで誘導されることが知られている。今回2種類のモデルマウス中で他のHSP70をはじめ他のHSPの発現増加は見られず、HSPA1aのみの有意な増加が確認されている。HSPA1aは、タンパク質が生体膜を通過する際のフォールでキングの制御に関与するHspAファミリーに属し、消化管や皮膚など多くの臓器で恒常的に発現されており、抗細胞死作用や抗炎症作用を持ち、種々のストレスから細胞を保護する作用があることが知られている。また、上述のように、HSPA1aは、睡眠時無呼吸症などの睡眠呼吸障害の患者の末梢血単核球において増加しているという報告(非特許文献1)もある。睡眠時無呼吸症では、低酸素による酸化ストレスが生じているため、酸化ストレスによってHSPA1aの発現が誘導されることは容易に想像できるが、睡眠障害のうちでも、体内時計の乱れに起因する概日リズム睡眠障害でHSPA1a遺伝子の発現量の増加が観察されたことは、熱ショックタンパク質が体内時計と関連づけられたことがないことからみて極めて意外なことである。
また、本発明では、HSPA1aの発現量の増加が、大脳以外にも、視床下部、心臓、肝臓の各臓器及び末梢全血(白血球を含む)で観察されるばかりでなく、明期初期の増加量よりも暗期初期での増加量が顕著に高いという発現の概日リズムも、大脳のみならず、視床下部、心臓、肝臓の各臓器や、白血球を含む末梢全血で同期していることが観察されている。
【0011】
2.概日リズム睡眠障害モデルマウス
本発明者らが以前に報告した(非特許文献6)ように、通常、明期12時間、暗期12時間の24時間周期で飼育するマウスを、明期3時間、暗期3時間の6時間の明暗サイクル下で飼育することで、行動の概日リズムを司る体内時計が、明暗サイクルに同調することができなくなって、行動の概日リズムが消失する。行動リズムの消失は、例えば、クロノバイオロジーキット(Stanford Software Systems、CA)による飲水行動又は回転かごの輪回し行動の測定により明確に判定できる。当該マウスは、睡眠も概日リズムを失っていることから、概日リズム睡眠障害のモデルマウスであるともいえる。
【0012】
3.ストレス性睡眠障害モデルマウス
本発明者らは、依然、通常の飼育ケージを用い、ケージの底面に水を満たしマウスが回転輪から降りられないという物理的な遮蔽による行動の制限を施した飼育方法を2週間続けることにより、ストレス性睡眠障害モデルマウスを創出した(非特許文献7)。このストレス性睡眠障害マウスは、一般的な睡眠障害に外挿できるリズム障害を示す。また、総活動量(特に暗期の活動量)が減少するとともに、明期暗期ともに活動が見られる行動リズムの乱れが観察される。特に明期前半の過活動が特徴である。また、これに連動するように、明期前半の睡眠量低下、活動期(暗期)における睡眠量の増加が認められる(非特許文献7)。この行動リズムの判定には、上記概日リズム睡眠障害モデルマウスの場合と同様に、クロノバイオロジーキット(Stanford Software Systems、CA)による飲水行動、又は回転かごの輪回し行動などの運動量の測定法を用いることができる。なお、活動期(夜間)の活動量の極端な減少も見られることから、現在大きな社会問題となっている慢性疲労症候群モデル動物としても位置づけられる。このようなストレス性睡眠障害マウスの具体的な作製方法は、本発明者らによる概日リズム改善剤に係る出願明細書(特願2012−46806)に詳細に記載されている。
【0013】
4.本発明における概日リズム睡眠障害診断用マーカーの使用方法
概日リズム睡眠障害が疑われる患者など哺乳動物から採取した白血球又は白血球を含む血液、典型的には末梢血中の、HSPA1aの発現量をHSPA1a抗体で測定する。あらかじめ、健常な哺乳動物(例えば健常人)の発現量を基準値として設定しておけば、その基準値を超えた場合に、概日リズム睡眠障害であると診断できる。HSPA1a抗体は、適宜マウスなどの実験動物を免疫して得ることもできるが、Uscn Life Science Inc.社、Merck Millipore社などから市販されている。
特に、睡眠開始時間帯の血液を採取すれば、より正確な診断が可能である。
また、被験哺乳動物の血液に対して、定量PCR解析などを適用し、同様に遺伝子の転写レベルでのHSPA1aの発現量の増加を測定しても良い。HSPA1a遺伝子増幅用プライマーも、インビトロジェン社などにより市販されている。
ヒトの時計遺伝子は、毛髪の毛胞細胞や、皮膚、口腔内細胞にも存在し、概日リズムを刻むことが知られていることをみれば、HSPA1a遺伝子もこれら細胞内での発現量の変動が予測される。したがって、被検哺乳動物の血液試料に代えて、毛胞細胞、皮膚細胞、口腔内細胞を用いてモニターすることも可能である。実験動物であるげっ歯類の場合、尻尾を採取しながらモニターする手法も可能である。
なお、概日リズム睡眠障害の診断の対象となる哺乳動物とは、典型的にはヒトであるが、イヌやネコなどの愛玩動物、ウシ、ウマ、ブタなどの家畜動物、マウス、ラットなどの実験動物など、どのような哺乳動物であってもよい。
【0014】
5.本発明における概日リズム睡眠障害改善剤のスクリーニング方法
前記2.又は3.に記載された概日リズム睡眠障害モデルマウス又はストレス性睡眠障害マウスを用い、これらマウスを2群に分け、1つの群のマウスに対して被検物質を投与する。静注、塗布などの投与形態も可能であるが、典型的には、飼料中又は、給水中に被検物質を添加しておくことが好ましい。被検物質を投与した群のマウス由来の血液などの試料と残りの群の対照マウス由来試料を採取し、それぞれのHSPA1a発現量又はその遺伝子転写レベルを比較して、前者の測定値が有意に減少した場合、用いた被検物質を、概日リズム睡眠障害改善剤の候補として選択する。なお、その際のHSPA1a発現量又はその遺伝子転写レベルは、上記4.に記載したHSPA1a抗体、又はHSPA1a遺伝子増幅用プライマーにより測定できる。
ここで、マウス由来試料としては、簡便かつ感度の高い末梢血又は白血球が好ましいが、大脳、視床下部、心臓、肝臓を摘出して、すりつぶしてタンパク質又はDNAを抽出し、抽出液中のHSPA1a発現量又はその遺伝子転写レベルを測定することも可能である。毛胞細胞、皮膚細胞、口腔内細胞、または尻尾を採取してモニターしても良い。
【実施例】
【0015】
以下、実施例により本発明を具体的に説明するが、本発明は特にこれら実施例に限定されるものではない。
なお、本発明で使用されている技術的用語は、別途定義されていない限り、当業者により普通に理解されている意味を持つ。
また、本発明で引用した先行文献又は特許出願明細書の記載内容は、本明細書の記載として組み入れるものとする。
【0016】
(実施例1)概日リズム睡眠障害モデルマウスにおけるHSPA1a遺伝子発現量の増加観察
(1−1)概日リズム睡眠障害モデルマウスの作製
非特許文献5に記載の方法に従って、概日リズム睡眠障害モデルマウスを作製した。具体的には以下の通りである。
ICR系統のマウス(3週齢の雄性、日本エスエルシー株式会社)13匹を、明期12時間、暗期12時間の明暗サイクル下(8:00点灯、20:00消灯)で馴化のための予備飼育を行った。馴化終了後、マウスを2群に分け(対照群6匹、実験群7匹)、対照群は明期12時間、暗期12時間のまま、実験群は、明期3時間、暗期3時間の明暗6時間サイクル(8:00点灯、11:00消灯、14:00点灯、17:00消灯、20:00点灯、23:00消灯、2:00点灯、5:00消灯)にて飼育を行った。飼料としては、AIN-93M(オリエンタル酵母工業株式会社製)を用いた。
全期間を通じて、マウスの飲水行動を、クロノバイオロジーキット(Stanford Software Systems、CA)により測定した。マウスは夜行性であるため、通常の明暗サイクル下(明期12時間、暗期12時間)で飼育すると、飲水行動は夜間の12時間に多く認められる。ところが、明期3時間、暗期3時間の6時間周期の明暗サイクル下においては、行動の概日リズムを司る体内時計が、明暗サイクルに同調することができないため、非特許文献6に記載されると同様に明瞭な行動リズムが消失した(図1B)。
【0017】
(1−2)HSPA1a遺伝子発現の顕著な誘導
明期3時間、暗期3時間の明暗6時間サイクル下にて8週間の飼育を行った後、殺処分したマウスの肝臓より全RNAを抽出し、定量PCR法にてHSPA1a mRNAの発現量を調べた。(図2)中、HSPA1a mRNAの発現量は、βアクチンmRNAの発現量に対する比として数値化した後、対照群を100%とした比として示してある。すなわち、明暗6時間サイクル下にて飼育することにより、肝臓でのHSPA1a遺伝子の発現が顕著に誘導されることが判明した。
【0018】
(実施例2)ストレス性睡眠障害モデルマウスを用いたHSPA1a遺伝子発現量の増加観察
(2−1)ストレス性睡眠障害モデルマウスの作製方法
ストレス性睡眠障害マウスの作製は、本発明者らによる前記出願明細書(特願2012−46806)に記載の方法に従った。具体的には、以下の通りである。
Slc:B6C3F1系統のマウス(4週齢の雄性、日本エスエルシー株式会社)を20匹用意し、明期12時間、暗期12時間の明暗サイクル下(8:00点灯、20:00消灯)で飼育した。マウスは、全期間を通して、回転かご(SW-15s、有限会社メルクエスト)内で個別飼育した。マウスの活動量は、クロノバイオロジーキット(Stanford Systems、CA)を用いてその回転かごの輪回し行動をドットで表わしている。飼料としては、CE-2(日本クレア株式会社製)を用いた。
図3は、マウスの活動リズムを示す図である。全20匹中の10匹のマウスを明期12時間、暗期12時間の明暗サイクル下(8:00点灯、20:00消灯)で1週間以上の非ストレス飼育期間(馴化)後、ケージの底面に水を満たしマウスが回転輪から降りられないように制限することにより、ストレス性睡眠障害を1週間連続的に誘発した(ストレス飼育期間)。他の10匹のマウスは対照マウスとして、上記同様の非ストレス飼育を続けた。
このストレス性睡眠障害モデルマウスは、一般的なヒトの睡眠障害に外挿できるリズム障害を示す(図3B)。例えば、夜行性であるマウスの本来の非活動期である昼間(明期)の活動量が増加するとともに、活動期である夜(暗期)の活動量の減少が認められる。特に、明期前半の過活動が特徴である。またこれに連動するように、明期前半の睡眠量低下、活動期(暗期)における睡眠量の増加が認められる点も特徴的である(非特許文献7)。
図3は、マウスの1日の行動パターンを示す図である。図3中、縦軸は日付けを表し、横軸は時刻を表す。ドットはマウスの輪回し行動が観察されたことを表す。なお、(図3A)はストレス負荷していないマウスの行動パターンを、(図3B)はストレス負荷したマウスの行動パターンを示す。図3より、ストレスがなければ、明期(8〜20時:睡眠時間帯)では、ほとんど輪回し行動が観察されないことが分かる(ドットが少ない)。一方、暗期(20〜8時:活動時間帯)では、活発に輪回し行動を行っていることが分かる(ドットが多い)。これに対して、ストレス性睡眠障害モデルマウスの場合は、明期におけるドットの増加及び暗期におけるドットの減少が観察され、行動の概日リズムが乱れ睡眠障害が起きていることが分かる。また、このモデルマウスでは、全体に活動量が低下していることが見て取れ、特に暗期(活動期)の活動量の極端な減少が特徴的であり、慢性疲労症候群モデルであるともいえる。
【0019】
(2−2)ストレス性睡眠障害マウスの各臓器におけるHSPA1a mRNAの発現量の測定
ストレス性睡眠障害を2週間負荷した後に、明期の初期(10:00)と暗期の初期(22:00)にマウスを殺処分し、大脳、視床下部、精巣周りの脂肪組織、心臓、肝臓、末梢全血(白血球を含む)より全RNAを抽出し、定量PCR法にてHSPA1a mRNAの発現量を調べた。用いたプライマー配列は以下の通りである。

Hspa1a-F:5’-ATGGCCAAGAACACGGCGATC-3’(配列番号1)
Hspa1a-R:5’-ACCTGGAAGGGCCAGTGCTTC-3’(配列番号2)

図4中、HSPA1a mRNAの発現量は、βアクチンmRNAの発現量に対する比として数値化した後、対照群を100%とした比として示してある。
図4に示したように、脂肪組織を除く、肝臓、心臓、大脳、視床下部、全血におけるHSPA1a遺伝子の発現量には、対照群において、明期のはじめ(10:00)に低く、暗期の初め(22:00)に高くなる日内リズムが存在する。
また、ストレス性睡眠障害モデルマウスにおけるHSPA1a遺伝子の発現量は、脂肪組織を除いて、対照群に比べて高値を示した。特に白血球を含む全血でのHSPA1a遺伝子の発現量は、明期初め(10:00)において顕著に高くなっていた。すなわち、採血時刻を考慮に入れて、血球を含む全血でのHSPA1a遺伝子の発現量を調べることにより、睡眠障害などの生体リズムの異常を推測することが可能であると考えられる。
【0020】
(実施例3)ストレス性睡眠障害マウスの脳における断眠ストレス応答遺伝子発現量の測定
実施例2と同じSlc:B6C3F1系統のマウス(4週齢の雄性、日本エスエルシー株式会社)に対して、実施例2に記載の方法に従って、ストレス性睡眠障害マウスを作製した(10匹、対照マウスも10匹使用)。ストレス性睡眠障害を2週間負荷した後、明期の初期(10:00)と暗期の初期(22:00)にマウスを殺処分し、大脳より全RNAを抽出し、定量PCR法にて断眠ストレス応答遺伝子として知られているTtr(トランスサイレチン)(特許文献1)、Homer1a(非特許文献8)、Egr2(NGFI-B)(非特許文献8)の発現量を調べた。これら遺伝子は、いずれも強制的な断眠を行った実験動物での脳内で遺伝子発現量の増加が観察された遺伝子群である。
用いたプライマー配列は以下の通りである。

Ttr-F:5’-CATGAATTCGCGGATGTG-3’(配列番号3)
Ttr-R:5’-GATGGTGTAGTGGCGATGG-3’(配列番号4)
Homer1a-F:5’-AGCTCATGTCTTCCAGATTGACC-3’(配列番号5)
Homer1a-R:5’-GTCATGTTTGGTGTGATGGTGCT-3’(配列番号6)
Egr2-F:5’-TGACCAGATGAACGGAGTGGC-3’(配列番号7)
Egr2-R:5’-GTGAAGGTCTGGTTTCTAGGTGC-3’(配列番号8)
【0021】
図5中、各遺伝子のmRNA発現量は、βアクチンmRNAの発現量に対する比として数値化した後、対照群を100%とした比として示してある。
図5に示したように、断眠ストレス応答遺伝子として知られているTtr(トランスサイレチン)、Homer1a、Egr2遺伝子の発現量には、対照マウスとストレス性睡眠障害モデルマウスとの間に有意な差異は認められなかった。
このことから、本ストレス性睡眠障害モデルマウスにおける遺伝子発現の応答性は、強制的な断眠ストレスによる遺伝子発現の応答性とは明確に異なっていることが示され、本ストレス性睡眠障害モデルマウスが、慢性的な精神的ストレスの結果として発症するヒトの睡眠障害のきわめて正確なモデル動物となっていることが実証された。
また、それと共に、HSPA1a又はHSPA1a遺伝子の発現量を調べることにより、強制的な断眠ストレスとは異なる慢性的な睡眠障害などの生体リズムの異常を推測することが可能である。すなわち、本発明のHSPA1a又はHSPA1a遺伝子は、概日リズム睡眠障害又は概日リズムの乱れを判定可能な優れた概日リズム睡眠障害マーカーであることが実証された。
図1A
図1B
図2
図3A
図3B
図4
図5
【配列表】
[この文献には参照ファイルがあります.J-PlatPatにて入手可能です(IP Forceでは現在のところ参照ファイルは掲載していません)]