【実施例】
【0044】
次に、本発明により得られる効果を実施例により明らかにする。
【0045】
(供試材について)
図4は、供試材の構成を示す表である。なお、表の「膜」における「有無」の欄には、膜形成工程を実施した場合には「有」、実施しない場合には「無」を記載した。表の「改質層」における「有無」の欄には、改質工程を実施した場合には「有」、実施しない場合には「無」を記載した。比較例として
図4の試料No.A〜Eに示す供試材を準備し、本発明を実施した実施例として
図4の試料No.1〜3に示す供試材を準備した。
【0046】
ここで、表の中の「Ni基耐食合金粉末」は、山陽特殊製鋼株式会社の製品である。Ni基耐食合金粉末は、ガスアトマイズ法により製造された原料粉末である。Ni基耐食合金粉末の成分組成は、Cr:質量22%、Mo:26質量%、B:1.4質量%、Ni:残部である。
【0047】
試料No.Aは、SUS304からなり、膜も改質層も形成されていない。試料No.Bは、SUS316Lからなり、膜も改質層も形成されていない。試料No.Cは、Ni基耐食合金粉末のHIPによる焼結体である。試料No.Dは、ハステロイのみからなる。試料No.Eは、SUS304からなる基材の表面にNi基耐食合金粉末を溶射することにより、膜厚30μmの膜を形成したものある。
【0048】
試料No.1〜No.3は、SUS304からなる素材の表面にNi基耐食合金粉末を溶射することにより、膜厚30μmの膜を形成した後、レーザ照射条件を変えて改質層を形成したものである。試料No.1のレーザ照射条件は、パワー密度:3.5×10
4W/cm
2(レーザ出力:100W、走査速度50mm/s、走査ピッチ:0.2mm、スポット径:直径0.6mm、N2ガスパージ流量:15L/min)である。試料No.2のレーザ照射条件は、パワー密度:7×10
4W/cm
2である(レーザ出力:200Wを除き、試料No.1と同じレーザ照射条件である)。試料No.3のレーザ照射条件は、パワー密度:1.1×10
4W/cm
2である(レーザ出力:300Wを除き、試料No.1と同じレーザ照射条件である)。
【0049】
(基材の断面観察)
試料No.2と試料No.1から所定サイズの試験片を採取し、顕微鏡を用いて改質層の断面観察を行った。試料No.2の断面観察結果を
図5に示す。試料No.1の断面観察結果を
図6に示す。
【0050】
図5に示すように、試料No.2の改質層4Xの平均厚さW1は、約100μmであった。一方、
図6に示すように、試料No.1の改質層4Yの平均厚さW2は、約50μmであった。これは、パワー密度が大きくなるほど、基材が、膜に接する表面から深い位置まで溶融するためである。よって、パワー密度を大きくするほど、改質層4の厚さWを厚くできる。つまり、パワー密度を調整することによって、改質層4の厚さWを調整することができる。
【0051】
(孔食電位測定)
JIS G0577に準拠した孔食電位測定を行い、孔食電位を調べ、塩素に対する耐食性を調査した。
【0052】
<試験片>
試料No.A〜Eと試料No.1〜No.2に示す供試材の表層から、縦25mm、横25mm、厚さ2mmの試験片を採取し、接液面積は1cm
2を残し、シリコン被覆材で被覆した試験片を準備した。
【0053】
<試験方法>
試験片について、3.5%(質量分率)塩化ナトリウム水溶液中に浸漬し、ポテンショスタットにて20mV/minの速度で電位を掃引し、0.5mAまで電流が流れた段階で計測を終了した。
【0054】
<孔食電位評価>
図7は、孔食電位測定結果を比較するグラフである。縦軸は電流密度(mA/cm
2)を示し、横軸は電位(V)を示す。電流密度は、試験片に孔食が発生すると、急激に上昇する。そのため、電流密度が急激に上昇するときの孔食電位が高いほど、孔食しにくく、耐食性が高いと考えることができる。
【0055】
グラフX4のP1に示すように、試料No.2は、約1.08Vで孔食が発生した。グラフX3のP2に示すように、試料No.1は、約0.95Vで孔食が発生した。これに対して、グラフX1のP3に示すように、試料No.Aは、約0.4Vで孔食が発生した。グラフX5のP4に示すように、試料No.Eは、約−0.1Vで孔食が発生した。
【0056】
これより、SUS304の基材にNi基耐食合金粉末の膜を形成するだけでは、基材のみのときより、孔食しやすく、耐食性が低くなることが分かった。しかし、SUS304の基材表面に形成した膜にレーザ照射して改質層を形成すると、基材のみのときより、孔食しにくく、耐食性が向上することが分かった。
【0057】
そして、試料No,1と試料No.2は、図中グラフX7に示す試料No.Dと、図中グラフX2に示す試料No.Bと、図中グラフX6に示す試料No.Cよりも、高い電位で孔食が発生している。
【0058】
これより、基材を構成するSUS304は、ハステロイやSUS316LやNi基耐食合金粉末のHIPによる焼結体より耐食性が低いが、基材の表面に、Cr−Mo−B−Niを含む粉末を溶射して膜を形成し、その膜にレーザを照射して改質層を形成すると、基材の表面が、ハステロイやSUS316LやNi基耐食合金粉末のHIPによる焼結体より、耐食性が優位になることが分かった。つまり、試料No.1と試料No.2に施した基材の表面改質方法によれば、基材の表面のみを、高耐食性を有するハステロイやSUS316LやNi基耐食合金粉末より更に耐食性を高くできることが、明らかになった。
【0059】
ここで、SUS304などのステンレス鋼は、一般的に、塩素等のハロゲン系元素に接すると、酸化被膜が壊されると言われている。しかし、試料No.2は、試料No.1より耐孔食性が優位である。これより、パワー密度を大きくするほど、ハロゲン系元素に接しても、孔食しにくい改質層を形成できることが、分かった。これは、レーザ出力が大きくなる程、膜と基材とがよく混ざり合って緻密で厚みのある改質層を形成し、局部腐食が生じ難くなるためと考えられる。
【0060】
(アノード分極曲線測定)
JIS G0579に準拠したアノード分極曲線測定を行い、酸に対する耐食性を調べた。
【0061】
<試験片>
試料No.A〜Eと試料No.1〜3の供試材の表層から、縦25mm、横25mm、厚さ2mm又は8mmの試験片を採取し、接液面積は1cm
2を残し、シリコン被覆材で被覆した試験片を準備した。
【0062】
<試験方法>
試験片について、5%(質量分率)硫酸水溶液中に浸漬し、ポテンショスタットにて、−1Vから1.5Vまで60mV/minの速度で分極し、アノード分極測定を行った。
【0063】
<アノード分極曲線評価>
図8は、アノード分極曲線を比較するグラフである。縦軸は電流密度(mA/cm
2)を示し、横軸は電位(V)を示す。 アノード分極曲線に示される電流密度は、その測定点での、金属の溶出量をそのまま表している。そのため、自然電位よりアノード側(高電位側)に分極を進めた場合に、電流密度が低いほど、耐食性が良好であると考えられる。
【0064】
試料No.1のアノード分極曲線X13と、試料No.2のアノード分極曲線X14と、試料No.3のアノード分極曲線X18は、試料No.Aのアノード分極曲線X11と比べ、0V以上1V以下の電位範囲における電流密度が約半分から約3分の1に小さくなっている。また、試料No.Eのアノード分極曲線X15は、試料No.Aのアノード分極曲線X11と比べ、0.2V以上の電位において、電流密度が大きくなっている。
【0065】
これより、Ni基耐食合金粉末の膜を形成されたSUS304の表面は、SUS304だけの表面と比べ、酸に溶けやすく、耐食性が劣ることが分かった。しかし、Ni基耐食合金粉末の膜にレーザ照射してSUS304の表面に改質層を形成すると、SUS304だけの表面と比べ、酸に溶けにくくなり、酸に対する耐食性が向上することが明らかになった。
【0066】
試料No.1のアノード分極曲線X13と、試料No.Dのアノード分極曲線X17は、0V以上1V以下の電位範囲における電流密度が同程度に小さい。よって、Ni基耐食合金粉末の膜にレーザ出力:100Wでレーザ光を照射してSUS304の表面に改質層を形成すると、酸に対する耐食性を、ハステロイと同程度にできることが分かった。
【0067】
一方、試料No.2のアノード分極曲線X14と、試料No.3のアノード分極曲線X18は、同様の軌跡を描く。0V以上1V以下の電位範囲において、試料No,2と試料No.3は、試料No.1より、電流密度が大きい。よって、レーザ出力を大きくしても、酸に対する耐食性を向上させることはできないことが分かる。つまり、改質層は薄い方が、酸に対する耐食性が良好であることが分かる。
【0068】
(表面元素分析)
EPMA(電子線マイクロアナライザー)定性分析により、改質断面に含まれるFe,Ni,Cr,Moの成分比率(質量%)を分析した。
【0069】
図9は、EPMA定性分析結果を示す表である。改質層を有する試料No.1と試料No.2は、膜も改質層もない試料No.Aとも、膜のみ形成された試料No.Eとも、成分比率が異なる。よって、基材の表面が、改質層によって改質されていることが分かる。
【0070】
試料No.EにおけるFeは、試料No.AにおけるFeの100分の1程度と少ない。これより、膜は、基材の表面を覆うだけで、基材と殆ど混ざり合っていないことが分かる。一方、試料No.1と試料No.2におけるFeは、試料No.AにおけるFeの約30%〜75%である。これにより、試料No.1と試料No.2は、膜にレーザ照射したことにより、膜と基材が溶融して混ざり合って合金化されていることが分かる。
【0071】
Crは、試料No.Aと試料No.Eと試料No.1と試料No.2とで、あまり変わらない。つまり、レーザ照射によりNi基耐食合金粉末とSUS304が混ざり合っても、Crの成分比率があまり変わらない。これは、Ni基耐食合金粉末が基材を構成するSUS304と同程度のCrを含むためと考えられる。
【0072】
Niは、試料No.Aよりも、試料No.Dと試料No.1と試料No.2の方が多い。これは、Ni基耐食合金粉末が、Niの成分比率がSUS304より多いためと考えられる。
【0073】
Moは、SUS304にはない元素であり、Ni基耐食合金粉末により添加されている。試料No.1及び試料No.2は、膜にレーザ照射することにより、膜と基材とが混ざり合って改質層が形成されるため、試料No.EよりMoの成分比率が小さい。試料No.2は、試料No.1と比べ、基材の溶融量が増えるため、Moの成分比率が小さい。
【0074】
以上より、改質層は、膜に含まれるMoとNiが、基材を構成するSUS304と混ざり合って、Crと重畳して酸化被膜を形成する。そのため、改質層を有する基材は、
図7及び
図8に示すように、表面に膜も改質層も形成されてない基材と、膜のみを形成された基材と比べ、高耐食性を有するようになると考えられる。
【0075】
ここで、レーザ照射して改質層を形成する場合に、パワー密度を大きくすると、Feの成分比率が大きくなって、NiやMoの成分比率が小さくなる。一方、パワー密度を小さくすると、膜に含まれるNi,Moの成分比率が大きくなり、Feの成分比率が小さくなる。よって、パワー密度を調整することにより、改質層のFeとMoとNiの成分比率を変化させ、改質層の特性を調整することができる。
【0076】
(基材表面の結晶構造)
X線回析評価と顕微鏡を用いた断面観察を行い、基材表面の結晶構造を調べた。
【0077】
<X線解析評価>
図10は、試料No.EのX線回析評価結果を示すグラフである。
図11は、試料No.2のX線回析評価結果を示すグラフである。それぞれ、縦軸は「X線照射角度」を示し、横軸は「検出強度」を示す。
【0078】
固体には、原子が規則正しく並んでいる「結晶」と、原子がランダムに並んでいる「アモルファス」がある。X線回析を行うと、結晶成分はピークを示し、アモルファス成分はブロードなハローパターンを示す。
【0079】
図10に示すように、試料No.Eは、図中M1に示すハローパターンと、図中M2に示すピークと、を示している。これに対して、
図11に示すように、試料No.2は、図中M3に示すように、ピークを示しているが、ハローパターンを示していない。よって、試料No.2は、試料No.Eと比べ、基材表面の元素が規則正しく並んで、緻密であることが分かる。
【0080】
<顕微鏡を用いた断面観察>
図12は、試料No.2の断面観察結果を示す図である。膜3は、内部に空孔を多く含み、基材1の表面1aとの間に隙間がある。一方、改質層4は、内部に空孔を含まず、緻密化されている。そして、改質層4は、基材1と合金化して形成され、基材1との間に隙間がない。よって、改質層は、膜より結晶が緻密で、基材に強固に結合されている。
【0081】
<小括>
図9に示すように、試料No.Eは、試料No.1と試料No.2よりNiとMoの成分比率が大きい。しかし、
図7及び
図8に示すように、試料No.Eは、試料No.1と試料No.2より耐食性が低い。これは、
図10、
図11、
図12に示すように、膜は、改質層より空孔が多く、基材との間にすき間があることにより、孔食やすき間腐食が発生しやすいためと考えられる。
【0082】
(耐摩耗評価)
ボールオンディスク型試験機を用いて、耐摩耗性を調査した。
【0083】
<試験片>
試料No.B、試料No.C、試料No.1、試料No.2の表面から、縦25mm、横25mm、厚さ2mm又は8mmの寸法で、試験片を採取した。試験片は、表面粗さがRa:0.05μmになるまで#600耐水研磨紙で表面を研磨した。
【0084】
<試験方法>
試験では、直径10mmのアルミナボールを試験材に押し付け、往復摺動させた。荷重は、4.9N、及び、0.98Nとした。摺動速度は、10mm/sとした。摺動距離は、10mm往復を300回(6m)とした。
【0085】
<評価方法>
耐摩耗性は、試験後の試験片の摺動部にできた摩耗痕をプロファイルすることにより評価した。
図13は、摩耗痕の深さを比較する表である。
図14は、摩耗痕の幅を比較するグラフである。
【0086】
<耐摩耗性評価>
図13に示すように、荷重が0.98Nの場合、試料No.1と試料No.2は、試料No.B及び試料No.Cより、摩耗痕の深さが浅い。そして、
図14に示すように、荷重が0.98Nの場合、試料No.1と試料No.2と試料No.Bと試料No.Cは、摩耗痕の幅が同程度である。
【0087】
また、
図13に示すように、試料No.1は、試料No.2より摩耗痕の深さが浅い。つまり、試料No.1は、試料No.2より改質層の厚さが薄いが、耐摩耗性が優位である。改質層が薄いほど、SUS304の成分比率が小さくなり、耐摩耗性があるBの成分比率が大きくなるためと考えられる。
【0088】
一方、
図13に示すように、荷重が4.9Nの場合、試料No.1と試料No.2は、試料No.Bより、摩耗痕の深さを15%から20%浅くできた。試料No.Cは、試料No.Bに対して、摩耗痕の深さが2倍以上深かった。
【0089】
図14に示すように、荷重が4.9Nの場合、試料No.1及び試料No.2は、試料No.Bに対して、摩耗痕の幅を約70%にでき、また、試料No.Cに対して、摩耗痕の幅を約50%にできる。尚、試料No.Cは、試料No.Bに対して、摩耗痕の幅が約180%である。
【0090】
上記より、Ni基耐食合金粉末のHIPによる焼結体は、SUS316Lより硬いにもかかわらず、摩耗しやすいことが分かる。しかし、Ni基耐食合金粉末の膜を基材の表面に形成し、膜にレーザを照射して改質層を形成すると、基材の耐摩耗性が、SUS316Lより良好になることが分かった。
【0091】
ここで、Bは、耐食性を低下させる要因となると考えられ、耐食性が要求される部材に添加されない傾向があった。しかし、改質層は、Bを含むが、
図7及び
図8に示すように、SUS304からなる基材より耐食性が向上している。これは、改質層に含まれるCr,Ni,Moが形成する酸化被膜(不働態化被膜)により、Bが改質層の表面に析出しないように封じ込められるためと考えられる。
【0092】
尚、発明者らは、試料No.2について、改質材の表面に析出する元素をX線回析評価した結果、改質層の表面にBが析出していないことを確認した。
【0093】
図13及び
図14に示すように、試料No.2は、試料No.1より改質層が厚く形成されるが、耐摩耗性が試料No.1と同程度である。よって、Bが、1.4質量%と僅かな比率でNi基耐食合金粉末に含まれるだけでも、基材は、改質層を硬化され、耐摩耗性が向上することが、明らかになった。
【0094】
(まとめ)
従って、20〜25質量%Cr−24〜29質量%Mo−1〜2質量%B−残部Niで組成される粉末をステンレス鋼からなる基材に溶射して膜を形成し、その膜にレーザ光を照射して膜と基材の一部を局部的に急速加熱して溶融させ、急冷却させることにより改質層を形成すると、基材の表面のみの高耐腐食化と耐摩耗化を両立して実現することができる。
【0095】
その耐食性は、ハステロイやSUS316Lより優れている。そのため、加工性が良くて安価なオーステナイト系ステンレス鋼を所望の形状に成形し、例えば、塩素系又は酸系の高腐食流体に接する液体接触部に上記形態の基材の表面改質方法を適用して表面改質を行うことで、液体接触部だけを高耐腐食化・耐摩耗化することができる。この場合、液体接触部にだけ、Ni基耐食合金粉末などの粉末を用いて膜を形成すれば良いので、粉末の使用量を抑制し、低コストで高耐腐食化と耐摩耗化を実現することができる。
【0096】
尚、本発明は上記形態に限定されるものではない。例えば、上記基材の表面改質方法は、半導体製造産業で使用される流体機器だけでなく、鉄鋼産業や自動車産業や航空・宇宙産業やエネルギー産業などで使用される部材にも適用できる。