【実施例】
【0038】
以下に本発明の実施例を説明するが、本発明はこれら実施例に限られるものではない。
【0039】
1.実験方法
(1)微生物
本実施例では、グリセロールからエタノールを生産する活性を有する、パエニバチルス マセランス(Paenibacillus macerans)NS−1株(寄託番号FERM P−22124)を使用した。また、比較のために、パエニバチルス マセランス(Paenibacillus macerans)の基準株(NBRC15307)を菌株保存機関であるNBRCから購入して使用した。
【0040】
(2)培養液
本実施例において使用した培養液は、Paenibacillus属の培養に関する報告を基に表4aに示す組成とした(P. Pason et al., “Purification and characterization of a multienzyme complex produced by Paenibacillus curdlanolyticus B-6”, Appl. Microbiol. Biotech., 85, 573-580 (2010).)。培養液は無機塩を主体としており、主要炭素源としてグリセロール(またはグリセロール廃液)を含む。微生物の生育を助ける目的で窒素源としてトリプトンを添加するとともに表4bに示すビタミン類および微量金属を微量添加した。
【0041】
【表4a】
【0042】
【表4b】
【0043】
培養液のpH及びグリセロール濃度は、実験条件に応じ変化させた。
【0044】
pHについては、本実験で検討した範囲においてグリセロール廃液を培養液に混入した際の最大値がpH=9であったことから、実験条件としてはpH7,8,9に設定することとした。
【0045】
グリセロール純品を使用した試験では、ビタミン、微量金属を除く成分についてオートクレーブ滅菌し、滅菌後の溶液にフィルター除菌したビタミン、微量金属の濃縮液を添加した。
【0046】
本実施例において使用したグリセロール廃液は、食品系の企業から排出された食用油からアルカリ触媒法によってバイオディーゼル燃料を生成した際に副産物として生じたもので、アルカリ性を呈している(pH=9.9)。グリセロール廃液の組成を表5に示す。
【0047】
【表5】
【0048】
グリセロール廃液を使用した実験では、ビタミン、微量金属、グリセロール廃液を除く成分についてオートクレーブ滅菌し、所定濃度のグリセロール廃液、フィルター除菌したビタミン、微量金属の濃縮液を添加した。なお、グリセロール廃液は、粘度が高い上、熱による成分の変性が生じる可能性があるため、フィルター除菌やオートクレーブ滅菌の適用が困難であった。ただし、成分組成から微生物の混入の可能性が極めて低いことから、未滅菌で実験に使用した。
【0049】
なお、本実施例において使用した微生物は、表4a及び表4bに示す培養液(但し、pH=7、グリセロール(純品)濃度=5g/L)で、窒素ガスを充填した100mL容積のバイアル瓶を使用し、30℃、嫌気的環境下で約2週間おきに継代培養してから実験に供した。
【0050】
(3)培養試験方法
オートクレーブ滅菌した100mL容積のガラスバイアル瓶に、上記1の(2)で調整した培養液を50mL充填し、ブチルゴム栓で密閉したうえで、容器内を窒素ガスにより嫌気状態とした。そこへ、継代培養した微生物(上記1の(2)を参照)の懸濁液を、シリンジを用いて所定の菌体密度となるように植菌し、30℃に加温した恒温器中で静置培養した。培養試験は基本的に3連(n=3)で実施した。
【0051】
(4)菌体密度計測
培養液に生息する微生物の計測は、微生物の懸濁密度と相関のある660nmの吸光度を吸光度計により測定することにより行った。
【0052】
(5)成分分析
培養液中のグリセロール、および微生物変換によって生じたエタノール、酢酸は、液体クロマトグラフィー(Lachrome Elite、日立製)で定量分析した。クロマトグラフィーのカラムはGelpak(登録商標)(GL−C610H−S、7.8φ×300mm)を使用し、0.1%リン酸をバッファーとして用い、RI検出器により信号を得た。なお、計測時のオーブン温度は40℃、カラム内の流速は0.5mL/分とした。測定には、フィルター濾過により微生物等の固形分を除去した培養液10μLを使用した。
【0053】
2.実験結果(グリセロール純品)
(1)中性環境における微生物のエタノール生産活性
まず、NS−1株のエタノール生産活性を、グリセロール純品を使用した中性条件で調査した。グリセロールを60mM含有させた培養液に、NS−1株を1×10
7cells/mLの密度で植菌した際の、グリセロール濃度、菌体密度、並びに生成物の濃度変化を
図2に示す。
【0054】
培養開始直後からグリセロール濃度が減少するとともに、エタノールの生成が生じることが確認された。また、菌体密度は培養開始1日目で急激な増加があったが、2日目以降では定常状態で推移する傾向が見られた。尚、培養初期において、微量の酢酸の生成が確認されたが、エタノールと比較するとその生産量は小さかった。
【0055】
(2)アルカリ性環境における微生物のエタノール生産活性
NS−1株について、初期培養液のpHを7,8,9に設定した際の、培養6日目のグリセロール純品の消費量、エタノール生産量、並びにエタノール変換効率を表6に示す。
【0056】
【表6】
【0057】
表6に示されるように、NS−1株のエタノール変換効率は、pHによる影響を受けずに、pH9においても、92.7%という極めて高い値が得られた。一方、パエニバチルス マセランス(Paenibacillus macerans)の基準株(NBRC15307、表6中の「Type Strain」)で同様の試験を実施したところ、アルカリ環境(pH=8,9)ではグリセロールのエタノールへの変換がみられなかった。以上の結果から、NS−1株は、アルカリ環境に順応し、エタノール生産活性を維持する特異な微生物であると判断された。
【0058】
(3)初期グリセロール濃度の微生物変換への影響
初期培養液(pH=7)に含まれるグリセロール濃度を変化させたときの培養6日目のエタノール変換効率、ならびにグリセロール消費率の変化を調査した結果を表7に示す。
【0059】
【表7】
【0060】
エタノール変換効率については、初期グリセロール濃度10mMで100%となり、初期グリセロール濃度を高めることで若干低下したものの、初期グリセロール濃度を100mM、150mMとした場合においても、70〜80%に維持されることが明らかとなった。
【0061】
また、グリセロール消費率については、初期グリセロール濃度10mMで100%となったが、初期グリセロール濃度60mMで60%まで低下し、初期グリセロール濃度を100mM、150mMとした場合には20〜30%まで低下した。尚、本実験の結果から、初期グリセロール濃度を高くしても、グリセロール消費量は30mM程度で頭打ちとはなるものの、NS−1株によりグリセロールは消費され、エタノール変換に供されることが明らかとなった。
【0062】
以上の結果から、初期グリセロール濃度を高めてもエタノール変換効率が大きく低下することはないことが明らかとなった。換言すると、NS−1株においては、初期グリセロール濃度に起因する基質阻害が顕著には生じないことが明らかとなった。但し、グリセロールからエタノールへの変換効率を最大限に高める上では、グリセロール濃度は60mM以下に維持することが好適であり、30mM以下に維持することが好適であると考えられた。
【0063】
(4)エタノール含有濃度の微生物変換への影響
上記2の(3)の結果において、NS−1株のグリセロールからのエタノール生産が生成物であるエタノールによってどの程度影響を受けるかを調査するため、グリセロール60mMを含む培養液(pH=7)にあらかじめエタノールを種々の濃度で含有させた際の微生物の比増殖速度を計測した。その結果を
図3に示す。
【0064】
初期エタノール濃度0の場合、微生物の比増殖速度は0.4(/h)であった。初期エタノール濃度を増加させるに伴い、微生物の比増殖速度は減少し、エタノール濃度約430mMで比増殖速度が半減する結果を得た。
【0065】
一般的に微生物反応による生成物(ここではエタノール)の高濃度蓄積が微生物の反応に影響を及ぼす恐れがあるが、本実験の結果を上記2の(3)での実験結果と合わせて考察すると、初期グリセロール濃度60mM以上で蓄積したエタノール濃度は30mM程度であり、生成物であるエタノールの蓄積による影響は殆どないと考えられた。
【0066】
3.実験結果(グリセロール実廃液)
(1)中和グリセロール廃液の変換活性
NS−1株を用いたグリセロール廃液からのエタノール生成試験として、中性条件下でのグリセロール廃液からのエタノール生成を確認した。培養液に5g/L(正味グリセロール濃度約30mM)のグリセロール廃液を含有させたのちにpH=7とし、NS−1株による変換試験を実施した。その際のグリセロール、エタノール、酢酸濃度の経時変化を
図4に示す。
【0067】
図4に示される結果から、培養開始直後よりグリセロール濃度の減少が観察され、培養開始3日目でほぼすべてのグリセロールが消失することが明らかとなった。6日目におけるエタノール変換効率は69.0%(エタノール生成量mM/グリセロール消費量mM:18.9/27.4)であり、グリセロール純品を用いた際と遜色ない値を示した。
【0068】
(2)pH未調整グリセロール廃液の変換活性
培養液にグリセロール廃液を5g/L含有させたところ、pHは約9を示した。この培養液にNS−1株を1×10
7cells/mLの初期密度で植菌し変換試験を実施したところ、7日の培養期間でほぼグリセロールが消失し、エタノールの生成が確認された(
図5)。また、培養初期に酢酸の生成が認められた。培養7日目におけるグリセロール消費量に対するエタノール生成の割合(エタノール変換効率)は72.5%であった。
【0069】
これまでに、pH未調整のグリセロール廃液からの微生物変換によるエタノール生産の報告例は無い。これはアルカリ性の環境下において活性を維持できる微生物が限られているためと考えられる。
【0070】
以上、本実験の結果から、NS−1株が、アルカリ性であるpH未調整のグリセロール廃液からエタノールを生産することのできる機能を持つ特異な性質を有する微生物であることが明らかとなった。
【0071】
4.微生物反応の数式化による連続培養のシミュレーション
NS−1株を用いて、グリセロール廃液からエタノールを生産するリアクターを構築した際の好適な運転条件について、シミュレーションにより検討した。
【0072】
(1)NS−1株によるグリセロール廃液からのエタノール生産反応の数式化
上記3の(2)において、NS−1株によるグリセロール廃液からのエタノール生産を実施した際の物質変化を元に、微生物によるエタノール生産の数値モデルを構築した。この際に、以下の点に着目した。
・微生物の対数増殖は培養初期で止まり、その後は一定の菌数を維持する。
・培養初期にのみ酢酸の生成が生じる。
・エタノール生成は培養期間を通して生じる。
・高濃度のグリセロール、エタノールによって基質阻害、生成物阻害が生じる。
【0073】
微生物の対数増殖が、基質の完全消費を待たずに終了し、同時期に酢酸生成が停止する現象は、アセトン・ブタノール発酵で知られるClostridium acetobutylicumが、培養初期に酢酸、酪酸を生成しながら対数増殖し、ある時点で対数増殖が停止し異なる生成物を生産するようになる現象に酷似している。この現象は、培養途中において何らかの代謝転換因子が蓄積し、一定量に達するとスイッチが切り替わることによって生じると考えられている(T. Kousaka et al., “Characterization of the sol operon in butanol-hyper-producing Clostridium saccharoperbutylacetonicum strain N1-4 and its degeneration mechanism”, Biosci. Biotechnol. Biochem., 71, 58-68 (2007))。本実施例においては、酢酸生成ならびに微生物の生育が停止するタイミングをもって生成物の切り替わりが起こっていると仮定し、シミュレーションを行うこととした。
【0074】
以下に、菌体の増殖、グリセロール濃度変化、エタノール濃度変化、酢酸濃度変化に対する数式を示す(田口久治 他編、「微生物培養工学」、共立出版株式会社(1992))。
【0075】
菌体の増殖モデル
【0076】
【数1】
【0077】
グリセロール濃度変化モデル
【0078】
【数2】
【0079】
エタノール濃度変化モデル
【0080】
【数3】
【0081】
酢酸濃度変化モデル
【0082】
【数4】
【0083】
r
x :菌体の増殖速度(cells/mL/h)
μ
max:最大比増殖速度(1/h)
c
s :基質(グリセロール)濃度(mol/L)
K
S :基質(グリセロール)の飽和定数(mol/L)
K
P :生成物(エタノール)の阻害定数(mol/L)
c
p :生成物(エタノール)の濃度(mol/L)
X :菌体密度(cells/mL)
r
s :基質(グリセロール)の濃度変化(mol/L/h)
Y :基質あたりの菌体増殖量(cells/mol)
r
p :生成物(エタノール)の濃度変化(mol/L/h)
Y
P/S:エタノール変換効率(mol product/mol substrate)
c
B :副生成物(酢酸)の濃度(mol/L)
r
B :副生成物(酢酸)の濃度変化(mol/L/h)
Y
B/S:酢酸変換効率(mol byproduct/mol substrate)
【0084】
図6に、NS−1株によるグリセロール廃液からのエタノール生成のシミュレーション(線)ならびに実測値(点)を示す。シミュレーションによってグリセロールの消費、エタノール、酢酸の生成を矛盾なく再現することができた。また、グリセロール廃液中では実測が困難であった菌体密度の推移についても予測することができた。なお、培養後期のグリセロール濃度について、実測では1.6mM程度のグリセロールが残存していたが、グリセロールの初期濃度(25mM)では基質阻害の効果が殆どないこと、測定上の誤差の可能性があることから、シミュレーションではゼロに達しているとみなした。
【0085】
(2)NS−1株によるエタノール生産連続培養系のシミュレーション1
上記4の(1)で採用した初期条件を用いて、NS−1株を用いてグリセロール廃液からのエタノール生産連続培養を想定したシミュレーションを実施した。連続培養においては、グリセロール濃度がゼロに達した時点で培養液の一部を回収し、グリセロール(濃度:25mM)を含む新鮮な培養液を投入する半回分法とした。この培養液の交換において回収する培養液の割合を変化させた際の培養液交換頻度や、その際の菌体密度の推移、エタノール生産効率について調査した。
【0086】
半回分培養の際に回収する培養液の割合を20体積%、50体積%、80体積%に設定し、10日間連続培養した際のシミュレーション結果を
図7に示す。培養開始から最初にグリセロール濃度がゼロになるまでの時間はすべての条件において約3日で等しく、その後の回収する培養液の割合の違いによって異なる濃度変化を示した。10日間での培養液の交換頻度はそれぞれ20体積%で11回、50体積%で6回、80体積%で4回であった。回収する培養液の割合20体積%の運転条件では、次第に菌体密度が低下していく結果となった。これは菌体密度が定常期に達する前にグリセロールが消失することが原因であり、徐々に菌体密度が低下する影響でグリセロール消費速度が次第に遅くなり、培養液交換までのタイミングが長くなる結果となった。一方で、回収する培養液の割合が50体積%、80体積%の場合にはグリセロールが消失する前に菌体密度が定常に達するため、2回目以降の培地交換のタイミングは各条件においてほぼ一定となった。
【0087】
次に、連続培養においてエタノール生産速度が最大となる回収割合を探るため、回収する培養液の割合を10体積%から90体積%まで変化させた際の、それぞれ3回目の培養液交換からグリセロール消失までに要した時間と回収されるエタノールから、エタノール生産速度(mol/L/day)を算出した(
図8)。その結果、回収する培養液の割合を50体積%とした場合に最も高いエタノール生産速度に達し、その値は6.56mmol/L/dayと見積もられた。
【0088】
(3)NS−1株によるエタノール生産連続培養系のシミュレーション2
実用性を考える場合、生産されるエタノールの濃度はより高いほうが望ましい。そこで、半回分培養において、グリセロール濃度がゼロに達した時点で、培養液の5体積%のみを回収し新たにグリセロール濃度を初期値に戻す操作を想定し、シミュレーションを行った(
図9)。グリセロールの初期濃度を50mM(NS−1株において完全に消費可能な濃度)とした場合、培養器中のエタノール濃度は徐々に増加し、約600mM(27.6g/L)で定常状態になると予測された(
図8−A)。この値は現時点でグリセロールからエタノール生産をする微生物変換に関する文献値の最高値である28.1g/L(X. Liu et al., “Bioconversion of crude glycerol feedstocks into ethanol by Pachysolen tannophilus”, Bioresource Technology, 104, 579-586 (2012))にほぼ匹敵するものであり、実用的価値が認められた。ただし、この培養条件においてエタノール濃度が定常に達するまでには500日を要すると見込まれた。
【0089】
ここで、NS−1株は菌体密度が一定以上高くならないため、微生物の自然の増殖に頼った連続培養では到達濃度に限界があると考えられた。ところで、微生物を用いた物質生産システムの中には、微生物を反応触媒と見立て、あらかじめ培養し高濃度に濃縮した微生物を維持しながら物質生産を行う手法が知られている(M. Inui et al., “Metabolic analysis of Corynebacterium glutamicum during lactate and succinate productions under oxygen deprivation conditions”, J. Microbiol. Biotechnol.,7(4), 182-196 (2004))。NS−1株によるエタノール生産においても同様の手法をとることが可能であると考えられるため、培養液中に常時定常期の5倍、10倍の菌体密度のNS−1株を保持した状態で、グリセロール濃度がゼロに達した時点で、培養液の5体積%を回収し新たにグリセロール濃度を初期値に戻す操作を想定し、この際に生成されるエタノール濃度を推定した。その結果、菌体密度を5倍とした場合には、定常状態に達するまでの日数が90日、10倍の場合には45日と大幅に短縮されると予測され、更なる実用性が期待できることが明らかとなった(
図9−B、C)。