【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成27年度、文部科学省 国家的課題対応型研究開発推進事業(次世代IT基盤構築のための研究開発)「社会システム・サービス最適化のためのサイバーフィジカルIT統合基盤の研究」に係る委託業務、産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【文献】
濱谷 尚志 TAKASHI HAMATANI,ウェアラブルセンサと生体温熱モデルを用いた暑熱環境下での深部体温推定の一手法 Estimating Core Body Temperature Under Hot Environment Based on Human Thermal Model Using Wearable Sensors,情報処理学会 論文誌(ジャーナル) Vol.56 No.10 [online],日本,情報処理学会,2015年10月,第56巻
【文献】
濱谷 尚志,ウェアラブルセンサを用いた生体温熱モデルに基づく深部体温推定法の提案,情報処理学会 研究報告 高度交通システムとスマートコミュニティ(ITS) 2014−ITS−059 [online],日本,情報処理学会,2014年11月20日
【文献】
濱谷 尚志 Takashi Hamatani,装着型センサを用いた生体温熱モデルにおける日射熱のモデル化とパラメータ調整法の提案 A Solar Radiation Model and Parameter Calibration in a Human Thermal Model Using a Wearable Sensor,マルチメディア,分散,協調とモバイル(DICOMO2015)シンポジウム論文集 情報処理学会シンポジウムシリーズ Vol.2015 No.1 [CD−ROM] IPSJ Symposium Series,日本,一般社団法人情報処理学会,2015年 7月,第2015巻
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
生体温熱モデルを用いて、センサでの測定に基づいて取得された深部での熱産生から、体内の熱移動及び体外との熱交換を熱収支計算式で繰り返し計算することによって、運動中における深部体温を推定する深部体温推定装置において、
複数種類でかつ各々について複数の値が準備された個人差パラメータと、前記熱移動及び前記熱交換に対して各々複数の遅延値が準備された遅延パラメータとを設定し、かつ測定した初期深部体温と初期皮膚温とを入力して、ウォーミングアップ段階で全てのパラメータの組合せを前記熱収支計算式に適用して並列計算させるウォーミングアップ並列演算手段と、
ウォーミングアップ終了時に測定した深部体温と前記並列計算の各結果とを比較して最適のパラメータ組を選出する選出手段と、
前記最適のパラメータ組を適用して前記熱収支計算式を実行し、前記深部体温を算出するモニタ演算手段とを備えた深部体温推定装置。
生体温熱モデルを用いて、センサでの測定に基づいて取得された深部での熱産生から、体内の熱移動及び体外との熱交換を熱収支計算式で繰り返し計算することによって、運動中における深部体温を推定する深部体温推定方法において、
複数種類でかつ各々について複数の値が準備された個人差パラメータと、前記熱移動及び前記熱交換に対して各々複数の遅延値が準備された遅延パラメータとを設定し、かつ測定した初期深部体温と初期皮膚温とを入力して、ウォーミングアップ段階で全てのパラメータの組合せを前記熱収支計算式に適用して並列計算させるウォーミングアップ並列演算工程と、
ウォーミングアップ終了時に測定した深部体温と前記並列計算の各結果とを比較して最適のパラメータ組を選出する選出工程と、
前記最適のパラメータ組を適用して前記熱収支計算式を実行し、前記深部体温を算出するモニタ演算工程とを備えた深部体温推定方法。
生体温熱モデルを用い、コンピュータによって、センサでの測定に基づいて取得された深部での熱産生から体内の熱移動及び体外との熱交換を熱収支計算式で繰り返し計算することによって、運動中における深部体温を推定するプログラムにおいて、
複数種類でかつ各々について複数の値が準備された個人差パラメータと、前記熱移動及び前記熱交換に対して各々複数の遅延値が準備された遅延パラメータとを設定し、かつ測定した初期深部体温と初期皮膚温とを入力して、ウォーミングアップ段階で全てのパラメータの組合せを前記熱収支計算式に適用して並列計算させるウォーミングアップ並列演算手段、
ウォーミングアップ終了時に測定した深部体温と前記並列計算の各結果とを比較して最適のパラメータ組を選出する選出手段、および
前記最適のパラメータ組を適用して前記熱収支計算式を実行し、前記深部体温を算出するモニタ演算手段、として前記コンピュータを機能させるプログラム。
【発明を実施するための形態】
【0020】
(1.提案手法の概要)
まず、生体温熱モデルによる体温シミュレーションについて説明する。
【0021】
図1に、生体温熱モデルの一実施形態として適用されるGaggeの2ノードモデルの概要を示す。2ノードモデルでは人体を球とみなし、内側の深部層coreと外側の皮膚層skinの2層で人体を表す。2ノードモデルでは、深部層core、皮膚層skin、および外気の間の熱移動を逐次的に計算し、深部体温(深部層coreの温度)と皮膚温(皮膚層skinの温度)をシミュレーションする。シミュレーションは、運動開始前(ウォーミングアップ前)に計測した深部体温、および皮膚温を初期値として設定し、その後、人体に装着可能なウェアラブルセンサ20(
図5参照)で計測した心拍数と、環境センサ12(
図5参照)で計測した気温、湿度などとをモデルに入力し、単位時間あたりの熱計算を繰り返すことで深部体温及び皮膚温の内、少なくとも深部温度の時間変化を推定するようにしたものである。この計算の際には、体重、皮膚の総面積、運動種、衣服の熱抵抗を与えることが好ましい。
【0022】
2ノードモデルは、最も単純な生体温熱モデルであるが、6種類の個人差パラメータを最適化することで高精度な深部体温の推定が可能である(非特許文献2)。すなわち、2ノードモデルでは、基準となる深部体温及び皮膚温からの体温の上昇度合いに応じて発汗量、皮膚血流量が増加するが、さらに個人差を考慮するため発汗量、皮膚血流増加量の増減度合いを表す係数をモデル式に組み込んでいる。そして、この個人差パラメータにより、従来の2ノードモデルを用いる場合よりも深部体温の推定精度が向上することが報告されている。
【0023】
本発明に係る深部体温推定装置1(
図5参照)も同様に、個人差パラメータを実測の深部体温に基づき調整することにより深部体温推定精度の向上を図る。深部体温推定装置1は、運動(各種のスポーツの他、日常及び現場での各種作業などを含めてもよい。)中のユーザ(体温監視対象者)の深部体温を推定するため、運動中に、身体に装着可能なウェアラブルセンサ20より代謝量を、環境に設置した環境センサ12より気温、湿度(少なくとも気温)をそれぞれ取得し、モデルに逐次入力として与える。さらに、運動の種類によって代謝量のうち体外へ仕事として放出されるエネルギーが異なるため、入力部11(
図5参照)を介して仕事として使用されるエネルギーの割合(外的仕事率)を運動種ごとに与える。また、熱の発生や放出はユーザの身体の体重、皮膚の総面積に比例して増減するため、入力部11を介して、運動開始前にユーザの体重と皮膚総面積をモデルに与える。加えて、深部体温、皮膚温の推定の初期値とし、例えば赤外線式の鼓膜温度計である深部体温センサ31(
図5参照)より取得した深部体温、ならびにウェアラブルセンサ20より取得した皮膚温の実測値を2ノードモデルに与える。なお、ウェアラブルセンサ20が温度計を装備している態様では、この温度計を利用して皮膚温を測定し、測定結果を通信部201(
図5参照)を介してモデルに送信する態様でもよいが、これに代えて体温計で温度測定し、入力部11から入力する態様でもよい。
【0024】
さらに個人差パラメータ調整のため、ウォーミングアップ終了時や休憩時に深部体温センサ31により深部体温を計測する。計測した深部体温に対し、実測とシミュレーションの誤差を最も小さくするパラメータ組を選択する。この方式により、運動中に深部体温を常時計測する必要なく個人差やその日のコンディションを反映したパラメータを決定することが可能である。
【0025】
以降、2章ではGaggeの2ノードモデル、および個人差パラメータ調整方式について説明し、3章では想定シナリオにおけるモデルへの入力方法、個人差パラメータ調整方法を具体的に説明する。4章では、
図5〜
図7を参照して、深部体温推定装置1の機能構成とその処理を説明する。さらに5章では2ノードモデルをスポーツ環境に適応させるために行ったモデル式の改良について述べる。そして、6章では実験を行い、そのデータに基づく評価を行う。
【0026】
(2.Gaggeの2ノードモデル)
(概要)
2ノードモデルでは時刻tからt+1への体温変化を、時刻tにおける深部体温T
coret、皮膚温T
skint、および時刻tに得られたウェアラブルセンサ20からの入力値により、各層と外気間の熱交換を計算することにより、時刻tにおける深部体温T
coret、皮膚温T
skintの変化量ΔT
coret、ΔT
skintをそれぞれ得る。得られた変化量に基づき、時刻t+1の体温を次式(A)により計算する。
【0028】
以上の計算を時刻0から時刻t-1まで繰り返すことにより、時刻tまでの深部体温、皮膚層の推定系列T
coret、T
skintを得る。初期値T
core0、T
skin0はそれぞれ運動前に計測した実測値を入力する。以降では、時刻tにおける熱収支計算方法を説明するため時刻を表すtを省略する。
【0031】
表1は、深部層における熱計算式を表す。深部層では代謝により熱が発生し、その熱が伝導、血流により皮膚層へ伝搬したり、呼吸や運動(仕事)により体外へ放出される過程を表中の式により再現している。深部体温の変化量ΔT
coreは熱収支Q
core、深部層の質量m
core、比熱c
coreを用いて、表1中の式(a)により計算する。さらに、式(b)で示す通り、深部層の熱収支Q
core は、総代謝量M、外的仕事W、呼吸による熱損失q
res、皮膚層への伝導熱q
cond、および血流によって皮膚層へ運ばれる熱q
bloの合計で計算する。通常、運動時は、代謝量が熱放出を上回るためQ
coreは正の値となるが、休憩時などは負の値となり、式(a)より体温が低下する。なお、式(c)から式(f)で示すそれぞれの熱計算式の詳細は知られている(非特許文献1)。各計算式では表2に示す定数を用いる。
【0033】
(皮膚層における熱計算)
表3に皮膚層の熱計算式を示す。皮膚層では深部層と異なり熱の発生は起こらず、深部層から受け取った熱を放出する過程を計算している。深部層から直接伝導、および血流によって伝わった熱q
cond、q
bloは、皮膚表面での発汗q
rsw、水分蒸発q
diff、空気との熱交換q
conv、熱放射q
radによって空気中へ放出される。以上の熱収支Q
skinは、表3中の式(h)によって得られる。皮膚層での熱収支Q
skinに基づき、皮膚層の質量m
skin、比熱c
coreより皮膚温の変化量ΔT
skinを得る(式(g))。なお、個別の計算式は知られている(非特許文献1)。
【0035】
(可変パラメータを用いた個人差の考慮)
2ノードモデルでは深部体温や皮膚温の上昇に伴い、血流量や発汗量を増加させ体外への熱放出を行う(表1の式(f)、表3の式(k))。これらの体温調節反応は基準となる体温との偏差によって増減する。これにより、体温が上昇するにつれ発汗量や皮膚血流量が増加するという人体の反応を再現する。この体温調節反応式にさらに個人差を反映するパラメータを組み込むことで、より正確な体温変化の再現が可能である。個人差パラメータを組み込んだ発汗量、皮膚血流量の計算式を、式(B)に示す。
【0037】
式(B)中、V
blot,m
rswtは、それぞれ時刻tにおける皮膚血流量、総発汗量を表し、α1からα4はそれぞれ個人差パラメータである。α1、α2は、それぞれ皮膚血流量の初期値、体温上昇による増加率を表し、α3、α4は、運動時特有の発汗係数、運動時・安静時に共通の発汗係数をそれぞれ表す。α3は、Gaggeの2ノードモデルで提唱された式を参考に独自に組み込んだパラメータである。また、Gaggeの2ノードモデルでは、基準となる体温を一律に定めているが、ここでは基準体温についても個人差や体調による差が存在すると考え、その日の運動開始前の実測の体温T
core0、T
skin0をそれぞれ基準体温として式に与える。以上の個人差パラメータに対し、これまでに定めてきた各パラメータの範囲を表4に示す。すなわち、4種のパラメータに対し、合計3,200通りの組み合わせが存在する。
【0039】
(3. 運動中の深部体温推定法)
(入力の取得方法)
【0041】
前章で述べた2ノードモデルによる体温シミュレーションのために、(1)体重などのユーザ情報、(2)初期体温、(3)代謝量、および(4)環境条件の4種類の入力が必要である。必要な全ての入力内容を表5に示す。ここでは、これらの入力値をモデルにおける熱計算式に適用する方法について述べる。各入力の変換に用いる式を表6に示す。
【0043】
身長、体重などのユーザ情報は、深部層・皮膚層の質量m
core、m
skinや皮膚総面積A
bodyの推定に用いる。各層の質量の比は、95:5であることが知られており(非特許文献4)、式(1)、(2)よりそれぞれ求める。皮膚総面積は、身長と体重を用いて式(3)より推定する。さらに初期深部体温T
core0、および初期皮膚温T
skin0は、それぞれ赤外線放射式鼓膜温度計MC-510(OMRON製)を深部体温センサ31として、および腕時計型ウェアラブルセンサBasis Peak(Basis製)をウェアラブルセンサ20として用い、計測を行う。
【0044】
モデルにおける総代謝熱Mは、酸素消費量に基づき推定する。式(4)で示す通り、代謝熱を安静時代謝熱(基礎代謝)M
restと運動による代謝熱M
exの和として考える。各代謝熱[W]は、式(5)、(6)により計算する。これらの式中の、3.5・weight,(VO2−3.5)・weightの項は、それぞれ安静状態、運動による酸素消費量[ml/min]を表す。酸素消費1リットルあたり5キロカロリーのエネルギーを生じるとして、酸素消費量に1000分の5を掛け合わせ代謝によるエネルギーを算出する。さらに、2ノードモデルで用いるワット単位に変換するため、キロカロリー毎分をジュール毎秒に変換している。
【0045】
運動時の酸素消費量VO2は、式(7)により推定する。式(7)では、ユーザの体重1kgあたりの最大酸素消費量VO2maxに対し、予備酸素摂取量に対する酸素消費量%VO2R(酸素摂取能力の何%を使用しているか)を掛け合わせることで、酸素消費量を求める。VO2maxは、ユーザの最大心拍数maxHR、安静時心拍数restHRによって求める(式(8))。また、心拍数から%VO2Rを推定するため、予備心拍数に対する現在の心拍数%HRR(最大心拍数に対しどの程度上昇しているか)を用いて、式(9)により変換する。%HRRは、式(10)で示すカルボーネン法より計算する。また、最大心拍数は、ユーザの年齢を基に推定する(式(11))。以上の方式により、ユーザの心拍数、安静時心拍数、体重、年齢を基に代謝熱Mを推定する。
【0046】
また、外的仕事によるエネルギー損失Wは、式(12)で示す通り、運動代謝に対し、係数Δeff を掛け合わせることで得る。Δeff は、歩行、走行、自転車運動などの基本的な運動種について知られている。そこで、Δeff=0.40(歩行時)、Δeff=0.44〜0.54(走行時)、Δeff=0.23(自転車運動時)とそれぞれ定める。走行時には速さによってエネルギー効率が変化するため、ユーザの速度に応じて、0.44〜0.54の値を与える。環境条件は、環境に設置したセンサWBGT-203B(Kyoto Electronics Manufacturing Co製)を環境センサ12として用い、計測を行う。
【0047】
(ウォーミングアップに基づくパラメータ調整)
発明者らは、これまでに運動中に計測可能な体表温度を用いた個人差パラメータの調整方式を提案した(非特許文献6)。この方式ではリアルタイムに体表温度を収集可能である一方で、40分間の観測が最低限必要であり、さらに負荷変動する運動に対する深部体温の推定が難しく精度の向上は最大12%に留まっていた。本発明では、深部体温センサ31を利用した断片的な深部体温の計測値に基づき、個人差パラメータを調整する。想定環境では時刻0からtまでのセンサデータが得られ、個人差パラメータ組θiのもとでの時刻tまでの深部体温の推定系列(C)として、
【0049】
を得る。時刻twは、ユーザがウォーミングアップ運動を終え、深部体温センサ31で深部体温を計測した時刻とする。この際に、時刻twにおいて計測した深部体温の真値
T
core∧twを利用し、最適な個人差パラメータθoptを、以下の式(D)で求める。
【0051】
以上の式(D)によって得られたθopt、およびT
core∧twを入力として与え、再び時刻tw+1以降のシミュレーションを行うことで、今回の改良手法による深部体温の推定結果T
coret(θopt)を得る。
【0052】
(4.ノードモデルの改良)
この章では、Gaggeの2ノードモデルを実際の運動、例えばスポーツ環境に適用するために行った4種類のモデル改良について述べる。ここでは、例えば夏季の屋外環境において体温変化に大きな影響を与えると考えられる日射、風、飲水の影響の考慮、および実データより観察された深部体温の初期降下や休憩時におけるモデルと実測との反応の差異の考慮を行う。以上のモデル改良式を表7に示す。
【0054】
(日射熱の考慮)
屋外環境では日射によって皮膚が強い熱エネルギーを受け、皮膚温が上昇する。しかしながら、従来の2ノードモデルでは日射熱の影響を考慮していない。ここでは、
図2に示す通り、環境に設置した環境センサ12に含まれる日射計の計測値やユーザの皮膚総面積、衣服を入力とし、ユーザが受ける直達日射熱qdnを推定し、皮膚層での熱収支計算に組み込んだ。qdnは以下の式(E)で求める。
【0056】
aは、皮膚の太陽光吸収率、Apは、人の投影面積、Jdnは、日射センサの観測値をそれぞれ表す。ここでは、a=0.6とする。また、第二式では、人の面積Abody、着衣による非被覆率fcl、有効放射面積係数feff、投影面積係数fpの掛け合わせにより日射に垂直な方向に対する人の投影面積を求める。立位時の係数値としてfp=0.85、feff=0.725とそれぞれ定義する。さらに、fclは、衣服条件として定める値、例えば0.4が採用可能である。以上の内容を2ノードモデルに組み込むことで日射熱を考慮する。
【0057】
(風の考慮)
屋外環境では風により単位時間あたりに皮膚に触れる空気の量が増加し、その結果、発汗による熱放散の効率が上昇する。2ノードモデルでは体温の上昇に伴う発汗量の増加は再現できるものの、風による発汗効率の向上は再現できない。モデルでは蒸発しなかった汗は流れ落ち、熱放出に寄与しないものとみなされる(無効発汗)。実際に屋外ウォーキング・ジョギング運動を行い、収集したデータでシミュレーションを行ったところ、3571分の運動時間のうち、1727分間で無効発汗が起こることを確認した。しかしながら、実際には自然風や走っていることによって生じる相対風が存在するため、実際の発汗効率はさらに良いはずである。一方で、屋外環境では建物などの影響によりユーザが受けている自然風を正確に観測することは困難である。そこで、ここではユーザが動いている場合に生じる相対風をモデルに組み込むことで、発汗による熱損失量をより正確に推定する。
【0058】
モデルにおける対流熱伝達係数h
convは、人の速さによって増減することから、今回は下記の式(F)
【0060】
によってユーザの移動による発汗効率の上昇を考慮する。式中vは速度[m/s]を表す。今回の運動における歩行速度、走行速度は、それぞれ1.4[m/s]、2.5[m/s]であったため、上式(F)に適用することにより、h
convはそれぞれ標準値(4.3)と比べ、386%、547%に修正される。これにより、発汗によって体外へ放出することのできる熱の総量E
max(表3中の式(l),l:エル)が増加し、発汗熱損失量が増加する。
【0061】
(水分摂取による深部体温低下)
運動中に水分を摂取した場合としない場合とにおける体温変化に差異が生じることが明らかにされており、安全のためには水分摂取が欠かせない。水分補給は水分の冷たさ自体による体温の低下効果に加え、発汗機能を正常に維持する役割がある。2ノードモデルでは、発汗機能は常時正常に機能している前提で計算を行うため、後者の機能を考慮することは不要である。一方で、体温よりも低い水分を大量に摂取した場合、大幅な体温低下効果が期待できる。そこで、モデルの計算式に水分と人体の温度差による熱移動を追加する。
【0062】
体内に摂取された水分は、いずれ人体と同じ温度まで上昇する。従って水分摂取によって低下する深部体温ΔT
waterを式(16)で表す通り、水、深部層のそれぞれの温度、質量、比熱に基づき計算する。この式(16)を水分補給があった時点に適用することにより、水分による深部体温の低下を考慮する。
【0063】
(熱遅延の考慮)
発明者らは、休憩を含む歩行、走行により収集したデータより、実際の深部体温とシミュレーションによる深部体温の推定に差異が生じる場合があることを発見した。その一例を、
図3に示す。モデルでは、代謝量の計算をウェアラブルセンサ20で計測した心拍数に基づいて行っているため、運動開始後すぐに心拍が上昇することにより深部体温も上昇する。また、休憩を始めると、心拍数が低下するため深部体温もそれに伴い低下する。一方で、
図3より、実際の深部体温の反応はシミュレーションに対して遅れており、運動を開始してもすぐに体温が上昇しないし、休憩を始めてもしばらく体温が低下しないといった傾向が見られる。
【0064】
また、
図3より、運動開始直後、深部体温は初期値よりも低下していることが分かる。同様の現象は他でも報告されている。この原因は未だ定かではないが、運動開始前に筋肉に溜まっている血液の温度は核心部の血液温度より低く、運動開始直後にその血液が身体を循環するため平均血液温度が低下する可能性があると言われている。一方で、収集したサンプルの中には深部体温の初期降下が起こらないサンプルも数多く見られた。従って、深部体温の初期降下を生理的に定義し、モデルに組み込むことは困難である。そこで、ここでは、シンプルな遅延パラメータを用いることで深部体温の初期降下、および先述の深部体温のシミュレーションに対する遅延を考慮した。
【0065】
この遅延方式では、例えば2種類の遅延パラメータβ1,β2により、2ノードモデルにおける熱計算を遅延させる。β1は、代謝によって発生する熱Mの伝搬速度を制御することで深部体温の初期降下を考慮し、さらに休憩時における体温低下を遅延させる。β1は、スライディングウィンドウのサイズとしてモデルに組み込まれ、大きくなるほど代謝による熱の伝搬速度が低下する。β2は、体温上昇に対する体温調節反応の遅れを表す。従来のモデルでは体温の上昇に対し即座に発汗、血流が反応するが、実際の反応には遅延があると考えられる。例えば、激しい運動の後しばらく汗が止まらず吹き出てくることが挙げられる。よって、発汗、血流の計算に現在の体温ではなく、β2分前の体温を用いることにより体温調節反応をβ2分間遅延させる。以上の遅延パラメータを表7の式(b’)、(17)、(f’)、(k’)の通り、モデルに組み込むことにより、深部体温の推定性能の向上を図る。
【0066】
さらに、これらの遅延パラメータβ1,β2はユーザごとに異なり、体調による影響も受けると考えられるため、個人差パラメータと同様に毎回の運動においてパラメータ調整を行う必要がある。そこで、適切なパラメータ範囲を決定するため、まず、β1について[1,15]、β2について[0,10]と初期範囲を定め、合計165通りの組み合わせについて実測に基づきパラメータ調整を行った。なお、この際、個人差パラメータα1からα4は、標準値で固定した。この結果、34個のサンプルに対し、最適なβ1、β2の値の分布はそれぞれ、
図4に示す通り、得られた。
【0067】
パラメータの探索範囲は、広い方が高い精度が望める一方で個人差パラメータと合わせると膨大なパラメータの組み合わせ数になるため、計算時間を考慮したパラメータ範囲を決定する必要がある。従って、この分布より、80%以上の最適解を網羅する区間としてβ1については[1,12]、β2については[0,5]とした。この72通りの組み合わせについて、3節の(ウォーミングアップに基づくパラメータ調整)で述べたように、4個の個人差パラメータと同時に2個の遅延パラメータの調整を行う。
【0068】
以上の4章で述べた改良式をモデルに適用する。具体的には、Gaggeの2ノードモデルにおける式(a)、(b)、(f)、(h)、(k)を、表7に示す式(a’)、(b’)、(f’)、(h’)、(k’)でそれぞれ置換する。以降の6章での評価では、改良したモデルを改良モデルと呼び、通常の2ノードモデルを通常モデルと呼ぶ。
【0069】
以上によれば、この改良手法では、運動開始前の深部体温を初期値としてモデルに与え、心拍数や気温、湿度などの時間変化をモデルに入力することで深部体温を推定する。さらに、遅延パラメータも含めて230,400通りの個人差パラメータ組についてウォーミングアップ中の深部体温のシミュレーション結果を(並列計算して)網羅的に生成し、ウォーミングアップ終了後に赤外線鼓膜温度計などにより得られた深部体温の計測値と各パラメータにおける深部体温の推定値を比較することで、実測に最も近いパラメータ組を選択することにより実際の反応を再現する。加えて、スポーツ環境に2ノードモデルを適用するため、日射、風、飲水のそれぞれによる熱の移動、および運動開始直後や休憩開始直後といった過渡期における発汗や血流の反応を再現する遅延パラメータを2ノードモデルに組み込んだ。
【0070】
(5.実施例)
図5は、本発明に係る深部体温推定装置の一実施形態を示す機能構成図であり、
図6は、本発明に係る深部体温推定の概要を説明する図であり、
図7は、深部体温推定処理のフローチャートである。
【0071】
深部体温推定装置1は、コンピュータで構成される制御部10を備えると共に、制御部10に接続された入力部11、環境センサ12、出力部13、ワークエリアとしてのRAM14、および制御プログラム等を記憶した記憶部15を備える。入力部11は、外部から各種の情報が入力可能なテンキーやマウス、あるいはタッチパネルなどで構成される。出力部13は、必要に応じて設けられるもので、例えば画像を表示する表示器、あるいは音声発生器などである。出力部13は警告用としてもよい。環境センサ12は、無線あるいは有線で制御部10に接続され、各種の測定情報を通信部121を介して周期的に制御部10に送信する。記憶部15は、制御プログラムの他、制御プログラムの実行に必要となる、採用する生体温熱モデルの情報、モデルに適用される各種の情報、温度推定のための各熱収支計算式、および各種のパラメータ類が記憶されている。
【0072】
また、制御部10には、深部体温センサ31が必要に応じて接続される。深部体温センサ31は、有線あるいは無線でもよく、測定結果を制御部10に取り込む際に接続される。あるいは、測定結果は入力部11を介してマニュアル入力されてもよい。ウェアラブルセンサ20は、運動中のユーザの心拍数を継続的に測定し、通信部201を介して無線で制御部10に送信する。なお、深部体温推定装置1がユーザに直接装着される態様では、有線式であってもよい。また、ウェアラブルセンサ20は、心拍数を出力するものの他、代謝量に換算して制御部10に出力する態様としてもよい。
【0073】
深部体温推定装置1は、生体温熱モデルを用いて、ウェアラブルセンサ20での心拍数の測定に基づいて算出された深部での熱産生(代謝)から、体内の熱移動及び体外との熱交換を熱収支計算式で繰り返し計算することによって、運動中における深部体温を推定するものである。制御部10は、制御プログラムをRAM14に読み出して実行することによって、入力受付部101、ウォーミングアップ並列演算部102、パラメータ組選出部103、モニタ演算部104、および必要に応じて設けられる警告処理部105として機能する。
【0074】
入力受付部101は、入力部11の他、温度計付きのウェアラブルセンサ20、深部体温センサ31、および環境センサ12より測定情報を取り込むものである。入力受付部101は、ウォーミングアップ開始前にウェアラブルセンサ20および深部体温センサ31から皮膚温と深部体温を取り込み、初期皮膚温、初期深部体温として設定する。また、入力受付部101は、ウォーミングアップ終了後の運動中に、ウェアラブルセンサ20から心拍数を継続的に取り込む。
【0075】
ウォーミングアップ並列演算部102は、複数種類でかつ各々について複数の値が準備された個人差パラメータ(α1,α2,α3,α4)と、熱移動及び熱交換に対して各々複数の遅延値が準備された遅延パラメータ(β1,β2)とを設定し、かつ測定した初期深部体温と初期皮膚温とを入力して、ウォーミングアップ段階で全てのパラメータの組合せθ
i(α1,α2,α3,α4,β1,β2)を熱収支計算式に適用して、並列計算を繰り返し実行する。
【0076】
パラメータ組選出部103は、ウォーミングアップ終了時に測定した真値である深部体温と、全てのパラメータの組合せθ
i(α1,α2,α3,α4,β1,β2)の各熱収支計算結果とを式(D)に適用して(計算して)、個人差パラメータの最適化、例えば差分が最小となるような、最適のパラメータ組θ
optを選出する。
【0077】
モニタ演算部104は、シミュレーション演算を行うもので、ウォーミングアップ終了後の運動中、選出された最適のパラメータ組θ
optを熱収支計算式に適用して熱収支計算を繰り返し実行して、深部体温を推定算出する。なお、モニタ演算部104は、必要に応じて皮膚温を推定演算してもよい。
【0078】
警告処理部105は、ウォーミングアップ終了後からの運動中に、例えば計算中の深部体温が熱中症判断の閾値まで上昇した場合に、警告(表示、警告音、ガイドなど)を出力して監視対象者に報知する。なお、閾値は、固定値でもよいが、設定されている遅延パラメータに応じた遅れを考慮して設定してもよいし、あるいは深部体温の変化勾配などを総合的に考慮して設定してもよい。
【0079】
図7のフローチャートに示すように、深部体温推定処理のモードは、ステップS1〜S13までが、ウォーミングアップ期間中、すなわち最適のパラメータ組θ
optの選出期間であり、ステップS15以降が、運動の監視(モニタ)期間である。
【0080】
まず、ウォーミングアップ開始直前に測定した初期深部体温及び初期皮膚温の取り込みが行われる(ステップS1)。次いで、ウォーミングアップ期間中、全てのパラメータの組合せθ
i(α1,α2,α3,α4,β1,β2)について各熱収支計算、すなわち並列演算が実行される(ステップS3,S5)。なお、ウォーミングアップ期間は、運動種等に応じて予め設定されていてもよく、あるいはその都度適宜に設定することができる。
【0081】
そして、ウォーミングアップ期間が終了すると(ステップS5でYes)、深部体温の測定が実行され、測定された深度温度の取り込みが行われる(ステップS7)。次いで、比較評価、すなわち測定された真値である深部体温と、並列演算された全てのパラメータの組合せθ
i(α1,α2,α3,α4,β1,β2)の熱収支計算結果から推定された各深部体温とが式(D)に適用されて、比較評価され(ステップS9)、その結果、最適のパラメータ組θ
optの選出が行われる(ステップS11)。そして、選出された最適のパラメータ組θ
optが熱収支演算式に設定される(ステップS13)。
【0082】
続いて、運動中において、深部体温の推定演算(モニタ演算)が実行され(ステップS15)、一方で、深部体温が閾値を超えたか否かが監視され(ステップS17)、超えなければ、運動の継続中は(ステップS19でNo)、ステップS15に戻って同様の繰り返し演算を継続する。一方、深部体温が閾値を超えたのであれば、警告が行われる(ステップS21)。なお、警告後に休憩したなどによって推定深部体温が警告状態から脱して(低下して)、再び運動に復帰する場合にも同様にモニタ処理は継続する(ステップS15〜ステップS19でNo)。
【0083】
このように、ウォーミングアップ期間を利用して、深部体温の推定値と真値との比較評価を行って、多数の個人差パラメータの組合せθ
i(α1,α2,α3,α4,β1,β2)から最適のパラメータ組θ
optを選出するようにしたので、その後の運動中の深部体温の推定において、運動時点での各状況が反映され、推定精度が向上する。また、遅延パラメータを採用し、かつ運動時点での各状況が同様に反映されるので、負荷変動のある運動や休憩を含む場合でもより推定精度が向上する。遅延パラメータは体内の熱移動及び体外との熱交換に関連して採用したが、まとめて1種類としてもよい。また、生体温熱モデルは2ノードモデルに限定されず、熱収支計算式が採用し得る範囲で、各種のモデルが採用可能である。この場合でも、遅延パラメータは1種類あるいは複数種類を採用してもよい。
【0084】
なお、深部体温推定装置1を運動(各種のスポーツや作業含む)者に装着するタイプの場合、ウェアラブルセンサ20は有線式でもよい。また、複数の運動者をモニタリングする場合にも、監視側すなわち制御部10側が1台で、各運動者に対して識別情報を付与して対応することも可能となり、効果的な健康集中管理にも好適となる。
【0085】
また、ウォーミングアップには、文字通りのウォーミングアップの他、運動の初期期間などであってもよい。
【0086】
(6. 性能評価:実験)
(評価環境)
実験は、改良モデルの評価のため、歩行、走行、エアロバイク(登録商標)運動、テニスの4種の運動において行った。収集した実験データに対し深部体温の推定を行った結果について、以下述べる。全ての実験において被験者は心拍数、初期皮膚温の取得のために前述の腕時計型ウェアラブルセンサBasis Peakを手首に装着した。さらに、深部体温の真値の計測のため、歩行、走行、エアロバイク(登録商標)といった被験者同士の接触が無く安全な運動種では、耳に挿入して連続的に鼓膜温度を計測できる前述の赤外線鼓膜温度計DBTL-2を用いた。一方、接触の危険を伴うテニスにおいては、休憩時に被験者自身で鼓膜温度を計測可能な前述の赤外線鼓膜温度計MC-510を用いた。さらに、気温、湿度の計測のために前述のWBGT-203B、日射量の計測のためML-01(EKO Instruments製)をそれぞれ環境に設置した。被験者は同じ衣服を着用し、衣服の熱抵抗は、Clo=0.6とみなした。2ノードモデルによる体温推定の単位時間は1分とした。
【0087】
性能の指標として、本研究では以下の式で示すウォーミングアップ終了時のtwから運動終了時tまでの平均絶対誤差を用いた。平均絶対誤差は下記の式(G)で表される。
【0089】
式(G)中、T
core∧iは、時刻iにおける実測の深部体温を表す。式(G)で示す指標は実際の深部体温と推定した深部体温の系列が平均的に何度(℃)離れているかを表す。
【0090】
さらに、比較手法としてDEF、OPTの2つの方法を考えた。DEFは、通常モデル、および標準の個人差パラメータを用いて推定を行う方式であり、OPTは、改良モデルに対し、実測の深部体温に対し平均推定誤差が最も小さくなるようなパラメータを選択する方式である。すなわち、OPTは、今回の改良手法によるパラメータ調整による誤差低減の性能限界を表す。なお、ウォーミングアップ終了時点の深部体温1点のみを用いてパラメータ調整を行う提案手法をPROPとする。
【0091】
また、計算時間の評価のため、30分間のウォーミングアップに対し、個人差パラメータと遅延パラメータを合わせた230,400通りのパラメータから誤差最小のパラメータを探索する際の平均計算時間を求めた。シミュレーションにはCPUクロック周波数2.66GHz、23.6GBメモリ搭載の計算機を用いた。その結果、平均50秒でパラメータ調整が可能であることを確認した。
【0092】
(歩行・走行における深部体温推定誤差)
【0094】
屋外環境においてウォーキング、およびランニングを合計60時間以上行い、のべ34人分のサンプルを収集し平均誤差の評価を行った。実験環境を表8に示す。被験者は男性6名で、年齢、身長、体重の平均値と標準偏差はそれぞれ22.8± 0.8、173.5± 4.1[cm]、68.7± 8.1[kg]であった。さらに、被験者は個々の体調に応じて、
図8に示すスケジュールでウォーキングとランニングのいずれかの運動を行った。実際に走行したコースは、ほぼ平地で1周850mの周回路である。ウォーキングではコース3周を3セット行い、ランニングではコース3周を4セット行った。いずれの運動も、各セット間に10分間の休憩を実施し、休憩中に被験者は必要であれば毎回最大250[ml]の水分補給を行った。摂取した水の温度は室温相当(約30℃)であった。以降の評価では、最初のセットと休憩を合わせてウォーミングアップとみなし、それ以降の運動・休憩に対して深部体温の推定精度を評価した。
【0095】
図9、
図10に、それぞれウォーキング運動、ランニング運動における平均絶対誤差を示す。両結果より、改良手法によって、DEFより推定精度が向上していることが分かる。さらに、ランニング時の誤差が全体的にウォーキング時よりも大きいことが分かる。この理由は、ランニングの方が運動負荷が高く、深部体温の変動がより激しかったからであると考えられる。DEFに対し、改良手法による誤差の減少率はウォーキング時で13%、ランニング時で30%であり、通常モデルでは比較的負荷の小さいウォーキングに対してはある程度再現可能であるものの、高負荷のランニングにおいて平均推定誤差が0.4℃を超え、推定が困難であることが示唆されている。
【0096】
さらに時系列的な誤差の変化を、
図11、
図12に示す。各図の横軸は運動の経過、縦軸は区間内の平均絶対誤差を表す。例えば、Rest2は2回目の休憩、Walk3は3セット目のウォーキングを表す。この結果から、DEFでは、ほぼ毎回誤差が最大となっていることが分かる。さらに、休憩時に特に誤差が大きくなっている。この理由として、通常モデルでは休憩直後の体温の変化を再現することが困難であったことが挙げられる。一方、PROP,OPTでは運動時よりも休憩時の誤差が小さくなる傾向が見られる。これは、遅延パラメータの導入により休憩に入った際の体温低下の遅れを適切に考慮できた結果であると考えられる。しかしながら、PROPでは運動中にOPTよりも誤差が大きくなっている。この結果は、ウォーミングアップ終了時点の1点の深部体温を計測することにより大まかなパラメータの傾向は一致させられる一方で、体温の上昇を精度よく推定するためにはさらに多くの深部体温を計測する必要があることを示唆している。
【0097】
(エアロバイク(登録商標)運動における深部体温推定誤差)
【0099】
さらに、屋内でエアロバイク(登録商標)を用いて表9に示す条件の下、負荷が細かく変動する場合におけるデータ収集を行った。7人の被験者が1時間のエアロバイク(登録商標)運動を6回ずつ行い、のべ42時間のデータセットを収集した。運動負荷は2.4[W],4.8[W],7.2[W]の3段階の変化を5分ごとに切り替えることで負荷の増減を再現した。エアロバイク(登録商標)では休憩を行わなかったため、前半の25分間を擬似的にウォーミングアップとみなし、以降の35分間を評価用データセットとした。また、全ての実験において水分摂取は行わなかった。
【0100】
図13にエアロバイク(登録商標)運動における平均絶対誤差を示す。結果より、改良手法によって平均誤差0.20℃で深部体温を推定可能であり、DEFよりも誤差を低減できることが示されている。この理由として、実測の深部体温1点を計測することにより、エアロバイク(登録商標)の負荷変動に対する深部体温の追随の遅れや個人差パラメータを適切に定めることができたからであると考えられる。また、ウォーキング(
図9)と同様に、ランニング(
図10)よりも平均誤差が総じて小さい。この結果から、歩行やエアロバイク(登録商標)のような比較的負荷の小さい運動においては通常モデルでも0.3℃未満の誤差で深部体温を推定可能である一方で、負荷が大きい場合には個人差パラメータの調整が効果的であることが分かった。
【0103】
実際のスポーツにおける適用例として、2日間で被験者6人が合計20時間のテニスの練習を行った際のデータを収集した。それぞれの日の実験環境を表10に示す。全ての被験者のテニス経験は5年以上であり、両日とも合計3時間以上のテニスの基礎練習、および試合を行った。各日程における練習メニューは
図14に示す通りである。両日とも始めに基礎練習を行ったため、この基礎練習をウォーミングアップ期間とみなし、以降の試合の期間を評価のためのデータセットとした。被験者には自由に休憩、給水を行うように指示し、1日一人あたり平均1475[ml]の水分を補給した。また運動開始前、および休憩中に赤外線鼓膜温度計を用いて深部体温を計測した。計測したタイミングは
図14内に、×印で示した。
【0104】
さらに、運動に伴う外的仕事率を推定するため、靴に加速度センサSpeed Cell(adidas製)を装着した。このセンサでは5秒間ごとの平均速度を取得することができるため、被験者が静止しているか動いているかの判別が可能である。ここでは、5[km/hour]以上の速さである場合を走っているものとみなし、それ未満の場合に静止しているものとみなした。得られた5秒ごとの速度に対し、速度に応じた外的仕事率を求め、得られた外的仕事率の1分間の平均値を求めることでその時点での外的仕事率Δeff を求めた。
【0105】
図15、および
図16に両日の深部体温の平均推定誤差を示す。前記(評価環境)で述べたとおり、テニスでは深部体温を常時計測することが困難であるため、
図14に示す計測タイミングにおける深部体温の誤差を評価する。結果より、提案手法による平均推定誤差が0.28℃,0.30℃となっており、OPTと同等の精度が得られていることが分かる。DEFと比較すると誤差の減少率はそれぞれ58%,42%であり、改良手法のパラメータ調整方式、および改良モデルの有効性を確認できた。一方、DEFではウォーキング、ランニング、エアロバイク(登録商標)運動と比較して誤差が非常に大きい。この結果より、通常モデルでは複雑な負荷変動や水分補給、風などを含む複雑な運動における深部体温推定が困難であることが分かった。
【0106】
さらに両日の被験者の深部体温の推定例を、
図17、
図18に示す。各図では横軸が時間経過を示し、赤外線鼓膜温度計で計測した深部体温を点(REAL)で示す。この結果より、休憩に入ると体温が低下するといった傾向はDEFにおいても再現しているものの、パラメータ調整により絶対値が実測により近づいていることが分かる。以上の結果より、改良手法によりモデルのパラメータを調整したことが高精度な深部体温推定に有効であったといえる。
【0107】
本実施形態では、Gaggeの2ノードモデルを用いて運動中の深部体温を推定する手法を示した。かつ、さらに高精度な推定のため、ウォーミングアップ終了時に計測した深部体温の値に基づく個人差パラメータ調整方式、およびモデル式の改良を行った。のべ120時間超の運動データにより改良手法を評価した結果、1点のみの深部体温の観測によって、より推定誤差の小さい個人差パラメータを選択できることが分かった。さらに、休憩などを含めて負荷変動のある複雑な運動においても、改良手法によって従来のモデルより高精度に深部体温を推定可能であることを確認した。