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特開2024-121604過酸化水素製造用触媒およびその利用
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024121604
(43)【公開日】2024-09-06
(54)【発明の名称】過酸化水素製造用触媒およびその利用
(51)【国際特許分類】
   B01J 31/02 20060101AFI20240830BHJP
   C01B 15/022 20060101ALI20240830BHJP
【FI】
B01J31/02 M
C01B15/022
【審査請求】未請求
【請求項の数】10
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2023028793
(22)【出願日】2023-02-27
(71)【出願人】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】重光 孟
(72)【発明者】
【氏名】木田 敏之
【テーマコード(参考)】
4G169
【Fターム(参考)】
4G169AA06
4G169BA21A
4G169BA21B
4G169BE05A
4G169BE05B
4G169BE39A
4G169BE39B
4G169CB02
4G169CB81
4G169DA02
(57)【要約】
【課題】光化学反応による過酸化水素の製造に利用できる触媒を提供する。
【解決手段】本発明の一態様に係る過酸化水素製造用触媒は、アントラキノン化合物と、シクロデキストリン化合物と、を含んでいる。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
アントラキノン化合物と、
シクロデキストリン化合物と、
を含んでいる、過酸化水素製造用触媒。
【請求項2】
上記アントラキノン化合物と上記シクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している、
請求項1に記載の過酸化水素製造用触媒。
【請求項3】
上記アントラキノン化合物は、下記式Iまたは式IIで表される化合物である、
請求項1に記載の過酸化水素製造用触媒:
【化1】
式中、Rは、水素、C1~8アルキル基または電子求引性基から選択される。
【請求項4】
上記シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有している、
請求項1に記載の過酸化水素製造用触媒。
【請求項5】
下記の工程を有する過酸化水素の製造方法:
工程1:請求項1~4のいずれか1項に記載の過酸化水素製造用触媒と、を含んでいる反応系に光を照射して、アントラヒドロキノン化合物を生成させる工程;
工程2:酸素と、アントラヒドロキノン化合物と、シクロデキストリン化合物と、を反応させて、過酸化水素を得る工程。
【請求項6】
上記工程1において、反応系に酸素が含まれている、
請求項5に記載の製造方法。
【請求項7】
シクロデキストリン化合物の存在下においてアントラセミキノン化合物に光を照射する工程を有する、
アントラセミキノン化合物をアントラヒドロキノン化合物に還元する方法。
【請求項8】
上記アントラセミキノン化合物と上記シクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している、
請求項7に記載の方法。
【請求項9】
上記アントラセミキノン化合物は、下記式Iaまたは式IIaで表される化合物である、
請求項7に記載の方法:
【化2】
式中、Rは、水素、C1~8アルキル基または電子求引性基から選択される。
【請求項10】
上記シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有している、
請求項7に記載の方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、過酸化水素製造用触媒およびその利用に関する。
【背景技術】
【0002】
過酸化水素は、工業上欠かすことのできない重要な化学物質である。その用途は、酸化、漂白、消毒などの基本的なプロセスの他に、ロケット推進剤の燃料などにも利用されている。現在一般的な過酸化水素の製造方法は、アントラキノン法と称される(非特許文献1および図12を参照)。このプロセスでは、アントラヒドロキノン(AQH)からアントラキノン(AQ)への酸化反応に伴い、酸素分子に水素を付加して、過酸化水素を得る。反応に伴い生じるアントラキノンは、水素分子およびパラジウム触媒を利用して、アントラヒドロキノンに再生させる。
【0003】
アントラヒドロキノンの再生には、いくつかの短所がある。第一に、高温・高圧のプロセスであるため、安全性や操作性に改善の余地がある。第二に、反応系中で水素および酸素が混合されることになるため、爆発の危険性が伴う。第三に、レアメタルであるパラジウムを使用するので、コストが高くなる。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】日下部良「過酸化水素の製造と性質,取り扱い」『紙パ技協誌』第52巻第5号、608~615ページ、1998年
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
上述のような従来技術の短所を克服するため、本発明者らは、光化学反応を利用した過酸化水素の製造方法の研究に取組んできた。ところが、アントラキノンからアントラヒドロキノンへと還元される途中の中間体であるアントラセミキノンは、不安定な化合物であった。そのため、光照射をしただけでは、アントラセミキノンからアントラヒドロキノンへの還元反応が進まず、高収率で過酸化水素を得ることができなかった。
【0006】
本発明の一態様は、光化学反応による過酸化水素の製造に利用できる触媒を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明には、以下の態様が含まれている。
<1>
アントラキノン化合物と、
シクロデキストリン化合物と、
を含んでいる、過酸化水素製造用触媒。
<2>
上記アントラキノン化合物と上記シクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している、
<1>に記載の過酸化水素製造用触媒。
<3>
上記アントラキノン化合物は、下記式Iまたは式IIで表される化合物である、
<1>または<2>に記載の過酸化水素製造用触媒:
【化1】
式中、Rは、水素、C1~8アルキル基または電子求引性基から選択される。
<4>
上記シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有している、
<1>~<3>のいずれかに記載の過酸化水素製造用触媒。
<5>
下記の工程を有する過酸化水素の製造方法:
工程1:<1>~<4>のいずれかに記載の過酸化水素製造用触媒と、を含んでいる反応系に光を照射して、アントラヒドロキノン化合物を生成させる工程;
工程2:酸素と、アントラヒドロキノン化合物と、シクロデキストリン化合物と、を反応させて、過酸化水素を得る工程。
<6>
上記工程1において、反応系に酸素が含まれている、
<5>に記載の製造方法。
<7>
シクロデキストリン化合物の存在下においてアントラセミキノン化合物に光を照射する工程を有する、
アントラセミキノン化合物をアントラヒドロキノン化合物に還元する方法。
<8>
上記アントラセミキノン化合物と上記シクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している、
<7>に記載の方法。
<9>
上記アントラセミキノン化合物は、下記式Iaまたは式IIaで表される化合物である、
<7>または<8>に記載の方法:
【化2】
式中、Rは、水素、C1~8アルキル基または電子求引性基から選択される。
<10>
上記シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有している、
<7>~<9>のいずれかに記載の方法。
【発明の効果】
【0008】
本発明の一態様によれば、光化学反応による過酸化水素の製造に利用できる触媒が提供される。
【図面の簡単な説明】
【0009】
図1】本発明の一態様に係る過酸化水素の製造方法の概要図である。
図2】実施例1の結果を表す図である。アントラキノンスルホン酸がβ-シクロデキストリンに包接されていることを示唆する。
図3】実施例2の結果を表す図である。β-シクロデキストリンの存在下において、アントラキノンスルホン酸がアントラヒドロキノンスルホン酸へと光還元されることを示唆する。
図4】実施例3の結果を表す図である。β-シクロデキストリンの存在下において生じたアントラヒドロキノンスルホン酸が、アントラキノンスルホン酸へと再び酸化されることを示唆する。
図5】実施例4の結果を表す図である。アントラヒドロキノンスルホン酸がアントラキノンスルホン酸へと酸化されるときに、過酸化水素が生成することを示唆する。
図6】実施例5の結果を表す図である。アントラキノンスルホン酸のアントラヒドロキノンスルホン酸への還元に関与するプロトンが、水に由来することを示唆する。
図7】実施例6の結果を表す図である。アントラキノンスルホン酸のアントラヒドロキノンスルホン酸への還元に関与する電子が、水に由来することを示唆する。
図8】実施例7の結果を表す図である。γ-シクロデキストリンの存在下においても、アントラキノンスルホン酸からアントラヒドロキノンスルホン酸への光還元が進行することを示唆する。
図9】β-シクロデキストリンまたはγ-シクロデキストリンと、アントラキノンスルホン酸とにより形成される複合体の予想構造を表す図である。
図10】実施例7の結果を表す図である。β-シクロデキストリンの存在下において、アントラキノンホスホン酸からアントラヒドロキノンホスホン酸への光還元が進行することを示唆する。
図11】実施例7の結果を表す図である。β-シクロデキストリンの存在下において生じたアントラヒドロキノンホスホン酸が、アントラキノンホスホン酸へと再び酸化されることを示唆する。
図12】従来のアントラキノン法による過酸化水素の製造方法の概要図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
本発明の一実施形態について、以下に説明する。ただし、本発明は、以下に説明する各構成に限定されない。本発明は、特許請求の範囲に示した範囲で種々に変更できる。本発明の技術的範囲は、本明細書に開示されている複数の技術的手段を適宜組合せて得られる実施形態または実施例にも及ぶ。このとき、複数の技術的手段は、複数の実施形態または実施例にわたって開示されていてもよい。
【0011】
本明細書において特記しない限り、数値範囲を表す「A~B」は、「A以上、B以下」を意図する。
【0012】
〔1.過酸化水素製造用触媒〕
本発明の一態様に係る過酸化水素製造用触媒は、アントラキノン化合物と、シクロデキストリン化合物を含んでいる。以下、それぞれの成分について詳述する。
【0013】
[1.1.アントラキノン化合物]
アントラキノン化合物とは、アントラキノン骨格を有している化合物である。これに加えて、アントラキノン化合物には、テトラヒドロアントラキノン骨格を有している化合物も含まれる。テトラヒドロアントラキノン骨格とは、アントラキノン骨格に4個の水素原子が付加された骨格である。アントラキノン化合物を利用した過酸化水素の製造は通常に行われているため、当業者であれば、どのような化合物がアントラキノン化合物として使用できるかを判断できる。
【0014】
一実施形態において、アントラキノン化合物は、下記式Iまたは式IIで表される化合物である。式Iの化合物は、アントラキノン骨格を有している。式IIの化合物は、5,6,7,8-テトラヒドロアントラキノン骨格を有している。Rは、水素、C1~8アルキル基または電子求引性基から選択される。
【化3】
【0015】
Rの結合位置は、アントラキノン骨格または5,6,7,8-テトラヒドロアントラキノン骨格の1位または2位である。好ましくは、Rの結合位置は2位である。
【0016】
Rが水素であるとき、式Iの化合物はアントラキノンであり、式IIの化合物は5,6,7,8-テトラヒドロアントラキノンである。
【0017】
C1~8アルキル基の例としては、メチル基、エチル基、プロピル基、ブチル基、ペンチル基、ヘキシル基、ヘプチル基、オクチル基が挙げられる。これらの基は、直鎖であっても分岐を有していてもよい。この実施形態において、Rは、好ましくはC1~C5アルキル基であり、より好ましくはエチル基である。この実施形態において好ましいアントラキノン化合物は、2-エチルアントラキノンである。
【0018】
電子求引性基とは、結合している芳香環から電子を引き付ける性質がある官能基であり、有機化学分野の当業者に通常に知られている。電子求引性基の例としては、酸素原子または窒素原子が関与する二重結合または三重結合を有している官能基が挙げられる。電子求引性基のより具体的な例としては、-COR、-SO、-POR、-NO、-CNが挙げられる。ここで、R、R、RおよびRは、それぞれ独立に、OH、OR、R、ハロゲン、NH、NHRまたはNRから選択される。Rは、炭化水素基(例えば、C1~20またはC1~10の炭化水素基)である。ハロゲンとは、フッ素、塩素、臭素またはヨウ素である。電子求引性基は、好ましくはスルホン酸基またはホスホン酸基である。この実施形態において好ましいアントラキノン化合物は、アントラキノン-2-スルホン酸またはアントラキノン-2-ホスホン酸である。
【0019】
Rが電子求引性基であるアントラキノン化合物には、光照射後において、最低一重項状態から最低三重項状態への系間交差の収率が極めて高く、優れた酸化力を有するという利点がある。また、RがC1~8アルキル基であるアントラキノン化合物には、過酸化水素の製造に現に利用されており、物性が明らかであり、入手しやすいという利点がある。
【0020】
アントラキノン化合物は、1種類のみを用いてもよいし、2種類以上を用いてもよい。
【0021】
[1.2.シクロデキストリン化合物]
シクロデキストリン化合物とは、複数個のD-グルコースがα-1,4グリコシド結合により結合し、環状構造を形成している化合物である。
【0022】
シクロデキストリン化合物において、環を形成しているグルコースの数は、通常、5個以上である。好ましくは、シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有している化合物である。より好ましくは、シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格を有している化合物である。β-シクロデキストリン骨格とは、7個のグルコースが環形成している構造を表す。γ-シクロデキストリン骨格とは、8個のグルコースが環形成している構造を表す。
【0023】
シクロデキストリン化合物の環を形成している1つ以上グルコースの水酸基は、他の置換基によって置換されていてもよい。置換される水酸基は、それぞれのグルコースの2位、3位または6位の炭素に結合している水酸基のいずれであってもよい。シクロデキストリン化合物の分子全体において、置換される水酸基の数は、1個または複数個でありうる。シクロデキストリン化合物の分子全体において、導入される置換の種類は、1種類または複数種類でありうる。
【0024】
このような置換基含有シクロデキストリン化合物には、推算金置換を介して、複数のシクロデキストリン環が連結されている化合物も含まれる。複数のシクロデキストリン環が連結されている化合物は、1つ以上のβ-シクロデキストリン骨格および/またはγ-シクロデキストリン骨格を有していることが好ましい。
【0025】
シクロデキストリン化合物は、1種類のみを用いてもよいし、2種類以上を用いてもよい。
【0026】
[1.3.過酸化水素製造用触媒の構造]
一実施形態において、アントラキノン化合物とシクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している。アントラキノン化合物とシクロデキストリン化合物とが形成する複合体の構造の例としては、シクロデキストリン化合物の空孔内に、アントラキノン化合物が包接されている構造が挙げられる。シクロデキストリン化合物は、環形成するデキストリンの数によって空孔の大きさが異なる。空孔の大きさがちょうどよいという点において、シクロデキストリン化合物は、β-シクロデキストリン骨格またはγ-シクロデキストリン骨格を有していることが好ましく、β-シクロデキストリン骨格を有していることがより好ましい。
【0027】
上述の通り、過酸化水素製造用触媒は、反応系において作用する際には、複合体を形成していると考えられる。ただし、過酸化水素の製造に用いる前には、アントラキノン化合物とシクロデキストリン化合物とが複合体を形成している必要はない。例えば、アントラキノン化合物とシクロデキストリン化合物とが接触しないように別々の容器に収容して、過酸化水素製造用の触媒製品として販売したとしても、この触媒製品は本発明の技術的範囲に含まれることは明らかである。
【0028】
〔2.過酸化水素の製造方法〕
本発明の一態様に係る過酸化水素の製造方法の概要について、図1を参照しながら説明する。図1では、例示的なアントラキノン化合物として、アントラキノン-2-スルホン酸を使用する例を描いている。図1に示すように、過酸化水素の製造方法は、3つのステップに分かれる。
【0029】
ステップ1においては、光照射によって、アントラキノン化合物(アントラキノンスルホン酸;AQS)がアントラセミキノン化合物(アントラセミキノンスルホン酸;AQS・)に還元される。この反応では、プロトンおよび電子が水から供給される。したがって、反応後にはヒドロキシラジカル(・OH)が生じる。
【0030】
ステップ2においては、光照射によって、アントラセミキノン化合物(アントラセミキノンスルホン酸;AQS・)がアントラヒドロキノン化合物(アントラヒドロキノンスルホン酸;AQSH)に還元される。この反応では、プロトンおよび電子が水から供給される。したがって、反応後にはヒドロキシラジカル(・OH)が生じる。
【0031】
ステップ3においては、アントラヒドロキノン化合物(アントラヒドロキノンスルホン酸;AQSH)がアントラキノン化合物(アントラキノンスルホン酸;AQS)に再び酸化される。この反応は、光照射を必要としない。
【0032】
上述のステップのうち、過酸化水素が発生するのは、典型的にはステップ3である。場合によっては、ステップ1およびステップ2において過酸化水素が発生することもある。ステップ3においては、アントラヒドロキノン化合物の酸化に伴い、酸素が還元されて、過酸化水素が生成される。ステップ1およびステップ2においては、生成したヒドロキシラジカル同士が結合して、過酸化水素が生成される場合がある。
【0033】
ここで、本発明の一態様に係る過酸化水素の製造方法は、次の工程1、2を有する。工程1は、上述の過酸化水素製造用触媒と、を含んでいる反応系に光を照射して、アントラヒドロキノン化合物を生成させる工程である。工程2は、酸素と、アントラヒドロキノン化合物と、シクロデキストリン化合物と、を反応させて、過酸化水素を得る工程である。
【0034】
工程1は、上述のステップ1およびステップ2に対応する。上記の説明では異なるステップとして説明したが、アントラキノン化合物およびシクロデキストリン化合物を含んでいる反応系に光を照射すれば、アントラキノン化合物からアントラヒドロキノン化合物まで、連続的に還元が進行する(実施例2、3を参照)。工程1において、反応系に酸素が含まれている必要はない。ただし、製造プロセスが簡便になるため、工程1においても反応系に酸素が含まれていてもよい。工程1においては、アントラキノン化合物の周囲の物質からプロトンおよび電子が供給され、アントラヒドロキノン化合物になると考えられる。したがって、工程1においては、プロトンおよび電子の供給源となる物質を反応系に含めることが好ましい。このような物質の例としては、水、メタノール、エタノール、プロパノール、イソプロパノール、ブタノールなどが挙げられる。一実施形態では、工程1において、反応系は水を含んでいる。
【0035】
工程2は、上述のステップ3に対応する。工程2において反応系に導入される酸素は、例えば、反応液の液面を介して導入してもよいし、バブリングなどによって反応液内に直接導入してもよい。工程2における酸素濃度は、例えば、反応液の液面と接する雰囲気の酸素分圧として1~1000Paまたは反応液中の酸素濃度として0.001~1Mであってもよい。工程2においては、光を照射してもよいし、照射しなくてもよい。好ましくは、光を照射せずに暗闇条件下で反応を進行させる。
【0036】
上述した製造方法は、従来技術と異なり、アントラヒドロキノン化合物の還元に水素分子およびパラジウムを必要としない。一実施形態において、上述の製造方法は、反応系に水素分子を実質的に含んでいない。一実施形態において、上述の製造方法は、反応系にパラジウムを実質的に含んでいない。「実質的に含んでいない」とは、アントラキノン化合物をアントラヒドロキノン化合物に還元するのに通常必要とされる量を含んでいないことを表す。
【0037】
従来技術においては、ステップ2の反応が光照射だけでは進行せず、それゆえ図1に記載のサイクルが進行しなかった。本発明の一態様においては、シクロデキストリン化合物の存在下において反応させることにより、ステップ2が進行するようになり、それゆえ図1に記載のサイクルが進行するようになった。したがって、本発明の一態様は、アントラセミキノン化合物をアントラヒドロキノン化合物に還元する方法を提供する。この方法は、シクロデキストリン化合物の存在下において、アントラセミキノン化合物に光を照射する工程を有する。
【0038】
上述した製造方法および方法の説明において、アントラキノン化合物およびシクロデキストリン化合物の説明は、〔1〕節に記載の通りである。アントラセミキノン化合物およびアントラヒドロキノン化合物に関する説明は、〔1〕節に記載のアントラキノン化合物の説明が準用される。好ましくは、アントラキノン化合物、アントラセミキノン化合物およびアントラヒドロキノン化合物からなる群より選択される1つ以上と、シクロデキストリン化合物とは、複合体を形成している。
【実施例0039】
〔実施例1〕
アントラキノン化合物とシクロデキストリン化合物との複合体形成を、NMRによって確認した。測定条件は、溶媒:DO、測定温度:室温、共鳴周波数:400MHzとした。具体的な手順は、次の通りである。
1. アントラキノンスルホン酸のDO溶液(1.0mM)を調製し、H NMRを測定した。
2. 工程1とは別に、アントラキノンスルホン酸のDO溶液(1.0mM)とβ-シクロデキストリンのDO溶液(10mM)との混合液を調製し、H NMRを測定した。
【0040】
[結果]
結果を図2に示す。上のスペクトルは、工程1で得られたスペクトルである。下のスペクトルは、工程2で得られたスペクトルである。同図から分かるように、工程2で得られたスペクトルでは、アントラキノンスルホン酸のプロトンに由来する化学シフトが高磁場側に遷移していた。これは、シクロデキストリンに包接されたことにより、アントラキノンスルホン酸周辺の極性環境が変化したためであると考えられる。このことから、工程2で調製した混合液においては、β-シクロデキストリンがアントラキノンスルホン酸を包接して、複合体を形成していると考えられる。
【0041】
〔実施例2〕
シクロデキストリンとの共存下において、光照射により、アントラキノン化合物がアントラヒドロキノン化合物にまで還元されることを確認した。この反応は、図1におけるステップ1およびステップ2に該当する。具体的な手順は、次の通りである。
1. アントラキノンスルホン酸の水溶液(20μM)とβ-シクロデキストリンの水溶液(1.0mM)との混合液を調製した。水としては、MilliQ-water(Merck Millipore)を使用した。
2. 混合液にアルゴンをバブリングした(15分間)。
3. 5cm離れた位置から、330nmの光を混合液に照射した。このときの紫外可視吸収スペクトルを測定した。測定条件は、測定温度:室温、機器:JASCO-V750(日本分光株式会社)およびMAX-302(朝日分光株式会社)とした。
【0042】
[結果]
結果を図3に示す。左パネルは、アントラキノンスルホン酸のみの水溶液における吸光スペクトルである。右パネルは、アントラキノンスルホン酸およびβ-シクロデキストリンを含んでいる水溶液における吸光スペクトルである。
【0043】
図3から分かるように、β-シクロデキストリンの非存在下においては、15分間にわたり光を照射しても、スペクトルの変化は見られなかった。このことから、β-シクロデキストリンの非存在下においては、アントラヒドロキノンスルホン酸への還元反応は進行しなかったことが分かった。一方、β-シクロデキストリンの存在下においては、7分間にわたり光を照射したところ、アントラキノンスルホン酸に由来する330nm付近の吸光度が低下し、アントラヒドロキノンスルホン酸に由来する350~450nmの吸光度が上昇した。このことから、β-シクロデキストリンの存在下においては、アントラヒドロキノンスルホン酸への還元反応が進行したことが分かった。
【0044】
データは省略するが、β-シクロデキストリンの存在下におけるアントラキノンスルホン酸からアントラヒドロキノンスルホン酸への還元は、NMRスペクトルの変化によっても確認した。
【0045】
これらの結果から、シクロデキストリンと共存条件下においては、光照射により、アントラキノン化合物からアントラヒドロキノン化合物への還元反応が進行することが示唆される。従来、アントラセミキノン化合物からアントラヒドロキノン化合物への還元は光反応によって進行しないことが知られていたが、この結果は従来の知見を覆すものであった。
【0046】
〔実施例3〕
光還元により生じたアントラヒドロキノン化合物が、再び酸化されてアントラキノン化合物に戻ることを確認した。この反応は、図1におけるステップ3に該当する。具体的な手順は、次の通りである。
1. 実施例2と同じ手順により、アントラキノンスルホン酸の水溶液(20μM)とβ-シクロデキストリンの水溶液(1.0mM)との混合液に330nmの光を600秒間照射した。これにより、アントラヒドロキノンスルホン酸への還元反応を進行させた。
2. 光照射を停止して、反応系を暗闇条件に置いた。
3. 反応系の蓋を開け、混合液と周囲の大気とを接触させた。
4. 暗闇条件下のままで、所定時間反応系を攪拌した。攪拌後の紫外可視吸収スペクトルを測定した。測定条件は、測定温度:室温、機器:JASCO-V750(日本分光株式会社)およびMAX-302(朝日分光株式会社)とした。
【0047】
[結果]
結果を図4に示す。同図から分かるように、攪拌時間が長くなるにつれ、アントラヒドロキノンスルホン酸に由来する350~450nmの吸光度が低下し、アントラキノンスルホン酸に由来する330nm付近の吸光度が上昇した。このことから、β-シクロデキストリンの存在下において生成したアントラヒドロキノンスルホン酸が、アントラキノンスルホン酸へと再び酸化されたことが分かった。
【0048】
データは省略するが、アントラキノンスルホン酸への酸化反応を進行させる最適の条件は、雰囲気:少量の酸素雰囲気(酸素分圧:160Pa)、攪拌時間:3.5時間、周囲環境:暗闇であった。
【0049】
〔実施例4〕
実施例2、3で検討した反応において、過酸化水素が生成されていることを確認した。過酸化水素の検出には、ヨードメトリー法を利用した。ヨードメトリー法では、過酸化水素によりヨウ化物イオンが還元して生じるヨウ素を検出する(H+3I+2H→I +2HO)。具体的な手順は、次の通りである。
1. 1mLのKI水溶液(0.4M)、1mLのフタル酸カリウム水溶液(0.1M)、および0.5mLの実施例3で得られた反応液(暗闇条件下で210分間攪拌したもの)を混合した。水としては、MilliQ-water(Merck Millipore)を使用した。
2. 暗闇条件下にて、混合液を30分間攪拌した。攪拌後の紫外可視吸収スペクトルを測定した。測定条件は、測定温度:室温、機器:JASCO-V750(日本分光株式会社)およびMAX-302(朝日分光株式会社)とした。
【0050】
[結果]
結果を図5に示す。暗闇条件下で210分間攪拌した反応液は、ヨウ素に由来する350nm近傍の吸光度が上昇していた。このことから、実施例2、3の反応により過酸化水素が生成したことが分かった。ヨードメトリー法により定量した過酸化水素の生成量は、2.3μMであった。アントラキノンスルホン酸に対する収率は、70%であった。
【0051】
データは省略するが、実施例3の反応をアルゴン雰囲気下において行うと、過酸化水素は発生しなかった。このことから、アントラヒドロキノンスルホン酸の酸化に伴って生成する過酸化水素は、酸素が原料であることが分かった。
【0052】
〔実施例5〕
実施例2で検討した光還元反応において、プロトンの供給源が水に由来するものであることを確認した。具体的な手順は、次の通りである。
1. アントラキノンスルホン酸のDO溶液(20μM)とβ-シクロデキストリンのDO溶液(1.0mM)との混合液を調製した。
2. 混合液にアルゴンをバブリングした(15分間)。
3. 5cm離れた位置から、330nmの光を混合液に照射した。このときの紫外可視吸収スペクトルを測定した。測定条件は、測定温度:室温、機器:JASCO-V750(日本分光株式会社)およびMAX-302(朝日分光株式会社)とした。
【0053】
[結果]
結果を図6に示す。左パネルは、重水溶液で測定した吸光スペクトルである。右パネルは、重水溶液で測定した吸光スペクトルおよび軽水溶液で測定した吸光スペクトル(実施例2を参照)の、380nmにおける吸光度を時間の関数として表したグラフである。
【0054】
光還元反応の速度反応定数は、軽水中においてはkH2O=0.72min-1であり、重水中においてはkD2O=0.30min-1であった。したがって、速度論的同位体効果は、2.4であった。この結果から、光還元反応に関与しているプロトンの由来は水であることが示唆された。
【0055】
〔実施例6〕
実施例2で検討した光還元反応において、電子の供給源が水であることを確認した。具体的な手順は、次の通りである。
1. アントラキノンスルホン酸の水溶液(20μM)、β-シクロデキストリンの水溶液(1.0mM)、および5,5-ジメチル-1-ピロリン-N-オキシドの水溶液(1.0M)を混合して、混合液を調製した。
2. 混合液にアルゴンをバブリングした(15分間)。
3. 5cm離れた位置から、混合液に330nmの光を照射した(5分間)。
4. 電子スピン共鳴スペクトルを測定した。測定条件は、測定温度:室温、機器:EMXmicro(Bruker)およびMAX-302(朝日分光株式会社)とした。
【0056】
[結果]
結果を図7に示す。左パネルは、アントラキノンスルホン酸および5-ジメチル-1-ピロリン-N-オキシドを含む水溶液における電子スピン共鳴スペクトルである。右パネルは、アントラキノンスルホン酸、β-シクロデキストリンおよび5-ジメチル-1-ピロリン-N-オキシドを含む水溶液における電子スピン共鳴スペクトルである。
【0057】
水から電子が奪われると、ヒドロキシラジカル(・OH)が生じると考えられる。5,5-ジメチル-1-ピロリン-N-オキシドはスピントラップ剤であり、生成したヒドロキシラジカルを捕捉する(下記反応式を参照)。
【化4】
【0058】
図7から分かるように、アントラキノンスルホン酸のみの水溶液においても、アントラキノンスルホン酸およびβ-シクロデキストリンを含んでいる水溶液においても、いずれも、電子スピン共鳴スペクトル中に5,5-ジメチル-1-ピロリン-N-オキシドのヒドロキシラジカル付加体のシグナルが認められた。この結果から、光還元反応に関与している電子の由来は水であることが分かった。
【0059】
〔実施例7〕
β-シクロデキストリン以外のシクロデキストリン化合物を利用しても、過酸化水素の製造ができることを確認した。具体的には、β-シクロデキストリンをγ-シクロデキストリンに代えて、実施例2と同様の手順で光還元反応を進行させた。
【0060】
[結果]
結果を図8に示す。左パネルは、アントラキノンスルホン酸およびγ-シクロデキストリンを含んでいる水溶液における吸光スペクトルである。右パネルは、γ-シクロデキストリンを含んでいる系の吸光スペクトルおよびβ-シクロデキストリンを含んでいる系の吸光スペクトル(実施例2を参照)の、380nmにおける吸光度を時間の関数として表したグラフである。
【0061】
図8から分かるように、γ-シクロデキストリンを含んでいる系においても、アントラキノンスルホン酸からアントラヒドロキノンスルホン酸への光還元反応が進行した。ただし、γ-シクロデキストリンを含んでいる系においては、アントラヒドロキノンスルホン酸に由来する吸光度が低く、反応率も低下していた。この結果から、β-シクロデキストリン骨格を有しているシクロデキストリン化合物を利用すれば、効率よく過酸化水素を生成させられることが示唆される。
【0062】
上記の結果の原因は、β-シクロデキストリンの空孔と、γ-シクロデキストリンの空孔との孔径の違いにあると予想される。β-シクロデキストリンが有している空孔が、アントラキノンスルホン酸を包接するのにちょうど適した孔径あると考えられる(図9の左パネルを参照)。一方、γ-シクロデキストリンが有している空孔は、β-シクロデキストリンが有している空孔よりも大きいため、アントラキノン化合物を包接すると余分な空間が生じ、アントラキノンスルホン酸の保護が不充分になるのだと考えられる(図9の右パネルを参照)。もっとも、アントラキノン化合物の種類によっては、β-シクロデキストリン以外のシクロデキストリンを利用した方が、効率よく過酸化水素を生成させられる可能性があることは、当業者が当然に理解するところである。
【0063】
〔実施例8〕
アントラキノンスルホン酸以外のアントラキノン化合物を利用しても、過酸化水素を製造できることを確認した。具体的には、アントラキノンスルホン酸をアントラキノンホスホン酸に代えて、実施例2と同様の手順で光還元反応を進行させた。さらにその後、実施例3と同様の手順で酸化反応を進行させた(光還元反応の時間は、120秒間に変更した)。
【0064】
[結果]
結果を図8、9に示す。図8は、光還元反応の進行に伴う吸光スペクトルの変化を表す。図9は、酸化反応の進行に伴う吸光スペクトルの変化を表す。これらの図から分かるように、アントラキノンホスホン酸およびβ-シクロデキストリンを含んでいる系でも、アントラキノンホスホン酸からアントラヒドロキノンホスホン酸への光還元と、アントラヒドロキノンホスホン酸からアントラキノンホスホン酸への酸化とのサイクルが進行することが分かった。
【産業上の利用可能性】
【0065】
本発明は、過酸化水素の製造などに利用できる。
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