特許第6973766号(P6973766)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6973766
(24)【登録日】2021年11月8日
(45)【発行日】2021年12月1日
(54)【発明の名称】運動計測装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 23/2055 20180101AFI20211118BHJP
【FI】
   G01N23/2055 310
【請求項の数】10
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2016-226495(P2016-226495)
(22)【出願日】2016年11月22日
(65)【公開番号】特開2018-84447(P2018-84447A)
(43)【公開日】2018年5月31日
【審査請求日】2019年11月21日
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成26年度、独立行政法人科学技術振興機構(現:国立研究開発法人科学技術振興機構)、戦略的創造研究推進事業、産業技術力強化法第19条の適用を受けるもの
(73)【特許権者】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100109221
【弁理士】
【氏名又は名称】福田 充広
(74)【代理人】
【識別番号】100171848
【弁理士】
【氏名又は名称】吉田 裕美
(72)【発明者】
【氏名】佐々木 裕次
(72)【発明者】
【氏名】池崎 圭吾
【審査官】 越柴 洋哉
(56)【参考文献】
【文献】 特開2015−102332(JP,A)
【文献】 特開平10−332607(JP,A)
【文献】 佐川琢麻 他,「X線1分子追跡法による生体分子間相互作用の定量測定」,生物物理,2008年02月,V0l.48 No.1,p.046-051
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 23/00 − G01N 23/2276
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、
前記標識からの量子ビームを検出するセンサーと、
前記センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、
前記所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて前記標識の運動状態を評価する信号処理部と
を備え、
前記センサーにおいて、検出面における1つの画素又は複数の画素によって画定される検出領域が設定され、
前記検出領域は、前記標識の特性に応じた配置及びサイズに設定される、運動計測装置。
【請求項2】
前記センサーは、前記標識からの量子ビームを画像として検出する、請求項1に記載の運動計測装置。
【請求項3】
前記所定の検出窓は、前記センサーの検出面においてマトリックス状に配置された画素である、請求項1及び2のいずれか一項に記載の運動計測装置。
【請求項4】
対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、
前記標識からの量子ビームを検出するセンサーと、
前記センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、
前記所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて前記標識の運動状態を評価する信号処理部と
を備え、
前記指標値は、検出強度の経時的な変化のバラツキに関する、運動計測装置。
【請求項5】
前記指標値は、標準偏差である、請求項4に記載の運動計測装置。
【請求項6】
対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、
前記標識からの量子ビームを検出するセンサーと、
前記センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、
前記所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて前記標識の運動状態を評価する信号処理部と
を備え、
前記ビーム照射部は、量子ビームとして単色のX線を照射し、
前記センサーは、前記標識で回折されたX線を検出する、運動計測装置。
【請求項7】
前記標識は、ナノ結晶である、請求項1〜のいずれか一項に記載の運動計測装置。
【請求項8】
対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、
前記標識からの量子ビームを検出するセンサーと、
前記センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、
前記所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて前記標識の運動状態を評価する信号処理部と
を備え、
前記標識の運動状態として前記標識の回転速度を評価する、運動計測装置。
【請求項9】
対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、
前記標識からの量子ビームを検出するセンサーと、
前記センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、
前記所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて前記標識の運動状態を評価する信号処理部と
を備え、
前記信号処理部は、校正用のデータを参照して指標値を回転速度に換算する換算部を有する、の運動計測装置。
【請求項10】
前記標識を付する対象は、ナノスケールの物質又は場である、請求項1〜のいずれか一項に記載の運動計測装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、対象に付した標識を介して対象の運動等を検出する運動計測装置に関し、特に、量子ビームを照射した標識からの応答を検出窓を介して検出し標識の運動状態を評価する指標値を得ることができる運動計測装置に関する。
【背景技術】
【0002】
対象に付した標識を介して対象の運動を検出する方法として、回折点の運動から分子運動を測定するX線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)と呼ばれるものが知られている(非特許文献1)。このX線1分子追跡法では、生体分子その他の対象に付した標識に白色X線を照射し、標識で回折されたX線の回折点の運動をイメージセンサーで追跡することにより、標識を付した対象の構造変化その他の運動を測定することができる。
【0003】
しかしながら、X線1分子追跡法で用いられる白色X線は、高価であり装置が大型化する。また、白色X線を用いることで照射フラックスが比較的大きくなり、生体分子その他の対象に対するダメージも無視できない程度に大きくなる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】"Diffracted X-ray tracking: new system for single molecular detection with X-rays" Y. C. Sasaki, Y. Okumura, S. Adachi, Y. Suzuki, and N. Yagi, Nucl. Instrum. Methods Phys. Res. A 467, 1049 (2001).
【発明の概要】
【0005】
本発明は、上記背景技術に鑑みてなされたものであり、安価かつ小型にすることが容易であり、対象に対するダメージを低減できる簡易なX線源その他の量子線源を用いながらも対象の運動等を確実に評価できる運動計測装置を提供することを目的とする。
【0006】
上記目的を達成するための運動計測装置は、対象に付した標識に対して量子ビームを照射するビーム照射部と、標識からの量子ビームを検出するセンサーと、センサーに設定した所定の検出窓における信号を抽出する信号抽出部と、所定の検出窓による信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定し、決定した指標値に基づいて標識の運動状態を評価する信号処理部とを備える。
【0007】
上記運動計測装置では、量子ビームの波長域が広ければ検出窓を横切るように移動する回折点が上記所定の検出窓を一瞬照らすことを利用し、上記所定の検出窓による回折点に対応する信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値を決定するので、広範囲に亘る回折点の運動や軌跡を捉える必要がなく、量子線源として単色又は狭い波長域の量子線を発生する簡易で照射フラックスの少ない装置を用いての計測が可能になる。ここで、検出窓による検出強度の経時的な変化に基づいて決定される指標値は、回折点の移動延いては標識の運動速度等を間接的に表すものといえるので、このような指標値に基づいて標識の運動状態を適切に評価することができる。なお、量子ビームには、X線、電子線、中性子線等が含まれる。
【0008】
本発明の具体的な側面では、上記運動計測装置において、センサーは、標識からの量子ビームを画像として検出する。この場合、センサーは、既存のイメージセンサーやこれを応用したものとなり、標識からの量子ビームの計測が高速で信頼性の高いものとなる。
【0009】
本発明の別の側面では、所定の検出窓は、センサーの検出面においてマトリックス状に配置された画素であり、センサーにおいて、検出面における1つの画素又は複数の画素によって画定される検出領域が設定される。この場合、画素単位の検出窓を1つ以上まとめた検出領域で信号の検出が行われる。検出窓を画素とすることで、信号処理が簡易なものとなる。また、複数の画素である複数の検出窓を検出領域として設定した場合、構造や状態が略一致する複数の画素からの情報を一様に処理することができるので、複数の検出窓からの信号又は情報を統合する処理や統計的な情報を抽出する処理が比較的容易になる。
【0010】
本発明のさらに別の側面では、検出領域は、標識の特性に応じた配置及びサイズに設定される。対象に付した標識の回折条件等を考慮して検出領域を設定することで、対象を的確に絞り込んだ効率的な計測が可能になる。
【0011】
本発明のさらに別の側面では、指標値は、検出強度の経時的な変化のバラツキに関する。検出窓による1回あたりの検出時間に対して回折点の速さが十分に遅ければ、経時的な変化のバラツキは、回折点の滞在長さを表すものといえるので、このような変化のバラツキは、回折点の移動速度延いては標識の運動速度を間接的に表すものとなる。
【0012】
本発明のさらに別の側面では、指標値は、標準偏差である。標準偏差を用いた計測は、統計的な信頼度が高い。
【0013】
本発明のさらに別の側面では、指標値は、検出強度の変化率である。検出窓による1回あたりの検出時間に対して回折点の速さが比較的速い場合、検出強度の変化率は、回折点の移動速度延いては標識の運動速度を間接的に表すものとなる。なお、検出強度の変化率として、例えば検出強度の変化量の時間微分値を用いることができる。
【0014】
本発明のさらに別の側面では、ビーム照射部は、量子ビームとして単色のX線を照射し、センサーは、標識で回折されたX線を検出する。この場合、標識がX線回折特性を有するものとなる。また、標識からの回折像を比較的簡易な設備で測定することができる。
【0015】
本発明のさらに別の側面では、標識は、ナノ結晶である。この場合、標識を小型かつ軽量にしつつ比較的高い回折信号が得られる。特に、ナノ結晶は、高分子その他の対象の適所に接着することでその運動を反映した連動性を示すので、高分子等の運動を的確に把握することができる。
【0016】
本発明のさらに別の側面では、標識の運動状態として標識の回転速度を評価する。回折像を観察する場合、基本的には標識の回転速度を評価することになる。
【0017】
本発明のさらに別の側面では、信号処理部は、校正用のデータを参照して指標値を回転速度に換算する換算部を有する。この場合、指標値から標識の回転速度を簡易かつ迅速に算出することができる。
【0018】
本発明のさらに別の側面では、標識を付する対象は、ナノスケールの物質又は場である。この場合、ナノレベルの微細な標識が必要となるが、ナノ結晶のような標識によって微細性を確保しつつ比較的高い回折信号が得られる。なお、ナノスケールの物質として生体分子等を挙げることができ、ナノスケールの場として、過飽和ネットワーク等における力場環境を挙げることができる。
【図面の簡単な説明】
【0019】
図1】第1実施形態の運動計測装置を説明する概念図である。
図2】サンプルの状態を説明する概念図である。
図3】計測状態を説明する概念図である。
図4】測定対象のタンパク質に対して活性化物質を加えた場合と阻害物質を加えた場合とにおいて、このタンパク質に付した標識からの回折の検出強度について標準偏差を計算した結果を示す分布図である。
図5】(A)は、基板からの回折の検出強度について図4と同様の解析を行った結果を示し、(B)は、背景(散乱X線)の検出強度について図4と同様の解析を行った結果を示す。
図6】(A)は、測定対象のタンパク質に活性化物質を加えて標識からの回折を計測し解析した結果を示し、(B)は、測定対象のタンパク質に阻害物質を加えて標識からの回折を計測し解析した結果を示す。
図7】第3実施形態の運動計測装置を説明する概念図である。
【発明を実施するための形態】
【0020】
〔第1実施形態〕
以下、図1等を参照して、本発明の第1実施形態である運動計測装置ついて詳細に説明する。
【0021】
図1に示す第1実施形態の運動計測装置100は、X線に対して回折作用を示す標識を付したサンプルに単色のX線を照射して当該標識からの回折X線を検出し、回折X線の時間的揺らぎや時間的強度変化からサンプルの運動状態を評価するものである。運動計測装置100は、X線源であるビーム照射部20と、サンプルを支持するサンプルステージ30と、回折像を撮影するセンサー40と、運動計測装置100全体の動作を統括的に制御する制御装置60とを備える。
【0022】
ビーム照射部20は、生体分子等である対象に付したナノ結晶その他の標識に対して量子ビームを照射する。ビーム照射部20は、量子ビームとして単色でビーム状の照射X線L1を所望の強度で射出する。照射X線L1としては、例えばKα線を用いることができるが、これに限るものではない。また、照射X線L1のエネルギーは、通常10KeV〜30KeV程度の範囲内で標識や用途に応じて適宜設定されるが、これに限るものではない。ビーム照射部20は、詳細な説明を省略するが、電子線励起部とX線集光部とを有する。前者の電子線励起部は、加速した電子を金属ターゲットに入射させるものであり、その際に発生する例えば線スペクトル状の励起X線を利用する。後者のX線集光部は、例えば全反射を利用する筒状のミラー部材であり、電子線励起部からのX線を一旦点光源状にする。ビーム照射部20には、不要な波長成分を除去するフィルターや、照射X線L1の広がりを防止するコリメーターを追加することもできる。
【0023】
サンプルステージ30は、サンプルセル71を適所にセットした状態で保持する。この際、サンプルセル71は、生体分子等である対象を封入したものであり、ビーム照射部20からの照射X線L1の射出方向前方に配置される。これにより、サンプルセル71の目標領域に単色の照射X線L1を照射することができる。なお、サンプルステージ30には、サンプルセル71を透過して直進する照射X線L1を受けるビームストッパーを付随させることができる。
【0024】
センサー40は、生体分子等である対象に付した標識からの量子ビームを強度的な信号として検出するものである。センサー40は、2次元のイメージセンサーであり、この検出面41には、サンプルセル71での回折によって生じた量子ビームである回折X線L2が入射する。センサー40は、検出面41上に形成されたX線の回折パターンの強度分布を、2次元的な信号強度つまり画像として検出する。センサー40は、光子のパルスから光の強さを計測するフォトンカウンティング型の検出器、つまりX線光子計数型2次元検出器である。かかるX線光子計数型2次元検出器として、具体的には、Rigaku社製のPILATUS(pixel apparatus for the SLS)を用いている。X線光子計数型2次元検出器は、高抵抗シリコン基板を、高電圧が印可されn層を伴う共通電極と、マトリックス配列されp層を伴う電荷収集電極とで挟んだ構造を有するダイオードアレイを備え、このダイオードアレイと読出し集積回路とを積層したハイブリッドピクセル型のX線検出器である。センサー40により回折X線L2の強度やパターンを画素として読み出すことができるととともに、一定の蓄積時間で計測を繰り返し行うことによって、回折X線L2の強度変化を画素単位で計測することができる。センサー40は、PILATUSに限らず、CMOSイメージセンサー、CCDイメージセンサーを用いたものであってもよい。
【0025】
制御装置60は、光源駆動部51を介してビーム照射部20の動作を制御しており、ビーム照射部20から射出させる単色の照射X線L1の強度等の状態を調整することができる。制御装置60は、ステージ駆動部53を介してサンプルステージ30の動作を制御しており、サンプルステージ30に支持されるサンプルセル71の位置や姿勢を調整することができる。制御装置60は、センサー40の動作を制御しており、センサー40の検出出力から必要な信号を抽出するとともに、抽出した信号に対して必要な処理を施すことによって、サンプルセル71中に存在する対象の運動状態を解析し評価する。
【0026】
制御装置60は、一般的なコンピューターと同様の構造を有しており、演算処理部、記憶部、画像処理部、入出力部、通信部等を有する。制御装置60は、センサー40からの検出出力を処理して生体分子等である対象の運動状態を取得する部分であり、機能的には、センサー40に設定した後述する検出窓における信号を抽出する信号抽出部61と、当該検出窓による検出強度に基づいて指標値を決定し、この指標値に基づいて上記標識の運動状態延いては対象の運動状態を評価する信号処理部62とを備える。信号を検出する検出窓は、センサー40の検出面41に設けた画素に相当する。
【0027】
制御装置60において決定される指標値は、センサー40の検出面41に設けた特定の1つの画素からの信号強度又は検出強度を処理することで決定することができるが、検出面41に設けた特定の複数の画素からの信号強度又は検出強度を複合的に処理することで決定することもできる。検出面41に設けた1つ以上の画素からの信号は、検出強度の経時的な変化として処理され、その結果が指標値として保管される。この指標値は、検出強度の経時的な変化、より具体的には時間的揺らぎや時間的強度変化を示すものであり、ナノ結晶その他の標識の回転運動の速度を推定するために利用することができる。
【0028】
図2は、サンプルセル71における対象の状態を示す概念図である。サンプルセル71において、一方のX線透過窓である基板73上には、生体分子等である対象74が固定されており、対象74の特定箇所には、ナノ結晶、量子ドットその他の標識75が付されている。対象74を基板73に固定する方法や、対象74に標識75を化学固定する方法については、例えば"Picometer-scale dynamical observations of individual membrane proteins: The case of bacteriorhodopsin" Y. Okumura, T. Oka, M. Kataoka, and Y. C. Sasaki, Phys. Rev. E70, 021917 (2004)等の文献に記載された手法を用いることができる。この場合、基板73と生体分子(対象74)との間については、SPDP(3−(2−ピリジルジチオ)プロピオン酸 N−スクシンイミジル)を介して、生体分子のアミノ基が特異的に基板に固定される。また、生体分子と金結晶(標識75)との間については、生体分子のシステイン残基のチオール基と金との直接結合を行う。
【0029】
標識75は、対象74の運動に伴って回転し又は並進運動する。対象74において標識75を付した箇所が回転すると、標識75も同様に回転する。このように標識75が回転すると、標識75によるスポット状の回折X線L2も回転する。よって、この回折X線L2の運動を追うことができれば、対象74の特定箇所の運動を捉えることができる。しかしながら、回折X線L2が単色である場合、回折X線L2は、標識75であるナノ結晶に固有の回折リング上の一点に明滅する輝点として現れるので、回折X線L2の軌跡として捉えることは困難である。そこで、このような回折リング上で明滅する輝点を図1の検出面41に設けた1つ以上の画素によって計測し、その検出強度を、検出強度の経時的な変化(具体的には時間的揺らぎや時間的強度変化)を示す情報に変換すれば、標識75や対象74の特定箇所の運動(つまり回転速度)を見積もることができる。
【0030】
標識75は、例えば金ナノ結晶等であり、エピタキシャル成長等によって形成される。金ナノ結晶の直径サイズは、例えば20〜40nm程度であるが、2〜5nm程度とすることも可能である。
【0031】
基板73には、複数の対象74を固定することができる。この場合、検出面41上の対応する回折リングの位置において、複数の対象74に付した複数の標識75に対応する複数の明滅する輝点が検出される。これらを一括して処理すれば、複数の標識75の回転運動を平均化した対象74の特定箇所の回転速度に関する指標が得られる。
【0032】
図3を参照して、検出面41に設けた画素からの信号強度又は検出強度を利用した指標値の計算の具体的な手法について説明する。図3は、センサー40の検出面41を示しており、検出面41は、xy面に平行に延びている。原点Oを中心とする円弧は、標識75であるナノ結晶に対応する仮想的な回折リングR1の一部を示している。回折リングR1は、具体的には標識75が例えば金ナノ結晶である場合、金の(111)面に対応するものである。この回折リングR1に沿った一箇所には、縦長で矩形の検出領域A1が設定されている。この検出領域A1は、同図中に拡大して示すように、複数の検出窓として複数の画素P1を含んでおり、複数の画素P1によって画定される領域となっている。検出領域A1において、回折X線L2の明滅パターンFPが形成されている。明滅パターンFPは、点状であるが、通常X線の単色度に依存して若干移動して軌跡trを示す。
【0033】
図1の信号抽出部61は、センサー40の検出面41の検出領域A1内に配列された複数の画素(検出窓)P1によって計測した検出強度をデータとして徐々に抽出し、信号処理部62は、信号抽出部61によって抽出された検出強度を蓄積しつつ経時的な変化に関する情報に変換する。具体的には、信号処理部62は、例えば検出強度の時間的揺らぎを統計的に評価する。検出領域A1内の各画素P1から得た1フレームごとの検出強度は、複数回の抽出によって経時的に蓄積され、例えば標準偏差(SD)に変換される。ここで、検出面41又は画素P1において計測が行われる1フレームの露光時間は、対象74の運動速度等の条件に応じて適宜設定することが望ましい。検出に際しての露光時間は、例えば1秒〜数10秒の範囲で設定することができる。また、各画素P1における検出強度の抽出回数は、統計的な信頼性を確保する観点で、例えば30回以上、より好ましくは100回以上とする。この場合、各画素P1ごとに検出強度について標準偏差(SD)が得られる。検出領域A1に含まれる画素P1の数を増やすことによっても、運動速度を見積もる際の統計的な信頼性を高めることができる。
【0034】
図4は、測定の対象74であるタンパク質に対して標識75を付し、活性化物質を加えた場合と阻害物質を加えた場合とにおいて、標識75からの回折を検出し解析した結果を示す分布図である。この分布図は、回折像を撮影した検出領域A1おいて、画素(検出窓)P1ごとの検出強度について標準偏差(SD)を計算した結果を示しており、横軸は標準偏差(SD)であり、縦軸は頻度を示す。なお、縦軸の頻度は、横軸の標準偏差を示した画素数を示している。対象74として、ここでは、アセチルコリン結合タンパク質(acetylcholine binding protein:AChBP)を用いている。また、タンパク質に対する活性化物質又は作動薬としてアセチルコリン、Achを用い、阻害物質又は拮抗薬としてα−ブンガロトキシン、Bgtxを用いている。対象74であるタンパク質は、ポリイミドの基板73であるカプトン(商標)のフィルムに固定され、金ナノ結晶である標識75を付されている。チャート中の「Ach_2s」は、金ナノ結晶を標識したアセチルコリン結合タンパク質にアセチルコリンを加えたものについて2秒露光で経時変化を計測したことを意味し、「Bgtx_2s」は、金ナノ結晶を標識したアセチルコリン結合タンパク質にα−ブンガロトキシンンを加えたものを2秒露光で経時変化を計測したことを意味する。図から明らかなように、Achを加えた場合の方がBgtxを加えた場合に比較して全体的に標準偏差すなわちバラツキが小さく、両者のピーク位置は、それぞれ190と220とで明らかな差が生じている。つまり、Achを加えたタンパク質の標識75の方がBgtxを加えたタンパク質の標識75よりも検出値の標準偏差すなわちバラツキが小さく、比較的高速で運動していると判断される。したがって、標識75を複数の画素P1で観測し、その強度の標準偏差を求めることで、この標準偏差を指標として標識75の回転速度や対象74の特定箇所の回転速度を見積もることができる。具体的には、対象74や標識75を特定しその他の測定条件を特定するパラメータに応じて予め換算表や検量線を信号処理部62内に設けた換算部62aに準備しておけば、上記のような標準偏差から対象74の特定箇所の回転速度を決定することができる。なお、以上では、標準偏差の値から回転速度を見積もったが、図4の標準偏差に関するカウント値のピーク値から回転速度を見積もることも可能である。
【0035】
なお、以上では統計的な信頼性を確保する観点で、複数の画素P1からの検出強度に基づいて標準偏差を算出したが、単一の画素P1からの検出強度に基づいて標準偏差を算出することもでき、このような標準偏差からも、対象74の特定箇所の回転速度を決定することができる。
【0036】
図5(A)は、参考のため、対象74を付加したカプトン(商標)の基板73について、カプトン由来の回折リングを検出窓として図4と同様の計測を行った結果を示す。この場合、AchやBgtxを加えた場合において回折位置での信号に殆ど差が生じていないことが分かる。また、図5(B)は、参考のため、対象74を付加したカプトンの基板73について、特定の物質に由来する回折リングが見えない部分を検出窓として図4と同様の計測を行った結果を示す。この場合、AchやBgtxを加えた場合において回折位置での信号に差が生じていないことが分かる。これらの図5(A)及び5(B)を図4と比較すれば明らかなように、画素P1によって標識75を計測し、その検出強度から標準偏差(SD)を得ることで、標識75や対象74の特定箇所の運動速度を見積もることができる。
【0037】
図6(A)は、対象74としてAchを加えたAChBPを用いて標識75からの回折X線を検出面41の画素単位で計測した結果を示し、図6(B)は、対象74としてBgtxを加えたAChBPを用いて標識75からの回折X線を検出面41の画素単位で計測した結果を示す。ただし、横軸は露光時間であり、縦軸は標準偏差である。この場合、露光時間を変化させつつ検出強度の標準偏差を算出している。なお、両グラフにおいて、カプトン由来の検出強度の標準偏差の傾きを点線で示している。
【0038】
金ナノ結晶の標識75を付したAChBP+Achの場合、フィッティングによる標準偏差のグラフの傾きは−0.46であり(図6(A)参照)、金ナノ結晶の標識75を付したAChBP+Bgtxの場合、フィッティングによる標準偏差のグラフの傾きは−0.45である(図6(B)参照)。一方、カプトンの場合、フィッティングによる標準偏差のグラフの傾きは−0.50である(図6(A)及び図6(B)参照)。カプトンについては、運動のない対象と同様の傾きとなっており、運動のあるAchやBgtxを加えたAChBPについては、運動のない対象と異なる挙動を示している。Achを加えたAChBPのグラフの傾きと、Bgtxを加えたAChBPのグラフの傾きとの間には大きな差が無いが、露光時間を変化させた標準偏差のグラフの傾きから標識75や対象74の特定箇所の運動の有無や運動速度を見積もることができる可能性がある。
【0039】
以上のように、第1実施形態の運動計測装置100では、上記所定の画素(検出窓)P1による回折点に対応する信号の検出強度の経時的な変化に基づいて指標値としての標準偏差を決定するので、広範囲に亘る回折点の運動や軌跡を捉える必要がなく、量子線源として単色又は狭い波長域の量子線を発生する簡易で照射フラックスの少ない装置を用いての計測が可能になる。また、画素(検出窓)P1による検出強度の経時的な変化に基づいて決定される指標値としての標準偏差は、回折点の移動延いては標識75の運動速度等を間接的に表すものといえるので、このような指標値に基づいて標識の運動状態を適切に評価することができる。
【0040】
〔第2実施形態〕
以下、第2実施形態に係る運動計測装置について説明する。なお、第2実施形態に係る運動計測装置は、第1実施形態を変形したものであり、特に説明しない部分については、第1実施形態と同様である。
【0041】
第2実施形態の運動計測装置100の場合、標識75の運動状態を評価するための指標として、回折X線L2の検出強度又は信号の変化率、具体的には微分値を用いる。ここで、検出強度の微分値には、絶対値と相対値とがある。単純な標準偏差を用いた解析では、時系列情報を利用していない。そのため、検出強度又は信号の微分値の方がより運動成分抽出に向いていると考えられる。検出強度の微分値とは、時系列的に取得される各画素P1からの検出強度の例えば1フレームといった時間単位ごとの変化量を意味する。微分値を用いる手法のうち絶対値を用いるものは、ある画素P1の検出強度と1つ前のフレームの同一画素P1の出力強度との単純な差分である。一方、微分値を用いる手法のうち相対値を用いるものは、ある画素P1の検出強度と1つ前のフレームの同一画素P1の出力強度との変化割合(%)を意味する。異なるサンプル間の比較等の際には、相対値としての微分値の比較の方が絶対値としての微分値の比較よりも有効になると考えられる。つまり、相対的微分値を計算すれば、同一サンプル間でも異なるサンプル間であっても、較正等を行うことなく同等の比較が可能になる。なお、異なるサンプル系間の比較の場合、溶媒の違いによるX線吸収(散乱)率の差などからセンサー40上で得られる信号強度の値が大きく変わってくることがあり、絶対的微分値を用いた場合、変化の程度の比較が難しくなる傾向が高まる。
【0042】
〔第3実施形態〕
以下、第3実施形態に係る運動計測装置について説明する。なお、第3実施形態に係る運動計測装置は、第1実施形態を変形したものであり、特に説明しない部分については、第1実施形態と同様である。
【0043】
図7に示すように、第3実施形態の運動計測装置の場合、センサー40の検出面41において、回折リングR1に沿って2つの検出領域A1,A2を設けている。一方の検出領域A1はy方向に延び、他方の検出領域A2はx方向に延びている。この場合、標識75の運動の異方性を検出することができる。具体的には、一方の検出領域A1によって標識75による回折X線L2のx方向の運動を見積もることができ、他方の検出領域A2によって標識75による回折X線L2のy方向の運動を見積もることができる。つまり、標識75や対象74の特定箇所の運動に関して、x軸のまわりの回転とy軸のまわりの回転とを区別して検出できる可能性がある。ただし、このような計測を行う場合、サンプルセル71の基板73上に複数の対象74が固定されているときは、これらの対象74の向きが揃って配向していることが有意なデータを得るための前提となる。
【0044】
〔その他〕
以上実施形態に即して本発明を説明したが、本発明は、上記実施形態に限定されるものではない。
【0045】
例えば、量子ビームとして電子線や中性子線を用いることができる。この場合、ビーム照射部20からサンプルセル71に対して電子線や中性子線が照射され、サンプルセル71からの回折線がセンサー40によって検出される。センサー40として、電子計数型2次元検出器や中性子計数型2次元検出器を用いることができるが、CMOSイメージセンサー又はCCDイメージセンサーを用いることもできる。また、電子線を用いる場合の標識75として、例えば金コロイドを用いることができ、中性子線を用いる場合の標識75として、例えばナノダイアモンドを用いることができる。
【0046】
以上では、検出領域A1において一群の画素P1が互いに隣接しているが、互いに離間する複数の画素P1からの検出強度に基づいて標準偏差等を計算することができる。
【0047】
以上では、観測の対象74が生体分子等であるとしたが、生体分子に限らず、ナノスケールの各種物質の運動を測定対象とすることができる。すなわち、高分子ポリマーその他の無機材料を観測の対象74とでき、かかる無機材料の物性評価等も可能である。特殊な例ではナノバブル(ナノサイズの非常に安定な気泡)の溶液中での物体の動態なども計測できる。また、ナノスケールの構造体(ナノマシーン)の品質チェックも可能である。なお、ナノマシーンの品質チェックに関しては、欠陥品である場合、回折像のゆらぎが大きくなると考えられる。
【0048】
さらに、物質自体に限らず、ナノスケールの環境(例えば力場等)も測定対象とすることができる。ナノスケール環境、例えば過飽和溶液中の過飽和ネットワークの形成及び崩壊により発生する力場の測定の場合には、過飽和溶液中にナノ結晶等である標識75を分散させる。この場合、ナノ結晶等である標識75は、過飽和ネットワークからの力を受けて溶液中を動き回るが、このような運動を評価することで、ナノスケール環境の力場等を捉えることもできる。他の例では、高強度のレーザー光照射による放射圧により溶液中に浮いているナノ結晶が弾かれたりする運動を観測することもできる。なお、このようにナノスケール環境を計測する場合も運動計測装置の概念に含まれるものとする。
【0049】
以上では、センサー40によってサンプルセル71からの回折像を一括して撮影しているが、センサー40を小型化し、かかる小型のセンサーを駆動ステージによって検出領域A1等に対応する任意の箇所に移動させることもできる。
【符号の説明】
【0050】
20…ビーム照射部、30…サンプルステージ、40…センサー、41…検出面、51…光源駆動部、53…ステージ駆動部、60…制御装置、61…信号抽出部、62…信号処理部、71…サンプルセル、73…基板、74…対象、75…標識、76…参照標識、100…運動計測装置、A1,A2…検出領域、FP…明滅パターン、L1…照射X線、L2…回折X線、P1…画素、R1…回折リング
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7