【実施例】
【0084】
1.試験片による評価
以下に,本発明の表面処理方法で処理した試験片に対し,表面状態の評価と耐食性の評価試験を行った結果を示すと共に,本願で採用する投射材の噴射方法に対する評価試験を行った結果を以下に示す。
【0085】
〔表面状態の評価試験〕
(1)試験の目的
本願発明の方法で表面処理を行った後の試験片表面の状態を,圧縮残留応力,表面形状,及び成分に基づいて確認する。
【0086】
(2)試験方法
SKD61製の4枚の試験片(焼入れ・焼き戻し品:幅25mm×長さ25mm×厚さ5mm,硬さ45HRC)に,それぞれ下記の表3に示す処理を行って得た試料1〜4の表面に対し,cosα法を用いたX線残留応力測定,レーザー顕微鏡及び走査型電子顕微鏡(SEM)に基づく表面形状観察,及び,エネルギー分散型X線分析(EDX)による元素分析を行った。
【0087】
【表3】
【0088】
(3)試験結果
(3-1) 残留応力測定結果
上記4種類の試験片に対し,幅方向(X方向)と長さ方向(Y方向)の双方の残留応力を測定した結果を下記の表4に示す。
【0089】
なお,試料2(軟窒化処理品)の残量応力を測定した結果,高い圧縮残留応力が付与されていることは確認されたが,測定値のばらつきが大きく(標準偏差が大きく),得られた数値の正確性についての信頼度が低いことに鑑み,表4において空欄とした。
【0090】
【表4】
【0091】
以上の結果から,本願の方法で処理した試料(試料3,試料4)では,未処理(焼入れ・焼き戻し処理のまま)の試料1の試験片に比較して,より大きな圧縮残留応力を付与できていることが確認された。
【0092】
また,試料1の試験片では,X方向とY方向で応力値が大きく相違するものとなっていたが,本発明の方法で処理した試験片では,X方向とY方向で応力値に殆ど差がなく,本願の方法では試験片表面のいずれの方向に対しても均一に圧縮残留応力を付与できていることが確認された。
【0093】
(3-2) 表面形状
試料1〜4の輪郭曲線を
図3に,表面のSEM像を
図4〜7にそれぞれ示す。
図3に示した輪郭曲線より,比較例である試料1及び試料2の表面には,割れの起点となり得る深く鋭利な凹部(谷)が多数形成されているのに対し,本願発明の方法で処理した試料3及び試料4の表面は,試料1,2に比較して全体的になだらかな輪郭となっていることが判る。
【0094】
なお,試料1(未処理品)と,本願の方法で処理した試料4の表面における山頂点の算術平均曲(Spc:ISO 25178)を測定した結果,試料1(未処理品)では1/12477.066mm,試料4(実施例)では1/4529.218mmであり,この結果からも本発明の方法で処理を行った試験片では,凹凸の山頂がつぶれて,表面がなだらかな形状となっていることが確認されている。
【0095】
また,各試料の表面を撮影したSEM像より,比較例である試料1の表面にはツールマークが残っており(
図4参照),また,同様に比較例である試料2の表面では,粒状の細かい凹凸の存在が確認されたが(
図5参照),本発明の方法で処理した試料3,試料4の表面には,このような粒状の細かい凹凸の存在は確認できず(
図6,
図7参照),試料1,2に比較して割れの発生し難い形状となっていることが判る。
【0096】
(3-3) EDX定量分析結果
試料1〜4の表面に対し,エネルギー分散型X線分析(EDX)による元素分析を行った結果を
図8〜11に示す。
また,各試料表面のEDX半定量値を下記の表5に示す。
【0097】
【表5】
【0098】
なお,参考のためJIS G 4404 2006 におけるSKD61の化学成分を下記の表6に示す。
【0099】
【表6】
【0100】
図8より,試料1の表面からはC,Fe,Si,Mo,V,Cr,Mnが検出されているが,これらの成分は,表6に示したようにいずれもSKD61の構成成分であると共に,各成分の半定量値(表5参照)も,SKD61の組成と略一致することから,試料1では,素地であるSKD61の成分がそのまま表面の成分として検出されていることが判る。
【0101】
図9より,試料2の表面からは,素地(SKD61)の成分であるC,Fe,Si,Mo,V,Cr,Mnの他,NとOが検出されており,軟窒化によって表面に窒素Nが拡散していることが確認できる。
【0102】
図10より,試料3の表面からは,素地(SKD61)の成分であるC,Fe,Si,Mo,V,Cr,Mnと,軟窒化により表面に拡散したNの他,Snが検出されており,また,試料2に比較してOの検出量が増加している。
【0103】
なお,半定量分析による定量の結果,Snを55.1%と多量に含んでいることが確認された。
【0104】
これにより,本発明の表面処理方法によって試料3の素地(SKD61)の表面にSn元素が多量に拡散したことが判る。
【0105】
また,Oの増加より,本願の処理を行うことで表面が酸化したものと考えられる。
【0106】
図11より,試料4の表面からは素地(SKD61)の成分であるC,Fe,Si,Mo,V,Cr,Mnと,軟窒化により表面に拡散したNの他,Snが検出されており,また,試料2に比較してOの検出量が増加している。
【0107】
なお,半定量分析による定量の結果では,Snを28.5%と多量に含んでいることが確認された。
【0108】
これにより,本発明の表面処理方法によって試料4の表面にSn元素が多量に拡散したことが判る。
【0109】
また,Oの増加より,本願の処理を行うことで表面が酸化したものと考えられる。
【0110】
(3-4) FE−EPMAによる元素分布の計測
前掲の試料2及び試料4に対し,電解放出型電子プローブマイクロアナライザー(Field Emission - Electron Probe Micro Analyzer; FE-EPMA)による面分析を行い,元素分布を計測した。
【0111】
試料2及び試料4を厚み方向にワイヤーによって切断し,切断面を導電性樹脂に埋め込んで鏡面研磨した後,鏡面研磨後の断面の表面層付近の元素分布を,FE−EPMAにてマッピングした。
【0112】
計測の結果,試料2(比較例)の試験片において,内部Fe部分に部分的にFeが薄く,Crが濃い箇所が点状に存在しており,この部分に合金成分であるCr炭化物が点在しているものと考えられる。
【0113】
また,試料2の表層部には,軟窒化処理に伴う化合物層の影響と見られるNの濃化が確認されると共に,Oが部分的に濃化していることが確認された。
【0114】
なお,Sn粒子の噴射を行っていない試料2の試験片では,Sn元素は検出されていない。
【0115】
これに対し試料4(実施例)の試験片の内部Fe部分でも,部分的にFeが薄く,Crが濃い箇所が点状に存在している点は試料2と同様であり,本発明の処理によっても内部の構造は変化することなく維持されていることが判る。
【0116】
また,試料4の表層部では,試料2とは異なりNの濃化が観察できない一方,Snが濃化している箇所の存在が確認されており,本発明の方法で処理することにより窒素化合物層が除去されると共に,Sn粒子の噴射によって,試料の表面に対しSn元素が拡散されていることが確認された。
【0117】
〔耐食性の評価試験〕
(1)試験の目的
本発明の方法で表面処理を行った試験片が耐食性を有すること(特に,Sn元素の拡散により耐食性が付与されること),及び摩擦摩耗試験によっても耐食性が失われないことを確認する。
【0118】
(2)試験方法
SKD61製の6枚の試験片(焼入れ・焼き戻し品;幅25mm×長さ25mm×厚さ5mm,硬さ45HRC)のそれぞれに対し,下記の表7に示す条件で表面処理を行った後,ボール・オン・ディスク型摩耗機にかけて表面を摩擦摩耗した。
【0119】
摩擦摩耗後の各試験片を洗浄した後,工業用水(約25℃)に240時間浸漬した後の腐食(赤錆)の発生状態を目視にて観察した。
【0120】
試験片表面の摩擦摩耗試験は,A5052製のボール(直径10mm),を
図12に示すように試験片の表面に荷重9.8Nで押し付け,摩擦半径6mm,回転速度100min
-1で,500秒間摺動させた。
【0121】
工業用水に対する各試料の浸漬は,錆が発生し易い環境とするために約50時間毎に水を入れ替えて溶存酸素の補充を行った。
【0122】
【表7】
【0123】
(3)試験結果
工業用水に浸漬する前後の各試料の表面状態を
図13に,この表面状態に基づく耐食性の評価結果を,下記の表8に,示す。
【0124】
【表8】
【0125】
以上の結果から,本発明の表面処理方法で表面処理を行うことで,高い耐食性が得られることが確認された。
【0126】
なお,軟窒化処理によって高い圧縮残留応力が付与されている試料6において顕著な錆の発生が確認されていることから,圧縮残留応力を付与したのみでは耐食性が得られていないことが判る。
【0127】
従って,本発明の表面方法で処理された試料9及び10における耐食性は,軟窒化(試料10)やショットピーニング(試料9,10)による圧縮残留応力の付与によって得られたものではなく,Sn元素の拡散によって冷却孔表面の材料特性が変化したことにより得られたものであることが合理的に推察される。
【0128】
なお,軟窒化処理を行った後の試験片の表面にマグネタイト(Fe
3O
4)の表面改質層を形成した試料8の試験片においても,本願の方法で表面処理を行った試料9及び試料10の試験片と同様,摩擦摩耗試験後においても摩擦面の耐食性が失われていなかった。
【0129】
しかし,同じくマグネタイト(Fe
3O
4)の表面改質層を形成したものであっても,未処理(焼入れ・焼き戻しのまま)の表面に直接,マグネタイト(Fe
3O
4)の表面改質層を形成した試料7では,摩擦試験でボールと接触した部分においてマグネタイト層が摩耗して耐食性が失われ,大量の赤錆が発生しており,マグネタイト(Fe
3O
4)の表面改質層は,高い耐食性を有するものの,軟窒化等の表面強化処理を行っていないそのままの状態では摩擦や摩耗に弱いものであることが確認された。
【0130】
これに対し,本発明の表面処理方法では,軟窒化処理後の表面に対し本発明の表面処理を適用した場合(試料10)の他,未処理(焼入れ・焼き戻しのまま)の表面に直接,本発明の表面処理を行った場合(試料9)のいずれにおいても,摩擦試験でボールと接触した部分を含め耐腐食性が失われておらず,下地処理として窒化(軟窒化)を行っていない場合であっても摩擦に強い表面処理が行えていることが確認できた。
【0131】
このような高い耐摩耗性が得られた理由は不明であるが,
図10及び
図11のEDX定性分析結果に表れているように,本願の方法で表面処理を行った試料の表面では,酸素(O)の検出量が増加していることから,Sn(硬度5HV)が酸化することにより高硬度の酸化錫(最大で硬度1650HV)となることで高い耐摩耗性を発揮したことが一因ではないかと推察される。
【0132】
〔投射材の噴射方法に対する評価試験〕
(1)試験の目的
本発明で採用するショット及び/又は噴射粒体の噴射方法により,閉塞端を有する比較的細径の冷却孔に対しても処理が行えることを確認する。
【0133】
(2)試験方法
図14に示すように,断面半円状の溝が形成された2枚の試験片(SKD61)を,相互の溝が重なるように重ね合わせて,一端を閉塞端とする孔を形成し,この孔に対し本発明の表面処理を行った。
【0134】
各試験片として溝形成面を高温の水蒸気に暴露することでマグネタイト(Fe
3O
4)層を形成したもの(特許文献5の処理に対応)を使用し,この試験片の溝形成面を重ね合わせることにより,直径4mm,長さ290mmの孔を形成した。
【0135】
この孔内に,外径2.0mm,内径1.4mm,長さ350mmの噴射ノズルを挿入して,SiCのショット(53〜45μm)を,噴射圧力0.7MPaで噴射した後,Snの粒体(50〜20μm)を,噴射圧力0.7MPaで噴射した。
【0136】
ショット及び噴射粒体の噴射は,噴射ノズルの先端が閉塞端に対し数mmの間隔となるまで挿入し,この位置で噴射を開始すると共に,噴射ノズルを孔より徐々に引き抜きながら,噴射ノズルの先端が孔より脱するまで噴射を継続した。
【0137】
上記の表面処理を行った後,重ね合わせていた試験片を分離し,孔(溝)の表面のうち,閉塞端付近の表面とその他の部分の表面(孔の胴の部分)における残留応力(いずれも孔の長手方向の残留応力)を,cosα法を用いたX線残留応力測定にて測定した。
【0138】
(3)試験結果
上記方法で測定した孔表面の残留応力値は,本発明の表面処理を行う前の状態では閉塞端付近で−25MPa,その他の部分で+450MPaであったものが,本発明の表面処理を行った後では,閉塞端付近で−585MPa,その他の部分で−831MPaとなっていた。
【0139】
細径で,かつ閉塞端を有する冷却孔内に挿入した噴射ノズルよりショットや噴射粒体を噴射する場合,噴射ノズルの外周と冷却孔の内壁間の隙間が狭く,噴射したショットや噴射粒体で冷却孔が詰まってしまうために,冷却孔の表面を処理することが困難であることは既に述べた通りである。
【0140】
しかし,本願の表面処理方法で提案するように,噴射ノズルを引き抜きながらショットや噴射粒体を噴射する処理では,このような目詰まりを生じさせることなく噴射を行うことができ,かつ,孔の表面に対し,高い圧縮残留応力を付与しうるエネルギーを伴ってショットや噴射粒体が衝突していることが確認された。
【0141】
また,処理後の表面に対するSn元素の拡散についての確認を行った結果,試料3,4に対する試験結果(
図10,11参照)と同様,冷却孔の表面にSn元素が拡散していることが確認された。
【0142】
従って,本願の表面処理方法で採用する噴射方法は,閉塞端を有する冷却孔の表面に対しショットピーニングや噴射粒体を噴射して行うSn元素の拡散処理を行う上で有効な噴射方法であると言える。
【0143】
2.金型による評価
(1)試験の目的
金型の冷却孔に対して本発明の処理方法を適用することで,耐応力腐食割れ性が付与されることを確認する。
【0144】
(2)試験方法
本発明の方法で表面処理を行った金型(SKD61)の冷却孔と,未処理の冷却孔にそれぞれ冷却水を導入した状態で金型の加熱と冷却を繰り返して行った後,冷却孔内部の表面状態を目視により観察した。
【0145】
(3)試験結果
観察の結果,未処理の冷却孔の表面では,2万サイクルの加熱と冷却の繰り返しにより冷却孔の表面全体に錆が発生すると共に,クラックが発生していることが確認された。
【0146】
これに対し,本発明の方法で表面処理を行った冷却孔の表面では,3万サイクル加熱と冷却を繰り返した後においても極僅かな錆の発生が確認されたのみで,冷却孔の表面の殆どは,錆のない,きれいな状態に保たれていた。
【0147】
また,本発明の方法で処理を行った冷却孔の表面には,クラックの発生も確認することはできなかった。
【0148】
以上の結果から,本発明の表面処理方法には,金型の冷却孔表面に耐応力腐食割れ性を付与する効果があることが確認された。