【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成27年度、国立研究開発法人日本医療研究開発機構、「医療分野研究成果展開事業 先端計測分析技術・機器開発プログラム」「分子構造指標を用いた生体関連分子の細胞内動態観察装置の開発」委託研究開発、産業技術協力強化法第19条の適用を受ける特許出願
【文献】
伊藤 輝将 他,広帯域レーザパルスのスペクトル位相計測・制御を用いたコヒーレントラマン顕微分光,電子情報通信学会技術研究報告,2016年 5月12日,Vol.116, No.52,pp.49-54
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
前記検出部は、前記散乱光の位相スペクトルにおいて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルが存在しない周波数領域の位相のオフセット値を前記基準位相として取得する 請求項1〜請求項3のいずれか1項に記載の光検出装置。
第1の帯域を有する第1のパルス光を発生する第1のレーザ光源と、前記第1の帯域より狭い第2の帯域を有する第2のパルス光を発生する第2のレーザ光源と、前記第2のパルス光を複数の位相で変調するとともに前記第1のパルス光に対し0を含む予め定められた時間だけ遅延させ複数の位相変調パルス光として出力する位相変調部と、前記第1のパルス光と前記複数の位相変調パルス光とを合波し合波パルス光として出力する合波部と、前記合波パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光し受光する受光部と、前記受光部で受光された前記散乱光の周波数スペクトルから特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部と、を含む光検出装置を用いた光検出方法であって、
前記検出部により、前記複数の位相変調パルス光に同期する複数の周波数スペクトルから前記第1のパルス光と前記第2のパルス光の位相差を基準位相として取得するとともに、前記複数の周波数スペクトルの位相を前記基準位相に揃えることにより前記散乱光の周波数スペクトルに基づいて取得される複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し前記虚部を用いて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する
光検出方法。
第1の帯域を有する第1のパルス光を発生する第1のレーザ光源と、前記第1の帯域より狭い第2の帯域を有する第2のパルス光を発生する第2のレーザ光源と、前記第2のパルス光を複数の位相で変調するとともに前記第1のパルス光に対し0を含む予め定められた時間だけ遅延させ複数の位相変調パルス光として出力する位相変調部と、前記第1のパルス光と前記複数の位相変調パルス光とを合波し合波パルス光として出力する合波部と、前記合波パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光し受光する受光部と、を含む光検出装置を制御するための光検出プログラムであって、
コンピュータを、
前記受光部で受光された前記散乱光の周波数スペクトルから特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部であって、前記複数の位相変調パルス光に同期する複数の周波数スペクトルから前記第1のパルス光と前記第2のパルス光の位相差を基準位相として取得するとともに、前記複数の周波数スペクトルの位相を前記基準位相に揃えることにより前記散乱光の周波数スペクトルに基づいて取得される複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し前記虚部を用いて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部
として機能させるための光検出プログラム。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
ところで、複数の振動準位、あるいは複数の分子種を同時に観測するためには、広帯域の振動スペクトルの一括測定が必須となる。このためには、多くの光周波数を一括して含む広帯域光源、すなわち超短パルス光源が必要となる。
【0013】
しかしながら、広帯域の超短パルスの光源を用いることで、CARS光信号の周波数分解能が下がってしまう。CARS光信号も広帯域となるため、ラマンシフトの正確な値を得ることが困難となるからである。また、超短パルスは先頭出力(ピークパワー)が高いため、非共鳴バックグラウンド(Non Resonant Background:NBR)も同時に発生し、観測対象のCARS光信号を覆い尽くしてしまう。
【0014】
すなわち、共鳴成分であるCARS光を含む信号光には、上記非共鳴バックグラウンドと呼ばれる光成分が重畳されることが知られている(非特許文献1)。
図15(a)は、非共鳴バックグラウンドの発生過程の一例を示している。まず、初期状態のエネルギー準位L1において、角周波数ω1を持った第1のパルス光の入射によって試料の分子が励起され、そのエネルギー準位が矢印Eで示すように仮想的な準位L6まで上がる。そして、角周波数ω2を持った第2のパルス光を入射させることにより、矢印Fで示すようにエネルギー準位がさらに仮想的な準位L7まで上がる。さらに角周波数ω3を持った第3のパルス光を入射させることにより、分子のエネルギー準位は、矢印Gで示すように、仮想的な準位L7から仮想的な準位L5に下がり、光の発生によって矢印Hで示すように、仮想的な準位L5から準位L1に下がる。仮想的な準位L5から準位L1への遷移で発生した光が非共鳴バックグラウンドである。
【0015】
図15(b)は、入射パルス光のスペクトルSP、CARS光のスペクトルSC、および非共鳴バックグラウンドのスペクトルSNの各スペクトルを示したものである。
図15(b)では、直感的な理解のために5つのスペクトルSNで示しているが、実際の非共鳴バックグラウンドは離散的なスペクトルではなく、連続的なスペクトルを有して発生する。上述では、理解の容易化の観点から、仮想的な準位L5ないしL7を介して非共鳴バックグラウンドが発生するとして説明したが、実際の非共鳴バックグラウンドは振動準位を介さないで発生するからである。
【0016】
上記のような連続的なスペクトルを有する非共鳴バックグラウンドが発生すると、CARS光はその非共鳴バックグラウンドの中に埋もれてしまう。このように非共鳴バックグラウンド内に埋もれてしまったCARS光の抽出は非常に困難である。また、非共鳴バックグラウンドは、ラマン光の検出においてノイズとして作用し、この影響により、得られる画像のコントラストが下がったり、またスペクトルのシフトや歪み等の悪影響が発生したりする。
【0017】
さらに、一般にCARS光は非線形光学効果に起因しているために、極めて強度が弱い。また、生体内の分子の観察においては、観察対象を保護するために入射パルス光の照射光強度をなるべく低くすることが要求されており、その場合には、信号光に含まれるCARS光はさらに弱くなる。
【0018】
上記のように、ノイズに埋もれた弱い光を観測する一方法として、入射パルス光に対しランダムな位相変調をかけて試料に照射し、発生した信号光の光強度を複数取得し、取得した複数の光強度に対する数値解析(信号処理)からラマン光を検出する方法が知られている。本検出方法は、いわば擬似的な位相敏感検波を用いた検出方法である。本方法では、入射パルス光に対しランダムな位相位置の位相変調を施して試料に照射し、試料において散乱した信号光の中から、当該位相変調が施された信号を正弦波近似して再現し、抽出する。
【0019】
しかしながら、本検出方法では、実用的な感度でCARS光を検出するために、数100個(たとえば、500個)レベルの位相変調を必要とし、測定に多大な時間を要する点が問題であった。また、複数のランダムな位相を適用していることから、ノイズの除去、あるいは感度の点でも不十分であった。
【0020】
上記の問題の解決を目的とした光検出装置として、特許文献2に開示された励起・プローブ型の光検出装置が知られている。特許文献2に開示された光検出装置は、第1パルス光を発生する光源、第1パルス光が示す周波数スペクトルの一部から成る第2パルス光を透過し第1パルス光が示す周波数スペクトルの他部から成る第3パルス光を反射するバンドパスフィルタ、第2パルス光に対して複数の位相で位相変調する光変調器、第3パルス光と光変調器で位相変調された第2パルス光とを合波して第4パルス光とする合波器、および第4パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光して検出する分光器を備えている。
【0021】
特許文献2に開示された光検出装置では、第3パルス光が広帯域の励起光として作用し、第2パルス光がプローブ光として作用する。特許文献2に開示された光検出装置では、位相変調するための変調位相として、例えば直交する4つの位相を用いている。そして、分光器で検出された散乱光の周波数スペクトルから、光変調器で位相変調された第2パルス光によって散乱した散乱光の周波数スペクトルを、光変調器における位相変調と同期させた所定の演算処理により抽出する。以下、特許文献2に開示された光検出方法を「従来技術に係る直交4位相法」といい、従来技術に係る直交4位相法で行われる信号処理を「従来技術に係る光検出信号処理」といい、従来技術に係る光検出信号処理を行う光検出装置を「従来技術に係る光検出装置」という場合がある。
【0022】
上記の特許文献2に開示された光検出装置によれば、ランダムな位相変調を適用した従来技術と比較して、格段の検出時間の短縮をもたらした。しかしながら、特許文献2に開示された光検出装置は、励起光とプローブ光とがバンドパスフィルタで分岐、合波される干渉計型の構成であるために、プローブ光の光路に配置された光変調器の温度特性等に起因する光路長ゆらぎ等が原因でCARS光(信号)の相対位相が常に変動するという問題があった。
【0023】
CARS光の相対位相が常に変動している特許文献2に開示された光検出装置でも、ラマン信号を正しく検出できるのは以下の理由による。すなわち、特許文献2に開示された光検出装置では、第1に、直交4位相法の光検出信号処理が複素非線形感受率χ(3)の振幅の絶対値を求めるアルコリズムであり、相対位相を用いていないからである。第2に、励起光に対するプローブ光の遅延時間を、プローブ光のパルス幅より大きくしているため、相対位相の情報が無くても実質的にラマン散乱由来の成分だけを取得できているからである。
【0024】
しかしながら、さらなる高感度化、あるいは高速信号取得化のためには、励起光に対するプローブ光の遅延時間をなるべく小さくして、励起直後の強いラマン振動成分を効率良く取得する方法が必要となってきている。
【0025】
一方、特許文献3には、CARS過程において生成される反ストークス信号から非共鳴バックグラウンドを除去することを目的とした光検出装置が開示されている。共鳴CARS信号は実成分および虚数成分を有し、虚数成分は自発ラマンスペクトルに直接関係し、NRB信号は実成分のみを有することが知られている。特許文献3に開示された光検出装置では、CARS信号全体の虚数成分を回復することを狙いとし、直交偏光において2つのCARS信号を同時生成させる。すなわち、一方が、実成分に破壊的に干渉する(すなわち実成分から減算される)虚数成分を有する直線偏光であり、他方が、それらに建設的に干渉する虚数成分を有する直線偏光である。これら2つの偏光を測定し、それらを減算することによって信号の実部を相殺し、虚数成分のみを残す。このような手順によって、特許文献3に開示された光検出装置では、CARS過程において生成される反ストークス信号からの非共鳴バックグラウンドを除去している。
【0026】
しかしながら、特許文献3に開示された光検出装置は、複素非線形感受率χ(3)の分離のために直線偏光を用いる方式であり、本発明のように複数個の変調位相で位相変調されたプローブ光を用いて取得されたCARSスペクトルから、演算処理によって複素非線形感受率の実部と虚部とを分離する方法とは根本的に異なる方式である。
【0027】
すなわち、特許文献3に開示された光検出装置では、偏光分離を用いることを必須としている。一般に、偏光分離を用いる方法では、層構造を持つ生体組織のような線形複屈折がある試料に対しては大きなアーティファクトを生ずる(例えば、C. W. Freudiger et al.J. Phys. Chem. B, 2011, 115 (18), pp 5574-5581参照)。従って、生体試料観察の観点からは、同じ偏光のプローブ光でラマン光と非共鳴光とを分離できるようにしたいという要求が強い。
【0028】
本発明は、以上のような背景に鑑みてなされたものであり、簡易な構成で、微弱光を高速、高感度に検出可能な光検出装置、光検出方法および光検出プログラムを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0029】
上記目的を達成するために、請求項1に記載の光検出装置は、第1の帯域を有する第1のパルス光を発生する第1のレーザ光源と、前記第1の帯域より狭い第2の帯域を有する第2のパルス光を発生する第2のレーザ光源と、前記第2のパルス光を複数の位相で変調するとともに前記第1のパルス光に対し0を含む予め定められた時間だけ遅延させ複数の位相変調パルス光として出力する位相変調部と、前記第1のパルス光と前記複数の位相変調パルス光とを合波し合波パルス光として出力する合波部と、前記合波パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光し受光する受光部と、前記受光部で受光された前記散乱光の周波数スペクトルから特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部であって、前記複数の位相変調パルス
光に同期する複数の周波数スペクトルから前記第1のパルス光と前記第2のパルス光の位相差を基準位相として取得するとともに
、前記複数の周波数スペクトルの位相を前記基準位相に揃えることにより前記散乱光の周波数スペクトルに基づいて取得される複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し前記虚部を用いて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部と、を含むものである。
【0030】
また、請求項2に記載の発明は、請求項1に記載の発明において、前記予め定められた時間が前記第2のパルス光のパルス幅より小さいものである。
【0031】
また、請求項3に記載の発明は、請求項1または請求項2に記載の発明において、前記第1のパルス光の分散を補償し前記第1のパルス光をフーリエ限界パルスに近似したパルスとする分散補償部をさらに含むものである。
【0032】
また、請求項4に記載の発明は、請求項1〜請求項3のいずれか1項に記載の発明において、前記検出部は、前記散乱光の位相スペクトルにおいて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルが存在しない周波数領域の位相のオフセット値を前記基準位相として取得するものである。
【0033】
また、請求項5に記載の発明は、請求項1〜請求項4のいずれか1項に記載の発明において、前記第1のレーザ光源は超短パルスレーザを用いた光源であり、前記第2のレーザ光源は前記第1のレーザ光源の出力を分岐するとともに帯域を制限して構成されたものである。
【0034】
また、請求項6に記載の発明は、請求項1〜請求項5のいずれか1項に記載の発明において、前記第1のパルス光を励起光とし、前記複数の位相変調パルス光をプローブ光とし、前記散乱光の周波数スペクトルがコヒーレントアンチストークスラマン散乱光の周波数スペクトルであるものである。
【0036】
また、請求項
7に記載の発明は、請求項1〜請求項
6のいずれか1項に記載の発明において、前記複数の位相が直交する4つの位相であり、前記4つの位相のうち位相がπだけ異なる位相変調パルス
光に同期する周波数スペクトルの差分の一方をX、他方をYとした場合、前記検出部は、前記基準位相を、式−tan
−1(Y/X)の算出結果から取得するものである。
【0037】
上記目的を達成するために、請求項
8に記載の光検出方法は、第1の帯域を有する第1のパルス光を発生する第1のレーザ光源と、前記第1の帯域より狭い第2の帯域を有する第2のパルス光を発生する第2のレーザ光源と、前記第2のパルス光を複数の位相で変調するとともに前記第1のパルス光に対し0を含む予め定められた時間だけ遅延させ複数の位相変調パルス光として出力する位相変調部と、前記第1のパルス光と前記複数の位相変調パルス光とを合波し合波パルス光として出力する合波部と、前記合波パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光し受光する受光部と、前記受光部で受光された前記散乱光の周波数スペクトルから特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部と、を含む光検出装置を用いた光検出方法であって、前記検出部により、前記複数の位相変調パルス
光に同期する複数の周波数スペクトルから前記第1のパルス光と前記第2のパルス光の位相差を基準位相として取得するとともに
、前記複数の周波数スペクトルの位相を前記基準位相に揃えることにより前記散乱光の周波数スペクトルに基づいて取得される複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し前記虚部を用いて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出するものである。
【0038】
上記目的を達成するために、請求項
9に記載の光検出プログラムは、第1の帯域を有する第1のパルス光を発生する第1のレーザ光源と、前記第1の帯域より狭い第2の帯域を有する第2のパルス光を発生する第2のレーザ光源と、前記第2のパルス光を複数の位相で変調するとともに前記第1のパルス光に対し0を含む予め定められた時間だけ遅延させ複数の位相変調パルス光として出力する位相変調部と、前記第1のパルス光と前記複数の位相変調パルス光とを合波し合波パルス光として出力する合波部と、前記合波パルス光が対象物に照射されて発生した散乱光を分光し受光する受光部と、を含む光検出装置を制御するための光検出プログラムであって、コンピュータを、前記受光部で受光された前記散乱光の周波数スペクトルから特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部であって、前記複数の位相変調パルス
光に同期する複数の周波数スペクトルから前記第1のパルス光と前記第2のパルス光の位相差を基準位相として取得するとともに
、前記複数の周波数スペクトルの位相を前記基準位相に揃えることにより前記散乱光の周波数スペクトルに基づいて取得される複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し前記虚部を用いて前記特定の物質に起因する周波数スペクトルを検出する検出部として機能させるためのものである。
【発明の効果】
【0039】
本発明によれば、簡易な構成で、微弱光を高速、高感度に検出可能な光検出装置、光検出方法および光検出プログラムを提供することが可能となる。
【発明を実施するための形態】
【0041】
以下、図面を参照して、本発明を実施するための形態について詳細に説明する。本発明においては、光源からのパルス光に対して位相変調する際の複数の変調位相は、相互に直交していてもよいし直交していなくともよいが、本実施の形態では、理解のし易さの観点から、直交する4位相で位相変調する方法(直交4位相法)を例示して説明する。
【0042】
本実施の形態に係る直交4位相法は、超短パルス光の広帯域スペクトルの一部に位相変調を施して試料に照射し、試料において発生した信号光から位相変調されたスペクトルと同期した周波数成分を抽出し、観測する。すなわち、広帯域スペクトルの一部である狭帯域のパルス光に対して、最も大きなスペクトル変化が得られる複数の直交位相を指定して位相変調を施す。そして、得られた4位相に対応する強度スペクトルに本実施の形態に係る光検出信号処理を施して複素非線形感受率の実部と虚部とを分離し、分離された虚部からCARS信号を分離する。なお、本実施の形態においては、「直交」を、2つの信号の積を積分した場合に0となるという通常の意味で用いている。
【0043】
図1を参照しつつ、本発明の概要について、より具体的に説明する。
図1は、本発明に係る光検出方法の手順を示しており、同図は、試料において発生したCARS光をスペクトル情報として抽出する場合を例示している。
【0044】
図1に示すように、まず、手順T1で、光源のパルス光について狭帯域成分を有するパルス光(第1のパルス光)と広帯域成分を有するパルス光(第2のパルス光)とに分波する。
【0045】
つぎの手順T2では、第2のパルス光に対して第1のパルス光を遅延時間τだけ遅延させる。なお、本実施の形態では、遅延時間τはτ=0を含むものとしている。
【0046】
つぎの手順T3では、手順T2で遅延させた第1のパルス光に対して、予め定められた直交する複数の位相で位相変調を施す。
つぎの手順T4では、位相変調された第1のパルス光と、第2のパルス光とを合波する。
【0047】
つぎの手順T5では、当該合波された光を試料に照射する。
つぎの手順T6では、試料において発生した信号光を分光する。
【0048】
つぎの手順T7では、分光した信号光を受光部に入射させ電気信号に変換する。
つぎの手順T8では、当該電気信号に対し所定の光検出信号処理を実行することにより、CARS光のスペクトルを抽出する。
【0049】
以上の手順により、試料に含まれる分子の振動を反映したCARS光のスペクトルを得ることができる。
【0050】
図2に、本実施の形態に係る光検出装置10を示す。光検出装置10は、光源12、分散調整部40、変調部42、分光器16、受光部18、制御部20、バンドパスフィルタ24、ショートパスフィルタ28、対物レンズ30、32、およびハーフミラー54を含んで構成されている。
【0051】
光源12は、光検出装置10において、ラマン散乱過程における、励起光、ストークス光、およびプローブ光の各々に対応する光を発生させる光源である。本実施の形態に係る光検出装置10では、光源12に広帯域のパルス光を発生する超短パルスレーザを用いている。光源12には戻り光を遮断するためのアイソレータ44が設けられる場合もある。
ただし、アイソレータ44は必要に応じて設ければよいものであり、必須のものではない。
【0052】
バンドパスフィルタ24は、光源12から出射したパルス光PAについて、一部を透過させて狭帯域のパルス光PBとし、他部を反射させて広帯域のパルス光PDとする狭帯域バンドパスフィルタである。また、本実施の形態に係るバンドパスフィルタ24は、位相変調されたパルス光PCと、分散調整部40で折り返されたパルス光PDとを合波し、試料26に照射するパルス光PEとする機能を兼用している。
【0053】
なお、本実施の形態では、バンドパスフィルタ24について、パルス光PAとパルス光PBとを分波する機能と、パルス光PCとパルス光PDとを合波する機能と、を兼用した形態を例示して説明するが、これに限られず、これらを別の素子を用いて構成してもよい。この場合には、合波する素子として、通常のハーフミラーを用いればよい。
【0054】
分散調整部40は、回折格子46、反射鏡48、SLM(Spatial Light Modulator:空間光変調器)50、および凹面鏡52を含んで構成されている。分散調整部40は、パルス光PAの分散を補償して広帯域(狭パルス幅)のパルス光PDに変換する部位である。すなわち、分散調整部40では、回折格子46で角度(波長)分散されたパルス光PAが凹面鏡52でコリメート化(平行化)され、反射鏡48で反射されてSLM50に入射する。SLM50では、SLM50の面上における所定の位置方向が角度分散された各波長の方向に変換される。つまり、SLM50の面上における位置(ピクセル)が角度分散された各波長に対応することになるので、各波長ごとにその位相を制御することが可能となる。以上のような分散調整部40の動作によって、パルス光PAに含まれる各波長ごとの位相が調整され、分散が補償されたパルス光PDとして出力される。
【0055】
変調部42は、光変調器14および可動ミラー34を含んで構成されている。可動ミラー34は、パルス光PBの光学遅延量を大まかに調整するとともに、入射方向に折り返す部位である。
【0056】
光変調器14は、バンドパスフィルタ24で分波されたパルス光PBに対し直交4位相法における4つの位相に対応させて変調を行い、4つの位相に対応するパルス光を生成し、パルス光PCとして出力する部位である。本実施の形態では、光変調器14の一例として、電気光学効果により光の位相を変調するLN(リチウムナイオベート;LiNbO
3)変調器を用いた形態を例示して説明するが、これに限られない。たとえば、駆動機構の付いた反射鏡等の、機械的に光の位相を遅延させる構成を用いた形態としてもよい。
【0057】
ハーフミラー54は、光源12からのパルス光PAを透過させ、試料26に照射するパルス光PEを反射させる半透過型のミラーである。
【0058】
対物レンズ30は、バンドパスフィルタ24で合波されたパルス光PEを試料26に対して集光し、照射するレンズである。対物レンズ32は、試料26において発生した信号光であるパルス光PF(CARS光とともに励起光等も含まれている)を集光し、分光器16に導くレンズである。
【0059】
対物レンズ30および試料26の少なくとも一方を動かすことにより、試料26におけるパルス光PEの照射位置を走査する(スキャンする)ことができる。この場合、対物レンズ30および試料26の少なくとも一方に、紙面に垂直な平面内で移動させることが可能な駆動機構、たとえばピエゾ素子を用いた駆動機構を設けてもよい。
【0060】
ショートパスフィルタ28は、パルス光PFからCARS光より圧倒的に光強度が大きい励起光(試料26を透過しただけの光)の成分を除去してパルス光PGとし、CARS光を抽出し易くするための長波長カットフィルタである。なお、励起光の除去は励起光の一部であってもよい。また、ショートパスフィルタ28は、励起光の強度等に応じて適宜に設ければよいもので、必須のものでもない。
【0061】
分光器16は、パルス光PGを分光するとともに分光した光を受光部18に導く部位であり、特に制限なく一般的なスペクトロメータを用いて構成することができる。
【0062】
受光部18は、分光されたCARS光を含む光を受光する部位であり、本実施の形態では、一例として、CCDを用いている。受光部18としては、CCDに限定されず、たとえば光電子増倍管、フォトダイオード等の他の受光素子を用いることもできる。
【0063】
制御部20は、試料26から発生したCARS光を含むパルス光PGから、CARS光の周波数成分を抽出する光検出信号処理を行うための部位である。制御部20の内部に、あるいは外付けで、光変調器14の駆動電圧を変えて位相変調を行うための電気信号を発生する信号発生器(シグナルジェネレータ)が設けられる場合もある。この場合制御部20は、該信号発生器を制御して、光変調器14を位相変調するための駆動電圧の波形制御等を行う。制御部20は、一般的なパーソナル・コンピュータ等を用いて構成することができる。
【0064】
反射鏡36A、36B、36Cは、光路を変換するためのミラーである。
【0065】
つぎに、
図3を参照して、本実施の形態に係る光変調器14で行われる位相変調についてより具体的に説明する。
【0066】
本実施の形態に係る光検出装置10では、広帯域スペクトルの一部である狭帯域のパルス光PBに対して、最も大きなスペクトル変化が得られる4つの位相を指定して位相変調を施す。本実施の形態では、4つの位相として直交する4つの位相、すなわち基準となる位相をθとした4つの位相、θ、θ+π/2、θ+π、θ+3π/2を用いている。
【0067】
つまり、
図3(a)示すように、本実施の形態では、パルス光PBの光の波形WOの1周期に対して、基準位相位置M
0の位相0、位相位置M
1の位相π/2、位相位置M
2の位相π、位相位置M
3の位相3π/2で位相変調を行っている。
【0068】
図3(b)は、上記位相変調を行う際に光変調器14に印加する駆動電圧波形の一例を示しており、同図に示すように、本実施の形態では階段状の駆動電圧波形を採用している。本実施の形態に係る光変調器14はLN変調器を採用しているため、当該光変調器の駆動信号として電圧信号を用いる。
【0069】
図3(b)において、V
0、V
1、V
2、およびV
3は、各々
図3(a)の位相位置M
0、M
1、M
2およびM
3において印加する駆動電圧を示しており、したがって、各々、0、π/2、π、3π/2の位相変化をパルス光PBに付与する。なお、
図3(b)に示されたV
πは、LN変調器の半波長電圧、すなわち光信号に対してπの位相変化を付与する駆動電圧を示している。また、本実施の形態に係る光検出装置10では、各駆動電圧の周期Tを、一例として1ms(ミリ秒)としている。
【0070】
なお、本実施の形態では、上記変調位相は4つの位相の相対的な関係(つまり、π/2の位相差)が維持されればよく、位相の絶対値は問題とならない。
【0071】
本実施の形態に係る光検出装置10では、上記光変調器14の駆動電圧は図示しない信号発生器から供給され、また、該信号発生器で発生させる電圧の波形は制御部20によって制御される。また、光変調器14において施される位相変調に関する条件、たとえば、位相変調数、各位相位置の変調位相、各位相変調に適用する駆動電圧等は、制御部20内に設けられた図示しないROM(Read Only Memory)あるいはNVM(Non volatile Memory)等の記憶手段に格納しておいてもよい。
【0072】
また、本実施の形態では、光変調器14に印加する駆動電圧の波形として階段状の波形を例示して説明したが、これに限られず、たとえば各々の駆動電圧(V
0、V
1、V
2、V
3)のピーク値を有するパルス状の波形としてもよい。
【0073】
つぎに、
図4および
図5を参照して、上記パルス光PAないしパルス光PGのパルス波形およびスペクトルについて説明する。
図4(a)ないし
図4(d)は、パルス光PAないしパルス光PDの各々のパルス波形(横軸が時間tであり、縦軸が光強度I)、およびスペクトル(横軸が波長λであり、縦軸が光強度I)を示している。また、
図5(a)ないし
図5(c)は、パルス光PEないしパルス光PGの各々のパルス波形、およびスペクトルを示している。
【0074】
図4(a)に示すように、本実施の形態に係るパルス光PA(光源12からの出射光)は、広帯域のスペクトルS1を有し、パルス幅がフェムト秒オーダーの超短パルスレーザ光である光パルスP1である。より具体的には、光源12の一例として、中心波長が約800nm、パルス幅がフェムト秒オーダー(たとえば、10fs)、帯域幅が100nm(1600cm
−1)であるチタン・サファイアレーザを用いられる。
【0075】
図4(b)に示すように、パルス光PAがバンドパスフィルタ24でパルス光PBとして透過、分波されると、狭帯域のスペクトルS2を有する光パルスP2となる。本実施の形態に係る光検出装置10では、パルス光PBの帯域幅は、たとえば約4nm(60cm
−1)とされる。
【0076】
図4(c)は、パルス光PBが光変調器14によって複数の位相で変調され、パルス光PCとして出力された状態を示している。
図4(c)に示すように、光パルスP3が複数の位相で位相変調されると、位相変調の数(本実施の形態では4つ)だけずれた位相で、後述の光強度Iの測定を行うことが可能となる。なお、光パルスP3のスペクトルS3は、光変調器14での位相変調に起因するスペクトル上の微小な変動を除き、基本的に上記スペクトルS2と同じものである。
【0077】
一方、
図4(d)は、バンドパスフィルタ24で反射された後、分散調整部40で分散補償されたパルス光PDを示しており、パルス光PDは、広帯域のスペクトルS4を有する光パルスP4で構成されている。
図4(d)に示すように、スペクトルS4は、スペクトルS1からスペクトルS3に相当する部分が減算されたスペクトルとなっている。
【0078】
上記パルス光PCとパルス光PDとがバンドパスフィルタ24で合波されると、
図5(a)に示すように、スペクトルS5を有する光パルスP5および光パルスP6となる。これらの光パルスがパルス光PEを構成している。光パルスP5がパルス光PDに対応し、光パルスP6がパルス光PCに対応している。なお、本実施の形態に係る光検出装置10では、上記パルス光PDが励起光として作用し、パルス光PCがプローブ光として作用する。
【0079】
パルス光PEが試料26に照射されると、
図5(b)に示すように、スペクトルS6およびS7を含む信号光がパルス光PFとして発生する。スペクトルS7はCARS光に対応するスペクトルであり、スペクトルS6は主として励起光に対応するスペクトルである。また、
図5(b)に示すように、スペクトルS7には、スペクトルマーカーSmが含まれている。なお、
図5(b)では1つのスペクトルS7を示しているが、本実施の形態に係る光検出装置10では広帯域光を用いて励起しているので、実際には同時に複数のCARS光が発生する。
【0080】
本実施の形態において「スペクトルマーカー」とは、光変調器14による位相変調に起因し、試料26から発生したCARS光と非共鳴スペクトルとが干渉した結果発生する信号光のスペクトルの変動部分をいう。当該スペクトルの変動部分の変動形状はいわば正弦波状の形状をなしており、
図4(c)のようにパルス光PBの位相をずらすと、その正弦波状の形状の位相が波長λ軸方向にずれる。本実施の形態においては、この変動部分、すなわちスペクトルマーカーをラマンシフトの標識として用いている。つまり、
図5(b)において点線で示したスペクトルS6に含まれるスペクトルS3の中心波長から、スペクトルマーカーSm部の波長までの波長差Δλがラマンシフトに対応している。
【0081】
このように、本実施の形態に係る光検出装置10では、CARS光を含む狭帯域成分をマーキングすることにより、周波数分解能を向上させている。なお、
図5(b)では1つのスペクトルマーカーSmについて示しているが、実際には複数のCARS光に対応して複数のスペクトルマーカーSmが発生する。
【0082】
パルス光PFがショートパスフィルタ28を通過すると、
図5(c)に示すように、主として励起光のスペクトルであるスペクトルS6の所定部分が除かれて、スペクトルマーカーSmを有するCARS光のスペクトルS8が主として抽出される。実際には、上述した非共鳴バックグラウンドのスペクトルもスペクトルS8の周囲に発生しており、これらのスペクトルの一部も同時にショートパスフィルタ28を通過する。
【0083】
つぎに、
図6を参照して、本実施の形態に係る光検出装置10で実行される光検出処理について説明する。
図6は、本実施の形態に係る光検出処理プログラムの処理の流れを示すフローチャートである。
【0084】
本実施の形態に係る光検出装置10では、
図6に示す処理は、制御部20等を介して光検出の開始を指示することで、制御部20内に備えられた図示しないCPUがROM等の記憶手段に記憶された光検出処理プログラムを読み込み、実行することによりなされる。
【0085】
また、本実施の形態では、本光検出処理プログラムをROM等の記憶手段に予め記憶させておく形態を例示して説明するが、これに限られない。たとえば、本光検出処理プログラムがコンピュータにより読み取り可能な可搬型の記憶媒体に記憶された状態で提供される形態、有線または無線による通信手段を介して配信される形態等を適用してもよい。
【0086】
さらに、本実施の形態では、本光検出処理を、プログラムを実行することによるコンピュータを利用したソフトウエア構成により実現しているが、これに限らない。たとえば、ASIC(Application Specific Integrated Circuit)を採用したハードウエア構成や、ハードウエア構成とソフトウエア構成の組み合わせによって実現してもよい。
【0087】
図6に示すように、まずステップS100で、制御部20内に設けられた図示しないROMあるいはNVM等の記憶手段から、光変調器14における位相変調条件(変調位相数、各変調位置での変調位相、各位相変調に適用する駆動電圧等)を読み込む。
【0088】
つぎのステップS102では、ステップS100で読み込んだ位相変調条件に基づいて、変調位相数N(本実施の形態では、N=4)を設定し、つぎのステップS104では、図示しない信号発生器に対し光変調器14を駆動するための駆動電圧、駆動波形等の設定を行う。
【0089】
つぎのステップS106では、変調位相数Nのカウンタであるiを1にセットする。
【0090】
つぎのステップS108では、光変調器14によって位相θ(i)における位相変調を実行し、つぎのステップS110で、位相θ(i)で変調した場合の光強度I(i)を取得する。
【0091】
つぎのステップS112では、カウンタiがNより大きいか否かを判定し、当該判定が否定判定となった場合には、ステップS114でカウンタiを1インクリメントしてステップS108に戻り、位相θ(i+1)での位相変調を継続する。
【0092】
一方、ステップS112で肯定判定となった場合には、ステップS116に移行し、各位相θ(i)で変調して取得した光強度I(i)に基づいて、CARS光のスペクトルを抽出する光検出信号処理を行う。CARS光のスペクトルを抽出する本光検出信号処理は、光変調器14での位相変調と同期させて行う。本光検出信号処理の詳細については後述する。
【0093】
ステップS118では、ステップS116で行った光検出信号処理の結果得られたスペクトルを表示し、その後本光検出処理プログラムを終了する。
【0094】
ところで、本実施の形態に係る光検出装置10では、試料26に照射する照射光として励起光とプローブ光を用いているが、
図7を参照し、励起光とプローブ光との波形の重なりの影響について説明する。
図7(a)は、励起光パルスPeとプローブ光パルスPpとが重ならないように、励起光パルスPeに対するプローブ光パルスPpの遅延時間τ
Lを長くした場合の図である。一方、
図7(b)は、励起光パルスPeとプローブ光パルスPpとが一部重なるように遅延時間τ
Sを短くした場合の図である。
【0095】
上述したように、従来技術においてはCARS光(CARS信号)の相対位相の情報を欠いているので、基本的に励起光パルスPeとプローブ光パルスPpとを
図7(a)にように、十分離隔させて配置する必要がある。これは、
図7(b)示すように励起光パルスPeとプローブ光パルスPpとが近づくと、位相変調されたプローブ光パルスPpが、励起光パルスPeによって誘起された瞬時的な屈折率変化による変調を受けるため、非共鳴光スペクトル全体が振動するような振る舞いを示すことによる。非共鳴スペクトルがこのような振る舞いを示す状態では正しいスペクトルを測定できないため、従来技術においてはスペクトル全体の振動が抑制されるような遅延時間τ
Lを与えることでこの問題を回避していた。
【0096】
しかしながら、
図7(a)に示すような励起光パルスPeとプローブ光パルスPpの配置では、緩和時間の速い振動ほどCARS信号のスペクトラム強度を取得しにくくなる。
つまり、振動の緩和時間が速い物質の検出が困難になる。
【0097】
そこで、本実施の形態では、光検出装置10で取得した非共鳴光の4位相変調時の強度変動から、励起光とプローブ光の相対位相差(光路長)の基準値(基準位相)を検出している。そして、該基準位相に4位相の出力波形を揃えることで、複素非線形感受率χ(3)の実部(入射強度と同相の屈折率変調)と、虚部(入射強度に対しπ/2だけ位相がシフトするラマン分子振動)を分離する。上述したように、この分離された虚部からCARSスペクトルが取得される。
【0098】
励起光のスペクトル位相と非共鳴光のスペクトル位相との間には1対1の対応関係があり、理想的なフーリエ限界パルスによって発生する非共鳴光の位相はスペクトル全域にわたって原理的にゼロとなる。このとき、パルス励起でラマン光が発生していない周波数(波長)領域でのスペクトル位相のオフセット量が、光路長変動由来の相対位相になっていると考えられる。
【0099】
つまり、このスペクトル位相のオフセット量を求めることにより励起光とプローブ光の相対位相差の基準値である基準位相が検出可能であることを、本発明者らは見出した。そして、このようにして求めた基準位相を直交4位相法に適用し、励起光パルスPeとプローブ光パルスPpとが時間的に重なっていても正確なCARS信号の取得が可能となり、またより測定の感度も向上することがわかった。
【0100】
つぎに、
図8ないし
図10を参照して、本実施の形態に係る光検出信号処理についてより詳細に説明する。本実施の形態に係る光検出信号処理は、直交4位相法を用いて非共鳴背景光(NRB)と共鳴CARS光とを分離し、CARS光を抽出する処理である。以下の説明では、試料の一例としてDMSO(Dimethyl sulfoxide:ジメチルスルホキシド)を用い、波数800cm
−1よりも高周波側の比較的小さなラマンピークを分離対象とした場合について説明する。
【0101】
図8は、励起光パルスPeに対するプローブ光パルスPpの遅延時間τを0psから3.2psまで0.2psステップで変えて散乱スペクトルを測定し、従来技術に係る直交4位相法の信号処理を施して取得した強度スペクトルである。ただし、
図8では、強度スペクトルが最大になる遅延時間を遅延時間の基準、すなわちτ=0とし、測定した散乱スペクトルのうちの5点について図示している。
【0102】
遅延時間τ=0における状態は、励起光とプローブ光との時間的な重なりが最も大きくなっている状態である。この状態では、励起光の広帯域超短パルスで発生したNRBにもプローブ光の位相変調がかかるためNRBもCARS光と同様に変調される。NRBの光強度はCARS光の光強度よりも桁違いに大きいため、遅延時間τ=0ではほぼNRBの形状のスペクトルが得られており、CARS光成分をはっきりと識別するのは困難である。すなわち、CARS光成分がNRB成分に埋没しており、このような状態ではCARS光成分を検出することは困難である。
【0103】
そこで、本実施の形態に係る光検出信号処理では、ラマン感受率の虚部が受ける位相変調はNRBに対してπ/2だけずれていることに注目し、NRBとCARS光とを分離する。その原理を以下に示す。
【0104】
まず、NRBの電場E
LO、およびCARS光による電場E
ASを各々以下に示す(式1)および(式2)のように表わす。
ここで、E
pumpはCARS過程のうちの励起光、ストークス光を兼ねた広帯域の励起光パルスPeによる電場であり、E
probeは狭帯域のプローブ光パルスPpによる電場である。また、
は各々、非共鳴過程の3次非線形感受率、ラマン過程の3次非線形感受率である。
【0105】
検出されるスペクトル強度Idは、NRBの電場E
LOとCARS光による電場E
ASとが干渉したときの強度であるから、以下に示す(式3)のように表わせる。
ただし、Re(f)はfの実部を表わし、Im(f)はfの虚部を表わしている。また、
は複素数として扱う。一方、
は物質の振動に非共鳴な電場成分に対する感受率なので実部のみとして扱う。
【0106】
また、θは入射電場(励起光による電場)とNRBの電場との位相差で決まる基準となる位相角、すなわち基準位相である。φはプローブ光の位相変調による位相の変化分である。(式3)に示すスペクトル強度Idのうち、クロスターム項である第2項が、非共鳴過程とラマン過程の感受率が分離されている部分である。したがって、この項を計算により算出する。
【0107】
簡単のため、(式3)をプローブ光の変調位相φに同期しない項I
nmodと、同期する項I
mod(φ)に分けて表記すると、以下に示す(式4)ないし(式6)のように表わすことができる。
【0108】
つぎに、プローブ光に与える変調位相φの関数であるI
mod(φ)について、変調位相φをπ/2ずつ変えて測定した4つのスペクトル強度は、以下に示す(式7)で表わせる。
【0109】
(式7)で示す4つのスペクトル強度のうち、位相がπだけ異なるスペクトル強度の差分をとると、以下に示す(式8)のように表わせる。
ここで、α=tan
−1(C/B)であり、このαがラマン散乱による位相の変化分を表わしている。
【0110】
(式8)より、以下に示す(式9)が得られる。
すなわち、(式9)から、入射電場とNRBの電場との位相差θを含む位相角を求めることができる。
【0111】
さらに、(式8)の2つの式の振幅部分Kは、以下に示す(式10)のように求めることができる。
【0112】
ここで、(式7)に示す4つのスペクトルの平均値I
d,aveは、以下に示す(式11)のように表わせる。
【0113】
すると、(式10)および(式11)から、以下に示す(式12)が得られる。
【0114】
本実施の形態における測定条件では、|E
pump|>>|E
probe|(励起光の電場の振幅はプローブ光の電場の振幅より十分に大きい)とみなせるので、(式12)は以下に示す(式13)のように表わせる。
【0115】
小さなラマンピーク、あるいは十分希釈した試料におけるラマンピークについては、
とみなせることから、以下に示す(式14)、(式15)が得られる。
【0116】
(式14)に基づき(式9)においてα=0とすると、(式9)による演算結果はθのみとなり、基準位相の位相角の値が得られる。一方、ラマンピークとなる波数においては(式9)による演算結果はθ+αとなるが、基準位相の位相角θを除くことにより、ラマン散乱による位相の変化分であるαのみが得られる。また、複素非線形感受率χ(3)の虚部、すなわち、CARS光の強度スペクトルは(式15)を用いて算出することができる。
【0117】
つぎに、
図9および
図10を参照して、上記光検出信号処理についてより具体的に説明する。
図9は、本光検出信号処理の各処理過程における強度スペクトルを示し、
図10は、本光検出信号処理によって抽出されたCARSスペクトルを、従来技術に係る光検出信号処理によって抽出されたCARSスペクトルと比較して示す図である。なお、
図9および
図10では、試料としてDMSOを用いている。
【0118】
図9(a)は、プローブ光に与える変調位相をπ/2ずつ変え、直交する4つの変調位相を用いて測定した4つの強度スペクトルであり、上記光検出信号処理における(式7)を用いて信号処理し取得したものである。1ショット(撮影)あたりの露光時間は17ms(ミリ秒)とし、各強度スペクトルにおいて25ショット分積算している。
【0119】
図9(b)は、(式8)によって演算処理した差スペクトル、ΔI
inpおよびΔI
quadを示している。
【0120】
図9(c)は、(式9)によって演算処理した位相角のスペクトルである。
図9(c)におけるベースラインBLが基準位相の位相角θである。また、
図9(c)に示す波数1400cm
−1付近のスペクトルピークPK1、波数1000cm
−1付近のスペクトルピークPK2、PK3がラマン散乱によるピークを示している。なお、本実施の形態では、入射光(
図2に示すパルス光PD)が試料26の位置でフーリエ限界パルスとなるように分散調整部40によって分散補償を行っているため、ラマン感受率による位相のシフト分θは0.95radとし、この値を一定のオフセット値とし測定された位相スペクトルから差し引いて
図9(c)を作成した。
【0121】
図9(d)は、
図9(c)に示す位相スペクトルを用いて(式15)の関係から求めたラマン感受率の虚数成分、すなわちCARS光の強度スペクトルCSを示している。
図9(d)には、NRBの強度スペクトルNSを併せて示している。強度スペクトルCSには、ラマン散乱によるスペクトルピークPK1、PK2、PK3が現れている。
【0122】
図10は、本光検出信号処理によって検出したCARSスペクトルSnを、従来技術に係る光検出信号処理によって検出したCARSスペクトルSoと比較して示した図である。
【0123】
図10(a)は、遅延時間τをτ=1.0psとし、強度スペクトルの目視によって同程度のS/N比(Signal to Noise Ratio)が得られるCARSスペクトルSnとCARSスペクトルSoとを比較して示した図である。CARSスペクトルSnは各変調位相(0、π/2、π、3π/2)で25ショット分を積算して取得したスペクトルである。一方、CARSスペクトルSoは各変調位相で1250ショット分を積算して取得したスペクトルである。
図10(a)に示すグラフから、CARSスペクトルSoでは、CARSスペクトルSnと同程度のS/N比を得ようとした場合、50(1250ショット/25ショット)倍の時間がかかることがわかる。すなわち、本実施の形態に係る光検出装置10は、従来技術に係る光検出装置と比較して測定時間を1/50に短縮している。
【0124】
換言すると、S/N比は測定時間(積算数)の平方根に比例するので、CARSスペクトルSnとCARSスペクトルSoとを同じ時間で測定した結果を比較した場合には、S/N比が約7(50の平方根)倍改善するといえる。
図10(b)は、積算数を同じ25ショットとして(測定時間を同じとして)得られた強度スペクトルについて演算処理し取得したCARSスペクトルSnと、CARSスペクトルSoとを比較して示した図である。
図10(b)では強度スペクトルの形状を比較するために、ノイズレベルが同程度となるように信号強度を規格化して表示している。
図10(b)から明らかなように、従来技術に係る光検出信号処理により取得したCARSスペクトルSoでは、ラマンピークが確認できなかった。
【0125】
つぎに、
図11および
図12を参照して、本実施の形態に係る光検出装置10の実施例について、一部従来技術による結果と比較しながら説明する。
図11および
図12は、分光器16、受光部18を介して取得された各条件におけるスペクトルを示している。
【0126】
図11、および
図12に示す実施例では、本実施の形態に係る光検出装置10、従来技術に係る光検出装置ともに、以下の条件で実施している。なお、励起光、プローブ光の波長は中心波長で示している。
(1)励起光パルスPe(
図2に示すパルス光PD):チタン・サファイアレーザ、
中心波長=800nm
帯域幅=130nm
(2)プローブ光パルスPp(
図2に示すパルス光PB)
中心波長=779.65nm
帯域幅=1nm
(3)励起光パルスPeに対するプローブ光パルスPpの遅延時間τ
τ=0.2ps
ただし、τ=0の基準は非共鳴スペクトルが最大となる遅延時間としている。
(4)SLM50への入力パターン
試料26上でフーリエ変換限界パルスになるように分散調整部40の、特にSLM50への入力パターンが調整される。また、調整時の試料26上のパルスの位相の状態はMIIPS(Multiphoton Interpulse Interference Phase Scan)法などの位相測定法を用いて測定される場合もある。
(5)試料:DMSO原液を滴下したプレパラート
【0127】
図11(a)は、上記条件で設定した
図2に示す光検出装置10の分光器16、受光部18を介して観測した非共鳴スペクトルを示している。
図11(a)に示すように、何も演算処理を施すことなく散乱光の強度スペクトルを観測してもCARS光は分離できない。なお、
図11(a)において、波数250cm
−1から400cm
−1にかけて平坦にはっているのは、測定系の飽和によるものである。
【0128】
図11(b)は従来技術に係る直交4位相法により演算処理を施した強度スペクトルを示している。
図11(b)に示すように、従来技術に係る直交4位相法でもCARS信号を分離できていない。これは、上述したように、励起光パルスPeに対するプローブ光パルスPpの遅延時間τが0.2psと小さいために、励起光パルスPeが誘起した瞬時的な屈折率の変化(つまり、複素非線形感受率χ(3)の変化)によって変調され、非共鳴光スペクトル全体が振動することによる。換言すれば、背景光が揺れていることによる。
【0129】
一方、
図12は、取得した直交4位相のスペクトルに対し本実施の形態に係る光検出信号処理を施した各強度スペクトルを示している。すなわち、
図12(a)は位相スペクトルを、
図12(b)は複素非線形感受率χ(3)の実数成分の強度スペクトルを、
図12(c)は複素非線形感受率χ(3)の虚数成分の強度スペクトル、すなわち非共鳴スペクトルから分離されたDMSOのCARSスペクトルを各々示している。
【0130】
図12(a)を参照して、まず基準位相の抽出手順について説明する。
手順1:直交4位相スペクトルから、X(変調位相0、πにおける強度スペクトルの差分)、およびY(変調位相π/2、3π/2における強度スペク卜ルの差分)を用いて位相角−tan
−1(Y/X)のプロファイル(位相プロファイル、上記(式9)に対応)を演算する。ここで、位相角に負号がつくのは、直交4位相の極性とラマン遅延応答方向の極性との相対関係によるものである。
手順2:得られた位相プロファイルから位相角がほぼ一定の部分、すなわちベースラインBLを抽出し、これを基準位相とする。ベースラインBLの抽出においては、たとえば強度が最頻値となる位相角、すなわち位相角のヒストグラムがピークとなる位相角をベースラインBLとしてもよい。
【0131】
図12(a)に示すように、本実施例では、ベースラインが約−19°(0.95rad)となった。なお、
図12(a)に示す波数700cm
−1付近のスペクトルピークFRはラマン成分による位相変動を示している。
【0132】
つぎに、基準位相の抽出に続けて実行される、ラマンスペクトルを抽出するための光検出信号処理手順について説明する。
手順3:基準位相に相当する分のオフセットを補償して、励起光の位相を基準とした真の位相角を求める。
手順4:従来技術に係る直交4位相法のアルゴリズムによって、位相変調による変動成分の振幅の絶対値を求める。
手順5:手順4で求めた振幅の絶対値と、手順3で求めた真の位相角とに基づいて、散乱スペクトル(複素非線形感受率χ(3))の実数成分と虚数成分を抽出する。
【0133】
図12(b)及び(c)は、手順5による処理の結果を示している。
図12(b)は複素非線形感受率χ(3)の実数成分のスペクトルを示しており、上述したように励起光と同位相の非線形屈折率変化の成分を示している。したがって、
図12(b)示すスペクトルにはラマン散乱に関する情報は含まれていない。一方、
図12(c)は励起光とπ/2だけ位相がシフトしたラマンスペクトルの成分を示している。
図12(c)に示すスペクトルピークSRがCARS光によるスペクトル成分、すなわちDMSOに固有の分子振動のCARS光スペクトルを示している。このように、本実施の形態に係る光検出装置、および光検出方法によれば、ラマン散乱に寄与するスペクトルだけを正確に分離、抽出することが可能である。
【0134】
なお、上記実施例では遅延時間τをτ=0.2psに設定した場合を例示して説明したが、遅延時間τは検出対象物質の緩和時間等を考慮した上で特に制限なく設定することが可能であり、また、例えば励起光パルスPe、プローブ光パルスPpの波形等の条件によっては負値であってもよい。一方で、遅延時間τはゼロ、又は予め定められた許容範囲でゼロに近い値とした方が計算誤差が少ないことが本発明者らによって明らかにされている。上記の実施例で遅延時間τ=0.2psにおいて良好な検出結果が得られていることから、0.2psという値はその予め定められた範囲の一例となっている。
【0135】
以上詳述したように、本実施の形態に係る光検出装置、光検出方法および光検出プログラムによれば、簡易な構成で、微弱光を高速、高感度に検出可能な光検出装置、光検出方法および光検出プログラムを提供することができる。
【0136】
なお、上記実施の形態では、本実施の形態に係る光検出信号処理が従来技術に係る光検出信号処理とは無関係に行われる形態を例示したが、これに限られない。両者を組み合わせ、例えば、まず従来技術に係る光検出信号処理を行い、CARS光の強度スペクトルを大まかに検出したのち、本実施の形態に係る光検出信号処理を行って、さらに正確なCARS光の波数、強度等について検出する形態としてもよい。
【0137】
また、
図12(a)で説明したベースラインBLの検出において、CARS光の存在しない波数領域のうねりが大きく、ベースラインBLの特定が困難な場合には、例えば測定系に起因する変動分を予め求めておき、該変動分を補正しておいてもよい。