特許第6238252号(P6238252)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6238252PTPRZ活性阻害剤、それを用いた治療剤、薬剤輸送システム及び治療システム
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6238252
(24)【登録日】2017年11月10日
(45)【発行日】2017年11月29日
(54)【発明の名称】PTPRZ活性阻害剤、それを用いた治療剤、薬剤輸送システム及び治療システム
(51)【国際特許分類】
   A61K 31/655 20060101AFI20171120BHJP
   A61P 43/00 20060101ALI20171120BHJP
   A61P 35/00 20060101ALI20171120BHJP
   A61K 9/127 20060101ALN20171120BHJP
   A61K 47/02 20060101ALN20171120BHJP
【FI】
   A61K31/655
   A61P43/00 111
   A61P35/00
   !A61K9/127
   !A61K47/02
【請求項の数】11
【全頁数】32
(21)【出願番号】特願2016-2902(P2016-2902)
(22)【出願日】2016年1月8日
(65)【公開番号】特開2017-122074(P2017-122074A)
(43)【公開日】2017年7月13日
【審査請求日】2017年1月12日
(73)【特許権者】
【識別番号】504261077
【氏名又は名称】大学共同利用機関法人自然科学研究機構
(74)【代理人】
【識別番号】100182073
【弁理士】
【氏名又は名称】萩 規男
(72)【発明者】
【氏名】藤川 顕寛
(72)【発明者】
【氏名】久保山 和哉
(72)【発明者】
【氏名】野田 昌晴
【審査官】 澤田 浩平
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第2004/076640(WO,A1)
【文献】 Biochemistry,2003年,42,p.6674-6687
【文献】 Lav Ist Anat Istol Patol Univ Stadi Peruqia,1978年,38(3),p.87
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
A61K9/00−9/72,
A61K31/33−31/80,
A61K47/00−47/69,
A61P1/00−43/00
CAplus (STN),
REGISTRY(STN),
MEDLINE (STN),
EMBASE (STN),
BIOSIS (STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む、PTPRZ活性阻害剤。
【化1】
(式(1)中、R1およびR3は、各々独立して、水素原子または酸性基を示し、R2は、水素原子または水酸基を示し、Aは置換基を有するもしくは有さないフェニル基(ベンゼン環)または、置換基を有するもしくは有さないナフチル基(ナフタレン環)を示す。)
【請求項2】
前記一般式(1)中、Aは下記式(2)
【化2】
(式(2)中、Rは水素原子または酸性基を示す。)、または下記式(3)
【化3】
(式(3)中、Rは前記式(2)のRと同じ。)である、請求項1に記載のPTPRZ活性阻害剤。
【請求項3】
請求項1又は請求項2記載のPTPRZ活性阻害剤を含む、神経膠腫治療剤。
【請求項4】
請求項1又は請求項2記載のPTPRZ活性阻害剤を含む、ヒトPTPRZの過剰発現に起因する疾病の予防・治療剤であって、前記疾病が、脳腫瘍または膠芽腫から選択される、予防治療剤。
【請求項5】
前記式(1)中、R1、R3およびR4は、各々独立して、水素原子または硫酸基を示す、請求項1又は請求項2記載のPTPRZ活性阻害剤。
【請求項6】
前記式(1)中、R1、R3およびR4は、各々独立して、水素原子または硫酸基を示す、請求項3記載の神経膠腫治療剤。
【請求項7】
前記式(1)中、R1、R3およびR4は、各々独立して、水素原子または硫酸基を示す、請求項3記載の予防治療剤。
【請求項8】
前記式(1)中、R1、R3およびR4はいずれも硫酸基を示し、かつR2は水酸基を示す、請求項1又は請求項2記載のPTPRZ活性阻害剤。
【請求項9】
前記式(1)中、R1、R3およびR4はいずれも硫酸基を示し、かつR2は水酸基を示す、請求項3記載の神経膠腫治療剤。
【請求項10】
前記式(1)中、R1、R3およびR4はいずれも硫酸基を示し、かつR2は水酸基を示す、請求項3記載の予防治療剤。
【請求項11】
患者の腫瘍疾患部位において、母材が投与された後、経時変化における腫瘍の増殖を阻止できる、神経膠腫を治療するための薬剤輸送システムまたは治療システムであって、
1)請求項1〜10のいずれかに記載の一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体、および
2)投与用の溶媒
を含む母材を含み、
前記母材は、前記投与の後、前記経時変化にわたり、前記疾患部位に前記剤を放出するようになっている薬剤輸送システムまたは治療システム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、PTPRZ活性阻害剤、それを用いた治療剤、薬剤輸送システム及び治療システムに関する。
神経膠腫(グリオーマ)は、その中でも膠芽腫(グリオブラストーマ)には有効な治療法がなく、確定診断後の平均余命は1年程度である。本発明は、PTPRZの活性を阻害することが、グリオーマの治療に有効であることを示すものである。
【0002】
受容体型タンパク質チロシンホスファターゼ・ゼータ(PTPRZ)は、細胞膜上に発現する受容体分子である。その細胞内にはタンパク質チロシン残基に付与されたリン酸化修飾を除去するタンパク質チロシンホスファターゼ(PTP)活性ドメインを有している。これまでにPTPRZの存在がグリオーマの悪性化に関与していることは示されていたが、PTPRZの細胞内ホスファターゼ活性がグリオーマの悪性化に寄与するのかという大事な点についてはわかっていなかった。また、これまで、PTPRZのPTPドメインに結合して、その働きを選択的に妨げる公知の物質はなく、そのホスファターゼを薬理学的に阻害することでグリオーマに対して制ガン効果が得られるのかもわかっていなかった。
【0003】
本発明者らは、PTPRZのPTPドメインを含む細胞内領域のタンパク質をラット膠芽腫由来の細胞株(C6グリオブラストーマ細胞)に強制発現させることでPTP活性がガン細胞の悪性表現型に関与することを実証した。
本発明者らは、Trisodium 3-hydroxy-4-[(4-sulfonato-1-naphthyl)diazenyl]-2,7-naphthalenedisulfonate(別名アマランス、赤色2号、以下AR27)が、PTPRZに作用して、その酵素活性を阻害することを初めて見出した。
【0004】
本発明者らは、AR27のPTP分子に対する阻害効果が、PTPRZと同じファミリー分子であるPTPRGに対して強く、一方、他のPTPファミリー分子(PTPRA、PTPRM、PTPRS、PTPRB、PTPN1、PTPN6)に対する阻害効果は弱いことを突き止め、AR27が特定のPTPファミリー分子、すなわち、PTPRZとPTPRGに対して高い選択的阻害活性を有することを見出した。
【0005】
本発明者らは、AR27の選択的阻害活性に必要とされる分子構造の特徴、そして、AR27の阻害効果に関わるPTPRZのPTPドメイン内のアミノ酸残基を同定し、AR27によるPTPRZの阻害メカニズムに関しての理解を進めた。
本発明者らは、そのままでは細胞膜を通過せず、細胞内に存在するPTPRZのPTPドメインに対して阻害効果を発揮しないAR27を、リポソームと混合することで効果的に生きた細胞内に取り込ませ、細胞内のPTPRZの酵素活性を抑制する手法(AR27/リポソーム複合体)を発明した。
【0006】
本発明者らは、AR27/リポソーム複合体を用いることで、シャーレ内の培養条件下においてC6グリオブラストーマ細胞株の細胞増殖能と細胞移動能(ガンの悪性化の指標となる)を抑制すること、さらに、C6グリオブラストーマ細胞株のラット脳内への同種同所移植実験における腫瘍形成に対しても抑制効果が得られることを実証した。
以上の成果をまとめることで、PTPRZの細胞内ドメインに対する選択的機能阻害が神経膠腫治療のために有望であることを初めて示し、本発明が完成した。
【背景技術】
【0007】
神経膠腫(グリオーマ)は、最も一般的な原発性脳腫瘍である(非特許文献1参照)。世界保健機関(WHO)の認定するグレードIの神経膠腫は、外科的切除で治療可能であり、より高いグレードへの進行はほとんどなく、予後は良い。グレードIIまたはIIIの神経膠腫は浸潤性があり、より高いグレードへと進行し、予後不良である。膠芽腫(グリオブラストーマ)は最も悪性度の高いグレードIVの神経膠腫である。グリオブラストーマは、固形腫瘍の中でも最悪であり、腫瘍細胞は盛んに増殖し、周囲の正常組織へも広く浸潤する。膠芽腫に対する効果的な治療法はいまだ確立されておらず、致死的な疾病と認識されている。膠芽腫と診断されてからの生存期間の中央値は12ヵ月から14ヵ月である(非特許文献2参照)。
【0008】
タンパク質チロシンリン酸化は後生動物において多くの細胞機能を制御し、その変調は神経膠腫を含む様々なガンの原因に関係する(非特許文献3、非特許文献4参照)。細胞タンパク質上のチロシン残基のリン酸化は、次の2つの酵素群によって動的に制御される。一つは、リン酸基を付加する触媒作用をもつタンパク質チロシンキナーゼ(PTK)であり、もう一つは基質タンパク質からリン酸を除去するタンパク質チロシンホスファターゼ(PTP)である。もともとガン遺伝子として発見された経緯のあるPTKファミリーに属する分子については、現在、最も主要な制ガン剤の標的分子になっている。
【0009】
グリオーマにおいても、遺伝子変異によって恒常的にキナーゼが活性化しているケースは多く認められている。EGFRvIII(上皮細胞増殖因子受容体チロシンキナーゼ(EGFR)の発癌性変異体)は、グリオブラストーマで高頻度に生じている変異である。このEGFRvIII変異体では、自己リン酸化能が高まっており、恒常的にEGFRシグナルが活性化してしまっているため、グリオブラストーマの悪性化に寄与しているとみなされている(非特許文献5、非特許文献6参照)。肺がんにおけるゲフィチニブ(gefinitib)のようなEGFRキナーゼ阻害剤の有意な治療効果(非特許文献7参照)から、これらのキナーゼ阻害剤がグリオマブラストーマに対しても有効ではないかとの期待感をもたらしたが、それに反して、グリオブラストーマの標準的な治療にEGFR標的阻害薬を付与した治療を実施しても、その生存率が有意に改善する治療効果は認められていない(非特許文献8参照)。
【0010】
一方PTPという分子種については、PTKとは逆の酵素反応を担うことから、当初、腫瘍の形成を抑制する働きを担うものと想定された。そのためPTP阻害剤が、ガン治療薬として応用できる可能性は容易に予見できるものではなかった。しかし最近の研究では、PTPファミリーに属する分子の中に、少数乍ら腫瘍形成に対して促進的に働く可能性が示唆されている(非特許文献4、非特許文献9参照)。
【0011】
グリオーマに関しては、受容体型タンパク質チロシンホスファターゼ(RPTP)の一つであるPTPRZ(PTPζまたはRPTPβとも呼ばれる)の発現レベルの上昇が報告されていた(非特許文献10、非特許文献11参照)。他の腫瘍に関しても、神経芽細胞腫、皮膚黒色腫、胃がん(非特許文献12参照)や小細胞肺がん(非特許文献13参照)におけるPTPRZの発現上昇が報告されている。PTPRZはヒト、ラット、マウスのゲノム上に単一遺伝子としてコードされており、mRNAの選択的スプライシングによって3つのアイソフォームが発現している。すなわち、2つの受容体型のPTPRZ−AとPTPRZ−B、および分泌型のPTPRZ−Sである(非特許文献14、非特許文献15参照)。グリオブラストーマでは、3つのアイソフォームのうち、PTPRZ−Bが著しく発現上昇していると報告されている(非特許文献16参照)。正常な脳組織では、これら3つのアイソフォームの全てが発現しており、その細胞外領域にはコンドロイチン硫酸糖鎖と呼ばれる特殊な糖鎖構造によって高度に修飾されている(非特許文献15、非特許文献17参照)。一方、中枢神経組織以外では、胃粘膜組織など末梢組織の一部で、非プロテオグリカンのPTPRZがわずかながら発現していることが示されている(非特許文献18参照)。
【0012】
PTPRZがグリオーマの治療標的となり得る可能性については、PTPRZの細胞外領域に対する特異抗体にタンパク質毒素サポリンを結合させた抗PTPRZートキシン複合体が、ヒトU87グリオーマ細胞株のマウス異種移植モデルにおいて腫瘍形成を遅らせることが示されている(非特許文献19参照)。また、PTPRZの発現がノックダウンされたグリオーマ細胞株では、細胞培養条件下での細胞増殖や細胞移動が低下すること、実験動物への異種移植モデルにおいてグリオーマ細胞株の腫瘍形成能がPTPRZのノックダウンによって低下することが示されている(非特許文献20参照)。
【0013】
また、PTPRZの細胞内ホスファタターゼ活性によって脱リン酸化される生理的な基質タンパク質は、ニューロン、グリア、および胃粘膜細胞を含む多彩な細胞において、細胞移動能、細胞ー細胞間、細胞ー細胞外基質との接着に関係することがわかっている(非特許文献15、非特許文献21参照)。
【0014】
以上の先行知見は、PTPRZという分子がグリオーマの悪性化に関与することを示唆したが、PTPRZのホスファターゼ活性自体が、ガンの悪性化に寄与することを示す知見はなく、さらに言えば、PTPRZのホスファターゼ活性を選択的に阻害する公知の物質や化合物はなく、その可能性を検証することはできなかった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0015】
【非特許文献1】Louis D. N., et al, The 2007 WHO classification of tumours of the central nervous system. Acta Neuropathol. 114, 97-109 (2007)
【非特許文献2】Stupp R., et al, European Organisation for Research and Treatment of Cancer Brain Tumour and Radiation Oncology Groups & National Cancer Institute of Canada Clinical Trials Group. Effects of radiotherapy with concomitant and adjuvant temozolomide versus radiotherapy alone on survival in glioblastoma in a randomised phase III study: 5-year analysis of the EORTC-NCIC trial. Lancet Oncol. 10, 459466 (2009)
【非特許文献3】Zhang J., et al, Targeting cancer with small molecule kinase inhibitors. Nat. Rev. Cancer 9, 28-39 (2009)
【非特許文献4】Julien S. G., et al, Inside the human cancer tyrosine phosphatome. Nat. Rev. Cancer 11, 35-49 (2011)
【非特許文献5】Sugawa N., et al, Identical splicing of aberrant epidermal growth factor receptor transcripts from amplified rearranged genes in human glioblastomas. Proc. Natl Acad. Sci. USA 87, 8602-8606 (1990)
【非特許文献6】Nishikawa R., et al, A mutant epidermal growth factor receptor common in human glioma confers enhanced tumorigenicity. Proc. Natl Acad. Sci. USA 91, 7727-7731 (1994)
【非特許文献7】Paez J. G., et al, EGFR mutations in lung cancer: correlation with clinical response to gefitinib therapy. Science 304, 1497-1500 (2004).
【非特許文献8】Mellinghoff I. K., et al, Will kinase inhibitors make it as glioblastoma drugs? Curr. Top. Microbiol. Immunol. 355, 135-169 (2012)
【非特許文献9】Navis A. C., et al, Protein tyrosine phosphatases in glioma biology. Acta Neuropathol. 119, 157-175 (2010)
【非特許文献10】Muller S., et al, A role for receptor tyrosine phosphatase ζ in glioma cell migration. Oncogene 22, 6661-6668 (2003)
【非特許文献11】Ulbricht U., et al, Expression and function of the receptor protein tyrosine phosphatase ζ and its ligand pleiotrophin in human astrocytomas. J. Neuropathol. Exp. Neurol. 62, 1265-1275 (2003)
【非特許文献12】Wu C. W., et al, Protein tyrosine-phosphatase expression profiling in gastric cancer tissues. Cancer Lett. 242, 95-103 (2006)
【非特許文献13】Makinoshima H., et al, PTPRZ1 regulates calmodulin phosphorylation and tumor progression in small-cell lung carcinoma. BMC Cancer 12, 537 (2012)
【非特許文献14】Maeda N., et al, Multiple receptor-like protein tyrosine phosphatases in the form of chondroitin sulfate proteoglycan. FEBS Lett. 354, 67-70 (1994)
【非特許文献15】Chow J. P., et al, Metalloproteinase- and γ-secretase-mediated cleavage of protein-tyrosine phosphatase receptor type Z. J. Biol. Chem. 283, 30879-30889 (2008)
【非特許文献16】Canoll P. D., et al, Three forms of RPTP-beta are differentially expressed during gliogenesis in the developing rat brain and during glial cell differentiation in culture. J. Neurosci. Res. 44, 199-215 (1996)
【非特許文献17】Nishiwaki T., et al, Characterization and developmental regulation of proteoglycan-type protein tyrosine phosphatase ζ/RPTPβ isoforms. J. Biochem. 123, 458-467 (1998)
【非特許文献18】Fujikawa A., et al, Mice deficient in protein tyrosine phosphatase receptor type Z are resistant to gastric ulcer induction by VacA of Helicobacter pylori. Nat. Genet. 33, 375-381 (2003)
【非特許文献19】Foehr E. D., et al, Targeting of the receptor protein tyrosine phosphatase β with a monoclonal antibody delays tumor growth in a glioblastoma model. Cancer Res. 66, 2271-2278 (2006)
【非特許文献20】Ulbricht U., et al, RNA interference targeting protein tyrosine phosphatase ζ/receptor-type protein tyrosine phosphatase β suppresses glioblastoma growth in vitro and in vivo. J. Neurochem. 98, 1497-1506 (2006)
【非特許文献21】Fujikawa A., et al, Specific dephosphorylation at tyr-554 of git1 by PTPRZ promotes its association with paxillin and hic-5. PLoS ONE 10, e0119361 (2015)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0016】
本発明は上記事情に鑑みてなされたもので、PTPRZ−AおよびPTPRZ−Bといった受容体アイソフォームに由来する細胞内領域のPTPドメインに結合することで、そのホスファターゼ活性を阻害もしくは機能不全にする化合物であり、またそのような化合物を用いた治療剤、及びガン細胞や腫瘍組織への効果的な薬物輸送と組み合わせた治療原理を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0017】
本発明者らは、従来の課題を解決すべく鋭意検討した結果、PTPRZのホスファターゼ活性を抑制することが制癌治療のために効果的であることを見出した。ここで本発明者らは、最初の強力なPTPRZ阻害剤として、合成化合物であるTrisodium 3-hydroxy-4-[(4-sulfonato-1-naphthyl)diazenyl]-2,7-naphthalenedisulfonate(別名アマランス、赤色2号、AR27)を同定した。本発明者らは、AR27によるPTPRZの阻害の分子的基礎を調べ、阻害活性に必要とされるAR27の官能基やPTPRZのアミノ酸残基を特定した。AR27自体は、そのままでは細胞膜を透過せず、そのため当然、そのままで抗がん剤的な作用は示さなかったが、本発明者らは、AR27をリポソームと混合することで、AR27を効果的に細胞内に取り込ませる方法を発明した。そして、このAR27/リポソーム複合体は、グリオブラストーマ細胞株の動物移植モデルにおける腫瘍成長を効果的に抑制できたことから、PTPRZのホスファターゼ活性の薬理学的阻害によるグリオーマ治療システムの原理が実証され、ついに、本発明を完成させるに至った。以下、本発明を詳細に説明する。
【0018】
本発明は、下記一般式(1)
【0019】
【化1】
【0020】
(式(1)中、R1およびR3は、各々独立して、水素原子または酸性基を示し、R2は、水素原子または水酸基を示し、Aは置換基を有するもしくは有さないフェニル基(ベンゼン環)、または置換基を有するもしくは有さないナフチル基(ナフタレン環)を示す。)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む、PTPRZ活性阻害剤に係る発明であり、前記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む神経膠腫治療剤、また前記PTPRZ活性阻害剤を含む、ヒトPTPRZの過剰発現に起因する疾病の予防・治療剤であって、前記疾病が、脳腫瘍または神経膠腫から選択される予防治療剤も含む発明である。さらに本発明は、前記PTPRZ活性阻害剤の、ヒトPTPRZを過剰発現する腫瘍への使用に係る。
【0021】
さらに本発明は、前記一般式(1)中、Aは、下記式(2)
【0022】
【化2】
【0023】
(式(2)中、R4は水素原子または酸性基を示す。)、または下記式(3)
【0024】
【化3】
【0025】
(式(3)中、R4は前記式(2)のR4と同じ。)である、上記のPTPRZ活性阻害剤、神経膠腫治療剤および予防治療剤に係る発明である。
【0026】
さらに本発明のPTPRZ活性阻害剤、神経膠腫治療剤または予防治療剤においては、前記式(1)中、R1、R3およびR4は、各々独立して、水素原子または硫酸基を示すことが好ましく、さらにR1、R3およびR4はいずれも硫酸基を示し、かつR2は水酸基を示すことが好ましい。
【0027】
また本発明は、患者の腫瘍疾患部位において、母材が投与された後、経時変化における腫瘍の増殖を阻止できる、主に神経膠腫を治療するための薬剤輸送システムまたは治療システムであって、
1)前記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体、および
2)投与用の溶媒
を含む母材を含み、
前記母材は、前記投与の後、前記経時変化にわたり、前記疾患部位に前記剤を放出するようになっている薬剤輸送システムまたは治療システムに係る発明である。
【0028】
また、患者の腫瘍疾患部位において、母材が投与された後、経時変化における腫瘍の増殖を阻止できる、主に神経膠腫の治療方法であって、
1)前記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体、および
2)投与用の溶媒
を含む母材を含み、
前記母材は、前記投与の後、前記経時変化にわたり、前記疾患部位に前記剤を放出する方法を開示する。
【0029】
本明細書において「置換基を有する」もしくは「置換基を有さない」で定義される基、すなわちフェニル基またはナフチル基における置換基の数は、置換可能であれば特に制限はない。
【0030】
本明細書において「薬学的に許容されるその塩」としては、ナトリウム塩、カリウム塩、カルシウム塩、マグネシウム塩、アンモニウム塩等の塩基付加塩や酸付加塩が挙げられる。さらに本発明においては、投与後に、生体中で(in vivo)何らかの化学的又は生理的プロセスによって薬物を放出する薬物前駆体である化合物、すなわち「プロドラッグ」をも包含しうる。
【0031】
後述するように、本発明における、一般式(1)で表されるアゾ化合物の構造は、PTPRZ活性を阻害すると同定された赤色2号(AR27、アマランス(Amaranth)として知られる、分子式;C20112Na3103、IUPAC名称:(4E)−3−オキソ−4−[(4−スルホナト-1-ナフチル)ヒドラゾノ]ナフタレン−2,7−ジスルホン酸三ナトリウム(Trisodium(4E)-3-oxo-4-[(4-sulfonato-1-naphthyl)hydrazono]naphthalene-2,7-disulfonate、分子量604.48、CAS登録番号;915-67-3)の構造に認められるように、アゾ基(−N=N−)を有する有機化合物であり、当該アゾ基の両側には、芳香族系の基を有する構造を示す。
【0032】
一般式(1)の上部はナフタレン環を示すと共に、R1、R2およびR3の位置に置換基を有することが好ましい。
【0033】
本発明は一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む、PTPRZ活性阻害剤である。
【0034】
一般式(1)中、R1およびR3は、各々独立して、水素原子または酸性基を示すが、酸性基としては、硫酸基(−SO3X、−OSO3Xであり、XはNa等の硫酸イオンとの対イオンをなす)やニトロ基(−NO2)などのマイナス荷電した基が挙げられ、また無機系の基が好ましい。これらの酸性基はナトリウム、マグネシウムなどのアルカリ金属やアルカリ土類金属との塩を形成していてもよく、より好ましくは硫酸塩(スルホン酸塩、例えば−SO3Na)を形成していることである。さらにR1およびR3は共に酸性基を示すことが好ましい。
【0035】
上記一般式(1)中、R2は、水素原子または水酸基を示し、好ましくは水酸基である。
【0036】
上記一般式(1)中、Aは、置換基を有するもしくは有さないフェニル基(ベンゼン環)、または置換基を有するもしくは有さないナフチル基(ナフタレン環)を示し、その具体的な構造例として、上記の式(2)のベンゼン環または式(3)のナフタレン環であることが好ましい。
【0037】
Aが置換基を有する場合、一般式(2)または一般式(3)において、R4は酸性基を示し、酸性基としてはR1およびR3と同様に、硫酸基(−SO3X、−OSO3X)や酸化窒素基(−NO)などのマイナスに荷電する基が挙げられ、また無機系の基が好ましい。これらの酸性基はナトリウム、マグネシウムなどのアルカリ金属やアルカリ土類金属との塩を形成していてもよく、より好ましくは硫酸塩(−SO3Na)を形成していることである。さらにR1、R3およびR4のいずれも酸性基を示すことが好ましい。
【0038】
本発明のPTPRZ活性阻害剤については、以下の実施態様において詳しく説明する。
本発明は、上記のPTPRZ活性阻害剤を含む神経膠腫治療剤、および、PTPRZ活性阻害剤を含む、PTPRZの過剰発現に起因する疾病の予防・治療剤であって、前記疾病が、脳腫瘍または神経膠腫、PTPRZを過剰発現する腫瘍から選択される、予防治療剤については、以下の実施態様において詳しく説明する。
【0039】
本発明の薬剤輸送システムまたは治療システムは、患者の腫瘍疾患部位において、1)上記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体、および2)投与用の溶媒を含む母材が投与された後、経時変化における腫瘍の増殖を阻止できる、主に神経膠腫を治療するためのシステムであり、前記母材は、前記投与の後、前記経時変化にわたり、前記疾患部位に前記剤を放出するようになっているものである。
【0040】
本発明に係る神経膠腫の治療方法においては、患者の腫瘍疾患部位において、1)上記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体、および2)投与用の溶媒を含む母材が投与された後、経時変化における腫瘍の増殖を阻止できる、主に神経膠腫の治療方法に係り、前記母材は、前記投与の後、前記経時変化にわたり、前記疾患部位に前記剤を放出するようになっているものである。
【0041】
以上の本発明の薬剤輸送システム、治療システムまたは治療方法において使用されるリポソームは、患者の体内において輸送又は患者に投与するために、上記一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩と混和し、既存又は公知の方法により作成されればよい。これはAR27の構造から分かるように、負に荷電するアリールスルホン酸は細胞膜を通過しにくく、そのため細胞内への取り込みにとって不都合となることがある。本発明者らは陽イオン性のリポソーム試薬を用いることでAR27/リポソーム複合体の荷電状態が変わり、AR27が生きた細胞内に効率的に輸送されることを見出したものである。従って、本発明において用いられるリポソームは、一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体の細胞取り込みが容易となる状態となっておればよい。例えば後述するように、リポフェクタミン2000試薬などを用いることで複合体を作成できる。
【0042】
以上の本発明の薬剤輸送システム、治療システムまたは治療方法において使用される投与用の溶媒は、上記の一般式(1)で表されるアゾ化合物または薬学的に許容されるその塩を含む剤とリポソームとの複合体を調製するために用いられ、例えば0.9%のNaCl水溶液を投与用の溶媒として用いるとよい。
【発明の効果】
【0043】
本発明は次の効果を奏する。
(i)PTPRZ活性の阻害剤、それを用いた治療剤、薬剤輸送システム及び治療システムを提供することができる。
(ii)これまでPTPRZの活性を選択的に阻害する化合物は知られていなかったが、食用色素として用いられるアマランス(別名赤色2号、本明細ではAR27と呼称)にPTPRZ阻害活性があることを見出した。さらにAR27をリポソームと混合することで効率的に腫瘍細胞に取り込ませる手法を開発し、これによってグリオーマの細胞増殖や細胞浸潤を効果的に抑制することが可能になった。
【図面の簡単な説明】
【0044】
図1A】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度に関与する図であり、ウエスタンブロット解析によるPTPRZタンパク質の発現量の評価結果である。
図1B】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度が低下したことを示す図であり、ボイデンチャンバー法による細胞移動能の評価結果とその定量評価結果である。
図1C】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度に関与する図であり、ウエスタンブロット解析よるPTPRZタンパク質の発現量の評価結果である。
図1D】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度が低下したことを示す図であり、C6細胞及びC6細胞由来のPTPRZの安定的ノックダウン細胞株の細胞増殖の評価結果である。
図1E】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度が低下したことを示す図であり、ボイデンチャンバー法による細胞移動能の評価結果とその定量評価結果である。
図1F】PTPRZノックダウンによるC6グリオブラストーマ細胞の悪性度が低下したことを示す図であり、C6細胞及びPTPRZのノックダウンC6細胞株の腫瘍形成を、ガン細胞の同種同所移植モデルを用いた腫瘍形成能の評価結果である。
図2A】PTPRZノックダウンによるPTPRZの基質分子のチロシンリン酸化の上昇に関する図であり、ウエスタンブロット解析による細胞全タンパク質のチロシンリン酸化状態とpaxillinのタンパク質の発現量の評価結果である。
図2B】PTPRZノックダウンによるPTPRZの基質分子のチロシンリン酸化の上昇を示す図であり、ウエスタンブロット解析による免疫沈降物中のpaxillinのチロシンリン酸化レベルの評価結果とその定量評価である。
図3A】C6細胞へのPTPRZの細胞内フラグメントの過剰発現による悪性度の亢進に関する図であり、ウエスタンブロット解析によるPTPRZの細胞内フラグメントの発現量の評価結果を示すものである。
図3B】C6細胞へのPTPRZの細胞内フラグメントの過剰発現による悪性度の亢進を示す図であり、ボイデンチャンバー法による細胞移動能の評価結果とその定量評価結果である。PTP活性を欠いたCS変異体では亢進しないことを示す。
図4A】AR27によるPTPRZの阻害に関する図であり、AR27の化学構造である。
図4B】AR27によるPTPRZの阻害を示す図であり、インビトロの阻害評価系よるIC50の算出結果である。
図5A】AR27及び類似化合物によるPTPRZの阻害に関する図であり、AR27及びその類似化合物の化学構造である。
図5B】AR27及び類似化合物によるPTPRZの阻害を示す図であり、インビトロの阻害評価系よる評価結果である。
図6A】AR27の阻害に関わるPTPRZ中のアミノ酸残基の特定に関する図であり、クマシーブリリアントブルー(CBB)染色による阻害アッセイに用いたPTPRZ変異体酵素のタンパク質標品の評価結果である。
図6B】AR27の阻害に関わるPTPRZ中のアミノ酸残基の特定を示す図であり、インビトロにおける酵素活性(比活性)の評価結果である。
図6C】AR27の阻害に関わるPTPRZ中のアミノ酸残基の特定を示す図であり、インビトロにおける阻害感受性の評価結果である。
図7A】リポソームを用いたAR27の細胞内導入法の開発を示す図であり、細胞内に直接導入することでAR27由来の蛍光を検出した結果である。
図7B】リポソームを用いたAR27の細胞内導入法の開発を示す図であり、AR27の細胞内取り込み量の測定結果である。
図7C】リポソームを用いたAR27の細胞内導入法の開発を示す図であり、AR27及びリポソーム処理したC6細胞の蛍光顕微鏡による観察結果である。
図7D】リポソームを用いたAR27の細胞内導入法の開発を示す図であり、AR27/リポソーム複合体のC6細胞のPTPRZの活性に対する阻害効果の評価結果である。
図8A】AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の細胞運動の抑制を示す図であり、ボイデンチャンバー法によるC6及びRZ-KD#2の細胞移動に対するAR27/リポソーム複合体の効果とその定量評価結果である。
図8B】AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の細胞増殖能の抑制を示す図であり、C6及びRZ-KD#2の細胞増殖に対するAR27/リポソーム複合体の効果の定量評価の結果である。
図9】Compound 2/リポソーム複合体がC6細胞の細胞増殖能に及ぼす影響を示す図であり、AR27類化合物でPTPRZの阻害活性が著しく弱いcompound 2/リポソーム複合体を用いたコントロール実験の評価結果である。
図10】AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の腫瘍形成の抑制を示す図であり、AR27/リポソーム複合体投与群の腫瘍サイズを示す顕微鏡観察像と定量評価結果である。
【発明を実施するための形態】
【0045】
<はじめに>
蛋白質のチロシンリン酸化によるシグナリングは、細胞増殖、細胞接着・移動、細胞ー細胞間コミュニケーションといった様々な細胞機能の制御に関わっており、チロシン残基にリン酸基を付加するプロテインチロシンキナーゼ(PTK)ファミリーと、その逆反応を担うプロテインチロシンホスファターゼ(PTP)ファミリーによって制御されている。元々、細胞のトランスフォーメーション(形質転換)因子として発見されたPTKファミリーは、抗ガン剤の主要な創薬標的分子であり、既にimatinib、erlotinib、gefitinibなどの低分子のPTK活性阻害化合物がガン治療薬として上市されている(Nat Rev Cancer 11, 35-49, 2011)。一方、PTKファミリー分子に約10年遅れて発見されたPTPファミリー分子は、研究初期には基質特異性に欠けているとされ、あるPTP分子を阻害するとPTKファミリー分子及びその基質分子が非特異的に活性化し、発ガンなどの副作用が生じると懸念された。しかしながら、これまでにPTPファミリー分子のほとんどについてその遺伝子ノックアウトマウスが作出され、作出された31分子のノックアウトマウス系統のうち21系統は見かけ上正常に発育することから(本発明者らによる文献調査)、PTP阻害剤の副作用リスクは小さいと考えられた。
【0046】
1999年、インスリンシグナルを抑制するPTPファミリー分子の一つ、PTP1Bのノックアウトマウスが作出され、このノックアウトマウスが見かけ上は正常に生育し、かつ高脂肪食による肥満が誘導されないことが判明し(Science 283, 1544-1548, 2000)、糖尿病に対する新薬開発を目的としてPTP1Bの選択的阻害剤の探索が行われるようになった。PTP1B以外にも、SHP-2の機能獲得(gain-of-function)変異が小児白血病リンパ腫の原因であること、造血細胞に発現するPTP-lypの機能獲得変異が自己免疫疾患(I型糖尿病、バセドウ病、関節リウマチ、全身性エリテマトーデス)と関わることから、創薬標的としての可能性が示されている(Nat Rev Mol Cell Biol 7, 833-846, 2006)。しかしながら現時点で、PTPファミリー分子を標的とする市販薬は未だ登場しておらず、PTPファミリー分子のホスファターゼ活性を阻害する化合物が、がん治療薬として有効であるという予見は、当該専門分野の研究者でも容易になされるものではない。
【0047】
本発明の創薬標的であるPTPRZは、8つのサブファミリーに分類される受容体型PTP(RPTP)のうちR5RPTPサブファミリーに属している。このR5RPTPサブファミリーにはPTPRZとPTPRGの2つの分子が存在する。中枢神経系に特異的に発現している。脳腫瘍の一つである神経膠腫(グリオーマ)の中で、最も悪性度が高い膠芽腫(グリオブラストーマ)では、とくにPTPRZの発現が異常に増大していることが複数グループから報告されている(Nat Rev Cancer Res 66, 2271-2278, 2011)。ヌードマウスの脳内にヒトグリオブラストーマU251-MG細胞株を同所移植したモデル実験では、PTPRZのsiRNAの導入によって脳腫瘍サイズが縮小することや、ヒトグリオーマU87細胞株を移植したヌードマウスの腫瘍サイズの増大がPTPRZの細胞外領域に対するイムノトキシンによって抑制されることが示されている(Cancer Res 66, 2271-2278, 2006)。これら先行知見は、神経膠腫の悪性化にPTPRZの存在が関与していることを強く示唆しているが、その分子メカニズム、特にPTPRZのホスファターゼ活性が悪性化に寄与するのか否かは判っておらず、またPTPRZのホスファターゼ活性を選択的に阻害する化合物も知られていない。現在、神経膠腫に対する有効な治療法はなく、その新薬開発およびその開発に必須となる新規な分子標的を見出すことは重要であった。
【0048】
<ラットC6グリオブラストーマの悪性表現型におけるPTPRZの細胞内ホスファターゼ活性の関与>
高度の浸潤性表現型を有するラットC6グリオブラストーマ細胞株は、グリオブラストーマの実験的モデルとして広く使われている(Science 161, 370-371, 1968; Cell Tissue Res. 310, 257-270, 2002)。C6細胞は、短いレセプター・アイソフォームPTPRZ−Bを主に発現する(非特許文献16参照)。
【0049】
また本発明者らもC6グリオブラストーマ細胞株にPTPRZ−B受容体のタンパク質(分子サイズ250 kDa)を確認したが、このPTPRZ−B以外にも、リガンド分子との相互作用に関わる細胞外領域を完全に欠失した細胞内領域タンパク質断片(Z-ICF, 75kDa)がC6細胞株の細胞内に蓄積していることを見出した(図1C参照)。また、このZ-ICFは、メタロプロテアーゼとγセクレターゼと介するタンパク質分解の結果生じることを確認した(非特許文献13参照)。これらZ-ICFは細胞内にあるため、細胞外領域に作用するような抗体や化合物などに対して非感受性であることは自明である。本発明者らは、PTPRZ(Z-ICR)の細胞内領域全体を過剰発現させることにより、大量のZ-ICFがC6細胞の腫瘍形成性の特性に寄与しているかどうかを試験するため、C6細胞中で緑色蛍光タンパク質と融合させた。細胞の概ね半分が蛍光発光を示す条件下で、外因性Z-ICRの全体的な発現は、内在性Z-ICFと比較して数倍以上であった(図3A参照)。ボイデンチャンバー分析により、Z-ICR過剰発現がEGFによって誘発された細胞移動を著しく促進することを示したが、ホスファターゼが不活性のICR変異体であるZ-ICR(CS)では、細胞移動の促進活性が認められなかった(図3A、B参照)。このことは、神経膠芽腫の悪性化におけるZ-ICFのホスファターゼ活性の因果的役割を示している。
【0050】
一方、他の神経膠芽腫細胞株で報告されるように、PTPRZのsiRNAノックダウンにより、C6神経膠芽腫細胞の移動能が低下した(図1A、B参照、および非特許文献10及び19参照)。C6細胞中のPTPRZの安定したノックダウンによっても細胞移動と増殖が低下し、その影響はPTPRZ発現の減少と相関していた(図1C、D、E参照)。生体内(インビボ、in vivo)でPTPRZノックダウンの抗腫瘍効果を決定するために、本発明者らは、同系のWister・ラットの脳に、親株(parent)のC6細胞、もしくはPTPRZをノックダウンされたC6細胞(RZ-KD#1及びRZ-KD#2)を接種し、それらの腫瘍サイズをヘマトキシリン(hematoxylin)染色によって評価した。腫瘍細胞接種後の7日目に実施した組織評価の結果は、PTPRZノックダウンされた細胞が形成した腫瘍巣は、C6細胞株のそれよりも有意に小さいと判明した(図1F参照)。
【0051】
本発明者らは以前、パキシリン(paxillin)をPTPRZの基質タンパク質と特定し、パキシリンの配列において118番目チロシン残基(Tyr118)のリン酸化(phospho-Tyr118)がPTPRZによって選択的に脱リン酸化されることを突き止めた(J. Biol. Chem. 286, 37137-37146, 2011)。パキシリンは主要な接着タンパク質であり(Physiol. Rev. 84, 1315-1339, 2004)、パキシリンのTyr31とTyr118のリン酸化はラット腹水肝癌細胞の細胞移動活性を制御している(Int. J. Cancer 97, 330-335, 2002)。PTPRZがノックダウンされたC6細胞から免疫沈降させたパキシリンのTyr118のリン酸化レベルは、親株のC6細胞のそれよりも有意に高く(図2B参照)、このことは、C6グリオブラストーマ細胞において、PTPRZによる基質タンパク質のリン酸化の調節が実際に行われていることを示している。またここでは、PTPRZのノックダウンによって細胞タンパク質の全体的なチロシンリン酸化パターンや、パキシリンのタンパク質発現自体が変化しないことが確認された(図2A参照)。
【0052】
PTPRZの酵素活性ドメインの触媒サイトに直接作用する特異的抑制剤は存在していなかったが、これらの結果をもとにして、本発明者は、PTPRZに対して薬理学的に抑制する化合物を開発できれば、これを用いて、神経膠腫で最悪のグレードの膠芽腫の治療を実施できる可能性を初めて示すことができた。
<In vitroにおけるAR27の阻害効果>
本発明者らは、2,7−ナフタレンスルホン酸、3−ヒドロキシ−4−[(4−スルホ−1−ナフタレニル)アゾ]−トリソジウム塩(3ナトリウム塩))(以下AR27と呼ぶ)が、試験管内において、ヒト由来のPTPRZの酵素ドメインを含む細胞内全領域のタンパク質(以降、Z-ICRと呼ぶ)が触媒する加水分解に対して阻害することを明らかにした。その阻害活性は、IC50 0.4 μMであった。AR27は、PTPRZと同じR5RPTPサブファミリーに属するPTPRGも強く阻害したが、他のPTP酵素に対する阻害IC50値と比べて低く、AR27がPTPRZとPTPRGに対して選択的阻害活性を有することが初めて見出された(図4)。
【0053】
<AR27によるPTPRZ阻害の構造的基礎>
AR27は、アゾ染料である赤色2号(別名、アマランス)と同じ構造を有している(図4A参照)。赤色2号と構造的に類似物は、食品添加物や化粧品などに広く使われており、一般に入手可能である。しかし、これら構造的類似化合物(以下compound 2からcompound 10と呼ぶ)は、AR27と比較すれば、PTPRZに対する阻害活性は著しく低く(compound 2からcompound 6)もしくは、全く無視しうる程度(compound 7からcompound 10)であった(図5参照)。
【0054】
このAR27類似化合物の阻害評価の結果は、AR27によるPTPRZの活性阻害の作用機序に必要な構造に関して有用な情報を提供した。すなわち、compound 2からcompound 4において阻害活性が弱まったことは、AR27のジ・スルホネート・ナフタレン構造(図表示ではAR27の上側の半分の構造に相当)の2位に配座しているスルホネート基が阻害活性に極めて重要であることを示している。
【0055】
compound 5におけるAR27のナフタレン構造(図表示では、AR27の下側半分の構造)の4位に配座しているスルホネートの除去、またcompound 6においてニトロナフタレン構造への置換によっても、阻害活性を大きく低下した。さらにまた、compound 7とcompound 8におけるようにAR27の上側構造のみ、またはcompound 9とcompound 10のようにAR27の下側半分の構造だけにすると阻害活性は消失した。これらのことは、AR27の2位のスルホネート以外にも、その化学構造全体が阻害活性に寄与することを示している。
【0056】
さらにAR27の阻害活性に関与するPTPRZの細胞内PTPドメイン内のアミノ酸残基を特定するために、本発明者らは、部位特異的突然変異誘発法(site-directed mutagenesis)を実施した。ここでは、5つの候補アミノ酸残基に関して総計6つの変異体酵素を作成した。これら変異体の酵素活性は、野生型のそれに比べて減少していたため(図6A,B参照)、変異型と野生型酵素で同じ活性になるよう希釈調整した酵素溶液を用いて阻害剤に対する感受性の評価を実施した(図6C参照)。
【0057】
ヒト由来のPTPRZの1758番目のアスパラギン残基(Asn1758)については、AR27によって阻害されないCD45やPTP1Bといった他のPTP分子で相当する位置に存在するアスパラギン酸残基(Asp)に置換した。その変異型酵素(N1758D)は、非特異的なPTP阻害剤であるバナジン酸の阻害感受性は変化することなしに、AR27とその類似化合物であるcompound 5による阻害効果に対して明確に抵抗性を示した。一方、N1758D変異体酵素は、AR27のジ・スルホネート・ナフタレン構造において2位に配座しているスルホネート基を欠いたcompound 3やcompound 4に対する感受性は野生型酵素と同程度であった。この結果は、AR27の2位のスルホネート基とAsn1758の側鎖中のアミノ基との間に特異的な相互作用を示唆した。
【0058】
PTPの基質認識に関わる領域に存在する1756番目のチロシン残基(Tyr)をフェニルアラニン残基に置換した(Y1756F)は、AR27だけでなくcompound 3、compound 4、compound 5についても感受性が低下した。このことは、Tyr1756がAR27及び類似化合物の阻害活性の発現に重要であることを示している。ここで検討した他の変異体型酵素に関しては、AR27及び類似化合物に対する感受性は影響はしないことが判明した。
【0059】
以上の結果からは、PTPRZのPTPドメイン内に存在する1758番目のアスパラギン残基は、AR27の2位に配座しているスルホネート基と相互作用し、選択的阻害活性に対して必須的な役割を担っていると判断される。そして、Tyr1756に関してであるが、compound 7からcompound 10が全くPTPRZを阻害しないことからは、AR27の構造で二つのナフタレン環を繋ぐアゾ結合が阻害活性に関わると推測可能である。このアゾ結合は、AR27及びcompound 3、compound 4、compound 5に共通する構造であり、Tyr1756をフェニルアラニン残基に置換することで阻害活性が低下したことからは、Tyr1756の水酸基がアゾ結合と相互作用し、阻害活性に関わっているものと推測される。
【0060】
<リポソームを用いたAR27の細胞内導入と、それによるグリオブラストーマの増殖及び移動能の抑制>
AR27は、3つのスルホネート基を有しており、負に強く荷電しているため、そのままでは細胞膜を通過せず、生きた細胞内に取り込まれないため、細胞内に存在するPTPRZの酵素ドメインに作用することはできない。本発明者らは陽イオン性のリポソーム試薬を用いて、AR27は生きた細胞に導入できることを見出し、さらにこのリポソームを用いたAR27の細胞内への導入には至適の混合比が存在することを明らかにした(図7C、および図7A,B参照)。最適化された混合比で調整されたAR27/リポソーム複合体によって、シャーレ内で培養されたC6グリオブラストーマを処理すると、PTPRZの基質タンパク質であるパキシリン(paxillin)のチロシンリン酸化は、無処理細胞に比べて有意に上昇した(図7D参照)。一方、AR27単独もしくは、リポソーム単独で処理されたC6細胞ではパキシリンのリン酸化は変化しない。これらのことは、細胞内取り込まれたAR27がPTPRZの活性を阻害した結果を反映していると考えられる。さらにAR27/リポソーム複合体を用いた処理において、細胞全タンパク質の抽出物のチロシンリン酸化パターン(及び抽出物中のパキシリン量)に変化は認められなかった(図7D参照)。この結果は、AR27/リポソーム複合体が、細胞内で選択的にPTPRZに作用していることを示すものと判断された。
【0061】
グリオーマの治療という観点から、PTPRZの薬理学的阻害の有効性を評価するために、本発明者らは、C6グリオブラストーマ細胞株に対するAR27/リポソーム複合体の効果を検討した。シャーレ内で培養されたC6細胞の増殖速度は、AR27/リポソーム複合体の存在下では用量依存的に低下することが判明した。一方、PTPRZタンパク質の発現をノックダウンしたC6細胞株にAR27/リポソーム複合体を作用させても、その細胞増殖は変化しなかった(図8B参照)。このことは、AR27/リポソーム複合体による細胞増殖の抑制効果が、PTPRZの活性阻害によるものであることを示している。また細胞増殖と同様に、細胞移動能についてもAR27/リポソーム複合体は、PTPRZ依存的に抑制することが判明した(図8A参照)。
【0062】
一方、PTPRZに対する阻害活性が著しく低いcompound 2は、AR27と同様にリポソームと混合してもC6細胞の増殖に有意な影響を与えなかった(図9参照)。
【0063】
<AR27/リポソーム複合体を用いたグリオブラストーマの腫瘍形成の抑制>
最後に、本発明者らは、AR27/リポソーム複合体が、Wisterラット頭蓋内へのC6グリオブラストーマの同種同所移植モデルにおける腫瘍形成を抑制するかについて評価を実施した。その結果、溶媒投与群やcompound 2/リポソーム複合体投与群に比べて、AR27/リポソーム複合体の投与群の腫瘍サイズは、有意に小さいことが判明し(図10参照)、PTPRZのホスファターゼ活性の薬理学的阻害は、神経膠腫(グリオーマ)や膠芽腫(グリオブラストーマ)、そしてPTPRZのホスファターゼ活性が悪性化に寄与している腫瘍に対して新規な治療の種類になると結論された。
【0064】
<小括>
本発明では、まずPTPRZの触媒活性が細胞移動、増殖とラットC6グリオブラストーマ細胞の悪性表現型に関与することを示した。次に、AR27がPTPRZに対する強力な阻害剤であることと、選択的阻害の構造的基礎を示した。そして、AR27/リポソーム複合体によってC6グリオブラストーマ細胞株の細胞移動能、細胞増殖能、腫瘍形成が有意に抑制されることを実証した。
【0065】
<補足説明>
グリオーマの悪性化へ対するPTPRZのホスファターゼ活性の関与には、これまで大きな疑問が残されていた。ヘパリン結合性成長因子(プレイオトロフィンまたはミッドカイン)は、PTPRZの細胞外領域に結合することでPTPRZ受容体の2量体化(もしくはオリゴマー化)を誘導し、その結果、細胞内のホスファターゼ活性が抑制されることが明らかになっている(J. Biol. Chem. 274, 12474-12479, 1999; Proc. Natl Acad. Sci. USA 98, 6593-6598, 2001; FEBS Lett. 580, 4051-4056, 2006)。しかしながら、プレイオトロフィンやミッドカインは、神経膠腫を含む多くの腫瘍において発現増加が認められており、しかもそれらの発現増加は腫瘍の悪性化に寄与すると報告されている(J. Biol. Chem. 280, 26953-2664, 2005)。これらの先行知見は、腫瘍細胞に発現するPTPRZは、リガンド分子と結合し、細胞内ホスファターゼ活性は不活性状態にあることを示唆しており、すなわち、PTPRZのホスファターゼ活性を阻害することは、ガンの悪性化につながるとの予見を与えるものであった。
【0066】
本発明者らは以前、PTPRZ受容体型アイソフォームがマトリックス・メタロプロテアーゼなどによって細胞表面で細胞外ドメインの切断を受けることを見出し、膜係留断片はγセクレターゼによってさらに消化され、細胞質断片(Z-ICF)が、細胞質と核に放出されることを見出している(非特許文献13参照)。メタロプロテアーゼ活性がガン細胞の腫瘍の成長と侵入において重要な役割を果たすことはよく知られている(FEBS J. 278, 16-27, 2011)。この点について、本発明者らは、C6グリオブラストーマ細胞には、PTPRZ-Bの全長タンパク質だけでなく、細胞内断片Z-ICFが著しく蓄積していることを見出した。PTP活性を有するPTPRZの細胞内タンパク質断片を過剰発現させることで、ガン悪性度を示す有力な指標の一つである細胞移動が高まり、一方、PTP活性を欠失させた変異型の細胞内断片を発現させても細胞移動能は変化しないことを初めて明らかにした。
【0067】
プレイオトロフィンやミッドカインのようにPTPRZの細胞外領域に結合してPTPRZ受容体の働きを抑制するようなリガンド分子では、細胞内のZ-ICFの活性が抑制されないことは自明である。すなわち、ガン細胞などに多く存在する細胞内のZ-ICFのホスファターゼ活性を阻害するためには、細胞内のホスファターゼ活性に直接作用するAR27のような化合物が必須であることは明らかである。このことを鑑みれば、「PTPRZのホスファターゼ活性の阻害剤がグリオーマの治療薬になる可能性」は、本発明によって初めて実証されたことであると判断される。
【実施例】
【0068】
以下実施例により本発明を具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例のみに限定されるものではない。
以下の実施例において、用いた薬品に関する説明、及び用いた手法を以下に示す。
化学品(用いた材料)
AR27の高純度化学品;2、7−ナフタレンスルホン酸、3-ヒドロキシ-4-[(4-スルホ-1-ナフタレニル)アゾ]−、三Na塩(2,7-Naphthalenedisulfonic acid, 3-hydroxy-4-[(4-sulfo-1-naphthalenyl) azo]-, trisodium salt)は、シグマ(SIGMA)社からから購入した(カタログ番号87612)。
【0069】
ニューコクシン(new coccine,本明細ではcompound 2と呼ぶ)は、和光純薬工業(Wako pure chemical industries)社から購入した(カタログ番号1147-06542)。
赤色13号(acid red 13、compound 3、カタログ番号A1243)、赤色88号(acid red 88、compound 4、カタログ番号F0087)、ボルドーレッド(bordeaux red、compound 5、カタログ番号B0779)、β−ナフトールバイオレット(β-naphthol violet、compound 6
、カタログ番号N0037)、二ナトリウム 1−ニトロソ−2−ナフトール−3,6−ジスルホネート一水和物(disodium 1-nitroso-2-naphthol-3, 6-disulfonate monohydrate、compound 7、カタログ番号N0268)、二ナトリウム 3−ヒドロキシ−2,7−ナフタレンジスルホン酸(disodium 3-hydroxy-2, 7-naphthalenedisulfonate、compound 8、N0029)、4−アミノ−1−ナフタレンスルホン酸(4-amino-1-naphthalenesulfonic acid、compound 9、カタログ番号A0344)、ナトリウム−1−ナフタレンスルホン酸塩(sodium 1-naphthalenesulfonate、compound 10、カタログ番号N0015)は、東京化成工業(Tokyo chemical industry)社から購入した。
【0070】
A 発現プラスミド及び組み換え酵素
ヒト由来のPTPRZ(ジーンバンクアクセッションナンバー(GenBank accession no.)M93426)、ヒト由来のPTPRA(M34668)、ヒト由来のPTPRM(X58288)、ヒト由来のPTPRG(NM_002841)、ヒト由来のPTPRS(NM_002850)、ヒト由来のPTPN1(NM_002827)及び、ヒト由来のPTPN6(NM_002831)をコードするcDNAは、ヒト全RNAを鋳型とした逆転写PCR(RT-PCR)によって取得した。
【0071】
これらの取得したcDNAを鋳型とし、それぞれのPTPドメインを含む領域をコードする部分、すなわち、PTPRZの細胞内全領域に相当するアミノ酸残基1698番目から2315番目まで、PTPRAの細胞内全領域に相当する218番目から807番目、PTPRMの細胞内全領域に相当する765番目から1452番目まで、PTPRGの細胞内全領域に相当する790番目から1445番目、PTPRSの細胞内全領域に相当する1304番目から1948番目、PTPN1のPTPドメインに相当する1番目から321番目及び、PTPN6のPTPドメインに相当する220番目から523番目をPCR法によって増幅し、そのcDNA断片を取得した。PTPRBに関しては、マウス由来の細胞内領域をコードするcDNA(J. Biol. Chem. 288, 23421-23431, 2013)を用いた。
【0072】
それらのcDNAは、大腸菌発現ベクターpGEX-6P(ジーイーヘルスケア(GE Healthcare)社製)に挿入し、グルタチオンSトランスフェラーゼ(GST)との融合タンパク質として発現、これらをグルタチオンアフィニティー精製法によって精製し、組み換えPTP酵素標品として取得した。
PTPRZ酵素ドメインの点変異体の作成は、市販のクイックチェンジマルチサイト−ディレクテド突然変異生成キット(Quikchange multisite-directed mutagenesis kit、ストラタジーン社(Stratagene))を用いて実施した。
【0073】
EGFP融合PTPRZ−ICR(野生型またはそのPTP不活性CS変異体)タンパク質を発現するpEGFP−PTPRZICR(WT)もしくはpEGFP−PTPRZICR(CS)は、その対応するcDNAを公知のプラスミドより増幅(J. Biol. Chem. 286, 37137-37146, 2011)し、pEYFP-C1ベクター(クローンテク社(Clontech)製)へ挿入して作成した。
【0074】
マウス・ラットPTPRZ shRNAプラスミド(TRC番号:TRCN0000081069)、ラットPTPRZ siRNAs(siRNA ID:SASI_Rn01_00053281)、およびその混合された(scrambled)siRNAは、シグマ・アルドリッチ(Sigma Aldrich)社から購入できる。
【0075】
B IC50の決定
酵素アッセイの溶媒は、100 μg/mlの牛血清アルブミン、5 mMのDTT、0.01%のBrij35(登録商標)を含んだ100 mMの酢酸、50 mMのトリスと50 mMのビス・トリス(Bis-Tris)がアッセイ用緩衝液(pH6.5)を用いた。PTP酵素のホスファターゼ活性に対する化合物の阻害効果は、DiFMUP(6,8-Difluoro-4-Methylumbelliferyl Phosphate、ライフテクノロジー社)などの人工基質を用いた。100 μlの酵素を含むアッセイ用緩衝液に評価検体となる阻害物質を加えて、室温にて2時間程度静置する。ここで用いる酵素量は、使用する評価機器に合わせて適当な速度なるように調整することが望ましい。酵素反応は、100 μlの40 μM DiFMUPを含むアッセイ用緩衝液を加えることで開始させる。DiFMUPの加水分解の速度は、分光蛍光計(FI-4500、日立社製)を使用し、蛍光強度(検出は455 nm、励起波長は358 nm)の増加としてモニターした。阻害活性(%)は、(1−阻害検体を添加した際の蛍光強度の増加速度/溶媒添加した際の蛍光強度の増加速度)×100で算出した。IC50は、50%阻害を挟むに2点のデータから公知の計算手法によって算出した。
【0076】
PTPRZに対するAR27及び化学的類似体の阻害活性及びPTPRZの変異体を用いた阻害活性の評価には、ホスホチロシン模倣のホスホクマリル(phosphotyrosine-mimic phosphocoumaryl)アミノ・プロピオン酸(pCAP)を結合したペプチド基質配列(特開2011-178697; J. Biol. Chem. 286, 37137-37146, 2011)を含むpCAP-GIT1549-556はPTPRZの基質として生理的な基質タンパク質のものに近くより適している。pCAP残基の加水分解は、分光蛍光計(FI-4500、日立社製)により460 nmの蛍光(334 nmの励起波長)の増加として定量評価した。阻害効果は溶媒のコントロールとの相対値として示した。
【0077】
C AR27/リポソーム複合体の調製
AR27と混合するリポソーム及びリポソーム原料は、カチオン性のものが適当である。本発明では、インビトロゲン社(Invitrogen)製のリポフェクタミン2000(Lipofectamine 2000、登録商標、(Cat no. 11668-027)を用いた。リポフェクタミン2000溶液を適当な溶媒で25倍に希釈した後、室温で5分間インキュベートした。このリポソーム溶液に対して、同じ溶媒で2 mMに希釈したAR27を等容積で加え、30分間インキュベートした。この反応液を1 mMのAR27を含むAR27/リポソーム複合体とした。リポソーム試薬及び化合物の希釈に用いる溶媒は、培養細胞実験用の場合は、培地と同等の成分が望ましく、本発明では、Opti-MEM(x1)+GlutaMAX培地(Cat no. 51985-034、インビトロゲン(Invitrogen、登録商標))を使用した結果である。また脳室内投与実験では、脳室内に安全に投与できる溶媒が望ましく、本発明では、0.9%のNaCl(生理食塩水)をした。
【0078】
D 細胞培養と遺伝子導入法
ラットC6グリオブラストーマ細胞は、5%のCO2、37℃の加湿インキュベーター中で、10%のウシ胎児血清(FBS)と100 U/ml ペニシリン−ストレプトマイシンを含む、ダルベッコ改変イーグル培地(Dulbecco's modified Eagle's medium)(DMEM、cat no. 11995-065、ライフテクノロジー(Life technologies))で培養、継代維持した。遺伝子導入には、Amaxa Nucleofector(Amaxa社製)を用い、メーカ推奨のプログラムを用いて、2×106個の細胞あたり、プラスミドであれば1 μg程度、siRNAであれば100 pmol程度でエレクトロポレーション(electroporated)法によって実施した。遺伝子導入操作後の細胞は、24〜36時間の培養した後、移動移動能や細胞増殖試験のために使用できる。PTPRZの発現を安定的にノックダウンしたC6細胞系統は、PTPRZに対するshRNAプラスミドを導入後に、薬剤耐性マーカーであるピューロマイシン(puromycin)の存在下(5 μg/ml)で、限界希釈法によって選別し、取得した。
【0079】
E AR27/リポソーム複合体の細胞内取り込み量の評価
AR27やAR27/リポソーム複合体の細胞内への直接導入は、微量試薬注入装置(フェムトジェットB5247とインジェクトマンNI2、エッペンドルフ社製)を用いて実施した。AR27/リポソーム複合体は要事調製が望ましい。C6細胞(1ウエルあたり1.5×104セル程度)を、24ウエルのプラスチック製の培養皿に播種し、10%のFBSを含む500 μlのDMEMで細胞培養した。翌日、ウエル内の培地を500 μl のOpti-MEMに交換した後、同じ培地で適時希釈したAR27/リポソーム複合体を100 μl添加し、それぞれのアッセイにおいて適切な時間インキュベーションした。
【0080】
細胞内に取り込まれたAR27の観察は、AR27を直接注入した場合、その直後から、AR27/リポソーム複合体の場合は、添加して3時間後、培地中に含まれるAR27/リポソーム複合体を新しいOpti-MEM培地と交換してから実施した。蛍光顕微鏡(BZ-8000、キーエンス社製)を用い、励起波長、560/40 nm、蛍光波長、630/60 nmのフィルターを用いて蛍光観察した。
【0081】
細胞内へ取り込まれたAR27の定量評価は以下のように実施した。500 μlのC6細胞懸濁液(1×106個の細胞がOpti-MEM培地に懸濁された)に対して、Opti-MEM培地で適時希釈されたAR27/リポソーム複合体を含む溶液を100 μl添加し、37℃で1時間インキュベートした。一般的なリン酸緩衝液で細胞を遠心洗浄した後、細胞中に取り込まれたAR27を100 μlのメタノールで抽出した。遠心分離後により不要物を取り除いた後、抽出されたAR27量を525 nmの吸光度で測定した。吸光度計にはマイクロプレートリーダー(SH-9000Lab、コロナ電気会社製)を用いた。
【0082】
E ボイデンチャンバー分析(細胞移動能の評価)
ボイデンチャンバー分析は、8 μm孔サイズの膜(ケモタクシセル、クラボー(Chemotaxicell、Kurabo)社製)と24ウエルのプラスチック製組織培養プレート(BD Falcon社製)でトランスウエル・インサート(transwell inserts)を使って常法に従い実施した。具体的には、検体となる細胞を100 μg/mlのBSAを含むOpti-MEM培地中に懸濁し、ラミニン(10 μg/ml)で被覆されたトランスウエル・インサートに、1ウエルあたり1.5×105細胞で播種した。下部チャンバーは、細胞遊誘引物質として上皮細胞増殖因子(EGF、10ng/ml)を含有する培地で満たした。細胞播種の3時間後、10%の中性のホルマリンにより細胞を固定し、DAPI(4'、6-ジアミジノ-2-フェニルインドール)により細胞核を蛍光染色した。蛍光顕微鏡観察下の観察では、まず、トランスウエルに存在する全細胞数をDAPIの蛍光シグナルとしてカウントし、次に、ウエル上部に存在する細胞を綿棒を用いて除去し、ウエル下部の表面まで移動した細胞のみの細胞数を計測し、これを細胞移動能として評価した。
【0083】
AR27/リポソーム複合体は、同じ培地で適切な濃度に希釈した後、検体細胞の懸濁液(1 mlにつき6×105細胞)に対して、体積比で5分の1量を添加した。この細胞懸濁液を37℃で1時間インキュベーションした後、トランスウエル・インサートに播種し、2時間後に細胞数の計測を実施した。
【0084】
F 細胞増殖能の評価
細胞増殖の評価は常法に従って実施した。具体的には、一般的な24ウエルのプラスチック製細胞培養皿(1ウエルにつき1.5×105細胞)に検体細胞を播種し、10%のFBSを含む500 μlのDMEMで適当時間まで培養し、細胞数をカウントした。AR27/リポソーム複合体の評価においては、検体細胞をウエルに播種して1時間後に、2%のFBSを含む500 μlのOpti-MEMに培地交換し、この培地で希釈したAR27/リポソーム複合体を100 μl添加し、指定時間まで培養した。培養皿上で生育した細胞は、トリプシン処理によって剥離・回収し、一般的な血球計盤を用いて顕微鏡下で計数した。
【0085】
G 免疫沈降とウエスタンブロット解析を用いた評価
免疫沈降とウエスタンブロット解析は常法に従い実施した。具体的には、細胞タンパク質の抽出には、20 mMのトリス-HCl、pH 7.4、1%のNP-40、150 mMのNaCl、10 mMのNaF、1 mMのオルトバナジウム酸ナトリウム塩(sodium orthovanadate)、及びプロテアーゼ阻害剤カクテル(EDTAフリー(complete EDTA-free)、ロシュ(Roche)社製)を溶解緩衝液として用いた。細胞抽出物中に混在する抗体成分は、プロテインG(Protein G)セファロース(GEヘルスケア社製)を用いた吸着処理により除去した。この抽出物に対して、マウス抗パキシリン(paxillin)抗体(BDバイオサイエンス社製)とプロテインG(Protein G)セファロースを加えた。プロテインGセファロースに吸着・回収されたパキシリンの免疫複合体は、SDS-PAGEにより分離した後、電気的ブロッティング法を用いて重合ビニリデン・ジフルオリド(PVDF)膜上に転写した。ウエスタン解析のために、タンパク質が転写されたPVDF膜は、ブロッキング溶液(10 mMのトリス-HCl、pH 7.4、150 mMのNaCl中に4%の脱脂粉ミルクと0.1%のトリトンX-100が含まれる)でブロッキングの前処理を行った。リン酸化されたタンパク質を検出する場合のブロッキング溶液には、10 mMのトリス-HCl、pH 7.4、150 mMのNaCl中に1%のBSAと0.1%のトリトンX-100が含まれる溶液を用いた。その後、PVDF膜は、同じブロッキング溶液で希釈した特異抗体で一晩静置し、ECLウエスタンブロット検出試薬(GEヘルスケア社製)を用いて検出した。
【0086】
H C6グリオブラストーマ細胞の脳内同種移植、AR27/リポソーム複合体の脳室内投与および、その組織学的な評価
この発明で行った動物実験は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構動物実験規程に基づき設置された自然科学研究機構岡崎3機関動物実験委員会の承認を得て実施された。すべての手術はイソフルラン麻酔下で行われ、実験動物の苦しみを最小限にするよう細心の注意が払われて実施された。
【0087】
具体的には、イソフルラン麻酔下のWisterラット(オス、3週齢)を脳定位固定装置に固定し、検体グリオブラストーマ細胞を一般的なリン酸バッファーに懸濁(5 μlあたり 5×105細胞)し、ハミルトン注射器を用いて頭蓋表層から5 mmの深さにある線条体(striatum)の部位に移植した。脳定位手術では、検体化合物の脳室内(ICV)投与のために、ステンレス・ガイド・カニューレ(stainless guide cannula)(太さ22ゲージ、長さ7.4 mm)を左側脳室内に挿入した。
【0088】
グリオブラストーマ細胞を移植した翌日から、AR27/リポソーム複合体などの検体化合物を含む溶液をガイドカニューレを介して投与した。投与量は、5 μlであり、およそ5分間かけて注入した。術後すべての動物は、予期せぬ苦しみが生じていないか、異常な行動などがないかを毎日観察した。移植手術から7日後に、常法に従って、ホルマリン灌流固定した動物から全脳を取り出し、パラフィン包埋脳の連続冠状切片(切片圧7 μm)を作成した。ヘマトキシリン染色した連続切片を顕微鏡撮影し、その腫瘍巣の領域を一般的な画像ソフト上で目視にて特定し、その領域の面積を算出した。腫瘍体積は、全切片の腫瘍面積に切片厚を乗じて換算した。
【0089】
以下、図面による結果により本発明を説明する。
例1
図1A図1Fは、PTPRZノックダウンによってC6グリオブラストーマ細胞の悪性度が低下したことを示す図である。
図1Aにおいては、PTPRZに対する特異的なsiRNA(SASI_Rn01_00053281、シグマ−アルドリッチ)及びコントロールsiRNA(scramble)をC6細胞に導入し、24から36時間培養した後、それらの細胞抽出物を、抗PTPRZ-S抗体(全てのPTPRZアイソフォームの細胞外領域を認識する特異抗体、非特許文献13参照)を用いてウエスタンブロット解析したもの(図1Aの左側)と、クマシーブリリアントブルー(CBB)によりタンパク質染色したもの(図1Aの右側)である。図1Aの左側及び右側の図の縦方向は分子サイズ(単位はkDa)を示す。図1Aの結果から、C6グリオブラストーマ細胞における主要な発現アイソフォームがPTPRZ-Bであること、そしてPTPRZに対するsiRNAによってノックダウンされたことが分かる。
【0090】
実験方法は、前記Dの細胞培養と遺伝子導入法と、Gの免疫沈降とウエスタンブロット法を参照。
【0091】
例2
図1Bにおいては、例1(図1A)に示したPTPRZのsiRNAでノックダウンしたC6細胞とコントロールsiRNAで処理した細胞の運動能をボイデンチャンバー法によって評価した結果(図1Bの左側)である。
【0092】
PTPRZのノックダウンによって細胞運動能は、scrambleコントロールに比して有意に低下した。すなわち、図1Bの右側に配置したグラフにおいて「*」で示されるように、student t検定においてp < 0.05と有意差を示した。データは平均 ± 標準誤差(n = 5)である。
実験方法は、前記Eのボイデンチャンバー分析を参照。
【0093】
例3
図1Cにおいては、shRNA含有プラスミドを用いてPTPRZを安定的にノックダウンしたC6細胞株を作成、取得したことを示す(図中、RZ-KD#1及び#2として表示)。PTPRZが発現したものを抗RPTPβ抗体(PTPRZの細胞内領域を認識する特異抗体、非特許文献13参照)を用いたウエスタンブロットにより解析したもの(図1Cの左側)とクマシーブリリアントブルー(CBB)により染色したもの(図1Cの右側)を示す。RZ-KD#2では、PTPRZ-Bタンパク質とその細胞内タンパク質断片であるZ-ICFがほぼ消失していることが分かる。
【0094】
実験方法は、前記Gの免疫沈降とウエスタンブロット法を参照。
【0095】
例4
図1Dにおいては、例3(図1C)に示した親細胞株(parent)のC6細胞及びC6細胞由来のPTPRZの安定的ノックダウン細胞株(RZ-KD#1及びRZ-KD#2)の細胞増殖能を評価した結果を示す。培養プレートに播種して1時間後の細胞数に違いはなく、PTPRZのノックダウンによって細胞接着性は変化していないことが分かる。一方、細胞播種して25及び49時間後の細胞数は、PTPRZのノックダウン細胞株で有意に低下した。すなわち、図1Dのグラフにおいて「*」で示されるように、student t検定においてp < 0.05と有意差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 4)である。PTPRZの安定的ノックダウンによって細胞増殖が低下したことが分かる。
【0096】
実験方法は、前記Fの細胞増殖分析を参照。
【0097】
例5
図1Eにおいては、ボイデンチャンバー法による細胞運動能の評価の結果を示す。PTPRZの安定的ノックダウンによって細胞運動能は有意に低下したすなわち、図1Eのグラフにおいて「**」で示されるように、student t検定においてp < 0.01と有意差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 5)である。
【0098】
実験方法は、前記Eのボイデンチャンバー分析を参照。
【0099】
例6
図1Fにおいては、C6細胞及びPTPRZのノックダウンC6細胞株の腫瘍形成を、同種同所移植モデルを用いて評価した結果を示す。ラットの脳内移植して1週間後の脳組織(冠状断面)における腫瘍形成部位のヘマトキリン染色像を示す。下側のパネルは、上側パネルの四角で囲った区域の拡大図である。スケール・バーは1 mm。右側のグラフは、脳の連続切片から測定される個々の腫瘍容積をプロットしたものである(n = 6)。グラフ中の水平バーは、それぞれのグループの平均値である。図1Fのグラフにおいて「*」で示されるように、student t検定においてp < 0.05と有意差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 5)である。このことからPTPRZノックダウン細胞株の腫瘍サイズの成長は、親細胞株に比べて有意に抑制されることが分かる。
【0100】
実験方法は、前記HのC6グリオブラストーマ細胞の脳内同種移植、AR27/リポソーム複合体の脳室内投与および、その組織学的な評価を参照。
【0101】
例7
図2A図2Bは、PTPRZノックダウンによるPTPRZの基質分子のチロシンリン酸化の上昇を示す図である。
【0102】
図2Aにおいては、C6細胞(parent)及びRZ-KD#2細胞株における全細胞タンパク質のチロシンリン酸化状態とpaxllin(PTPRZによって脱リン酸化される基質分子)の発現量をウエスタンブロットで解析した結果である。この結果より、全タンパク質のチロシンリン酸化とpaxillinの発現量に変化は認められないことが分かった。
【0103】
実験方法は、前記G 免疫沈降とウエスタンブロット法も参照)
【0104】
例8
図2Bにおいては、paxillinに対する特異抗体を用いて免疫沈降したpaxillinのチロシンリン酸化状態を評価した結果を示す。図2Bの右側のグラフにおいて「*」で示されるように、student t検定においてp < 0.05と有意差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 3)である。このことからpaxillin上のPTPRZの脱リン酸化サイトのリン酸化は、RZ-KD#2 において有意に上昇したことが分かった。
【0105】
実験方法は、前記G 免疫沈降とウエスタンブロット法を参照。
【0106】
例9
図3A図3Bは、ラットC6グリオブラストーマ細胞のPTPRZの細胞内フラグメントの過剰発現によるC6細胞の悪性度の亢進を示す図である。
図3Aにおいては、C6細胞にチロシンホスファターゼ(PTP)ドメインを有するPTPRZの細胞内全域フラグメント(Z-ICR)と蛍光タンパク質(EGFP)との融合タンパク質(EGFP-Z-ICR(WT))及び、ホスファターゼ活性に必須のシステイン残基をセリン残基に置換した変異体(EGFP-Z-ICR(CS))を発現する細胞の抽出物をPTPRZの細胞内エピトープに対する抗RPTPβを用いてウエスタンブロット解析した結果(左側図)、また分析に用いたタンパク質の総量をクマシーブリリアントブルー(CBB)染色によって検証した結果(右側図)を示す。EGFP-Z-ICR(WT)及びEGFP-Z-ICR(CS)に由来するタンパク質のバンドは、EGFP-PTPRZ-ICRsと表示している。
【0107】
実験方法は、前記Dの細胞培養と遺伝子導入法と、前記G 免疫沈降とウエスタンブロット法を参照。
【0108】
例10
図3Bにおいては、例9(図3A)に示したEGFP-Z-ICR(WT)、EGFP-Z-ICR(CS)それと、コントロールとしてEGFPを強制発現させたC6細胞の細胞運動性をボイデンチャンバー法によって評価した結果を示す(左側の図)。図3Bの右側のグラフは、ウエル下部に移動した細胞数を示す(前記E ボイデンチャンバー分析も参照)。「*」で示されるように、Z-ICR(WT)は、EGFP対照細胞に比べてstudent t検定においてp < 0.05と有意差を示した。このことからPTPRZの細胞内フラグメントの発現によってC6細胞の運動能は有意に亢進することが分かった。また「##」で示されるように、Z-ICR(WT)は、student t検定においてp < 0.01とZ-ICR(CS)に比べて有意な差を示した。すなわちホスファターゼ活性が運動能の亢進に必要であることが初めて分かった。データは、平均 ± 標準誤差(n = 5)である。
【0109】
実験方法は、前記Eのボイデンチャンバー分析を参照。
【0110】
例11
図4A図4Bは、PTPRZ及びそのほかのPTP分子に対するAR27の阻害作用を示す図である。
図4Aにおいては、AR27の化学構造を示す。
【0111】
例12
図4Bにおいては、AR27がPTPRZ及びそのほかのPTP分子の細胞内チロシンホスファターゼ活性に与える影響のIC50を示す。PTPZ(○)、PTPN1(●、PTP1B、NT1サブファミリー)、PTPN6(×、SHP1、NT2サブファミリー)、PTPRB(▼、PTPβ、R3サブファミリー)、PTPRS(■、PTPσ、R2Aサブファミリー)、PTPRM(▲、PTPμ、R2Bサブファミリー)、PTPRA(◆、PTPα、R4サブファミリー)、PTPRG(◇、PTPγ、R5サブファミリー)。PTP酵素の基質特異性の影響を排除するため、低分子人工基質であるDiFMUPを最終濃度20μMでアッセイ用の基質して用いた。AR27は、PTPRZおよびPTPRGに対して選択的に強く阻害することを示すことが明らかになった。
【0112】
実験方法は、前記BのIC50の決定を参照。
【0113】
例13
図5A図5Bは、AR27及びAR27の類似化合物によるPTPRZの阻害を示す図である。
図5Aにおいては、AR27(compound 1)及びその類似化合物(compound 2〜10)の化学構造を示す。
【0114】
例14
図5Bにおいては、PTPRZに最適化された基質ペプチドであるpCAP-GIT1549-556を用いて化合物(各々10μM)の阻害活性を評価した結果を示す。化合物番号は例13に示した図5A内に付された番号に対応している。図の縦軸は残存酵素活性を示し、DMSOコントロールとの相対値として表記されている。図5Bの下側のグラフにおいて「**」で示されるように、ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.01と有意な差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 3)。このことからcompound 2からcompound 6の阻害活性は、AR27に比べて低いものの有意な阻害活性は認められること、一方、compound 7からcompound 10には全く阻害活性を持たないことが初めて明らかになった。
【0115】
実験方法は、前記BのIC50の決定を参照。
【0116】
例15
図6A図6Cは、AR27の阻害に関わるPTPRZ中のアミノ酸残基の特定を示す図である。図6Aと例16の図6Bでは、PTPRZの触媒活性に関する部位特異的変異誘発の効果を示す。
【0117】
図6Aにおいては、PTPRZの酵素活性ドメインの各種変異体を作成し、そのタンパク質(精製されたGST融合タンパク質(白矢頭で示す))の精製度(SDS-PAGEによる)をクマシーブリリアントブルー(CBB)染色で確認した結果を示す(アミノ酸残基の表示は一文字表記による)。
実験方法は、前記Aの発現プラスミド及び組み換え酵素を参照。
【0118】
例16
図6Bにおいては、それぞれのPTPRZ変異体の同一タンパク量あたりの酵素活性(比活性)は、5nMの酵素を20μMのpCAP-GIT1549-556を基質として用いて評価した結果を示す。データは、野生型酵素との相対値として提示したものである。その結果、「*」および「**」で示されるように、ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.05(*)、p < 0.01(**)と有意な差を示した。データは、平均 ± 標準誤差 (n = 3〜5)。このことから、野生型に比べて、ほとんどの変異体で、酵素活性は有意に低下していたことが分かった。
【0119】
実験方法は、前記BのIC50の決定を参照。
例17
図6Cにおいては、野生型と変異型酵素の酵素活性を同程度に調整した後、AR27、その類似化合物(例13の図5Aに示したcompound 3からcompound 5)及び非特異的PTP阻害剤として知られるバナジン酸(vanadate)に対する阻害感受性を評価した結果を示す)。阻害分析は、pCAP-GIT1549-556を基質として阻害化合物(各々10 μM)またはvanadate(200 μM)の終濃度になるよう加えて実施した。残存酵素活性は、各々の酵素の溶媒コントロールとの相対値として表現した。その結果、「*」および「**」で示されるように、ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.05(*)、p < 0.01(**)と有意な差を示した。データは、平均 ± 標準誤差(n = 3)。
【0120】
具体的には次の通りであった。N1758D変異体は、AR27およびcompound 5に対しては、野生型酵素に比べて有意に阻害抵抗性を示した。しかし、compound 3及びcompound 4に対しては、野生型酵素と同程度に阻害された。また、非特異的なPTP阻害剤vanadateに対する阻害感受性は、むしろ亢進していた。このことは、AR27のナフタレン-ジスルホン酸構造の2位のスルホン酸とPTPRZの活性ドメインのN1758残基との間に相互作用が存在することを示している。
【0121】
次にY1756F変異体であるが、AR27及びcompound 3からcompound 5の全てに対して抵抗性を示した。しかし、vanadateに対する阻害感受性に変化は認められなかった。このことは、AR27及びその類似化合物に共通する、例えば、アゾ結合部位とこのチロシン残基の相互作用の存在を推測させた。
実験方法は、前記BのIC50の決定を参照。
【0122】
例18
図7A図7Dは、リポソームを用いたAR27の細胞内導入法の開発を示す図である。
図7Aにおいては、マイクロインジェクション法を用いてAR27をC6細胞にインジェクションした。蛍光と明視野(BF)イメージは、矢頭によって示されるAR27の注射の前(before)後(after)における同一視野の顕微鏡観察像を示す。細胞内のAR27は、蛍光励起によって赤い蛍光を示すことが分かった(矢頭)。
【0123】
実験方法は、前記EのAR27/リポソーム複合体の細胞内取り込み量の評価を参照。
【0124】
例19
図7Bにおいては、AR27/リポソーム複合体の最適化条件を検討した結果を示す。この結果から、100μMのAR27を含むAR27とリポソームの混合比までは直線的に細胞内取り込みは増加するが、それ以降は減少することが分かった(AR27/リポソーム複合体、白丸○)。またリポソームと混合しないと、AR27単独処理ではほとんど細胞内に取り込まれない(黒丸●)ことが分かった。
【0125】
実験方法は、前記EのAR27/リポソーム複合体の細胞内取り込み量の評価を参照。
【0126】
例20
図7Cにおいては、AR27及びリポソームで処理したC6細胞を蛍光顕微鏡で観察した結果を示す。通常のプラスチック培養皿の上で培養したC6細胞を、無処理、AR27単独処理、リポソーム単独処理、AR27/リポソーム複合体処理の条件下で3時間インキュベートし、通常培地へ交換することで細胞を洗浄した後、蛍光と位相コントラスト(PhC)を撮影した。図7C中の最も右のパネルは、AR27/リポソーム複合体で処理した細胞のみ赤色の蛍光が観察された。スケール・バーは20μmである。AR27/リポソーム複合体でのみ、細胞内にAR27が取り込まれていることが明確に示された。
【0127】
実験方法は、前記EのAR27/リポソーム複合体の細胞内取り込み量の評価を参照。
【0128】
例21
図7Dにおいては、C6細胞を用いてPTPRZの基質分子paxillinのリン酸化に対する複合体の効果を評価した結果を示す。C6細胞懸濁液は、図に示された組合せのAR27とリポソームで30分間インキュベートし、その後、ラミニンで被覆した培養シャーレに播種した。播種15分後の細胞からタンパク抽出を行い、PTPRZの基質サイトであるTyr118のパキシリンのリン酸化を分析した(右側の上図)。右下のグラフは、その定量結果を示している。データは、平均 ± 標準誤差(n = 3)である。その結果、「**」で示されるように、ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.05(**)と有意差を示した。この結果は、AR27/リポソーム複合体処理した場合においてのみ、paxillinのチロシンリン酸化の有意な上昇を示している。一方、全細胞タンパク質のチロシンリン酸化のパターン(左上図)とpaxllinの発現量(左下図)に変化はしておらず、複合体の処理によってチロシンリン酸化シグナルが非特異的に損なわれた可能性が否定された。
【0129】
実験方法は、前記CのAR27/リポソーム複合体の調製と、前記Gの免疫沈降とウエスタンブロット法を参照。
【0130】
例22
図8A図8Bは、AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の細胞運動及び細胞増殖能の阻害作用を示す図である。
【0131】
図8Aにおいては、AR27/リポソーム複合体がC6及びRZ-KD#2細胞株の細胞運動能に与える効果をボイデンチャンバー分析で評価した結果を示す(上側)。下側のグラフは定量解析の結果である。データは、平均 ± 標準誤差(n = 5)である。その結果、「**」で示されるように、ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.01と有意な差を示し、C6細胞では20μMのAR27/リポソーム複合体処理によって細胞運動能が有意に低下した。
【0132】
一方、p < 0.05(#)で示されるように、RZ-KD#2細胞株は、親細胞株に比べて運動能は低下していることが、例5に示した図1Eの結果と同様に再現した。しかしRZ-KD#2の細胞運動性は、AR27/リポソーム複合体によって抑制されなかった。このことから、AR27/リポソーム複合体の細胞運動抑制作用はPTPRZに依存的であることが明らかになった。
【0133】
実験方法は、前記CのAR27/リポソーム複合体の調製と、Eのボイデンチャンバー分析を参照。
【0134】
例23
図8Bにおいては、AR27/リポソーム複合体がC6及びRZ-KD#2の細胞増殖に与える影響を評価した結果を示す。上側のグラフは、AR27/リポソーム複合体を加えてから1時間後の細胞数の定量評価である。データは、平均 ± 標準誤差(n = 4)である。有意差はなく、AR27/リポソーム複合体が細胞接着性に与えた影響はないと判断された。
【0135】
下側のグラフは、AR27/リポソーム複合体を加えて25時間後の細胞数の定量評価である。データは、平均 ± 標準誤差(n = 4)である。ANOVAとScheffe's post hoc検定においてp < 0.05(*)、p < 0.01(**)、p < 0.01(##)と有意差を示し、10 μM以上のAR27を含むリポソーム複合体によって低下することが明らかになった。また例4に示した図1Dの結果と同様に、RZ-KD#2は親株のC6細胞に比べて細胞増殖が低下しているが、AR27/リポソーム複合体による増殖抑制は受けないことも明らかになった。すなわち、AR27/リポソーム複合体の細胞増殖抑制はPTPRZに依存的であることが明らかになった。
【0136】
実験方法は、前記CのAR27/リポソーム複合体の調製と、Fの細胞増殖能の評価を参照。
【0137】
例24
図9は、AR27類似化合物でPTPRZに対する阻害活性が弱いcompound 2が、C6細胞の増殖に与える影響を評価した結果を示す図である。下側のグラフは、リポソーム複合体による処理の1時間後と25時間後の細胞数をカウントし、24時間の細胞増殖を定量評価したものある。データは、平均 ± 標準誤差(n = 3)である。「**」で示されるようにstudent t検定においてp < 0.01(**)と有意差を示し、AR27/リポソーム複合体(40 μMのAR27を含む)処理でのみ、リポソーム(vehicle)単独処理に比べて有意に低下した。一方、compound 2/リポソーム複合体では、細胞増殖の抑制効果は検出されなかった。すなわち、AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の増殖抑制効果は、PTPRZの活性阻害に起因することが明らかになった。
【0138】
実験方法は、前記CのAR27/リポソーム複合体の調製と、Fの細胞増殖能の評価を参照。
【0139】
例25
図10は、AR27/リポソーム複合体によるC6細胞の腫瘍形成の抑制を示す図である。
C6細胞をラットの脳内に移植し、移植手術の翌日から5 μlのAR27/リポソーム複合体(0.9%のNaCl中で1 mM)、compound 2/リポソーム複合体(0.9%のNaCl中で1 mM)もしくは5 μlの溶媒(0.9%のNaCl)を毎日脳内に投与した。脳内移植の1週間後の脳組織(冠状断面)における腫瘍形成部位のヘマトキリン染色像を示す。下側のパネルは、上側パネルの四角で囲った区域の拡大図である。スケール・バーは1 mm。右側のグラフは、脳の連続切片から測定される個々の腫瘍容積をプロットしたものである(n = 5〜8)。グラフ中の水平バーは、それぞれのグループの平均値である。「*」で示されるように、student t検定においてp < 0.05と有意差を示し、AR27/リポソーム複合体の投与群の腫瘍サイズが生理食塩水投与群に比べて有意に抑制されることが分かった。一方、compound 2/リポソーム複合体投与群では、腫瘍サイズの抑制はほとんど認められず、PTPRZの活性阻害によって腫瘍形成が抑制されることが明らかになった。
【0140】
実験方法は、前記CのAR27/リポソーム複合体の調製と、HのC6グリオブラストーマ細胞の脳内同種移植、AR27/リポソーム複合体の脳室内投与および、その組織学的な評価を参照。
図1A
図1B
図1C
図1D
図1E
図1F
図2A
図2B
図3A
図3B
図4A
図4B
図5A
図5B
図6A
図6B
図6C
図7A
図7B
図7C
図7D
図8A
図8B
図9
図10