(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2024034277
(43)【公開日】2024-03-13
(54)【発明の名称】質量分析イメージング法
(51)【国際特許分類】
G01N 27/62 20210101AFI20240306BHJP
G01N 1/22 20060101ALI20240306BHJP
G01N 1/44 20060101ALI20240306BHJP
G01N 1/28 20060101ALI20240306BHJP
H01J 49/16 20060101ALI20240306BHJP
H01J 49/00 20060101ALI20240306BHJP
【FI】
G01N27/62 V
G01N1/22 T
G01N1/44
G01N1/28 J
H01J49/16 400
H01J49/00 040
【審査請求】未請求
【請求項の数】9
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2022138412
(22)【出願日】2022-08-31
(71)【出願人】
【識別番号】504176911
【氏名又は名称】国立大学法人大阪大学
(74)【代理人】
【識別番号】110000338
【氏名又は名称】弁理士法人 HARAKENZO WORLD PATENT & TRADEMARK
(72)【発明者】
【氏名】三宅 ゆみ
(72)【発明者】
【氏名】豊田 岐聡
(72)【発明者】
【氏名】日下 祐江
(72)【発明者】
【氏名】村田 勲
【テーマコード(参考)】
2G041
2G052
【Fターム(参考)】
2G041CA01
2G041DA04
2G041DA14
2G041DA16
2G041EA04
2G041FA02
2G041FA10
2G041GA06
2G052AA28
2G052AA40
2G052AB11
2G052AB16
2G052AB27
2G052AB28
2G052AD12
2G052AD32
2G052AD52
2G052EB01
2G052EB02
2G052EB11
2G052EC17
2G052EC18
2G052FD07
2G052GA24
2G052JA08
2G052JA11
(57)【要約】
【課題】生体試料から微量のホウ素剤を検出し、腫瘍部におけるミクロな分布と、腫瘍組織と正常組織とにおけるマクロな分布とを可視化できる、新規な質量分析イメージング法を提供する。
【解決手段】ホウ素剤を含む生体試料にマトリックスの溶液を塗布する工程と、前記マトリックスを塗布した試料の表面にレーザー光を照射することで、前記ホウ素剤に由来するイオンを生成する工程と、前記イオンを分離し、検出してマススペクトルを取得する工程と、前記マススペクトルから前記イオンの分布をイメージングする工程と、を包含している。
【選択図】
図3
【特許請求の範囲】
【請求項1】
ホウ素剤を含む生体試料にマトリックスの溶液を塗布する工程と、
前記マトリックスを塗布した生体試料の表面にレーザー光を照射することで、前記ホウ素剤に由来するイオンを生成する工程と、
前記イオンを分離し、検出してマススペクトルを取得する工程と、
前記マススペクトルから前記イオンの分布をイメージングする工程と、を包含する、質量分析イメージング法。
【請求項2】
前記マススペクトルを取得する工程では、前記ホウ素剤に由来するイオンのピークと、前記生体試料又はマトリックスに由来するイオンであり、前記ホウ素剤に由来するイオン以外のイオンのピークとを分離する、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【請求項3】
前記マススペクトルを取得する工程では、前記ホウ素剤に由来するイオンのピークと、前記生体試料又はマトリックスに由来するイオンであり、前記ホウ素剤に由来するイオン以外のイオンのピークとをm/z200において質量分解能20000以上で分離する、請求項2に記載の質量分析イメージング法。
【請求項4】
前記ホウ素剤が、4-ボロノ-L-フェニルアラニン、及びメルカプトウンデカヒドロドデカホウ酸(2)ナトリウムから選択される少なくとも1つのホウ素剤を含む、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【請求項5】
前記マトリックスとして、ジヒドロキシ安息香酸を含む、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【請求項6】
前記溶液に含まれる前記マトリックスの濃度が、10~50mg/mLの範囲内である、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【請求項7】
前記マトリックスの溶液が、溶媒として、水、ニトリル類、アルコール類、エステル類、及びケトン類からなる群から選択される少なくとも1つの溶媒を含む、請求項6に記載の質量分析イメージング法。
【請求項8】
前記ホウ素剤に由来するイオンが、前記ホウ素剤と前記マトリックスとのクラスターイオンを含む、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【請求項9】
前記イメージングする工程では、正常細胞と腫瘍組織とを含む領域をイメージングする、請求項1に記載の質量分析イメージング法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、質量分析イメージング法に関する。
【背景技術】
【0002】
ホウ素中性子捕捉治療法(Boron Neutron Capture Therapy; BNCT)は、中性子と核反応を起こしやすいホウ素をあらかじめ腫瘍細胞のみに蓄積させておくことで、正常細胞をほとんど損傷することなく腫瘍細胞のみを選択的に破壊する放射線治療法である。
【0003】
ホウ素分布を可視化するために、様々なイメージング技術の開発が進められており、例えば、非特許文献1には、二次イオン質量分析法(SIMS法)によるホウ素イメージング法が報告されている。
【0004】
また、例えば、非特許文献2には、レーザー照射-高周波誘導結合プラズマ質量分析法(LA-ICP-MS法)によるホウ素イメージング法が報告されている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0005】
【非特許文献1】Aldossari, S.; Mcmahon, G.; Lockyer, N. P.; Moore, K.L.J.T.A. Microdistribution and quantification of the boron neutron capture therapy drug BPA in primary cell cultures of human glioblastoma tumour by NanoSIMS. Analyst 2019, 144, 6214-6224
【非特許文献2】Reifschneider, O.; Schutz, C.; Brochhausen, C.; Hampel, G.; Ross, T.; Sperling, M.; Karst, U. J. A. B. Quantitative bioimaging of p-boronophenylalanine in thin liver tissue sections as a tool for treatment planning in boron neutron capture therapy. Anal Bioanal Chem. 2015, 407, 2365- 2371.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
ホウ素中性子捕捉治療法において、生体内でのホウ素の取り込み率(正常細胞内に対する腫瘍細胞内ホウ素存在比率;T/N比)はBNCTの治療効果および患者の被曝量に大きく影響する。このため、腫瘍組織とその周辺の正常組織を含む「マクロな領域(cmオーダー)」における「ミクロ(数10μmオーダー)のホウ素分布」の評価はホウ素中性子捕捉治療法のキーポイントとなる。例えば、腫瘍内及びその周縁におけるミクロレベルのホウ素剤の分布をイメージングできれば、生体組織へのホウ素剤の取り込みメカニズムの解明にとって非常に重要な情報となり得る。
【0007】
しかしながら、LA-ICP-MS法は元素を測定対象とするため有機物の分布情報は得られない。SIMS法も元素や分子量100以下を主な測定対象とするため有機物の分布情報は限定的であり、空間分解能がサブμmオーダーであることから測定領域もμmサイズにすぎない。従って、これらの手法では、ホウ素取り込みメカニズムの解明に重要な役割を果たす生体化合物と、ホウ素剤両方を同時にイメージングすることは不可能である。このため、生体組織におけるT/N比の評価やホウ素取り込みメカニズムの解明といったBNCTのニーズを共に満たすイメージング技術が確立できていないという問題がある。
【0008】
本発明の一態様に係る発明は、上記の問題を鑑みなされたものであり、その目的は、高い質量分解能を達成する試料作製と質量分析法とによって生体試料から微量のホウ素剤を検出し、腫瘍部のミクロな分布と、腫瘍組織と正常組織とにおけるマクロな分布を可視化できる、新規な質量分析イメージング法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記の課題を解決するために、本発明の一態様に係る質量分析イメージング法は、ホウ素剤を含む生体試料にマトリックスの溶液を塗布する工程と、前記マトリックスを塗布した生体試料の表面にレーザー光を照射することで、ホウ素剤に由来するイオンを生成する工程と、前記イオンのマススペクトルを取得する工程と、前記マススペクトルから前記イオンの分布をイメージングする工程と、を包含している。
【発明の効果】
【0010】
本発明の一態様によれば、ホウ素剤だけでなく生体化合物の脳内における動態も評価できると考えられる。ホウ素剤と生体化合物との相互作用を解明し、さらに腫瘍蓄積効率の高い新たなホウ素剤や新たなホウ素剤投与法の開発に有効な評価方法を提供することができる。
【図面の簡単な説明】
【0011】
【
図1】
図1は、脳腫瘍モデルラット及びその脳の試料の作製、マトリックスの塗布、及びMALDI質量分析イメージング(MALDI-MSI)の一連の操作の概略を説明するためのスキームである。
【
図2】
図2は、MSイメージを描画するための対象のピーク(主に腫瘍部に分布)を選択するために指定した関心領域(ROI, region of interest)R1の概略を説明する図である。
【
図3】
図3は、MALDI-MSI法により得られた関心領域R1におけるマススペクトル及び[BPA+H]
+に相当するm/z 210付近のピーク群またはDHB由来イオンm/z 273から得られるMSイメージである。マススペクトルの縦軸は1ピクセルあたりのイオン強度で示す。
【
図4】
図4は、BPA標準品スポット(DHB溶液滴下)のマススペクトルである。
【
図5】
図5は、MALDI-MSI法により得られた関心領域R1のマススペクトルのm/z 350付近及びm/z366付近の拡大図、[BPA+DHB-2H
2O+Na]
+、[BPA+DHB-2H
2O+K]
+及びDHB由来イオンに相当するピークのMSイメージ(ピーク質量選択幅0.02ユニット)である。
【
図6】
図6は、脳脊髄液投与法によりモデルラットに投与したBPAの分布を示す[BPA+H]
+のMSイメージ(ピーク質量選択幅0.02ユニット)及び[BPA+H]
+ピーク付近のマススペクトル(腫瘍部を関心領域に指定)である。
【発明を実施するための形態】
【0012】
<質量分析イメージング法>
本開示の一態様に係る質量分析イメージング(MSI)法は、ホウ素剤を含む試料を走査しながら測定領域を分画する1ピクセルごとにソフトイオン化法によりイオン化し、ホウ素剤に由来するイオンを分離、検出してマススペクトルを測定する。測定領域から得られたマススペクトルにおいて、ホウ素剤に由来するピークを選択し、そのピーク強度の分布を質量分析イメージ(MSイメージ)として描画する。
【0013】
MSイメージを描画する対象たる生体試料(以下では単に試料とも言う)は、限定されるべきではないが、例えば、腫瘍が移植されたモデルラットの脳であり得る。
【0014】
本開示の一態様に係る質量分析イメージング(MSI)法によれば、高い質量分解能で質量分析を行うことで、重なり合う大量かつ多種類の生体化合物に由来するピーク群からホウ素剤に由来するピークを分離、検出することができ、ホウ素剤の分布を表すMSイメージを描画できる。また、数10μmオーダーの空間分解能にて、cmサイズの測定領域におけるMSイメージを描画できる。このため、単一の組織のみならず、例えば腫瘍組織及び正常組織(正常細胞)等の複数の組織を含む、試料に適用できる。このため、例えば、BNCTの治療効果および患者の被曝量に大きく影響する生体内でのホウ素の取り込み率(正常細胞内に対する腫瘍細胞内ホウ素存在比率;T/N比)の経時的変化や腫瘍内のホウ素剤の局在化についても数10μmオーダーの空間分解能にて評価することができる。これにより脳内におけるホウ素剤の動態を解明するために有効な質量分析イメージング法を提供できる。
【0015】
質量分析イメージングにおいて観察の対象であるホウ素剤は、BNCT剤でありえ、例えば、4-ボロノ-L-フェニルアラニン(BPA)、及びメルカプトウンデカヒドロドデカホウ酸(2)ナトリウム(BSH)等が上げられるがこれに限定されない。例えば、ホウ素剤は、腫瘍への取り込み効率を上げるためにBSH等に修飾基を導入したものであってもよい。
【0016】
ホウ素剤の動態を観察するための対象である腫瘍には、例えば、メラノーマ等が挙げられる。腫瘍を移植する対象は、例えば、ラット等の小型実験動物であればよい。試料の腫瘍部に局在化するホウ素剤の量は、BNCTに求められる20~40ppmであることが好ましい。このような観点から、例えば、モデルラットであれば、ホウ素剤の投与量は350~700mg/kgb.w.であればよい。
【0017】
なお、本開示の一態様に係るMSI法は、BNCTが適用できる生体組織であれば、観察対象である試料は脳組織に限定されない。本開示の一態様に係るMSI法は、例えば、肝臓腫瘍等へのBNCTにも好適に利用できる。
【0018】
本開示の一態様に係る質量分析イメージング(MSI)法は、典型的には、マトリックス支援脱離イオン化―質量分析法を採用し得る。
【0019】
(マトリックス支援脱離イオン化-質量分析イメージング法)
マトリックス支援脱離イオン化質-量分析イメージング法(MALDI-MSI法)では、マトリックスを塗布した生体試料に対して規定した所定の測定領域をピクセル単位に分画し、1ピクセル(単位面積)ごとにレーザー光を照射しつつ、測定領域全体にレーザー光が照射されるように試料台ホルダーを走査させるとよい。これにより、測定領域を分画する1ピクセルごとにマススペクトルを取得する。得られたマススペクトルにおけるホウ素剤のピーク強度を1ピクセルごとに描画することで、ホウ素剤の分布を示すMSイメージを得ることができる。
【0020】
1ピクセルあたりの大きさにより、測定領域における空間分解能が決定され得る。例えば腫瘍内のホウ素剤分布、腫瘍と正常組織のホウ素剤の分布等の取得したい情報に応じて、1ピクセルあたりの大きさを選択すればよい。例えば、レーザー径及び試料台ホルダーの走査位置分解能に応じて、一辺10~200μm程度の範囲で1ピクセルあたりの大きさを選択すればよい。
【0021】
MALDI-MSI法に供する試料の切片のサイズは、試料を載置する試料台の大きさ(例えば、500mm×800mm(縦幅×横幅)以下)を考慮して設計すればよい。当該サイズによりラット等の小型実験動物の複数の組織を捕らえることができることも本開示の一態様に係る質量分析イメージング法の利点の一つである。試料の切片の厚さは、限定されるものではないが、20μm以下であることが好ましい。
【0022】
試料の切片は、プレートに載置された状態にてマトリックスが塗布され、MALDI-MSIに供される。当該プレートには、例えば、導電性ガラスプレート、又はステンレスプレートが挙げられる。当該プレートのサイズは、試料の切片を載置でき、試料台に載置できればよく、限定されるべきではないが、例えば10mm×10mm(縦幅×横幅)程度であり得る。
【0023】
MALDI-MSI法に用いるマトリックスは、レーザー光によって励起され、測定対象化合物のイオン化を支援する役割を果たす化合物である。マトリックスには、正イオン生成用酸性マトリックス、負イオン生成用アルカリ性マトリックス、銀(Ag)等の金属マトリックスを挙げることができる。なかでも、正イオン生成用酸性マトリックスであることが好ましく、正イオン生成用酸性マトリックスには、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB,沸点:406℃,蒸気圧0.0±1.0mmHg at25℃)、α-シアノ-4-ヒドロキシ桂皮酸(α-CHCA)、5-メトキシサリチル酸、4-クロロ-桂皮酸、ジスラノール、trans-2-[3-(4-tert-ブチルフェニル)-2-メチル-2-プロペニリデン]マロノニトリル、コーヒー酸(CA)、シナピン酸(SA)、ニコチン酸(NA)、trans-フェルラ酸(FA)、2-(4-ヒドロキシフェニルアゾ)安息香酸(HABA)、5-クロロ-2-ヒドロキシ安息香酸、3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸(AHBA)3-インドールアクリル酸(IAA)、レチノイン酸(ATRA)等が挙げられ、負イオン生成用アルカリ性マトリックスには、例えば、9-アミノアクリジン、1,5-ジアミノナフタレン、ノルハルマン、3,4-ジアミノフェノン(DABP)、5-クロロ-2-メルカプトベンゾチアゾール(CMBT)等が挙げられる。なかでも、マトリックスは、正イオン生成用酸性マトリックスである、2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)、α-シアノ-4-ヒドロキシ桂皮酸(α-CHCA)であることがより好ましい。
【0024】
MALDI-MSI法に用いるマトリックスは腫瘍組織、及び正常組織(正常細胞)を含む、広い測定範囲においてマススペクトルを測定するという観点から、揮発性が低いマトリックスを選択することが好ましい。このような観点から、マトリックスは、蒸気圧0.0±0.8mmHg(25℃)以上のものであることが好ましい。または、マトリックスは、揮発性が低いマトリックスを選択することが好ましいという観点から、沸点を参照して選択してもよい。この場合、マトリックスの沸点は、例えば340℃以上であればよい。
【0025】
MALDI-MSI法に供されるマトリックスは、観察対象たる試料の表面に結晶を形成するように塗布すればよい。一態様に係るMSI法では、マトリックス、及び溶媒を含むマトリックス溶液を調製し、当該マトリックス溶液を生体試料の表面に塗布すればよい(マトリックスの溶液を塗布する工程)。このとき、当該マトリックス溶液に含まれる溶媒を揮発させつつ、マトリックスを試料の表面に塗布するとよい。これにより、試料の表面に微細なマトリックスの結晶を堆積させることができる。
【0026】
マトリックス溶液は、溶媒を含み、さらに酸を含んでいてもよい。溶液に含まれるマトリックスの濃度は、限定されるべきではないが、溶媒に対し、10~50mg/mLの範囲内であることがより好ましい。溶液に含まれるマトリックスの濃度が10mg/mL以上であることにより、ホウ素剤のイオン化を好適に支援できる。また、マトリックスの濃度が50mg/以下であることにより、ホウ素剤に由来するイオンのマススペクトルのピークとマトリックス自身に由来するイオンのマススペクトルのピークとの重なりを低減し、ホウ素剤を検出しやすくすることができるという効果を奏する。
【0027】
溶媒はマトリックスを十分に溶解することができるものを選択すればよく、塗布時に揮発するものであることが好ましい。これにより、マトリックス溶液を塗布するときに、マトリックスが結晶化しつつ試料の表面に塗布される。溶媒は、揮発の観点から沸点が100℃以下の溶媒を用いることが好ましい。当該溶媒には、例えば、水と有機溶媒とが挙げられ、有機溶媒には、例えば、アセトニトリル、プロピオニトリル等のニトリル類、メタノール、エタノール、i-プロパノール等のアルコール類、酢酸エチル等のエステル類、及びアセトン、メチルエチルケトン等のケトン類が挙げられる。例えば、マトリックスがDHBである場合、溶媒には、ニトリル類、アルコール類をより好ましく用いることができ、ニトリル類であるアセトニトリルがさらに好ましく、アセトニトリルと水との混合溶媒であることが最も好ましい。
【0028】
マトリックス溶液に含まれる水は、例えば純水であればよい。
【0029】
マトリックス溶液は、2種以上の溶媒を含む混合溶媒にマトリックスを溶解し、これにより、塗布後の結晶の大きさを調整してもよい。より具体的には、例えば、マトリックス溶液に含まれる溶媒として、水と有機溶媒との混合溶媒(有機溶媒の水溶液)を用いる場合、有機溶媒と水との合計を100体積%として、有機溶媒が20~90体積%の範囲内であることが好ましい。これにより、マトリックス溶液が試料上にて滲むことを抑え、マトリックスの結晶が肥大化することを抑えることができる。これによりMALDI-MSI法において高い空間分解能が得られるという効果を奏する。これにより、マトリックス溶液が試料上に長く留まって試料自身を溶かすことを防ぎ、マトリックスの結晶が肥大化することを抑えることができる。
【0030】
マトリックス溶液は、酸を含んでいることが好ましい。マトリックス溶液が含む酸は、揮発性があり、強酸であることが好ましい。このような観点から、酸には、例えばトリフルオロ酢酸(TFA)、ギ酸等が挙げられ、不純物が少ないグレードを入手できることから、トリフルオロ酢酸を好ましく用いることができる。マトリックス溶液には、0.1~0.2体積%の酸が含まれていることが好ましい。マトリックス溶液に酸を添加することで、ホウ素剤に由来するイオンの中で代表的なイオンとなるプロトン付加分子の生成を促すという効果を奏する。
【0031】
マトリックス溶液は、例えば、エアブラシ等によって試料の表面に塗布すればよい。マトリックスが塗布された試料は、MALDI-MSIに供される。MALDI-MSIでは、まず、マトリックス溶液を塗布した生体試料にレーザー光を照射し、ホウ素剤に由来するイオンを生成するとよい(イオンを生成する工程)。
【0032】
空間分解能である1ピクセルの大きさは、走査型試料の位置分解能(例えば10μm)、レーザー径(例えば、約20μm)およびホウ素の局在化を観察すべき生体組織サイズのレベルにより決めればよい。例えば1ピクセルにおける1辺の大きさは20~200μmであればよい。
【0033】
1ピクセルあたりのマススペクトルの積算数は、関心領域(ROI)のマススペクトルにおいて、ホウ素剤に由来するイオンがピークとして検出できるイオン強度において、隣接するピークと分離できるようにすべく、S/N(signal to noise ratio)が10以上になるように設定すればよい。
【0034】
MALDI-MSIでは、質量分析計における測定対象であるイオンの質量分解能を高めるためにレーザー強度及びレーザー繰り返し速度を低く設定することが有効である。レーザー強度及びレーザー繰り返し速度は、上述したイオン強度を確保できる範囲において低く設定することで、レーザー照射時に生成するイオンの空間的広がりを抑えて高い質量分解能を得ることができ、また生体化合物やマトリックス由来のピークが過度に高くなり、目的とするホウ素剤に由来するピークと重複することを回避できる。
【0035】
続いて、質量分離部により、ホウ素剤に由来するイオンと、生体試料に由来するイオンであり、ホウ素剤に由来するイオン以外のイオンとを分離し、それぞれのイオンを検出してマススペクトルを取得するとよい(マススペクトルを取得する工程)。マススペクトルを取得する質量分析計において、測定対象であるイオンの質量分解能は、好ましくは10000以上、より好ましくは15000以上あればよく、さらに好ましくは20000以上であるとよい。また、質量分析計におけるイオンの質量分解能は、限定されるべきではないが、200000以下であってよく、50000以下であってもよい。イオンの質量分解能が10000以上であれば、生体化合物又はマトリックス由来のピークとホウ素剤のピークを分離し、試料中のホウ素剤ピークのm/zを特定できる。また、質量分解能は20000以上(半値幅法、例えばm/z200において)であれば、後述するようにホウ素剤の関連イオンが検出されるm/zの範囲においてピーク質量選択幅0.02ユニット以下でピークを抽出してMSイメージを描画することができ、これにより腫瘍組織の周縁におけるホウ素剤の分布、さらには、腫瘍組織の周縁のみならず、腫瘍組織内部におけるホウ素剤の分布を示すMSイメージを得ることができる。
【0036】
質量分析計において、測定対象であるイオンの質量分解能は、好ましくは10000以上、より好ましくは15000以上、さらに好ましくは20000以上を達成するように質量分析計の各パラメータを設定することで調整すればよい。このような観点から、質量分析計は、15000以上の質量分解能を有するものであれば限定されず、適宜選択すればよい。
【0037】
質量分解能を15000以上、好ましくは20000以上にすることができる質量分析計には、例えば、フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析計、オービトラップ型質量分析計、飛行時間型質量分析計等を挙げることができ、飛行時間型質量分析計には、例えば、スパイラル軌道飛行時間型質量分析計を挙げることができる。本開示の一態様に係る質量分析イメージング(MSI)法は、生体試料中の微量成分の質量分析イメージングにおいて、生体化合物との分離のために用いられる誘導体化法によらずとも、普及率の高い高分解能飛行時間型質量分析計を用いることができ、このため実施が容易で技術を水平展開しやすいということも利点の1つである。
【0038】
質量分解能は、上述のレーザー照射条件と共に質量分離部の種類に応じてパラメータを設定すればよく、例えば、スパイラル軌道飛行時間型等の飛行時間型質量分析計を用いる場合、遅延引き出し時間を調整することで質量分解能を調整すればよい。
【0039】
また、MALDI-MSIは、測定前においてはホウ素剤に由来するピークが検出されるm/z範囲を外部標準法により質量較正し、測定後においては、後述するようにマトリックスに由来し、m/zが既知であるマススペクトルのピークを用いた内部標準法により、関心領域のマススペクトルごとに較正することが好ましい。これによりホウ素剤に由来するピークに近接して検出される生体化合物に由来するピーク、及びマトリックスに由来するピークを含むピーク群の中からホウ素剤に由来するピークを、そのピークの計算精密質量(理論値のm/z)に対して±50ppmのずれ以下で特定できる。
【0040】
MALDI-MSIの測定範囲は、上述したホウ素剤に由来する代表的イオンであるプロトン付加分子のみならず、ホウ素剤に由来する他のイオンも測定することができるように設定することが好ましい。例えば、ホウ素剤のプロトン付加分子のプロトンに代わり、(i)ナトリウム又はカリウムが付加した分子のイオン、およびそれら分子から水が脱離した分子のイオン、並びに(ii)ホウ素剤にマトリックスが付加した分子のクラスターイオン、及びそれら分子から水が脱離した分子のクラスターイオンが挙げられる。これらイオンは、m/z値、及びホウ素の同位体パターンを示すことによりイオン種を推定することができる。例えば、ホウ素剤がBPAであり、マトリックスがDHBである場合、m/z340~370辺りにおける[BPA+DHB-2H2O+Na]+等の二量体化物等も測定対象として含む範囲にて、MALDI-MSIを行えばよい。このような、ホウ素剤のプロトン付加分子以外のホウ素剤に由来するイオン種のMSイメージはホウ素剤のプロトン付加分子のMSイメージで観測されたホウ素剤の分布や腫瘍へのホウ素剤の蓄積または排出の時間変化を検証するのに役立つ場合がある。
【0041】
MALDI-MSIデータからのMSイメージの描画は以下の手順にて行うとよい(イメージングする工程)。
【0042】
(1)まず、主に腫瘍に分布しているホウ素剤に由来するピークを特定するため、測定領域全体から腫瘍を含むと考えられる領域を関心領域(ROI)として指定し、当該関心領域のマススペクトルを抽出すればよい。(2)続いて、マトリックスに由来するm/zが既知のイオンを内部標準として採用し、ホウ素剤に由来するピーク、その付近に近接して検出される生体化合物に由来するピーク、及びマトリックスに由来するピークを含むピーク群に対してそれぞれのm/zを小数点以下3桁(精密質量)まで読み取りが可能な高分解能でそれぞれのピークを分離し、ホウ素剤に由来するピークを特定すればよい。(3)当該ホウ素剤に由来するピークのピーク強度を、測定領域を分画する1ピクセルごとに色調に変換して表示させることでMSイメージを描画することができる。
【0043】
ここで、ホウ素剤のピークと隣接する生体由来化合物またはマトリックス由来ピークを分離して、ホウ素剤のピークの位置を特定し、そのピークから抽出した画像を得ることが重要であり、それによりホウ素剤の分布や局在がより明確な画像を取得できる。より具体的には、ホウ素剤の関連イオンが検出されるm/zの範囲においてホウ素剤のピークと生体化合物またはマトリックス由来ピークを分離するための質量分解能(ピークのm/z÷ピーク半値幅)は15000以上であることが好ましく、より好ましくは20000以上である。
【0044】
以上の手順により、これにより生体組織内のホウ素剤の分布の評価が実用上可能となる。ホウ素剤に由来するピークが複数検出される場合は同様にホウ素剤のMSイメージを複数取得できる。さらに腫瘍部におけるミクロなホウ素剤の分布と、腫瘍組織と正常組織とにおけるマクロなホウ素剤の分布を可視化できる。また、ホウ素剤の脳内における動態も評価できると考えられる。よって、ホウ素剤と生体化合物との相互作用を解明し、さらに腫瘍蓄積効率の高い新たなホウ素剤や新たなホウ素剤投与法の開発に有効な評価方法を提供することができると期待される。
【0045】
〔まとめ〕
本発明の態様1に係る質量分析イメージング法は、ホウ素剤を含む生体試料にマトリックスの溶液を塗布する工程と、前記マトリックスを塗布した試料の表面にレーザー光を照射することで、前記ホウ素剤に由来するイオンを生成する工程と、前記イオンを分離し、検出してマススペクトルを取得する工程と、前記マススペクトルからイオンの分布をイメージングする工程と、を包含している。
【0046】
本発明の態様2に係る質量分析イメージング法は、上記態様1において、前記マススペクトルを取得する工程では、前記ホウ素剤に由来するイオンのピークと、前記生体試料又はマトリックスに由来するイオンであり、前記ホウ素剤に由来するイオン以外のピークとを分離するとよい。
【0047】
本発明の態様3に係る質量分析イメージング法は、上記態様1又は2において、前記マススペクトルを取得する工程では、ホウ素剤に由来するイオンのピークと、前記生体試料又はマトリックスに由来するイオンであり、前記ホウ素剤に由来するイオン以外のピークとをm/z200において質量分解能20000以上で分離することが好ましい。
【0048】
本発明の態様4に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~3の何れかにおいて、前記ホウ素剤が、4-ボロノ-L-フェニルアラニン、及びメルカプトウンデカヒドロドデカホウ酸(2)ナトリウムから選択される少なくとも1つのホウ素剤を含むことが好ましい。
【0049】
本発明の態様5に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~4の何れかにおいて、前記マトリックスとして、ジヒドロキシ安息香酸を含んでいるとよい。
【0050】
本発明の態様6に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~5の何れかにおいて、前記溶液が有機溶媒を含み、当該有機溶媒に含まれる前記マトリックスの濃度が、10~50mg/mLの範囲内であるとよい。
【0051】
本発明の態様7に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~6の何れかにおいて、前記マトリックスの溶液が、溶媒として、水、ニトリル類、アルコール類、エステル類、及びケトン類からなる群から選択される少なくとも1つの溶媒を含むことが好ましい。
【0052】
本発明の態様8に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~7の何れかにおいて、前記ホウ素剤に由来するイオンが、前記ホウ素剤と前記マトリックスとのクラスターイオンを含み得る。
【0053】
本発明の態様9に係る質量分析イメージング法は、上記態様1~8の何れかにおいて、イメージングする工程では、正常細胞と腫瘍組織とを含む領域をイメージングするとよい。
【0054】
本発明は上述した各実施形態に限定されるものではなく、請求項に示した範囲で種々の変更が可能であり、異なる実施形態にそれぞれ開示された技術的手段を適宜組み合わせて得られる実施形態についても本発明の技術的範囲に含まれる。
【実施例0055】
本発明の一実施例について以下に説明する。
【0056】
図1に示すスキームに沿って、脳腫瘍モデルラット及びその脳の試料の作製、マトリックスの塗布、及びマトリックス支援レーザー脱離イオン化-質量分析イメージングを行なった。
【0057】
〔1〕試料作製
各試料を作製するために使用した試薬は以下の通りである。
4-ボロノ-L-フェニルアラニン(BPA)
トリフルオロ酢酸,トリフルオロ酢酸ナトリウム
アセトニトリル(LC-MS測定用グレード)
標準ポリエチレングリコール(PEG200及びPEG600)
以上のBPAから標準ポリエチレングリコールまでは、富士フィルム和光純薬株式会社から購入した。2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)は、東京化成工業株式会社から購入した。
【0058】
〔1-1〕BNCT剤を投与した脳腫瘍モデルラットの脳の作製方法
図1の上段に示すように、悪性黒色腫瘍細胞(B16F10)を脳に移植した脳腫瘍モデルラットにBNCT剤を投与した。脳腫瘍モデルラットに投与したBNCT剤はBPA(4-ボロノ-L-フェニルアラニン)であり、投与条件は350mg/kg体重の量にて、2時間かけて血管投与した。その後、BPAを投与した脳腫瘍モデルラットから脳を摘出し、当該脳を液体窒素で冷却したイソペンタンが入った容器に移し、-80℃で凍結した。脳腫瘍モデルラットの脳に蓄積したホウ素濃度は約20μg/gであった。
【0059】
〔1-2〕試料切片の作製
質量分析イメージング用の試料として、凍結した脳腫瘍モデルラットの脳から16μm厚さ程度の薄片切片を-15℃のクライオミクロトームを用いて切り出した。切り出した試料切片を、厚さが50μm、縦幅×横幅が20mm×20mm程度のステンレスプレートに載置した。
【0060】
〔1-3〕イメージング測定試料の作製
〔質量較正用試料の作製〕
トリフルオロ酢酸ナトリウムの濃度が2mg/mLになるようにアセトニトリルに溶解して得た後、0.5μLの当該溶液をステンレスプレートの試料切片が載置されていない箇所にスポットした。続いて、PEG200及びPEG600のそれぞれの濃度が5mg/mLになるようにアセトニトリルに溶解して得た後、1μLの当該溶液を先のトリフルオロ酢酸ナトリウムを含むスポットの上にスポットした。
【0061】
〔BPA標準試料〕
質量分解能の調整や装置感度の確認のための標準試料として、濃度が、それぞれ100pmol/μL、及び20pmol/μLである2つのBPA標準液(水溶液)を準備した。ステンレスプレートの試料が載置されていない箇所に、1μLずつ別個に各BPA標準液をスポットした。
【0062】
〔マトリックス溶液〕
まず、アセトニトリルを85体積%含むアセトニトリル水溶液に、トリフルオロ酢酸を0.1体積%になるように添加した。ついで、アセトニトリル水溶液に、40mg/mLになるようにDHBを溶解し、DHBの溶液を得た。
【0063】
〔マトリックスの塗布〕
図1の下段左側に示すように、エアブラシ(ノズル内径:0.2mm)に1mLのDHBの溶液を採取し、ステンレスプレート上の試料及び各スポット上にスプレーし、10分間室温にて乾燥させた。
【0064】
〔2〕マトリックス支援レーザー脱離イオン化-質量分析イメージング(MALDI-MSI)
MALDI-MSIには、装置としてMALDI-spiralTOF/TOF(日本電子株式会社製)を用いた。測定モードは正イオンモードとし、測定範囲は測定対象化合物が検出できる範囲、より具体的には、BPAのプロトン付加分子(m/z 210)を含む、m/z 205~550の範囲に設定した。なお、本機のレーザー径は約20μm、発振波長は349nmである。
【0065】
質量分析イメージング測定前に、まず、ステンレスプレート上のBPA標準試料にレーザー光を照射し、BPAのプロトン付加分子のピーク(m/z 210)の質量分解能が約20000となるように遅延引き出し時間等の装置パラメータを調整した。また、レーザー繰り返し速度は250Hzに設定し、レーザー光の出力(Laser power)は42%、検出器電圧は58%に設定した。
【0066】
ついで、ステンレスプレート上にスポットしたPEG200及びPEG600を用いて外部標準法による質量較正を行った。
【0067】
質量較正後、1ピクセルあたりの質量分析イメージングの設定を行った。1ピクセルのサイズを60μm程度に設定し、1ピクセルあたりにおけるマススペクトル積算数は4~5とした。上述の遅延引き出し時間等の設定と合わせて、最終的にホウ素剤に由来するイオンの1ピクセルあたりの強度(S/N)が10以上となるように設定した。
【0068】
図1の下段右側に示すように、ステンレスプレート上の試料に対するレーザー光の走査範囲として、イメージングの対象として選択した組織を含む四方を測定領域として指定し、レーザーを照射しながら試料を走査することで質量分析イメージング測定データの取り込みを実施した。
【0069】
〔4〕データ解析およびイメージング
質量分析イメージングにより取得したマススペクトルにおけるホウ素剤に由来するピークの選択およびMSイメージの描画は、質量分析イメージング解析用ソフトウェア(日本電子株式会社製msMicroImager Extract software)を用いて行った。まず、ホウ素剤に由来するピークの代表的なイオンである[BPA+H]
+に相当するm/z 210付近を広い質量選択幅0.1ユニットにて選択し、MSイメージを表示した。当該MSイメージから試料切片に映る腫瘍組織と考えられる形状を含む領域を大まかに把握し、当該領域を関心領域(ROI)R1に指定した。
図2に関心領域R1の位置を示す。関心領域R1のみから抽出したマススペクトル(縦軸は1ピクセルあたりのイオン強度である)を得た。
【0070】
次に、関心領域R1のマススペクトルを、DHBに由来するイオン([DHB-H+2K]+;m/z 230.946)を内部標準として採用し、質量較正を行った。
【0071】
続いて、質量較正を行った関心領域R1のマススペクトルから質量較正されたm/z値に基づいて、近接して検出される複数のピークの中からBPAに由来するピークを特定した。そのピーク位置を指定し、MSイメージを描画した。なお、ピークを特定する際のm/z値の実測値理論値とのずれ(mass error)の許容値は、生体試料の質量分析イメージングにおける一般的な許容値である50ppm以下(m/z 200の場合は200±0.01)とした。mass errorに伴い、ピークの質量選択幅は0.02ユニットとした。
【0072】
続いて、質量分析イメージング解析用ソフトウェア(日本電子株式会社製msMicroImager view software)を用い、MSイメージのカラー画像化及び色調調整等を行った。
図3に、関心領域R1のマススペクトル及び[BPA+H]
+に相当するm/z210付近のピーク群を一点鎖線内において拡大して表示し、併せて、DHB由来イオンm/z 273のMSイメージ(ピーク質量選択幅0.02ユニット)を表示している。BPAのプロトン付加分子m/z 210.085([BPA+H]
+)のMSイメージは隣接する他のピークのMSイメージと異なり腫瘍の形状を示すだけでなく、腫瘍内部のBPAの存在を示し、BPAが蓄積された状態を示唆する画像であることが確認された。実測値m/z 210.085のmass errorは38ppmと許容範囲内であった。なお、同一切片上にBPA標準液をスポットし、スポット及びその周辺を測定した場合にm/z 210.085のピーク強度が有意に増加することを確認している。
【0073】
図4にイメージング測定とは別に測定したBPA標準品スポット(DHB溶液を滴下)のマススペクトルを示す。BPAの場合、DHBの脱水複合体が検出されており、m/z 328にプロトン付加分子([BPA+DHB-2H
2O+H]
+)、m/z 350にナトリウム付加分子([BPA+DHB-2H
2O+Na]
+)、m/z 366にカリウム付加分子([BPA+DHB-2H
2O+K]
+)が検出された。BPAとDHBとの脱水複合体もMSイメージを描画できるBPA由来イオンと考えられた。
【0074】
〔5〕MALDI-MSIによって得られたMSイメージの評価
図3上部左に[2DHB-2H
2O+H]
+に相当するm/z 273のMSイメージを示す。切片外側の強度が強く、切片上のDHBの分布はほぼ一様で、BPAのMSイメージに影響しないことが確認された。従って、[BPA+H]
+のMSイメージは試料組織におけるBPAの分布を可視化する有効な手段であることが確認された。
【0075】
図5に示すように[BPA+DHB-2H
2O+Na]
+及び[BPA+DHB-2H
2O+K]
+のMSイメージはプロトン付加分子と同様に腫瘍の形状と腫瘍内部のBPAの分布を示した。
図5右側に示した[2DHB-H
2O+Na]
+は僅かに腫瘍の形状を示し、[2DHB-H
2O+K]
+は明らかな腫瘍の形状と腫瘍内部での局在を示した。ナトリウム付加分子によるMSイメージはナトリウムの分布に大きく影響されることなくBPAの分布を示していると考えられ、プロトン付加分子によるMSイメージで示される分布の検証に使用できると期待される。しかし、カリウム付加分子によるMSイメージはカリウムの分布に依存する可能性があるため、分布の評価ではなく、BPAの蓄積や排出(BPAの有無)の評価に有効な手段であると確認された。
【0076】
以上に説明する通り、本MALDI-MSI法が腫瘍モデルラットに投与したBPAの脳組織内分布または蓄積の状態を可視化する方法として有効であることを確認した。
【0077】
図6に血管投与法と異なる脳脊髄液投与法にて腫瘍モデルラットに投与したBPAの分布を示す[BPA+H]
+のMSイメージ(ピーク質量選択幅0.02ユニット)及び[BPA+H]
+ピーク付近のマススペクトル(腫瘍部を関心領域に指定)を示す。
図6に示すようにホウ素剤の投与方法によらず本MALDI-MSI法によってBPAの分布が可視化できることを確認した。
【0078】
以上では、マトリックスとして2,5-ジヒドロキシ安息香酸(DHB)を用いたMALDI-MSによるイメージングを実施例にて説明した。マトリックスとしては、DHBと同様に、α-シアノ-4-ヒドロキシ桂皮酸(CHCA)を用いることができると期待される。