特許第6241844号(P6241844)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6241844
(24)【登録日】2017年11月17日
(45)【発行日】2017年12月6日
(54)【発明の名称】CoWオクタシアノ錯体
(51)【国際特許分類】
   C07D 213/61 20060101AFI20171127BHJP
   C07F 15/06 20060101ALN20171127BHJP
   C07F 11/00 20060101ALN20171127BHJP
【FI】
   C07D213/61CSP
   !C07F15/06
   !C07F11/00 C
【請求項の数】7
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2013-214154(P2013-214154)
(22)【出願日】2013年10月11日
(65)【公開番号】特開2015-74648(P2015-74648A)
(43)【公開日】2015年4月20日
【審査請求日】2016年9月27日
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成25年度、独立行政法人科学技術振興機構、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100137800
【弁理士】
【氏名又は名称】吉田 正義
(74)【代理人】
【識別番号】100148253
【弁理士】
【氏名又は名称】今枝 弘充
(74)【代理人】
【識別番号】100148079
【弁理士】
【氏名又は名称】梅村 裕明
(72)【発明者】
【氏名】大越 慎一
(72)【発明者】
【氏名】宮本 靖人
(72)【発明者】
【氏名】尾崎 仁亮
(72)【発明者】
【氏名】所 裕子
【審査官】 伊藤 幸司
(56)【参考文献】
【文献】 特開2012−097050(JP,A)
【文献】 特開2012−099190(JP,A)
【文献】 Chem. Mater.,2008年,20(9),pp.3048-3054
【文献】 Cryst. Growth Des,2011年,11,pp.5561-5566
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C07D
C07F
CAplus/REGISTRY(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
[Co・A・{W(CN)8}]・B・n H20(Aは、(2-フルオロピリジン)x、(2-クロロピリジン)x、(2-ブロモピリジン)x、(2-ヨードピリジン)x、(3-フルオロピリジン)x、(3-クロロピリジン)x、(3-ブロモピリジン)x、(3-ヨードピリジン)x、(4-フルオロピリジン)x、(4-クロロピリジン)x、(4-ブロモピリジン)x、(4-ヨードピリジン)x(xは1〜4)。Bは、有機のカチオン。nは、0〜10)からなり、
前記Bの有機のカチオンが、2-フルオロピリジニウム、2-クロロピリジニウム、2-ブロモピリジニウム、2-ヨードピリジニウム、3-フルオロピリジニウム、3-クロロピリジニウム、3-ブロモピリジニウム、3-ヨードピリジニウム、4-フルオロピリジニウム、4-クロロピリジニウム、4-ブロモピリジニウム、4-ヨードピリジニウムであり、
300[K]以上になっても、前記CoがCoIII、前記WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII・A・{WIV(CN)8}]・B・n H20となっている
ことを特徴とするCoWオクタシアノ錯体。
【請求項2】
特定強度以上の光が照射されると、光照射前にCoIIIおよびWIVの電子状態にあった前記Coおよび前記Wが、CoIIおよびWVへと電子状態が変化する
ことを特徴とする請求項1記載のCoWオクタシアノ錯体。
【請求項3】
特定強度以上の光が照射されると色が変化する
ことを特徴とする請求項1または2記載のCoWオクタシアノ錯体。
【請求項4】
光強度が130[mJ cm-2 pulse-1]以上である
ことを特徴とする請求項2または3記載のCoWオクタシアノ錯体。
【請求項5】
前記光の照射後に冷却処理が行われると、CoIIおよびWVの電子状態にあった前記Coおよび前記Wが、光照射前のCoIIIおよびWIVへと電子状態が再び戻る
ことを特徴とする請求項2〜4のうちいずれか1項記載のCoWオクタシアノ錯体。
【請求項6】
前記光を受けた後に冷却処理が行われると、光照射前の元の色に戻る
ことを特徴とする請求項2〜5のうちいずれか1項記載のCoWオクタシアノ錯体。
【請求項7】
前記Aが(4-ブロモピリジン)2、前記Bが4-ブロモピリジニウムであり、300[K]以上になっても、[CoIII(4-ブロモピリジン)2{WIV(CN)8}]・4-ブロモピリジニウム・n H20となっている
ことを特徴とする請求項1〜6のうちいずれか1項記載のCoWオクタシアノ錯体。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、CoWオクタシアノ錯体に関し、コバルト(Co)イオンとタングステン(W)イオンとがシアノ基(CN)で架橋されたCoWオクタシアノ錯体に適用して好適なものである。
【背景技術】
【0002】
光に応答して化学的性質・物理的性質が変化するような光スイッチング材料は、光メモリー媒体等の次世代の記録材料への応用が期待できるため、従来から盛んに研究されている。近年、シアノ架橋型金属錯体を用いて、「光誘起磁極反転」や「スピンクロスオーバー光磁性」といった様々な光機能性が報告されている。
【0003】
中でもCoイオンとWイオンとがCNで架橋されたCoWオクタシアノ錯体は、光照射に伴い色彩や磁性が著しく変化する魅力的な材料である(例えば、非特許文献1参照)。CoWオクタシアノ錯体における光応答は、[CoIIIls-WIV]から[CoIIhs-WV]への強い協同効果を伴う光誘起相転移に基づくため、閾値を有するという特徴を持つ。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】「Crystal structure,charge-transfer induced spin transition,and photoreversible magnetism in acyano-bridged cobalt-tungstate bimetallic assembly」Shin-ichi Ohkoshi, Yoshiho Hamada, Tomoyuki Matsuda, Yoshihide Tsunobuchi, and Hiroko Tokoro
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
一方、[CoIIIls-WIV]の電子状態が安定に存在できる温度範囲は限られており、これまでに報告されているCoWオクタシアノ錯体においては、室温付近では[CoIIhs-WV]のみが観測され、[CoIIIls-WIV]が安定に存在できるような系は合成できていなかった。
【0006】
そこで、本発明は以上の点を考慮してなされたもので、CoIIIとWIVの電子状態が室温でも安定して維持し得るCoWオクタシアノ錯体を提案することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
かかる課題を解決するため本発明によるCoWオクタシアノ錯体は、[Co・A・{W(CN)8}]・B・n H20(Aは、(2-フルオロピリジン)x、(2-クロロピリジン)x、(2-ブロモピリジン)x、(2-ヨードピリジン)x、(3-フルオロピリジン)x、(3-クロロピリジン)x、(3-ブロモピリジン)x、(3-ヨードピリジン)x、(4-フルオロピリジン)x、(4-クロロピリジン)x、(4-ブロモピリジン)x、(4-ヨードピリジン)x(xは1〜4)。Bは、有機のカチオン。nは、0〜10)からなり、前記Bの有機のカチオンが、2-フルオロピリジニウム、2-クロロピリジニウム、2-ブロモピリジニウム、2-ヨードピリジニウム、3-フルオロピリジニウム、3-クロロピリジニウム、3-ブロモピリジニウム、3-ヨードピリジニウム、4-フルオロピリジニウム、4-クロロピリジニウム、4-ブロモピリジニウム、4-ヨードピリジニウムであり、300[K]以上になっても、前記CoがCoIII、前記WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII・A・{WIV(CN)8}]・B・n H20となっていることを特徴とする。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、CoIIIとWIVの電子状態が室温でも安定して維持し得るCoWオクタシアノ錯体を提供し得る。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】室温での光照射前のCoWオクタシアノ錯体のXRDパターンおよびリートベルト解析結果を示すグラフである。
図2図2Aは、室温での光照射前のCoおよびWの配位環境を示す概略図であり、図2Bは、室温での光照射前のCoWオクタシアノ錯体の結晶構造を示す概略図である。
図3図3Aは、室温での光照射前のCoWオクタシアノ錯体の赤外(IR)吸収スペクトルを示すグラフであり、図3Bは、室温での光照射前のCoWオクタシアノ錯体の紫外可視(UV-vis)吸収スペクトルを示すグラフであり、図3Cは、光照射前のCoWオクタシアノ錯体の外部磁場5000[0e]における磁化率(χM)と温度(T)の積(χM T)の温度依存性を示すグラフである。
図4】光照射前、光照射後、および冷却処理後のCoWオクタシアノ錯体の表面状態を示す写真である。
図5図5Aは、光照射前、光照射後、および冷却処理後のCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルの変化を示すグラフであり、図5Bは、室温におけるCoWオクタシアノ錯体の光照射前後のIRスペクトルについて差分をとった差分スペクトル、室温におけるCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルを定数倍したスペクトル、および差分スペクトルから定数倍スペクトルを減算したスペクトルを示すグラフである。
図6】IRスペクトル変化の光強度依存性を示すグラフである。
図7】光誘起電荷移動型相転移および温度誘起電荷移動型相転移のメカニズムの説明に供する概略図である。
図8】本発明によるCoWオクタシアノ錯体におけるギブスエネルギーの温度依存性を示すグラフである。
図9図9Aは従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるCoおよびWの配位環境を示す概略図であり、図9Bは、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体の結晶構造を示す概略図である。
図10】本発明によるCoWオクタシアノ錯体におけるギブスエネルギーの温度依存性と、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるギブスエネルギーの温度依存性とを示すグラフである。
図11図11Aは、本発明によるCoWオクタシアノ錯体のCo周辺の配位環境を示す概略図であり、図11Bは、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体のCo周辺の配位環境を示す概略図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下図面に基づいて本発明の実施の形態を詳述する。
【0011】
(1)本発明のCoWオクタシアノ錯体の概要
ここで、CoとWとがCNにより架橋された従来のCoWオクタシアノ錯体は、温度が低いときCoがCoIII、WがWIVの電子状態になっているが、300[K]以上の室温になると、いずれもCoがCoII、WがWVの電子状態となるものであった。本発明におけるCoWオクタシアノ錯体は、[Co・A・{W(CN)8}]・B・n H20(Aは、(2-fluoropyridine(フルオロピリジン))x、(2-chloropyridine(クロロピリジン))x、(2-bromopyridine(ブロモピリジン))x、(2-iodopyridine(ヨードピリジン))x、(3-fluoropyridine(フルオロピリジン))x、(3-chloropyridine(クロロピリジン))x、(3-bromopyridine(ブロモピリジン))x、(3-iodopyridine(ヨードピリジン))x、(4-fluoropyridine(フルオロピリジン))x、(4-chloropyridine(クロロピリジン))x、(4-bromopyridine(ブロモピリジン))x、(4-iodopyridine(ヨードピリジン))x (xは1〜4)。Bは、有機のカチオン。nは、0〜10)からなり、300[K]以上でも、CoがCoIII、WがWIVの電子状態を維持し得る点に特徴を有する。なお、Bの有機のカチオンは、2-fluoropyridinium(フルオロピリジニウム)、2-chloropyridinium(クロロピリジニウム)、2-bromopyridinium(ブロモピリジニウム)、2-iodopyridinium(ヨードピリジニウム)、3-fluoropyridinium(フルオロピリジニウム)、3-chloropyridinium(クロロピリジニウム)、3-bromopyridinium(ブロモピリジニウム)、3-iodopyridinium(ヨードピリジニウム)、4-fluoropyridinium(フルオロピリジニウム)、4-chloropyridinium(クロロピリジニウム)、4-bromopyridinium(ブロモピリジニウム)、4-iodopyridinium(ヨードピリジニウム)である。
【0012】
また、これに加えて本発明のCoWオクタシアノ錯体は、室温にて特定強度以上(例えば130[mJ cm-2 pulse-1]以上)の光が照射されると、CoおよびWの電子状態が変わり、色が変化し得る。実際上、このCoWオクタシアノ錯体は、光照射前にCoIIIおよびWIVの電子状態([CoIII‐WIV]とも表記する)にあるCoおよびWが、光照射後にはCoIIおよびWVの電子状態([CoII‐WV]とも表記する)へと変化し、CoIIIおよびWIVからCoIIおよびWVへの光誘起電荷移動型相転移が起こり得る。
【0013】
さらに、本発明のCoWオクタシアノ錯体は、光照射後、例えば液体窒素等により冷却処理が行われると、CoおよびWの電子状態が変わり、色が変化して再び光照射前の色へと戻り得る。実際上、このCoWオクタシアノ錯体は、光照射後にCoIIおよびWVの電子状態([CoII-WV])にあるCoおよびWが、冷却処理後にはCoIIIおよびWIVの電子状態([CoIII-WIV])へと光照射前に戻り、CoIIおよびWVからCoIIIおよびWIVへの温度誘起電荷移動型相転移が起こり得る。
【0014】
(2)[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20からなるCoWオクタシアノ錯体ついて
(2−1)[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20からなるCoWオクタシアノ錯体の概要
ここで、上述したCoWオクタシアノ錯体として、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20、特にn=1である[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・H20からなるCoWオクタシアノ錯体を一例として説明する。この場合、CoWオクタシアノ錯体は、青色粉末状からなり、300[K]以上になっても、CoがCoIII、WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII(4-bromopyridine)2{WIV(CN)8}]・4-bromopyridinium・H20となり得る。このCoWオクタシアノ錯体は、室温にて光強度が130[mJ cm-2 pulse-1]以上のパルスレーザー光を受けると、CoIIIls(lsは、Coイオンのスピン状態が低スピン状態であることを示す)およびWIVの電子状態からCoIIhs(hsは、Coイオンのスピン状態が高スピン状態であることを示す)およびWVの電子状態への光誘起電荷移動型相転移が起こり、光照射箇所が青色から赤色へと変化し得る。
【0015】
ここで、図1は、光照射前のCoWオクタシアノ錯体の粉末X線回折(XRD)パターンを示す。図1のXRDパターンからリートベルト解析を行ったところ、図2Aに示すようなCoおよびWの配位環境と、図2Bに示すような結晶構造を特定し得た。本発明のCoWオクタシアノ錯体は、光照射前、室温において空間群P21に属する単斜晶系の結晶構造を有することが確認できた。また、図2Aおよび図2Bに示すように、CoWオクタシアノ錯体は、シアノ基(CN)で架橋されたCo-Wによる2次元レイヤー構造が形成されており、レイヤー間には有機のカチオンとして4-ブロモピリジニウム(4-bromopyridinium)カチオンが存在する2次元ネットワーク構造であることが確認できた。
【0016】
次に、室温時における光照射前のCoWオクタシアノ錯体の電子状態について説明する。ここで、室温時における光照射前のCoWオクタシアノ錯体についてIRスペクトルを調べたところ、図3Aに示すような結果が得られた。図3Aから、光照射前の室温時におけるCoWオクタシアノ錯体において、WIV-C≡N-CoIII、およびWIV-C≡Nのシアノ基の伸縮振動に帰属されるピーク2180〜2110[cm-1]が観測された。次に、紫外可視光(UV-vis)スペクトルのピーク分離を行ったところ、下記表1および図3Bに示すような結果が得られた。
【0017】
【表1】
【0018】
表1および図3Bから、800[nm]付近にWIVからCoIIIへの金属間電荷移動(MM'CT)吸収帯の吸収が観測された。また、その他のピーク(peak No.1,2,3,4)に関しては、CoIIIおよびWIVのd-d遷移に帰属できた。
【0019】
さらに、室温時における光照射前のCoWオクタシアノ錯体について、モル磁化率χMと温度Tとの積χMTの温度依存性について調べたところ、図3Cに示すような結果が得られた。図3Cから、モル磁化率χMと温度Tとの積χMTは、2〜340[K]まで0.05〜0.10[cm3 K mol-1]程度の低い値を示した。以上の結果から、光照射前のCoWオクタシアノ錯体は、2〜340[K]の温度範囲でCoとWとがCoIIIlsとWIVの電子状態([CoIIIls-WIV])になっていることが確認できた。
【0020】
次に、CoWオクタシアノ錯体において起こる光誘起電荷移動型相転移と、温度誘起電荷移動型相転移について説明する。室温において光照射前の青色粉末状であるCoWオクタシアノ錯体は、図4に示すように、波長800[nm]、光強度570[mJ cm-2 pulse-1]のパルスレーザー光hνが1ショット照射されると、青色が赤色へと変化した。また、光照射後の赤色粉末状であるCoWオクタシアノ錯体は、冷却処理によって77[K]まで冷却されると、光照射前と同じ青色へと変化し、再び室温(図4中、rtと表記)に戻しても青色の状態が維持された。
【0021】
室温においてパルスレーザー光hν(波長800[nm]、光強度570[mJ cm-2 pulse-1])の光照射前後におけるCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルと、光照射後に冷却処理を行ったCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルについて調べたところ、図5Aに示すような結果が得られた。なお、図5A中、光照射前のCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルは「before」と表記し、光照射後のCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルは「after」と表記し、冷却処理後のCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルは「cool」と表記している。
【0022】
さらに、図5Bに示すように、室温におけるCoWオクタシアノ錯体の光照射前後のIRスペクトルについて差分をとった差分スペクトル(図5B中「difference」と表記)と、室温におけるCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトルを定数倍したスペクトル(図5B中「before×0.53」と表記し、単に定数倍スペクトルとも呼ぶ)と、さらに差分スペクトルから定数倍スペクトルを減算したスペクトル(図5B中「PI phase」と表記)について調べた。
【0023】
図5Aおよび図5Bから、CoWオクタシアノ錯体において、光照射によって、CoIIIとWIVの電子状態([CoIII-WIV])に由来するピーク2180〜2110[cm-1]が減少し、その一方でCoIIとWVの電子状態([CoII-WV])に由来するピーク2185〜2165[cm-1]が新たに生成していることが分かった。また、図5Aから、光照射後にCoWオクタシアノ錯体に対して冷却処理を行い、77[K]まで冷却したときには、CoIIIとWIVの電子状態([CoIII-WIV])に由来するピークが回復していた。このことからCoWオクタシアノ錯体は、光照射により[CoIII-WIV]から [CoII-WV]への光誘起電荷移動型相転移が起こり、さらに、冷却処理により [CoII-WV]から[CoIII-WIV]への温度誘起電荷移動型相転移が起こっていることが分かった。
【0024】
次に、室温におけるCoWオクタシアノ錯体のIRスペクトル変化の光強度依存性を調べたところ、図6に示すような結果が得られた。図6から、光強度が130[mJ cm-2 pulse-1]未満のパルスレーザー光では、CoWオクタシアノ錯体においてピーク強度の変化が観測されず、光強度が130[mJ cm-2 pulse-1]以上のときCoWオクタシアノ錯体においてピーク強度の変化が観測されたことから、光誘起電荷移動型相転移が起こる光強度の閾値が130[mJ cm-2 pulse-1]であることが分かった。
【0025】
次に、CoWオクタシアノ錯体の光誘起電荷移動型相転移および温度誘起電荷移動型相転移におけるメカニズムについて説明する。本発明によるCoWオクタシアノ錯体は、図7に示すように、パルスレーザー光hνの照射前、CoIIIls(S=0)およびWIV(S=0)の状態にあり、パルスレーザー光hνが照射されると、WIVからCoIIIへの金属間電荷移動(MM'CT)吸収帯が励起されて[CoIIIls(S=0)-WIV(S=0)]から[CoIIls(S=1/2)-WV(S=1/2)]となり、その後、CoIIでスピン転移が起きることで[CoIIhs(S=3/2)-WIV(S=1/2)]となる。
【0026】
また、光照射後におけるCoWオクタシアノ錯体に対する冷却処理においては、温度変化により[CoIIhs(S=3/2)-WV(S=1/2)]から[CoIIIhs(S=1)-WIV(S=0)]となり、その後、CoIIIでスピン転移が起こり、[CoIIIls(S=0)-WIV(S=0)]となる。
【0027】
ここで、本発明のCoWオクタシアノ錯体において、光照射によって室温にて[CoIII-WIV]から[CoII-WV]への光誘起相転移が観測された理由の1つに、室温で[CoIII-WIV]を維持し得る点が挙げられる。そこで、本発明のCoWオクタシアノ錯体について熱力学的な解析を行い、[CoIII-WIV]状態が室温でも安定に存在し得た理由について以下考察する。
【0028】
この場合、[CoIII-WIV]のギブスの自由エネルギー(単にギブスエネルギーとも呼ぶ)G[CoIII-WIV]と、[CoII-WV]のギブスエネルギーG[CoII-WV]は、それぞれ下記の式にように表すことがきる。なお、Hはエンタルピーを示し、Sはエントロピーを示す。
G[CoIII-WIV]=H[CoIII-WIV]−S[CoIII-WIV]T
G[CoII-WV]=H[CoII-WV]−S[CoII-WV]T
【0029】
ここで、本発明のCoWオクタシアノ錯体において、[CoIII-WIV]の多重度は(1×1)1×(1×1)1=1、一方、[CoII-WV]の多重度は(1×4)1×(1×2)1=8となる。従って、[CoIII-WIV]のエントロピーSは、S[CoIII-WIV]=Rln1となり、一方、[CoII-WV] のエントロピーSは、S[CoII-WV]=Rln8となる。この値を、上述した2式にそれぞれ代入して計算したG[CoIII-WIV]とG[CoII-WV]の温度依存性を図8に示す。なお、これまでの知見を基に、H[CoIII-WIV]は0(ゼロ)、一方、H[CoII-WV]は4.4[kJ mol-1]という値を用いた。また、ここではエンタルピーHとエントロピーSは温度によらず一定の値をとると仮定した。図8では、340[K]未満を実線で示し、340[K]以上を点線で示している。
【0030】
図8から、G[CoII-WV]は、温度を上げていくに従って減少し、G[CoIII-WIV]とは傾き(エントロピーS)が異なるため、点Tpで交差する。この場合、点Tp以下の温度では[CoIII-WIV]が安定相であるが、点Tpを超えた温度では[CoII-WV]が安定相であることを示している。すなわち、点Tpは相転移温度を表している。従って、図8より、点Tpが450 [K]付近にあるため、[CoIII-WIV]が340[K]付近でも安定的に存在し得ることが理解できる。かくして、CoWオクタシアノ錯体は、2〜340[K]の全温度領域で[CoIII-WIV]をとることができ、[CoIII-WIV]が室温でも安定的に存在し得たと推測できる。
【0031】
(2−2)[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20からなるCoWオクタシアノ錯体の製造方法
本発明によるCoWオクタシアノ錯体は下記のような製造方法により製造し得る。この場合、塩化コバルト(II)6水和物(CoIICl2・6H20)(0.33[mol dm-3])と、4-ブロモピリジン塩酸塩(4-bromopyridine・HCl)(1.0[mol dm-3])の混合水溶液3[mL](pH1.7)を作製する。次いで、この混合水溶液に、オクタシアノタングステン(V)酸ナトリウム(Na3[WV(CN)8]・4H20)水溶液(0.33[mol dm-3])を3[mL]滴下し、20[℃]で1時間攪拌することにより沈殿物を得る。得られた沈殿物を濾別し、真空乾燥することで、例えば、 [Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・H20からなる青色粉末状のCoWオクタシアノ錯体を生成し得る。
【0032】
なお、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20のうち、nについては、湿度を変えることにより変わり、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20(n=0〜10)からなるCoWオクタシアノ錯体を生成し得る。
【0033】
(2−3)従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体との対比
ここでは、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・H20からなる本発明のCoWオクタシアノ錯体について、CsCo[W(CN)8](3-cyanopyridine)2・H20からなる従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体と対比しつつ、CoおよびWの電子状態について考察する。因みに、図9Aは、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体のCoおよびWの配位環境を示す概略図であり、図9Bは、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体のa軸方向から見た結晶構造を示す概略図である。
【0034】
このような結晶構造および配位環境を有した従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における[CoIII-WIV]のギブスエネルギーG[CoIII-WIV]と、[CoII-WV]のギブスエネルギーG[CoII-WV]についても、同様に上述した2式によって表すことができる。ここで、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における[CoIII-WIV]の電子状態はD4hCoIII(1A1g)-C2vWIV(1A1)と考えられる。多重度は軌道縮重度とスピン多重度との積で表わされるため、D4hCoIII(1A1g)の多重度は1×1、C2vWIV(1A1)の多重度は1×1となる。従って、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における[CoIII-WIV]の多重度は、(1×1)1×(1×1)1=1となる。
【0035】
一方、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における[CoII-WV]の電子状態は、D4hCoII(4Eg)-C2vWV(2B1)と考えられる。ここで、D4hCoII(4Eg)の多重度は2×4、C2vWV(2B1)の多重度は1×2となり、結果、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における[CoII-WV]の多重度は、(2×4)1×(1×2)1=16となる。
【0036】
従って、この場合、[CoIII-WIV]のエントロピーSは、S[CoIII-WIV]=Rln1となり、一方、[CoII-WV]のエントロピーSは、S[CoII-WV]=Rln16となる。この値を、上述した2式にそれぞれ代入して計算した従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるG[CoIII-WIV]とG[CoII-WV]の温度依存性を図10に示す。なお、点Tpにて交わる直線は、図8に示した本願発明のCoWオクタシアノ錯体におけるG[CoIII-WIV]とG[CoII-WV]の温度依存性を示したものである。なお、ここでも上述と同様に、これまでの知見を基に、H[CoIII-WIV]は0(ゼロ)、一方、H[CoII-WV]は4.4[kJ mol-1]という値を用いた。また、図10でも図9と同様に340[K]未満を実線で示し、340[K]以上を点線で示している(なお、図10では、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるG[CoIII-WIV]と、本発明のCoWオクタシアノ錯体におけるG[CoIII-WIV]とが重なっている)。
【0037】
図10から、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるG[CoII-WV]は、温度を上げていくに従って減少し、G[CoIII-WIV]とは傾き(エントロピーS)が異なるため、点Tp´で交差する。従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体では、室温以下にある点Tp´(約190[K]付近)未満の温度で[CoIII-WIV]が安定相になり、点Tp´以上の温度で[CoII-WV]が安定相になる。そして、図10から、本発明のCoWオクタシアノ錯体の相転移温度となる点Tpのほうが、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体における相転移温度(点Tp´)よりも高く、室温であっても[CoIII-WIV]が安定して存在できることが分かる。
【0038】
ここで、図11Aは、本発明のCoWオクタシアノ錯体におけるCo周辺の配位環境を示す概略図であり、図11Bは、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体におけるCo周辺の配位環境を示す概略図を示す。図11Aに示すように、本発明のCoWオクタシアノ錯体では、4-bromopyridineが存在する2つの平面が約45度傾いている。一方、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体は、図11Bに示すように、3-cyanopyridineが存在する2つの平面が平行になっている。そのため本発明によるCoWオクタシアノ錯体は、Co周辺の配位環境が、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体よりも歪んでいる。
【0039】
このように、本発明のCoWオクタシアノ錯体は、Co周辺の配位環境が歪んでいることで、[CoII-WV]のエントロピーSが変化し、従来のCoW(3-CNpy)オクタシアノ錯体に比べて相転移温度(点Tp)が上昇し、室温においても[CoIII-WIV]が安定して存在し得ていると推測できる。
【0040】
(3)作用及び効果
以上の構成において、このCoWオクタシアノ錯体では、[Co・A・{W(CN)8}]・B・n H20(Aは、(2-fluoropyridine)x、(2-chloropyridine)x、(2-bromopyridine)x、(2-iodopyridine)x、(3-fluoropyridine)x、(3-chloropyridine)x、(3-bromopyridine)x、(3-iodopyridine)x、(4-fluoropyridine)x、(4-chloropyridine)x、(4-bromopyridine)x、(4-iodopyridine)x (xは1〜4)。Bは、有機のカチオン。nは、0〜10)からなり、300[K]以上になっても、CoがCoIII、WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII・A・{WIV(CN)8}]・B・n H20となっている。このように本発明では、CoIIIとWIVの電子状態が室温でも安定して維持し得るCoWオクタシアノ錯体を提供し得る。
【0041】
また、このCoWオクタシアノ錯体では、130[mJ cm-2 pulse-1]以上の光が照射されると、光照射前にCoIIIおよびWIVの電子状態にあったCoおよびWが、CoIIおよびWVへと電子状態が変化する。この際、CoWオクタシアノ錯体は、130[mJ cm-2 pulse-1]以上の光が照射された光照射箇所が色変化する。これによりCoWオクタシアノ錯体は、このような色変化を切替の目安としたスイッチング素子として機能し得る。
【0042】
さらに、CoWオクタシアノ錯体は、光照射後に冷却処理が行われると、CoIIおよびWVの電子状態にあったCoおよびWが、光照射前のCoIIIおよびWIVへと再び電子状態が戻る。そして、CoWオクタシアノ錯体は、このような冷却処理によって、光照射によって変色した箇所が光照射前の元の色に戻る。これによりCoWオクタシアノ錯体は、光照射による色変化と、冷却処理による色変化とを交互に行え、色変化の切替を繰り返し行え得るスイッチング素子として機能し得る。
【0043】
具体的に、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20からなるCoWオクタシアノ錯体では、相転移温度(点Tp)が450[K]付近にあるため、300[K]以上になっても、CoがCoIII、WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII(4-bromopyridine)2{WIV(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20となっており、室温にて130[mJ cm-2 pulse-1]以上の光が照射されると、CoIIIおよびWIVの電子状態にあったCoおよびWが、CoIIおよびWVへと電子状態が変化し、光照射箇所が青色から赤色へと変化する。これによりCoWオクタシアノ錯体は、このような青色から赤色への変化を切替の目安としたスイッチング素子として機能し得る。
【0044】
また、[Co(4-bromopyridine)2{W(CN)8}]・4-bromopyridinium・n H20からなるCoWオクタシアノ錯体では、光照射後に冷却処理が行われ、77[K]以下まで冷却されると、CoIIおよびWVの電子状態にあったCoおよびWが、光照射前のCoIIIおよびWIVへと電子状態が再び戻り、色が光照射前の元の青色へと戻る。これによりCoWオクタシアノ錯体は、光照射による青色から赤色への変化と、冷却処理による赤色から青色への変化とを交互に行えることから、色変化の切替を繰り返し行え得るスイッチング素子として機能し得る。
【0045】
(4)その他の実施の形態
なお、本発明は、本実施形態に限定されるものではなく、本発明の要旨の範囲内で種々の変形実施が可能である。因みに、[Co・A・{W(CN)8}]・B・n H20(Aは、(2-fluoropyridine)x、(2-chloropyridine)x、(2-bromopyridine)x、(2-iodopyridine)x、(3-fluoropyridine)x、(3-chloropyridine)x、(3-bromopyridine)x、(3-iodopyridine)x、(4-fluoropyridine)x、(4-chloropyridine)x、(4-bromopyridine)x、(4-iodopyridine)x(xは1〜4)。Bは、有機のカチオン。nは、0〜10)からなり、300[K]以上になっても、CoがCoIII、WがWIVの電子状態を維持し、[CoIII・A・{WIV(CN)8}]・B・n H20となっている本発明のCoWオクタシアノ錯体は下記のようにして生成し得る。この場合、Aのいずれかの配位子とCoを含んだ混合水溶液を作製し、W(CN)8を含む水溶液を混合水溶液に滴下した後、攪拌して沈殿物を得、この沈殿物を濾別して真空乾燥することにより有機のカチオンを有したCoWオクタシアノ錯体を生成できる。
図1
図2
図3
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図5
図6
図7
図8
図9
図10
図11