特許第6525310号(P6525310)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6525310
(24)【登録日】2019年5月17日
(45)【発行日】2019年6月5日
(54)【発明の名称】被覆工具
(51)【国際特許分類】
   B23C 5/16 20060101AFI20190527BHJP
   B23C 5/10 20060101ALI20190527BHJP
   B23B 27/14 20060101ALI20190527BHJP
【FI】
   B23C5/16
   B23C5/10 B
   B23B27/14 A
【請求項の数】2
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2015-66588(P2015-66588)
(22)【出願日】2015年3月27日
(65)【公開番号】特開2016-32861(P2016-32861A)
(43)【公開日】2016年3月10日
【審査請求日】2018年2月13日
(31)【優先権主張番号】特願2014-153487(P2014-153487)
(32)【優先日】2014年7月29日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000005083
【氏名又は名称】日立金属株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】000233066
【氏名又は名称】三菱日立ツール株式会社
(72)【発明者】
【氏名】小関 秀峰
(72)【発明者】
【氏名】佐々木 智也
(72)【発明者】
【氏名】井上 謙一
【審査官】 津田 健嗣
(56)【参考文献】
【文献】 特開2011−167838(JP,A)
【文献】 特開2010−284787(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2013/0287507(US,A1)
【文献】 特開2003−071610(JP,A)
【文献】 特開2004−238736(JP,A)
【文献】 特開2000−144376(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23C 5/16
B23B 27/14
B23C 5/10
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
基材と、前記基材の表面に硬質皮膜を有する被覆工具であって、前記硬質皮膜は含有する金属(半金属を含む)元素全体を100原子%とした場合、少なくともAlを75%以上85%以下、Crを15%以上25%以下を含有する窒化物又は炭窒化物であり、かつ、金属(半金属を含む)元素、窒素、酸素および炭素の合計を100原子%とした場合の前記硬質皮膜の金属(半金属を含む)元素の原子比率Aと窒素の原子比率Bとが1.02<B/A≦1.07の関係を満たし、前記硬質皮膜はNaCl型の結晶構造であって、透過型電子顕微鏡のミクロ解析において、前記硬質皮膜の組織は基材の垂直方向に成長した柱状粒子の集合からなり、基材と平行方向の柱状粒子の平均幅が10nm以上60nm以下であり、X線回折パターンまたは透過型電子顕微鏡の制限視野回折パターンから求められる強度プロファイルにおいて、(111)面に起因するピーク強度が最大強度を示すことを特徴とする被覆工具。
【請求項2】
前記硬質皮膜は、ナノインデンテーション硬度が40GPa以上であることを特徴とする請求項1に記載の被覆工具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、切削工具ならびに金型等の工具に適用されるものであり、基材の表面に硬質皮膜を有する被覆工具に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、切削工具や金型等の工具では、その耐久性を向上させることを目的に、物理蒸着法で多元系のセラミックス皮膜を被覆した被覆工具が採用されている。硬質皮膜の中でも、耐熱性と耐摩耗性に優れる膜種として、AlとCrを主体とするAlCrNやAlCrNCが知られている(特許文献1)。近年、切削工具や金型の被加工材は高硬度化し、その高速加工が求められていることから、工具の使用環境はますます苛酷になっており、上述したAlとCrを主体とする窒化物の更なる特性向上が求められている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【特許文献1】特開2006−144128号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
本発明者等が被覆工具の耐久性を向上させる手段について鋭意研究したところ、AlとCrが主体の窒化物又は炭窒化物において、Alの含有量を増加させていくことで、被覆工具の早期破壊がより抑制される傾向にあることを知見した。但し、従来のAlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物においては、Alの含有量を高くすると皮膜中に脆弱なZnS型の六方最密充墳(hcp;以下、単に「hcp」と省略することがある)構造のAlNが増加して被覆工具の耐久性を低下させるため、Alの含有量を一定以下に制御する必要があった。
本発明は上記の課題に鑑み、Alの含有比率が高いうえに、耐久性にも優れる被覆工具を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0005】
すなわち本発明は、基材と、前記基材の表面に硬質皮膜を有する被覆工具であって、前記硬質皮膜は含有する金属(半金属を含む)元素全体を100原子%とした場合、少なくともAlを75%以上85%以下、Crを15%以上25%以下を含有する窒化物又は炭窒化物であり、かつ、金属(半金属を含む)元素、窒素、酸素および炭素の合計を100原子%とした場合の前記硬質皮膜の金属(半金属を含む)元素の原子比率Aと窒素の原子比率Bとが1.02<B/Aの関係を満たし、前記硬質皮膜はNaCl型の結晶構造であって、X線回折パターンまたは透過型電子顕微鏡の制限視野回折パターンから求められる強度プロファイルにおいて、(111)面に起因するピーク強度が最大強度を示すことを特徴とする被覆工具である。
【0006】
前記硬質皮膜は、ナノインデンテーション硬度が40GPa以上であることが好ましい。
【発明の効果】
【0007】
本発明によれば、耐久性に優れる被覆工具を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0008】
図1】本発明例1のX線回折パターンを示す図である。
図2】比較例1のX線回折パターンを示す図である。
図3】本発明例1の走査型電子顕微鏡による断面観察写真である。
図4】比較例1の走査型電子顕微鏡による断面観察写真である。
図5】本発明例1の透過型電子顕微鏡による断面観察写真である。
図6】比較例1の透過型電子顕微鏡による断面観察写真である。
図7】本発明例1の電子線回折パターンを示す図である。
図8】比較例1の電子線回折パターンを示す図である。
図9図7、8の電子線回折パターンから求めた任意の線における強度プロファイルの一例を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0009】
本発明者等は、AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物において、Al含有量を高めた上で脆弱なhcp構造のAlNを抑制する手法について検討した。そして、AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物に含まれる窒素原子の比率を一定以上に高めることが有効であることを見出した。以下、本発明の詳細について説明する。
【0010】
本発明に係る硬質皮膜は、AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物からなる。AlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物は耐摩耗性と耐熱性が優れるので被覆工具に適用することで工具寿命が向上する。更には、耐熱性により優れる窒化物であることが好ましい。Alは硬質皮膜に耐熱性を付与する元素であり、Alの含有量を高めることで皮膜の耐熱性がより向上するとともに皮膜組織が微細になり皮膜破壊が抑制され易くなる。また、切削工具においては、Alの含有量の増加に伴い切削抵抗が低下する傾向にある。本発明においては、これらのAl添加の効果を十分に得るために、金属(半金属を含む。以下、同様)元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を75%以上とする。更には、Alの含有比率を78%以上とすることが好ましい。一方、Alの含有比率が多くなり過ぎると、皮膜中に脆弱なhcp構造のAlNが多くなるため被覆工具の耐久性が低下する傾向にある。そのため、本発明に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Alの含有比率を85%以下とする。更には、Alの含有比率を83%以下とすることが好ましい。
【0011】
本発明に係る硬質皮膜は、耐摩耗性および耐熱性をより高いレベルで両立するために一定量のCrを含有する。硬質皮膜が一定量のCrを含有することで加工中の工具表面に均一で緻密な酸化膜が形成され易くなり、損傷が抑制される傾向にある。これらの効果を十分に発揮するために、本発明に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Crの含有比率を15%以上とする。更にはCrの含有比率を17%以上とすることが好ましい。一方、Crの含有量が多くなり過ぎると、相対的にAlの含有量が低下して皮膜の耐熱性が低下し、更には加工中の切削抵抗が大きくなる傾向にある。そのため、本発明に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、Crの含有比率を25%以下とする。
【0012】
本発明に係る硬質皮膜は、NaCl型の結晶構造であり、X線回折パターンまたは透過型電子顕微鏡の制限視野回折パターンから求められる強度プロファイルにおいて、(111)面に起因するピーク強度が最大強度を示す。硬質皮膜がNaCl型の結晶構造であっても、(111)面以外の結晶面に起因するピーク強度が最大強度を示す場合は耐久性が乏しい傾向にある。更には、本発明に係る硬質皮膜は、NaCl型の(111)面の強度比率をI(111)、NaCl型の(200)面の強度比率をI(200)とした場合、I(200)/I(111)が0.5以下とすることが好ましい。
【0013】
硬質皮膜の結晶構造および結晶面の強度比は、例えば、X線回折または透過型電子顕微鏡(TEM)を用いた制限視野回折パターンから求められる強度プロファイルにより評価することができる。皮膜の被験面積が小さい場合には、X線回折による結晶構造の同定が困難な場合がある。このような場合であっても、透過型電子顕微鏡(TEM)を用いた制限視野回折パターンを評価することで、結晶構造の同定および結晶面の強度比を評価することができる。具体的には、制限視野回折パターンの輝度を定量化することで、結晶面の強度比を評価することができる。
本発明に係る硬質皮膜は、高倍で観察できる透過型電子顕微鏡(TEM)による解析においては、hcp構造のAlNや非晶質相が一部に観察される場合がある。
【0014】
本発明では、硬質皮膜の金属元素の原子比率に対して窒素元素の原子比率を一定範囲に制御することが重要である。硬質皮膜に含まれる窒素元素の原子比率を高めることで、Alの含有量を高めてもhcp構造のAlNが含有され難くなり、被覆工具の耐久性が高まる傾向にある。本発明では、硬質皮膜の金属元素の原子比率Aと窒素元素の原子比率Bとが、1.02<B/Aの関係を満たす。B/Aの値が1.02以下であると硬質皮膜に含まれるhcp構造のAlNが増加して耐久性が低下する傾向にある。更には、被覆工具の耐久性をより高めるためには、1.03≦B/Aとすることが好ましい。更には、1.04≦B/Aとすることが好ましい。
但し、B/Aの値が大きくなり過ぎると、硬質皮膜の残留圧縮応力が高くなり過ぎて、硬質皮膜が自己破壊を起し易くなる。そのため、B/A≦1.07とすることが好ましい。更には、B/A≦1.05とすることが好ましい。
【0015】
硬質皮膜の組成分析は、例えば、波長分散型電子プローブ微小分析(WDS−EPMA)で測定するとができる。硬質皮膜の分析においては、微量ながら炭素と酸素を不可避的に含有する。そのため、例えば、窒化物の皮膜を分析する場合、不可避的に含有される酸素と炭素を除外してB/Aを求めると、相対的に窒素の含有比率が高まり、硬質皮膜における前記B/Aの値を正確に評価できない場合がある。したがって、硬質皮膜の分析にあたり、硬質皮膜における前記B/Aの値を求める場合、金属元素と、窒素元素、酸素元素、炭素元素との合計を100原子%として、そのうち、金属元素の原子比率をAとし、窒素の原子比率をBとして、B/Aの値を求める。
【0016】
本発明に係る硬質皮膜は、ナノインデンテーション硬度が40GPa以上であることが好ましい。硬質皮膜の硬度を高めることで被覆工具の耐久性がより向上する。硬質皮膜の硬度は、ミクロ組織に含まれるhcp構造のAlNや非晶質相の含有量に影響される。本発明に係る硬質皮膜は、ミクロ組織に含まれるhcp構造のAlNや非晶質相が低減することで、ナノインデンテーション硬度が40GPa以上の高硬度になり好ましい。更には、ナノインデンテーション硬度が45GPa以上であることが好ましい。一方、硬質皮膜の硬度が高くなり過ぎると密着性が低下する傾向にある。そのため、硬質皮膜のナノインデンテーション硬度は55GPa以下とすることが好ましい。更には、ナノインデンテーション硬度が50GPa以下であることが好ましい。
【0017】
本発明における硬質皮膜のナノインデンテーション硬度は、ナノインデンテーション装置(株式会社エリオニクス製の超微小押し込み硬さ試験機ENT−1100a)を用い、硬質皮膜の表面から端子を、押込み荷重49mN、最大荷重保持時間1秒、および荷重負荷後の除去速度0.49mN/秒の測定条件で押し込み、押し込み深さが硬質皮膜の厚みの1/10以下に維持される最大深さを10点測定し、値の大きい側の2点と値の小さい側の2点を除いた6点の平均値から求められる。
【0018】
ナノインデンテーション法では、圧子の押込み深さを連続的に測定しながら荷重を最大押込み深さ(hmax)までに徐々に増加させる。その後、荷重を減少させていくことで、荷重ゼロの場合の押込み深さ(hf)を測定することができ、(hmax−hf)から硬質皮膜の弾性回復量が分かる。つまり、この値が大きければ弾性変形しやすく、小さければ弾性変形し難い。弾性回復率(%)は、(hmax−hf)×100/hmaxから評価することができる。本発明に係る硬質皮膜は、ミクロ組織に含まれるhcp構造のAlNや非晶質相を低減することで、ナノインデンテーション法による弾性回復率が35%以上であることが好ましい。更には、弾性回復率が37%以上であることが好ましい。
【0019】
本発明に係る硬質皮膜は、上記のようにAl、Crの含有比率およびB/Aが特定の範囲にあり、かつ、結晶構造がNaCl型構造で、(111)面に起因するピーク強度が最大強度を示す範囲内においては、Al、Cr以外の他の金属元素を含有しても、被覆工具の耐久性を良好に維持できる。そのため、本発明における硬質皮膜は、Al、Cr以外の金属元素を含有してもよい。
本発明に係る硬質皮膜が、AlとCr以外の金属元素を含有する場合、金属元素全体を100原子%とした場合、周期律表の4a族、5a族、6a族(Crを除く)の金属元素ならびにSi、Bから選択される1種または2種以上の元素を10%以下で含有することが好ましい。これらの元素は、硬質皮膜に耐摩耗性又は耐熱性を付与する元素であり、金属元素の総量に対して所定の範囲で含有する場合、被覆工具の耐久性を著しく低下させることはない。但し、硬質皮膜がAl、Cr以外の金属元素を含有する場合、硬質皮膜中における含有量が多くなり過ぎると被覆工具の耐久性が低下する場合がある。そのため、本発明に係る硬質皮膜は、金属元素全体を100原子%とした場合、周期律表の4a族、5a族、6a族(Crを除く)の金属元素ならびにSi、Bから選択される1種または2種以上の元素を10%以下で含有することが好ましい。
製造コストの点では、AlとCrの複合窒化物又は炭窒化物であることがより好ましい。更には、より耐熱性に優れる窒化物であることが好ましい。
【0020】
本発明においては、上述したAlとCrを含む窒化物又は炭窒化物の上に更に別の層を被覆しても本発明の効果を発揮する。そのため、本発明でAlとCrを含む窒化物又は炭窒化物を工具の最表面に形成する以外に、別の層を被覆しても良い。そしてこの場合、耐熱性と耐摩耗性に優れる窒化物又は炭窒化物を保護皮膜として被覆することが好ましい。より好ましくは窒化物である。保護皮膜は、耐熱衝撃性に優れる残留圧縮応力を有する硬質皮膜であることが好ましい。特に湿式加工においては加熱冷却のサイクルにより硬質皮膜が剥離し易くなることから、高い残留圧縮応力を有する硬質皮膜を保護皮膜として設けることが好ましい。また、本発明の硬質皮膜は、積層皮膜の一部に設けても良い。また、基材と硬質皮膜の間に中間皮膜を介してよい。
【0021】
被覆工具に優れた耐久性を付与するには、硬質皮膜の膜厚は0.5μm以上とすることが好ましい。更には、1.0μm以上とすることが好ましい。更には2.0μm以上とすることがより好ましい。但し、膜厚が厚くなり過ぎると剥離する可能性が高まるため、硬質皮膜の膜厚は10.0μm以下とすることが好ましい。更には、7.0μm以下とすることが好ましい。更には、5.0μm以下とすることがより好ましい。
【0022】
本発明に適用する基材は、特に限定するものではなく、超硬合金、冷間工具鋼、熱間工具鋼、高速度鋼等を適宜適用することができる。基材は予め窒化処理等をしてもよい。
本発明を切削工具に適用する場合、硬度は88.0HRA以上95.0HRA以下の超硬合金であることが好ましい。基材の硬度が低くなり過ぎれば耐摩耗性を改善するのに十分でない場合がある。また、基材の硬度が高くなり過ぎれば靱性が低下するためチッピングが発生する場合がある。優れた耐久性をより安定して発揮させるためには、基材の硬度は92.0HRA以上であることがより好ましい。更には、基材の硬度は93.0HRA以上であることがより好ましい。また、基材の硬度は、94.5HRA以下であることがより好ましい。
【0023】
本発明の被覆工具は、ボールエンドミルに適用することで特に優れた耐久性を発揮できるので好ましい。ボールエンドミルにおいては、チゼル部が被加工材と常に接触しながら加工を行っている。そのため、ボールエンドミルのチゼル部により安定で緻密な酸化保護皮膜が形成される本発明を適用することでより優れた耐久性を発揮することができる。
【0024】
アークイオンプレーティング法では、成膜する金属成分で形成されたターゲットをカソード(陰極)として、該カソードとアノード(陽極)との間に真空アーク放電を発生させ、ターゲット表面から材料を蒸発、イオン化させ、負のバイアス電圧を印加した基材の表面にイオン化したターゲット成分を堆積させて皮膜を形成する。このとき、アーク放電によりカソード(ターゲット)から放電された電子はアノードに向かって飛び、その電子が供給された窒素ガス等の反応ガスと衝突することでガス成分がイオン化し、イオン化したガス成分とターゲット成分とが反応して基材の表面に硬質皮膜を形成する。ここで、電子エネルギー(eV)は電圧に比例することから、カソード電圧を高めることで電子エネルギーが高まり、反応ガスのイオン化がより促進される。
本発明者は、Al含有量が多いAlとCrを主体とする窒化物又は炭窒化物の被覆において、カソード電圧を一定以上に設定することで、硬質皮膜のミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが低減するとともに、硬質皮膜に含まれる窒素元素の原子比率が高くなり被覆工具の耐久性が向上する傾向にあることを見出した。但し、カソード電圧を高めても、基材に印加するバイアス電圧の絶対値が小さくなると、硬質皮膜に含まれる窒素元素の原子比率が一定以上にならず、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNも低減し難い傾向がある。また、カソード電圧が高くなり過ぎると装置への負荷が大きくなり成膜が安定し難くなる。
【0025】
本発明に係る硬質皮膜の被覆工程では、カソード電圧を22V以上32V以下とすることが好ましい。カソード電圧を22V以上とすることで、硬質皮膜の窒素元素の原子比率が高まるとともに、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが低減して硬質皮膜に高い耐摩耗性を付与することができる。一方、カソード電圧が32Vよりも大きくなると、硬質皮膜の窒素元素の原子比率が高まり、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが低減する傾向にあるが、装置への負荷が大きくなり、成膜が安定しない場合がある。
【0026】
カソード電圧が22V以上27V以下の範囲においては、基材に印加する負のバイアス電圧を−220V以上−120V以下とすることが好ましい。カソード電圧が比較的低い場合には、基材に印加するバイアス電圧が−120Vよりも大きくなる(−120Vよりもプラス側になる)と、窒素元素の原子比率を高めることが困難であり、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが増加して被覆工具の耐久性が低下する傾向にある。一方、基材に印加する負のバイアス電圧が−220Vよりも小さくなる(−220Vよりもマイナス側になる)と、窒素元素の原子比率が高くなり過ぎて、皮膜の残留圧縮応力が高くなり過ぎて皮膜が自己破壊を起し易くなる。また、装置への負荷が大きくなり、成膜が安定しない場合がある。
【0027】
カソード電圧が28V以上32V以下の範囲においては、基材に印加する負のバイアス電圧を−200V以上−60V以下とすることが好ましい。基材に印加するバイアス電圧が−60Vよりも大きくなる(−60Vよりもプラス側になる)と、カソード電圧を高く設定しても、窒素元素の原子比率を高めることが困難であり、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが増加して、被覆工具の耐久性が低下する傾向にある。一方、基材に印加する負のバイアス電圧が−200Vよりも小さくなる(−200Vよりもマイナス側になる)と、窒素元素の原子比率が高くなり過ぎて、皮膜の残留圧縮応力が高くなり過ぎて皮膜が自己破壊を起し易くなる。また、装置への負荷が大きくなり、成膜が安定しない場合がある。
【0028】
本発明に係る硬質皮膜を達成するには、ターゲット中心付近における垂直方向の平均磁束密度を14mT(ミリテスラ)以上に高めたカソードを適用したアークイオンプレーティング法を用いて、硬質皮膜を被覆する際に基材に印加するバイアス電圧と炉内圧力を制御することが好ましい。ターゲット中心付近における垂直方向の平均磁束密度を14mT以上に高めることで、皮膜の結晶性がより高まり、NaCl型の結晶構造の、(111)面のピーク強度が最大強度を示す硬質皮膜となり易くなり、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNも低減する傾向にある。更に、ターゲット中心付近から基材付近まで磁力線が到達するように磁場配置を調整したカソードを用いることが好ましい。
【0029】
本発明においては、成膜時の炉内に窒素ガスを導入して炉内のガス圧力を3Pa〜10Paの範囲に調整して硬質皮膜を被覆することが好ましい。成膜時の炉内のガス圧力が高い場合には、成膜される硬質皮膜中における金属元素の原子比率に対する窒素の原子比率が高くなり易い。但し、窒素ガスを炉内に過多に導入した状態で硬質皮膜を被覆すると、炉内汚染が発生して成膜が安定し難くなる場合がある。そのため、炉内のガス圧力は、3Pa〜7Paとすることが好ましい。
【0030】
<成膜装置>
成膜には、アークイオンプレーティング方式の成膜装置を用いた。本装置は、複数のカソード(アーク蒸発源)、真空容器および基材回転機構を含む。
カソードは、ターゲット外周にコイル磁石を配備したカソードを1基(以下「C1」という。)と、ターゲット背面および外周に永久磁石を配備して、ターゲット表面に垂直方向の磁束密度を有し、ターゲット中央付近における垂直方向の磁束密度が14mT以上のカソード(以下「C2」という。)が搭載されている。
C1には金属Tiのターゲットを設置した。C2にはAlCr合金ターゲットを設置した。
真空容器は、内部は真空ポンプにより排気され、ガスは供給ポートより導入される。真空容器内に設置した各基材にはバイアス電源が接続され、独立して各基材に負のDCバイアス電圧を印加する。
基材回転機構は、プラネタリーとプラネタリー上のプレート状治具、プレート状治具上のパイプ状治具が取り付けられ、プラネタリーが毎分3回転の速さで回転し、プレート状治具、パイプ状治具は夫々自公転する。
【0031】
<基材>
WC(bal.)−Co(11質量%)−TaC(0.4質量%)−Cr(0.9質量%)、WC平均粒径0.6μm、硬度92.4HRAからなる超硬合金製の2枚刃ボールエンドミル(ボール半径0.5mm 日立ツール株式会社製)を、切削試験、組成分析、組織観察に用いた。
WC(bal.)−Co(8.2質量%)−TaC(0.3質量%)−Cr(0.67質量%)、WC平均粒径0.6μm、硬度92.4HRAからなる超硬合金製の、寸法が8mm×25mm、厚さ0.7mmの試験片をX線回折、硬度測定に用いた。
【0032】
<加熱および真空排気工程>
各基材をそれぞれ真空容器内のパイプ状冶具に固定し、成膜前プロセスを以下にように実施した。まず、真空容器内を8×10−3Pa以下に真空排気した。その後、真空容器内に設置したヒーターにより、基材温度を500℃まで加熱して真空排気を行った。
【0033】
<Arボンバード工程>
その後、真空容器内にArガスを導入し、0.67Paとした。その後、フィラメント電極に20Aの電流を供給、基材に−200Vのバイアス電圧を印加し、Arボンバードを4分間実施した。
【0034】
<Tiボンバード工程>
その後、真空容器内の圧力が8×10−3Pa以下になるように真空排気した。続いて、基材に−800Vのバイアス電圧を印加して、C1に80Aのアーク電流を供給してTiボンバード処理を4分間実施した。
【0035】
<成膜工程>
Tiボンバード処理後、直ちにC1への電流供給を中断した。そして、真空容器内のガスを窒素に置き換えた。試料毎に基材に印加する負のバイアス電圧、カソード電圧、炉内圧力を調整し、C2に150Aのアーク電流を供給して硬質皮膜を3.0μm被覆した。成膜時の基材の設定温度は500℃とした。その後、略200℃以下に基材を冷却して真空容器から取り出して試料を作製した。成膜条件について表1に示す。
【0036】
【表1】
【0037】
株式会社日本電子製の電子プローブマイクロアナライザー装置(型番:JXA−8500F)を用いて、付属の波長分散型電子プローブ微小分析(WDS−EPMA)で硬質皮膜の組成を測定した。試料を断面加工して、加速電圧10kV、照射電流5×10−8A、取り込み時間10秒、分析領域直径1μm、分析深さが略0.5μmで5点測定してその平均から皮膜組成を求めた。
B/Aの値は、硬質皮膜の原子比率で、金属元素(半金属を含む)と、窒素元素、酸素元素、炭素元素との合計を100原子%として求めた。なお、いずれの試料も、酸素および炭素の前記合計100原子%中に占める含有比率は1%程度であった。
【0038】
X線回折装置(株式会社リガク製 RINT2000 縦型ゴニオメーター 固定モノクロメーター)を用い、管電圧40kV、管電流300mA、X線源Cukα(λ=0.15418nm)、2θが20°〜70°の測定条件でX線回折による皮膜構造解析を行った。
【0039】
ナノインデンテーション装置(株式会社エリオニクス製の超微小押し込み硬さ試験機ENT−1100a)を用い、硬質皮膜の表面から端子を、押込み荷重49mN、最大荷重保持時間1秒、および荷重負荷後の除去速度0.49mN/秒の測定条件で押し込み、押し込み深さが硬質皮膜の厚みの1/10以下に維持される最大深さを10点測定し、値の大きい側の2点と値の小さい側の2点を除いた6点の平均値からナノインデンテーション硬度を求めた。
【0040】
作製した被覆切削工具を用いて切削試験を行った。表2に分析結果および切削試験結果を示す。切削条件は以下の通りである。
切削方法:側面切削
被削材:質量%で、Ni−19%Cr−18.7%Fe−3.0%Mo−5.0%(Nd+Ta)−0.8%Ti−0.5%Al−0.03%Cの組成を有するNi基合金(時効硬化処理済み)
切込み:軸方向6mm、径方向0.3mm
切削速度:40m/min
一刃送り量:0.04mm/tooth
切削油:水溶性切削油
切削距離:0.2m
評価方法:切削加工後、走査型電子顕微鏡を用いて倍率150倍で観察し、工具と被削材が擦過した幅を実測し、そのうちの擦過幅が最も大きかった部分を最大摩耗幅とした。
【0041】
【表2】
【0042】
本発明例1、2は最大摩耗幅が小さくなり、優れた耐久性を示した。本発明例1のX線回折パターンを図1に示す。本発明例1ではhcp構造のAlNに起因するピーク強度は確認されていない。また、本発明例2も、X線回折パターンにおいて、hcp構造に起因するピーク強度は確認されなかった。
本発明例1、2はカソード電圧とバイアス電圧を適切な範囲に制御して成膜したため、B/Aの値が1.02よりも高くなり、硬質皮膜のAlの含有量が高くても、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが低減して、NaCl型構造の(111)面強度が最大強度を示し、優れた切削性能を示したと考えられる。
本発明例の中でも、本発明例1は、ナノインデンテーション硬度が48GPaと高硬度であった。これは、より高いカソード電圧で成膜したため、ミクロ組織に存在するhcp構造のAlNが低減するとともに組織がより結晶化して、高硬度になったと推定される。
本発明例1、2は、(111)面の半価幅が1.0以下であった。また、(200)の半価幅が1.3以下であった。また、本発明例1、2は、I(200)/I(111)が0.5以下であった。また、I(220)/I(111)が0.8以下であった。
【0043】
比較例1のX線回折パターンを図2に示す。比較例1は32〜33°にhcp構造に起因するAlN(100)のピーク強度が確認される。比較例1は硬質皮膜の金属部分は本発明例1と同じ組成であるが、B/Aの値が1.02と低いため、NaCl型の結晶構造を維持することが困難となり、被覆工具の耐久性が低下したと考えられる。比較例1は、硬質皮膜に大きな皮膜剥離が発生したため、最大摩耗幅が大きくなった。
比較例2、3は、X線回折パターンにおいて、hcp構造に起因するピーク強度は確認されていない。しかし、B/Aの値が低いため本発明例に比べて耐久性が低下する傾向にあった。
比較例1〜3は、(111)面の半価幅は1.0超であった。また、比較例1〜3は、I(200)/I(111)が0.5超であった。また、I(220)/I(111)が0.8超であった。
【0044】
物性評価用の試験片を断面加工して、走査型電子顕微鏡により本発明例に係る硬質皮膜の断面観察を行った。図3に本発明例1の断面観察写真(20,000倍)を示す。図4に比較例1の断面観察写真(20,000倍)を示す。本発明例1の皮膜組織は、明確な柱状粒子は確認されず、極めて微細な組織形態であることが確認された。一方、比較例1の皮膜組織は、結晶粒子が確認され難い、アモルファス状に近い組織形態であった。本発明例1と比較例1は金属部分の原子比率では同じ組成であるが、B/Aの値の違いにより、結晶構造および皮膜の組織形態が変化したと推定される。
【0045】
更に、本発明例と比較例について、透過型電子顕微鏡によるミクロ解析を実施した。図5に本発明例1の透過型電子顕微鏡による断面観察写真(100,000倍)を示す。本発明例1のミクロ組織は、基材の垂直方向に成長した柱状粒子の集合からなり、基材と平行方向の柱状粒子の平均幅が10nm以上60nm以下であった。図6に比較例1の透過型電子顕微鏡による断面観察写真(100,000倍)を示す。比較例1のミクロ組織は、柱状粒子が明確に確認されなかった。
また、本発明例1と比較例1の硬質皮膜について、制限視野領域φ1μmにおける電子線回折パターンを測定した。図7に本発明例1の電子線回折パターンを示す。図8に比較例1の電子線回折パターンを示す。比較例1の電子線回折パターンには、hcp構造のAlNに起因する回折パターンがより鮮明に確認された。図9は、図7、8の電子線回折パターンから求めた任意の線における強度プロファイルの一例を示す。電子線回折パターンからも、比較例1はhcp構造のAlNが多いことが確認された。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9