特許第6238114号(P6238114)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 日立金属株式会社の特許一覧

特許6238114高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法
<>
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000007
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000008
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000009
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000010
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000011
  • 特許6238114-高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法 図000012
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6238114
(24)【登録日】2017年11月10日
(45)【発行日】2017年11月29日
(54)【発明の名称】高速度工具鋼、刃先用材料および切断工具、ならびに、刃先用材料の製造方法
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20171120BHJP
   C22C 38/30 20060101ALI20171120BHJP
   C21D 8/06 20060101ALI20171120BHJP
   B23D 61/02 20060101ALI20171120BHJP
   C21D 9/24 20060101ALN20171120BHJP
【FI】
   C22C38/00 302E
   C22C38/30
   C21D8/06 B
   B23D61/02 A
   B23D61/02 Z
   !C21D9/24
【請求項の数】5
【全頁数】11
(21)【出願番号】特願2013-158612(P2013-158612)
(22)【出願日】2013年7月31日
(65)【公開番号】特開2014-208870(P2014-208870A)
(43)【公開日】2014年11月6日
【審査請求日】2016年6月10日
(31)【優先権主張番号】特願2012-206562(P2012-206562)
(32)【優先日】2012年9月20日
(33)【優先権主張国】JP
(31)【優先権主張番号】特願2013-63778(P2013-63778)
(32)【優先日】2013年3月26日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000005083
【氏名又は名称】日立金属株式会社
(72)【発明者】
【氏名】福元 志保
【審査官】 田口 裕健
(56)【参考文献】
【文献】 特開平08−296098(JP,A)
【文献】 特開平10−025545(JP,A)
【文献】 特開平11−006042(JP,A)
【文献】 特開平01−201444(JP,A)
【文献】 特開昭64−008252(JP,A)
【文献】 特開2002−161333(JP,A)
【文献】 特開2013−213277(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00−38/60
C21D 9/00− 9/44
C21D 8/06
B23D 61/00−61/18
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.5〜1.5%、Si:1.0%以下、Mn:1.0%以下、Cr:3.0〜5.0%、(W+2Mo)の計算式によるWおよびMoのうちの1種または2種:15.0〜25.0%、V:1.0〜1.5%未満、Co:5.0〜10.0%、残部Feおよび不純物でなる高速度工具鋼において、
前記高速度工具鋼が、さらに、Ca:0.0005〜0.004%およびN:0.005〜0.015%を含有することを特徴とする高速度工具鋼。
【請求項2】
請求項1に記載の高速度工具鋼でなることを特徴とする刃先用材料。
【請求項3】
断面組織中に含まれる炭化物の絶対最大長が25μm未満であることを特徴とする請求項2に記載の刃先用材料。
【請求項4】
請求項2または3に記載の刃先用材料を胴材に溶接してなることを特徴とする切断工具。
【請求項5】
質量%で、C:0.5〜1.5%、Si:1.0%以下、Mn:1.0%以下、Cr:3.0〜5.0%、(W+2Mo)の計算式によるWおよびMoのうちの1種または2種:15.0〜25.0%、V:1.0〜1.5%未満、Co:5.0〜10.0%、残部Feおよび不純物でなる高速度工具鋼を鋼塊に鋳造し、前記鋼塊に熱間加工を行う刃先用材料の製造方法であって、
前記高速度工具鋼の鋼塊が、さらに、Ca:0.0005〜0.004%およびN:0.005〜0.015%を含有することを特徴とする刃先用材料の製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、金属の切断に用いられる鋸刃等の切断工具の刃先用材料の素材に好適な高速度工具鋼と、刃先用材料、切断工具、そして、刃先用材料の製造方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
従来、鋼材等の金属材料の切断には、帯鋸や丸鋸等の鋸刃に代表される切断工具が用いられている。鋸刃は、一般的に次の工程で製造される。まず、所定の成分組成に調整された溶鋼を鋳造して鋼塊や鋼片等の素材とし、あるいは、該溶鋼からアトマイズ法などにより得られた粉末を熱間高圧成形して素材とし、これに熱間加工を行い、その後、種々の加工と熱処理を経て、平線等の形状を有した刃先用材料が製造される。そして、刃先用材料は、電子ビーム溶接またはレーザー溶接などを用いて胴材と溶接され、刃付け加工が行われ、焼入れ焼戻しが施されて、最終製品である鋸刃に仕上げられる。上記の刃先用材料の素材には、JIS G 4403で規格されている高速度工具鋼SKH59(ISO4957に規定されているHS2−9−1−8に相当)が広く適用されている。SKH59は、赤熱硬さに優れ、かつ、切断耐久性に優れた素材であり、鋸刃の刃先用材料の素材として優れた特性を有する。例えば、特許文献1には、刃先用材料の素材としてSKH59を採用した帯鋸刃及びその製造方法の発明が開示されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2010−280022号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
刃先がSKH59で製造された鋸刃は切断耐久性に優れることから、様々な鋼材の切断に使用されている。しかし、使用条件によっては、刃先に限定した損耗形態として、早期の刃先の摩耗、チッピングなどを生じることが知られている。そして、これらの損耗の対策として、刃先の形状や硬さ、表面処理といった刃先の設計に係る改良が行われているものの、ことチッピングについては、依然として早期に発生する場合がある。刃先の設計に係る事項以外で、上記のチッピングが生じる原因には、刃先用材料の組織中に含まれる粗大な炭化物がある。つまり、刃先用材料の組織中に著しく粗大な炭化物が多く含まれると、例えば断面組織中に絶対最大長が25μm以上の炭化物が多く含まれると、この著しく粗大な炭化物が焼入れ焼戻し後の刃先組織でも残留して、刃先の靭性が低下する。そして、使用中の刃先の破壊に要する応力(破壊応力)が低下して、粗大な炭化物を起点とした破壊が発生する。したがって、刃先用材料の組織中の炭化物サイズを小さくすることが、チッピングの抑制に有効である。
【0005】
高硬度を実現できるSKH59の成分組成は、組織中に多量の炭化物を形成する合金設計となっている。そして、このような成分組成の高速度工具鋼の場合、鋼塊や鋼片等の素材の時点で、その鋳造組織中に著しく粗大化した塊状の共晶炭化物が形成されやすい。一般的に、鋳造組織中の共晶炭化物(MC)は板状であり、熱間加工によって粒状の炭化物(MC)に変化させることができる。しかし、共晶炭化物が著しく粗大な塊状であると、刃先用材料の製造工程において、続く熱間加工(線材加工)でも炭化物を十分な粒状に変化させることができず、刃先用材料の焼鈍組織には、上記絶対最大長が25μm以上の著しく粗大な炭化物が多く存在する。そして、焼鈍組織で微細に出来なかった炭化物は、溶接および刃付け工程を経て、最終工程の焼入れ焼戻しでも微細にならない。その結果、刃先組織中に粗大な炭化物が多く含まれた鋸刃は、優れた耐摩耗性は付与できるとしても、耐チッピング性が劣化する要因となる。
【0006】
しかし、従来技術に係る刃先用材料では、組織中の炭化物サイズを小さくすることは必ずしも容易ではない。その理由は、実操業においては効率を求めるために鋼塊や鋼片等の素材の重量を大きくしなければならず、溶鋼が凝固する時の冷却速度が遅くなるので、凝固後の素材の鋳造組織中に好ましくない粗大な共晶炭化物が形成され、これが後工程まで残存してしまうためである。
本発明の目的は、SKH59の優れた特性を維持して、かつ、実操業のレベルでも凝固組織中における炭化物サイズを微細にできる高速度工具鋼と、これを用いてなる刃先用材料、切断工具を提供することである。そして、刃先用材料の製造方法を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者は、上記の課題を解決するため、SKH59の成分組成を詳細に見直した。その結果、SKH59の成分組成は実質的に変更しないで、これに特定の元素種を最適な範囲で含有せしめることで、SKH59の優れた特性を維持でき、かつ、鋳造組織中における共晶炭化物を微細にできることを知見した。そして、その特定の元素種であるCaおよびNの成分範囲を明確にして、本発明に到達した。
【0008】
すなわち、本発明は、質量%で、C:0.5〜1.5%、Si:1.0%以下、Mn:1.0%以下、Cr:3.0〜5.0%、(W+2Mo)の計算式によるWおよびMoのうちの1種または2種:15.0〜25.0%、V:1.0〜1.5%未満、Co:5.0〜10.0%、残部Feおよび不純物でなる高速度工具鋼において、前記高速度工具鋼が、さらに、Ca:0.0005〜0.004%およびN:0.005〜0.015%を含有することを特徴とする高速度工具鋼である。そして、前記高速度工具鋼でなる刃先用材料である。この刃先用材料の断面組織中に含まれる炭化物の絶対最大長は、25μm未満であることが好ましい。そして、前記刃先用材料を胴材に溶接してなる切断工具である。
【0009】
また、本発明は、質量%で、C:0.5〜1.5%、Si:1.0%以下、Mn:1.0%以下、Cr:3.0〜5.0%、(W+2Mo)の計算式によるWおよびMoのうちの1種または2種:15.0〜25.0%、V:1.0〜1.5%未満、Co:5.0〜10.0%、残部Feおよび不純物でなる高速度工具鋼を鋼塊に鋳造し、前記鋼塊に熱間加工を行う刃先用材料の製造方法であって、前記高速度工具鋼の鋼塊が、さらに、Ca:0.0005〜0.004%およびN:0.005〜0.015%を含有することを特徴とする刃先用材料の製造方法である。
【発明の効果】
【0010】
本発明によれば、効率的な手法で、高速度工具鋼でなる各種製品の組織中の炭化物を微細にすることができる。そして、切断工具の刃先に使用したときの耐チッピング性に優れるので、各種の切断工具の刃先用材料、特には鋸刃の刃先用材料として好適な高速度工具鋼を提供することが可能である。そして、前記刃先用材料の製造方法を提供することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0011】
図1】本発明例の高速度工具鋼の鋳造組織中に分布する共晶炭化物の一例を示す顕微鏡写真である。
図2】本発明例の高速度工具鋼の鋳造組織中に分布する共晶炭化物の一例を示す顕微鏡写真である。
図3】本発明例の高速度工具鋼の鋳造組織中に分布する共晶炭化物の一例を示す顕微鏡写真である。
図4】比較例の高速度工具鋼の鋳造組織中に分布する共晶炭化物の一例を示す顕微鏡写真である。
図5】高速度工具鋼の鋼塊中に含まれるCa量およびN量と塊状の共晶炭化物量との関係を説明する図である。
図6】走査型電子顕微鏡で観察した本発明例および比較例の高速度工具鋼の焼鈍組織の断面を二値化処理した画像であり、該焼鈍組織の断面中に分布する粗大な炭化物を示す図面代用写真である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明の特徴は、SKH59の成分組成において課題であった鋳造組織中の共晶炭化物が塊状化することで、炭化物サイズが粗大化するという現象を、成分組成の改良によって抑制できたところにある。本発明のいう「塊状の共晶炭化物」とは、鋳造組織の観察面において、専ら板状(層状)で観察される共晶炭化物のうち、その各層の最大の厚みが3μm以上の共晶炭化物をいう。以下に、本発明の高速度工具鋼の成分組成の限定理由について述べる。(「質量%」について、単に「%」と記載する。)
【0013】
・C:0.5〜1.5%
Cは、Cr、W、Mo、Vと結合して炭化物を形成し、焼入れ焼戻し硬さを高め、耐摩耗性を向上する元素である。しかし、多すぎると靭性が低下する。よって、後述するCr、W、Mo、V量とバランスさせた上で、0.5〜1.5%とする。好ましくは0.9%以上であり、また、好ましくは1.2%以下である。
【0014】
・Si:1.0%以下
Siは、通常、溶解工程における脱酸剤として使用される。しかし、多すぎると靭性が低下するので、1.0%以下とする。好ましくは0.1%以上であり、また、好ましくは0.6%以下である。
【0015】
・Mn:1.0%以下
Mnは、Siと同様、脱酸剤として使用される。しかし、多すぎると靭性が低下するので、1.0%以下とする。好ましくは0.1%以上であり、また、好ましくは0.5%以下である。
【0016】
・Cr:3.0〜5.0%
Crは、焼入性、耐摩耗性、耐酸化性等を付与するのに有効な元素である。しかし、多すぎると靭性、高温強度、耐焼戻し軟化特性を低下させる。よって、3.0〜5.0%とする。好ましくは3.5%以上であり、また、好ましくは4.5%以下である。
【0017】
・(W+2Mo)の計算式によるWおよびMoのうちの1種または2種:15.0〜25.0%
WおよびMoは、Cと結合して特殊な炭化物を形成して、耐摩耗性や耐焼付き性を付与する。また、焼戻し時の2次硬化作用が大きく、高温強度も向上する。しかし、多すぎると、熱間加工性を阻害する。よって、(W+2Mo)の関係式において、これらの1種または2種を15.0〜25.0%とする。好ましくは18.0%以上であり、また、好ましくは23.0%以下である。
【0018】
・V:1.0〜1.5%未満
Vは、Cと結合して硬質の炭化物を形成し、耐摩耗性の向上に寄与する。しかし、多すぎると靭性が低下する。よって、1.0〜1.5%未満とする。好ましくは1.1%以上であり、また、好ましくは1.3%以下である。
【0019】
・Co:5.0〜10.0%
Coは、基地中に固溶して、焼戻しマルテンサイトの硬さを向上させ、耐摩耗性の向上に寄与する。また、製品の強度や耐熱性を向上させる。しかし、多すぎると靭性が低下する。よって、5.0〜10.0%とする。好ましくは6.0%以上であり、また、好ましくは9.3%以下である。
【0020】
そして、本発明の高速度工具鋼は、以上で説明したSKH59相当の成分組成の高速度工具鋼に対して、適量に調整されたCaおよびNを含有することが重要である。
・Ca:0.0005〜0.004%
Caは、鋳造組織中における共晶炭化物の形態に大きく作用するので、本発明にとって上下限の管理が重要な元素である。まず、凝固時に形成される共晶炭化物はVを主要元素に含むところ、凝固速度の遅い実操業では共晶開始点における液相中のV量が減少する傾向にあることが推測された。そして、この結果、共晶炭化物の発生核が減少して(疎らになって)、その間隔を埋めるように共晶炭化物が塊状に成長しているのだと、本発明者は推定した。そこで、これにCaを添加すると、液相中のV量が増加し、共晶炭化物の発生核が増加して(間隔が狭まって)、事実、共晶炭化物が塊状に成長するのが抑制されていることを突きとめた。そして、Caの添加量が0.001%の辺りから上記の効果が飛躍的に向上する結果を得た。
【0021】
一方で、本発明者は、Caの添加量が0.003%を超えた辺りから塊状炭化物が増加する傾向に転じる現象を見いだした。これは、上記液相中のV量が、今度は減少しだしたのだと考えられる。そして、Caの添加量が0.01%にもなると、上記のCaを0.001%添加したときに比して、共晶炭化物の塊状化を抑制する効果が大きく薄れる結果を得た。共晶炭化物が極端に大きくなると、次の熱間加工でも粒状に変化できない炭化物となって残留し、製品の靭性が低下する。以上の結果より、本発明のCaは、0.0005〜0.004%とすることが重要である。好ましくは0.001%以上であり、また、好ましくは0.003%以下である。
【0022】
・N:0.005〜0.015%
Nもまた、鋳造組織中における共晶炭化物の形態に大きく作用する元素として、上下限の管理が重要な元素である。高速度工具鋼には、通常、0.03%程度のNが不可避的に含まれている。そして、過多のN量の含有は、例えば素材中にバナジウム窒化物を形成して、素材の熱間加工性を阻害することから、Nを上記0.03%程度の含有量から低減することが提案されている。しかし、Nを低減したとしても、これを低減しすぎると上記のCa添加による効果を大きく阻害して、共晶炭化物の塊状化を著しく助長することを、本発明者は知見した。そして、この阻害効果は、逆にN量が多くても顕著になることを知見した。したがって、本発明に係るN量には最適な範囲がある。そして、この最適な範囲が0.01%の辺りにあることを確認した。よって、本発明のNは、0.005〜0.015%とすることが重要である。下限について、好ましくは0.007%以上であり、さらに好ましくは0.009%以上である。また、上限について、好ましくは0.013%以下であり、さらに好ましくは0.012%以下である。
【0023】
その他、本発明の高速度工具鋼には、SおよびPが不可避的な不純物元素として、含まれ得る。Sは、多すぎると、それ自体が熱間加工性を阻害するのに加えて、上記のCaと結合して、本発明のCa添加による効果を阻害するので、0.01%以下に規制することが好ましい。より好ましくは0.005%以下である。Pは、多すぎると靭性を劣化するので、0.05%以下に規制することが好ましい。より好ましくは0.025%以下である。
【0024】
本発明の高速度工具鋼を鋼塊に鋳造して、これに熱間加工を行うことで、前記熱間加工後の焼鈍組織中の炭化物サイズが小さい刃先用材料を得ることができる。好ましくは、断面組織中に含まれる炭化物の絶対最大長が25μm未満の刃先用材料である。そして、この刃先用材料を胴材に溶接した後、刃付け加工を行い、焼入れ焼戻しを施して製造した切断工具は、その刃先組織中において粗大な炭化物が低減されており、優れた耐チッピング性を有する。
【実施例1】
【0025】
所定の成分組成に調整した溶鋼を準備した。溶鋼のN量は真空精錬とCrN合金の投入によって調整した。溶鋼のCa量はCa−Si合金の投入によって調整した。そして、前記溶鋼を実操業レベルに相当する10℃/分程度の冷却速度で鋳造して、表1の成分組成を有する高速度工具鋼の鋼塊を作製した。
【0026】
【表1】
【0027】
そして、これらの鋼塊の組織中にある板状の共晶炭化物の分布状況を倍率500倍の光学式顕微鏡で観察した。共晶炭化物を観察した鋼塊の位置は、鋼塊の高さ(H)に対するH/10の鋼塊上部において、直径(D)に対するD/8の位置(すなわち、外周部からD/8入った位置)である。観察面は、鏡面研磨後、共晶炭化物を腐食、着色させる村上試薬で腐食した。本発明例の鋼塊No.1〜3および比較例の鋼塊No.9の光学式顕微鏡写真を図1〜4に示す。各図において、専ら板状(層状)でなる黒色部が共晶炭化物である。
【0028】
さらに、上記共晶炭化物のうちで、各層の最大の厚みが3μm以上の塊状の共晶炭化物の組織中に占める面積量を測定した。面積の定量には、アメリカ国立衛生研究所(NIH)が提供している画像処理ソフトウェアimageJ(http://imageJ.nih.gov/ij/)と、これのアドインソフトウェアであり、塊状炭化物の局所的な厚みの解析が可能であるboneJ(http://boneJ.org/)とを用いた。観察面の総面積は約327000μm(具体的には326890.3μm)である。結果を表2に示す。
【0029】
【表2】
【0030】
図1〜3の通り、本発明例の高速度工具鋼は、鋳造組織中の共晶炭化物の各層の厚みが薄く、共晶炭化物が全体的に微細化されていた。これに対して、図4の通り、従来の高速度工具鋼(No.9)は、鋳造組織中の共晶炭化物の各層の厚みが厚く、最大の厚みが3μm以上の塊状の共晶炭化物が多く形成されていた。その中には、最大の厚みが7μm以上に及ぶものも多くあった。そして、表2の結果から、本発明例の高速度工具鋼における最大の厚みが3μm以上の塊状の共晶炭化物の面積量は、観察面の総面積に対して約0.6面積%以下のレベルであり、従来の高速度工具鋼(No.9)のそれに比べて少なくなっていた。
【0031】
図5は、本発明例および比較例の高速度工具鋼No.1〜13における塊状の共晶炭化物の面積量の測定結果を、Ca量およびN量との関係で整理したものである。N量が100ppm(0.01%)付近に調整された高速度工具鋼は、Caが添加されなくても、塊状の共晶炭化物の形成が抑制されているようである(No.8)。しかし、その各層における厚みは、塊状の共晶炭化物の指標とした上記3μm以上の厚みに対して、No.9の高速度工具鋼(図4)のごとく厚いものであった。そして、N量が100ppm(0.01%)付近に調整された上で、さらに本発明量のCaが添加された本発明例の高速度工具鋼(No.2、5)は、No.8の高速度工具鋼に比して、さらに塊状の共晶炭化物の形成が抑制され、かつ、その各層の厚みも薄くなって、共晶炭化物の全体が微細化される効果が顕著であることがわかる。そして、Caが本発明量を超えると、塊状の共晶炭化物が増加する傾向に転じることがわかる。
【実施例2】
【0032】
本発明の高速度工具鋼が切断工具の刃先に使用されたときの様態を想定して、その際の耐チッピング性を評価するための3点曲げの抗折試験を実施した。抗折試験片は、以下の要領で作製した。まず、所定の成分組成に調整した溶鋼を準備した。溶鋼のN量は脱ガス精練によって調整した。溶鋼のCa量はCa−Si合金の投入によって調整した。そして、前記溶鋼を実操業レベルに相当する10℃/分程度の冷却速度で鋳造して、表3の成分組成を有する高速度工具鋼の鋼塊を作製した。これらの鋼塊について、鋼塊No.14およびNo.15の組織中にある共晶炭化物の分布状況は、実施例1における鋼塊No.2およびNo.9のそれと、それぞれがほぼ同等であった。
【0033】
【表3】
【0034】
次に、上記の鋼塊を熱間加工して、直径が5mmの焼鈍状態のコイル線材でなる刃先用材料を得た。そして、この時点で、コイル線材の焼鈍組織中にある炭化物の分布状況を観察した。この観察には、倍率150倍の走査型電子顕微鏡を用いた。そして、コイル線材の長さ方向の断面(縦断面)について、約546000μm(具体的には546133μm)の視野を観察して、絶対最大長が10μm以上の炭化物の個数を計測した。炭化物の計測は、次の要領によった。まず、走査型電子顕微鏡による反射電子像に、専ら粗大な炭化物を形成しているときの主にC、W、MoおよびVの含有量による二値化処理を行うことで、断面組織中に分布する粗大な炭化物を示した二値化画像を得た。図6は、本発明例であるNo.14および比較例であるNo.15に係る二値化画像である(炭化物は、黒点の分布で示されている)。そして、絶対最大長が10μm以上の炭化物を二値化画像から抽出して、この炭化物の個数を計測した。計測の結果を表4に示す。
【0035】
【表4】
【0036】
そして、上記焼鈍状態のコイル線材に、実際の刃先に実施される条件の焼入れ焼戻しを想定して、1190℃のオーステナイト化温度からの焼入れと、560℃で1時間の保持を3回行う焼戻しの熱処理を行った。そして、この熱処理後の試験片に3点曲げの抗折試験を実施した。抗折試験は、試験片の寸法が直径4mm×長さ60mmである。また、試験時のスパンは50mmであり、試験片が破断に至るまでの最大曲げ応力、すなわち、抗折力を測定した。結果を表5に示す。
【0037】
【表5】
【0038】
本発明例の高速度工具鋼の場合、焼入れ焼戻し前の焼鈍組織において粗大な炭化物が少なく、断面組織中に絶対最大長が25μm以上の炭化物が確認されなかった。そして、本発明例の高速度工具鋼は、焼入れ焼戻し後の製品の状態で、高い抗折力を示した。これに対して、比較例の高速度工具鋼では、焼鈍組織で分布していた粗大な炭化物が、焼入れ焼戻し後の組織でも残留していると思われ、本発明例より抗折力が低かった。
図1
図2
図3
図4
図5
図6