【実施例】
【0058】
(第1実施例)錯体の合成
式(13)の錯体は以前に公表された手法に従って合成した(Himeda et al.,pH−Dependent Catalytic Activity and Chemoselectivity in Transfer Hydrogenation Catalyzed by Iridium Complex with 4,4’−Dihydroxy−2,2’−bipyridine,Chem.−Eur.J.,14,2008,pp.11076−11081)。他の化学製品はすべて市販品であり、それ以上の精製は何もせずに使用した。
【0059】
(第2実施例)直接CO
2水素化反応
CO
2水素化実験はサファイアNMR管(P<100バール用)またはパール(Parr)オートクレーブのいずれかで実行した。典型的反応では、15.9μmolのイリジウム触媒(10mg)をH
2Oに溶解し、次に20バールの
13CO
2で加圧し、最後にH
2で80バールにした。系を必要な温度まで加熱し、振とう/撹拌した。サファイアNMR管では、ギ酸濃度およびメタノール濃度の進展を定量的
13C NMR分光法で追跡した。オートクレーブの場合は、最終溶液での定量的
13C NMR測定により、外部標準を添加して、ギ酸/メタノールの収率を決定した。触媒溶液を圧力の非存在下で分析する場合は、室温でも起こる、形成されたギ酸の分解を避けるために、管をNMR分光計の内部で10℃に冷却した。実験はすべて、空気を排除せずに準備した。
【0060】
ギ酸への直接CO
2水素化とメタノールへのギ酸不均化とで構成される均一触媒反応を、2.5M H
2SO
4で酸性化した水性媒質中、50℃で、式(13)のイリジウム錯体を使って実行し、反応全体をCO
2ガスおよびH
2ガスで加圧した。ギ酸およびメタノールはどちらも溶液状態で検出された。硫酸濃度の増加は、反応速度を犠牲にしてではあったが、より良いメタノール対ギ酸比をもたらした。この結果は、このような温和な温度下での「ワンポット」反応における、メタノールへの直接CO
2水素化の初めての例である(
図2)。
【0061】
CO
2ガスおよびH
2ガスによる式(13)の錯体の水溶液の加圧は、注目すべきことにいかなる有機溶媒および添加物もなしに、室温で直ちにFAを与え、25℃で60時間後には93mM FA溶液が得られた。60℃への反応温度の上昇は、発熱反応に予想されるとおりFA収率を犠牲にしてではあったが、FA形成速度の向上をもたらした(1.5時間後に完了)。反応混合物の酸性化(1M H
2SO
4)はFA生産の速度を低下させたが、70℃で5時間後に、溶液状態にあるメタノールの同時形成につながった。
13C NMR分光法で反応をモニタリングしたところ、FA形成はMeOHの形成に先だって起こることが明らかになり、MeOHは直接CO
2水素化ではなくギ酸不均化によってもたらされることが示された。H
2SO
4の存在はメタノール生産にとって不可欠ではないが、それぞれの反応速度および選択性を著しく増加させた。(13)の純粋な水溶液にも、50℃で20時間の加熱後に、または25℃で6日後に、微量のメタノールが検出された。まさに周囲温度(20℃)において長期間(40日)にわたって、反応溶液を放置して平衡化させると、0.16Mという非常に高いFA濃度が13mM MeOHと一緒に得られた。この値は、類似する条件下でのFAへの直接CO
2水素化に関して報告された最良の結果(いかなる有機溶媒および添加物もなしで、200バールのH
2/CO
2圧力下(圧力比3:1)、60℃で、0.2M FA水溶液が得られた(非特許文献1))に十分匹敵する。この結果は、添加物を何も含まない水溶液中、周囲温度での、形成されたFAの不均化が介在する「ワンポット」反応における、メタノールへの直接CO
2水素化の初めての例になる。
【0062】
(第3実施例)ギ酸脱水素/不均化反応
典型的なギ酸脱水素/不均化反応では、触媒、特に式(13)のイリジウム触媒を2.0mLのH
2Oに溶解することで、淡黄色溶液を得た。ギ酸の添加は、透明な明黄色反応混合物の形成をもたらし、この反応混合物からは室温でも直ちにガスの発生が起こった。或る実験では、硫酸を反応溶液に滴下し、著しく発熱するH
2SO
4水和反応によるギ酸の蒸発を避けるために、反応溶液をときおり冷却した。硫酸の添加により、溶液の変色が起こって淡黄色に戻ると共に、ガスの発生が止まった。次に、管を封止し、サファイアNMR管の場合には、所望の温度に予め設定しておいた外部加熱ジャケットで恒温に保つか、NMR分光計内で直接的に恒温に保ち、その温度を測定の前後に外部温度プローブを使って決定した。自社のラボビュー(LabView)8.2プログラムにより、NI USB 6008インターフェイスを使って、高圧毛細管を介して管に接続された圧変換器により、ガス発生による圧力増加を時間の関数としてモニタリングすることによって、ならびに/または
1Hおよび/もしくは
13C NMR分光法によってインサイチューで、反応を追跡した。後者の場合は、規則的な時間間隔でスペクトルを採取した。反応の最後にサファイアNMR管を冷却し、有機揮発物がガスと一緒に失われるのを避けるために、注意深く減圧した。内部標準を添加し(CH
3CN)、メタノール収率およびギ酸変換率を定量的
13C NMR分光法から決定した。再利用実験の場合は、触媒反応の最後に管を冷却し、注意深く減圧し、次に新しいサイクルを開始させるために0.38mlのH
13COOHを添加した。所望のサイクル数が完了したら、内部標準を添加し、その溶液を上記のように分析した。反応を定圧条件下で実行した場合は、反応混合物が入っているシュレンク管を冷却器に接続し(メタノールの喪失を避けるため)、所望の温度に予め設定しておいた外部油浴を使って、窒素気流下で加熱した。或る時間間隔後に、溶液を冷却し、分析のために内部標準と一緒にNMR管に移した。
【0063】
触媒反応の前に加圧工程を設ける場合(および全圧が100バールを超える場合)は、サファイアNMR管の代わりにパールオートクレーブ(25mlまたは75ml)を使用した。これらの場合は、反応混合物を上記と同様にして調製した後、加圧のためにオートクレーブに移した。所望の温度に予め設定しておいた油浴中でオートクレーブを加熱した。油浴とオートクレーブ内部の溶液との温度勾配は2.5±0.5℃であると測定された(すなわち、油浴温度が52〜53℃であるとき、溶液温度は49〜50℃であった)。或る時間間隔後に、オートクレーブを冷却し、注意深く減圧し、分析のために水溶液を標準10mm NMR管に移した。
【0064】
4.2Mギ酸水溶液を式(13)の錯体を含む触媒の存在下、50℃で加熱したところ、324時間
−1(0.2mMの触媒を使って2500時間
−1)のTOFで、>98%の脱水素がもたらされた。H
2およびCO
2が主要反応生成物ではあるが、1.2%の選択性に相当する20mMのメタノールも、溶液状態で検出された。メタノールは、反応式(1)に従うギ酸の不均化反応の生成物である。
3HCOOH(水溶液)→CH
3OH(水溶液)+H
2O(水溶液)+2CO
2(ガス),(1)
【0065】
試験した一連の触媒錯体のうち、式(13)を有する錯体が最もよい結果を与えた。基質としてのH
13COOHの利用は
13CH
3OHおよび
13CO
2の形成をもたらし、一方、
13C NMR分光法では、微量の
13COも検出されなかった。反応温度の上昇はFA脱水素に有利に働き、得られるメタノール選択性を20℃での1.4%から90℃での0.3%まで低下させた。
【0066】
反応を定圧条件下(1バール)、周囲温度付近で行うと、ギ酸脱水素は完了したが、メタノール選択性は0.8%に低下した(表1、エントリ1およびエントリ2)。この圧力の影響はルシャトリエの法則によって合理的に説明することができ、それぞれの反応化学量論(脱水素および不均化によって生産されるガスは1モルのFAが消費されるごとにそれぞれ2モル対2/3モル)ゆえに、圧力の上昇はFAの脱水素よりも不均化に有利に働くであろう。
【0067】
【表1】
【0068】
有益な圧力効果を利用するために、100バールのH
2存在下で反応を繰り返したところ、MeOH選択性は20℃で3.2%へと2倍増加した(表1、エントリ1およびエントリ3)。しかし圧力の影響を50℃で調べたところ、得られたMeOH選択性の増加はそれほど顕著ではなく、この特別な反応条件下では温度の負の効果が圧力の恩恵より優勢であることを示した(表1、エントリ4およびエントリ5)。
【0069】
最初、MeOHの形成は、20℃でさえ活性化期間を少しも伴わずに、ほぼ線形に進行した。FA変換率が50%に達した15時間後に、速度の減速が明らかに観察された。次に、初期反応溶液への硫酸の添加により、恒常的酸性条件下でのMeOH形成を検討した。
【0070】
【表2】
【0071】
硫酸は、メタノール形成にも、FAとメタノールとのエステル化反応によるギ酸メチルの生成においても、触媒として作用したが、後者は高度に可逆的である。3.5モル%の硫酸を利用した場合、73mM MeOH(収率4.4%)溶液が得られた。これは本発明者らの最初の実験と比較して3倍を超える増加にあたる。硫酸は試験した一連の酸の中で最もよいMeOH選択性をもたらした。H
2SO
4濃度の最適化により、50モル%H
2SO
4の存在下、50℃において、99%のFA分解率で、ほとんど60%のMeOH選択性が得られた(表1、エントリ8)。これは、このような温和な温度および水溶液中では、今までに報告された最も高い値である。これらの反応条件下で、本触媒系は5サイクルにわたって活性であり、それが99%のFA変換率で3.1Mの総MeOH濃度をもたらした。初期FA濃度を二倍にしたところ、わずか1触媒サイクル後に、同じ60%のMeOH選択性および2Mという極めて高いMeOH濃度が得られた(TON=250)。50モル%を上回る硫酸濃度がFA不均化をさらに促進することはなかった。H
2SO
4存在下での圧力発生をモニタリングしたところ、溶液の酸性度を増加させるにつれて、はるかに低いFA脱水素収率および増強された不均化と合致する生成ガス量の著しい減少が示された。FA不均化反応の存在は、H
2SO
4の非存在下(FA脱水素だけに由来)で50%から64%まで上昇した生成ガス混合物中のCO
2濃度の増加によって明確に確認された。硫酸によって触媒されるFA脱水反応からのガス形成を排除するために、ブランク試験を実行した。3.6M FA水溶液/硫酸混合物(1:0.75)を触媒の非存在下、70℃で48時間加熱したが、圧力の増加は起こらなかった。しかし、高度な酸性環境そのものは、FA不均化を促進するのに十分ではなかった。定圧条件下(1気圧)、35モル%硫酸の存在下で反応を実行したところ、メタノール選択性は29%から3%に低減した(表1、エントリ6およびエントリ7)。したがって、酸性条件と上昇した圧力はどちらも、MeOH生産を有利にして最適化された選択性を得るために有益である。定圧条件下でのメタノール選択性の著しい低減を考慮して、本発明者らは、反応(反応式2)が起こってメタノールの主要供給源として働く可能性を検討した。
HCOOH(水溶液)+2H
2(水溶液)→CH
3OH(水溶液)+H
2O(水溶液)(2)
【0072】
FA脱水素に由来する水素ガスによるFAのメタノールへの「自己還元」は、水溶液における水素の十分な溶解度を確保するために、水素圧の著しい増大を必要とするであろう。しかし、そのようなことは、反応の初めには、とりわけFA脱水素の速度を著しく制限する硫酸の存在下では起こらなかった。それゆえに活性化期間を伴わないメタノール形成が反応式(2)によって起こった/反応式(2)に起因したとは思われなかった。定圧条件下で減少するMeOH選択性は、H
2ガスが関与する−ヒドリド−二水素種による−触媒サイクルにおける平衡の結果かもしれない。同様の現象、すなわちH
2圧力下でのギ酸脱水素速度の減少は、既に観察されている(Boddien et al.,Efficient Dehydrogenation of Formic Acid Using an Iron Catalyst.Science 333,(2011),pp.1733−1736)。それでもなお、本発明者らは、上昇した圧力下での反応(2)の多少の軽微な寄与の可能性を排除することはできないだろう。
【0073】
反応を50モル%H
2SO
4の存在下、周囲温度(20℃)で実行した場合、30%のFA変換率で27.5%のメタノール選択性が得られた(表1、エントリ10)。この場合、MeOH選択性の減少は、有益な効果が上で合理的に説明された最終圧の低さに原因があると考えられた。そこで、事前にH
2加圧工程を行ってから同じ反応を実行した。この場合は、97%という非常に高いMeOH選択性が60%のFA変換率と共に達成された(表1、エントリ11)。同様に、50バールの初期H
2圧下、より高い50℃の反応温度では、実用上完全なFA変換率が、メタノールに対する96%の選択性と共に達成された(表1、エントリ9)。これは、水溶液中、温和な実験条件下での均一触媒メタノール生産のための新しい道を開くものである。
【0074】
6,6’位に−OH基を有する式(14)の錯体を含む触媒の方が、ギ酸不均化反応における活性は低いことがわかった。4.2M FA水溶液を50℃に加熱すると、0.3%メタノールが生産されたが、これは、(13)存在下での各選択性と比較して著しく低い(表1、エントリ4およびエントリ12)。50モル%硫酸の添加はメタノール選択性を10%へとほどほどに改良したに過ぎなかった(表1、エントリ13)。反応を20℃で実行したところ、メタノール選択性は42%のFA変換率で6.5%に低下した(表1、エントリ14)。本発明者らはその原因が本発明者らの系における減少した総圧にあると考えた。メタノール形成は酸性環境において増強される一方、FA脱水素はより緩慢になるので、短い反応時間は、より高いメタノール選択性を与えるであろうと、本発明者らは予想した。実際、総FA変換率を8%に制限し、発生する圧力の欠如を補償するために反応溶液を100バールのH
2で予め加圧したところ、95.5%のメタノール選択性が得られた(表1、エントリ15)。
【0075】
要約するとこの研究は、式(13)の安定イリジウム錯体が目的のプロセスに応じてさまざまな方向に「調整」されうる複数の機能性を有することを明示した。まず、本錯体は、水性媒質中、有酸素条件下、周囲温度において、妥当な速度で、CO
2をギ酸へと効率よく水素化する。ギ酸はそれ自体が幅広い応用範囲を有する高価値な工業用化学製品である。加えて、形成されたFAは続いて、温和な条件下、同じイリジウム系触媒系を使って、96%までの選択性(98%のFA変換率)でメタノールへと不均化させることができる。メタノールは高エネルギー燃料および便利な液状水素担体とみなされる。式(13)の錯体の水溶液を、いかなる添加物もなしで、単にCO
2およびH
2で加圧し、放置して平衡化させる、20℃で実行した単一反応において、ギ酸(0.16M)とメタノール(13mM)との両方の生産が明示された。反応条件の調節によってメタノール選択性を著しく改良できることに注目すべきである。特に、硫酸はギ酸不均化反応において共触媒として作用し、ギ酸脱水素の程度を著しく制限することがわかった。本触媒系を数回再利用して、非常に濃縮された3.1Mメタノール溶液を得た。8.4M FA水溶液を不均化させたところ、1回の触媒反応実行後に、2Mメタノールが得られた。好都合なことに、メタノール−水溶液は(メタノール−有機溶媒混合物とは違って)共沸混合物を何も形成しないので、単純な蒸留による両者の分離が簡単になる。式(13)のイリジウム錯体は、CO
2隔離および水素貯蔵などといった主要な関心分野に応用される可能性が高い一連の反応を触媒していることが明示された。
【0076】
(第4実施例)メタノールへの触媒的ギ酸不均化反応に対する酸タイプの効果
一連の異なる酸をギ酸不均化反応について評価した(表3参照)。
【0077】
【表3】
【0078】
表3の実験(エントリ2〜
7)のために、錯体(13)(3.15mg、5mmol)をステンレス鋼オートクレーブに添加し、空気をアルゴンに置き換えた。3サイクルの凍結−ポンプ−融解によって脱気した10%の酸(1.6mmol)を含む4Mギ酸水溶液(4mL、16mmol)を、オートクレーブに投入した。オートクレーブを30バールのH
2/CO
2(1:1)で加圧し、50℃、1500rpmで20時間撹拌した。背圧調節バルブを装備することにより、反応中は圧力を30バールに保った。反応を終えた後、オートクレーブを0℃に30分間冷却し、次に大気圧までゆっくり減圧した。生成したMeOHおよびHCO
2Meの濃度はNMR(ブルカー(Bruker)Avance500NMR分光計)で分析した。残存ギ酸濃度は、アニオン排除カラム[東ソー(Tosoh)TSKgel SCX(H
+)]によるHPLC(島津(SHIMADZU)SIL−20A)で、リン酸塩水溶液(20mM)を溶出液として使用し、UV検出器(l=210nm)を使って分析した。