(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6558645
(24)【登録日】2019年7月26日
(45)【発行日】2019年8月14日
(54)【発明の名称】脂肪慢性炎症疾患のトリガー因子
(51)【国際特許分類】
A61K 39/395 20060101AFI20190805BHJP
A61K 31/713 20060101ALI20190805BHJP
A61K 48/00 20060101ALI20190805BHJP
A61P 3/10 20060101ALI20190805BHJP
A61P 3/04 20060101ALI20190805BHJP
A61P 3/06 20060101ALI20190805BHJP
C12Q 1/6813 20180101ALI20190805BHJP
C12Q 1/6841 20180101ALI20190805BHJP
C12Q 1/6851 20180101ALI20190805BHJP
G01N 33/53 20060101ALI20190805BHJP
G01N 33/68 20060101ALI20190805BHJP
C07K 16/18 20060101ALN20190805BHJP
C12N 15/113 20100101ALN20190805BHJP
【FI】
A61K39/395 D
A61K39/395 N
A61K31/713
A61K48/00
A61P3/10
A61P3/04
A61P3/06
C12Q1/6813 Z
C12Q1/6841
C12Q1/6851
G01N33/53 D
G01N33/68
!C07K16/18
!C12N15/113 Z
【請求項の数】6
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2016-529350(P2016-529350)
(86)(22)【出願日】2015年6月16日
(86)【国際出願番号】JP2015067248
(87)【国際公開番号】WO2015194525
(87)【国際公開日】20151223
【審査請求日】2018年5月31日
(31)【優先権主張番号】特願2014-123617(P2014-123617)
(32)【優先日】2014年6月16日
(33)【優先権主張国】JP
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成23〜25年度、独立行政法人科学技術振興機構、戦略的創造研究推進事業「次世代の生体イメージングによる慢性炎症マクロファージの機能的解明」に係る委託業務、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(73)【特許権者】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(74)【代理人】
【識別番号】100088904
【弁理士】
【氏名又は名称】庄司 隆
(74)【代理人】
【識別番号】100124453
【弁理士】
【氏名又は名称】資延 由利子
(74)【代理人】
【識別番号】100135208
【弁理士】
【氏名又は名称】大杉 卓也
(74)【代理人】
【識別番号】100152319
【弁理士】
【氏名又は名称】曽我 亜紀
(72)【発明者】
【氏名】石井 優
(72)【発明者】
【氏名】下村 伊一郎
(72)【発明者】
【氏名】船橋 徹
(72)【発明者】
【氏名】前田 法一
【審査官】
北村 悠美子
(56)【参考文献】
【文献】
特開2012−010600(JP,A)
【文献】
特表2011−518126(JP,A)
【文献】
荷見 映理子 他, S100A8は脂肪組織炎症の新たなメディエーターである, 肥満研究, 2010, Vol.16, Supplement
【文献】
HASUMI E et al., S100A8 and S100A9 are Novel Proinflammatory Signal Mediators in Metabolic Syndrome,
【文献】
GUZIK TJ et al., Adipocytokines - novel link between inflammation and vascular function?, Journal of
【文献】
REIGSTAD CS et al., Regulation of serum amyloid A3 (SAA3) in mouse colonic epithelium and adipose ti
【文献】
TOURNIAIRE F et al, Chemokine Expression in Inflamed Adipose Tissue Is Mainly Mediated by NF-κB, PL
【文献】
GUNASEKARAN MK et al., Inflammation triggers high mobility group box 1 (HMGB1) secretion in adipose
【文献】
HASUMI E et al., S100A8 is a Novel Proinflammatory Mediator in Metabolic Syndrome, Circulation Journ
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C07K 1/00−19/00
C12Q 1/00−3/00
C12N 15/00−15/90
G01N 33/48−33/98
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS/WPIDS(STN)
PubMed
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
抗S100A8抗体を有効成分として含む脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤であり、S100A8が健常人のレベルを超え、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量が健常人のレベル状態である場合に、前記脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤投与することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患の発症を抑制するための脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
【請求項2】
S100A8の発現を抑制する核酸を有効成分として含む脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤であり、S100A8が健常人のレベルを超え、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量が健常人のレベル状態である場合に、前記脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤投与することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患の発症を抑制するための脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
【請求項3】
S100A8遺伝子のsiRNAを有効成分として含む脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤であり、S100A8が健常人のレベルを超え、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量が健常人のレベル状態である場合に、前記脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤投与することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患の発症を抑制するための脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
【請求項4】
検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量と、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量を測定し、S100A8またはS100A8遺伝子の発現量が健常人のレベルを超え、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量が健常人のレベルであることを検出することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患発症を予測するための検査方法。
【請求項5】
検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量と、S100A9またはS100A9遺伝子の発現量の測定に加えて、更に炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一種以上のタンパク質または遺伝子の発現量を測定し、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一種以上のタンパク質または遺伝子の発現量が健常人のレベルであることを検出することを特徴とする、請求項4に記載の検査方法。
【請求項6】
炎症性サイトカインおよび/またはケモカインが、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1α、TNF-α、SAA3、CXCL1、CXCL5およびHMGB1から選択される少なくとも一種である、請求項5に記載の検査方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、脂肪慢性炎症疾患のトリガー因子、脂肪性慢性炎症疾患発症抑制剤及び脂肪慢性炎症疾患の検査方法に関する。
【背景技術】
【0002】
炎症とは、生体が何らかの有害な刺激を受けたときに免疫応答が働き、それによって生体に出現した症候である。炎症の種類としては、好中球を主体とする急激な細胞浸潤とフィブリンの析出を伴う急性炎症と、リンパ球や形質細胞、マクロファージの浸潤、組織の増加などにより緩徐な組織破壊、組織構築の改変を伴う慢性炎症などに分類される。炎症は重要な生体防御機能の1つで、なくてはならないものであるが、不必要な、または過剰(長期)な炎症反応は、疾患を増悪させたり新たな疾患を引き起こしたりする。例えば慢性炎症は、肥満、メタボリックシンドローム、動脈硬化性疾患などの生活習慣病、およびがんに共通する病態で、アルツハイマー病、腎不全、肝硬変などでも重要な因子と考えられている。急性炎症では発熱、腫れ、痛み、赤みなどの炎症反応が生じるが、慢性炎症ではほとんど確認できない。しかしながら、予後については、急性炎症が多くの場合は可逆的であり、組織の再構築にまでは至らずに治癒するのに対し、慢性炎症は、組織が繊維化したり、マクロファージなどの炎症細胞が入り、組織の細胞が肥大・増殖して構造が変わり、機能障害を引き起こしたりする。特に、慢性炎症が多くの疾病の病因と考えられるようになり、例えばII型糖尿病もその代表的なものといえる。
【0003】
近年、肥満や高脂血症などの生活習慣病の基礎病態として、脂肪組織の慢性炎症が注目されている。慢性状態の脂肪組織では、脂肪細胞が肥大化しており、中には肥大化しすぎて細胞死を起こしたものが観察される。その周囲にはマクロファージを始めとして様々な免疫細胞が集積しており、これらが種々のサイトカインを放出することで脂肪細胞の傷害や全身性の代謝異常を誘導することでさらに病状を悪化させている。高脂肪食を負荷させる肥満の動物モデルにおいても、低いレベルの炎症が慢性に持続的に進行していく様子が観察される。これまでの研究により、この脂肪組織の慢性炎症において重要な役割を果たす種々の免疫・炎症細胞やケモカイン・サイトカインなどが同定されてきたが、この慢性炎症の契機が何によって引き起こされるのか、その「最初のトリガー」については謎のままであった。
【0004】
S100タンパク質は、現在までに20種類のサブファミリーが確認されている。細胞内におけるシグナル伝達だけでなく、細胞外に分泌され機能するといわれており、これらS100タンパク質ファミリーの機能は、複雑で多岐に渡ると考えられており、未解明の部分が多く残されている。上記S100タンパク質ファミリーのうちS100A8/A9は、慢性炎症に関係していることは公知である(特許文献1、非特許文献1)。しかしながら、これらの文献では慢性炎症と糖尿病との関係については示されていない。一方、マウスにパルミチン酸エチルを持続的に静脈投与した際に、投与4時間で精巣上体脂肪組織でのS100A8、S100A9発現が認められ、これに遅れて12時間でマクロファージの集積が認められ、パルミチン酸による脂肪組織へのマクロファージ誘導にS100A8、S100A9が寄与していることが示されたことが報告されている(非特許文献2)。しかしながら、非特許文献2において作製された動物モデルは脂肪組織の慢性炎症を示すモデルとはいいがたい。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2011-47932号公開公報
【非特許文献】
【0006】
【非特許文献1】Int. J. Mol. Sci. 2012, 13, 2893-2917
【非特許文献2】学位論文要旨(http://gazo.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/gakui/cgi-bin/gazo.cgi?no=125993)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
本発明は、脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を提供することを課題とし、当該トリガー因子を抑制することを特徴とする脂肪性慢性炎症疾患発症抑制剤を提供する。また、当該トリガー因子の発現量を測定することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患発症の予測方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
本発明者らは上記課題を解決するために、独自に開発した脂肪組織の生体イメージング実験系を用いて炎症の慢性化過程を可視化することで、慢性炎症の最初期現象を捉えることに成功し、さらにこの初期現象を誘導する最初のトリガー因子としてS100A8を同定し、本発明を完成した。
【0009】
すなわち、本発明は以下よりなる。
1.S100A8からなる脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子。
2.トリガー因子が、脂肪組織内のマクロファージ遊走能刺激因子である、前項1に記載の脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子。
3.トリガー因子が、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインの発現誘導因子である、前項1に記載の脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子。
4.前項1〜3のいずれかに記載の脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を標的とする物質を有効成分として含む脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
5.脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を標的とする物質が、抗S100A8抗体である、前項4に記載の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
6.脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を標的とする物質が、S100A8の発現を抑制する核酸である、前項4に記載の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
7.S100A8の発現を抑制する核酸が、S100A8遺伝子のsiRNAである、前項6に記載の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤。
8.検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量を測定することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患発症の予測、あるいは脂肪慢性炎症の進行度を測定するための検査方法。
9.検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量の測定に加えて、更にS100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一種以上のタンパク質または遺伝子の発現量を測定することを特徴とする、前項8に記載の検査方法。
10.炎症性サイトカインおよび/またはケモカインが、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1α、TNF-α、SAA3、CXCL1、CXCL5およびHMGB1から選択される少なくとも一種である、前項10に記載の検査方法。
11.S100A8またはS100A8遺伝子の発現量が健常人のレベルを超えて発現し、S100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一つ以上のタンパク質または遺伝子の発現量が健常人のレベルであることを確認することを特徴とする、前項9に記載の検査方法。
【発明の効果】
【0010】
高脂肪食負荷時の脂肪細胞を回収し、分子発現量を測定することにより、種々のケモカイン・サイトカインや免疫活性化因子の中で、S100A8のみが高脂肪食負荷1週から発現が亢進していることが確認された。そして、S100A8発現量を測定することにより、脂肪慢性炎症疾患発症の予測やあるいは脂肪慢性炎症の進行度を測定するための検査を行うことができる。S100A8は、特に脂肪細胞肥大などの形態的変化や、他の炎症性サイトカイン、ケモカインの発現、例えばS100A9に比べて初期の段階で発現が認められる。そこで、ある程度のS100A8発現量を認めた時点で、早期に対処することで、例えば糖尿病・高脂血症・動脈硬化等の脂肪慢性炎症疾患への進行を抑制することができる。S100A8を抑制する因子、例えば抗S100A8抗体の投与により、免疫細胞の遊走を抑制し、脂肪慢性炎症の発症を抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】本発明の参考例、実施例で使用するLys M-EGFPトランスジェニック(LysM
EGFP)マウスについて、正常/固形(NC)食または高脂肪/高ショ糖(HF/HS)食の摂食スケジュールを示す図である。(参考例1)
【
図2】各マウスの体重を示す結果図である。(参考例1)
【
図3】各マウスの血中グルコース量を示す結果図である。(参考例1)
【
図4】各マウスの脂肪細胞径を示す結果図である。(参考例1)
【
図5】各マウスのマクロファージ遊走能を示す結果図である。(参考例1)
【
図6】各マウスについて、炎症反応を誘導する分子であるアラーミンとしてのS100A8、S100A9、HMGB1、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1αの発現量を確認した結果図である。(参考例1)
【
図7】各マウスについて、炎症応答を誘導する分子であるS100A8とCCL2/MCP-1の発現量を確認した結果図である。(参考例2)
【
図8】マクロファージ株化細胞(RAW264.7細胞)に及ぼすS100A8の作用を確認した結果を示す図である。RAW264.7細胞の遊走能を確認した結果図である。(実施例1)
【
図9】RAW264.7細胞に及ぼすS100A8の作用を確認した結果を示す図である。アラーミンとしてのTNF-αまたはCCL2/MCP-1の各遺伝子の発現量を測定した結果図である。(実施例2)
【
図10】マウス線維芽細胞由来株化脂肪細胞(3T3-L1細胞)に及ぼすS100A8の作用を確認した結果を示す図である。CCL2/MCP-1遺伝子の発現量を測定した結果図である。(実施例2)
【
図11】3T3-L1細胞に及ぼすヒトまたはマウスのS100A8の作用を確認した結果を示す図である。CCL2/MCP-1、SAA3、CXCL1およびCXCL5各遺伝子発現に及ぼす影響を確認した結果を示す図である。(実施例3)
【
図12】LysM
EGFPマウスについて、S100A8抗体投与後の免疫細胞動態変化について確認した結果図である。(実施例4)
【発明を実施するための形態】
【0012】
本発明を説明するにあたり、本発明を完成するに至った経緯をまず詳述する。これまでの組織学的解析では、高脂肪食を負荷する肥満モデル動物において、負荷後8週経過後において慢性炎症現象を観察できたが、負荷後1週後などの初期段階では明らかな組織変化をとらえることはできなかった。本発明者は、独自に確立した脂肪組織の蛍光生体イメージング実験系を用いて、脂肪の慢性炎症が進行していく過程を、時系列を追って詳細に解析することに成功した。この結果、高脂肪食負荷1週間後において、すでに脂肪組織内でのマクロファージの動態が有意に亢進していることを明らかにした。定常状態では脂肪組織内のマクロファージは殆ど動かないが、負荷後たった1週経過した時点で、マクロファージの可動性が著しく亢進していることが確認された。さらに、高脂肪負荷時の脂肪組織を回収し、分子発現を測定することにより、種々のケモカイン・サイトカインや免疫活性化因子の中で、S100A8のみが負荷1週間から発現が亢進していることを確認した。本発明者はさらに、生体イメージング系を用いてS100A8が脂肪組織内のマクロファージの遊走能を刺激すること、また脂肪細胞やマクロファージに作用し、その他の炎症性サイトカインやケモカインの発現を誘導し、炎症のトリガーとして作用することを明らかにした。これらのことから、S100A8は生活習慣病における慢性炎症の初期トリガーであり、この作用を抑えることにより炎症の慢性化・持続化を防ぎ、肥満や脂質代謝異常などの発症を抑制する画期的な治療方法となりうる。
【0013】
上記の知見より、本発明ではS100A8からなる脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を提供する。ここで、S100A8のアミノ酸配列およびそれをコードするDNA配列は、例えばHum Genet (2002) 111:310-313に開示されている。
【0014】
本明細書において、脂肪慢性炎症疾患とは、脂肪慢性炎症およびメタボリック症候群の基盤病態が挙げられる。肥満の脂肪組織では、脂肪細胞の肥大化に伴う脂肪細胞自身の変化のみならず、血管新生や細胞外基質の増加、マクロファージや好中球、T細胞などの免疫担当細胞の浸潤や質的変化による炎症変化が認められる。このような脂肪慢性炎症疾患の具体例としては、例えば糖尿病、高脂血症、動脈硬化などが挙げられる。脂肪細胞の肥大化は、肥満の早期から認められ、肥大化した脂肪細胞ではTNF-α、CCL2(chemokine [C-C motif] ligand 2)/MCP-1(Monocyte Chemoattractant Protein-1)やIL-1、IL-6、IL-4、IL-10、HMGB-1、などの炎症性サイトカインの産生が亢進し、アディポネクチンなどの抗炎症性サイトカインの産生が減少する。
【0015】
肥満における脂肪組織の炎症の決定的な特徴は、脂肪組織の拡大とマクロファージ浸潤の著しい増加であると考えられる。マクロファージは、自然免疫において中心的な役割を果たしており、細菌やウイルス感染の際に活性化し、それらを排除する。また、アレルギー応答、脂肪代謝、創傷治癒および癌の転移・浸潤等にも寄与している可能性が近年の研究から明らかとなりつつある。これらの病態はそれぞれ異なったマクロファージによって担われていると考えられており、前者の病原体の感染の際に活性化する細胞集団をM1マクロファージ(classically activated macrophage)、一方で後者の病気の際に活性化する細胞集団をM2マクロファージ(alternatively activated macrophage)という。本発明においてS100A8により刺激を受ける脂肪組織のマクロファージの種類は特に限定されないが、例えば炎症性マクロファージであるM1マクロファージが挙げられる。
【0016】
本発明においてS100A8により発現が亢進する脂肪組織の炎症性サイトカインおよび/またはケモカインとしては、アラーミン(alarmin)またはDAMPs(danger-associated molecular patterns)に属するものが挙げられ、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1α、TNF-αが挙げられる。さらには、serum amyloid A3 (SAA3)、CXCL1(chemokine (C-X-C motif) ligand 1)やCXCL5が挙げられる。
【0017】
本発明の脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子は、上述のような脂肪組織内のマクロファージ遊走能刺激因子や炎症性サイトカインおよび/またはケモカインの発現誘導因子としての機能も有しており、本発明はS100A8からなる脂肪組織内のマクロファージ遊走能刺激因子および炎症性サイトカインおよび/またはケモカインの発現誘導因子も含まれる。
【0018】
本発明は、さらに脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子を標的とする脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤にも及ぶ。脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤とは、脂肪慢性炎症又は脂肪慢性炎症疾患の発症を予防したり、進行を防いだり、治療したりする薬剤のことをいう。具体的には、S100A8の機能を阻害したり、S100A8遺伝子の発現を阻害する物質が挙げられる。例えばS100A8に対する抗体やS100A8遺伝子の発現を阻害する核酸、例えばsiRNAが挙げられる。また、このような作用を有する物質であれば、タンパク質、ペプチド、核酸物質等の高分子化合物の他、低分子化合物であってもよい。
【0019】
本発明の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤には、製薬学的に許容しうる担体を含めることができる。係る脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤に用いられる薬理学的に許容しうる担体としては、例えば、賦形剤、崩壊剤若しくは崩壊補助剤、結合剤、滑沢剤、コーティング剤、色素、希釈剤、基剤、溶解剤若しくは溶解補助剤、等張化剤、pH調節剤、安定化剤、噴射剤、および粘着剤等を挙げることができる。本発明の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤は、局所的に投与しても全身的に投与してもよい。非経口投与用の製剤は、滅菌した水性の、または非水性の溶液、懸濁液および乳濁液を含んでいてもよい。非水性希釈剤の例として、プロピレングリコール、ポリエチレングリコール、植物油、例えば、オリーブ油および有機エステル組成物、例えば、エチルオレエートであり、これらは注射用に適している。水性担体には、水、アルコール性水性溶液、乳濁液、懸濁液、食塩水および緩衝化媒体が含まれていてもよい。非経口的担体には、塩化ナトリウム溶液、リンゲルデキストロース、デキストロースおよび塩化ナトリウム、リンゲル乳酸および結合油が含まれていてもよい。静脈内担体には、例えば、液体用補充物、栄養および電解質(例えば、リンゲルデキストロースに基づくもの)が含まれていてもよい。本発明の脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤はさらに、保存剤および他の添加剤、例えば,抗微生物化合物、抗酸化剤、キレート剤および不活性ガスなどを含むことができる。
【0020】
本発明は、さらに検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量を測定することを特徴とする、脂肪慢性炎症疾患発症の予測、あるいは脂肪慢性炎症の進行度を測定するための検査方法に及ぶ。本発明において、S100A8は脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子となることが確認されたことにより、S100A8またはS100A8遺伝子の発現量を測定することで、脂肪慢性炎症疾患発症を予測することができる。この場合において、脂肪慢性炎症疾患発症のトリガーとなるのはS100A8であり、S100A9は遅れて発現される。また、S100A8を除く他の炎症性サイトカインおよび/またはケモカインも遅れて発現される。このことより、検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量を測定することで、脂肪慢性炎症の進行度を測定するための検査を行うことができる。
【0021】
脂肪慢性炎症の進行度は、検体におけるS100A8またはS100A8遺伝子の発現量を測定することにより測定することができる。S100A8またはS100A8遺伝子の発現量の他、検体における脂肪組織のS100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一つ以上のS100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのタンパク質または遺伝子の発現量を測定することにより、脂肪慢性炎症の進行度を測定することができる。この場合において、S100A8またはS100A8遺伝子の発現量が健常人のレベルを超えて発現し、S100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一つ以上のS100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのタンパク質または遺伝子の発現量が健常人のレベルであることを確認することで脂肪慢性炎症の進行度を測定することができる。脂肪組織の炎症性サイトカインおよび/またはケモカインが、アラーミンまたはDAMPsであり、アラーミンまたはDAMPsの例として、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1α、TNF-α、SAA3、 CXCL1、CXCL5、HMGB1等が挙げられる。
【0022】
特に、S100A8またはS100A8遺伝子の発現量が健常人のレベルを超えて発現し、S100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのうち、少なくとも一つ以上のS100A9、炎症性サイトカインおよび/またはケモカインのタンパク質または遺伝子の発現量が健常人のレベルである脂肪慢性炎症の進行度の患者に、S100A8の機能を阻害したり、S100A8遺伝子の発現を阻害する物質からなる脂肪慢性炎症疾患発症抑制剤を投与することで、脂肪慢性炎症の発症または進行を防ぐことができる。
【0023】
本明細書において、検査のための被検体としては遺伝子発現量を測定可能な検体であればよく、特に限定されない。また、S100A8遺伝子の発現量はRT-PCR、定量PCR、ノーザンブロット、ELISA、Western blotting、In situ hybridization、免疫組織染色などの方法により測定することができる。レポーター遺伝子の発現量はレポーター遺伝子の種類にもよるが、蛍光強度や発光強度、放射能強度などによって測定することができる。
【実施例】
【0024】
以下に、本発明を完成させるために行なった実験結果を参考例として示し、実施例において本発明をさらに具体的に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではなく、本発明の技術的思想を逸脱しない範囲内で種々の応用が可能である。
【0025】
(参考例1)脂肪慢性炎症のトリガー因子の確認
1)脂肪組織における可視化したリゾチームM(LysM)陽性マクロファージの遊走
生存マウスの脂肪組織内のマクロファージの動的挙動を視覚的に解析するために、骨髄単球系統でEGFPを発現し、特に免疫細胞動態を可視化するためのLys M-EGFPトランスジェニック(LysM
EGFP)マウスを用いた。肥満の過程で脂肪組織における免疫細胞の動力学を分析するために、正常/固形(NC)食を摂食させたLysM
EGFPマウス(対照leanマウス)または高脂肪/高ショ糖(HF/HS)食を摂食させたLysM
EGFPマウス(DIOマウス)を用いた。さらにこれらのマウスの精巣上体白色脂肪組織(WAT)を用いて各種検討を行った。食餌の投与スケジュールは
図1に従った。
【0026】
上記スケジュールで摂食させた各マウスの体重および血中グルコース量を測定した。その結果、HF/HS食を与えたマウス(DIOマウス)の体重は徐々に増加し、摂食後約8週目で対照に比べて約1.5倍の体重を示した(
図2)。一方、グルコース量はDIOマウスでも摂食後第4週までは目立った増加を示さなかったのに対し、摂食後第8週目で急激な増加を認めた(
図3)。
【0027】
上記スケジュールで摂食させた各マウスのWATに含まれる脂肪細胞のサイズを測定したところ、摂食後第1週目ではDIOマウスと対照マウスの間にほとんど差を認めなかったが、第8週目で脂肪細胞のサイズが肥大していることが確認された(
図4)。一方、マクロファージについては第1週にて、明らかな数量の増大は認めないものの、遊走能の亢進が認められた(
図5)。
【0028】
2)脂肪慢性炎症初期応答遺伝子発現の確認
前記WATにおける、マクロファージ遊走に伴う脂肪慢性炎症初期遺伝子の発現量を測定した。その結果、炎症応答を誘導する分子であるアラーミンの1つであるS100A8のmRNAが、HF/HS食摂食後1週目で大幅に上昇していることが確認された。他のアラーミンであるS100A9やHMGB1はほとんど上昇していないことが確認された。一方、CCL2/MCP-1、CCL3、IL-1αはHF/HS食摂食後1週目では殆ど上昇しないが、既報の通り摂食後8週目では上昇していることが確認された(
図6)。各因子のmRNA量は、PCRの手法により測定した。
【0029】
(参考例2)S100A8が脂肪慢性炎症のトリガーとなることの確認実験
参考例1と同手法により
図1のスケジュールでHF/HS食を与えたマウス(DIOマウス)とNC食を与えたマウス(対照)のWATにおけるS100A8遺伝子の相対的発現量を測定した。その結果、DIOマウスでは摂食後第1週目でS100A8遺伝子発現が上昇し始めたことが確認された(
図7)。一方、CCL2/MCP-1について確認したところ、DIOマウスでは摂食後第4週目でCCL2/MCP-1遺伝子の発現がやや上昇していたが、第8週目では対照とDIOマウスでのCCL2/MCP-1遺伝子の発現量が逆転していた。このことより、脂肪慢性炎症の初期にはS100A8遺伝子が発現することが確認された(
図7)。
【0030】
(実施例1)マクロファージに及ぼすS100A8の影響(走化能)
マクロファージ株化細胞であるRAW264.7細胞に及ぼすS100A8の作用を確認した。
EZ- Taxiscan(GEヘルスケアバイオサイエンス社)により、in vitroで遺伝子組換えS100A8(Giotto Biotech社)を導入したRAW264.7細胞の遊走能を確認した。RAW264.7細胞を下方のチャンバーにおき、上部のチャンバーは1μg/mLまたは10μg/mLの S100A8を含む培地で満たし、RAW264.7細胞の走化能を確認した(n=6)。その結果、S100A8濃度に依存して、RAW264.7細胞の走化能が増すことが確認された(
図8)。
【0031】
RAW264.7細胞の培養は、Dulbecco's modified Eagle medium (DMEM) に10% 牛胎児血清(FCS) および 1% ペニシリン・ストレプトマイシン (P/S)を添加したものを用いた。
【0032】
(実施例2)マクロファージおよび脂肪細胞に及ぼすS100A8の影響
株化マクロファージ細胞(RAW264.7)またはマウス線維芽細胞由来株化脂肪細胞(3T3-L1細胞)を1μg/mL若しくは10μg/mLの遺伝子組換えS100A8(Giotto Biotech社)、または1 ng/mL若しくは10ng/mLのLipopolysaccharide(LPS)を含み、25μg/mLのポリミキシンB(PolyB:Sigma-Aldrich)を含む培地で培養したときのTNF-αおよびCCL2/MCP-1の発現に及ぼす影響を確認した(n=4)。その結果、10μg/mLの S100A8を含む培地で培養した場合に、マクロファージにおいてTNF-αおよびCCL2/MCP-1の各遺伝子発現が上昇した。しかし、LPSを含む培地で培養した場合は、マクロファージでは、わずかに各遺伝子の発現上昇が認められたのみであった(
図9、10)。一方、脂肪細胞におけるCCL2/MCP-1遺伝子については、S100A8(10μg/mL)またはLPS(10ng/mL)を含む培地で培養したところ、わずかに発現増加が認められた。これにより、S100A8は炎症反応のトリガーとなり得ると考えられた。
【0033】
3T3-L1細胞の培養は、DMEM に10% FCS、1% P/Sおよび0.5 mM 1-メチル-3-イソブチルキサンチン、1 M デキサメタゾンおよび5 g/mL インスリンを添加したものを用いた。48時間培養後、維持培地として、DMEM に10% FCS、1% P/Sを添加したものを用いた。
【0034】
(実施例3)脂肪細胞に及ぼすヒトまたはマウスS100A8の影響
マウス線維芽細胞由来株化脂肪細胞(3T3-L1)をヒトまたはマウスの遺伝子組換えS100A8(Giotto Biotech社)10μg/mL、および内在性のLPSの効果を抑えるための25μg/mLのポリミキシンB(PolyB)を含む培地で培養したとき、抗S100A8抗体(A8)および非特異的抗体(IgG)を加えたときのCCL2/MCP-1、CCL3、SAA3、CXCL1およびCXCL5の発現に及ぼす影響を確認した(n=4)。この結果、抗S100A8抗体を添加することにより、遺伝子組み換えS100A8タンパク質添加によるMCP-1やCXCL1の発現亢進を抑制することができた(
図11)。これより、この抗S100A8抗体がマウスおよびヒトのS100A8の機能を中和することが分かった。
【0035】
(実施例4)S100A8抗体投与後の免疫細胞動態変化について
HF/HS食を摂食後5日目のLysM
EGFPマウスについて、脂肪細胞組織をイメージングした。イメージング前に脂肪組織のためにBODIPY染色し、血管壁のために非標識 Q-dotsを静脈投与した。骨髄単球性免疫細胞であるLysM
EGFP陽性細胞は緑色染色された。脂肪細胞に抗S100A8抗体、または対照としてのIgG isotypeを投与した後、LysM
EGFP陽性細胞の動態を観察した。細胞動態は、IMARISソフトウェア(Bitplane社)を使用し、それぞれ0〜30分、30〜60分、60〜90分、90〜120分、120〜150分、各30分間隔の5つのセクションに分割してLysM
EGFP陽性細胞を定量化して測定した(n=4)。抗S100A8抗体の投与により、細胞動態の抑制が認められた(
図12)。この結果より、脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子であるS100A8を抑制することで、炎症に関連する細胞の動態を抑制することができ、脂肪慢性炎症疾患の発症を抑制できると考えられた。
【産業上の利用可能性】
【0036】
以上詳述したように、S100A8は脂肪慢性炎症疾患発症のトリガー因子であることが確認された。S100A8発現量を測定することにより、脂肪慢性炎症疾患発症の予測、あるいは脂肪慢性炎症の進行度を測定するための検査を行うことができる。S100A8は、特に脂肪細胞肥大などの形態的変化や、他の炎症性サイトカイン、ケモカインの発現、例えばS100A9に比べて初期の段階で発現が認められる。そこで、ある程度のS100A8発現量を認めた時点で、早期に対処することで、例えば糖尿病・高脂血症・動脈硬化等の脂肪慢性炎症疾患への進行を抑制することができる。S100A8を抑制する因子、例えば抗S100A8抗体の投与により、免疫細胞の遊走を抑制し、脂肪慢性炎症の発症を抑制することができる。