(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024102483
(43)【公開日】2024-07-31
(54)【発明の名称】ラット安寧フェロモン
(51)【国際特許分類】
A01N 37/02 20060101AFI20240724BHJP
A01P 19/00 20060101ALI20240724BHJP
A01M 29/12 20110101ALI20240724BHJP
【FI】
A01N37/02
A01P19/00
A01M29/12
【審査請求】未請求
【請求項の数】6
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023006388
(22)【出願日】2023-01-19
(71)【出願人】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(71)【出願人】
【識別番号】502082421
【氏名又は名称】大丸合成薬品株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100137512
【弁理士】
【氏名又は名称】奥原 康司
(72)【発明者】
【氏名】清川 泰志
(72)【発明者】
【氏名】田母神 成行
(72)【発明者】
【氏名】長岡 慧
【テーマコード(参考)】
2B121
4H011
【Fターム(参考)】
2B121AA03
2B121CB02
2B121CC14
4H011AE03
4H011BB06
(57)【要約】
【課題】本発明は、ドブネズミを含むラットの新奇性恐怖を抑制するための新たな手段の提供を課題とする。
【解決手段】
本発明は、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)を有効成分として含有する、ネズミの誘引補助剤を提供することにより、ドブネズミなどの新奇性恐怖を抑制し、効率的なネズミ駆除を可能ならしめる。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
ネズミの誘引補助剤であって、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)を有効成分として含有する、ネズミの誘引補助剤。
【請求項2】
前記ネズミが、Rattus (クマネズミ属)に属するネズミである、請求項1に記載のネズミの誘引補助剤。
【請求項3】
前記ネズミが、ドブネズミ(Rattus norvegicus)またはクマネズミ(Rattus rattus)である、請求項2に記載のネズミの誘引補助剤。
【請求項4】
2-MBを有効成分として含有するネズミの誘引補助剤をネズミ用捕獲器具または殺鼠剤の近傍に配置することを含む、ネズミの駆除方法。
【請求項5】
前記ネズミが、Rattus (クマネズミ属)に属するネズミである、請求項4に記載のネズミの駆除方法。
【請求項6】
前記ネズミが、ドブネズミ(Rattus norvegicus)またはクマネズミ(Rattus rattus)である、請求項5に記載のネズミの駆除方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ラットの不安や恐怖を抑制するフェロモン(以下、安寧フェロモン)に関する。さらに、本発明は、当該安寧フェロモンの有効成分を含む、ラット誘引補助剤に関する。
【背景技術】
【0002】
フェロモンは、同種の個体間のコミュニケーションを媒介する嗅覚シグナル伝達物質である。哺乳動物において、フェロモンによって伝達される情報として、放出する個体の生理学的状態、例えば、性、年齢、生殖状態などが知られている。その他にも、同種の個体に対する危険の存在なども、警報フェロモンによって伝達される事が知られている。例えば、極度の不安状態にあるラット、マウス、シカ、ウシ、ブタおよびヒトは、同種個体に同様の不安反応を呼び起こす特異的な臭いを放つことが報告されている。ラットにおいて、4-メチルペンタナール(4- metylpentanal)およびヘキサナール(hexanal)の混合物は、他のラットに不安反応を呼び起こす警報フェロモンの主要成分として同定された(非特許文献1)。
【0003】
哺乳動物においては、警報フェロモンとは反対の作用を有する安寧フェロモンにより、同種の他の個体の不安や恐怖が抑制され、同種個体間で、安全の存在が伝達されると考えられている。
社会的緩衝と称される現象において、ストレスが負荷されていない個体の存在は、様々な種において、他の同種個体のストレス反応を緩和する(非特許文献2)。例えば、恐怖条件付けされたラットが、嫌悪的な条件刺激に曝されると、すくみ行動およびコルチコステロンの放出などの条件付けられた恐怖反応を示す。これに対し、恐怖条件付けされたラットが、恐怖条件付けされていないラットと一緒に居るとこれらの恐怖反応が完全に抑制されることが報告されている(非特許文献3)。社会的緩衝が誘導されるためには、個体同士の物理的な接触は必要ない(非特許文献4)。しかし、嗅上皮が傷害を受けている恐怖条件付けされたラットには、社会的緩衝が誘導されない(非特許文献4)。これらの知見は、社会的緩衝の誘導には嗅覚シグナルが必要であることを示している。さらに、恐怖条件付けされていないラットから放出される揮発性の臭気のみが社会的緩衝を誘導することが報告されている(非特許文献5)。従って、恐怖条件付けされていないラットから放出される揮発性の臭気が、恐怖や不安などの反応を緩和する安寧フェロモンを含んでいると考えられる。
【0004】
ところで、ドブネズミなどの害獣の駆除方法として、フェロモン関連物質の利用が期待されている。市街地の飲食店や食料品店では、野生のドブネズミによる被害を受けることが多く、効率的な駆除方法の確立が待たれるところである。しかしながら、ドブネズミは馴染みのない物体(新奇物)を避ける反応(新奇性恐怖)を示すことから、駆除のために設置された捕獲器具や殺鼠剤が回避されてしまい、捕獲や駆除が困難な場合が多い。効率的なドブネズミの駆除を行うためには、新奇性恐怖を抑制する何らかの手段が必要であると考えられる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Inagakiら, 2014. Proc Natl Acad Sci U S A 111, 18751-6. https://doi.org/10.1073/pnas.1414710112.
【非特許文献2】KiyokawaおよびHennessy, 2018. Neurosci Biobehav Rev 86, 131-141. https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2017.12.005.
【非特許文献3】Kiyokawaら, 2007. Eur J Neurosci 26, 3606-13. https://doi.org/10.1111/j.1460-9568.2007.05969.x.
【非特許文献4】Kiyokawaら, 2009. Eur J Neurosci 29, 777-85. https://doi.org/10.1111/j.1460-9568.2009.06618.x.
【非特許文献5】Kiyokawaら, 2014. Behav Brain Res 267, 189-93. https://doi.org/10.1016/j.bbr.2014.03.043.
【非特許文献6】Kiyokawaら, 2005. Chem Senses 30, 513-9. https://doi.org/10.1093/chemse/bji044.
【非特許文献7】Kiyokawaら, 2015. Neuroscience 299, 79-87. https://doi.org/10.1016/j.neuroscience.2015.04.055.
【非特許文献8】Kiyokawaら, 2013. Alarm pheromone is detected by the vomeronasal organ in male rats. Chem Senses 38, 661-8. https://doi.org/10.1093/chemse/bjt030.
【非特許文献9】BenjaminiおよびHochberg, 1995. J R Stat Soc Series B Stat Methodol 57, 298-300. https://doi.org/10.1111/j.2517-6161.1995.tb02031.x.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
上記事情に鑑み、本発明は、ドブネズミを含むラットの新奇性恐怖を抑制するための新たな手段の提供を課題とする。より具体的には、本発明は、ラットの新奇性恐怖を抑制する効果を発揮する物質の提供、当該物質を有効成分として含むラットの新奇性恐怖抑制剤の提供、および当該剤を用いたラットの駆除方法の提供を課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
発明者らは、ラットの新奇性恐怖を抑制する効果を発揮するフェロモン、安寧フェロモンの有効成分を同定するために、安寧フェロモンを含んでいる生理活性臭気をラットから収集、その解析を進めた。その結果、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)が、生理活性臭気と同程度に、実験用ラットおよび野生のドブネズミの条件付け恐怖反応を改善することを突き止めた。
すなわち、本発明は以下の(1)~(6)である。
(1)ネズミの誘引補助剤であって、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)を有効成分として含有する、ネズミの誘引補助剤。
(2)前記ネズミが、Rattus (クマネズミ属)に属するネズミである、上記(1)に記載のネズミの誘引補助剤。
(3)前記ネズミが、ドブネズミ(Rattus norvegicus)またはクマネズミ(Rattus rattus)である、上記(2)に記載のネズミの誘引補助剤。
(4)2-MBを有効成分として含有するネズミの誘引補助剤をネズミ用捕獲器具または殺鼠剤の近傍に配置することを含む、ネズミの駆除方法。
(5)前記ネズミが、Rattus (クマネズミ属)に属するネズミである、上記(4)に記載のネズミの駆除方法。
(6)前記ネズミが、ドブネズミ(Rattus norvegicus)またはクマネズミ(Rattus rattus)である、上記(5)に記載のネズミの駆除方法。
なお、本明細書において「~」の符号は、その左右の値を含む数値範囲を示す。
【発明の効果】
【0008】
本発明により、野生のドブネズミなどの新奇性恐怖を抑制し、当該殺鼠剤または捕獲器具への誘引を補助(促進)することにより、効率的なネズミの駆除が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図1】
図1は、ラットにおける安寧フェロモンを含む臭気の収集方法および収集した臭気の効果を調べた結果を示す。(A)実験の概要(左図)と、各臭気の存在下におけるラットのすくみ行動の時間(右図)を示す。聴覚刺激を与えた恐怖条件付けラットのすくみ行動は、純水(n = 7)の存在下と比較して、頭(P < 0.05、n = 7)または首(P < 0.01、n = 7)からの臭気を含む水溶液サンプルの存在下では改善されたが、脇腹(n = 6)または尻(n = 6)の臭気の存在下では改善されなかった(F(12, 69) = 4.10、P < 0.01、MANOVA後、Dunnett’s testを行った)。(B)各臭気の原液、2倍希釈、3倍希釈を提示した場合の、3回目および4回目の提示の際の探索行動の時間を示す。探索行動は、4回目のサンプル提示において、頭(P < 0.01)、首(P < 0.01)、脇腹((P < 0.05)または尻((P < 0.05)の臭気のサンプルが原液の場合、および首のサンプルが2倍希釈(P < 0.05)の場合に、3回目のサンプル提示の場合より、探索行動の時間が長くなった(paired t-testを行った)。(C)各領域(頭、首、脇腹および尻)における皮脂腺の存在割合を示す。真皮における皮脂腺が存在する領域の割合(n=6)は、頭(P < 0.01)、首(P < 0.01)および尻(P < 0.05)の各領域と比較して、脇腹領域では少なかった(one-way repeated ANOVA後、paired t-testを行った。P値は、 false discovery rate(FDR)で調整した)。(D)Wistar系、SD系、F344系、BN系の各臭気の存在下における、恐怖条件付けしたラットのすくみ行動の時間を示す。聴覚刺激による恐怖条件付けラットのすくみ行動は、純水(n = 7)の存在下と比較して、Wistar系ラット(P < 0.01、n = 9)またはSD系ラット(P < 0.01、n = 8)の首の臭気を含んだサンプルの存在下において緩和されたが、F344系ラット(n = 8)またはBN系ラット(n = 7)の首の臭気の存在下では、緩和されなかった(F(12, 90) = 6.05、P < 0.01、MANOVA後、Dunnett’s testを行った)。
【
図2】
図2は、2-MBがラットの恐怖反応を緩和する安寧フェロモンとしての効果を発揮することを示す実験結果を示す。(A)Wistar系ラット、 SD系ラットまたはF344系ラット(各n = 7)の化学物質プロファイル中の46化学物質の存在割合を示す。ピラジン(pyrazine:P)、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)、2-エチルピラジン(2-ethylpyrazine:2-EP)および2-エチル-6-メチルピラジン(2-ethyl-6-methylpyrazine:2-E-6-MP)の存在割合を矢印で示した。(B)化学物質プロファイルの判別解析の結果を示す。全てのプロファイルは、判別解析により、正確に3系統に分離された。(C)各臭気または化学物質を提示された恐怖条件付けラットが、聴覚刺激に曝されたときのすくみ行動の時間を示す。純水(n = 8)を提示した場合と比較して、Wistar系ラットの首の臭気(P < 0.01, n= 6)または2-MB溶液(P < 0.01, n= 6)を含むサンプルが提示された場合に、ラットのすくみ行動が緩和されたが、P 溶液(n = 6)、2-EP溶液(n = 6)または2-E-6-MP溶液(n = 6)を含むサンプルが提示され場合には緩和されなかった(F(15, 86) = 3.62、P < 0.01、MANOVA後、Dunnett’s testを行った)。(D)恐怖条件付けラットが聴覚刺激を受けたときの、すくみ行動の時間と、提示したサンプルに含まれる2-MBの濃度との関係を示す。純水(n = 7)を提示した場合と比較して、1.5×10
-6 M(P < 0.01、n = 8)、1.5×10
-7 M(P < 0.01、n = 4)、1.5×10
-8 M(P < 0.01、n = 4)または1.5×10
-9 M(P < 0.05、n = 6)の濃度の2-MB溶液の存在下において、ラットのすくみ行動が緩和されたが、1.5×10
-10 M(n = 5)の濃度の2-MB溶液、P溶液の存在下では緩和されなかった(F(15, 72) = 4.60、P < 0.01、MANOVA後、Dunnett’s testを行った)。(F)2-MB溶液の存在下において、聴覚刺激に曝された恐怖条件付けラットの脳の各領域におけるc-Fos陽性細胞の数を示す。前嗅核後部複合体(anterior olfactory nucleus:AOP)(P < 0.01)およびGABA作動性ニューロンのクラスターである外側扁桃体核間細胞塊(lateral intercalated cell mass of the amygdala:ITC
L)(P < 0.01)におけるc-Fos陽性細胞の数は増加したが、視床下部室傍核(paraventricular nucleus of the hypothalamus:PVN)(P < 0.01)および外側扁桃体(lateral amygdala :LA)(P < 0.01)における数は減少した(t- test、すべての両グループともn = 7)。(F)条件付け前および後のトライアルにおける、2-MB と関連づけられた区画と2-MBと 関連づけられなかった区画での恐怖条件付けラットの滞在時間を示す。条件付け前のトライアル(Pre)では、ラット(n = 8)は区画に対する嗜好性を示さなかったが、条件付け後のトライアル(Post)では、2-MBと関連づけられた区画に、より長い時間滞在した(P < 0.01)(区画、F(1, 7) = 6.65、P < 0.05;条件付け、F(1, 7) = 0、P = 1;区画×条件付け、F(1, 7) = 4.63、P = 0.0685。 two-way repeated ANOVA後、paired t-testで計画的比較を行った。アステリスクは、P < 0.05を示す。
【
図3】
図3は、実験用ラットの安寧フェロモンの野生のドブネズミに対する効果を評価した結果を示す。(A)S-immediate(S地区で捕獲後すぐに臭気を採集したグループ、n = 7)、 U-immediate(U地区で捕獲後すぐに臭気を採集したグループ、n = 7)、S-later(S地区で捕獲後1か月間実験用の餌を与えた後臭気を採集したグループ、n = 6)、U-later(U地区で捕獲後1か月間実験用の餌を与えた後臭気を採集したグループ、n = 5)の各グループから採集した臭気の化学物質プロファイル中の28化学物質の含有割合を示す。2-MBの含有割合を示した。(B)各グループから得た全ての化学物質プロファイルの判別分析の結果を示す。各グループの化学物質プロファイルは、判別分析で正確に区別された。(C)2-MB、P、2-EPおよび2-E-6-MPが臭気中に存在するラットの各グループにおける割合を示す。かなりの割合の野生のドブネズミが2-MBを放出した。(D)2-MBまたはPの臭いがするトレイの探索時間を調べた結果を示す。野生のドブネズミは、純水の臭いがするトレイと比較して、2- MB(P < 0.01、n = 6)の臭いのするトレイの方をより長い時間探索したが、P(n = 6)の臭いがするトレイの探索時間は同程度であった(paired t-test)。(E)純水と2-MBの臭いがするトレイ間の嗜好性を比較した結果である。野生のドブネズミは純水の臭いがするトレイよりも、2-MBの臭いがするトレイに置かれた餌をより多く食べた(P < 0.05、paired t-test)(P < 0.05 by paired t-test)。アステリスクはP < 0.05を示す。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明を実施するための形態について説明する。
第1の実施形態は、ネズミの誘引補助剤であって、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)を有効成分として含有する、ネズミの誘引補助剤(以下「本実施形態にかかる誘引補助剤」とも記載する)である。
本実施形態において、「ネズミ」とは、Rattus (クマネズミ属)に属するネズミであって、特に限定はしないが、例えば、ドブネズミ(Rattus norvegicus)またはクマネズミ(Rattus rattus)などを挙げることができる。
ここで「ネズミの誘引補助剤」とは、ネズミが当該誘引補助剤の有効成分を吸引すると、当該ネズミの新奇性恐怖(すなわち、見慣れないもの(新奇物)に遭遇したときに示す恐怖反応または回避反応)を抑制または緩和し、当該ネズミが新奇物に接近すること(誘引されること)を補助する効果を有する剤のことである。
【0011】
本実施形態にかかる誘引補助剤は、クマネズミ属に属するネズミの新奇性恐怖を抑制することができることから、ネズミを駆除するときに使用する殺鼠剤またはネズミの捕獲用器具などの近傍に配置することで、これら殺鼠剤および捕獲用器具に対する新奇性恐怖が抑制される。その結果、ネズミによる殺鼠剤および捕獲用器具の回避行動が抑制され、当該ネズミが殺鼠剤を摂取する機会、または捕獲用器具に接触する機会が増加し、当該ネズミの駆除効率を上げることができる。本実施形態にかかる誘引補助剤の使用態様として、特に限定はしないが、例えば、有効成分である2-MBを揮発し得る状態で含む担体を、殺鼠剤や捕獲用器具の近傍に配置する、または2-MBを含有する液体を殺鼠剤近傍に噴霧する、ネズミ捕獲用の粘着シートの粘着剤に2-MBを直接練り込む、または捕獲用器具の近傍にまたは当該器具に直接噴霧することなどを例示することができる。ここで、2-MBを含む担体としては、2-MBの揮発性を阻害せずに、2-MBを保持し得るものであれば、特に限定はされず、例えば、パルプ、綿、羊毛、麻、絹などの天然繊維、ポリプロピレン、ポリエチレン、ポリアミド、ポリエチレンテレフタレート、ポリブチレンテレフタレート、メタアクリル酸樹脂、ガラス繊維等の合成繊維、ゼオライト、タルク、珪藻土、石灰、シリカゲル、アルミナ、活性炭、ポーラスポリマー等の多孔質などを挙げることができる。
【0012】
また、本実施形態にかかる誘引補助剤は、使用態様に応じて、適宜溶剤および各種製剤用添加物など、有効成分である2-MB以外の成分を配合して、組成物として製剤(錠剤、タブレットなど)化してもよい。当該組成物における2-MBの配合量は、使用態様等によっても異なるが、組成物全量に対して、例えば、0.01重量%~80重量%、好ましくは0.01重量%~40重量%、より好ましくは0.1重量%~10重量%である。
【0013】
上記組成物を製剤化するための溶剤は、使用形態または使用目的に応じて適宜選択してもよく、特に限定はしないが、例えば、水の他、メタノール、エタノール、プロパノールなどの低級アルコールなどを挙げることができる。また、上記組成物を製剤化するための添加物としては、特に限定はしないが、例えば、可溶化剤、増粘剤、防腐剤などの他、すでに公知の誘引物質などが挙げられる。
【0014】
本実施形態にかかる誘引補助剤の製剤形態としては、特に限定はしないが、例えば、液体、ゲル状、粉末状、噴霧またはエアゾールスプレーなどを挙げることができる。
【0015】
第2の実施形態は、2-MBを有効成分として含有するネズミの誘引補助剤をネズミ用捕獲器具または殺鼠剤の近傍に配置することを含む、ネズミの駆除方法である。
本実施形態において、ネズミ用捕獲器具または殺鼠剤の近傍に配置する態様としては、2-MBを含む担体を捕獲器具または殺鼠剤が配置されている位置の近傍(特に限定はしないが、当該捕獲器具または殺鼠剤から、0~50 cm以内、好ましくは、5 cm~30 cm以内、より好ましくは、7 cm~15 cm以内の位置)に配置してもよい。あるいは、2-MBを含む液体製剤を捕獲器具または殺鼠剤の近傍に塗布または噴霧してもよく、具体的には、捕獲器具に直接塗布または噴霧、または殺鼠剤が配置されているトレイ等に直接塗布または噴霧してもよい。
【0016】
第2の実施形態にかかる方法によれば、殺鼠剤または捕獲器具の近傍に配置された誘引補助剤から2-MBが揮発し、当該殺鼠剤または捕獲器具に接近したネズミが2-MBを吸引し、当該ねずみの新奇性恐怖を抑制され、当該ネズミの殺鼠剤の摂食率または捕獲器具との接触率が上がり、効率的なネズミの駆除が可能となる。
【0017】
本明細書が英語に翻訳されて、単数形の「a」、「an」、および「the」の単語が含まれる場合、文脈から明らかにそうでないことが示されていない限り、単数のみならず複数のものも含むものとする。また、本明細書において、「約」とは±10%の数値範囲を意味する。
以下に実施例を示してさらに本発明の説明を行うが、本実施例は、あくまでも本発明の実施形態の例示にすぎず、本発明の範囲を限定するものではない。
【実施例0018】
1.材料と実験方法
1-1.動物
全ての実験は、東京大学農学部動物実験委員会またはドイツ当局(Landesverwaltungsamt Sachsen-Anhalt; Az.42502-2-1587 UniMD)の承認を得て行った。
バイオアッセイ、馴化-脱馴化テスト、皮脂腺の解析および化学物質プロファイルの取得を行うために、ナイーブオスの、Wistar系(7.5週齢)、SD系(8週齢)、F344系(9週齢)およびNB系(9週齢)の各ラットをCharles River Laboratories Japanから購入した。同程度の体の大きさのラットを使用するために、系統毎に異なる週齢のラットを購入した。ラットは、同系統のラットを2-3匹ずつ、温度(24±1℃)および湿度(45±10%)が管理された飼育部屋で、12時間毎の明暗サイクル(8:00から20:00までが明期)にて飼育した。餌および水は自由摂取可能にした。到着の翌日、バイオアッセイに使用する全てのラットを個別飼育にし、恐怖条件付けの前の3日間、1日に5分間ハンドリングした。
【0019】
条件付け場所嗜好性が成立したことを評価するために、Wistar系ラット(8週齢)を、大学の繁殖コロニー(University of Magdeburg)から入手した。ラットは、4-6匹ずつ温度(21±1℃)および湿度(55±10%)が管理された飼育部屋で、12時間毎の明暗サイクル(6:00から18:00までが明期)にて飼育した。餌および水は自由摂取可能にした。これらのラットは、嗜好性試験に1-2回使用した。
【0020】
化学物質プロファイルを取得するために、東京に所在し互いに10 km程度離れている2箇所の繁華街(場所Sおよび場所U)の200 m範囲内に罠を仕掛けて、野生のドブネズミ(204.8±20.4 g)を捕獲した。捕獲後すぐに、イカリ消毒株式会社に移送した。到着したドブネズミは、体重を測定し、エトフェンプロックス溶液に3回浸した後、周囲温度が20±5℃で12時間毎の明暗サイクルの条件に管理された室内にある、金属メッシュのケージ内で、個別に飼育した。餌(CE-2、日本クレア)および水は自由摂取可能にした。
【0021】
実験室において嗜好性試験を行うために、野生のドブネズミ(146.6±12.5 g)を長野県の養鶏場にて、嗜好性試験を行う約1月前に捕獲した。捕獲したドブネズミは、すぐに、大丸合成薬品株式会社の実験室に移送した。実験室に到着後、ドブネズミは、周囲温度が20±10℃で10時間の明期/14時間の暗期の明暗サイクルの条件に管理された室内に置かれた標準的なケージ(25.5×40.5×20 cm)内で飼育した。餌(MF、オリエンタル酵母工業株式会社)と水は、自由摂取可能にした。嗜好性試験の約1週間前から、ドブネズミを個別に飼育した。この時期に、1つの壁の真ん中に小さな穴(直径6.5 cm)の空いたプラスチックボックス(12.5×22×5.8 cm)を、各ケージに配置した。
【0022】
1-2.水溶液サンプルの調製
既報(非特許文献6)に記載の方法に従い、水溶液サンプルは、13:00から17:00の間に調製した。まず、アクリル箱(20×20×10 cm)の天井に純水をスプレーした。各ドナーラットはペントバルビタールナトリウムで麻酔を行い、電気刺激用の皮内針(27 G)を頭、首、脇腹、尻の各領域に留置した。その後、ドナーをアクリル箱の中に15分間入れた。この15分の間、ドナーラットに、1分間隔で針を通じて電気刺激(1秒間に10 V)を行った。針の留置および電気刺激による出血および明らかな皮膚への傷害は生じていないことを確認した。電気刺激の後、ドナーを箱から取り出し、天井の水滴を、ガラス棒とパスツールピペットを用いてガラス管に採取した。ラットを入れなかったアクリル箱から採取した水滴は、コントロールとして使用した。採取した水溶液サンプルを3 mLガラスバイアルに入れ、使用時まで-20℃で一晩保存した。ドナーラットは、再使用しなかった。アクリル箱は、洗剤を使用してお湯で洗浄し、各使用の前にペーパータオルで拭いた。フェロモンの候補物質(ピラジン(pyrazine:P)、2-メチル酪酸(2-methylbutyric acid:2-MB)、2-エチルピラジン(2- ethylpyrazine:2-EP)および2-エチル-6-メチルプラジン(2-ethyl-6-methylpyrazine:2-E-6-MP))のうち、P、2-MB、および2-EPは、東京化成工業株式会社から購入し、2-E-6-MPはMerck Milliporeから購入した。安寧フェロモンの候補物質は、純水に溶解した。純水をコントロールとして使用した。
【0023】
1-3.恐怖反応の緩和に関するバイオアッセイ
聴覚による恐怖条件付けは、既報(非特許文献3)に記載の方法に従って、9:00から13:00まで照明を行った部屋で実施した。試験動物をアクリル製の条件付け用の箱(28×20×27 cm)に20分間入れ、3秒間、音(条件刺激、8 kHz、70 dB)を7回繰り返し聞かせ、条件刺激の終了と同時に足に刺激(0.5秒、0.3 mA)を与えた。トライアル隔は、無作為に30秒から180秒の間のいずれかとした。条件付け後、試験動物をホームケージに戻した。
【0024】
恐怖条件付けの後、既報(非特許文献7)に記載の方法に従って、暗赤色灯で照明を行った暗室においてバイオアッセイを行った。3 mLの評価対象サンプルを4枚の5×5 cm濾紙に滴下した。これらの濾紙を、天井部に穴のあるアクリル製の試験箱(25×25×25 cm)の両サイドの壁に貼付した。その後、被験動物を試験箱に入れた。順化期間の5分経過後、試験期間(10分間または15分間)の最初の5分間、被験動物に3秒間の条件刺激音を1分間隔で5回聞かせた。馴化期間および試験期間の被験動物の行動は、ビデオカメラ(HDR-HC、ソニー)およびHDD-BDレコーダー(DMR-BW770;パナソニック)で記録した。
【0025】
実験条件を知らされていない試験者が、キーを押す間隔および数を記録するMicrosoft Excelのマクロを用いて、行動反応を記録した。被験動物のすくみ行動(不動姿勢。ただし、呼吸と関連する動きは除く)と探索行動(濾紙との直接的な接触。壁との接触態様は問わず、噛みつきおよび鼻の接触を含む)の時間、および歩行頻度(後足を使ったステップの数)は、条件刺激の有無に関わらず記録した。馴化期間または試験期間におけるすくみ行動および探索行動の合計時間および歩行の合計頻度は、多重変量分散分析(MANOVA)で検定した後、Dunnettの後検定を行った。
【0026】
1-4.馴化-脱馴化試験
既報(非特許文献8)に記載の方法に従って、馴化-脱馴化試験は、9:00から13:00までの間に実施した。ホームケージの水ボトルを取り除き、各被験動物を、飼育室内にある別の棚に移動させた。30秒間の馴化期間の後、天井の端に純水50μL滴下した濾紙(5×5 cm)を提示した。このような提示方法により、ラットは濾紙と物理的な接触ができず、刺激からの揮発した臭気のみを知覚することになる。純水を2分間、3回連続提示した後、評価サンプルを30秒間隔で2分間提示した。被験動物の行動は、ビデオ(DCR-DVD403、ソニー)で録画し、解析を行った。実験条件を知らされていない試験者は、Microsoft Excelのマクロを用いて各刺激に対する探索時間(刺激の方向の臭いを嗅ぐ時間および天井に鼻を突き出す時間)を測定した。3回目の水の提示と評価サンプルの提示における探索時間の違いは、paired t-testで検定した。
【0027】
1-5.皮脂腺の解析
実験動物を、0.9%生理食塩水、その後4% パラホルムアルデヒド(in 0.1 M リン酸バッファー)を用いて灌流した。皮膚片(2×2 cm)を頭、首、脇腹および尻の各領域から採取し、同じ固定液に浸漬した。パラフィン包埋皮膚サンプルを2~3μm厚にカットし、ヘマトキシリン/エオジン染色を行った。
実験条件を知らされていない試験者は、約1 cm長の皮膚サンプルの真皮領域と皮脂腺領域の面積を測定した。真皮領域に対する皮脂腺の存在比率を計算し、one-way repeated ANOVAで検定した。事後比較はpaired t-検定で行った。有意差は、Benjamini-Hochberg法(非特許文献9)により、多重比較法で調整した。
【0028】
1-6.首の臭気に関する分析
首の臭気の収集は、清浄化した空気(G3、日本メガケア株式会社)を充填したアクリル製の箱(25×25×25 cm)の中で行った。麻酔をしたラットの首領域を、上述と同じ方法で1時間電気刺激した。電気刺激を行っている間、首領域周囲の空気を、0.25 gの吸着剤、Tenax(TENAX-TA 30/60 mesh、Buchem B.V.)が充填されたインレットライナー(5181-3316、Agilent)の中に、ポンプ(50 mL/min;MP-2N、柴田化学株式会社)を使用して吸い込んだ。次いで、インレットライナーを加熱脱着システム(HandyTD TD265、GL Sciences)に移し、吸着物を脱着した。加熱脱着システムでは50 mL/minで気流が流れている中、インレットライナーの温度が40℃から230℃まで45℃/秒で上昇させられ、230℃で2分間保持された。脱着された化合物は、ハンドメイドの装置内に結合されたシリカキャピラリー上にて、-196℃で保持した。そのシリカキャピラリーは、採取した化合物を分析カラムにインジェクトするために、30℃/分にて、-196℃から180℃まで上昇させ、180℃で10分間保持した。
【0029】
GC-MS分析は、InertCap1 capillary column(I. D. = 0.25 mm、60 m length、df = 0.25 μm、GL Sciences)を備えた 5977A mass selective detectorに結合した Agilent 7890B GCで行った。オーブンの温度は、1.0 mL/minの定流速のヘリウムガスを流しながら、40℃で5分間保持し、その後、3℃/minで220℃まで上昇させた。マススペクトルは、electron impact modeにて、70 eVのイオン化エネルギー状態で記録した。クロマトグラフィーの各ピークは、Agilent MSD productivity ChemStation GCとNIST Libraryを用いて特定した。
【0030】
実験用ラットから放出された首の臭気の中から同定した63化学物質のうち、環境からの夾雑物質ではないと考えられる46化学物質について解析を進めた。同様に、野生のドブネズミから放出された首の臭気中の38化学物質の内、環境からの夾雑物質ではないと考えられる28化学物質をについて解析を進めた。各化学物質のピーク領域を測定し、全ての化学物質のピーク領域に対する割合を、各化学物質の含有率とした。
【0031】
ドナーペアの類似性スコアは、全ての化学物質(実験用ラットでは、46化学物質、野生のドブネズミでは28化学物質)において、各ペアにおける多い含有率に対する少ない含有率の平均値として定義した。系統またはグループ内および系統またはグループ間の類似性スコアは、全てのドナー対における類似性スコア値の平均値として定義した。
【0032】
判別分析を行うため、1%以上含有されている化学物質を放出するラットの数に基づいて、実験用ラットに関し46化学物質の中からトップ20を、野生のドブネズミに関し28化学物質の中からトップ20を選択した。
【0033】
1-7.Fosの発現解析
2-MBの濃度依存性効果を評価した後、1.5×10-6 Mの2-MBまたは純水の存在下にて試験した動物をホームケージに戻し、コロニールームで飼育した。次に、各被験動物は、バイオアッセイ45分後(最初の聴覚刺激から60分後)に、ペントバルビタールナトリウムによる深麻酔下で、0.9% 生理食塩水、その後4% パラホルムアルデヒド(0.1 Mリン酸版バッファー中)で全身灌流した。脳は、採取後、同じ固定液に一晩浸漬し、次いで、凍結による損傷を防ぐために30% スクロース/リン酸バッファー中に浸した。免疫染色にはアビジン-ビオチン-ペルオキシダーゼ法を使用した(非特許文献3)。AOP(Bregma 3.24 mm)、PVN (Bregma -1.80 mm)またはLA、BAおよびITCL(Bregma -3.00 mm)を含む、30μmの6枚の連続切片を採取した。切片は、最初にFosタンパク質の免疫染色を行った。0.3% H2O2中でインキュベーションした後、クエン酸バッファー(B442、LSIメディエンス)中で、60℃にて2時間インキュベーションした。次に、切片を抗c-Fos抗体(1:7500、2250、Cell Signaling Technology)と共に、4℃で65時間インキュベーションした後、ビオチン化抗ウサギ2次抗体(BA-1000、Vector Laboratories)と共に、室温で、2時間インキュベーションした。その後、切片をVECTASTAIN Elite ABC reagent(PK-6100、Vector Laboratories)中でインキュベーションし、ジアミノベンチジン溶液を使用して発色させ、ニッケルで増感した。ITCLを含む切片は、さらに、グルタミン酸デカルボキシラーゼ(glutamate decarboxylase:GAD)67タンパク質の染色を行った。切片を抗GAD67抗体(1:4000、MAB5406、Merck Millipore)と共に4℃で一晩インキュベーションし、ビオチン化抗マウス2次抗体(BA-2000、Vector Laboratories)と共に、室温で、2時間インキュベーションした。その後、切片をVECTASTAIN Elite ABC reagent中でインキュベーションし、ジアミノベンチジン溶液を使用して発色させ、ニッケルで増感した。
【0034】
各領域6切片を、デジタルカメラ付きの顕微鏡(DP30BW、オリンパス)でキャプチャーした。実験条件を知らされていない試験者は、各核の左半球側の3切片、右半球側の3切片を無作為に選択した。各核の0.5×0.5 mm領域内における抗Fos抗体で免疫染色された細胞の数を、ImageJ software(version 1.51)を用いてカウントした。0.5 mm四方よりも指定領域が狭い場合、核内の細胞のみをカウントした。ITCLは、扁桃体基底外側複合体(basolateral complex of the amygdala:BLA)の外側部に存在するGABA作動性ニューロンのクラスターであるため、ITCLの領域として、BLAの外側部に存在するGAD67免疫染色領域を測定した。次に、その領域にける抗Fos抗体で染色された細胞の数をカウントした。全ての領域において、密度(免疫染色された細胞/0.25 mm2)を計算し、t-testを行った。
【0035】
1-8.条件付け場所嗜好性
トライアルおよび条件付けは、同じサイズおよび同じ照明度(10-15 lux)の2つの区画に分けられた箱(49.5 cm × 49.5 cm × 41.5 cm)の中で行った。一方の区画は黒い壁にした。他方の区画は3つの白い壁を有し、各壁には黒の大きな十字でマークした。区画間の壁は黒色で、トライアル中は開いており、条件付け中は閉じている穴(8 cm×6 cm)が中央に開いていた。箱には、ラットの位置と動きを追跡するための赤外線検出枠(センサー距離:16 mm)(TSE Systems)が取り付けられていた。
【0036】
条件付け前のトライアルにおいて、被験動物は、臭気を提示することなく、2つの区画を自由に10分間探索させた。条件付け前のトライアルの翌日から7日間の条件付けを行った。被験動物を、2-MBと関連づけられた区画に1日に2回10分間、関連づけられなかった区画に1日2回10分間入れた。3.5 mLの2-MB溶液(1.5×10-9 M)を含んだ5×5 cmの濾紙5枚を、2-MBと関連づけられた区画の3つの壁に貼付した。関連づけられなかった区画には、純水を使用した。2-MBと関連づけられた区画と関連づけられなかった区画の割り当ては、被験動物間で均等になるようにした。条件付けの終了の翌日、条件付け後のトライアルを条件付け前のトライアルと同様に行った。各区画で過ごした時間は、two-way repeated ANOVAで検定した。計画的比較は、paired t-testで行った。
【0037】
1-9.野生ドブネズミの実験室における嗜好性試験
実験室における嗜好性試験は、9:00から15:00の間、暗赤色灯を点けた暗い台形の部屋(210×304×227×306 cm)で実施した。嗜好性試験の前に、被験動物は実験部屋に馴化させた。野生ドブネズミを入れたプラスチック箱を、実験部屋の中央にゆっくりと置き、10分間放置した。被験動物がプラスチック箱から出てこないで、実験室全体を探索しない場合、さらに10から20分間放置した。試験の前に、全ての被験動物がプラスチック箱から出てくるようにするために、この手順を3から4日間、3から4回繰り返した。
【0038】
試験の日、シリカゲルビーズ(直径4 mm)を2-MB溶液(1.5×10-2M)、P溶液(0.3×10-2M)または純水に浸漬した。次に、7 gの各ビーズを約2時間風乾し、赤い色のベイトトレイ(11.5×11.5 cm)に置いた。嗜好性試験の直前に、2-MBビーズと純水ビーズのペア、またはPビーズと純水ビーズのペアを実験室の2箇所のコーナーに配置した。次に、被験動物が入っているプラスチック箱を実験室の中央に置いた。その後10分間、被験動物の行動を暗視カメラ(WTW-KN529-V2、塚本無線)で撮影し、HDD-BDレコーダー(BDZ-ZT1700、ソニー)で記録した。
【0039】
実験条件を知らされていない試験者が、各トレイに対する探索時間(ビーズまたはトレイの方向の臭いを嗅ぐ野時間)を、前出のマクロを使用して測定した。トレイ間の探索時間の違いをpaired t-testで検定した。
【0040】
1-10.野生ドブネズミの野外における嗜好性試験
野外における嗜好性試験は、2020年8月26日から8月27日の間に長野県の養鶏場で、また、2020年11月5日から11月6日の間に東京の繁華街の公園で実施した。嗜好性試験の後、害獣駆除の専門家による先行調査および嗜好性トライアル後に行われた駆除により、これらの試験場所は、ドブネズミが生息していることが確認された。養鶏場では、100 gの餌と30 gの2-MBビーズまたは純水ビーズを載せた白い皿(直径15 cm)を、午後7時に9つの試験ポイントに均等においた。公園では、20 gの餌と7 gの2-MBビーズまたは純水ビーズを載せた赤いトレイ(11.5×11.5 cm)を、深夜頃、各々ゴミステーションの近くの5箇所の試験ポイントに均等に置いた。いずれの場所についても、食べた量を2時間後に測定した。この時点で餌が食べられていない場合、皿/トレイを同じ場所に戻し、数時間後に再度測定を行った。養鶏場の8試験ポイントと公園の2試験ポイントでは、2回目の測定でも、餌が食べられなかったため、これらのポイントは試験ポイントから除いた。各ポイントで食べられた餌の量を計算し、最初の餌の量に対する割合を示した。食べられた餌の割合の違いは、paired t-testで検定した。
【0041】
2.結果
2-1.安寧フェロモンの有効成分を含む生理活性臭気の収集
麻酔をかけたWistar系ドナーラットの頭、首、脇腹または尻の各領域から放出された臭気を含む水溶液サンプルを調製した。各サンプル中に、安寧フェロモンの有効成分が含まれているかどうか調べるために、各水溶液サンプルを含んだ4枚の5×5 cmの濾紙の存在下において、恐怖条件付けを行ったWistar系ラットに聴覚条件刺激(CS:Conditioned Stimulus)を与えて、その行動の評価を行った(
図1A)。その結果、首の臭気および頭の臭気を含んだサンプルが、すくみ行動などの条件付けられた恐怖反応を緩和することが分かった(
図1A)。
【0042】
これまでの知見に基づくと、ラットの首領域に、特別な外分泌腺は存在しない。従って、首の臭気を含むサンプルは、他の領域から収集される臭気と質的に異なるものではなく、サンプルに含まれる臭気の量的な違いが実験結果に影響したと考えるのが合理的である。この可能性を調べるために、各サンプルをどのくらい希釈するとラットが検出できなくなるかを調べるために、馴化-脱馴化試験(habituation-dishabituation test)を行った。本試験では、新奇刺激を探索する実験用げっ歯類の性質を利用して、ラットによって検出可能な臭気がサンプルから放出されているかどうかを評価した。連続して3回純水を提示した後、評価するサンプルを4番目の提示物として示した。もし、ラットがサンプルの臭気を検出できた場合には、4番目のサンプルの提示において脱馴化する、すなわち、3番目の提示物である水の場合よりも、より長くサンプルの探索を行うと考えられる。各提示は、50μlの純水またはサンプルを5×5cmの濾紙に滴下することにより行った。濾紙は、ケージのワイヤー天井から1 cm離れたところに設置させた。体の全ての領域から放出される臭気を含むサンプルの原液によって、4番目の提示物(サンプル原液)の探索行動を増加させることが分かった(
図1B、Undiluted)。サンプルを2倍に希釈すると、首の臭気を含むサンプルのみが探索行動を増加させた(
図1B、Diluted 2-fold)。探索行動の増加は、首の臭気を含むサンプルを3倍に希釈して提示した場合には消失した(
図1B、Diluted 3-fold)。以上の結果から、最も強い強度の臭気が首領域から放出されていることが示唆された。
体臭の元の1つは、皮脂腺で生産される皮脂である。従って、首領域には他の領域よりも、皮脂腺が豊富に存在している可能性がある。そこで、体の各領域の真皮中の皮脂腺の存在割合を調べた。その結果、首領域の真皮中の皮脂腺は、頭および尻領域の真皮中の皮脂腺の割合と同程度であった(
図1C)。従って、首領域から放出される最も強い強度の臭気は、皮脂の量の違いというよりは、皮脂の質の違いによるものと考えられる。
【0043】
安寧フェロモンの有効成分を同定するための方法論的アプローチの1つは、全ての生理活性臭気に共通に存在し、非生理活性臭気には存在しない化学物質に焦点を当てることである。Wistar系ラットにおける社会的緩衝は、初対面のWistar系およびSprague-Dawley(SD)系ラットと一緒にいることによって誘導されるが、初対面のFischer344(F344)系またはBrown Norway(BN)系ラットと一緒にいても誘導されない。従って、生理活性臭気および非生理活性臭気は、これらのラットから調製することが適切であると考えられる。
バイオアッセイの結果、Wistar系ラットまたはSD系ラットの首の臭気を含むサンプルは、Wistar系ラットのすくみ行動などの条件付けられた恐怖反応を緩和するが、F344系ラットの首の臭気を含むサンプルは緩和しないことが明らかとなった(
図1D)。一方、BN系ラットの首の臭気を含むサンプルの効果については明確には判断できなかった(
図1D)。以上の結果は、Wistar系、SD系およびF344系ラットから放出される首の臭気が、安寧フェロモンの有効成分を同定する上で、適切な生理活性および非生理活性臭気のセットであるとことを示している。
【0044】
2-2.2-MBの安寧フェロモンの有効成分としての効果の検討
安寧フェロモンの有効成分の候補化学物質を絞り込むために、Wistar系、SD系およびF334系の各7匹のラットの首の臭気の成分の分析を行った。
首領域を電気的に刺激し、多くの種類の揮発性分子を吸着するTenaxを含むガラス管を通して、首領域の空気を吸引した。ガスクロマトグラフ質量分析系(GC-MS)を用いて、Wistar系ラットから収集した吸着物質を分析したところ、全てのTenaxに63種類の化学物質が含まれていた。63化学物質のうち17化学物質は明らかに周囲の夾雑物質(例えば、ベンゼン、フェノールなど)であった。そこで、残りの46化学物質に着目し、全てのラットから採取された46化学物質の存在割合を計算した(
図2A)。
【0045】
フェロモンの探索を続ける前に、まず、得られた化学物質プロファイルの正確性を確認した。ラットは、見知らぬラットを系統に基づいて分類することができることが知られている。その際、臭気が重要な役割を果たしていることから、同じ系統のラットの化学物質プロファイルは、特定のパターンを保持していることが予想される。そこで、判別分析を行ったところ、得られた化学物質プロファイルは、3系統毎に正確に区別された(
図2B)。そこで、安寧フェロモンの有効成分を同定するために、各系統の化学物質プロファイルを比較すると、ピラジン(pyrazine:P)、2-メチル酪酸(2-methilbutylic acid:2-MB)、2-エチルピラジン(2-ethylpyrazine:2-EP)および2-エチル-6-メチルピラジン(2-ethyl-6-methylpyrazine:2-E-6-MP)がWistar系およびSD系ラット由来の化学物質プロファイルに共通に含まれており、F344系ラット由来の化学物質プロファイルには含まれていなかった(
図2A)。従って、これらの4化学物質を安寧フェロモンの有効成分の候補化学物質とした。
【0046】
次に、各候補化学物質のフェロモン活性を評価した。各合成分子を、吸着剤中の濃度および存在割合と同程度になるように純水に溶解させた(P、0.3×10
-6 M;2-MB、1.5×10
-6 M;2-EP、2.6×10
-6 M;2-E-6-MP、1.2×10
-6 M)。各水溶液またはWistar系ラットの首の臭気を含む水溶液サンプルを用いて、バイオアッセイを行った。その結果、2-MB溶液とWistar系ラットの首の臭気を含む水溶液サンプルは、すくみ行動などの条件付けられた恐怖反応を緩和したのに対し、他の水溶液は改善しなかった(
図2C)。以上の結果は、2-MBのみが条件付けられた恐怖反応を緩和する効果を有することを示していた。
次に、2-MBが濃度依存的にフェロモン活性を示すかどうか調べた。その結果、2-MB を1.5×10
-9Mまで希釈した場合でも、すくみ行動が緩和されることが明らかとなった(
図2D)。この結果は、2-MBがフェロモン活性を示すことを示している。
【0047】
次に、2-MBが、社会的緩衝の間に観察される脳の反応パターンと同様の反応パターンを誘導するかどうか調べた。社会的緩衝中、ストレス負荷の無いラットによって放出される臭気は、前嗅核後部複合体(anterior olfactory nucleus:AOP)を活性化し、GABA細胞性ニューロンのクラスターである外側扁桃体核間細胞塊(lateral intercalated cell mass of the amygdala:ITC
L)を活性化する。その後、ITC
Lの活性化は、条件刺激によって誘導された扁桃体外側核(lateral amygdala:LA)および室傍核(paraventricular nucleus of the hypothalamus:PVN)の活性化を抑制する。その結果、条件刺激に対する行動反応および内分泌反応は各々緩和される。これらの知見に基づいて、1.5×10
-6Mの2-MBにより条件付けられた恐怖反応が緩和されたラットの上記核(AOP、ITC
L、LA、PVN)におけるc-Fosタンパク質(神経細胞の活性化のマーカー)の発現を調べた。その結果、2-MBはAOPおよびITC
Lにおいてc-Fosの発現を増加させ、LAおよびPVNにおけるc-Fosの発現を低下させた(
図2E)。これらの結果は、2-MBと社会的緩衝が条件付けられた恐怖反応を緩和する共通のメカニズムを有していることを示唆している。
【0048】
さらに、2-MBが条件付け場所嗜好性を成立させることができるかどうかを調べた(
図2F左図)。2-MBが安全の存在を伝達するのであれば、ラットにおいて2-MBは報酬価値を有することが予想される。条件付け前のトライアルにおいて、ラットは2つの区画に対し、嗜好性を示さなかった。条件付けの間、2つの区画の内の1つは、3.5 mLの2-MB(1.5×10
-9M)を含む5枚の5×5cmの濾紙が壁に貼付されることによって、2-MBと関連づけられた。他の区画は純水と関連づけた。条件付け後のトライアルにおいて、臭気を提示せずに嗜好性を評価した場合、ラットは2-MBと関連付けられた区画に嗜好性を示した(Fig2F)。これらの結果は、ラットにおいて2-MBが報酬価値を有することを示している。これらの知見に基づいて、我々は、2-MBが、実験用ラットにおいて、恐怖反応を緩和する安寧フェロモンの有効成分であると結論付けた。
【0049】
3.野生のドブネズミに対する2-MBの安寧フェロモンとしての効果の検討
実験用ラットと野生のドブネズミは、繁殖機能を有する交雑種を産み出す能力があるため、同種の
Rattus norvegicusとされている。従って、実験用ラットにおける安寧フェロモンは、野生のドブネズミに対しても効果を示すと予想された。そこで、まず、野生のドブネズミの首の臭気に2-MBが含まれているかどうか調べた。ドブネズミの捕獲場所による影響を減らすために、東京の2箇所の繁華街(S地区およびU地区)から、各々7匹のドブネズミを捕獲した。首の臭気は各ドブネズミから2回収集した。1回目は捕獲直後に、2回目は食物の影響を減らすために、実験室において1月間実験用の餌を与えた後採集した。すなわち、本実験を行うにあたり、捕獲場所および解析時点によって分類された4グループのドブネズミを準備した(S-immediate;S地区で捕獲後すぐに臭気を収集したグループ、S-later;S地区で捕獲後1月間実験用の餌を与えたのち臭気を収集したグループ、U- immediate;U地区で捕獲後すぐに臭気を収集したグループ、 U-later;U地区で捕獲後1月間実験用の餌を与えたのち臭気を収集したグループ)。S-immediateグループのラットから調製したTenaxの吸着物をGC-MSで解析したところ、全てのTenaxに38化学物質が含まれていた。これらの化学物質のうち、10化学物質が環境からの夾雑物質(例えば、ベンズアルデヒド、フェノールなど)である可能性が高かった。そこで、残りの28物質に着目し、全てのグループのラットから採取された28化学物質の存在割合を計算した(
図3A)。
【0050】
体臭は、遺伝因子および食物の影響を受けることが知られている。野外のドブネズミの生態の違いにより、S地区およびU地区で捕獲したラットは、遺伝的に異なるクラスターに属する可能性が高い。加えて、路上のゴミと実験用エサに含まれる栄養成分は総合的に異なると考えられる。これらの相違(捕獲場所の違い、餌の違い)と一致して、判別分析により、得られた化学物質プロファイルは、4つのグループに正確に区別された(
図3B)。次に、各物質プロファイルにおける2-MBの有無を調べた。2-MBを含む多くの化学物質プロファイルが、全てのグループから得られた(
図3C)。また、2-EPおよび2-E-6-MPが同じ程度の割合で存在していることが分かったが、Pを含むプロファイルは認められなかった(
図3C)。従って、ドブネズミは化学コミュニケーションにおいて2-MBを使用している可能性が考えられた。
【0051】
次に、実験室において、野生のドブネズミに対する2-MBの効果について検討した。ドブネズミが非常に攻撃的であることを考慮すると、実験用ラットと同じバイオアッセイをドブネズミに対して実施することは非常に困難であると考えられた。そこで、ドブネズミの新奇性恐怖に対する2-MBの効果を評価することにした。多くのドブネズミは新奇性恐怖、すなわち、初めて見る物に対する忌避を示すことが知られている。発明者らは、以前、ドブネズミにおける新奇性恐怖は、BLAの活性化と関連した恐怖反応であることを明らかにしている。従って、2-MBがBLAの活性化を抑制し、新奇性恐怖を抑制すれば、ドブネズミによる新奇対象物の探索行為が増加することが予想された。
【0052】
シリカゲルビーズ(4 mm 直径)を2-MB溶液(1.5×10
-2M)または純水に2-4時間浸した。また、コントロールとして、P溶液(0.3×10
-2M)に浸したビーズを調製した。その後、これらのビーズをおよそ2時間風乾させた後使用した。嗜好性試験では、見慣れた実験室において、ドブネズミに、2-MBビーズまたは純水のいずれか7gが入っている1対の赤色のベイトトレイ(11.5×11.5 cm)を自由に探索させた。予備実験において、実験用ラットは、初めて見るトレイに対し、相当の時間、探索行動を行い、2-MBの臭いのするトレイに対する嗜好性を示した。これに対し、ドブネズミは、新奇性恐怖のため、いずれのトレイに対しても実験用ラットほどの探索行動を示さなかった。しかし、ドブネズミは、2-MBの臭いのするトレイには嗜好性を示したが、Pの臭いのするトレイには嗜好性を示さなかった(
図3D)。これらの結果から、2-MBはドブネズミの新奇性恐怖を改善することが示唆された。そこで、ドブネズミの新奇性恐怖に対する2-MBの効果を野外で評価することにした。
【0053】
試験を行った場所および季節の影響を減らすために、夏の養鶏場、冬の繁華街の公園で、同様の嗜好性試験を実施した。害獣駆除の専門家による先行調査および嗜好性試験後に行われた駆除により、これらの試験場所は、ドブネズミが生息している場所であることが確認できた。野外においてトレイの探索時間を測定することは困難であるため、トレイ中のエサの消費量を、新奇性恐怖の間接的な指標として測定した。2-MBが新奇性恐怖を改善するのであれば、2-MBの臭いのするトレイ中のエサが、より優先的に摂食されると考えられる。
養鶏場において、100 gのエサと30 gの2-MBを含むビーズまたは水を含むビーズを載せたトレイを同数、均等に配置した。同様に、公園において、20 gのエサと7 gの2-MBを含むビーズまたは水を含むビーズを載せたトレイを同数、均等に配置した。その結果、ドブネズミは2-MBの臭いのするトレイから優先的にエサを食べることが明らかとなった。これらの結果は、野外においても、2-MBがドブネズミの新奇性恐怖を改善することを示している。
以上のことから、2-MBがドブネズミ(Rattus norvegicus)における安寧フェロモンであることが示された。